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2024-01-30

anond:20240130165834

別にどうも思わんが。7話以前も、原作者脚本に加筆修正してたし(提示された脚本原作ねじまげた酷いものだったので)、終盤に関しては、制作から、連載に影響が出ないように脚本セリフ原作者が書くという条件だった。原作者ブログに書いてあったよ。そもそもドラマ面白いかどうかなんてこの件に何の関係も無い。「ドラマ側が条件を無視した。約束を破った」ことが問題本質。話をそらすな。

2024-01-29

はてブ本質に気づいてしまった

遅すぎるが

 

これって基本的体制派に対して言葉で斬って捨ててみたり

目立ってるやつを言葉で斬ってみたり、皮肉ってみたり

そういうごっこ遊びツールなんだな

 

そうやって何もできない自分を慰める行為ってなんていうっけ、名前忘れた

 

うそう、考えてみたら辻褄が合う

与党に噛み付いてるのもそうだし

年齢層だって1960年代1970年代まれがたくさんいるでしょ

その世代だよね、新書とか週刊誌とか好きなの

 

気持ち悪くなってきた

オナニー集団じゃないか

こういうのワイドショーとかでも◯◯が斬るみたいなコーナーで、さもシリアスな顔してさも尤もらしいお利口さんコメントをするのあるけど

あれも子供の頃から気持ち悪かったな

何でこの世代はこうなんだろうか?

 

匿名ダイアリーの方はまた全然違うんだけどね

2024-01-28

トションのコピペ見てから自分ち以外の電気ケトルを使えない。別に菌がどうのという事もないだろうし、単なる気持ち問題なんだけど。

そんな事する奴もそうそういないだろうとは思いつつ、「かもしれない」が無限に増大して穏やかな気持ちでいられない。パノプティコン的というかパラノイアというか。

テロ行為本質は直接的な危害もさることながら、公共空間安全であるという意識を揺るがせる点にあるという話を聞いたことがある。今まではそんな事意識してなかったけど、あんな事があったから今後ももしかしたら……っていう。醤油差しペロペロとかも比喩ではなくテロのものだよなって思う。あれは万が一の実害に警戒するというよりは、「かもしれない」の不快感を植え付けられる程度のものだけど。

まあそんな事言い出せば電気ケトルだけじゃなくてコンビニ弁当ファストフード製造ラインで気がかりな点なんていくらでもあると思う。ネットじゃその手の噂はゴロゴロあるし、研究データみたいなのも出てるんだろうと思う。

でも実際そういうもん食ってて問題あったかって話だし、「かもしれない」に振り回される不合理さは知っているから出来るだけ気にせずにいたい。でも何かの拍子で知ってしまった以上は気にせずにはいられない。

電車椅子だって染み込んだ吐瀉物が残存してるかもしれないし、ガキが汚い靴で踏みつけた直後かとしれない。それでも立ちっ放しはダルいし座りたいから、世間良識への適度な信頼と意識的な忘却を以てして「かもしれない」に蓋をする。

妥協出来るラインボーダーがどこかにあるらしく、電気ケトル我慢出来ないっぽい。高校の頃、トイレハンドソープボトルに尿が詰められる事件があったのがデカい気がする。経験がもたらす実感は理屈を軽く飛び越える。

2024-01-27

共産党事業収入企業献金に対してどこに誇れるところがあるのでしょうか?

宗教団体機関誌お金を得るようなもので、献金と何も差なんてない気がするんですけど。

そもそも企業献金だって別に税金ではないんですから問題なくないですか?

今回の問題本質資金裏金化になるのであって、その可能性は企業献金だろうが事業収入だろうが変わらなくないですかね?

共産党赤旗利益を粉飾してないっていえるんですか?

松本人志の件、問題本質

直接的に問題となっているのは既報通りの性加害があったかどうかで、それはしっかり裁判に明らかになるのだろうと思う。

一方で、この問題本質吉本興業、ひいてはテレビ業界芸能界蔓延している「強者弱者を虐げて構わない」というカルチャーなんだろうと思う。

一度テレビ局で働いてみればわかるが、基本的バラエティ現場での力関係大御所タレント芸人プロデューサーディレクター、中堅や若手タレント、その他スタッフの間には明確な序列がある。ましてやいわゆるAD若手芸人と言った現場最下層の人間に至っては、人権など贅沢品と呼べる扱いだ。

松本相方浜田スタッフに怒鳴り散らかしているのは当人や周りが悪びれもせずネタにするほど日常的な姿だし、それはなにもダウンタウンに限った話ではなく多くの芸人タレント共通メンタリティだと思う。

目の前の1人のスタッフや若手が尊厳を持った個人で、家に帰れば自慢のパパであり息子なのだろう、という最低限のリスペクトすら失ってしまった人間は、おそらくタクシー飲食店での些細なミス劣化の如く怒鳴り散らすだろうし(そういえばかつて番組フリートークで散々そうしたネタ開陳し、客も大笑いしていた)、後輩が連れてきた初対面の女性を好き放題、欲望の捌け口にできる錯覚を抱くであろうことは想像に難くない。

おそらく、これは個々人の責任に帰するものでなく、彼ら自身がかつてはひどく虐げられながらも頭角を表し、のしあがった自負があるからこその傍若無人なのだろう。

そうした振る舞いが許されること自体成功証明であり、その地位を手に入れるために辛酸を舐めながらのしあがってきたのだ、という自負もあるのかもしれない。

中高の部活動で、先輩に虐げられた1年生が、みずから先輩となった時に後輩を好き放題に使えると錯覚するのと同じ構図だ。

つまるところの問題本質他者に対する絶望的なまでのリスペクトの欠如であるなら、それはダウンタウン特有問題ではなく、芸能界全体に蔓延する極めて前世紀的な価値観にあると思う。

そこまで視点を広げない限り、今回の騒ぎも単なる松本個人スキャンダルとしてワイドショーネタに消化されて終わり、不幸は再生産され続けることになる。

2024-01-26

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

anond:20240126181300

アスペの特徴は「数値や一例にしつこい」

例えば元スレで「マイクラ使って三等分してみた」があるけど、普通の人には『円の三等分から時計見立て12時、4時、10時』と考えたり説明したりする

だけどアスペは「デジタル時計だったらどうすんだ」とか「ピッタリ三等分じゃないだろ」とか言い出すし、それに対してとてもしつこい

こんなんだからすぐに目的からそれて話が脱線やす

75

12時4時8時やろ…

90

君も結構怪しいね

本質じゃないところでグダグダ言うところ

ハッカーとは何か

リチャードストルマンハッカー哲学は以下のようにまとめられます

1. Playfulness and Cleverness: ハッカー哲学は遊び心と巧妙さに根ざしています。何か難しいことを遊び心をもって行うことがハッキングとされています

2. Exploration and Limits: ハッカー可能性の限界を探求することを重視しています。新しいアイディア方法を見つけ出すこと、あるいは既存のものを別の視点から探求することが含まれます

3. Diverse Activities: ハッキング単一活動限定されず、ソフトウェアの開発から実用的な冗談まで幅広い活動を含みますMITなどでの活動コンピュータに限らず、音楽芸術の分野でもハッカーアイディア適用されることが強調されています

4. Resistance to Silly Rules: ハッカーはしばしば制約や不必要規則に対して抵抗し、その規則を巧妙に回避する方法を見つけることがあります。これは、自由な発想と巧妙なアプローチを重視する姿勢の一部です。

5. Misunderstanding and Security Breaking: 1980年頃のメディア報道により、ハッキングは主にセキュリティ破壊行為として捉えられるようになりました。しかし、これはハッカーの多様な活動無視したものであり、実際のハッカー本質を誤解させるものです。記者一般の人々に対して、セキュリティ破壊行為ハッキング区別するために、"cracking"という用語を使い、それを行う人々を"crackers"と呼ぶことが提案されています

参考: https://stallman.org/articles/on-hacking.html

2024-01-25

若手芸人オタク自分アカウントでつぶやかなかったつぶやきを放流

まっちゃんの件は個人的にはm1とkocと水曜日さえ続くのであれば問題ない気がしてきた。自分世代ちゃうし好きな芸人ダウンタウン信者とかじゃなさそうだし

TLに流れてくるオタクたちのこの件へのツイート倫理観とかより結局はもともと好きだったかどうかでスタンス変わるよなあという感じ

今回ポリコレぶって怒ってる人の中にも、例えばパーケンが捕まったときはそんな反応じゃなかったよね?という人もいるし、もし粗品あたりが今後やらかしたら同じこと言えないだろうねって人もいるし

粗品がやらかすと思ってるって意味じゃないよ、粗品ごめんね)

自分まっちゃんにも優しくなれないし、被害訴えている女の人たちにも優しくはなれないな、まあでも「事実無根」はないでしょとはおもう

あと小沢だけかばっているオタク多いけど、小沢っていうほど性的な面で「小沢さんだけはやってないに違いない」って妄信できるタイプか?

若手芸人オタクって意外とポリコレ意識高いことを自認している人多いけど、結局は自分好き嫌い価値判断変わるってことは自覚しておいたほうがいいと思うよ


吉本鎖国している件、別に今回だけじゃなく昔も神保町芸人がムゲンダイにすら出られないみたいなことあったしまちゃん云々よりただ定期イベントが起こっているだけな気もする

川瀬名人がさっき「ネットで言われてる理由と本当のは違う」的なの匂わせてたし

そもそもK-proライブとかは数年前からまた出られなくなっているしな

個人的K-proはここ数年あまりよく思っていない(なんでかは書かないので、私怨と思ってもらっていい)から別になんとも思ってなかったが、全て出れないとなるとさすがに異常だと思う

ただ、自分の好きな芸人に関してはこれちょっと得なんじゃないか、というか

というのも、ここ数年吉本と他事務所交流が盛んだったのって、結局大学お笑い出身吉本芸人大学時代の仲間を呼んだりしてそっからコミュニティ作り上げたってのが大きいんだけど、自分推しはその輪のなかにいる人とたちではないのでそこでなにか利益を得られる身分じゃなかったわけですよ

からこれから事務所呼べなくなったときに、空いた穴に推しが入る可能性は全然ある、というかこうなることが決まった以上好きな人たちが利益を得られるよう祈るしかないってのはあるが

芸人以前の経歴で踏める場数が変わる現状、正直あんまりきじゃなかったからね、しょうがないと思ってたからそんな意見発信したことはなかったけど

吉本で固まるのと学生時代サークル仲間で固まるの、本質は一緒だしそしたら吉本はそりゃ自分利益になりそうなほう選ぶよね

あとこの話題で「他事務所」って言葉にキレてるオタク、あれ何?吉本の話してるんだからその他の事務所は他事務所問題ないやろがい


・なんかずっと裏垢で吉本批判してる某芸人、なんであの人裏垢でやってんの?

忖度せずに言ってやるぜ」スタンスなら芸人名でやってるアカウントでやったほうがいいよ

まじでなんで裏垢でやるのか、本人なりの理論を聞かせてほしい、これで「自分事務所の人に怒られるから」とかならウケる

さっきミュートしちゃったから最新のツイート見てないが、さっきおすすめツイートで「このアカウントではこの人格でいく」的なこと呟いてた

いやそっちは人格分けてるつもりでも見てるほうは同一人格として見るからね?「裏垢での発言が気に入らなくても表の芸人人格は愛してほしい」みたいなのは通らないんだけど、本当にわかっているんだろうか

あと「10年前に吉本スカウトされたけどやばい事務所と思って断った」話してるの何回か見たけど、あれ普通にシンクロニシティ批判と思っていいの?


芸人オタク始めた学生のころは吉本しか知らなかったから「吉本世界一悪い事務所」くらい思っていた(芸人、平気で所属してるとこの悪口うから)けど、途中違う事務所芸人オタクとかもやって「結局完璧事務所などなく『みんな違ってみんな悪い』な」というところに落ち着いた

結局管理する側も人間から、もうしょうがないんだろうね

そもそも芸能って人を売ってんだよ、そんなの異常なんだから

から芸能界が正常化することもお笑い界が正常化することもないと思っているし自分自身はあまり倫理観が高いほうではないからそれでもいいかなと思っている

まあでもつぶれてほしいわけじゃないしつぶれないためには今の世の中に適合する必要絶対あるから吉本君には頑張ってほしいよ、ほんとうに

anond:20240125185309

ちゃうちゃう

ライトに消費しようが人格依存しようがそれは消費のスタイルだし、自分の内側で完結している分に嫌われる理由がない。ものすごく端的に極端に言えば、消費活動を誰にも言わず接触せず自己完結でしてるならば嫌われることなんてないし、嫌われる機会さえ訪れない。当たり前の話だよね?

でも、消費の本質ってそういうものだ。消費は個人で完結できる。で、それが消費者全面的に許された消費者固有の権利なわけ。おそらく唯一のね。

一方で、「ファンコミュに参加する」「同好の士交流する」「公式を含む他者になにか(サービスとか二次を含む作品とか続編とか自分の好む展開とかより高いクオリティとか)を要求する」「何らかのメンバーシップ的な認識他者要求する」ってのは、消費者権利ではないわけ。ただの消費者が、オタクというよくわからん自己認識で、そういうナニカを要求し始めたら変でしょ?

いやいや、そういう活動エンジョイしてるオタクたくさんいるじゃん?って思うかもしれないけれど、それは彼らが消費者から許されてるわけじゃなくて、ただたんにそれらの活動アクセスコスト(社交的コスト創作コスト)を支払ってるから参加してエンジョイできているだけであって、決して「消費したからその時点でメンバーシップになった」わけではない。

最初に言ったように、何らかのコミュ接触しなければ、嫌われないんだよ。相手からは見えないんだから嫌われようがない。否定的アクションを受けたということは、「アクセスコストを払わずに、ただ同一の作品を見た(=消費者)というだけで、コミュニティのメンバーシップ要求した(=参加しようとした)」からだよ。

別に創作しなければNGってわけじゃない。創作しないでもそういうコミュに参加してエンジョイしてる人はたくさんいる。でもそういう人でも、創作コスト以外の方法で、アクセスコストは支払ってるって話。

(むしろそういうコミュにおいて創作コストしか支払わない=社交を拒絶する絵師様なんてのはそこまで大きな顔で来てるわけでもない。社交コストとかコミュニティの世話貢献コストのほうが高く評価されるよ)

んでまぁ増田が該当するかどうかはわからんけれど、そういう人はたくさんいるのよ。ただ単に作品を消費しただけで、コミュに参加できる「権利」を入手したって誤解しちゃう人が。ファンコミュっていう個別固有のソサエティとまではいかなくても、なにか「居場所」ができちゃったような誤解と言いますか。

やっぱり賢人ワイの考えた通りやん

道路標識に「人に見えないレーザー照射 自動運転車を欺く攻撃 米国日本研究者らが発表

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2401/25/news049.html



7,8年前自動運転がもう実用化する!みたいに盛り上がってた頃に

自動運転車って広まった後に特定パターンカメラに読ませたりしたら誤作動起こして事故るみたいな脆弱性見つかったら

世界一斉にお手軽テロとか起こせてヤバいよねみたいなこと書いたら

人間脆弱性の方ガーとかお決まり反論だらけやったけどやっぱりそういう問題あるんやん

ワイは自動運転技術周りの知識は全くないけどパッとこういう発想ができるのがやっぱり"知性"ってことなんやろなあ

上っ面の知識に左右されない思考力があるというか”本質”が見えてしまうんやなあ

ソフト老害って言葉がXで流れてきてその流れでスルー推奨な言葉たちというのも流れてきてたけど

こういうの50代の俺が若い頃にも言われてた言葉たちで一体どこの世代でこういうのが止まるんだろう

俺はこういう文化継承しちゃいけないと思って使わなかったけど今も普遍的に使われてきてるってことだよな

なんていうかブラック文化ってのは人間本質なのかもしれない

俺がダウンタウンが嫌いで浜田雅功が最も嫌いな理由

元々コント嫌いな所から来て、浜田雅功チンピラ芸が嫌いってのがあると気付いた。

その点で、松本人志と言う人物のもの浜田ほど嫌いではなかったと言うのも発見したりした。まぁ無関心とも言うが。

過去形なのは、今回の件で最近の振る舞いとか活動とかを知って、漫画に出てくる悪役みたいな事ばかりやってるんだなあと思ったから。その点で浜田雅功淡々自分仕事をこなしているんだなと気付く。嫌いだけどな。

何故コントいか

コントというのは

と言うのが本質からだ。これは萩本欽一らによるコント55号が根本にあると思っている。

これは最近の「誰も傷つかない笑い」の話からすると真逆で、新喜劇コント55号以前のお笑い、例えばクレイジーキャッツドリフターズなどの言わば喜劇ベースとしたものと異なると思っている。

極端なことを言えば、これは白人連中が黒人を誇張して真似て嗤うのと同じことだと感じてしま

なので、ダウンタウンがやろうと、内村光良がやろうと、東京03がやろうと嫌いである。最近はそう言う本質が見破られてきたのか、だんだん需要がなくなって消えているのがうれしい。このまま消滅してほしい。

なぜチンピラ芸が嫌いか

上記コント芸の「普通からちょっと外れた人々、つまり異質な人間を嗤う芸の嗤う部分だけを取り出し直接的に弄るようなものからだ。

そしてそれに加えて浜田雅功場合は、そうやって凄んで見せて相手ビビって萎縮するところを浜田と一緒に嗤うことによって成立している所がより笑えない。要するに弱い者いじめ当事者とその周りでいじめられているのを笑ってる聴衆という図そのものであり、何が楽しいのかさっぱり分からない。

見ていて不快である。まぁだから見てないんだけどね。

それに対して松本人志

それに対して松本人志はふざけた事をいって笑わすタイプだったように思う。チンピラ芸と違い、純粋自分を笑いものにしたり滑稽芸で笑わせにいくタイプ芸人普通に笑っていて、芸として威圧したりしていなかったと感じている。

浜田雅功よりはマシだと思っていた。

ただまぁダウンタウンの笑いそのものが合わないので、最近全然見なくなっていたわけだが。

で、アマプラCMうぜーぐらいに思っていたら、今回のこれである

ついでに語ると

ウッチャンナンチャンについて。内村光良コントが好きでそもそもコントが嫌いなのだが、同時にお題を与えてそれで芸人が答える形でおもしろい事を引き出す芸も持っているためダウンタウンよりは良いと思っている。

とんねるずは、若いころはヤンキーのもので嫌いだったが、歳をとってから彼らの気持ち理解できるようになった。ひたすら身内身内に引きこもる感じだが、とんねるずは身内にネタ振りはするが威圧したりいじめたりはしないと言う事に気付いたからだ。一緒に出演する奴をみんな先輩か後輩かタメという地方高校部活動みたいな感じでシンプルに分類してネタ振りするみたいな奴。そのグループの中に積極的に入りこみたいとは思わないんだけど、こう言う連中は自分グループの外にいる奴を攻撃したりはしないし、オタクにやさしいギャルならぬ、オタクにやさしいヤンキーみたいなところで異物にたいしてやさしいのである

1人で飯を食うのが寂しくて後輩に電話銃弾爆撃して呼び出して馴染みの中華料理屋で奢る代わりに絡み酒するとか、半強制的フットサルチームに誘うとかそういうことはやらかすだろうが、自分の代わりに女をナンパさせるなんてことはやらないと思う。

オチ特にない。

anond:20240122221240

anond:20240125090700

お騒がせして申し訳ありません(お騒がせしたことをお詫び申し上げます

心配をおかけして申し訳ありません(心配をおかけしたことをお詫び申し上げます

これ問題本質に対しては何も謝ってないよな

2024-01-24

anond:20240124195941

自己肯定感流行ったときはまともに人生を歩めば自ずと自己肯定感も上がるのにネット上にあふれる「自己肯定感をアップさせる小技」ばかりに気を取られて人生をおろそかにし続けるバカが量産されただろ

心理的安全性もそういう感じで本質からズレたわけわからん使われ方がされていくに決まっとるわ

まあ雰囲気的に「キモイ」とか「生理的に無理」をオブラートに包んだ罵倒として使われるのがメインになるやろうけどな

松本人志は昔から良くも悪くも尼崎チンピラ風味おじさんで、お笑いの才能だけの人だった。

もちろん学も教養もない。映画面白くなかった。

権威に据えるのは間違いなのだが、お笑いの功績があまりにも大きすぎるせいで周りが祭り上げてしまった。

最近は年のせいかその才能は鈍っていた。

みんなそういうの全部分かった上で見てるんだと思っていた。

TV番組とかでもそういうことをやっているってやや漏れ伝わってくる話だったし、今回の話も事実だと思う。最初から松本が潔白だなんて思ってない。それがトラウマ化して20年も苦しんでいる被害者女性は気の毒なのだが、後輩芸人含めて松本サイドにはやっていることの自覚・ましてや悪意などなかっただろう、というのも分かる。

やはりどこまでいっても、尼崎のチョイ悪の、あの時代おっさんだったのだと思う。

今回一番キモいと思うのは、落ち目になったと見るや否や「空気を読んで」いきなり批評を始める連中なんだよな。

権威相手には絶対に声を上げないくせに。「川に落ちた犬は棒で叩け」の精神だ。

その矮小で卑屈な根性が本当に不愉快

次に悪いのは松本を持ち上げて権威にしてしまった連中。

あのポジションにしてしまたからこそスキャンダルによってダメージ受けるような属性に変わってしまった。

浜田と一緒に外人パンツ盗んでた頃と彼の本質は同じなのに。

anond:20240124023028

ワイヤレス特にTWSは形状上、イヤーピースの軸が短くて本体の作りによっては奥までノズルを押し込まないとならない

また耳穴でバッテリー入りの本体重量を支える形にもなりやすく、有線イヤフォンとはフィッティングが少々異なる

たまたまそのワイヤレスイヤホンが耳の形に合わなかっただけで有線無線本質ではないかもしれないが

その慢性的物理的な圧迫が原因で、頭痛集中力の欠如に繋がることは大いに考えられる

anond:20240124000108

ターン制じゃないとあの複雑なタイプ相性が生きないからなー

パルワールドだってそこはパクってないからバトルはどうせ大味なんでしょ

ポケモン本質クリア後のランクマだよ

本編はおまけ

2024-01-23

お前らの人生小学生の時から更新されてない

魔王』とか『牛乳を注ぐ女』って義務教育で習うはずだけどオタクしか通じないのはなぜ?→そういうことをずっと覚えてて一生擦るのがオタクから、という話

https://togetter.com/li/2299832


>つまりオタク友達との思い出が少なくてそういう授業の面白いと思った部分無駄に覚えてるってこと?…無駄じゃねえよ!(突如興奮する患者


オタク青春時代の思い出を作れないか小学校記憶をやたら鮮明に覚えてる定期


義務教育で習うだろ!?って思って引用とか見たらそもそもそういうの覚えてるのがオタクだけという趣旨ツイートが並んでて膝から崩れ落ちた


ミームしか会話しないオタクコミュニケーション障害ではなくて、単純に会話できるほどのバックボーンがないだけな気がする。哀れな化け物。


>「『山月記』とか『牛乳を注ぐ女』とかシューベルトの『魔王』とか、義務教育でやっているのにオタクしかネタが通じないのはなぜだろう?」「リア充文字通りリアルが充実しているので、家族や友人や恋人との大切な思い出のために脳の記憶容量をたくさん使っているからだよ


オタクアニメ音楽しか聴かなくて何もインプットされないか音楽知識更新されず小学生のまま止まってるだけだと思う


>これは本質情報なのですが、多くのオタクコミュニケーション障害を患っており「面白いワードを言えば会話が面白くなる」と勘違いして文脈無視してこのようなインパクトの強いフレーズを使い続け、オタクしかこのような知識を持っていないと勘違いしてしまうのです。

なぜ任天堂から「パルワールド」が産まれいか

結論から言えば、任天堂の偉い人たちにオンラインゲーム素養がない、もしくは、伝統的価値観への固執

任天堂に限らず多くの日本ゲームメーカーは家庭用ゲーム機ソフト成功してきた。

今でこそ大手も焦ってオンラインゲームを作り始めているが、13年くらい前まではオンラインゲームを作りたい人が就職する会社外資を除けばソシャゲメーカーくらいしかなかった。

プレイヤー目線でみても、13年前の当時、PCでは既にオンラインゲーム成熟しつつあった一方で、コンシューマゲームは相当出遅れていた。

当時、ゲーム制作サークルの作知り合いの何人かゲームメーカー就職していったが、彼らは皆コンシューマゲームに憧れ、それらを再生産したい願望を持っていた。

そうしたある種のエコーチェンバー化しやす環境が、CC2松山さんのプチ炎上発言

https://note.com/wwise/n/ndf5b3d0b161d

可能にさせるわけだ。

未だに「ゲームコンシューマゲーム」という業界なんだなと再認識させてくれる。

当然、そんな人達が集まっているわけだからオンラインゲーム的なものを作ろうって機運にもなりにくい。

なので、第一理由としては、作る人達ゲームに対する趣味嗜好が伝統的な家庭用ゲーム機的なものに偏りがあるだろうという説。





パルワールドというゲームが極めて奇抜なアイデアの組み合わせによってようやく成立するなら、まあ簡単には生み出せなかったよね、と言えるのだが、ポケモンの魅力が何かを理解していればパルワールドに近いものを生み出せる時間はいくらでもあった。

ポケモンの最大の魅力はそのペット性質を持ったキャラクターにあり、この魅力を最大限に引き出すには、「ポケモンと一緒に空間を過ごす」というゲーム体験必然的帰着する。


このことはみんな分かっていて、だからNINTENDO64の時代ですら、『ポケモンスナップ』『ピカチュウげんきでちゅう』など、「ポケモンと一緒に空間を過ごす」体験模索する試みがあった。

それからしばらく、この方向性には大きな進展がなくなった。

まあ当時はまだ技術課題が大きかったから仕方がない。

でも、2010年代に入っても何も動きがなかった。

3D技術オンラインゲーム技術はすでに十分成熟しており、PCゲームでは家庭用ゲーム機に先駆けてオンライン対戦ゲームやよりリッチゲーム体験ができるようになっていた。


ポケモンGOが出てきて、ようやく次の動きが来たかと思えば、これは任天堂が作ったものではなくIPだけ貸しているのだそうだ。


ポケモンユナイトが出来てきたときは、流石に不安になった。

やり方や発想が、没落してゆくスクエニの姿と被っており、嫌な予感を感じさせた。

「今、バトロワ流行ってます。だから弊社の人気IPドラクエと組み合わせれば売れます

「今、MOBA流行ってます。だから弊社の人気IPポケモンと組み合わせれば売れます

こういう安直プレゼンが目に浮かぶ

IPの切り売りが始まってしまたか、というか、それしかやることがないんだ、という残念感。


ポケモンシリーズの方も、最新作でも未だに最大4人の協力プレイしかできないらしい。

なぜたった4人? 発想が通信ケーブル時代から進んでおらず、基本的ゲームオフラインに閉じている。

なぜ普通に、素直に、MMORPG的なオンラインゲームとして作らないのか。

なぜ未だにストーリーのあるゲーム形式に拘るのか。

なぜ未だにコマンドバトル形式踏襲するのかも謎。それって全然ポケモン本質じゃない。

ゲームボーイ時代スペックの制約上あれしかできなかったが、3Dでグリグリアクションができる時代に何をやっているんだろう感。


こんな保守的ポケモンの最新作の出来を見て、誰がこの会社ポケモンアップデートしたいと思うだろうか。

パルワールドの作者も任天堂にいたらしいが、きっとそんな思いで任天堂を去っていったのだろうと勝手想像する。





もしこれが、子どもたちを野蛮なオンラインゲーム世界に染めさせない健全ブランドイメージのために、あえてそうしているんだとしたら任天堂は長期的に終わりだと思う。

ゲーム面白さの追求よりもブランドイメージの守ることを優先する会社が、ゲーム面白さを本気で追求する会社に勝てるわけがない。


知り合いの友達同士だけで遊ばせたいみたいな価値観押し付けをとても感じるのだけれど、ゲームを本気で遊びたい人からするとマジで興ざめする。

仮にも、各家庭の教育方針は様々であるにもかかわらず、任天堂がその上限を勝手に決めてしまっているというこの不愉快さ。

から本気でゲームをやりたい人はPCゲームに逃げる。





ゲームはもはや子供をあやす玩具ではない。玩具という域を超えて、コミュニケーションライフラインになっている人も多い。

にも関わらず、任天堂玩具にとどまり続けようとしている。

そのことを上層部株主理解しているのか。


20年とか40年スパン想像力を働かせてほしいのだけれど、ゲーム上の世界についてどのようにリアリティを感じるか、何を楽しいと思うか、という価値観の長期的トレンド変化について真剣に考えてほしい。

それはある人の言葉を借りれば「コミュニケーションそれ自体目的化する」価値観への変化。

ゲームに限らず、アニメなんかを見ても例えば「けいおん」では、友達がワイワイだらだらと過ごすだけの日常憧憬として消費されている。

これは、コミュニケーションの基盤がリアルからオンラインへ移行し、その分リアルでの人間関係希薄になることの埋め合わせと考えられる。

まり、ある時期からコンテンツ(とその周辺)にはコミュニケーション的な欲求が求められ始めた。

ゲームを楽しみたいという以前に、人々はコミュニケーション欲求ゲームを通じて満たしたいと思うようになってきている。


パルワールドとは、そのような新しい欲望価値観の中で生まれオンラインゲーム体験ベースにある。

からゲームゲーム空間に対するガチ度合いが違うわけ。

ゲームあくまでも玩具と割り切って楽しむのか、それとも、ゲームリアル世界の延長のライフラインの1つとして暮らすのか。


このような価値観の変化を任天堂幹部らのおっさん達が、理屈でなく、体感として、自らの経験に基づいて理解できているのだろうか。

理解できないならそれが分かる若い世代に席を譲れ。

実際、パパ活女子による飲食店汚染問題にどう対処すればいいのか

個人的にこの問題最近深刻化しているように思う


本来都内場所を選んで高めの価格帯の店に行けば「料理がおいしくサービスの質も安定していて客層もそこそこ、かつムードもある」という状況が期待できる

このため、あまり背伸び感は出したくないが大事に扱いたい相手と行きたい店を選ぶときも、価格帯と場所さえ間違わなければそんなに大失敗はしなかった

しかし、最近はこの選び方だと店内が遊び慣れた風の中年男性と明らかなパパ活女子の組み合わせだらけになっていることがある

端的に言えば客質が低下しているのである


「味とサービスムードがいいんだから他の客なんかどうでもいいだろ」と思われる向きもあるかもしれないが、よく考えてみてほしい

例えば、記念日等で店にプレートを用意してもらったとしよう

知らんぷりするまでならまだいい、まともな育ちをしていないパパ活女子こちらを睨んでくる等するため、雰囲気台無しになる

他にも料理をマズそうに食べてみたり、他の客が支払いのときに店に渡したカードをじろじろ見たり、しつけがなってないとしか言いようがない振る舞いをする


一定以上レベルの店では客も店の雰囲気構成する一部になるという、当たり前の認識が共有されていないので、無理もない

勘違いしないでほしいのだが、パパ活女子は何も悪くない

男に金を出してもらうために飲み食いしているだけの田舎女に飲食店でのマナーを期待する方が間違いなので、これはアテンドする側に問われるマナーである


男側が店に対する敬意をそもそも継承しておらず、ただの舞台装置程度にしか捉えていないため、

若さしか取り柄がない下品田舎女をそれなりの店に何も教えず連れてきてしまうようになったというのが問題本質だと思っている


すでに店選びに慣れている、あるいはすでに行きつけの店がある向きも、この問題に対して他人事はいられないのではないか

コロナ禍を経て、飲食店も客を選んではいられない状況がある

失礼なくゲストアテンドする難易度はかなり上がっていると思う


実のところ、予算を前よりも高めに想定し、下調べや準備を入念にする以外ないのかもしれないが、世知辛い世の中である

anond:20240123113234

任天堂には昔から親衛隊がいるんだよ 20年前の俺なら妊信必死過ぎとゲハレスしていたろう」


喜び組ってキモいよね(笑)ポケモンゼルダの辺りは特に

単にゲーム遊んでるだけの暇人オタのくせに「称賛承認」取り付けようとしてるんじゃねぇよ。

その反対行動で自己称賛しようと試みてるのが『パルワールド批判な。

ゲームなんてパクりパクられが普通で、単に「金になった」「社会現象を起こした」から上昇しただけのサブカルチャーなんだぞ。

本質は何一つ変わってない。褒められるような趣味じゃねぇんだよ。

売れたから褒められる。金になるからゲーム会社への就職を親に承認される。それだけだぞ。

増田ポケモントレーナーってポケモンの対戦要素アンチ多いんだな

でもポケモンというゲームが他の追随を許さない良ゲーなのって、

あの、連綿と積み上げられてきたおびただしい量の種族タイプやとくせいや性格や技やもちものやその他諸々を有していることで、

からポケモンって個性的で素敵で、

それによってデザインや立ち居振る舞いの説得力がつよまり魅力となってるわけだが、

 

それって本質的には「ポケモンバトル(対戦要素)」というコンテンツのために備わっているものじゃん。

から多彩な戦略独自戦術が実現可能で、面白いとされているわけじゃん。

からポケモン本質って「ポケモンバトル(対戦要素)」なんだと思うしゲーフリもそういうつもりで開発してるでしょ。

対人用のセッティングをするためのハードルも年々下がってるのは、そういう人口増やしたいから。

 

そもそも論増田で「対戦勢なんてポケモン人口1%未満w」とか言ってバカにしてる人観測するけど、それってランク人口のことでしかないでしょ。

俺もランクマッチは回さないけど、息子甥っ子姪っ子、会社の同僚の子供なんかの接待でも、友人や義兄との遊びでも、オフライン対戦するよ。

身内バトル用のパーティカジュアルマッチで回すことも有るし。

まあ増田やるような陰キャ放課後ポケモン持ち寄って旅パバトルする友達もいなかったかイメージ湧かないか

 

とにかく、ポケモンの本懐は「ポケモンバトル(対戦要素)」なんだってば。

別にポケモンバトルしないやつは下等とは言ってない。図鑑埋めもせずにランクマ回してるやつこそが立派だとも言ってない。

キャラ萌えしていいしストーリーで泣いていいしサンドイッチ作ったりカレー作ったりしてろ。

ただ、トイレで手洗ったり身だしなみ整えても鼻の油拭いてもハゲ隠しても化粧してもいいけど、トイレの本懐はおしっこするところなんだからトイレおしっこしてる人をくさすな。って言いたい。

トイレおしっこしてる人をノイジーマイノリティとか言うな。寝室で寝てるお前の枕元に2人以上で立ってカラオケしてやろうか。うるさいと文句垂れるお前をノイジーマイノリティ扱いしてやるからな。

 

てか、アンチランクマの人に限ってランクマの外にあるタイトル叩いてるイメージ

カブイとかダイパリメイクとか笑

そんなに1%ランクマ勢が嫌いなら、ランクマのためにロムの容量食われてバグだらけになってるタイトルなんかやらずに、ピカブイやってなよ。

しろパルワールドやってろ。

anond:20240123154548

だとしてもArkオタクにウケた理由本質はそこじゃなくない?

anond:20240123153611

いや

俺はそういう立場よりは優れたところにいる

ただし上に立つものとして言うと部下がみな笑顔で働くと「手伝ってくれている」と錯覚してしまときはある

笑顔はお互いの立場本質を見誤らせる

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