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はてなキーワード: サトウキビとは

2021-01-14

anond:20210114174048

わいもおなじツッコミしたい。

植物ってグルタミン酸多め(MSGもサトウキビ絞りカスから取れる)なんで、

出しの「ちょっと違う由来の出し混ぜると旨味が掛け算になってものすごくふえる」法則のためには

肉のイノシン酸

貝のコハク酸

きのこグアニル酸

あたりを足すか、脂と塩だけ増やしてポテトフライみたいなシンプルなうま味にもっていくかしかないとおもうのよ

2020-10-23

anond:20200901080715

クレイジー砂糖はある

サトウキビを煮詰めて黒褐色の粘度のある塊を抽出

煮沸した清潔な綿で包み、その上に重石を載せて、不純物となる余分な蜜を排出する

蜜を排出したら、水で練ってサラサラにする

再び煮沸した清潔な綿で包み、その上に重石を載せて、不純物となる余分な蜜を排出する

これを合計5セット繰り返し、黒褐色だったものを真っ白な砂糖昇華させたクレイジー砂糖がある

名前和三盆という

 

クレイジー味噌はある

主原料がソテツの実で作られた味噌がある

ソテツの実には毒があり、本来は食べられない

水溶性の毒であるため、麹による発酵熟成効能によって無毒化されやっと食べられるようにしたクレイジー味噌

名前を蘇鉄味噌、別名なりみそという

 

世界は広い

探せばクレイジーな何かを見つけることは意外と可能である

興味あれば色々調べて見聞を広めるといいだろう

2020-01-09

窓のない部屋

 バスが止まると、乗客たちは押し黙ったまま次々と降りて行く。車窓から見える煤けた家々の影に吸い込まれて行く彼らを眺めていると、いつの間にかバスの中には僕と運転手けがとり残されていた。分かるはずもないポルトガル語でなにかを伝えようとする運転手の表情を見て、ようやくここが終点のモシンボアプライアだということに気付いた。

モザンビーク共和国の最北部タンザニアとの国境に最も近い街、モシンボアプライアナンプーからミニバスに揺られること10時間、日も傾き始めた午後4時頃、やっとのことで到着した。

21世紀になった今でもまだ未開の森が残っているというモザンビーク北部。小さな村と村を辛うじて繋ぐ細い道路は言うまでもなく未舗装で、その上を走るトヨタハイエースミニバスは、重ねて言うまでもなくオフロード向きの車ではない。乗車定員をまるで無視したぎゅうぎゅう詰めの車内で、膝の上に拷問器具さながらの重たいバックパックを載せて、しか悪路を走る振動に耐えながらの10時間は、気の遠くなるような長い時間だった。

 あわてて荷物を引っ張って外に出ると、空になったバスはそそくさと何処かへ行ってしまった。降り立った場所バスターミナルなんて大層なものではなく、石造りの家々が建ち並ぶ小さな村の一角にポツンと広がった、ただの砂地の広場だった。広場の端に植えられたヤシの木の陰には何人かの女性や老人が座っていて、サトウキビバリボリ齧りながらこちらをじっと見ている。ああ、ここ数日と同じだ。

 モザンビーク最大の都市首都マプトは、南北に長い国土の一番南の端にある。南アフリカから陸路入国した時、最初に到着した街もマプトだった。首都首都なりに近代的なガラス張りの高層ビルが建っていたりもするのだけど、そこから北へ向かって縦断を始めると、車窓から見える景色がどんどん田舎に、自然に近づいていくのがそれはもう如実に分かる。白人観光客がいるのはせいぜいマプトの次の街のイニャンバネ辺りまで。国土のちょうど真ん中辺りを東西流れるザンベジ川を超えると舗装道路ほとんど無くなる。北部の街キルマーニを超えるともう公共交通機関が当てにならないので、道端にはヒッチハイクの代行をして日銭を稼ぐ子供達が居たりする。モシンボアの手前のペンバ辺りまでは、自分以外の酔狂バックパッカーを見かけることもあった。しかし、ここに来てついに異邦人自分だけになってしまったらしい。

 いわゆる発展途上国場合自分のような旅行者は、バスから降りるなり土産物押し売りホテルタクシー客引きにもみくちゃにされてうんざりするのが常だ。しかアフリカのこんな僻地まで来てしまうと、そもそも旅行者が訪れることなほとんどないはず。外国人慣れしていない土地人達も、突然バスから降りてきた肌の色の違う人間に驚きつつもどう対処したらいいかからないのだろう。一挙手一投足を全方位から遠巻きに観察されているような視線は、動物園パンダにでもなったかのような気分にさせてくれる。

惚けていても始まらない。まずは今晩の宿を確保して、それから英語の分かる人間を探さないと。ここまでの街で集めた情報によれば、モシンボアからは毎朝早くに国境行きのバスが一台出ているらしい。できれば明日の朝そいつに乗り込みたい。ここ数日、ATMもなければクレジットカードも使えないような場所を通ってきたせいで、手持ちの現金はもうほとんど尽きかけていた。今はできるだけ早く駒を進める必要がある。とにかく、話のわかる奴を探して情報を聞き出さないといけない。僕は檻から抜け出すようにしてその広場を後にした。

 重い荷物を背負って村の中へ入って行くと、ここでも同じように奇異の目を向けられる。それでも、こういう時は一度誰かにしかけてしまえば後は簡単だ。それをきっかけに周りで見ていた人たちも次々話に入ってきて、いつの間にか自分の周りは人だかりになっている。その中には英語を喋る奴が大抵一人くらいはいもので、今回もその中の一人、僕と同い年くらいの青年を見つけた。彼が言うには、自分兄貴が毎朝国境行きの車を運転しているとのこと。この村に来る外国人十中八九陸路タンザニアへ向かおうとしている奴だから、客になりそうな外国人がいると聞いてすっ飛んで来たらしい。村の奥、青年の指差す方向には一台のピックアップトラックが止まっていた。手を引かれ、群衆をかき分けながら近づいていくと、荷台に腰掛けた白いタンクトップの男がサトウキビバリボリ齧りながらこちらに視線を投げている。トラックの前まで来ると、男はサトウキビの食べかすを地面に吐き捨て、挨拶もそこそこに言った。

あんた、国境に行くんだろ。300メティカル明日の朝こいつの荷台に載せて連れてってやるよ。早朝三時にここに来な」

 なんとなく予感はしていたが、国境へ行く手段というのはバスや乗り合いタクシーの事ではないらしい。このトラックの荷台に乗って、荷物のついでに運んでもらうということなのだ。トラックの荷台には、明日の同乗者になるのであろうコーラの空き瓶が入ったケースや何が詰まっているのかわからない大きな頭陀袋が山と積まれているだけで、当然ながら座席のようなものは見当たらない。今日の移動もなかなか骨だったが、明日今日に劣らずタフな一日になりそうだ。

 運賃として提示された300メティカル日本円にしておよそ500円少々。交渉が前提になっているようなひどく高い金額でもないし、村を歩いて探し回っても他の交通手段があるとは思えない。500メティカルなら、あと一日くらいこのモシンボアに泊まってゆっくり骨を休める余裕ができる。聞く所によればこの男は毎日国境まで行っているようだし、出発を一日先延ばしにしてもさほど問題にはならないはずだが、でもこの時はそうしなかった。前へ前へと懸命に移動することに、ある種の快感のようなものを覚え始めていたのかも知れない。とにかく僕はこのトラック明日の朝、国境まで行く事に決めたのだ。

 握手を交わすと、男は表情を和らげて言った。

「寝る場所必要だろう。弟に宿まで案内させるから今夜はそこで休め。寝坊しても起こしに行ってやるから安心しろ

 男が目配せをすると青年は頷き、ついて来いと言って歩き始めた。もう一つの懸案だった宿の方も、彼らが世話してくれるらしい。それもそのはず、人や荷物国境まで運ぶ商売をしていれば、僕のような旅行者を載せる機会も幾度と無くあっただろう。そんな旅行者への宿の斡旋も、彼らの商売の一部なのだ

 青年背中を追って歩いていくと、少しずつ村の中心に近づいていくのがわかった。舗装された道幅の広い道路があらわれ、ガソリンスタンドや錆びたコカコーラ看板商店食堂などが民家に混じって見え始める。顔を少し上げると、視界の端にわずかに入るヤシの木や、朽ちて傾いた丸太電信柱の向こうに、どことなく湿った雨期の青空がいっぱいに広がるのが見える。

10分も歩かないうちに、僕らは一つの建物の前で立ち止まった。周りに見える民家や商店より少し大きい、ちょうど郊外コンビニくらいの大きさのその建物は、宿泊施設としてはやや小さく思える。水色のペンキで塗り染められた石の外壁には大きなひびが入り、風雨や土埃に晒されてくすんだ色になっていた。やれやれ想像通りのボロさである

「ここが宿だ。少し汚いけどこの村には宿はここしかない。悪いけど我慢してくれよな」

青年はそれだけ言うと、あっけにとられる僕をその場に置いて来た道を逃げるように帰っていった。僕が宿にいちゃもんをつける前に立ち去りたかったのだろうか。

入り口にかかる簾をくぐり、薄暗い室内にに踏み込む。簾に付いた鈴が音を立てると、奥のカウンターの向こう側から一人の老人がゆらりと立ち上がった。部屋が欲しいんだと大袈裟ジェスチャーを交えながら伝えると、彼は黙ったまま横の壁の一点を指差した。目をやると、石の壁に赤のペンキで直接文字が書かれているのに気付いた。

"Single 1200. Twin 1600."

シングルの部屋が日本円にしておよそ2000円ほど。いままで泊まってきた宿の中では一番高い金額だが、さて、どうするべきか。村にある宿がここだけだと言う青年言葉は、この宿の大きさから考えて恐らく嘘だろう。ここより安いという確証はないが、土地人間が使うゲストハウス位はどこの村にも幾つかあるものだ。しかし、重い荷物を再び背負って表を歩き回るのはやはり億劫だった。壁に書かれた赤いペンキの文字酸化してほとんど茶色くなっていた。いつからこの値段でやっているのかは知らないが、少なくとも僕を金持ち旅行者と見てふっかけているわけではないようだ。値段の交渉は望み薄だが、僕は試しに聞いてみた。

「もう少し安くはならないの?」

老人は困ったような、それでいて僕がそう言い出すのを知っていたかのような苦笑いを浮かべ、少しの間を置いて言った。

「窓のついてない部屋が一つあるが、そこなら600でいいよ」

なんと、意外なほどあっさり宿賃が半値になってしまった。一泊1000円なら上出来じゃないか。窓が無いというのは、まあ多少風通しと明るさに問題があるとは思うがこの際妥協してもいいだろう。どうせ明日は日が登る前にここを発つのから

「部屋を見せてくれる?」

僕が言うと、老人は鍵を引き出しから取り出し、カウンターを出て奥へ伸びる暗い廊下を歩き始めた。僕もその後を追った。

つのドアの前で立ち止まると、老人はドアノブに鍵を突き刺して、ガチャガチャ乱暴に鍵穴をほじくり始めた。なかなか開かないようだ。このボロさでおまけに窓の一つも付いていないときたら、本当に地下牢のような荒んだ部屋なのだろう。そんなことを考えながら、鍵と格闘する老人の背中を眺めていた。しばらくして鍵が開く。額に汗した老人は僕の方を向いて意味深な笑みを浮かべ、ドアを開いて見せた。

開け放たれたドアの前から覗いた部屋は、想像通りとても簡素ものだった。だが、想像していたより酷くもなかった。六畳程度の部屋のど真ん中にはセミダブルくらいの大きなベッドが石の床に直接置かれ、部屋の隅にはちゃちな木製の小さな椅子と机が、客室の体裁を取り繕う申し訳のようにちょこんと置かれている。そして、奥の壁の大きな窓からレースのカーテン越しに差し込む夕陽が、数少ない部屋の調度品と埃っぽい室内を舞う無数の塵を照らしていた。しかしこの部屋、さっきと少し話が違うんじゃないか

「いや…ご主人、僕が見たいのは半額の部屋の方なんだけど」

「ん? この部屋は600メティカルだが」

だって窓が付いてるじゃないか

僕がそう言うと、老人は黙って部屋へ入って行き、カーテンをめくる。そこにはあったのは確かに窓だった。窓だったが…窓にはガラスが入っていなかった。僕は思わず笑ってしまった。窓が付いていないというのがまさかこういう意味だったとは。明るくて風通しの良いこの部屋は、僕が覚悟していた牢獄の様な部屋よりよっぽどマシに見えた。しかし、中と外の境界を作るのが鍵の掛けようのない無い薄いカーテン一枚というのは、やはり安全面に問題ありすぎる。こんな部屋でおちおち寝ていたら命が幾つあっても足りないだろう。強盗マラリア、野犬、その他諸々の野生動物危険は数え出したらキリがない。半笑いでそんな事を考えていると、いつの間にか隣に来ていた老人に小突かれた。

「で、どうするんだ」

「…窓が付いている部屋も見たいな」

「だろうな」

ニヤリと笑みを浮かべた老人は静かに扉を閉めると、一つ隣の部屋の扉を開けて僕に見せてくれた。さっき見たのと一見全く同じ部屋だが、こっちのほうが心なしか手入れがされているように見える。中に入ってカーテンをめくってみると、くすんだガラスがしっかりと嵌めこまれた窓と網戸が見えた。

「1200メティカルだけど、いいよな?」

振り返ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた老人と目が合った。やれやれこちらの完敗である

「…いいよ。この部屋にする」

宿賃を渡し、僕は笑ってそう答えた。老人は僕の肩にポンと手を置いて、隣の部屋のとはまるで違う綺麗に磨かれた鍵を渡してくれた。やっぱり、あの部屋には最初から客を泊めるつもりなんてなかったのだろう。

明日の昼まで停電から電気はつかないよ。ロウソクが引き出しにあるから使うといい」

「一本いくらですか?」

サービスだよ」

僕が皮肉半分に聞いたことを知ってか知らずか、老人はどうだ気前がいいだろうと言わんばかりの誇らしげな笑みを見せ、ドアの外へ消えて行った。やり返してやった気にはまるでならなかった。

靴や荷物についた砂を振り払い、ベッドに寝転んだ。疲れ切った身体を動かす体力はとうに尽きていたが、不思議と気分は高揚していた。蓄積した疲労の中に滲む自虐的とも言える旅の充足感に気付いたのだった。

2019-01-07

anond:20190107103943

重金属wwwww

サトウキビの絞りカス酵素発酵させたものが怖くて食べられないなら

酒もみりん醤油も使うなとしか

そもそも醤油がほぼ同じ発酵グルタミン酸ナトリウム調味料なんだが

醤油オーケーグルタミン酸ナトリウムはアウトとかいバカ死ねばいいのにと思ってる

化学調味料とかも嘘だよあれ生物調味料だよ。

 

気にくわないなら製品固有名詞あげろよ

主語でっかくすんなバーーーーカ

2018-11-11

化調嫌いの人

味の素名前を「天然サトウキビから作った旨味ふりかけ」にしたら爆買いする程度の知能だと思って正直見下してる。

2018-06-29

サトウキビ畑でお尻を叩かれた

中学一年生の時、高校生(だったはず)の従兄弟女の子にお尻を出せと命令され、サトウキビ畑の真ん中で渋々お尻を出してサトウキビで叩かれた。

痛くて泣いたらごめんねと思い切りキスされ、その後恐怖の初体験

今日みたいな青い空を見ると否応にも思い出す。

から自分は未だにセックスが苦手。

こんな話を友達飲み会でするわけもなく、きっともやもやしたまま心の中に抱えて生きて行くと思う。

ちなみに従兄弟とは毎年会うが、その時のことは一切触れない。

2018-01-28

日本辞書における台湾関連の記述

<背景>

産経新聞が次のような記事掲載している。

広辞苑台湾を「台湾省」 20年前から記載 「日本代表的辞典としては瑕疵と言わざるを得ない」(1月26日

http://www.sankei.com/life/news/180126/lif1801260004-n1.html

広辞苑」に相次ぐミス指摘 “国民辞書”揺らぐ信頼

http://www.sankei.com/life/news/180126/lif1801260003-n1.html

今回の広辞苑第七版ではLGBTしまなみ海道記述の誤りが指摘されている。しかし、台湾については触れているメディアほとんど見かけていない。

私はまだ広辞苑第七版を見ていないが、広辞苑第六版その他の辞書記述について気づいた点を記す。

<私の結論

1)広辞苑第六版の「中華人民共和国」にある〔中華人民共和国行政区分〕は日本刊行する辞書としての中立性に欠ける。

2)広辞苑以外も日本国語辞典は総じて現在中華民国に冷たい。現在中華民国は「名称」であり、台北首都ではなく主要都市なのだ

画像

1 産経新聞より

http://www.sankei.com/smp/life/photos/180126/lif1801260003-p1.html

2 広辞苑第六版より

https://pbs.twimg.com/media/DTTEa_YVwAAJM6J.jpg

<本文(長い)>

きっかけは昨年秋、広辞苑新版ニュースになりはじめたころの、1つの記事だった。

日本広辞苑が「台湾中国の一部」に改定。日台の絆に深い傷

http://www.mag2.com/p/news/333476

ただし、この記事有料メルマガ抜粋であるため、詳細を確認することができなかった。

そこで、近くの図書館に行き、台湾関連の記述確認することにした。

まずは「台湾」を引いてみた。

【1】「広辞苑」第六版第一刷(二〇〇八年一月一一日)新村出

たいわん【台湾】(Taiwan中国福建省台湾海峡をへだてて東方二〇〇㌖にある島。台湾本島・澎湖諸島および他の付属から成る。総面積三万六〇〇〇平方㌖。明末・清初、鄭成功オランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果一八九五年日本植民地となり、一九四五年日本敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った。六〇年代以降、経済発展が著しい。人口二二八八万(二〇〇六)。フォルモサ。→中華民国。➖・あひる台湾鶩】(以下略

まぁ、こんなもんかな、と思った。

他の辞書も見てみることにした。

【2】「大言海」新訂版第四刷(昭和五十七年十二月一日)故大槻文彦、大槻清彦

たいわん・ぼうず(タイワン・バウズ)(名)臺灣坊主明治二十七八年戦役ノ際、臺灣に出征セシ兵士ノ、此病ニ罹リ、つるつる坊主ニナリテ歸國セシ故ニ云フト〕(以下略

台湾自体見出し語になく「台湾坊主」という禿頭病の説明だけだった。

【3】「角川国語辞典初版昭和五十七年十二月二十日)時枝誠記吉田精一

たいわん【台湾中国福建省東方にある島。面積三万五六〇〇平方㌖。明(みん)末、清(しん)初のころから中国人が多数移住して中国領であったが、日清(にっしん)戦争後、日本領第二次世界大戦後、中華民国返還され、一九四九年以降は蔣介石の国民政府がこの地によっている。中華人民共和国台湾省という。

続いて【台湾海峡】【台湾総督府】【台湾泥鰌(どじょう)】【台湾パナマ】【台湾坊主】と続いた。

【4】「広辞林」第六版第一刷(一九八四年三月一〇日)三省堂編修所

たいわん【台湾中国福建省東方にある島。中国の一省。

これだけの辞書もあった。続いて【台湾征討】【台湾総督】と続く。

【5】「岩波国語辞典」第7版新版第1刷(2011年11月18日西尾実岩淵悦太郎水谷静夫

台湾」はなく、【台湾坊主】のみ。禿頭病のほか、低気圧意味も載っていた。

【6】「旺文社国語辞典」第十一版(2013年10月13日山口明穂、和田利政、池田和臣

たいわん〔台湾沖縄諸島南西方中国大陸福建省東方位置する島。中心都市台北タイペイ。➖ぼうず【ー坊主】(以下略

台北が初めて出てきたが「首都」ではない。

【7】「国語辞典 言泉」第一第一刷(昭和六十一年十二月二十日)尚学図書

たいわん【台湾日本列島西南方にある紡錘形の島。島のやや東寄りに高峻な台湾山脈が南北に縦走し、西側平野がひらける。気候亜熱帯モンスーン気候原住民インドネシア系とされる高山であるが、人口の大部分は華南から移住した漢民族が占める。明末・清初から中国領日清戦争日本領。一九四五年中国返還され、四九年中国国民党政府がここに移った。略称は台タイタイワン。

高山族が出てきた。

【8】「新明解国語辞典」第六版第一刷(二〇〇五年二月一〇日)山田忠雄柴田武酒井憲二、倉持保男、山田明雄

これも【台湾坊主】のみ。

【9】「大辞林」第三版第一刷(二〇〇六年一〇月二七日)松村明三省堂編修所

たいわん【台湾中国福建省東方位置する大島台湾本島とその属島からなる。米・サトウキビ・茶・バナナなどを産する。製糖・製紙・機械セメント・造船などの工業が発達。先住民高山であるが、住民の大部分は漢民族一六八三年から中国領土。日清戦争日本植民地になり、一九四五年中国返還されたが、四九年国共内戦に敗れた中国国民党がここに移った。主要都市台北。面積三万六千平方㌖。人口二二七五万(二〇〇五)。

かなり詳しいが「中華民国」とは書かない。以下【台湾海峡】【台湾兜虫】【台湾銀行】と続く。

【10】「日本国語大辞典」第二版第八巻第一刷(二〇〇一年八月二〇日)日本国語大辞典 第二版 編集委員会小学館国語辞典編集部

たいわん【台湾中国の南東方にある紡錘形の島。本島のほかに澎湖島などの付属島を含み、台湾海峡を隔てて中国福建省広東省に対する。島のやや東寄りに高峻な台湾海峡が南北に縦走し、西側平野がひらける。ほぼ中央を北回帰線が通り、亜熱帯モンスーン気候を示す。先住民はマライ・インドネシア系とされる高山であるが、人口の大部分は華南から移住した漢民族が占める。明末・清初から中国領日清戦争後の一八九五年から日本領。一九四五年中国返還され、省制がしかれたが、四九年中国国民党政府がここに移った。面積三万五九八一平方キロ

かなり細かい記述

台湾については大体こんな感じだったが、「中華人民共和国」と「中華民国」も引いてみることにした。

【1】「広辞苑」第六版第一刷(二〇〇八年一月一一日)新村出

➖・じんみんきょうわこく【中華人民共和国中華民国国民党政権革命によって倒し、一九四九年一〇月一日、中国に成立した共和国中国共産党指導のもとに、全国人民代表大会国家権力の最高機関とする。社会主義体制標榜しつつ、七〇年代から経済改革・対外開放を推進、近年発展著しい。面積約九六〇万平方㌖。人口一二億九六〇〇万(二〇〇四)。首都北京

本文にさして問題は感じないが、問題は〔中華人民共和国行政区分〕なる地図である

(1)北京市に始まり(34)マカオ特別行政区まで掲載されている中に、しれっと(26)台湾省が何の説明もなしに入っているのは、非常に違和感を覚える。

➖・みんこく【中華民国辛亥革命の結果清朝が倒れた後、一九一二中国最初共和制政体として成立した国。初代大統領袁世凱(えんせいがい)。二八年中国国民党国民政府樹立、全国を統一したが、第二次大戦後共産党との内戦に敗れ、四九年本土を離れて台湾に移った。

ちゃんと中華民国見出し語になっているのだが。

【3】「角川国語辞典初版昭和五十七年十二月二十日)時枝誠記吉田精一

➖・じんみんきょうわこく【ー人民共和国

中国大陸支配する社会主義国首都北京ペキン。(以下略

➖・みんこく【ー民国

中国大陸の南東海上、台湾島を中心とする共和国。辛亥(しんがい)革命により一九一二中国大陸に成立。のち、蔣介石の率いる国民党によって統一されたが、第二次世界大戦後、国民党共産党に敗れ、一九四九年台湾に移った。首都台北タイペイ。面積三万五九六一平方㌖。

中華民国見出し語にあり、台北首都である

【6】「旺文社国語辞典」第十一版(2013年10月13日山口明穂、和田利政、池田和臣

中華人民共和国のみ見出し語にあり。中華民国台湾については特筆すべき点なし。

【7】「国語辞典 言泉」第一第一刷(昭和六十一年十二月二十日)尚学図書

中華人民共和国については特筆すべき点なし。

➖・みんこく【中華民国】(一)辛亥革命後の一九一二から中華人民共和国が成立した四九年まで、中国代表する政府採用した国名。(二)一九四九年、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れた国民党政府使用している名称

最も正確な気がした。

【9】「大辞林」第三版第一刷(二〇〇六年一〇月二七日)松村明三省堂編修所

➖じんみんきょうわこく【中華人民共和国アジア大陸東部を占める国。中国革命成功により一九四九年一〇月一日、毛沢東主席として成立。中国共産党指導の下で、土地改革農業集団化、数次の五か年計画などを遂行し、文化大革命による混乱を克服して「四つの現代化」を掲げ、社会主義国建設を目指している。国家の最高機関全国人民代表大会首都北京。面積九五九万七千平方㌖。人口一三億一五八〇万(二〇〇五)。

➖みんこく【中華民国辛亥革命の結果、中国誕生した共和制の国。一九一二孫文臨時大総統として南京ナンキン)に政府樹立されたが、袁世凱政権を奪って政府北京に移した。のち、中国国民党国民政府樹立し、北伐をおこない全国を統一したが、日中戦争内戦を経て、四九年中国共産党中華人民共和国が成立。台湾に移った国民党政府は、中華民国国号使用

【10】「日本国語大辞典」第二版第八巻第一刷(二〇〇一年八月二〇日)日本国語大辞典 第二版 編集委員会小学館国語辞典編集部

ちゅうか-じんみんきょうわこく【中華人民共和国ユーラシア大陸東部にある人民共和国東部はやや湿潤な平野からなり、内陸部は乾燥気候で、山地高原盆地が多い。大多数を占める漢民族のほか、チワン族蒙古族ウイグル族チベット族など五五の少数民族からなる多民族国家北京上海天津の三直轄市と、二二省、五自治区、ニ特別行政区香港マカオ)に分かれる。中国国民党との内戦勝利を得た中国共産党の全国統一により一九四九年一〇月、毛沢東主席として成立。中国

広辞苑第六版の地図比較すると、この時点では重慶直轄市ではなかったようだ。そして台湾省は「二二省」には含まれていないと思われる(広辞苑の「省」は23ある)。

ちゅうか-みんこく【中華民国】(一)辛亥革命後の一九一二から中華人民共和国が成立した一九四九年まで、中国代表する政府採用した国名。一九二七年を境として、前半の軍閥組織を背景とした北京政府と、後半の中国国民党による国民政府時代とに分けられる。首都は前半は北京、後半は南京。(ニ)一九四九年、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れた国民党政府使用している名称

【11】「国語辞典第一版第七刷(昭和五十七年二月十二日)尚学図書

➖・じんみんきょうわこく【中華人民共和国

国共内戦記述があり、首都北京とあるが、台湾についての記述はない。

2017-09-28

anond:20170928155013

一応お腹向けにヤクルトと、

コーヒーに入る砂糖サトウキビ糖とかにしてるくらいかなあ

オリゴ糖は扱いにくかったので…

正直、ヤツが腹壊す原因がわからんのだよね…

食事は2,3日おきにスーパーで買うし、

冷凍食品以外を長期冷凍保存したりはしない(1日くらいかな…)

平日の作り置きもしない

基本的食洗機マンション備え付けの多分いいやつ)を使ってる

しかに、豚ロースとかの薄い物(あらかじめ味付けと衣ついてる惣菜のやつ)は

卵焼き鍋で油半分浸かるくらいで揚げてるよ

冷ましてからキッチンペーパーで吸わせて次の日捨ててる

あいう油ももったいないよ~とはちょっと思う…

2017-08-17

臆病な祖母

ここ数日、祖父母の戦争体験を語るエントリが多くあったので私も思い出した。

こわがりな祖母が聞かせてくれた沖縄戦の話

祖母沖縄県中部農村に生まれた。物心つく頃には労働力として畑にかり出され、毎日サトウキビの世話をさせられたらしい。

毎日畑と学校と家の往復で忙しかったけれど、それなりに楽しい幼少期を過ごしたそうだ。

だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

突然学校ウチナーグチ沖縄方言)を話すことを全面的禁止されたのだ。ウチナーグチ本土人間からすれば全く何を言ってるのか分からない未知の言語であるため、

こんなもの日本語と認めるわけにはいかん、正しい日本語を身につけさせお国に尽くす青少年を育成せよとのお達しが来たのだ。

日常会話の全てをウチナーグチに頼ってきた当時の子供たちはかなり戸惑ったそうだ。ウチナーグチポロっと出ただけで教師に襟首を掴まれ

ほかの生徒たちが見守る中で厳しい体罰を食らわされた。三度の飯よりお友達とのおしゃべりが大好きだった祖母もこれには相当参ったらしい。

祖母は本人曰く「とてもこわがりな性格」で、痛い思いをしておまけにみんなの前で恥をかかされることが本当に恐ろしかったんだそうだ。(ほとんど毎晩うっかり方言を喋ってしまいみんなの前で叩かれる悪夢にうなされるレベルで)

そんなこわがりな祖母一生懸命練った苦肉の策が「学校では必要最低限の返事しかしない」というもので、なんと「ハイ」「イイエ」「ドウモアリガトウ」の三語だけでどうにか一年乗り切ったというから驚いた。

しかしそんなしみったれ学校生活も長くは続かなかった。ついに米軍沖縄本島上陸する。

祖母家族とともに近所のお墓(沖縄のお墓はむちゃくちゃデカい。納骨のスペースが6畳くらいある)に逃げ込み、息をつめながら爆撃が早く止むようひたすら祈ったそうだ。

毎日「悪いようにはしない、県民大人しく投降せよ」という米兵のつたない日本語が遠くから聞こえてきたが、それだけはすまいというのが狭い墓で身を寄せ合う家族の総意だった。

米兵捕虜になれば男子死ぬまで肉体を酷使され、女子は野獣のごとき米兵に陵辱され、妊婦は腹を八つ裂きにされて殺されるという噂が流れていたかである

現在であれば噂の発生源を辿って真相を確かめ手段いくらでもあるが、当時は噂の真偽を確かめる術がなかったため、「米軍に捕まったら死ぬより恐ろしい目に遭う」という噂は共通認識となって島中に広がった。

毎日から何千発もの爆弾を投下し、無抵抗な島民を次々に殺戮する米兵の姿は噂の信憑性を補うのに十分だったことだろう。

ガマ(洞窟)や墓には日本兵も隠れていた。

米兵はまず、人が潜んでそうな場所を見つけると、外から拡声器を使って投降を呼びかける。

しばらく待っても返事がない場合手榴弾を投げるか、火炎放射器を使って中を丸焼きにする。わざわざ日本兵が潜伏しているかもしれない場所に入って危険をおかす必要はないというわけだ。

この方法で多くのガマに逃れた民間人が殺された。「こわがり」な祖母は、この火炎放射器がとにかく、とにかく恐ろしかったらしい。狭く蒸し暑い空間家族ごと炙り焼きにされる恐怖というのは、想像を絶する。

このまま墓にずっと身を潜めていてはいずれ火炎放射器で焼き殺される。かと言って捕まれ死ぬより恐ろしい目に遭う。自決が一番マシな選択に思えた。

米兵が墓の前まで来たら自決しよう」家族は話し合って決めた。

何日か経ってとうとう米兵が墓の付近うろつきはじめた。

ここから驚愕の展開なのだが、なんと祖母は「おーい!」と叫んで外の米兵に助けを求めたそうである

死ぬ覚悟はとうに出来てたはずなのに、なんであの場で声を上げたのか自分でも皆目分からないけれど、強いて言うなら「土壇場で死ぬのが怖くなった」らしい。

もうほとんど無意識だったに違いない。頭が真っ白になって、気付いたら家族と一緒に米軍バンに乗せられていたらしい。

祖母が声を上げたおかげで結果的家族自決を免れたわけで、収容所でしばらく荷物運びやら農作業やらやってるうちに気づいたらなんか終戦を迎えていたらしいのだ。

このへんは祖母も笑い話として語っていた。「私がこわがりだったお陰であんたたちがここにいるんだ」とコロコロ可笑しそうに笑っていた。

私も家族と大爆笑したものだが、歳をとるにつれ、祖母は本当にこわがりだったのかと疑問に思うようになった。

真っ暗な墓の中で凄絶な選択を迫られて、それでも尚土壇場で生にしがみつくことが出来るだろうか。

祖母が亡くなって10年余。この時期になると、毎年こわがりな祖母勇気を思う。

※補足※

ブコメで以下のようなご指摘を頂戴しました。

>些細なことだし、現代の人にわかやすいように書いたのかと思うが、次の箇所気になる。>だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

ご指摘されて初めて気がつきました。詳細を失念していて申し訳ないのですが、当時の年齢を現代義務教育と照らして分かりやすいように祖母説明してくれたのだと思います

紛らわしくて申し訳ございません。ご指摘ありがとうございました。

2017-08-14

https://anond.hatelabo.jp/20170814092845

いや、関係悪化した嫁、妻との関係を「贅沢な悩み」とか言うからさ。

例えて言うなら、甘い関係、お互いを尊重しあえる関係砂糖に例えたら、完全に出がらしとなったサトウキビの搾りかすばかりかじってるの見て「甘い思いしやがって」とか言ってるようなもの

甘い要素はもう完全になくなってるんだよ。

2016-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20161216115157

元増田は、サトウキビ有機栽培して作り出した白砂糖(上白糖)はオーガニックなのではないかと思っているようだけど、違うんです。

国際的な規模で有機農業推進活動を行っているIFOAM( 国際有機農業運動連盟) は、オーガニック原則として「生態系」「健康」「公正」「配慮」の4項目を掲げています

まり、単純に栽培の仕方だけでオーガニックかどうか?が決まるわけでは無いのです。

砂糖はその精製過程で、ビタミンミネラルほとんど失います。それが健康的ではないということでオーガニックとして認められないのです。

黒砂糖やキビ砂糖甜菜糖などはあまり精製されていないので、ミネラル豊富健康に良いということでオーガニックという扱いになってます

2016-04-29

農産物生産ランキング

id:y-wood 生産高(金額ベース)だとイネ科?ナス科

直観的には三大穀物、米小麦玉蜀黍を有するイネ科の圧勝だと思ったが、本当はどうなってるか気になったので検索

http://faostat.fao.org/site/339/default.aspx

で多少古いが2012年統計発見。当時の為替の1ドル=80円換算で表にしてみた。

品目生産額(兆円)生産量(億t)キロ単価
1牛乳ウシ科14.986.2623.9
2コメイネ14.857.3820.1
3牛肉ウシ科13.560.63216.1
4豚肉イノシシ13.341.09123.0
5鶏肉キジ10.570.93114.0
6小麦イネ6.346.719.4
7大豆マメ科4.862.4120.1
8トマトナス科4.731.6229.2
9サトウキビイネ4.6318.422.5
10キジ4.400.6666.3
11トウモロコシイネ4.298.734.9
12ジャガイモナス科3.903.6510.7
13生鮮野菜V.A.3.692.7013.7
14ブドウブドウ科3.070.6745.7
15水牛ウシ科3.060.9731.5
16綿花アオイ科2.970.26114.3
17リンゴバラ科2.550.7633.4
18バナナバショウ2.261.0222.1
19キャッサバトウダイグサ科2.062.697.6
20マンゴーウルシ2.020.4247.9
品目生産額(兆円)生産量(億t)キロ単価
サトウダイコンアカザ科0.862.703.2
大麦イネ0.371.342.8
サツマイモヒルガオ科0.381.083.5
スイカウリ科0.891.058.4
たまねぎユリ科1.390.8316.8

註:マンゴー類は原文は「マンゴーマンゴスチングアバ」なので本当はそれぞれウルシ科、弟切草科、フトモモ科に分かれる

結論イネ科マジ世界支配者。量ベース統計だともっとひどくて1~4位を独占する。

15位が謎だが、なんかインドパキスタン生産多い。宗教上の理由でスイギュウが多い、と説明している人がいるが、本当にその説明で正しいかは分からない。

最後の5品目は量ベース統計だとベスト20に食い込む産物。参考として載せた。

http://anond.hatelabo.jp/20160428222726

2014-02-03

酷い眼精疲労アレルギーによるものだった話

10年苦しんだ眼の痛みは実は、遅延型アレルギーによるものでした。

遅延型アレルギーは、特定の食物を食べて数時間から数日間症状が出るというものです。

私の場合は、サトウキビなので砂糖が含まれているものを摂ってから時間後くらいから症状が出始めて、その後24時間くらい経たないと症状が回復しないです。(アレルギーだと判明してからわかりました)

砂糖摂取しないようにして改善したことはたくさんあります

・目の痛みが無くなった

肩こり、首こりが無くなった

・本が読めるようになった

・朝早く起きられるようになった

歯ぎしりしなくなった

筋肉痛が翌日くるようになった

嗅覚がかなり敏感になった

・鼻炎が治った

・視界が広くなった

・疲れにくくなった

・呼吸がしやくなった

・集中できるようになった

逆にいうとこれらが10年間症状としてありました。

なぜもっと早く気が付かなったのかと思いますが、症状がはっきりと現れるわけではなく徐々に蝕んでいきますしかも、砂糖アレルゲンだと判別するのは困難でした。

症状として一番キツかった目の痛み(眼球をエグリ取り出したいくらい)を解消するべくいろいろな病院へ行きました。

眼精疲労に詳しい眼科病院大学病院へ行っても、目に異常がないと診断されるばかりでした。

頭痛外来へ行ってCTスキャンをしてもらった時にはストレートネックと診断され筋弛緩剤を処方してもらったりもしました。

さらに、自分で目が痛む原因を探しました。

首が凝り固まることによって目の奥が痛むトリガーポイントがあることを発見し、胸鎖乳突筋や板状筋や僧帽筋など鍛えるストレッチ毎日行いました。

眼鏡を買い替えたり、呼吸法や歩き方を気にしたり、食べ物を気にしたり・・・

しかし、症状は回復しませんでした。

もう一生治らないと思っていましたが、遅延型アレルギー存在を知りダメ元で検査することにしてみたのです。

検査後にサトウキビ(他にも3つ)がアレルギーだと知り、砂糖除去の生活を始めました。

コンビニ等では、ほとんど砂糖が含まれているのですべて自炊です。

砂糖除去生活を始めて2ヶ月ほど経ちましたが、すっかり上で並べた症状が回復してしまいました。一体10年は何だったのか。(今わかってよかったと思うべきですが)

先の人生に道が開けたのは確かです。

検査に3万円かかりましたが、検査してほんとうによかったです。

ヒャッハーーーーー!!!

2013-11-28

PMSやばくなかった

PMSやばい

http://anond.hatelabo.jp/20131116224742

やばいやばいと思って何か出来ることはないかと調べていたら、糖蜜というのに出会った。

毎日朝晩スプーン一杯ずつ食べた。

そしたら、今回のPMSイライラとかの精神症状が全く出なかった。

他の症状は、生理前日くらいに頭痛と体の痛みとだるさがちょっと

この辺はイライラPMS発症する前からあったことだけれど、今回はすごく楽だった。

しかもなんかとてもいい気分で過ごせるし、体も調子がいい。

糖蜜の何がいいのかと言うと、どうやらマグネシウムカルシウムらしい。

マグネシウムカルシウムを取りすぎると排出されるので、カルシウムがいいらしいといってカルシウムばかりとるのは良くない。

糖蜜はいっているカルシウムマグネシウムはちょうどいいバランスみたい。

あとは漢方もすこしまからはじめてるけど、糖蜜とり始めてからの方が圧倒的に調子が良い。

日本だと糖蜜って農業資材だけど、輸入物の食品用が売ってる、アマゾンでもある。

モラセスって検索したらいいかも。

糖蜜って砂糖作るときに出るゴミなんだけど、

サトウキビから作ったとき糖蜜がいいみたい。

日本だとてん菜糖とか、サトウキビ以外の原料の砂糖も多いから、

なにから作った砂糖ゴミかを買う前にチェックすべし。

それから日本で「糖蜜』って言ったときに、黒砂糖を煮詰めた黒蜜をさすこともあって、

こっちは一応砂糖なので、栄養価黒砂糖を作るときに出たゴミの方に行っちゃってるっぽい。

でも、はてなキーワードのの糖蜜のページでは

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C5%FC%CC%AA

意外にミネラル分が豊富にあるように思われがちだが、ほとんど取り尽くされた後なので破壊されて残っていない


ってあるんだよね、だから本当に栄養があるんだか、プラセボなのかちょっと疑問も残る。


みんながみんな効くわけではないだろうけど、

自分場合すごく効いたのでぜひおすすめしたい。

2012-02-04

とりかえしのつかぬ世界

二度と返らぬ宇宙

永遠に流れ去りゆく夢

新宿ネオンサインに包まれて

冬の夜の酒場

酒を酌み交わした友人達

何一つない闇の夜空を飛ぶ飛行機

いつまでも続く地下鉄の揺れの中のように

なまあたたかい夜のバンコック空港

永遠に過ぎ去りゆく夢

とりかえしのつかぬ

二度ととりかえしのつかぬ夢

浦添の夏の闇の中に

咲き狂う菜の花

闇の中に浮かぶサトウキビ

そして時を忘れた愛欲の時

すずめ達がさえずり飛びかう夜明

幼き日に住んだ家から

夕方の空に立つイチョウの大樹

すずめ達がさえずり飛びかう夕方

吉祥寺の古ぼけたアパート

小さな幸福と哀しみの彼女との日々

二度と返らぬ日々

蚊取り線香の匂う小さな部屋

日に日に暑さを増す夏の夜ふけ

二度と返らぬ人間達の日々

懐かしい人間達の日々

過去も 

現在

未来

決して捉えることのできぬ人間達の夢

いとしさに気も遠くなる人間達の夢

気の遠くなった私は

限りなく広がる虚空に溶け込む

かつてしたたか酒に酔った私は

上石神井の静かな夜道を歩いていた

今、したたか酒に酔った私は

二度ととりかえすすべもない夢を

夢見つづけている

この今も又

二度ととりかえしのつかぬ夢であれば

今、したたか酒に酔った私は

夢を見続ける

過去心不可得/雨宮第二

2011-09-27

このニュース、あまり話題になってないね

サトウキビ農家への偏見あおった」 BPO検証委、テレ東番組意見 

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110927/crm11092714570019-n1.htm

 

実際に番組を観てないので、どんな放送だったのかは知らないけど、

・ここで生産したサトウキビには補助金が出るらしく、国内市場価格の3倍の値で買い取ってくれるらしい。なので年収1000万を超えるサトウキビ農家も多い。

・本島に別荘を持つサトウキビ農家も多い。

というのは、沖縄に住んでた人から聞いたことがある。

 

まさかこんなニュースになるのも制作者側の計算の内…というのはさすがに考えすぎか。

2011-09-11

焼酎を飲んでみて

2011-08-21

日立造船石原慎太郎からエタノールを製造


2011/8/20 0:40

 日立造船は19日、京都市熊本大学と共同で東京都馬鹿右翼の家庭から出る石原慎太郎からエタノールを製造する実証試験を始めると発表した。石原慎太郎と生ごみ発酵させバイオエタノールを製造する。自治体既存の収集網を活用し、安価な原料調達やエタノールの安定製造につながるという。2012年度末までに効果検証。13年度以降の事業化をめざす。

 京都市内に試験設備を設置し、12年4月から本格的に始める。生ごみ石原慎太郎タンク内で白癬菌と水を加え発酵させ、高純度のエタノールを製造する。試験設備では1週間程度で石原慎太郎1トンから最大60リットルエタノールの製造が可能という。

 実証試験では京都市ごみ収集網を活用。日立造船設備製作し、熊本大学発酵に必要な白癬菌提供する。作ったエタノール自動車工場のボイラーの燃料などの利用を想定している。11年度の事業費は4億5800万円で、国が半分を補助する。

 バイオエタノールはこれまでサトウキビなど食物を原料に主に製造してきた。ただ原料は海外からの輸入が多く、安定確保の点で問題があった。東京都馬鹿右翼の家庭から排出される石原慎太郎を原料にする方法が普及すれば、再生可能エネルギーの有力候補になりそうだ。

http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819696E3EBE295EA8DE3EBE2EAE0E2E3E38698E3E2E2E2

2010-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20101115175850

北海道の甜菜の方がいいのでしょうが、

消費者が高い砂糖を買わされている云々の問題じゃなく、

一種の「沖縄雇用対策」「失業対策」なんです。

「TPP受け入れてサトウキビ関税外します」とやれば、

普天間辺野古の問題で沖縄側がますます態度硬化する、ということで、

サトウキビ問題は「経済問題じゃなく政治問題」ということ。

TPPと沖縄米軍問題の意外なリンク

最近何かと話題のTPPだが、先日昼飯一緒になった農水省キャリア官僚が、

隠れた問題点を指摘していた。

「今TPPの対象で紛糾しているのはコメとかの農産物だが、

 隠れて問題なのが沖縄サトウキビ」であり、

もしこのまま調整なしにいきなりTPPを導入すると、

関税によって保護されている沖縄サトウキビは一気に壊滅するらしい。

サトウキビは、他農産物からすれば「ありえないくらいの高関税」が課されているが、

それが身ぐるみ剥がされてしまう。

で、「サトウキビが超高関税であること」は、実はあまりマスコミでは宣伝されていない。

自由貿易論者も、経済産業省も、財務省も、そして自由貿易の旗手のアメリカも、

誰も問題視してこなかった。

それは、サトウキビへの高関税が、「沖縄への米軍基地負担の代償、最大の経済対策」として

各界が「容認」してきたから、ということ。

保守の「知恵」として、「サトウキビが高くなるリスクより、在沖米軍撤退リスクの方が

はるかに大きい」として、その部分は問題視してこなかった「大人の対応」をしてきたらしい。

しかし、この「大人の対応」部分を民主党政権継承しているかどうか「甚だ疑問」であり、

原則論に基づいて沖縄にもTPPを適用してしまうのが、一番怖い」と彼は語っていた。

2010-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20100928223825

そんなあなた近代台湾オススメ

まさに未開の蛮族を軍隊派遣して鎮圧している。

台湾併合を宣言してから平定までに数年かかっている。

一方でいろんな「明治偉人」達が高い理想で善政を布いてみようとしたり、インフラ整備をやり遂げたりする。

そんな人たちも現地人に暗殺されてみたり、反動暴動で「殉職」してみたりする。

でも、心打たれた台湾人の人が記念碑や祠をつくって奉ったりもしている。

日本サトウキビも欲しかったし、台湾日本の一部として近代化して、重工業化したかった。

台湾の土人がぁ!」といいつつも結果的に台湾近代化する方向へ導いている。

で、日本敗戦後は中国大陸から国民党の敗残兵がなだれ込んで前近代的な蛮行を行って一時はどん底におちるが

帝国軍人李登輝総統が現れて建てなおす。

植民地化や蛮行自体は褒められたことではないかもしれないが、道徳的正しさと歴史的正しさは必ずしも一致しないという見本かもしれない。

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