はてなキーワード: 通夜とは
あのエントリを書いた頃に比べると、発達障害についての知見はそれなりに広まりつつあるようです。
非常に遅い歩みだとは思うが、世の中は確実に変わってきていると思う。
しかしこの件については、そんな流れとは全く関係ない結末になってしまったことを書かなければならなくなった。
例の彼だが、ほぼADHDと思しき障害特性(?)は全く改善することなく、少し前に急病で亡くなった。
仕事のストレスから不摂生に陥ったことで生活習慣病を発症、治療もいい加減に済ましていたという既往が積み重なった結果の、突然死だった。
自分は既に転職していたので、最近のことはお通夜でかつての同僚に訊いたのだが、なまじ経験年数だけはベテランに差し掛かってしまったことから、待遇は最低クラスの飼い殺し状態となってたそうだ。
実際、どんな仕事をやらせても、仕事の細かい内容や手順をどんどん忘れてしまい、遂には進捗の把握もままらならなくなって、3ヶ月と保たずに破綻をきたすのだから、クビにならないだけで充分な温情と言えるし、実際上司からもそのように言われていたようだ。
上司の方針として、「誰かのパシリをやってるとかは勿論、一担当者であっても上司のフォローが都度必要なうちは半人前。正社員がそれでは稼げない」という方針で、彼に対して親身に話をしつつ、「今度の仕事なら一人前になるかな」と色々やらせていたようだが、状況は全く好転しなかった。
そして亡くなる直前も、例によって数ヶ月前から着任した仕事で大ポカをやらかし、撤退が確定した矢先だったと。
生活習慣病のこともあり、上司は休職による治療の専念を指示しようか迷っていたらしいが、間に合わなかった。
ようやく気持ちが落ち着いて振り返ると、今回のことは様々な不幸が重なった結果だと思う。
まず彼のポリシーが、いわゆる「長男教」信者だったことは、明らかに治療を妨げる第一要因だろう。
「一家の長男として家を継がなかればならない。親父が既に他界、俺にも妻子がいるのだから尚更だ。だから俺が何かの障害とか絶対にあってはならない、もしそうだったら家族親戚や世間に対して申し訳が立たない」
「まあ、会社のことはめんどくさいけど、なんだかんだ言って『鈍感力』で上手く回ってるというかクビになってないし。病気だって全然自覚症状ないし、そんな怖がってもしょうがない」
という、結構ダメダメな思考パターンで、厳しいことを言わせてもらうと、自分の人生に真面目に向き合っていない感じである。
しがらみにがんじがらめなことを差っ引いても、「先生助けてー!!!」と真逆のスタンスでは、誰も助けられない。
この人はコミュ力も社会性も超一級レベルの人なのだが、だからこそ、他人とのコミュニケーションを「座学的なスタンスで勉強するものではない、そんなこと意味が無い」という思想で出来上がっていた。
言い換えるなら「専門書を読んだり、見ず知らずの専門家のアドバイスを聞いたところで、それが何になるんだ。そんなことより、目の前にいる相手の声や仕草が第一だろ、てかそれが全てだろ」ということである。
そしてこれこそが、結果的に当事者たる彼の改善に繋がらなかったのだと思わずにはいられない。
確かに、コミュニケーションは基本的に経験から身につけるものである。
これらは「マニュアルを読んでその通りにする」とか「教科書と授業」といった、明らかに知識先行の「勉強」ではなく、むしろスポーツ・楽器演奏・歌唱・演技・調理といった「動いてる中で身につける系」である。
例えるなら、ケーキ焼くのに「メイラード反応」を座学で勉強するところから入っても仕方ないじゃん、もっと先に身につけるものがあるだろって話ね。
というわけで、残念ながらなまじ得意な人ほど、座学ベースの勉強を軽視するのである。
だって意識せずに歩けているのに、スポーツ生理学や物理学の知見をいちいち参照する?大抵そういうのって、出来ない人が悩み、苦しむ過程で手を出す物という感じだよね。
即ち、どんな考えも「百害あって一利なし」なら皆即座に改めるのでむしろ話は簡単なのだが、こういう「49の害と51の利がある」くらいだと中々改まらないので、ことは厄介だ。
だからこそ、スポーツだって科学の知見が導入されるのにかなりの時間を要したわけで。
コミュニケーションの問題で言うなら、どんなコミュ強者であっても経験ベースで行けるのは99%までで、残り1%の「生きてる世界が違いすぎる」相手には、多分通用しない。
そしてそうなったとき、大抵「もう俺には分からねえ、どうしたらいいんだよ」となって放置、最悪虐待というルートを辿り、いずれにしても治療や療育に繋がらない結果になると。
例の彼に当てはめるなら、いっそクビにしたほうが良かったと痛感する。
自分としては、もし今後その元上司に会ったら、「今度どっかで彼みたいなのに遭遇したら、5分でいいから専門家の話を聞いてみて下さい」と言ってみるくらいだと思う。
まあ専門家もプロなので、5分じゃ終わらないように話に引き込み、考えを改めさせることを期待したい。
いつのまにか平成ジャンプがやまだりょうすけ以外のやつがセンターになってた
今度映画に出るやつ
キムタク身長低いっつうけどむしろ慎重高いジャニーズのほうがレアで基本ジャニーズって身長弾くいイメージあるから
時雄といえば今朝の死ぬbんにあのオールバックの天国に一番近い男最米トラーああ松岡が遠山の金さんやるって載ってたわ
しかし花吹雪みせてる肩がひょろひょろでちょっとがっかりんこしたわ
でもいれうみのどこが偉いんだっ通関時はするわなあ
とおやまのきんさんも水戸黄門も見たことないけど何が偉いんだろうってのはあるなあ
ああ鉈で隣人家族を傷つけたってのがニュースになってたなめっちゃこわいね隣人トラブル
死人でたらほんとやばかったよなあ
今朝のののちゃんはののちゃんが鞄をママのと間違えてもってきてて絵具を財布で買おうとしたところを汗だくではしってきた母親にすぱーんってつっこまれるってやつだった
ようやくな通夜さ海の宿題おわって自分の心も空も青空みたいな話だった
うーん衆院解散ねえ・・
今日も堺市長選挙があった。この堺市の選挙は一地方都市の市長を決めるというだけの問題ではなくて大阪府の今後を決めるかもしれない選挙だった。結果は現職市長の再選。
性格が悪い私の個人的な選挙の楽しみは負けた陣営のお通夜な雰囲気の事務所を見ることと、負けた陣営支持を公言していた人たちのツイートを見に行くことである。
どちらが勝とうが負けようが楽しい。お通夜の雰囲気になってる事務所をげらげら笑うのももちろん楽しいけど、やっぱり自暴自棄のようになっている支持者のツイートが一番楽しい。
「○○を選ばないなんて本当にバカ。」とか「○の地域はどうしようもない田舎者」とか書いてるのがめっちゃ好き。
負けた候補や政党を支持する人間はとにかく買った候補や政党に投票した人のことを罵るよね。私からすると益々その人たちのこと嫌いになる。
少し前の話だが、ばあちゃんが死んだ。
ばあちゃんと言っても血は繋がっていない。隣に住んでるばあちゃんだ。
うちは母子家庭で、当時40になったくらいの母さんと、小学生のおれと、弟の3人家族だった。
まぁ母さん一人の稼ぎじゃもちろん裕福ではなく、地味な暮らしをしてた。
小学生だった俺ら兄弟はまだ金の使い方も知らなくて、友達の持ってるゲーム機とか、はやりのソフト、
カードゲームなんかをいいなぁと思いながら、ま~子どもと言ってもその辺の雰囲気は分かるから、
いい子ちゃんしてわがままもそんな言わなかった(小学1年の弟はまぁまぁ駄々をこねてたけど)。
それより俺らがしんどかったのは、母さんが全然家にいないことだった。
小4と言ってもまだまだ子どもなので、寂しいは寂しい。
朝俺らを送り出して仕事にいく母さんは、9時10時まで帰ってこなかった。
そうなると俺は小1の弟を放っておけないから家に居がちになるし、夜はどうしても家で2人ぼっちになって、
母さんが作ってってくれたご飯やら買っておいてくれたパンやらを食べて、テレビを見たり2人で小突きあって時間を過ごした。
そんな俺らに救世主が現れた。隣の家のばあちゃんだ。いま思えば60代前半のばあちゃんは
「おばあさん」ていう歳ではなかったのかもしれないが、俺らはばあちゃんて呼んでた。
ばあちゃんとじいちゃんは、月4万5千円のボロ戸建てに住む俺らの家の隣の、それなりに広くてきれいな一軒家にずっと2人だけで住んでた。
日本家屋って感じの畳部屋ばっかの家で、中庭があってっていう少し広めの家だ。2人の子どももいたけど、あまり見かけたことはない。
ばあちゃんとの出会いは、笑っちゃうんだけど、柿どろぼうだった。
ばあちゃん家の庭には大きな木が何本かあって、中でも2階以上の高さの柿の木は、毎年沢山実をつける。
俺らは塀越しに手を伸ばして棒とか使ってとってたんだけど、ある時、「上の方のならもっと獲っても気づかれなくね?」
ってなって、こっそり隣の庭に入って木に登って獲ってたんだ(普通にDQNだな)。
ガラって音がして家の窓が開いて、あ、ヤバイってそっちを見たら、にこにこしたばあちゃんが顔を出して、「おとなりの●●くんと●●くんね」って言われた。
俺らは怒られるものとばっかり思ってたから拍子抜けして、「こ、こんにちわ~」って間の抜けた返事しかできなくて、
そしたらばあちゃんが「柿が好きなの?沢山持って帰りなさいね」って。
「え、いいんですか?」って聞いたら「私たちだけじゃ食べられないし、木にも登れないから、窓から手が届くところ以外は鳥のえさなの。
だったら沢山食べてもらった方が柿も喜ぶからね。お母さんに持ってってあげて」って言った。
緊張が解けてどっと安心して、ずうずうしく「あざ~す」みたいにそのまま沢山とって、ばあちゃんがくれたビニール袋に入れて持って帰った。
夜に母さんがたくさんの柿を見て驚いて、勝手に入っちゃったけど怒って無かったよって言ったら、ちゃんと謝ってこい!って怒られた。
翌日母さんに持たされたりんご持って謝りに行ったら、「そんなことよりうちにあがんなさいよ。蒸しパン沢山作ったのよ」
って言われて、またほいほい中に入って食わせてもらった。
それをきっかけにお隣によく上がりこむようになって、ご飯だのお菓子だの沢山食わせてもらった。
一度、「柿盗んでた時なんで怒んなかったの?」って聞いたら、「うちにはもう息子たちも寄り付かなくって孫にも中々会えないから、
何かあの木に登ってるところ見たら嬉しくなっちゃった」って言ってた。
今思うと、ばあちゃんも寂しかったのかもしれないし、何より隣だから母さんは母子家庭だってことを話してたと思うし、
ばあちゃんは俺らが2人だけで家で過ごしてることとか、うちがあんまり裕福じゃないこととかもわかった上でそう言ってくれたのかなぁって思う。
チビだった弟はことさらばあちゃんになついて、子犬みたいにばあちゃんの近くをうろうろしてた。
多分話を沢山聞いてもらえることとか、すごいねえらいねって褒めてもらえることとかが嬉しかったし、やさしいばあちゃんが好きだったんだと思う。
家庭環境からお察しだが、今まで周りにじっくり話を聞いてくれる大人なんかいなかったから。
そんなこんなでばあちゃんには沢山世話になって、俺が高校入って部活に精を出したり、
弟も大人びてきて友達と外で遊んでばっかりだったりして通う頻度は減ったけど、ばあちゃんは変わらず俺らを可愛がってくれてた。
ばあちゃん家に呼ばれた日のご飯は育ち盛りのおれらを意識して、どんどん肉が盛り込まれ、量もすごいことになってた。
夏は庭で花火をして、すいかやトマトやらきゅうりやらを冷やしながら食べた。
(もちろん、じいちゃんも色々世話をやいてくれたし、ばあちゃんがそんだけ俺らに手をかけてくれたのもじいちゃんの広い心のたまものだと思うからめちゃくちゃ感謝はしてる)
そんな時だった。ばあちゃんが脳溢血で倒れて、後遺症からじいちゃん一人では世話が難しく、しばらく入院した後施設に入ることになった。
俺らは病院へお見舞いに行ったりしたけど施設となるとなかなか行きづらく、
施設も遠くて、大学に入って日常生活がにぎやかに忙しくなっていた俺は自然と疎遠になってしまっていた。
弟はたまにお見舞いに行ってたみたいだ。
そこから2年ほどで、ばあちゃんが死んだという知らせがきた。
母さんから電話でその知らせを受けて、俺は泣きだしてしまった。でも、泣き出してしまった自分に驚いた。
なぜなら遠くに住んでた方のじいちゃんが死んだ時は、葬式では少し涙ぐんだが、こんなに泣いたりはしなかったからだ。
堰を切ったように自然と涙がボロボロ出てきて、ああ、家族が死んだんだ、もう会えないんだっていう寂しさつらさがガーって襲ってきた。
急いで家に帰ったら、同じく飛んで帰ってきた弟がいて、顔を合わせた瞬間またボロボロ泣いて、
「にいちゃんばあちゃんが死んじゃった」って子どもみたいに泣いてて、ああ、こいつも同じなんだなって思った。
通夜にも告別式にも出た俺らはあちゃんばあちゃんってボロボロ泣いて、花入れて出棺する時はことさら泣いた。
しわくちゃになったばあちゃんが、穏かな顔で寝てるみたいで、手を触っても硬くてひんやりしてて、たまらない気持ちでいっぱいだった。
実際の孫たち(もちろん顔見知りではあった)はそこまで泣いておらず、
じいちゃんは、俺らのそんな様子を見て、「ありがとうな…」って涙ぐんでた。
ばあちゃんがいない喪失感は大きく、何か実感がわかないなぁってしばらく思ってた。
ばあちゃんは俺らの本当のばあちゃんだったよ。沢山可愛がってくれたばあちゃんは、本当のばあちゃん以上に俺と弟のばあちゃんだった。
血のつながりも大事だ。だけど人と人の絆には、血縁は関係ないと思う。
一緒に過ごした時間や思い出が多ければ多いほど、繋がれるものなんだと思う。
だから、俺らとばあちゃんを一緒に過ごさせてくれた全部と、ばあちゃん本人に感謝してる。
ばあちゃん、愛して育んでくれて、ありがとう。
・年齢
・出身地
・普段どこでご飯を食べるか
・血液型
・趣味について
・休みの日の過ごし方
・友達について
・仕事について
・出身地
・兄弟
・休みの日の過ごし方
初めて会ってご飯食べた人で、共通の話題を探したりとにかく何か話題をと考えて基本的な質問から
相手が答えたことを広げたり共感したり質問したり、色々2時間半がんばったけど
最後まで相手は質問に一言で返したりして、話を続けようとはしてくれなかったし
こちらがもう話すことねぇやと黙ったら、とってつけたように質問してきたのが上の3つの質問という
食べてるものも「これ美味しいね」と言っても「うん…」くらいの反応でなんだよ不味いなら不味いって言えよ
会話をしてくれよ
これでこちらがお前と同じように会話しなかったらどうなってたんだよ…お通夜になってたよ…
相手に興味がなくてもご飯を食べに行くと決めた時点で少しはがんばろうよ
「ねーねーもしミサイル落ちて来たらどうすればいいの?逃げろとか対策しろとかって言われても絶対に無理だよねー?」
その場にいた人達は口々に無理だと言い、
と言い出す人もおり、
「それなら家族全員家にいる時がいいよね」
と言う人もいた。
私も含めて全員、小さな子供を持つ母親で、そういう人達の口からまるで模範解答の様にそんな言葉がいともあっさり出てくる。
今はそんな世の中なのだ。
嫌だ死にたくない、諦めたくない、とは言ってはいけないのだろうか?
言うと泣きたくなるから、皆の気持ちをざわつかせない為の気配りとして、わざと言わないのだとも取れるけれども、私がその場にいて感じたのは重すぎる圧力だった。
いざとなったら潔く命を手放す「べきである」と。
なんかもうムカついてきた。北朝鮮にではなくて、私が今、この状況に置かれている事に。うっかりすると仲間達からみんな一緒に綺麗な死を選ばされそうな事に。
私は、幼い頃から色々酷い目に遇わされても来たけれど、それでもまだ未来を信じていて、希望を持っていて、だからこそ子供を生んだ訳だけれども、それなのに今、模範解答として美しい死に様について、言わされようとしている。
もう諦めよーよ、だと?ふざけんなと。
未来を信じない、将来に希望を持たない空気は今に始まった事ではなくて、結構前からずっと続いていて、偶々ミサイルのせいで顕在化しただけなんじゃないかと私は思うんだけど、たぶん自分でも気づかなかったか無意識に蓋をしていたが、それがすごく苦しかったし嫌だった。
私はそれにとても抵抗したい。というのは武器を手に戦うという事ではなくて、未来を信じるということだ。五分後、明日、来週、来月、来年、何年も先も私や私の子供達や夫は生きてそれなりに暮らしていると、信じたいし願いたい。
生きる事は苦行や罰ゲームの類いではないと思っていたい。
皆仲良く諦めて死ぬのは異常だと思いたい。
私自身がそうなのであまり意識したことがなかったし、一応伝統ある日本の宗教だとも思っていたのだけれど。
最近たまたま友人とその家族とそういう話をする機会があって、自分の出自としてうちは神道で~と
流れであまり深く考えずにそう話をしたのだけど、えっ、神道って何?という反応をされて戸惑った。
お寺が仏教で神社が神道ですよ、と説明したのだが、あまりピンと来ていないようだった。
そういえば周りにうちも神道だよ、なんて人に出会ったことがなかったなと思い、
サンプルが少ないのでそのおうちの教育が、ということもあるのかもしれないけど、
反応ありがとうございます。いくつか補足と返信をさせていただきます。
1. トラバもしたのですが、うちは
というわりとガッツリ神道の家なのですが、そういう人って少ないんでしょうか?ということでした。
広義の神道の信者は確かに多いと思います。みんな神社行きますし、神社本庁の信徒は1億人くらいいるらしいです。
2. お墓はよくわからないのですが、「~家奥津城」と書いてあったと思います。
葬儀で神主さんが祝詞を読んだときも「おくつきのみや・・・」みたいなことを言ってました。
うちはまさにこれでした。
他のコメントも全て読ませていただいてますが、やはりそういう家庭はそれほど多くないのでは、との意見が多いようです。
大変参考になりました。
動画:故人がペッパーでよみがえり、テクノロジーで弔う「四十九日」 写真9枚 国際ニュース:AFPBB News
この記事が話題になってて、故人の顔と音声をPepperで49日間だけ再生するという奇妙なプロジェクトがあるのを知ったんだけど、記事を読んでもこの発案者の市原さんという人の考えてることがよく分からない。
記者はこう書いている。
故人が四十九日の間、そばに居てくれたら。懐かしい口ぶりや仕草をもう一度目にすることができたら──。大切な人を失った喪失感を、テクノロジーで癒やす「新しい弔い方」に目を向けたのはアーティストの市原えつこ(Etsuko Ichihara)さん(29)。
遺族の悲しみを癒すと記者は書いているが、市原さんの考えはもう少し深いところにあるらしい。
「誰かが亡くなった悲しみや、自分が死ぬかもしれない恐怖を、科学では根本的に解決できないところがある。それを担ってきたのが宗教。宗教がかつて担っていた領域を、テクノロジーを使って再輸入できないかと思った」
意図するところがわからないが祖母の死をきっかけに思いついたそうだから、肉親を亡くすとはどういうことか、具体的な何かの思いがこのプロジェクトを動かしてるんだと思う。
でもさ。
俺の父親は認知症で60代半ばでボケ出して徘徊をするようになり、二人きりで住んでいた老齢の母を散々手こずらせ、もちろんヘルパーさんは来てくれるんだが24時間つきっきりな訳はなく、70をいくつか過ぎて足腰が弱ってからはやっとおとなしくなったけどその頃にはもうまともな会話ができなくなって、80のだいぶ前に病院のベッドで干物みたいになって死んだんだけど、あの10数年間の父、誤解を恐れずにいうと徐々に父でなくなっていった父をPepperで再現する意味はないし絶対してほしくないな。だって死ぬ間際の父はロボット以下だったのだから。
父の通夜では俺が添い寝した。焼き場で骨を拾った時は泣いた。母は通夜も葬儀も泣き通しだった。だから悲しくないなんてことはない。
でもある種の解放感を感じなかったかと言えば、それはウソになる。
肉親を失うって、ただ悲しいだけじゃない、色々な感情のごちゃ混ぜなんだと思う。通夜から葬儀の間は、感情に向き合うのを忘れさせるために、わざとバタバタと忙しくさせるのだとも聞く。
49日、あるいは納骨までの一定の期間というのは、介護で苦労した母の思いや遠くで働いているためにモヤモヤした思いでいるばかりでロクな孝行ができなかった俺の悔恨を整理するために用意されていたように思う。
父には大した遺産なんてなかったから相続がどうのというのはなかったけれど、相続で揉めると憎しみさえ生まれるかもしれない。
そんなこともあってか、亡くなったのお面をかぶり喋り方を真似るPepperというのが、ビジュアル的な気色悪さを除いても、何でそういうものを作るのか、やっぱりピンと来ない。晩年の父はボケてたから。ボケた肉親のロボットに出会いたいと思うだろうか?
もちろんこれはうちの場合だけで、中にはPepperになった肉親に会いたいと思う人もいるだろう。だからそれぞれの家庭の事情に結局は帰着するのだという身もふたもない話になるのだが、少なくとも俺には故人のモノマネをするPepperというものに対して、拒否反応がまず第一に来てしまう。
それは僕も知っていた。
1週間前の事。
親戚のおじさんが入院したと聞いた。
入院の理由は「歩けるようになるまで検査をかねて入院する」という話だった。
お世話になっていたので、次の日病院に行くことにした。
会ってみると、呼吸するのも苦しそうな位、変わり果てた姿だった。
しかし、僕に気遣ってくれたのか、おじさんは「俺の予定だと3日で退院すると」
その3日後、おじさんは亡くなってしまった。
お通夜でおじさんの顔を見ようとしたけど、僕にはできなかった。
何故?急に死んでしまったのかと言う現実を受け止め切れなかったからだ。
つい一週間前は会話できてたのに・・・・
これが本当のお別れなんだと。
「腹いっぱいくって寝ろ」
「それが一番の幸せだ」
と教えてくれたおじさん。
本当に本当に
辛かった。
この時、僕は人は死ぬんだと実感した。
今更の話になってしまうけど、
僕がお見舞いに行った時点で、詳しい検査すら受けてなかったらしい。
あの時、容態の変化を察して、病院側にもっと口を出してもよかったかも知れない。
後悔しても後悔しきれない。
ごめんね。
いわゆる記念日反応ってやつがしんどくて書いてます。支離滅裂失礼します。
でも、明日になったら消すかな。どうかな。
十代のころから二十年以上、ほぼ毎週通ってたならいごとの先生が亡くなって1か月過ぎました。
傘寿近いけど、家族もいなくて、親戚は遠方だから、毎日お見舞いに来るような人もいない。
勝手な個人的感情だけど、そんな病院生活をさせるのがいやで、用事が無ければ亡くなるまでの数週間ほぼ毎日見舞いに通ってた。
別に何の世話もせずに仕事の愚痴とかしゃべりまくってただけだし、本人がどう思ってたかは分からない。
もっと他に顔を見たかった親戚とか他の弟子とかいたんじゃないかなとも思う。
その日、病院にいったら自宅に帰ったと聞かされて、あわてて親戚のひとに連絡をとったら、翌日やっとつながって、亡くなったことを知らされた。
あちらの意向で身内だけで済ますといわれて、通夜も葬式も行けなかった。
しょうがないよね、私はただの弟子で、親戚のひととの面識はほとんどないし、相手にとってみれば面倒いがいのなにものでもないんだもの。
だめだなー。つらいなー。
お腹はちゃんとすくし、ごはんだって美味しいし、楽しんだり、笑ったりすることもできるけど、ふとした瞬間にスイッチがはいって、べそべそと泣いている。いい年したオバサンなのにね。
家族とか友人とか、一応何人かにできごと自体は話しているんだけど、家族はこの手の泣き言をそのまま受け止めてくれるタイプじゃないし(「いつまで辛気くさいことを言ってるんだ」とか「そんなこと言っても今更無駄だろう」とか言わずにはおれないタイプ)、話してて泣かずにいられる自信が無いので友人に相談して聞いてもらうこともできない。
Twitterやblogで延々と語るのも、やっぱりネット上の友人知己に迷惑な気がして、こらえきれずにぽろぽろつぶやいたほかは避けている。
こういった別れに後悔が残らないようにはできないって頭では分かっているんだけど、あれとかこれとかやっておけば良かったとか、不肖の弟子でごめんなさいとか思っちゃうわけで。
カウンセリングとか受けるのが一番なのかなと思うけど、行ったことないし、ハードルが高くてグリーフケアの本とか読んでいるだけ。
先月、母が亡くなった。
母を亡くしてからとても寂しくて時々私も死にたくなる。
早く死んでしまいたい。
私には父がいない。いないというより、いるにはいるが私が生まれる頃から別々に暮らしていて、あまり面識がない。あまり会ったことのない人を父親だと思えないので、父がいないということにしている。
私は昔から内弁慶で外では大人しく良い子のように振る舞うのに家ではワガママ自己中だ。母には何度もワガママを言った。母が私を生んだ歳は初老に近い歳と言ってもいいと思う。その為、私が小学生に上がる頃には母は子育てだけではなく、更年期とも戦っていた。更年期で気分の下がる中、私のワガママはうっとおしかっただろう。更に気分の下がった母はよく、「死ぬ」ということを口にしていた。その母の口癖がうつったのか、中学に上がる前には「死にたい」とよく言う子供になっていた。
小学校高学年のとき、私はいじめにあった。今思うと、いじめではないのかもしれない。ただ、「からかい」の延長線なのかもしれない。クラスの男の子から見た目のことをよくからかわれ、それが嫌で嫌でたまらなく、自殺をした。「死ぬ」という言葉が身近だったからつらいことがあれば死ねばいいのだと思った。でも自殺は失敗した。遺書まで書いたのに、首を吊ろうとしたロープは途中で千切れ、ただ首に痣を残しただけだった。死ねなかったことがあまりにも惨めで寂しく感じ、母に、男子にいじめられてること、自殺しようとしたことを伝えたら母は泣いた。「気付いてあげられなくてごめんね」と言いながら泣いた。なんだか余計に自分が惨めだと感じた。
中学の頃もいじめられた。これももしかしたらいじめられてはないのかもしれない。ただ、私は人付き合いが苦手で上手くクラスの子と話せず、完全にクラスで浮いてた。親友だった子は他の子といっぱい喋っていた。親友を取られたように感じた。
私は被害妄想が激しい方なのでもしかしたらそれは妄想かもしれない。でも、私を菌扱いしてる男子がいたことは事実だし妄想じゃないことははっきりしている。
この時も死にたくなった。でももう失敗はしたくないし、あんな惨めな思いはしたくなくて、なんとか学校に行って生きてた。
学校から帰ってきて、家の庭で何度も泣いた。家の中で泣いたらいじめられてることが母や姉にバレるから。なぜか家族にバレたくなかった。理由はよく覚えてないけど、とにかくバレたくなかった。
でも精神は不安定だから家の中で横暴な態度を取り続け、母に当たっていた。何かを察した母は「またいじめられたの?」と聞いてきた。私が母に当たる度に母はそれを聞いてきた。私はそれに腹がたって更に母に強く当たった。
そんなことが続いて、ある日母と大げんかをした。私は何かを言った。言った内容は覚えてないけど、何か、母をとても傷付けることを言った。それを聞いて母は私に「あんたなんか産まなきゃ良かった」と言った。私は泣いた。産まなきゃ良かったと言われたことではなく、母にそんなことを言わせてしまったことに泣いた。私があの時母に言った言葉は覚えていないが、私が母に「産まなきゃ良かった」と言わせるような、誘導するような言葉を言った気がする。私は母をすごく傷つけただろう。
私が高校にあがり、しばらく経った時、母は癌になった。家族でいっぱい泣いた。みんなで頑張ろうと言いながら泣いた。
何度か入退院を繰り返し、発症から約1年後、母は頑張って癌を治した。
それで安心したのも束の間、私が高校を卒業する頃には母の癌が再発した。脳腫瘍だった。
私は高校を卒業した後、短大に通うために少し遠くで一人暮らしをした。母が再び闘病する姿は近くでは見ていない。姉や母がたまにかけてくる電話で母の様子を知っていた。
私が短大を卒業し、地元に戻って来る頃、二度目の闘病を母は乗り越えた。
でも、後遺症は残っていた。
身体の左半分は思うように動かないし、少し認知症のような感じの言動も見られた。
母の闘病を間近で見ていない私は認知症のように幼児退行した言動を時々起こしたり、理不尽なことを言う母を自分の母と思えなかった。
別人のように感じた。
どうしても受け入れられず、また、キツく当たってしまった。
最低だ。恥ずかしい。そんな思いはあったが、気付くとキツく当たっていた。本当にバカだと思う。
母の脳腫瘍はまた再発したのだ。
もうこれで三度目の闘病だ。担当医は「もうダメだ」というようなことを言った。
そのことは母には伝えなかった。だからなのかわからないが、母は、担当医が予想するよりも長く生きた。最後の方は意識はほとんどなかったがそれでも生きていた。
それでも私はバカだから母との残された時間を大事にしていなかった。
母が死んだのは朝方だった。病院は家から車で1時間ほどかかるところにある。寝起きの姉と私は母の最後に間に合わず、看取ることができなかった。私達が病室に着いた時、母はもう冷たかった。
「なんで私達のことを待ってくれなかったんだろう」そう思ったとき、母の「あんたなんか産まなきゃ良かった」という声が頭の中に響いた。
姉は献身的に母のことを見てたが、私は違う。バカだから母を沢山傷付けたし、悲しませた。
もしかしたら母は死に際に私の顔なんて見たくなかったのかもしれない。
周りの、親戚や母の知り合いはそんな私のことを慰めた。
ありがたい言葉だ。でも、そんなの他人の予想でしかない。母の本心はわからない。私にあんなに傷付けられ、本当に幸せだったのだろうか。自分が授けた命を無駄にしようとし、酷い言葉を投げるような娘など本当は大嫌いなのかもしれない。
だって、「あんたなんか産まなきゃ良かった」と言わせてしまった。
母の本心が知りたい。
私はバカだからまた、母を傷付けるようなことを口にしてしまう。死にたい。
また命を無駄にしたいと思っている。
今夜眠りに着いたら明日の朝、目が覚めなければいいのにと思う。
死んで、母に会いたい。母に会って母に謝りたい。沢山傷付けた分、沢山沢山謝りたい。
そして母の本心を知りたい。私のことを許さなくてもいい。私のことが嫌いなら罵倒されたって構わない。「あんたなんか産まなきゃ良かった」ともう一度言ってくれたっていい。なんで私達を待たずに死んでしまったのか聞きたい。
母の本心を聞いたら私のこの不安定な気持ちは落ち着く気がする。早く死にたいという漠然とした不安も無くなる気がする。
さっさと死んで、母に会いたい。
明日の朝、目が覚めなきゃいいのに。
https://anond.hatelabo.jp/20170715032310
の続き
・クソリプ大杉問題:フェミが1発言すると脊髄反射の女性蔑視者が100くらい寄ってたかってクソリプして収集つかなくなる。大体発言をろくに見もしないで「おまえの自己責任だ」「ブスBBA死ね」などが大量にあふれ地獄絵図と化す。最悪まとめられ、さらしあげられる。たぶんこの辺の層はなんというか、知能というものが発達していないのだと思われる。
・論点曲解問題:フェミの発言の意図を、(無意識に)曲解して議論にならない。こないだのゆらぎ荘では「表現を規制するつもりか?」「男女を逆にしたら問題ないじゃないか?」など、問題の焦点をずらす。この辺りは言語が通じるという意味でさっきよりもましだが、なんというか少し頭が残念なタイプ。一般的な男性諸氏(私も含め)はこのあたりに分類されそうだ
・フェミと男性諸氏の認識祖語:フェミ側は「こんな嫌なことがあった。(共感して議論しよう)」と発するのに対し、男性側は「こんなことがあった(男しね。最低。近づいてくんなぼけ)」と受け止めてしまう。これはある意味日本人的な気質であるような気がする。女性が男性に対して被害を話す場合、話されている男性自身がを非難されているように感じてしまう。そのために男性側も感情的になったり防衛的な態度になってしまったりする。男女の性差というと差別になるのかもしれないが、女性は共感を求めるのに対し、男性は問題解決を求めるというのに根ざしている気がする。これは、フェミ側も知っておいたほうがよい。「痴漢にあってサイテー」というのではなく「痴漢にあって悔しい。この社会のどの部分に問題がある?」というようにすれば男性側の反応も変わると思う。
・フェミ暗い問題:日常的に性的に扱われる(モノとして扱われる)という体験が多すぎて、Twitterでは愚痴大会になってしまったり、性犯罪に対してこれだから男は、みたいな話で盛り上がっており、建設的な議論が少ないように見える。ウォッチしていてとても滅入る(当然本人たちはそれ以上だろうが)のでSAN値が削られる。
・IQ低いフェミの味方問題:フェミがなんか話している際に「これだからオトコはダメなんだ」などとレッテルを張り、フェミ自身がされて嫌なことを男性側にしてしまうような暗黒面に堕ちたフェミのとりまき(女)がたくさんいる。フェミはこれをぞんざいに扱うことができず、はたから見ると同じアナノムジナの議論の様相を呈す
・フェミ間対決:なんか勝手に派閥同士でけんかしてる。カオス。
・否定の多用問題:最近こんな差別があった、などの話が多くてなんかお通夜みたいな感じ。あとこんな日本サイテー、とかね。
・遊びがない:みなさんまじめでジョークの一つも言わない。クールダウンがないので建設的なアイディアが生まれるとかない。
ちょっと、この業界つらすぎませんかね。希望というものが見えない。議論はもっと活発で建設的でオープンであるのがいいと思うのだが、SAN値が削られるディストピアみたいになっている。
※ネトウヨ 七生報國二生@sinsyu_samurai2
#拡散
朝倉の大豪雨で、母親が赤ちゃんを庇いながら亡くなった。そのお通夜に、鬼畜朝日新聞が突撃し、受付で遺族を呼べと取材要求。貴様らマスゴミは、被災地と被災者の惨状ばかりセンセーショナルに報道し、新聞を売る為なら遺族の絶望に追い討ちを掛けるのか?それが血の通った人間のやる事か!! pic.twitter.com/kzynK2bH1q— 七生報國二生 (@sinsyu_samurai2) 2017年7月8日
九州豪雨災害で亡くなった母子のお通夜で、朝日新聞の記者が強引な取材をした、という趣旨のツイートが流れていますが、そのような事実はありません。朝日新聞社はお通夜の会場や、その周辺での取材はしていません。今回の豪雨で被害に遭われたすべての方々に、心からお見舞い申し上げます。— 朝日新聞西部報道センター (@asahi_seibu) 2017年7月9日
http://blog.livedoor.jp/googleyoutube/archives/51929600.html
お通夜まで突然の長時間放置ということで、内心そわそわしている。
自分の身内や大切な人たち、近所のひとたちが自分のところに点々と集まってくる。
自分の近くで徹夜で見守ってくれる家族もいて、申し訳なさが加速した。
自分の盛れてない写真を飾られて何よりも萎える。何を言っているのかさっぱりわからないお経を数時間聞いて、霊となった自分ですら意識が遠退きそう……
横たわる自分に一人一人近寄ってきて、手を合わせにくる。ん、お前仲良かったっけ…?なんで葬式来た?自分はお前のこと嫌いだったよ……
総じて『死ぬ前に言いに来てくれよ』という感じの言葉が多かった。
見えるか見えないかの瀬戸際みたいな生着替えを、納棺士と展開しなければならない。坊主のお経をBGMに颯爽と生着替えを完了させ、そのまま箱の中にしまわれる私。
みんながかわいいお花を身体のまわりに置いてくれた。ありがとう。でも耳の回りはくすぐったいからやめてほしいな。
そのまま車で運ばれ、箱のまま転がされて、それから動かなくなった。ここが葬儀場?それから数十分後ほど経って、また何を言っているのかよくわからないお経が耳に微かに入ってきた。
死ぬ前もそうだったが、この瞬間にも思い出が走馬灯のようにかけめぐる。
ああ、そろそろこの身、燃やされるかな。
再びそわそわしてきたところに、箱がまた宙に浮いた。ドアが閉められる音がして、ふと静かな空間になった。ここは車のなかで、この斜め具合は山道かな…?
山で燃やされるんだ私。
しばらくして、またお経が聞こえてきた。みんなが心配そうにこちらを覗きこむ。『少し暑いけどがんばってね』なんて言ってくる人もいた。一緒にくる?
真っ黒な釜戸に私は、箱ごと突っ込まれるのだ。はあ。もうじき焼かれる。
焼かれる前に一言。
儀式はわかるが、
会社に長く勤めていたアルバイトのおばちゃんが、先日亡くなった。
交通事故だったそうで、信号無視した車にぶつかり、亡くなってしまったとのこと。
「3か5、どっちにします?」
同僚(お通夜に慣れてるらしい)に相談されたのがお香典の金額。
三千円か五千円。
一番最初に思い浮かんで、わたしが言ったのは、「5で良いんじゃないの?」
理由は本当に何となく。。あまりお通夜に参加したことがなかったため、相場はよくわからないけど、
それくらいなもんなのかなって思った。
でもなんだか迷ってる同僚。
え、え~~~そんな態度取られるとこっちが間違ってるみたいじゃないか~~~~~
そこへ、亡くなったアルバイトのおばちゃんと仲の良かった総務のおばちゃんが現れ、
と言われた。
総務に言われたので、同僚も納得。
じゃあ3にしようってなった。
その日の夜、実家の母にアルバイトのおばちゃんが亡くなったことを伝えたところ、
と聞かれた。
「い、一万円はちょっと…さんぜn」
会社も出すし、総務に言われた金額だし…とも言ったはずなのだが、
これ以上話を聞いてくれそうにないので、「はいはい」と言って香典の話はやめて、別の話に切り替えた。
翌日、三千円は失礼だと母に言われたことを同僚に話をしたが、
と言われ、とりあえず母には五千円出したことにしておいて、実際は予定通り三千円出した。
「あたしが10年前におかあさんのお通夜をやった時、三千円出した人は1人だった!」
「●●さんが7年前にお通夜した時、三千円出した人は3人いたってー!」
「▼▲さんが三千円出すなら来ないでほしいよねって言ってたよ!」
「あーはいはい」って返事をしたけど、きっと薄々気づいているかもな…。
(ママ~この秘密は墓場まで持ってくつもりなんだけど~ほんとは三千円なの~三千円で出しちゃったの~~)
(とても言えないけど~もやもやするから眠い目こすって~匿名で今これ入力してるの~~~)
(ホントはわたし~数年前に夜バイクで轢かれたんだけど騒がれるのも困るし翌日イベントでサークル参加だったからこれも秘密なの~~~~~)
(轢かれた翌日~お尻にトライフォース型の痣が出来てたの~~~)
まぁ…終わった後で意味もないのだけれど、帰ってからお香典の相場をググって、
今回は5で良かったんだよなぁと反省。
総務は3で良いって言ってたけど、相場的に良くなかったよ総務・・・。
事前にもっとググって「3じゃ少ないみたいですよ~?」とか言えばよかったかな。
同僚には黙って、5にしてもよかったかもしれない。
(母の言う通りにするのが嫌なので3を選んでしまったことも原因の一つ)
次回がないことを祈ってるけど、次回はちゃんと5以上用意しなきゃいけないな。
3は無し無し。無いわ~。
見聞きするだけじゃダメだわ~…。
今度聞かれたら堂々と「5」って言わなきゃダメだわ~…。
六月。陽が紫陽花色の残滓を残し沈んだ直後、入れ替わりに空へ現れた低く大きな月と、
明滅する黄ばんだ街灯に照らされる薄暗がりの中、セーラー服を着た少女が廃品工場の敷地に積みあがった錆びたガラクタの山を睨み付けていた。
帰宅途中、自転車で通りかかってその様子を見つけ、なんとなく立ち止まって彼女を眺めている私に気付いたのか、
彼女は一度、背後に停めてある彼女の銀の自転車越しに私の方を振り向いたが、すぐに興味を失ったように視線をガラクタの山へと戻した。
肩までかかるまっすぐな黒髪と、やや度の強い眼鏡をかけた彼女について、名前はわからなかったが、私は自分が彼女の同級生だという事をなぜか知っていた。
私は、人気のない工場の入り口で自転車に跨ったまま、声をかけるでもなく、しばらく彼女の背を眺めていた。
「ねえ。」
不意に彼女が口を開いた。
その言葉が私に向けられたものなのか確かめる間もなく、聞いていようがいまいが関係ない一方的な様子で、彼女は続けた。
「ユキのこと、覚えてる?」
ユキという名前には聞き覚えがあった。タニムラユキ。緩くパーマのかかった、明るい栗色の髪が印象的な少女。
タニムラさんは、私と彼女の前年度の同級生で、明るく活発で誰にでも分け隔てなく接するタイプの、少し勉強が苦手な子だった。
成績が良く控えめな性格の目の前で背を向けている彼女とは好対照な性格ながら、傍から見ても二人は特に仲の良い友人関係だったように見受けられた。
タニムラさんは、五ヶ月前、ちょうど冬休みが明ける頃に亡くなった。
朝、ご家族が起こしに行くと自室で首を吊って亡くなっていたそうだ。
遺書のなかった彼女の死は、二年生への進級を控え、進路や勉強についての悩みが原因の突発的な自殺として片づけられた。
私も通夜に参列し、学校では命の大切さを説く授業が行われ、現在も一部の生徒にはカウンセラーによる面談が継続的に実施されているはずだ。
もちろん覚えている、と私が口を開きかけた途端、彼女が先に口を開いた。
「ユキ、自殺する前日に『明日先輩に告白する』って言ってたんだ。」
「先輩?」
間抜けな私が、今夜初めて声を発して聞き返した。タニムラさんの死は、実は失恋によるものだったのか。
聞き返されたことが不快だとでも言いたげに少しの間を置いて、彼女は続けた。
「……シュート先輩。サッカー部の。このことは多分……ユキのご両親も知らないと思う。」
シュート先輩について、名前を聞いても顔が思い浮かぶほどの接点はなかったが、
私はその名前が、スポーツがとても得意で容姿の整った、女子生徒から人気のある一学年上の男子生徒だという断片的な情報は持ち合わせていた。
「ユキが死んだ少し後、私、シュート先輩のところに話を聞きに行ったの。
少しでも、亡くなる前のユキの様子を聞きたくて。
そしたら、部室の中から『マワしたのがバレるかと思って焦った』『まさか死ぬとは』って……。アイツら、笑ってた。」
ごくありふれた、思春期の精神的な揺らぎに勢いが付きすぎて死んでしまったのだとばかり思っていたタニムラさんが、
彼女の気持ちを踏みにじる、俄かには信じがたいような乱暴を受けたことを苦にして亡くなっていた、ということか。
「許せないって思った。絶対に、絶対にこいつらに復讐して、ユキの仇を取ってやるんだって……。」
絞り出すようにそう言うと、彼女は手に持っていた、どこかのご当地ものらしいキャラクターのマスコットを、潰れるほど強く握りしめた。
マスコットを歪め、ガラクタの山の頂上を睨み付けたまま、彼女はさらに語る。
「その後、シュート先輩やサッカー部の事を調べたら、結構いろんな噂があった。
だから、アイツらに近づいて、油断させて、証拠をタップリ掴んで、
卒業まであと少しの……そう、ユキの一周忌に秘密を全部バラ撒いて、あいつらの人生をグッチャグチャにしてやろうと思った。」
「……そのために私は、都合のいい女になろうと思った。
無条件に愛して、尽くして、学校でも街でも家でも、いつでも呼び出せて、身体を使わせる、そんな女……。
男って面白いのね、最初は皆に使わせていたのに、何度も繰り返して、それでも私が離れないとわかると、
段々情がわいてきたみたいに、逆に独占したがって、優しくするようになるの。」
シュート先輩のその行為はとても認められるものではなかったが、その心情がどこか理解できるような気もしてしまった後ろめたさを、私は沈黙で隠した。
「それで、これからは、部活を引退して、私が勉強をサポートして、いい大学に入学を決めて……その後、その後全部台無しにしてやるつもりだったのに……!」
彼女の語気が強くなり、嗚咽が混じり始める。不意に振りかぶるように上げられた右手に握られたマスコットが、更に変形した。
「なのに……なんであっさり死ぬのよ!なによ、遠征帰りのバスが事故って!!」
「なんで、遠征先で私に、プレゼントなんか買ってんのよ……!!!」
事故?サッカー部のバスが?そんな話を、私はまだ聞いていなかった。
しかし言われてみれば、昼間救急車が妙にたくさん走っていて、学校の教師陣の様子が慌ただしかったような気がする。
驚き、展開を吞み込めないでいる私を置き去りにするように、彼女は続けた。
「夕方、病院で先輩のお母さんに会って渡されたの、この人形。『あの子が、あなたに。いつもありがとう。』って。」
「何よそれ!!ざまあみろ!自業自得だ!死んで当然だ!因果応報だって!
私が!ユキのために!言って……!笑って……!こんなもの、投げ捨ててやらなきゃいけないのに!!」
腕を振り上げたまま髪を振り乱す彼女の声は、最早完全に泣き叫んでいた。
「どうして、捨てられないのよ……!こんな……ものが……!!」
泣きじゃくり、肩を震わせながら、力なく彼女の右手が降ろされていく。歪んだマスコットを握りしめたまま。
「どうして……」
うなだれ、小刻みに震える彼女の背と、同年代の人物から発せられたあまりに強烈な感情を前にして、
己の幼稚さが急に恥ずかしくなり、かける言葉も見つけられずただただ見つめるばかりの私を、
先ほどよりも濃さを増した夜と、少し高くなった月が見降ろしていた。
昨日風邪をひいて20時間ぐらい寝ていたら色々な夢を見たのだけれど、その中でも印象に残っているものを文章におこしてみた。
でも頭の中の映像ではもっと迫力あったんだよなー。うーん。やはり夢の話はしょうもないか。
多分、親族皆がメソメソ泣いているところで私だけが普通にしていたからだろう。
悲しくなかったわけではないのだけれど、別に泣くほどじゃなかった。
私にとって涙を流すというのはとんでもない激情に支配されたときぐらいで、正直な所祖母が亡くなったからと言ってそこまでの気持ちにはならない。
逆に話を聞く限り祖母に早く亡くなって欲しい、財産がほしいと語っていたという私の母の姉(何ていうんだっけ?)がわんわん泣いていたのが不思議でしょうがない。お前死んでほしかったちゃうんか?
私も喜怒哀楽がないわけでは無いのだけれど普通の人よりは弱いとは思う。
感情に支配されないおかげで得られるメリットも色々あるけれど、他人からロボットと言われるデメリットよりは大きくない。人間らしくないと避けられることはちょくちょくあるからね。
表情に出ないだけで私も喜怒哀楽を感じているので、ロボットと言われるとちょっと傷つく。
少しのことで喜んだり悲しんだりできる人が心底羨ましい、そっちのほうが楽しそう。
やあみんなお尻の拭けなかったお(兄|じ)さんだよ。
俺も歳をとったね。うんとった。どれくらいとったかというと母が死んだくらいとった。
そうなんだよ、この前母がなくなったのね。
もともとは姉がいたけどいろいろあって今は一人っ子なのね。
でほらさ、うち一家離散しちゃってんじゃん。
父母姉俺だったけど、
姉はいろいろあっていなくなっているし、その十年後くらいに父母は別居して、
父と実家に残った俺は、けっきょく父が嫌んなってさ、大学卒業してすぐ東京出てそれっきりって感じじゃん。
だけど俺においては両親の連絡先だけは知っててさ。
「だけは」っていうのは文字通り「だけは」でさ。
連絡なんて5年に1度もしなければ、実家に帰る、別居先に会いに行くなんてことも当然なくてさ。
まあ不完全ながらも一家離散しちゃってるわけですよ。
「家族」って形式にもそういうことってあってもおかしくないわけさ、ってのがあってさ。
まあいいや。
でだ、喪主をすることになるわけですね。
ほら、母と父は別居状態だから子である俺がやる流れになるわけですね。
「葬儀」というものは畢竟親族のためにあるんだ、ってな勢いで考えていたわけさ。
ほんとに非情に思えるかもしれないけれど、これはけっこう本心なんだよね。
お金の話しようか。
喪主っつったって単に火葬しておしまいなんて話だったらそこまでお金かからないわけじゃん。
それでいいじゃんって思ったわけですよ、当初は。
俺だってそんな金もってるわけじゃないし、葬儀屋みたいなのいい噂聞かないしさ。
「こっちは一人っ子だし喪主だ」なんて大義名分背負ってるから、
その俺が「そんな大層な葬儀必要なくね」って思ってんだからいいだろって思ったわけですよ。
でもまあ「そうじゃなかったしそいつはちっと浅はかだったかな」って話をするね。
母が死んだ病院ってのはもともと母の勤め先だったんだよね。
これは俺、その場で知ったんだ。
というか彼女がどこで何していたか、出ていったあとの20年くらい詳しい話を俺は知らないんだよね。
で病室片付けたあと遺体を葬儀場の霊安室に運ぶって段になったときに、
忙しい病院だよ。そんな暇ないはずなのにそれだけでも十数人くらいは来てくれたのね。
俺はまったくあったことない人だよ。
でも俺の母のことを思ってきてくれて涙をしているというのを目の当たりにしたときに、
なんか俺は間違っていることをしたんじゃないか、しようと思っていたんじゃないかって気になった。
整理するね。
俺の死生観ってのはこの状況を見ても実のところ全く変わらなかったんだけど、
でも「葬儀」を私物化してた、しようとしていたことは間違っていると思えたんだよね。
その「家族」のいままでなんもしてこなかった「息子」とやらがいきなり現れて、
今ここで見送ってくれている人たちをないがしろにしていいのかなって思ったわけですよ。
「ああこれ俺たしかに喪主なんだけど、これはこの人達の代理でやるべきなんだよな」
とか、もっと言えば
「この人達こそが葬儀運営したいんだろうけど、世間の仕組み上、確定された『喪主』である俺に一任する他ないんだよな」
とか感じたということなんだよね。
「何をすべきか」がわからないからこういう状況になっちゃってんだけど、
でも「これしたらまずいよね」はさすがにわかるんだよね。
たぶんこの場に見送りに来れない人もいただろうし、
遠くからでも葬儀に出たいという人がいるかもしれないだろうし。
いやあったこともない人たちだし、そんなものは憶測でしかないんだけどさ、
でもそれで誰かの、少なくとも母と時間を共有した人の人生を、不容易に傷つけない方向で考えるべきなんだろうね、
って思ったんですよ。
それじゃあ喪主の話するね。
2. 返礼品オプション外す
3. その分通夜ぶるまいはする
4. 葬儀連絡を母の知人にする(98%くらい、俺は全く知らない人たちだ)
1. は一番安いのにした。そこは本質と関係ないと思ったから。
今回はこの場を設けることが重要でありミッションだったからね。
2. は礼を失するという話があるやもしれんけど、
思い出してほしいのは「今まであなたが参加した葬儀で返礼品あったか」
で俺個人としては「そんなこと気にする人いないでしょ」って結論だった。
あとお金の話(大好きなんだ)すると、
「香典平均5000円/1人」って情報を葬儀屋から聞いていて、
その計算すると「香典5000円 - 返礼品2000円 = 3000円」とかになるわけ。
しかも葬儀屋は「返礼品は日持ちするからキャンセルありで補充可能」って感じで、
バンバン持ってこようとするわけ。
どうなるかっていうと会葬者x2000円の出費が変動費で乗ってくるということなんだよね。
これだと費用読めないからさ、なのでやめてくれって話にしたんだよ。
3. は2の逆なのね。これは費用が読めるんだ。
香典はこっちに当てさせてもらうほうが正しいと思ったんだよね。
故人を登場させてもらうって場所なのかなって思うんだよな。
4. これが一番たいへんだったこと。
なのでお前さんがたが喪主をする側か亡くなる側かはしらんけれども、
まじで。
このご時世メーリングリストで一発やんか。
なんで年賀状あさって簡易住所録つくって、
「ちょっと誰呼べばいいか分かる人いませんかー」ってプチ個人情報漏洩しなきゃいかんのじゃ。
とはいえ、これを難儀するのは俺が親不孝だった証明でしかないですね。
という感じで式に臨んだ結果、120人くらい来てくれたわけだ。
前日御見舞きて「花見行こうね」って言ってくれた人を、
この期間中、よくしてくれた母の元同僚の方にも「ほんとうによかった」といってもらえた。
この言葉聞いて、人として危うい選択をするところだったけど、俺は間違わずにすんだかな、と思った。
「自分で自分の尻をふけるような大人になりたい」なんて言ったけどさ、
まだまだ全然拭けないよね。喪主なんて助けてもらってばかりだったよね。
最後に言いたいのはね、こんな俺が言うのもあれなんだけど、
「同僚」や「友達」以上の存在でなければならないってことではないと思うのね。
逆説的に言えば「家族」以上の「同僚」や「友達」がいる形はあっていいんだよね。
それらは比較するべきでなくて、並列に存在して全部大事でいいんだよね。
だから「家族離散」してるからといって「家族の葬儀を簡略化していいってわけじゃない」ってこと。
俺はそれを今回知れたってことを、みんなに教えたかったんだよね。