はてなキーワード: バラエティ番組とは
酷いニュースなのはもちろんだが、それよりもっとおかしいのはマスコミの報道姿勢。
一通り事件について報道した後、オリンピックや都知事選の話題に何のためらいもなく移っている。
19人も亡くなるという戦後最悪の殺人事件であれば、即特番が組まれるべきで、他にもバラエティ番組を延期するなど何かしらの自粛ムードが起きても不思議じゃない。
政府の対応も同じで、首相も役員会で簡単な声明を発表するのでなく、きちんと映像付きで被害者と遺族の方へのご冥福と、事件の真相究明について語って欲しい。
その一方で、なぜアメリカのケリー国務長官やプーチン大統領が映像付きで今回の事件に対し迅速に声明を発表しているのか、なぜ日本より海外のメディアの方が大々的に報道しているのか。
ひとつ仮説を立ててみた。
海外では障害者の方も「当然」人権を持っているという意識が根底にあり、健常者だろうが障害者だろうが19人の人命が失われた事実にフォーカスし、同じように報道し、哀悼の意を表するのに対して日本人はもしかするとその意識が欠けているがためにこんなに軽いマスコミや政府の対応になっているのではないだろうか?
「日本の記者がロジャー・フェデラーにインタビューしたときに「なぜ日本のテニス界には世界的な選手が出てこないのか」と聞いたらしいんです。
するとフェデラーは
『何を言っているんだ君は? 日本には国枝慎吾がいるじゃないか!』
と言った」
という内容。
これだけで全てを判断することはできないが、日本人が障害者を軽く見ているというひとつの例ではないかと思う。少なくとも欧米よりは。
障害者だけでなく、社会的弱者全体への意識が低くなっていないだろうか?風当たりが強くなっていないだろうか?
「マスコミは民意の鏡である」という言葉があるが、まさにこのマスコミの報道姿勢は自分たちの障害者や社会的弱者に対する意識を現しているものだと思うがどうだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20160713084827
元増田は悪くはないんだけど、いろいろと指摘したくなるので、申し訳ないが書き直してみた。
この知識を頭に入れてくれないと、誤解しやすい。
この知識があると理解が進むのです。
生物学上の性が男 and 女性的な格好・言葉づかいをしている
自分で自虐的な意味で使うのは良いが、他人にへ使うのは好ましくない。
メディアはオカマという言葉を控える代わりに別の呼び名を作った。
それがおネェである。
ただし、これに侮辱のニュアンスを感じる人もいるため、今後オカマと同じ運命をたどるかもしれない。
また、おネェと自称する当事者はあまりおらず、メディア上の(特にバラエティ番組での)特殊な言葉である。
→「生物学的な性が男 and (女性的な格好をしている or 男性が好き)」のor抜いた
他は文句ない。
生物学上の性が男の人に主に用いられる言葉で、異性装(男なので女装)の嗜好がある、ということ。
生物学上の性が男 and 男性のみが好き and 性同一性障害ではない
ttp://anond.hatelabo.jp/20160118180656
女装の嗜好があるかは問わないし、自分の観測してきた範囲だと、ゲイで女装して過ごしている人は少数派だ。
生物学上の性は厳密には問わない。
レズと省略すると、侮辱するニュアンスが含まれるため、「ビアン」と省略するのが穏当。
LGBTのL。
実は、格好や性対象は関係なく、自身の性に対し違和感を抱いているかどうかで判断される。
女性から男性になる、男性から女性になる人は、トランスジェンダーと呼ばれる。
性指向は、自分は女性だと思っているので、男性になる傾向がありそう。
自身を女性らしくすることを強く望み、普段から女性の格好をしようとする、またはできるようにする。
女性ホルモンを使うことで見た目を女性的に近づけることができるが、1年以上かかり、成果もばらつきがある。
生物学上の性と性自認の問題なので、性指向等は関係ありません。
ただし、性同一性障害の人にとってこれは侮辱の言葉なので使うことは禁忌だ。
上記の属性以外にも、少数だが、ナルシズムやマゾヒズム、破滅願望などの性癖を満足する手段として女装をする人がいる。
また、厨二病の延長で、何もない自分に何らかの特殊性を獲得するために女装する人もいる。
それらがいきすぎて女性ホルモンを使ったり性転換までしてしまう人も見られる。
しかし、彼らは社会的な承認を得るために性同一性障害と主張するので、結果的に性同一性障害の人と見分けがつきにくくなる。
その動機故に、性対象は女性、または両性である割合が高い傾向がある。
特殊であることが彼らをかりたてているので、承認欲求を満たすべくSNSをやっている人が多い。
逆に、性同一性障害の人は自身の過去を隠し、元男性であることを明かしたくないのでSNSでそれを主張する人は少数派である。
→条件が単純、というか、ただの嗜好。ま、分析は好きにして。
個人によって何がOKで何がNGかはバラバラなので、当たり障りのない呼び方をするのが良いと思う。
最大公約数的な対応を考えるなら、オカマやおネェ、女装という言葉は使わず、女性と言えば丸く収まる。
もし、厳密に男性として扱わなくてはいけない場合は、「生物学的に」男性と一言つけることでだいぶ印象が変わる。
基本的にこの手の話は、プライベートな情報なので、親しくなってから聞くものです。
遺伝子がXXかXYか、で良いと思うんだけど、、、XXXとか例外がいるんですよね。
例外の人には申し訳ないけど、男性・女性・その他、の三分類が適当かな。
基本的なコミュニケーションにおいて、生物学上の性が重要になることはあまりないと思います。
強いて言うなら、トイレや更衣室を用意しないといけない立場になった場合に、
また、生物学上の性により思い込んでいるケースもまま見られます。
これも第三の性を提起する人がいるので、男性・女性・その他、の三つ。
相手のアイデンティティーなので、基本的なコミュニケーションでも留意する必要があります。
他にもいろいろあるらしいですが、その他、として5分類とします。
同性愛(ゲイ・レズビアン)、異性愛(ヘテロ)、両性愛(バイセクシャル)、無性愛(アセクシャル)が関係する言葉です。
生物学上の性ではありません。
性同一性障害でなければ、ややこしくはありませんが、性同一性障害の場合、
以下の組み合わせが発生します。(単純な組み合わせのみ)
生物学上の性 | 性自認 | 性指向 | はため | 実際 |
---|---|---|---|---|
男 | 女 | 異性(男が好き) | 同性愛(ゲイ) | 異性愛 |
男 | 女 | 同性(女が好き) | 異性愛 | 同性愛(ビアン) |
女 | 男 | 異性(女が好き) | 同性愛(ビアン) | 異性愛 |
女 | 男 | 同性(男が好き) | 異性愛 | 同性愛(ゲイ) |
外見に顕著に表れるのは、異性装か否か、ですね。二分類。
男装、女装、異性装(クロスドレッサー、ドラァグ、トランスヴェスタイト)が関係する言葉です。
元増田でも触れられているように、生物学上の性が男・性自認が女の人に「女装」というのは危険でしょう。
現在の性という書き方をしたのは、性転換をしていた場合、生物学上の性から変わっているからです。
ここまでで、性同一性障害とゲイ、女装までは、分類できました。
最後「オカマ、おネェ」ですが、、、用語の定義が明確ではないのが実態です。
ホモフォビアとして「オカマ」という単語が発せられる場合、「ゲイ」に対してが多そうです。
タイトルの属性の違いは一般の人にとってすごくわかりにくいと思う。
自分ではそのつもりはなくても、その言葉を使うことで「傷ついた」という人も出てきて、煩わしく感じている人もいるかもしれない。
自身は知見があるので、それらの言葉の違いと、どうすればよいかを簡単に記していきたい。
生物学的な性が男 and (女性的な格好をしている or 男性が好き)
自分で自虐的な意味で使うのは良いが、他人にへ使うのは好ましくない。
メディアはオカマという言葉を控える代わりに別の呼び名を作った。
それがおネェである。
ただし、これに侮辱のニュアンスを感じる人もいるため、今後オカマと同じ運命をたどるかもしれない。
また、おネェと自称する当事者はあまりおらず、メディア上の(特にバラエティ番組での)特殊な言葉である。
生物学的な性が男 and 男性のみが好き and 性同一性障害ではない
自分の観測してきた範囲だと、ゲイで女装して過ごしている人は少数派だ。
もちろん、男性に好かれるために女性になろうとする人もいるが。
http://anond.hatelabo.jp/20160118180656
テレビのようなステレオタイプなゲイはお店に行けば会うことができるが、普段からあのノリの人は少数派だ。
マサイ族が普段は都会暮らしで、客が来たら民族衣装を着て狩りをするのに似てる。
自身の生まれ持った性に嫌悪感を感じ、反対の性になることを望む人
実は、格好や性対象はあまり関係なく、自身の性に対し強烈な嫌悪感を抱いているかどうかで判断される。
ここではタイトルの趣旨から、男性から女性になる人について書く。
性対象は、自分は女性だと思っているので、男性になる傾向がある。
自身を女性らしくすることを強く望み、普段から女性の格好をしようとする、またはできるようにする。
女性ホルモンを使うことで見た目を女性的に近づけることができるが、1年以上かかり、
その期間中は男としても女としても違和感のある存在になりがち。
自己実現できていない人や性別移行中の人は、男性であることが受け入れられない自己否定と周囲からの視線や偏見によって病んでいる人が多い。
素材や性別移行開始年齢によって見た目に大きく差が出る。
それらに恵まれなければ、女装した男にしか見えない容姿になってしまう。
社会生活でそれが不利に働くことを認識している人の中には、敢えて男性の姿で生活している人もいる。
ただし、性同一性障害の人にとってこれは侮辱の言葉なので使うことは禁忌だ。
上記の属性以外にも、少数だが、ナルシズムやマゾヒズム、破滅願望などの性癖を満足する手段として女装をする人がいる。
また、厨二病の延長で、何もない自分に何らかの特殊性を獲得するために女装する人もいる。
それらがいきすぎて女性ホルモンを使ったり性転換までしてしまう人も見られる。
しかし、彼らは社会的な承認を得るために性同一性障害と主張するので、結果的に性同一性障害の人と見分けがつきにくくなる。
その動機故に、性対象は女性、または両性である割合が高い傾向がある。
特殊であることが彼らをかりたてているので、承認欲求を満たすべくSNSをやっている人が多い。
逆に、性同一性障害の人は自身の過去を隠し、元男性であることを明かしたくないのでSNSでそれを主張する人は少数派である。
個人によって何がOKで何がNGかはバラバラなので、悪気なく上記の言葉を使っても当人を傷つけてしまうことがある。
それが面倒くさく感じてしまうと思うが、対応策としては当たり障りのない呼び方をするのが最も簡単であろう。
当事者を呼ぶ場合に最大公約数的な対応を考えるなら、オカマやおネェ、女装という言葉は使わず、女性と言えば丸く収まる。
もし、厳密に男性として扱わなくてはいけない場合は、「生物学的に」男性と一言つけることでだいぶ印象が変わる。
あの人は生物学的に男性だから。のような呼び方をすれば、当人を傷つけるケースは減るだろう。
追記:
http://anond.hatelabo.jp/20160713184113
の人が、本記事に対して不完全性を補完しようとしてくれた。
大変ありがたいのだが、本記事の趣旨を明確にしていなかった私のミスだ。
興味のない人にとって新しい概念を理解するのはすごく重労働だ。場合によっては知らない言葉が出てきた瞬間聞くのをやめる人までいる。
簡単な概念であっても「性思考」、「性自認」と言った言葉は普通の人には馴染みがないし、なんとなくつかんでも実感がわかない。
windowsユーザーに「ターミナルやvimというものがあってだね」と言おうものなら、その時点で情報をシャットアウトしてしまう人は多いのと同じだ。
そこで、今回はそれぞれ言葉としてはそこそこ有名だけど、どう違うの?という人に向けて書いたのだ。
(故に網羅的ではなく、トランスヴェスタイトなり、FTMなり、そこまで知名度の無い言葉や類似性が乏しいものについては書いていない)
当事者にとっては性思考、性自認、思考の区別は明確だが、知らない人にとってはごっちゃになっている。
また、当事者が意図せず傷ついてしまい、それ故に当事者と関わるのが面倒くさいという人もいる。
ここではなるべく新しい概念を持ち出さずに、既に知られているがややこしい言葉の違いを一般的な言葉で違いを伝え、当事者を傷つけないようにするための簡単な手段を記した。
ということを文頭に書くべきだったが、あまりに簡素に書きすぎてしまった。
申し訳ない。
他称による賞賛としての「アイドル」ではなく、職業としての「アイドル」だ。
とはいっても、冷静に曲を聴くと「わりとちゃんといい曲だなあ」と思ったりする。
基本的に派手なショー的なものは好きなので、ライブも行ったら面白いのかもしれないと思う。
でも、好きじゃない。
何がこんなに嫌なんだろうなと思うんだが、
なんというか、思い出すのは、その昔バラエティでやってた「ポケビ」と「ブラビ」である。
バラエティ番組の中で、彼らはときにライバルとして競わされ、ときに意味の分からない像を手売りさせられ、
「これに負けたら解散」「これができなきゃCD出させない」と散々に追い詰められていた。
当時子どもだった私は追い詰められる千秋やビビアンを心から気の毒に思っていたし、番組のゆくえにハラハラした。
そういう幾重の困難を乗り越えて出された曲も覚えて何度も口ずさんだ。
けど、不意に気がついた。
こんなの全部うそっぱちだな、と。
くだらない試合だの課題だの、それができなければこの世の終わりみたいに演出されてるけど、
そんなの全部番組のさじ加減一つだ。
彼ら彼女らはすごく一生懸命がんばっている(ように描かれている)けど、
そのがんばりは、言ってみれば、誰かがつくった回し車を一生懸命回しているだけだ。
あれだけボロボロになって涙を流してがんばってるのに、その努力の方向は「私たちはこんなにたくさん回し車を回せました!」なのだ。
そんなの見ていられない、と思った。
歌いたいなら歌えばいいのに、なんでそれじゃだめなのだ。
(ASAYANが同じことをしてモー娘を売り出していたが、それは見てなかったのでよく知らない)
今となってはあそこまで露骨にリアリティショーめいた見せ方をするアイドルも少ないだろうが、
結局、今もアイドルというものの売り方はそう変わっていないんじゃないか、と思う。
彼らは、基本的に、その狭い枠のルールの中で競い、勝ち取り、メディアに露出する。
そしてファンたちもまた、そのルールと規範を共有し、事情通がそれを解説したりする。
彼らがいま売り出されてるのはこうこうこういう理由なんだよ。
そういう誰かがつくった、狭い世界の中の狭いルールで競うスポーツである。
あそこで華やかにライトを浴びているのは、その、せっまい世界のスポーツの勝者というだけだ。
彼らは歌唱力やダンスなど、本来の売り物については、非・アイドルに比べ多くを求められない。
というか、グループ内での優劣は苛烈なまでに強調されグロテスクなまでに書きたてられるのに、
グループの外の人間とは、比較されることもないし同じだけの技量を求められることもない。
あたりまえだ。彼らのスポーツはグループ内でしかルールを共有されていない。
仮におなじ「アイドル」と呼ばれていたって、他のグループならば違うスポーツをしているのだ。
どこかのドラマに出たって、舞台に出たって、彼らは過剰な期待はされない。
外の人間も、「アイドル」という枠組み以上の技能がないことはある程度当然として受け止めるからだ。
けれどもなんだか釈然としない。
彼らが「アイドル」というマイナースポーツに興じているのは勝手だし、その勝者としてたたえられるのも勝手だが、
マイナースポーツの一流選手だからといって、他のジャンルでまで彼らを尊重する理由があるだろうか。
ポケビやブラビの対決に一喜一憂していたころ、私は「ウリナリ」というマイナースポーツのルールを把握して、その枠組みの中にいた。
けれど、今のアイドルたちのルールにははまれない。なんだかばかばかしいからだ。
音楽もダンスもバラエティもドラマも好きだけど、そのどの分野もきちんと優劣を競い優れた結果を残してる人たちがいる。
内輪のマイナースポーツでいちばんになることに全力を注いできた人たちに、特別用はないのである。
かんけいないけど「タイミング」は未だにいい曲だな…と思うし
----------------------
>スポーツも嫌いなのか
正直あまり興味がないので詳しく知らない。
が、別に嫌いでもない。
スポーツは各種競技、ルール制定に関して公正であろうとしてる(と、信じてる)し、
スポーツのルールは別に選手たちを遮二無二「努力」させて、その過程を見世物にしようと言う意図で作られてないからだ。
サッカーのルールに準じて得点を得ようとする行為はべつに嫌いじゃないけど、
「これから試合まで、いちばん練習時間が長かったチームに、3点を追加する」みたいなハウスルールを作ったりしたら嫌いだと思う。
現実のアイドルの有様を踏まえたうえで成り立ってるエンタメだと理解してる。
なので好きではない。
てか、このエントリを書こうと思った動機は、知人に某アイドルソシャゲを猛プッシュされ
「嫌だ、どうしても嫌だ、アイドルってだけで正直やる気なくす。でもなんでこんなに嫌なんだ」
知っている。それにもいくつか段階があって、
「アイドル枠で客寄せに出てるだけかと思ったら意外と善戦してた」
「アイドルファン向けの舞台だけど、作品として作り込まれてた」
などあって、一、二段階目はやはり「過剰な期待はされていない」し「アイドルという枠を出た実力は求められていなかった」結果だと思ってる。
三段階目にあたる人が全くいないとは言わないけど、全体としては少数、例外だと思う。
あとベテランレベルでアイドルだったこと自体忘れ去られてる人か。
ただ、そもそも私は、活躍するアイドル出身の個人を否定する気はない。
だれか個人が嫌いなわけじゃなく、現代のアイドルというシステムが好きになれないのだ。
(余談だが、蜷川氏なんてのはまさに商業的理由からアイドル起用してた人なので、反論として出されるのに疑問がある。
起用理由に関してであって、舞台上での個人の努力を疑うものではないけれど)
>曲は残る
そう思う。あと10年して、アイドルのありようとかがどうでもよくなったら、
その時はじめて、曲としてフラットに聞けるんじゃないかと思う。
アイドル以外にも聞く曲はたくさんあるので、
イギリスのEU離脱問題で、Twitterとかで「スコットランドは日本でいえば北海道みたいなものだからー」という人が意外に多くてびっくり。
スコットランドは北海道と地理的環境は似ているけど、歴史的に言えば全然違うよ。
強いていえば、東北地方だよ。特にアイヌ文化がそこそこ残っている東北北部。
まあ、北海道こそアイヌ文化の本場だけどさ、スコットランド的な意味では歴史性が全然違うんだよ。
現代では東北も会津地方以外は「維新史観」に洗脳されて、他の地方との歴史の連続性を当然視する向きがあるけどね。
そんなわけで、イギリスの各行政区分「国(country)」を日本にあてはめると、
東北を除く本州の大部分。ロンドンは東京へ遷都されずに京都がそのまま首都になった感じ。
あと、カンタベリー大聖堂のあるイングランド南東部は、お遍路とか宗教的な聖地という意味で四国に近いかな。
でも、実はイングランド王室って、発祥がフランスだったりするので、日本に無理やりあてはめると
中国大陸発祥の一族が日本を征服したことになってしまうので、まるで騎馬民族征服王朝説ですね(笑)
ちなみに、イギリスとフランスの文化的な関係は、日本と中国の関係に結構似てます。
九州に近い。王太子が「ウェールズ公(Prince of Wales)」と呼ばれるように、他の地域に比べてイングランドとの一体性が強い。
九州(宮崎県)が皇室のルーツであるように、かの有名な「アーサー王の伝説」もウェールズに縁が深い。
ウェールズ人は怒りっぽいというステロタイプがあるけど、熊本人が怒りっぽい(肥後もっこす)というのとちょっと似てる。
上で述べたように、東北地方に近い。中央政府(イングランド)にずっと対抗してきた歴史があり、文化や(遺伝子レベルで見た)人種も結構違う。
東北地方の地名にはアイヌ語に由来するものが多い(気仙沼の「ヌマ」とか)けど、スコットランドも独自の語彙が少なくない(ゲール語)。
じゃあ、同じケルト文化圏のコーンウェールとかどうなんだと突っ込まれそうだけど、強いていえば北陸~東北の日本海側あたりですかね?
この地域こそ北海道に近い。でも、本当は朝鮮併合後に日本から独立しなかった朝鮮半島、というイメージが最も似ている。
カトリックを中心とした民族運動についていけなかったプロテスタント系の住民が多く、アイルランド共和国から分離したので、
無理やりイメージすれば、今の北朝鮮にあたる地域(平壌~新義州あたり)だけが日本から独立しなかったという感じ。
ほら、こう書くだけでどうしてテロを伴う激しい独立運動が起きたか簡単に理解できるでしょう? 最近はまったく平和ですが。
ついでに言うと、マン島とか王室保護領は、独自の文化圏という意味で沖縄および八重山諸島っぽい感じですかね。
<追記>
この前バラエティ番組で "United Kingdom" を「連合国」って訳したフリップを使っていたけど、
United Kingdom は「国連(United Nations)」とは違って、United が形容している名詞が単数形だから、
「(複数の)王国群の連合」ではなくて、「(複数の王国が)統合された単一王国」が正しいのね。
実は「連合王国」という公式訳はちょっと誤訳気味だというのは業界(何の業界だw)では有名な話。
自覚したのは高校生の時で、思い返してみると小学生の頃からそうだった。
コミュ力が高いわけではい。人見知りだし、コミュ障だし、友達も少ないし、人気者というわけでもない。
学生時代は目立たないグループにいた。仲いい人達とだけ喋れる、っていう典型的な内弁慶。
しかし、複数人で話していると、いつの間にか私がその中心になってしまう。
例えるなら、バラエティ番組の司会とひな壇芸人。「踊るさんま御殿」のさんまとそれを取り囲むタレント、ってのが一番近いと思う。
飲み会の席などで、なぜか皆、私に向かって話をする。私以外の間で会話がないわけではない。相槌や茶々を入れたり、質問を挟んだりはする。
しかし、基本的に自分が話の聞き手になってしまうのだ。A→私、B→私、A→私、C→私・・・という風な会話の流れになってしまう。
バラエティ番組の司会とひな壇芸人という例えを出したが、もちろん私から話し手を指名しているわけではない。
「この間こんなことがあってさ、」「聞いてよ、アイツがー」「そういやあの話聞いた?」を言われるのが毎回私なのだ。なぜなんだ。
前述した通り、私はコミュ力がなく口下手だ。司会でもタレントでもなく、出来ることなら観覧席で笑っていたいタイプなのだ。
話を聞きながら笑い、たまにツッコんだりするポジションでいたいのだ。
しかし、彼らは私を見ながら話す。私は、相槌を打ち、リアクションをし、話の続きを促す。
私は、どうすればいいんだろう。
私がいない時、友人達はどういう風に会話をしているんだろう。
暇だよね。ゲームも漫画もアニメもドラマもバラエティ番組もめっちゃ見てるけど、
そろそろ飽きた。
かといって自分で何かアクション起こして、楽しいこと見つける気にもならない。
行動力ある人ってすごいよね。いろんなこと思いついて。
俺は何にもおもいつかねーわ。
思いついたら即行動しろ!とか暇つぶしに読んだ自己啓発本に書いてあったけどさ、
行動しようにもなんにも思いつかないんだから、行動できんわな。
まぁ25年足らずしか生きてないけどさ
その25年がクソすぎて、こんなダラけきった脳みそになってるんだろうけど。
よくよく考えたら、今までの人生で一度たりとも努力したことないのが原因なんだろうな。
たいした努力をしなくても、できることしかやってない人生送ってるし。
大学卒業してからやりたいことなんかなかったら、3ヶ月ぐらいフラフラしてたら、
就職しろって親に言われて、「ハイハイ」って感じで適当に就活して適当に就職。
その会社もやめて、別の会社入って、体壊してやめて、今なんもしてない。
あーまじクソだな。俺最悪じゃねーか。
普段から人に偉そうなこと言ってるくせに、自分はなにもできない。
いざ何かやろうとしても、結局できなくて、一回失敗したぐらいですぐ諦める。
てかそもそも失敗しないんだけどね。なにもしないから。
そりゃ人に偉そうに言うわな。失敗してないし。人より傷ついてないし。
自分が傷つかないように、努力してるんだからね。いやほんとマジクソ野郎だわ。
なにしゃべっても、うすーい話だしな。
ダメだわ。
要するに、今後の人生なにやって生きていけばいいのかわからないんだよね。
かと言って、今更毎日同じ時間に起きて、同じことやって同じ時間に寝るみたいな
ん?
んじゃまず、金稼ぐ方法考えるわ。
まぁいいや。書きたいこと書いたらスッキリした。
小さい頃は誰もが同じ番組を見て、それがひとつの常識を形成していた。
思春期になると、そんな番組、特にバラエティ番組に違和感を覚えた。
一方で平等や差別撤廃を主張するが、その一方で真逆のことを行っている。
端的に言えば、容姿差別、年齢差別、性差別、人種差別、序列差別。
それをダシに笑いをとり、矛盾を指摘すると空気が読めないと言われ、
いつのまにか負の属性を持つ人はそれを受け入れざるをえない状況になっている。
それを跳ね返すほどの長所を持っていれば自己肯定もできるだろう。
幸い私はどちらかといえばかなり恵まれている部類ではあったので、
その負の影響を受けることはなかった。
だが、自身の中の正義感が、おそらく傷ついているあろう仲間たちの気持ちを想像するだけで悲しくなった。
もちろん、そんなものと独立しているコミュニティもあるが、テレビの影響力を考えると、
多くのコミュニティでその価値観が刷り込まれ、何の疑問もいだかない状況に陥っているのではないか。
そんな価値観を作ってきた人々が、今やテレビのご意見番となり、
イジメや不正を否定し、まるで神の啓示のようにありがたがられる状況に恐怖を覚える。
これほど思考停止な意見はないだろう。なぜ、下の世代に理不尽を残そうとするのだろうか。
幼少期はそうした価値観に影響を受けやすいので、私は子供にバラエティをあまりみせないし、
それらはヤラセで台本があり、独特の空間であることを定期的に強く伝える。
意識高い系の代名詞としてすっかりインターネット上で定着してしまったTehu君。改めて、現在の彼のインターネット上における立ち位置を再確認してみようと思う。
Tehu君が意識高い系に落ちるまでの経緯は、以前書いた
「Tehu君に学ぶ傷だらけのセルフブランディング」を読んでくれれば大体わかると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150901202400
あれから、10ヶ月近く経過し、現在もまだTehu君は意識高い系として扱われ、日々、ネット上で嘲笑されている。
それどころか、ネットにおける彼の立ち位置は去年よりも更に悪くなっていると言える。
2016年の初頭から「意識高い系速報」という2chまとめサイトが誕生する。
このブログでは、主に意識高い系に関するスレッドが扱われるがその中でもTehu君に関するスレッドはすぐにまとめられてしまう。このブログではTehu君以外にも、堀江貴文や女子高生社長の椎木里佳なども扱われる。とりわけ、Tehu君の愛弟子の椎木里佳もTehu君同様痛い発言&ネタの宝庫ではあるものの、Tehu君にはまだまだ敵わない。
将来的にはTehu君同様ひとつ大きなまとめが作れそうなキャラクターではあるが、そこまで詳しく知らないので、今はやめておくことにする。
また、「意識高い系速報」以外にも「もみあげチャ~シュ~」や「あじゃじゃしたー」などでも度々Tehu君が取り上げられており、そうしたブログなどでTehuくんを知る人も増えると同時にTehu君アンチも大量に増殖し続けている状況である。
数ヶ月前、はてぶでもホットエントリーとして紹介された意識高い系をテーマにした記事
朝日新聞の原田朱美氏が書いた「意識高い系をたどる」という連載記事の中で"「意識高い系」標的、Tehuさんの本音「僕は遊び道具なんですよ」"
というTehuくんを炎上被害者として特集した記事が出るとTehuアンチに更に火をつけてしまった。
「意識高い系」標的、Tehuさんの本音「僕は遊び道具なんですよ」
http://withnews.jp/article/f0160402003qq000000000000000W03j10101qq000013222A
記事の内容としては、Tehu君が炎上してきた過去にスポット当てた記事なのだが、小4なりすまし事件や数々の虚言疑惑に対するツッコミが甘い記事だったため、記事の内容を赤ペンで添削した人物(通称・赤ペン先生)が2chに現れ記事の内容をボロカスに否定。その添削画像が上記のまとめブログなどで転載されることになり、炎上は更に加速。その中で誕生したTehuアンチ(通称・Tehuer)がTwitterに流れ、Tehu君がツイートする度に罵詈雑言を浴びせるという事態が現在もなお続いている。
しかし、この記事の中身が甘かったのはある意味当然で、小4なりすまし事件を起こした青木大和と記事の執筆者である原田朱美氏は騒動前からの知り合いである。また、原田朱美氏自身も「小4なりすまし事件」の一部関与が疑われている人物のため、事件について触れた記事を書くわけがないのである。彼らにとっては消えて欲しい過去の物なのだから当然といえば当然だろう。
身内が身内を擁護したこの記事はアンチ達には開き直りと取られたのだ。原田氏としてはTehu君の炎上を鎮火させていく方向に持って行きたかったようだが、自身の記事が原因で火が大きくなるとはなんとも皮肉な話である。
補足しておくと、記事を書いた原田氏は一部右寄りの方々から「小4なりすまし事件」についての疑惑を指摘をされたが、ノーリアクションを貫き通しているようだ。
ここ数ヶ月のTehu君の行動の中でも際立っているのが、この自伝放り投げ事件である。「二十歳になったばかりの人間が自伝書くのってどうなのよ?」というツッコミはここではスルーする。
現在、インターネット上に氾濫するTehu君に関する情報はお世辞にも良い物とは言えない。はっきり言ってしまえば、ネガティブな情報ばかりである。そんな状況に我慢ができなくなったTehu君はネット上にはデマが多いという理由でオフィシャルな情報を有料のnoteに全20回(1話200円)にわけて生い立ち時から毎週連載していくと高らかに宣言する。Tehuer達は震えた。Tehuが数ある噂を自身の口から公式に否定すると宣言したのだから。
しかし、待っても待っても、第1回目の連載がスタートしない。当初、2月の中旬に1回目の連載がスタートする予定だったが、延期に延期を重ね、宣言からおよそ3週間後、Tehu君の自伝の1回目が公開された。しかし、1回目の無料の冒頭部分がまたしても、赤ペン先生にほって文章力を中心に添削されてしまい、待望の連載はこの1回でストップすることになる。
また、1回目のコメントがほとんどついていない点などから考えると、この有料noteの売上もほとんどなかった事が容易に推測できる。Tehu君が多数抱えているTwitterのフォロワーすらも買ってくれないというなんとも悲しいものであるが、宣言した20回の自伝をいきなり放り投げたのは回を重ねるごとに増していくであろうツッコミに恐怖してしまったのだろう。連載を続けていけば、過去のツイートやニュース記事のキャッシュなどから矛盾を突きつけられる可能性は極めて高い。
それなら、そもそも連載なんかしなければいいのでは?と思うだろうが、彼は先読みができないタイプなので、こうやって、失敗するパターンが多い。自分の発言が後でどういう影響を及ぼすかあまり考えていないのだ。
そんなこんなで、自身で宣言した20回の連載も宣伝の固定ツイートもいつの間にか無かったことになりnoteは放置されることになった。
東大よりもぶっとんだ人が多いという理由で、AO入試で慶応義塾大学のSFCに入学したTehu君。
わかっていたことではあるが、僕がもともと志望していたT大に比べれば平均は圧倒的に低い。
それでも僕がこの学校を選んだ理由は、数%のぶっとんだ人間が、T大とは比べ物にならないからだ。
しかし、彼は現在、留年と休学を重ね、今年で3度目の1年生として慶応義塾大学に籍を置いている。別に深刻な病気や怪我をしたわけではない。
あれほど東大を貶してSFCを持ち上げていたにも関わらず、肝心の大学には顔を出していないらしい。たとえ、本人が決めることとはいえ、AOで入れてもらったのだから、流石に3度目の1年生に対していい加減、周りの大人も本気で怒るべきだと思うが、怒られている様子もない。どうも周りの大人達はTehu君にはあまり関心がないようだ。
慶応の校則についてはそこまでよく知らないが、大学に来ない状態がこれ以上続くと「放塾」という扱いになり慶応に在籍していたという事実も消えるとかで、「中退」扱いにはならないらしい。要は高卒である。これでいいのか?Tehu君。
しかし、まだ、慶應に在籍していると本人は言っているので、おそらく、次も1年生だったら、アウトなのだろう。個人的には、せっかく勉強できる環境があるのだから、お仕事ごっこなんかしてないで、普通に大学に行って、勉強すればいいと思うが、Tehu君的にはまだまだ大人たちと戯れていたいのだろう。
Tehu君が現在向けられている疑惑の一つが株式会社TTTT問題である。昨年11月「ORF2015」という慶応義塾大学が主催するこれからの未来について話し合うイベントの中でIT、デザイン、人文、芸能などの未来について話し合うトークセッションにTehu君は学生の一人として参加。他の学生らもロボットクリエイターやバイオ研究者など様々な肩書で登場する中、Tehu君も負けじと、新しい肩書をひっさけで登場する。
「株式会社TTTT 代表取締役CEO & クリエイティブディレクター」
クリエイティブディレクターは以前から各所で名乗ってはいたが、いつの間にか社長になってたらしい。もちろん、この肩書についても2chでスレッドが建てられる事になるのだが、肝心の株式会社TTTTの詳細は一切不明。
そもそもTTTTとは一体何なのか?
Tehu君が以前、ホンダ車のNシリーズのキャッチコピー「New Next Nippon Norimono」に類似したアート作品が「Tたとえば、Tときどき、Tちょっと、Tときめき」なのだが、これが一体何のために作られた作品なのかこれまた不明。謎が深まるばかりだ。
謎のアート作品:http://livedoor.blogimg.jp/ishikitakaikeis/imgs/7/9/792463d0.jpg
なんであれ、この株式会社TTTTが本当に実在するのか?これが重要である。
サイバー法人台帳ROBINSという法人情報を検索できる便利サイトで「株式会社TTTT」を「株式会社TTTT」などで検索を試みたが、2016年6月時点ではヒットせず。
去年立ち上げたばかりの会社なので、情報が反映されていない可能性はあるものの、2015年11月より以前に登記済みならば、2chの誰かが法人番号を特定していてもおかしくはないが、株式会社TTTTの法人番号を割り出した人間はまだいない。これで本当に存在しなければ、エア社長確定となってしまう。
大方の見方としては、周りの学生のガチっぷりにビビってついプロフィールを盛ってしまったという説が有力視されているが、Tehu君自身が株式会社TTTTについて一切言及していないため、本当に会社を設立したのか疑惑が深まるばかりだ。
普段、「リツイート」も「いいね」も1桁のTehu君のツイートに珍しく大反響のツイートが投稿される。
ご飯の詳しい時間と場所がいろんなゴタゴタで前日まで決まらず、キレられてフラれました。
今だに「申し訳ないけどそんなにキレる案件か?」とおもってる。
不満積もってたんだろうなぁごめんなさい
ハッシュタグ#元カレ元カノを思い出してツイートという衝撃に普段無反応のフォロワーたちも一斉に反応する。ツイートは拡散されまとめサイトにも転載される事態になった。
本人曰く3~4年ほど前の話だというが、3~4年のTehu君は灘高生で彼女が出来ないと嘆きのツイートを頻繁にしていた頃だ。それどころかTwitterで彼女を募集するなどもしていた。応募があった可能性もゼロではないが、Tehu君の性格上、それをTwitterで報告しないのは考えにくい。
また、Tehu君が「ヒネクレ星雲 第4惑星 モノモース」というバラエティ番組で特集された際、悪意の塊でもあるこの番組のスタッフは、Tehu君が貪欲に彼女を欲しがっているツイートを確認した上で女性との交際経験を尋ねる。すると、Tehu君は以下のように答えてしまうのだ。
Tehu「フッフフ・・・・。今はいないです。中途半端な関係を除いてしっかりお付き合いしたのだったら、たぶん4人位です。」
もう訳がわからないし、いろいろと辻褄も合わない。
「しっかりとしたお付き合い」「たぶん4人位」という相反するフレーズにTehuer達は困惑。
荒れるツイート。
とはいえ、「人脈」や「知り合い」という概念も結構ガバガバなTehu君なので、交際という概念が普通の人のそれとは違う可能性も十分あるので、Tehu君の言ってることを全否定するのは違うのかもしれない。もはや常人には理解できない領域に到達してしまったTehu君であった。
Tehu君の数ある肩書の中で確かなものの一つが現代ビジネスCTOという肩書である。
「ヒネクレ星雲 第4惑星 モノモース」放送前の2015年の春頃、講談社の現代ビジネスの当時の編集長であった瀬尾傑氏が、世間的にはまだ天才プログラマーとして認識されていたTehu君を現代ビジネスの最高技術責任者(CTO)として任命。
彼の主な役割としては、現代ビジネスのUI/UXの改善、新しいコンテンツの創造の手助けなどを行い、より一層素晴らしい物にしていくというもの。早い話がWebサイトの改修である。
編集長の瀬尾氏は相当期待していたようで、Tehu君のために現代ビジネス内に「Tehu Lab.」という特設カテゴリを開設。Tehu君がWebに関する様々な実験を行い、Tehu Labの中で経過報告をしていくというものだった。編集長の瀬尾氏から好きなように使ってくれていいとまで言われたが、Tehu君はTehu Labを全く利用しなかった。2015年の3月に編集長の瀬尾氏とTehu君がWebメディアの有り方について対談形式の記事が前後編に分かれて掲載されただけで、Tehu君自身が執筆した記事は2016年6月現在、1本もない。
就任当初のTehu君は直ちにサイト改修に取り掛かると宣言し、大風呂敷を広げるが、いつまで経っても、サイトに変化は表れない。またこのパターンである。自伝の時と同様に延期に延期を重ねて、宣言から1年以上が経過し、当時編集長だった瀬尾氏は講談社のGMに昇格、いつの間にかサイトの改修の話はなかった事になったかと思われたが、2016年5月、リニューアルに関する告知ページが登場。
どうやら、リニューアルは確定したらしい。
流石に、講談社も大規模サイトの運用経験とスキルに乏しいTehu君一人にリニューアルを任せるという大博打には打って出ないだろうが、それでも、今までの経緯を考えると、本当に夏までにリニューアルが完了するかどうかかなり懐疑的である。仮に夏頃に本当にリニューアルされたとしても、多数のTehuer達によってサイトの脆弱性や負荷分散などが正常に機能しているか等を徹底的に粗探しされてしまうのが容易に想像できてしまうため、本当のリニューアル担当のエンジニア達はがんばって、なんとか夏を乗り越えて欲しいと思う。
Tehu君の2015年から2016年6月までを振り返ってみたが、現在のTehu君はかなり端から見て、いろんな意味で崖っぷちといえる
Tehu君が失敗するのは大抵このパターンである。まだ、結果が出そうにないうちから、盛大に予告して、結局グダグダになる。仕事は黙々とやって、ある程度、見通しがついた段階で発表した方いいだろう。有言不実行と叩かれて信用を失うだけでいい事は何一つない。
Tehu=小4事件を連想する人は多いため、Tehu君が政治的な発言をしようものなら、徹底的に袋叩きにされる可能性がある。
よって、政治的な発言は極力さけた方が無難である。加えて、原田朱美氏や青木大和のような政治色の強い人間とは関わらないほうがいいだろう。たぶん、良いことはない。
Tehuくんに絡むツイッターアカウントには心ない中傷を投げかける者も多い。
「Debu」とか「デブ」とか「ブタハット」などだ。これはTehu君に対する批判ではなく単なる誹謗中傷であり悪口である。
しかしながら、ここ数年ぶくぶくと太ってきている印象も否めない。太ってしまったせいで、「BMIアプリ作った人が太っている」とか「意識高いくせに健康意識は低い」などの皮肉を言われてしまう状況だ。しかし、チビやハゲはどうにもならないが、デブは本人の努力次第でどうにでもなるので、がんばって、痩せれば、こういった罵詈雑言は減っていくだろう。
ついでに言えば、帽子もあまり似合っていないので、取ったほうがいいだろう。君の周りの人間は似合ってると言ってくれるだろうが、大人は平気で残酷と思えるような嘘をつくので、相手の言葉の裏を必ず読むようにしよう。
例:女「モテそうだよね!」=「おまえなんかとは絶対に付き合いたくない!」という具合だ。
褒め言葉をそのまま受け取ってはいけない。大人ってのは基本嘘つきだ。
数あるTehuerのアカウントの中で、株式会社TTTTの存在をしつこく質問し続けるアカウントがある。
この問題が解消されない限り、ずっと絡まれ続けるだろう。
では、どうやって解決するか?
答えは簡単で、あるならあるで法人番号でも出して証明すればいいし、無ければ、実際に作ってしまえばいい。
会社そのものはペーパーカンパニーのような存在にして、登記に関わる諸経費がかかるが、Tehu君なら余裕で捻出できるはずだ。
設立時期については、「手続きが少し遅れた」とかそれっぽい事を言って乗り切ればいい。これでエア社長疑惑が、名実ともに本当の社長になるわけだから、安い投資だと考えればいい。あまり好ましい方法だとは言えないが、作った会社は、いずれTehu君が本気を出して事業をする気になったら使えばいいだけだ。
SFCのカリキュラムを見たら、とても面白そうな授業が多い。Tehu君にとってプラスになる物も必ずあるはず。やはり、せっかくAOで入れてもらった慶応義塾大学に行かないのは勿体無いと言わざるをえない。Tehuerの中には退学を期待する者も数多くいるため、退学は最悪の選択肢であるだろう。退学は彼らを喜ばせるだけだ。
このままだとTehu君は「意識高い系」または「ワナビー」で終わってしまう。そうならないためにも、お仕事ごっこは極力控えて、本業であるはずの学業に専念して欲しいし、周りの大人も少しでいいから協力してあげて欲しい。
とにかく学校行ってがんばれTehu君!。
闘いやスポーツなどの試合以外で「参戦」という言葉を使われているのを初めて見たのは、確か5、6年前に読んだ雑誌の見出しだったように思う。
ファッション誌だったか音楽雑誌だったかは忘れてしまったが、その言葉は夏に開催される音楽フェスへ観客として来場することを指して使われていた。
すでにこの表現は広まっていたのか、意識しだすと案外色々なところで見つけられた。
それらはやはり押し並べて「ライブと呼ばれる芸能イベントを観に行く」という意味合いであった。
「客のことを『金を払って戦いに首を突っ込む馬鹿者』だと見なしていることに誰も気づいてないのか」
などと内心毒づいていた。
あの言葉は2016年になっても未だに散見できるのだが、最近はその使い方がまた少し変わってきたように見える。
我が家では夕飯時に食堂のテレビでくだらないバラエティ番組を垂れ流す。
テレビを覗けばお馴染みの芸人やアイドルと並んで普段なかなかお目にかかれない俳優や文化人が喋っている。
この捻ったキャスティングがなされるようになったのは、おそらく10年ほど前からだろうか。
売れない映画や本の宣伝と、マンネリ化しだしたテレビ番組のテコ入れという利害の一致から始められたこの慣習は、今や視聴者に何の変哲も無いこととして受け流されている。
よくよく見るとあの騒々しいテロップの中に「参戦」の文字が躍っている。
どうやら番組を「トークの闘技場」、イレギュラーなゲストを「グラディエーター」に見立てているらしい。
テレビ局もここまで思い上がるようになってきたかという白けと、いつまでこの変な言葉遣いが巷で繰り返されるのだろうという微かなむかつきを感じながら、自分はこの日記を書き綴るのであった。
まず、人間たちは創作活動をやめてしまうだろう。芸術品、漫画、アニメ、ドラマ、バラエティ番組、漫才、コント、小説などが生み出されなくなる。
ので、無くなることはないだろう
貧しいし、苦しいな
もし我々人間たちから自己顕示欲がなくなったら、一体どうなってしまうのだろうか。
自己顕示欲がなくなるということはつまり、自分を見せたいという思い(もしくは、自分を魅せたいという思い)が失われるということである。
まず、人間たちは創作活動をやめてしまうだろう。芸術品、漫画、アニメ、ドラマ、バラエティ番組、漫才、コント、小説などが生み出されなくなる。
さらに、勉強や研究への意欲もなくなり、学力の低下や科学技術の停滞が訪れる。
そして、ファッションへの興味もなくなるだろう。そこらへんの布を体に巻いときゃOKという感覚になる。
Anonymous Diaryへの書き込みが激減するのだ。
これは恐ろしい。ユーモアと知性と発明と怒りと悲しみが入り混じったAnonymous Diary が過疎るなんて、そんなこと考えたくもない。
皆さん、自己顕示欲は大切に。
forever自己顕示欲
ちょっとでもオタクっぽいことをしようとしたら、「普通の人は●●しない」って思って行動をやめようとしている。
バラエティ番組で見て、気になった国の歴史を調べようと思ったけど、普通の人はそんなの調べない。
食べ物美味しそうだなーとか、いい景色だなーとしか思わないって言われた。
いつもと同じ時間に電車に乗ろうとしたら、いつもと違う車両が来たから調べようと思ったけど、普通の人はそんなの調べない。
せいぜい写メを撮ってインスタにアップするくらいだって言われた。
オタク気質は変えられなくても、普通の人と同じようなテレビを見て、普通の人と同じような感想を持って、普通の人みたいに生きたい。
だけど三つ子の魂百まで、すぐに調べたり興味を持ったりしてしまう。これはよくない。普通の人はそうじゃない。
https://note.mu/enkykliospaideia/n/nc971ac77b96c
この話ね。まず、
1 技術が活かされてないと感じる
テレビというメディアは単純な受身型のメディアという面がありますが、最近は地上波デジタル放送によって双方向に対応したり、サブチャンネルによって各局複数の情報を同時放送できるようになってます。でも、そういったことが災害報道では全く活かされないのはどうしてなんでしょう?
なっているのは規格だけ。双方向で送れるのは5つのボタンを押したかどうかだけだし、その情報はインターネットがつながってないと送れない。停電しているところに「無事ですか?」ってアンケート送ってそれに対する返事があったりなかったりすることが災害報道で活かせるかというと、ないよりましな程度。
地上波デジタル放送になって、テレビのチャンネルは複数放送できるようになっているのに、それを活用しないのはどうしてなんでしょう?
サブチャンネルは、リアルタイム動画エンコーダを複数持っていないと放送できない。MXは複数チャンネルを活用しているね。あとは、関東地区のキー局と関西地区の準キー局、あとはプロ野球のホームチームが強いところだと複数エンコーダをもってる可能性があるけど、熊本は微妙。使うかどうかわからないSD動画エンコーダを入れるってかなりの経営判断になるし、これを書いた人は2006年位に佐々木俊尚が「2011年、新聞・テレビ消滅」とまで煽っていたことを忘れているんじゃないかな。実際5年間の移行期間の出費とデジタルTVの普及率次第ではそうなる可能性もあってどこもなるべく安く導入しようと必死だったから。たぶん、双方向データ放送の制作設備なんか、もってるところのほうが少ないと思う。
そのアイデアは面白い。HD化しているのでもしかしたら映るかもしれない。ただし、筆者はたぶんお役所が出している資料がどれだけ読みにくいものか認識の外にあるんじゃないかとも思う。資料はPDFで役所のwebサイトに公開されているし、それを再生紙に印刷したら、手持ちのカメラを使って録画して見てみるといい。
ちなみに、「どのチャンネルも同じ絵を映している!もったいない」はたぶん担当者も同じことを思っていて、記者会見なんかは余裕のない地方局を中心に代表でカメラを出してあとはそれを分配、なんてこともしているけど、これその代表者が撮影に失敗しても泣かない、ということとトレードオフなので重要なところほど他に任せられなくなるという問題がある。
2 センセーショナリズムから抜け出していない
被災地の悲惨な状況や、困窮、資源の不足を取材したのなら、そこにうまくそれを助けるために私たちが何ができるか、義援金のお願いや救援物資の送り先といったものの情報をうまくセットにして常に伝えるといった工夫が足らない
義援金のお願いは普通にしている。ニュースの〆に流れているカンガルー災害募金(今は別の名前になっているけど)とか、ドラえもん募金とか聞いたことないとは思わないけれど、それがセットになって伝わっていないとなるとちょっと厳しいかもしれない。
救援物資の送り先は基本的には流さない。なぜかというと、救援物資が足りない、と言われてから個人に用意されてもどうにもならないから。そもそも、困窮とか資源の不足の話、今回の熊本の地震では、東日本大震災の時の教訓もあってかなり抑制的になっているというか「(届けてくれるところはあるけれど)それが来るまでの数日が足りない」っていう話とセットになっていたはずで、本当にこの人、災害報道見ているのかちょっと怪しいと思った。
延々テレビ局のスタジオから放送しているのに、出てくるのは切迫した雰囲気で伝えるアナウンサーと、わずかな地震学者や地質学者系の専門家だけという感じなこと
バラエティ番組や情報番組であれほどコメンテーターやら、何やら評論家やらをたくさんテレビ局に呼んで並べているくせに、こういう長時間の放送の時にこの人の少なさはなんなんでしょう?
もっと役に立つ人がいるなら呼ぶから、こういうのはその役に立つ人の名前を出してほしい。ちなみに、エコノミークラス症候群とか、避難所がそもそも危ない場合もあるとか、そういう話については専門家を呼んで話してもらうまでもなく共有されている情報だったので、キャスターから直接語りかけられていたよ。
4 正確性が疎かになっていること
テレビはその速報性やリアル感といった部分での競争を意識するあまり、ネットで流れる情報をあまり確認せずにテレビでも取り上げるという愚を犯すようになり、自ら信頼性を下げているのは嘆かわしいことといえるでしょう。
これ、具体的にはイオンモール火災の話だと思う(マンションの接合部はそこがもともと計算した上での設計であろうと今回の地震で壊れたことに変わりはないし、熊本城の瓦は加藤清正の設計じゃないよね?)けど、そこは確かにどうにかしないといけない。
とはいえ遠隔中継できるカメラを持っている人が山ほどいる時代にそれを使わないのは流石に微妙なので、誰を信用するか、みたいな部分で担保するしかないのだろう。
正直、正確性と速報性はどちらも求められることで、そのバランスは難しい。新聞とテレビと比べると、テレビは若干速報性にバランスを振っているし、新聞は正確性にバランスを振っている面はあるので、そこは新聞と併用してほしいとも思う。
「ホモに狙われるから云々」言う奴は相当ルックスなり人間スペックが高いんだろうな。それこそ行く先々で女性に囲まれて見動きできないレベルで。じゃなきゃ自意識過剰。鏡見ろ。同性愛者が必ずお前に欲情すると思ってんのか?
バラエティ番組やフィクションでオカマキャラが好みの男と見れば見境なく追いかけ回す、アピールする、迫る、必要以上に体に触るなどがギャグのパターンとして蔓延している現状、男性同性愛者=同性と見れば見境なく発情する男というイメージはなかなか拭えないのではないだろうか。現実とフィクションは違うといえど、そればかり見せられると刷り込みになってしまう。
「ホモに襲われる、怖い!」って思っちゃう人って 自分はいつも女性を襲おうと物色してるってことなのかな こっちの方が結構な衝撃なんだがw
「ヘテロ男性が好みの女性を追いかけまわして襲う」というイメージについては、批判されるどころか社会的に認められてるわけで、それを前提に女性専用車両とかも作られてる。
女性が男性に対してそういう不安を抱くのを肯定するのであれば、ヘテロ男性がゲイに対して不安を抱くのも肯定されるべきだと思う。
「男に狙われる」と言ってる女性に向かって「自意識過剰、鏡見ろ、誰がお前なんかに欲情するか」と言ったら、社会的に抹殺される勢いで批判されるだろう。