はてなキーワード: オートバイとは
社会が混乱し、成人化の展望を見出すことができない新社会人や大学生は、成人への通過儀礼にこぎつけた高校生を見て、「ずるい者が生き残る」との絶望感を深めている。反対に、何とか人生を軌道に乗せつつある高校生たちは、いまなお洗脳社会を拒む人たちを「甘えている」と非難し、ときには平然と「障碍者」呼ばわりする。それぞれが個別に困難な事情を抱えていることを、互いに考慮し合うことはない。こんな環境で高校生の心が荒廃していくのは、決して難しいことではない。
仕事の出張先で、出張先に近い高校とそれとは別の高校生との間の、バイクを巡るトラブルを取材したことがある。前者は「公共交通の混雑で迷惑かけるな」と苦情を言う。後者は「どうして子ども扱いされているか理由がわかっていない」と応酬する。「免許を必要としていなければ持ってすらいない」「代わりなどいくらでもある。知恵がないだけだ」と、泥沼の罵り合いになっていた。
高校生が二輪車に乗らないものは、公共交通の持続化という側面もあるのだが、大半の高校生は、そこまで忖度できる心境ではなくなっている。高校生が変わり者だったり持病を抱えていると、たとえ本人に礼儀正しさがあっても、大人のほうが嫌悪する。乗らない高校生も自身が半分大人扱いされる社会で暮らしているのだから、それはよくわかっているはずなのに、容赦のない言葉を投げつける。2010年代以降にしきりに言われた「18才選挙権で高校生・大学生も大人の仲間入り」などという言葉は、いまさら空々しくて、誰も口にしない。
こんなにも彼らの心が荒廃してしまった理由は、わざわざ指摘するまでもない。昨日まで子供の世界に生きていた人たちが、一瞬に大人の社会に引きずり出されたネオリベの不条理。それを被った人々の間には「格差ならざる格差」が生まれ、是正どころか日に日に広がっている。高校生以外は、忘れることだけは「熱心」だ。大人があけた満員電車のスペースは高校生のためではなく、「自分は何て優しいんだろう」と自己陶酔するために退いたのではないかとさえ思う。仕事の合間に取材を続けていると「まだ気に入らないのか」とよく言われる。「お前は中高年か」とも、何度尋ねられたことだろう。高校生に支援も同情もしない、残酷な社会がそこにある。
これらを目のあたりにして、大人を信じられない、頼れない、との絶望感を高校生が抱いた、オートバイを操る高校生の復権は、その果ての人心の荒廃の象徴であること以外に、理由などあり得ない。東日本大震災は、原発事故や津波などによる多大なる爪痕を残したのだけではなく、大人という国民の属性・信頼性といったものを(最初からそんなものがあったのかとも思うが)、根底から揺るがした。それは、チェルノブイリ原発事故の後、適切な対策をとれずに自ら威信を失墜させ、なす術なく滅んでいったソ連の末期の姿と、よく似ている。
大学生や高校生の心がこれだけ荒廃して、一般人が無縁でいられるはずはない。大人の間の格差は、それぞれの子供たちの格差となって、学校社会という場で露骨に現れる。震災後の日本では、免許の有無や車やバイクの好き嫌いがきっかけで、喧嘩になることが増えたという。洗脳社会によるストレスや、格差を生んだ大人社会の眼差しの反映だ。私も以前、二輪車乗りの高校生のいる高校の近くの街で、荒んだ目をした自転車乗りたちに突然絡まれ、無視していたら追いかけられたことがある。以来、そのような高校周辺は、夜のコンビニの前などでたむろしている自転車乗りたちのそばへは、決して不用意には近づかない。
東日本大震災時における学生に対する社会人の嫉妬。これが企業やPTAを動かしてバイク3ない運動が廃止されたという都市伝説がある。
「日本の民営公共交通ビジネスは破綻状態」 2017年11月のネットサーフィンで日本人の社会人は、この現実を目にしたあと泣き崩れた。
「気づいてください 東京都内の高校生です 中堅なのに じわじわと道路社会の波を感じてるんです」
「関東地方でオートバイを乗り回す16,17,18の中堅校高校生が出現している。大人が云いたがらない話です」。
16歳を過ぎたころ「二輪車の免許取ったよ」「昔がうらやましい」 / この元女子高生は今年、交通事故のために亡くなった。
大人のような10代を見ることは突然変異した日本人たちがどんどん登場していくにつれて次第に生じるでしょう。
マイトレーヤによれば、車社会は子供の生育を妨害し、高校生など成長ホルモンが妨害されると廃人化します。
マイトレーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じです。
日本の出生率は車社会が後退されれば1年か2年で増加するでしょう。
日本の道路では多くの10代の学生が心身の危険をもたらす量のストレスを浴びています。健康上のリスクは車社会の参画年齢が若いほど、高まります。
日本の高校生を大人扱いすることは、それほど健全ではありません。危険かもしれないものは避けるべきです。
日本はさらに高校生の一部成人扱いをさらに拡大しようとしています。大学生や大学院生はおろか、高校生ですら自ら運転する車両の事故の影響で死んでいるのに、彼らは幻想の中に生きています。
直人
現在32才
青森県育ちの横浜市在住。母の親戚の知人の法事中に生まれた。生まれてしばらく父親一人で育てられている。
一人暮らしの2人兄妹の兄
紙の本と電子書籍を書いていた(筆名は不詳)。最近出した本は「卑しさに包まれたなら」
ロードバイクと原付を所持。過去には250ccネイキッドやスクーターにも乗っていた。
成人年齢は22才に引き上げろと連呼している。
妹 31才・・・一人暮らし中。育った場所と母校は兄と同じ(高校と大学)。
名古屋生まれの2人兄妹の妹で東京都渋谷区在住。母が単身赴任中にアパートの浴槽で生まれた。生まれてしばらく母親に育てられた。
以前は横浜在住で、当時と同じ250ccネイキッドを現在も所持している。
小学生時代に不良と共謀していじめを起こし、保護観察を受けていた。
ゲームソフトを何本も所持、購入している。
兄妹が生まれる前からオートバイと自動車を乗り回していた(車種失念)。郵便屋で金融に詳しい(定年退職している可能性あり)。
兄妹の同級生から「不良肌」と恐れられていたらしい。(兄妹を虐待していたこともある)
魔法少女ものとファンタジー小説・漫画、携帯機・PCゲーム好き。
父・・川崎にて母と同居中。
民間人上がりの元正規公務員で現在は嘱託職員で年金生活満喫中のITオタク。
今の18~21才に成人として生きるスキルがあるとは思えない。
今の若者(18才~21才)はこんなもんだというなら、こいつはキッパリと子ども扱いするべき。
免許年齢や税金・年金・選挙権の年齢も引き上げろ。バイクは18才(大型は20才)から、車は20才(バスは23才)からにしろ。もちろん高校生のオートバイ乗りも再禁止だ。
車社会の常識を世間も知らない少年少女に押し付ける高校の大人は恥を知らないのか?
もちろん21才まで少年法適用でいい。勿論成人式は22才に受けさせろ。
大人として生きていけない男女に成人権なんて与えるんじゃねーよ。成人年齢は22才からにしろ!今の人生は100年生きるのが当たり前だ。どうして誰もその現実を見ないの?
今年に入って日本各地の道路で不正改造車や迷惑運転の摘発が相次いでいます。当り屋問題にもいえる話ですが、この種の社会環境は事故や事件の温床になっている面があります。というのも、車社会に生きる大人は社会的弱者に陥ってるケースが大半で、ただでさえストレスの多い環境(オートバイに乗っている人間なので理解できる)にあるだけに、少しのことで重大な結果を起こす可能性が高いといえるからです。その上に、行政や経済が車社会やドライバーの低モラルを助長させるような視点で運営していると、車社会人口の多さやインフラなどの劣悪さでより大きなトラブルに発展しやすくもなります。関東地方では不正改造による事故などが起きて死者も出ているのです。
所謂観光列車を見るたびに感じる「社会の闇っぽさ」はなんなんだろう…。都会の駅でこの列車が堂々と止まっているの見るとなんか西日本人か東京人みたいなことを感覚的に言いたくなる。
心理的に受け付けない外観だから、当然金払わなくても乗る気なんてしなく、むしろ1980年代のオリエント急行とか某寝台特急とかを知っているせいで「列車を見た限り、言うほど豪華じゃないよね?」とさえ思えるから、なおさら俺の中で「どの方面から見てもセンスねーな」って思う。
何が言いたいかというと
ゾクシャっていう昔から今日まで叩かれ続けている(当然だけど)露悪趣味があるんだけど…「これが鉄道の変な電車であっても、被害者意識を訴える人間がネットに死ぬほど書きまくるよね?」って内容なだけに、なぜ外国を中心に今日まで絶賛されてるかわからん。ななつ星や四季島も同じ臭い。
ポリティカル・コレクトネス観が歪んでる列車とかを走らせるならゾーニングして欲しい。
いや、今時不良の追っかけとかを楽しんでいる人は論外だけど、一般のところに「走る場所を変えたら迷惑でクレームものでしょ」ってものが出て来るのほんまにキモい。
目につく度不快
法律やルールが云々って意味じゃなくて、「企画する方がセンスとか想像力出して、ちゃんとうまいところにゾーニングして、もっと上手にやってよ」ってだけの話なんだけどさ…。
あるいは「こんな列車を走らせるだけでキモいと思う列車、十万円・百万円単位でも混雑するほど人気出るとか、商売バカでしょ」って意味か。
これで、庶民っぽいとか言われても嫌だから言っとくけど、僕は鉄道よりもさらに歪んでるのが車やオートバイのポリティカル・コレクトネス観で、彼らが肉食系な以上、日本は肉食系の社会だと思うよ?
ただ、商売馬鹿的な悪乗りがゾーニングされずに一般的なところに混じってくるとキモいのもそれはそれで事実で。
前にも、何処かの廃車になった電車を改造した観光列車に、僕が「キモい」ってキレたことがあるけど…新車か中古かの違いはともかく鉄道は輸送するだけの道具じゃないの感覚って内容の時点で、すげーヌルいか、すげーキモイかのどっちかにしか感じないし、それが目につくのすげー不愉快だと思うわけです…はい
もしも、はじめから商売道具でしかないような鉄道やそう取れる路線柄とかなら、そういうこと言わないし、雰囲気として読み取れてきっとこんなこと書かないけど…もっと俗なものとしてのそういう考えでしょ…だったらねぇ…
地元で有名なおばけホテルに「肝試しに行ったんだぜ~」と教室のど真ん中でイキりながら喋ってたよね。
僕が片思いののぞみちゃんが、佐藤くんをキラキラしながら見つめてた。
僕は思わず「霊なんかいないって分かってんだからさ、ぜんぜん肝試せてなくね?」と煽ってしまった。
佐藤くんは「YOYO、じゃあ何ならおまえは認めてくれんだYO!」と聞いてきたので、
「旧街道にヤクザの家あんじゃん?あの白くて高い塀に囲まれてて、ときどき黒い車を出迎える人たちがいるあそこ。あそこに花火打ち込んでくるレベルなら、肝試せてるんじゃねぇ?」と答えたら、
アホの佐藤くんは「いいよ、やってくるよ。でも証人いないとな。おまえが遠くからでもいいから見てろよ」と言った。
その夜、僕は佐藤くんと待ち合わせをして、花火を買って、それから別れて、家にさっさと逃げ帰った。
その次の日も。その次の日も。
不穏な噂が流れて、担任が僕に話を聞きに来たが、ただの冗談話でマジなわけない、あちこちに肝試しに行くと言っていたので、いないとしたらそれが原因じゃないか、と僕は言った。
卒業式が終わり、卒業アルバムの片隅に佐藤くんは乗り、僕はみんなと肩を組み、のぞみちゃんと付き合い、高校に進み、のぞみちゃんと別れ、大学生から社会人になり、いつか佐藤くんが来るんじゃないかと怯えながら今日を生きている。
佐藤くん。元気だろうか。
この話はもちろんフィクションだ。
ブラック化が指摘されている業界が、遊園地やブランド品の店舗のようなどうでもいいものではなく、国民の日常や社会を成り立たせるるうえで必要不可欠なものばかりなのが気になる。だって鉄道なければ人が都市に住めなくなるし、銀行がだめじゃ大金の管理が大変になる。
地元の駅前にいくらでもあるスーパーマーケットのうち1店舗がレジ打ちを用意できなくなって休業しても誰も困らないが、警察署が警察官を失えば、学生の自転車の修理をする人間がいなくなれば、社会人のオートバイや自動車を整備する人がいなくなれば、それだけで現代人の生活にかなり支障が出ると思う。
ブラック化が炎上しまくっている最大の原因は、昔のように閉鎖的だからではなく、むしろ逆。社会があまりに厳格過ぎて、その割に理想が現実と乖離しているため、誰もが不満を許せなくなっているということである。つまり適切な解決方法は、「社会にゆとり」を構築するしかない。
かつては退屈そうに本当に客を運ぶだけだった鉄道が、今はぜいたく品販売でもなんでもやってくれるし、私鉄の駅では旅行代理店業務もある。便利にはなったが、客層の質は昔と変わらず、不満要素もそのままならそりゃあ誰も使わなくなる。
そんな社会の現実を魅力に思う人はどこにもいないわけで、たまに運よく鉄道が好きな人がいても、年齢や身分に見合わないくらい張りきれる者(前者)ではなく、耐えがたきを耐えて村八分になるまで地元にしがみつく後者でもないなら、末期のソビエトや東ドイツみたいな勢いの環境についてこれなくなる。
彼らがそのペースについてこれなければ、ただでさえ仕事を背負いながら子育てだってやらなければいけない大人たちもストレスをぶつけ、暴力まみれになるだろう。そうするとどちらも疲弊することになる。それで、消える。誰かが消えると増えたストレスの量を残ったメンツが背負う。これが繰り返されると、最終的には鉄道の商売そのものが疲弊するんじゃないか。膨大な収入をいっぺんに稼げる会社もけっきょくは公共交通なのでどこかで不満が爆発して潰されてしまう。自分よりもずっと貧しい客層に「邪魔だ!」と言われながらも観光列車にのるお得意様やオタクももちろん潰れる。そういう風な突然死が今後各地で起きる気がする。
景気が特別よくなってないのに公務員希望者が企業に流れているのは、試験ではねられるわけではなく、職場の現状に耐えられないからだろう。エリート大学からのエリート公務員を目指す人に貧乏人出身者が多いのも同じことだろうし、若者が娯楽を離れていること、大都会の社会人が二輪車や自転車を日用品として持っている理由も同じかと。
ブラック問題のキモは、つまりそういう社会空間の機能不全にあって、仕組みが成り立たなければやがては産業そのものが突然死する(どこかの先進国の専門学校がある日突然、若者の専門学校離れなどをきっかけに、ある学校は潰れ、ある学校は大学になったように)。運よくどんな理想的な現状であっても、この論理のままでは行き着く先は死だ。
専門学校はまだいい。なくても世の中成り立つから。大学や短大で代用できるし、学費は大学のほうが安いから。でも、この構造問題がもし出版業界で起きたら誰が作家の面倒を見るの?もしある日突然どこかの街の公共交通が破綻したら、市民の生活はどうなるのか。
ブラック社会の最大のリスクは疲弊による「文明社会そのものの突然死」。改めて多くの人が認識してほしい。公共に大きな影響を与えている仕事であれば、官業でもサービス業でも関係なく、一律に現状改善のための策を講ずるのが政治の役割だと思うのだが、何もしてなくね?
あるとすれば決まりを変えるというやり方だ。これからは知的障碍者や精神障碍者でも公務員になれる流れだという。地方公務員はすでに身体障碍者の採用が進んでいる。このままいけばいずれは学歴や中小企業に入れるくらいのスキルがなくても「ブラック企業レベルの雇用環境で」公務員として働けるようになるんじゃないか。人を選ばないなら誰でもできるようにすれば本当にいいのか?
そんなことをすれば、あらゆる人を選ばない職場は機能不全に陥るだけではないかと思う。最近相次いでいるベストセラー書籍の電波化は、売れっ子でありながら出版社にその利益が還元されていないことが指摘されている。ブラック系の出版社から、世間で時をきらめく有名人のドル箱作品が世に出たのだよ。
このままいけば、高卒以上の日本人かつ筆記試験と面接に受かるだけでエスタブリシュメントになれるようになって、街のそこら中で役人がタメ口で市民に応対する事件が頻発するようになるだろうし、現役の役人がサイコ野郎で横領とかやりまくって自治体そのものを潰すことだってありえる。これじゃあ、まずいよ。
そうするとまともな人は支配層になることがバカバカしくなってしまう。バカバカしすぎてエリート層が民間に流れてしまう。あらゆるセクターで同時多発的にそうなって、文明全体の質が一気に低下し、以前は考えられなかったトンデモな事件が頻発し、文明社会が突然死することは絵空事ではないだろうね。
少し、身を引き締めたいと思っている。それは変な事が立て続けに起きているからだ。一昨日の夜から、珍しい事故が4連発でおきた。
1つ目。夜中の1時に近所で火事が起きた。テレビでも取り上げられるほどのやつで、辺りは騒然とした。匂いも感じた。全員無事だったらしくホッとした。
2つ目。翌日、子供と散歩にでかけた。途中、消防車が停まっていたので、子供に見せるために近寄ったら、車の大事故が起きていた。見る限り4台くらいの玉突き事故で、その後人がたくさん集まってきた。死者は出ていないそうでホッとした。
3つ目。その日の午後、子供と自転車で動物園に行った。その帰り道、すれ違ったオートバイがスリップ横転し、突き当たりのブロック塀に当たった。すぐに警察が来て、辺りは騒然となった。転倒者は一応無事そうに見えてホッとした。
家に帰って、家族に報告すると3つ起きたら、これ以上は起きないでしょ。と言われ、少し気持ちが落ち着いた。
だが終わらなかった。
なんだか、怖くなった。
そして、最後。いつもならあり得ないのだが、出勤する前に子供が起きて来て、パパ行かないでと強くゴネた。
え、俺この後なんかあるのかな?
私は二輪車乗っている身です。
大都市部をよく走るのですが、最近歩行者以上に自転車の交通マナーの悪さが目立ちます。
昔であれば歩道の走行や逆走や傘差し運転、最近ではオートバイより酷いすり抜け運転云々。
なぜ日本では他の国に比べて自転車利用者の民度が低いのか?その理由が見つかりました。
日本は他国に比べて自転車の交通量が非常に多く、荒れた運転をする自転車ユーザーが必然的に多いからです。オランダや中国ですら日本ほど自転車の数は多くありませんし、自転車で道路が埋め尽くされることはありません。
そもそも日本が先進国ならば、経済成長につれて自転車の数は減るはずです。所得増加やインフラ整備で交通手段の数が増えるからです。
公共交通が十分に整備されているのに、市民の所得は昔より多いはずなのに、低所得者向けの公共交通補助は充実しているのに、なぜ自転車が減らないのでしょうか?
排ガス量が大幅に減っても、交通事故の原因になるようでは話になりません。
韓国では自転車の交通マナーのあまりもの酷さに経済成長を機に市民ぐるみで自転車を減らしました。そして公共交通や道路や警察の整備を進めました。そのために現在では韓国の自転車のマナーは良くなっています。
最近では大都市部と田舎を中心に自転車シェアリングが普及しているようですが、それと引き換えに自家用自転車の所持を規制すべきではないかと考えます。最低限大都市部では自家用自転車の所持を厳しく制限すべきではないでしょうか?
観光列車について歓迎するイベントの後の自身のSNSのリプの様子。
若者「ダサーイ」
鉄道は今が旬だぞ!!
学校が幾らいいと言っても高校出るまではオートバイやめとけ。これは大人の乗り物なんだよ。
自称意識高い市民「観光列車反対のビラ配り、反対活動のためのポスティング」
自称義憤に駆られた公共交通利用者「腐った鉄道好きの日本人を大都会から摘み出す!!!」
やれるもんならやってみろ。
またJR東日本に続いてJR西日本の観光列車云々で意味不明な非協力運動するとか言っているけど、不買のどこに意味があるんだよ?
鉄道嫌いではない大人は恥を知れとかいうが、鉄道に何の不満を抱かない俺たちはどうすりゃいいんだよ。
観光列車を運行する鉄道会社に対して公共交通への冒涜だの鉄道会社が自公政権を支えているのが気に食わない云々だとして不買運動だかやってるが、今俺たちは「田舎に帰れ!!早く帰れ!!!」とか言われても何もできねーんだよ。
そんなもんできねえに決まってるんだよ。
今日観光列車なんてなくなってちまえ!!とわめき散らしながら俺様を尾行しかけた馬鹿がいた。
あのな、幾ら汚いとはいえ観光列車なしでは鉄道は生きていけないんだよ。
ここは国鉄なんかじゃない。お前らの気分しだいでは利用しないこともできる。これは現実的な権利だ。
どこにも投げられないフラストレーションを人様にぶつけられるから楽しいだろう?
俺様が大阪駅で観光列車を歓迎しているときに「恥を知れ!日本の自称公共交通は!」とか言うの楽しいだろ?
日本各地の学校・職場で自転車・マイカー・オートバイを通勤通学で利用することを許可する動きが相次いでいる。特に学校では1982年の禁止以来となるケースも相次いだ。これに伴う道路整備も各地で進んでいる。この運動に賛同する会社員は「エゴじゃない、安心のために訴えている」と話す。
日本ではこれまで、「交通事故によるリスクを軽減するため」との理由で、通勤通学時には公共交通を利用することを事実上強制し、現在これが電車車内における性犯罪の温床になり社会問題となっている。自転車・マイカー・オートバイは東日本大震災にともなうインフラの混乱以降見直されてきたが、見直しが進められているのはせいぜい学校方面のみ。これまでは職場関係では見直しが進められていなかった。
インターネット上でこの動きを「支持」する声が相次いだ。
「最近電車の遅れとかで落ち込むことも多かったけど、自転車やマイカー利用を許可する流れを見て少し元気になった」。「日本もまだ捨てたもんじゃない。犯罪に関する暗いニュースが多いから尚更」。
「オートバイ通学、自転車・マイカー通勤の解禁でわかる学生・労働者のありがたみ」。「自転車・マイカーの利用は権利だからどんどんやってチカンを解消してほしい」。「信頼を預けるわけだから、会社員にはベストな状態で働いてもらいたい」。「自転車・マイカー・オートバイはいい。痴漢にあってPTSDを起こしたり、引きこもりになるより何倍もいい」。
「やっとチカン問題が根本的に解決される時代か来たのか。弱者がものを言える社会は健全だと思う」「自転車・マイカー・オートバイを使った通勤通学を馬鹿にしたり、ウザイとか迷惑って言ってる奴らは何なの?条件さえ守ればそれは学生や労働者の権利なんだよ」と大きな反響を集めた。
タイトルは昨日の本会議のアレですが、ようやく第一歩を踏み出しましたね。詳しくは今日の東京新聞で()。衆院の本会議入りでは、環境団体の結合の基礎としての共同の目的は正当なものだから、組織的犯罪集団にもあたることはないし、処罰の対象にもならない、といっていました。ゴールが見えてきたんでこれからアリバイ作りのためにちょっとずつ本音をさらしてくると思いますが、看板に関わらず、実態に応じて検挙するし、どんな団体やグループだって警察が嫌疑を持った段階で捜査の対象となる、この事実を認めてもらって、その上で国民の判断がどうか、ということなので、クソくだらない「一般人は捜査の対象にも調査の対象にもなりえない」みたいなことで時間を浪費することがなければいいですけど。
まぁ予想通り。歴史上2例目。委員長は公明党:秋野公造議員です。公明党が歯止めになるとか言ってた人たち、よくこの人の議事運営をご覧くださいね。公明党はもうただ盲従してるだけだよ。参院民進党の本気度もいまいちわかんない。言うとくけど全然信用しとらんで。まじめに議論してなんか意味あるのかしら?
海外の共謀罪、参加罪の規定をつらつらと見ています。外務省の説明によると、カナダは共謀罪がもともとあったのにも関わらず、参加罪を新設したとのこと。
465.1
(1)法律で明示的に規定されている場合を除き、以下の規定は共謀として扱う。
(a)カナダ国内外を問わず、殺人または他者に殺人を行わしめることを他者と共謀した者は、公判犯罪での有罪とし、最大で終身刑の責任を有する。
(b)ある人物にかけられた疑惑を告発することを、当該人物が、実際に犯罪を実行していないことを知りながら、共謀した者は、公判犯罪での有罪とし、以下の責任を有する
(i)疑惑をかけられた犯罪が、有罪となった場合に、終身刑または14年以内の自由刑と記述されている犯罪であった場合、10年以内の自由刑の責任を有する
(II)疑惑をかけられた犯罪が、有罪となった場合に、14年以下の自由刑と記述されている犯罪であった場合、5年以内の自由刑の責任を有する
(c)公判犯罪であって、(a)、(b)に規定されていない犯罪の実行を、他者と共謀した者は、共謀した別の被告が有罪判決を受けた場合、その被告と同等の処罰を受ける責任がある。
(d)即決裁判で処罰可能な犯罪を他者と共謀した者は、即決裁判で処罰可能とする。
最高裁判決(1982 R.v.Carter, S.C.R. 938)で示された有罪となる三要件
1.検察は、共謀の存在に関する合理的な疑いを十分に払拭できているか
2.検察は、被告が確かに共謀のメンバーであったと証明できているか
3.全ての証拠を考慮して、被告は、共謀のメンバーであったということに対する合理的な疑いを超えて、有罪となるかどうか
また共謀そのものの最高裁判決による要件(1954 R.v. O'brien S.C.R.666)
(1)同意(1980, S.C.R.644によると、同意は暗黙でも良い。犯罪を実行するという共通の目的・意思が合意達することが必要であり、当事者はそれらの目標と同意に関する認識が必要である。共通の目的を持った共通の計画を十分に認識している必要があるが、明示的である必要は無い。)
(2)不法な目的あるいは計画の共有
参加罪
467.1
(1)刑法において、以下の規定を犯罪組織とする。これは、集団でありながら、組織されており、
(a) カナダ国内外に関わらず、3人またはそれ以上で構成される集団であり、
(b)その主たる目的あるいは、主たる活動が、集団あるいはその構成員によって、犯罪が実行された場合に、財政上の便益を含む、直接的あるいは間接的な物質的便益をもたらす可能性がある、促進行為、あるいは1つまたはそれ以上の重大な犯罪の実行にあるものをいう。
ただし単一の犯罪を即座に実行するために構成される偶発的な集団はこれに該当しない。
重大な犯罪とは公判犯罪であって、刑法あるいは、他の議会が定める法律において、5年あるいは、それ以上の自由刑によって処罰される、集団あるいは、集団の構成員によって行われる犯罪をいう。
(2)促進行為
467.11、467.111の目的において、促進行為は、特定の犯罪の実行の促進をしているという認識、あるいは、その犯罪が実際に行われていることは要件にはならない。
(3)犯罪の実行とは、このセクション、467.11、467.13において、犯罪を実行する、とは、組織に参加している、あるいは、参加するように相談をすることを言う。
(4)別段の定めにおいて、議会は、(1)に定めた重大な犯罪に該当することを記載することができる
となっています。ポイントは法益侵害の高い蓋然性が無い共謀罪の対象(cは共謀共同正犯)、は、殺人、あるいは虚偽告発、そして、軽犯罪に限られているということで、このままでは、TOC条約の2条の要請は満たさないでしょう。TOC条約の締結に向けて参加罪を整備したということのようですが、カナダは、ヘルズエンジェルスという暴走族対策として、1997年に、そもそも5-5-5ルール(5人で、5年以上の犯罪を行うことを目的としている組織に参加すると、5年以内の自由刑)と呼ばれる参加罪を成立させています。2002年に改正されたのは最初の5人を3人に変更したということ、組織的犯罪集団の定義に、物質的、あるいは間接的な物質的便益という部分を追加した、ということ。あと、対象犯罪は5年以上のままである、というところ。4年以下の自由刑、というのは刑法の中ではそれほど多くは無いですが(裁判所の命令に従わない、証人その他への脅迫等の存在を認知しながら報告しない、保護観察命令下でその指示に違反する、あるいは命令を拒否する、などがとりあえず見つかったけど、特別法は見てない)、条約の要請に該当しないと判断した場合、2条の留保なしにserious crimeの定義を4年以上にすることも可能という点。OECDではないですが、マレーシアなどでは、serious crimeの定義は10年以上の自由刑とされていますが、これも2条への留保は無い。これ大事な点だと思いますけど、ちゃんと調べてんのかな。
参加罪の(b)のほうの限定は結構大事で、2004年にこの参加罪の規定が憲法に照らして、組織的犯罪の規定が不必要に広く、個人の自由と安全を保障する権利を侵害していないかを争ったのオンタリオ州の高裁憲法審判決(R. v. Lindsay 2004, 182 C.C.C.)の中で判断が示されています。
組織的犯罪対策の目的は、不正なオートバイのギャングなどの暴力犯罪を犯す集団と対峙するだけでなく、経済犯罪に関与する団体に対処し、組織犯罪の利益の追求を押しとどめる目的もあります。またこの法律は、合法で、非犯罪的な行為に対して適用されるものでもありません。犯罪組織の定義は、グループの主な目的または主な活動の一つが、重大な犯罪の促進あるは実行であることが要件とされています。これは単なる集団の活動を規制するものではありません。重大な犯罪の定義には、刑法以外の連邦法にも基づく犯罪が含まれるという事実も正当です。組織化された犯罪は、タバコの密輸や、人身売買、有害廃棄物処理などのさまざまな活動が含まれるため、この犯罪の対象として、クローズドなリストを設けて特定化することが、対策の邪魔をしてしまう可能性があります。その意味で法律は過大なものではないと言えるでしょう。
犯罪組織という用語は、憲法上許されないほど漠然としているわけではありません。この要件は法律で規定されており、議会は、最低人数を3人以上と設定できる、という事実は、この用語の意義を限定していますし、集団の共通目的(主たる目的あるいは主たる活動)が、集団あるいはその構成員によって行われる、物質的利益を受ける、少なくとも1つ以上の重大な犯罪の促進または実行にある、と規定されています。この物質的利益という用語はあいまいではなく、物質的、という表現には、重要な、あるいは本質的な、という要件が求められ、この意味で、法的に頻繁に搭乗する用語です。あるものが、この物質的利益に該当するかどうかは、個別のケースごとに判断されますが。これは司法判断の手続きとして適切なものであるといえます。また関連する(associated with)という表現も、憲法上許されないほど漠然としていません。この用語は、犯罪組織との関係において、犯罪を実行するものは、たとえ、正式な構成員でなくても、この法律が適用されることを意図して導入されています。この用語は、被告人が犯罪組織と関連して刑事犯罪を行うことを要件としています。ある関係性が、この用語の要件を満たすのに十分であるかは裁判所が、事実関係に基づいて判断することになります。
ここはまぁそういうだろうなぁというところです。またこの後段では、憲法に違反していない限り(この判決では違反していないと判断)、法律の規定が広すぎるかどうかは、国民の代表である議会が決めるべきであり、裁判所がその望ましい範囲について言及することは望ましくない、などとしていますが、面白かったのは、仮説的な例として、どういう場合に組織的犯罪集団になるか、あるいはならないか、というものを挙げているところ。
(b)三人の人が、環境破壊に抵抗するための団体を作った。彼らの主な活動は、環境保護のためのスローガンを、オフィスビル街でスプレー缶で書いて回ることである。彼らはその実行によって逮捕され、いたずらの罰として5000ドル以上の罰金刑を受けた。彼らは少なくとも8回以上同様の犯罪を実行したことが示唆されている。
彼らは組織的犯罪集団への参加罪が問われるか、というところ。オフィスビル街に落書きして回ること自体は、軽犯罪だけど、それが業務を妨害している、などとされると適用可能性が出てくる例。枝野さんの質疑、あるいは今日の糸数慶子さんの質疑で出てきた例に近い。
467.1(1)は、その主たる目的、あるいは主たる活動が、少なくとも一つ以上の重大な犯罪の実行あるいは促進にあること、さらにその実行が、財政的な便益を含む、直接的あるいは間接的な物質な便益をもたらず可能性があるものを対象としている。この環境活動家たちが行った軽犯罪が、なんらの物質的便益をもたらしていないことは明らかであるため、彼らは組織的犯罪集団には該当しない。
これが結構大事なところで。物質的便益の規定が無ければ、彼らは組織的犯罪集団になるわけでしょ。だって除外要件をそれしか挙げてないし、この要件は重要だって主文で述べてるしね。
糸数
「(略)沖縄県民は、知事、衆参両院の国政選挙全てで辺野古の新基地建設反対の候補者を当選させており、新基地建設の反対の意思は、ちゃんと民主主義の手続きを経て示してまいりました。ところが政府は無視し続けています。沖縄県民の人権無視、沖縄の自治権の無視であり、政府の行為こそが重大な憲法違反であると考えます。政府が、県民の意思を無視して、基地建設を強行するとき、意思表示の最後の手段である抗議行動、座り込み、ブロックを積む行為、その共謀罪の適用の対象となるとお考えでしょうか」
「(終始視線は紙)テロ等準備罪は、組織的犯罪集団が、関与する、一定の重大な犯罪の遂行を計画したことに加え、実行準備行為が行われた場合に、成立するものであります。組織的犯罪集団、とは、えー組織的犯罪処罰法のその団体(どの?)のうち、結合関係の基礎としての共同の目的が重大な犯罪を実行することにあるものを言います。そして組織的犯罪処罰法の団体とは、共同の目的を有する、多数人の継続的結合体であって、その目的または意思を実現する行為の全部または一部を組織すなわち、指揮命令に基づきあらかじめ定められた任務の分担にしたがって、構成員が一体として行動する結合体により、反復して行われるものをいう、わけであります。その上で、犯罪の成否を具体的に、個別に、事実関係を離れて一概に結論を申し上げることは困難でありますが、あくまで一般論として、申し上げれば、ご指摘のような集団は団体の要件をそもそも(基本的に?どだい?もとより?)満たさない、と思われるうえ、基地建設反対または、基地建設に反対することにより、地域の負担軽減や自然環境の保全を目的としており、一定の犯罪を遂行することを目的として、構成員が結合しているとは考えがたいので、テロ等準備罪が成立することはない、と考えております。」
(枝野さんの質疑で明らかになった、下部組織として、外部人を含む実行部隊に、2条の団体の構成要件は適用されないこととか、衆院の議論がまったく反映されないこの繰り返し答弁聞いててむなしいわ。)
糸数
「沖縄の高江では、基地建設に反対して、座り込みを行ったことに対し、全国から機動隊を動員し、多数の市民を負傷させ、また抗議行動のリーダーである、山城博治さんをはじめ、多くの仲間を逮捕拘留しました。この山城さんへの不当逮捕拘留は国内外から強く非難されております。山城さんは6月にジュネーブで開かれます国連人権理事会で、不当弾圧の実態についてスピーチを行うことになっています。沖縄県民からすれば、今回の共謀罪法案は、政府に抵抗する行為を、未然に一網打尽にする意図が明らかにあるのではないかと疑わざるを得ません。このような懸念を払拭できるのでしょうか。」
「テロ等準備罪は、国民の生命財産を守るため、テロを未然に防止し、これと戦うための国際協力を可能とする国際組織犯罪条約を締結するための法案であって、ご指摘のような意図はまったくない、と申し上げておきます。」
糸数
「日本全体の人口の1%程度の沖縄県民の意思は本土の意見にかき消され、無視され続けています。安倍総理はご自身への批判に対しては、印象操作はやめてくださいとおっしゃいますが、沖縄県民から見れば、政府が、沖縄県民に寄り添い、丁寧に対応しているかのような、また県民が不当に抗議行動を行っているかのような印象操作こそやめていただきたいと申し上げたいと思います。沖縄の状況は、本土のメディアではほとんど報じられることがありません。沖縄のメディアが真実を報じると、それに対する圧力とも取れる発言が、平然と行われております。これは印象操作どころか、情報操作が行われているのではないかといわざるを得ません。なぜかと申しますと国境なき記者団によりますと、日本の報道の自由は74位、先進国では最下位。なぜ沖縄県民が基地建設に反対するかといいますと、太平洋戦争で、唯一地上戦が行われ、県民の4人に1人が亡くなるという状況の中で、平和に対する思いが人一倍強いからです。沖縄に基地が集中するがゆえに、再び攻撃の対象となる不安があるからです。不安を煽る、安倍総理の国会答弁に対して、たとえば、韓国の報道官は、自制する必要があると不快感を示しました。仮想的な状況を想定した発言は誤解を招く恐れがあり(目くらましで突然言い出したサリン弾頭のことかな)、朝鮮半島の平和や安全に否定的な影響を及ぼしかねないと指摘しております。ナチスのヒトラーの後継者といわれたゲーリングは、普通の市民は戦争を望まないが、戦争は簡単に起きる。市民は常に指導者たちの意のままになる。それは、自分たちは外国から攻撃されているといい、平和主義については、愛国心が無く、国家を危険にさらす人々だと公然と非難をすればよいだけのことだと述べています。まさに、安倍政権は今、朝鮮有事で国民の不安をあおり、反対する人々を、共謀罪で未然に取り締まろうとしていると思えてなりません。(略)沖縄県民は、全ての選挙で、辺野古の基地建設に反対する意思を示しています。その意思を無視して、県民に寄り添っている、とおっしゃるわけですが、そうであれば、県民の不安を払拭し、私たち県民に与えられた唯一の抗議行動、あれだけ多くの県民が座り込んでいます。そして県民の意思を無視して、今日も辺野古の海を埋め立てています。このことは県民の意思ではないと、強く申し上げ、私の質疑を終わります。」
環境保護団体や、基地建設反対、マンション建設反対などの抗議行動(座り込み、デモ=威力業務妨害)が団体の基礎としての共同の目的となることは、林局長も認めている所だし、昨日の金田答弁で一歩ステップアップしたし(これも安倍さんの答弁とまた一致してないんだよな、こんなんばっかり。)、物質的利益、の縛りもないし、山城さんはじめ、沖縄平和運動センターのような組織は、もうごく普通に、適用対象になるとしかおもえないんだよなー。
・島本和彦
「アオイホノオ」で一気に全国区になってしまった感があるけれど、それまで長きに渡ってひたすら「面白いのになぜかマイナー」と言われ続けてきた「面白いのになぜかマイナー」界のレジェンド的存在。
「燃えよペン」「吼えろペン」シリーズや「逆境ナイン」辺りがまとまっているが、「無謀キャプテン」のように明らかに破綻している(作者公認)作品でさえ、その破綻が魅力になるという異常な漫画家。
オチのある短編・中編を書く天才。初期の作品も味があるが、「路地恋花」「海月と私」「そこをなんとか」など近年になって才能が爆発しだした感が強い。
私の中では、あだち充(短編)、沙村広明(光)、佐々木倫子、よしながふみ、などと同じ系統の漫画家に分類されている。
甘くて気持ちのいい恋愛漫画を描く作家。安定して心に染みる恋愛漫画を生み出し続けているという意味で、少女漫画界のあだち充(長編)だと勝手に思っている。
キャラクターも魅力的で、コミカルとシリアスのバランスも素晴らしい。中期以降の作品ならどこから入っても良いと思うが、男性にオススメするとしたら「おまけの小林クン」をチョイスしたい。
成年誌から一般誌に移って17年、サンデーGXでオートバイのウンチク漫画「ジャジャ」を長期連載中。
個人的にウンチク漫画は大好物なのでそれだけでも高評価だが、画風もスッキリ読みやすい感じで気に入っている。
すべての作品を読んではいないのだけれど、魔法少女リリカルなのはシリーズのコミカライズ作品があまりにも素晴らしいので挙げさせてもらう。
特にMOVIE 1stのコミック版は、アニメも含めたすべてのなのはシリーズの中で最高傑作だと思う。
・ざら
とっておき。ホントはあまり紹介したくないくらい、お気に入りの隠し玉。
きらら系を中心に活躍する4コマ作家。久米田康治や畑健二郎など目じゃないくらいに所狭しと詰め込まれた多方面のヲタネタ・小ネタの数々が最大の魅力。
ヲタ文化にあまり詳しくない人間には面白さが伝わりにくい面もあるはずなので、なかなかメジャーにはなり切らないのだろう。
初期作の「ふおんコネクト!」がすでに素晴らしい出来なので、ここから入るのが王道だろう。
元増田も挙げていたけれど、私も好き。ただ、作品の方向性に結構ムラがある辺りは評価が難しい。
個人的に人生でもっとも完成度の高いと感じたストーリー漫画は「フラワー・オブ・ライフ」。まさに衝撃的だった。
http://anond.hatelabo.jp/20170528071247
我欲や自慰を公共に露出する目的の活動は、どれほど過激な行動がなくとも、たとえば公共交通内ではなく、もしマイカーやオートバイで似たようなことをしたとしても、少年少女退行から大人に戻れない。そもそも正常な趣味じゃない。その前提で大人は鉄道趣味を叩くべきだ。
熱心な鉄道好きの一人である高山何某が悪いのは、自らの振る舞いを卑怯や少年少女退行と思っていないことにある。「大人がグレる時代だから」と、あまりにも情けないほど卑屈すぎる詭弁を撒き散らしているのだ。
そもそも存在自体が社会にとって許されるものではないのが児童ポルノや鉄道趣味なのである。で、当事者も自分のことを世間の人たちは目を背けたがるような存在と見なしていることを分かった上で、「ワル」な自分に酔いしてている。これも一緒だ。しかし、社会の姿勢があまりに違いすぎる。
鉄道趣味の大衆化による弊害は2000年代後半の所謂罵声大会を起点に一機に広まっている。狼藉は2012年から目立つようになり、更に元締めすら酷くなったのは2013年からで、度々炎上しているのに、社会が鉄道趣味や公共ビジネスの現実を批判しようとしたのは1つもないように思う。これはあまりにも公正とはいえない。
非常に不思議なのである。児童ポルノなら1999年に法規制される前には、すでにその固有名詞が存在し、社会問題として認知され、有罪沙汰もあったことは渋谷系文化の記録でもわかるのだが、なぜ鉄道趣味はそうできないのだろう。
鉄道趣味と類似している問題は、児童ポルノである。児童ポルノは、1990年代から発生した社会問題であるが、これは「表現の自由」と言えるものだろうか?少年少女の性消費で我欲を満たしたいという若気の至りの裏には、住民の治安被害や少年少女の搾取などの不安がある。
性消費感覚で鉄道趣味に明け暮れる高山何某は、鉄道趣味の中でもハイレベルな存在なのである。つまり、退行を拗らせたこいつらをつまみだして、大人に更生させる回路を作れば、幼児退行はこの国から消えるんじゃないだろうか。