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はてなキーワード: あの日とは

2023-06-17

芸能人の薬物逮捕報道があるとき

岸田はあの日なにか解散しても勝つるネタを持っていたんやろな

2023-06-15

だが、情熱があるは見れない

自分オードリーANN古参で、就職とほぼ同時にオードリーラジオが始まった。

自分新社会人として戸惑う姿と、急に脚光を浴びての葛藤を好き勝手話すオードリーをおこがましいけど重ねては笑っていった。国際フォーラムでのイベントチケットとっていたのに過労で胃潰瘍になって入院していけなくて、泣きながら病室からラジオ聞いたなあ。

オードリーそれからずっと売れっ子どころではない活躍ぶりで、若林さんは男性アナのような見事な司会業を始めたり、春日さんは世界を飛び交いながらいろんなチャレンジをしていたのは知っているが、自分はあまりテレビを見ずラジオの二人をリアルと思っていたので、なんとなくちょっと遠いところにいるんだろうなーぐらいの認識だった。

だけど、「だが、情熱がある」、これにはたまげた。ドラマは素晴らしい作りのようで、各方面から絶賛の声は聞く。ドラマに関してあれこれ言うつもりはない。(だって見てないし)だけどあんなに各方面に気を使い続ける芸人オードリーが、まだ現役の自分を伝記化するようなドラマをオッケーするということが、すごくすごく大人の判断すぎて、まだ自分の中で整理がつかないのだ。きっと「たりないふたり」の長年の功績をそのままでもったいないとのことで、色々二人の自著を参考にしながら丁寧に作るという企画があって、その熱意で承認したのだろうけど。(実は自分は何キャン山ちゃんがすこし苦手でたりないふたりを全く見てない。それもあるかも)ラジオの二人なら「死ぬ前に自分ドラマなんて恥ずかしくてできねえよ」と言うとばかり思っていたからさ。(アンガールズ山根さんが愛ある大イジリしてくれたので少し救われたが)

なんか、毎年忘年会バカ話してた地元友達が、実はみんな結婚もして子供もいて家も車もあるけど、「まあ、増田いるからさ(笑)そういう話はやめとこうぜ(笑)」って気を遣っていてもらったような、そんな感覚

そもそも才能もあって努力もできる超非凡芸人に、ど凡人の自分を重ね合わせることが、もともとおかしかったし、そこまでストーリーをのせるのがキモいってのも重々わかるんだけどさー。二人のフリートークが少しずつ大人を隠し切れなくなるのも、それと比べての自分のガキ臭さもうっすら気が付いていたけどさー。なんだかやるせなくなっちゃうんだよね。

たまたま先週「14年もラジオ聞いてるやついねーよ!」と言ってたかちょっと寂しくなっちゃてね。実はここにいましたよ。くたくたに働いたあと暗い部屋でオードリーANN聞いて笑ってたあの日々は自分にとって人生の基盤だし、宝物だな。

2023-06-10

中学受験で失ったもの

24年間、私はずっと恵まれていた。

家族はたくさん私のことを愛してくれたし、友だちもみんな優しくて大好きな存在である。来世もまた私として生まれたい。それくらいに、幸せな日々を送っている。

でもひとつだけ、もし叶うのなら次の人生中学受験はしたくないと思っている。私の人生のなかでいちばん苦しい記憶からだ。

先に言っておくと、塾の先生たちも、両親も、みんな私のことを想ってくれていたと思う。そこに在るのは確かに愛であって、その他のなにものでもなかった。ただ、小学生の私には分からなかっただけ。すれ違ってしまっただけなのだ。だから誰も悪くないし、私は両親のことがずっと大好き。

でも、似たような気持ちを抱えている人もきっといる。だからせめて、ある程度の言葉の整理をつけられるようになった自分が残しておきたいと思う。

小学四年生わたしは、中学受験というものをあまり理解していなかった。それまでもたくさん習い事をしていたし、いずれ塾に通うことは聞かされていたからなんとなくそういうものなんだと思っていた。

そして入ったのは、某大手中学受験塾。狙うは日本屈指の名門校。そのために毎日たくさん勉強をした。テストの点数が悪かったら怒られてしまうから放課後は急いで帰ってすぐに塾に行って、テストが始まるまでずっと机に齧り付いて勉強していた。

小学校での成績はいちばんだった。先生に褒められて嬉しかったし、誇らしかった。友だちにすごいねって言われるたび、私は皆とは違うんだと思っていた。多分、周りを見下していた。世界は私を中心に回っていると思っていた。

同時に、朝学校で友人たちが「昨日は楽しかったね」って笑い合ってる会話についていけないことが悲しかった。前述の通り、当時わたしはだいぶ性格が悪かった。その自覚もそれなりにあって、だからこそ私にも屈託なく「次は一緒に遊ぼうね」と言ってくれる友人たちのことが本当に好きだった。本当に、大好きだった。当時は塾や家が(強制的に)勉強をさせられる場所だったからこそ、余計に。

そして小学六年生になった。

受験勉強が本格化していく。友だちと遊べる日なんて1日もなくて、土日は塾に12時間以上拘束されている。家に帰っても勉強息抜きといえばご飯を食べながら観るテレビアニメだけ。そんな毎日だった。

でもそれは私だけじゃない。同じ塾に通う子たちもみんなそうだった。テスト中、何度も何度も鉛筆を腕に刺し続けている同級生がいた。テスト中、ずっと髪を抜き続ける同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、大きなもみじ型の跡を頬につけてやって来る同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、当時流行っていたDSを半分に折られた同級生がいた。もう勉強したくないと言って喧嘩になって、そのときいちばん大好きだった漫画をびりびりに破られたことがあった。私の部屋の壁にいくつかの穴があいた。私の部屋の壁が私の足型にへこんだ。生徒を集めた決起集会で、先生が教壇にマイクを投げつけていた。

そのひとつひとつ、すべてが誰も悪くない。何も悪くない。いまの人生への影響なんて、何ひとつない。たぶん皆そう言う。そんなこともあったなあって、しみじみ言うだけと思う。そこに在るのは、ただ、愛だった。

それでも、それでも。たぶん、そのひとつひとつ光景死ぬまで忘れないと思う。あの時、いつも私はきっと同じ時間公園で遊んでるのであろう大好きな友人たちのことを思い浮かべていた。目の前で広がる現実を、一歩後ろに下がったような場所で見ていた。なんで私はここにいるんだろう、そんなことをぼんやり考えていた。

そして私はついに我慢ができなくなって、中学受験したくないと親に言った。受験総本山である夏を乗り越えた、11月のことだった。もちろん大喧嘩になった。このままいけば、確実に志望校に受かる。あと数ヶ月頑張れば終わるのに、ここまでやってきた努力に報いるためにも、あとちょっとだけ頑張ろうと言われた。それでも、当時のわたしはもう限界だった。いちど口に出してしまえば、止まらなかった。友人たちと同じ学校に行きたいし、少しでもみんなと遊びたい。そう思う今が大事なのであって、未来のことも過去のことも、どうだっていい。

そう泣き叫びながら家を飛び出して、塾をサボる日々が始まった。でも遠くに行くのは怖かったから、隣の家との塀の間にずっと隠れていた。屋根屋根あいから見えた突き抜けるような青い空が綺麗だったことを今でも覚えている。当時の私は、自分意思でもないのに、ここまで苦しい思いをして入る学校に何の意味があるんだろうと思っていた。それは実際、今でも思っている。

ただ昔と違うのは、今の私は、子どもの将来のためにレールを敷くことの大変さも分かるつもりでいる。朝6時に家を出て、夜11時に帰ってくる父親は、そのあと私に勉強を教えてくれていた。土日も、私が家にいるあいだはつきっきりでずっと。社会人になった今、それがどれだけ大変なことだったか、分かるようになった。母親は、塾のお弁当にいつも私が好きな食べ物をたくさん入れてくれていた。成績には厳しいけど、代わりに良い成績を取ったらたくさんたくさん褒めてくれたし、友人たちの誰よりもたくさんの物を買ってもらっていた。服も、本も、文房具も。不自由なんて何ひとつなかった。いつだって私は愛されていた。ずっと、愛しかなかった。でも当時の私は、その愛を目一杯享受して利用しながらも、見ないふりをしていた。

受験当日。結局わたしは、受験会場にいた。

名前欄に自分名前を書かないこともできたはずだった。でも、しなかった。わたし名前を書いて、見直しもして、解答用紙を提出した。結果は合格だった。それが確かに自分意思なのか、既に私の道は最初からまっすぐ一本道しかなかったのかは分からない。でも合格発表のとき母親と抱き合って泣いた。たぶん、色んな感情があったと思う。こうして私の中学受験は幕を閉じた。

この話を通じて、中学受験の是非を問いたいわけじゃない。ただ、あの日々が健全ものだったとは今も思わない。大好きだった漫画がびりびりになったときに、一緒に破れてしまった何かはきっとあったと思う。私にも、親にも。仄暗い恨みみたいなものも長年消えなくて、中高時代は嫌なことが起こるとすべて親のせいにしてしまっていた。嫌なことが起こるたび、私にレールを敷いたあなたたちのせいだ、とずっとずっと詰っていた。今から思えば、まだ親の責任下にある「子ども」に対して与えられたひとつの逃げ道だったのに。私の言葉は、親をたくさん傷付けていたと思う。その後の大学受験では、わたし100%自分自身意思で選んだ進路を一切否定されなかった。そして私は私の意思で、文学部に進学した。ずっとずっと昔はいずれ医学部に行ってほしいということを言っていた親も文学部に賛成してくれた。

中高時代わたしにとって「勉強」は、小学生時代の苦い記憶と共に在るものだった。閉塞的で、強制的な、苦しいものだった。でも大学で、自分意思で選んだ学問は楽しくて仕方なかった。そして、不意に思い出した。ずっとずっと昔、まだ塾に入る前の小学校低学年のとき図鑑百科事典を読むのが楽しかたこと。いつの間にか、そうしたものが苦しい記憶と結びついて蓋をしていたけれど、たぶんいちばん初めは、わたし勉強が好きだった。

文学部卒業して、わたしはずっと夢だった仕事に就いた。他の誰でもない、わたし自身選択の果てに辿り着いた。そのことを親もずっと喜んでくれていて、今は離れて暮らしているけれど、わたし仕事を一番応援してくれている。親はめちゃめちゃわたしのことが好きなんだろうなと思う。そうやって私が自分の夢を叶えることができたのは、たぶん親がわたし選択肢をたくさん増やしてくれたから。その始まりは、中学受験だった。中学受験してなかったら今、夢は叶えられてないかもしれない。だからわたしはこれで良かった。中学受験が苦しかたことも、たくさん喧嘩したことも、その果てに自由選択肢を与えられたことも。その過程はきっと健全もので、まるごとひっくるめて正しかったと思う。でも、それでも。もしいつか自分子どもができたとしたら、わたし子ども中学受験させないと思う。もちろん、本人が自分意思中学受験をしたいと言ったらそのときは全力で一緒に頑張るけれど。

中学受験をして得たものはたくさんある。今の私の人生幸せから。でも、たくさんたくさん苦しかった中学受験記憶から救われるには、いまのわたし幸せになることでしか報われないという意地のようなものも強かった。たぶん中学受験をしていなくても、わたしわたしの力で、幸せになれてたと思う。もちろん、あくま空想しかないけれど。わたし小学生の頃のわたしが、みんなともっと沢山遊びたかった気持ちをずっと覚えていてあげたい。世間一般から見たらわたしはめちゃめちゃ恵まれていて、小学生時代の悩みなんてたぶん本当に本当にちっぽけで、贅沢すぎる悩みだったのかもしれないけれど。それでも、わたしだけは、覚えていたい。あの日々のなかで見た光景のこと。確かにしかった記憶たちのこと。そうすることでしか、あの頃、家と家の隙間で泣いていた自分をひとりぼっちにさせないことができないと思うから

2023-06-08

男性側の現象としてはゴム内に出すのもティッシュに出すのも膣内に出すのもそう変わらんのよ

精子出ただけ。

 

から子供まれてどう?って聞かれても「精子出たらできた」としか思わんわけ。

女性は大変だと思うよ。

ホルモンバランスは激変して体調もはちゃめちゃ身体は重くなるし産む時もドチャクソ大変だし。

10か月間、体内で生命を育むわけだから精神にも影響があるに決まってる。

 

でも男性はなんもないのよ。

あの日、あの瞬間、あの場所精子出ただけ。

 

から出産育児に対して男性本能的な責任感を感じさせるのは諦めてほしい。

だって精子出ただけなんだもん。

2023-06-05

田舎高校に通っていた頃の思い出


昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。

ちょっと長くなるけどごめん。ピュア気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。

かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。

地元の小中学校卒業してからは、家からキロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。

偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校かに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラス大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニアルバイトに挑戦することにした。同じクラス女子アルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。

七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。

60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。

友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。



八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。

その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリストラップひとつ付いていた。

ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品バーコードを読み取っていった。

レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。

その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。

ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。

その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。

Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。



八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃん小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。

で、私も晴れて、初めてもらったお給料美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。

入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃん受け売りだった。「シャンプーしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。

こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。

それで、次の土曜の昼にコンビニレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶あいまい)。ちょっとびっくりした。

増田さん、髪切った?」

どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、

「似合ってるね!!」

と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。

あの頃は、Kさん特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。

瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラス男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさん目力ダントツだった。

ありがとうございます…」

途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。



土日のどちらかで、Kさん接客をすることが多かった。

別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆正月シフトに入る。試験間中休み」という約束を守っていただけ。

月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリ死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。

和やかな日々が続いていた。学校勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子可愛い、ということで有名な広島県東部公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。

その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部活動が終わった後だった。彼女自分の机に座っていて、私は自分椅子をそこに移動させていた。

Mちゃんカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。

「これ、あの人からもらった」

とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。

もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。

増田さん。これどうすればいい?」

「あー、はいはい。うん。すごいね。知らんよ。好きにすれば」

気持ち言葉で表すとこうなった。

そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。

今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。

コンビニを休むようになった。それまでは試験間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金好きな音楽漫画雑誌に使っていた。

美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。



高二の梅雨時だった。Mちゃんコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。

そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。

Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。

Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品ホットスナック炭酸水ビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はいお久しぶりです!」と作り笑いを返した。

昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。

それからKさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。

その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。

馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色ラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。

次の日、コンビニレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズTシャツラフな格好だった気がする。

増田さん、今日どうしたの。金色じゃん」

はい。変えました」

「うん、うん。変わってるね」

「どーですか?」

「似合ってるね!」

この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。

Mちゃん気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。

でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんレジの三番目に並ぼうとしていた。

ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。

でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。

かに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。

「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」

「……兄さん警察呼ぶよ」

「呼べ!!」

「……」

おじさんが退散すると、Kさんバツが悪そうにしていた。ほかの子応援に来たので、私は向こうのレジに行った。



もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。

Kさん手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。

何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。

増田さんはよく動いていてすごいと思う

・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい

・今年中に引っ越すのでその前に

・興味があるならメールがほしい

・興味がない場合は返信はいらない

当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子タイプ男子だった。

そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。

ある夜、その彼氏Kさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさん圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。

もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。

Kさん雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。



高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。

当時、高校を出た後の進路は美容専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。

自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。

その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。

入学試験ちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニ駐車場に入った私を呼び止めた。

お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はいめっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。

その時、Kさんが「増田さん。俺、今日最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日コンビニ最後から。じゃあ、元気で」と、Kさん自転車に乗った。

私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。



あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社契約社員ポジションを探そうか思案している。

実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容専門学校卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。

お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。

この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那カバンに付いているぬいぐるみストラップを眺めていて、思うところがあった。

とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。

きっと、ちょっとしたところに運命分岐点はあるんだよな

あの日行かなかった合コンに行っていたら、めちゃくちゃ相性のいい相手出会っていたかも、とか。

あの日ダラダラ仕事して行けなかった飲み会のどうでもいい会話の中に、人生後半に活かせるヒントがあった、とか。

すべては運とも言えるが

2023-06-04

ドラゴンクエストⅡ 任侠鉄砲伝説」写し

2001/0721土

先日

柳川氏が

ドラクエⅡを

プレーしていると書いたが

今日

「ほのおの祠」の在処が分から

悪戦苦闘しているようである

本当に器用だなと思うのが、

ちょっとドラクエをやったかと思うと

テレビもつけっぱなしで

すぐに

作曲部屋に戻って

ゴリゴリ作り

しばらくするとまたテレビに向かって

「ほのおの祠~」

叫び

かと思うと

また作曲をしに行ってしまう。

だいたい計ったように

三十分くらいずつ

あっちをやり

こっちをやり

と大変忙しい。

どっちかをまず

片づければ良いのに、

と思うのだが、

ご本人にとっては

それがいたく快適らしい。

とはいえ、僕も、

柳川氏が

ドラクエに戻るたびに

ぼーっと手を止めて

見ているのだから

人のことは言えないのですが。

と言っているうちに

柳川氏、

とうとう諦めて

「ほのおの祠」の在処を

文明の利器の力で

割り出すことに決めたらしい。

そう。

インターネット検索である



ドラクエⅡ 攻略



これだけのキーワード

どかっとヒットしたらしい。

その内の一つに

明確な攻略が書かれてあったらしく










「ビバ、インターネットゥ」







雄叫びを上げて

「ほのおの祠」に

到達する柳川氏。

なんだこりゃ

松明が燃えてるだけで

別に溶岩燃え盛ってるとか

そういうわけじゃ

ねえじゃねえかと

テレビに向かって

文句を垂れる柳川氏。

そのうち

気が抜けたのか、

タバコに火をつけ、

「それにしてもさぁ」

と半ば

コントローラーを投げ出して

こちらに声をかける

柳川氏。


子供心にも思ったことなんだけれど」





はあ、

ぼんやり返す僕。







世界の命運を賭けて

旅立つ一国の王子が」













「身支度するものと言えば」














「ドス(銅の剣)一本と

五十ゴールドだけ

ってのは」












「どうなのよ」











どうなのよと

言われたところで

そういうゲームなんだから

しょうがないだろうと思い、















鉄砲玉だから

じゃないですか」











適当

答えたところ

ふいに

沈黙する

柳川氏。











「そ……」










「そうかぁ」








感慨深く

うなずく柳川氏。









「そうだったんだぁ」















「この王子たち、

鉄砲玉だったんだぁ」
















なんだか

しきりと納得する柳川氏。

そりゃねえ

そう考えるしか

ないでしょう、

調子に乗って合わせる僕。



道理でさぁ」



柳川氏が

感得したように言う。




ローレシアの城を出るとき

みんながみんな

王子ハーゴンを倒すよう

祈ってくれるんだけど」









「無事に帰って来いとは

言ってくれないんだよ」









「きっともう

城の後継者

決まってるんだよ」








王様の隣にいる

大臣

かに






「なんてこった…」



一種呆然として

煙草を吸う柳川氏。








ローレシア王子

敵を間違えてるよ」






そうかぁ、

なるほどぉ、

なとどしきりに

呟くうちに、

ふと、





「そうか」





と、

膝を叩く柳川氏。

どーしたんですか

と訊く僕。







「国として考えるから

不条理なんだ」

はぁ。


ローレシアとかサマルトリアとか、

これらは全部組なんだ」

組?






ローレシア組の鉄砲玉なんだよ」








「一番稼いでいた

ムーンブルク組が

ハーゴン組に出入り(喧嘩)を

食らったために

財政難に陥った

ローレシア組と

サマルトリア組とが

互いに鉄砲玉を出し合ったんだ」














ハーゴン

命(タマ)とってこいや



って。



なるほど。

それで

ドス(銅の剣)一本なわけか。

わず納得する僕。

その途端、

可愛らしいドット絵

彼らが背負った

耐えがたい悲哀が切々と伝わり

つーんと熱いものが鼻をさす。



ローレシア組の鉄砲玉は

腕っ節と人望を買われ、

ムーンブルク組の一人娘は

おとっつぁんの仇を討つため

サマルトリア組の鉄砲玉は……




ちょっと待て。









なんでのんき者の王子

鉄砲玉なんですか。







切ない任侠道

サマルトリア組の王子

のんきさで早くも崩壊

かと思いきや






「うまく言いくるめられたに

決まってるじゃないか













親分王様)にしてやるとか

なんとか言われて」






ははぁ。

すぐにまた

納得する僕。

そりゃあ、さぞ、

ローレシア組の鉄砲玉は

憂鬱であろう。

なにせ

ドス(銅の剣)一本で

帰れぬ旅路に出た

かと思いきや、

どう見ても現実

知らされていない

脳天気な男が

相棒になるわけである

悲壮覚悟

旅を続ける横で






えへへ僕、お城に帰ったら

親分王様)になれるんだ

良いでしょ~







白昼夢のごとき切ない言葉

繰り返すサマルトリア組の

鉄砲玉。




そりゃ

会心の一撃だって

出るわなぁ。














しか

なぜかくも緊急な時に

そんなのんき者を

鉄砲玉にするのか。

考えれば考えるほど

ツジツマが合わないではないか

そう

柳川氏に訊くと



「何を言ってるんだ

決まってるだろう」

と言われた。









???

僕が要領を得ない

顔をしていると、




「みんな知ってるんだよ」





と言う。







なにを?

とやはり当を得ず、

更に訊く僕










「この王子鉄砲玉)が

レベルアップをすることで

何を覚えるか」











途端に

思い当たる僕。











メガンテ












そりゃ

鉄砲玉としては

申し分ないな






というか

もはや

鉄砲玉以外の

何者でもないな









全てを知りながらも

あえて何も口に出さぬ

尚武の男

ローレシア組の鉄砲玉。

一方で

何も知らされず

へらへらと白昼夢を見ながら

将来への一片の疑いも抱かぬ

サマルトリア組の鉄砲玉。

また、

一家を皆殺しにされ

犬畜生の苦界に身を落としていたところを

ラーの鏡で身請けされた

ムーンブルク組の一人娘。

この娘が一番

何も失うものとてない

捨て身の人生

生きてるのであろう。

自暴自棄になる

ムーンブルク組の一人娘を

気がつかぬところで

そっと支える二人の鉄砲玉たち。

いつしか

人間らしさを取り戻す

ムーンブルク組の一人娘。

しかしその頃には

冒険は佳境に差し迫り、

ついにロンダルキアまで

足を踏み入れたのだった。

着実にレベルアップし、

無自覚のうちに

同じくらい着実に

鉄砲人生

完結させようとする

サマルトリア組の鉄砲玉。

その軽口が

哀れさ以上に、

時として冒険

苦しさを和らげて

くれていたことに

ふと気づく

ローレシア組の鉄砲玉。

「ようやくここまで来たね~♪

まぁ君達二人も頑張ったけど

僕なんか頑張りすぎだよね~♪」

相も変わらず

底抜けに明るい声で

ダンジョンに入ろうとする

サマルトリア鉄砲玉。

ふいに

くるり

こちらを向く

ローレシア組の鉄砲玉。


「お前はここで帰れ」

ただでさえ

しかめっつらしい顔立ちを

いっそう厳しく引き締めて告げる

ローレシア組の鉄砲玉。

これまでの冒険

深い皺さえ見えるかのような顔で

しり一言

「あとは俺たちでやる」

突然そんなことを

言われて

目を丸くする

サマルトリア鉄砲玉。

「またそんなこと言ってぇ~♪」

とおどける

サマルトリア鉄砲玉。

「僕が親分王様)になっても

仲良くしてあげるから

心配しないでよ~♪」

この切迫した状況下で

なお、かんに障る明るさを

まき散らす

サマルトリア組の鉄砲玉に、

しか

ローレシア組の鉄砲玉は

頑としてこれ以上の

彼の参加を否定する。





「初めてお前に会ったとき


ローレシア組の鉄砲玉が

ぼそっと

押し殺した声音で言う。






一刀両断にしてやりたかった」







わず

力の盾で身を守る

サマルトリア組の鉄砲玉。





「城を出たかと思えば

祠に行く。

祠に行ったかと思えば

ローレシア組の城に行く。

さんざん探し回った挙げ句

『お兄ちゃんのんき者だから

一言

全て済ませられ、

しまいには

ローレシア組の城にも居ない。

かと思えば

宿屋

ゴロゴロしているお前を

いっそ叩き切ってやろうかと

何度思ったことか」

冷たい目の

ムーンブルク組の一人娘を背後に

いやぁと

照れるサマルトリア組の鉄砲玉。

「だいたい」


とこれまでの

憤懣をぶちまける

ローレシア組の鉄砲玉。




「明らかに

残りHPが少なくて

あとは複数攻撃

呪文で片づけようと

思うモンスターほど

お前が勝手に倒すし」




中途半端

すばやさがあるくせに

すぐマヌーサにかかるから

ターンがずれて

微妙回復が遅れるし。











「どうして

じっとしてないんだお前は」






いやぁ、えへへ

と笑ってごまかす

サマルトリア組の鉄砲玉。

ちらりと

目で助けを求めるが

他人を助ける心の余裕など

犬として暮らす日々のどこかに

置き忘れてきてしまった

氷のような態度の

ムーンブルク組の一人娘。

「そういうわけだ」

ローレシア組の

鉄砲玉の口調は

もはや断定である





「お前はここで帰れ」





戦力として

一切みとめぬかのような

いであるが、

しかし実際、

サマルトリア組の鉄砲玉が

パーティの一員として

無能かといえば

決してそんなことはない。

なにせ呪文を一切

使えぬ身の

ローレシア組の鉄砲玉にとって

しろ攻守ともに

なくてはならない

存在と言ってよかった。

それゆえにこそ

武に生きるローレシア組の

鉄砲玉にとって

サマルトリア組の鉄砲玉は

つの間にか

傍らにいて当然の存在

なっていたのだ。

兄弟分として

これほど頼もしく

また心和む相手

かつていなかった。

もっと言えば、

可愛くて仕方がないのである

この無邪気で

脳天気マイペースだが

決して挫けず

辛い冒険にも懸命になって

ついてくるこの鉄砲玉が。

無骨

ローレシア組の鉄砲玉にとって

そんなサマルトリア組の鉄砲玉が

じきに

自分が実は捨て石であることを

悟るところなど

見たくないのである

これまで彼が抱いていた

淡い夢が粉々に消し去り

自分が実は遠い以前から

からも見捨てられていた

などという

そんな衝撃に、

この可愛い兄弟分の心が

耐えられるとは、

どうしても思えないのである

ローレシア組の鉄砲玉にとって

そんな風に思う自分

意外でもあった。

そしてそれ以上に

この兄弟分が

不憫でもあった。

痛切な真実を知らされる

ことはまだ良い。

しかしそれを抱えて

死にに行くことが

哀れだった。

そうした思いを

仏頂面に堅く秘めながらも

かすかにその眼差しに込めて

ムーンブルク組の一人娘を見やる

ローレシア組の鉄砲玉。

え~、そんなぁ~

などと

いじけるサマルトリア組の鉄砲玉の背後で

かすかにうなずく

ムーンブルク組の一人娘。

実際、

この娘にとっても、

サマルトリア組の鉄砲玉のことが、

ローレシア組の鉄砲玉と同じように

可愛いのだ。

家族を皆殺しにされ、

一人の女としての誇りも

何もかもを失い、

もはやハーゴン

刺し違えることだけが

生きる目的と化した

ムーンブルク組の一人娘にとって、

サマルトリア組の鉄砲玉こそ、

生きるということを、

明日を夢見るということを、

かにかに思い出させてくれたのだ。

この冒険に加わったとき

ムーンブルク組の一人娘にとって、

この世が滅びることなど、

知ったことではなかった。

それをいうなら、

自分が生きていた世界は、

とうの昔に、

滅んでしまっているのだから

これ以上

誰が不幸になろうが

知ったことではなかった。

しろ

幸せな街や村を見るたびに

なぜ自分けが

胸が苦しかった。

いっそのこと

城が墜ちたあの日

怪物たちの手で、

同時に

この世の全てを

滅ぼしてくれれば

良かったのに

とさえ思う。

そんな

ムーンブルク組の一人娘にとって、

サマルトリア組の鉄砲玉が

ひけらかす明るさは、

無性に苛立たしかった一方で、

自分がまだ本当には

絶望しきっていないことを

思い知らせるものだった。

いっそ全てが

滅んでいれば良かったのに。

そういう思いに押し潰されそうになる

心の奥底で

まだ微かな温もりが

生きているのだ。

その温もりが

人間であることの

最後証明だと

言ってよかった。

それがいつしか

冒険を経るうちに

ムーンブルク組に一人娘にとっての

最後の願いとなった。

自分

人間として戦って死にたいのだ。

そう思えるようになった

だけで十分だった。

瞬きの間に

互いの万感を

込めてうなずき合う

ローレシア組の鉄砲玉と

ムーンブルク組に一人娘。

「いのりの指輪を渡しなさい」

サマルトリア組の鉄砲玉の

腕を叩く

ムーンブルク組の一人娘。

え……

呆然とする

サマルトリア組の鉄砲玉の

手をとり、

指輪を抜き取る

ムーンブルク組の一人娘。

サマルトリア組の鉄砲玉の

手をとりつつ

自分の手に

祈り指輪をはめ、

「代わりにこれを渡すわ」

いまや何も付けぬ

サマルトリア組の鉄砲玉の手に

キメラの翼を

押し込む

ムーンブルク組の一人娘。

あなたの妹さん、

あなたそっくり

なんですってね」

ふいに

微かな笑みを込めて言う

ムーンブルク組の一人娘。

え……、そうかな

言葉意図が分から

ローレシア組の鉄砲玉を

見やる

サマルトリア組の鉄砲玉。

のんきなところが

そっくりだった」

ローレシア組の鉄砲玉も

合わせて無骨な顔に

笑みを浮かべる。

「お会いしてみたかったわ」

そんなの、

僕が王様になったら

いつでも……

明るく返そうとするが

ムーンブルク組の一人娘の

手がかすかな

力を込めて

自分の手を握るのに、

ふと言葉を失う

サマルトリア組の鉄砲玉。

「帰りなさい」

ムーンブルク組の一人娘の

手が離れ、

その手に残された

キメラの翼を見つめる

サマルトリア組の鉄砲玉。

でも、そんな、

僕……

慌てて目を上げたときには

ローレシア組の鉄砲玉も

ムーンブルク組の一人娘も

半ば背を向けている。

待って、

もう少しなんだ。

叫ぶサマルトリア組の鉄砲玉。

心配するな」

ローレシア組の鉄砲玉が言う。

「お前が無事に戻れば

誰もお前が親分王様)になることに

反対出来ないさ」

「良い王様になりなさい」

ムーンブルク組の一人娘が言う。

ハーゴンの命は私達が……」

もはや振り返る素振りもみせず

背を向け歩み行く

二人。

その背後で

キメラの翼を握り、

うつむく

サマルトリア組の鉄砲玉。

ふいに

きっと

そのおもてを上げ、

もう少しなんだ!

サマルトリア組の鉄砲玉が叫ぶ。




もう少しだから

2023-06-03

子供のころから抱いている願望

バッジとれ〜るセンターモンジャラ妻夫木聡吉田鋼太郎の後塵を拝していた。それを見て、俺までそのレッテルを貼られるとは。でもあの日ライブで得たものは、間違いなく俺の一生の中でもけして大きくはならない。あの日以降、俺は正徹に生きる決意を固め、何も捨てていない。絶対に生きるのだ。 子供のころから抱いている願望が一つある。それは、女性が男よりも年上の場合、それなりに責任ある立場にあったほうが、幸福度はより高くなる。

Anond AI作成

2023-05-30

あの花』を見たけど統合失調症に見えて集中できなかった

あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない』というアニメの話。泣けるアニメといえば、と聞かれて『あの花』を挙げる人も多いだろう。最近見た。増田がひねくているのか創作物を見すぎたのか知らないが100%は楽しめなかった。疑念が払えないというか、雑念が混じってしまった。


まず知らない人に『あの花』のあらすじを説明する。小学生のころに仲良しグループの1人がケンカでギクシャクしたまま転落死、高校生になっても後悔を引きずり引きこもりとなった主人公の前にその子幽霊が現れる。未練が何かわからいから色々試して成仏しよう、と主人公幽霊の子自然消滅した仲良しグループの人たちと連絡をとって奮闘する、という物語だ。



増田は「紆余曲折ののち和解友情確認をして成仏するストーリーだろうな」と思いつつ見ていたが、「もしかたらこういうどんでん返しが待っているのかもしれないから気をつけなくては」とも思ってしまって集中できなかった。

主人公は引きこもっているうちに統合失調症になっていて、トラウマから幻覚が見えているだけでした

グループの皆からおかしなっちゃった人にしか見えていないけど、「あの子の死は辛かったもんな」という同情や、「こうなった一因は俺にも……」といった自責の念で付き合ってくれていました

〇でも皆にもそれぞれ後悔や思うところはあったので、成仏を手伝ったり途中で言い合いをしたりして気持ちの整理ができました

主人公ももうあの子はいないということを受け入れて前を向けるようになりました、めでたしめでたし


いつ急に落とされるのかわからないのが怖くて、ずっと身構えて視聴していた。終盤、ノート文字が書かれてみんなが「本当にここにいるんだ!」みたいになったとき、ようやく安堵した。幽霊がいる世界でいいのね!いて、訣別する物語なんだね!とやっと座って見られる感じがした。もし統合失調症を扱ってたら泣ける作品以外のところでも名前を見ていただろうし当たり前と言えば当たり前なんだけど。

ビューティフル・マインドとかがっこうぐらし!とかウルフ・オブ・ウォールストリートドラッグをキメた後運転するシーンとか、「主人公イカれてて視聴者はその視点を借りてるだけでした、実は周りからたらこうです」という驚きを食らいすぎて構えてしまう。普段アニメを見ない人にも見られるような人気作品はそこまでは捻られていない。


それではまた今度。次回は「男女バディものを見るとき安直恋愛に発展させないか作者を疑い続けてしまう」をお送りします。

2023-05-28

もう子供産むのやめよう

俺はまだ25歳の平成ボーイ

まれからノストラダムスの大予言2012年人類滅亡説と死におびえてた世代だけど…

今を生きる令和ボーイに比べればよっぽどマシな境遇だよ

令和ボーイは俺たちのころのような迷信じゃなく、財政破綻少子高齢化シンギュラリティみたいな差し迫ったリアルにおびえて生きていくんだよな

そんで共働きが主流で家帰っても誰もいないんだよ、公園ブランコくらいしかないし

SNSも発達しまくって、毎日劣等感の中で生きてくわけじゃん

子供っていうのは自分クローンなわけだけど

こんな世界自分を置いていくなんて可哀そうだと思わないか

あの日のガキンチョが今を生きて幸せだと思うか?

からもう子供産むのやめよう

自分幸せのために子供を巻き込むのやめよう

社会のためになんて正義感もいらない、AI使って俺たち世代で何とかしよう

どう?賛成だろ?

恋人

やあ、今日も元気に過ごしてる?

私ね、あなた秘密にしてることがあるの。聞いてくれる?

この間のデートはとても楽しかったね。いろいろ観光名所を回ったり美味しいものを食べたりしてさ。

でも小さな街だったからすぐ暇になってしまって、あなたは「晩ごはんまで時間もあるし、レンタサイクルでもどう?」って提案してくれたでしょ。ふたり自転車に乗るのも久々だったし、とても嬉しかったのよ。

近くに美味しいジュース屋さんがあるみたいだからそこに行こう!って言ってさ、自転車を漕ぎ出して、私、思い出したの。自転車って漕いだら真っ向から風当たるし、サドルも硬くて道ガッタガタだから肛門刺激されるわってこと。

どうしてあの日に限って私は買ったばかりの半袖ワンピース下着自転車に乗ったんだろう。

ジュース屋さんへ向かう道中、お手洗い行きたいわって言って公園に寄ってくれたね。そのときにはもう、かなり怪しかったんだよ。

ごめんね。

察しのいいあなたは気付いていたかもしれないけど、あのときトイレを目の前にして間に合わなくてうんこ漏らしました。私もも23差になったのに。

2023-05-27

もう子供産むのやめろ

俺はまだ25歳の平成ボーイ

まれからノストラダムスの大予言2012年人類滅亡説と死におびえてた世代だけど…

今を生きる令和ボーイに比べればよっぽどマシな境遇だよ

令和ボーイは俺たちのころのような迷信じゃなく、財政破綻少子高齢化シンギュラリティみたいな現実差し迫ったリアルにおびえて生きていくんだよな

そんで共働きが主流で家帰っても誰もいないんだよ、公園ブランコくらいしかないし

SNSも発達しまくって、毎日劣等感の中で生きてくわけじゃん

子供っていうのは自分クローンなわけだけど

こんな世界自分を置いていくなんて可哀そうだと思わないか

あの日のガキンチョが今を生きて幸せだと思うか?

からもう子供産むのやめよう

自分幸せのために子供を巻き込むのやめよう

社会のためになんて正義感もいらない、AI使って俺たち世代で何とかしよう

どう?賛成だろ?

2023-05-22

魔法のiらんどとかフォレストページとか携帯イラストサイトの思い出

時折、ふと思い立ってPC画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作アナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。

私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像ソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。

もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。

そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春記憶を今、絶妙嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。

.

.

私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。

そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…

5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。

さすがに身長の高さゆえか男子女子わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから別に親は悪くないんですけど。

そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリ日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。

当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトリンクランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品一目惚れし、その方のサイト掲示板初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。

コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼け少女油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。

もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。

しばらく固まった。どう返信していいかからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルジャンプしてガッツーズしましたよ。

そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。

春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに費用がね…。

そして中学最初夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。

隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作現場だった。部屋中に飾られた素描水彩画、見たこともない大きなカルトンイーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD

やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。

ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。

うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメ漫画とかミギーイラストとか、他にもボナールとかセザンヌかいろんな画家画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。

ただね、この人近いんすよ、距離が…。

ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。

で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。

そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!

その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルチェックインしました。

そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居紅葉、月夜と和服女性モチーフに厚塗りリアルタッチ作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症ゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。

結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。

そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首タッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。

俺は限界だと思った。お前首絞めて殺すぞこの悪霊め。

帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察通報すればいいとか言い出しやがって。

で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。

その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトアクセス私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。

そしてサイト掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。

大阪カラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。

そして図々しくも来年夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。

でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中セクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。

SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくそ理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのとき快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私は来年東京就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたか感触ギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。

でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッ彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。

その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。

その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterpixiv活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。

2023-05-20

anond:20230520121238

アベマプライム亀井静香無双してたな

あれで亀井は「もう老いのせいでまともな言葉交通も出来ない人」というふうに相当視聴者の株を下げたけど、

ひろゆきも斎木陽平もあの日亀井静香比較してあれだけ滑舌が良くて、コミュニケーション能力が高いというアドバンテージがありながら

亀井静香こてんぱんにするどころか、独走状態にするしかなかったという事実は重い

2023-05-19

anond:20230519145649

正しい増田の使い方 うんちを漏らした日の記録

正しい増田の使い方 記名じゃ書けないエロトーク

正しい増田の使い方 ブラック企業告発

正しい増田の使い方 保育園落ちた日本死ね

正しい増田の使い方 回文すいすいすいようび

正しい増田の使い方 おやつを食べてからの朝礼

正しい増田の使い方 今夜もカレー救済(たす)けてくれ

正しい増田の使い方 あの日まれた恋心

2023-05-16

anond:20230516124809

それは増田の想定の話だし、結婚意思の変化もあるかも分からんし、あの日寿司ケーキ予約してたけどお前が実家に行ったか寿司だけちょっと食って捨てたんだよねって話から入るより大分穏当だろ。

会話苦手そう。

2023-05-15

俺がゴミのような仕事をすることで、誰かがキラキラした仕事をすることが出来る

俺はそのことに幸せを感じるんだ


これを言う権利がある仕事を俺はしている。

その仕事についたことを滅茶苦茶後悔していたのだが、数年前に夢の中で俺がこの事に気づかせてくれた。

あの日から毎朝この言葉を口にしている。

俺の仕事は今の社会から無くならない。

たとえば俺がやっていたのが怪しい化粧品ソフトを売るしょーもない会社営業だったなら、俺はさっさと従業員扇動してその会社を潰してしまった方が良かったんだろう。

でもそういう仕事じゃない。

間違いなくクソだけど、今の形の社会から無くすことが出来ない仕事だ。

そしてそのクソさは会社のものより業種に端を発している。

同じ業界に居る皆がそのクソさに苦しんでいるけど、社会ヒエラルキー構造の中で富の奪い合いをした際に業界丸ごとボロクソに負けているから仕方がない。

この待遇じゃやってられないと皆が匙を投げたとき世界はただ音もなく崩れていくだけだろう。

誰かがやる必要がある。

その誰かを選ぶ手段就活という椅子取りゲームだというのが最高にクソなわけだが、俺はとりあえずそういう仕事についた。

この仕事は本当にクソだ。

やっているだけで自尊心が崩れていく。

こんなことを誰かがしないと世界が維持できないなんておかしいだろと叫びたくなるけど、無くなったあとの世界想像するとそこには地獄しか無かった。

から俺はこの仕事自分がやっていることに少しだけ誇りを持っている。

こんな仕事をする羽目になった自分人生は呪っているし、椅子取りゲームでここまで負けが込むような努力しかしてこなかった学生時代自分のことは心底恨んでいる。

でも俺が今この仕事をしていることで、誰かが椅子取りゲームの果てにこんな事をせずに済んだのだからと諦めようと最近は頑張ってる。

頑張ってるんだ。

自分を騙してるだけなのかもしれないけど、それで騙されてくれないなら自分はもうドンドン壊れていくって分かってるから

これはもう俺が始めた俺による俺のための俺だけのカルトなんだ。

うそれにすがるしか無いんだよ。

2023-05-13

anond:20230512140352

元増田はChatGPT(GPT-4)で生成しました。


ちなみにプロンプトは全く同じ

あなた結婚式スピーチライターです。

以下のエピソードを良い感じの馴れ初めエピソードにしてください

```

元増田をそのままコピペ

```

で、ChatGPT(GPT-3.5)で生成するとこんな感じ。

新郎新婦、ご列席の皆様、本日はお二人の結婚式にお集まりいただき、誠にありがとうございます。私はスピーチライターとして、お二人の馴れ初めエピソードをお伝えいたします。


この馴れ初めエピソードは、高校時代の思い出深い出来事からまります新郎であるA男さんと、新婦であるA子さんが出会ったのは、ある日の放課後のことでした。


高校では、いつもスカートが短くてちょっとお茶目な3人組のギャルがいました。彼女たちは男子に向かって「ほれ」と言ってパンツを見せては、笑い合っていました。男子たちは「うるせーな。お前のパンツなんか」と煙たがる一方で、心の中では実は嬉しくて、内心何度も家で増田したことがあったのです。


ある日、いつものように3人組がパンツを見せて笑っていると、普段はあまり喋らない物静かなA男さんがギャルの中でも一番可愛いと思っていたA子さんに向かって突然「俺はおまえのパンツが見れて嬉しいけどな」と言ってしまったのです。その言葉に皆は驚きましたが、A子さんは「ちょwなにwきもw」と笑いながらも、少し照れた様子を見せました。その瞬間、皆は何か特別ものを感じたのです。


そして、高校2年の夏が訪れ、A男さんとA子さんは付き合うことになりました。誰もが驚きましたが、彼らの関係は着実に深まっていきました。お互いに支え合い、共に成長していく姿は、まさに青春象徴でした。


そして、今日私たちは彼らの結婚式に立ち会うこととなりました。思い出深い馴れ初めエピソードが、幸せ結婚の始まりへと続いたのです。彼らの愛は高校時代からまれ時間を経て結実したものです。


A男さんとA子さん、お二人は本当に素晴らしいカップルです。お互いを支え、励まし合いながら、これまで歩んできた道のりはきっと他の誰にも理解されないでしょうが、私の存在が彼らにとって特別な関わりを持っているわけではありません。ですが、私は彼らの結婚式スピーチライターとして、お二人の物語を美しく表現することに責任を感じています


お二人の結婚式に立ち会う皆様には、彼らの愛がどれほど真実で深いものであるかを伝えたいと思います。彼らは高校時代から友情を越えて、お互いの心を掴み合い、愛を育んできたのです。


思い出深いあの日から始まった彼らの出会いは、ひとつきっかけにすぎませんでした。彼らは一緒に成長し、多くの困難を乗り越えてきました。彼らの関係純粋真摯であり、お互いを理解し、受け入れることで強く結ばれています


彼らの結婚式は、単なる結びつきの証ではありません。それは、お互いを選び、絆を深め、未来への共同の約束をする神聖儀式なのです。新郎新婦は、結婚生活の喜びや困難を共有しながら、いつも助け合い、支え合うことで、より大きな幸福を築いていくでしょう。


新郎新婦、お二人は本当に素晴らしいカップルです。皆様も彼らの愛と結びつきに感動し、彼らの未来幸せを願ってください。彼らの結婚式は、青春の思い出とともに、新たな人生の始まりです。


からお二人の幸福祈りながら、お祝いのスピーチを終えさせていただきますありがとうございました。

2023-05-12

anond:20230512132910

ここに愛と青春が詰まった結婚式スピーチの案を作成してみました。

---

皆様、今日はこの素晴らしい日にお集まりいただき、本当にありがとうございます新郎新婦の素晴らしい旅路の始まりを皆様と共に祝うことができ、私たち全員が大変光栄に思っています


私たち今日新郎A男さんと新婦A子さんの結婚を祝うためにここに集まっていますが、彼らの物語高校時代に始まったという、とてもユニーク出会いからまりました。


高校時代、我々のクラスには3人組のギャルがいました。彼女たちは常にスカートを短くし、少々物騒な遊びをしていました。それは、まぁ、男子たちにパンツを見せて笑うというものでした。我々男子は外面では煙たがっていたように見えたかもしれませんが、内心ではその奇妙な行動に若干の喜びを感じていました。少し反抗的彼女たちの振る舞いは、何ともいえない青春の一部だったのです。


そしてある日、いつものように3人組がその行動をしていると、普段はあまり喋らない静かなA男さんが突然、ギャルの中でも一番かわいいとされていたA子さんに向かって、「俺はおまえのパンツが見れて嬉しいけどな」と言いました。その一言に、全員が驚きました。A子さんは照れ笑いをしていましたが、皆が感じたあの瞬間の空気は、まさに青春のものでした。そこからA男さんとA子さんの間に芽生えた特別な絆は、我々全員の心に深く刻まれた瞬間でした。


そしてその後、高校2年の夏に、A男さんとA子さんが付き合うことになりました。そして今日、我々はその愛が結婚に至ったことを祝っています


思い返せば、あの時の出来事はまさに青春の一幕だったと思います。それは微笑ましくも、少し照れくさい記憶であり、そして何よりも、それは2人の愛の始まりでした。今日、ここで、私たちはその愛を祝うために集まっています


A男さん、A子さん、あの日からあなたたちの物語が始まり今日、この素晴らしい結婚式で新たな節目を迎えることになりました。あの日青春の一コマが、今日ここに至るまでの美しい恋の物語を生み出しました。


あの日のA男さんの一言が、今日のこの祝福の瞬間へと繋がっていると思うと、何とも感慨深いものがあります。あの時のあなたたちの姿を思い出す度に、我々は笑顔になり、そして心からの祝福を送りたくなります


A男さんとA子さんのこれから人生が、あの日青春のように、いつまでも明るく、楽しく、そして愛に満ち溢れていることを願っていますあの日のような素直さと勇気を忘れずに、これから人生を共に歩んでいってください。


皆様、改めて新郎新婦へのご祝福をお願いいたします。そして、A男さん、A子さん、心からおめでとうございます。これから人生が皆様と共にあふれんばかりの幸せで満たされますように。

2023-05-11

anond:20230507161922

Androidアプリゲーム時間溶かしちゃったやつを紹介するよ 思考停止して進められる作業ゲーとアドベンチャーが多め

プラト

掃除機や靴など身近な日用品プラモデルみたいに組み立てるパズル建物を修復する「ナオシーノ!」も似た感じのゲーム

再生カラカラ惑星

砂漠化した星を復興して各地の街を発展させていく。ライフ制だったかもしれないけど覚えてない。「あの日燃えるゴミの日だった」も似た感じのゲーム

Amanita Designのゲーム

アドベンチャーの超有名どころだけど一応。多少脱出ゲームっぽい要素があるけどそんな難しくはない


・SYUPRO-DXのRPGゲーム

あなたってよく見るとドブネズミみたいな顔してるわね」「奴は四天王の中で最も金持ち」「どうして勇者様はそんなに弱いのですか?」など。ライトな遊び心地で、言葉や技のチョイスで戦う

・World for Two

生き物が死に絶えた世界で、アンドロイドDNA収集させ組み合わせて生き物をつくっていく。めっちゃ面白かったのでアプリ無料だったけど投げ銭した。SwitchとかSteamでも買える


合同会社ズィーマのゲーム

ドット絵でダークな終末世界舞台にしたゲームが多め。おすすめ脳みそだけのヒロイン再生する「My Love.」

・Hidden Folks

有料の探しものゲーム。落描きみたいな絵がかわいいのと、SEが全部人の声なのが良くて何回もやってしまう。SteamSwitchにもある

2023-05-10

anond:20230510161320

あの日みたうんちの名前をまだ僕たちは知らない

努力の授業は「逆上がり

日本小学校には素晴らしい授業があったはずだ。

思い出せ。

そう、体育の時間逆上がりだ。

放課後に残って、ひたすらに練習しただろ。

逆上がりなんて何の意味があるんだ、と思いつつも、できないグループでいるのが恥ずかしいから、必死練習した、何度も何度も挑戦した、あの日々のことを思い出せ。

そこから全てがはじまっている。

体育の「逆上がり」は、努力チュートリアルだ。

2023-05-06

フォーエバ肛門臭😡

あの日お前は 尻を拭くのを忘れた

oh 肛門臭😡 oh 肛門臭😡

お前はいつも 疑問に思っていた

下痢肛門は 臭いのか 臭くないのか

oh 肛門臭😡 oh 肛門臭😡

どれだけ目を逸らしても 尻から糞は出てくる

逃れられない運命 消せない臭い

oh 肛門臭😡 oh 肛門臭😡

oh 肛門臭😡 oh 肛門臭😡

忘れちゃいけない どんなに苦しくても

肛門ケア😡

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