はてなキーワード: ぼんやりとは
まだ土の方が目立つ麦畑を強風が吹き抜けるので、辺りは土埃で霞み、遠くの山の輪郭もぼんやりしている。空もうっすら黄土色。強すぎる風に、車のハンドルが取られるほど。空では時が止まったかのように鳥が浮いている。
農道をのろのろと車を走らせていると、前方からカップルらしき二人組が風にあおられながら歩いてきた。ほとんど身長差のない二人で、特に風が吹き荒れるごとに、わずかに背の低い方が相方の方へ倒れ込み、それを相方が自らもよろけながらなんとか支える。それでも歩みを止めることなくこちらに向かって歩いてくる。
こちらと距離がつまってくると、埃でぼやけていた彼らの姿がはっきりと見えてきたが、二人とも中学か高校生くらいの男子だった。キャーキャーと楽しげ叫びながら歩いているように見えるが、声は全く聴こえてこない。風が全部の音声を吹き飛ばしてしまう。
彼らとすれ違う時、ぎりぎりまで道の端まで車を寄せ、元々徐行だったのを更に速度を落とした。もつれ合うようにして歩いてくる彼らが二人まとめてボンネットに倒れ込んでくるのを回避するためだ。
すれ違う時も、彼らは無声映画のようで、聴こえるのは風の吹き荒ぶ音ばかりだった。窓の外に見える彼らの表情は楽しそうだ。大人には迷惑なだけのこの嵐も、彼らにはただのイベントでしかない模様。
もともと特別仲が良かったわけではなくて,よく空気のような存在とか言うけど,いなくては寂しいけど一緒にいればそれなりに喧嘩もして,なんとなく一緒に暮らすようになって,親も結婚結婚と煩くなり,半分以上はそれが原因で,のこりは不安定な関係がすこし落ち着いて,その空気に近いようなものになるのを期待して,俺から言い出して結婚した。彼女はその後しばらく無理やり結婚させられたと言っていたけど,子供が生まれた頃にはそれもあまり口にしなくなった。彼女はもともと精神的に不安定な人で,気分が悪いといって連絡もせずに仕事を一週間くらい休むようなこともあって,そんなに調子が悪いのなら医者にかかってはどうだというと医者は嫌だ自分で治す,自分は自律神経失調症でたぶん精神科にかかることになる,そうすれば薬漬けになる,私はそういう人を知っている,薬で常にぼうっとしている,自分はそんな風になるのは嫌だと言われた。子供が生まれた後は輪をかけて不安定になって,俺もそれほどストレスに強い方ではないから,お互いにつらい思いをしたんだと思う。俺は俺で仕事が上手く行かなくなり,家に帰れば彼女がそんな状態で,ある日突然職場に行けなくなり,職場から精神科の受診を薦められて,うつの診断を受けた。彼女が言ってた薬漬けの状態になり,仕事は休職して,自宅で過ごすことになった。仕事というのはそれなりに精神力を使うものだったようで,自宅でなにもしない生活をしているうちに,復職が怖くなってきた。休職と復職を繰り返すようになって,結局その職場は退職することになった。彼女は生活に不安はあったものの,やり繰りの能力は俺よりはるかに高かったから,半年は凌げるからとりあえず心配しなくていい,自分にあった仕事をさがしたらと言ってくれた。辞めて半月もしないうちにたまたまあまり変わらない条件で雇ってくれるところがあって,うつであることを隠して就職した。新しい職場は勢いもあり,上司も俺を買ってくれていたので,忙しいながらも充実した毎日だった。妻もその時期は比較的安定していたようだったけど,働き始めて半年後,その上司が突然亡くなった。職場の体制も代わり,それまで期待されていたのが傍流になり,また仕事が辛くなってきて,ほとんどやけでお義理程度の仕事をして過ごした。すさんだ気持ちが家での態度にも出ていたんだろう,彼女にも相当のストレスをもたらしていたようで,そのことを何度か口にしていた。それまでは彼女と子供と一緒の部屋で寝起きしていたのだけど,なにかのきっかけで俺だけ別の部屋で寝起きするようになり,彼女と子供の寝室に入ろうとすると嫌がられるようになった。そのままだらだらと何年か過ごしていたのだけれど,ある日役員から呼び出しがかかり,職務態度を理由に降格か自主退職を迫られ,不服もあったけど職場での自分の態度も好きでは無かったし,たいして思い入れのある職場でもなかったので,何も考えずまた退職した。ただ呼び出しがかかった時点ではなんとなく退職を迫られるのではないかと思っていて,それまでそれなりに安定していた精神状態が一気に不安定になって,職場から彼女に退職することになるかもしれないと電話をすると,思い込みだけでいちいち電話して来ないでくれと言われた。結局思い込みでもなんでも無かったのだけど,前の転職より条件は悪くなるだろうから,今より狭い部屋に引っ越さなくてはならないかもしれない,そうしたらまたみんなで一緒の部屋で寝起きするようになるかもしれないけどどうすると聞くと,仲がいいわけでもないのに一緒に寝起きできるわけ無いよねと言われた。この言葉にはさすがに俺もショックを受けて,もう何もかも嫌になって,内服をさぼって大量に手元にあった精神安定剤20錠くらいを酒で流しこんで,あやふやになる意識で,このまま救急車で運ばれて,その先で死んだらなんにも考えなくていいなあなんてぼんやり考えていたら,どうやら自分で救急車を呼んだらしく,気がついたら部屋で寝ていて,腕には採血されたらしく絆創膏が貼ってあって,彼女から薬を飲んで自分で救急車を呼んで近所の病院に運ばれた,救急隊員に昔の職場に運んでくれと言っていたらしい,連絡先がわからず実家に連絡が行き,病院に親と兄弟が呼ばれて,そのうち彼女に連絡が取れたらしいのだけど,過去に辛いことがあると何度か大量に薬を飲んでフラフラになっていたのを知っていたので,また俺の嫌がらせだと思って今すぐ行かないとだめかと答えた,来ないと困ると言われたので子供と一緒にタクシーで迎えに行った,医者はこの程度の量ならたいして問題ないと言われたので連れて帰ってきた,近所は何事だと思っているだろう,という説明をされた。その頃からもう家族である必要もないしたぶん別れたほうが楽だろうなと思い始めた。友人に散々諭されたので,それから大量に薬飲むような事はしていない。彼女は働いていないし,家に金を入れずに何ヶ月も過ごすほど余裕も無かったので,知人が紹介してくれた,それほど興味もなかった職場に入職した。給料が下がって生活も苦しくなったので,どうも彼女も危機感を感じたらしく,働き出したようだ。保証人になってくれと言われたのでなにか書類を書いたのは憶えているけど,どこで働いているのか,いつ働いているのかも知らない。そのうち家で一言二言交わしてた会話も全く無くなり,ここ数ヶ月は全く口も利いていない。大体帰ると彼女らの部屋から彼女の子供を叱る声が聞こえてきて,一度それがストレスになるからもうすこし声を抑えてくれと言うと,必要だから叱っているのでそれは無理だと言われた。子供はなついてくれてて,俺が帰ってくると俺の部屋に来て,その日あったことを一通り説明して彼らの部屋に帰っていく。食事は用意してくれている。一度当直のときは言ったほうが良いかとメールで聞いても返事が無かったので,食事が不要な時も何も伝えていないから,家に帰ろうが帰るまいが用意しているのだと思う。用意しなかったときは食事してきてくれとメールがあったけど,夕食は家で取らないからもうメールはいらないと返事すると,それ以降なにも返事がなかった。でも相変わらず夕食は用意されている。もう彼女と俺との関わりはこの夕食だけで,もうそれすら俺は嫌になっている。子供に対しての叱り声やあきれたような声は相変わらず聞こえてくる。声が大きくなると俺はそれに合わせてオーディオの音を大きくする。そうしないとやりきれない。退職を機に再発したうつで精神科からもらっている薬を飲む。それでもちっとも変わりゃしない。俺の残りの人生はたぶんこの繰り返しだろう。もう生きるのが面倒くさい。同じくらいに離婚も面倒臭い。いいことなんかあるはず無いし,あったとしてもたいして興味もない。今日寝てそのまま目が覚めなかったとしても,後悔することが何もない。子供はかわいそうだけれど,母親にはとてもなついているし,まだ小さいので,父親がいなくなるのは早いほうが多分いいだろう。傷つくとしても小さくて済むと思う。生活は遺族年金があるだろうし,俺の生命保険もでるだろうから,相応の生活は送れるんじゃないだろうか。だから家族のことも心残りにならない。仕事はもとからどうでもいい。友人とはしばらく会っていない。俺が死んで困る人はいないと思う。誰かが悲しむことも想像できない。むしろ望まれているようにすら思う。一番望んでいるのは俺自身だ。ここまできたら死ねばいいと思うけど,怖くてなかなか死ねない。歩道を歩いてて車が突っ込んでくれるとか,そういうのを毎日期待して過ごしている。もう残りの人生は心の底から要らない。そして,なんでここにこんな事を書いているのかもわからない。
当時20後半になってもフリーターをしてた俺は、服飾の専門学校を出てニートになった友達と一緒にタイムスリッパーごっこをしていた。
友人が作った全身に緑色のボタンがついてる(ゾゾスーツの白い丸が全部ボタンになってるイメージ)灰色の奇抜なツナギと、片方のレンズにヒビが入った伊達メガネを身につけて、遠くのバス停に目掛けて走り、バスを待ってる人に「すみません、いまいつ頃ですか?」と聞いて去っていく遊びだ。
なるべく変な連中に絡まれないように、昼間の穏やかそうな学生や頭が柔軟そうな二人以上のグループを狙って犯行を行った。ある程度の年配者など融通の利かなくなそうな人にやると揉め事に発展したり通報されたりする恐れがあるからだ。
ターゲットのバス停へ先に片方が普段着で並び、もう片方がタイムスリッパーファッションを施しバス停にかけつける。(友人は恥ずかしがったのでタイムスリッパー役をやることが8:2で俺の方が多かった)バス停でバスを待ってる人に「いまいつ頃か」聞くといろんな答えが帰ってくる。大体は「今の時刻」か「今日の日付」だ。そういう時に「ちがいます!西暦です!」と答えると、今日の西暦が返ってくるので、今日の西暦と教えてもらった日付や時間を復唱し、深刻そうな表情で「このままだと間に合わない!助かりました!ありがとうございます!」と深々とお礼をし、全速力でその場から逃げだす。そうすると、バス停でスタンバイしてる人間が「え、何今の人」「やばい人?」「タイムスリッパーだったんじゃない?」「ただの頭おかしい人だよ」「でも西暦聞いてたよね?」と、タイムスリッパーに絡まれたグループのやりとりを聞けるのだ。
友人は、自分が作った服を着て、タイムスリッパーに間違われるのが凄い嬉しくて楽しかったらしい。久々に心から笑えたと言っていたのを今でも覚えている。
一年ほどそんなくだらない遊びをして、馬鹿みたいに笑って、バカ高卒で頭の悪い俺は三十路前に未経験でプログラマとして就職して、しょっちゅう彼氏が変わる友人はキャバ嬢になっておっぱぶ嬢になってピンサロ嬢になって金パブODを覚えて最後は大量の睡眠薬によるODで死んだ。
就職してから俺の毎日は変わることもなく、ただ仕事と家の往復で人生を摩耗していた。この間、野暮用で平日の昼間に仕事を早退した。野暮用を済ませた先にあったバス停があの頃友人とバカをやってたバス停の一つだった。思わず懐かしさに手を引かれて、誰もいないバス停のベンチに腰を掛けて、車道を走る車をぼんやり眺めながら、友人とやっていたタイムスリッパーごっこをぼんやりと思い出した。段々と当時の記憶が鮮明になってきておもわず思い出し笑いをしてしまった。
あの頃の友人がひび割れたメガネとクソダサい灰色のツナギをきて「すみません、いまいつ頃ですか」と俺に声をかけてきた。そんな午後だった。
私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。
そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館で南条さんの本を借りた。当時私はリスカやアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為がきっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。
本には、南条さんという人物について、また彼女がインターネット上に残したものについて書かれていた。
「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」
衝撃だった。
南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。
さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービス名から推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能なブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。
二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志で生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である。
私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身の気持ちが不謹慎でたまらなかった。
インターネットではブログサービスの代りに増田が流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。
このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。
さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。
前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。
私はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィークに旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしまい入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。
ところで北海道の運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任の先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである。
私にとってそんな小学校最後の運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨(北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧な気候の中で、小学校生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。
2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやすく説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生の教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである。
私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロアと中学生のフロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下や教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。
4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度の区切りを迎えてから数日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。
2002年4月8日の月曜日、二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。
2002年の3月末~4月初旬の彼女の日記を確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。
彼女は文学部哲学科を卒業した後、編集者・レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事を日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。
2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。
平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度の決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。
しかしその4月2日水曜日の日記のタイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手な個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事を投稿したのではないかと考える。もしくは、職場のPCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日の日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。
一投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。
しかし彼女の複数回に及ぶブログ投稿を現代の増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田(メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期の中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。
さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本からの引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人からの手紙を引用している投稿も見られる。
ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプの人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるからである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないとき」である。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitterで思考の整理を行う。なぜなら自分自身の脳内の回転及びそれによって生じる思考をインターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。
そしてなぜあえてインターネットに吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会で相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉で相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーションに挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。
彼女の本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手に彼女と自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。
ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分の作品が残るとは、そういうことなのだと思う。
2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病を発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったかと記憶している。休み時間には、情報の担当教諭がヤフージオシティーズのアカウント取得を手伝ってくれた。
やはり、当時はまだブログがそこまで一般的なものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約し個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナー(ハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通の趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。
私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有の地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。
やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitterの複垢(サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。
私は日本におけるインターネット内でポエムが馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章をポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。
このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったかと記憶している。
二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日で更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。
そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである。
人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記をありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンをシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女のことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。
断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。
冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。
もしかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要や編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったからである。
果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。
事実、書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。
文中で軽く触れたが、私にとって増田は思考の整理のためのツールとして役立っている。
私は物心ついた頃より、「この子はぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。
私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲で相談をし、さらに増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ。
私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。
果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。
今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネットで事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかしインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。
私はリアル社会の中で、絶望に絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネットに絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。
インターネットを彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。
二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女の日記のどこかで触れられているのかもしれない。
しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康な人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。
しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者がインターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。
相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情の上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名で披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。
私は自分自身の人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。
「自分自身とよく似たパーソナリティの人物の言動や思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報を医療機関で提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。
私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法でアドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。
私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的に自分自身の不幸を開示していこうと考えている。
瞬間的な儲けは確かにすごい。
燃え上がるように儲かる。
でも火加減が難しくて、ずっと燃やし続けるのが大変で。
不祥事を起こさないように気をつけていても飽きられて離れていくのも多い。
でもそんな冷めやすい特性に抗って、ずっと恋してもらわないといけなくて、プライベートがなくなって。
二度と手に入らない若さと青春とを引き換えに、「なにやってんだろ?」「ほんとにこれでいいのかな?」って心を押し殺してまでして、幾許かのお金を手に入れても割に合うのかな?って。
周りがみんな恋愛や結婚をしていく中で、それが普通なのに、普通のことすらできなくて。
3年くらいのスパンで見たら、結局色恋に頼ってない人の方が生き残ってるし、プライベートも犠牲になってないし、儲けも十分ありそうだし。
色恋、やめた方がいいな。
そういえば命日が今ぐらいだったかなと気づいたので書き起こしてみる
伯父は今で言うところの非モテを拗らせたマザコンDV男みたいな性質の人間だった
内弁慶で身内にしか強く出られないタイプだそうで、私が物心つく前に自分のDVで離婚していた
離婚の時は私の両親を含めた近い親族が手を尽くして良い弁護士を探し回ったそうだが、その事にお礼の言葉一つも無かったようで、親族からの評価は悪かった
唯一、彼の母親、つまり私の祖母だけは、そんな事があったにも関わらず、聞き分けの良い自慢の息子であると認識していたようだが
ちなみに、当時の事情をよくわかっていなかった私達(甥姪)には優しい…などということもなく、突如として自分を棚に上げて言いたい放題説教を始めるし、進路についても口を出してくるので当然嫌われていた
例えば、姪は私一人だったせいなのか、大した容姿ではないのに「お前はいい大学に行ってアナウンサーになれ」と進路の話題になる度に言われて気持ち悪かったのだが、髪を染め始めると一転して不良だあばずれだと罵られるようになった
その辺りで両親もこっち側の親族と極力関わらないようになっていったので、誰かの葬儀以外では顔を合わせることもなくなった
そんな伯父だが、神聖化していた祖母を介護の後に亡くし(老々介護とはいうが、DV遍歴のあるマザコンにまともな介護ができるはずもなく、実情は酷いものだったようだ)、10年近く独居老人をした後に亡くなった
火葬場でお経を読んでもらうだけの簡略な葬儀には、三親等ぐらいまでの親族が数名だけ来ている状態だったし、故人を惜しむような声は1つも無かった
なんなら同じ時間帯に火葬場に居た別のご遺族とご友人の方に同情してしまうぐらいだった、遺影の写真がかなり若い方のように見えたので
伯父は生前から周囲に嫌われる言動を取ってきたからこその最期だったと思うのだが、親族からも嫌われ、たった数名が無表情で事後処理に来る火葬もあれば、ご家族だけではなくご友人が大勢駆けつけ、すすり泣きがあちこちで聞こえる火葬もあるのだなと
同じ日、同じ時間帯の火葬だったけれど、あまりにも対照的で、現実感が無かったようにすら思う
ただ、伯父のような終わりはやっぱり嫌だなとぼんやり考えていたのは覚えていて、これからも時折思い出す記憶の一つになる気がする
馬鹿舌です。
大嫌いなトマトのうまいまずいはとてもわかる。うまいトマトなら、嫌いな味だが糖度が高くて青臭みが薄くて濃い旨みがあり、果肉と水分のバランスがいい、嫌いな味だが…と思う。まずいトマトは吐き気がするような変な酸味で皮が妙にカサついて飲み込みにくく不快なあと口が残り二度と食べたくない。
それ以外は何でも美味しい。
49円のブラジル産鶏肉でも75円のメキシコ産豚肉でも、家庭料理のひと工夫ひと手間でじゅうぶん美味しくできる。ただし自分の調理は失敗する事もあり、それは明確にまずい。そして外食は自分の作る家庭料理より下ということはまずない。(口に合わないことはたまにある)
美味しい美味しいと味わって食べるが、他の店との差を分析的に食べはしないし味の詳細はあまり記憶に残らない。自宅で再現したくなれば加熱具合や調味料やスパイスを探りながら食べることはあるが、通常は美味しかった、という感想だけ。
滅多に行かない高級店も時々行くサイゼもぼんやりと美味しかったと思ってる。それは治したほうがいいんか?増田的には。自分は問題を感じない。
数年に一度は自分に襲い来る長野まゆみ作品ブームにはまっている最中のため、あまり商業BLを読めていない今日この頃。残り少ないお小遣いも、長野先生の新刊(非BL)を買うために温存中。
ちなみに、長野まゆみ先生の書くものの多くには男×男の恋愛要素があるのだが、「非BL」作品扱いなのは何故なのかというと、BLレーベル以外から出版されており、商業BLの定義にあてはまるようなBLではないからというだけ。商業BLには面倒臭いルールがあるのだ。例えば、基本的にハッピーエンドとか、攻めの浮気厳禁とか、無駄に女を登場させてはいけないとか。
世界は人の住まう「現世」と人ならざる者の住まう「常世」に別れている。主人公の天野は、常世から来た者たちが利用する人里離れた旅寓(旅館)で働いている。
ある日、常世の王・ツクヨミが旅寓に骨休めにやって来た。傍若無人なツクヨミに天野は振り回されるが、ツクヨミにかつて自ら命を断った友人の面影を感じ、気になってしまうのだった。
これはある特定の層にピンポイントでぶっ刺さるやつなのだろうと思うが、生憎私自身はこういう系を好きこのんで漁って読む方ではないので、せいぜいハジ先生の『坊主と蜘蛛』を読んだくらい。BL外の作品ではたとえば『千と千尋の神隠し』とか『しゃばけ』とか『蟲師』とか『夏目友人帳』とか『モノノ怪』とか『家守綺譚』とかそこら辺が好きな人向けなんじゃないか。あ、私の好きな『左近の桜シリーズ』(長野まゆみ)もこういう系だな、そういえば。
特定の層にピンポイントでぶっ刺さる系なので、『極夜』のレビューを某BLレビューサイトで見るとけっこう良さげなのだが、泣いたとか感動したは言い過ぎなのではないかと、私は思う。そこまですごくはない。まあまあ良い話だとは思うけど。
事前調査なし・試し読みなしで買って読んだら、表紙めくって出てきたカラーイラストが『鴆――ジェン――』のフェイ将軍とツァイホンの絵だったので、私は買う本を間違えたのか? と一瞬慌てた。調べたら、この『極夜』というタイトルの単行本、文善やよひ先生が『鴆』の大ヒットで人気作家になったために、絶版になっていた過去作品を『極夜』と改題して復活させたものだった。表題作の他に『鴆』の番外編も同人誌から再掲。なるほど、今の文善先生はかなり手練なプロ作家という印象だが、『極夜』は確かに若いなって印象だ。『鴆』はpixivコミックで2話まで無料で読める模様。
文善先生の大ファンの人で過去作品全部コンプしたい人向け。文善作品にちょっと興味があるくらいなら、回り道せずに『鴆』シリーズか『蟻の帝国』を読むといいのでは。
エロシーンがしめやかでいいな。私はあまりこれ見よがしな感じのエロシーンは好まないので。それと、ベタとスクリーントーンが少ない為にエロシーンの白抜きが煩く見えなくていい。
しかし、シンプルめな画風でもごっそりと白抜きのかかるのって。以前、某お気に入り作家さんのBL作品がシーモアで無料になっていたので読んでみたところ、修正レベルがシーモアだったのでKindleでは輝く白さに消されるべき所が薄ぼんやり見えていたのだが、薄ぼんやり越しにもそこがかなり生々しい描かれ様なので驚いてしまった。な……BL作家さんって、キャラの顔はめっちゃ漫画でもおちんだけはこんなにリアルに描くもんなのか……なんでここまでおちん描写に執心してるのかわからない……と、電子書籍派Kindle使いな私は愕然とした。そんな所どうでもいいと言い切ってしまうのも何か違う気もすると思いつつ、正直どうでもいいよなあ、どうせ消される所なんだし……と思わずにはいられない。
16ページしかない掌編なので、あらすじは省く。掌編アンソロジー『掌編歳時記 秋冬』に収録された作品。サラリーマンのほんのりオフィスラブ。現代の現代的な話だから、幻想なし。エロもなし。しかし非BLなので安定のインモラル上等ぶり。
普通に現代ものなのでビビった。登場人物がちゃんと今時のサラリーマンだなんてすごい! 漢字の字形にやたら拘るところはいつもの長野先生だけれども。
こんな短い文章でボーイズがラブしているのすごい。文章は簡潔だけど、短いなかに情報量が多く、なのに情緒と風景描写が死んでいないとは。熟練のプロ作家恐るべし。と、これを読んだ時にちょうど小説投稿サイト・フジョッシーで開催されていた掌編コンテストに応募すべく四苦八苦していた私は、震え上がり畏れ平伏叩頭したのだった。プロすごい。
ところでBLとも長野先生とも関係ないけど、『掌編歳時記 秋冬』のトップバッターが先週亡くなった西村賢太先生。訃報を知ったあとに読むとほろりとしてしまう、切ない掌編だった。
猫のチマキは飼い主のマダム・ロコとはぐれてしまい、まだ赤ちゃん同然の弟・ノリマキを連れての放浪生活ののち、小巻おかあさんの家に流れ着いた。小巻おかあさんの家・宝来家は大所帯。おかあさんの息子でありまかない担当のカガミさんの他、おかあさんの亡夫の前妻・マダム日奈子、日奈子の娘の暦さん、暦さんの兄・樹の娘のだんご姫、だんご姫の叔父の桜川くん、そしてジャン・ポールが住んでいる。
そんな複雑な家庭でクセのある人々と共に暮らすチマキは、小巻おかあさんのエッセイ『コマコマ記』を真似て『チマチマ記』を書くことにした。これはチマキが宝来家にたどり着いてから約一年間の記録。
だいぶ極まった感じのロハス生活を描いた作品だが、長野まゆみ先生らしく背景には桜川くん×カガミさんのほんのり(悪魔的な)BLがある。
長野先生がこんなにふんわりした感じの森ガール(死語)が喜びそうな文章を書くなんて意外な気がする。しかも「にゃん語」とか「萌え」とかいう単語が長野作品に登場するとは、その事自体が萌え萌えしい。
だが、文体はふんわりしているのに、ことあるごとに美味しい食べ物はカロリーが高くしかも健康に悪いという現実をビシバシ突き付けてくる。なんなの長野先生サドなの? そんなに言わなくてもいいじゃないカロリーのことなんて! 普段は現実離れした作風なのになんでそこだけリアルでシビアなのか謎。極力カロリーと塩分を抑えてしかも美味しい料理を作ろうとなった時にまずは極上の食材を調達してきてそれを干す、という異様な難易度の高さ。救いなどなかった! しょうがない、貧乏人はポテチ食ってデブるしか……。
昔、向田邦子か誰かの随筆で、戦中にこっそり隠れて読んでいた婦人雑誌に「シュウクレエムのいただき方」という記事が載っていて腹を空かせながら読んだが、結びに「淑女はシュウクレエムなど食べてはいけません」と書かれていてがっかりした、とかいう内容のがあったと思うのだが、きっとその時の向田邦子か誰かの気分が『チマチマ記』のお料理場面を読んだ時の私の気分に近いんじゃないかなと思う。
難易度高過ぎロハス暮らし描写に勝手に心折られてしまったが、桜川くん←カガミさんのBLは良さげに納まったっぽいのでいいや。
そもそも、若い彼らは目上の人間や年上の人間から、やれ「焼き鳥の串を外せ」だの、やれ「お酌をしろ」なんて"モロ"な抑圧なんて社会風潮的にまずされてない。
されている人が実際いるとしても、今どきそんな被害体験受けること自体が超レアケース。
「本気出したらお前ら年上社会人なんてねじ伏せられるけど、育ちも頭も良いから大人しくしてます」
とでもいいたげに"敵に回したらヤバい人"感出してくるけど、なんかもうその精神性が不健康。
周囲の人に毒を撒き散らかすメンヘラが出てる。
一般的に職場の人間って若い人にかなり気遣ってるし、親切にするし、楽しく働いて欲しいと思ってるし、悪感情なんてそうそう抱いてないもので。
一方で、そんなふうに気遣われてる当の本人は、仕事忙しかったり、そもそも朝起きて出勤して9時間拘束されてみたいなルーティン自体が嫌すぎて、勝手にイライラ生きて、
「抑圧される我ら無辜の新人社会人」みたいな被害妄想こじらせたりするけど。
あと、
弱者感出すけど同世代感で積極的にカースト作ろう作ろうとするよねこういう人たち。
あと、
人生のレールに乗れないんじゃなくて、そもそもレールに興味示さずにさっぱりスッキリとマイノリティ的身の振り方をする同世代(たとえば就活をはなっからせずにAV男優になるとか)に害意を向けたり、小馬鹿にしたり、噛み付いたりするのもこういう人たちだよね。
強いしなかなか悪党だよ。
勝手にイライラして、ありもしない被害妄想膨らまして、恋人・家族・友人以外の人間に対しては特に何かされたわけじゃなくてもぼんやりと敵愾心と軽蔑心抱いて、波風ないところに波風立てるようなウソ臭い歌を聞いて勝手にスカッとジャパンする。
みんなこれにどうやって耐えているのかわからなくなるときがある
結婚や子育てしてもずっとアニメとかゲームとか好きな人、今は普通にいると思うんだけど
(Twitterなんか見ててもパパやママも一緒にやってるとか書いてる子が普通にいる)、
そういうの実例として見ててわかっていても、自分のこととして考えると
「いつまでそんな空想の世界に夢中なんだよバカなんじゃないのか?」と思ってしまい、
(不思議なことにそういうふうに楽しんでいる他の大人にはその気持ちは向かない)
どうしたらいいのかわからなくなる
別に飽きたとかではなくて、多分だけど昔から「そんなのはやく卒業しなさいね」って親に言われていて、
こんなものは恥ずかしくてくだらないという意識がずっと頭にこびりついてるからなんだと思う
今でも帰省する時に、まだそんなゲームなんかやってるの?みたいに言われることがある
親の気持ちはわかるんだけど、ぶっちゃけ「いやそう思うなら他の子どもと取り替えてくれていいよ」って
ずっと思ってる。もうさ二十歳もとうに通り越して、失敗作だとわかってんじゃん。
だから結婚したくないし子どももいらないの、わからないのかな。わかんないんだな。
そういうふうに言われるとなんかもう自分の感じてる全てのものが狂ってるみたいに感じるんだよ。
だから結婚したくならないわけ。狂ってる自分に他人を巻き込みたいわけないじゃん。
でもそういうふうに言うと必ず嫌そうな顔する。なんで?
私だってはやく死にたいよ。こんな出来損ないで生きてて楽しいと思ってんのか?ほんとに嫌になるよ。
私の楽しいも面白いも好きも全部おかしくて狂ってるって、そう思いながら生きてて楽しくなると思ってんのか?
旅行に行って楽しいのはひとりだからだよ。一人で誰とも話さないで綺麗な景色見るだけなら、
誰にも迷惑かけないからだよ。そこで海が綺麗だなと思ってる分には誰も馬鹿にしないからだよ。
誰かと行ったらいいって、こんな狂ってるやつと一緒に出かけて欲しいって誰に言えるんだよ。
恥ずかしくて言えるわけないだろ。
いい人みつけて、ってさ、私の思う「いい人」はもう絶対にいい人じゃないじゃん。勘弁してよ。
ずっと私の好きなものって全部おかしいんだ、私頭おかしい出来損ないだって生きてるわけ。
これ以上なんかいわないでくれよ。無理なんだよ。ずっとつらいよ
ぼんやりと覚悟はしていたが、額面で月10万円ちょっとのダウン。
「なんとかなるっしょ」と思い切ったが、これから子どもが産まれるのを控えていることを考えるとちょっと甘かったかもと思い始める。
はてなでの年収語りではマストで目にする副業だが、イメージもなく全然ピンとこない。
副業を斡旋してくれるサイトみたいなのがあるのはなんとなく分かったけれども、、、
みんなどんな副業をしてるの?
Uber Eats?データ入力?日雇い労働?YouTuber?
そして、なぜその副業を始めたの?
本業とか前職の経験を生かしているんだろうか。それともそんな大層な理由などなく、淡々とこなしているのだろうか。
今日お付き合いしてた人と別れた。
この人私のことそんなに好きじゃないんだろうなとずっと思っていたけど、やはりそうだった。それがよくわかった。
悲しい。悲しい。
私は気を許してない人に対して否定的なことを言うのが苦手だ。彼に対して思うことはあったが、それを私の口から伝えることは難しい。だからこそ、どちらかに否があるのではなくどうしようもない理由、即ち忙しさを理由に今後の関係性が難しいのではとラインで切り出した。
それは彼のしんの気持ちを聞きたかったからでもある。振ってほしかったのかもしれない。それくらい、最近は私に対する彼からの気持ちを感じなかった。そういう空気や人の気持ちを敏感に感じ取る私にとって、最近の彼との関係性は苦痛でしかなかった。
頭の良い彼は、われわれの問題は多忙さではなくお互いの気持ちにあることを見抜いていた。
彼は私に対して思っていたことをいくつか私に伝えた。その言葉はグサグサと私の心に刺さり、今も重くのしかかっている。
それらはすべてどうしようもないことで、私が改善できることではない。でも、その内容のいくつかは私の今の仕事やアイデンティティに関わるようなことだったので、深く傷ついた。ずっとどんより曇り空のような気分だ。
私も彼に対して不満に思うことや、ちょっと合わないなと思うことはいくつかあった。一生一緒にいることはないだろうなとぼんやり思ってもいたし、女友達にもそう言っていた。でも、一つも伝えなかった。正確に言えば、伝えられなかった。
ストレートに感情をぶつけられる人が羨ましい。今回も私は最後まで聞き分けのいい、「良い子」だった。
私が臭いのではなく、ずっと嗅いでいたい匂いではないと言った。
この発言は決定的だった。匂いが重要なことはよくわかる。でも私にはどうしようもできないことだ。
そんなことを本人に伝えるのだから、相当私への気持ちがないんだということがよくわかった。
「食への熱量のかけ方が似ていて、行きたいお店や食べたいものについてあなたと話すのが楽しかった」
私にとって食の趣味が合うことはパートナー選びにおいて何より重要だ。だからこそ、なかなか別れに踏み切れなかった。
でも彼はそのことを軽々と否定する。確かにそこは楽しかった。ただ、食の趣味が合う女友達は他にもいるし、そこは重要じゃない、と。
何 も か も 噛 み 合 っ て な い !
私は、「私のことを好きでいてくれて、私自身も好きな人」、即ち両思いの人と共にいたい。
叶わなかった。
このショックの受けようからして、私は彼のことが結構好きだったみたいだ。
早く切り替えなければいけないことはわかっている。しょうがない。縁がなかったのだ。
大丈夫。きっと、きっと、そのままの私を好きと言ってくれる人がいる。
少し前まで千林商店街近くに住んでいた。今でも通院で2ヶ月に一度は行っている。
千林商店街はとにかく安い。先日白ネギが八百屋さんで10本100円で売られていた。
八百屋さんで野菜を買いお肉屋さんで量り売りのお肉を買う生活をしていた為千林から離れた今スーパーで買う食材が高く感じてしまう。
大阪のおばちゃんに聞いてみました!的なロケでよく千林商店街は映る。自分も住んでいる時何度かロケをしてるのを見たことがある。
千林商店街にはテーマソングがあり引っ越した今でも口ずさんでしまう。いち、じゅう、ひゃく、せん、千林。
千林商店街から道路を渡ると千林大宮商店街がある。千林商店街ほどお店はないけど美味しいパン屋さん、和菓子屋さんがありそこで買って家でコーヒーと一緒に食べるのが至福の時だった。
商店街のすぐそばにある銭湯がお気に入りでコロナ禍前はよく行っていた。銭湯がやたら多かったけどそこの銭湯しか行ったことなかったのはもったいなかったなあと思う。露天風呂があって水槽の中の魚見ながらぼんやり入るのが好きだった。
これからも通院は続くので千林、大宮界隈に行くことは何度もあると思うけど、ずっとあの下町の空気は続いて欲しい。
引っ越しても大好きな町。
2022年2月5日22時。某TOHOシネマズ第一スクリーン。
一際広い劇場内に敷き詰められたシートの中心の一席、J-22。
そこに一人の男性が呆けた顔で座っていた。
いや、特徴的なのはその顔だけではない。その両手両足を乱暴に投げ出し、尻は座面からこぼれ落ちそうなほどずり下がり、首は赤子のように垂れ落ちる。だがかろうじて眼球だけは、正面のスクリーンを向いていた。
何を隠そう、俺である。
炎上必至の数々のマナー違反は許して欲しい、レイトショーだからか左右どころかその列には誰もいなかったのだから、誰にも迷惑はかけていないもん、と駄々をこねることも許して欲しい。それになにより、彼は普段はこんなことはしない。映画に限らず定められたマナーを守る善良な一市民なのだから。原因はただ一つ、目の前のスクリーンに映る映像だった。
クソつまんなかった。
本当にクソつまんなかったなあ。
まず、俺は以前、こんな文章を書いた。
https://anond.hatelabo.jp/20220204190811
上の文章をまとめると「この作品はおちゃらけパロディ映画だと嘘をつかない広報をしているため、シンゴジラやパシリムを期待して見に行き、その尺度で批判しているのはおかしいぞ!」と言うものなのだ。別に「みんながクソ映画って言ってるけど、絶対違うよ!」と言ってるわけではない。
あえてハッキリ言うが、映画を観た後でもこの感想は変わらなかった。シンゴジラやパシフィック・リムとはそもそも土俵が違うので、その点で批判するのはやっぱりおかしい。
が。
それはそれとして、明らかにモチーフ、パロディにしている「特撮」と言うものについてのリスペクトが感じられないとは強く思う。
感じられないどころか、コケにしているのでは、とも。
そりゃあ、怒る人もいるだろうな、と。
パシリム二作とシンゴジラと、ゴジラが光線で空を飛ぶシーン、ラドンもそうだそうだと言うシーン、シェーをするシーンだけ知っています。この知識の質で比較して語るのは不可能どころか怒られかねないので、その視点では今回何も言えない。
あ、あとゼンカイジャーの2021年の放送分は見てました。今年に入ってから終わるのが寂しくて見れてない。おわんないでくれ……頼む……。
話を戻して、「そりゃあ不満が噴出するだろうな」と言うところ以外にも俺の目には悪い点がかなり写った。
ただ、俺はこの映画に対して怒りは抱いていない。
先程貼ったリンクからの文章に書いた通り、俺はクソ映画を見るのが好きなためだ。
なので、クソ映画を見るぞと思いながらお金を払ってクソ映画だなあと思いながら見てクソ映画を観たぞと今に至るため、何も裏切られていないからだ。
さて、これから感想の主題、いい点と悪い点に分けて感想を言っていきたいと思う。
・いい点
「倒された怪獣をどうするか?」という点は「なるほど!面白いところに気がついたなあ」と膝を打つものがあった。既出かもしれないがそれは知らん。
・悪い点
要は他全部。
いやー、酷かったな。
セリフで説明しすぎて不自然になってるし、ギャグは好みはあれど全体的に下ネタで塗れていて、しかも俺は下ネタが嫌いなので聞くたびに不愉快な気持ちになった。画面も凡庸すぎて目が滑る。演出に関しても、「映画を良くするため」のものはほぼないようなもの。
挑戦的なことをしろとまでは言わないが、映画として形を作る最低限のものすぎて、きつい。
「今何をしているのか」が全くわからない。
「今は作戦が始まっているのか?」「今ピンチなのか?ひと段落してるのか?」「あいつ結局どうなったんだ?」「今は結局誰が味方で誰が敵なのか?」が、観ていて全くわからない。
例を挙げる。
【怪獣の死体を水で流して海に捨てる】という作戦が始まり、死体は巨大な水流によって流され始める。
↓
しかし、口へと流れ込んだ水が何かがどうにかなって(不明)、なんと腐敗ガスが怪獣の尻から出てしまった!オナラみたいに!
↓
↓
場面転換、主役たちは別の場所にて沈鬱な顔で別のことを話し出す。ここからさらに数分後、次の作戦の話し合いが始まっているのでどうやらアレは失敗扱いらしいとここでようやくわかる。
……ん?え?は?
作戦はどうなったの?成功したの?失敗したの?失敗したなら、なんで失敗したの?
水流によって死体は「動いた」のであれば成功であり、「死体がオナラした」からって失敗にはつながらない。しかもそれをギャグで茶化しているのでシリアスなシーンなのかもわからない。「少し流れたけどオナラが押し戻しちゃった」とかでもない。なにこれ?
これはこのシーンだけではなく、ずーっとこんな感じなのである。
シナリオの整合性が取れていないため理解できない上に、演出も最低限で目を引くところがない。セリフも説明ばっかりでつまらない。ギャグに関してもクドくて下品で不愉快。うんこチンコゲロチンゲセックス……それが一瞬出てきてクスッと笑わせてとっとと引っ込めてくれるならともかく、つまんないくせに場面が変わってもまだ言ってる。
――この映画に「飽きた」。
脳の処理が虚へ向かい、耳は音を聞き流す。
目の役割は「スクリーンを見る」から「光を見つめる」とタスクがぼんやりし始める。
飽きた。
飽きちゃった。
飽きちゃったでヤンス。
これはとんでもないことである。
信じられない。
今でも衝撃を受けている。
少なくとも楽しいエンタメ作品のテイで作られた映画を観ている俺の心境は、「三回サボった大学の講義に参加している時」と全く同じなのだ。講義ならスマホをいじれるだけまだマシだ。スマホいじるなカス学徒!
同じ映画で例えるならば「2001年宇宙の旅」を観てる時とおんなじなのだ。音も場面も数倍賑やかなのに、おんなじぐらい退屈になっちゃった。
画面を見る気が失せ、後どのくらいで終わるのかを気にし始め、普段なら絶対興味ない窓枠の掃除の手順を思い返していた。
そしてやがて、俺が「捕まえたアルセウス、畑作業させたらギャップで可愛い気もするなあ。農作業に従事してたまに顔を見せるとこっちを観てニコッと一鳴きして挨拶するアルセウス……うーん、可愛いかも」とおおよそ1400円払って映画を観ている最中とは思えない、毒にも薬にもならなければ益体もないことを考えていると、ヒロインが叫んだ。ヒロインが叫んだらクライマックスの合図だ。意識が久しぶりに作品に向かう。
山田涼介が光の巨人になって怪獣の死体を抱えて飛んでいき、エンドロール。
俺の意識は再び虚に沈む。「いや、畑仕事はパルキアもいいかもしれない。水タイプだし」
俺はふと、なんで反響に対する文章を書いて、「三木聡が映画作ったんだぞ!」って言ったんだっけなどと考える。
「あ、そうだ。俺俺だ」
かつて「俺俺」と言う映画があった。星野智幸の同タイトルの小説を原作にしたそれを、俺は原作をいたく気に入り、映画の存在を知って借りたのだ。観た記憶はあるけれど、内容が思い出せない。ただ、ハッキリと思い出せるのは「この映画、何やってるのかわかんないし退屈でつまんない」と言う感想のみ。おんなじじゃねえか、なつかしいな、俺はクスリと笑う。この時映画が始まってから初めて笑った。
劇場が、明るくなった。
いやー、クソつまんなかったな。
ただ、多くの人からの批判を見る、「山田涼介が光の巨人になる」については反感はない。
序盤から「デウスエクスマキナ」と言うワードと「主人公の謎」はちゃんと敷かれていたので違和感はないし、過去の特撮物のヒーローを「デウスエクスマキナ」というものと定義した点はなるほどと思った。「最初からそれをやれ」とも実は思わない。「デウスエクスマキナ」は物語が収集つかなくなって初めて登場する物だから。
だけど、俺がこの映画について興味を惹かれた「この死体、どうする?」というテーマにおいて、やれることをやらずに終わらせた。というのはハッキリマイナスだ。
仮にこの映画がシンゴジラだったなら、「ゴジラを倒したけど、行き場を失ったゴジラの内部のエネルギーが爆発するーっ!」というところでデウスエクスマキナが登場するなら、それは好意的に観れる。
けどこの作品は死体のガス抜きをしただけで発動している。死体の処理の完了まではほど遠い。やれることはまだある、もっと散らかせる。ゴジラの例えを使えば在来線爆弾が当たったくらいのところだ。
これは擁護もできないマイナスだ。作り手側の事情を見せられることほど白けることはない。
総評としては、「映画を構成するすべてが下手くそであり、シナリオのテーマを書き切ることもなければ、そもそも意識や目を引くものが出されることなく、途中で飽きた」となる。
ギャグに関してはかなり個人的なものなので分けるが、「面白くないどころか不愉快だった」となる。
これにて、俺の感想は終わりだ。
俺はネットにおける「叩いていいものだから叩く」みたいな風潮が大嫌いなので、今後この映画についてどうこういうことはないと思う。別に怒りを抱いたわけでもないので。
それに関して、少し思うところがある。
実写版デビルマンが現れてから十数年、この作品のタイトルを出して何かを表現することがとても多くなった。
俺としては、それに強い反感を抱いている。
もし、まだお時間があるとするならば、別に投稿したものも読んでほしい。
では。
バイビ〜。
【余談】
なんて可愛いんだガハハと思っていたら、全く同じことをしている人がバズっていた。
クソが……!