はてなキーワード: ペーパードライバーとは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/hashimotoaiki/20210709-00246886/
たとえ家代わりに使ってようが、拘束時間が長かろうが、車内にいて車を動かさざるを得ない状況が発生する時は絶対禁酒でしょうに/追い出したら輸送費上がるほどアル中多いの?待遇改善は必要だけどそれとは別でしょ
「ただ、飲酒運転を突き詰めていけば、「白」「緑」問わず「全トラック」はアルコールチェックするのに、他車両種はしなくていいのか、という問題にたどり着く。」したらええやないの(ペーパードライバー的感想
まさにこれらは「自分は平気だから他者に強要しても構わない」というはてならしさが表れている。ここにコメント寄せたりスター付けている人達は、酒を飲まないか車に乗らないかその両方である可能性が高い。この問題は一言で表すならばトラックドライバーの労働環境が悪いことに起因している。社内でしか休憩できず拘束時間も長い。宿泊も難しい。何より給与も安くて割に合わない。これで休憩時間の飲酒が禁止されないなら社内飲酒を無くせって声がどれほど遠いかはわかるだろう。
これらの最大の原因が消費者の宅配ニーズにあるのは間違いない。自分達で宅配を大量にさせている一方でドライバーを責めるとか、日本人傲慢すぎない?
車の運転に慣れようが慣れまいが事故の恐怖はあるし、どこでこするかわからないし、
事故のたび警察呼んだりも結構だるいよな。呼ばないと捕まるけどさ。
・あればいろんなところに行きやすい
・自動車税、車検代、ガソリン代、駐車場代がうなぎのぼり(ここがでかすぎる)
・代車とかいう車検中慣れてない車でも乗っとけ事故ったら知らんというヤバイやつ
・タクシーは金がかかりすぎる
・カーシェア、レンタカーでいいかもしれないが、何度も事故ると会員資格がはく奪される
・カーシェアに子供を載せるときはチャイルドシート必須なので持ち込んだりする手間がある
・カーシェアは乗る前の現状確認で見落としがあると、後で修理代などが請求される可能性がある
・車持ってないと少し遠くみたいなところに行きにくい
・ほぼペーパードライバーなので車に慣れない
唐突にエンカウントし過ぎであることに気づいた。ノンフィクション
そういう店に行ったわけでもそういう出会いをSNSで求めたわけでもない。単純に道端でエンカウントする
池袋・歌舞伎町やその他ピンク街に住んでたりはしないのだが、仕事で外を回ってたりすると、
ミスカのノーパンに遭遇したり、ジーパンでフル勃起でバイブ突っ込みながら歩いてたり、ケツの周辺穴あきなジーンズで歩いてたり、
そんなヤツらによく遭遇した(すべて東京の話)
ここから始まる何かがあったり、見られた豚がブヒブヒ大喜びするとか逆にスーツで真面目に働いているワイの姿を見て我に返った豚が
反省するとかもなかったが、今思えば警察に通報してやるのが大人としての優しさだったような気がする
あと、見てくれ系の遭遇も多かった。これはアキバの営団地下鉄(現東京メトロ)で正月の早朝ようやく始発が動き出す時に
ブラとパンティーを身につけた20代前半くらいの男が5千円あげるので見て欲しいと詰め寄ってきた
始発に乗り遅れたくなかったので「歩きながらならいいですよ」と言ったところつまらそうに金を払わず去っていった
豚のクセに生意気過ぎでは?と思ったのですごくよく正確に覚えている。というか豚は基本的に生意気である
一時期、2次エロで無関心セックス(男はヘコヘコ腰を振っているが受ける側の女or男は無関心でスマホ弄ってたり
ゲームしてたりするながらセックス)が流行ったがあれは2次元限定だと思う
他にも全裸を見てくれ系もあったが特にお金の交渉とかしてこなかったので無視してそのまま歩いていったらなぜか罵られた
今思えば犯罪者のクセに生意気過ぎる豚だったので警察に通報しておくべきだったがこの頃までは警察や救急に通報することが
マゾ豚はシチュエーションや相手の外見にやたらこだわるのでそういう店が出来るのも納得感しかないのだが、
ヨシヨシして欲しい豚は割とその辺のことは男女ともどうでもいいらしい
ヨシヨシして欲しい豚には5人くらい出くわしている。例によって例のごとく道端である
コミケの1人を除いて全員ゴスロリ女装っ子かつ新宿区・墨田区でエンカウントである。なお男女とも可愛くはない
移住後は豚に出くわしていないことから東京は変態の街なんだなって思っている
思えば子どもの頃から交通事故に遭遇する機会が多かった気がする
はじめて遭遇したのは6歳の頃、友人の家の前
自転車に乗っていた小学生から中学生くらいの男の子が派手に車と衝突した
曲がり角を曲がった車に衝突したので一応減速はされており凄惨な光景にはならなかったが自転車はグチャっといっており
あの時の少年は無事だといいけれどと今もたまに思う。通報は友人の母親がした
それ以降もワイ自身が車や路面電車に接触したり事故は絶えなかったが東京は人が多いからか自ら通報する機会は無かった
あと道端で倒れてる人(倒れる人)に遭遇したのも東京では一度きりだ
東京で道端で倒れた人のことは今もよく覚えている。JR上野の駅の不忍口付近アトレ付近のエスカレーターでホームレスらしき人が目の前で倒れた
ワイはその日仕事だった。といっても重大な打ち合わせがあったわけでもなかったし、たとえあったとしても、
人命よりも優先されることはないのになぜか仕事の方を優先した
ホームレスの人はすぐ近くにいた身なりのいい女性が介抱し救急車を呼んだ
仕事を選んで放置は自分自身がした選択なのにすごく人間性を削られた気持ちだった
(脱線するがその頃の西新宿駅前から新宿中央公園付近はヤバかった
腰の完全に曲がったお爺さんが道端で寝ていたりどう見ても20代に見える若者が道に転がっていた
移住してからは仕事で西新宿へ行く機会がなくなったので現在はどうかは知らないが
全国に出張したけどあんな光景を見たのは後にも先にも東京だけだなと今も思う
まぁ移住後は移住後で東京で見なかったもの出くわさなかものにあうのでどっちもどっち感はある)
地方移住後は、交通事故に加えて、明らかにホームレスではないのに道端で倒れている人と遭遇するようになった
東京みたいにワラワラ人がいないのでワイが放置したらそのままになってしまうので発見・遭遇したら110番や119番をしている
110番は必要があれば割と気軽にしている。110番デビューは商店街でバットを振り回しながら歩いてる人を発見した時である
この日、例によって例のごとく仕事だったのと、バットを振り回してる人に対してワイが出来ることは何も無いように思われたので、
通報だけしてその場を後にした。110番しても住所氏名を伝えれば必ずしもその場に留まる必要がないことを学んだので
道端で寝ている酔っ払いやなんで道端に倒れてるのか不明な人を発見した時は110番している
119番しているのは、高齢者の段差での派手な転倒(出血あり)、自転車やバイクの派手な転倒(出血あり)、
ランニングしてたっぽい人が倒れて反応なし・呻いていて応答出来ずなのを発見した時である
こちらも必ずしもその場に留まる必要はないっぽいが一応救急車が来るまでその場にいる
何歳くらいに見えるかという質問をされるのがすごく困る
明らかに婆ちゃんの場合は高齢者の方ですとしておくが、アラフォーからアラ還くらいが困る
何歳なのかさっぱりわからんし間違ってたら失礼な気がするし
あとどこが辛いといってますか?も困る。だいたい問いかけも反応がないか呻いてるだけである
110番119番は(当事者がするので)しないが交通事故にも変わらずよく遭遇する
ちなみにペーパードライバーで職業ドライバーだったり日常的に車を利用していたりはしない
それでもなんか知らないがよく遭遇する
たとえば友人の車に乗車中に信号のないT字路で一時停止しなかった車に横腹突っ込まれるとか
ワイが事故を引き起こしたわけでもないし保険から金は降りるのだが非常に気まずい
あとはタクシーに乗ってる時に他の車が正面衝突とか、車間距離詰め過ぎだろって思ってた車が案の定カマ掘ったりだとか、
歩いてるときにクルマが派手に縁石に乗り上げてコケたりだとか、ガールレールに派手にぶつかったりだとか(どれもドライバーは無事だった)
あとワイ自身も徒歩で横断を渡ってる最中に歩行者無視して左折してきた車に轢かれた
この件はワイ自身が当事者だったので自分で警察と救急に電話した
交通量の多い交差点だったのと意識ははっきりしていたので通報しながら加害者の車に乗ってすぐ近くのコンビニまで移動したが
なぜ移動したのかと警察官に言われたことは今でも覚えている。本当、警察官はクソ。なお身内にも警察官はいる
救急車というか救護隊の人はすごく親切だった。こっちも身内にいるが爽やかで親切である。謎の上下関係があるとはとても思えない
マゾ豚、交通事故及び道端で倒れる人以外にもエンカウントし過ぎなものがあるが、面倒くさくなったのと気が滅入るので
今回は書くのやめておく
いいねえ~
こういうのでいいんだよ
いやほんとに
愛なんて必要ない、とは言わない
ただ、愛がある方が、面倒が多いとは言える
結婚って、要するに「結婚した」って事実こそが重要で、その内実はぶっちゃけどうでもいいのよ
別に運転する気もないのに、ちょっと「ちゃんとした」身分証明書が欲しいって理由だけで、とりあえず運転免許証取っておくだろ?
それと同じ
免許さえ取ってしまえば、後は完全なペーパードライバーでも、それを持っているという事実だけでいろいろと捗る
結婚も同じで、たとえ同じ屋根の下に暮らしていながら一切関わりがなくても、なんなら同じ家に住んでなくても、結婚しているという事実こそが武器になる
税金面でもそうだし、なんだかんだで社会的な信用度も上がれば、仕事の面でだって上向きになる場面が多いのが実情
その恩恵を得るためだけに、婚姻届を提出することは、国家資格の申請に等しいと言える
誰かと結婚しておいて、必要なときだけ書類上では仲睦まじく、あとは一切の関わりを絶って、お互い好きなように生きることだって可能だ
「円満」な結婚生活をしなければ、という思い込みが人をダメにする
愛があれば、それは簡単に執着に変わるし、自然と状況のコントロールを目的にし始めるし、結果的にすべて自縄自縛でうまく回らなくなる
国家資格「結婚」の更新のために、そんなものはまったくもって必要ない
当然、子供が欲しいなら話は別だけど、「結婚している」というステータスこそが欲しいなら、必要なのはビジネスライクなパートナーのみだ
そこに愛は必要ないし、一緒に過ごして楽しいと思える人すら必要ない
俺は、もっとそういう、ドライな関係の婚約者を見つけるためだけのマッチングサイトや婚活パーティこそ、増えるべきだと思ってるよ
プログラミングスクールは良くないって話が多いので、人それぞれだよねっていうのと、何もやらないよりは何かしらあるんじゃないかなっていうお話です。
フィクションのつもりで聞いてください。
私は地方で育ち、地元の女子中・女子高・駅弁大学を卒業し、地元のとあるテーマパークに就職しました。
比較的なんとなく生きてきたので、仕事って大変そうだからせめて面白そうな職場を選ぼう、くらいの気持ちでしたがすぐに辞めたくなりました。
toC接客、屋外での勤務、立ちっぱなし、友達と休みが合わない、覚える事が多い、職場が僻地、ダンサーチームの揉め事の仲裁、契約社員組みからの嫉妬、大学生組の惚れた腫れた、田舎特有の異様なゲストの図々しさ・馴れ馴れしさ、どれも好きじゃないやつでした。
まあゲストにイラつく事があっても、それはしょうがないと思ってます。仕事だから。
でもスタッフも、とにかく感情で生きてる人間が多すぎます。私よりずっと大人なのに。
華やかな表舞台とは裏腹に仕事はそこそこハードで、給料の水準も高いとは言えない環境のため、人の出入りが激しく、トラブルを起こしたり、恨み辛みを吐きながら辞めて行く人が多いのもメンタルにきました。
最初に威勢のいい人ほどすぐ腹を立てて辞めていくので、個人的に警戒して距離をとるようにしていました。
理想と現実のギャップが大きいからなのか、彼らの自己評価が高いからなのかわかりませんが、もしかしたら私のように、ドライに仕事はしんどいものだと思ってる方が、色々受け入れられるのかもしれません。
そんなこんなで2年ほど勤めましたが、最後まで職場にも業務にも慣れる事もなく、花形着ぐるみのポジションが空いた事によるダンサーチームの派閥争いの激化に伴って私の神経も擦り切れ、半ば衝動的に仕事を辞めてしまったのでした。
実家に住んでいたので、しばらくはニートしながら次に何をするか考える予定でした。
しかしそんな折、東京に住んでいる祖母が怪我をしてしまい、介護を要する状態になってしまいました。
私は昔から祖母が大好きだったので、喜んで同居と介護の役目を担うことにしました。
祖母とは小学校低学年くらいまで同居していた期間があり、その頃から私の唯一の理解者でした。
私が真面目で、冷めていて、興味を惹かれると他のことが目に入らなくなって、
自分のペースで物事を進めたくて、少し融通が効かずに周りの子達と馴染めなかった頃、
その事に両親はお手上げで「みんなと同じように」「普通に」「お願いだから」としか言わなかった頃、
「あなたはちょっとだけ人より心が大人なんだよ。それでいいんだよ。賢くて真面目なあなたが好きだよ。
でももし疲れたら、周りの子たちと同じくらいには、いい加減で、だらけて、失敗してもいいんだよ」
と、声をかけ、私が「もう大丈夫」と言うまで何十分でも抱っこしてくれた祖母。
祖母のその言葉と、帰ったら祖母が家にいるという安心感で、私は少しずつクラスメイト達と打ち解け、誰かに心を許したり、自分が失敗することも他の人が失敗することも許せるようになっていったのでした。
東京には別の親戚もいたのですが、ペーパードライバーで頻繁に祖母を病院に連れて行くのが難しかったり、仕事の都合だったりで他に候補者もいなかったので、私の立候補には関係者みな渡りに船という感じでした。
母に「おばあちゃんが好きってだけではできないよ。よくわかってないんじゃない?」とも言われたけど、私は祖母に関する事ならちゃんと理解したかったし、自分の想像が及んでいない事があるなら、それも知りたかった。
介護はまあ大変だったのですが、意外と祖母が元気で、怪我の経過も芳しく、家の中の生活においては一人で出来る事が多かったのもあり、私は徐々に暇になっていったのでした。
美術館や博物館が昔から好きで、最初は狂ったように行っていたのですが、お金もそんなにないし、周りに友達もいないので、やや時間を持て余すようになってしまいました。
そこで、一念発起して、噂に名高いエンジニアとやらになろうと思いたち、プログラミングスクールを探し始めました。
テーマパークで働いていた私からしたら、エアコンの効いた部屋で座って作業できて、toC接客をしなくてよくて、給料が高い(らしい)なんて夢の職業だと思っていたのです。
東京での普段は淡白ながら、楽しみ方の選択肢がとても多い生活も肌に合っていて、祖母の介護を終えても田舎には帰りたくなかったので、こっちで就職して帰らなくていい理由を作りたかった、というのもありました。
色々調べて、とあるオンラインがメインのプログラミングスクールに決めました。
祖母の家が都内とはいえ西の方で、交通費も出ないのに電車で都心に通うのは厳しかったのと、祖母の用事が最優先なので時間の都合がつけやすいようにと、グループでやる課題とかがきっと向いてないだろうなと思ったからです。
(今になって思えば、gitの実践的な使い方に慣れられるし、どうせ働き始めたらチームでやるんだから、グループ作業は経験しておくのをおすすめしたい)
ニート期間が短かかったので貯金があまり減っておらずなんとか料金を捻出できたのですが、貯金はなくなりました。
プログラミングスクールでは、まず卒業後どういう職種や働き方を希望するかを聞かれ、それにはどんなスキルが必要か説明を受けながらカリキュラムを決めていきました。
授業は、エンジニア経験のある人とskypeを使ってマンツーマンで、テキストを進めたり、課題をチェックしてもらったり、デバッグを手伝ってもらったり、わからないところを教えてもらったり、実際の開発現場の話を聞いたりしました。
私はなにせ女子校育ちだし、喪女だしで、女性の先生が良かったのですが、女性の先生は数が少ない上にみなさん大変な人気でなかなか予約が入れられませんでした。
平日の日中に授業を受けられるので、働きながらの人よりはずいぶん有利な立場にはあったはずなのですが、できれば同じ先生にずっと見てもらいたいと考えると、なかなか厳しい状況でした。
ですが、一人だけ比較的予定が空いている先生がいました。そう、後の彼女である。
彼女の予約が空いている理由は1回授業を受けたらすぐにわかりました。
早口だし、自分の言いたい事は最後まで言わないと気が済まないし、アイスブレイク下手くそだし、全然笑わないし、癖なのか10分に1回メガネを拭いてるし、説明が長いし、1回説明した事は完璧に理解するはずだと思ってるし、なんか顔が怒ってるし、なんか厳しくて答えをなかなか教えてくれないし。
顔は結構美人なのに、性格きつい人だなあというのが無遠慮な私がもった第一印象でした。
まあでも予約を続けてとれる女性の先生は他にいないし、私も生来かなり真面目な性分だし、授業が終わった時のやけに油断してホッとしてる顔がなんかちょっと可愛いし、実力をつけるには問題ないだろうという事で継続して予約を入れる事にしました。
しばらく授業を受ける事で、だんだんと彼女の態度は軟化していきました。
プログラムも楽しかったし、彼女については保護猫をだんだんと慣らしていくような面白さもありました。
授業は丁寧だし、彼女はフレームワークの細かい内部の挙動や、メソッドのオプションなんかにもかなり詳しく、それらの点では優秀な先生だったので、私の心からはいつしか懸念も不満も消えていました。
そんなある日、パソコンを買い換えたいと思っている話をしたら、意外にも彼女が付き合ってくれる事になりました。
(当時、なんか可愛いという理由で買った、やたらキーピッチのあるVAIOのノートパソコンで作業していたのですが、色々目が開いてきてMacに乗り換える事にしました)
買い物当日、MacとWindowsの違いから丁寧に教えてくれた彼女の私服はダサかったのですが、お礼も兼ねて新宿で居酒屋に行く事になりました。
主に、Windowsで使ってたツール類のMacでの代替品を教えてもらうつもりだったのですが、いつのまにか梅酒2杯で饒舌になった彼女の身の上話を色々と聞かせてもらっていました。
いい提案ができるように新しい技術を家でもたくさん勉強したこと、
いいシステムを作る為にプロジェクトの良くない点はきちんと指摘したこと、
それらを煙たがられて注意を受けたこと、
「女のくせに」って言われたこと、
自分が席を外したタイミングで夕会が行われるようになったこと、
「プロパー+αの人だけの飲み会」にチームの中で自分だけ呼ばれてなかったこと、
社内で待機している時、営業に「女でこんなに売れないのお前だけ」って言われたこと、
新卒もどんどん現場に出ていくのに自分は次のプロジェクトが決まらなかったこと、
「とにかく人が足りないから大歓迎です」って言われた案件でもチームの中で1番最初に退場になったこと、
業界が向いてないのは身に染みてわかったけどプログラミングが好きで今の職についたこと、
授業のリピート率の低さに会社からいつも小言をもらっていること、
SESが辛くて辞めたのに、多くの人が卒業後SESに行くプログラミングスクールの先生をしているということ、
自分のやってる事が人の為になっているのか信じきれていないこと、
SES以外の社内SEとかで転職を考えたけどどこにも受からないこと、
昔から人付き合いが苦手なこと、
親戚のおじさんに一人すごく嫌な人がいること、
成績は悪いが愛嬌のある弟ばかり親が可愛がること、
「いや、まだそんな重い話を聞く関係じゃないですよw」って途中まではいつ言おうかタイミングを見計ってたけど、とうとう言えずに最後まで聞いてしまった。
気がついたら私は泣いていました。それは気持ちがわかってしまったから。
小学2年の春、誰かに一緒に帰ろうと誘われるまで教室で本を開いて待ち、みんな連れ立って帰ってしまいひとりぼっちになった後、仕方なく開いていた窓を閉め、カーテンを束ねていた、その風景を思い出してしまったから。
ああこの人は祖母に出会わなかった私なんだな、と、どうしようもなく理解してしまったから。
私が優秀だと彼女の評価もあがるかもしれないと思って余計にがんばり、無事卒業を迎える事になりました。
プログラミングスクールの卒業生の主な就職先はSESです。(今はわからないけど)
SESについて彼女に色々聞いていたので、客先企業に常駐して、多重下請け上等で、使い捨てで、人売りと呼ばれていて、残業が多くて、無理なスケジュールを押し付けられて、仕様変更が頻発して、現場では肩身が狭くて、theITドカタっていうのは知っていました。(今はわからないけど)
でも私はなんでも知りたかった。彼女のことをもっと知る為に、SESについて身を以て知るつもりでした。
同じ時期に卒業を迎えた人の中には、断固SESを拒否する人も何人かいました。
下請けじゃなくて上流工程ができて経営が安定していてまったり働ける社内SEか、自由で先進的でフットワークが軽くて自社サービスのあるベンチャーがいいのだと。
いやいやいやと、社内SEがそんなにいいものなら、学業が優秀だった人か、SESで優秀だった人から順番に行くでしょうと、
ベンチャーがそんなにいいところなら、すごく優秀な人たちの少数精鋭なんでしょうと。
課題でサンプルのプログラムをいくつか作っただけの私たちがどうしてそんなとこにいけるでしょうかと。
修行のつもりでありがたく、いろんな現場や業界で実戦経験積めよと、1行でも多く実務でコード書けよと、色んなプロジェクトのドキュメントとかプロジェクトマネジメント見て勉強しろよと、SESでもないと逆にそんな機会も無いぞと、そんなことを思っていました。
私の就職先は、2回面接をしただけで、スクール推薦のSESの会社にあっさり決まりました。
祖母は、私が平日フルタイムで働いても差し支えない程度まで回復していました。
彼女とは頻繁に連絡をとったり、遊びにいく友人の間柄になりました。
しかし、実際SESで働いてみると、覚悟していたような環境とは少し違いました。
基本的に自社のリーダーとしか話さない(プロパーが直接メンバーに指示を出すのはダメらしい)し、スケジュール変更や仕様変更もちょこちょこあるけど、その分の残業代もちゃんと出るし、なんだか全体的にいいところでした。(テーマパークと比較するとなおのこと)
彼女が最初に働いた企業が、現場が、時代が、運が、悪かったのだとわかりました。
でも、「あなたのおかげでエンジニアになれて、人生が変わって、嬉しいよ」って、彼女に伝える事はできました。
数年はそのまま穏やかに、繁忙期には激しく、時が流れていきました。
祖母の怪我は完治し、私はそこそこのスキルを身に付け、転職と引越しを検討し初めていた頃でした。
そんなある日彼女から東京を離れるつもりだという連絡が入りました。
彼女は私の卒業後もスクールで先生をしていたのですが、それがあまりうまくいっておらず、だんだんと稼働が下がり、収入も下がり、公共料金や生活費も滞納しかかっているような状況だったそうです。
そして、そのことが親御さんに伝わり、帰ってくるように言われたそうです。
私は彼女の唯一の理解者だったので、私が彼女を幸せにしようと思いました。
彼女に引越し先でのルームシェアと、当面の生活費の負担と、その代わり家事をしてもらう事を提案しました。
しかし問題はお金です。彼女はお金がぜーんぜんないし、私も引越し料金(2人分)とルームシェアできる物件(2LDK以上)の敷金礼金・初期費用を払うのは苦しい状況でした。(実家とかに頼ると、生活できないならこっちに戻ってこいと言われてしまう)
折り悪くコロナの影響が、転職市場や私の現職の稼働に影を落とし始め、「やっぱり私実家に帰るよ」などと彼女が言い出して、これはいよいよヤバイなと思い始めた頃、
事態は急転して、なんとお金問題と転職問題が唐突に片付きます。
みなさまPayCareerさんをご存知でしょうか。企業と面談するごとに3万円もらえる転職サイトです。
そこで数件のスカウトが届き、多額の臨時収入を得られ、トントンと内定を複数頂く事ができました。
みなさま是非PayCareerをお使いください。求職者に寄り添うお心をお持ちの採用担当者のみなさまも是非PayCareerをお使いください。
その後物件探しにも散々苦労するのですがなんとか新居が決まり、私たちはルームシェアを始めることができました。
ある土曜日の晩、ブラックスワンという映画がどんな内容かをよく知らずに、なんともなしに見ていた私と彼女の関係は、日曜日の未明に友人から恋人に変わりました。
私は女子校だったので、女性同士でお付き合いしている人たちを長く近くで見ていた事、彼女は過去の経験から男性に恐怖心を抱いてしまうこと、ここ数年似たもの同士の2人がお互いを助けあって生きてきた事、要因はいくつもあったと思います。
多分お互い、本当のところは男性の事が苦手ないしよくわかっていないだけで、もしかしたら男性と付き合おうと思えば付き合えるのかもしれませんが、この上なく安心できて、優しさを掛け値なしに注ぎあえるパートナーを得られた時、それは問題になりませんでした。
人の寝言って今まで聞く機会がなかったのですが、彼女はすごいはっきりと寝言で喋るので驚いています。
私は転職する時に、自社サービスを持っていて、担当者の裁量で業務委託の採用や発注ができる企業を探していました。
きっかけは同棲してた彼女の妊娠が発覚し、たまたま転職を考えていたこともあって、里帰り出産するならいっそ彼女の実家の方で職探ししてみるか、となって東京⇒田舎ランキングで5本指に入る県への移住を決断した。
(自分の両親は芸術系の人間だったため、子供が産まれても金銭面以外の援助は一切期待するなと言われていた)
・良かったこと
家賃が安い
東京に住んでいた頃は駅から5分のお世辞にも綺麗とは言えない2Kの木造アパートに住んでいたが家賃は6万5千円だった、今は田舎で庭駐車場付きの2階建ての借家が6万ちょうどで借りれている。
2歳児の走り回る騒音を考えると、とてもじゃないが木造アパートには住めない。
車社会は意外と便利
東京に住んでいた頃は車の必要性は全くなく、教習所を卒業してから一度もハンドルを握ったことのない生粋のペーパードライバーだった。
一方で田舎は通勤も車、コンビニ行くのも車、朝のゴミ出しすら車で行く時もある。
維持費は掛かるがラッシュ時の満員電車とは無縁だし、小さい子供がいるとオムツ換えから食事まで全部車の中で住ませられる移動式の小部屋があるようなものなので、滅茶苦茶便利である。
もし東京で暮らし続けていたら、元気過ぎる我が子を毎週電車でどこかに連れていかなければいけないと思うと、ゾッとする思いである。
飯が美味い、そして安い
都会では中国産の玉ねぎしか買えない値段で、箱一杯の国産玉ねぎが買えたりする。
流行りの飲食店のようなものは無いが、平日の昼食も皆どうせ車で行くので、アクセスが良いから繁盛しているあんまり美味しくない店みたいなのが存在しない。
ただそもそも店が少ないのでどこも混んでいるのはネックだ。
・良くなかったこと
これはマジで厄介で、法すら介入できない地域のルールが根付いている。
田舎あるあるだと思うが、畑の隅っこでゴミを焼いている光景をよく目にするのだけれど、落ち葉や紙ゴミだけでなく明らかに燃やしてはいけないものが燃えている悪臭がすることが多々ある。
最初に暮らし始めた家の隣でいつも大量のゴミを燃やしており、悪臭と煙に悩まされていて警察にも相談したが「都会の人はもっと寛容にならないといけない」と対応してもらえるどころかむしろ説教されてしまった。
あと「勝手口の鍵を閉めてはいけない」という謎のルールがあり、言い付けを守っていたらある朝目覚めたら近所の婆さんがキッチンを漁っていたことがあった。
「豆を沢山茹でたからあげようと思って持ってきた、夏場だから冷蔵庫に入れようと思ってスペースを作っていた」とのことで、本人としては好意での行動だったのだろうが気持ち悪くて貰った豆は全部捨てた。
その日以降、小さな子供がいるので勝手口の鍵を開けていると勝手に外に出て危険だという理由で鍵を閉めることにした、文句は言われたが子供を理由にすると一応は引き下がった。
後は駐車場に勝手に車を停められていたこともあった、取りに来た時に文句を言ったら「前の居住者の時は何も言われたことなかった」と逆ギレされ、その地域では「長く住んでいる人間が偉い」という謎ルールがあったのでこれも警察はまともに対応してくれなかった。
自分は見た目がちょっとイカツい方(193cm105kg両腕に刺青有)なので文句を言えば相手が怯んだが、そうでない人は結構しんどいと思う。
人間関係が狭すぎる
人口が少ないせいか、誰かが誰かの知り合いというパターンがとても多い。
取引先に連れられていったキャバクラで働いているのが嫁の同級生の妹とかザラで、迂闊なことはできない。
そして買い物に行く店も皆一緒なのでしょっちゅう顔を会わせる、目立つ見た目をしていると「○○にいたでしょ?」と言われる、監視されているようで疲れる。
東京の人間というだけで敵対視されることがある、一方で「東京よりこっちの方が良いですよ」って言うと自分の子供が誉められたみたいに喜ぶ人が多い、居酒屋で見ず知らずの人に奢られたこともあった。
自分は東京どころか実家がある地域が良いと言われようが悪いと言われようがどうでもよいので、地元へのこだわりが強い人は少し扱いづらい、どう考えたって田舎なのに田舎扱いされるのを嫌う人もいる。
また狭い人間関係のせいか常識とか道理とか利害よりもプライドを優先する人が多い。
いい大人でも「舐められたら終わり」というヤンキー漫画の登場人物みたいな人が結構いる、東京はすぐ次にいけるが田舎はそうではないため、公私ともに立ち位置が重要なようである、学生時代の上下関係が社会人になっても続いているケースも多々ある。
このまま東京で生きていくつもりだった。
が、地方転勤になってしまった。幸いにも転勤先は妻の実家のある県だ。資格職でキャリアの心配が少ない妻は、地元に戻れると喜んでいた。
しかし、全国的に見ても田舎とされる県であり東京を出たことがない自分には未知の世界である。
正直まだ受け止めきれていないし、心配も多い。特に運転が苦手でペーパードライバーの自分は車社会に戦々恐々である。職場や地域の文化にも馴染めるかも不安だ。だが、せっかく得たチャンスと捉え前向きに頑張ろうと思う。
問題は子どもである。上の子は4月から小学校、下の子は4つだ。入学する小学校は近所の公立に決まり、保育園も第一志望にすんなり通せた。どちらも地元では雰囲気が良く面倒見が良いと評判のところらしい。
妻は、幼稚園から大学まで国公立。塾なども通わず学校の勉強だけで進学してきた人だ。だから、「大丈夫大丈夫」と言う。しかし、小学校から塾に通って中学受験し、予備校の支えで大学に入った自分は田舎で十分な教育が与えられるかとても不安だ。子どもにはできる限りの選択肢を与えたい。そのためには偏差値や学歴も気にしなくてはいけないと思う。
さらに、さまざまなところで言われている文化資本の格差も心配だ。自分は幼少期から図書館や博物館、歴史的な所縁のある地、動物園など様々なところへ親に連れて行ってもらい、それらに当然のように囲まれて育った。将来の夢を決めたきっかけも、そうした施設のイベントがきっかけだった。
気が早い心配かもしれないが、将来広い世界に出た子どもたちに「田舎で育てられた自分は文化資本が与えられなかった」と落ち込んでほしくない。だから、地方でもできる限りの文化資本にアクセスできるように親として努力したいと思う。
ただ「文化資本」と言うものにも少し疑問がある。都会には文化資本が豊富で、田舎には少ないーーが定説として語られている。けれどそれは、都会の社会階層の高いとされる人々が都会の価値観で都会にあるものこそ資本だと決めつけているのではないかと言う疑問だ。例えば、地方には都会にはない自然があるし、子どもの遊び場も豊富だ。苛烈な受験競争もないため、のびのびと学び・遊ぶ時間もある。一次産業が身近に存在し、(妻に聞くところによると)農業体験などの体験学習にも力を入れている学校も多いようだ。農家のような自然と関わって生きる仕事に就く人にとっては、そのような地方での経験は、「高い文化資本」になるのではないかと思う。それに、素晴らしい業績を残した科学者も、「自然の中で遊んだ経験が自分の糧となった」とよく話している。創造性が必要とされる現代においては、人と違う多様な経験を持つことはアドバンテージになるのではないかと思う。地方には地方の文化資本があるのではないか、それは都会でも「地元から得た独自の文化資本」として役に立つのではないかと思うのだ。
もちろん、都会の文化資本も子どもに与えたい。今はなんにでもインターネットでアクセスしやすい時代だ。コロナの影響で人の移動は難しくなりそうだが、地方で家賃などが浮く分家族旅行にあて、ホンモノを見せに行くこともできる。そうした工夫でできる限りの文化資本を与えたい。また、折角地方で育つのだから、地方でしか得られないような経験もさせてやりたい。地方で育ったことをむしろ誇れるような、そういう育て方をできたらと思う。
地元育ちの妻や義両親、親戚などにも聞きながら育てていくつもりだ(仕事も今より暇になりそうだからたっぷり子どもに関われる)。
はてなは度々文化資本が話題になるし、そういったことに詳しそうだ。地方で子育てしている人や、地方で育った人はどのようにして文化資本にアクセスしてきたか教えてほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20210131122416
ほぼ同じ理由で、コロナ禍だし、いっそのこと期間限定で海の見える家に住みたい…と、別宅借りたんだけど、
移動も買い物も車ないと生活できない場所だから強制的にペーパー脱出したんで、ブコメにも書いたけど参考になれば
親は遠方、友人知人もペーパーだから、隣に誰か乗ってもらうという手も使えなかったんで、素直にペーパードライバー教習受けた。
教習所のペーパー講習通うか迷ったけど、価格があんまり変わらなかったのと、密避けたくて自宅まで車持ってきてくれる出張タイプのペーパードライバー講習を受けた。
私の場合、15年のペーパーではあるけど、原付に乗ったことがあるんで交通ルールはそこそこ大丈夫そうだったので、
1日4時間のコースで、千葉に引っ越すので都内からアクアラインで千葉まで移動出来るようになりたい、と希望を出して予約した。
教習当日はレンタカーのヴィッツを持ってきて自宅に来てくれた。それに補助ブレーキをつけて練習する。
車幅感覚とかなにそれ?だけど、こまめに軌道修正の声掛けはしてくれた。(右行きすぎてるよ、とか、こういう場面だと速度もっと落として、とか)
基礎の車間距離や、速度、停車時は前の車のタイヤが隠れるくらい、とか、具体的なアドバイスをこまめに出してくれて、かなり勉強になった。
都内ならではの車道に多い自転車や人の避け方、狭路、すれ違い方も教わって助かった。
自分は免許を合宿でそれも雪の新潟で取ってしまってたんで、都内ならではの道路事情や運転を知れてよかった。
市街地走って、広い駐車場のある商業施設に入って、駐車の練習を何度か。
これも図に書いてのハンドルの切り方の説明分かりやすくて、よかった。
ペーパードライバー専門だからか、全体的に講習の人も物腰かなり柔らかい口調で、ペーパー特有のつまづくところが分かってるからか、説明がとても分かりやすくてよかった。
市街地を走る・駐車の練習・首都高の出入りがあるコースを組んでくれて、だいぶ足がかりになってよかった。
特に首都高は、免許持ってる人でも避けてる人が多いから、これがきっかけで乗れるようになってかなり助かった。
原付経験があったんで4時間で足りたけども、完全にペーパーであれば、複数回いるかもしれない。
出張教習の時間がもったいないので、交通ルール(標識まわり)の復習だけは事前に自習しておいたほうがいい。
講習後いきなり乗れるようになるわけではないので、その後も自分の車を持つまで間を空けずに自主練したほうがいい。
都内ならカーシェア網があると思うので、使わない手はない。格安のレンタカーでも良い。
初心者マークは100均で準備して貼る。「わ」ナンバーの初心者なんて近寄りたくないから、まず距離を置いてくれる。
15分250円とかなので(予約時間の15分前には乗車できるので、実質30分)、入出庫の駐車の練習だけでもいいから、慣れを忘れないようにしたほうがいい。
時間に余裕のある時はナイトパックを使って、交通量が少なそうな時間帯を選んで、
駐車場の広いスーパーや、映画館にレイトショー見に行ったり、ニトリ・IKEA等、都内でも駐車場代がかからない場所に、車で行く必要がなくても練習と割り切って乗るようにした。
このあと、格安の短期カーリースで車を6か月契約で借りて引っ越した。
都内と千葉の往復で何度も高速乗って、降りて、観光して、スーパー行ってを繰り返して、ようやく年末に初心者マーク外してペーパードライバー返上できた。
8月末にペーパードライバー講習受けたのでだいたい4か月くらいかな。
運転する頻度が週に1回ぐらいだからこれぐらい掛かったけども、頻繁に乗る人なら初心者マーク外すのもっと早いと思う。
ここまでくれば当分運転しなくても、そうそう簡単には運転忘れないだろうと言うところまでは来れてホッとしてる。
私の場合、旅行でレンタカー使えるようになりたい、という動機が大きかったんで、その為にしては大きすぎる出費だけど、今後何十年と使えると思えば満足してる。
駅から30分歩く
在宅勤務が終わったら通勤時間で1日が終わるような生活サイクルになりそう
とりあえず電動自転車を買おうと思ってる
生活環境としては、まずは隣室の会話・生活が聞こえて気になる、ということはさすがになくなった
が、郊外とはいえ住宅地で両隣ともほんの1〜2メートルの距離なので、生活環境が劇的に改善した、ということはない
マシになったのは確かだけど
教習所で運転がトラウマになって、ずっとペーパードライバーだったんだけど…
コロナ禍で家に引きこもり続けるのが精神的に無理になって、建物(マンション)や近くに他人の気配を感じないような家を買いたいと思った。
自分の年収で買える、コロナ禍が終わっても通勤できる範囲で、となると、車必須な環境…
こちとらペーパードライバー、車は運転しないつもりで通してきたが、実家で両親に何かあった時に車運転できないと、とは思ってはいた。
教習所に行けばいいのか?
アドバイス欲しい
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こんなにアドバイスもらえるなんて思ってなかった!ありがたい!ありがとう!
全部読読んでます!ありがたや〜頑張るよ
けど踏ん切りがつかない。
帰省つーても遊びに行くわけじゃない。
実家、元々雪降る地域だったけど、今年に入ってからなんかアホみたいに降ってる。
そんでまた今週末降るらしいじゃん。
年寄りしかいないから雪かきしに行きたい。前回はそらもう大変だったというか、連休雪かきで潰れたと言うから。
でも都内、コロナ流行ってるし。こないだホッテントリに正月帰省して親にうつして大変なことになった話とかあがってたし。
雪かきしてレンタカーで近場の温泉でも行って泊まって帰るとかできれば良いんだが、オレ10年越えのペーパードライバー。そしてド田舎あるあるの「車がないのは足がないのに等しい」。
やっぱ無理か?帰省。
でも正直言って、雪かき中にケガでもするんじゃないかと、そっちの方も心配で気が気でない。まだ医療の逼迫がニュースになるような規模ではない(はず)だが、そもそも病院少ないとこだから怪我しても普通に診てもらえない可能性高い。
はーーーーー。
とりあえず、あんま降らないように神頼みでもするかな……
都内に住んでいる。
万年ペーパードライバー状態を脱しようと思い、カーシェアに登録して月2、3回のペースで車を運転している。
しかし、問題となるのは目的地だ。東京近郊だと、車でなければ行けない場所はほぼない。駐車場がなくて却って車をだと行きづらいくらいだ。
とりあえず無駄に郊外のイオンモールに行ったりしてみた。イオンモールはすごい。こたつケーブルも買えるし輸入ビールも買える。都内で買い物をすると、建物が狭くてどうしても密になってしまう。広いイオンモールならそこまで密にならずに買い物ができる。
某緑地に行ってみたら駐車場がなかった(コインパーキングを利用した)。
今日は埼玉方面のラーメンショップに行った(コインパーキングを利用した)。
……他に行くところが思い付かない。
(前編 anond:20201231031127 より)
行きと同じように、出発24時間前にハワイ州の健康情報登録サイトに離島→ホノルルのフライトに搭乗出来るように健康状態を登録。後で分かるけれど米国内で空港の外に出ることはないのでこれはあまり意味がなかった。
同時に厚生労働省から指示されている入国時の質問票Web(https://arqs-qa.followup.mhlw.go.jp/#/)という手続きも実施。
12月中旬の時点ではGoogleから検索ではこのサイトにたどり着けず(今はたどり着ける)、成田で配られた紙に書かれたURLを打ち込んでアクセス。アンケートに答えてQRコード発行。
これがハワイ州の手続きのサイトと比べてかなり貧相。スマートフォンからのアクセスしか想定してない作りになっているし、質問項目の設定も前項目で該当しないはずのものを聞いてきたりと、使っていて不安を感じる作りになっていた。
発行したQRコードもハワイ州のサイトとは違ってメールで送ってくれず、仕方ないのでPCで画像保存したのを転送した。
なお、帰国の搭乗前はPCRの検査は不要。(米国本土から乗り継ぐ場合は必要らしい)
恋人と出来るだけ早く収まるといいね、早く日本に帰ったりまた遊びにこれるといいね、と話しながら空港でチェックイン。
そもそも飛行機に乗る人が少ないので空港スタッフが凄い暇そう。
日本に帰るとわかると、日本からきたの!へえ!こちらの方はこちらにお住まい!それは寂しいね!二人の写真を撮ってあげるわ!と写真を撮ってくれた。ハワイの人いい人だ。
見送りが見えなくなって飛行機に乗り込んで半泣き。ホノルル行きの機内のお客さんは乗っている間もしっかりマスクをつけていた。本当に意識が変わったよアメリカ人。
成田行きの機内は前後3列誰もおらず、横もはるか向こうの窓際に一人いるだけ。二重に付けたマスクは食事以外は外さずに過ごした。
こんなに空いている国際線初めて乗った。前方の座席は少し混んでた模様。
入国前の成田に到着する飛行機では「健康カード」と書かれた紙が配られました。厚生労働省の検疫所と署名があり上部に「入国される方へ検疫所よりおしらせ」とタイトルがふられていて14日間以内に新型コロナウイルス感染症が特に流行している地域から入国する人が必要な手続きについて書かれていました。
以下内容要旨の抜粋
1.特に流行している地域から聞いたことを必ず検疫官にお申し出ください。
2.入国した次の日から起算して14日間は指定された場所で待機し、外出せず、人との接触を控え、公共交通機関を利用せず滞在場所を記載して検疫官に共有し、健康状態を毎日チェックして、熱や咳や出たら指定医療機関にて受信してください。
というものでした。また同居の家族の人も十分に配慮するようにとか、相談センターや窓口の電話番号、外国語での医療機関の案内などのQRコードが記載されていました。
成田に到着。降機した後、速やかに専用の待合室(エリア?)に全員通されて検査をしました。
壁や柱のあちらこちらに
と書かれた紙が貼られてて、記されていた翻訳が
と丁寧さも礼儀正しさも30分という情報も含まれないものだったので、公式の場の翻訳の適当さに日本に帰ってきた感じがしました。
本当は写真を取りたかったのだけど完全に撮影禁止エリアだったので我慢。
健康状況の対面確認 → 検体取得 → 書類確認・結果通達 → 入国
の順番で行われました。
非接触型の体温計で体温測られながら、どこから帰ってきたか、咳はないか、熱はないか、などの質問をうけました。コロナが特に流行っているとされる国と地域(ほとんど全世界)だと抗原検査にまわされます。(回されない場合があるのだろうか)
検体とは唾液。事前の待列の案内に、唾液腺を刺激するマッサージの方法が書かれていました。こちらは日本語でも英語でも正しく書かれているようでした。
順番が来ると管理番号が発行されて、番号の貼られた検査キット(プラで出来てる漏斗とシリンダーの簡易セット。大体10ccくらい?の唾液の量のあたりに黒い線が引かれている)が渡され、唾液を入れるために選挙の投票用紙を書くような広さのブースに入って、漏斗に向かって唾を垂らす方法。ブースには酸っぱいものを思い浮かべましょうと梅干しとレモンの写真が貼られてたけど、「クエン酸」とか「ビタミンC」とか「アスコルピン酸」とか書かれている方が垂涎ものだと思う。元々唾液量は非常に多いと歯科医でお墨付きをもらっているので、ブースの後ろをウロウロしていた唾液量を確認する係の人に光を当てながら確認してもらってOKを貰い、出口で検査員に渡しシリンダー立てに立ててもらう。
出発24時間前に登録したアンケートが発行したQRコードと、パスポート、入国前に配られた前述の健康カードを確認してもらい、厚生労働省からのご連絡、と書かれた紙を渡されます。
二週間の健康状態の確認を行うのに、LINEアプリか電話番号の登録方法についての案内について書かれています。
(前のQRコード発行時にどちらかを選ぶ。)LINE使ってないので電話番号で登録できるのはよかった。ここで次の待機列で座る場所を番号で指定されます。
廊下に二列にソーシャルディスタンスを保った状態で並んだ番号のついたパイプ椅子に着席。この座席は空いても再利用されないようになっていました、
フライト自体人数が少なく、列に並んだ人も91人。ウロウロと歩き回る人や、マスクしてる以上に具合が悪そうな人もいたりして、周りで咳をする人がいると、みんなが振り返ってその人を見るという状況で気分は罪人。なんとなくバツ悪い感じで待っていると、館内放送で管理番号の下4桁が日本語と英語でそれぞれ読み上げられて検査室で結果を聞くスタイルで、ドキドキしながら40分程待機。
結果は陰性。
陰性だと信じていても、嫌疑かけられて証明する迄の間はやはり嫌なもので、結果を聞いてホッとした。
陰性だとわかると、健康カードにネガティブを表す(-)が貼られて、不思議なデザインの模様が入ったオレンジ色の紙を渡されます。(青い紙もあるらしい)
この紙を見せてやっと入国手続き→荷物受け取り→税関申告(犬が頑張ってた)→ゲートの外へ!
待機列に並んだのが20:04で結果を受け取ったのが20:50だからやはり実質1時間前後はかかるみたい。
成田空港の入国や出国手続きのエリアは2年前より明るく綺麗にハイテクになってて、
2020のイベントに向けてこんなに頑張って整えてたのになぁって思うととても寂しい。
早くコロナが収まってなんの障壁もなくこの場所が使われる日が来て欲しい。
陰性証明は貰ったものの、トランジットのホノルル空港や機内で感染してても未だ結果には現れないので14日間は公共交通機関は使えません。
それにも関わらず。 待機列で前にいた同じ便で帰国したはずの女性は1階の京成線のホームへ向かうエスカレーターに消えていくし、(どうなったか知らない)この日予約していた空港のホテル(陰性証明があると泊まれる)は若干遠いので行き方を空港にいたお巡りさん(複数)に聞いたら「遠いからそこのタクシー使っていけばいいですよーっ」て笑顔(マスク付き)で言い出す始末。タクシーって公共交通機関ですよね?ダメじゃない?帰国者だよ?と言い返したらお巡りさんが全員黙ってしまった。千葉県警察署大丈夫か。日本の水際対策の効果について不安を覚えつつ、40キロの荷物をガラガラ引っ張ってホテル迄歩いて行きました。
何故成田に一泊したかというと自力でレンタカーで帰るためでした。
成田のレンタカーショップが時短営業で軒並み到着便と同時刻に閉店してたので、次の日に出直して車を借りるため。
レンタカーも調べてみたら大手のトヨタレンタカーは乗り捨てに対応していなかったけど、タイムズのレンタカーが系列店舗への乗り捨てだったら陰性証明書の提示で利用出来るとのことで予約しました。
が、ここで待ったがかかります。
朝の京葉道は危ないんじゃないかとか、普段ペーパードライバーなのに大丈夫かとか、アメリカの道路ルールを見た次の日に日本のルールにすぐに戻るのか、などなど言われてても意に介してなかったのですが、親から書留が送られてきて、事故に遭って千葉県の医療従事者に迷惑かけるようなことがあってはいけないと現金が入っていました。散々悩んで帰国者用のタクシーサービス(成田から定額)に3日前で申し込みました。同時にキャンセルしたタイムズさんごめんなさい。成田から東京都23区外、大体25000円から40000円が相場。レンタカーが乗り捨て代金込みで16000円だったので送金がなかったら無理でした。
既に成田に一泊していたので、自宅に帰ってから14日間が自宅退避になります。
外に不要にでてはいけないし、お店にも入るのは憚られるし、公共交通機関は使わないでくださいとのことです。
予めこの14日に備えて買い置きしていた食材や、ネットスーパー、宅配便で食事はまかない、ゴミ捨てだけは敷地内なのでOKということにして、ベランダで仕事の合間に日光浴と宅配の受け渡し以外は一切外に出ていません。
帰国後14日間は保健所から連絡を行って健康状態を確認しているとのことでしたが、自動音声の電話かLINEに切り替わったとのことで、次の日から電話を待ちわびてました。が、かかってきたのは帰国後3日後からでした。内容は毎日かわらず、厚生労働省から海外から帰国した方への電話であること、14日以内の健康状態を確認していること、熱はないか、家族も熱はないか。せき、喉の痛み、鼻詰まり、鼻水、強いだるさ、息苦しさ、その他の風邪症状は無いか。という質問と、出来るだけ安静にして不要不急の外出を控えて手洗いと消毒を徹底してください、という内容を毎日大体お昼ごろにかかってきて言われました。一回出られなくて毎日かかってくる番号に折り返して登録しようとしたら、折返しでは受け付けられません、と冷たく言われました。電話に出なかったことでどんな罰則がくるのかビクビクしていますが今の所何も言われてないです。
昨日でやっと自宅退避が終了して大晦日の今日から外に出られます。14日間で合計歩数が20000歩行ってなくて本当運動不足が怖い。正月から散歩します。
恋人に会いに行くなんていうと聞こえはいいかもしれないけれど、今この時期には褒められた行動では全然ないです。バカかと思う。
この時期に移動する人は、やむに止まれぬ家庭の事情があるか、やっとハワイに行けるぜヒャッハー!!SNS!!映え!!という、やむに止まれぬ病な人のどちらしか居ない印象だし。
恋人は現地で在宅勤務やりつつ元気そうで、久しぶりに一緒にご飯を食べ庭を散歩してゲームをして、この一年が無かったかのように普通に過ごせました。すごい安心しました。
出来たら毎日一緒にいたいけど、今のところはいつでも話せる・文字や画面を共有できる技術の発達に本当に感謝しつつもう暫く我慢できそう。令和万歳。
そんな感じの数多にある遠距離の恋人に会いに行く旅行記の一つでした。
ここまで読んでくれた皆さんありがとう。
めちゃくちゃスクワットした後にタオルで首を絞めると迷走神経反射を再現できるらしい
本当に死ねるのか疑問。突発的に出来そうなところはいい。でも切ると痛いのが嫌。モルヒネが欲しいモルヒネが。
候補に入れない。飛び降りよりは飛び込み派かな。でも電車の遅延は迷惑だからあえて選ぼうとは思わない。
やるならレンタカー借りて目貼りしてアルコールで酩酊した上でやる。貧血や酸欠からのブラックアウトは良く経験してるからそこまで恐怖はないかも。ペーパードライバーなので、レンタカーを借りて運転するところが一番怖い。
アメリカだと銃の自殺が一番人気らしい。経口が小さいとぎりぎり死ねない地獄だそう。銃が手元にないから出来ない
服薬自殺が出来なくなってから久しいが、アルコールなら余裕じゃないかと思う今日この頃。アルコールを飲むと代謝経路的に脱水になる、から、脱水状態でアルコールをバカスカ飲めば死ねる気がする。脱水で死ぬのは比較的苦しくないらしい。
迷惑そうだからする予定はないが、風呂場で目貼りしてからなら許されるのかもしれない。楽に死ねそうなガスを選びたい。
病院からパクるしかないが。まあ、死という人生の一大イベントを少しでも安らかなものにするために盗むのは仕方ないと思う。むしろ、安楽死させない日本の医者たちに問題がある。
死ぬ前にやっとくのもいいと思う。どうせ死ぬし。きまってるときが人生で一番幸福だった、と形容する元シャブ中の話を聞いてかなり興味がある。しかし、シャブ中の人生は経験したくないから打ったらさっさと死にたいところ。
北国に住んでいた頃はよく考えていたが、夜中に雪の中をうろうろしていると寒くてそれどころではない。アルコールで身体を温める必要がある。
老人にならなきゃ成功率は低そうだが手軽なので試す価値はある。
これは結構ありだと思う。熱中症は何回もやってるが、きついっちゃきついが許容範囲。体験したことがあるので恐怖が少ない。問題は死ねるかだが、車の中など助けが来にくい状況を作って、なおかつ水分も控えるなどの工夫をすればいけるかもしれない。