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2023-05-05

俺たちはあの日から何も変わってねえ

公衆電話鼻血を垂らしながら殺し屋電話番号を探してた頃のまんまだよ

2023-05-03

anond:20230503021511

経験則から言えば物心付く前に死んだ親は別に実の親とは感じない

俺の場合は親父だけれど、俺が思春期ときに殴り合いの親子喧嘩したことがあったんだよ

その親子喧嘩の拍子に親父が「俺が本当の親じゃないからか!本当の父親は死んでるんだ!俺は本当の父親じゃないんだ!」と言ってしまって少年だった俺はビックリだよね

でも俺も喧嘩で興奮してるからさ勢いのまま返してしまったんだ

「はぁ!?本当の父親は死んでる!?何言ってんだ!もしそれが本当でも覚えても居ない父親なんざどうでも良いわ!お前が俺の父親だろ!俺にとってお前がただ一人の父親だろ!」

そう言ったら親父は膝から崩れ落ちちゃってさボロボロ泣き始めて、親子喧嘩必死になって止めていたお袋もボロボロ泣き始めちゃって親子喧嘩なんて有耶無耶になってしまった

勢いのまま出た言葉だけれど本心だよね、今でも俺の親父はただ1人だと思っているよ

ちなみにその当時のことを俺に子供が出来たとき親父が振り返っていたのだけれど「あの時は俺も若かったなぁ、駄目な父親だった・・・もっとちゃんとした時に言わなきゃいけなかった」なんて言ってたよ

結局は俺の親も、俺と親父が殴り合いの喧嘩できるほど大きくなってもまだ言えなかったんだから何処の親もそんなもんなんじゃないかなぁって思うわ

今の親父は良い爺ちゃんやってるよ、まぁ俺は親父に似て駄目な父親かも知れないけどさ

追記

GW帰省しているので折角だから親父に当時の話を聞いてきたのだけれど、どうやら継父であることに負い目があったらしい

から親父が言うには「今考えると父親として振る舞うことから逃げていた。当時の俺は年上の友達のような兄貴のような父親になろうとしていた」そうだ

でも「喧嘩とき俺の父親はお前一人しか居ないって言われて自分の甘さに気付いた。お前へも俺自身も甘やかしていた」んだとさ

「俺が父親として覚悟を決めたのはあの日からだよ」

子育ては上手くやれないこともあるかも知れないが、俺の子育てがどうだったかはお前が証明してくれた。子供の節目節目を大切にしろよ。子供の節目がお前の成果だぞ。まぁ取り敢えず今日は俺がお前は父親としてよくやってると言っといてやるかな」

苦笑いしながら言う親父を見て、もう何と言うかちょっと涙出てしまった

こういう機会を得られるきっかけを与えてくれて皆さんには感謝していますありがとう

2023-04-29

ブラックバイト退職した話

退職当時つらつら書いていた日記と、いま思い出しながら書いている部分とが混ざっているので、少し読みづらいかもしれない。ごめん。

【お店のこと】

豆腐屋チェーン店関東各地にお店を構えているが、うちは大きい方。在籍人数は私とパートさん5人の計6人。ヘルプバイト君(よその店舗と掛け持ち)、社員さんが来てくれる。

【はじめに】

現場の人たちはとてもいい人ばかりであることは、まず初めに書いておきたい。仕事を辞める理由の上位には常に「人間関係」がランクインしているものだが、ここは本当に、人間関係だけは良かった。前職で右も左も怖い人に囲まれていた私は、本当に過ごしやすかった。

退職理由

ざっくり言うとブラックが加速したから。元から時給が15分刻みという労基法違反ではあったが、別にそこまで気にしていなかった。あと、何かもめとき労基法違反を盾にするつもりだったので、私としては相手の弱みを1個握ってるくらいの感覚(絶対ダメ)。

もっと詳しく話すと、人手不足スタッフの数は他の店舗に比べたら多いらしいが、ウチとしては足りない。まったく足りない。私は授業があるからそんなに入れないし、ほかのパートさんも親の介護子供用事等、忙しい。バイト君も掛け持ち先との兼ね合いがあるし、社員さんは元々自分担当店舗別に持っている。

「人を増やせ」「求人を出せ」とは常々言っていた。しかし、タウンワークマイナビ求人を出していた気配もなく、お店のポスター公式サイトのみ。ごく稀に来た新しい人は数日と持たず辞めていく。

追記

1/31からタウンワーク求人を載せたらしい。見たらホントに出てたけど、いつ行っても新しい人が入った気配がない。

2つ目。お弁当。これはちょっと先に説明したいことがある。

うちはお豆腐屋さんではあるけど、メインはお弁当念の為断っておくけどめちゃくちゃ美味しい。本社人間ゴミなだけで製品はめちゃくちゃ美味しいんです(唯一のアピールポイント)

そしてこのお弁当が、毎日30、40というなかなかのロットで入荷される。よく売れる種類のものは、気候によっては60とか。

売るのは別にいいんです、そういう仕事なので。

ただ、このお弁当たち、開店前にパックに紙を巻かなきゃいけない。それだけ? と思うかもしれないけど、数十個のお弁当に紙を巻いて、輪ゴムで止めて……気が狂うよ、実際やると。そもそも私ら、単純作業で雇われたんじゃないし。販売員です。

退職決意~退職まで】

退職を決意したのは年明けあたり。何がきっかけかと聞かれればうまく答えられない。多分、「人間関係がいいから」で続ける限界が来てきた。

会社規定退職する1か月前の申告が必要だったけど、私は1月14日に申告→1月末で退職という爆速退職をキメた。毎月15日に翌月のシフトを提出するので、 「そういえば来月シフトは?」と向こうから話を振ってくれればチキンでも退職を申告できると思ったからだ(さいあく)。

さて、チキンな私が想定していたのは、退職したい旨をリーダー格のパートさん(仮にAさんとしておく)に申告→退職というよくあるルートだった。

しかし、退職したい、と伝えると、一気に涙が溢れてきた。何なら今思い出しながら泣いてる。

Aさんは泣きながらぐだぐだと訴える私の話を、頷きながら聞いてくれた。1番シフトに入ってる人だったから、現場過酷さを1番味わってる人でもあったのだと思う。私がべそべそ泣いてる間にマネージャーチャットを送り、退職の旨を伝えてくれた。すごい。

次の出勤日、マネージャーから電話がかかってきた。「なんで辞めるねん(要約)」って話だった。

もう退職の決意が固まった私は、思ってたこと全部話した。紙を巻く作業の手間暇のこと、スタッフが足りなすぎること、人が来てもすぐやめる異常性……Aさんに話して落ち着いたと思ってた涙がまたぶり返してきた。

今でも一言一句わず覚えてるやり取りがある。思ってたこと全部話して、泣きながら「お店が回らなくなってからじゃないと、本社の人たちには分からないんですよ」と言った。マネージャーは、「何がですか?」と言った。嫌味とか怒ってるとかではなく、本当に分からなかったような言い方。

「分かりました、辞めます。もう本社のやり方にはついていけません」

そう言って電話を切って、そこからまた泣いた。ちなみにこの時間、お店の方はバイト君に任せ切りにしてしまっていた。ごめん。

すると、11月退職したパートさんが(仮にBさんとする)がやって来た。買い物ついでにバックヤードまで会いに来たらしい。

私が電話での出来事を話すと(お察しの通りめちゃくちゃ泣きながら)、「辞めた方がいいよ」と言ってくれた。

その日の夜にはLINEもくれた。「増田ちゃん就活で、人生の1番大事な時期にいる。無駄にしちゃダメ」という内容。

本当にまぁ、よくもここまで人間関係に恵まれものだと今書いてて思う。だからこそ、皆の良心につけこむ本社が嫌いだった。

さて、電話事件スタッフじゅうに衝撃を与えた。あの日以来出勤するごとに「電話どうだった?」と聞かれるので、Bさんが買い物ついでに他のスタッフに話したのだと思う。違ったらすいませんBさん。

まさか皆、マネージャーから「何がですか?」と返されると思ってなかったようで、これをきっかけに退職を考えるスタッフも出てくるほど。

そしてこの頃、Aさんがスーパーミラクル打開策を出してくる。

1月14日退職申告した私は、本来2月14日以降にしか退職できない。そこで、2月1日から急遽短期留学というあまりにもデカすぎる嘘を企てた。もちろん行ってませんよ、念の為

しかし、マネージャー確認する術も無いし、こちらに予定を教える義務もない。チャットで連絡すると、「分かりました」とだけ返ってきた。

こうして私は、めでたく爆速退職をキメたのであった。

スタッフ退職状況】

ここで私が退職した1月31日時点で把握している退職状況をまとめる。

11月末で退職済み→1人(Bさん)

1月半ばで退職済み→1人

1月末で退職→私1人

2月末で退職→2人(Aさん込み)

多分続ける→1人

考え中→1人

スタッフほぼ全員が退職。すごい。

4月追記

久々にお店に行ってみたら、「多分続ける」と「考え中」の人が出勤してた。続ける選択肢を取ったんだなと思いつつ雑談してたら、2月末で退職予定だった2人がまだ在籍しているらしい。マネージャーものすごく引き止められて、月4くらいのペースで入ってると。

そのうちの1人であるAさんから「お店来てくれたんだね!(要約)」というLINE帰宅後に来た。週1でもいいから復帰してくれないかと言われた。

在籍時代はとてもお世話になった人だけど、やはり復帰は出来ない。そう伝えると、「わかった、またお店に遊びに来てね」とだけ言ってくれた。本当に惜しい上司(厳密には違うけど)をなくしたと思った。

【おわりに】

2年以上勤めたバイト先を辞めるのはなかなか勇気が要った。しかし、退職したことも、ブラック環境に長く身を置いたことも、まったく後悔していない。

ただ、引き止められて退職を留まる、というのは本当にオススメしない。相手にとって「引き止めれば残ってもらえる」という成功体験を積ませてしまう。

辞める時は「辞めたい」ではなく「辞める」とはっきり言おう。

あと、「こんなことで辞めるな」と思った人は、ぜひ応募してみてほしい。気が狂うから

2023-04-27

ずっと好きだった人に子供が生まれ

十数年前新卒で入った会社の同期のことが好きだった。

自分結婚直前、お互い好きだったという確認だけはできたが、不倫不貞行為に至ることなくお互い違う人と結婚した。

お互い会社退職して居住地が離れてからも今に至るまで交流があって、うっすらした恋心と下心を抱きつつ、さりとて健全に、年に数回の頻度で飲んだりランチしたり散歩したりコロナ禍ではZoomお茶会などをしていた。

自分の性欲の減衰とともに好きな気持ちも薄れてきて、恋心の正体ってやっぱり性欲なんだな……と思いながら、次に会う予定についてのLINEのやり取りをしていると、数か月後子供が生まれるという旨のLINEを貰った。

取り乱したり泣いたりするかなと思ったけど特にそういうこともなく、当たり障りのない祝福メッセージを送って、何かから卒業したような気分になった。

先日半年ぶりくらいに会って、散歩してランチして、昔の出産関連の本が面白いだとか、新築の家の話とか引っ越しの話とか、とりとめのない話を3時間くらいして解散した。出産祝いというわけではないけどいつもよりちょっといいお土産を渡したら向こうも普段より少しだけよいお土産をくれた。もしかしたら、あの日が今生の別れかもしれない。私たち夫婦子宝に恵まれなかったので、うらやましく、ねたましい。まあでも、とにかくおめでとう。

2023-04-26

我が一生の恥をここに晒すなり

余にとっては決して語りたくない出来事であるが、お主らにお聞き願いたい。

ある日、朝の散歩に出た際に、腹部に異変を覚えた。

しかしながら、余はいかなる状況下においても落ち着いていなければならぬというのが我が身の信念である

そのため、腹痛を無視して散歩を続けたのである

しかしながら、この信念が余を裏切った。

腹部の異変は次第に激しさを増し、気がつけば肛門勝手に開いてしまっていた。

余は慌てて近くの木に隠れ、便意を押し殺しようとしたが、とうとう失敗した。

あの、ご想像に難くないかと思うが、余の下半身は全て汚物にまみれてしまったのだ。

余は恥ずかしさと怒りに震えたが、そこに突然現れたのはなんとトイレの神様であった!

トイレの神様は余に対して「お前はトイレに対する敬意を欠いている」と厳しく語りかけた。

しかし、その後に「だが、面白かったから許す」とニヤリと笑って言い放ったのだ。

余はほっとしたが、あまりにも突然の出来事に驚いていた。

トイレの神様は「お前にはあと1回の失敗が許される」と言って、その場を去ってしまった。

そして、その後余はあの日以来、いかなる場所でもトイレに対する敬意を忘れなかったのであった。

愛情という名の「重力」に崩壊する人々

自分などはどうでもよいが、子が差別を受けた!

その未来など、どこにもない。

その吐き気をする憎悪けが、目の前に転がっていた。

嗚呼

私は手で顔を抑えても、抑えきれぬ涙を指の端から零していく。

私は知った。

皆が、自分の事などどうでもよくても、自分の子には、目の前の子境遇には激怒をした。

マルティナ・フォン・ボーセル領地など継げない。

カロリーヌと同じく、病弱な伯母ヘルマのその娘、病弱な娘にとってのボーセル家の奴隷として従うしかない。

その架空しかない未来に怯えたのだ。

――「貞操逆転世界の童貞辺境領主騎士「第99話 リドルの解き方」」より

陽のさす裏庭から 忘れていた木戸をぬけ

生け垣が影おとす道をいく

むこうから走って来る幼い子は わたし

ずぶぬれで泣きながらすれちがう

砂場足跡をたどって もっと先へ

いまは 埋もれてしまった川まで

ゴミの間の水草が揺れている

あの小さな川で、私はあなた出会った

わたしのクツがゆっくり流れていく

さな渦にまかれて消える

心をおおうチリが晴れる

目をかくすくもりが消える

手は空気に触れ

足は地面のはずみを受けとめる

誰かのために生きている私

私のために生きてくれてた誰か

わたしは あの日 川へ行ったのだ

わたしは あなたの 川へ行ったのだ

――「あの日の川で(「ロマンアルバム 千と千尋の神隠し」より)」

人は自分の為にはどんなことでも耐えるというが、一方で他者の為には幾らでも残酷にも愚かにもなれるという

その卑近な例として、子供に対するそれがある

「どうか健やかに育ってくれ」という素朴で原始的祈り、思い

人間を始めとした社会的動物が持ちうる「社会性」「互恵性」という特性日常的な表現にした、それだ

受け渡そうとする者の、何と一方的な事だろうか

「与える」という名の「母親的な性質のもの」の、如何に暴力的支配的なもの

受け渡される側の、それをいずれは拒否をして一人で立つことの難しさよ

体内バランスを極限までに不安定にして得られる「反抗期」の莫大なエネルギーを以てして、ようやく離れられる程の力だ

それは、宇宙速度連想させる

地球から発せられる強大な重力を振り切り、宇宙という孤独で茫漠な空間へ飛び出すためには、相応の速度を要するという

その速度に耐えるだけの強度を備え、行き先を間違いのないように計算装置を積み、空の果てを越すための燃料を積む

人の成長で獲得するそれと同じである

そう、人は愛情という名の甘やかな「支配」を抜け出し、自分だけの地球を探しに行く旅に出る

あるいは、つくるしかないのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを

から、時に人はその重力を抜けそうとして、崩壊する

打ち上げに失敗する宇宙船のように、何度も何度も、何度も

一生の間、そこから抜け出せずにいる人もいる

だが、広い宇宙の中で たいしたことではない

ああ 虹がかかっている空 きれいと思いたくて

焦がれては逃げられないこと

みんなにはくだらないこと

もう どうしようもないの

わたし きゅうくらりん

――いよわ「きゅうくらりん」より

@Gesu_Masuda

2023-04-22

マルチ宗教で対抗した話(追記しました)

Twitterに書こうとしたら字数制限でめちゃくちゃ嘘っぽい文章になったので、こちらにお邪魔することにした(場所を変えたところで書き手は変わらないのだから、まともな文章になるかは微妙だが)。

最早n番煎じだが、知人からマルチ勧誘を受けた話である

書き手31歳の独身女性

大阪の街の中にはバス電車で1時間ちょっとの、中途半端田舎生活中。

うつ病発症以来、趣味ほとんど楽しめなくなったが、それまでは生活費以外のお金ほとんど趣味に使ってしまタイプオタクだった。

2023年4月13日大学同期生(以下A子)からLINEメッセージが届いた。近々お茶でもどうだという、遊びのお誘いだった。

4年制の私大(女子校)を卒業したのが2014年3月。確か入学時が1学年1学科100名程度だったので、一般的私大よりは学生数は少なめだったのではないかと思う。

A子は学科こそ同じだったが学籍番号(名前順)が離れていたので、座席や授業グループといった講義での接点は少なめ。ただ、私もA子も生息する沼は違うが推しグッズを持ち歩くタイプオタクだったので、講義で顔を合わせた時には軽く会話するようになり、校内の食堂で昼休みを一緒に過ごしたこともあったと思う。

その程度の関係性だったので、卒業後は「また会おう」なんて言いながら、一度も連絡を取り合ったことはなかった。

TwitterFacebookInstagramといったSNSでは繋がっていなかったので、卒業後の進路や近況は一切知らなかった。LINEだけは交換していたようだが、それまでにメッセージをやり取りした履歴は残っていなかった。昨年末頃に連絡していない人をLINEの友だち一覧や電話アプリから削除した際、トーク履歴も削除していたためだ。

そんな相手から9年以上ぶりに連絡がきた私は、浮かれていた。

幼少期から交友関係は狭めで、誰かと遊びたい時は自分から(かなりの葛藤の後にそれ以上の勇気を持って)誘わなければならなかった。学生時代、誘われるのはプレミアがつくくらい超レアだった。

なので、卒業から時間が経ってるのに私の存在を覚えていてくれたのね、と脳がしあわせを感じていたのである

冷静に考えればこの時点で9割なにかあると怪しむべきなのだが、私は舞い上がっていた。直近で都合がつく日を伝え、何も疑っていなかった。疑うという感覚すら持っていなかったと思う。

4月14日、私は祖母の付き添いで地元理容室にいた。店内には壁掛けのテレビが設置されており、昼のワイドショーが流れていた。店主や祖母との会話が途切れた時、ちょうどワイドショーテーマが変わった。

「○○社(マルチの社名)は明日15日、6ヶ月の行政処分期間が明け、新規会員獲得ができるようになる」といった内容で、言葉巧みな勧誘押し売りに注意を促す報道だった。

その社名は聞き覚えがあった。

20歳になったばかりの頃だ。幼稚園の時から知っている、最終的には高校同級生だった子(以下B子)が、誕生日のお祝いをしたいからと大阪カフェに呼んでくれた。

喜んで行ってみると、サプリメント等の健康食品化粧品を購入しないかという、勧誘活動だった。

カフェのお手洗いで戻すくらいショックだった。そういう会社があり、会員が多くいるのは、インターネット経由で知っていた。でもそれは外の世界の話で、自分がそういう目に遭うとは考えていなかった。それが幼稚園の時からしかったB子からなんて、想像もしていなかった。

挨拶もそこそこに飲食代を置いて逃げ帰り、B子と関わった全てのSNSブロックし、着信もメール拒否し、疎遠になった。

高校同窓会を断り続け、グループLINEにも入らないのは、この一件の衝撃が大きすぎたからだ。B子にとって私はカモだったのか、それとも純粋善意だったのか、今となっては知る由もない。善意だったとして、救いだったのはB子が一人で来てくれたことくらいだ。彼らの常套手段である囲い込みを最初からされていたら、上手く逃げられたかからない。

※ちなみにこれらを思い出した後、B子がどうなっているのか、怖いもの見たさでSNSを覗いてみた。旦那さんと子供がいる幸せいっぱいな母親像と共に、チャクラを開眼した精神世界住民になっていたので、そっ閉じした。

しばらく連絡のなかった相手から、突然会いたい等の連絡があった時は、身を守るためにまず疑いましょう。と、特集は締めくくられた。ニュースキャスターは次の話題に移る。

どこかで聞いたような話である

A子からもらった連絡を読み直した。「久しぶりだね、元気だった?コロナに負けない、健康にいいものがあるの。よかったら近いうちに会えない?」近況語りを省いて要約するとこんな感じだった。もっと早く気付けよ私。でももう会うと言ってしまったしな…、それに万が一A子がシロだったら申し訳ない。と、この期に及んでまだそんな淡い期待を抱いてしまっていた。

だが、少し冷静さを取り戻した私は、保険を用意することにした。探すのに手間取ったが見つけ出し、明日カバンに忍ばせた。

4月15日。朝から夕方にかけては別件で動いていた。大阪まで往復1000円以上出しているので、用事はなるべく一度に済ませたいのだ。哀ちゃんはあまりに可愛く、ミリオタには組織の懐事情が恐ろしかった。気づいたらパンフレットを購入していた。

そして待ち合わせの時間

やってきたA子は、仕事帰りだからパンツスーツだったので、別人のように感じられた。記憶の中の彼女は、当時の大学生が好んでいた「森ガール」の姿だったからだ。

挨拶を軽く交わし、場所百貨店内の喫茶店に移す。大学時代の、講義で印象に残った話や友人関係なんかを話してくれたが、私の記憶うつ病を機にぶっ壊れていたので、曖昧な返事しかできなかった。20〜30分ほど話して、A子はお手洗いに立つ。本当にただ会いたがってくれただけだったらしい、なんて油断が生まれかけたが、本題はA子が戻ってからだった。

会話が私の話題になる。自分のことを開示するのは気が引けた。慎重に言葉を選び、私のSNSフォロワーなら知っている内容を話した。

A子は私の「うつ病」というワードだけを拾い、苦労しているねと言った(そういう話ではなく、周りに支えられていると話していたのだが)。

そして始まる。予習していた通りの、営業トーク。このサプリメントを飲んでいたかコロナに罹らなかった、この化粧品細胞から健康になった等々「怪しい」が笑顔パレードしている。時折、私の身に起きた事象を織り交ぜながら、巧みに購買欲を刺激することも忘れずに(この頃私は呆れを通り越して飽きていたので、映画感想を思い出したりしていた。哀ちゃん可愛い)。

極めつけはブラウスの袖ボタンを外して見せてくれた、パワーストーンの珠数ブレスレットだ。これを身に付けてから会社での評価は鰻登りで、恋愛も上手くいき結婚秒読みその他諸々。あの日B子と重なる。同じだった。キラキラした純粋笑顔は、こんな欲にまみれた営業トークと共に見たいものではないのだ。話が一区切りした時、私はにっこりと微笑みながら、カバンポケットから保険」を取り出した。そして「保険」をそっとA子側に差し出す。

成功してよかったね、本当に嬉しいよ。いかなる時も、神は見ておられます。」

噛まずに言えたことを褒めたいと思った。

保険とは、名刺サイズカードである。なんとなく捨てづらくてとっておいた、以前某宗教宣教師さん(という肩書きでいいのだろうか?詳しいことはわからない)からもらった、コンタクトカードという名称のものだ。表面には「人生の疑問の答えは何処にありますか」という問い。裏面にはこの宗教法人のホームページQRコードと、手書き宣教師のものと思しき電話番号が書かれている。

A子は私とカードを見比べては、しまったと言わんばかりの顔をしている。掛かった。

「私が現在、病により仕事が思うようにできなくなっているのは、神が試練をお与えになったからです。私には乗り越えられると、神は言っておられるのです。」

「私には幸い、よき隣人がおります。神が与えてくださったよき出会い感謝し、彼らと共に歩むのです。」

「A子、あなたも私のよき隣人に違いないのです。何故ならばあなたは私が試練に耐えているこの時にやってきて、私の身の上を聞いてくださいました。理解を示し、体に良いものを勧めてくれました。あなたは本当に善人なのです。さあ、共に祈りを捧げましょう。A子と共に安息の地へ行ける日を楽しみにしていますよ。」

大体こんな内容のことを言った。もう少し長かったかもしれない。興が乗り、舌もよく回ったので、思い返せば支離滅裂古今東西宗派が入り乱れた最悪な内容だったが、A子は瞬く間に青ざめた。顔色が悪くなるって、彼女のことを言うんだろうなと納得できるくらいに。

ダメ押しで家のポストに入っていた某宗教勧誘チラシも渡しておいた。勉強会に来ませんか的なやつだ。一刻も早く離れたかったのだろう、A子は自分お茶代を出すと、明日用事があるからと言って、逃げるように帰っていった。多分チラシのことを言っていたんだと思う(読んでないから中身は知らなかった)。

まとめ

9年ぶりに連絡を寄越してきた元学友は、やっぱりマルチ勧誘だった。ここまで読んでくださった方は察してくれていると思うが、私は宗教に関して言えば不勉強である信仰心は全くないことはないけど、私は(だいぶ落ち着いたとはいえ)血の一滴までオタクなので、そんなことに金を使う余裕があったら、推しに貢ぎたいのである

そんな私の推し(FBIの腕利きスナイパー)も活躍する「名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)」をぜひ劇場で観てください。

私は元学友がマルチかシロか考えなくていい状況でもう一回観たいと思います

追記

コメントいただきありがとうございました!

「見ておられます」ってコメントに、自分発言したのに「怖っ」って口から出ていました。

宗教観に関してですが、付き合いのある親族が多かったため、その分永遠のお別れもありました。その都度(関わったのは全て仏式だったので)読経があり、法話があり、最後のお別れがあり、お棺が閉じられ焼かれ、故人が骨壷に収まり、その先も月命日だなんだと法要がたくさんあり、墓への納骨を終えて、ようやく一区切り、という流れを子供の頃から何度となく見てきました(親戚付き合いの良し悪しの話ではなく、個人として貴重な経験を積ませてもらったと思っています)。この流れを何度か見ていると、幼いながらも生きること死ぬことに対する価値観形成されてきました。葬儀、祭儀は生きている人のためにあるのだと感じるようになりました。その後、宗教とは生きている人が生きていくために縋ることがあってもよいのだろうと考えていくようになります法話により心が軽くなった喪主を見てきたからです。救いを求める方向は人それぞれなのだろうと感じました(今問題視されている宗教の事案を軽視しているわけではありません)。

何が言いたいかと申しますと、私は宗教に大して明るくもなければ知識もないのに、神を騙り軽々しく利用した点に関して、時間がたった今猛省しております。ご不快に思われる方も少なくないと思います。真っ向から買わない付き合わないとB子宣言した際、しばらく執着されていたので、この時はこれしか逃れる方法を思いつけなかったのです。

もし本当に神様がいらっしゃるなら、アホな方法を取ることしかできなかった愚かな人間を笑い飛ばしてくれるような存在であってほしいと願うばかりです。

最後になりましたが、この話はマルチへの賢い対策法ではありません。マルチはすぐそこにいたよ、というだけの話です。賢い対策法は会わない、これに尽きます。誉めてくださったコメント、嬉しかったです。ありがとうございました。映画スピッツもすごく合ってたので観てください(笑)

2023-04-19

anond:20230417230748

>>一つだけの正しい答えなど無い

自分貴方と同じ思想で前のコメントをした。

そう、人それぞれの正義も悪もグラデーションになっておりそれは万人が100%うなずける物は無い。

ただ、明確に否定できる事が1つだけある。

暴力(武力)による変更」だけは道徳を習えば絶対的な一線に成りうる。

どういう理屈があろうと暴力に手を染めた時点でそれは明確な犯罪であり、その時点で犯罪者の過去思想なんて語る必要すら無い。

ウクライナロシア戦争もアレだってウクライナが全て善な訳が無い。ロシアの言い分だって絶対にあったであろう。

ただ、あの日国境警備隊を殺して領土侵犯を開始した時点で犯罪者でしかない。

から自分は「改善努力暴力の手前」までに限られると思ってる。

今回は明確に一線を超えてる。そこに思想関係ない。

単なる「自分理想論押し付けるために一般人ごとパイプ爆弾で吹き飛ばそうとした犯罪者」以上も以下もない。

2023-04-16

近所のお姉さんが

突然、亡くなってしまった。

心臓発作みたいな形で突然死だった。

独身ママ友みたいな人も近所にいない私にとっては仲良くしてくれる優しいお姉さんみたいな人だった。

近所でばったり会えると嬉しくなるような、

とても素敵な人だった。

悲しい。寂しい。

震災の時に、お水どうしてる?水道水飲んで平気かなぁ、なんて話したり。

ずっと近くで年を取っていけると思ってたのに。

残されたご家族心配です。

若い人の死は何ともつらい…

あの人がいない。

もう会えない。

最後に会ったのは、バス停で偶然会って途中までご一緒して、彼女が途中で降りて「降りるからまたね」

と手を振ったあの日

途中でバスを降りるように、

彼女はあっちの世界へ行ってしまった。

感謝して、

残りの人生を生きていくことくらいしか

私にはできないのかな。

大好きだったよー。

2023-04-11

anond:20230409112524

どっちも大好きです。

比べる必要もないと思います

また、アニメ漫画をごっちゃにして考えるのはやめた方がいいと思います。書いてる人が違うから特にあの日にかえりたいは制作の経緯がちょっと異常なので、原作者、まつもと先生がかわいそうです。漫画も、終わらせるって言ったら編集者に無理やりあと3話でって言われてああなった経緯もあります

めぞんは読んでる人に優しいというか、心情が全部分かりやすく描かれているのに対して、きまオレまどかの心情が意図的ほとんど描かれてないですから、その辺をじっくり読み解こうと見ていくとなかなか面白いですよ。よく描かれてます

とにかく私はどちらも大好きです。

2023-04-10

あの日JAL123便を見た気がする

1985年夏のある日、3歳(もうすぐ4歳)の増田は、埼玉県本庄市の自宅前に立っていた。

もうすぐ帰宅する父を迎えようと外に出て、ぼんやり空を見ていた。

すると黒い煙とゴーっと音を出しながら大きい飛行機が飛んでいて怖かった。


どこかで捏造された記憶なのだろうが、大人になってあの事故のことを知った後で、ふと、あんなことあったな。

と、なんとなく納得してしまった。

埼玉県のその辺からの目撃情報があったかなどは知らない。

2023-04-09

anond:20230409112524

わかって書いてるのか知らないが…

あの日にかえりたい」はOVAじゃなく劇場作品

脚本寺田憲史は「あの日にかえりたい」だけじゃなくテレビシリーズ脚本構成もやっている

そもそもあの日にかえりたい」は、むしろ監督望月智充個性が出た作品として扱われてるだろう

ちなみに、同じ1988年に公開された劇場版「めぞん一刻 完結篇」も監督望月智充

ともかく、漫画比較をしたいのなら、アニメの話まで出す必要はなかった

さらにどうでもいいが、初期のファイナルファンタジーは、脚本寺田憲史であるとこと、

プログラマーとしてナーシャ・ジベリが参加していることが宣伝材料として用いられていた

2023-04-08

anond:20230408102928

ファンのなかでは外伝作品あの日」はなかったことになってるらしい

ひかるのあまり不憫さがアレだとか

2023-04-04

増田町田についての雑語りをやめろ。ああ、この前に俺は「恩田さん」と呼んだことがあったじゃないか。あれは覚えているよ。いい年こいたオッサン町田とか好きなオッサンがいたなんて。町田がめちゃくちゃ好きなオッサンがたくさんいたかだって!いや、もう寝る前に思い出しては「 なんでやねん 」と嘆いている。町田はごたごたしているからな。あの日あの時あの場所にいれなかったのが俺のせいだ

Anond AI作成

2023-04-01

さよなら、と大声で叫んだそうだ。周りがビビったのだろうか?その時は僕には気の狂った言動しか見えなかった。あの日、僕は一人でも減らそうと思ったし、一人でも多く消すことが目標でもあった。だからこそ、辛い記憶なのに、一人でも多く消してやろうと固く決意した。でも、思い切って一人一票の呼びかけて、彼も消してしまった。僕は風化が進み、その後灯した灯油

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クンニせんからそうなる<unk> (<unk> )<unk>あの日と変わらず酷くて、でも完全に気持ち悪いし、怖いのと完全に自分身体をむきだしにしてるっていう自覚めっちゃあって、そこがもう本当にめっちゃ辛くて、でも死にたくもなくて、いつ襲ってくるか分からないパンツをはき続けるしかない感じで、パンツを履く順番は決められてたけど私は何も決めれず、慌てて隠しとおしてきたパンツを、早急に脱ぎたくなったよ

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今期のお薦めアニメは、何と言ってもやはりドラえもん映画かな。-昔はよくドラえもん映画を観に行っていたのに、不思議最近は家でdvdで流して過ごしている。それでいいのだ。皆さんドラえもん見に行きましょう。 子供の心が奪われていく話。あの日何となくトイレ子供が入っていくのが見えて、俺は慌てて出ようとした。が、どうしても出られなくて、涙がこぼれた。あの子泣いてるし、自分が涙

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母の思い出

お腹が空いた午後。うどんを茹でるためにコンロに立っていたアナウンス流れる。そう、この日が七夕だったからだ。うどんを茹でるために、自動製氷機に近づいていく。最初は見向きもしてくれなかった製氷機も、一回目のかき入れの時、僕の腰の辺りを猛スピードでフワッと飛ばして、上へ、上へと進み始めた。うどんを食べたことを機嫌良く誇らしげに話し出す母。そして、あの日作った

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一番星はてのが「いつもブログ楽しく読ませてもらいました。」面白くて、でも毎回次が面白ネタなので飽きずに読むことができました。次の展開が非常に楽しみなのですが未だに読者サイトにはたどり着けていない、というあの日見た笑顔を返したいのですがどうしたらいいでしょうか。はてなの人のことを考えると駄目だと思うのですが。 小さなモテないおっさんめっちゃモテるようになった話。

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腹減りママヨモギお腹を思いっきり叩いて「うるせーッ!」と怒りながら謝っていた、あれは確か小学生罰ゲームとして実行されたものなのだろうか。そうだとしてもどうなんだろう?乳幼児突然死症候群を起こす可能性を冒してまで行うべきでもないのでは。そう感じた私は、ちょっと頭を冷やすことにした。あの日から、妻には毎晩、夕飯と同時にヨーグルトを3つ作るようにアドバイスしていた。ヨーグルトは腹持ちがする

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?そうじゃない。その代償として、俺の大切なものを奪ってしまった。あの時の俺は、どうしても受け入れられなくて、そのことが頭から離れず、バイトも三か月目だったか、四か月目だったか、それ位からその傷はますます深くなった。あれほどの執着を続けていたのに、いつの間にかそんなことを考える余裕がなくなっていたのだ。あの日俺は外出して、夜遅くになったので久しぶりの酒のツケを払いに行き、終電後、

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?そうじゃない。その代償として、俺の大切なものを奪ってしまった。あの時の俺は、どうしても受け入れられなくて、そのことが頭から離れず、バイトも三か月目だったか、四か月目だったか、それ位からその傷はますます深くなった。あれほどの執着を続けていたのに、いつの間にかそんなことを考える余裕がなくなっていたのだ。あの日俺は外出して、夜遅くになったので久しぶりの酒のツケを払いに行き、終電後、

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天下一品行きたい」「え、なんかおいしいメニューあるじゃん店員レシートをもって俺は歩き出す。二、三歩進んだら、あの日は二種類のラーメンを食べたのだ。確かに、あの時の俺はどちらとも取れるようなラーメンを二つ同時に喰ったのだ。しかし「好き好き言わないでよぉ」ということでも結構だが、どうにか気持ちを落ち着かせる努力をする必要はないだろうか?さて、この一週間、俺は親に「明

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お茶が出なかった!というあの日よりも30分以上長い待ち時間があり、更に6年生、7年生、各10名くらいしか受付をしておりませんでした。私は、大人として恥ずかしくなり、すぐに受付の人から離れたため順番を間違え、トイレへ急ぐこととなったのです。私は、あの日恥ずかしかった体験から、必ずトイレに行く!という強い決意を持っていました。あの時の恥はもはや忘れて、毎年その年の思い出を振り返りに行くのが大人の務めだと私は

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2023-03-30

思えば遠く

半休を1日休に変えた。

またひとつ歳を重ねるその前に、なにか行動を起こさなくてはと思い立ってのことだった。

オンラインチケットを予約して美術館へ行く。この間マッチングアプリで知り合った男性が指摘していた、「オンラインチケット制になってから、人はその日その時間、確実にそこをおとずれるようになったから、美術館なんかは混むようになった感覚をいだく」。

会場に着けば、開館前から並ぶ人。人。人。会期末であったことも災いしてだとは思うが、まさにその通りだなあと思った。

列をなして作品を観るのは好きでない。観るというより、観させられている感じがするからだ。

そういう時はいつも一番混んでいないエリアめがけて人の間をすり抜けては、順番を無視して鑑賞をする。構成なんてまるで無視学芸員泣かせかもしれない。

美術に限らず、世のあらゆる事柄において、わたしはこういう物の見方しかできないなとしみじみ思う。点々としているんだな。

観終えた後、たまに訪れるビル3階の喫茶店へ行った。

そこから山手線京浜東北線と、東海道線とその他もろもろの列車が発着するところを見ることができる。電車わたしにとって、時間象徴だ。こうしてぼんやり眺めているうち、またひとつ歳を重ねていくんだ。何十本もの電車を見送って、気づいたらどちらが風景になっているのかしれないね

外に出るとあんまりに天気が良くて、日光の眩しさから繰り返しくしゃみをした。

横断歩道をゆく向かいの知らない人に敬礼をするように、掌で日差しを遮りながら都会の道を行く。そのうち皇居に出た。3週間前にも同じ場所にいたな。。とかなんとか、唐突に思い出したかのような振り返り方をしたけども、意図的に来た。おセンチになりたかったのだ。

あの日は2人だった。ちょうど風はあの日と同じくらいに吹き付けていて、日陰では少し寒い

「ここから見えるどのビルが好き?」

そんな他愛のない話をしながら、ベンチに深く腰掛けていた。ビルもそうだが、反対側に夕暮れ沈むその先を眺めてもいた。綺麗な空だった。鼻水をかみながら雰囲気も何もあったもんじゃないが、わたしはこのまま、絡め取られてしまいたいなと思っていた。なにに。

いつも夜にしか会わない人と、はじめて日中に会った日だった。はじめてのデート皇居って、よくない。いつでもテレビに出てきて、その度思い出してしまうから

今日ここを訪れてしまったのも、ぐずぐずとした思いに同伴する形だ。わたしはそれを置いていきたいのか、持ち続けていたいのかも判断しかねている。来ればわかるかと思ったけれど、他人との思い出は、そう自分勝手には処理しきれないのだということがわかった。

次に彼と会うときに、話してみよう。

映画でも観て帰るかなとも考えたけれど、日が落ちる前に帰宅することにした。

友達から借りていた本をしっかり読み終えて、7時にはお風呂に入ってソファごろごろしている今。

真新しいことをしたわけではないが、穏やかな気持ちで終始いられたのは良かった。誰とも話していないから、明日はいささか声の出が悪そう。

ま。そんな明日お酒を飲んで、今日とは違う気持ちのよさを味わうことにしようっと。

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