はてなキーワード: 隣人愛とは
「助けてほしい」「教えて欲しい」「今とても困ってる」「話を聞いてくれないか」「人は助け合いだよね」「旅は人情世は情けというじゃないか、少し親切してほしいんだけどいいかな」
そう言われて愛想笑いで付き合ったら、
「若い女の子と話せて嬉しかった」「若い美人さんと話せて楽しかった」「こんな素敵な人とまたお話ししたい」「彼氏はいないの?自分も彼女いないよ」「彼氏を作ろうと思わないの?彼氏がいる方が楽しくない?」「いつからいないの?」「こう見えて良い男だからいつでも連絡して」「電話しても良い?番号聞いて良いかな」「今度は一緒にご飯に行こう、奢るよ(サイゼ)」「もし俺が素敵な奥さんと結婚したら遺産が残せるよ」「どんな服が好き?それ着ていこうかな」「こんな真面目で素敵なお嬢さんならどんな男も結婚したいだろうねえ」
などと結局言われたわけ。
やっぱりか。お前もか。
少しの人助けのつもりなのに、どんどんセクハラみたいなことも言われる
こんなに長々と話しかけられて何時間もずっと絡まれるのは、向こうがただ「女と話せて舞い上がって、もっと話したいし仲良くなりたい性欲を抑えきれなくなったから」なんだなってどんどん気分が悪くなる
こういうおじさんがどこにいてもやたら現れる
趣味や仕事に真剣になってても若い女だけが邪魔されて公共の場を使えなくなる
こんなことが何回もある
ボウリング1人で練習したくても知らないおじさんが話しかけてきていらないコーチングし始める。多分私の方があなたより上手いよ。もしコーチが欲しければ自分で雇ったり上手い人に頼んだりしてる。
今日はカフェで仕事がしたいなと思って外に出ても、知らない人に邪魔されて仕事にならない
誰も友達を誘わずにわざわざ1人でカフェに来てるのは、仕事に集中したいからなのに。1人でカフェに来て、話しかけられて集中できないことがあるなんてまさか思わないよね
困ってる人を時々助けるのは構わない。
でも男の人はこんな目に遭わないんだよね?
女の人だけが「何故か」困ってて助けを求める人に高頻度で遭遇して「何故か」いつも話しかけられる。
このおじさんはいくら口では男でも女でも話しかけちゃうと言ってても、結局、女の方が捕まる時間は長いし、女の方が話しかけられる頻度は多いし、ただ女と話したいだけで女を口説きたいだけじゃん、性欲で周りが見えなくて、他人の都合より自分の欲を優先させてる人じゃん
本当に困ってて本当に助けを必要としてるだけの人のためになら仕事の手を少し止める気はある
こんなこと繰り返されると、そういう人を助けられなくなるよね。
こういうことを言うとたまに「それだと男性は女性とは仲良くなれないじゃん」「男は2度と女に話しかけるなってこと?」「困ってる人を助けることもしない冷たい社会になる」「本当に困ってる男性がいたらあなたは見捨てることになるんですよ」
別に男の人がみんなそうだと思わないし、話しかけること全てが悪なのでもない。これが男性とのスタンダードな付き合い方だとは思わない。
でも「女性として生きてたら、男性とはそういう生き物なのだから、こういうことが起こるのは当たり前」だとも思わない。
とにかく1人でいる女におじさんは話しかけるな、男性に助けを求めない人を女性が助ける必要はない、というのも何か違う。
それはあくまで今の日本社会で女性が迷惑を被らない為にできるベターな対処療法であり、応急処置的手段であり、集団防衛であり、今はそういうやり方で気をつけるしかないこともあるけど、
それが最終形ではない、と思う。
例えばアメリカにいた時はとても楽だった。
エレベーターでもバスでも列でもどこでも知らない人から普通に話しかけられるけど、女だけじゃなく男にもおじいさんやおじさんにも話しかけてる。
本当に助けを求めてる人や世間話をしたいだけの人が男女問わず短時間話しかけてるのが殆ど。
性教育が充実してるからかセクハラされないし、マイクロな女性差別にもすぐに気づいてすぐに怒ってくれる。
仕事でも職業でも勉学でも差別に気づくと、どんなに小さな差別でも、まだ言語化できない些細なもやもやした気持ちでも、「何故モヤモヤするか、それは差別だからよ」と、すぐに大きく対応してリカバリ・改革してもらえる。
お気に入りの女生徒・女子職員にだけ距離を詰めたり変なサービスやえこひいきをしてくる上の人がいない(多分すぐ辞めさせられるんだと思う)。
差別的なことを言う男の人がいると、日本みたいにその場では丸く収めて、後で小声で文句言う人もいない。男性も女性もすぐその場で立ち上がって怒鳴って怒り始めてくれる。当たり前のことを当たり前にしてくれる。
「私は少しくらい差別されても嫌じゃないよ」「気にしすぎじゃない?ネタだしジョークなんだから流しなよ」「自分でネタにできるくらいにならないと」
などと、クソなbullshitを言ってくる人もいない。
リスペクトしてくれて、女性に対して無理に距離を詰めようとしない。
「君が友達でいたい時は、僕は最高の友達になるし、僕は君の意思を常に尊重する。仮に君に振られても僕の態度はずっと変わらない。恋愛として女性としての前に、君のことが人間として好きだし、僕たちは人間同士、何があっても友人同士として、素晴らしい関係を築けると考えている。僕は君をリスペクトする」
という考えがあることが伝わってくるし、そういうことをきちんと説明もしてもらえる。
ちゃんと言葉で気持ちや考えを言語化して正直に伝えようと努力してもらえる。だから「助けを求めてるふりしてるけど内心は女と話したいだけ」みたいなことをされない。
無理強いしたり、女を「女」「性対象」として見て、無理やり女と話して女に話しかけた数をカウントして自分に自信をつけようとしたりしてこない。失礼なことやセクハラをしてこない。
うっかり家に連れ込んでうっかり触ろうとされるようなことは絶対ないのだと、疑って生きなくていいのがとってもラク。まだまだアメリカ社会にも女性差別はあるけどね。
相手からの信頼や相手の意思を大切にしてくれていて、信用されるために、紳士的な男性たちが必ず女性の前では両手を挙げてくれる。
武器を持ってないし、君はすぐ逃げれるし、君を卑劣な手段で追い詰めたり、無理強いしたり、見えづらい方法でプレッシャーをかけて僕の望むような方向に誘導したりしない。僕はまず君の意思を尊重したいから。
こういう態度を常に心がけていてくれる。
もし君が僕を信じられないのだとしたら、それは君ではなく、安全を保証して見せれなかった僕が悪い。Noを言える女性が好きだし、それが1番大切なことだ。僕の顔色を伺ったり、僕の気を悪くさせることは考えずに、自分の気持ちを話してNoと言ってほしい。と言ってくれる。
アメリカでの生活は、生まれて初めて男性に対して必要以上に警戒しなくてよくなった素晴らしい生活だった。
差別的な声かけやキャットコールには女性も男性もみんなでNoと言うのが当たり前、Noと言われて逆ギレなんて有り得ないフェアな環境だから、
おじさんに話しかけられることの不快感はそんなない。ある種ナンパされても、不快なナンパをされないし、不快にはならない。
そんな世界が100年後や150年後に日本にも訪れてたら、普通に男性が女性に道端で話しかけても嫌な顔をされない日が達成されることもあるかもしれない。
逃げ回る野鳥が、手に止まる日が来るかもしれない。
人に近づかない野鳥が、人の肩で囀る日がくるかもしれない。
日本の女性差別はひどすぎて、正しく女性差別をしないことの意味を理解してる人はあんまりいない。
フェミニズムは、「女性だけは自分たちが差別に反対して声を上げるんだから他の差別にも声をあげる義務が他の人より特別大きくある」だとか、「差別を優しい猫撫で声で訴えること」「女性が積極的に男性に対等に話しかけること」だと勘違いしてる人までいる。
社会全体の教育と就業と昇任や司法や経済的評価における格差の是正、自尊心や人権や差別の性教育と、女性の身体的精神的な安全性を高めるための警察と福祉、
差別がないよと口では言っているのにお金は渡さなかったら、とんでもない裏切りだよね。
社会は、今はもう安全で素敵なところだと女性たちに信じてもらえるように、差別がない誠実な社会だと信用してもらえるように、もっと頑張らないといけない。
社会は、今はもうジェンダーロールはないよ、誰もそんな偏見を許さないよ、女性が従的な立場になることはないよと、アピールしないといけない。
全ての人は生まれながらにして対等で平等な人間だから女性と男性には、多少の生理機能の違いしかないよ、本当にそういう社会になったよと、間違いを沢山侵してきたけど、女性に許してもらえるように、女性に信用してもらえるように頑張らないといけない。
社会が女性に差別のない安全な世界であることを証明し続けるしかない。社会が女性に信用の貯金をどれだけ貯め続けて、信用をどれだけ獲得できるか。信用は失ったら簡単に戻らない。
そういうことなんだと思う。
少しずつ繰り返すしかないのかもしれない。
少しオタクっぽいような人と話すと、2chから生まれたようなレイシストやセクシスト文化が流行っててそれっぽい雰囲気がある。差別的なジョークやネタが普通にまかりとおっている。誰もそれにNoを言わない、どころかお前も笑えよ、ネタだろ冗談だろ、空気壊すなよと同調圧力をかけている。
ツイフェミとおそらく侮蔑的な蔑称で呼ばれる人たちがいて、オタクはなぜかその人たちを馬鹿にしているが、フェミニズムの話をすると彼らはあんまりフェミニズムに詳しくない人が多くて、ツイフェミと言う割には彼女たちが何を言っているかはよくわかってないぽい。
いわゆるひろゆきしぐさというか、「相手の言葉をいかに理解できるか、読解力に基づく、相手の意見をより深く理解する目的の話し合い」ではなく、「読解力がないこと、無能を武器化することで、無理やり相手に議論を諦めさせて勝手に勝ちを名乗る、相手の意見を理解することに目的がなく、議論ができないことを論破と呼ぶネットミーム」のメンタリティが伺える。
実際の性差別事件も多いし、ネットでそれに反論することすら許されないのだとしたら?
性教育や人権教育のあまりの乏しさに、そして性教育を執拗に潰してきた、それを絶対に行おうとしない為政者に、議論のできなさに、為政者を疑わない従順で大人しい国民が育ってることにがっかりする。
女性差別とは別に、障害者差別や、ルッキズムがあること、ソーシャルトレーニングが乏しいことで苦しむ精神障害当事者がたくさんいる。
社会には本当にたくさんの問題があるけどそれもそのうちの一つ。
パパ活してるタイプの女の人と話すと、真面目で昼職してる女に見えるからか、「私たちみたいな人はあなたみたいな女性からしたら、軽いと思われてるかもしれない、男にだらしなくて見下されてるかも」という気構えのようなものも時々感じる。
今の日本だと、「環境に適応するなら」それが1番正しい、正解だよねって思ってる。
若い女にだけ助けを求めてる人を助けて、暇なおじさんの無料キャバクラになっておじさんの性欲と自尊心の満足のために仕事の手を止めて時間を浪費することばかりだし、機会損失にお金払ってほしい気持ちになるのは正解だと思う。じゃないと搾取される。
男に対して差別的なのもそう、それは全然差別じゃない。元々の社会がフェアじゃなくて女性差別的だから、搾取されることから逃れるためになら最も賢い方法だと思う。
社会の傷は深いなあと思う。
クリスマスイブなのに嫌な目にあった!
クリスマスに愚痴いう友達もいないしぼっちなんだ、可哀想だろ?はてなのみんな聞いてくれよー
ツイフェミ垢で、なんかの保護団体をRTして、女性が暴行を受けた時に救済にたどり着ける人は少ないから、セーフティネットが沢山あるといいですね〜みたいな内容を呟いていたんだよ
こいつらマジで何を呟いても訳分からん内容で絡んでくるんだよな。
「論文のデータにはこのように書いてあります、あなたはリテラシーが低くて知識が足りないから分からないんでしょうけどこのような理由では性犯罪は起きません。セーフティネットに女性蔑視からの保護を組み込むのは誤りです。統計学を知らないんですね。違いますよ〜」
みたいなこと言われたわけ。論文ってのは、犯罪の起きやすい地域がどうたらみたいなやつね。まあここでは深く踏み込まない。
アンフェなんて、変な研究者でもない素人おっさんの書いたnoteを信じてる頭からっぽ陰謀論者ばっかだしさ。
どうせそっち系だろと思ってブロックしようとしたんだけど、あまりにリテラシーがないとか知識が足りないとか言われるから、一応話を聞いてみることにしたのよ。
そしたら、
論文の内容からは、常識的に考えると、普通の人は犯罪を犯そうと思わないことがわかります。なぜなら、犯罪が起こるのは匿名性があるからです。匿名性は犯罪の契機なので。これはゲーム理論からもわかります。ゲーム理論では非協力的なプレイヤーは匿名の状態で発生します。これは基本的な知識があればわかることですよ
みたいなこと言われて泡吹いて死んだのよ
いやこれ1回や2回じゃないのよ
アンフェって1人1人捕まえて話聞いてみるとこのレベルのトンデモ理論を長文で語り始めるんだけどさ、論文読めない中卒か統失しかおらんだろ、日本語喋れるやつがいない
2時間かけて話聞いて本当に損したわ
こんなのに粘着されて時間無駄にしてクリスマスなのにだるすぎるわーーーー!
てか意味もわかんねえよ
ワイはセーフティネットが沢山あるといいですねって呟いただけだわ
今更見てすごく楽しい。
劇場版も見た。
50話ある作品を三部作におさめるのは無理があると思うし、入れてほしかったセリフとかシーンがなかったり変わってたりで思うところもあるけど
自分も大人になったのでティターンズでブライトさんが暴行受けるシーン減ってて安心したしティーパーティーする穏やかなアーガマとか未成年のカミーユの心が守られたこととか率直に良かったな~と思った部分もある。
フォウとかロザミアのこととか薄くしてファと仲良しにすることですぐ側にいる人を思うことができるか、愛せるかみたいな隣人愛みたいなことなのかなとか思った。
(当時の監督のインタビューとか記事とか読んでないし分かんないから見当違いかもしれないけど)
すべてのガンダムシリーズを見てはいないけど、基本的にニュータイプ的な感覚で惹かれ合うのって基本男女だけど今後そうでない関係性も描かれるのかな(もしすでにあるよ~って言うなら宇宙世紀に限らず見てみたいので教えてほしい。)クィアな表現がもっと増えてほしいな~って思うところもあるので。世界的に売り出していくなら今後そういう多様性も取り入れた作品作りはされていくんだと思うけど。
今パッと思い出せるものだとニュータイプ的なアレコレではないけど鉄血のオルフェンズのシノとヤマギ(片思いだけど)とか、最終回でアトラとクーデリアが恋愛関係って感じはない気がするけどパートナーシップというか、女性同士で連帯してるようで良い関係性を築いてるんだな~と思ったり。
逆シャアでのアストナージとケーラの関係を見て男性側から食事の話を振って一緒に食べようっていうのも公開当時(約30年前)からしたら先進的だったのかな。
ファーストからだとミライさんみたいな優秀な人が家庭に入ってしまうのもったいないなあと思うものの、逆シャアのチェーンは技術者として開発にもしっかり関わっていたけどこれは独身だからがっつりやれてただけなのかもしれないな。
F91のシーブックの母とかカミーユの母も仕事楽しさに家庭を顧みずって感じだったので、キャリアを望んだり、やりたい仕事を突き詰めようと思うと子育てを二の次にしないとだめな時代がそのまま反映されたのもあったのかなあと想像する。(現実今でも完全に改善はされていないけど)だからガンダムはめっちゃ女性が活躍してるぞ!と言われても独身だからでは?既婚や子持ちには難しい仕事ではない?職場環境は良いのかな?ブライトさんも全然子どもに会えてないぞ、とか考えてしまうところがある。
余談ですがティターンズは月の有給が3日増えるって言ってたけど年間36日あるの?すごない?もらった有給は取得できてるの?って思う。
あとジェリドがライラ大尉と出会って不要なプライドを捨てて自分の弱さを認めて成長しようとするところが良かっただけにライラ大尉亡くなったのが悲しいなあと思う。だんだんジェリドもティターンズのやり方を内面化して成長が頭打ちみたいな感じではちょっと惜しいやつだと思った。
とか色々TV版も劇場版についても今期の面白いアニメみたいに語りたいのに全然話せる人がいない……
悲しい。
逆に自分は見ず知らずの他人を助けたいと思うか?もし自分がそういう人間だというのなら、まず自分を助ければいい。それでこの話は終わり。
よって、余裕のない自分を余裕のない自分が助けるのは現実的には不可能困難である
誰も助ける人がいないなら、助けることができうる人は自分しかない
それもまた正しいと思う
思いはするが、一方でまた、余裕がない自分が自分を助けられるはずもない、というのもまた事実である
「他人は変えられないが、自分は変えられる」と自己啓発本や自己啓発セミナービジネスで言われる常套句であるが、本当にそうだろうか?
一見、自分は自分でコントロール可能に思えるが、本当にコントロール可能なのだろうか?
コントロール可能であるとしても、まず疑問に思う、考えてみる、というワンクッションを置いているだろうか?
よしんばそういう善きサマリアの人が現れたとしても、「なんとかなりたい」と考えている人の方が圧倒的に助けやすいのでそっちを救いがちだ。
調べてみるとサマリア人の話の真意は宗派によっても大きく分れるようであるが、
サマリア人とは異国の人という意味が込められているように思える
しかしながら、米国人や中国人は日本人を助けた、といった感じの話である
助けた理由としては、隣人愛として誰であれ困っている人を助けなさいという考え方もあるだろうし、
助けてくれた米国人や中国人はキリスト教徒だから助けただけである、という考え方もあるかもしれない
しかし、いずれにせよ、他人を助けることに何らかの見返りを求める話ではないというか、
ここで見返りとして考えられるのは神によって死後与えられる永遠の命であって、
「なんとかなりたい」と考えている人がトリアージとして優先されるとか、そういう話ではないのである
というか、トリアージと考えても、助かる人を優先するなら軽症者が優先されてしまうわけで、それはそれで変な話である
これも宗派に寄る考えであり、私の考えは異端や邪教なのかもしれないが、
現実的に誰であれ助けるということは不可能であり、それは端的に述べれば人は神ではないからである
誰であれ助けることができ、助けるべきであると豪語する人がいるならば、それは自分を神と思っている人である
我々人にできるのは神様の良き考えを倣う、ベストエフォートしかありえないのである
また、イエスは例え話をするのみであり、真意をズバリと語ったり解説はしない
私はシンエヴァを観に行ってはいませんが、エヴァもまたTVの最初から真意をズバリと語ってはいません、謎だらけです
どうやらシンエヴァで謎を比較的具体的に直球で説明口調に語るようですが、それでも謎は残っているのではないでしょうか?
まず、例え話とか回りくどい話し方をすれば考える人は考えるはずです
例えば、エヴァというアニメが何が言いたいのか分からない、と思ったとして、
いや、何が言いたいのか知りたい、謎の真実を改名したい、考え続けたい、という人に分かれると思うのです
ここで、エヴァが何が言いたいのか分からん、難しいからつまらない、もう観ない、
という人と同じように、イエスが語るのは例え話ばかりだ、何が言いたいのか分からん、
イエスとしても、神様がそういう回りくどいことを言っていて、自分はそのまま伝えてる面もあるので、
意味が分からないと言われても、俺が説明するよりお前らひとりひとりが考えて見つけろよ、
ということでもあると思うのです
分かる人には分かる、
そういえば、早稲田のインタビューで、人類補完計画って何だったんですかね?みたいな質問に対し、
庵野氏が、分かる人には分かると思うですけどね…、と語るに留め、それ以上は語ってなかったと思うのですが、
まあ、そういうことです
イエスというか、神様的には、例えで書いても分かる人には分かるんで…、ということであり、
逆に刺さらない人には刺さらない話なんで、そういう人たちは自分の客ではないのでどうでもいいです、
ということだとも考えられます
善きサマリア人って何やねん?
というのも、当時の人々でないと当時の空気感が分からなかったりするわけで、真意が掴みづらいと思うのです
エヴァだってシンエヴァだって、これから50年後、100年後に初めて観る人たちからすれば、
この人たち何を言い争ってるの?バカなの?
みたいに思われるかもしれません
原発事故なんて100年後には忘れ去られてしまって、その頃の子供たちが観たら、
ふーん、歴史の教科書で原発事故は知ってたけど、当時は話題だったんだねー、と思われるだけかもしれません
しかしながら、善きサマリア人の話には、相手に助けがいがあるかといった見返りを求める話には思えないはずです
寝返りが始まった赤ちゃんがいます。夫におばさん呼ばわりされて、夫に無視されて、私物を捨てられました。上の子もおかしくなってきて夫の真似をして無視してくるようになりました。夫が憎くて辛いです。今すぐ宇宙人にビームでも打たれて性格が劇的に変わるか、突然ピカーッと神の啓示を受けて隣人愛とヒューマニズムに目覚め発達心理学と人権の勉強をして実践のために完全なる家庭人を目指してほしいと思いますがそんなことは起きないみたいです。辛い。自分で今まで何でもやってきたんだから今回もそうしなくては何も解決しない。最近一人の時はだらだら涙が出るようになってきたのでいよいよだめです。子供産まなかったら良かったんだろうか。というか配偶者をそんな扱いするやつは子供も結婚もしたがるなよ…なんで結婚してあまつさえ子供産ませた…?やめとこ…?もう遅いけどね?と思いました。しかし子供は産まれている。なので私が頑張るしか…20年頑張って生きようと考えるたびに無理だあ〜長いよ〜20年て…親が死ぬ長さだよ…って思います。なので失踪しようかと思ったんですが赤ちゃんが可愛いのとコロナ怖くて連れ回せないのでやめました。心療内科は3ヶ月待ち!チキンレースか?焼きそば大量に作って便器に突っ込むとか、風呂を寒天にするとか、スリッパをすべてスルメで作るとか、掃除のモップを綿菓子にするとか、ろくでもないイタズラを毎日毎日することにしてストレス解消しようかな。夫が頭おかしくなったよこのひと…!!って思って離婚してくれるかもしれないな。そこで私が「それが宇宙人にビームでやられまして…」という。頑張って生きていこう。子供には幸せに生きてほしい。
By Lick Watermelon May 25, 2018 588 米国で驚愕の法案が下院を通過した。その名も「国民皆死刑制度」だ。これは相次ぐ銃犯罪への対抗策として提出された一連の法案の一部で、この法案は国民は誰でも任意の相手を死刑にできるという衝撃の内容だ。法案を提出した野党連合代表のロバート・エリクソン議員は「アメリカは潜在的に世界中の銃犯罪の温床になってきました。国民は銃社会を脱却するときに来ています。銃に代わって国民を守るのがこの法案です」と語る。同制度では各州政府に設置される投票箱にアメリカ人の氏名・年齢・住所・職業などを記入して投函すると、アイデンティティが確認された人物を無条件に死刑にできる。在職中のアメリカ大統領および議会議員など任期中の執行を猶予されるというが、例外は一切認められていない。エリクソン議員によれば「現在では読み書きができれば銃を手に入れ、任意の人物を射殺することができますが、実際には銃撃によって国民が半減するには至っていません。この制度でも同様の難しさであらゆる人物を排除できますが、相互の信頼と隣人愛が正しく機能していれば乱用される事例は起こらないはずです」とのこと。また、執行は事務処理などを経て早くて1週間程度を要すると見積もられている。
誰かを責めたり馬鹿にしたり罵ったりみたいな話題とニュースが多すぎる。
ニュース自体が誰かを責めてるか、もしくは話相手が誰かを責めてるか。
もしくはニュースが誰かを責めてて話相手がそのニュースを責めてるパターンもある。
もちろんニュースが誰かを責めてて話相手も一緒にその誰かを責めてるパターンも。
リアルなんて元からそんなに高尚なものじゃないかもしれないけど、
それにしても「ちょっと距離が近づく」とか「仲良くなれる」とか「楽しい」とかっていうことがほとんどなくなり
延々責めたり馬鹿にしたりそのチャンスを伺ったりって言うだけの空気が蔓延してる。
たまにとってつけたような「いいはなし」武勇伝。
なんだろう
新共同訳より
たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。
(中略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%83%9A%E3%83%BC
増田が求めているのは、この形の愛、即ち無私の愛であり、隣人愛(フィリア)ではない。
無私の愛を知るには、無私の愛を示している神、あるいは人と接しない限り納得出来ないだろう。
言葉で定義を書くことは簡単だが、結局、それを実践しているかしていないかで、理解の度合いや納得の度合いが変わる。
得心すると表現した方が正確かもしれない。
昨日の午後、某百貨店の下りエレベーターにて、車椅子に乗った男性からの困ったような視線を感じた。
振り向くと、彼は”電話お願い手帳”なる濃青色のカバーのよれよれな手帳を鞄から取り出して開き、「私は言葉や耳が不自由です、手を貸してください」との旨が書かれたページを震える指(麻痺ゆえ?)で差してみせてきた。
私は、きっと彼が降りる階になったら知らせてほしいのだろうと思い、「1階ですか?」と尋ねた。それが運の尽きだった…
彼は、「いや、地下1階で降りる」と言い、続けて「車椅子サポートをお願いできますか?」と頼んできた。本当は1階で降り別の百貨店に行こうと思っていたのに、急ぎの用もないしサポートといってもせいぜい改札口までだろうと楽観視し快諾した自分の愚かさよ…
地下1階でエレベーターを降りると、彼は都庁?都庁前駅?(どちらだったか忘れた)に行きたいので大江戸線新宿西口駅から電車に乗りたいと言った。そこから西口駅へはかなりの距離があるように思えたが、彼の指差しや案内板に従って車椅子を只管押していった。
道中で彼は、
・喉が枯れているので手帳掲載の五十音表でコミュニケーションをとっていること(と述べつつも聴き取れる程度の発話は可能である上こちらの発声も理解している模様)
・ネットカフェに通い慣れている様子で、その料金体系について、また今日も手持ちが少ないが行こうとしていること(この発言や彼のにおい、荷物の多さからしても浮浪者だったのではないかと帰宅してから思った…彼の車椅子はひどく重くて僅かな傾斜も本当に辛かった)
・喉が乾いたときは飲み物を買いたいが、お金が足りない時は(サポートを?)頼んだ人にいつも借りていること(ここで私は漸くたかられるのではないかとの不安を覚え始めた)
・今日は肌寒いですね、といった世間話(同じ内容を何度も繰り返し話していたため、知的障害をもつのではないかと推測した)
・家へは大江戸線の練馬駅経由か西武新宿線で帰ること、またそれらの終電の時間について(これはあまり覚えていない)
などを五十音表、声を入り交ぜて伝えてきた。
ところが随分近づいたところで彼は西口駅への案内板を無視し、地上の小田急百貨店の前あたりに出るエレベーターに乗るよう促してきた。ここで私の中の不信感が増幅した。
態々地上に出たからには西口周辺に用があるのかと思いきやなんとガード下の奥、歌舞伎町方面を指差したのだ。なら何故今まで遠回りさせたのか。おい。都庁はどうした。もうこんな奇妙な役目今すぐ放棄してしまいたいと思ったが、移動も儘ならない(はずの)人をこんな人混みの中で一人にするのも気が引ける…横断歩道を渡ってガード下へと進んでいる時、彼はコーヒーを飲みたいと言った。ネカフェで勝手に好きなだけ飲んでくれと思ったが、ぺぺ前のマック付近で彼は止まった。ここでコーヒーを注文するという。(そういえばこの辺りでは手帳の五十音表は全く使っていなかった)
先程の発言を踏まえ、お金はあるんですか?と訊くと、あなたはお金ないんですか?と訊き返された。ここで私は本日一番のハッキリした声で「ありません!」と答えた。本当はいつもより持っていたのだが。
するとどうだろう、序盤で彼が持ちますよと言い、車椅子に引っ掛けて握り締められていた私の傘をスッと外して、じゃあもういいですと手渡しすんなり私を解放するではないか。守銭奴に生まれて、良かった!!!!!!!!!!
ここで彼は金目当てにすぎなかったことが窺えるが、馬鹿の真骨頂の私は最後まで「お気をつけて!」と別れの挨拶をし、彼のその後の動向を警戒しつつ三丁目方面へ歩きだした。
恐怖心のせいか記憶が定かでない部分も多々あるが、これが全容だ。
中高生活をミッションスクールで送り育まれた隣人愛の心が見事に仇となった出来事であった。貴重な若い時期の多大なる時間の無駄と重大な腰痛を被った。無論私の無知が最大の原因であるのだが。寸借詐欺の名さえ、帰宅して自分と似た事例をネットやツイッターで片っ端から検索するまで知らなかったのだ。
7月中旬にツイッターで話題になったらしいある方の寸借詐欺の被害に関するTogetterを読むと、状況や男性の様相まで酷似していて衝撃を受けた。これを昨日出かける前までに知りたかったものだ……
後から考えれば彼の発言は不審な点だらけであるし、見返りを求めるわけではないが私が車椅子を延々押したことに対してお礼の言葉の一つもなかったこと(私の記憶が正しければ、だが)、そもそも最初会った時は一人でいたがそこまでどのようにして来たのか?などと突っ込みどころは枚挙に暇がないが、多くのハンディキャップを抱えている(ように見えた)彼を見捨てるのは良心が痛む上、一度相手のペースに乗せられてしまった際の恐怖感は言葉で説明し難いものがある。ハンディキャップを負っているとはいえ相手は男性であるから万が一手を挙げられたらどうなるかわからなかったのも逆らえなかった一因に挙げられる。とにかく冷静な判断能力を完全に欠いていた。恐ろしいことだ。
恐怖は不信感へ、そして帰宅後には自分の間抜けさへの落胆、やがて詐欺行為への怒りに変わり、こんな時間になっても一向に腹の虫がおさまらないので、もしまた同じような人物に遭遇したら警察に突き出すことを堅く決心したが、果たして警察官はどのあたりから相手にしてくれるのだろうか?金銭被害なしに、金の無心を仄めかされたと言っても取り合ってはくれないのだろうか…
なお、彼の持っていた、NTTによる”電話お願い手帳”は私が調べたところ公共施設に置いてあり誰もが自由に持ち帰れるかのようにも捉えられる記述があった。彼が本当に障害者であったのか否かはもう分からないが、私は初めに彼の手帳の表紙にある”NTTグループ”の文字を見て、信頼できる機関の発行する手帳を持っている、と少し警戒心を緩めてしまったところがある。もっと他に配布の仕方はないのだろうか????????完全なる悪用、と断言はしないが、思えばこれを持っていれば、かなり乱暴な言い方になってしまうが誰もが耳や言葉が不自由な人を装えそうなものである。そのためスマホアプリ版という誰もが扱い得る形で存在していることにも一抹の不安を感じてしまう。悪質な事案を防ぐため、ヘルプマークやマタニティマークのようにせめて対人で受け渡してほしいものである…
私のように騙されやすい自覚のある人は十分に気をつけてほしいが、それよりもこのように人の良心に漬け込む至極卑劣な極悪非道の犯罪が可及的速やかに滅びることを祈る。