はてなキーワード: 進学校とは
実家で作られるおせち料理は、年々少なくなっている。少なくなるのが分かるたびに、この家で成長してきた年月と、経過した時間の長きこと、そしてそれらに反比例するかのように、この家族構成でいられる残り時間の少ないことを思い知ることとなり、いささか悲しいのも事実ではある。やんぬる哉。
もう戻らない時間や記憶に思いを馳せるよりも、これからやってくる時間に対して思案を巡らせばいい、という人もいるにはいるが…僕にとってこれは、簡単なことではない。なぜなら、私は、確実に、未来永劫これだけは信じることが出来るという存在を持っていないからだ。こんな人は、多くはないけども、少なくもないと思う。
3.11以降、僕は、直感以外の信仰を失った。人様は皆僕に良くしてくれるという、他人に対する信仰。これからやってくる明るい未来に対する信仰。原子力発電所は安全安価なエネルギーだという信仰。日本は発展していくという信仰、そして、自分自身の可能性への信仰。
世間知らずの高校生が、勉強もせずに怠けているばかりで生きていけるほど、進学校は甘くはない。それまで抱いていた自分に対する多能感は完膚なきまでに打ち砕かれ、悩み苦しむそのさなかに、かの巨大地震が起こった。
日本テレビの中継で、水素爆発を起こしたフクイチの建屋が映る。親父は呟く。「これは、やべえな」と。日本はここで一度、死ぬのかもしれない。ただし当時のトレンドは、「日本死ね」ではなく「枝野寝ろ」だったり、「ポポポポーン」だったりした。
室町時代の僧侶・一休宗純は、元旦にはドクロを先端に付けた錫杖を手に、「御用心、御用心」と言いながら京の町を歩いたという。祝賀ムードに水を差すような行いではあるが、生と死、破壊と再生は表裏一体と考えると、わずかに彼の行いの意味も理解できるレベルに落ちて来よう(枝野のくだりなどはこれの逆バージョンだったのだろうか)。
大学へ進学しても無気力は変わらなかった。テストやレポートを何とか切り抜け、仕送りのみで生きる生活。友人は少ない。
ひとつだけ、かねてからの夢があった。それはとにかく、海外へ行くこと。最終学年のこの年、一念発起して英語圏へ英語留学へ赴いた。今思い出せば、見るものすべてが面白かった。
留学へ行ったものの、日本人とも多く話していた。しかしながら、現地の日本人で、「日本は今後も変わらず発展していく」といった楽観的意見を表明した者は、誰一人としていなかった。来たるべく破壊を念頭に置いて、生存もしくは自己表現の為に英語を学ぶ者も少なくなかった。友人の何人かは現地のグローバル企業でインターンに参加していた。
不確実な今の世の中で信じられることは、「生き物は、いずれ死ぬ」といったことだ。このことでさえ、神隠しや行方不明、あるいは死後神になるといった思想や、高尚で極めて分かりにくい哲学的議論により、疑問符が付きうるのだ。世間がどれほど不確実なものか。
冒頭で、「これだけは確実だと信じられるものが何もない」と書いたが、「生きているうちに日本が死ぬ」ということは、怪しいがあながち信じられないものでもないと思う。3.11のような巨大災害などを契機とした日本社会全体の急速な崩壊が起こる確率は、社会階層が流動せず格差だけが拡大し、労働時間の増加が止まらず、社会保障費の増大によって巨大な負債が残ることで静かに日本社会が死んでいく確率よりも低いとは思うのだが、いずれにせよ、「これは、やべえな」という不安を感じざるを得ないような、今年はそんな一年だった。もちろん、フクイチのように顕在した不安を感じる現象はなく、漠然とはしているのだが。
おせち料理だって、今後もっと少なくなり、絶えてしまうか、別の料理に変わってしまうかもしれない。変わらないことは、最も安全だが、生きても死んでもいないともいえる。絶望的なまでに怠け者の自己に対して変化を望んでいる。いわんや、世の中の変化をや。
御用心、御用心。
親の知り合いの子が、毎日1時間かけてチャリで高校に通っていたらしい
うちでは何かあると、毎回その話を聞かされて
「○○さんとこ子は毎日自転車で学校通うくらいえらいの、あんたときたら…」
とかなんとか愚痴られる
バスも電車も通ってるのに、わざわざチャリで学校行くことがえらいのか?
親の負担が減るからかもしれないが、学生の本分は勉強することだろう
じゃあ、勉強頑張っていい大学に入ることが、一番親のためにならんか?
それが一番えらくないか?
どこの大学受かったとか聞いてないから、大した大学は行ってないと思う
それをえらいという神経が分からんよ
前日の飲み会に比べて疲れたな。って感じたのは自宅で大学同級生と飲んだのと違って,
名古屋までJR使って足を延ばしたからかな。なんて考えながら帰ってきて,
夜中に酒による吐き気で起きた時に,気づいてしまったから書き残しておく。
高校の同級生と合うのはたぶん5年ぶり。31歳。結構あっていなかった。
高校時代,とても仲が良かったし,5年前までは毎年のようにあっていたので自分でも今年誘われたとき,
なんで5年も空いたのだろうか。と不思議だった。
メンバーは医師,某ビール会社の開発(肩書き付),トヨタの完全子会社のなんか出世が約束されたとこ。
世間的にみたらいわゆる受験戦争の勝ち組。医者以外は国立大(院)卒。
給料も手取りで1千万とか,ちょっと足りないぐらいだとか言ってた。
今年は4,5回海外旅行いって,元旦からもカンボジアに旅行に行ってくる。とか,
新しい車を2回ほど買い換えた。とか,今の日本の景気状況と比べたら別世界のような話をしていた。
でもなんか違和感があった。
石に刻まれた絵画,歴史,モチーフ。その壮大さに腰が抜けるかと思った。
シャムリアップの人々の生活は豊かではなかったが,良く笑っていた。
だまして売りつけるという空気感は無く,ラオスに通じるおおらかさを見た。
展示物を見た後に飯がのどを通らず,
うざい声かけしてくるおっさんタクシードライバーも,この戦争を乗り越えたんだと思ったら,
涙がでるかと思うぐらい,愛おしかった。
でも,そんな話は昨日の飲み会では通じなかった。
自分が行った時の話をさえぎり,俺もその場所に旅行したことある。で,どこのホテルに泊まったの。と別の彼は言った。
でも,家のマットレスを40万の良いものに変えたらどこの高級ホテルでも寝られない。といって話は違うところへいった。
どこに行ったのか。何を食べたのか。どこに泊まったのか。そのホテルの格は何か。どんな女を買ったのか。
いくらつかったのか。
どんな贅沢をしたのか。
すべての話は結局そこに落ち着いた。
結婚式を挙げるホテルはマリオット,ヒルトン,ウェスティン。どこが良いかな。
共働きの夫婦だから夕飯にいつも困って,こんな高いものを食べたよ。
でかい4Kテレビを買って,見るものないからyoutubeでスロットの解説動画をみてるよ。
どうでも良いことで悩んでいるんだな。と思って聞いていた。
でも,さっき気づいた。この話はすべて品評会だったんだと。
俺は他の男と違ってこんな金のかけかたができる。
こんなにも裕福になった。贅沢ができる。で,お前はどうなの?そう聞かれていた。
できない嫉妬なのだろうか。いや,絶対に違う。それぞれはしたければできない贅沢ではない。全部は無理だけど。
自分を羨ましがってもらって,自分のしてきたことは正しいことなんだ。
自分の経験値は間違っていないんだと正当化して欲しいだけなんだ。
東大で過ごした博士課程の3年間。とうぜん周りの人間は東大生ばかり。
でも博士課程に進学するだけあって,あまり,分かり易い欲が見えなかった。
でも,こんな経験がしたい。これが見たい。これが食べたい。これが知りたい。
そんな純粋な自分の欲求をみたすために,全員のベクトルは異なっていたが,貪欲だった。全力だった。
いわゆるマッドサイエンティスト的な雰囲気がそこにはあった。最高だった。
ベクトルが自分と違うから見えにくいだけで,そこには確実に,なるべき自分をそれぞれに持っていた。
高校・大学時代に勉強しておいてよかった。と昨日の彼らは言っていた。
いや違う。君らは何も先人たちの英知を学べてはいない。
ただ,学歴を勝ち取って,そこを卒業し,資格を取り,お金という対価を比較的短い時間と交換できるようになっただけだ。
今,自分が何をしたくて,どう行動して,世界にとって必要なものは何か。何も考えていない。
君たちの言う学問とは何か。世間でいう勝ち組,世間でいう高学歴とは,この人たちなのだろうか。
神を畏れることは知恵のはじめ。無知なものは知恵をも諭しをも侮る。
現勤務校にも,卒業高校にも,たまたまキリスト教高校なので,この一句が飾ってある。
勤務校ははっきり言えば底辺校,教育困難校。卒業高校はまぁまぁの進学校。
それは進学に力をいれるばかりに,キリスト教教育を怠っているからだと宗教主任は語っていた。
それを聞いたとき,あぁ,そうですか。でもそれは勤務校の生徒がアホだからでしょ。って思ってた。
でもこの評判は,正しいのではないだろうか。
自分はキリスト教徒でもない。若い時には宗教アレルギーも強かった。
とはいえ,聖書に書いてある諭しや教えの多くも,学問を通じて,経験を通じて,失敗を通じて気づけていた。
だから,受験で使わない聖書の授業は,宗教の授業は,勤務校の生徒がアホだから「教えてあげなければならず」,
アホじゃなければ「自分で身に着けられる」と勝手に信じていた。自分で作った宗教にはまっていた。
でも恐らく違うんだと気づかされた。
昨日の3人はおそらく,知恵をも諭しをも侮る,無知なもの。だと思う。勉強も仕事もできるはずなのに。
小さな自分の価値観を,他人に羨んでもらうことでしか確認できないようになったのはいつなのだろうか。
学部生の時に友人に「お前は資本主義の権化だ」と言われた。その時は全く理解できなかった。
だって何か特別なこともしてないし,ものを買った覚えもなかったから。
仲が良かったということは,すくなくとも高校時代のあのころは彼らも同じ価値観だったはずだ。
でも昨日の彼らは,いや,昨日の彼らも,資本主義の権化だった。見ていて・聞いていて辛かった。
自分は若いうちに言ってくれる友人ができて,師に会えて,幸せだったわけだ。
その後,学問の道にすすみ,お金はなかったし,挫折もしたけれど,
自分のやりたいことだけ,やりたい場所で,時間をつかえて自分を見直せてよかった。
大学で何を学んだのか。の差だと思う。教育はすごいと確信した。
5年間会っていなかった理由をこの文章を書きながら思い出してきた。
2011年に会ったとき,東京は計画停電と自粛ムードでどんよりしていた。
でも原発はもう一度壊れるかもしれない。そこには自然があり,生き物がすんでいる。
自分は,人間だけの都合でその環境を再生不可能な形に改変してはいけないと強く言っていた。
あの時,少しの呆れと絶望を感じたので,昨日まで会っていなかったのだろう。
昨日の飲み会で生じた感情もおそらく同じだろう。自分にとって残念であった。
学ぶ時間は大切だと痛感した。彼らは良い師に巡り合えなかったのだろう。
良き友人らと朝まで色々な価値観のもと,議論できなかったのだろう。
ただ,もちろん,彼らの価値観が間違っているわけでは無いと思う。自分と相いれないだけ。
でも,仲の良かった友人たちが忌み嫌う価値観のど真ん中にいたことは自分にとって残念でならない。
人間は,もっと自然から,歴史から,周りの人間から学んでいくべきであるし,そのために高等教育があるはず。
受験戦争に勝つことも,高いお給料をもらうことも,もちろん大切なことの一つであるが,それだけではない。
学問とは,大学とは,高校とは,教育のすべては本来そうあるはずだし,そうあるべきであろう。
君らの心は貧しい。と言ってあげるべきだっただろうか。たぶん笑わるし,理解されない。
飲み会の席で今の感情に気づいていれば,あの時の自分は言っていたのだろうか。
30超えたおっさんに説教しても変わらないのでしなかったと信じている。
熱く語って恥ずかしくなってもっと早く帰っていたかもしれない。たぶん,そうだっただろう。
なんだか教師としての道が見つかった気がする。
昨日までは教科教育に精一杯だったが,なんだかやりたいことが見つかった。
あの空間に自分の生徒を送り込んでやりたい。一人でも多くの若者に自分の価値観の狭さを実感して欲しい。
別に東大じゃなくてもその空間はあるかもしれないが,自分があの空間を経験したのが東大だから仕方がない。
少なくとも一昨日まではその空間が維持されていると聞いているし。
それは私自身が生きやすい世界のために必要な手段である。あくまでも自分のため。
もうすぐ息子が起きてくる。
その日、何かの授業が自習になった。大学受験を控えていた自分は当然にみな勉強をするものだと思っていた。が、クラスメイトの大部分はバレーボールをするために外に行ってしまった。教室に残ったのはほんの数名だった。地方都市の偏差値60程度の高校とはいえ、大半が大学を受験するはずだったので、さすがに驚いた。
実際、周囲はかなりのんびりしていて、浪人するのが当たり前だった。「浪人してから頑張る」と公言して憚らない奴が結構いた。
自分は「現役で受かるつもりで頑張らないと、浪人したとしてもろくなところに行けない」という話を鵜呑みにしていて、高3の夏ぐらいからは真剣に勉強をするようになった。そのおかげか、高3の最初には学校内で最底辺をさまよっていた成績も順調に上がり、秋ごろには校内でかなり上位に位置するようになった。
もっとも、それは所詮、三流進学校のなかでの話。結局、現役では志望校に合格できず、浪人をすることになった。だが、予備校でもそれなりに努力を続け、翌年には東京のそれなりに偏差値の高い大学に合格した。それを機に上京、就職して家庭をもったいまも東京で暮らしている。
合格した直後には、本当に自分の努力が誇らしかった。苦しい受験生活をなんとか乗り越え、同じ高校に通っていた連中のほとんどが行けないような大学に合格した。そんな時に頭に浮かぶのは、冒頭で書いた自習の時間の話。他の連中が遊んでいる間に自分は勉強した、だからこの学歴は自分の力だけで勝ち取ったのだと本気で思っていた。
しかし、それから長い時間が過ぎ、貧困や格差に関する話をいろいろと読むようになった。親が勉強や進学に理解を示さない家庭や、勉強のための時間的、金銭的余裕がない家庭が日本にもたくさんあるということを知った。大学進学率が都道府県によって全く異なり、2016年春のデータによると東京だと大学進学率は7割を越える一方、鹿児島では35%しかないという。どんな家庭で、どんな地域で生まれるかによって大学するか否かは大きな影響を受ける。
考えてみれば、自分が実力で勝ち取ったと信じていた学歴も、実際には恵まれた家庭に育ったという要因に支えられていたことは明らかだ。自分が高校生のころから諸事情で親の懐は急に暖かくなり、金銭面では何の心配もなく高校や予備校に通うことができた。自宅にも集中して勉強に打ち込めるスペースがあった。多くの大学の受験料も支払うことができたし、何より東京の大学に通うために一人暮らしをさせてもらえた。これほど恵まれた家庭環境を踏まえるなら、自分がなした努力など、ほんのわずかな要因にすぎないと分かる。
しかしそれでも、大学に進学するか否か、どんな大学に進学するかはその後の所得に大きな影響を与える。自分の大学の同期を見渡しても、大手企業に勤めている奴は多く、平均所得はかなり高そうだ。都心の高級タワマンに住んでいる奴も結構いる。自分もそこまでではないが、世間一般の平均からすればかなり高額の給料をもらい、余裕をもって家族を支えることもできている。
自分がフェアな競争を勝ち抜いてきたわけではないことは分かる。だから、教育機会に恵まれない子どもの話を聞くと、後ろめたい気持ちになる。景気への影響もあるから、一概には増税が良いとは言えないものの、教育機会を充実させるために使ってくれるなら多少の増税も喜んで受け入れたいと思う。
戦後、日本の知識人の多くが左派的な立場を支持したのは、このような「後ろめたさ」があったという話を聞いたことがある。大学進学率が今よりも遥かに低い時代、例外的に大学に進学できた富裕層の子供が、自らの特権性を自覚するほどに左派的なイデオロギーに吸い寄せられていったのだという。自分は知識人などではないが、そういう後ろめたさはなんとなくわかる。
その一方で、世の中には自分よりも遥かに厳しい環境を生き抜いてきたにもかかわらず、富の再分配に反対する人もいる。生存者バイアスというやつなのか、自分が厳しい環境を生きてきたからこそ、努力さえすれば成功すると信じ、富の再分配には否定的になる。補助を増やしたところで、怠け者がもっと怠け者になるだけだ、という発想があるのかもしれない。
結果、自分のようにぬくぬくとした環境で育ってきた人間が富の再分配に賛成し、それより遥かに厳しい環境で生き抜いてきた人がそれに反対するという、どうにもいびつな構図が生まれる。
自分よりも遥かに厳しい環境を生き抜いてきた人が、社会の支援よりも本人の努力が大切だといった話をするのを聞くと、やはり経験に裏打ちされた言葉は強いと感じる。自分の立場が偽善的だと言われれば確かにそうで、空理空論という感じがどこかにつきまとう。
しかも、自分の子供のことを考えると、現状のような機会の不平等があってくれたほうが、都合が良いとも言える。競争がよりフェアになれば、それだけはじき出される可能性も高まる。
だがそれでも、学歴は自分の力で勝ち取るもので、肉親の支援以外をあてにするべきではないなどと言うつもりにはなれない。なんというか、それは人として言っちゃだめな感じがするのだ。
化粧はしてない、服は微妙にダサい、髪型も切っただけーとかくくっただけーという感じ。
僕はロリコンではないが、この年代までの女子は皆一様に可愛いと思う。
しかし、18才に近づくにつれて、女は垢抜けようとしだす。
髪をウンコ色に染め、変なパーマをかけ、こだわった服を着て、化粧を覚える。
なんてもったいないことを…
世の中の女性に知ってほしい。
垢抜けない女が好きと言う男が大変多いということを。
たいていの女は、着飾ったり塗りたくったところで劇的に何か変わるものでもない。
普通の格好でいい(スカート推奨)し、化粧もあんまりしなくていい。髪はストレートのミディアムかロングなら間違いないから。
もちろん、これは
垢抜けない=従順そう、反抗してこない、言うこと聞いてくれそう
という構図があるので、それにイラっとくる女は多いかもしれない。
でも、騙されたと思って一度実践してほしい。周りの男の対応が変わると思う。
街で垢抜けない女に会うたび、
すでにある一万個の機能について、うまく共通点を抽出できたとしても
今後拡張する三万個の機能についても同じことが言えるのだろうか?
エンジニアとしては普遍的なテーマだけど、職場帰りに素面でするような話でもなくて。
元東証一部企業の取締役社長より一時間近く時間をお借りしてしまったからこそできた話は、とても面白かった。
経歴がやばい社長がラリー・ウォールlikeな超々やばい人たちに囲まれて、選択した生存戦略。
top1%ではなく10%の山を複数個持つことで、1%のスペシャリストになれなくても凄さをわかるところまで追いつけるからと。
正しい方向で正しい努力をすることで、誰でも10%にはなれるけど、正しさの担保は物事の本質を理解しないと得られない。
じゃなその本質とはどのようなことか?抽象化といった、プログラミング言語の特性に寄らない普遍的な設計思想だと。
程度は違えど、中高と進学校に進んで周りの理三行くような優秀なやつには一生勝てないなという挫折感と劣等感が漫然とあったから、
生煮えのエンジニアから脱却する気づきを得られたことに感謝があった。
この歳になって、また頑張りたいと思えた。
同じく県内トップ進学校出身だったが、バイトしている人なんか誰もいなかった。20年前の話だけど。
今が昔より貧しくなってるのか、増田の住む県が貧しいのか。
因みにそういう子は普通に裕福な男と結婚して専業主婦になったりするので、嫉妬丸出しのトラバのような事にもならない。
妹が必死の努力の末、県内でいちばん偏差値の高い高校に進学がしたが、周りが裕福な人たちばかりで価値観が合わないのが嫌だと言う。
例えば?と聞いてみたら、その一つにアルバイトをしている子を馬鹿にする、というのがあった。なんでアルバイトなんてしてんの?勉強する時間減るじゃん、バカじゃないの?といった具合である。ちなみにその子の親の職業は医者である。まぁ確かにアルバイトの時間をその子は勉強にあてることができるので、正論ではある。
進学校(笑)を卒業した自分はもちろん高校時代アルバイトをしていたが、周りでそういった風潮はおそらくなかったし、アルバイトをしている子の方が多かった気さえする。
その子はおそらく単純に恵まれているんだと思う。アルバイトをしてお金を稼がなくても、勉強ができて、そして塾に通うことができる。貰ったお小遣いで放課後に寄り道ができて、家に帰れば温かいご飯が食べられる。でも世の中にはそれが当たり前ではない子だっているわけで。
高校生がアルバイトしなくてはいけない理由は三者三様だけど、働く必要のない恵まれて育った子がそれをバカにするのはなんだかなぁと妹の話を聞いて辛くなった。
学芸大附属高校生徒のいじめ、東大千葉大慶応集団強姦事件など一般に高学歴だとか個人としての知的レベルが高いとされる集団の部分集団が卑劣な事件を起こした際に「どうして◯◯みたいな名門の学生がこんなことを、勉強だけできても社会常識はダメなんだ」という人が後を絶たないが、そうした人は往々にして、先日のおがくずジャングルジム炎上の際には「これだからFランは」と言ったことを平気で言っている。
個人としての知的レベルが両極にある人達が、一寸考えればダメだとわかりそうな事件を起こしてしまうことに対して、何か共通項があるのではないかと考えることが、どうして出来ないのか。
この手の事件の原因は一つである。日本人の集団におけるIQ低下の異常さにあるより他にない。
すなわち、個人としての知的レベルは集団においての行動の正しさを何一つ担保しない。集団になった日本人に高学歴もFランなども存在せず、言動レベルが等しく平等になってしまうことがもっとよく自覚されるべきである。
私は小中高大とすべて公立だったので、いわゆる(金銭的に)多数派を見てきたと思う。
大学及び大学院の同期の進学先は想像通りだった。成績や人柄などからある程度想像できると思う。
高校の偏差値は70弱のいわゆる進学校であったが、同期の就職先は小中学生の時に想像していた同級生像に一致していた。
逆に、小中の同期の就職先は当時では想像もつかないほど悲惨であった。
こうしてまとめてみると、小中が最もバラエティに富んでいると思われる。
勉強法や、ノートの取り方の記事があるたび、すごく違和感がある。
・授業は話をよく聞く
この2つに尽きるかと。
巷で言われるような、ノートを取るのって、効果的ではないと思う。
ノートを取りながら、話を理解するのは困難で、手を止めて聞いたほうが理解できるし、記憶もできる。
忘れたらどうするんだというけれど、重要なところは教科書を読めばちゃんと書いてある。
そして、教科書が好きだ。
箇条書きや、単語の羅列なんかより、やはり文章になっていたほうが読んでいて気持ちいい。
簡素で、どこか美しいと感じた。
物理とか数学とか、理系科目に顕著だったけど、教科書は短く要点が詰まってるのに、チャート式とかだと冗長で、文章に味わいもない。
理数系って授業要らないんじゃないかな。
大学以降、必要な数学物理の知識は独習でなんとかなったし、高校の授業も、数式をみればわかる内容を、わざわざ黒板に写し直してあれこれ喋る理由がわからなかった。
定期試験は一夜漬けで充分だし、センター試験くらいなら、それで8割くらいは取れると思う。
私の高校は進学校だったから、教科書が全部終わったけど、教科書終わらない高校もあるそうで。
それでも、教科書ちゃんと読んでれば、6割くらいは取れると思うんだけど。
何度か話に上がる現代文、あれは確かになんのための授業かわからなかった。
解ける人は授業を受けても受けなくても解けるし、解けない人はどんな授業を受けても解けないんじゃないかなと思う。
解ける人だったので楽だったけど。
たまに思い出してはウジウジ引きずってる、高校の頃の話です。どっかに供養すればすっきりするかなと思って、ちょっと書いてみます。
これでも大分削ったんですがだらだら書いてると長くなってしまいました。お暇なときにお読みください。
嫌味に聞こえるかもしれないけど、私は勉強しなくても授業をそれなり聞いてればテストの点は取れるような、要領の良い人間だった。
周りの評価は、別に直接言われたわけじゃないけど「優等生」だった。生徒からも教師からも多分そう思われてた。
校則はきっちり守るし。授業態度良いし。成績も良いし。コミュ障で地味な根暗だから、ツンとしたつまらない真面目ちゃんって思われてんだろうな。
私は「怒られること」が嫌い、というか、恐怖すら感じる。小中で何度か理不尽にキレられたトラウマからなんだけど今はそれはどうでもいい。ともかく怒られるということが怖かった。
校則守って授業ちゃんと受けてれば怒られることはないでしょ。だから真面目だった。ちゃんとルールは守るべきだとかそういう使命感?正義感?みたいなのは、別にない。私は本当は優等生なんかじゃなかった。
それで高校でも授業ちゃんと聞いてたら、さっき書いたように要領がいいから、テストの点は勝手についてきた。
それでますます私には優等生イメージがついた。そのせいか、私は教師たちからバリバリ期待された。
私が通ってた高校は、俗に言う「自称進学校」で、教師たちはみんな私を大学に行かせたがった。
でも私は大学に行きたくなかった。
私は勉強が嫌いだああああ!!!キャンパスライフも待ってなくていいぞおおおおお!!!
興味のあることの勉強なら楽しいけど、興味がないことの勉強ほど私にとっての苦痛はない。
私は両親も、複数いる兄もみんな高卒だったから大学に行くっていうイメージがそもそもなかった。大学は将来なりたいものがしっかり決まってる人が行くみたいなイメージだった。私は特になりたいものもないので、高卒で適当に事務職とかに就職する気満々だった。
あと、私の家は貧乏な方で、大学に行くお金を用意するのはキツかった。親は優しいから何も言わないけど、私も早く稼いで親に楽させてあげたい気持ちがあった。
じゃあなんで自称進学校に来たのかというと、家から近い高校を適当に選んだら自称進学校だったんですよ。馬鹿ですね。
そしてこれは私の性格の面倒くさいところなんだけど、周りが抱く私の「優等生」のイメージを裏切りたくなかった。というより、そのイメージを壊したときの周りの目が気になった。なんというか、目立ちたくなかった。勉強サボって、成績が落ち、優等生ちゃんが急にグレた!とか思われたくなかった。
今思えば、別に落ちぶれても大して何も言われなかったと思うけどね。自意識過剰なんだよね。
おかげでガンガン成績が上がった。周りの評価も期待も上がった。
2年の担任は、私を大学に行かせたくてたまらないようで、公務員になるって言っても聞いてくれなかった。
勉強したくないとは言いにくいので、お金がないと言い訳すると、奨学金がどうのとか、高卒で公務員になるより長い目で見れば大学に行ったほうが得だとか、出来るんだから進学しろとか言われた。
若干ノイローゼ気味になりつつ、じゃあ第二希望として大学を考えときます、と言った。担任は嬉しそうだった。
そして何を隠そう、3年の担任、これがタイトルにある大嫌いな教師です。
今書いたらそういえば2年の担任もひでぇや!と思ったけどそれまで忘れてたほど3年の担任が嫌い。でもタイトルにある通り、尊敬してたんです。
あの人の授業、本当に分かりやすかった。今までのどの教師の授業より一番分かりやすくて、面白くて。得意科目だったこともあるけど、一回テストで満点をとったのはどう考えても彼の授業が良かったから。
とても頭が良くて、言ってることはだいたい正しいと思えたし、本当に理想の教師像で、尊敬していた。
公務員目指すと言うと、ちょっと残念そうな顔されたけど一応応援してくれた。
そして迎えた公務員試験……
いくつか受けたけど全滅でした。あのね、いくら勉強できてもコミュ障は公務員なれない。
もしこれを読んでくれてる人で公務員目指してる人がいたら、適性試験の勉強はそこそこにしてとにかく対人能力を鍛えて。そして面接の練習をたくさんしてください。健闘を祈る。
それでも私は懲りずに、浪人して来年また公務員目指そうと思ってた。だって給料いいんだもん。休みも多いんだもん。
担任は、専門学校ならまだ間に合う〜とか言ってやはり進学を勧めてくる。
しつこいんですねこれが。でもその時は私はまだ彼を尊敬してたので、進学も視野に入れるようになりました。
じゃあどうせなら自分がやりたいことを考えて、向いてない公務員じゃなく、何か将来の夢を作ってそれを目指してみようかな…と思うようになった。
そして考えて、決めた。私はパソコンが好きだからプログラマーになろう!と。
安直に見えるかもしれないけど、いや実際安直だったかもしれないけど、プログラマーという職に実は前から興味はあった。適性もそれなりにあると思ってた。でも、絶対なりたい!!ってほどでもなかった。大学行くくらいならならなくていいや、って感じ。それほど、大学に行って勉強ってのが私には地獄に思えた。
でも進学進学言われるし、じゃあいっそ情報系の専門学校に進学してちょっとなりたいと思ってるプログラマーを目指してみるか、と思った。
基本勉強は嫌いだけど、興味のあることの勉強なら楽しめるはずだし。
そして調べた。実家の近くに、情報系の専門学校があるじゃないか!
パンフを見ると、わあ楽しそう!C言語や、他にもいろいろ情報系のことが学べるようだ。これなら楽しめそう。プログラマーになれそう。レベルも低めで、まあ私なら余裕で受かるだろう。ここにしよう!
嬉々として担任に報告した。ここ行きたいです!とパンフを渡した。
お望み通り進学してやるぜ…と、したり顔で職員室に行った。
もう私は既に進学したつもりになって、これから学べるいろんなことに思いを馳せていた。
担任に怒られるまでは。
私が選んだ学校は、レベルが低いことからも推測できるけどあんまり良くない学校で、情報系のくせに就職先は花屋とかホテルマンとか情報関係ない場所ばっかりだった。
私はパンフの楽しそうな授業内容のとこだけ見て浮かれてて、就職先のところを見てなかった。
「何でこの学校選んだの?」
私は怒られるのが怖いんだ。
泣きそうだった。実際目に涙が溜まってた。よく耐えたと思う。
「プログラマーになりたいって言うけどプログラマーなんて高校生でもなれる」
「そもそもプログラマーが何か分かってるのか。お前はよく分からないものを目指しているのか」
「C言語なんて俺でも出来るし今は使われてない。今はjavaの時代だ」
「授業が楽しそう、で学校を決めていいのか。大事な進路なのにそんな適当に決めていいのか」
尊敬してたんですよ。彼の言ってることはだいたい正しいと思ってたんですよ。
そんな尊敬する、いつも正しい人に、全否定されたんですよ。キレ気味に。恐怖ですよ。これ書いてる今も、ちょっと泣いてる。それくらい怖かった。
だけど、恐怖と同時に少しずつ苛立ちも覚えてきた。
適当に決めたって。確かに今思えば適当だったかも、安直だったかもしれないけど、私は私なりに考えてあの学校にしたんだ。お前らが進学進学うるさいから!自分の興味のあること、学びたいことを考えたんだ!!!
こっちの気も知らないで。何をもってして私が適当に進路を決めたと言ってるんだお前は。勝手に決め付けるな。私の思想をお前が!勝手に決めるな!!
あとこれは今だから思うことなんだけど、プログラマーを、C言語を、馬鹿にするな!!!
当時は詳しくなかったことは事実なので、そうなんだ…って鵜呑みにしたけど、今なら言える。
プログラマーは立派な職業。それを高校生でもなれる底辺職みたいに言って。お前が使ってるスマホもパソコンも洗濯機も電子レンジも全部全部プログラマーがプログラミングしてるから動いてるんだ!!
C言語も大事な言語。お前の言うjavaだって構文はCから引き継いでんだよ。馬鹿にするな。馬鹿にするな!!
こんなこと言われたせいで、私はjavaが嫌いになったよ。javaに罪はないのに。javaは便利なのに。あいつのせいでどうしても好きになれなくなってしまった。javaって聞くだけで思い出して、涙が出そうになる。
怒りが募って、もう、嫌になった。
そんな時に降りかかってきた、
「何でそんなに大学進学が嫌なの?」
「勉強が嫌いなんです」
これをはっきり言った。
そうしたら、呆れたようにため息を吐かれた。
「じゃあもういいよ。お前の人生だし。勉強から逃げたいなら逃げれば?」
そうさせてもらいます、とは言えなかった。言いたかったけど。そんなこと怖くて言えなかった。
もうこのままどこにも進路決定せず卒業しちまえと思った。
2年で散々勉強させといて、まだ私に苦しめというのか。
甘えだって言いたいのか。
こんなことなら。
テストなんて白紙で出せば良かった。授業なんて寝てればよかった。
そしたら誰も、私に、進学しろなんて言わなかった。
数週間後、担任が、私が選んだ学校より就職先もしっかりした専門学校のパンフを持ってきた。
そこでは私の興味のある、情報系のことも学べるようだった。
そこに行くことに決めた。
それで今、その学校の2年生です。
就職先が決まりました。来春から晴れてシステムエンジニアになります。
結局あの人が正しかったんです。
あのまま意地はって自分で選んだ学校に行ってればC言語学んで花屋にでもなってたんでしょう。
あのまま意地はってどこにも行かず卒業してたら最悪ヒキニートにでもなっていたことでしょう。
私が間違ってたんですよ。私が勝手に逆ギレしてたんですよ。そうですよ。
でも、正しい、正しくないは置いといて、私にとってあの人の言葉の一つ一つは私のトラウマになったんですよ。
先生。
この学校を勧めてくれてありがとうございます。
でも、私、
「えーなんで入ろうと思ったのー?☆」それを学びたかったから以外にどういう理由があると?????
この手の質問をしてくる人は大体ゆるふわ文系なんだよね。性格悪いかもしれないけど、自分が特定の学問分野に強い興味を持てなくて周りに流されるように入学したから、やりたいことのある人の気持ちがあまり分からないんだと思ってるよ。
服飾とか芸術とか、自分の意志で決めている人はそういうこと言わないからね。言うとしても「数学好きなの?どんなことやるの?」とか純粋に自分との興味の違いを面白がる感じ。
そもそも、男子高校生の進路は文理半々、どちらを選んでもどうこう言われることないけど、女子高生の進路は文系がデフォルト設定。それ以外を選ぶ人は何か変わっている人という扱いなんだよね。(県内上位レベルの普通の進学校の話。桜蔭みたいなところはどうか知らない)
大学だけでなく就職でもそうで、理工学系の技術職で就職するとやっぱり紅一点になりがち。物珍しいからか、能力が評価されて…というよりはただ女子だからという理由で社外向けの広報要員として使われることも多い。ドボジョ、みたいなね。土木男子なんていちいち特集することもないわけで。別に差別だとか騒ぐつもりもないけど、良くも悪くも特別扱いされている状態が「生きやすい」とはとても言えないよね。
それでも好きだから、この分野をやめる気はまったくないんだけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20161116142444
1番良いのは、やりたいことがあって(見つかって)、ちゃんと努力もして行く名門大、専門学校、もしくは就職(とび職とか?)。
2番目に良いのは、やりたいことはある(見つかった)ものの、それまで無勉で、結果、受験勉強しないで行くFランなのではないかと思う。
Fランに行ってしまった結果、一流企業への就職の道はないかもしれないけど、その後の人生の充実度が、
好成績のみを動機に名門大へ進んだ人よりも、大きくなる将来性を秘めているように思えてならない。
やりたいことがなかった時、あんなにも無意味に思っていた勉強も必要と分かればやれるだろうし、
一方、やりたい事がない場合、元増田の言うように、自分が能動的になれる道を探すべきだが、それを中学・高校6年間で見つけるのは難しい。
考え抜いた末、どうしても見つからなかった場合、その時は絶対に名門大学へ進んだ方が良い。
「自分は頑張ればできる!」
名門大合格に裏打ちされたこのちっぽけな自信を引っ提げていれば、少なくとも、20代中盤ぐらいまでは楽しく過ごせるはずだ。
また一方、なんちゃって進学校出身で勉強はすっかりできなくなったくせに、やたら名門大への進学にだけは憧れ1浪するも、
日東駒専レベルしか合格できない馬鹿は、東京や大阪の私大の4年制学部へ行け。
大学は糞つまらないかもしれないけど、遊びやバイトなどを通じて、街の大きさがお前のその後の人生を
6年間全てが糞つまらない上に、街の要因で好転する可能性もなく、卒業しても薬剤師にはなれない。
勉強ができないだけならまだしも、大学生活を楽しく送ることすらできない自分の不甲斐なさ。
高額な学費で親に多大な迷惑を掛けているのに、何一つ自分の身に返ってくるものがない。
そんな、申し訳なさや悲しさ、後悔がずっと付きまとう。
少なくとも、40歳までで解消されることはないだろう。
(わたし、タイトル考えるのめちゃくちゃ下手くそなのでは?まあいいや)
褒められた人生を送ってきたつもりは無い。
実際、頭いいねと持て囃されたし、学校と塾の授業は比較的真面目に受けていたものの、自ら机に向かった覚えは無いし、自分の実力を過信しすぎたところはある。
ちなみにわたしの学校は(市内では頭が良かったとはいえ)学年60人の田舎の公立中学である。
わたしの高校は所謂「自称進学校」で、田舎だから地区トップ校と言えたような公立高校である。
相変わらず授業以外で机には向かわないし、部活もしなくなり気の向くまま生きていた。
中学の時と大きく変わったことといえば学校の中で「落ちこぼれ」のレッテルを貼られたこと。
うちの高校ではテストの結果が著しく悪いと特別講座を受けなければならない。
「さすがにそこまで頭悪くねえわw」とタカを括っていたら数学で赤点を取りまんまと引っかかった。
また、勉強する習慣が無いものだから毎日のように実施される小テストも落ちまくり、追試の山に追われた。
追試に通いすぎて、数学教師と仲良くなった。
そんな生徒だったが、模試では数学以外まあまあの点数を取るし、まあまあの大学の判定なら出るし、校内順位も何故か上がっていった。
何故か、上位1~2割には居た。
で、また、性懲りも無く、自分の実力を過信したのであった。
まだまだ若輩者のクソババアですが、取り敢えず大学まで進んだ者なりに書けることを書きたいと思います。
ここまで読んで、「お?自慢か?自慢なら他所でしてくれ」と思った君も、「その程度で何調子乗ってんだ黙れブス」と思った君も、取り敢えずこれだけは聞いてほしい。
中高生の間にしておくべきこと、それは、
このフレーズだけ読むと誤解されそうだから補足すると、勉強をするなという意味ではなく、勉強するより先に自己分析した方がいいぞ、というくらいの意味合い。
当たり前だが、自分のことをよくわかっていれば、この先の人生をよりスムーズに生きられるのかもしれない。
そして何より、限られた若い時間を有意義に生きられるかもしれない。
順番を間違えないでほしい。
でないと大学で詰むぞ。
地獄を見るぞ。
「自分が何をしたいのか」
を確立すること。(全然自己分析じゃねえぞとか言わないでくれ)
「何をしたいのか」に適った選択をすること。
これができないと人生のハンドル操作を大きく誤るし、わりと簡単にドブに突っ込む。
上手く操作する人もいるけどね。
例えば、「私は料理人になりたい!」という人。
専門学校に進むことになるだろう。
この人の「何をしたいのか」は「料理人になりたい」で、進路もそれに合っている。
自分の意思で学校に行くし、辛くてもきっと「料理人になりたい!」と目を輝かせていた日を思い出してなんとか頑張れる余地がある。
そして、これはわたしにはまだ言い切れないけれど、おそらく、料理人として就職ができれば、おそらくだが、仕事も苦痛ではないだろう。
もう一つ例えを。
「私は別に何になりたいとかは無いけど、昔から日本の文学が好きだから文学部に進学したい。」って人。
この人も大丈夫。
この人の「何をしたいのか」は「文学の勉強をしたい」だから、大丈夫。
就職に関しては知らないけど、その後の仕事についてもコメントはしないけど、学生生活は好きなものに囲まれてそれなりに幸せに過ごせるはず。
最後に、こういう人がいたとする。
「今の実力で十分行けるし就職余裕だから看護学校志望してる〜」
こういう人、待って、マジで待って。
ほんとに待って。
一旦落ち着いて考えよう。
読者の皆様には、この人が何故前述の2人とは違うのか考えてみてほしいのです。
何故違うのか?
単純です。
前半二人はそれぞれ「料理人になりたいから調理師専門学校に行く」「文学の勉強がしたいから文学部に行く」と、「何をしたいのか」と「手段」が合致している。
一方で、三人目はどうだろう。
最後の人の「何をしたいのか」はおそらく「看護師になりたい」でもなく、「医療職に就きたい」でもなく、「楽をしたい」。
最後の人は、今から頑張って勉強しなくても進学できるだろうし、確かに看護師免許さえあれば就活に苦しめられずに済む。
なんて思ってるだろうから、結局のところ「楽をしたい」んだろうなと言える。
「楽をしたい」と「看護学校に進学する」はとてもじゃないけど合致しない。
これは中高生のうちは想像できないかもしれないけど、専門学校や大学にもクソみたいに忙しくて、クソみたいに遊べない学部がある。
そして資格を取ってすんなり就職が決まったとしても、その先にあるのはちっとも楽じゃない仕事…
きっと画面の前にもいる「楽をしたい」そこの君!
頼むからもう1度考えてみてほしい。
進学、就職、と将来のコースを考えると「楽をしたい」に合致する進路はほぼ無いに等しいけど、だからといってそこで進路を適当に決めてはならない。
「楽をしたい」が認められないからといって、正当な他の理由を言い訳のように使ってもいけない。
というかそれが一番良くない。
中高生の諸君はおそらく行動範囲が通学路くらいだし、わたしに言えたことではないが世界がまだ狭いんだと思う。
学校で配られる予備校の進学ガイドみたいな冊子を通してしか将来が見えないと思う。
それでも、というか、だからこそ、わたしは、あなたたちに、世界を広げて、と願う。
通学の電車の中でLINEじゃなくてネットのニュースを見てみるとか。
「何をしたいのか」に直接的に繋がることはないかもしれないが、少なくとも知ってる世界が広がって、考え方に変化があるかもしれない。
本当は行動範囲をブチ破って旅にでも出れたらいいけど、それはちょっと難しいだろうしね。
説教みたいになっちゃったけど、大学生のクソババアから言えるのはこのくらいです。
進路を間違えた自覚があるし、大学生活も授業もつまらないし、単位は取れないし、もう散々。
だが、失敗したからこそわかることも沢山あったし、人生誰しも一度は失敗するだろうし!って、ちょっと開き直ってきてる。
そんな現状。
歳をとると、自分の成功や失敗を語っては若者に言い聞かせたくなるものです。
みんなはこうならないでね。
是非とも、「何をしたいのか」はっきりさせてから進路に向けて勉強してね。
困ったら手当り次第に色んな人に相談するんだぞ。
価値観が固定されないように、できるだけ沢山の人にね。
ちなみに例に挙げた三人目はわたしのことです。
クソ辛い。ウケる。
□追記□
自称ババアとはいえまだまだ尻の青い者が書いた稚拙な文章にこんなに反応が貰えて嬉しい限りです。
投稿した時に気づきましたが、よく考えなくても中高生はここ見てませんよね。
もはやギャグですね。
まだ人生に対するバイタリティは死んではいないと思うので、納得できる答えが出るまでガキらしくもがいて、ババアらしく執着したいと思います。
地方の公立進学校出身者としては家賃がネックで上京を断念する人は見たことがない
東大に行けたけど…とか言いながらお茶女に推薦で行った嫌な女は居たがアイツは家賃が出るからといって東大受験もしないだろう
上昇志向の強い女で今は都市銀行に勤めながら仕事が生きがいです、みたいな顔して働いてる
男で東大入学をアイデンティティにしようとする人、と訊くと納得するが女で…となるとイメージしづらい
勉強しかやることがないからとりあえず点取りゲームに熱中する勉強オタク、というと男しか想像しないのは自分が男だからだろうか
こんばんは。
親の年収が400万円を下回りつつも田舎から出させてもらった東大生の僕の立場から、ちょっと書きたい。
勢いに任せて書くから、構成も整っていないし少し読みにくいかもしれないが許してほしい。
およそ8:2。
世界各国のトップ校は、ほとんど1:1であるにもかかわらず、日本のトップ校のみがこのような数値をたたきだしている。
東大も焦っているようで、女子学生を集める努力を必死にしている様子がうかがえる。
http://www.asahi.com/articles/ASJCG4WF3JCGUTIL030.html
東大、女子学生に月3万円の家賃補助 来春に初めて導入:朝日新聞デジタル
「女子学生に限定せず、苦学生を救うのが先だ」という趣旨の意見が散見された。
うーん、まあこれとそれとは分けて考える必要があるのかなというのが私の考え。
女子学生を集めるインセンティブとして、3万円を家賃補助として出すのは、あまり効果がないように思われる。
この2つが大きな原因ではないだろうか。
私より成績のいい女の子はたくさんいたが、彼女らは地元の医学部や旧帝大を志望していた。
男子と比べると、女子の方が圧倒的に地元志向が強く、高望みも少なかった。
もしくは、③家計の問題もあったが、これは別に男女差は少ないと思うので、女子学生が東大に少ない理由としては不適当やろう。
特に①の心理は、以下の増田を読めば何となく納得できるところではないだろうか。
(彼女こそ、地方ではなく都内のいわゆる超一流進学校ではあるものの)
http://anond.hatelabo.jp/20161108222835
女と学歴 - はてな匿名ダイアリー
また、②の心理は、上の朝日新聞の記事によると、今回東大が女子学生に家賃補助を出す理由としているところでもある。
すなわち、地方の女子学生の母親は、治安の意味で娘を東京に出すのが怖い→安全性の高いマンションを東大が提供することで治安の面を解決→女子学生増加、というシナリオを東大は目論んでいるのだ。
別に、娘を上京させるのが怖いっていう心理と、親の年収が低いってことに相関関係はなくないか?
むしろ、東大に通う家庭は裕福な家庭が多いのだから、そういう家庭は多少の金を切り崩せばいくらでも安全な部屋に住める。
さらに、①のような上昇志向がもともと希薄な女子生徒に、3万円の家賃補助を出してもインセンティブになり得るか?
別に女子学生の家庭の方が男子学生の家庭よりも貧しいというわけでもないのに、なぜこのような措置をとるかなさっぱりわからん。
東大に女子学生が少ないのは、それが理由ではなくて、もっと大きな問題が背後に潜んでいるはずだ。
女性に対して機会が開かれていないことではなくて、女性が社会のエリートとして生きていこうとすることに対する違和感が、社会に存在することの問題なのだ。
家賃補助を出すというアフォーマティブアクションは、ほとんど効果を出さず終わるだろう。
私は、東大に女子学生を呼び込む努力には賛同するが、そのやり方が間違っていると主張する。
だが同時に、これはまた別の問題ではあるが、苦学生の支援を充実させてほしい。切実に。
http://www.nenshuu.net/m/sonota/contents/toudai.php
しかし、東大では年収900万円オーバーの家庭がマジョリティであるのは、肌で感じる。
田舎の普通の家庭から出てきた私は、カルチャーショックを受けた。
正直、卑屈になったこともあった。
世帯年収450万円を下回る学生は、このデータによると、約15パーセント。
②宿舎の用意
月に約12,000円で住める駒場生向けの三鷹寮、月に約1万円、36,000円でそれぞれ住める、本郷生向けの豊島寮と追分寮というものがある。
前者の三鷹寮には、ほとんどの苦学生が住めるものの、本郷生向けの2つの寮は、部屋数が少なく、かつ留学生優先のため、苦学生の中でもかなり貧しい学生しか住めない。
私は月に8万円の奨学金を借りて生活し、1、2年の頃は三鷹寮に住んでて何とかやりくりをしていた。
しかし、3年生に上がり本郷に移る際、どちらの寮にも落ち、月3万円台の風呂なしアパートに住むことを余儀なくされた。
辛い。甘えかもしれないが、やはり辛い。
もちろんこれが、私をそこから這い上がらせる原動力にもなっているが、友人との金銭感覚を実感すると、どこか悔しくなる。
どうしようもないやるせなさを感じる。
親にはもちろん感謝しているが、同時に、この社会の不公平さを少しでも改善したいと思う。
私はまだマシな方であるが、もっと厳しい友達になると、3年生から寮に移れず退学したり、せっかくの大学生活のほとんどをバイトに費やしたりしている友達もいる。彼らは、授業料の免除も受けられなかったようだ。
機会の均等をもっと増やしてほしい。
でも、少しでも定年退職間際の親のローンの額を減らしてやりたいし、退学やバイト漬けによって勉強の機会を奪われている友達を減らしたい。
先日、同僚数人と飲みに行った時に突如こんな話が出てきた
「いとこが進学校に進学して修学旅行に行ったんだが、修学旅行でテスト漬けで修学旅行じゃなくて完全に勉強合宿だった」
と話した同僚も憔悴した表情で話していた、最近の修学旅行は勉強をここまで強要するものなのだろうか更に同僚は話を続けた
ここまでの話で自分も考えただけでげっそりしそうだが周りも飲みに来たのに話に興味が向いていた
「移動中はずっとテストばっかり、同級生と話す機会なんて殆ど無くて観光なんてほんの少しの時間しかないし勉強漬けで何しに行ったのかわからない」
とのことだった、そこから自分たちの修学旅行の話の話にすり替わったのだがこんな拷問のような旅行じゃなかったのは共通だった。
「そのいとこと同級生のみんながかわいそうだ…!」
そう言った同僚は思わずテーブルを力強く叩いていた、学校生活の楽しみが教員の実験もしくは自己満足か自慰行為で終わる事に費やされてすり減らされているのだから憤るのも致し方ない。
自分も思わず憤りを通り越して晒されない物かと不謹慎ながらに思ってしまった、流石にそんなことは許されないがこのような事が平然と行われている事をどこか片隅にでも覚えていて欲しい
今年になってから母が転んだり入院したりと明らかに今までより老化のグレードが上がったと漠然と感じていた。
入院した際、退院後のレンタル用品も増えるだろうと予想し介護認定の再申請をして良いケアマネと知り合うこともできたが母は直接介護事業所に電話してあんなものはいらないこんなものはいらない設置した手すりのせいで転んだなどと文句を言っている。
ベテランのケアマネは様々なところで尽力してくれるが「お母様は難しい性格の方」という評価をした。
このセリフを聞いたときに私は一瞬にして女子高生に戻ってしまった。
そして当時なんとなく感じていた言葉や形にできない母への憤怒は間違っていなかったのだなとあの頃の私の肩をたたいて励ましてやりたい。
毒母とまでは行かないまでも当時40代の母は支配傾向が強く自分の思い通りにならない私が気に食わないようだった。更年期との折り合いが上手くつかなかったのかもしれない。進学校に通っていた私には比較的裕福で穏やかなご両親を持つ友人しか周りにおらず母のことを愚痴ってはみたもののあまり彼女たちにはピンとこない様子だった。母と比較する対象の大人サンプルをあまり知らない私にとって、私が悪いのか、もしくは私と母の相性が悪いのかが判断できず、かなり情緒不安定で精神安定剤に頼る子供となっていた。進学したいのでグレるという選択肢はなかった。
私がやっと自分の人生を送り出したのは離婚後の30代半ばだと思う。
思い返してみれば結婚した主な理由は結婚しないと母の機嫌が悪くなるので、というのでは結婚生活などうまくいくはずもない。
離婚後の私は実家と没交渉になり1年に1度帰るか帰らないか程度、留守電も放置していた。距離を置いたことにより母と私は上手く行っていると思いこんでいた。
しかし、今年に入って何度も実家に行って母と会うと実は状況は凍結されていただけで改善されているわけではないということがわかった。
そして冒頭の「お母様は難しい性格の方」という言葉で私は母が他人から見てもかなり難ありな人間だと知り救われた。
また母と同居している弟は「元々キチガイなんだから気に病むな。」と言う。じゃあ、弟も母をヤバいと思っていたということなのか。この件について兄弟で話し合ったことはないが私だけが母と合わないわけではなく単に弟のスルースキルが高かっただけどわかった。
なんだか目の前の霧が晴れたような気分だ。
私はもうすぐ50に手が届く年齢だ。
はてな民は知らないかもしれないけど、世の中若い頃は不真面目だったり、不良だったりした方が人生得するんだよ。
何でかって言うと、若い頃ヤンチャしてた奴が大人になってから真面目になると、
そのギャップで周囲の人たちがそいつがめっちゃ良い奴になったみたいに勘違いしてくれるんだよ。
少年漫画のサブキャラとかも、悪→改心→善のパターンで主人公の仲間になるだろ?
人間って、元から真面目だった人より、昔は不良だった奴が真面目になる成長物語に魅せられるんだよ。
「若い頃はヤンチャしていましたが、今では・・・」みたいな自分語り。で、みんなそういう話に簡単に感動しちゃう。
はてな民は子どもの頃からコツコツ真面目に生きてきたタイプが多そうだけど、
それであなたが真面目なことを評価してくれる人がひとりでもいましたか?
うん、いないよね? そう、だってそういうキャラの扱いだもん。そこにギャップがない。
だからね、世の中の多くの親が知らないというか、気付いていないんだけれども、
自分の子を「いい子」に育てようすると、かえってその子の人生のハードルを上げてしまうことを知っておいた方がいい。
もちろん、学業なんかは取り返しがつかないから、勉強自体はやらせた方がいいけど、
とりあえず一定の成績が維持できている限りは、悪い意味でも子どものやりたいようにやらせておいた方が良いんだよ。
昔の名門進学校って、大抵の場合、風紀がめちゃくちゃ荒れてたんだよ。先生も一緒になって悪いことしてたりした。
何でかというと、そっちの方が将来的に(本人の)社会的評価が高まるって感覚的に分かっていたからなんだね。
地方の世襲代議士なんかは、よく「あの放蕩息子が今では立派になって・・・涙」なんて評価されてることが多かった。
何でそうなのか、なんて知らないよ。でも、人間はギャップの大きいものに惹きつけられる本能がある。
B子は女子高から女子大に進学し、大学時代に知り合った男性と大学卒業後結婚。
B子は女の子を出産するが、妊娠中から次第に夫とはすれ違うようになり、
一緒に住まないかと誘われる。
こうして二人のルームシェアが始まった。
なかなか見つかりそうにない。
A子は「家事をまかせっきりにしてしまっているのだから気にしなくていい」という。
配偶者控除も受けられる。
もしB子が専業主婦になってくれるのなら、
もし、もし、B子が認めてくれるなら
今はキャリアを積まなければならない時期で
でも子供はできれば今のうちに欲しいのだ。
これは契約結婚かもしれない。
でもA子との暮らしはとても穏やかで心地がいい。
娘もA子になついている。
そのうえ兄弟もできるかもしれない。
悪くないかもしれない。
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でも、「おばあちゃんになったら一緒に暮らそうねえ」とか
「逃げるは恥だが役に立つ」の契約結婚など見ていると
そんな結婚の形もそう遠くない未来に出てくるんではないかと思えてくる。
恥ずかしながら3年前は彼女いない歴28年かつ職歴無しのフリーターだった俺。
高校は進学校だったし大学もそれなりのところに行けた故に大卒時は友人達とかなりの差がついていた。
一方俺は就職全滅でバイトしながら実家に寄生する恥ずかしい存在。
それでも学生時代の集まりには顔出してたし現況を包み隠さず話していた。
ネット上で自分のスペックを書くとあたりまえのように「人生詰んでるだろ」「その年で非正規とか笑」みたいなコメントしか返ってこない。
でもリアルでは馬鹿にされるどころか助けてもらえることの方が多かった。
例えばバイト先の書店が潰れた後は家庭教師の職を紹介してもらった。
類は友を呼ばないのかもしれない。