はてなキーワード: テーブルとは
何かと事故物件が話題になっているので自分が過去に住んで本当に怖かった物件を紹介する
3位 傾いた家
過去に自殺者の出たアパート2Fの角部屋、白を基調とした小綺麗な2Kの部屋で、駅は少し遠いがバス停は近く、都内にも関わらず家賃2万8千円の破格だったので入居することに。
自殺と言っても室内ではなく、居住者が駐車場で練炭自殺をしていたそうなので本来は事故物件扱いではないそうだが、立て続けに新規入居者が早期で解約しただけでなく、他の部屋の入居者まで出ていってしまったそうだ。
その結果仕方なく全体的に家賃を下げて、特に該当の部屋は安く貸し出すことにしたそうだった。
入居当初は何も問題無かったのだが、1ヶ月ほど経つと身体が重く、疲れが取れない日が続くようになった。
まさか…と思いながら生活していたが、ある日相談していた物件好きの友人が遊びに来て床に座るなり一言「ここはできる限り早く引っ越した方がいいよ」と言った。
驚いて理由を聞くと、友人は「ほら見て」と言ってエアコンのリモコンから単3電池を抜いて床に置くと、電池はなかなかの勢いでそのまま転がり続けていった。
そう、この部屋は盛大に傾いていたのであった。
友人曰く、歪んだ床の部屋で暮らしていると、段々と身体に不調が出始め、精神的にも不安定になる傾向があるそうで、事故物件と呼ばれる部屋の多くは「床が歪んでおり、かつ風通しの悪い部屋」だそうだ。
仕事の都合で大阪に半年ほど滞在することになり、とにかく安さと利便性だけで物件を探していた時に見つけた部屋。
駅近くの繁華街の中ある相当な古さの木造アパートで、コの字形に居酒屋や飲食店に囲まれているので騒がしいという難点があると説明を受けたが、1Kながら家賃2万円という驚愕の安さもあり即決した。
どこでも寝れるという特技があるので騒がしさは気にしていなかったが、本当の事故物件の理由は住み始めた夜に判明する。
周りの飲食店も閉まり始めた深夜2時頃、ガサガサという異音がやけに近くに感じられ、電気を付けると晩飯のコンビニ弁当のゴミに大小のゴキブリが十数匹群がっていた。
慌てて袋を縛ってゴキブリごと部屋の外に投げ捨てたが、耳をすませるとあちこちから這いずる音が聞こえてその日はしばらく眠れなかった。
翌日、ゴキブリ対策のグッズをあれこれ買うも絶対数が多過ぎたようで、ホイホイが一瞬で満杯になりホイホイごと動き出すという奇怪な現象を見るに至った。
(因みにこのホイホイを燃やしたらキーキーと音がしたがゴキブリの鳴き声だったのだろうか)
とある夏の日にはトイレの網戸の外が真っ暗だったが、よく見るとゴキブリがびっしり張り付いていたということもあった。
職場で夜を明かすことも多かったので結局我慢して半年間住んだが、それ以来飲食店の近くは避けることにしている。
1位 枕元に老人が立つ家
再度都内の話に戻るが、そこは築年数こそ長いが比較的小綺麗にされている木造アパートの一室で、仲の良い老夫婦が住んでいたものの旦那が先に痴呆になり、奥さんが面倒を見るも先に部屋内で病死し、旦那はそのまま施設送りになってしまったという部屋だった。
頭はボケていたものの婆さんが倒れているという通報は早かったために死体の腐乱などもなく、部屋はキレイなままだったが、家賃は2Kで2万円という驚異的な安さだった。
理由として「痴呆症の元居住者が施設を抜け出して訪ねてくる」という説明を受けたが、基本的に仕事が忙しく部屋にいる時間が少ない自分には関係無いので大喜びで契約した。
住み始めて数日後、居心地も良くすっかり住み慣れて気持ち良く眠っていた夜のこと、ガタガタという物音と気配を感じて目を覚ますと、80過ぎの爺さんが枕元に立って自分を見下ろしていた。
寝惚けて悪い夢か何かだと思っていると、その爺さんはそのまま部屋をうろつき始め、冷蔵庫や戸棚を開け出した。
ようやく覚醒して、恐る恐る話し掛けると「うちの婆さんを知りませんか」という言葉で不動産屋が話していたことを思い出した。
その日は結局警察に連絡して迎えに来てもらい、それからは施錠をしっかりすることで解決したと思ったのだが、その数日後にも鍵が掛けてある窓のガラス戸をあっさりと外して入ってこようとする爺さんを慌てて止めるなどのトラブルが多発した。
どうやらこの爺さんはかなり腕利きの大工だったらしく、鳶の仕事も全て自分でやっていたため、建物の2階だろうが平気で抜け出していってしまうらしかった。
加えて、このアパートも爺さんが建てたものだったため、どうすれば部屋に入れるかを熟知しており、戸締まりをどう頑張っても爺さんが入ってきた痕跡があるという状況で、金目の物が取られるということは無いが冷蔵庫の中身を勝手に食べられるという地味にストレスが溜まることをされ、次に来たら流石にどうにかしてやろうと考えていた。
とある日、しばらく爺さんの侵入の痕跡が無い日が続いたのだが、ある日テーブルの上に和菓子と大工道具が置かれており、持っていくだけでなく忘れ物までするのかと施設にクレームの電話を掛けたところ、
「ご迷惑をお掛けしており申し訳ございません、ただ入居者様は先週に亡くなられておりますので、その前に置いていかれたものでしょうか」
三国志は意外とみんな読んでない。光栄のも信長のほうが人気あった気がしないでもない。
ガンダムもリアタイだとΖ、ΖΖ(1985年、40歳だと5歳とか)もハマらず、OVAや劇場版挟んでV(1993~)になる。
再放送経てVガン見る、Vガンスタートで過去作に触れるは当然あろう。
ジョジョも3~6部くらいからのにわかだったりする。(年や環境によるが、1部や2部の頃は絵柄やストーリが好みにあわず、幽波紋編から相応年齢になる&作品の雰囲気も変わって親しみやすくなるという感じ。
ドラゴンボールやキン肉マン、聖闘士星矢、男塾、北斗の拳を上げてない時点で増田は真にアラフォー付近、あるいは30代後半なんだろうな。
だが、この近辺数年に共通するのは、ずっとジャンプサンデーマガジンを読める世代だったっていうこと。
床屋の待ち時間、親と行くテーブルが赤い中華料理屋などでもジャンプは必須でおいてあり、店主のこのみでマガジン、あるいはサンデー、もしくはチャンピオンもある。
それ以前に、友人宅、特に兄などが居る家庭に行けば、遭遇率が高い。ファミコンはコントローラ2つしかないので、3人以上集まれば、漫画タイムになる。
単行本も読み放題で、連載途中から読み始めた漫画も最初から読める。
余程の陰キャ出ない限り、教室、友人宅等でジャンプマガジンサンデー読み放題、運が良ければチャンピオンも付くという青春時代を過ごしたはずだ。
アニメも見れない家庭はある。
が、週刊少年誌は常に手の届くところにあった。逆に、なんで読んでいないのか。
その後、人気作が終わって、その作家たちが迷走時期に入る。
いわゆるジャンプ黄金期(ファミコンジャンプの現在作品)の後続作品が短期で終わる時期。
ジャンプひとりがち状態からマガジン派、サンデー派に分かれつつヤング誌との競合。
8割とはいわんけど、半数以上は同じ道通ってた印象なんだけど。
なんか講談みたいでいいね。センスでテーブル叩きながら再現してほしい。「女の顔はすでに蒼白、頬に光るものすらありながら、さらにコンサルが畳み掛けるには〜イヨォーべべベンベン♪」みたいな感じで。
ひとつは、単に回線が細いということ。ホテル全体で100Mbpsとか1Gbpsとかの帯域しかなくて、これを宿泊客全員で共有するので一人あたりの帯域が狭くなる。動画サイト見たり巨大ファイルのダウンロードとかしなければ、多少ストレスを感じるかもしれないがそれほど影響はない。
もうひとつは、NATテーブルの枯渇。wifiでつながる端末にプライベートアドレスを配り、出口のルータでグローバルアドレスにNAT変換する。この変換は接続ごとに管理する必要があって、NATルータの仕様上限がある。これを使い果たすと、帯域が余っていても新規接続ができなくなる(既存の接続には影響なし)。この場合テキスト中心の軽いサイトであってもまともに見られなくなって非常にイライラする。
これまで自分が宿泊したホテルでは、後者の影響を受けたことが多い気がする(youtubeとか帯域を消費するサイトをあまり見ないせいかもしれないけど)。ipv6が普及すればNAT枯渇による遅延はなくなるんだけど、当分無理そうね。
仕事上、外食自体を控えてはいるが、まったく外食しないわけではない。
大抵は一人メシ、たまに二人メシ。
自身と他の組の客の間に1メートル以上の距離を設けられるようなすいている店、すいている時間帯に入店する(今だったら選び放題、よっぽど人気店にゴールデンタイムに行くのでなければ、殆どの店がたいていすいている)。
久しぶりに合う人や知らない人(感染しやすい生活スタイル・行動があるかどうか推察できない人)が同席する集まりを避ける。
極端に臨席者と距離が近い席でなければ、スキップ席を作る(無理に詰めない)くらいの対策で良い。アルコールは当方で持ち歩いているが、使いやすいように設置されているとよい(各テーブルに設置するなど)。
常設されているアルコールを見ると、「これもまた、不特定多数が使うよな」と思ったが、ボトルに触れた手をアルコールでまた消毒するわけだし問題ないんだろう。
カトラリー類や水のポットなどは予め置いておくことはせず、都度出してほしい。不特定多数に晒される状態で設置されていないこと。
(でも、人気店だと未だに出しっぱなし。感染者は出ていないので対策と実態に矛盾がある)
飲食店従事者であれば手洗いは当然だし、従業員の検温をしていると言われてもこちらからは本当かどうかチェックは出来ないので気にしても意味がない。
来店者への検温は、無症状感染者がいることを考えると、しないよりはしたほうがいいという程度。基礎体温が高い人もいる。「体調が悪いけど無理して外出してきました」ということがなくなるような世の中になればよいのであって、いまのところあまり意味がないと感じる。
感染は、気をつけていても100%避けることは無理なので、かかってしまったときのための医療を充実させてほしい。
一般的な飲食店でクラスターは発生していない。飲食店で発生するのではなく、「感染した客が発見されている」に過ぎない。客同士でうつしあい、ときには従業員にまでうつしている。
「接待を伴う飲食店」のクラスター化は事例が散見され、封じ込めには、従業員が毎日でも検査できる体制が必要。
そうした店への応援来店では接待を求めず、純粋に応援する気持ちで社会的距離など「防疫のためのマナー」を遵守する。
防疫のためのマナーが守れない人は、ことが落ち着くまで来店を諦める。
店ではなく、客がうつしていることを踏まえ、店側が「自衛」する形にならざるを得ない。
客同士の感染は、客同士で解決してもらえればよく、店が巻き込まれるのが不憫。消毒費用も店負担。
2類外れたらそこまでしなくてよくなるか。
私はここにいていいのでしょうか?①
あれ、使えばいいんですよ。
だから私はここにいていい②
でももしかしたら店員(フロア?)の人数とテーブルの充填率の関係式があるのでは。
私が単に座っているだけだろうと、コップも使いまわしてるから何もしなくてよくても、私がいるだけでその式で客として数えられてしまうのでは。
そうなるとやはり私はここに居てはいけない③
違うのかな。
セットのドリンクバーはセット料金だからハンバーグ食べ終わったら〆(しめ)のコーヒーだけ飲んで席を立つべきなのかな?
だから帰るべき⑤
うーんうーん
結局仕事に集中できてねーなー
意味ないなー
うーんうーん仕事進まないなー
帰るべきなー⑥
でも家だと溜まったアニメ見ながらゲームやって飽きたらオナニーして終わりだよなあ
今やらないとなー⑦
うーんうーん
まず最初に警告しておく。
タイトルにもある通り、私は殺虫愛好家であり、今から始めるのは基本的に殺虫の話だ。
もしあなたに潔癖症の傾向があるか、名前を聞くのも嫌な虫がいるのなら、どうかこの先を読まずに引き返してほしい。
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ここ数日ネットの各所では、大雑把にまとめてしまえば「社会的に認められない性的嗜好をどう扱えばいいか」という話題が飛び交い続けている。
これに対して「社会的に嗜好としての理解はされずとも、行為に対しての感謝はされる」立場、殺虫愛好家の私にも少し思うことがあったので、拙いながらも書き連ねてみようと思う。
先程から繰り返している通り、私は「虫」を「殺す」のが好きだ。
アリンコを踏み潰し、羽をむしったトンボをカマキリに食わせて楽しんでいた子供時代の精神をそのままに、罪を犯さない程度の社会性を身につけて成長した。
まだ性的興奮を覚える域には至っていないが、虫を殺すことで多幸感を得ている自覚は十分にある。
そして運良く、殺虫行為が日々の業務として認められる職種……飲食店で働いている。
はっきり言ってしまうが、飲食店の厨房から虫を根絶するのは無理に等しい。
水道管、換気扇、近隣の家屋、届いた段ボール、侵入経路はいくらでもある。
それに奴等は生命のスパンが短すぎる。いくらでも生まれていくらでも産む。
だからこそ、私のような殺虫愛好家はこの仕事を飽きなく楽しめる。
私の業務は手洗いがてら洗面台にたかるチョウバエを泡で捕らえることから始まり、店を閉めた後で厨房の床に湯を撒いて彼らの子供たちが力なく流れていく様をせせら笑って見送りながら終わる。
それまでの間にも、醤油の匂いを嗅ぎつたショウジョウバエにアルコールを吹き付け溺死させたり、積荷に紛れたチャバネゴキブリを段ボールごと踏み潰したりもする。
定期的な殺虫剤の撒布も、死骸の後始末まで含めて喜んで行っている。特にゴキブリワンプッシュ。あれはあえて隙間から明所へ出てきて死ぬよう設計されていることもあり、私との相性は最高だ。力なく這い出てくる大小様々なゴキブリをモグラ叩きのように仕留め続ける。正直テーブル拭いてるより楽しい。
毎日ではないが、野菜をおいしく食べていた青虫を虫食い共々ゴミ箱に叩き付ける日もある。電灯につられて入店してしまった蛾をそれとなく握り潰す日もある。屋根の下で横たわるセミファイナルに引導を渡す日もある。
……それ以上となると飲食店として必要な業務ではないので、わざわざ外に飛び出して殺したりはしない。それといついかなる場合もその後の手洗い消毒は忘れない。
そうした私の殺虫行為は、少なくともこの飲食店という小さな社会では満場一致で「善行」と見なされている。
店長やオーナーからは、汚れ仕事も進んで引き受ける点を評価してもらえている。
同僚からは、急に湧いた虫を始末すれば、例え社交辞令だろうとも感謝は必ずされる。
客からは、逆にもし虫が料理の中に入ってしまえばクレームを入れられているわけで、それを防げている以上は相対的に良い心象を持たれているはずだ。
と、ここまでは「私自身の頭の中で考えている以上は」美談なのだが。
この場のように、こういった話を人に打ち明けてしまうと、少なからず次のようなことを考える人は出てくるだろう。
「命を弄んでいる奴のどこが良い奴なんだ?」
「虫を殺して楽しんでる奴は、欲求がエスカレートして犬猫や人間まで殺し始めるんじゃないか?」
私だって殺虫行為そのものを、手放しに善行だとは思っていない。
どんな虫にも生きる権利が認められる世の中なら、私は快楽殺虫鬼として裁かれるだろう。ジャイナ教に従えば、来世の私は虫以下の存在になっているだろう。
しかし私は、人の飼っているカブトムシを籠から出して引きちぎるような、殺虫に狂った人間じゃない。
童心に帰り、野山の虫を惨たらしく殺してやりたい気持ちも否定できないが、社会人としてあるからには、社会として許されるまでの殺虫をしているだけだ。
それが「虫」なだけでは殺さない。それが店にとっての「害虫」ならば、実害がなくともその状況に於いて「不快害虫」として認められるならば、殺すだけだ。
仕事として認められ、誰かから感謝される行為だから、私は白昼堂々……とまでしてはいけないが、縁の下で率先して虫を殺し、それで満足している。
そして、これは私に限った話だとは自覚しているが、私は虫以外の動物を己の手で殺したいとは一切考えていない。
端的に言うと血や骨、臓腑の処理をしたくないのだ。オタマジャクシ一匹だろうが死なれたら困る。ホイホイに引っかかるヤモリとか本当にやめてほしい。
私が楽しみながら触れられる脊椎動物の死骸は、血管や臓物と切り離された、おいしい食肉やあたたかい毛皮だけだ。私の職場が調理肉の状態で届く店で良かった。
そんなように、「虫を殺して楽しい」と「飼われた犬猫や人間の殺害」みたいな、一見段階的な関係にも見える嗜好と犯罪行為との間には、社会的な規範や、倫理的な了解や、個人単位の好き嫌いなどいくつもの細かい隔たりが存在しており、それらが人を犯罪行為に走らせぬよう機能しているはずだ。
それでも、私の場合はただ、恵まれていただけだ。私が殺虫の認められる社会に所属して、私が殺虫で喜ばれる仕事を得て、私が殺虫以上の欲求を持たないから、全てが噛み合い今の今まで機能しているだけだ。
これが、物議を醸した先の人物のように、社会として認めらなかったり、正統な仕事として実行できないものだったり、満足せずに発展しうる欲求だったりしたならば、私はとてもじゃないがこんな話を増田にしたためている場合ではない。私が起こしうる犯罪について真剣に考えなくてはいけない。
いや、殺虫に関してもそれが犯罪になりうるものではないか、誰かの権利や尊厳を損なうものではないか、立ち返らなければいけないことに変わりはないが。
改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下は護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。
ここにその輝かしい業績を記したい。
WWII以後も熱戦の時代は続き、世界は民族自決、植民地独立、冷戦下での大国介入に伴う戦争を経験してきたが、敗戦で武装解除された日本は関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。
その冷戦下で9条の改正を目指すのが自民党、護憲が革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党は改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線が固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者の戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新で護憲派だった。
ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり現憲法は良いものだから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである。
その為護憲=お花畑、空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦の終結により日本の立場は流動的となった。
そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本は戦争への協力を求められる事になり、世論は右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界観である。多国籍軍は国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。
湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動に自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジアの民主選挙の監視である。
また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である。
先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。
憲法も法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学に接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権の自由主義的な思想的意味が延々とこね回されたりする。
国民主権の主権は元は絶対王政の国家の正統性の為のフィクションであって、統治権、外交権、交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権が思想的に称揚されるばかりだったりする。
例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権は国家に対する対外的権力だ。
統治の問題は主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATOの軍事介入の理由に人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。
コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。
改憲問題でエポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである。
西部は改憲派のテーブルに座り「憲法9条や前文の精神が日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神が浄化され理想的市民や国民が出来ると言う考えだ。
それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。
これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。
それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃんと改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。
当初から戦争の理由は疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISISが勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。
これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線を留保すべきという流れになるのは当然だ。しかも国連の影響を抑える為の政策を米国はしまくった。この為に国連路線を旨としていた日本の国際貢献もイマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である。
改憲の旗艦となった彼は新右翼の学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。
彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。
すると2007年にコバセツは自民党の憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである。
ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いでリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。
例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。
日本会議の中枢に居るような新右翼の学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。
吉田茂は後に吉田ドクトリンは撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本の海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本が重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。
徴兵は海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識が希薄な若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為だから戦争に従事させろというだけだ。
またいつのまにやら立憲主義は否定されて憲法は国民が守るべき事柄になっていった。
コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである。
何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである。機械ばらして直せなくなるガキかよ。
それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである。
つまり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。
これは左翼神学的で実学に接続しないので憲法学者が微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。
そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通の立法プロセスが付いていないのである。
こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺は朝日新聞の捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似のコンテンツとなってしまった、
南スーダンの情勢が悪化し自衛隊がPKO活動をしている地域が危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。
今回は撤収するにしろしないにしろ「国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りでPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法とPKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である。
なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである。現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったから自衛隊と憲法の問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田口閣下が前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。
更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。
だが隠蔽の責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。
つまり自衛隊に後ろから刺されたのである。制服軍人をスーツの政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家は破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。
だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。
しかも自衛隊の活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。
だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民の意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。
ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族は大事とか良い事が書いてある憲法を朗読しましょう」という流れは保護された。
アイドルのような還暦女性にポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子でロリポップを舐め続けることができた。
だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議を国民に投げかける事はしなかった。
2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末に靖国神社を参拝したところ、日米関係は戦後最大の冷え込みとなった。
太平洋地域の戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである。靖国参拝は英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんである。バカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。
因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義の右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタ・ポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。
こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である。
米議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本の憲法を改正させて米国の戦争をサポートさせるというのは共和民主問わず共同認識になっていたのだ。
集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法で合法としてしまったのだから改憲のカードは無くなった事になる。
PKOの歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本が軍事的な国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。
尚、日本は民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権を承認していた。あの虐殺で国民の半分近くを殺しまくったポルポトを国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。
こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。
護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派の憲法学者も全て護憲派に寝返った。
一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。
そんな情況の空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味が判らんかった聖帝閣下は友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達の稲田防衛大臣は制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。
東京の某デパートでやっているお菓子催事、イートインコーナーで食べたい場合は
3)イートインコーナーで食べる
というめっっっちゃめんどいことになってた…。
しかも1席ずつアクリル板で区切られた椅子が、横一直線にずらっと並んでいるという異様な光景だった。(テーブルなし)
そこまでしてイートインしたくなかったので結局何も買わずに帰った。
隣のテーブルに座った1人の男(既婚)から、披露宴も半ばのタイミングで唐突に言われた。
まじか、と思った。
2次会ならまだしも、披露宴だぜ?
俺は学生時代当時も、適齢期を過ぎ気味な今もモテないんで、つるんでた一部から彼女作れよ結婚いつするんだよって
煽りはたまのネタになってて、うるせーな(モテてないんだから)分かれよ、で切って捨ててて、
その場限りのクローズドな雑談だからあまり気にしてなかったんだけど、
流石に人様の結婚披露宴という場で、周りに聞こえる声で言われたのが堪えた。
どう返せばいいんだろう、って思考が止まってしまったんだよね。
内心としては恥かかされたんで、かなり頭にきてたんだけど、
ここでキレたら友達の結婚式で怒りだす非礼な奴なのは俺だよな?
なんて言い返せばいいの?なんて言えば口を塞げる?
結局5秒ぐらいフリーズした後に次の催し事が始まって、なあなあになってしまった。
それがすごく悔しかった。
彼女いないとか結婚できないとかじゃなくて、「童貞」って言葉を使われたことなんだよね。
自分から言ったりしてなかったけど、相当コンプレックスあったから。
じゃあ風俗でも行けば、って言われるだろうけど
知らん女とセックスすることに救いがあると思ってないし
彼女出来ないのは非童貞になろうがそのままだからあんまり意味があると思ってない。
要は一人の異性も振り向かせられない、魅力が劣った人間というのは風俗では解決できない。
もう一つ、その場には女の後輩が複数人居て、もうその結婚式以降は本当に会わない間柄だったから
「(増田先輩ってこの歳でまだ童貞なんだ)」って強めに刷り込まれてしまったのが辛い。
言わなくてもうっすらそうだろうと後輩から思われるのは気にしてもしょうがないけど、
目の前ではっきりと貶められたらもうズタズタだよ。しかも俺が黙りこくっちゃったもんな。
ストレートに「今は止めろよ」だけでよかったかもしれないけど、
なんとかして相手の売り言葉に、騒ぎを起こさない範囲で買い言葉で応戦しようとしてた自分も悪かった。
結局時間切れだ。
二次会だったら喧騒も多いし、静かにキレればやり返せたかもしれない。
そう思ってるけど、いざそんな感じだったらその時はその時で黙っちゃうのかな。情けない。悔しい。
友達の結婚式は呼ばれたら祝いたいけど、そいつには会いたくない。
とにかく腹立たしく惨めだ。
1年以上経つけどかなり深く刺さってしまった一件だ。
若ハゲ、低年収、とかそいつの自尊心を傷つける言葉で応戦してしまえばよかったのかなあ。みっともなくても。
[追記]
なんか行動してないのが悪いみたいなレスポンチが始まってるけど、
リムワールドっていう生活シミュレーションゲームで、心情を悪くする行動のひとつに「テーブルなしで食べた(Ate without table)」っていうのがある。
心情へのマイナスは数値化されるんだけど、「友人が死んだ」が心情-9〜-3くらいなのに対してテーブルなしの食事は-3あって、そう考えるとなかなかのマイナス値だってことになる。ちょっとした友達が死んだくらいのイヤさがあるってことだ。
宇宙旅行中に未開の惑星に不時着し、サバイバルをする!っていうのが主題のゲームだから、テーブルなしの食事なんかでそんな精神的ダメージ受けててどうすんねん、甘えんなやという気持ちをほとんどのプレイヤーが抱えることになってるはず。
でもシステム上このメッセージはかなりの頻度で見ることになるので、だんだんプレイヤーの頭には「テーブルなしで食うのはつらい」という刷り込みもなされていく。
https://steamcommunity.com/sharedfiles/filedetails/?id=1522719077
スチームにあるこのゲームのMODのひとつ、その名も"Eating without a table is a war crime(テーブルなしで食うのは戦争犯罪)"
解説文も良い。
Mood debuffs from eating without a table is increased to -25 in order to add realism to the colonist's reaction to having to suffer through the unimaginable hell of eating on the floor.
テーブルなしで食事をとったときのキャラクターの心情値へのマイナスを-25(※親が死ぬよりでかい)に増やす。床で食事を取るという想像もできないような地獄へのリアクションをより現実的に描くために。
反応読んでいろいろな考え方の人がいるんだなと思った。
勤務状況の事例を挙げてくれた人、具体例を読めて大変参考になる。
併せて追記書いたので目を通してもらえると嬉しい
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.orangeitems.com/entry/2020/08/25/111954
上記blog記事がブコメでえらく叩かれているが、個人的には賛同できるポイントが多々あったので、上記と合わせてn=2の体験談とすべく個人的な話を書きたい。
個人的にはテレワークという言葉に和製英語的な違和感を覚えるので、以下ではリモートワークと記述させてもらう。
増田スペック:地方出身アラサー独身都内賃貸ワンルームマンション住み技術職
勤務先にはもともとリモートワークの環境自体はあったのだが、産休・育休明けの女性社員や、両親の介護といった特別な理由がある人だけが使っていた制度だった。
新型コロナの影響で今年の3月から全面的にリモートワークに全面移行。
・隙間時間で家事ができる。洗濯機や炊飯器のセットとかちょっとしたことが進む。
・自炊の頻度が上がったので食費が下がった。
・通販の受け取りに苦労しない。
・昼休みに昼寝ができる
・外見を構わなくてもよい。
・就寝前や休日に短時間、仕事のメールや問い合わせを確認できるので効率が上がる部分がある。(本来は勤務時間外であるが10分程度の作業で翌日楽になるので個人的にはあり)
・通勤時間が無くなるのは一面ではメリットであるが、逆に読書等の通勤時間の合間でやってた習慣がなくなった
・通勤ついでにターミナル駅によって買い物できなくなった。よほどマニアックなモノでない限り、通販で届くのを待つよりも、仕事の帰りに買う方が早い。
・外見を構わなくてもよいので、逆に自堕落になる。気が付けば髭もじゃでパンツとランニングシャツで仕事していた。
・運動不足がひどい。体感的に分かるくらい体力が落ちて半年で体重が5kg増えた。
(追記)
運動の件は、コロナ前はときどき区民体育館とかに行っていた。ここ半年はジムでコロナのクラスタ発生がニュースになってるので利用しずらい感がある。
緊急事態宣言時のステイホームで引きこもっていたらそのまま外出する習慣が消滅した感じ。
近所散歩すればいいのかもだけど、昼間は暑いし、夜は仕事が長時間化してるから時間取れていない。うまく工夫したいとは思っている。
・人と会わないストレス。つまらないうわさ話をする奴と距離を取れたのはメリットだったが、仲の良い同僚と世間話をすることができなくなったデメリットの方が大きいと感じる。
(追記)
大きな不満点を書き忘れていた。リモートワーク前提の勤務形態になったので、有給が取りにくくなった。
世間的にも不要不急の外出は避けろ的な流れが続いているし、社内でも有給とる人が激減したので非常に困っている。
・仕事の習慣が変わった。業務報告が以前は対面のミーティングと週報ベースが多かったが、勤務の確証を兼ねた日報ベースになった。以前なら2,3日かけてもよかったものでも、1日以内に何かしらの成果物を出さないと気まずい雰囲気になっている。
・全員在宅でいつでも連絡取れる前提になってしまったので、深夜帯に平気で連絡をしてくる奴が多い。
・一日中同じ部屋で代り映え無いので、時間感覚が徐々に無くなってくる。
・以前からTeamsを導入していたが、席が近くの人は直接声掛けしていたのでチャットの連絡頻度が上がったが、想像以上にストレス。ある人の問い合わせに対する回答を打っているときに第3者が別の問い合わせで割り込んできたりとか。
・今年入社の新卒社員の教育の難しさ。そもそも不慣れな人は問題点を言語化できなかったり、適切な用語を使用して説明したりできないので毎回画面共有しながら通話するのだが手間がすごい。
・一日中部屋にいるので、リモートワークが長期化してくると曜日感覚がなくなってきた。
・マンションで通信回線を共用しているので、住民が帰宅して動画のネット配信を見だすであろう夕方以降の速度低下。自宅でネットサーフィンする程度だと気づかなかったが社内のワークステーションにリモートアクセスして操作するとタイムラグがイラつく。引っ越さない限り改善は無理。
・オフィスの空調等の恩恵が意外に大きい。窓のそばの部屋で仕事しているので、夏に向かうにつれて日中の日差しが気になってきた。これまで自宅でPCを使うのは夜が多く、休日はよく出かけていたので気づかなかった。
・上記と合わせて照明の影響。机 / 椅子は元からそこそこお金をかけていたので長時間仕事しても腰や肩は平気だが、照明は気にしていなかったので目の疲れがデカい。
・コミュニケーション不足解消でZOOM飲み会やってみたがあれはくそだな。居酒屋のテーブル席分(4人)以上での会話が成り立たないし、普通の飲み会であった店移動や電車の時間といった抜けるタイミングが作りにくい。
何より同じ料理を食べるという体験がやれない。会社・友人等で1回やったらみんな似たような感想だったのか、2度とやらなくなった。
というわけで、最初の1、2週間はデメリットが目立たず、長期化するにつれてストレスがたまったという点は元のblog主と同じ。
いろいろデメリットが目立つようになってきたので、モチベーションが徐々に低下していって、夏休みが明けた今週からは業務の合間に増田を見る程度には堕落してしまってる。このままだとサボり魔になりそうで危ない自覚がある。
とはいえメリットも体験しているので、個人的にはコロナが収束したら全面的に出社するよりも週に1, 2度程度リモートワークできるのが効率良いんじゃないかなと思っている。
また、地方出身なので休暇の延長として地元滞在を伸ばしてリモートで仕事できることが認められると嬉しい。
仕事始める前にいつものサボりで増田見たらえらくたくさんブコメついててビビった。
リモートワークの改善点できるポイントが寄せられていたが、ぶっちゃけ私の場合は引っ越すしかないと思ってる。
とはいえ、リモートワークが解除された時の利便性と引っ越し費用+オフィス家具の購入費用等のコスト面を秤にかけると踏ん切りがつかない。
最低でも下記のポイントは抑えたいが、都心からそれなりに離れた場所でも固定費上がりそうだしな…
・高速な通信回線を確保できる築浅の物件(今のマンションは共用回線をVDSLで分配)
・仕事と生活空間を分けられる2部屋以上の間取り。部屋数増えれば運動器具の置き場やSwitchのフィットネスゲームやるスペース確保できそう。
その他、チャットの頻度については社内文化としか言いようがない。
割と急ぎの案件が夜中に飛んでくるからガン無視決めるわけにもいかないので困っている。
自分がルール決めれる管理職ポジションだったら良いんだけどね。
単純な内容や急ぎじゃないことはメールにして欲しいというのはぶっちゃけあるが、これも相手が次第だからすぐには変わらないわけで難しいよね。
Word Editorという今時珍しいWYSIWYGのFirefox拡張があって、今それで書いてる。
打ち消しもスタイルシート仕様なので反映されない。まあこれは辞書にタグ登録のほうが楽か……。
ただやっぱね。
テーブルが楽。
行00 | 列01 | 列01 |
行01 | ||
行02 |
WYSIWYGなんてローカルな技術、ほんといまどき衰退しちゃったからなあ……。
全部サーバサイドで実装されてる時代になって、結局衰退して今またという。
😄顔文字は一発挿入。
₻特殊文字も同じく。
こんな拡張。
興味ある人は使ってみては。
ブログ持ちの人などにも。
https://addons.mozilla.org/ja/firefox/addon/word-editor-addon/?src=search
お昼はじゃんぎ丼を食べてみたいですと白川さんが自分から言ってきたとき、なにか他に話したいことがあるんじゃないかという気がした。
会社の近くにある居酒屋はランチ営業をしていて、そこで出しているじゃんぎ丼は居酒屋っぽいくっきりとした味付けで、たまに食べたくなる。コロナウイルスの前はお昼時に毎日混んでいたけど、最近は並ばなくても座れる。
二人で店に入って注文して、丼が来るのを待っているあいだ、やっぱり白川さんはためらいがちに、朝会の新しいやりかたを私はどう思うか、訊いてきた。
会社では毎日、始業前に朝会がある。今月から週1回、朝会で出席者が順番に「いま感謝を感じていること」を発表することになった。これは部長の発案で、全員でポジティブな感情を共有すると、チームの「エンゲージメント」が高まるらしい。
「自分の番が来る前に、なんか感謝していることを、探して思い出しておかなきゃいけないってことですよね」 冷たいお茶を飲みながら、正面に座った白川さんの方を見ると、曇った顔で湯呑を見ている。
「そもそも、感謝していることって、口に出して強制的に言うようにしなきゃいけないことなんですか?」 湯呑から顔を上げずに白川さんが言う。
なんだろう。この、もやもやして答えのない感じは。丼が二つ運ばれてきてテーブルに置かれる。
「感謝していることを、あえて口に出すことに、白川さんは抵抗があるってことですか」
「うーん、よくわからないんですけど、すごく、しんどい感じがしてきそう」
なんだろう。わかる気がするんだけど、うまく言葉にできないし、どう反応していいかわからないこの感じは。
「ほんとうに心から感謝していることは、私もなんか照れて言えなそうだから、当たり障りのない話題を出しちゃうかも」 と答えると、白川さんは少しほっとしたような顔で私の方を上目遣いに見た。
そこで話に一区切りつけて、ごはんが冷めないうちに食べて会社に戻ったが、午後もどこかもやもやした気持ちが残った。
帰りにいつもより一つ前の駅で電車から降りて、大きめのスーパーで買い物をして、家まで歩いているときにも、頭の中のどこかでお昼のことを考えていた。ひょっとしたら、白川さんは転職するかもしれない、という気がした。
米を炊いた上にサーモンとイカのたたき、いくら、専用のタレをかけて出来上がり。
それをダイニングテーブルに並べ、私自身も着席したところで猫が来る。テーブルの下から皿が見えるのだ。
椅子までよじ登ってさあテーブルにお邪魔しますよという段階で、私はあらかじめ用意しておいた納豆を猫の顔の前に出す。
すると猫は、納豆の匂いを嗅いで関心を失い椅子を降りていく…成功である。
と、いうやり取りを、およそ1回の食事中に5〜8度ほどする。大抵の場合、途中でむりやり机にのし上がられ、魚を食べていることがバレる。そして襲われる。
勢いよく近づいてくる猫から無理に皿を遠ざけようとして、箸が落ちたり皿ごとひっくり返したり、猫がテーブルから落ちて恨まれたり……。
インスタントラーメンとかは食べていてもまったく無関心という顔でありがたいが、やっぱり私の好物は魚なのでやめるのは厳しく、そして毎食この攻防をしながら食事するのもしんどい。
猫と暮らしていない人からすれば嫌味のように聞こえる悩みかもしれないが、毎食落ち着いて取れないというのは結構しんどい。
猫は可愛い。
猫という生き物は、Twitterとかでみてる限りは神聖で尊い生き物だ。
でも、ウンチまみれの足で部屋中を走り回ったり、壁紙を破壊したり、寝ている足に噛み付いてきたり、ひっかいて流血沙汰を起こしたりする。