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はてなキーワード: ホームドアとは

2021-04-05

anond:20210405132900

ホームドアがなくて微妙に傾斜がかかってる日本の駅は、そもそも車いすを敵とみなしている

職員個人的身体障碍者に冷たいのでなくて、もともと全体の方針なんだろうな

内心はこうだろう

障碍者向けの補助金は受け取るが障碍者など助けません。」

ホームドアのないホームから転落して死んでください」

車いすの人が転落するように微妙に角度を付けました。」

2021-03-30

anond:20210330144038

最初からホームドアを出た左側のスペースで待っていたら降車した男が急に方向転換してきてぶつかられた」て書いてればねえ。

どうしてそう書かなかったんだろうねえ。

2021-03-28

anond:20210328224510

地方に住んでて都市部の状況を知らないとか

ホームドアを描くと人物が隠れるのであえて描かないとか

完全な現代ではなく少し過去時代を描いてるとか

色々な事情がありそう

から出ない漫画家ホームドアを描かない

最近漫画家ちゃん都市部の駅のホーム書くときホームドアを描くんだけど

からろくに出ずに引きこもってる人はホームドア設置状況をよく知らんからろくに描かないんだよな

anond:20210327215910

仮に乗り込もうとせず、ホームドアの横にたたずんでいたとしたら、

から見て右側から出ようとする乗客目視し、私は左寄りのスペースから乗ろうとした。

この意味わからんよね。右から出ようとする人を見てから、わざわざホームドアの反対側に移ったの?いやそのほうがぶつかる原因になるでしょ。

降りる人を待つならどっちで待とうが関係ないし。

突然方向転換して私の右肩に激突。

ここもよくわからんホームドア前で待っていたなら、この男が方向転換してきたのは降車後ということになる。

で、そこから肩に衝突?ずいぶん器用なぶつかり方ですこと。

てかわざとぶつかってきたなら、なんでそんな男のほうがダメージ食らいそうな場所にぶつかるんだよ。

2021-03-27

anond:20210327175320

自称ホームドアの脇にいたはあんまり信用できないんだよなぁ

普段通勤してても脇にいる感出してても内側から見るとドアの内側にいる人多いじゃん

はてな冷笑系クラスタたち一覧

池内さおり氏、駅で男性にぶつかられ「女性差別だ」

https://news.yahoo.co.jp/articles/afa901c655d2cdfb38c83fd1c73638520995e1a4

Yahoo!コメント欄によると「小川たまか」さんという文筆業をやっている方が池内さおりさんに確認をしてる。

小川たまか 認証済み

この件を池内さおりさんに確認しました。

降りようとしている人がいる状況で電車に乗ったと読み取っている人がいますが、そうではなく、ホームドアの横で、邪魔にならない位置に立って待っていたところ降りてきた男性からぶつかられたとのことです。

ツイートの内容からも、自分とは反対側に降りる人がいることを確認していたこと、また男性意図的に方向を変えてぶつかってきたことがわかる内容です。

また、2018年頃には新宿駅でわざと女性ばかりを狙ってぶつかっていく男性の様子が動画で記録され、報道されました。このような体験をしたという女性の声も多いことから池内さんは「女性差別」という表現を使ったのではないでしょうか。

日刊スポーツ池内さんに状況確認をしないまま記事を書き、わざと反発を煽るような書き振りをしているとコメント欄ツイッターの状況などを見て感じました。

まり、「降りるのを待たずに乗ったためぶつかった」という認識は見当違い。

少ない情報から被害者側に落ち度があったはず」という妄想を抱き、一方的被害者を叩く。なぜこんなことが起きるのだろうか。

被害者はなぜ”追撃”される? 冷笑系クラスタの仕組み

https://note.com/onoholiday/n/nd3c00bf00b7f

以下ははてブコメント欄抜粋

スター付けた人間も数えれば、この「冷笑系クラスタ」という人々がそこかしこ蔓延していることは窺い知れる。

「何も批判するな」とは言わないが、それは事実によって行われるべき。

ertg4535 電車は降りる人が先、降りるのを待たずに乗ろうとしたからでしょ、方向転換ーってのは思い込み

https://b.hatena.ne.jp/entry/4700383839712621282/comment/ertg4535

hatebutabooboo 降りる人より先に乗ろうとするおじさんおばさんは多いよな。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4700383839712621282/comment/hatebutabooboo

sgo2 降り切るのを待たずに動いてる様に読めるし、最近は乗る方は正面に列を作って、降りる方が左右に散開するのが主流と聞くので、この方の挙動問題有りそうな気が。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4700383839712621282/comment/sgo2

frothmouth “わざとなのかどうか、このツイートからは分かりませんが、電車の乗降については「降りる人が先」ですので、ご自身の行動について見直すのが先ではないでしょうか。”

https://b.hatena.ne.jp/entry/4700383839712621282/comment/frothmouth

metalmax エスカレーターの右側が開いてたので駆け上ろうとしたら急に右に移動されたのでぶつかった、わざとにちがいない。みたいな話に見える。人を批判したいなら自分がやましいことをしてない時にしたほうがいい。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4700383839712621282/comment/metalmax

hyunjong なんで男女差別問題になるんだ。これは電車マナー問題でしょう

https://b.hatena.ne.jp/entry/4700383839712621282/comment/hyunjong

mutinomuti 二人しか降りる人いなかったのに待てなかったの?(´・_・`)エスカレーター駆け上がったり駆け下りたりする人?/相手の話聞かないの元議員としてどうなの/順に降りるより並んで降りた方が普通に効率的じゃない?

https://b.hatena.ne.jp/entry/4700383839712621282/comment/mutinomuti

2021-02-17

ホームドアを設置したら鉄道写真家を一掃できそう

車いすごと転落して自殺してしま事故も無くせる

2021-02-11

続々:45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

匿名自分ログを世の中に浮遊させ、そして拾って頂けるのは楽しかったです。

長く続けるとバカなので何処かで絶対にボロが出る。なのに書きたくなってしまった。

投稿です。きちんと上がらなかったように見えたので、消してしまって、もうええかと思ってしまったのだけど、

たかったというコメントを見て、少し修正して上げることにしました。こんな駄文ありがとう

45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

https://anond.hatelabo.jp/20210130001953

続:45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

https://anond.hatelabo.jp/20210131035752

これらの続きです。

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前回のエントリでずっと4GBのメモリとともに作業していたと書いたが4GB以下が正しい。

最初現場は128MBだった。あと、盾を鉾と書いていた。この誤字脱字と誤用の多さで私のプログラマとしての質の低さもなんとなく察して頂けるだろう。

結婚した話◯

何故か結婚の話が書かれていないという書き込みが幾つかあったので結婚の話から

30歳を越えてから趣味が充実していた事もあって周囲には煩く言われるものの、結婚を考える事はあまりなかったし、結婚分岐に入ることが必ずしも幸福につながる選択肢とは限らないと考えていた。

この考えは今も変わらないが私は運良く幸福につながるほうへ入ったようだ。すまんな。

何せ30歳を越えてからは同じ趣味おっさんの友人たちと焼き鳥屋であーだこーだいいながら企画を練り、イベントを立てたりするのが楽しくて仕方がなかった。

20代があまりにも労働をしすぎた。22歳から28歳までの6年間、年俸制なので一円残業代が出ないのに月300時間勤務を2年半はやったと思う。最初のうちはISDN接続テレホタイムでのネトゲ自分ゴールデンタイムであり、息抜き時間だった。

時代が今なら渋谷凛か風野灯織に貢いでいたことだろう。長い労働時間人生搾取だ。

嫁は異業種の人で、友人のボカロPファンだった。彼のライブに通ううちに顔なじみになり、少しだけ会話をするようになった。

ある時行ったライブが月曜夜の開催ということもあって若い人が多く、ライブハウスの中でスーツを着た客が私と嫁しか居なかったので思い切って「今日スーツ、我々だけですね」と話しかけ、そこから色々な話をしたのを覚えている。いやらしい。

ボカロPライブでの出会い、つまり私が結婚出来たのは初音ミクさんのおかげだ。

30歳になったあたりからようやくIT業界に過残業を何とかしようという機運がやってきた事、そして定時で上がる精神的な胆力がついた事で音楽を作る時間精神的な余裕が出来、人との交流が生まれライブに行く機会が出来たから私のような人間でも結婚出来たのかもしれない。しらんけど。

国勢調査によると35歳を過ぎてから結婚した男性は約3%らしい。私は一生分の運をこれで使った。(正しくは6.8%だと何処かの教授が言っていたが)

自分が居た現場の雑感だと、同じシステム開発現場でも大手SI大手SI子会社のほうが結婚している人が多かったように思う。多重派遣はやはり収入面で結婚に対してネガティブ意見を聞くことも少なくは無かった。

若い頃は親にも親戚にも「そろそろ結婚も考えないといけないだろうから派遣社員辞めないとね」と言われたことを思い出した。SES増田は一度は言われたことがあるだろう。

世間一般的には技術職というイメージよりも派遣社員というメージが強く、収入面も相まって世の中の反応厳しい。

一般派遣請負資本金

普通一般派遣請負派遣の人が混在している現場が多いと思うが、前者は1人でも派遣が出来、上位会社現場リーダーが直接指示をすることが出来るので最近はその方が多いように思う。

ところが、一般派遣会社として登録するには資本金が多くないとダメで、派遣法が改正されたあたりで資本金が少ない会社請負の道を選ぶしかない。

そうすると複数人現場に行き、自社のリーダー仕事の指示をされる形になる。ただ、コレは守られていない現場が多い。

さらに、大手大手子会社取引を直接行うのにも資本金の大きさ・設立してから何年等の条件があったりもする。

資本が少ない会社資本金の多い「別な会社を迂回して」契約する。そこに多重派遣ができる仕組みの1つがある。上位請負営業が◯◯社経由しろという場合利権癒着場合もあるのだろう。

勿論お願いしやす会社という場合もあると思うが。

新人教育を受けれなかった話◯

新人の時、パワハラ教育担当に私が毎日何度も怒鳴られているのが流石にプロジェクト内で目に余るようになったらしく、私はドキュメント整理という新たな仕事を貰う事になる。

炎上プロジェクトの為、全く作られて無かったクラス図をソースからRational Roseで自動生成し、体裁を整えて他の設計書も含め印刷をした。同じものを2部作るのだが、何故か同一性保持という理由で一部はコピー制作。分厚いバインダーに綴じた。

印刷コピーで休憩もせず毎日終電生活をしていた時、PMに「広島の二番バッターみたいだなおまえ」と言われたのを覚えている。コツコツやるけど面白みがない人間だと言われたのだ。

要領の悪い私に休憩のタイミングなんて解らなかった。ましてやパワハラマンに使えないと毎日散々どやされ続けた後なので尚更である

その経験から私は同じプロジェクトに居る若手に「そろそろ1回休んだら?」「いつまで働いているの?増田がそろそろ帰れって言ったって言ってもいいよ」となるべく声をかけるようにしていた。モテそう(モテなかった)

この時、たまたま席が空いているという理由で隣に座っていた方が、のちに難易度が高い事で有名な銀行統合現場の某SIトップになっていた。プロジェクト雰囲気は良くなかったが、いつもにこやかで私のような末端にも優しかったのを覚えている。出来る人は余裕がある。

印刷業務が終わった後、入社してからずっとテストだけをやらされていた1年上の先輩のアベさんと、とうとうプログラム修行に出してもらえる事になった。

新規開発のプロジェクトであるプログラムも一杯書けてラッキーなのではと思っていたのだが、自社の人間はアベさんと私だけで、あとは上位会社PMと、更なる下請け構成されていた。

現場リーダー下請けの人で、この人が私とアベさんの教育係という事になった。

自社の営業初日に来て「この子よろしくね」とリーダーに伝えた所、「任せてください!」と良い返事をしていたが、自社営業が居なくなった翌日から面白いくらい態度が一変することになる。

何を聞いても露骨悪態をつき教えてくれず、技術的な質問も一切受け付けない。

流石にアベさんと自社の営業に伝えたのだが、翌日朝私のところにやってきて「チクったな」「自社の人間でも無いお前らに教える余裕はない」と言われてしまうだけで特に事態改善はされなかった。パワハラ上司の次はこれだ。駅のホームドア大事なので全駅に付けて欲しい。

救われたのはインターネットが使える現場だった事だ。とはいえ、なんせソースレビューも私とアベさんで互に行うので、技術的な進歩がまるで無い。

ある時、私が書いたプログラムメモリを使いすぎてフリーズするようになり、問題になってしまった。他にも技術的に問題のあるプログラムを書いてしまった事が続いたのと、リーダーに対してハッキリとモノを言うことも災いし、PM判断半年プロジェクトを出ることになってしまった。

2つ目の現場で早速クビを経験した。

もっとうまく立ち回る事も出来たように思う。しかし、若造人生経験値が足りなかった。

多重派遣の大きな問題として、現場ガチャにより環境が大きく変わるというのがあるだろう。2~3年も我慢すれば大抵の場合次の現場に行けるのかもしれないが、短い人生の2~3年は少ない数字ではない。

請負ではなく一般派遣扱いで来る技術者の中には新人なのに1人で派遣されてくる人も多い。そんなのは新人教育とは言えないと思うのだが、どこの会社募集要項にも新人教育バッチリと書いてある。

その「新人教育」とやらの実態というのは大抵の場合、外部で行われる初心者研修と、自社の営業が「この子よろしくね」と現場に伝える程度の事でしかない。

社会人としての新生活での不安技術的な不安、誰が教えてくれるのかも解らない不安、定時になっても誰も帰らない・帰って良いとも言われない、作ったもの品質不安、数多くの不安を抱えて過ごさなければならない。ちゃん相談出来る人も現場に居ないのである

技術的な所は勿論、精神的なケア必要な時期だと思うのだが、このような体験20代前半でしないといけないのはどうも無駄な苦労をしているようにしか私には思えない。

インターネットさえあれば、プログラムは書くことが出来る。

ただ、新人が伸びる為に必要なのは経験者によるソースレビューによる指摘」が必要不可欠だと私は思う。レビューを先輩・上司が行い、新人が書いたコード信頼性担保が出来ないと、余計なバグを生み、可読性・メンテナンス性も落ちるだろう。

なによりバグを出してリーダーPM顧客に「こいつ大丈夫か?」と思われるストレスの大きさと自信喪失感は長く忘れられない。

余談だが、最初教育担当パワハラ先輩とはその後別な現場で一緒になった。しかも彼は会社倒産後、上位請の会社転職していたので私に仕事を振る立場として現れたのだ。全く知らなかったので顔を見た時は「ヤバい現場に来た」と焦ったのだが、「あの時は俺の頭がどうかしていた。申し訳ない」とまず謝られてしまった。驚くほど柔和な性格になっていて棘が全て抜け落ちていた。その後一緒のプロジェクトの間はたまに昼飯を一緒に行くまでになった。

約1年一緒に働いたが一度もドヤられる事は無かった。許せるか許せないかは別として、パワハラをするほうにも何かしらの事情や背景があるのだなと一つ学んだ。

派遣会社の自社忘年会

社会人1年目の忘年会ゲイショーパブ観劇だった。そこでアベさんはダウンタウン浜田高校(全寮制男子校)の同級生というママに唇を「むちゅーーー!!」と音が聞こえるような熱烈な口づけをされ、人生ファーストキスを奪われていた。私は隣でただ震えるしかなかった。

二次会は無く、特に他の社員との交流も無く忘年会解散

知人もなく上京してきた為、他の社員交流する帰社日をそこそこ楽しみにしていた私は怒りのあまり社内報若気の至りで”ボロクソ”に書いた所、社長の目にとまり、翌年から忘年会幹事を任されることになってしまった。なにせショーパブ観劇社長要望だったのだ。

そして、普通居酒屋特に弾まない会話をして終了をする忘年会を2年繰り返した。

自社の忘年会を面倒に思うベテラン社員は多く、各現場電話で来てくださいねと念を押して来て貰ったのに参加者全然楽しそうではないのだ。

普段それぞれが別の現場に居る人なのでそれほど同僚感も無く、特に仲も良い訳でもないので会話が弾まないためだ。良かれと思って2時間飲み放題にしたが、本当に盛り上がらない。

「なるほど、これで会話をしなくて良いイベント(且つ社長趣味)がブッキングされたのか・・・」と理解した。

その経験があり、”自社”に缶ビール等の各種アルコールノンアルコール飲料テイクアウト料理を用意し、16時開始、17から随時帰りたい人は帰る。という方式に変えた所、立食(椅子も勿論ある)で仲の良い人の所に居て彼らとだけ話すことも出来るし、色々な人と交流することも可能になった。時間が短いために会話のネタに困ら無い事も功を奏し、思った以上に盛り上がる事が出来た。

子供が出来た今ようやく思うに至ったが、子育て世代も延長保育やパートナーにお願いすることもなく早めに帰れて良かったはず。殆ど17から続々と退社していたが、以前は無かった有志の二次会組もいくつかあったようだ。参加者にも総務部長にも「毎年これで良いね」と言われ、ほっとしたのを覚えている。

何が正解かは解らないが、業務時間内で終わる自社での短い時間立ち飲み椅子席あり)は好評だったので、幹事をやらされがちなSES増田は参考になれば良いなと思う。

理不尽アイデアにブチ切れる〇

基盤まわりの仕事をしていた時、あまりにもプロジェクトメモリ初期化漏れが頻発して問題となり、プロジェクトのお偉いさんが捻り出したアイデアが「”物理メモリ全部を定期的に端から終端まで0で埋める」というものだった。

そしてそれをどう実現するか?という会議に呼ばれたのだ。

指を使い「物理メモリを”端から””端まで”全部、プログラムが動かない時間に定期的に一回ゼロで埋めればいいじゃない?」との説明があった。

これは良いアイデアだとご満悦の上役と、違和感を覚えない他のベテラン参加者達。

「まず、仮にこれが実現出来たとして、サーバーが立ち上がった時点でOSやミドルメモリを利用していますが、どうしますか?OSもミドルも当然落ちます。」

メモリですが、皆さんが普段変数宣言mallocで受け取っているメモリの番地ですが、全て仮想メモリアドレスなのはご存知ですか?」

「我々のような庶民は直接物理メモリアドレスに仕組み上アクセス出来ません」

物理メモリアクセスするにはカーネルプログラミング必要になります

メモリにはユーザープログラミングで触れる事が出来る層と、カーネル層という仕切り、さら仮想メモリ物理メモリという仕切りがある為に、堅牢性を保持している云々」

ここまで伝えても皆ピンときていない。文章にすればまだ解るが所為オタク早口説明なので当然、私の話術にも大いに問題はある。

もしかして自分が間違っているのか?このままだと私がこの対応をやらされる羽目になる。

私は交渉事でうまく立ち回れる技を持っては居なかった。なので、最後の手段に出た。

「だからこんな方法は絶っっ対 実現できないんですよ!!!」と突然のブチギレ。いや、出来るのかもしれんけど。

一同ポカーン。突然のメガンテを使った私に皆パルプンテ状態になり、

増田がココまで言うのなら出来ないんだろう」という事になった。

MPHPと色々なものを失い、平和を保つことが出来た。

正直、高い技術必要ない汎用的なシステムの開発現場のなんてこんなものだ。AWSGitHubも触ったことのない私があえていおう。

最初エントリーに業務時間内に勉強させろと書いたが、目的が無ければおそらく時間があっても、「私は完全に仕事をしています」という顔をしながらvi青空文庫アマチュア小説を読んでいた時間の方が長かったのではないかと思う。

今であればダメ理由説明しますので、別途時間を頂けますか?くらいは言えるはず。若さである40歳位の頃の話だが。

次回、起業の話で終わろうと思います

2021-01-30

45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

45歳多重派遣と言っても、噂のGitHubの人ではない。すまんな。。

皆さんはプロジェクトの共有ディレクトリの最下層に”女子大生”という何もないファイルを作ってアクセスログをとっていたのがバレて怒られた事はあるか?私はある。2回。

人は暇なとき、意外とディレクトリをめぐる旅をするものだ。

仕事でとうとうGitHubすら使わずプログラマ人生を終えてしまった。

レガシー技術を使いがちな金融プログラマではそこそこ居るのでは無いだろうか。

年収20代後半からは550万~700万位だった。残業代退職金は無く交通費は出ない。

所属会社営業事務も居ない小さな所帯のフリーの集まりのような所で、会社運営必要金額をある程度毎月納めれば良い会社だった。

仕事がなくなれば自分、もしくは他社員の人脈で仕事をとってくる。フリーで居るよりは仕事を取りやすく、単価も上げやすいので一応会社所属にしているだけの所だった。

私はやる気が無いプログラマだった。オフ時間プログラム勉強したことなんて殆どないが30歳、35歳の限界説を越え、45歳まで働けた。

ニート高卒45歳。多重派遣底辺プログラマ退職エントリ

はてなIT技術者諸氏はオフの日にも日々勉強をしているようで。

好きなんですね。この業界が。日本ITは今後も安泰だ。

◯◯出来る人が居ないか?と聞き回る営業を見ていると多重派遣SESとはいえ業務時間内に勉強させろと私は思う。

技術勉強の話になると途端に何プペる?のような、仕事の為の無給勉強時間当たり前のように語られる事がやる気の無い私にはついぞ理解することが出来なかった。

足に鎖でもついてるのかね。私と一緒だね。

45歳で年収300万円多重派遣の彼は問題児なのかもしれないが、私よりはやる気があるプログラマなのではないかと思う。

退職までずっとプログラムを書き、テストをしていた。たまに客に直接要望を聴いて、仕様書に落とすこともした。

C/C++Java・各種Shell・VB/VBA・SQLUNIX/LinuxWindowsサーバーをなんとなーくしていて、他の人が書いたプログラムを流用しまくって書いていた。

苦手なのはプログラムより仕様理解だった。

ざっくりな話になるが、私より出来る人はわんさか居て、私より出来ない人・問題児が2割は居た。後者の彼らのおかげで私は仕事があったのだ。あと、東京からあったのだ。

人並以上の理解をしていたのはLinux構造くらい。仕事カーネル層に潜り込み、デバイスドライバの改造をしなくてはならず、月350時間くらい働いているうちに身についたものだ。年俸制という糞システムのおかげで1円も残業代は出なかったが。

全く知らない技術が使われている新しい現場に上位プロパー会社営業に売りに出されることはままあった。

現場の人にさも「解ってます!」みたいな面で面接をし、何とか切り抜けることは出来た。このときばかりはいやいやながら上辺だけを勉強した。無給でな。

解っている事でも残業が沢山降ってきそうな場合は「ちょっと私には難しいですね・・・」「いやー、解らないですね。。」と出来ない振りをする度量もついていた。

仕事は”出来る(都合の良い)いい人”に回ってくるし、仕事をしてもめったに単価を上げてくれなし、切られる時は切られる。

30歳を越えたあたりから必要な時は定時丁度に上がる精神的な技術も身についた。

それと同時にここ10~15年はブラックIT業界でもようやく過残業を減らそうという機運が増えてきたように思う。

ライブイベントにも足を運べるようになり、推し投資が出来るようになった。

おそらくまだ10年はプログラマとしてなんとなく生活出来たのだろうと思う。

あいつ、そこまで出来はしないけれど居ないと困ることもあるんだよなぁ」位のポジションで。

あるいはもう少しやる気を出し、転職をし、上位層で働くことも出来たのかもしれない。

でも急に仕事がつまらなくなったのだ。だから辞めた。

最後になったプロジェクトのこと。

リーダーが毎朝9時に朝会を開き、進捗を聴く

・そしてその日、”1人日”以上の仕事が割り振られる。残業しても終わらない

・翌朝で何故おわっていないのか?を問い詰められる

仕事タスク割り振りが多すぎて終える事は出来ないとお伝えしましたが?と反論

・その状況で、空いている時間にやっておいてくれと新たなタスクが振られる

・空いている時間とは?と聴いてみるが、コンパイルしている1分の時間に少しづつといわれ、そんなの出来るわけ無いですよね?。どこに空いている時間があるか教えて下さい。

と、毎朝そんな問答を繰り返していた。

今までは流していたこの程度のパワハラが嫌になった。

改善をする気もおきなかった。早く次の現場に行きたいなという事ばかり考えていた。

そして気づいた。この仕事にようやく私は飽きたのだと。

子供も数年前に生まれ子供が成人するまでこの仕事をするのも耐えられないと。

そんな時に副業のほうを本業にする決意をした。会社を辞め、起業をした。

今は全く別業種の業界で働いている。この先うまくいくかは良くわからない。

3次請け、4次請けの会社に居たので理不尽パワハラには事欠かなかった。

理不尽の例1)

まだ若手の時、鉄砲玉として使われた事があった。

セキュリティがゆるゆるだった20年以上前の話である

TVCMもよく見る有名システムとある現場

フロッピーを本番端末のあるセンターに密かに持ち込み、定例メンテナンスの振りをしてシステムを黙って更新するという密命が若手の私と、他社の派遣PG新人のK君に与えられた。何度も。

かばんの奥にフロッピーを隠し、かばん持ち込み検査検査員にばれないようにし、潜り込む。メンテナンス用の作業ID使用して黙ってシステム更新するというのを繰り返し行った。

今考えると下手すると裁判沙汰なんじゃないだろうか。しかも見つかったら責任を取らされるという。

ある時、K君が想像以上にアホだった事で事件もおきた。

テンパった彼は入館証ではなく、隠していたフロッピー検査員に見せつけたのだ。

だが、早朝ということもあり、検査員がほぼ寝ていたので問題なく通れてしまった。

今思うとあの時は首の皮一枚で大丈夫だったんだなと。

理不尽の例2)

大手家電メーカー工場仕事をした時、プログラム仕事なのに作業服をまず”自費”で買わされた。作業服いらねえだろう。

工場内にある窓の無いプレハブ小屋が開発現場だった。人権が無ぇ。ファーウェイ工場にはヨーロッパの街並みが再現されているらしいが。

この現場は電機メーカーIT子会社D社からE社に投げられ、部屋に私以外だと窓際管理職のD社社員1人とE社の人間しか居なかった。

何故、E社の人間の中に私1人だけ他社の開発要員が入るのか?

入ってすぐに理解した。担当するシステムが1人だけで長く開発していたシステムで、スパゲティすぎて破綻しかけているのだ。

これを開発し続けられればヨシ、破綻したら私の(会社の)せいということにしたいのだ。

入って1週間で営業にコレはダメだと、早く抜けさせてくれと直訴した。

結局抜けるのに4ヶ月かかったが、その間、本当に酷い日々だった。

さな改修が多く、納期は1週間か2週間毎にやってくる。だが仕様を投げるD社の人が鬱で会社にあまり来ない。他のD社の人に聴いても何も解らないという。

1週間の仕事金曜日納品なのに、木曜日夕方に2日酔でやってきた担当者に仕様を聞き出し、金曜日に意地で納品するも、気に入らないところがあったらしく「前担当者よりスキルが低いですね~」と言い放たれた。精神の苦行だろうか。

私の抜けた後、E社の別な人間担当するも無事破綻しかけているという話は後ほど聞いた。自分スキルでは本当にギリギリだった。危なかった。

パワハラ1)

高校卒業後はニートだった。猫と母としか会話をしない2年を過ごした。

その後、大手新聞社オペレーター派遣会社が共同で作っていた文科省認定ではなく定期の学割も効かない街のパソコンスクールに通った。

教師は二種(基本情報)も持っておらず、業界歴は1年だけで環境変数理解していなかった。

その学校で多重派遣という底辺で生きる技術者の卵に他の20名と一緒になった。

文科省認定専門学校情報処理科では少しマトモに勉強すれば大手SIer商社の子会社の「何ちゃらソリューション」に入れる事も多い。

アホの一つ覚えのように大手の子会社は「何ちゃらソリューション」なので、「何ちゃらソリューション」というIT会社を見たらセンスの良い経営者が名付けた何処か大手の子会社だと思って差し支えない。あとイノベーションとかな。イノベータとかな。

就職氷河期の真っ最中地方中核都市就職をしたのだが、入社直前に東京勤務になった。

会社からは15万円の引っ越し資金けが支給された。氷河期の3月に転職は出来なかった。

親に敷金礼金4ヶ月分を負担してもらい、親父に秋葉原石丸電気家財一式を買って貰った。

SES企業はまず新人教育の当たりハズレががある。ハズレのほうが多い。

派遣法の隙間をついて、たぅった1人で新人派遣されてくる事も多い。彼らの大体は苦労を強いられている。

私は運良く同じ会社の人が沢山居る現場に入ったのだが、教育担当想像を絶するパワハラマンだった。とにかくどんなことにもキレる。

ある日個室に呼び出され「お前は田舎に帰って缶詰工場で働け。なるべく頭の働かなくて良い仕事を選んでくれ。業界にいると迷惑だ」と言われてしまった。

親に学校に通わせて貰い、引っ越し代も払ってもらったのに使い物にならないと言われたとき絶望感は大きかった。

地下鉄ホームに入ってきた時、ホーム下にふと吸い込まれて行きそうになり、寸前でハッとなり鼻先を電車がかすめていった。

知らないおばちゃんに「しっかりして!」と怒られた。都会の人も優しい。

あと、駅のホームドアは大事だ。全駅につけてくれ。

それ以降、他社でも新人には丁寧に接している。私はまだ恵まれていた方なのかもしれない。

パワハラ2)

とある家電の開発ツール担当していた時だった。

その家電TronからLinuxOSが切り替わり、開発・コンパイル用のソフトウェアシミュレーター新規開発となった。

Linuxカーネルプログラミング必要となり、日本語の文献もインターネット上の文献も少なく、オライリー洋書現在日本語版もある)を取り寄せて読まざるを得ない状況だった。

英語は全く出来ない&私が作るとなると当然開発は遅れた。

私はカーネルプログラミングなんて当時はしたことが無かったし、集められた人員Linux上でC言語仕事したことがある。くらいの人員が集められたのだ。

単価が安い人しか使ってはいけないというルール運用されていたらしい。

開発ツールの開発の遅れはプロジェクト全体の遅延に繋がった。

苛立った家電メーカーの”部長”が私を広いフロア大人数の前でこう叱った。

「こいつ全然解ってないじゃないか!!」「なんでこんなのにやらせているんだ!!」

中国出張で散々おねーちゃんを買った自慢をしていた糞みたいな人間に罵られるのである

月単価55万で350時間働かされ、残業代は1円も出ずである。誰もフォローをしてくれなかった。

徹夜が3日目に突入した午前3時、役職付きが私のPCの後ろで「まだ出来ないのか?」と15分おきにやってくる。

何とか完成はさせた。恐ろしいことに若かった当時は満足感をそれなりに得ていた。

精神的に色々と凹んでいた時に励ましてくれたのは中国人の同じ派遣の人だった。

大卒の育ちの良い中国派遣技術者が沢山居たが、彼らは本当に性格がまっすぐだ。彼らが私の中国感を大分良くしてくれた。

(ずっとメッセンジャーばかりやっている連中もいたが)

彼らのような有益人材が来てくれる時代があと何年あるのだろうか。

余談だが、この糞忙しい間に所属会社がいきなり倒産した。

私は所属未定のまま倒産した次の日も、土日も何故か働いていた。

自分が働かないと他の人が倒れてしまうと当時は考えていたし、ようやく仕事が出来るようになって謎のやりがいを感じていた。

そして、翌週、中間会社から流石に所属未定はマズイのでフリーとして契約しましょうと言われたのだが、単価の話なんて当時若造だった私には解らないのである

結局、300時間以上働く中、残業代無しの45万円固定と言われるまま契約をしたのだが、

当時の私には多い金額に思えていたものの、都内フリー技術者としては当然低すぎる金額であった。

忙しい中、アドバイスを貰う余裕もなく、無知のために中間会社の狸親父に低い金額契約させられたのだった。

みなさんは自分の単価くらいは知っておいたほうが良い。

賢い同じ会社の同僚は失業手当で半年遊んだか、会社契約と同じ単価でフリーとして契約していた。

余談その2、当時なんとなく興味を惹かれて当時流行っていた日本礼賛本を読んでみた。

国産OStron携帯電話世界を席巻!!みたいな事が書いてあったが、その本が出ていた頃、携帯電話OSLinuxSymbianで締められていたのを知っていたので興味深く読んだのを覚えている。

他にも

「1次請けが私の単価を上げてくれても中間会社搾取し、私には全く反映されない話」

野田ドモホルンリンクルバイトのように円高注視し続けた時、円高オフショアブームで単価が2年で2回減った話」

中間会社オフショア開発の失敗の後始末を手伝って欲しいと言われ、現場インフルで倒れた振りをして休んだ話」

「5000円の著作権フリー音源システム使用するのに数百万かかった話」

メモリ枯渇エラーが頻発したのに数百万以上のコストをかけて打ち合わせをする虚無の話」

メモリ初期化エラーが頻発した時に、解決方法としてとんでもない方法提示され、阻止した話」

「15万円のPCが60万円で導入される仕組み」

入社初年度の忘年会の一次会が新宿の有名なゲイショーパブで、他の社員と会話も無く終わった話」

無呼吸症候群で猛烈な睡魔との戦い、現場で怒られるようになり、睡眠薬生活リズムを取り返した話」

同人活動職場にバレて地獄を見た話」

大手会社コンプライアンス啓蒙画像著作権違反を発見した話」

「キレる、人前でイライラする人とは働きたくない話」

「某銀行の開発子会社美人率が高い・銀行員の婚姻率の格差社会の話」

などなど考えていたが長くなったので終わり。

多重派遣先は色々なキャリアの人が多い。元ホスト、元キャバ嬢もいれば元医師中国人、元アニメ会社勤務、元美容師、元寿司職人等の転職組も多い。

以前いたプロジェクトの有名SI企業PMSES上がりの元寿司職人だった。

SES就職の壁が低い。そこを足掛けとして転職し、さらなる転職大手大手子会社転職するのは悪くないキャリアプランの一つなのかもしれない。

SES会社玉石混交なのでまずは良いSES会社に入るのは大事だし、多重派遣改善されてほしいが。

何が書きたかったのか忘れたし飽きた。

業界からやる気の無い45歳が1人減り、業界は少し平和になった。

追記:続編を書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20210131035752

2021-01-11

うつ病になった備忘録自分語り

コロナ日本にも上陸しだして職場営業時間をどうするか、上司たちが話し合っているころ。3月

自分の体がある日ベッドから動かなくなってしまった。

まさに無気力で、スマートフォンを手に持つの億劫

抗うつ剤として薬を処方された丁度1週間後のことだった。

仰向けになっていると苦しく、うつ伏せで胸を圧迫すると逆に安心感が出てくるので日中はずっとうつ伏せだった。

流石にトイレに行くときはベッドから起き上がることができたが、用を足したらすぐさままたベッドに潜り込んだ。

11月頃には正直うつっぽいなとは思っていた。

夜泣きはひどいし、座っているよりも横になっている方が楽だった。

見知らぬ誰かが駅のホーム自分を突き落としてくれないかなと考えることも多かった。

でもそこまで深く考えておらず、食欲もまぁまぁあったし働きすぎて疲れてるのかなと思っている程度だった。

年が明けて2月末。どうしても死にたくてツイッター自殺を募る投稿リプライを送ってみたり、ホームドアの無い駅のベンチでぼーっとしていた。

死にたかったが、死ぬためのエネルギーがどうしても足りない。体はだるく、胸に見えない何かがつかえていて苦しい。無気力自分身の回りのことがすべてどうでもよかった。

職場の先輩が自分の好きなゲーム話題を振ってくれてもどうでもよかったし、上司ジョークもクソどうでもよかった。

全部に曖昧な返事をして仕事のやらなきゃいけない事だけ淡々とこなしていた。

死ぬためのエネルギーが足りないならある程度このだるさや息苦しさを取り除かなければいけない。

実際には見えないけれど、粘度の高い黒いオイルのようなものが胸からずっと流れているし、うっとおしい。

そこで死ぬためのエネルギーだけでも確保するために心療内科へ行った。

結構度合いがひどいので入院してほしいのですが…」

心療内科若いお兄さん先生心配そうにこちらを伺う。

入院となるとお金はかかるし、職場もひっ迫していてあまり休める状態にないから「入院ちょっと…」と困って見せた。

抗うつ剤をもらった。1週間ほどで効果が出るのでそれまで辛抱して飲んでみてくださいとのことだった。

そうしてその1週間後、自分の体は全く動かなくなってしまった。

職場には「体の調子が悪いのでお休みさせてください」と連絡した。体調が悪いという言い方は何となく合わない気がしたから。

上司たちはその場ですぐ1週間の休みをくれた。曰く

12月から声がすごく小さくなったし、あまり笑わなくなっていたか心配していた。ゆっくり休んで」

とのことだった。有給もいっぱい残っているし、1週間有給を使って休みを消化した。

丁度コロナで来客も少ないため、職場は大して問題がなかったのが救いだった。

抗うつ剤効果は凄まじく、胸から流れていた見えないオイルは量が減り、ゆっくりと体が動くようになった。

気分の落ち込みはだいぶ解消され、「今どうしても死にたいから「まぁ不慮の事故死ねたらいいな」くらいまで軽くなった。

抗うつ剤副作用で眠くなるというのもあるが、気分がそこまで落ち込まなくなったので睡眠もまぁまぁとれるようになった。

休み明けの出勤、上司たちに心配されながらも以前より声がしっかり出るようになった自分を見て安堵の表情を見せた。

本当に安堵の表情だった。みんな心配していくれていた。

コロナ営業自粛をするも、逆にコロナ渦で多忙になった部署の手伝いなどで毎日出勤はしていた。

4月5月頃はそれぞれ毎月3日ほど休んだ。6月には1回。7月8月にもなると容体が安定して毎日出勤できるようになった。

9月頃になると気圧の変動が大きくなったのを体感するようになる。

今まで気圧の変化で頭痛だるい等感じたことなかった体の調子が気圧によって左右されるようになった。

気圧が落ちてくると息苦しく、じわりと胸からオイルが垂れてくる。

横になっている方が楽だった。

心療内科先生曰く、今まで気圧に左右されなかった人も、うつ病になるとバロメーターとして気圧によって調子が変わる体質になる人が多いそうだ。

うつっぽいなと感じ始めてから1年後の2020年11月

まり関わりのない職場の人から嫌がらせを受けてまた調子が落ち込む。

うつになる前よりストレス耐性がなくなっていることも実感した。

ついでに、嫌がらせ相談した先輩からは「増田の愛想の良さが原因じゃない?w」というような

セカンドレイプまで受けて体は完全に沈黙。またうつ伏せに寝たきりが始まった。

飲み続けていた薬を少し増やしてもらいながら、今もまたうつ病とゆっくりじっくり向き合ってる。

2020-12-07

anond:20201206222658

JR東日本中央線飛び込み多いっていうのは有名な話だが、

その原因として

ホームドアがない

・直線でスピードが出やす

首都圏随一の霊山高尾山から東京まで真っすぐに結ぶ路線で、(車体に使われている?)鉄は霊気をまといやすく、ヒーリング効果がある。それによって、どちらかというとナチュラルハイ状態になってしまい、踏み切ってしま

っていうのを以前見かけて、確かに中央線沿線って独特の空気感あるもんね、と納得してしまった元沿線住民です。

この3番目の理由は、嘘かほんとか知らんけど、増田が指摘していた”「晴れの日」の危険性(心理的障壁を取り払ってしまう)”と似てるかなと思った。

anond:20201207171232

ホームドアってなんか役に立ってんのかなあ。轢かれて死のう! ってなったら乗り越える気がするし、一番端にはないか線路に落ちちゃえるよね。

2020-11-03

なんつーか性嫌悪症のババア基準広告やら街中やらの倫理コードが決まってくのすごく嫌なんだけど、この流れ甘んじて流すかババア皆殺しにするかしか止まんないのかな。さすがに現代日本後者通らないかババア基準になるんだろうな。

電車に飛び込む奴なんていねえよっていう基準が通らなくてホームドアが設けられるぐらいの世の中だからなあ。

かくて女性女性によってガチガチに抑圧されたのでした。しかも抑圧用の棍棒には「男」ってかいてあるんだぜ。あーやだやだ。

抑圧するんならせめて自分責任をとれよな。

2020-10-10

anond:20201010011429

駅のホームドアみたいなもんだろ

その気になれば乗り越えて死ねる程度の障壁でも軽い気持ち人間は弾ける

2020-08-25

ホームドアができるちょっと

監視カメラが付いたときにガクって減ったんだよね

背中を押してくれる妖精さんカメラに映っちゃうと困るんだなって

anond:20200825024034

ダンプカーじゃなくてトラックというところが、いかにも令和って感じだね。

飛び込み禁止ホームドアが増えた今、列車にひかれるパターンは減少の一途なんだろう。

2020-08-11

あれは希死念慮だったか

盆だし、コーヒーの飲みすぎで眠気が来ないので自分語りを投げる。カジュアルにでも死にたいなあと思う人は読まない方がいいと思います

1桁歳の頃、通学路に踏切があった。

カンカン鳴りながら降りた遮断機の前で電車が通り過ぎるのを待つ時、なぜ自分は毎回素直に待っているのか、なぜ1度も鳴り響く踏切の中に入って電車に跳ねられるという選択をしないのかを不思議に思うことがあった。

もちろんそれは私に意思が、思考があるからだが、私に意思というものがなければ、踏切の警告音が鳴り響く時、1/2の確率で私は遮断機の中に入り、電車に跳ねられて死ぬ

この仮定場合、私が今まで1度も死なないでこれたのは、1/2の、今までの人生踏切の警告音が鳴った回数分乗の確率で起こる奇跡であるわけで、私の「死にたくない」という意思ははたしてそんなに強いものだろうかと、大学生になっても思っていた。

警告音が鳴り響く踏切の前で素直に待つ時、私はいつも踏切自分が立ち入らないように必死だった。明確に死にたいというわけではなく、ただ、ほぼ無意識のうちに積み重なっていった、「私は生まれから1度も死ぬほうの選択肢を選んでいない」という奇跡が奇妙に感じられて、ぶち壊したくなるのだ。

死なないように必死に踏みとどまるといっても、明確に「死にたくない!」と思えはしないから、死なない方がいいらしいよという規範意識する程度のことしかできない。スカートを腰元でたくさん折らなくても短い丈にできるよう裾を切ってしまいたいが、式典とかで教師の目が厳しくなった時に取り返しがつかないから切らないでおこうと踏みとどまる、みたいな軽さだった。その軽さに生死がかかっていることに対する妙な緊張感はある。不快である

こういう状況が発生するのは踏切に限ったことではなく、自転車に乗っている私を右後ろから大型トラックが追い抜こうとするときも、いきなり右に進路変更しないようにするのに必死だった。

私は幸い死の危険を感じずに生きてきたし、私が物心ついてから死んだ知り合いも100歳越えの曾祖母1人だけだから、死というものに対する具体的な恐れを知らないことも、上記のような状況を生む原因だったと思う。

これは希死念慮でない気がする。

なお、刃物を持った時に周りの人間を1度も刺しに行ったことがないのも自分にとっては奇妙な奇跡で、誰かを刺してこの奇跡を壊したいという気持ちが発生していた。別に誰かを殺したいほど憎んでいる訳ではなかった。

大学生の頃、適応障害になった時期があり、その際は上記現象に加えて、死ね環境を見るとそこに吸い寄せられるような感覚があって苦労した。

具体的には地下鉄ホームや落ちたら死ねる高さのマンションの共用廊下及び部屋のベランダでそれが発生した。

地下鉄ホームホームドアが設置されていく時期と被っていたのだが、最寄り駅にはなかなか設置されずつらかった。

ホームドアがある駅は安心感があった。

やはり単に1歩踏み出せばいいいいのと乗り越えなければいけないのでは必要とされる「死にたいという意思の量」が違う。ホームドアを乗り越えてでも死にたいはいるだろうが、私はそこまでではなかった。ここで「私はホームドアを乗り越えないという選択を常にしている」などと考えると乗り越えたくなってしまうので、考えを逸らす必要はあったが。

当時の心境としては、死にたいか死にたくないかでいえば死にたかったのだが、死にたいというよりは、生きるのを休憩したいという表現が正しかった。しかし一度死んでしまうと二度と生きることができないので(いやほんとのところは誰も分からないが、二度と生きることができない可能性はたしかにある)、死なない方がいいだろうとは思っていた。私は幸せに生まれ育ったか漠然未来に少しは楽しいことがあるだろうと思えたのでよかったが、そうでない人は大変だろうと思う。

生きるのを休憩して、今関わっている人間がみんな意識を私から逸らしてからなら、もう1回生きるのを再開したいな、という気持ちだった。これを縮めると、生きていたくない、死にたい、にならんこともなかったし、実際つらさが瞬間的に来た時は「死にたい」「死のう」「死ね(自分に対して)」と小声で口に出すことで感情の圧を逃がしていた。

精神科で薬が出たことで自分が今メンタルを悪くしている人である自覚し、色々検索できるようになり、界隈の語彙も増えて、「希死念慮」という言葉を知った。

果たして私は希死念慮持ちなのか?そうだとしたらいつからなのか?そもそもどこから希死念慮であるとか明確なラインを定めようとするのが無意味なのかもしれないというか、おそらくそなのだが。

自殺するために首をくくる用の縄を買ってくるとかは明確な希死念慮な気がする。

私のあれは希死念慮だったのだろうか。

それとも、希死念慮にならずに済んだ、ただの幸運な願望だったのだろうか。

こんなところに書いても答えは得られない。私はただ単にどこかにこの疑念を吐き出して、限られた思考時間を他のことに使いたいだけである。それだけ何度もこのトピックについて考えてしまっているのだ。

今は適応障害も治ったし、通勤ルート踏切はなく、大通りひとつあるが併走ではなく横切るだけで済むから信号さえ守ればよいので気が楽だ。地方であることもありたまに使う電車ゆっくりホームに入ってくるから身投げしても死にそうにないので私の気持ちも穏やかである。穏やかな気持ちでいるために、身投げしても死なない速度だと思い込もうとしている節はある。バイクはまだ乗れないかな。ちょっと進む向きを変えただけで死ねるので。

自分希死念慮があるかとか、希死念慮があったかとか、もう考えなくてもいいと思えるとこまで来た気がするので、ここに投げておしまいにしようと思う。感情墓場みたいな使い方だな。おしまいです。生きているうちにやりたいことを考える方に舵を切りましょう。面白い漫画を作りたいな。面白い漫画を作って、架空キャラ架空人生エピソードで人を泣かせてみたい。

2020-07-04

anond:20200704220923

人間関係のめんどくささは乗り越えられないのに、ホームドア踏切フェンスは乗り越えられる、この人間不思議さよ

2020-06-27

anond:20200524233706

この時書いたブコメに准じて、都知事選候補者公約確認中。

確認方法は、「都知事選 公約」などで出て来た候補者公式ページ公約から、「障」「発達」などのキーワード検索

いずれも、6/27(土)19:00現在

なお、探して見つかった物だけなので、見落としがある可能性はある。

公約内での比率が大きいのは山本太郎氏、公約が(少なくともホームページ上では)詳細なのは宇都宮健児氏かな・・・

ここで挙げてない候補者についてはまだ調べてないが、公約発信の媒体としてホームページに力を入れてない候補者もいるようなので、一律ホームページ判断するのはフェアじゃないかもしれない。

小池百合子

公約のページが全て箇条書きであり、項目数が多いため、どの程度具体性や力点を置いてるかが良く分からない。個人的には、成人障がい者障がい者スポーツの面からしか公約に掲げてない気がするのが気になる所。

とはいえ、「児童発達支援」と「重度心身障がい児への支援」の2項目で触れている以上、障がい児の子育てについて課題と考えてはいると思われる。

https://www.yuriko.or.jp/policy

※該当すると思われる項目のみ抜粋

障がい者を含めたeスポーツ振興

障がい者スポーツ支援強化・メジャー

児童発達支援センターの整備推進

・重度心身障がい児への支援強化

・「感染症バリアフリー」の検討マスクや消毒液等の優先提供体制・透明マスク接触必須障がい者への感染防止策・多様な申請手法情報発信最適化(手話字幕の追加、音声認識アプリ活用)など

デフリンピックなど障がい者スポーツ国際大会東京開催を推進

山本太郎

8つの公約の中の1つに挙げ、1ページ丸々使って以下の通り公約している。今回調べた候補者の中では一番「公約の中での割合」が大きく目標に具体性もある一方、個人的には、掲げる政策目標が具体的過ぎて範囲が狭い印象も受ける。

https://taro-yamamoto.tokyo/policy/7-2/

↓↓↓↓ ここから ↓↓↓↓

障がい者のことは障がい者で決める東京

都の障がい者政策部局責任者に障がい当事者を立て、審議会等の政策決定の場には必ず障がい当事者を半数以上とし、個々のニーズや障がいにあった十分な介護保障する東京に。フルインクルーシブ教育の実現。

かつて米国教育特殊教育リハビリテーションサービス局次長クリントン政権)を経験し、オバマ政権では世界銀行顧問にもなったジュディ・ヒューマンさんは「当事者政策決定過程重要位置を占めることが重要です」(『季刊福祉労働』81 1998年12月25日号)との言葉を残しています

障がい者は、日頃の生活差別を受けたとしてもどこに相談したらいいのかもわからず、いつも困っています。都にも障がいを理由とした差別に対する相談の窓口はありますが、障がい者の多くは、そのような窓口があることすら知らず、また体制的にも内容的にも十分なものではありません。障がい者差別をなくすためこのような窓口の充実を行います

また、現在の多くの障がい者政策は、障がい者のことをわかっている風の有識者障がい者を「お世話」する施設運営者などが決めてきたとの批判もあります。このことにより障がい者が本当に求めていることに対応してきたとはいえないとも言われています

このような問題を解消するためにも障がい者関係する部署には必ず障がい者責任者として配置します。また、障がい者としても障がいの種類によって必要なことや、思いも違ったりするので、あらゆる障がい者政策決定の場に参加していただき、その数は必ず半数以上とします。

障がい児が普通学校に通うだけで、インクルーシブ教育を実現している!ということに表向きはなっていますが、実際には、普通学校の中で、特別支援学級普通学級に分けられているのが現状です。これはまだまだ本当の「インクルーシブ」ではありません。心のバリアフリーを実現するために、最終的には、障がい者と健常者が分けられることなく一緒に学べるフルインクルーシブ教育を目指します。

また、障がい者の住んでいる地域や年齢による格差や断絶をなくして、どこでも、生涯にわたって安心して暮せる地域生活支援を行います。加えて個々のニーズや障がいにあった十分な介護保障するために重度訪問介護の充実を国や自治体連携してはかります

↑↑↑↑ ここまで ↑↑↑↑

宇都宮 健児

※7つの重要政策の1番目、「重要政策01 だれもが働きやすく、くらしやす希望のまち東京をつくります」の中で、以下の通り公約している。

※ただし、障害者福祉はそのページ内でさら12個立てた項目の6番目であり、どの程度力を入れるのかはやや不透明な気もする(とはいえ公約は詳細に書かれており、やっつけな感じは受けない)

※なお、7つの重要政策の5番目、「重要政策05 教育現場への押しつけをなくし、すべての子どもたちが生き生きと学べる学校をつくります。」の中にも、「障がいのある子どもたちの教育を受ける権利」について触れた項目が立っている。

http://utsunomiyakenji.com/policy/important01

↓↓↓↓ ここから ↓↓↓↓

障がいのある子どもを抱える学童保育室の人員体制民間学童保育も含めて強化します。

知的障がいや精神疾患など様々な困難を抱えた路上生活者地域生活できるようにサポート体制を作ります

障がいのある人もない人も、ともに生きる東京しま

障がいのある人の権利を確保する東京をつくります

日本政府批准をした国連障害者権利条約を実質的ものとするため、平成30年に施行された「東京障害者への理解促進及び差別解消の推進に関する条例」をより一層充実させ障がいのある人とない人が共生できる東京をつくります

東京都の障がいのある人にかかわる政策策定する会議等には、障がいのある当事者が必ず参加するようにルールします。

住宅相談介護支援医療システムの整備を行い、家族に頼らなくても障がいのある人が安心して暮らせる東京のまちをつくります

市区町村に対して財政補助を行います。重度障がい者地域での自立生活社会参加や見守りなど必要に応じたサービスが受けられるよう市区町村財政援助を行います

障がいのある人と家族が、安心して暮らせる東京しま

出前福祉制度を導入する~江東区兄弟餓死事件のような悲惨事件をなくし、福祉の行きとどかない死角地帯をなくす。

老老介護」も大きな課題ですが、高齢の親が障がいのある人を介護し続ける「老障介護」が、「老老介護」とならんでいま大きな問題になっています高齢家族に頼らなくても、障がいのある人が安心して暮らせるように在宅支援を拡充します。

障がいのある人が住むことができるバリアフリー都営住宅建設検討します。

視覚障がい者の転落防止のためのホームドアの設置、障がいのある人への差別のないバリアフリーまちづくりをすすめます

身近な地域相談できる場と、その人にあった療育教育保障しま

ADHDLD自閉症などの発達障がいなどの早期発見につとめながら、適切な支援が得られるように、身近な地域相談できる専門機関を増やします。

障がいのある子どもたちが地域普通に学べるような環境を充実させます。誰もが合理的配慮を受けて学べるよう教育の場を充実させます

障がいのある人の医療無償化を実現します。

憲法25条の暮らしを実現するために、障がいのある人に、都独自所得保障を拡充しま

多くの障がいのある人たちは、きわめて低い所得水準を強いられ、生活保護や障害年金基準引き下げによって、さら貧困なくらしや家族への依存が強められています生活保護基準の引き下げに反対し、障害年金の抜本的な改革を国に強く求めていきます

東京独自所得保障施策検討実施します。

障がいがあっても働ける仕事の確保に努めます障害者就労支援施設への「優先発注」の促進策を具体化します。

災害を想定し障がい者安心して避難生活を送れるような体制をつくります

避難所をバリアフリー化し、障がい者が参加した避難訓練を実施します。

医療介護保障視覚障がい者聴覚障がい者のための情報コミュニケーション保障を行います

制度の谷間のない障がい者施策実施しま

東京都は独自に、病名や障害種別障害者手帳の有無で福祉サービス対象判断せず、「その他の心身の機能障害」(長引く病気など)が認められる者も、支給決定過程におけるアセスメントが受けられる仕組みを検討します。

↑↑↑↑ ここまで ↑↑↑↑

http://utsunomiyakenji.com/policy/important04

↓↓↓↓ ここから ↓↓↓↓

障がいのある子どもたちの教育を受ける権利保障します。

障がいのある子もない子も共に学べるフルインクルーシブ教育の推進・整備をすすめます

学びの場における障がいを持つ子どもの、ハード面、ソフト面での支援体制の整備・充実をはかります

↑↑↑↑ ここまで ↑↑↑↑

小野 泰輔

4つ立てた主要項目?の4番目「4.誰もが安心安全で心やすかに暮らせる東京へ」の中で、16項目中の以下3項目で関連する公約を掲げている。うち育児に関わる2件は、無難にまとめすぎていてどこまで力を入れるのか読み取りにくいものの、2項目あるので「取り敢えず書いただけ」という印象は受けない。

https://ono-taisuke.info/policy/

手話言語条例を制定し、聴覚障害者の方とともに歩む東京都を実現します。また、障害者雇用の向上のため、分身ロボット等のテクノロジーを使った就労、超短時間労働制度などを公共事業から導入します。

●まだ多くの保育所対応が困難な病児・病後児保育を拡充するため、対応施設を設置する民間事業者基礎自治体さらなる財政支援を行います

医療ケア必要とする障害児に対して、縦割りになっている保育・療育の垣根を超えて対応できる施設事業者を増やし、そのための専門人材育成に努めます

2020-06-26

anond:20200625161509

ホームドア設置したところで飛び込む人は乗り越えて飛び込むしお金無駄じゃないの

事故防止には役立つけど

電車接触ってほとんどが故意じゃないの

2020-06-18

ポリコレと共に去りぬ」でいいのか?

アメリカ文学の名作中の名作「風と共に去りぬ」が配信停止された件について思うことがある。

現在ポリコレ的にアウトであったとしても、1900年代奴隷制南部アメリカ価値観も「当たり前」の社会だったにすぎない。

そのうち喫煙シーンの出てくる映画もアウト、ホームドアの付いていない駅・鉄道の出てくる映画もアウトになるのかな。

もっと言えば19世紀までは「侵略戦争」の価値観も無かったので、戦争映画もアウトになるかもしれない。

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