はてなキーワード: 通夜とは
先日祖父が亡くなったんだけど、そんときに思い出とかを通夜ぶるまいで話す機会があってえーっとって思い出した。
正直あんまり印象ないんだけど、小学校低学年くらいのときに同居してたなって思った。
祖父は「男子厨房に入らず」をこじらせた人で、絶対に自分でごはんをよそったりしなかった。
でも朝の時間帯ってみんな忙しいからわたわたしてて、祖父がおかわりと言っても祖母も母もすぐに対応できない。
私がごはんを食べ終わる頃に「おかわり」と言ってお茶碗を前に出してて、そのあと私が歯磨きして時間割みて教科書用意して着替えをしてさっと身だしなみしてから玄関を出ようとしてちょっとダイニングを見た時。
祖母や母が本当に忙しくて無視していたのか、それとも意図的にそうしていたのかわからないけどなんか空のお茶碗を前に誰も座ってない食卓に座り続けてるってどういう気分なんだろうと思いながら家を出た。
まさか祖父の思い出でそれが一番強烈だったとは言えず黙ってたけど、今思い返すと素直に自分でよそった方がずっと楽だったんじゃない?と思ったりする。
こないだ久々に大学時代のメンツで集まったんだけど、当時付き合ってた元カノが整形してた。
めっちゃ変わったなーって皆と話してたら、「あんたにすっぴんブスやなって言われたからやん!めっちゃ傷付いてんで!私がブスやから距離置かれてフラれたと思ってたんやからな!」っていきなりキレられた。もちろん言った記憶は全くない。
確かに急に別れ話したのは申し訳なかったと思ってるけど、でもそれは卒業してからは2人ともずっと仕事でバタバタしててプライベートより仕事優先しないといけない場面も多かったし、一緒に過ごす時間も少なくなっていったから一旦距離置いてお互い自分のすべき事に集中しようって話してお互い納得して別れたはず。
ブスとかマジで言った覚えがないし、もしどっかで言ってしまってたとしても多分酔った勢いの冗談か喧嘩中につい心にもないこと言ったかのどっちかだと思う。そんなこと本気で言うわけない。
てか逆に何、そんな俺も覚えてないようなしょうもない事いつまでも覚えてて整形までするか普通?怖っ。そんで更にあんたのせいで整形までしたのに!って責任押し付けてくるとか…いやいや、整形するって決めたのは自分だし…
とりあえずその場でひたすら謝ったけど、謝るんやったら責任取れボケ!って怒鳴って帰られて解散まで空気お通夜で散々だった。何これ俺が悪いの?釈然としねぇ(´;ω;`)
都内某SIer(とは名ばかりの人材派遣業)を退職しました。見る人が見れば特定できるかもしれないけど、↓のような会社。多少フェイクもあるし、答え言う気もないから特定されても良いや。ちなみに職種はバックオフィス。
■会社が酷い点
・リーマンショックで貸し剥がしと受注減に合い、借金が返せなくなって銀行にリスケ(返済条件の見直し)。その承認が下りるまで借金返済を優先したため最大2ヶ月半の給与遅配。運転資金確保しておくか、多少なりとも社長から貸付しろよ。
・その結果、ボーナスは1万円を現金で社長が社員に手渡す。しかも社員から社長に支給してもらってありがとう、と半強制的に言わせる。これで求人情報を「ボーナス支給 有り」とする酷さ。
・9時〜18時勤務を9時〜17時勤務に変更して、一方的に基本給を12.5%カット。なお17時〜18時は休憩時間となり、居ても居なくても給与は発生しない。あと翌年、祝日が出勤日に変わった。カットされた基本給はなぜかそのまま。
・最近話題のみなし残業制度。もちろん超過分は未支給(というか、プロジェクト原価管理システムが二重帳簿になっており、対外的には超過していないことになっている)。
・リスケ以降は、銀行の格付引き下げによる一括返済を求められることを恐れ、ほぼ恒常的に数千万円単位の粉飾決算を行う。過去に経理が疑問を感じてコンプラに調査を依頼したら、コンプラから社長に情報が上がり、経理社員はその日のうちに懲戒解雇になった(不当解雇が認められて賠償金払う羽目になった)。
■社長が酷い点
・当初の役員報酬は月給800万。リスケの条件として銀行に指摘されてしぶしぶ月300万まで減らすも、実は役員報酬以外に月200万はP/Lの社員給与に紛れ込ませて支払い済み。年収証明出せって言われたらバレるだろ(税金とか社会保障どうなってるんだろう?)。
・交際費の締め付けを図ると宣言したものの、自身は変わらず毎月100万近く飲み歩く。そのくせ、営業担当役員が顧客(大手企業の現場部長級)との接待をセッティングすると理由をつけて逃げる。聞いた話だと、社長就任前の接待で顧客を怒らせたことがあるらしい。
・よく分からんNPO(お局さんに聞いたら社長の妻が関与しているっぽい。少なくとも理事に1人名字が同じ人がいた)に毎月50万払ってる。また最近、社長の息子が新卒で入社した。主任待遇で月給35万。彼もある意味犠牲者か。
・11時に出勤して15時に帰っている。ちなみに昼食は2時間弱。仕事ができる社長なら労働時間に文句を言う気は無いが、周りの士気を落とすのは止めて欲しい。それでいて残業している社員を働きすぎだと茶化す(人が辞めて少人数で売上立てるため、120%の稼働が目標なんですが…)。
・役員の親が亡くなった時に参列した通夜の精進落としの場で泥酔。数日経って、香典の出金伝票(さすがに領収書を請求するほど馬鹿では無かったらしい)と馬鹿高いタクシー代(役員の親は千葉、社長は横浜在住)が回ってきた時は、本気で全社員にメールを流してやろうと思ったけど上司に諌められた。
・泥酔ネタまだあったわ。東日本大地震の時、帰れない社員を集めた上で、バックオフィスの社員に酒を買って来させて宴会開始。その後、次々と電車が動き帰る社員を「危ないから!」と無理矢理引き止めるも、自分は22時頃にバックオフィスの社員に探させた近くのホテルの空きが見つかると「じゃあ俺は行くわ」と早々にそちらに移動(聞いた話だと元請けの大手企業が、都内に100室単位で抑えている1室を無理言って回してもらったらしい)。震災明けには、社員を置いて帰るなんて管理職としての意識に欠けているとお説教&役職手当の減俸(寄付するんだとさ)。
・頑張っている現場を報いたいと言って年度末で納品近いのに飲みに誘い、散々自慢話と相手の話を否定しまくった上で、精算時に堂々と領収書を請求した精神的貧しさ。忙しい中、1円でも利益を出すために頑張ってくれている&部下にら動員かけてくれた現場の課長に土下座したかった。
・社員が過労死した際に遺族からの報復をビビったのか、弁護士とボディガードを同伴させて通夜と葬儀に参加(弁護士事務所から、顧問契約以外のオプション費用の請求が回ってきて気がついた)。これでも最初は行きたく無いと散々ゴネていた。
・会議では人格攻撃や批判しかしない。他者を批判することで自分の格が上がると思っている。
・結局、能力と人格の無い2代目のボンボン。親から会社を引き継ぐも、貯金も無いのかまだ株は創業者である親のもの。今まで稼いだ額面10億の金、どこに消えんだろ。
書いていたら、またイライラしてきたわ。ネタじゃ無いんですよ。ホントに。このボンボン、もうすぐ50ぐらいだけど会社潰れた上で、粉飾で刑事罰とか喰らわないかな。残りの人生惨めに歩んで欲しいわ。
先代からの番頭してた役員も役員で、もう出世できないためチマチマとした横領とか業者からのキックバックで小遣い稼いでるし(やけに多額な勘定科目があるんだよなぁ。数百人の会社だと保険料とかバックオフィス管轄の予算だけでもそこそこ大きな金額だし)、ずっと社長の下にいた人事は権威を傘に来て、現場の社員に対してパワハラまがいのことしてるし(これがあるからバックオフィスは現場から嫌われているんだと思う)。
ちなみにこれだけ放蕩経営でも、日本有数企業の一次請けで、20億ぐらい売上てるんだぜ。まぁ、リーマンショック前は40億近くあったけど。昔は派遣と請負五分五分だったけど、人が辞めて技術力落ちたことを見抜かれたせいか、今じゃ派遣(準委任含む)が8割近いし。そんな中でも、日々長時間労働してくれてる現場社員に申し訳が立たないよ。
どうしてまあまあ真面目に書いてるものより、適当な内容でそこそこクオリティで書いたもののが当たるんだ。さっぱりわかんねえや。
クトゥルフ神話TRPGがやりたい。ルルブは買ったけどCoCを知っててやってくれる友人は別売りでした。興味ある〜とだけ言ってくれる友人はいるにはいるけど、きっと興味あるだけでさしてやりたいとは思ってないだろう。
でも寂しいので布教する。うるせえなぁといい加減思われてるだろうなあ。難しい。都会に住んでればツイッターの相互さんに会うなり、あるのか知らないけど掲示板とかで募集するなりすればある程度集まってくれるだろうし、会いやすい。 CoC知ってる人の人数がそもそも少ない。世知辛いなあ。
宇宙葬ってのを知ってから、ものすごく心惹かれてる。いいなあ。
わたしが死んだらそれにしてほしい。通夜も葬式もいらない(と言ったら怒られる?かもだから、やるなら必要最小限で)。別に綺麗な花大量に飾ってくれなくていいし、特に熱心に宗教信じてるわけでもないからお経とか戒名とかもいらないし、墓もいいです。
そのかわり宇宙葬してほしい。ただむちゃくちゃ費用がかかるらしいね。そりゃあそうか。ロケットに乗っけて宇宙まで持ってくんだもん。持ってった後宇宙船ごと爆破でもするのか、誰かが丁寧に投げてくれるのかはさっぱり分からないけど、どっちにせよ宇宙まで持ってかなきゃなんだから。
書いてて改めて気になって、ささっと調べてみたら、わたしが気になった深宇宙とやらまで行ける「宇宙探検プラン」は200万近くかかるらしい。数字に弱いから読み間違えてるかもだけど、とりあえずメチャクチャに金がかかることは分かった。これなら普通に葬式してくれって言った方が安く上がるね。わはは。
いいなあ。宇宙ってすごく、心惹かれる。かといって「宇宙飛行士になって行ってみよう!」とか「大学や研究機関で研究してみよう!」という気はさらさらない。ただぼんやり、星や月を見てると、ああ、いいなあって思う。
旅行に行くと、自分の知らない土地ってこんなにもあるんだなあと改めて思う。自分の地元であれば、ここの角を曲がればこの店で、ここには友人の誰々の家があって、って分かるけど。日本内ですら自分の地元が分かるのが精一杯なのに、こんなに広いんだなあって思う。話が大きくなりすぎる上感覚的な話になって表現が難しくなるからここで割愛するけど、宇宙はそれよりもっともっと広くて……。
いや、広いのかすらもわからない。もしかしたら太陽系の外は案外適当に設定された世界で、実は宇宙というのはただの実験用の空間なのかもしれない。ありきたりな台詞だけれども、この世界や宇宙に比べたらいかに自分が小さい存在なのかと思う。
数百年や数千年後は、もしかしたら宇宙旅行が簡単にできる時代になっているんだろうか。人間の知り得ないことなんてなくなってしまっているんだろうか。それとも、数百年数千年後なんて存在しないんだろうか。
考えるとキリがない。
プラネタリウムなんかに行きたくなったけれど、田舎なので土日しか営業してない。し、機材はわたしが子供の頃から同じだろうからおそらく10年以上は前のもの。微妙なところだなあ。
遠方にいる母方の親類から、実家に掲題の電話が来たらしい。享年94歳。
自分はほぼ寝たきりの妻の介護があるため通夜や葬儀への参加が難しく、でも弔いにせめて想い出したくて(吐き出してくて)、日記に書きます。
一時帰国したときによく泊めてくれて遊びに連れて行ってくれたよね。
そうそう、当時欲しかったファミコン、それもディスクシステム付きのをプレゼントしてくれたね。誕生日でもなかったのに、なんでか理解できない残念な子供だったけど、めっちゃ喜んだのを覚えてます。
やたらに早起きで、朝ご飯にいつも出してくれたプルーン、正直苦手でした。それが顔に出ていたのか、頑張って食べると、めっちゃ嬉しそうに目にいいんだと破顔して毎度教えてくれたよね。
いざ書き出してみると、なんかもらった話ばっかり思い出すけど、庭の芝刈りや水やりをやらせてもらったのもちゃんと覚えているよ。
前に顔を見たのは、ばあちゃんの49日だったよね。
でも、本当に好きでした、優しい笑顔。
道中気をつけて、ばあちゃんによろしくね。
泣いていたら、妻に「自分がいるから葬儀に出られないんだね、ごめん」と悲しい顔で謝られてしまったので、涙で送り出すことはできないけど、許して。
私はいわゆるオタクという生き物、しかも基本好きになるのは主要ではなく脇なんかでひっそり生きているか主要でも女性人気の低いマイナーキャラだ。見目麗しいキラキラしたイケメンよりも、一癖も二癖もいやもう五癖くらいあるキャラの方が好きだ。
例えるとすればアンパンマンより天丼マン、工藤新一より毛利小五郎、ハウルよりクロトワ、サトシよりタケシ、徳井より福田、ハンバーグよりクレソン…みたいな感じだろうか。ハンバーグに至ってはクレソンが乗っていない時の方が多いだろう。
そんな癖がある決して正統派とは言えないキャラを気付けば好きになってしまう。
付き合いたいとかは微塵も思わない。何気無い彼らの生活を己が干渉すること無く、空から見守りたい。
お気付きの方もいらっしゃるかもしれないが、ここまでは前置き。ずっとこんな調子で続くから耐えて欲しい。
遡ること数年前、私はやっぱりしがないオタクだった。あるアニメの放送が始まりなんとなくで観始めたら最後、どっぷりとハマってしまった。
毎週の放送が楽しみで、おのずと好きなキャラ…いわゆる推しも出来た。決してグットルッキングガイとは言えなかったが、性格や立ち位置やセリフ回しなんかが凄く好きだった。いつもは筋肉むきむきのキャラばかり好きになるのに、「痩身も悪くないな!」と思えた。
そのキャラが出る回は例え一瞬でも何度も何度も繰り返し観た。
そんなこんなで推しが出来ると、今度はそれを語り合う相手が欲しくなる。
現代にはツイッターなんていうオタクに優しいコンテンツがあるので、私はそれで仲間を探した。…が、やはりマイナーなのである。私が好きになるキャラは基本マイナーなのである。全然仲間がいないのである。
人気アニメで、沢山のオタクが楽しげにひしめき合っていると言うのに、その人混みを掻き分けども掻き分けども見つからない。カバンの中も机の中も探したけれど見つからない。
同士はいないのかー!
もう全然良い、腐女子でも貴腐人でもなんでも良い。それより私と踊り狂って欲しい。
そんなこんなで私は腐女子のお姉さま方という素敵な語れる仲間を見つけ、幸せ推し語り生活が始まる……はずだった。はずだったんだけど、いや始まってはいた。でもね、そのお姉さま方は一番好きなキャラは別にいた。
推しが違った。
ではどうして私の呼び掛けに彼女達は応えたか。……そう、そこでカップリングという問題が発生するのである。
カップリングとはつまりキャラ同士がイチャイチャするに当たっての男性役と女性役の掛け合わせだ。
掛け合わせるキャラによって名称も変わる。アンパンマンが男性役で天丼マンが女性役ならアン天みたいな。知らんけど。
基本一番好きなキャラ…最推しは女性役にする人が多い(勿論逆の人も沢山いるけどその傾向が強い)。
私が繋がったお姉さま方はみなさん私の推しを男性役に置いていた。そこで認識の齟齬が生じていたわけだ。ついでに男役と女役を逆にした所謂「逆カプ」の人口はほぼ無かった。
悪口ではなく比喩でもなく、本当にウンコみたいなカップリング名だった。もうどう擁護も出来ない程にウンコだった。(その後あまりにもウンコなので名称が改良されたらしいけど、それはまた別のお話)
そんなわけでどうにも腑に落ちないままずるずるとアニメを見てツイッターなんかで感想を漏らしていた時、一人の同志と繋がった。
彼女もやっぱり腐女子で、しかも最推しは別にいる。私の推しを男性役の方に置いて腐った生活を楽しんでいるような人だった。しかし話していくうちに彼女は彼らをBLとしてではなく、キャラ同士の精神的な繋がりが好きだと吐露するようになった。
……分かる、分かるよ。物凄く分かる。
そう私も同意した。
というのも、彼女の最推しと私の最推しは協力者であり主従であり静と動であり、また一種の腹心の友のような複雑な関係だった。それが好きなのだと彼女は言う。私も全く同じだった。
それからと言うもの、彼女とめちゃくちゃ二人の考察を語り尽くした。とても楽しかった。アニメは最終回を迎え、各々考えさせられる様なラストではあったがそれでも私達の熱は冷めず、毎日毎日推しは違えど二人の関係性を語って盛り上がった。
こんな時間がいつまでも続くと、私も彼女も思っていたことだろう。多分。
そんな中、事件は起きた。
アニメの最終回から数ヶ月経ったある日、一冊のスピンオフ本が出版された。なんと私の推しがメインキャラだった。しかもアニメ本編よりも前が舞台。つまり彼の半生を知ることが出来る。
発売日を手帳に書き込み、わくわくしながら待ってそして満を持して小説を手に入れた。フォロワーの腐女子のお姉さま方もみなさん手に入れていたし、もちろん彼女も「スピンオフ買ってきた!」とはしゃいでいた。また沢山語れるネタが増える!嬉しい!私は素直にそう思っていたし、フォロワーさん達も彼女も同じ気持ちだっただろう。
そう、読むまではね。
その日の夜、ツイッターのタイムラインは死屍累々だった。本当にあれは地獄だった、誰も全く幸せじゃ無かった。さながらお通夜。全員喪服着て泣きながらお焼香あげてる。
みんながわくわくしながらページをめくり、余す所無く読み込んだであろう私の推しのスピンオフにはとんでもないことが記されていた。
ちんこが無い……?
ちんこが無いって……?
ちんこが無い……?
どういうこと……?
比喩……??
いいや、比喩ではない。
本当にちんこが無かった。
正確に言えば拷問のすえ去勢されていた。正直、どう自分の中で処理すれば良いか分からなかった。だって今まで推しにちんこが無いなんて状況、一度だって経験して来なかった。というか考えたことすら無かった。そらそうだ、もしかして無いかも?なんて日常的に考えてたら危ない人だ。
まあね、別に私はそれでも良かった。
ちんこがあろうと無かろうと、推しが推しであることに変わりはない。別にちんこの必要性とか無かったし。ただトイレとか立って出来ないのかなとは思ったけど。いつも個室に入らなきゃいけないわけだから、推しが小学校高学年の多感な時期じゃなくて良かったなみたいな。え、小学校高学年の推し?想像したらか〜わ〜い〜い〜!
だが、腐女子のお姉さま方は違った。そりゃそうだ、だって男性役に据えてた男にちんこが無かったんだもの。
じゃあ今まで私達がしてた妄想ってなに???あのちんこはなんだったの???まぼろし???
そんな感じでみんな死んでいた。現実について行けず、一部ハイテンションな人もいて逆に悲しくなった。
そんな、無理すんなよ…泣きたい時は泣いて良いんだぞ…。
そうやって私が肩を抱いてやる前に、1人また1人とお姉さま方は別のカップリング、もしくは別の推しを見つけジャンルから去っていった。随分と人が少なくなって廃れ、ダムに沈んだ街みたいになった。
でも、私にはあの子がいた。
やったー!あの子なら別に私の推しにちんこがなくても変わらず語ってくれる!だって精神的な繋がりが好きなんだもの!そう思い、私はウキウキでその子のアカウントを覗いた。
明らかにツイートが減ったのは推しにちんこが無いと判明した時期。当初はそれでもぽつぽつと呟いていたようだが、次第にそれもなくなり「すごい」という呟きを最後に更新がなくなっていた。何がすごかったのか、それを聞くことは金輪際叶わないだろう。
なぜなら、彼女はそれから暫くしてアカウントを消してしまったから。
ああ、ちんこか。
私はそう思った。
お前もちんこなのか。
私は信じていたのに、結局ちんこなのか。
精神的な繋がりが好きだと言っていた彼女のリプライを思い出し、そしてまた思った。
好きだったの、ちんこ的な繋がりじゃん。
なぜ突然こんな話をしたためたか。
それは、つい最近公式で大きな発表があったからだ。どうやら、私に天国と地獄両方を見せてくれたその作品の映画第2段が制作されるらしい。きっと私の推しは出ては来ないだろう。それでも、あの時感じた失意とそれを上回る楽しかった記憶とを思い出し記録しておきたいと思ったのだ。
みなさんもどうか気を付けて頂きたいと切に思う。
女性キャラにおっぱいがないなんて事良くあるよとのコメントを頂いたが、良く考えてみて欲しい。私の推しにないのはちんこだ。つまり男性器である。ならばそこで消失すべきは女性器の方ではないだろうか。
貴方の大好きな女の子に女性器が無いのである、じゃあ今までの甘い妄想はなんだったんだ!?あの穴は幻想だったのか!?何処に出し入れしてたんだ!?なんて思わないだろうか。
私は推しの事をそういう目で見てはいなかったのでノーダメージだったが、そういう目で見ていた腐女子のお姉さま方には大ダメージだったのだ。きっと今まで自分の中で育んできた彼らの記憶が幻想だったと悟り、とんでもない喪失感に襲われたのだろう。ご理解頂きたい、彼女たちも私とは別角度で心に傷を負ったのだ。
2020.追記
このアニメの3期が今年放送、また配信されました。もちろん見ました。大好きな彼は当たり前ながら出て来ないですが、非常に面白かったです。とくに敵のトップが最高でした。これからもこのコンテンツが繁栄していく事を願います。
私は散々にお世話になった祖母が亡くなった時に、ほとんど悲しく無く涙は一滴も零れなかった。
俺ってサイコパスゥ~!フゥッフゥ~!とか言うつもりは無く、基本的にくそ女々しい人間である筈だが
受けた感情は事実であるとしか言いようがないので、その理屈を自分なりに明文化しておく。
なんとなくで生きていても、人の生き死にには程々に触れる事となる。
ある程度予測可能な「誕生」に比べて「死」は突発的であったり、予想が付くこともあったり衝動的であったり
残留した人達からすれば、十人十色の受け取り方がある。まず基本的には悲しい。
悲しさはまず間違いなく数値化が出来る。基本的に死は突き抜けて悲しい。
親交のある人間ほどその数値は大きくなり、遠縁の人ほど小さくなる。ただ人の死の悲しさポイントを数値化するのは
「なんかひどいな」という理由から誰もしていないだけだと考える。
私は死の振れ幅について思い至った。
20才の人間と80才の人間が居たとする。両名は原因不明の理由で前日まで健康であったにも関わらず
朝になって身内の者が起こしに来たら冷たくなっていた。とする。観測者は伴侶でも近しい友人でも良い。
そのどちらが「悲しさポイント」が高いだろうか?
条件を合わせれば合わせるほど、前者の20才の人間がダントツで「悲しさポイント」が高いと思う。
余命の差であったり、後腐れであったりの違いはあるだろうけど多くの人が自分と同じ結論に至る。たぶん
私はこの差を「人は長期的に死んでいるから残留ポイントが大きい人間ほど悲しさ指数は高くなる」と考えた。
長期的に死んでるってなんだ?と思うだろうけど、とりあえず生者ポイントが0で死者になると考えていただきたい。
20才の人間の生者ポイントは100に近い数値があると考える。よっぽどの持病を抱えていたり事故にでも合わない限り死なない数値である。
そんな人間の数値が不幸な事故で0にまで下がったら、その振れ幅の大きさは凄まじい悲しさポイントを稼ぐだろう。
その数値は60才くらいまでは緩やかに下降し、80才まで一気に加速して下がってゆき
その人の寿命が82才だとしたら80才の頃には10ポイント未満にまで下がっているのではないか?と思う
最初に挙げた祖母の例だが、祖母は65才位までは快活な人間であったし単身で都内に遊びに行けるほどにバイタリティのある人物であった
私が観測している限り、祖母の生者ポイントはその時点では80くらいはあると感じていた筈である。
もしも65才の祖母が急死でもしていたら、おそらく私は数年単位で立ち直れなくなり気をやってしまっていたと思う。
そこから加速度的に老いが発生する。老化とはどうしようも無く死を予感させ
本人はもとより周りの人間にも無意識化で心の準備を強いる。喜寿(77歳)を超えた頃、祖母は痴呆を患い少しずつ周りの物事を忘れていった
最初はどうでも良い事から忘れてゆき、私の事を私の兄の名前で呼ぶようになり、自宅に居ながら「家に帰りたい」などと言うようになった頃
祖母の生者ポイントは幾らくらい残っていたのだろうか?その期間に幾らか涙した記憶があるが、私の中での祖母の死は
痴呆の中のいずれかのタイミングで起きていたのだと思い至った。医者の診断する死と本来の死は違うのではないか?
記憶から忘れ去られた時を死とするお話は多いが、私個人としては死はもっと早まって訪れる者だと考える。
人が長期的に時間をかけて死んでいてそれを数値化した場合、その振れ幅が一番に大きいタイミングで「私の思う祖母」は死んでいて
心臓が止まり通夜があり・・・という期間は「後処理」としてしか思えないから悲しく感じなかったのではないか?
祖母は優しかった。いつでも私のことを可愛がってくれたし、私も祖母の前では良い子でいられた。怒られたくないというよりは、悲しませたくない気持ちが強かった。自分のことを、いつまでも可愛い孫だと思って欲しかった。
自分が嬉しかったことを伝えたら祖母も嬉しくなると思っていた幼い頃の私は何かある毎にすぐFAXを送ったし、すぐ電話した。手紙もいっぱい書いた。遠方に住んでいたから、とにかく自分の存在を忘れられないように一生懸命だった。(今考えたら疎遠でもない孫を忘れるはずがないとは思う)
祖母は手料理をほとんど作らなかった。作れなかったのか作らなかったのかは分からない。いつも祖父母に会いに行くときは2.3日しかいれなかったので、外食をすることが多かった。きっと子供だから外食を喜ぶだろうと思ってたのだと思うけど、私は祖母の作るご飯が食べたかった。結局祖母の手料理は1回だけしか食べられなかった。おにぎり。誰が作っても美味しいのかもしれないけれど、私は今でもあのおにぎりの味を覚えている。
祖母は刺繍が上手だった。亡くなってから知ったことだけど、祖父母の家にあるのれんやリュック、ポシェットや額縁に入った布の作品すべてが祖母の刺繍作品だった。少し大きい象の人形のようなものも祖母が刺繍を施していた。本当は色々やりたかった刺繍があったらしいけど、段々と細かいものが見えなくなって諦めたらしい。やりたいのに出来ないってどんなに悲しいことだろう。
私が高校生になってなかなか祖父母に会いに行けなくなっていた。一般家庭におけるFAX文化も廃れ、電話は祖父母のお誕生日、敬老の日、お正月くらいに減っていた。それでもたまにする電話で祖母は私がする話を嬉しそうに聞いてくれた。習い事を続けて頑張っていたことも褒めてくれた。
祖母は段々足が痛いというようになり、歩けなくなった。父と祖父母の3人で旅行した時、祖母はすぐ疲れたといい椅子に座っていることが多かったらしい。せっかくの旅行なのにごめんねと謝る祖母を見て、父は涙が出そうになったと言っていた。私は聞いているだけで胸が詰まり、お風呂で泣いた。
祖母は寝たきりになっていった。動くのがしんどいと言い、会いに行ってもずっとベッドで横になっていた。足の筋肉は衰えて、私の二の腕くらいになっていた。また私はこっそり泣いた。
祖母は記憶をなくしていった。電話をした時、私のことを伯父と間違えた。話が噛み合ってないような気がしたけど、訂正することが良いことなのか悪いことなのか分からず誤魔化した。電話を切ってから父に気付かれないように泣いた。
祖母はものを食べることができなくなった。この頃になると祖母は祖父以外の人を誰なのか判別できなくなっていた。新幹線に乗り久々に会いに行った祖母は、祖母だけど祖母じゃない別の人のように感じた。いくら話しかけてもこっちを見てくれなかった。そりゃそうだ。毎日何も口にしていないから首を動かす力もないのだ。そこで急に祖母がいなくなることが怖くなって家族の前で泣いた。まだ目の前に祖母は生きているのに。
そして祖母は息を引き取った。祖父も父も伯父も家族みんな揃って最期を看取れたらしい。父は仕事柄頻繁に全国出張に行くので本当にタイミングが合った奇跡だったと思う。
お通夜は次の日だったので、その日は普通に仕事に行った。上司に報告して、訃報連絡の書類などは自分で作った。みんなに全然悲しくなさそうだねと言われトイレで泣いた。悲しくないわけがない。
棺で寝ている祖母は安らかな顔だった。ガリガリになっていたから綿を詰めていたのがすぐ分かった。祖父が、棺に入れようと言って私がいっぱい書いたFAXや手紙を持ってきた。中には祖父宛に書いたものもあったが、祖父は構わず全部入れてしまえと言った。ちょっとそれはないわと思って笑ってしまった。
祖母に送る最後の手紙はいつまでも私のことを可愛い孫だと思ってもらえるような内容にした。天国で再会した時に可愛がってもらわなくちゃいけないから。
おばあちゃん、ご飯はいっぱい食べれてますか?私がそっちに行った時は豪華な手料理食べさせてね。
あと、おばあちゃんの刺繍の本と糸もらったよ。1年かけてまだほとんど何も作れてないけど、一生の趣味にしたいんだ。おばあちゃんの血が入ってるから才能はあるはず。数十年後、私の棺に作品を入れてもらう予定だからその時にまた見せるね。
前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。
その頃のことを思い出したのは元増田の記事を読んだからじゃなく、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かに読まれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。
今回の猫は心臓の悪化?から肺機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。
そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。
細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。
前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。
選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。
バックヤードに入って声をかけてから、就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそばの椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後からは酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。
しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫からの最後の要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。
その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ。
死も病も生きとし生けるもの、代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別な運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。
安楽死は想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚がストンと理解できた。通夜をするのだと決めた。
猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。
この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクトな姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。
やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手な欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。
寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分の状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。
翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来の香りは一切しなかった。発症してからの口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。
その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。
私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。
最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。
例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分で体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものだからだ。
だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。
その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触を仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる。
時間が解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。
猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。
猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手な解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。
一匹目の猫は乳癌で死んだ。
腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。
最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。
最後の日、私が居間でインターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。
学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。
風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。
あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。
俺には親友がいる。中学生当時SNSで知り合い、厨二病真っ盛りなハンドルネームを呼び、それがいつの間にかお互い落ち着いた名前になって、本名で呼びあうようになり、結局10年の付き合いになった。
住んでいた場所は近くなく、共通の趣味のイベントの際に会っては安い飲み屋でだらだらと喋り、酒の飲める俺と、全く飲めない友人で、何故か友人のほうがテンション高く盛り上がって10本以上の煙草を吸い、煙草を全くやらない俺は煙に咳をしながら笑ったり、なんだりした。
喧嘩をしたこともないわけではない。でもいつも俺が先に折れて謝って、二人で海を見ながらこれからも仲良くやってこうなだとか臭い台詞を言ったりもした。友人が落ち込んでいたら真剣に話を聞いたし、友人の喜ばしい話は本人以上に俺も喜んだ。まさに「気の置けない友人」で、こいつ以上に波長の合う人間も、こいつ以上になんでも話せる相手も、もう出会えないと思った。なんなら自分の彼女よりよほど気が合った。
数週間前、その親友から某メッセージアプリで朝早く不在着信が来ていた。仕事の都合上、朝に起きていることなど滅多にない相手だから何があったのかと思い、30分ほど経っていたが「今なら出られるけど何かあった?」と返す。数分して相手からの着信があり「ごめん寝てた。なんかあった?大丈夫か」といつも通り話した。けれど相手からはいつも通りの返事がなかった。はっきりと覚えていないけど「○○さんですか?こちら××警察署の△△です」みたいなことを言われた。その時点で俺はもう、察してしまった。親友がすでにこの世にいないのを。
親友はわりとハードな人生を送ってきた人だった。基本的にはやかましく、元気で、偉い人にはへこへこして、元気で、多くの知り合いからそう思われるタイプで、でも中身は本当に暗かった。だからいつかこいつは死んでしまうんじゃないか、と思っていた。「俺とお前が友達じゃなくなるとしたら、お前が俺にブチ切れるか、俺が死ぬかだな」と笑って言ったのもよくおぼえている。だから、親友のツイッターがどのアカウントも数日更新されていないのと、警察からの電話という二つの事実が重なって、俺は逆に冷静になってしまって、取り乱すこともなく1時間近い聴取を受けた。遺されたメモ書きに俺の名前が記されていたことを聞かされた。
これから仕事があることを伝えて、一度警察からの電話は切れた。切って、一度「□□が死んだのか」と声に出して、俺はやっと事実を飲み込んで、泣いた。職場に知人の不幸による休みの連絡を入れた。色々な感情が湧いて、それをとてつもなく大きな虚無感が覆っていて、耳が常に遠い。
警察から電話が来る数日前、親友本人からの電話を俺は受けていた。明らかに声に元気がなかったのも出てすぐに気づいたし、何かあったなら話は聞く、と言ったけれど本人は何も答えなかった。いつもなら短くても1時間以上は続く通話も、ほんの10分たらずで終わった。もうすぐ猫を飼おうと思っていること、名前と白い猫にすることだけは決めていること、来月俺と会うときに行く飯屋の話、好きなバンドのライブに行った話、今度は一緒に行きたいということ、そんな未来と良きことばかり話して、電話は切れた。今思うにあれは、助けてと言うつもりすらなく、別れの電話だったのかもしれない。あいつはそういう性格だからだ。
親友が死んだからといって忌引き休暇になるわけでもなく、SNSでの関係が主だったから親友の家族から通夜の連絡が来るわけでもなく、俺は翌日には仕事に出た。突然お休みをいただいてしまい申し訳ありませんでした、と謝って、なるべく忙しくなるように業務を探した。いつもなら引き受けないものも引き受けて、とにかく空白の時間を作らないようにした。メッセージアプリもツイッターもあまり見ないようにしていた。10年分の付き合いはあまりにも感情の作動するセンサーを各所に張り巡らしていて、油断するとすぐに友人の顔が浮かんできてただひたすらつらくなった。
俺はこれから、嬉しいことも、悲しいことも、親友とお互い好きだったコンテンツの新情報も、どこに言えばいいのかわからない。お互い好きだったコンテンツのイベントに今後も足を運べるかわからない。
薄情だと言われるかもしれないが「あのとき助けてやれなかった、俺の所為だ」という気持ちは湧いてこなかった。頑固で決めたら譲らない、意地っ張りで強気で弱いところを見せるくらいなら全部捨ててやる、とでもいった親友の性格を鑑みて、本当にその時点で決めていたのであればもう何もできなかったと思う。というか、そうであってくれ、と願ってしまうし、本人も「俺の所為だ」と俺が思うことを望んではいないと思う。そういうやつだからだ。
だけど俺は本当に、寂しい。あいつがいて当たり前にやってきたことを、もう二度と全てできない、と色んなことをしていていつも考える。今後の人生においても、ずっと思う。親友のいた未来を想像してしまう。つらいことが起きたとき、まず話して愚痴を言っていた相手がもういない。人生で初めて増田に書いてしまうくらい、俺のコミュニケーションの大部分が亡くなってしまった。それでもメシは食べなきゃ腹が減るし、仕事には行かなきゃいけないし、客相手には笑って返事をしなきゃいけない。生きることがせめてもの…だとかあいつの分まで…だとかいうつもりはないが、俺は生きなければいけない。
だけれど、親友には言っておきたい。お前が死んだら親友じゃなくなると言ったが、お前が死んでも親友だよ。それだけはあの世にも伝わってくれ。
賛成?反対?
結局どちらを選んでも消耗し損をしている。
一般的には右派に付いたほうが、日本では世間体がいいのは皆分かってやってると思う。国のことを思っている、国賊に立ち向かって日本を守っている、日本の素晴らしさを伝えたい、聞こえはいい。
「Cの方が得だよね」
それは彼のニコニコ動画であり、フランス移住であり、彼の生き方を貫く賢者の知恵なんだが皆んな案外忘れちゃってて草
毎日AかBで消耗してる後輩が死んだ。
死よりCを選べとか、くだらないシャレになって悔しい。
Cね
会社の同僚が昨年亡くなった。
お通夜・後日弔問を通して、なぜか同僚の姉とLNEをやりとりするほどになった。
気持ちとしては同僚のお姉さんという感じだったのだけど、やりとりしていくうちに気になり始める。
何気ない会話のラリーは続いていて、お互い返信は自分のペースで返していた。
最後のやり取りは、お姉さんが「クレーム対応で精神が病みそう」と来ていたので
返信に「仕事の悩みがあれば僕に吐いていいよ」とフランクに伝えた。
単純に週末の土日だから返す余裕はないんだろうと思ってるのだけど、「24時間以上経った」という事実だけでオレはソワソワしてる。
あ〜オレはお姉さんのことが気になっているんだなと気づく。
駆け引きされているだけなら、まだ救いがある。けど、返信が来ないとなれば完全に脈なしなんだろうか。
落ち着かない。
お通夜の式の前にお線香あげて顔を見た。すごい綺麗だった。血の気がなくて真っ白で安らかに目を瞑ってた。
私がおじいちゃんの顔見てたら横で母が、今にも起きてきそうだよねって言った。でもおじいちゃんの眠ってる時の顔はもっと眉間にシワが寄ってるし、これはなんか違う。それで、この人は本当に死んだんだなって感じた。
棺桶にはおじいちゃんが出かける時にいつも被っていたハンチング帽が入っていた。ここ数年は透析をしていて、遠出もできなかったから被っている姿を見たことはあまりなかったけれど、おじいちゃんのトレードマークのようなもので、とても懐かしいものだ。
おじいちゃんに最後に会ったのは、おじいちゃんが死ぬ2日前だった。おじいちゃんの体調が急に悪くなり、父の表情や会話が険しくなって、家族内にそろそろダメかもって空気も漂い始めていた。
病院に行ったらおじいちゃんは、私をしっかりと見て、私の進学先の話をしてくれた。細々としてはいたがちゃんと会話をしてくれた。でも、ご飯はほとんど食べれず、腕は骨だった。もう少しでおじいちゃんの誕生日だったけれど、正直これは間に合わないかもなって思った。
別れる時はまた来週来るから、って言って別れた。本当に来週なにがあってもまた来るつもりだった。でもおじいちゃんは2日後の深夜に亡くなった。
死んだと聞いても、涙も出なかったし、二度と会えない悲しさなんて湧いてこなかった。葬儀までずっといつもと同じように過ごしていた。
昔おじいちゃんが死んだなんて聞いたら悲しくて泣いちゃうだろうなと思っていたけれど、いざその時がきてみても泣かなかった。そんな自分になんだか大人になったなと思ったりもしたし、でも死んだおじいちゃんの姿みたら泣くかもなって思ったりもした。
けれど実際におじいちゃんの顔を見ても涙は出てこなかった。
式が始まると、仏教の式はひたすら聞くばかりでつまらないなと思い始めた(キリスト教みたいに参列者が歌を歌ったりしないので)。初めて聞いたお経と木魚のリズム感も面白くて悲しみに浸るどころではなかった。
そのまま式は終わって、兄弟と先に帰宅した。帰りの電車の中でも、ぼんやりスマホを見てて、いつもの日常と変わらなかった。
家に帰って翌日の朝のお米を研いでいる時、ふと、おじいちゃんが買ってくれた卓上クリーナーのお礼を言っていなかったことを思い出した。
電動式で、消しゴムのカスとか吸ってくれるただの卓上クリーナー。
おじいちゃんがこれをくれたのは1年程前という割と最近の話だ。けれど私がこれを欲しがったのはもう15年以上も前の小学一年生の時である。夏休みの宿題をやっている時におじいちゃんが自分の卓上クリーナーを貸してくれて、自分もこれが欲しいと、なんとなく言ったような気がする。けれどその後15年以上の間、おじいちゃんの卓上クリーナーを見ることはあっても、そんなこと言ったのはすっかり忘れていた。それで、ついこの間父親を通してクリーナーを貰った時に初めて思い出したのだ。
それを貰った時、私はとても嬉しかった。物よりもなによりも、私が忘れていた発言を私より忘れっぽいはずのおじいちゃんが覚えていて、果たしてくれたことが。
父は、「これは親父の気まぐれで、それを覚えていたわけじゃないと思うけどな」と言っていたけれど、私は覚えていてくれたのだと思った。父が今度お礼言うときに確かめてみればいいと言ってくれたので私もそうしようと思っていた。
でもその後、私はおじいちゃんになかなか会うことができず、結局お礼は言えなかった。おじいちゃんが覚えていたかも確かめることはできなかった。
卓上クリーナーのことを思い出すと、それまでなんともなかったのに、急に泣けてきた。泣いているうちに、おじいちゃんがいつもあの帽子を被って私に会いに来てくれたことを思い出して、涙が止まらなくなってしまった。私のピアノの発表会をおじいちゃんが新品のビデオレコーダーで録画して、テレビで一緒に見たことも思い出した。一人で泊まりにきた私がおじいちゃんとおばあちゃんの間で寝るために、ベッドに渡す板を作ってくれたことも思い出した。
葬式では誰一人泣いていなかった。みんな悲しんでいるのだろうけど、おじいちゃんは長生きだったし、死んだとしても泣くほど悲しいことではないんだなと思った。だから私も泣かなくてもおかしくないと思っていた。
でも、やっぱり、本当はすごく悲しかったんだな。一人でぼろぼろ泣いてしまった。
これも打ちながら思い出したらまた涙が出てきた。
しばらく経てばまた悲しみを忘れて、普通に生きていくのだろう。でもまた一回忌とかで思い出して、泣いてしまうのだろうか。悲しいな。
おじいちゃん、お礼言えなくてごめんね。
実家に帰省して、久々に石神井公園を散策してそのまま帰宅する。
出かけにまで礼服買っときなさいよという母親はやはりどこかずれてる。次に会うときは病院か通夜のはずなんだが。
親父が年内に死ぬかもと告知されていたときから月一で介護辛い、親父の態度が優しくない、頑張ってるのにと俺を含めた兄弟にラインで泣いてた。
それが正月休みは積極的にその後の話と俺たちが子供の頃の過去話ばかりで、具体的な期日を過ぎて、ロスが言うところの死の受容段階にやっと受け入れたのか?と親のいない席でひそひそ話が出るほどの変わり身。
あの人の変心がやっぱりよく分からない。
石神井公園で、よくお祖父さん、お祖母さん、両親に子供の組み合わせをよく見た。
一番年配なのでお祖父さんと想像はつくものの、普段顔を合わせる上司とそう歳が変わらない若々しさだ。
髪が抜け落ちて頭にしわがよって生やしてなかった白髭を流す親父はまだ定年前なのにひいおじいちゃんだった。少し前までまだおじいちゃんだったのに。
和風総本家に出てきた家具職人さんより歳上に見えるって言ったら妹が同意したっけ。
まだ兄弟の誰も結婚していない。親父はおじいちゃんにはなれないまま、亡くなるのだろう。
最後に食べた雑煮は親父が作った。やはりおかんより旨い。親父に嫌われている俺と目を合わすことはなかったが、旨い、旨いと弟、妹と口を揃えて言った朝食で少し得意気な顔をした親父を見れて良かった。
高校の時、同級生に皆から嘘つきだと言われて嫌われていた子がいた。(一応、私の友達ではあった。と思いたい。)
というのも、その子、普段から些細な事で嘘をついていたのはいたらしいが、一つ大きな嘘をついていたといわれていて、それが原因で嫌われていたようだった。
『もってあと1年』
だけど、その事を皆に言う割に、その子は元気に生きながらえた。だから嘘つきだと皆から言われていた。
実際、私もその子から「こんなに飲まないといけないんだ」と言われながら大量の薬を見せつけられた事もある。
そんなとある日の日曜日、出かけていたら一通のメールが届いた。
「○○ちゃんが心臓発作で亡くなりました。葬儀が行われますので、来れる人は来てあげて」
彼女は心臓発作で突然亡くなった。私が彼女から心臓が弱い、余命もあと少し、と聞いて、多分一年後くらいだったと思う。
お通夜に出向くと「あの子嘘つきだよね」と影では言いながら彼女に友達然と接していた女子たちが集まって、彼女の遺影の前でおいおいと泣く姿があった。
嘘つきというレッテルは全くの間違いだったんだって思った。やっぱり、彼女は嘘つきではなかったんだ。
私は何故か根拠もなく、彼女の言葉を信じていたし、嘘つきだと言っていた子達もきっとそう思ったんじゃないかと思った。
そしてその後日、亡くなった彼女と特別仲の良かった友達が、彼女の家へ行って手を合わせたらしい。
「残念でしたね、心臓が弱かったんですよね」
と悔やみの言葉をかけた彼女の友人に、母親が怪訝な顔をしながら、こういったらしい。
この話を聞いた時はぞっとしてしまった。
今年の1月に父親が死んだんだが、まあこういうことは共有しといたほうが良いかと思うのでこうだったら良かったとか、これは良かったということを書く。
病気になって弱ってたりとか入院したりとか言うことはあるが、それでもやっぱり死ぬのは突然だ。電話で死んだときかされると思っていたほうがいい。特に延命治療を希望しない場合は死んでから連絡がある(一応病院は死ぬ前に連絡はくれるが間に合わない
突然死だと用意できないが、高齢になってきたら元気でも用意しておいたほうが良いと思う。まず永代供養の墓地が常に売り出されているとは限らない(売出し時期がある)。あと墓のデザインもある。どこに名入れ(?)をしてもらうかとかもあるし、そもそも石を加工するので時間が必要だし、当然お金もかかる。死んでから用意するとバタバタすぎるし金がバンバン飛んでわけがわからなくなるので、まぁ先に余裕を持ってやっておいたほうが良いだろうと思った。先祖の墓に入るってんならいいんだけどさ。
寺にもよるとは思うのだが、うちの頼んだ寺だと先に信徒になっておくと色々と格安でやってくれる。檀家になると色々かかるので、あらかじめ市営などの墓地に墓を用意しておいて信徒になるのが楽だ。あと死んですぐはホントバタバタするのでここに連絡すれば大丈夫ってのがわかってると心理的に楽である。余談だがお坊さんからきいたところによると、遺族に頼まれてお墓にいったら、この墓うちの信徒のじゃねぇな…ってなって管理してる寺に引き継ぐことがあるらしい。いまや檀家とかよくわからなくなってることもあるので、生前にその辺りははっきりさせておいたほうが良さそうだ。
会員になっとくと割引があったりする。まああと変なところから来られても困るので、死んだらすぐに「うちは○○に頼むことにしてるので」っていうとすぐに連絡が取れて楽。葬儀社はエキスパートなので、まずは呼んでなにをするか聞くのがよいし楽(とはいえうちはすぐに全員があれこれぐぐって必要な手続きをリスト化し、いついつまでになにをして、そのときになにが必要かを洗い出した。相手も人間で抜けがあるかもしれないので一応自分たちでもスケジュールは組むべき)。ある程度年をとったらそこら辺の手配はしておいてほしい。
合成で作ってくれたりするんだが、出来があまりよろしくないのである程度年を取ったら元気なうちに写真は撮っておいたほうが良い。プリンタで引き伸ばした質の悪い写真になるので、大きなサイズも用意しておくとなお良い。
うちは地味に時間があるときにやっといてくれたので家探しせずにすんだが、まとめてないと大変だ。あっても一個ずつ確認して連絡とって手続きをしなければならないので非常に大変。忘れがちなのが家の火災保険の名義変更や、公共料金の名義変更(これがまたガス・水道・電気で違うのでややこしい。固定電話もかなり面倒)なども煩雑なので、できれば生前にできるものは名義変更しておいてほしいし携帯は解約しておいてほしい。いきてる間にやったら楽なものも少なくないので。
うちは密葬で、ということにしていたのだが、葬儀社に一応連絡だけは入れておいたほうが良いと言われたのでそうした。そうしてよかったと思う。別に死んだ人間のためというわけではなく、「人の死を軽くあつかった」というふうに思われたくない人間のほうが世の中には多いので、伝えておかないと家に線香あげに来る人があとをたたない。葬式後は相続関係で家を開けることが少なくないのでバラバラに来られると困るのだ。町内会に所属していた場合などは町内会の会長に連絡を入れ、「故人の希望で…」といって最低限以外はお断りするのが角がたたないし、相手も納得する。会社関係は厚生年金などの手続きですぐに訃報が伝わるので、会社の方から連絡があるが、その時はおなじく「故人の希望で…」と最低限以外はお断りするとよい。
当然だが祭儀場には限りがあるので、死んだ日の夜に通夜ができるわけではない。まず場所を押さえ、いろいろとプランを決めてから準備に入るので、最短でも二日か三日はかかるようだ。そもそも死んでから三日は焼いちゃいけないしな。ドタバタはするが死ぬほど忙しいわけではないので安心しよう。会社は少なくとも七日は休んだほうが良い。通夜までの間に喪服とか必要なものは買いにいけるので大丈夫だ。あと通夜までの間に実印を持っていない法定相続人は実印を作ろう。三文判でも実印にできるけど、名字の漢字が珍しいひととか三文判でも作るのに時間がかかるからね。
病院からもらう死亡診断書さえもらっておけば、焼くまでの手続きは全部葬儀社がやってくれるし、香典返しの手配とかもやってくれる(プランはいくつかあるが)。納骨までの仏壇もレンタルしてくれる。任せるのが楽だし、楽のためにお金を出したほうがいい。ただでなくても疲れるのに諸手続きをやったらたぶんぶっ倒れる。
まず花があるとかなり華やかになるので安いプランでもあらが目立たないし、遺族の気が紛れる。ちゃんと葬儀をしたという実感もえられる。祭壇をシンプルなやつにしてても花があると豪華にみえるのもよい。献花を申し出られた場合はお返しがちょっと大変だが一応受けておいたほうが良いと思う(華やかになるから)
食事は生きている人間のためのものなのであんまり食が進まないかもしれないがある程度のものを頼んだほうが良い。ただでなくてもしんどいので、食事くらい良いものにしないときが滅入りすぎるし、まずい食事は後々尾を引く。とくに通夜のあとの食事はちょっといいものにしたほうがよい。
死後、遺体も生き物なので体が腐っていくわけだが、エンバーメント処置をすることでそこそこきれいに保つことができる。夏場は腐りやすいのでやったほうがいい。うちは冬だったのでやらなかったが、やはり目はどんどん落ち窪んでいくし肌の質感とかも悪くなっていくので微妙に辛いものがある。ただまあそうやって変わっていくことで受け入れられるものもあると思うので、大丈夫だと思うならやらなくてもいいのかも。
お金がいりようになるということはよく聞くので連絡を受けて向かうまでの間にさっと引き出せる口座に百万くらい移動しておいたが特に使わなかった。うちは死ぬ死ぬ詐欺がながかったので口座の名義変更とかお金の移動とかある程度済ませていたのであんまり混乱がなかったが、まぁでも何かと入りようなので焦らないためにも近親者はすぐに大金を引き出せるようにしておいたほうが良いだろう。葬儀とか病院はクレジットカードで払えるのだが、引き落とし口座が死亡者の名義だったりすると、引き落とし日に口座が使えなくなっている可能性があるので要注意だ。そのあたりは生前によくよく確認しておくべき。
うちは女ばっかりの家なので男手がなく、出棺のときに困った。葬儀社がだいたいやってくれるのだが、あれ、ただでなくても重いからね。男手はあったほうがよい。
コートは人によって違うのでわかるのだが、マフラーはほとんど全く見分けがつかないので、混乱を避けるために名前を書いておいたほうがいい。
あと結構場所の移動があるので、それぞれに係をきめておいたほうがよい。運転係、お金関係の係、葬儀場の係、部屋を出る時に最後の確認をする係(うちでは自衛隊係とよぶ)、食べ物を用意する係、などなど。
場合によっては遺産の配分も考えたほうが良い。まぁ働けっていう話もあるんですが、何十年も専業主婦やってきた人は働けないからね…
年金受給年齢に達していない場合、生活が遺族年金頼みになる。毎月(給付は二月に一回だが)いくら収入がはいってそのなかで生活費や税金としていくら出ていくのかを見積もっておかないと生活に困窮する場合がある。うちの場合はなぜか最初から子供が全員遺産相続を放棄する前提だったのでよかったが(なんでだろうなぁまあ最初から放棄するつもりだったけど一応聞けよ)、法定通りにきちんと分けようと考えている時は、その後の援助などの計画もきちんと考えたほうが良いだろう。
http://www.izokunenkin.com/about.html
確定申告がバタバタになるので。年をこしてからだと準確定申告できるので四ヶ月猶予があるが、年末ギリギリに死なれると三月十五日までに確定申告をしなければならないようだ(死亡届を出した日になるのでほんとに年末ギリギリだと年越してから死んだことにできるかもしれないが)。つまりそれまでに相続を確定しないといけない。ここらへんよくわからない場合は遺産相続のプロに代行を頼む必要とかもでてくるので、できれば確定申告が終わるまでは頑張っていきていてほしい。
https://www.nta.go.jp/taxanswer/shotoku/2022.htm
あのエントリを書いた頃に比べると、発達障害についての知見はそれなりに広まりつつあるようです。
非常に遅い歩みだとは思うが、世の中は確実に変わってきていると思う。
しかしこの件については、そんな流れとは全く関係ない結末になってしまったことを書かなければならなくなった。
例の彼だが、ほぼADHDと思しき障害特性(?)は全く改善することなく、少し前に急病で亡くなった。
仕事のストレスから不摂生に陥ったことで生活習慣病を発症、治療もいい加減に済ましていたという既往が積み重なった結果の、突然死だった。
自分は既に転職していたので、最近のことはお通夜でかつての同僚に訊いたのだが、なまじ経験年数だけはベテランに差し掛かってしまったことから、待遇は最低クラスの飼い殺し状態となってたそうだ。
実際、どんな仕事をやらせても、仕事の細かい内容や手順をどんどん忘れてしまい、遂には進捗の把握もままらならなくなって、3ヶ月と保たずに破綻をきたすのだから、クビにならないだけで充分な温情と言えるし、実際上司からもそのように言われていたようだ。
上司の方針として、「誰かのパシリをやってるとかは勿論、一担当者であっても上司のフォローが都度必要なうちは半人前。正社員がそれでは稼げない」という方針で、彼に対して親身に話をしつつ、「今度の仕事なら一人前になるかな」と色々やらせていたようだが、状況は全く好転しなかった。
そして亡くなる直前も、例によって数ヶ月前から着任した仕事で大ポカをやらかし、撤退が確定した矢先だったと。
生活習慣病のこともあり、上司は休職による治療の専念を指示しようか迷っていたらしいが、間に合わなかった。
ようやく気持ちが落ち着いて振り返ると、今回のことは様々な不幸が重なった結果だと思う。
まず彼のポリシーが、いわゆる「長男教」信者だったことは、明らかに治療を妨げる第一要因だろう。
「一家の長男として家を継がなかればならない。親父が既に他界、俺にも妻子がいるのだから尚更だ。だから俺が何かの障害とか絶対にあってはならない、もしそうだったら家族親戚や世間に対して申し訳が立たない」
「まあ、会社のことはめんどくさいけど、なんだかんだ言って『鈍感力』で上手く回ってるというかクビになってないし。病気だって全然自覚症状ないし、そんな怖がってもしょうがない」
という、結構ダメダメな思考パターンで、厳しいことを言わせてもらうと、自分の人生に真面目に向き合っていない感じである。
しがらみにがんじがらめなことを差っ引いても、「先生助けてー!!!」と真逆のスタンスでは、誰も助けられない。
この人はコミュ力も社会性も超一級レベルの人なのだが、だからこそ、他人とのコミュニケーションを「座学的なスタンスで勉強するものではない、そんなこと意味が無い」という思想で出来上がっていた。
言い換えるなら「専門書を読んだり、見ず知らずの専門家のアドバイスを聞いたところで、それが何になるんだ。そんなことより、目の前にいる相手の声や仕草が第一だろ、てかそれが全てだろ」ということである。
そしてこれこそが、結果的に当事者たる彼の改善に繋がらなかったのだと思わずにはいられない。
確かに、コミュニケーションは基本的に経験から身につけるものである。
これらは「マニュアルを読んでその通りにする」とか「教科書と授業」といった、明らかに知識先行の「勉強」ではなく、むしろスポーツ・楽器演奏・歌唱・演技・調理といった「動いてる中で身につける系」である。
例えるなら、ケーキ焼くのに「メイラード反応」を座学で勉強するところから入っても仕方ないじゃん、もっと先に身につけるものがあるだろって話ね。
というわけで、残念ながらなまじ得意な人ほど、座学ベースの勉強を軽視するのである。
だって意識せずに歩けているのに、スポーツ生理学や物理学の知見をいちいち参照する?大抵そういうのって、出来ない人が悩み、苦しむ過程で手を出す物という感じだよね。
即ち、どんな考えも「百害あって一利なし」なら皆即座に改めるのでむしろ話は簡単なのだが、こういう「49の害と51の利がある」くらいだと中々改まらないので、ことは厄介だ。
だからこそ、スポーツだって科学の知見が導入されるのにかなりの時間を要したわけで。
コミュニケーションの問題で言うなら、どんなコミュ強者であっても経験ベースで行けるのは99%までで、残り1%の「生きてる世界が違いすぎる」相手には、多分通用しない。
そしてそうなったとき、大抵「もう俺には分からねえ、どうしたらいいんだよ」となって放置、最悪虐待というルートを辿り、いずれにしても治療や療育に繋がらない結果になると。
例の彼に当てはめるなら、いっそクビにしたほうが良かったと痛感する。
自分としては、もし今後その元上司に会ったら、「今度どっかで彼みたいなのに遭遇したら、5分でいいから専門家の話を聞いてみて下さい」と言ってみるくらいだと思う。
まあ専門家もプロなので、5分じゃ終わらないように話に引き込み、考えを改めさせることを期待したい。