はてなキーワード: 人形とは
【属性】夢が好き。
【議題】『こんなブスをキャラくんは好きにならない』
夢的な話題で最近ひっついてくる、『キャラはこんなブスなんか好きにならねーよ』というやつについて。
これが夢sageなのかキャラsageなのかあるいはどっちもsageなのかはよくわからないけど、現実の自分の顔面偏差値ってそんなに重要か???っていうのが個人的な感想です。
だって架空世界でしょ。架空と言うか、パラレルと言うか、つまり今自分がいる世界とはまた別の世界の話なわけで。
別世界で、自己投影するにしたって、現実の自分のまま取り込まなきゃいけないってルールどこにもないぞ!
だったら多少可愛かろうが多少人を殺せようが多少強かろうが、それはそれとして別世界のIFの自分で良いじゃん。
いや、夢=夢主は自分、と確固として主張してるわけじゃないけれど、とにかく夢主=自分だと思ってる人へのエールね、エール。
(すごい余談だけど、自分の顔面偏差値を鑑みて夢ないわー、って言ってる人、作品へのトリップ力が凄いから私よりも夢技能高いのでは?とたまに思う。私は現実の自分そのままで入ることは想像もしたことなかった)
私は自己投影もするし神投影も出来る最高に訓練された夢者だよ。10年選手だからね。
いま打ち間違えて100年選手って打ったけどそれだとほんとに神だわ。私が神だ!!!!
そう!『私が神だ!』も出来るんですよ、夢小説ってのは。
もちろん、人形ごっことして全部が好き勝手出来るわけじゃないけれど(少なくとも私はキャラクターが勝手に動いて泣いたことは何回もあるというか好きに動かせた経験の方が少ない)、BLの書き手さんでよくある『こいつとこいつの恋愛模様を眺めたい』って感覚、夢の人も持ってる方は割といます。うん。
ここで重要なのが、別に『夢主=自分』の方を馬鹿にしているわけでもないってことです。
たまにこれ勘違いされるんですよね。なんでだろ。被害妄想強すぎる人が多い。
いやそうなる歴史もあるから一概に駄目だとは言えないんですけど、とにかく私は馬鹿にしてません。
誰かの好きなものを馬鹿にはしたくないし、そもそも私は自己投影して書いた夢小説はある。それを黒歴史だとも思わないというかめちゃくちゃ面白いと思ってるよ。
話を戻すと、『あのキャラがこんな恋愛をしていたら』『あの人がこんな人に出会ったら』というのを夢でもえがけます。
というか、答えが無いんですよ。【原作人物A】だとしても【オリキャラB】を当てた際の反応に正解はないので、原作で見ることが出来なかった表情だってBと一緒なら見せてくれるかもしれない。可能性が無いわけじゃない。そういうのを探っていきたくて書いてる人も中にはいるんです。
なもんで、たぶんそう言う人達は『【夢=自分】だけではないよ』って言いたくなるんだと思います。
だって夢と一口に言ってもたくさんあるし、それが除外されて(=蔑にされて)たら悲しくなるよ。自分が好きな傾向なら猶更。
だから声を出すし、声を出すと『自己投影じゃない人に自己投影が馬鹿にされた!』って声が上がるし、あーもーにっちもさっちもいかないぜ!
まぁそんなこんなで、夢の中では正解がない。
つまり神になれる!
神さまと言うことは美少女にだって美男子にだってナイスミドルにだって思いのまま!
普段騒がしいあの子が静かな喫茶店のマスターに見せる表情はキミだけの物!
BLにだって『もしかしたら』という意味で正解なんてないかもしれないだろうけど、だいぶそれが強いと理解してもらえたら私は嬉しい。
だから現実の自分をブスだと卑下しなくていいし、ブスだからって見向きもされないなんて呪詛を自分に掛ける必要はないし、正直夢は楽しいぞ!
動物夢主もあるし、金魚鉢だってあるしな!可能性は無限大だよ。
だから自分のことをそんなにブスだって言わなくたっていいんだよ!
現実との落差?そんなん気にすんな!
自分のアバターに人格投影して且つアバターは別人なんて、オタクには手慣れた基本技能みたいなもんでしょ。
(ネトゲとかSNSに使用する絵アイコンとかも考えればアバターなわけだし)
それと一緒だよ。
まぁそれでも無理だって言うならせめて『夢なんて』とか『夢小説なんて』とか『夢みたいなものと一緒にするな』という感じの意識は薄めてくれると嬉しいかな。
『夢と一緒にするな』じゃなくて『夢と一緒にすると探し辛くなるからやめてくれ』とかの言い方なら角も立たないと思う。
さすがに自分の好きなものをsageられてる、あるいはsageられた意識を感じ取って、凸はしないけど悲しくならない人はいないと思うよ。
二次創作に貴賤はないと思うんだ。
貴方だって、よくは知らない上澄みでジャンルのことを語られて尚且つdisられたら心の包丁持つでしょ?こっちだって包丁を持ち始めたくなることはあるんだよ。
終わりに物騒なことを言ってすまんね。
それじゃあ、ここまでありがとう。
ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。
※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ
http://anond.hatelabo.jp/20170209222825
http://anond.hatelabo.jp/20170212024356
一夜明けて昨日の話。
推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。
とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩の原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。
http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636
こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。
ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台未観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから、観劇予定のある方は読まないでくださいね。
まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。
こーゆー考察し甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間と自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。
『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在』であると共感し難い。
そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公に感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦に感情移入できない。
(ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)
これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……
それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、
そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。
でも、それっておかしくね?って思って。
ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。
自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、
いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、
どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。
腐目線でだって、絶対許せない地雷カップリングというものは実在する。
だから「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。
でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?
これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。
この感情は原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈の押し付けなのか?
という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ。
http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636
Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードからも勝手に妄想して、
江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。
諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。
観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。
田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩のブロマンスの結晶として大正解。
対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。
女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。
『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。
(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)
メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害が物語のカタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。
(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠の片想いとして殺す……って、個人的にめっちゃ萌える。)
作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷な箕浦(永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛の疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。
舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。
私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。
でも、配役を知ったときに
美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、
佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年の石田隼さんが20代の箕浦「過去の『私』」を
演じることが疑問だった。
いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。
「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはいえ観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在は物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在と公表されてることは少なそうだけども。)
しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。
舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現の担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、
諸戸と出会い親交を深めた学生時代の箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、
諸戸と別離し大人になり恋人の初代との出会いから箕浦(石田さん)は登場する。
石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡で認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。
「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦」であるため、『私』の歪さから「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、
事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体が変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。
(皆さんは自分の体が深層心理の拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれと意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)
しかし性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?
必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか?
そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。
物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!
より妥当なところの分裂理由として「箕浦の二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線を舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い。
作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。
うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈もハッピーだよね。
(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)
(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性がテーマの舞台、大好物なんです。)
延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出等表現もとても良かった。
諸戸の父親の最期に対して、主人公である『箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想がセリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。
父親の変貌は、絶対に他人の箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。
父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親で経験したからわかる。
舞台というものは面白いもので、同じ現実を同じ密室で複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものだから、
書籍や映像で物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分の視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。
たとえ自分が複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。
演出による印象操作は完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)
だから舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい。
そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観でしかなく、原作者・スタッフ・キャストが込めた意図の真相はわかんないんですけどね。
●結論:最近みる『夢女子』って単語は、『夢者』とはまた違った歩き方をしてて楽しいぞ。
●本文ここから
たぶん、夢小説を読まない人はこの『夢者』っていうのを知らないと思う。まぁ一部界隈で使ってるだけだから別に夢を好んで読む人も知らないかも。でもとりあえず知名度の話はいいや。関係ないし。
で、最近『○○の夢女子』っていうタグが流行ったよね。流行ったんだよ。○○にはいるのは特に女性キャラが多かったかな。私が見た限りではね。
で、『○○の夢女子』を見ていて思ったのはわりと『○○にこう振り回されたい(私が)』『○○にこう言われたい(私が)』っていう感覚があるなぁっていう。
別に「私が」「私が」って自分が無理矢理出張って来てるとかそういうことを言いたいんじゃなくて、何だろう、等身大のままで、キャラと触れ合ってる感じって言うのかな。
ちょっと美化したアバターなりなんなりを使っているけれど、基本は自分っていう感じ。
これね、すごく素敵だなぁって思ったんだよ。
◇
このブログの文章を読んでくれてる人がどれほど夢小説の歴史や内情を知っているかは知らないけれど(まぁ自分もよくは知らない方だとは思うんだけど)、
偏った自分の立場から一応説明しておくと夢小説はたくさんあって、いろんな人がいる。
『夢小説は自己投影がメイン、オリキャラ夢主は邪道!』っていう人がいたり、
全く逆に『自己投影なんて気持ち悪い。自分を入れてその妄想を形にして他人に読ませるの?は?』っていう人もいたりする。
それが自己投影かどうかオリキャラかどうかってのは、まぁ人によっては楽しさに関わってくるかもしれないけど、それ個人の問題じゃん。
『自分が楽しく読めないから、これは夢小説じゃない』なんてすっごい排他的!いやたぶんそうは言わないんだろうけど!
でも根本的な考えはそういうことなんじゃないかって思う。自分が歩んできた道じゃないから、自分の中にはなかったから、だから『本来の夢小説ではない』って言っちゃうんだろう。
今まで見なかったって言うのにウソはないと思う。きっと本当なんだと思う。
でも、自分が見てなかったからって、それ本当に無かったってどうして言えるんだろう。証明できる?
なかったことを証明するのかなって思うよ。
あと『無機物は邪道』『オリキャラは邪道』『男主は邪道』とかまぁたまに聴こえてくるけど、たとえば夢が二十年ぐらいの歴史のものだとして、十五年ぐらいそれらがあったとしよう(というかまぁ夢が発生してそれぐらいにはもうあったでしょ)。
それでも邪道なのかな。概念が存在してから半分以上存在していたものを邪道だって追いつめていく理由、ある?なくない?っていうか夢の本道って何なのさ。私は分からない。知らない。誰か知ってたらこれにTBして書いてくれ。
っていうか邪道があっちゃいけない理由って何?邪道で迷惑かけた?迷惑かけられたって思った事例があるなら、それはその人があなたに迷惑をかけただけで、別に『それ』が『あなたが好きな夢小説』を傷つけたわけじゃないよ。大丈夫。
まぁそんな感じで、『夢が好き、夢小説が好き、夢創作が好き』って想いがあってもその在り方は多種多様で、いろんな人間が『あれは夢』だの『あれは夢じゃない』だの言ってる世界なんだよ。
閑話休題。話を戻そう。
◇
すっげープリミティブで、でも(いやだからこそかな)わりといろんな人に受け入れられてて、あぁそう、こういう世界が良かったなって思った。
夢が嫌いな人がいてもいいし、夢が好きな人とわかりあえなくてもいいけど、こうやって『あぁそうそうそういうことされたいよね』って、オタク同士で笑いたかった。
(わりとね、一般人的には『ワンピースの誰それと結婚したい』って話は受け入れられやすいし話題にもされやすいんだけど、違うんだよー。もっと突っ込んで話したい。だからオタク界隈でも話したい。タブーみたいじゃなくて)
ただ、だからこそ『夢女子』と『夢者』は異なる概念なんだろうなーって。
ほんといきなり自分の話をして申し訳ないけれど、私はね、どうしたら私がしたい行動込みの物語で彼が振り向いてくれるだろうっていうだけを原動力にしたしぬほど自己投影の夢も書いたことあれば、こんな幼女を拾ってくれ!!!!ってめちゃくちゃ傍観者気取りで書いた夢もあれば、神さまのつもりで書いた夢もあれば、男になってこんな風にこいつらと笑いたかったって書いた夢もある。
人形をあやつる人間にもなれれば、原作CPをながめてもいられる。
その世界の取るに足らないふつうの人間にだってなれるし、獣にもなれる。
だから、『女子』っていう性別と、ある意味で『自分』という縛り?で独り歩きしてる『夢女子』っていう概念とは、私は相容れない。あくまで、私はね。
でも、『もしも私がこの物語の中に入れたなら』『もしもこの人の隣にいられたなら』っていうのを、嘲笑じゃなくて、『こういう創作もアリなんだ!』って思える人がいたら、増えたら、それはすごく素敵なことだし、そうあれる可能性がすごく高い概念だと感じてる。
自分が好きなことを他の人が既にしてて、間接的に肯定してくれるってめちゃくちゃ救われるんだ。私はそうだった。
だから逆に嘲笑をみたらとても悲しくなるし、一部の意見だったとしても、それが初めてみる他者の意見だったとしたら「これが世間の評価なのか」と苦しくなると思う。そんな思いはさせたくない。
だから、夢小説を黒い歴史のように扱われるのは嫌いだし、夢小説あるあるで笑いをとるのも嫌い。
夢小説に出会った時、私は「こんな世界があったのか」って感動した。
「私が考えてたことを、先人たちはもう名前まで変えられる形にしてたのか!」って嬉しかった。
だから、まぁこういうと夢女子もきっと夢創作の一部なんだと思う。
ただ『夢創作を好む人間』という性別も何も含まないフラットな呼び方の『夢者』とイコールの呼び方ではないし、そうはなってほしくないなって思うから、酒の力を借りてこんなエントリーを書いたよ。ねむい。終わる。
http://anond.hatelabo.jp/20170201014659
より続きます。
ボブルヘッド・フェチ? https://www.bobbleheads.com/
SDガンダムとか顔だけでかくてカタカタ揺れるひとし君人形みたいなやつ
最初なんのことかわからなかったが、ボブルヘッドのように頭だけが大きい三次元美女ってことか。コメントに巨大女と勘違いしてる人がいるが、特殊性癖にしてもレアすぎて理解するのに手間取るレベル。なんかすげえ。
英語圏だと、こちらが求めるような頭身の体系を、首ふり人形(Bobblehead Doll)にたとえて呼ぶ傾向がある。ちょっと前に、ある職人が人気女優を巨顔に加工してまとめてimgurにアップして話題になったってニュースが訳されて日本でも少し紹介されていたけど、そのときの見出しでは「Celebrity Photoshop Bobbleheads」と呼ばれていた。
海外のCMではこんなのも。ハゲのオヤジはいいから早く女を出せ。
文章では何を言っているかわからなくて動画で把握できた。それは滝クリみたいに相手が服を脱いでなくても欲情できるんだね? というか服を脱いでいるオカズが世になさそうだな……
ところがあるんだなこれが。
それっぽい単語で画像検索したらでっかいちんちんに混じって女性を4頭身ぐらいに加工したエロ画像が出てきたので意外とある性癖なんだろうか。
「Bobblehead Porn=バブルヘッド・ポルノ」というジャンルが存在することが去年か一昨年、Reddit(英語圏の2ちゃん的なやつ)のあるスレッドで明らかになった。で、実際その専門板もできていて驚いたんだが、そこで上がっていた画像は、5、6年くらい前に4chan(海外の2ちゃんみたいな画像掲示板)に立っていた「Bobblehead Fetish」というスレで見たものとほぼ同じだった。裸なのは構わないけど、やっぱりちょっと生々しすぎるような気が。顔と局部とどっちを見たらいいのかわからなくて意識が分散するのか、思ったより使えない。ただ、これが動画になったらまた変わってくるだろう。巨大女AVがあるんだから、巨顔AVがあったっていいんだけどなぁ。
http://www.レディット.com/r/BigHeadPorn
http://anond.hatelabo.jp/20170131120959
これと似たようなことを叔母にやられた。母方の祖母が亡くなった時の話だ。
私の母と、母の姉である叔母は元々あまり折り合いが良くなかった。私は母からしか話を聞いてないので一方的な見解になってしまっているかもしれないが、少なくとも母の話を聞く限りでは、母の実家はかなりの機能不全家庭だったように思われた。
母は祖母ともあまり折り合いが良くなく(それでもたまに電話くらいはする仲だった)、年に一度の会う機会だった正月の訪問すら数年ほど行ってなかった。母は心を病んでいた。折り合いの良くない親族と無理に会わせる必要はない、という父の判断だった。母もそれを望んでいた。
そんなある日、親戚(叔母ではない)から祖母が入院したということを聞いた。どのような病状だったのか、私は詳しく聞いていないが、少なくとも、その時点ではそこまで深刻な状況ではなかったようだった。
夜、私がトイレに起きると、居間で母と父が何やら話をしていた。祖母のお見舞いに行くかどうか、みたいな話だったと思う。母は泣きながら「行かなきゃ、でも行けない」「怖い」「お母さんにも姉貴にも会いたくない」というような意味のことを言っていた。父は「無理して行くことない」と応えた。私はその話し合いに口を挟むことはしなかった(当時私はまだ高校生だった)が、私としては母の精神安定を最優先に考えてほしいと思っていた。精神が不安定になった時の母に当たられることも多かったためだ。
それから1、2か月くらい経った頃か。部活動が終わって家に帰ると、部屋の中から母の泣き声が聞こえた。中に入ると、ぼろぼろに泣き腫らした顔をした母と、父がいた。処方された薬を飲んで、母が少し落ち着いた後、父から顛末を聞いた。
昼間、普段は全く没交渉だった叔母から母に電話があった。祖母の葬儀を終えた、という事務的な連絡だったそうだ。錯乱状態になった母はなんとか父に助けを求め、父は会社を早退して駆け付けた。
泣く母を見るのは初めてではなかったが、あそこまでボロボロになった母を、私は見たことがなかった。
――してやる!
――してやる!
――してやる!!
目を血走らせ、物騒な言葉を口走る母を見て、人はここまで人を憎めるのか、と思ったのを今でも覚えている。
もちろん、私も叔母のしたことは許せなかった。何を思って叔母が「葬儀が終わるまで祖母の死を母に知らせない」という行動を取ったのかはわからない。叔母には叔母なりの理由があったのかもしれないが、叔母とはそれ以来絶縁状態になってしまったので、今さら聞きようもない。
❨実は私一人で一度だけ会いに行ったことがあるが、けんもほろろに追い返された。❩
「ひどい」とその時、私は父に言った。どんな理由があったかは知らないが、どうして祖母との最後の別れの機会を奪われなければならないのか。祖母のたった一人の孫として、理不尽だと思った。
葬儀の準備を進める中で、父が私に「叔母さん、どうしたい?」と聞いてきた。私は「一応連絡はしよう」と言った。連絡は父がしてくれた。電話がつながらず、直接話は出来なかったようだったが、電報を打って一応の義理を果たした形だ。
知らせない、という選択が頭をよぎったのは確かだ。しかし、人としてあの人と同じレベルにまで自分を貶めたくはなかった。生前に母に確認したわけではないが、母は多分叔母に来てほしくはなかったと思う。しかし、それとこれとは話が違う。人とのつながりの中で生きている一人の人間として最低限果たすべき義務だと私は思った。
数名しかいない、こじんまりとした葬儀だった。生前仲の良かった母の友達が一人来てくれて、棺の前で最後の別れをした。葬儀屋に渡された花をいくつもいくつも、数えきれないほど入れた。母の友達は「生前に渡せなかったから」と、手作りの人形を棺に入れた。
「じゃあね。○○ちゃん、じゃあね」
結局、叔母は葬儀には来なかった。駆けつけてくれた母の数少ない仲の良い親族の人から「私も連絡が取れないからよくは知らないが、どうも年の離れた恋人と暮らしてるようだ」と聞いた。繋がりを一つ一つ丁寧に断ち切るように生きてきたその人がどういう最期を遂げるのかは知らないが、私はその知らせを受けることはないのかもしれない。それでいいと思う。
そういうふうに、あなたは生きればいい。
http://anond.hatelabo.jp/20170131143119
より続きます。
等身がおかしいアニメのフィギュアで欲情する人も、間違いなくいると思うんだよ。でもって、その総数はあちらさんのほうが圧倒的に多いから、こうして大きなマーケットが成立している。「ねんどろいど」の二番煎じみたいなフィギュアに「にぱいしん」というがあって、あれはちょっと気にはなった。この体型を実写でやったら相当すごいことになると思うが、そんな気の狂ったものを世に出そうという人はたぶんいないだろう。旬のグラドルとか、どんどん積極的に実写デフォルメしてほしいのだが。
ブライスはただの人形なのでNGだが、このブライスドールを模したと思われる実写の広告は大好物だ。代表的なのがSteve Maddenという靴のブランドの広告シリーズ。ただ、顔面まで加工されているとやや萎えるので、なるべく顔面は自然のままなのがいい。
参考:Steve Maddenの広告
http://i.imgur.com/mEc9fjW.jpg
これは鋭い指摘。例えばこれをご覧いただきたい。
参考:
http://i.imgur.com/4LxTIBL.jpg
Steve Maddenの広告がそうだったように、Rubberballというストックフォト(金を払えばポスターや広告に転用できる写真素材)の業者も実写の末端肥大デフォルメをやっている。末端肥大という用語は今回初めて知ったが、これなどはその最たるものだと思う。この「Photo Caricature」シリーズには一時期相当ハマっていた。やっぱり野郎とか、子供とか、おばちゃんとかは排除して、やっぱり美女だけを見る。若い女性でも不細工だとすごく萎える。
その4に続く・・・・
ところなんですが、字数制限でマークされてしまったのか新しい記事を投稿できなくなりましたので、もうしばらくお待ちください。
お待たせしました。
『同志ウリヤノフ。思想、意思、自制、魅力、統率、扇動であります。』
『………。』
『私にはあと10点が足りなかった。私が革命をついに為し遂げられなかったならば、残り10点の欠落によるだろう。』
――同志アレクサンドロヴナ。風船を用いた飛行船によってルビッチとプペルが煙に突入。全て計画通りに進行中。
鼓膜を擦するような雑音混じりの伝令通信により、アレクサンドロヴナは甘い微睡から目覚めた。
即座に胸まで浸かりかけた追懐を殺す。感傷を潰す。
素早く一つ、いや二つ深呼吸する。
――了解。
憲兵どもの銃弾にこめかみを貫かれた同志ウリヤノフの胸をナイフで引き裂き、大動脈と大静脈を引きちぎって心臓を掻き抱きながら敗走したあの日から、私は私ではない。
埋葬もなく、墓標もなく、告別すらなく憲兵どもの放った犬の餌になり果てた同志ウリヤノフの手足であり、声であり、遺志だ。
故に自身に宿った同志の一粒種にも、父親役を演じる部下を通して同志の言葉を贈り続けた。
「信じぬくんだ。たとえひとりになっても。」
残党になり下がり、地下に潜った革命軍に残された希望は、少年に育った一粒種ルビッチと同志ウリヤノフの心臓、それのみであったが、心臓の所在が遂に憲兵どもに摑まれた。
当局がまだその存在を把握していないルビッチをアレクサンドロヴナが、同志ウリヤノフの心臓を父親役の部下が、それぞれ抱えて逃走した。
部下は心臓を8つ複製し、それぞれを異なる配達屋に預けたうえ、町の果てまで追走してきた憲兵どもの目の前で自刃した。見事な最期だったという。
何も知らぬ配達屋たちは全員、我々が仕組んだとおりに配達途中で心臓を取り落とした。
手間と賃金を換算し、配達屋たちは目論見通り誰一人捜索に一切着手せず、何事もなかったかのように配達業務に戻った。
憲兵どもに拉致された彼らは尋問され、拷問されながら、自分が何故かような仕置きを受けているのか全く理解できぬまま死ぬことになるだろう。彼らの屍を捧げることで、同志ウリヤノフの心臓の痕跡を消し去ることができる。危機はしかし、好機だったのだ。
私は私ではない。同志ウリヤノフの遺志を継ぐ道具。機械。
故に死後、地獄に落ちることも厭わない。
憲兵どもが配達屋たちを責めている間に同志の本物の心臓を回収し、ルビッチが父のものだと頑に信じている銀のペンダント、それは事実同志ウリヤノフ所有のペンダントで昔日に私に贈られたものだ、を脳核としてヒトガタを造る。
この町の99%を占める最底辺のプロレタリアートそのものである。
脳核たるペンダントから、父親役だった部下の写真を取り出し、代わりにプログラムを埋め込む。
ルビッチには、父親は漁のさなかに波にのまれて死んだと伝えた。
止むことなく流れる涙を見ながら、脳髄に刻むように言い聞かせる。
私は私ではない。私は同志ウリヤノフの遺志を継ぐ道具。機械。私は私ではない。私は私では、、、
――同志アレクサンドロヴナ!ルビッチとプペルが煙を突破しました! その先の何か、その先にある何か偉大なものに邂逅した模様!
この国では労働者は搾取され続け、資本家どもは肥え太り続ける。
労働者は朝も晩も、資本家どもの富の代償である煙に包まれ、煙によって目が冒され、肺が冒され、脳が冒され、死ぬ。
平均寿命は50に満たない。まっとうな状態でいられるのはせいぜい40までだ。残りの10年は苦しみしかない。
煙は資本家どもの贅肉そのものであり、この国を閉塞する蓋であり、持つものと持たざるものを隔てるイェリコの壁である。
しかし今宵、角笛は吹かれた。
壁が崩れる時が来た。
持たざるものが、煙を超えたのだ。
「諸君! 私は確信する! 遠くない未来、我々の矜持を、尊厳を、希望を、光を奪い続けた煙が晴れることを!」
「革命の父、イリヤ・ウリヤノフの息子ルビッチ! ルビッチ・ウリヤノフ! それが煙に突撃し、煙を払う者の名である!」
「同志ルビッチ・ウリヤノフ!万歳! 同志ルビッチ・ウリヤノフ!万歳! 」
「今宵この日は! お金の奴隷解放宣言が叶った日として永劫記憶されるだろう!」
「ギブ&ギブ! ギブ&ギブ! ギブ&ギブ!」
『伝説…』
『どれだけ資質を備えていても、どれほど有能であったとしても、人は不完全だ。しかし民衆は指導者に完全を求める。残念ながら人は人ゆえに、完全には成り得ない。ではどうする?』
『………。』
『理解に至りません。同志ウリヤノフ。』
『彼は選ばれた者なのだ。だから盲信するしかない。そんな諦めだ。
自身と比較し秀でているから信じるのではない。自身と比較できないから信じられるのだ。』
『………。』
『たとえばこの煙。どこまで続くか誰も知らぬこの絶望の煙を超えて、その先にあるものにまみえた。そんな、常人では発想することすら笑い話になるような伝説だ。』
『煙の、その先…』
『たとえばの話だがね。…しかし、見てみたいものだな。その先にあるものを。…きみとともに。』
10年に渡る激しい革命闘争の果てに「煙突のルビッチ」を最高指導者に戴く政治結社「赤い星」は、ついに世界史上初めての社会主義革命を成就させる。
ルビッチは言う。
『他の誰も見ていなくてもいい。
黒い煙のその先に、お前が光を見たのなら、
信じぬくんだ。たとえ一人になっても。
ドキドキしてる?』
子供の頃から、濡らしても大丈夫そうな素材のアクションフィギュアを数体風呂に持ち込んでブンドドするのが妙に好きだ。
もういい大人なのだけれど、たまに遊びたくなって持ち込んでしまう不思議な魅力がある。
何がそんなにいいんだろうと改めて考えてみたけれど、
浴槽に入ってフチのところに人形を立たせたり滑らせたりしながら遊ぶから、自然と目線に近い位置で戦いが繰り広げられるので、床の上で遊ぶより迫力がある感じになるんじゃないだろうかと思い至った。
あとお風呂だから、肉声効果音がいい感じに響いて気分よく遊べるというのもあるかもしれない。
お風呂遊び向けのお気に入りはMS In ActionシリーズのザクⅡ(2nd)とドム(2nd)、どちらも武器がたくさんついていてプレイバリューが高い。
特にドムは安定感が抜群で、片足立ちとか余裕なのでポージングの自由度が高くて大好き。
リボルテックは材質はよさげなのだけれど、あのリボルバージョイントの隙間に入り込んだ水を乾かすのが大変そうでなんとなく持ち込むのに抵抗がある。
今はガンダムの完成品塗装済みアクションフィギュアは大体ROBOT魂になってしまっているっぽいけれど、個人的にはチープなおもちゃ感のあるM.I.Aシリーズの質感が好きだった。
値段も1500~2000円ぐらいで安かった気がするので、なんだかんだザクばっかり6機ぐらい持ってる。
┌(┌^o^)┐
事前にはライバルカンケイってところしか意識してなかったけど、見始めてそっこーホモオがわいてきた気がした
別に腐女子でもなんでもないけどそういうふうに見てしまわざるをえない
冒頭のレースが始まったところまで見たけど、これ映画館でみたらすげー音響と迫力すごくて面白かっただろうなあ
ちゃちいCG
高いところから飛び降りるときのケレン味のきかせかたがアオイホノオのOPまんまwwww
特撮へのオマージュもありーの、港での戦いはシンゴジラを彷彿とさせーの、カット割りもサクサク庵野らしさあったりーの、会社でモブがくってるお菓子がサッポロポテトバーベキュー味(安野モヨコいわく庵野秀明はこればっか食ってたりするらしいwww)とかいう、庵野秀明ファンならにやにやしっぱなしの小ネタ満載でめちゃ密度あるように感じられておもろい
博士が京本政樹だったけど京本政樹といえば20年前?くらいに京本政樹コレクションとかいう特撮人形だしてたし、特撮に一家言ある人なんだろうなあだから出てるのかなあとか素人目には地味なこだわりに見えた
ぎゃくに純粋に映画を楽しもうと思って見たらくっそつまらんと思う
こないだTVでやってたやつ
冒頭からぐいぐい引き込まれるし画面もすごくよく動くしキャラもすげー立ってるしめっちゃおもろい
どっちかわからんけどさすがって感じ
息子は1歳7ヶ月。まだ意味のある言葉は話さない。「ママ」すらしゃべらない。
親としては「まあそのうち話すようになるだろ」と思ってはいるが、何を要求されているのかわからないことも多いので、さっさと話せるようになってほしい。
落ち着きはない。常に動き回り、じっとするのを嫌がる。思えば立って歩くのは早かった。生後10ヶ月には立ち上がり、歩き始めていた。多くの子は1歳頃かららしい。「寝てなんか入られない」というのは、この時から彼の行動原理の一つだったのだろう。
「静かにしているなー」というときは、気がつくとタンスの中身が全て投げ出されていたり、AV機器のケーブルが引っこ抜かれて機器が散在していたりする。チャイルドロックは彼の制止にはならない。
こういうとき、彼は「ここまで出したのすごいでしょ」とでも言いたいのか得意げである。にこにことしたドヤ顔はとてもかわいい。
散らかった物々を片づけることは、彼の功績を無とすることであるため、泣きわめいて阻止される。
昼寝をしない。夜もあまり寝ない。20時に寝て、22時と24時と26時頃に一端起きて泣きじゃくるのが日課。朝の4時頃にはもう朝モードで覚醒し、おもちゃを引っ張り出したり、何か食べさせろと冷蔵庫にぶら下がって泣きじゃくる。
世界は自分の思い通りになると思っている。思い通りにならないならば泣く。ブロックが思い通りにはまらない。おにぎりが食べたいのにパンを出された。お茶じゃなくて牛乳がいい。ボールがどこか行ってしまった。ならばもうこの世界なんて滅びてしまえ、という呪詛を含んでいるかのように激しく泣く。
彼の地べたに寝ころんで手足をバタバタさせて駄々をこねる様子は、まるでマンガのようである。あれってマンガの中だけではなく、現実にあることだったんだなと彼の仕草に学ぶことは多い。
彼はよく泣くが、よく笑いもする。笑顔を見せれば笑顔を返してくるし、ボールやミニカーが転がる様子で大笑いする。
最近はプラレールに人形を置き、電車に人形が引かれて脱線する様子をみてケラケラ笑っている。人形界では大惨事だろうが、彼が楽しそうにしている姿は心休まる時である。
先日、一歳半検診で発達傷害の可能性ありと指摘された。言葉が遅いだけではなく、彼の行動や仕草をみての指摘である。
普段、「子育てって大変だけど順調に育ってるよね」と思っていたところに冷や水をかけられた感じである。あれ?多くの子はここまで癇癪ひどくないの?もう1歳半なら夜寝るものなの?お話するものなの?聞き分けできてくるものなの?
まあ、まだこの歳で判断は難しいとのことで、専門家に予約をとり、お話をさせてもらってきた。
子育てについては、多数に適用される一般的なことと、個々の事象から原因を推測していくこととある。一般的なことは本や口コミで十分だけど、多数に属さないことに関しては、専門家と話した方が原因にたどり着く可能性が高い。数件の事象が一致しても原因が異なるケースは多いので、体系的な知識がない中での判断は注意が必要だと考えている。
予約を取り、臨床心理士の方と話をしてきた。小一時間くらいだろうか。普段の生活と仕草や好みのヒアリングと、息子に対しての簡単なテストを行った。
ますは花や車や動物の絵を並べ「ワンワンどれ?」と聞くテスト。彼はガン無視であった。
普段でも図鑑の指さしは自分が大好きなアンパンマンしか反応しない。興味のないドキンちゃんやおむすびマンがどれかなど、彼にとってはどうでもいいことで答えるまでもない。ましてやワンワンどれ?などという質問にはつきあう義理などないのだ。
次に形合わせ。3種のブロックを同じ形の穴に入れられるかというテスト。彼は渡されたブロックではなく、他のおもちゃのブロックを穴に入れるのが楽しいようだった。心理士から渡されたブロックよりも、自分のブロックの方が優先なのだ。手持ちのブロックが無くなり、ようやくテストのブロックを入れることができた。このテストの結果がどう判断されたのかはわからない。
ミニカーが机の上に出された。心理士の操る車はトンネルに入り、トンネルを通って入り口とは反対から出てきた。彼はそれを目で追っている。その車はもう一度トンネルに入る。彼はトンネルの出口を注視していた。直前の事例から、トンネルから車が出てくるであろうことが、予想できていた。
ミニカーがタオルで包まれて渡された。彼はタオルを開き、ミニカーを取り出し遊び始めた。「中にミニカーが入っている」ということは認識できていた。
こんな感じで、心理士と息子が遊ぶようなテストが繰り返された。親としては見守るのみだが、終始息子はごきげんモードで対応できていたのがありがたかった。もし癇癪をおこして泣きわめくモードになってしまっていたら、診断もなにもなかっただろう。
今回、話したことと伺ったことをメモしておく。
発達障害については、まだ何とも判断できないとのこと。単に発育が遅いといってもなんらかの障害が原因なのか、環境や性格によるものなのかは今はわからない。たとえ今の時期に脳波を見てもなにもわからないことが多い。また3ヶ月後くらいに面談しましょう、となった。
一歳半検診で指摘されてから何をした方がいいのか不安があったが、随分と楽になった。私としては障害があるなら、その支援が必要だろうし、個別に備えることも多くなるので、なるべく早め早めに手を打っていきたい。
「恐らく無職」と書いたが、本人から聞いたわけではないので本当に無職かどうかはわからない。
ではどうして父が無職になっていたなどと言い出したのかというと、母がこっそり教えてくれたからだ。
しかし、母自身も父から報告を受けたわけではないという。
父の普段の生活を見ていて、仕事に行っているような素振りが一切ないため、無職になったと判断したとのことだった。
とはいえ私は特に驚かなかった。母もきっと驚いてはいない。なぜなら父が無職になることは、私たち家族の中ではほぼ普通のことだから(父もそう思っているかは知らないけれど)。
父はとにかくよく無職になる。世間的にそこそこ需要のある職に就くための資格を持っているにもかかわらず、恐らくその人間性が問題になってすぐに職を失う。
要は偉い人の気に入らないことばかりして辞めさせられてしまうのだ。多分。
ちなみに、私は父とここ15年くらい話をしておらず、今まで書いた父に関することは全て推測にすぎない。
父のことに関して「きっと」「恐らく」「多分」ばかり乱用しているのはそのためで、本人からはとにかく何も聞いていないのである。
その昔、父は自分以外のものに厳しい人だった。
私が物心ついたころからすでにパワーによる躾けを実践しており、食事中にテレビをちらっと見ると殴られ、
何かをこぼすと殴られ、口答えすると殴られ、父の気に入らないことをすると殴られ、
とにかくたくさん殴られた。たまに蹴られたりもしたが、基本はグーパンチ! 気に入らなければ母にもグーパンチ! それでいて家に金を入れない(大人になってから母に聞いて初めて知った)!
私は小学校を卒業するころまで、大人が手を挙げるしぐさをするだけで縮こまるような子供だった。
そんな父には、いくつか決め台詞があった。その中の一つが忘れもしない、「一番金を稼いでいる俺が一番偉いのだから、俺に意見するならバイトでもして俺より金を稼げるようになれ」である。
この台詞の正当性は置いておいて、まず間違いなく小学生に言う台詞ではない。
これを言われてしまったら最後、私は父に自分の考えを何も言えなくなり、ただ殴られる肉人形となってしまう魔法の言葉だった。
そんな父も、今や無職。私は父に言われてきた魔法の言葉を鵜呑みにして、たくさんお金を稼げる人間になった。
でも、父に対して意見するなら私より金を稼いで来いなんて思わない。そんなことを家族に言える人間の気持ちが、父と立場が逆転した今でも全然理解できない
年末実家に帰ったら、父(56歳)が恐らく無職になっていて、別にかわいそうとも、ざまあみろとも思わなかった。
ただあの魔法の言葉は、私だけではなく間違いなく父にも影響を及ぼしていているんだなということをなんとなく思った。そんな年末だった。
またしつこく続きなんか書いてるから「あーまたコイツか」って厳しい目で見られる。
ブクマカ等がそれなりに理由付けるだろし、だいたい毎年の市場動向調査やらニュースに観光客どうこうって話は必ず出てくる。
(もちろん具体的金額が計上できるわきゃない。せいぜいアンケート)
しかし「影響がない」と思うのと「影響が数値化できないので評価できない」というのは別な話で、この文章では前者の意味しかなっとらん。
タイトルに決算がどうのこうの謳いながら、ロクに公開情報に目を通しておらんってのが丸わかりというか前回もアンテナ弱いとかツッコまれてて、要はツッコミを明言しておきながら脇が甘いのでツッコまれる奴だこれ。
他人に解説する書き物でありながら、自分で調べもしないってのは致命的。
米国版(日本版じゃなく)のトイザらスの2016 Hot Toy Listに載ってる。
家具やパソコンだったら面白いが、どう考えても玩具(あるいは着せ替え人形限定)だろう。
いったい何のベンダーなんでしょうか?
とか書いたら、タカラトミーがトップシェアなりトップ出荷数でない数的根拠を書けよ。
kyoumoeじゃないからクドクド書かない。
髑髏を模したヘルメット型の端末をかぶり、髑髏の目には血と500円を入れておく。
およそ10分間、脳の思考がブーストされ、的確なコメントが出来る。一回のコメントに対し平均して50のスターを得られる。
②丸薬「承認欲求」30錠入り9000円(税抜)
スターでは得られないあらゆる角度からの承認欲求を満たせる。依存性に注意。
この世に生まれるマウンティングの全てが書かれている。しかし、解読が難しく現在有志による翻訳作業が行われている。
④病ませ童子 非売品
おかっぱ頭にちゃんちゃんこの片手サイズの人形。諭吉を1人丸めて飲ませ、背中に対象のidを記入すると、およそ30日間相手をメンヘラ化できる。どこで作られ、売られているのかは未だに情報がない。
アルコールばかりでご飯もろくに食べない運動もしない仕事は定年迎えたで
朝起きたらトイレマットが交換されてたからこんな早朝からトイレ掃除したのかと母に尋ねたら
その数日後もトイレにいこうとして何故か台所にきてバランスを崩し倒れそのまま起き上がれなくなってた
結局1時間くらい起き上がれないままだったのでトイレが間に合わず小便も漏らす
母が帰宅するまで漏らした小便で冷えたパジャマを履いて床に転がってた
そのあと着替えをするためにシャワーを浴びにお風呂へ行くけどシャワー後にやっぱり起き上がれず
風呂場で震えながら座ってたらしい
最近は現実と夢の区別がついていないのかよくわからないことも言ってるらしい
父の部屋には日本人形がガラスケースに入れて飾ってあるのだけれど
そのガラスケースの中に知らない人が数人入って人形を触っていたんだそうだ
誰に断って勝手に入っているのか、と尋ねたら 家の人の許可は貰った と答えたらしい
日本人形は高さ30cmくらいのものでガラスケースもそれに合わせた大きさなので当然ながら人間が入ることは不可能である
またある日は「昨日は自分の葬儀だったのに火葬場に行かなかった」というようなことをいきなり言ってきたらしい
父は今のところ生きているので変な夢を見たのねと受け流したらしいが父は真面目に話していたようだ
年末年始にかけて漏らすこと大2回、小1回、妄想2回 あまりにもひどいのでお酒をやめるようにいったけれども我慢は3日が限度
またビール1本、チューハイ2本、焼酎2杯 と段々アルコール摂取が戻ってきている
長年やっていた釣りは面倒になったのか船も手放し何年もやっていないし、将棋と言っても指す相手もいない
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で、本題。
※これ自体が「『あるあるw』で笑いものにしてるじゃねーか何が細かすぎて伝わらないだクソが!!」っていうのはあるけれど、それは本題ではないので置いておく。
でもこれを流してるのは現役夢者ではないという言があって、自分もそうだと思う。
この辺りのアノニマスダアリーでも言及されてる(http://anond.hatelabo.jp/20170109182936)。
じゃあ何で彼女(腐女子、と限定しているので敢えて『彼女』と限定しています)はそんなことをするのかと、『自分がそれらとは離れているから笑いものに出来る(自分はそんな幼稚なことはもうしていないのだ)』という、ある意味で過去の自分と決別するためにDisっているのだろうなぁと。
だから、きっとこっち側が何を言っても、ウィンドウの向こうの彼女たちには伝わらないんだよな。
だって、彼女たちには『加害者である(精神的いじめをしている)』という感覚が無いのだから。個別具体的に責めてるわけじゃないんだから、と。
傷つくなと言うのは無理かもしれないし、声を上げるなとは言わないけれど、悲しくなる必要はないと思う。
あれらは感情のない人形のようなものだ。相手がこちらを感情のない人形として(もしかしたらそれすらも認識していないだろうけれど)扱うのなら、あれらが人間ではないと思ってもいいのではないだろうか。
何にせよ、自分の好きなことじゃないからってDisれる人間はロクなもんじゃねーなって思う。
そんだけです。
盛り上がるところも見てる方も分かりやすい。
吸血鬼なのに銃で撃たれても死なない、とかはジョジョ知らない人間でもその場面だけ切り抜いて見ても分かる。
波紋を食らうと吸血鬼は死ぬってのもそれ以上難しくならない設定なので1回聞いたら理解できる。
要は波紋をどう当てるのかというのを待って見ていればいいから毎回波紋をヒットさせるという盛り上がりからの着地点が分かる。
これはかなり重要。
比べて、スタンドバトルがメインになる3部からは、毎回敵が出てくるたびに特殊能力持ちとの超能力バトルになる。
敵の種類も多いので毎回違う特殊能力を覚えなきゃいけない。
漫画なら自分のペースで読めるがアニメだとリアルタイムで初見は理解しないといけない。
これが楽しむための障害になる。
水を操れるとか超スピードとパワーとか炎を操れるとか剣裁きがすごいとか、砂を操れるとかとにかく理解しやすく分かりやすい。
敵の超能力にしても人形を操るとか実は本体が船だったとか予知能力とかピストルとかボスは時を止めるとか、
だから何となくオチも想像できたし決着も分かりやすくて盛り上がれる。
その点、主人公の承太郎のスタンドが超パワーとスピードなのも分かりやすくていいよね。
1部が北斗の拳のパクリでその流れをまだ3部までは残していたから基本オチもちゃんとスタンドのラッシュでお約束を守ってきたと思う。
ラストバトルのラッシュ合戦だけ切り取っても超能力ですごい戦いしてるってのは伝わってくる。
ここまで言うともう理解したと思うけど4部はとにかく分かりづらい。
物を直すという能力のクレイジーDからしてまず直す能力を頻繁に拡大解釈する。
普通の感覚だと戻す能力でミサイルとか体を引っ張るとか言われてもピンとこない。
せいぜいバイクをバラバラにして避けて直してまた走り出すくらいが一般人・初見の感覚のボーダーだと思う。
これも漫画だと自分のペースで読めるからいいけど、初見はリアルタイムでかみ砕かないといけないからハードル高いと思う。
絵を見せると本にして無力化とか紙に物を閉じ込めるとか鉄塔とか養分を吸収するとか擬音を貼り付けるとか正直分かりづらい方の能力が結構出てくるわけで。
吉良の触った相手を「爆弾そのものに変える」っていうのも感覚的に理解できてない人もいるんじゃないだろうか。
接触爆破型と起爆型も使ってくるし、シアーハートアタックも使うし、バイツァダストなんかとにかく分かりづらいだろう。
つまり理解してない状態でバトルが進行するから盛り上がれないのだ。
単純な答えと着地点になれないため万人を盛り上げてくれない。
それが4部が金使った割にコケた最大の原因。
だがアニメ化するに当たっては分かれるように何らかの補助をしなければならなかったのは事実だろう。
制作者たちが勘違いしたのは再現すればそのまま勝てると思ってたところだろう。
でも余計なアニメオリジナル要素も挟んできたり、そのまま再現してるとも言えないわけだが。
また、ジョジョアニメの解釈を優先させすぎなところも足を引っ張ってきたと思う。
個人的には「出しな・・・テメーのキラー・・・クイーンを・・・」はもっとトーンが低くてこれから西部劇のように決闘を行う、
ラストバトルが始まるような張り詰めた演技を期待していたが、出てきたのはいつも普段の演技と同じものだった。
こういうところでどうも自分の期待していたものとズレてるなという気がした。
全体的にアニメ4部の出来は完成度が高くアニメの質という観点からは良い物ではあるが、
この分かりづらさが売り上げに響いてきていると思う。
盛り上げられるところで一緒に乗れなかったら冷めてしまう。
もう少し原作が分かりづらい内容だということを予見していれば何か対策ができただろうが、
PS:
ついでにSNSもやめた。
作品を書くことは2度とないと思う。
リクエスト企画をやってみたことがあった。メッセージが予想以上に来たことがうれしかった。わたしに書いて欲しい作品があると思ってもらえたことが嬉しくて、たくさん書いた。
でもそれに関する感想は何もなかった。リクエストした人間が読んだとか、そう言うのもまるでなかった。わたしの書いたものがダメだったのか、感想を書くほどのものを出せてないのかと思って凹んだ。自分の描きたいもの以外のものを書くときは書くときにとても気を使うからすごく気合い入れて書いたのに、書いても書いてもわたしを満たすのは空虚ばかりになっていった。だからリクエストをやめた。
好きなシチュの話ができると思ったけどどうやら違った。うちの子(創作ヒロイン)可愛い語りに巻き込まれただけだった。最終的にわたしにそのヒロインを使って何か書けといって来るのが嫌になった。
人形可愛い以外の話をされなかった。わたしの考えてた物事との差異が生まれ始めて、辛くなった。
サイトにアカウントを置いていたらサイト経由で話しかけてくれる人がいた。感想をくれることもあってとにかくうれしかった。
でも連載書いてる時にオチはこっちがいいと言われ始めたときに辛くなって来た。わたしが描きたい方向性と違ったからではなくて、単に他人に指図された方向にものを書くのが嫌だった。
別の人が書いたあのキャラの夢が一番好きと言われてるのを見たときに凹んだし、くやしかった。ごめんね、気に入ってもらえるものが書けなくて。
サイトを閉鎖すると書いた途端にやめないで欲しいと言われた。
ども、FSS大好きっ子です。
今月号読みました?
読んでないなら帰ってください!
いやあ、腰抜かしましたよね。
マドラがプロミネンス本人であることは、GTM改変前からデザインズで公開されてたけど、
まさか、他にもそういう奴らがいて、しかも、ハリコンがジュノーンって……
まじかよ!!!
すげえなあ、まじで驚いた。
しかも、バーナー・レンダウドこと、オージェさんって、ミラージュレフトのバーナー・ダウドさんだよね、多分。
ってことは、超帝国剣聖のマドラに加えて、こいつもミラージュにいるのかよ。
……素朴な疑問だけど、3159年ってこんなアホみたいなメンバーで何と戦うねんな。
でまあ、今月で
オージェが、レンダウド
と三人が判明してるから、残り四人。
ジュノーン:コーラスVI(これなら、フォーカスライトこと、アウクソーこと、デルタベルンを娶れる理由も明確になるしね)
アトール:ジャコー(Aナンバーのくせに剣聖じゃないの不自然だったし、アトールなのに深い意味はないけど、マグダル救出に関わりそうだから、その辺でなんとか)
バング:ミューズ(ヒッター=カイエンに気づいて覚醒したら、BL脳爆発するわ。……いやまあ、でも冷静に考えるとイルゾンサヤステな気がするな、魔導大戦で破裂の人形使うらしいし)
ネプチューン:ブラフォード(だ、だって、筆頭騎士だよ!? この三期ミラージュの筆頭騎士なんだよ!? マキシ、ツバンツヒ、マドラ、ログナーとかがいる中で筆頭騎士なんだよ!? これぐらい盛ってもらわんと困るわ。あとカイエンと並んで賞賛したウピゾナさんが報われる)
みんなの予想まってるよー!