はてなキーワード: 集大成とは
そんな矢先、以下の記事を読んで「ああ、自分はまさにこの状況だ」って思った。
https://withnews.jp/article/f0180704002qq000000000000000W00o10101qq000017573A
高校までは定期的にテストがあって、その集大成として受験があって、志望校に合格するために勉強をするというのが当たり前だった。
「自分が何をしたいか」ではなく「自分は何をやらなきゃ」なのかを常に考えてきた。
そんな人間が突然「はい、これからは好きなことしていいよ」って言われても困惑するのは当然だと思う。
いや、厳密には大学に入って1年ぐらいは目新しいことがいっぱいで「やらなきゃいけないこと」がたくさんあるし、受験期にできなかった「やりたいこと」もできる。
だけど、1年も経てば「やらなきゃいけない」ことには慣れて、「やりたかった」こともマンネリ化してくる。
そこで今「やりたいこと」を考えるんだけど、あまり思い浮かばない。
何回同じことをとか、田嶋やめろとか色々見るけど、同じじゃないし、田嶋氏が自分から身を引くならともかく、周りから身を引けと言われるのは全く腑に落ちない。
今回のチームは30年来、氏が手がけてきたソフト面、ハード面での育成強化策における集大成的なチームに期せずしてなったと思う。そういう視点で見れば足りないものはまだあれども、一つのメルクマールだったし、方向性を示したチームだったと思う。
過去2回のベスト16に入った時とは違いそういう評価ができる大会だったと思う。
期せずしてというのは監督解任のこと。選手とうまくコミュニケーションがいかなくなったと判断したなら、監督を解任しても仕方ないと考える。人事権を持つものの専権事項だ。
スペインを除外して大会直前に監督を解任するなんてありえない。けど、それをやった。大博打ではあるが、信頼関係が壊れたからこその大博打だったのだろう。もう一つは日本のこれまでの育成強化策と前監督の意向がマッチしなかったとも考えられる。今回のチームを見てそう感じる。
ずっと育成強化に携わってきた田嶋氏だから決断できた解任劇であったと考える。
博打はいけないとか、検証できないとかいう話もあるが、勝負ごとだ。ギャンブルの要素があるのは当たり前ではなかろうか?ランキング60位のチームと3位のチームでもやって見なけりゃわからない。それがスポーツ。現に大会を通じてランキングが自分たちよりはるかに上のチームを脅かし続けたではないか。そして、グループリーグを突破してる。結果オーライではないが、結果は出てる。ホームアドバンテージ(02)もなく、守備的なやり方(10)でもなくである。様々な要素を考慮した挙句の博打はありだと思う。
しかし、世界のトップにはこの舞台ではまだ勝てない。それだけのこと。これを田嶋氏個人の責任にするのはお門違いだ。世界基準の強化策が始まってたかだか30年程度の極東の小国なんだから。
解任の部分だけを見て氏を評価するのはあまりにも片手落ちだし、今回の結果に彼の功績はあると評価すべきだと考える。
彼の退任を求める方々は、小学生段階からの育成策や強化策、そして指導者養成策が彼が協会に携わるようになってから徐々に、どのように変わってきたのか、そして現場がどう変わったのか検証してから叫んで欲しい。
劇場版アイカツ!でいちごちゃんが視聴者の隣でずっと一緒に成長してきた存在から手の届かない存在になった瞬間、そしてアイカツ!178話であかりちゃんがその隣に立った瞬間、その感動が、あの武道館にあったと思います。私にとって、武道館でのSTAR☆ANISおよびAIKATSU☆STARS!のステージは演者の皆さんの集大成であり、5年(と8ヶ月!)前のアイカツ!で見た美月さんのステージの動画から、劇場版アイカツ!での、あるいは178話のソレイユとルミナスが揃ったあのステージの動画へと成長していったあの体験と並ぶ感動がありました。
確かにこのタイミングでの演者さんの再登場は、あの感動を失わせるものだと思えなくはありません。周りの演者さんそれぞれのフアンの皆さんの憤りっぷりったら目にも当てられないもので、曰く「卒業」とは一体何だったのかと、演者さんがそれぞれにアイカツシリーズからそれぞれにとっての距離を置こうとしている段階でのこのイベントはなんなのだと、そしてあの武道館の日に受け入れ難きを受け入れた自分のあの思いはなんだったのかと。
実際その思いは間違っていないと思いますし、否定はできません。蛇足だな、とは思います。
しかし同時に、今更何を言っているんだという思いもあります。クリスマスになったら木を切り倒す、崖を登る、そういった描写が毎年毎年行われてきたような作品における今回の展開において「過去を向いている」という指摘は、あまりにも繰り返されてきた、今更な指摘ではないでしょうか。
私は、幾度となく元増田の今の気持ちと似たような気持ちを覚えてきました。あかりジェネレーションで、またアイカツスターズ!で木を倒したのを、崖を登ったのを見て、それは感じませんでしたか? フォトカツ!の発表で、それは感じませんでしたか? 劇場版アイカツスターズ!同時上映のアイカツ!狙われた魔法のアイカツカードを観たときに、それは感じませんでしたか? TVアニメアイカツスターズ!においていちごちゃんが再登場したときに、それは感じませんでしたか? 「データガードダスアイカツスターズ!ではアイカツ!曲を再録しない」と明言されていたのにも関わらず幾度としてステージが再録されたとき、それは感じませんでしたか?
今回の5周年イベントは、10年、20年につなげるための布石なのだと思います。バンダイナムコHDのIR資料を追っている限り、アイカツスターズ!1年目の計画と実績の差異はそれはもうひどいもので、個人的には正直2年目はないだろうと、アイカツシリーズ自体危ないだろうと思っていました。そんな中での辛うじての策が、今回の5周年コラボであったのだろうと想像します。
確かに5周年企画は乱発気味ですし、もう5周年ではないだろうというのはあります。しかしアイカツシリーズというコンテンツの継続のため、公式でこういったイベントを開催してくれるのであれば、私自身の楽しみのためにも、コンテンツ自体の継続のためにも、私はそれを享受します。
元増田が10周年、20周年のタイミングでのイベントならば参加するというのであれば、そのときには一緒に楽しみましょう。あの作品は、あのイベントは良かったと、語らいましょう。そしてできればその際には、「あの日があって今が最高に」なったんだということを感じてもらえればと思います。
早くに両親を亡くしたことから、若くして莫大な遺産を受け継ぐ。
放蕩生活を送る一方、サロンを主催するなどして文化人と交流し、政界にも人脈を作っていく。
その集大成が1753年につくられた「ヘル・ファイア・クラブ」と呼ばれる秘密結社で、
修道院を豪奢に改装した会場に、貴族や政治家、聖職者、芸術家などが夜な夜な集まり、
悪魔崇拝の儀式を模して乱交に耽るなど、淫蕩と頽廃の限りを尽くしていた。
皇太子の頃のジョージ三世、後のイギリス首相ジョン・ステュアート、ロンドン市長を務めたジョン・ウィルクス、
サンドイッチの由来ともなったサンドウィッチ伯爵や、かのベンジャミン・フランクリンも参加者とされ、
政界の一大スキャンダルとしてバッシングを受けることとなった。
しかし、実際には酒を飲んで騒ぎながら政治を語りあう、普通のサロンであったともいう。
理由は3つある。
まず仕事。
いまの仕事をずっと続けていけるのか、とか、キャリアアップを考えて行動しなくちゃっていう焦燥、結婚は諦めてるから一人で死ねるだけの貯蓄。
年齢っていうのはその年数生きてる証明だけれど、年齢分の行動、経験の集大成として見られてしまうので、年齢に見あった言動や容姿でなければいけない。恥ずかしながら、現在でも年齢に見あった思考が出来ていないことはわかっている。
私はマルチタスクが精神病むほど苦手なので、なにかをしながらでは難しいと判断している。
計画立てるにしても、実行するにしても、他に考えなければいけないことはなるべく排除したい。
次に熱意。
pixivにあげてもブックマークがつかない、評価も上がらない。イベントに参加してもほとんど売れない。そんな文章を書く意味が見出だせなくなった。最初こそ自己満足で乗りきっていたけれど、承認欲求とのつきあい方に失敗した。やっぱり書く以上は読まれたい、認められたい。
承認欲求が強すぎるのなら離れたほうがいい。
まったく続かなくなった。
3,000字すら書けなくなった。PCの前に座っても、さっきまで考えていた文章すらアウトプットできなくなった。頭の中で考えた起承転結が紙面に起こせない。
原因は熱意と関係があって、書いても見向きもされなかったら、という恐怖が邪魔をしている。どうせ書いても誰も読まない、誰も手に取らない、そういった書いた後のことばかり気になってまったく続かない。体力もなくなって仕事の後や夜遅くまでの原稿作業が苦になってきた。
ちなみにコンソール派です!!!!!PCゲーはゲーミングPC無くてプレイ出来ない!!!!
ゲーミングPC欲しい!!!!!ゲーマーの友達はもっと欲しい!!!!
どうしたらゲーマーの友達できますか。別にオンラインで一緒に遊ぶとかしないでもいいんです。最近出たオススメタイトルを互いに紹介し合ったりレビューし合ったりゲーミングバー行くような関係の友達が一人や二人欲しいんです。
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みなさん優しくて本当に感謝感謝です。ありがとうございます。
・ゲームやってる人の後ろで見ていたい
→喋りが下手くそなので多分プレイ動画の垂れ流しになるんですがそれでも需要あるならやってみようかなぁ
・ゲーミングバー?そんなのあるの?
→https://goo.gl/dxvfVb こんな感じで色々ある
・ゲーセンいけ
→ゲーセン特有のコミュニティ、ほんと憧れてる。でも貧乏なんで通えないんだわ。
・コンソール派ってはじめてきいた
→語弊を生んで申し訳ない。あなたの言うコンシューマー派で捉えてもらって構わない。
他の人も言及しているがコンシューマーというのは和製英語で、英語だとコンソールゲームと言う。
自分は職業柄海外の情報に携わることが多くどうしてもコンソールと言ってしまう。
→是非なって欲しい id教えてくれればコールするし、嫌だったらブクマから私のidをコールして欲しい。もしくはTwitterに連絡くれても可
書いてくれという方がいたのでとりあえず3本書きます。
◯桜国ガイスト
ポケモンが流行った当時量産された、いわゆる「ポケモンlikeゲー」の中でも個人的に良作と思えた一本。
相棒であるモンスターを武器に変化させ、トレーナーも一緒に闘うというゲームシステムが斬新だったのと、それ活かしたラスボス戦が最高だった。妖怪(和風)とSFを融合させたかのような世界観も秀逸で、小話付きなサブミッションなどやりこみ要素も豊富。色々と惜しいゲームだったが、作品を購入した当時の自分は狂ったように遊んだのを覚えている。リメイク版とかでないかなぁ
戦争×歴史×SFロマン大作『メタルギアソリッドシリーズ』の第3作。東西冷戦の中に生きた伝説の特殊部隊を描いたスニークアクションゲーム。ストーリーラインこそシンプルな王道スパイ映画のような筋書きだが、小島監督ならではの演出も相まって噛みごたえ抜群の味わいを誇る。スネーク〜イーター♪〜や「人生最高の10分間にしよう」以降の演出は今でも忘れられない。
いわゆるメタ的演出というものにゲームで触れたのも私はこの作品からだった。文字通り腹筋が崩壊したのを覚えている。
合わない人は合わないが、合う人はドハマリすること請け合いなゲームだ。ちなみにこの作品のおかげで、私はスニークアクションゲームが大好きになった。アサクリシリーズ、HITMANシリーズ、Dishonored、etc…
ロボット3DSTAG「アーマード・コアシリーズ」4作目続編。個人的には集大成という感じでシリーズ内で一番好き。安易に語らないことで自己の矮小さと対する世界の壮大さを無意識に感じさせる物語、プレイヤーの選択次第で変化する世界と、それでも全てが明らかにならない真実。爽快感抜群の超高速戦闘と自由度の高いマシンアセンブリ。ゲームの難易度を上げるとそれに応じて物語の真相に近づくという演出もよかった。これ以上好きの気持ちを文字に起こすとなんだか安っぽくなってしまうように思えてならない。言葉は不要か…
こんな感じです。基本的にアクションアドベンチャーが大好物です。最近遊んだものだとアサクリオリジンズやニーアオートマタ、ベヨネッタ2(スイッチ版)とかですかね。あとはいわゆるコマンド選択JRPGやADVも大好きです。FF、ドラクエ、ポケモンやLIFE is Strange、テキスト主体のポイント・アンド・クリック系(シュタインズ・ゲート、さよならを教えて、マブラヴオルタネイティヴなど)。FPSはエンジョイ勢。Dota2とかやってみたいがPCが無い。ソシャゲはグラブルとハースストーンしてる。
Reason!!はまだしもGLORIOUS RO@Dは全体曲と思いたくない話。
アイドルマスターSideMの話です。
タイトルの通り、Reason!!はまだしもGLORIOUS RO@Dは全体曲とは思いたくない話をします。
アニメ最高でした。毎週楽しみでとても良い出来だったと思います。
Reason!!はアニメ主題歌として315 STARS(Jupiter,DRAMATIC STARS,Beit,High×Joker,W, S.E.M)が歌っています。GLORIOUS RO@Dは最終回に挿入歌として公開され、同じく315 STARSが歌っています。
・何故GLORIOUS RO@Dは全体曲では無いのか
タイトルを直訳すると「輝かしい道」です。歌詞は輝かしく進んでいく決意を綴っています。
歌詞には今までのCDシリーズや歌唱している6ユニットにちなんだフレーズが用いられています。
ST@RTING LINE 超えて→ユニット曲を収録した最初に発売されたCDシリーズST@RTING LINE
サビ
PIECE、一人一人が ORIGIN@L の光放って→初ソロ曲を収録したCDシリーズORIGIN@L PIECES
ちなみにこちらは1st STAGE~ST@RTING!~および2nd STAGE 〜ORIGIN@L STARS〜にも関連があります。
◆315STARS の ST@RTING LINE 及び 2nd Anniversary Disk 関連
1番Aメロ
(W)夢を見つけたんだ→LEADING YOUR DREAM
(H×J・Beit)ここで JUMP!(H×J)熱くなれる舞台に→HIGH JUMP NO LIMIT
(Beit)まためぐり逢えた→スマエン:めぐり逢えたね Shall we dance?
1番Bメロ
(S.E.M):可能性の先を目指して…→∞ Possibilities
2番Aメロ
(ドラスタ)煌めこう、一番高い空で→夜空を煌めく星のように+スタセレ:真っすぐに…空高く! 一番高いところへ、ARRIVE:一番高い場所
(H×J)限界なんてない→HIGH JUMP NO LIMIT
(S.E.M・Beit):ダイアリー(S.E.M)書き記した答えは→エウレカダイアリー
2番Bメロ
(Jupiter)新しいFIELDに立っているのさ→BRAND NEW FIELD
(W)いつだって信じているのさ→VICTORY BELIEVER
(Jupiter)一緒に奏でていくのさ→Over AGAIN:心地よく奏でながら Singing Dream
(ドラスタ)一緒にドラマを創ろう→DRAMATIC NONFICTION
(H×J)一緒にもっと高く飛ぼう→HIGH JUMP NO LIMIT
(W)一緒に喜び重ねて→Pleasure Forever...
(S.E.M)一緒に魔法をかけるよ→Study Equal Magic!
上記の通りほとんどの歌詞が歌割りに合わせてそのユニットを象徴したものとなっています。
(ドラスタ・W)ここから、(ドラスタ)もう一度始めるよ→スタセレ:真っ直ぐに空高く 輝いた場所へと
(W)夢を見つけたんだ→VICTORY BELIEVER:決めろポーズは
(H×J・Beit):ここで JUMP!→HJNL:We Can, High Jump!
(H×J):熱くなれる舞台に→Reason!!:運命が描く星座を追いかけて
(Beit):まためぐり逢えた→想いはEternity:走り出した It's own way
(全員):ST@RTING LINE 超えて→Reason!!:READY, GO!
(Jupiter):今までと違う自分にバトン繋ごう→BRAND NEW FIELD
(全員):GLORIOUS RO@D 進め→ビヨドリ:進めまっすぐ
(S.E.M):可能性の先を目指して…→∞ Possibilities:Mission! I’m counting on you.
■GLORIOUS RO@Dには歌詞およびダンスにおいてスターティングメンバーである6ユニットがモチーフに作られています。アニメの集大成として、この6ユニットが進んできた今までの思い出が詰まっていて感慨深い曲となっています。
本題:GLORIOUS RO@Dは全体曲と思いたくない。
上記の通りです。集大成として最高の曲ですがいかんせん6ユニットに限定され過ぎている。
もちろんSLとかアニバとかを全く知らない人からすれば普通に良い曲で誰が歌ってもいいんでしょうが、知ってる身からすればこういう仕掛けに気づきます。そしてこれは言わずもな「良い」ものです。過去を大切にしつつ未来へ進んでいくSideMとして「エモい」ものです。良い仕掛けです。
しかし、「じゃあ残りの9ユニットは?」と思ってしまうわけです。
歌詞もダンスもアニメスターティングメンバー(以後スタメン)を意識して作られたもので歌うことに違和感を覚えます。
そもそも歌ってないし、アニメではアイドルですらなかった。彼らは輝かしい道をまだ踏み出してすらいないのにこの曲は私は違うと思いました。
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アニメは良い出来だったし大成功だと思います。ファスライを見てアニメの方向性が決まったとのことなので、このスタメンであのアニメになったのは納得できます。まだアイドルではない姿で登場する演出も「今しかできない」と言われて一理あるとは思いました。
神アニメでした。しかしあの神アニメの中に私の担当アイドルは居なかったです。アイドルですらなかった。今まで私が見てきた彼らは居ませんでした。
なんでも必ずしも「順番」があるのは承知しています。それがどうにもならないことも承知しています。だからこそ辛く思えてしまうことがあります。
ファスライは大好きで冗談抜きで発売から半年くらいほぼ毎日見ていました。315プロのアイドルも全員大好きです。ただ担当というものはどうしても特別に感じてしまいます。
3rdアニバCDは2ndアニバCDの発売情報発表が2016年の315の日だったのもあり、当時からとても待ち望んでいました。しかし発売を待つにつれ、広告や宣伝からすると、アニメ期間が終わってからではないと出ないと悟り、実際アニメ終了後ライブツアー期間に発売となりました。SLでスタートをきった彼らの約2年ぶりのユニット新曲は本当に待ち遠しかったです。
SL順やアニメ効果でアイドルの露出等もあり、グッズに関しても必ずしも自分の担当ユニットが発売されないのも悲しかったです。
アニメ期間のリアル315プロ企画は大きなコラボも多かったですが、やはりアニメ化によるものなのでスタメンのみの起用、グッズもスタメンばかりで仕方がないのはわかっていますが残念でした。もちろんSideM全員好きなのですが、例えばナンジャで楽しもうというとき、コラボフードは何を食べよう…とか、パルココラボで新グッズを前にして、何を買おう…となってしまうのが悲しく思えました。
あとこれは比較的前の話になるのですが、ドラスタ〜カフェパレまではダンスレッスンお渡し会リリイベの映像がニコ生で公開されていますが、アルテ虎牙道もふ旗レジェはまだです。「まだ」と言っていいのかわかりませんが、そういった『今まで当たり前にあると思っていたものが無いのが本当に悲しいのです。』アニバにせよグッズにせよ、第一弾を見て「いいな、羨ましいな、自分のユニットも楽しみだ。」と言ってからどれだけのものがどれくらい過ぎたのか考えたくありません。コンテンツが人気商売なのはわかっていますがそういったところにも気を配って欲しかったです。
アニメ化に伴って持ち曲の差が出るのは覚悟していました。しかしながら幕張初日は揃うユニットを優遇しつつもう少しセットリストを考えて欲しかったです。せめて彩はもう一曲歌って欲しかったです。アニメユニにも曲も歌い、流星と夏時間を歌うなら、9ユニにも3rdアニバ合同曲を歌って欲しかった。
オリジナルメンバーでの披露を貫くなら持ち曲の数を揃えて欲しい、持ち曲の差が出るならオリジナルメンバーでの披露をやめて欲しいと常々感じてしまいます。
1stライブではライブ後にモニターでムービーが流れました。mini姿の8ユニットは楽屋で出演ユニットを迎えていました。彼らはちゃんといました、それだけで救われました。心の隅でアニメでファスライをなぞるならもしかしたら…と期待していたのが馬鹿らしかったです。アニメの世界では担当は最初から最後まで通行人でしかなかったのです。
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■Reason!!について
この点については人によって千差万別だと思いますが個人的な考えです。
Reason!!の歌詞は理由を歌いつつスタートしていくオープニングとしてぴったりの曲です。歌詞は特定のユニットに限定的ではないので自分としては全体曲の扱いとしては納得しています。もちろんすべてのユニット歌唱verもあればより嬉しかったです。
(しかしながら、アイマスを象徴するような歌詞や、『輝きの向こう側へ』という歌詞を担当にも歌って欲しかった思いはあります。アニメにおいてアイドルではない=まだ輝いていないという事実は残念に感じます。)
ランティスSideMのTwitterおよび315プロNightにおいてGLORIOUS RO@Dは3rdライブにつながる大切な曲と紹介されていました。
正直「全員出演の3rdライブで歌詞もダンスも6ユニモチーフの曲を?」と思いました。3rdライブは『GLORIOUS ST@GE』なのでGLORIOUS RO@Dがフューチャーされるのは仕方がないのですが。そもそもなんでGLORIOUS ST@GEなんですかね。全員出演なのに。栄光なる、輝かしいという意味は2ndからの流れとしてぴったりだとは思います。ただGLORIOUS RO@DでGLORIOUS ST@GEなのが納得できないというか、よくわからない、というのが本音です。
私はシンデレラガールズもしています。デレアニでもオープニングとしてStar!!とShine!!、最終回挿入歌の@曲としてM@GICがあります。ライブではすべて全員曲として扱われています。歌っているアイドルはSideM同様に限られていますが、GLORIOUS RO@Dほど抵抗が無いのは歌詞がすべてのアイドルを表していると感じるからです。
SideMはSideMで他のタイトルを出すのはお門違いかとも思いますが、個人的に同じようにやっているアイマスとして名前を出させて頂きました。
■おわり
要は歌詞とダンスが全員曲として気に食わないからGLORIOUS RO@Dは全員曲と思いたくないって話でした。普通に6ユニットでアンフィでやるFIVE ST@R Party披露したほうが感動できたと思いました。
ライブタイトルにするなら最初から全員で歌える曲で歌って欲しかった。別に全員で歌えるんですけどね、事実全員で歌ってますし。聴いてるこっちの感情が微妙なだけです。自分勝手な話ですが。
やってやった!やっと引越ししてやった!!
あなたは一足先にここを離れたというのに
習慣というものは恐ろしく1年をすぎてようやく
ようやく穏やかに過ごせるようになったと思いきや
慌てて電源切ったけど これからこういう事が
増えるのかと思うとやるせないなあ
どうしたらいいんだろうね?なんて前回もここに
(かなりぼかしたのにすごいよね もしかして身内?)
そのうち◯されるんじゃないか、ヒヤヒヤしたよ
超失礼なメール、当時は混乱して悲しくてただ
落ち込んでいたけれど、冷静に見返したら言ってること
最低なんだろうと思うけど 我慢した方だよね?
"◯◯ちゃんもね〜 本当はこうした方がいいと思うんだけど
言わないよ でも君には言うよ 君だから言うんだよ"
って言うこときかせようとしてきたよね よく。
その◯◯ちゃんと仲良くしているあなたを、私はどう
私も優しくしてもらう側になりたかったなあ ああ告げ口したい
酷い事はいくらでも思いつくけど
こうやって、やっぱり君は嫌な奴だったんだって
もちろんいい所もあったけど(たぶん)
上手に隠していただけなんだって思い込もうとしているんだ
それと同じこと君に全部されてるなあって思ってたよ
血は争えないんだなって、結局こうなる運命だったんだな
って 諦めようとしているよ
触れることがありませんように
あの子元気?と聞いてくる友人たちにも
ちゃんと無理って 伝えれますように
地雷踏んだらまたきまーす
https://anond.hatelabo.jp/20180210003720
フェンリルをひたすら狩りながら、放置してあったアーススタードリームの2周年記念BDを見た。
2年目の振り返りは、本当に色々なことがあって、躍進を感じた。
3年目への意気込みも、力強くて期待に満ち溢れていた。
ゆっきーも、4年目、5年目と同じメンバーで頑張っていきたい意向を語っていた。
3年目は、結局CDは540円の『開運!招福!炎天歌』1枚だけだった。
2周年のBDの中にあったファーストアルバムの話もどこかへ行ってしまった。
10月にゆっきーがアーススタードリームを卒業すると発表した。
赤と青の脱退も、発表より随分前から決まっていたという。
3周年ライブの時点で、まだアーススタードリーム活動休止の報はなかった。
内部的にはどうだったのだろう。
ゆっきーはひどく驚いたようなツイートをしていたが、本当に残された3人で継続されると思っていたのだろうか。
そう考えるのが自然だ。
そんな中で行われた3周年ライブ。
やはり、どうしてもそれが、少なくとも2周年記念ライブを超えるほどいいものだったとは思えない。
受け取り側の問題も多分にあると思う。自分がネガティブな想像をして、出演者の想いに関係なく、勝手に楽しめなくなっているだけかもしれない。
実際に現場に行った人たちはどう感じたのだろう。
クラウドファンディングについて、2chのゆっきースレにこんな投稿がある。
クラウドファンディングでもいいけど、メンバー全員の感謝の言葉とサイン入り色紙とか、リターンについては金をかけなくても心はかけるものを用意して欲しい。
同感だ。
エンドロールに名前を入れてもらうよりも、名前入りでメンバーのサインでももらえた方が嬉しい。
元々握手会やチェキ会で喜ぶファン層なのだ。それはメンバーもわかっていたはず。
にも関わらず、このリターンなのは、やはり脱退したメンバーの協力が得られなかったのではないだろうか。
クラウドファンディングのページの、あまりにも短い青のコメントが引っかかる。
やはりもう、ライブの段階ではやる気がなかったのではないか。嫌々だったのではないか。
自分の集大成として、きっと本気でぶつかってくれたと信じている。
日々のゆっきーの言葉が、どれくらい本気なのかはわからない。ものすごく計算されているように感じてはいる。
自分の稼ぎが少しでもゆっきーのご馳走の足しになるのなら、このプロジェクトを支援するボタンを、押……押してもいいかなって、思わないでもないんだけど、でもやっぱり2万円とか高いし、なんていうかこう、高いし、でもゆっきー可愛いし、あーでも高いし、うーん、うーん……。
支援人数 116人
残り 8日
周囲の誰にも話せないので、誰も見ていないかもしれないが、ここにツラツラと書く。
出来の悪い駆け出し研究者の戯言だが、誰かが聞いていてくれたら嬉しい。
身バレは怖いので、専門分野は伏せさせていただく。
正確には、まだ微修正や製本作業があるので、学位授与は2ヶ月ほど先だが。
ブラック気味の所属研究室からも抜け出せるし、次のポストも任期付きだが決まっている。
結婚、の予定は無いし恋人も居ないが、ずっと放置していたプライベートも少しは充実できるだろう。
しかし、実際に終わってみて、期待したような達成感や開放感は全く無い。
それどころか、非常に後味の悪い悔しさばかりに捕われている。
あまりに虚しく、情けなくて、もう3日ほど布団から起き上がれない。
私の博士論文は、とても酷い代物だった。
「3年(あるいは5年)間の研究の集大成」ではなく、「研究者としての第一歩」にもならず、
非常にせこく、下品で、信念が無かった。
こうなったのは当然で、自業自得だ。一貫した研究をやって来なかったのだから。
博士課程の研究とは、(人によっては修士課程からかもしれないが)
「1つの大きな研究プロジェクトを立て、試行錯誤しながら遂行する」
博士課程において(おそらく)一番重要な、「1つの大きな研究プロジェクトの構築」が出来ていなかった。
長期的なゴール設定も無いまま、目の前の課題に盲目的に取り組み、とりあえず日々忙しいからと慢心していた。
なまじ、目の前の課題は山ほどあったので、散発的にでも小さな成果が出れば、研究したつもりになれた。
本当は「個々の課題が、より大きな研究計画の中で、どう位置づけられるか」こそが重要だったのに。
私は問題の本質から目を逸らし続け、そのまま博士3年の後期まで至ってしまった。
10月後半、いよいよ問題から目を逸らせなくなった時、私の目の前にあったのは
「複数の、脈絡ない研究課題の、小さな成果の寄せ集め」だけだった。
個別の成果だけでは小さすぎて博論にならないし、全体を包括するストーリーは存在しない。
分かりやすい業績(論文等)が出ている話を掻き集めて、後付けでゴールを作った。
つぎはぎだらけの代物に、博士論文とタイトルをつけて提出したのだ。
元々興味があった話題は、切り捨てた。十分な成果が出ていなかったから。
私のこれを博士論文と認めて良いのか、自信が無い。
なんて、取り返しのつかない事をしてしまったのだろう。
恥ずかしくて、情けなくて、泣きたいのに涙も出ない。
それでも、博論の提出条件(論文数など)に適っていたから、私は合格を頂いた。
私のこの学位は、半分以上「お情け」で与えられたものだと思う。
これを誇れるだろうか。
博士号とは何だろうか?
「自分が一人前の研究者であり、1つの研究プロジェクトを完遂させられる人物である」
お情けで頂いて良いはずがない。
恥ずかしい。悔しい。
それでも、頂いた博士号を返却する気はない。(もっとも、取り消し以外でそんな制度は無いが)
見切り発車で学位を頂いてしまったのなら、これから「博士号」に見合う人物になるしかない。
しかし、なれるだろうか?
私なんかが、3年かけて1つの研究プロジェクトも成し遂げられなかった人間が、この先一人前の研究者になれるだろうか。
いっそ、怠けていたら幸せだったと思う。
少なくとも、怠けた故の失敗なら言い訳ができた。本気を出せば良かったのだ、と。
私は、方向性の正誤はともかく、言い訳の余地が無いくらいには必死に頑張ってきた。
その結果がつまらないものだったのだ。一体どう受け止めれば良い?
努力したからえらい、結果よりプロセスが大事だ、なんて言えるだろうか?
私は言えない。
私は非常に、信用できない奴だ。
でも私には、こんなに信用できない自分くらいしか味方が居ない。
今後も、この胡散臭い研究者もどきを信じて、地道に努力を重ねるしか無い。
そうして度々、期待を裏切られては失望して、潰れて、また立ち上がるしか無い。
他に、私に選べる選択肢など無いんだと思う。
自分に失望した分、他者を失望させてしまった分、この先結果を出していくしかない。
一人前の研究者に、なれるか自信はないが、なろうと努力するしかない。
結果はすぐには出ないから、きっとまた暫くは、挫折感や敗北感とのにらめっこだ。
失った期待や信頼は、一朝一夕には取り戻せないし、そう簡単に一発逆転は起きない。
また1つ、恥を上塗りしてしまった。
しかし、挫折や敗北から這い上がることだけは、幸か不幸か慣れている。
博士号に見合う研究者たるべく、今回の反省点を、今後に繋げていこう。
私はきっと自分に甘いし、世界は私に甘くないから、今後もっと苦しいだろう。
それでも、頑張る。
3日も泣いて寝込んだ。
https://twitter.com/nhk_nehorin/status/951099083074056202
最後の腐女子用語辞典【解釈違い】キャラの受け取り方が自分と違うこと。イライラすることもある。例)「番組に出てた腐女子の話に納得いかない。完全に解釈違い!でもしょうがないよね、100人いたら100通りの腐女子がいるんだから・・・」ご視聴ありがとうございました🐽 #ねほりんぱほりん https://t.co/1sVh0dQNWf
マッッジで。
「男って~~だよね」「女には~~な傾向があるから」みたいな語り口で腐女子を語ろうものなら大炎上が約束される。
誰もが(この言い方も怖い)、「あなたはそうでも私は違う」を持っている。例え他者から見れば誤差の範囲だろうが、一人一人自分の腐女子としての輪郭をはっきりと持っていて、その差違をないがしろにされることを嫌う。
なんでだろうな、「男」「女」なんてカテゴリよりずっと狭いのに。
でも、もしかしたら、本来人をカテゴリで語るなんてのはこんくらいめんどくさくて然るべきなのかもしれないが。
なんで男同士に萌えるの?
と問われたとき、私にとって一番原点に近い表現をしてるのは下記の動画だ。
ここで言われているのは、端的に言って、
ホモが嫌いな女子なんていません!という平成も浅い頃の暴言があるが、
少なくとも女子の多くは、おっさん同士が無邪気になかよしだとわけもなく嬉しい。と、思う。
ヒロエさんは男性なので男性にもある程度は通じる感覚なのかもしれない。
でもまあ、人と人が仲良くしているな、と見てとれるとき、その多くは喜ばしい。
にこにこと仲良く戯れていたら、やっぱり微笑ましいしなんだかうれしい。
でも男女だと、そこに性の香りが漂うと、感想の種類はぐっとかわる。
終電前の改札前でいちゃいちゃしてる男女はまあまあ見苦しい。優しい気持ちにはならない。
でも、たとえおっさんのいちゃいちゃに喜ぶ人が世の中の何割であろうと、みんなが腐なわけではもちろんない。
だってみんなチームナックスを見ても彼らのセックスを連想しない。
(腐女子が全員セックスを連想しているかというとそうも言い切れないが…ここはややこしいがとりあえず話を進める)
そもそも前述の通り、人と人が仲良くしてるのは微笑ましくても、性的な要素は多くの人にとって微笑ましくない。
腐女子は微笑ましいものにわざわざ性の要素を見いだそうとする。
ようやくねほりんぱほりんの話をするが、あの30分間で一番私の心に刺さったのはこの言葉だった。
この、能天気な、使い古されたみたいな言い回しは、けれども「腐」というものの一面をとらえてるんじゃないかと私は思う。
そうなのだ。腐の世界は、すべての感情を、行動を、あるいは状態を、愛によるものだと意図的に読み違えることで成り立っているのだ。
だから、友情にもコンビにも兄弟にも愛を見いだすし、天井と壁にも愛を見いだす。
(ここでいう「愛」は「恋」である必要はないのだが、その辺は後述する)
そして、ここが重要なのだが、性欲とは愛に対して従であると、腐は思っている。
終電前の改札でいちゃいちゃしているカップルはあんまり微笑ましくないと書いた。
見知らぬ人たちが、泊まるか泊まらないかやるかやらないかの駆け引きをしているのを見るのは、何ならちょっと不快だ。
でも、それは、通りすがりの私の目には彼らの性欲しか見えないからだ。
彼らが「心から愛し合っているのだ」と認識したとき、その感想は変わる。
「逃げ恥」のじれじれしたベッド回りのあれこれを見たとき、あれを不愉快に思う人は多くなかったのではないか。
そこに愛を認識できれば、他者のものであっても性欲は不快なものではなくなる。
私もそう思う。
腐の妄想世界のなかでは、人は酸素を吸うように愛を吸っている。
話すのも食べるのも、笑うのも泣くのも、生きるのも、死ぬのも、すべて愛のためだ。
もちろん現実はそんなわきゃない。人は嫌うし憎むし見下すし嫉む。
でも、妄想世界のなかで、それらもみんな愛だと誤認する。意図的にする。
そこまでしてはじめて、恋について語れるし、性欲について語れる。
恋と性が大好きなわけではない。むしろ恋も性も汚い側面を有していることをよく知っている。
だからこそ、「この世のすべての感情は愛」な妄想世界にトリップしてやっとようやく、恋と性について語れるのではないか。
なんでだろうね。
天井と床の間に、唐揚げとレモンの間に、電車と駅の間に愛を見いだすとして、
どうして男女でもなく女同士でもなく男同士にたとえてしまうんだろう。
少なくとも私は、腐以外でこの手の「愛を見いだす遊び」をしている人たちを知らない。
「私とは違うなにか」でありかつ「同質に並び立つ二人(ふたつ)」が重要なのかもしれない。
私という現実の人間は愛じゃなくて酸素吸って生きてるので私に近い要素は必要なく、
彼岸の愛の世界で生きている人たちは同じ愛を吸う同じ種類の生き物だと思うのかもしれない。
やっぱ苦しいな。単にちんこすきなだけ!っていう清々しい腐のみなさんが一定数いることは書き添えておく。
ねほりんぱほりんでは、一人の出演者が男性にしつこく付きまとわれた過去を話した。
それがマジとか嘘とかマウンティングとか違うとかはどーーでもよいのだが、
ただ、そうなのだ。腐という趣味はその人の性的経験としばしば関連付けて語られる。
本人も、「私はなぜ腐女子なのか」と考えるとき、自身と男性との関係性について考えてしまう。
では、愛でくるまなければ恋も性も語れないというこの増田は、一体男性にどんなトラウマがあるというのか…!????
私は、そんなの聞かれなくていいし考えなくていいと思っている。
なぜ好きなのか?を考えて、趣味と過去の経験を結びつける必要はないのだ。ましてネガティブなものとなんてぜんぜんいらない。
何が好きなのか、どんなところが好きなのか、そんなことを考える方がずっといい。
でもなーーしちゃうんだよな!なんでだろうな!!
ねほりんぱほりんの三人の腐女子たちが自分はどんな人間かを語っているとき、私にとって目新しい言葉はひとつもなかった。
彼女たちの自己分析は、ネットに転がっている腐女子「たち」の語りの集大成のようだった。
どっかで見たことばっかだった。
腐女子は、「100人いれば100通り」であるにも関わらず、どこかで「私たち腐女子」という自意識を持っている気がする。
誰かの自己分析は私の自己分析で、自分について語る言葉は際限もなく膨れ上がる。
「私たち」は常に語らなければならないと思っている。
養老孟司が「いわゆるオカマの人は頭をよく使う」ということを言っていた。
マツコは「そうかもしれない」と応じた。「だってアタシ、トイレ入るときだって、自分はどっちなのか考えるもの。」
「私は何者なのか?」を考えてしまうのがマイノリティなんだと思う。
人はじぶんがマイノリティの側であると思ったとき、「私はなぜこうであるのか?」を考えずにはいられない。
腐女子もそうなんだと思う。「私はなぜこうであるのか?」それを語るために、「私たち」は「私たち」を語る言葉を溜めていく。
100人いれば100通りのはずの私たちは、似たような言葉を使って自分を語り、共感し、それでいていっしょくたにされることを嫌う。
私は何者であるのか。
私について私が語るとき、私は自分が女であることより、30代であることより、会社員であることより、腐女子であることを語るだろう。
「私たち」は問われ続けるし語りつづける。でもいつか、自分のネガティブな経験と腐を繋げて語る人がいなくなるかもしれない、と思う。
先日のことである。サッカー日本代表は韓国に完敗した。ボールキープすらままならない状態。なぜあのような試合になったかというと、ディフェンスの方法にある。
日本人はディフェンスをするとき、ディレイを選択する。ボール奪取ではなく攻撃を遅らせることを最優先とするのだ。置き去りにされないために距離感を保つ。日本人が大好きなリスクマネジメントだ。
Jリーグでプレーする日本人選手は、デュエル(球際の強さ)を知らない。ディレイばかり経験するからだ。ところが、海外ではデュエルが優先される。これは攻撃面でもいえることで、バックパスよりハイリスクのドリブル突破が歓迎されるのもそのためだ。
ハリルホジッチが日本代表監督に就任してから、デュエルという言葉を腐るほど聞いてきた。もちろん韓国戦でもそれを念頭に戦おうとしたが、Jリーグに慣れた選手達は為すすべもなかったのである。
日本は島国であり、独特な文化を持つ。サッカーという競技においても、日本人が作り上げたスタイルは異彩を放っている。それを迎合し戦い続けたサッカー日本代表だが、前回ワールドカップの惨敗もあって舵を切った。世界のスタンダードで二年間戦ってきたのだ。世論が何といおうと、その集大成をロシアワールドカップで見たい。
冒険を経て、俺は成長していった。
ウロナ「ヴェノラ、どうやら問題が発生したようです」
ヴェノラ「じゃあAをBにしよう。よし、解決したぞ」
リ・イチ「やりますね、ヴェノラ」
イセカ「ヴェノラ、また問題が発生した」
ヴェノラ「じゃあXをYにしよう」
イセカ「XをYに?」
ヴェノラ「ああ、そうすることでああなってこうなる。そしてZをΣにする。よし、解決したぞ」
この時の発想力は今でも関心する。
異世界では珍しいことかもしれないが。
三番目に対峙した四天王、ジャーゴンは自身を改造しており、今までにない戦い方が要求された。
ヴェノラ「そうか、ならコレをああする」
ヴェノラ「それはコレをああすることで、コレがアレになったからだ。つまり攻撃はきかない」
ジャーゴン「バカな、それには高度な技術と恵まれた才能が必要なはず」
ヴェノラ「神からの授かりものだ。そして俺の人並みの努力と発想力があっての賜物だ」
ジャーゴン「だがいくら攻撃を防いだところで、我を倒す攻撃はないだろう」
ヴェノラ「だったらコレをこうする」
ヴェノラ「それはコレをこうすることで、コレがソレになったからだ。そしてソレはお前のドレといい感じになって、どうにかなる。つまり攻撃が通る」
ジャーゴン「負けた……私の完敗だ。お前はすごい」
ヴェノラ「そうだ、とりあえず俺の勝利だ」
リ・イチ「やりましたね、ヴェノラ。とても勝てる気がしない相手でしたが、何とか勝つことができました」
ウロナ「すごいぞ、ヴェノラ! すごいぞ、ヴェノラ! すごいぞ、ヴェノラ!」
ヴェノラ「ありがとう。皆のおかげだ。仲間がいい感じにサポートしてくれて助かったよ。あと俺の勇気と才能、努力に裏づけされた機転によって今回も何とか勝つことができた」
三番目に戦った四天王を倒し、残すは一人。
まあ実際には四天王じゃなくて“元”四天王だと、倒した後に明かされるのだが。
それどころか、今まで戦った四天王すらフェイクだったというのだから、あまりにも予想外だ。
今まで倒して喜んでいた敵が偽者だったなんて、我ながら恥ずかしいったらないよな。
だが、いつまでもそうはしていられない。
俺たちを騙した罪は重い。
皆が学ぶべきことは、俺たちの濃密な冒険活劇を20分ちょいで纏めるのは無理があるってことだ。
だが大丈夫。
なんとこの番組の放送後、つまり今日の18時から各動画サイトで『ヴァリアブルオリジナル』全話が限定配信!
じゃあ今日はここまで。
また来年になったら会おうぜ。
ばいばい!
大学の教授の授業はつまらない。彼らは別に学生にわかってもらおうとなんて思ってないだろう。
極一部だけ、自然と聞ける授業をする先生もいる。何がその他大勢と違うか。
それは別に話が上手だったりするわけではない。
学生の方に姿勢を向けているというか、対話しようとする意思が伝わってくるのだ。だから聞き手も聞きやすい。
俺はこれを「心の矢印が外向きである」と呼んでいる。
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中学生相手に集団授業をするバイトをしている。真面目なので、毎回しっかり準備して挑む。
しかし、事前で考えてきた説明をそのまま吐き出しても、なんか微妙な感じで終わることが少なくない。
その場に適切な?声の大きさとかトーンとか、話のリズムがあって、それに乗せて言葉を吐かなくとうまくいく。気がする。
家で「ここはこういうトーンで話そう」とか考えてきても結局また微妙な感じになる。
そもそも「上手にやろう」と考えた時点でもう心の矢印が内向きなのだ。
最近少しだけ矢印を外向きにできるようになってきた。
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アニラジだけじゃなく、地上波のラジオもちょこちょこ聞くが、やはり一番ラジオが上手だと思う。
もちろん正解はひとつじゃないのだろうが。
何といってもゲストを掘り下げるのが上手である。気持ちいいくらいの深さまで掘ってくれる。
ゲストに対してだけではない。リスナーに対しても矢印を向けている。
その対話を外で聞いているリスナーもちゃんと意識しているのが鷲崎健である。
ゲストに対するリアクションが大きいのは、リスナーに「ここは笑っていいところですよ」と伝えるためだと思う。
だからリスナーは”安心して”笑うことができる。番組の雰囲気の一部にいるような気持ちになる。
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安藤忠雄展。メインの建築の話はまあ正直3%くらいしか理解できなかった。
コンクリートで抽象的なTHE・Tadao Andoの建物だが、その実、立地環境を最も生かすように構成されている。
表参道ヒルズのことも、あのゆるやかな坂の傾斜を「建物内部に取り込もうとした」と言っていた。よくわからんけどすごい。
音声ガイドを聞いていても、住居にすむ人のことをよく考えていたり、一緒に仕事をした人の名前をよく挙げていたのが印象的であった。
独学で頂点に立った天才建築家である以上、自分のこだわりは曲げないみたいな、気難しい気性を想像していたが。
自分の意見が受け入れてもらえなかったり、企画が挫折の連続だったとかの過去も、ちゃんと自分の中で消化しているのだなと感じたり。
あの光の教会も、めちゃくちゃ厳しい依頼の中での仕事だったらしい。
それでも条件を全部満たしたうえで自分の作品を建てた。うーん、見習いたい。
あくまでも心の矢印を外に向けたまま、自分の理想も実現するということか。
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始めはインターネットのアングラ、オタク向けの作品、自分がやりたいことをやるところから始まったが、
《星を追う子ども》を経て、「観客の求めること」に作品を合わせに行けるようになったという。
矢印が外に向いていき大衆を指したとき、《君の名は。》が集大成として結実したのだ。
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以上、心の矢印を外に向けたいの話。
これまで勉強と水泳とオタクしかやってこなかった俺の矢印は内側を向いて錆びついている。
少しずつ還元していく。
公開初日の土日、キャスト登壇の舞台挨拶が催されることが最近増えた。
そしてそのキャストに著名な俳優、ジャニーズアイドルなどがいる場合、そのチケットの倍率は上がるし、都内や都内近郊の各地で一日かけてあらゆる土地で行われることも多い。
そんな場合、必ず争点になるのが、「本人たちと同じスケジュールで行動し、映画を見ずに舞台挨拶だけ見て回る」ことに対しての賛否だ。
例えどんなにつまらない内容でも、その作品が出来上がるまでには本人、スタッフ、企画者、あらゆる人の苦労が乗っている。その集大成である作品を見てもらうための舞台挨拶だろう。
賛成派は、「舞台挨拶はその瞬間しか聞けないからハシゴする」「生で本人を見るためにチケット代を払っている」「ハシゴできないスケジュールが悪い」と言っているらしい。
ハシゴできないスケジュールなのは当たり前だろう。例えば4箇所で挨拶付き上映をするとしたら、1人が4回聞くために売っているんじゃなくて4人が1回ずつ聞くために売っていると考えるのが妥当だからだ。
催されている1回のイベントを最初から最後まで(つまり映画上映も含めて)楽しむことができない自分勝手なおたくを、本人たちはどう思うのだろう。
まあ極論、ハシゴしたって別にいい。好きにしろ。私はしないという話だから。
卒研、修論まであと3ヶ月ほどというこの時期になって4人も研究室を変える人が出てきた。
私は今学部4年だがその4年なかから10人中4人である。びっくりである。
なんでも大体の人は「自分はプログラミングができないしこのテーマで研究も続けるのが辛くなったのでやめる」ということらしい。
本当に心の病とかだったら仕方ない。だが不思議なのは皆ちゃんと志望してこの研究室に来ているという点なのだ。
別に他の研究室が駄目でここに流れてきたとかってわけじゃない。
情報系でなんでプログラミングしないの?同じ学科の他の研究室行くことでプログラミングから逃げられるの?
私の研究室はたしかに教授は厳しいがその分しっかりと指導をしてくれているので論文も筋の通ったものを書けるようになる。発表の方も同様である。
院生の先輩方も大変有能な方たちだ。
この先卒研程度も逃げ出して共同研究にちょっと協力して卒業するようなやつらが日本のIT業界で働いていくと思うと大変憂鬱で仕方ない。
そりゃこんな奴らで埋め尽くされた日本より外資系とかシリコンバレーに熱意ある人や才覚溢れる人は流れるわなって感じ。
せめて最後の学生生活の集大成ぐらい踏ん張って仕上げてみろよとつい思ってしまう。
自分はどうなのかと言うと今日も教授に論文の書き直しを食らったばかりである。辛い。
いくら最初から完璧な論文など書けるはずないとわかっていても数日かけて一生懸命推敲した文章が水泡に帰すのはやっぱり辛いものである。
「untitled」について
今回の「untitled」は賛否両論出ていますが私はとても好きです
今までの嵐になかった音が生み出されてて…
DVDのメイキングでも言ってたように彼らがやりたいことをやってるアルバムなので、もしこのアルバムが嫌いなら嫌いでいいと思うんです
彼らは新境地に行っているんですから
今までの自分たちことを20周年の前に少し立ち止まり新たなことに挑戦しているこの「untitled」
それをどう受け止めるかによって違うだけです
ただ言い方が悪すぎる人もいるのでそれはやめていただきたいですね…
「untitled」初回と通常どっちを買おうか悩んでる人に参考程度に感想を
初回はDVDがメインです
「未完」のMVはハッキリいうとMステのように踊ってはいないです
ですがその後にあるスペシャルメイキングは見どころ満載です、なぜ「untitled」になったのかもろもろ個人個人が言っています
通常はディスク2のユニット曲とボーナストラックがメインですね
ユニット曲はほんとにそのユニットごとに色が出でるのでめっちゃ違います
バズりNIGHTは久しぶりに多田さんが作詞作曲してるのもいいですね
ボーナストラックのカンパイソングはファイトソング、エナジーソングのような明るくわちゃわちゃしてる曲です、カンパイしたくなります
とまぁこんな感じです
もちろんディスク1の曲もいいですよ、Song for youは集大成感あって歌詞もすごくて泣きます
とまぁこんな感じですかね
初めてのブログなんでどんな反応がくるのか…(そもそも見る人いるのか…?)
楽しみなようで不安ですね笑
以上「untitled」についてでした