はてなキーワード: バラエティ番組とは
なんか通りすがりで恐縮だけど、中華移民(華僑)とひとくくりにするのはかなり、膨大で…
ここで議題に出ている国民党、共産党のようなコンテキスト以外にも、出身地(温州、潮州、広東、福建など)、出身者の年代(それこそ中世以降から)によって大きく変わる。
例えば僕の住んでいる街の中国人移民も世代によって大きく変わり、古い人たちはインドシナ半島にいた人たち、もしくは英領から移動させられた(もしくはそのまま残った)中国人にルーツを持つ人達から、それこそ国共内戦、それ以降の弾圧時代、現代の新移民達とコンテキストが大きく変わるし、移民地域によって、それらがモザイクに変わっている。
上でも誰かが書いているけど、シンガポールやマレーシア、ブルネイ自体は元々大マレーシアで教科書を見れば分かるが、日本軍のシンガポール占領をかなり重大な歴史犯罪として捉えていて教えているし、日本で報道やバラエティ番組でみるような姿は必ずしもしていない。
中国移民の歴史をアメリカの中国移民の学者が書いた本をおすすめしたいのだけど、ここに例示したかったのだが10年前の話なので忘れてしまった。すまん。
普段全くテレビ見ないけど、ある日珍しく家で昼食をとりながらぼんやりと見ていた。メレンゲのなんちゃらっていう、バラエティー番組を放送していた。そして、演出一つ一つが本当に気持ち悪いと思った。何て表現したらいいかわからないけど、小学生の稚拙な価値観ををそのままテレビに持ち込んだ感じといえばわかりやすいかな。こういう発言は気持ち悪い、こういう奴は偉い、この行為は女らしい、トイレに行ったら不潔、などなど・・突き詰めたら理屈もへったくれもないようなルールがまかり通っているのが子供達の世界だ。スクールカーストや、キャラ分け、イジメなど、あらゆる闇がスクリーンの中にあるような気がした。男が女目線で発言をする→気持ち悪い、付き合ってすぐに親に紹介する→偉い。え?なんで気持ち悪いの?それって偉いの?と疑問を投げかける暇もなく、謎ルールの中でゲスト達が久本にひたすらいじられるだけの番組だった。家族が自宅で昼食を取る確率が比較的高い土曜日の正午に、こんな低俗で排他的で、稚拙で議論の余地も与えられない価値観を押し付けるような番組をやってていいのだろうか。まぁポルノグラフィーやバイオレンス満載の番組をやっているんじゃないんだからいいではないか、と言われそうだが、個人的に前者の方がよっぽど有害だ感じる。
じゃ見なきゃいいじゃんって?そうします。そして多くの人にそうしてほしいと願う。いつかそれが日本のテレビ業界の変化に繋がってほしい。最近NHK以外でまともな番組って本当に少ないよね???
今日、「わたくし、つまりNobody賞」(←第1回の受賞者は川上未映子)の
受賞式に行ってきた。
今年の受賞者の武田砂鉄の『紋切り型社会』という本が好きで、彼の講演を
故池田晶子の旦那さんの開会の言葉は感動的だったし、武田砂鉄の
ひたすら考え続けることや、言葉の大切さを改めて感じたし、
「わたくし、つまりNobody賞」の理念(言葉に対する姿勢と志を認めて、
その表現者と独自性と可能性を応援してゆこうという目的)にも好感を持った。
それなのにさ、最後の最後ですごく腹たつことがあったんだよね。
懇親会が終わって、最後、会場にいる30人くらいで記念撮影を撮ることになった時。
って言ったの。
は?って思った。なんで女性を前に座らせようとするの?
「足腰が弱い人は前に座ってください」とか「ご高齢の方は前に座ってください」
とかだったらわかる。でも「女性だから」という理由で前に座ってくださいという
いや、わかってるよ。女性が前に座っていた方が、「華」があって、
よく、テレビのバラエティ番組とかで見る、前列に若くて美人の女性が座って
でもさ、女は誰かのための「華」として存在しているわけじゃないんだよ〜!
「わたくし、つまりNobody賞」は、自分の頭でものを考えることを良しとする
賞なんだからさ、主催者側がここで、それこそ「紋切り型」に「女性は前に座って
ください!」なんて言っちゃダメでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20160220000301
これを読んで思った事を書く。
「お笑いでスベったとしても、その気になればいつでも笑わなかった奴らを殺せるって思っているから平気」
といった内容の発言していた。
自分はそれを見ていて「似たような事を考えてるんだな」と思った。
ドランクドラゴンの鈴木拓は格闘技(ブラジリアン柔術)の実力者である。
週2~3回ペースで6年目。
アマチュアの試合に出場経験もあり、初心者部門ではあるが入賞歴もある。
ある程度強くなった時に
「その気になれば素手で簡単に人を殺せる」と気付いた。
「仕事で怒られている時とか、その気になればお前なんか殺せるって思ってるよね」
と言ってきた。
他の人に聞いても、程度の差はあれそれとなく同じように考えているみたいだった。
「テイクダウン奪ってパスガードして良いポジションキープして絞めて相手が落ちても絞め続けて殺す」
なんて事は容易にできる。
あと、これは下記のような前提条件はある。
・相手が1人
「いつだって目の前のお前を殺せる」
って思っている。
我々は「いつでも殺せる」と思ってるから「今は殺さない」からだ。
そして永遠に殺す事はない。
タイトルへの対抗策を教えて欲しい。
苦痛だ。
某六つ子の何番目と何番目が乳繰り合ってる妄想を延々聞き続けるのに疲れた。
大体なぜオタは一方的に会話のボールを投げまくってくるんだ。そこが原因なのだ。
別に六つ子の話でも刀の話でも巨人の話でも聞きますよ。知らない分野の話は初見なら面白いもんだ。
ただ投げまくるくせにこちらのボールは一切受け取らないなら話は違う。
では、と相手の分野である夕方たまたま見たアニメの話→「知らない、みてない」
…。
そういう受け取るだけの時間もいいもんだ、とお思いかもしれないがそれはあくまで話し上手な人に限る。
残念ながらこういう人は大抵話下手なのだ。
何故かというとこのタイプは聞かせる相手を楽しませるつもりで話していない。
そりゃあ話してる本人は楽しかろう、ただ一方的に自分がしたい話を吐き出すだけなのだから。
だが気づいて欲しい、聞き手は下手なボールを受けるだけなのでとにかく退屈している。
以下は上記タイトルにドキっとした人向け。
まずその会話は自分だけが楽しんでないか?会話はコミュニケーションだ。自分ばかりじゃなく相手を見るんだ。
一緒にいる人も楽しめるよう考えて会話しよう。できるだけ共通の話題が好ましいぞ。
自分が話したいなら相手の話も聞くんだ。相手は「お話聞き人形」じゃない。意見も意思もある人間だ。
サーフィンの話だろうが野球の話しだろうがドラマの話だろうが少年ジャンプの話だろうがみんな一緒だ。
みんな知らないけど聞いてるんだ。そこから新たな分野に興味を持ったりもするもんなんだよ。楽しいだろ?
今後は
「ふーん」「知らない、見てない」「三次に興味ない」「それより松が」
禁止な。
その代わり
「うんうん、それで?」「そうなんだ~」「えーなにそれスゴイ」「面白いねぇ」
これを使え。
これは頭は悪いが聞き上手な私が会話を聞くときに思わず出てしまうフレーズ上位4つだ。
よくいう「会話のさしすせそ」を使え。こんなもん相手の話に興味もてば勝手に出てくる。
興味ない話題を最初から「興味ない」と思って聞くな。新しく始まるアニメの主人公の隠れた趣味だとでも思え。興味でてくるだろ?
とにかく延々自分の話をするな。世間はお前の話にさほど興味はない。大抵誰でも自分が話したい。どんな聞き上手でもだ。
どうしても一方的に聞いてもらいたいならお金を払ってスナックのお姉さんに聞いてもらえ。
逆に言うなら仕事になるほど一方的に話を聞くのは苦痛なのだと知るがいい。
オタにありがち、と書いたがこういう人が自分の周囲ではオタに多かったというだけで
もちろんオタでも話し上手聞き上手な人は沢山いると思うので悪しからず。
だってめちゃイケって課題みたいなのを見つけて挑戦するってバラエティ番組なのに視聴者が一切望んでいない番組作りをしてるから。
SMAP、モー娘、EXILEに岡村がダンスで絡むというコーナーは理解できるし、過去に岡村に挑戦状送りつけたヨモギダも理解できる。
だけど、三中にみちのくプロレス入りするコーナーって誰が得するの?一切理解できない。
みちのくプロレスって設立者のグレートサスケなんて野々村竜太郎と同じく政務調査費を岩手県から騙しとったクズだし、そもそもプロレス自体が過去から現在まで超絶ブラック企業でプロレスラーなんてごくわずかしか視聴者に知られてないのに、それを素人の三中に強要して苦しんでる様子を流す番組作ってどこがバラエティ番組なの?どこに笑いがあるの?
そのコーナー以後めちゃイケって見ても笑えなくなってしまった、ブラタモリの方が断然面白く土曜の夜はフジテレビからNHKに移ってしまった。
フジテレビがテレ東よりも面白く無い理由、それはバラエティ番組で笑えないからでしょ。
お笑い番組でプロレスラーを育成するのって違うでしょ。それが理解できないフジテレビはとっとと新規番組を作らず過去のドラマやアニメのみを再放送して下さいね。
具体的な統計とかは知らないんだけどさ、
昔のバラエティ番組見たりとか昭和の荒れてた学校の話なんか聞いてると割りと高い頻度で
「昔はめちゃくちゃだったんだなぁー 今じゃ考えられないよ」
っていう感想を覚えるんだけど、
それって昔から今の間にそれだけ日本がまともな感覚になったってことじゃん?
寄生獣のアニメ版とか舞台は現代化してるのに不良文化だけ当時のままなノリで、
今時こんな奴いるかよってアホらしくすらなった気がする。
昔って言っても90年台くらいの話でも結構この感覚になるってことは
このペースで日本がまともになっていけば100年後とか犯罪者なんていなくなるんじゃね?
って思うんだけど、流石にそれは飛躍し過ぎか。
彼女がはてな村であんなに叩かれてるのってやっぱ自称「作家」の一言が高学歴はてな村民の逆鱗に触れたからかしら??笑
あれ彼女流の「セルフブランディング(笑)」で作家って名乗っているけど、はあちゅうの正確な立ち位置は「タレント」でしょ。もっと細かくすれば「ブロガー出身の独立系タレント」。
「タレント」だと考えれば、彼女にあんなに怒っていた人たちの何割かも納得するんじゃね?だってタレントなら自分の私生活の切り売りとかむしろ当たり前だし、ふんわりとしたよくわからない職種も納得いくじゃん?
テレビほとんど見ない俺が言うのもあれだが、テレビのバラエティ番組で準レギュラー数本しかないようなタレントだったらはあちゅうとそんな変わらないっしょ。女性タレントに限れば、そりゃはあちゅうより可愛い子はいっぱいいるだろうけどさ、逆にいうと可愛いだけが取り柄で他の引き出しがほとんどない。若さというウリがなくなってタレント本とか出したくても、「ダイエット」「恋愛モノ」「レシピ系」あと「ヌードグラビア」ぐらい?もうそういうのはみんなお腹いっぱい。その点はあちゅうはルックスは劣るだろうけどライターとしても基礎力はあるし、最新のITにも詳しいし、社会人経験もちゃんとあって20代後半~30台後半あたりの社会人向けに書ける引き出しがたくさんある。
そのうえ芸能事務所に所属しているようなタレントじゃなく自分一人でやっているから利益のほぼすべてを総取り。他のタレントやアイドルなんてどんだけ儲かっても利益の大半は事務所やらプロデューサーやらが持って行っちゃって本人達には1割も残んない。古い既得権益の強いテレビなどにはたまに顔出す程度で、主戦場はニコ生とか有料ネット記事とかブログとか、ようは彼女が自分一人でコントロールできるメディアのみ。賢い戦略だよ。事務所に所属しているようなタレントなら事務所のマネージメントとか広告代とか入れて、全国区で数万人ぐらいのファン作らないと食っていけないけど、はあちゅうのように個人でやっているタレントなら日本全国で熱狂的なファン1000人も作れたら食っていける。こうやって言うのは簡単だけどもちろん真似なんてできないし大したもんだと思うけどなぁ。「私生活の切り売り」で稼ぐなんて誰にでもできることじゃないんだぜ?
正直オレみたく結婚して家族ささえるためになんとか稼がないとならん立ち位置の人間にしたら、人生丸ごと情報商材だろうが詐欺商材だろうが合法で自力で毎月100万円以上稼いでくるはあちゅうのほうが完全正義だわ。
やる気が何にも起きないんすよ。
社会人じゃなくてよかったなぁ。社会人なら嫌だなってこころに鞭打って、もー何にも考えたくなくてどうしようもないときも会社に行かなきゃいけないんだよなぁ。
あと3日で7000wordsのエッセイを書かなきゃいけないのに下調べもしてないんだよなぁ。もう確実に提出できないし、そもそも何を書けばいいのかもわかんないもんな。
無責任でよわっちい人間だから、自分の未来さえ考えたくなくって放り出しちゃう悪い癖、抜けないなぁ。
でも過ぎたことを悩んだってどうしようもないから、こういうときはまた頑張ろって思えるときまで放っておく。めんどくさいやり方だけどそれしか方法を知らない。
やる気の出し方なんて人それぞれだと思うけど、自分のはとびきり手間と無駄の多いやり方だってのはわかる。
踏ん張んなきゃいけないときに踏ん張れるのが大人なら、しんどい生き方だなぁ。
やだな~。
わかってるんだよな~やる気が出ない原因は。
どうしようもなく今寂しい。誰かに会いたい。誰でもいいわけじゃない。会いたい人がいる。
会って話したいわけじゃない。鍋したい。くだらないバラエティ番組を見て相手の反応に適当にうなづいて、平和だなって思いたい。
腑抜けんなって叱咤されたい。でも明日から頑張ればいいから今日は寝ちゃいなっていわれて、お酒も入って、ソファーでうとうとしたい。
遠いな~日本帰りたいな~。
望んで来たはずなのに、日本までの9500kmが遠くて遠くて涙が出ちゃうな。
お正月にあけましておめでとうの挨拶をするためにスカイプしたのがよくなかった。
あ~~
「○年後、○○という業種はコンピュータ(or ロボット)に取って変わられる」という記事を最近よく見かける。
単純労働はそうだろうけどデザインなどのアートの領域に近いものは無理ではないか、と考える人も多そうな話だが、実は自分は割と真っ先に取って代わられるジャンルじゃないかと思っている。
グラフィックデザインはファインアートと違ってかなりの部分を「お約束」、暗黙の約束事に沿った作り方をすることが多いからだ。
例えば自分が仕事でパンフレット・Webなどの仕事を請けた場合、まず行うことは「お手本探し」。
Web検索か画像検索を使い、クライアントの同業者のパンフレット・サイトなどをかなりの数見る。
そしてレイアウトやメニュー構成、配色などの共通要素を考えた上で、クライアントのコーポレートカラーなどに沿って「再構成」していくような流れになる。
つまり、クリエイティビティを求められる部分は実はあまりない。どちらかと言えば技術的な仕事。
大量のサンプルを収集して共通点を割り出し、内容を自動解析するというのはまさに最近のAIが得意とするジャンルだ。
現在は、複数台のカメラで撮った映像を人の判断によってカット割りしている。
でもこれは、発言者が誰かさえはっきりしていれば、顔認識技術と組み合わせて自動化出来てしまうはずだ。
納品する動画がDVD画質で、撮影した動画の画質がフルHDや4Kだった場合、デジタルズームでも画質は荒れない。
発言者の周辺を自動でフレーミングすることすらきっと出来るだろう。
つまり、撮影は「全体を大まかに」取ればいい。カメラもほとんど動かす必要はない。
必要なカメラワークはAIにやらせればいい。そのほうが手ブレも防げる。そんな未来。
「AIが撮影対象物を認識するようになった」というのはそれぐらいとんでもない技術で、これと音声認識を組み合わせれば「人物部分を避けて自動でバラエティ番組的なテロップをつける(声の解析から適切な書体・配色を判断する)」ということも出来てしまうのではないだろうか。
そうなるともう、人間がやることは「AIへの適切な指示」以外に何もない。
一部の(芸術作品に近い)ハイエンドのデザイン以外、デザイナーといえど自動化の流れにきっとは逆らえない。
自分たちが出来ることはせめて「使いこなすこと」だろうなあ、と思う。
「パリのテロについて大騒ぎするなら、中東で日々起こっているテロについても大騒ぎしないとおかしい」式の論法。
前提にあるのは、同種のものは同じような権利をもっていて、それゆえ同じように扱われるべきだ、という倫理的要請である。
この場合はパリの人間と中東の人間は同種のもの=人間であるはずなので、この二つに関して違った対応をするのはフェアでないことになる。
この論法はかなり使い勝手がいいのだが、それゆえいい加減な主張に使われることも多い。
たとえば、
元記事は、交尾の後にメスの交尾器を壊してしまうクモの発見について、自分より先に他の研究者が発表した、という内容。
引用したブコメが言いたいのは、「クモ研究の発表は一番でなければならなかった、だからスパコンも一番でなければならない」よって「蓮舫の発言は不当である」ということである。
「発見の発表」と「スパコンの性能」は同種のものだろうか。「発見の発表」が一番でなければならないというのは当然で、二番以下にはほとんど意味が無い。一方「スパコンの性能」の場合でも一番がえらいというのは当っているが、二番以下であっても相応の評価が得られる可能性があるわけで、蓮舫が尋ねたのもそこだったはずである。
あと、
南京事件否定論にすら場を与えねばならないと言っていたのだから、日本のテレビがいつどんな番組を流そうが文句言う筋合いはないだろうが。本当につまらないやつ。
元記事は東浩紀のツイートで、パリのテロで世界中が大騒ぎしているにもかかわらず日本のテレビがバラエティ番組をやっているのを見て、「地上波しか見ない人とそうでない人の情報格差が開く」のを実感した、と言っている。
ブコメが言っているのは「南京事件否定論のようなトンデモにさえ場を与えなければならないと言っていたのだから、テレビのバラエティ番組に文句をいうのはおかしい」ということ。
「南京事件否定論」と「バラエティ」はとりあえず「好ましくないもの」という点で同種として、「場を与えなければならない」と「文句を言わない」は同じだろうか。「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」(by ヴォルテール)の名言があるように、表現の存在を許容することと文句を言うことは両立しうる。東浩紀の発言にいつも一貫性があるとは私も思わないが、少なくともこの発言に関する限り、ブコメの批判は適切ではない。
こういう「AのことをCと言っていたのだから、BのこともCと言わなければおかしい」という論法は、とりわけ批判されがちな有名人に対してはかなり雑に使われることが多いように思う。
視聴者が番組開始の時間に合わせてテレビの前に居る時代は終わった。
テレビをリアルタイムで見る人は確実に減って今や録画か地方局のマイナー番組じゃなければYouTubeに上がるのを待つだけ。
録画でCMは勝手にカットされるし、YouTubeもCMカットされた上でUPされる。
もう「テレビ」も「テレビCM」も時代遅れのコンテンツになってしまった。
テレビCMに至っては会社が公式動画としてYouTubeに全く同じもの(メーキング映像のおまけ付きの場合も)をUPしているのでテレビで見る価値もなくなった。
YouTubeに投稿された映像やネットの話題を紹介しているだけの番組ではやっていけない。