2021-08-12

65歳師匠と18歳の弟子

私の父は東北下請け土建屋を25年営んでいた。

忙しく働いていてもバブルが弾けた後はずっと不景気だった。


息子の私にノンバンクの借り入れの名義人になってほしいと言われた何度目かの時、

廃業しろと説得し、親族弁護士会社清算してもらった。


父は土建屋時代大船渡では防波堤を作っていた。津波はその上を襲ってきた。

ある時、めったに泣かない父が「俺の仕事意味はなかった。大船渡飯場で働いていたおばちゃん達も連絡が付かない」と泣いていた。


父はその後、何故かゴルフ場就職した。

土建屋現場に出るのはもう辛いとの理由で、親族のツテもあり、好きなスポーツ仕事についたようだ。

誰もが知る有名選手クラブの調整の為に借り切って試打することもあるようで興奮して話していた。


父はそこで2人チームになった。

相方は18歳。47歳差のコンビ・バディの誕生だった。

仕事は色々あったようだが主にスタート管理である


予約客をどのタイミングで、どのコースに出していくかを決め、順調にスタートプレーしているか管理する仕事だ。

これがマズイと人が詰まってしまい、気持ちよくラウンドできなくなる。

お客さんのレベルも把握しておく必要があるらしい。


相方若者はいわゆるチャラめの兄ちゃんだったのだが、真面目で父の話はよく聞いたらしい。

いつしか人生相談も色々する仲になり、師匠と呼ぶようになった。

から見ても師匠弟子関係は微笑ましい関係だったようで、父は他の人からも客から師匠と呼ばれるようになった。


ただ、地方地方人口も少ない地域ゴルフ場給料薄給だった為、

18歳の若者は将来が見えない事を悩んでいた。

そして若者20歳の時、ゴルフ場を辞め、川崎就職をした。


だが、その会社裏社会とつながっているブラック企業

彼は4ヶ月で職場の寮から逃げだして北海道に帰ってきた。


帰ってきて真っ先にしたのは師匠への電話だった。嗚咽を漏らしながらの相談だったそうだ。

師匠、俺どうしたらいいんですか?」

「どうやって生きていけばいいかわかりません」

自分みたいな人間は生きていく価値がない」


師匠は答えた。

「◯◯君、君は素晴らしい若者だ」

「自信を持て。君は素晴らしい」

「後は私にまかせなさい」


師匠経営者だったときの人脈で色々な人に電話をし、若者セールスをしたようだ。

ただ、就職出来るだけではなく、出来れば明るい将来が見える職場に。



結局、昔一緒に働いていて、現在大企業役員をやっている親族

これから成長株の孫会社を紹介してくれて、そこに若者就職した。



現在父は75歳になる。末期がんにもなったが、奇跡的な復活を得て、

今もゴルフ場で芝刈りやコース管理仕事をしている。


若者は新たな就職先で真面目に働いたようで、当初は数ヶ月おきに

楽しい職場だというのを師匠お土産付きで報告しに来ていたらしい。

若者のご両親も師匠挨拶に来て、誰の言うことも聞かなかったのにと涙しながら感謝して帰って行かれたそう。


その後、結婚式にも何故か親族席に呼ばれたようだ。

息子の結婚式ではベロベロに酔っ払った元土建屋棟梁だったが、このときは流石にお酒自重したらしい。信じがたい。


第二の親というと陳腐になってしまう気がする。

父も、意味がなかった人生だと思って居たところを、自分経験が役に立ち、

若者が立ち直った事で救われたのではないかと思う。



若者最近北海道地方都市の新たな拠点の所長になった。



という顛末師匠の妻(母)から最近聴いた。



師匠、、俺は45歳まで多重派遣プログラマだったよ。。


  • 師匠も偉い。すごく偉い。 でも記事読んで一番強く印象に残ったのは「SOSを発して素直にひとを頼る能力」って大事だなって。 身の回りでもこの能力がないせいで沈んでいった(色んな...

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