はてなキーワード: 別れの儀式とは
1.朝登園してきて「おうち帰りたい」「ママといたい」って泣き叫んで保護者の足にしがみ付いて離れない子ども。
別にそれはいい、子ども悪くない。親がいつまでも「ぎゅーして10秒したらお別れね」と言いつつ5分くらい玄関やクラス前でぎゅーを繰り返すのはマジで邪魔。保育士は他の子どもどんどん受け入れないといけずその家庭にだけ付き合ってらんないし、そういうお子様は切りがない。
10秒くらいでお別れの儀式したら「仕事なんでこの子お願いします!」って保育士に押し付けて後ろ振り返らずとっとと出勤してくれ。
親がいる限り子どもは気持ちの切り替えできない。クラスに入ってしまえばシール貼ったりおもちゃで遊んだり朝の歌歌ったりで親のことなんか忘れる。子だけでクラス入っちまえばこっちのもんなんよ。
そもそも親がずっといると保育士も親に遠慮して子どもに強く出れないんだよ。親の前では「保育園来て偉いね~」とか言ってるけど、親いなくなったら「早くクラス入って!そこいると通り道だからみんなの邪魔!」って言ってるからな。
保育士誰も冷たい親とか思わないから、お別れはすっぱり頼むよ。
2.涙のお別れした後に30分後くらいに電話で「さっきはお騒がせしました。うちの子今どんな感じですか?」って電話で子どもの様子聞いてくる親。
マジで仕事の邪魔。保育園は午前中かめちゃくちゃ忙しい。早番専門とか給食までの勤務とかの保育所雇ってることから察してくれ。子どもが心配ならそのまま家連れて帰ればよかったじゃん。電話鳴ってて朝のおやつやお茶配膳で忙し過ぎて誰も出られず、10コール目でやっと出られた電話がこれだとマジ脱力。そういうのはお迎えの時にまとめて聞いてよ。
これと同様に「うちの子朝熱高めで咳してたんですが、今具合どうですか?」って電話してくる親も迷惑。心配なら仕事休んで家で子どもみてなよ。何かあればこっちこら電話するって。
「熱まだ高めで咳もすごくてお昼寝できてないです。給食もあまり食べてません」って子どもの体調悪いことを言っても「そうですか。でも仕事休めないので保育そのままお願いします」って意味不明。何のために電話してきたの?早くお迎えに来るでもないんだぜ。忙しいのに意味ない電話してくんな。帰りに聞いてくれ。
てか、あなたたち在宅勤務では?何のための在宅勤務なの?子ども体調悪いときくらい家でみてあげたら?
3.お迎えにスーパーの買い物袋下げてくる親。
保育士よ今日も手のかかる子どもを見てくれてありがとう、の気持ちが少しでもあれば、せめてネギとか隠してこようか。買い物時間あればその分早くお迎えきてよ、が保育士の本音。
両親そろって一緒にお迎えにくる親。
これ保育士にはすごく心証悪い。偶然一緒に駅で一緒になったの?それならいいけどもしかして待ち合わせしてた?待ち合わせの時間あるなら片方がお迎え来れるよね?まさかまさか、今日仕事休みで夫婦でデート??なんかママ化粧濃いし服もいつもと違ってオシャレ??
保育時間って保護者の仕事の時間や日数で計算されてて、自治体や国から補助金でてるわけで、税金で君たちの余暇を保障してるわけではない。ママが病院行きたいとか兄弟の行事があるとか転職活動で面接あるから仕事は有休、とかの理由なら保育するけど、それだって半日でいいでしょ。
今いろんな保育園あって、仕事休みでも保育可能だったり、ママの髪の長さが朝とお迎えで違ってても何も言われない園もあるけど(少子化だから園も子ども集めるの必死で親に甘くなってきている)、保育士みんなそういうとこ見てるからな。
本番無しのお店で、普段はフ○ラや手コキすら頼まず、それでも圧倒的可愛さで数回通ってた嬢とのお別れの儀式を執り行いました。
「(お別れ決意した嬢が)No.1なのは安く裏オプション付けてるから(意訳)」とのこと。
薄々感じてたよ、てか、知ってたよ。
ゼロコンマ、ゼロが幾つか続いて数字が来る、めちゃめちゃ可愛いから、気さくな性格だから、肩もみとか上手いから、(裏オプ無しで)No.1だったっていう可能性、幻想が砕け散りました、はい。
はい、知ってましたけどね!
そんなわけでお別れ本指名。
裏オプ安いが真実なのかそうでないのかはともかく、肩が凝ってたので、それさえほぐしてくれたら十分で、あとはその場の雰囲気で。
なんだかんだあって。
「先っちょだけとかでもダメ?」って、お伺いをたててる某が居申した。
「それでもオプションが○○円かかるよ、もったいないよ、ヘルス行きなよ、ここはそういうとこじゃないよ」
「お前がええんや!(意訳)」
先っちょ合意。記念すべき先っちょ合意。SDK(先っちょだけ協定)が締結(←何故かしけつって入れても変換できない)されました。
「拙者は一切動かないでござるからな。其方の匙加減で先っちょおば」
「あと本日は射精とかしないで帰る所存でござるので、真に先っちょだけを」
そう言い含めてあったのに。
凄い声出しながら、奥までとは決して言えたもんじゃないですが、中ほど以上でした。ピストン。
そんな疑問を浮かべつつ、小生は天井を見つめておりました。いざ果てる、その時まで。
前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。
その頃のことを思い出したのは元増田の記事を読んだからじゃなく、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かに読まれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。
今回の猫は心臓の悪化?から肺機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。
そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。
細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。
前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。
選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。
バックヤードに入って声をかけてから、就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそばの椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後からは酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。
しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫からの最後の要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。
その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ。
死も病も生きとし生けるもの、代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別な運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。
安楽死は想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚がストンと理解できた。通夜をするのだと決めた。
猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。
この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクトな姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。
やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手な欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。
寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分の状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。
翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来の香りは一切しなかった。発症してからの口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。
その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。
私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。
最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。
例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分で体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものだからだ。
だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。
その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触を仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる。
時間が解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。
猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。
猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手な解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。
一匹目の猫は乳癌で死んだ。
腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。
最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。
最後の日、私が居間でインターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。
学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。
風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。
あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。