息子の私にノンバンクの借り入れの名義人になってほしいと言われた何度目かの時、
父は土建屋時代、大船渡では防波堤を作っていた。津波はその上を襲ってきた。
ある時、めったに泣かない父が「俺の仕事に意味はなかった。大船渡の飯場で働いていたおばちゃん達も連絡が付かない」と泣いていた。
土建屋の現場に出るのはもう辛いとの理由で、親族のツテもあり、好きなスポーツの仕事についたようだ。
誰もが知る有名選手がクラブの調整の為に借り切って試打することもあるようで興奮して話していた。
父はそこで2人チームになった。
予約客をどのタイミングで、どのコースに出していくかを決め、順調にスタート・プレーしているかを管理する仕事だ。
これがマズイと人が詰まってしまい、気持ちよくラウンドできなくなる。
相方の若者はいわゆるチャラめの兄ちゃんだったのだが、真面目で父の話はよく聞いたらしい。
いつしか人生相談も色々する仲になり、師匠と呼ぶようになった。
傍から見ても師匠と弟子の関係は微笑ましい関係だったようで、父は他の人からも客からも師匠と呼ばれるようになった。
ただ、地方の地方、人口も少ない地域のゴルフ場の給料は薄給だった為、
18歳の若者は将来が見えない事を悩んでいた。
帰ってきて真っ先にしたのは師匠への電話だった。嗚咽を漏らしながらの相談だったそうだ。
「師匠、俺どうしたらいいんですか?」
「どうやって生きていけばいいかわかりません」
師匠は答えた。
「◯◯君、君は素晴らしい若者だ」
「自信を持て。君は素晴らしい」
「後は私にまかせなさい」
師匠は経営者だったときの人脈で色々な人に電話をし、若者のセールスをしたようだ。
ただ、就職出来るだけではなく、出来れば明るい将来が見える職場に。
結局、昔一緒に働いていて、現在大企業の役員をやっている親族が
これから成長株の孫会社を紹介してくれて、そこに若者は就職した。
現在父は75歳になる。末期がんにもなったが、奇跡的な復活を得て、
若者は新たな就職先で真面目に働いたようで、当初は数ヶ月おきに
楽しい職場だというのを師匠にお土産付きで報告しに来ていたらしい。
若者のご両親も師匠に挨拶に来て、誰の言うことも聞かなかったのにと涙しながら感謝して帰って行かれたそう。
息子の結婚式ではベロベロに酔っ払った元土建屋の棟梁だったが、このときは流石にお酒は自重したらしい。信じがたい。
父も、意味がなかった人生だと思って居たところを、自分の経験が役に立ち、
師匠も偉い。すごく偉い。 でも記事読んで一番強く印象に残ったのは「SOSを発して素直にひとを頼る能力」って大事だなって。 身の回りでもこの能力がないせいで沈んでいった(色んな...