はてなキーワード: 先進とは
現代は賃金格差が埋まってきているのだから女性が働いて男性が家事・育児をする家庭があっても良いという考えがある。
ライフスタイルは人それぞれだから勿論そういう生き方が認められるべきだし、現代においては先進的とも言える。
ただ、最近気がかりに思う事が出来た。
という物だ。
つまり高収入の女性が低収入・無収入の男性と結婚して生活を支えるべきだ、という事だろう。
幾ら賃金格差が縮まったとはいえ、女性の平均年収(280万円)が男性の平均年収(560万年)の半分しかないこの格差社会で、これはあまりに厳しい。
ならば女性ももっと稼げるように努力するべきだ、女性の平均年収が上がるように何らかの動きがあるべきだ、という意見もあるがその話は今は置いて置きたい。
女性が働けば男性が育児をする、という人は多いが、根本的に「男性の育児能力は女性に劣るので男性は育児に向いていないのではないか?」という疑問がある。
女性は10か月以上、自分のお腹の中に赤ん坊を抱えてまるで自分の一部であるかのように、自分以上の命であるように、我が子を慈しみ大切に育てる。
幾ら医療技術が発達しても出産の際に命を落とす女性は居なくならない。新たな命を産み落とすという行為は、いつだって命懸けだ。
そうしてこの世に生まれてきた我が子を抱きかかえ、お腹を空かせた我が子に乳を与え育てる。
粉ミルクという画期的な発明のお陰で赤ん坊にとって母乳は必ずしも必須ではなくなっているが、やはりそれも母乳の「代用品」でしかない。
また、子供は男性の筋肉質で堅い腕より女性の柔らかみのある腕に抱かれる事を好む。これは理屈の無い感覚的な物なので、どうしようもない。
女性だけが子供を育てるべきだ、という昔ながらの価値観は今では古臭い物になった。育児に母親だけでなく父親も積極的に関わるべきである。
だが、同時に男性はどうしても育児という分野で女性に敵わない部分が生来的に存在する現実も、また否定出来ない。
これから先人類が進化していくにつれて、その内男性と女性の肉体的境界は曖昧になっていくかもしれない。「男性の育児が女性と比べて不利」で無くなるには、その時を待たねばならないのかもしれない。
今更ですが、この「女性の方が男性より育児に向いている」という考え方は私独自の物ではありません。
三人子供を産み、夫の協力を得られずワンオペ育児をしたり時には実家に帰ったりもしながら何とか三人とも育ててくれた母が私に教えてくれたものです。
母に育てられた娘達も、時には実家で母の力を借りながら何とか子供を育てています。
母の言う事が全て正しいとも思いませんが、やはり三人の子供を一人で背負い自転車に乗って育てた母の言葉はそれなりに説得力がある物だと思っています。
母曰く、「子供は父親の匂いや堅い腕では落ち着かない。母親の匂いと柔らかい腕に抱かれて落ち着く物だ」との事です。これは私の父が喫煙者だった事も大いに関係があるような気はしています。
若くなかったり美人じゃなかったりする女性キャラが主要人物として活躍する作品の方がよっぽど先進的だしそういうのを見たいんだが
フェミニストから持ち上げられる作品にそういうのって殆どないよなあ
(最近だと『ラーヤと龍の王国』のシスーは割とよかったけれどファンは主人公とナマーリとの百合要素ageばかりでうんざりした)
やっぱ桐野夏生の『OUT』って今見ても結構先進的な設定だよな
『きのう何食べた?』でも佳代子さんが美人過ぎて違和感あった。
「なぜ女の悲しみを描くためにレイプシーンばかりが撮られるのか、ヤリチンに捨てられるシーンが必要なのか。
そういう疑問があって、たとえ復讐じゃなくても、男に傷つけられた過去がなくても、女の人が戦う映画を撮れるんだという気持ちがありました。
日本初の日常系殺し屋映画で、「暮らしと殺し」、そして凄まじいアクションを描いた作品になってます。
たとえ男に傷つけられる描写がなくても戦う女は描けるし、復讐しなくても心は救われる。」
とか言ってるけれど
女子高生二人って時点で『セーラー服と機関銃』からの手垢のベタベタに着いた流れで「もういいよ…」ってなるし
男に裏切られたりレイプされたりの過去がない女性が殺し屋になる話なら『幸せカナコの殺し屋生活』があるし
夫によるDVこそあったものの平凡なパート主婦が死体解体業を始める『OUT』が
既にあるだろって思う。
しかもこの監督名前からして男だよな。男監督が若い美人女優を使って撮ったルッキズムとエイジズムにまみれた映画を女性達が見て
元増田の話が多々おかしいのはブクマカ諸氏の指摘するところではあるが、自分も気になったので、元増田の発言をひとつひとつ検討してみた。
https://anond.hatelabo.jp/20210812125322
1つ目。
台湾では水際対策による再度の感染拡大を抑え込む事が出来ず、再びロックダウンしたし、ワクチンを購入できずに日本に支援を求めましたけど、いつの話を前提にしてるんですか?
それも5月から爆増し始めて、1日当たり13人とか死者だしてますけど?人口比で比較するとこんな感じですがね。日本より被害が出ていますよ。
・まず、「いつの話を前提にしているのか?」とこちらが問い返したくなるほど、初っ端から主張ありきの牽強付会な話をしている。
・ある日の一日あたりの死者数だけ取り出して比べても大した意味はない。日本と台湾のコロナ被害についてまとめると次のようになる。
日台の人口比は、日本:台湾=1億2300万人:2360万人。つまり、日本の人口は台湾の人口の約5.2倍だ。
であれば、現時点における台湾の死者数817人は日本の死者数4248人に相当する。対して、日本の死者数は15348人なので、死者数の観点から言えば、日本の被害は台湾の約3.6倍にのぼる。
同様に感染者数で比較した場合には、台湾の感染者数15820人は日本の感染者数82264人に相当する。対して、日本の感染者数は1071410人なので、感染者数の観点では日本の被害は台湾の約13倍だ。ただし、感染者数は死者数と比べて暗数が多くなるであろう点には注意したい。
死者数、感染者数、どちらで比較するにせよ、台湾は中国の妨害でワクチン調達が難航しているわりに、日本と比べれば健闘していると言って良い。
正しくはこうだ。
■台湾は昨年4月から今年4月末までの一年以上に渡ってコロナをほぼ抑え込んでいた上、5月の感染爆発後のコロナの抑え込みも現時点でほぼ達成している
台湾での感染者数は減少傾向にあり、平均で1日9人の新規感染者が報告されている。1日平均人数のピークだった5月30日の2%になる。
パンデミック(世界的大流行)開始以降、同国では感染者15,820人、死者817人が報告されている。
https://graphics.reuters.com/world-coronavirus-tracker-and-maps/ja/countries-and-territories/taiwan/
■一方で、日本がコロナを抑え込んだと言えるのは、せいぜいが昨年5月中旬~6月中旬の1ヶ月間程度である
日本の新たな新型コロナウイルス感染者数は、パンデミック(世界的大流行)始まって以来最多の15,800人となった。
日本での1日あたりの感染者数の平均がピークに達した。現在の新規感染者数は14,215件。
パンデミック(世界的大流行)開始以降、同国では感染者1,071,410人、死者15,348人が報告されている。
https://graphics.reuters.com/world-coronavirus-tracker-and-maps/ja/countries-and-territories/japan/
2つ目。
・増田はアメリカ、EU、日本で100万人当たりの死者数を比較しているが、欧米と比べた時の日本の死者数の少なさは日本の対策の上手さを意味しない。大まかに言って、欧米と日本だけでなく、欧米とアジアとの間に100万人当たりの死者数に歴然とした差があるからだ。その差を生んだファクターXは未だ完全には明らかになっていないが、具体的には、BCGワクチン/交差免疫/遺伝的要因などが挙げられている。ともあれ、日本の対策が欧米より優れていたからではなく、アジア地域に共通する何らかの要因があると考えるのが自然だ。
参考)https://president.jp/articles/-/41221?page=2
・また、対策が成功であるか失敗であるかを他国と比較する必要があるだろうか?という論点もある。例えば、自民党政権はコロナ感染者数が減りきっていないタイミングで専門家の懸念を無視して緊急事態宣言を解除し、そのために当然のごとく感染者数がぶり返していく様を3度も繰り返している。こういったことが失敗であることは他国との比較不要で理解できることと思う。コロナが終息しない中でワクチン接種もままならないうちに、多人数での食事を控えるべきところをGoToイートで会食をあおるような施策も、それ単体で失敗と判断できる。サイズのおかしなカビた布マスクを、世帯当たりにしてたった2枚だけ数百億円かけて怪しいおともだち経由で調達したこともあった。これも他国との比較不要で愚行と分かる。などなど、失敗を挙げだすときりが無いが…
補足。
■水際対策の成功/失敗を他国と比較して論じる上では、アジア・オセアニア地域の島国同士で比較してはどうか?
・水際対策の難度は外国と海で隔てられているか否かで大きく変わるのではないだろうか。他国と地続きの国では、人はしばしば法律や検疫を無視して国境を行き来するからだ。島国においてはその可能性が減る(まして、日本ほど他国との距離がある国であればなおさらだ)。ということで、この要因を排除して考えるために、島国同士というくくりで比較すると見えてくるものがあるのではないかと考える。
参考)https://diamond.jp/articles/-/272080?page=3
・世界中の島国と日本とを比較しても良いのかもしれないが、欧米とアジア間のコロナ被害の差を生んでいる可能性のあるファクターXの影響を取り除いて考えるために、アジア・オセアニア地域に限定して比較を行うのも良いのではないか。
以上を踏まえ、例えばアジア・オセアニア地域の主要な島国6か国(オーストラリア、ニュージーランド、インドネシア、フィリピン、台湾、日本)の100万人当たりの新規感染者数を比較したチャートは次のようになる。
・オーストラリア、台湾、ニュージーランドは、グラフの底のほう、およそ100万人当たり20人程度の感染者数を最大値として推移している。
・インドネシア、フィリピン、日本は、グラフが大きな山をつくっており、そのピークでは100万人当たり80人を超えている。現在の日本は100万人当たり100人を超える感染者数を記録して過去最大、インドネシアと競っている…
・インドネシアとフィリピンは一人当たりの経済力の面でも、医療や衛生環境の面でも、オーストラリア、台湾、ニュージーランド、日本とは大差がある。コロナ被害においてオーストラリア、台湾、ニュージーランドのグループに日本が入れず、どちらかと言えばインドネシアやフィリピンと肩を並べている状況は、日本の対策に失敗があった結果と言って良いのではないか?
・厳密には、インドネシアはマレーシア(カリマンタン島 = ボルネオ島)と東ティモール(ティモール島)およびパプアニューギニア(ニューギニア島)と国境を接しているので比較対象としては不適かもしれない。
3つ目。
世界と比較して遅れてるとは言えないし、脳弱さんが大成功モデルとして崇拝してる台湾よりも遥かに進んでる。先行したEU、USAにはじきに追いつきますね。これは直感的な予想だけど、日本では60%は超えますよ。
USAやEUは平均的な教育レベルの問題で止まるけど、日本では60%は超えてくるでしょう。ワクチン開発も遅れまてはいても幾つかのワクチンが治験の最終フェーズだし、年内供給予定と発表してもいる。
・これに関しては半分同意する。
・後進国はたしかに言いすぎだ。ワクチンの開発と接種率の両面で日本は中進国ではないだろうか。
・しかし仮にもGDP世界3位の国で、"後進国っていうほどではないなぁw"などと笑っている場合でもない。ワクチン開発で英米に劣後し、調達でも欧米に劣後した理由は究明し改善すべきだ。ただし原因はおおよそ明らかではあるが。開発が遅れたのは常日頃からワクチン開発に力を入れていなかったから。調達で欧米に劣後したのは安倍首相自らがワクチン会社に営業をかけず官僚に丸投げしていたから。また、菅首相になってからはファイザーの社長が首相と直接話したいと言ってきたのに、菅首相は自分の立場が分かっていなくてそっぽ向いてみせたから。
・元増田にやたらと目の敵にされる台湾であるが、台湾はワクチン調達で後れをとっているものの、コロナ被害において日本より健闘しているのは別記した通り。また、ワクチン開発では日本より一歩先んじたかもしれない。
【台湾産ワクチン、23日から接種へ 7日間で60万~80万回分 8/11】
(台北中央社)新型コロナウイルス対策を担う中央感染症指揮センターの陳時中(ちんじちゅう)指揮官は11日、台湾のワクチンメーカー、メディゲン・ワクチン・バイオロジクス(高端疫苗生物製剤)製のワクチンの接種を23日に開始する方針を明らかにした。
米国立衛生研究所と協力して開発した組み換えタンパク質ワクチンで、先月下旬に衛生福利部(保健省)から緊急使用許可(EUA)を取得した。
4つ目。
[医師数削減なんて許せない]
一方でICUの数は諸外国と比べれば少なくて、人口10万人当たり日本4.3に対してアメリカは34.7
https://president.jp/articles/-/42285?page=2
これが何を意味するか?誰が見たって分かる。病床数が足りないのではなくて、医師数が足りずICUが足りないということ。
一般病床数が多い割には医師数が足りない事で、ICUに割り当てる医師も足りなければ、一般病床を担当する医師の過労も避けることが出来ない状態ということは、自明すぎるほど自明でしょう。
医師は急に増やせない、そんなことをすれば粗製乱造でかえって問題が出る。となれば、必要なことは病床数を削減するのが正解ってのも必然と言える。
コロナに関して言えば、感染症指定を5種にすれば一般の病床が使えるようになる。足りないのは、2種の病床だってのは、ずっと言われてる。足りないのは医師ではないし、一般病床でもない。
・この項は増田が結局何を言いたいのかよく分からなかった。例えば、"医師数が足りずICUが足りない"が、"コロナに関して言えば""足りないのは医師ではない"とはどういうことなのか。また、"病床数を削減するのが正解"だが、"コロナに関して言えば、感染症指定を5種にすれば一般の病床が使えるようになる。"とも言っているのは矛盾していないか。
・はっきりしている間違いは元増田が医師数の多寡について日本とアメリカを比較して意味合いを抽出した点だ。なぜアメリカなのか?人口1000人あたりの医師数で、アメリカはOECDの中で日本と並んで下位グループに属している者同士だ。まして日本はアメリカと違って超少子高齢社会に突入している。若者と比べると老人は病を得る機会が増え、治りは遅く、重症化しがちだ。同じ人口でも高齢者が増えればそれだけ医療への負担は増える。こうした状況から日本はコロナのパンデミック以前から慢性的に医師が足りていない。
日本の医師数が少ないことは統計からも明らかである。各国の人口1,000人あたりの医師数では、ドイツの4.2人、フランスの3.4人、イギリスの2.8人と比べ、日本は2.4人と先進国の中でも特に少ない。医療崩壊で話題となったイタリアでさえ4.0人、国民皆保険がないアメリカでも2.6人と日本よりも多い。主要先進国などで構成する経済協力開発機構(OECD)加盟国のうち、日本の医師数はデータのある30カ国中26位と最低に近い。医師総数で日本は32万人だが、OECD30カ国の平均水準から見て11~12万人も少ない。
先進諸国で最低レベルに近い医師数で世界トップの高齢化社会の医療を担うため、超長時間労働にならざるを得ない。過労死ラインを超えて働く病院勤務医が4割に達する中、今回のコロナ対応で長時間労働にさらに拍車がかかり、医療崩壊が取りざたされる状況に至っている。
https://hodanren.doc-net.or.jp/news/iryounews/200605_sisk3_cvd_doc.html
・元増田がどういう意味合いで"コロナに関して言えば、感染症指定を5種にすれば一般の病床が使えるようになる。"と言ったかよく分からないが、コロナによる医療崩壊、とりわけ、コロナの中等症や重症患者向け病床が逼迫している状況に対し、コロナを感染症指定を5類にすべきかは専門家の間でも見解が割れているようだ。これについて、素人考えで言えることは無い。
現在、新型コロナを季節性インフルエンザ並みの5類感染症にダウングレードすることが検討されています。これは、保健所・行政や入院病床の負担から生まれた議論であって、決して新型コロナが季節性インフルエンザ並みに軽症だというわけではありません。
このテーマ、専門家の間でもかなり意見が分かれています。今すぐにでも5類感染症へという意見は「ウィズコロナ」、まだ早計だという意見は「感染の抑制・収束」を想定しているためです。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuraharayu/20210811-00252601
以上。ここまでのことを踏まえると、元増田が締めくくりの項で言っていることは元増田へブーメランだ。だからこの言葉は元増田へとそのままお返ししたい。
"明かに愚かで、間違ったことを言ってる人々の思うようにすることは、自分を含む社会にとっては損にしかならない。同意できることが1つある間に、否定しなければならないことが10ある、そんな感じですよ。"
"本当にお願いだからバカな事を言う前に、少しは調べて考えて論理的に判断をして欲しいんだわ。"
つい先日、ボーイズラブ研究家・金田淳子氏のある呟きがちょっとした炎上騒ぎになった。
週刊少年チャンピオンという漫画雑誌で連載中の板垣恵介氏による漫画作品「グラップラー刃牙」シリーズ、
その中でも高い人気を誇るキャラクター「範馬勇次郎」が一般人に性暴力を振るうというショッキングな事件が起きたのだ。
金田氏のみならず、この展開にはネット中で「刃牙シリーズ」ファンの動揺が見られた。
「勇次郎はそんなキャラじゃないだろう!?」「板垣先生は勇次郎をどうしたいんだ!」など、怒りと悲しみの声があちこちのコミュニティで観測された。
金田淳子氏も「刃牙」のスピンオフを手掛ける程の「刃牙シリーズ」のファンであり、この展開には悲しみを感じずにはいられないようだった。
今週のバキ道読んだんですけどね…。
あと不幸にも襲われた方にも伝えたい。男性に襲われるのは「女の部分がある」からではありません。社会的なジェンダーの呪縛でそう思ってしまうのはわかるのですが、女性は「男性に襲われる性」ではないからです。
(※原文ママ)
この呟きが、荒れた。「範馬勇次郎が他者をレイプした」という事件の話題性もあり、小規模な炎上に近い状態になった。
「またフェミニストが~」
「今更勇次郎に対してそれ言う?」
要は、「少年漫画をBL的な目線で楽しんでいるフェミニストが少年漫画に口を出すな」「勇次郎は元々犯罪者なのだから今更レイプくらいで騒ぐな」という事なのだろうか。
この事について、自分としては納得が行かない…という気持ちが無い、と言えば嘘になる。
フェミニズムという男女平等を目指す思想を持ち、またボーイズラブを愛好する人間が少年漫画について何か意見してはいけないのか?
犯罪者のキャラクターが作中で性暴力事件を犯した事に対して遺憾の意を持つ事はいけない事なのか?それは違うんじゃないかなぁ…と、思う。
漫画雑誌というのは誰が読んで誰がどんな感想を抱いて意見を発表しても良い筈だし、犯罪者なら犯罪を犯しても仕方ないでは納得行かないと思っても良いのではないか。
この事について、「金田氏はかつてキャラクターがレイプされる展開を嗜好している発言をしていた」として反感を示している人も多く見られた。
つまり、レイプという展開を娯楽として消費した事がある人間は、レイプに対して嫌悪感を示す事は許されない、それは矛盾している。と言いたいのだろうか。
これもどうも0か100か、白か黒かという極端な考えだなぁ、と自分は思う。
頭の中であるシチュエーションが好きだという事と、現実でそのシチュエーションを好んでいるかは全く別の問題ではないか?
が好きな人は現実でも異性から強引に乱暴な事をされたいとでも思っているのだろうか?他人にレイプされる妄想をした事がある人は、被レイプ願望があるとでも言いたいのか?
好きなBLモブおじさんは、路地裏に複数で生息していて、火照ったカラダをもてあました受けがそこに迷い込んでくると、「上玉じゃねぇか」「いいケツしてやがるぜ」などほめちぎり、一糸乱れぬチームワークで(※脳を共有している)、受けをもてなして絶頂に導くモブおじさんです
~(中略)~
私のこういう発言をたまに「レイプを受容している」と言って嬉しそうに指摘してくる人がかつていたので、無粋ながら一応書き添えますが、「創作」の話ですよ! 「現実」の性暴力(痴漢やレイプなど、相手の同意を得ない性行為)はダメ、絶対!
続 さらに、過去にツイートしていた、私の好きな「受けが路地裏でモブにもてなされる」レイプ妄想ですが、これは非常に言葉足らずなものでした。詳しく言えば「受けも実は求めている」という気持ちがあり、実質和姦、という現実にはありえない妄想です。(現実にはありえないからこそ妄想と書いてます)
(※原文ママ)
が、こうやって一連の呟きを見ると「性的な事を望んでいる人間が性的な事をされる妄想は好きだけど、現実での性暴力は絶対にダメ」という金田氏のスタンスは一貫していると思う。
正しく金田氏が言うように『「レイプを受容している」と言って嬉しそうに指摘してくる人』が噛み付いているのだなという印象を感じずにはいられない所があるかなぁ。
「不特定多数の相手と合意の上で性的な事をしたいキャラの妄想」と、「強者が相手の意思を無視して性暴力を振るう事」は、似て非なる、どころか全く別の事柄である。本来混同のしようがない。
刃牙はもともと、極端な「男女二元論幻想」を立てていることはわかっているのですが、同時に「闘い=セックス」という見立てにより、「男女のみがセックスする」という二元論をすり抜ける部分も持っていたはずです。しかし今週のバキ道は、男性同士の性すら二元論で語っていてもやもやしますね。
こういう内容の時だけ「フィクションに何言ってるの」ってわざわざリプつけに来る人がいるけど、フィクションを本当に愛してるからこそ、度を越したときはリアルと同じように批判をするに決まっているでしょう? そもそもフィクションを全く批判しない人なんてこの世に居る?
今週のバキ道はあくまで「キャラによる語り」なので、板垣先生の意見だと言えないことは踏まえたうえで、「週刊少年チャンピオン」を読む男性の中に「男性に性暴力を受けた経験がある人」が居ないとでも思っているのでしょうか。その人にとって今週のバキ道は呪いになるのではないでしょうか。
今週のバキ道は、「究極に雄度が高い勇次郎から見ると、他のあらゆる人間(男性も)は異性」という極まった二元論幻想と、勇次郎にレイプされたことのある男性が誰にもそれを話せず、自分が男であることを確認したくて登山家になったという話です。前半はおもしろ話として読めるけど、後半がね……。
もちろん「書き直せ」とか「回収しろ」などと思っているわけでは全然ないので、私個人の立場から、自由に批判を書いております(もともと私の刃牙エッセイ本の中でも、特に範馬勇次郎の言動について強く批判してることは読んでくださってる方は知っていますよね)。
(※原文ママ)
自分は週刊少年チャンピオンを購読している訳では無いので、「バキ道」のその回については詳しくは語れないけれど(チャンピオンには好きな作品も多いのでチャンピオン・コミックスは何冊も持っています)
と強迫的なマチズモとミソジニー、自暴自棄な思想に誘導する可能性もあるかもしれない、呪いに成り得る。
また、金田氏が刃牙のスピンオフを手掛けているからこそ「看板を借りているくせに何様のつもりだ?」と氏を攻撃する人も少なからず見られた。
それもおかしいと思う。親しい人がおかしな事をしたら、周囲の人はその行いを指摘せずに口を噤まなければいけないのか?
「まああの人のやる事だし…」「自分は作品を貸してもらっている側だし…」と「立場をわきまえて」「わきまえる女」である事、が本当に正しい事なのだろうか。
それは違うんじゃないか?それは間違っているんじゃないか?と自分が思ったのなら、例え親しい相手でもちゃんとその感想を伝える事こそが、正しい事なのではないだろうか。
「男性だけど男性に性暴力を振るわれ自分の中の『女性』を意識した」
という「刃牙シリーズ」の男女観は、確かに金田氏が指摘するように正直言って…古臭い、いつの時代の考えだろうか…?という感覚を抱かずにはいられない。
そういう意味では、以前金田氏が言ったように「凶悪な男性犯罪者が意図的に少年を性的な対象と意識し強姦した」エピソードを1992年に少年誌で描いた「ジョジョの奇妙な冒険」は非常に先進的だったと言える。
「ジョジョ」ではその凶悪な男性犯罪者は、文字通り「死ぬより酷い生き地獄」を半永久的に生き続ける事になり、キッチリと自分が犯した過ちの報いを受けている。
対して、「刃牙シリーズ」の人気キャラクター・範馬勇次郎は文字通り「刃牙」という作品の中で最強の人間であり、地上最強の生物という異名を持つ格闘家である。彼が犯罪の報いを受ける事は、決してない。
決して誰にも報復されない、一方的に暴力を振るう側である「加害者」の範馬勇次郎に、「刃牙シリーズ」の一ファンである金田淳子氏が苦言を呈したくなった気持ちを、自分は分かる。そんな日記でした。
【追記】
あまり本題とは関係ないかもしれないけれど、自分が好きな言葉を二つ最後に書き足します。
批判されているのは、BLレイプを無邪気に肯定する一方で少年/青年漫画におけるラッキースケベやご都合描写は糾弾する姿勢。氏の主張に則ればバキもゆらぎ荘も「本当は受け(女性)の希望だからOKです、以上」で終わる。
少年/青年漫画におけるラッキースケベやご都合主義はそのまま現実でのセクハラや性暴力に直結する可能性が高い前提が忘れられてるような…
AVやエロ漫画で女体の扱い方を理解した気になって、女性は乱暴に扱えば自然と気持ち良くなる物だと思っている男性が恐ろしい事に冗談じゃなくゴロゴロしているこの世の中だし
少年誌・児童誌などでスカートめくり、痴漢などのセクハラ行為が行われる→それを見て「よし、やってみよう!」と即決する小中学生男子は少なからず居る、だからこそゾーニングは大事ですよね
「刃牙シリーズの男女観はこうなんだ」と決め付けるの辞めて貰えますか?なんで一部の人の意見を真理のように考えるのですか?それはコンセンサスを得られた意見ですか?
決めつけるとかではなくて、刃牙シリーズの男女観はむしろ刃牙を読んでいれば自然と伝わってくる物だけど思うけど…
男性側が常に強者で女性を選び女体を食らう側で、女性は出産の経験の有無に関係なく男性の癒しである母親としての役を背負わされ、主導権はいつも男性の側に有り女性はいつも選ばれる側であるような
自分の側から男を選び抱いてやった、というような女性が良くも悪くも「刃牙」シリーズには居ないんですよね…餓狼伝に出てくる数少ない女性キャラ達も「選ばれる側」で、男にはレイプされ、息子を慈しむ母でしたし
あ、餓狼伝なら安原健次の彼女さんは「お前ら男二人が勝手に私を賞品として喧嘩すんじゃねえよ!」って男達を一喝した強い女性だったかな?
それを言うと「BLが」作品レイプというか…「二次創作が」原作レイプなのでは?
BLは創作だからレイプもオッケーって人が創作のバキ道に文句つけてるからなんで?ってなってるんでしょ。そこのところ混乱しなかったの?
個人的に金田淳子氏の主張は一貫してると思ったのでそこのところは混乱しませんでした。
金田氏の好むBLは原作が存在する二次創作で、商業誌で発表されている一次創作の商業作品との影響力は段違いですから…漫画雑誌に載っているプロの漫画と自由帳に描いた自作の漫画くらいには印象が異なるのかなと。
「刃牙」シリーズは四大少年誌というメジャーな雑誌で連載されている上、格闘漫画という題材もあって今時珍しい程「男らしさ」に拘ってますから…男性読者当事者への影響力と反響は凄まじいでしょうね。
【追記2】
自分の素直な感覚と感情には正直になった方が良い、という持論を自分は持っている
理屈と自分の感覚・感情は時に相反する事があるけれど、その時理屈を優先して自分の正直な気持ちを押し殺すと、後で辛い思いをする物だから
メイキャッパーとか読んだ?
わー懐かしい!「メイクで美しくなる」ってテーマに惹かれて昔読みました!
実際の内容は想像と大分違うというか…初期のグラップラー刃牙の前身というか、トンデモ料理バトル漫画の料理要素がメイクバトルになった作品と言うか、面白かったですけども
【追記3】
よく「お気持ち」という言葉が他人の意見を揶揄する時に使われるけれど、感情から発せられる意見が悪い物だとは自分は思わない。
義憤というか、何かに対して「それは間違っている」という意見を発する活力になる物は、その「お気持ち」と揶揄される感情以外にないのではないだろうか。
今更見てすごく楽しい。
劇場版も見た。
50話ある作品を三部作におさめるのは無理があると思うし、入れてほしかったセリフとかシーンがなかったり変わってたりで思うところもあるけど
自分も大人になったのでティターンズでブライトさんが暴行受けるシーン減ってて安心したしティーパーティーする穏やかなアーガマとか未成年のカミーユの心が守られたこととか率直に良かったな~と思った部分もある。
フォウとかロザミアのこととか薄くしてファと仲良しにすることですぐ側にいる人を思うことができるか、愛せるかみたいな隣人愛みたいなことなのかなとか思った。
(当時の監督のインタビューとか記事とか読んでないし分かんないから見当違いかもしれないけど)
すべてのガンダムシリーズを見てはいないけど、基本的にニュータイプ的な感覚で惹かれ合うのって基本男女だけど今後そうでない関係性も描かれるのかな(もしすでにあるよ~って言うなら宇宙世紀に限らず見てみたいので教えてほしい。)クィアな表現がもっと増えてほしいな~って思うところもあるので。世界的に売り出していくなら今後そういう多様性も取り入れた作品作りはされていくんだと思うけど。
今パッと思い出せるものだとニュータイプ的なアレコレではないけど鉄血のオルフェンズのシノとヤマギ(片思いだけど)とか、最終回でアトラとクーデリアが恋愛関係って感じはない気がするけどパートナーシップというか、女性同士で連帯してるようで良い関係性を築いてるんだな~と思ったり。
逆シャアでのアストナージとケーラの関係を見て男性側から食事の話を振って一緒に食べようっていうのも公開当時(約30年前)からしたら先進的だったのかな。
ファーストからだとミライさんみたいな優秀な人が家庭に入ってしまうのもったいないなあと思うものの、逆シャアのチェーンは技術者として開発にもしっかり関わっていたけどこれは独身だからがっつりやれてただけなのかもしれないな。
F91のシーブックの母とかカミーユの母も仕事楽しさに家庭を顧みずって感じだったので、キャリアを望んだり、やりたい仕事を突き詰めようと思うと子育てを二の次にしないとだめな時代がそのまま反映されたのもあったのかなあと想像する。(現実今でも完全に改善はされていないけど)だからガンダムはめっちゃ女性が活躍してるぞ!と言われても独身だからでは?既婚や子持ちには難しい仕事ではない?職場環境は良いのかな?ブライトさんも全然子どもに会えてないぞ、とか考えてしまうところがある。
余談ですがティターンズは月の有給が3日増えるって言ってたけど年間36日あるの?すごない?もらった有給は取得できてるの?って思う。
あとジェリドがライラ大尉と出会って不要なプライドを捨てて自分の弱さを認めて成長しようとするところが良かっただけにライラ大尉亡くなったのが悲しいなあと思う。だんだんジェリドもティターンズのやり方を内面化して成長が頭打ちみたいな感じではちょっと惜しいやつだと思った。
とか色々TV版も劇場版についても今期の面白いアニメみたいに語りたいのに全然話せる人がいない……
悲しい。
「ファーストペンギン」とは、集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛びこむ1羽のペンギンのこと。転じて、その“勇敢なペンギン”のように、リスクを恐れず初めてのことに挑戦するベンチャー精神の持ち主を、米国では敬意を込めて「ファーストペンギン」と呼びます。
とのこと。ここではベンチャー精神となっているが、冒険心と置き換えていいだろう。時に無謀な挑戦が、思いがけない成果に繋がることがあるというやつ。
この冒険心は、正論や論理性から導き出されるとも限らず、側から見たら狂信的、無茶、無謀、狂気といったものに見えることもあるだろう。
狂いに対する社会的な許容量が、先進性や新しい挑戦に繋がる。とすると、たしかに日本にそれが欠けているという見方もありそうだ。
ファーストペンギンの育成。腹ペコのペンギンが崖から海に飛び込むことを促すには何をすれば良いのか?狂いを許容し、枠から外れていくことを促すことはできるのか。
それには飛び込んだペンギンの犠牲を許容することが必要となる。飛び込むペンギンを増やせば、成功も増えるが犠牲者も増える。これを受け入れる。
プリキュアのルッキズムとかその他もろもろなんか思うことがあったりする。
「かわいい」っていうのをプリキュアが見た目だけのことを言いたいんじゃないんだろうけどそれを人生経験片手程度の子どもたちに伝わるようにつくっているか?とか、「子どもたち(主に女の子たち)のために」っていうスタンスをどのくらい本気でやってるんだろうってのは前からちょっと考えている。
「かわいい」がすべてではないことを大人は知っているけど子どもたちはこれからそれを学んでいく過渡期にいるので、メインターゲットを未就学児~小学生くらい?に据えてる時点でプリキュア制作側は伝えるメッセージやその伝え方に慎重にならないといけない。可愛くないからプリキュアになれない、とか○○だから(たとえばメガネだから、髪型がこうだから、とか)プリキュアになれないと思ってしまったり他の子にそう言ってしまったりするきっかけを与えてはいけない。
プリキュアやその仲間が「かわいくないからプリキュアになれない」と発言しても大人は「あら、今のプリキュアそんなこと言うんかい」で済ませることができるけど
知識や人生経験の少ない子どもたちにはその言葉がもっと大きなインパクトをもって伝わる可能性ってのを考えなきゃいけない。
フィクションと現実は地続きにあるし、子どもたちにとってはよりその垣根は低い。
ルッキズムに限ったことじゃないんだけどメインターゲット女児先輩は気にしないからあれこれ言うな!そんなもん扱わなくていいんだ!って問題ないじゃないんだよね。
そこをメインターゲットに据えた時点で責任持って作品つくらなきゃいけないんだよって話で。
大人と違って判断できる知識や経験が少ないので良いことも悪いこともそのまま吸収してしまう危うさがあって、大人が鬼滅を面白いと思いつつ子どもにはあまり見せたくない(暴力的だったりちょっとグロかったりするから)って親もいるでしょう。クレヨンしんちゃんとか芸人の発言やバラエティの演出もそうだけど。
テレビでやってるから悪いことじゃない、みたいな感じで面白がって人のこと嘲笑したりときに暴力をふるってしまったり。それを矯正するのも親の義務っていうけど、1回テレビやなんかで見て覚えたものをなぜ良くないのかわかるように言い聞かせて矯正するってすごく、すごく大変でしょ。見て学ぶのは一瞬で、それを言って聞かせ理解させ…ってところにかかる労力、対等ではない…。親の立場からしたらいい加減にしてくれって話だよね。
何度教育したってテレビで人の尊厳を踏みにじって笑い取るようなことやられまくってたら親の教育もいたちごっこの連続だし、悲しいことにちゃんとしつけする親ばっかでもないし。大人の立場で見てても楽しくないしね暴力とか嘲笑とか。
それからメインターゲットが保育園~小学生くらいの女児、だとしたらその中にはシスジェンダーでもヘテロセクシャルでもない女児や障害をもった女児も当然含まれるんだよ。
過去作品だけどHUGっとプリキュアでは男の子もプリキュアになれるとか、アンリと正っていう友情なのかBLなのかみたいな感じで男性二人の関係を出しつつ最終話で生々しい出産描写もやるの先進的とか言われてたけどまったくそんなことはないと思っていて、
むしろ女性への出生賛美をうたってほまれのヘテロセクシャル要素をゴリゴリに出しておいて性的マイノリティーについてはほのめかすだけにするっていうの、あらゆるセクシャリティを対等に扱ってない。
都合良く使える部分だけいただいて、まぁ、さわりだけやっておけば先進的と思ってもらえるラッキー(笑)みたいな。
あ~男の子もプリキュアになれる、お姫様になれるってとこまではできたのに、残念だなぁ、扱うなら正面切ってやれば評価されるのに…って思ってしまった。
こう思ってしまうのはうちの姪っ子がいま同じ保育園の女の子のお友達を大好きだとよく話してくれるからで、もちろんママだいすき、プリキュアだいすきと同じ感覚のだいすきなのか、恋愛としてのだいすきなのかわからないけど、もし後者であった場合にプリキュアが姪っ子や同性愛当事者のメインターゲットの子を傷つける存在になってほしくない、むしろ勇気づける存在であってほしいと思うから。
異性愛者としての描写も出産シーンも生々しくないけど同性愛っぽい描写は生々しいの?子供に見せられないものなの?
あらゆるセクシャリティ・ジェンダーについて一体どういう考えで作品をつくっているの?って思うよ。
ターゲットとしている層にもマイノリティに該当する子は含まれているのに。
スタートゥインクルプリキュアでは肌の色が違うことで受け入れてもらえなかった過去のあるキャラクターのことを扱ってた話があって、それは良かったなって思う。(スタプリは全部をきちんと見てないので全体としてどうかはわかんないんだけど)
わざわざ同性愛者だ障害者だ外国籍だってマイノリティを出すならそうだとはっきり分かる描写を出す必要があるのか、と言われたら出さないことで存在しないことにしている。のけものにしているってことなので、その年令の女の子たち(子どもたち)のことを考えて作品作りしているというスタンスを出すなら見て見ぬ振りやおためごかしはもうやめてほしい。
そんな表現は大人の自己満足だっていうけど、むしろマイノリティを無視する作品って子どもに一体何のメリットがあるのか…?
自分がマイノリティについて気にしなくて済むカテゴリーだ、マジョリティである、強者だって指摘されるようで居心地悪いだけなんじゃない?
女性の仮面ライダーいたんだし男の子のプリキュアもレギュラーメンバーで出せば良いし、仮面ライダーも赤ちゃん育てたらいいんじゃないの(仮面ライダー全部見てないからもう子育て要素とか取り組んでたらごめん)
売れないとか商業的に…っていうけどそれならもう「子どもたち(女の子たち)のために」つくっているっていうスタンスも見直したほうが良いんじゃないかな。
玩具購入資金源の親がそんなもん喜ばないだろ!っていう意見出そうだけどそれもおかしな話で、
それはつまり親が自分の子どもはマイノリティであるはずがないしそんなもの目にもいれさせたくもないし
目に入れさせてマイノリティに目覚めさせたくない、そんなやつらのことは理解させる気もない、ということにもなるんじゃないの。(あえてちょっと強いことばにしてしまったけど)
親としては子どもがマイノリティである可能性を思えば(誰しもがその可能性がある)ロールモデルにできる存在や勇気をもらえる存在(それこそエンパワメントされるような)を小さい頃から見せてあげて「大丈夫だよ」と伝えてあげたいし、本人がマイノリティでなくても身近にそういうお友達がいる可能性もあるから寄り添える人になってほしいと思う。
もし身近にマイノリティなんていねえよって思う人は、あなたの態度や発言を見聞きしてマイノリティ当事者はあなたにカミングアウトも相談もしたくないと思ってる、だから周りにマイノリティがいない、と考えたほうが良いかもしれない。
いわゆるLGBTQに該当する人が血液型のAB型や左利きと同じくらい、だいたいクラスに一人くらいの割合でいるそうなので。
つまり、そのくらいいるとなると総勢50人を超えてきたプリキュアにもいてもおかしくないって話にもなるわけで。
アニメとはちょっと違うけどセサミストリートだと障害のある子や同性愛者のキャラクターがいるし、ディズニーでも扱ってたよね。
なんかコスメでエンパワメントよりも、というか同時に考えたほうがいいんじゃないかとプリキュア…と思ってしまったりする…。
2013年じゃないが?
自分の属性に金寄越せでしない(2回目)。フツーに国連を信じるね
https://www.un.org/en/development/desa/population/publications/factsheets/index.asp
How certain are the United Nations global population projections? (国連の世界人口予測はどれくらい確実なのか?)
国連は世界人口見通し(WPP)の2019年改訂版で、世界の人口が2019年の77億人から2030年には85億人、2050年には97億人、
2100年には109億人に増加すると予測している。人口予測は、他の予測と同様に、将来についての仮定が含まれており、それはある程度の不確実性を伴うものである。
本短信では、国連が発表した2100年までの世界人口予測の不確実性の程度とその原因について説明する。
1. 将来の人口動向は、特に長期的には不確実である。
未来は絶対的な確実性をもって知ることはできないが、近現代の経験を使って、短期および長期の両方の視点から起こりうる結果の評価を行うことができる。
人口予測の不確実性は、人口変動を構成する 3 つの要素である出生率、死亡率、国際移住の将来の傾向の範囲に依存する。この分析では、
95%の確率で、世界の人口は2030年には85億から86億、2050年には94億から101億、2100年には94億から127億となると結論づけている。
人口は増加するが、今世紀末までの人口増加率は鈍化すると予測されている。中規模モデルでは、人口増加率は2015年から2020年の年率1%強から、
予測によると、世界の人口は少なくとも 2050 年まで増加し続け、2040 年には 90 億人に達し[296][297]、2050 年には 110 億人に達するという予測もある[298]。
将来の人口増加の中央値は、平均出生率が 2010-2015 年の 2.5 から 2045-2050 年には 2.2、2095〜2100 年には 2.0 に減少し続けると仮定して、
2030 年には 86 億人、2050 年には 98 億人、2100 年には 112 億人に達する[299]。 299] ウォルター・グリーリングは 1950 年代に、
世界人口は 21 世紀に約 90 億人のピークに達し、第三世界の再調整と熱帯地域の衛生化を経て、その後成長が止まると予測していた[300]。
2000年、国連は世界の人口が年率1.14%(約7500万人)で増加していると推定しており、CIAの世界ファクトブックのデータによると、
現在世界の人口は1分ごとに145人ずつ増加している[301]。
どうしてBL同人で受け役になった男は、言動が女っぽくきゃわゆく描かれるのがメジャーなのか。
それは、腐女子の中には女体嫌いの女好きがかなり多いからなんだろうな。
女体は見たくないが、女の子みたいに照れたりキュンとしたりする言動は好きだし、そんなかわいい存在が男女恋愛のテンプレをなぞって女役として愛されたり挿入されたりしてるのが好き、という多くの腐女子のホンネが、受けを女の子っぽくするのだ。
ケンコバは自分のことを女体は好きだが女嫌いと称したけど、その反対だな。
(ちなみに、ミソジニー男を叩く時に「女体好きの女嫌い」を使う人が多いけど、ケンコバの自己言及が元だと知らない人が多そう)。
ケンコバは他者である女についての好き嫌いだったけど、腐女子の「女体嫌いの女好き」は自己嫌悪が混じってくるのでグチャグチャしてるんだよな。
物語には女キャラが少ない方が嬉しいけど、現実の女性アイドルは好きですみたいな腐女子は、女体全般ではなく自分の女体への嫌悪がデカい故とも考えられる。
リアルのアイドルの女体は感情移入しづらいのであくまで他人の存在と感じやすいが、物語の女体は自分を重ねて読んでしまいやすい、だから物語で女キャラが目立ったり性に絡むと苦痛、という心理だな。
自分の女の体は嫌いだしそれを思い出させられるのも嫌だけど、女性的な振る舞いをする存在はかわいくて好き、男女恋愛テンプレに則った交際やセックスが好き。
そして受けちゃんを女化したうえで自己投影することで、自分の女体は脱ぎ捨てつつ、女性的人格を承認され、女性っぽく愛されてる気持ちになれる。
浅ましく感じる人もいそうだけど、別に悪いことじゃあないよなコレ。過剰に浅ましく感じる人は、自分の女的欲望を憎んで抑圧してるから解放した方がいい。
ただし、男役女役の恋愛テンプレが大好きなくせに、表面的な肉体が男キャラのBLを好んでるってだけで「腐女子はジェンダーフリーだ、先進的リベラルだ、マイノリティに理解がある」みたいな態度を取る腐女子はよくない。
自分の女体嫌いと女好きの欲望不一致を無理矢理解消してるだけじゃねーかっての。
世間一般の男女恋愛に馴染めなかった私たちって異端だよねフフ、みたく悦に入ってんじゃないよ。女体嫌いという意味では少数派だけど男女恋愛規範好きという意味では多数派だから、思ってるほど異端じゃねーよ。
オメガバースなんかも「男役、女役は完全固定! 世界設定として覆らないことにします! だけど女体は嫌いなので、体は男同士でもアルファとオメガという性別を加えておきます! 女体を見ることなく男女恋愛テンプレに則った話をどんどん書こう!」って欲望発散に便利だからあんだけ流行ってる。
オメガバは悪くないが、オメガバがセンス・オブ・ジェンダー賞の大賞もらったのは流石にガバガバよって感じだ。
BLもオメガバも、ムリヤリ大義名分を持ったり社会運動に繋げずに、真面目に快楽エンタメとしてやってけってね。(真っ当にリベラル思想からやってるタイプのBLだったら、それをかかげるのは正しい)
ちなみに、「女体好きだが女は嫌いなケンコバ」の反対としては「男体好きだが男は嫌い」も考えられる。
こっち方向だとミサンドリー腐ェミっぽさが強くなる。
もちろん、腐ェミと非フェミ腐女子はパッキリ別れるわけじゃない。
「女体嫌いだが女好き」という、自己肉体嫌悪と、かわいく優しく柔らかい人格への好意に関心が強ければ、イチャつきメス化恋愛作品を楽しむ腐女子っぽい活動が多くなる。
「男体好きだが男嫌い」という、男の肉体への好意と男の人格への憎しみが強ければ、腐ェミとしての活動が多くなる。
ということで元増田のこの疑問の答えもわかることでしょう。
なんで自分に自信満々な筋骨隆々ガハハな男が、突然内股になって下げ眉困り顔で頬赤らめて生娘みたいな貞操観念の鈍感男になって「ふぇっ?」とか声あげて攻め「可愛い…っ!」ってなんのよ
受けの皮を被ったそいつは誰なんだ
オリパラ特措法に基づく閣議決定として、オリパラ大会関連施策の立案と実行にあたっての基本的な考え方、施策の方向を明らかにするもの。
1.はじめに
大会を契機として日本を再興し、成熟社会における先進的な取組を世界に示す。
パラリンピックの開催は、障害者の自立や社会参加を促す大きな力。参加国・地域数についても、オリンピックとの差が縮まるよう、過去最多を目指す。
国際テロ・サイバー攻撃の脅威の高まり等、セキュリティをめぐる情勢は時代とともに変化しており、安全安心対策は必須。
世界の注目が日本に集まる機会を活かし、「復興五輪」として、復興の後押しとなる取組を進める。
スポーツ、文化・クールジャパン等のイベントを通じたオールジャパンの魅力の発信、大会機運の醸成、外国人旅行者の地方への誘客拡大等を通じて、大会を国民総参加による日本全体の祭典とする。全国に大会の効果を行き渡らせ、地域活性化につなげる。
「強い経済」の実現、日本文化の魅力の発信、スポーツを通じた国際貢献、健康長寿・ユニバーサルデザインによる共生社会、生涯現役社会の構築に向け、大会の遺産(レガシー)を創り出す。
関連施策とその進捗状況は、「大会に向けた政府の取組」として公表する。
2.基本的な考え方
大会の効果が東日本大震災の被災地を含む日本全体に波及し、国民全体に参加意識が醸成されるよう努める。
パラリンピックをオリンピックと一体的に運営することを通じて障害者の社会参加の拡大を図る。
高齢化社会、環境・エネルギー問題等多くの先進国に共通する課題を踏まえ、有形・無形の遺産(レガシー)を創出し、日本の力を世界に発信する。
組織委、東京都、会場が所在する地方公共団体と密接な連携を図り、オールジャパンでの取組を推進するため、必要な措置を講ずる。
オープンなプロセスにより意思決定を行うとともに、施策に要するコストをできる限り抑制する。
全てのアスリートが最高のパフォーマンスを発揮できるよう、セキュリティの万全と防災・減災等の安全安心の確保、アスリート、観客等の円滑な輸送、暑さ対策・環境問題への配慮、新国立競技場の整備を進める。
日本人アスリートの活躍を通じて国民を感動の渦に巻き込めるよう、メダル獲得に向けた競技力の強化に取り組む。
オリパラムーブメントの普及、ボランティア等の機運醸成を図る。
ラグビーワールドカップ2019と共通する施策について連携して準備を進める。
世界の熱い注目が集まる大会の開催を通じて、東日本大震災の被災地が復興した姿、全国の地域の魅力、日本の強みである環境・エネルギー関連等の科学技術を世界にアピールし、地方創生・地域活性化、日本の技術力の発信、外国人旅行者の訪日促進を図る。
大会はスポーツ立国の実現の好機。スポーツ庁が中心となって、競技力強化、アンチドーピング対策等、スポーツ基本法が掲げる諸施策の推進等に取り組む。
大会はスポーツの祭典のみならず文化の祭典。伝統的な芸術から現代舞台芸術、最先端技術を用いた各種アート、デザイン、世界中が注目するコンテンツ、メディア芸術、ファッション、和食・日本酒等の食文化、祭り、伝統的工芸品、和装、花、木材、石材、畳等を世界に発信する。
大会を弾みとしてスポーツ・運動による健康増進、受動喫煙防止、公共施設等のユニバーサルデザイン化・心のバリアフリーによる共生社会の実現を通じて、障害者・高齢者の活躍の機会を増やす。