はてなキーワード: 陸上部とは
ノートの文字がかすれて消えそうだからここに置いておく(一応ネタバレ注意)。
二人の子供から二人の大人へ。最終章「Adulthood」をクリアした。
あの出来後のと翌朝。二人でインスタントの朝食を食べ登校する。二人で登校したことで Hanako は注目を浴びてしまい逃亡してしまった。
学校をサボって公園を歩き考え続ける Hisao。考えていたことは二人の間の壁について。昨夜の出来事があったといえども二人の間には互いを理解することを妨げている壁がある。Hisao は Hanako と話をしてその壁を壊したかった。後ろから声をかけられる "H...Hisao"。
Hanako も外出をして公園に来ていた。Hisao の前から逃れて、結局出会ってしまう。とうとう Hanako 自身の気持ちを尋ねる Hisao。Hanako の返答は彼の思い込みを打ち砕くものだった。
あの夜の出来事は Hisao の大切な人になりたかったから、他の人より私を見て欲しかったから、庇護の対象ではなくて一人の女性として扱って欲しかったから。Hanako の告白は Hisao を強く動揺させた。そして告白をした彼女自身も、そんな自分に対して嫌な女だと自覚していた。
"Was... I wrong?"
もちろん彼女は悪くないと思う Hisao だが言葉が出てこない。Hanako の告白は続く。家事の前までは少ないけれど友達がいて周りとちゃんとやれていたこと。大火傷を負ってからは全てが変わったこと。周りからの反応で深く傷ついたこと。傷つくことを拒否するために人と関わることを止めたこと。自分が消えてしまえばいいと分かっていたが、人との関わりを止める方がより簡単だったこと。Yamaku 学園に行けば再び社会との接点を見つけられるかと思ったこと。そして Lilly に出会ったこと。Lilly と出会って友達になれたけど、Lilly は Hanako ができないことをなんでもできてやっぱり自分は useless だと思い知らされたこと。そして Hisao に出会ったこと。Hisao も Lilly と同じで Yuko と簡単に仲良くなれたりして、自分はすぐ不要なものとして切り捨てられてしまうと思ったこと。それは嫌だったこと。誕生日は世界中の人が疑いもなく正しくて幸せだと思い込んでいるので、useless な自分はとてもつらかったこと。朝、ベッドで寝ている Hisao を見て、やっぱり自分は切り捨てられてしまうと思ったこと。
そんな Hanako に Hisao は衝撃を受ける。今までか弱くて自分が庇護しなければと思い込んでいた Hanako は守られたいと願う子供ではなかった。
語り終えて下を向く Hanako に対して Hisao は振り絞って語りかける。
Hanako がパニックを起こした時心配したこと。寮の自室に閉じこもった時は彼女に拒絶されているのではないかと感じたこと。それからいろいろ考えたこと。
そう言う Hisao に対して Hanako は思わず叫ぶ "I wasn't rejecting you!"。
Hanako がつらくて悲しくて Hisao を押しのけてしまった時も Hisao は彼女を捕まえていてくれたこと。そんな Hisao や Lilly 達の重荷にはなりたくなかったこと。それは Hanako の心からの叫びだった。
二人の間にあった壁は崩れた。壁を崩すのに痛みがともなったがとうとう二人は正面から向き合った。
Hisao は続ける。心臓の異常が発覚した時とても怖かったこと。社会から切り離されて Yamaku へ来て自分の人生が一度壊れたこと。でも Hanako と出会って一緒に過ごして友達になって再び自分を取り戻したこと。そして失ったからこと Hanako と気持ちを通じあわせられたのだと。
ずっとずっと自分は useless だと信じていた Hanako はこの言葉を聞いて座り込んで泣き出した。そしていっぱいメチャクチャにしてごめんなさいと謝る。Hisao は彼女を抱きしめてそんなことは言わなくていいという。
そして自分は useless なのにと言おうとする Hanako に
"You're my firend, Hanako! You're... No, you're more than that. I love you, Hanako."
泣き続ける Hanako に Hisao は寄り添う。Hanako はずっと自分は必要な人間だと言って欲しかったと泣く。
ようやく泣き止んだ Hanako に Hisao はいい天気だからこのままクラスをサボろうと提案する。でも……と迷う Hanako に対して大丈夫謝ればいいだけだよと言う Hisao。そんなことができないと拒否する Hanako。だが Hanako はやれる、絶対できるし、力が必要なら自分を頼ってと言う Hisao。そして二人は同じ道を歩いているんだから互いに助け合うのは当然なんだと言う。
公園を抜けて商店街を歩く二人。互いにたがいを横目で見つめながら歩く。なにかを思案しているように見える Hanako に何を考えているのかを聞く Hisao。立ち止まり一心な表情で Hisao に答える。Hisao に私からあげることができることがあると思う。でもそれにはすごく長い時間がかかると思う。だから恥ずかしいけれど、これが最初の小さな贈り物。
Hanako は Hisao の肩に両手を置き、ゆっくり顔を近づけた……
(Fin.)
Hanako 編は図書館から始まる。図書館で見かけた Hanako は夢中で本を読んでいた。クラスメイトだと思い出した Hisao は同じ本好きとして Hanako に話しかけるが、全力で逃げられる。
Lilly と出会い再び Hanako と Hisao 。 Hisao - Hanako - Lilly と三人の生活が回り始める。
基本的に仲良くなる→逃げる→もっと仲良くなるというのが Hanako 編。
彼女の逃避は後半になるにしたがってより深刻さを増す。
1. Lilly
Hanako の一番の友人。より正しくは唯一(Yuuko も一応友人だが)の友人。目が見えないのでよく Hanako が買い物に付き合う。
優美な身のこなしでありハイソな雰囲気を持つ。実際言葉遣いがとても丁寧。外見もスコティッシュハーフであり金髪アンド碧眼アンド長身でスタイルがいい。
Hisao と Hanako の隣のクラスで class represent を勤めており、Hanako と異なり交友関係も広い。
Hanako は Lilly のそんな万能っぷりを頼り、あごがれ、そして対照的な自分に対して無力感を抱いている。 Lilly にとって自分は価値のない人間だし彼女の重荷にはなりたくないと思っている。
Lilly は、 Hanako は守ってあげなくてはならないけれど、このままでは Hanako にとって良くないとも感じている。
Lilly は Hisao が現れたことで、 Hanako に良い影響が起こることを願っている。
2. Hisao
つい数ヶ月前まで健常者だったが、突然心臓病を発症しそれまでの社会から切り離される。そんな彼為のために両親は障碍児のための学校 Yamaku 学園に転校させる。見慣れない disable (盲目、手足の欠損、聾啞)にはじめは驚いたり疎外感を感じたりしたが、それぞれのユニークな個性を知るにつれて(足を使ってすごい絵を描く Rin、義足なのにものすごく足が速い陸上部のエース Emi、目が見えないが深い洞察力を持ちできないこととできることの違いを見せてくれる Lilly、聾者だが生徒会長を務める Shizune) disable について理解をしていく。
やがて Hanako、Lilly と仲良くなりともにボードゲームをしたり、お茶をしたり、誕生日会を開く仲となる。そしていつしか Hisao は Hanako の力になりたい、守ってあげたいと思うようになった。
しかし Lilly が家の用事でスコットランドに滞在している間、 Hanako の誕生日が来て、 Hanako の態度が急変する。順調に Hanako と friend-ship を築けていると思っていた矢先に Hanako は教室から姿を消し、自室に閉じこもる。 Hanako との関係が壊れるのを心配する Hisao だがどうすることもできない。 Hanako が姿を消してから Hisao はこれまでのことについて初めて考え始めた。そしてこれからのことについて自分が取るべき道を探し始めた。
自室から外へ出てきた Hanako だが、 Hisao は相変わらず彼女と自分の間に壁があるのを感じてしまう。なんとか Hanako に彼女のことを理解したいと願っていることを伝えようとして、 Hisao は自分の胸の傷を彼女にさらす。自分も傷を負っているから Hanako は独りではないと伝える。
Hisao の傷に触れた Hanako 。また一つ二人の絆が深まったように感じた。
数日後、図書館で勉強していた Hisao 。やってきた Hanako に、 Hanako が自室にこもっていた間ずっと考えていた彼女の過去について教えて欲しい、と Hisao は言った。ずいぶんとためらったがとうとう Hanako は真剣な表情で語り始めた。
多くの生徒が下校をして静かな校舎の中を二人で歩きながら、 Hanako は昔の火事について Hisao に語り始めた。深夜に突然火が出たこと、熱から逃れようとして体を丸めて小さくなっていたこと、彼女の両親が彼女に覆いかぶさって守ってくれたこと、体の半分だけ助かったこと。
二人はいつしか Hanako の寮の部屋まで来ていた。入室を躊躇する Hisao に対して Hanako はドアの鍵を閉めてと言い、カーテンを閉じる。そして大きく息を吸い、覚悟を決めると、ブラウスやブラジャーを順番に脱ぎ落した。 Hisao が彼女に傷(心臓手術)を見せたように彼女も傷(火傷)を見せたのだ。
そんなことをする必要は無いと言う Hisao だが、 Hanako はこれが私だからと傷を見せる。そして二人は......
(二人のプレイの後、息も絶え絶えな Hisao は心臓発作の兆候を感じていたところがリアルだった)
はじめは Hanako を守ろうとしていた Hisao だが、結局それは間違いだった。
守るというのは守る人間と守られるべき人間の関係だ。その関係は非対称であり、守る者は守られる者に対して優位な力を持つ。
3. Hanako
出会いはひどいものだった。話しかけられて、自分の空間に入られて、そして目が合ってしまった。
"I..."
"I...I..."
"Ivegottogodosomething!"
Hanako 編に入ると Hide and Seek (かくれんぼ)という Act がある。彼女と親しくなるということは Lilly や Yuuko そして彼女自身の中に隠れている Hanako を見つけ出すことだ。いろんな彼女がいる。
Life of Pie を読みふける Hanako 、チェスを好む Hanako 、ドールが好きな Hanako 、 Lilly とお茶を飲むのが好きな Hanako 、外へ出る時は顔が隠れるように大きなキャスケットを被ること、火傷の痕を隠すために左側を歩くこと。
何を書いているのだろう。まとまって体系だったことを書かなくては。
Katawa Shoujo とは disable である人々が able であることに焦点を当てた作品だ。例えば Emi は両足が膝より下がないのに、競技用義足で誰よりも早く走れるし、 Shizune は聾唖者であるがクラス委員と生徒会長を務めあげる才媛だし、 Rin は両腕が無いのにもかかわらず足で見事な絵を描く。そして Hanako の親友の Lilly は、全盲を苦ともせずクラス委員であり友人も多い社交的な女性だ。
皆ハンディキャップをかかえながらできないことを嘆くのではなく、できることで生活を組み立てている。
それでは Hanako の disable と able は何なのか。実は Hanako には先にあげたヒロイン達のような disability は無い。右半身に皮膚がひきつれるひどい火傷の痕が残るが五体満足であり、他のヒロイン達のような明快なハンディキャップは無い。では Hanako の able は何か。目が見えること?耳が聞こえること?意外と足が早いこと?両腕があること?そう Hanako の able とはそれだけなのだ。 Lilly しか友人はいないし、他人の視線が怖くてたびたび授業を逃げ出すし、人から話しかけられると赤面してしどろもどろになる。 Hanako とまともに会話できるのは Lilly と Yuuko 、Lilly の姉 Akira、そして Hisao のみだ。Hanako の disable とは able の裏返し、彼女は肉体的に able ではあれど精神的に disable なのだ。
どのヒロインも多かれ少なかれ悩みや心の傷はあるが、 Hanako は突出して深く、彼女のストーリーは見えない心の傷とその象徴である人目を惹く火傷の痕をメインテーマとして進む。
Hanako は過去のトラウマ(フラッシュバックに襲われて痙攣するレベル)のせいで、火傷の痕を見られることをひどく嫌がり恐る。そのため、普段は髪の毛で顔の半分を多い、人目が多い場所に行く時は大きな帽子を被りLilly の左側で小さくなり、顔の右側にある火傷の痕への視線を遮ろうとする。彼女が心を落ち着かせることができるのは、親しい友人と部外者が来ないところでひと時を過ごすことだけだ。悲しいことに、自分の部屋では外部からの侵入者を防ぐことはできても、彼女を苦しめる悲しい思い出が甦るのは防げないのだ。
彼女の disable は他のヒロイン達が外見上のものに対して内面的なものだ。その disable の根本の大火傷が彼女の全てを変えた。親を奪い家を奪い社会を奪った。そしてそれは主人公の Hisao との共通点だった。disable が二人の出発点だった。
「Disable」で Katawa-Shoujo のテーマとは disable の中の able であると説明した。そして Hanako は disability を持たない代わりに able が disable になっていることを例をあげて紹介した。ここからはそんな Hanako の数少ない able から彼女の内と外を考察する。
Hanako と初めて言葉を交わしたのは図書館でだった。図書館は Hanako にとってクラスからの逃避先であり、本は現実からの逃避先だった。そして読書は Hisao との共通の趣味であった。
本編の中で特徴的であるのだが、物語が進み Hisao と Hanako が仲良くなるにつれて、 Hanako が図書室へ逃避する回数が減少する。 Hisao たちと外へ出たりして内から外への変化が見られる。しかし図書館に来る描写はあるので、本から卒業したというわけではない。本は逃避先から趣味になったというべきだろう。
振り返ると Hisao と Hanako が交友を深めるのはゲームを通してだった。空き部屋でチェスをすることで友達になり、パブでビリヤードを遊ぶことで Hanako の意外と子供っぽい内面を知り、アンティークスタイルのチェスセットを贈ることで喜ぶ顔を見た。
いつも Hanako は感情を顔に出さず、自分から積極的に出ることもない。Shizune & Misha につつかれても困ってちぢこまるだけだし、知らない人に話しかけられると逃げるし、人に何かを協力してもらうこともできず独りで作業をする。
しかしゲームで遊ぶときの Hanako はかすかに笑み、時には自信を持って駒を動かす。その普段とはちがう姿は Hanako の本来の気質---人見知りだけど、活発で、遊びに夢中になれて、ちょっと子供っぽい性格が浮かび上がる。
Katawa-Shoujo では多くの登場人物は高校生だ。高校生というのは肉体的には大人であり精神的にはまだ子供であるという、大人と子供の狭間の期間である。そのためシナリオでも子供から大人への成長を軸とする。 Hanako 編では最終章が「Adulthook」である通り、 Hanako そして Hisao が大人への一歩を歩み出すことがエンディングを通して描かれる。
「大人になる」にはいろいろな意味がある。例えば成人することは社会的地位を手に入れるということだし、親元を離れたことに対して「大人だ」と使われることもある。それでは Hanako と Hisao の場合はどのような意味で「大人になった(子供を卒業)」のか。これには Hanako 編の主題である体と心が深く関係する。
よく知られた「大人になる」として男女ともに性交を経験することがある。Hanako 編においてもこの意味で二人は大人になった。共に痛みを経験し( Hanako は処女喪失。 Hisao は軽い心臓発作)一夜を明かしたことで二人は次のステージにシフトしたかに見えた。しかし後に分かることだが、二人は未だに子供のままの関係だった。
子供(children)という言葉は、作中で直接しかも Hanako の言葉として現れる。
```
"All I ever was to you was... a useless person. Just someone... to protect. Someone like... a child."
```
小さい頃に火傷の原因となった火事により社会と切り離され、そのまま子供のまま育った Hanako は、 Hisao に庇護が必要な対象(=子供)としてではなく友人以上の人として見て欲しかったから自分の傷を全て見せたという子供のような思いを告白する。 Hisao はこの告白を聞いて自分が全く Hanako のことを理解していなかったことを痛感する。 Hanako の外面的性格ばかり見ていて Hanako がどう感じているかを考えていなかったこと。
しかし Hisao が自分の病気のことその心情を同じように告白したことで、二人は互いに理解し合えることを確信した。そして自分か相手かでしか考えられなかった二人は、自分と相手を同じ道の上の存在として考えられるようになった。
Hanako 編では心をもって「大人になる」ことが提示される。
Hanako は声をあげて泣くことで子供時代に別れを告げた。そして大人の最初の一歩としてラストシーンの最初のギフト(てれる)を Hisao に送った。
Hanako のことを語るには子供と成長についてが欠かせない。
子供の頃の Hanako は人見知りするけど純粋で好奇心が強い子だったのだろう。しかし火事で人生を曲げられ、社会から切断され、その気持ちのまま体だけ成長した。自分の生きる意味を見失い、自分を守るため人と関わることを止め、ただ耐えていた。
Hanako が語る言葉に裏はない。 Hanako の世界は見たままの世界だ。トラウマのフラッシュバックに襲われたときには自分を責める自分の声を周囲に放射するけれど、それが嫌だから鬱の期間は自室にこもる。
フツウならばたとえ Hisao がテキストとノートを机に広げていたとしても、勉強より Hanako とのやり取りを優先すると気づくだろう。また茶目っ気のある性格ならばそのことをからかうように勉強しているじゃないというだろう。でも Hanako は見たままを見るのだ(But...)。
成長という言葉を使ったが、作中では Change が使われていた。 You can change という具合に。
変わること、変わるものはいつも Hanako の周りの世界だった(ムービーをみよ)。世界はすごい速さで動き続け彼女はその流れに乗れなかった。しかし Lilly と Hisao に出会ったことで、自分でも自覚しないうちに彼女は変わっていた。授業を逃げなくなったこと、自分から話しかけるようになったこと、きわめつけは Hisao を電話でお茶に誘ったことだろう。そして何より彼女の気持ち「友達では嫌」。
"If... if you're not busy... I-I was wondering if y-you would... l-like to... m---"
噛みっかみである。)
エンディングで Hisao は Hanako に変われると保証する。このとき Hanako もいつしか自分が変わっていたことに気づいたのだろう。
「ナニシテルノ〜?」
それは衝撃的な出会いだった。
高校1年、当時陸上部だった僕は、近所の公園でスパイクにピンを入れていた。
土のグラウンド用のピンを、明日の試合に備えてタータン用のものに替えなくてはならない。家でやると土が落ちて部屋が汚れるので、公園でやっていた。正方形の小さな児童公園だった。
直前までジョギングをしていたので、ジャージ姿でベンチに座りながら黙々と作業していた。陽は落ちていて21時くらいだったと思う。公園には僕ひとり。
月明かりに照らされて、
2アンリミテッドのボーカルに似た女性がフラッフラの状態で近づいてきた。
今にも彼女はぶっ倒れそうだった。
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暗くてよく顔が見えないが、外国人っぽい。
当時の僕は『GENT』や『DICK』などの洋モノエロ本を好んで読んでいたので、
異文化交流にはまったく抵抗がなかった。英語の成績も良かったし、むしろウェルカムである。
ただ、どう見ても彼女は英語圏の人間ではなかった。年齢は40歳は超えていそうな感じだ。50歳くらいかもしれない。
「あ、暑いっすね」
「ナニシテルノ〜?」
「スパイクにピンを入れてました」
「ワカラナイ〜」
このように、会話はすこぶるはずんだ。
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都会の夜はなんでもありだ。あらゆる事態を想定せねばならない。
ふと、彼女が言った。
「アシ、マッサージシテ〜」
僕は黙って彼女の太ももを揉んだ。手の感触から「デブだな」と思った。
「ハー、ツカレタネ」
どうやら満足しているようだ。
まずい、これはまずい。
男子校出身の僕はそれまで3年間一回も母親と妹以外の女性と喋ったことがない。
息子はすこぶる元気になっていた。しかもジャージ姿なのでそれが非常にわかりやすい。
ええい、ま、ままよ……。
彼女はタマに触れるくらいの勢いで、メンズエステなみの質の高いリンパマッサージを施してくれた。いや、触れるくらいどころか、完全にタマにも棒にも触れていた。そして、なぜか僕の手を取り自分の胸に当てた。
唐突だった。
「あ……」
「ハズカシガリヤネ」と言い残し、フラッフラになりながら夜の公道へと消えていった。
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今だったら言える。
足をマッサージされた瞬間に
「ついでにチ◯ポ見てください」って。
今だったら臆することなくモノを出せる。ジャージだから出しやすいし。
それから数ヶ月間、毎週土曜の夜21時にジャージ姿で公園に通っていた。
今、もしリベンジできるなら、週1どころか毎晩だって通っているはずだ。だって、無職だし。
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今の僕にできるのは時間を浪費することだけだ。
https://anond.hatelabo.jp/20170713183630
この記事を読んだ。
この記事を読むと常勤講師は恵まれているように見えるし、「時間講師と比べたら」実際相当恵まれているんだと思う。
自分の場合は大学を出た1年目、2年目が非常勤だった。増田よりコマ数はあったが、一人暮らしを余儀なくされたので生活はとても苦しかった。
生徒からもそれなりに親しまれていたと思うし、陸上部の顧問として土日の練習や試合引率にも行ったなあ。
ようやく巡ってきたチャンス、成果を出そうと必死だった。
半年の任期が終わろうとする9月末、正規の教員から診断書が届いて病休が延長、それに伴い自分の任期も延びた。2ヶ月。
人として不謹慎だと分かってはいるが、このときは「頼む!病気よ、せめて今年度のうちは治らないでくれ」と思わずにはいられなかった。
結局その願いは叶い、年度いっぱい勤めることができた。
クラスの副担任をしていたので、堂々と卒業式にも参列し、教え子の卒業を見送ることもできた。
しかし、3月29日になっても、30日になっても、31日になっても翌年度の内示が来なかった。
「退職」後の各種書類をどこに送ればよいか、と事務担当者に聞かれたので、(内示が来ないと住む場所も分からないんだよ…)と苦々しく思いながらも「とりあえず実家に送ってください」と頼んでいたので、ハローワークの書類や源泉徴収票が届いた。
親は何も言わず普段どおりに接してくれて、それがまた堪えたなあ。
気持ちを切り替えてアルバイトでも探そうか、と思っていたら、5月半ばから産休が1人出るのでそこに入れないか、という内示の電話がかかってきた。
「あぁ、自分たちは代わりの駒でしかないんだな」と思ったが、また学校現場で働くことができて、収入が保証されると思うと受け入れるしかなかった。
新任、転任の先生たちに混ざって着任式の挨拶をさせられたときには「勘弁してくれよ…」とは思ったが、今年度いっぱいは勤めることができるだろうという安堵感を噛み締めている。
3月30日で「退職」したことになっているから勤続期間が途切れているが、6月には期末手当が出た。
生徒の進路を考えて講演会の講師を探したり、保護者との面談を行って感謝されたりと、やりがいは本当に大きい仕事だ。
ところで保護者の中には、「任期付きの講師」と聞くと、「正規の先生じゃないの!?技量や資質がないのではないか」という目を向けてくる人が一定数いる。
違うんだ、正規の教員も非正規の教員も、みんな所定の大学の課程を出て免許を持っている。
違いは、「県の職員として採用されているか、そうでないか」ということだけだ。
「非正規だから授業の質が悪い」と言われては生徒たちに申し訳が立たないから、授業をはじめ、生徒と関わることには本当に力を注いでいるつもりだ。
「先生になれる!」という思いと日々の仕事でいっぱいで駆け抜けた1、2年目。
念願の常勤になれて奮闘した3年目、理不尽な思いをしながらも境遇を受け入れて働いた4年目。
新卒で「フレッシュな先生だねー」と言われた自分も、いつの間にか27歳になった。
仕事が順風満帆な者、結婚して子供がいる者、海外の支社で才能を発揮している者。
しかし、人事担当者の采配一つで、または教員の体調ひとつで、来年度
どんなに頑張ったところで、正規の教員のように長期で大切に育成する対象として見られていないんだろうなと思うことが多い。
この気持ちのぶつかりを、高揚と落胆を、誇りと情けなさを、どう整理して生きていけばいいのだろうと思う。
Jリーガーだった。
つい先日、取引先の人に「前の会社ではどんな業務をしていたの?」と聞かれた。「プロ契約でサッカー選手をしていました。」と聞かれたら驚かれた。僕はJリーガーだった。でも、かつて所属していたクラブのサポーターですら、僕の名前を聞いてもピンと来ない人も多いだろう。その程度の選手だった。経歴を詳しく書いても、僕のことが分かるのは僕の知り合いくらいだろう。なので書いてみる。
山に囲まれたド田舎に生まれた。7歳で幼馴染とスポーツ少年団に入った。たまたま県選抜に選ばれて、地元の広報に載ったりしてちょっとした人気者だった。小学校6年生の時、県外のプロサッカーチームのジュニアユース入団試験を受けた。もし合格していたら、両親は仕事を辞めて、家族で引っ越す予定だった。ジュニアユースに入っても、そこからトップチームまで昇格してプロになれるのは一握りなのに、仕事を辞める覚悟で応援してくれた。でも僕は落ちた。普通に落ちた。
田舎の中学校に進学した。小さな中学校にはサッカー部はなかった。陸上部に入った。1年生の時に、走り高跳びで県大会入賞した。それでもサッカーをしたくて、1年で陸上部を退部した。放課後は親に車で迎えに来てもらい、片道1時間かけて市外のサッカークラブで練習をしていた。中学校を卒業すると、県内一のサッカー強豪校に一般入試で入った。
サッカー部の部員は100人を超え、県外から入ってきたエリートが沢山いた。僕がかつて落ちたジュニアユース出身で、ユースに昇格できずに入部してきたやつもいた。サッカー部も寮生活も上下関係が厳しかった。4人部屋の寮は、自分以外先輩だった。朝は先輩よりも早く起きた。目覚ましの音で先輩を起こしてはいけないので、目覚まし時計を抱えながら寝て、アラームが鳴って1秒で起きた。6時にはグラウンドに行った。掃除や雑用もこなした。なぜか女子マネは雑用をほとんどやらなくて、1年生が雑用係だった。授業が終わるとダッシュでグラウンドに行き、全体練習の後も居残りをして20時過ぎまで練習をした。100人を超える部員の中で埋もれていた。1年生の秋、部内の身体能力体力テストのとある項目でダントツ1位を取った。テスト全体でもかなりの好成績だった。これがきっかけで、監督が少し目をかけてくれるようになった。
3年生が引退したあと、2軍チームに入るようになった。そのあとすぐに1軍チームのメンバーに入った。高校サッカー選手権予選にはプロクラブのスカウトも来ていた。チームのメンバーで声がかかった人もいる。僕は声がかからなかった。3年生になってすぐ、自転車で転んで手首を骨折した。休んでる間に、期待の1年生にポジションを奪われてメンバー落ちした。最後の全国高校サッカー選手権はスタンドで応援した。目立った活躍もできないまま卒業した。
大学生になって一人暮らしを始めた。プロになることは諦めていた。一応サッカー部に入った。サッカーが好きだったし、就職のことも考えて部活はやっておいた方が良いと思ったからだ。自主練はしなくなり、休みの日は日雇いのアルバイトをした。楽しかった。意識が変わったのは、高校時代の1学年上の先輩の近状を知ってからだ。その先輩は高校3年生当時、就職も進学も決まってなかった。卒業後は地域リーグのクラブとアマチュア契約をしていた。その先輩が地域リーグで活躍し、J2のチームとプロ契約をしたと知った。自分にもチャンスがあるかもしれないと思った。サッカーに真剣に取り組むようになった。3年生の時に、部活の顧問のコネであるJ2チームに練習参加をした。全く練習についていけず、邪魔だから帰れと言われた。なぜか翌年、そこからまた練習参加の打診が来た。手ごたえはあった。これでダメならもうあきらめがついた。そして僕にプロ契約のオファーが届いた。
C契約とよばれるランクの低い契約で、1年契約だった。そのクラブは、J2リーグの中でも資金力がなく、歴史も浅く、リーグ下位のチームだった。当時そのチームは、大学から新加入選手を大量に獲得していて、僕もその1人だった。年俸は詳しく書けないけど200万台だった。そこから税金や年金を払うことになる。そんな待遇だけど、一応Jリーガーとなった僕に周りはチヤホヤしてくれた。両親や恩師はすごく喜んでくれたし、ずっと連絡のなかった地元の知り合いや親戚からいきなり連絡が来たし、サインを頼まれたし、1度も話したことのない大学の女の子から告白されたりした。
ガラガラの会議室で入団会見をして、住み慣れない土地で寮生活を始めた。Jリーガーはチャラいイメージがあるかもしれないけど、田舎だし車もないしで、サッカー以外やることがなかった。チームメイトの車に載せてもらい練習場まで通った。ここから華やかなプロ生活の話でもしたいけど、僕はほとんど試合に出れなかった。僕がプロとして公式戦に立った時間は、2年間で合計100分に満たなかった。100試合じゃなくて100分。遠くから親が試合を観に来てくれたことがあるけど、結局1回しか試合を見せることができなかった。その時の出場時間も6分くらいだった。僕は2年で退団をした。トライアウトも受けたけどプロ契約のオファーはなかった。そしてサッカー選手を引退した。引退した時は冷静だった。自分よりも、両親の方が落ち込んでくれた。
プロをしていてうれしかったことは、社会活動の一環で小学校を訪問したことだ。子どもと一緒にサッカーをした。その時に一緒のグループでサッカーをした男の子が、僕の所属するクラブチームのファンだった。その子は僕の名前も顔も知らなかったけど、それ以来僕の背番号のユニフォームを着て応援に来てくれるようになった。全く試合に出ない僕の背番号のユニフォームで応援やイベントに来てくれた。
引退したサッカー選手はただの一般人だ。僕は所属していたサッカークラブからの斡旋で、某民間企業のインターンシップを半年間受け、その後正社員になった。入社した時期は本当にきつくて、こんな仕事すぐにやめてやろうとか、他にやりたいことを探そうとか思ってたけど、なんだかんだで続いている。サッカーは全くやらなくなった。飲み会で、新しく入ってきた会社の後輩に「ここの会社に入る前はJリーガーをやっていたよ」と言ったら冗談だと思われた。サッカーのことは忘れようとしていた。
昨年末に母が亡くなった。4年ぶりに実家に帰った。実家の片付けをしていたら、母が保存していたスクラップブックが出てきた。小学生の時に県選抜に選ばれた時の広報、高校時代のチームの結果が載った新聞記事、サッカー部員として大学のパンフレットに載った時の写真、入団が決まった時の記事、Webで配信されたニュース記事を印刷したもの、僕の試合を観に来てくれた時のチケットの半券、試合のチラシ、とにかく何でもスクラップしていた。今までのサッカー人生と、母の思いに涙が止まらなくなった。たった2年間でも、プロとしてユニフォームを着れたことを誇りに思っている。
偉大なる元増田様 ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052
キャッシュ(ttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052)
私は今22歳。髪型や服もこだわりがあって雑誌を見て流行りの物を参考にしたりしてる。
憧れのKPOPアイドルの動画を見て「自分も絶対こんな風に可愛くなるぞ」って奮い立たせたりもしてる。
でもそのレベルってのは学校の中で浮くほどの醜さではなくて、「特別不細工ってわけじゃないけど"可愛い"って表現をするには大袈裟すぎる」って感じの中途半端なブスだ。
体重も90キロとかあるわけじゃなくて、160cmで53キロといういたって標準体重。だけど細くもない、デブでもない。(いやデブなんだけど)でもなんとなく醜い感じ。
自分は"可愛くない"って思いながら毎日過ごしてたし、ブスだから勿論彼氏なんかできなかった。共学なのに…。
私の高校は可愛い子が多くて、その子たちの頭文字を取って"HINTS"とかいう意味わかんないグループが結成されてた。
(H...林さんI....伊藤さんって感じ。)
HINTSに便乗して違うクラスでは"NANANTS"ってのもあったなあ…。
サッカー部とか野球部とかの中心的な存在の男子たちは基本的に可愛い子たちとしか話さない。
(今思えば単に顔のクオリティーじゃなくて、雰囲気や清潔感、ノリが"女の子♡"って感じの子たち)
私はそういう可愛い女の子たちの輪には入れず、でも性格は明るい方だったから同じようなお笑い的なノリの女の子たちと仲良くしてた。ほんと、やってることが女芸人って感じだった。
ブス+仲のいい子同士ではガハガハとてもうるさくて、地味なのに調子に乗ってるタイプの迷惑女だった。
ある日私は教室の掃除をしてただけなのに、サッカー部のキャプテンのキラキラしたイケメンと陸上部のギャルい女の子(正直顔は秋田のなまはげみたいだし色黒だし私の好みじゃない)から変な視線を感じた。
男「あ〜◯◯さんが掃除してるよ〜」女「ねえそういうのやめなよ〜w聞こえるよ〜w」
いや!掃除してて何が悪いんだよ?!というか私はおまえらと話したこともないし、どうしていじり?の対象にならなきゃいけないんだよ…。
結局よくわからなかったけどなんとなく腹が立って思いっきり睨みつけてやった。
そういうところがまた醜いんだけど…。
私が絶世の美女だったらこの謎のいじりの対象にはならなかっただろうし、そのイケメンとも普通に会話できてただろうに…。
あと特別何かトラブルがあったわけじゃないんだけど、特定の男子グループから嫌がらせ?まではいかないもののそんな感じのものを受け始めた。
その男子たちは可愛い女の子が大好きなクラスの2群という位置付け。
ちょうどAKBが流行り始めた頃で"推しメン"って言葉をクラスの女の子に当てはめて使ってた。
「俺は◯◯ちゃんを推してる」とかね。
勿論私はそういう人たちの選抜入りせず圏外女子だったうえに身内同士ではうるさいから、それが目についたんだろうね…。
クラスを半分にわけてやる授業とかがあって、たまたまその二軍男子(主犯格っぽいのはイッテQの宮川に似てるから以降宮川で)が私の席に座ったみたいで。
それで私が他の教室から帰ってきてもまだ宮川は私の机に座ってるの。
一瞬目を疑ったけど、宮川は私の机の横に引っかかってる私のふわふわの白いリュック…それに自分が食ったパンのクズをつけたりべたべた手拭きにしてんの…。
え…??って感じだったけどなんかもう怒りがこみ上げてきて頭の血管破けそうだったけど、その場は我慢してお家で暴れまくったよね…。
別にこれはブスだから…って理由よりも、性格に問題があって私の存在を周りの男子たちは嫌ってたんだろうけど。
私もちやほやされたかったし、「◯◯が推しメン!」なんて裏で噂されたかったもんだよ。
自分の容姿に自信が持てないし自分の存在が醜いんだって思ってしまい、男子にプリント渡す時とか黒板の前に立つ時とか教科書音読する時とか冷や汗が止まらなかった。
男子たちの近くを通るのも嫌だったし怖かったし、でもふつうにおしゃべりしたら楽しいんだろうな…って。
そういうこともあって私は自分の容姿を気にするようになって大学入って目と鼻の整形をした。
まあ大学は女子しかいなかったし結局モテないのはかわらないんだけど、今後もっと可愛くなって高校時代の私に「大丈夫だよ!あんたは数年後かわいくなれるから!誰かの推しメンになれるよ!」って伝えてあげたい。
今もブスだし自分の容姿に満足いかないけれども、自分の醜さと向き合って努力しはじめたのは高校時代の嫌な思い出のおかげだと思ってる。
でもやっぱりこの文章を書いてる間、胸糞悪くてイライラしてるから実家に帰ったら卒業アルバムを引っ張り出して、宮川の顔写真をカッターでズタズタに切り刻んでやりたい。
・ヘブンズランナー アキラ 1~7巻・完結
体長約2メートル、常に白目で、不気味な笑い声を発し、周囲から恐れられている男、アキラがとある少女との出会いによって陸上部に入る。
・のぼる小寺さん 1~3巻
・ゆうべはお楽しみでしたね 1~3巻
オタクなアルバイト店員・たくみがリア充女子・ゴローさんとオンラインゲームがきっかけでシェアハウスする。
・ラララ 1~5巻
自宅ではいつもおっぱい丸出し素っ裸状態の美人で外科医・石村亜衣と紙切れ一枚で始まった元リーマン・桐島士朗の結婚生活。
・恋は光 1~5巻
・服を着るならこんなふうに 1~3巻
居村草輔が登校中に出会った、クラスメートの全身校則違反少女・咲野瑞季との学校生活。
・スピリットサークル 1~6巻・完結
1番のお薦め。
響、小説家になる。
・転生したらスライムだった件 1~3巻
転生したらスライムだった件。
・蜘蛛ですが、なにか? 1~2巻
そういう風に言えとおっさんに仕込まれたんだろうなって思う事にしてる。
エロアニメで言うと、荒木英樹監督の「円交少女 ~陸上部ゆっきーの場合~ THE ANIMATION」でヒロインのゆっきーが円光相手のおっさんに円光用語とかセクロス用語の指南を受けてそれによって普段真面目そうな女の子が性に貪欲だみたいな雰囲気に最終的になるんだけど、その時の台詞一つ一つが実におっさん臭かった。あれって結局男の年齢によるのかな。それともおっさんが初体験の相手だったから余計記憶に残って「おマン〇」とか絶叫するんだろうか。別にゆっきーに限った事じゃなくてむらかみてるあき作品の「監獄戦艦」とか「黒愛」とかを見たらやっぱりさっきまで処女だった如何にも真面目そうな女の子が次の瞬間には「おマン〇ォオオオ!!!」と絶叫したり「おちん〇みるく」と言ったみさくらなんこつみたいな言葉を発して息も絶え絶えに絶叫する様が伺える。実はAVもそう。あれって端的にセクロスしてるって表現を出したいのだろうけど、傍から見たらおっさんが必死に考えた語句を若い女の子が言わされてる図に見えて、その構図・構成が実におかしいと笑ってしまう。何が酷いって、女の子って言う程そんな淫語を直ぐに発する事が出来るのかって単純な話、頭は優等生だから直ぐに覚えて発する事が出来るってのもよくよく考えたらおかしな話だよねという事。
例え優等生でも教え込まれて直ぐに発する事が出来るんだろうか。実はおっさんが言わせてるだけじゃないのか。
ちなみにおっさんというのは監督とかスタッフの事ね。アニメとか漫画とかAVの中のおっさんが言わせてるって設定もある奴はあるけど、やっぱり普通の女の子が次の瞬間淫語を連発するのにはやっぱり無理があると思う。
自然にそういう言葉が出るには早くても三日三晩キメセクしまくってセクロスしか考えられなくなる様な状態に追い込まれる、って普通はありえないんだけど、そういう状況が来る時期というと24時間四六時中セックスの事ばかり考えてるジャネット・ジャクソン(ナイナイのANNでお馴染み悪ジャネット)みたいな女の子でないと無理だと思う。
全く知らないおじさんに話しかけて、遊んでもらっていた。
一緒に乗ってたのはお母さんと妹。お母さんは妹をきつく抱いて、私が遊び呆けているのを黙って見ていた。
しばらく乗って、薄暗い駅に降り立った。おじさんが迎えにきて、私たちを車に乗せた。途中、おじさんがタコの吸盤の話をし始め、その話があまりにも怖くて大人になるまでタコが食べれなかった。
お母さんはほどなくして、パートを始めた。スーパーのフードコートでのアイスクリーム売りが彼女のお仕事だった。
私はその当時4歳。お母さんはずっと働きに出ていなかったから、おじいちゃんに主に遊んでもらっていた。おじいちゃんは新聞の漢字を私に教えるのが大好きで、そのおかげか6歳になるころには赤川次郎の三毛猫ホームズくらいなら読めるようになっていた。
絵を描くのも大好きで、おじさんが買ってたマガジンの漫画の真似っこをよくしていた。おばあちゃんが鉛筆工事で働いていて、絵を描くのを好きな私に色鉛筆を買ってくれた。毎日毎日飽きもせず、へたくそな絵と漫画を描いていた。
お母さんは、夜も家にいなかった。たまに知らないおじさんを連れて、家に帰ってきた。そのおじさんは私と妹にとても優しくて、おじちゃんおじちゃんと慕っていた。おじちゃんに絵を見せたら、俺のことも描いてくれと言うので描いてあげた。
そういえば、お父さんはどうしてうちにはいないのか、ふと考えることもあった。でもなぜか、聞いちゃいけない気がして私はずっと黙っていた。お母さんを怒らせると怖いから。おじちゃんが優しいし、おじいちゃんもおばあちゃんも、お母さんの弟のおじさんも優しい。だから別にお父さんがいなくても大丈夫だった。ここまでは本当にそうだった。
ある時急におじちゃんが言った。おじちゃんはおじちゃんじゃなくなるよ、増田のパパになるんだよ、と。私は、パパはおじちゃんじゃないよ?と言った。即座にお母さんに叩かれた。妹は言われた通りにすぐパパと呼んでいて、私はそれが今でも悔しかったのを覚えている。パパはおじちゃんじゃないのに、どうしてパパと呼ばなくてはいけないのか、私には理解できなかったのだ。
でも、叩かれたときに悪いことをしたのだと思った。パパと呼ばれなかったおじちゃんは悲しそうな顔をしていた。私は悪人だ、としくしく泣いたけど、誰も慰めてくれなかった。
そして、結婚式。否応がなしに見せ付けられたセレモニーと、いつの間にかお花渡し要因にされた。親の結婚式を見た、ということがおかしいと気付くのはもう少し後なのだけど、どうやら私はこの日を境にパパではない人をパパだと受け入れないといけないことに気づいて、また泣いた。母親には、縁起のいい日に泣かないでと言われた。また私は悪いことをしてしまった。
新居には、優しいおじいちゃんとおばあちゃんがいた。お母さんはパートを続けるからと、私は早速お手伝い要員になった。大方の料理はここで仕込まれ、夕飯の準備はなんでもできるようになった。お母さんは気が向くとパフェを作ってくれて、それが私の密やかな幸せだった。
このころから、「パパ」のスキンシップが激しくなってきた。起こしにいくと、一緒に寝ようと言われ、おとなしくしてると身体を弄られはぁはぁいっている。怖くてお母さんに相談したけれど、子供相手に変な気起こすわけないでしょ、大袈裟だと言われた。本当のことなのに誰も信じてくれないから、起こすのを拒否したら、反抗的な子供で可愛くないと言い捨てられた。また私は悪いことをしてしまったのだ。
私が今でも母親を許せない出来事その1が、小学校2年生の宿題。どこにでもよくある「名前の由来」を聞いてこいと言うものだった。
ゲームをしている母親に、私の名前はなんで○●なの?と聞いた。すると、ため息を一つついた後、母親はこう言った。
「そもそも、お前のことは最初堕ろすつもりだったんだよね。」
そこから始まった彼女の告白は、どうやら私は誰の子かもわからないらしいこと、当時付き合っていた彼氏はいたけど、他の男性とも関係を持っていたらしいこと、実際5ヵ月目くらいに流産してラッキー!と思ったものの、私は流れず残ったこと、当時の彼氏が結婚するからこんなに頑張って残った子は産んでくれと懇願したこと、しぶしぶ了承するも、私を産むときに生死の境をさ迷ったらしいこと、二番目の妹はお腹の中でもおとなしく、安産だったらしいこと、どうやら私をめぐる喧嘩が原因で離婚したらしいこと、ここまでを一気に話した上で、だから私はあなたの由来は詳しく知らないよ、相手が考えてくれたんだもん。と言われた。
そっかぁ、と言って部屋を出た後、私はわりと冷静で、だからうちにはパパがいなかったのか、離婚したから。とか、私は望まれて生まれたわけじゃないから当たりが今まできつかったのか、と納得するしかなかった。作文は、私の名前の漢字を私自身で調べて、それらしい理由を描いた。そして私は、あまり家で遊ばなくなった 友達の家か、学校に残ってずっと漫画を描いていた。絵も話も、同年代の子供たち以上に上手にかけたから、私の漫画は知らない上級生にまで広がり、続きが読みたい!とせがまれる程だった。おじいちゃんの教育のおかげか、学校の勉強も聞いてるだけで問題なく解けたから、学校は楽しかった。
そのころ、母が妊娠し、男の子を産んだ。その途端、おばあちゃんは私のことはどうでもよくなったみたいで、毎日弟にべったりになった。お母さんは私に弟のオムツと飲み物を作ることを要求してた。よく寝てた記憶だ。学校のテストで100点をとっても、小学校で躓いてたら話にならんと誰にも誉めてもらえなかった。お父さんは相変わらず隙があれば触ってくる。私は気持ち悪かった。
私は中学生になるとき、母親に念押しされたことがある。頼むから大きくなってくれるなと。制服代は馬鹿にならない。そして制服を使い回せる某進学校に行ってくれと。私は、家が貧乏なら仕方ないかな、と思った。部活もユニフォーム以外お金のかからない陸上部に入った。その間、家には大型テレビが入り、衛星放送が入り、大きなダブルベッドが母親のために注文されていたが、見てみぬフリをしていた。
母親との嫌な思い出その2。学校で喫煙の害についてのシンポジウムが開かれ、おうちの人に喫煙者がいたら、ぜひ止めるように言ってくださいと言われた。私の母は喫煙者だったので、学校で見てきたことを話した。結論、キレられた。なんで私の稼いだ給料で買ったものをお前に余計な口出しをされるんだ、そもそもお前が産まれなかったらこんな田舎で暮らしてることもないんだからなと。多分世間の狭い田舎での生活に、心身ともに参っていたのだと思うけど、傷ついた。もうそれ以来喫煙についてはふれないでおこうと思った。
このころ辺りから、母親はお菓子を報酬に、子供にマッサージを毎晩要求するようになった。私は高校にあがるまでその要求を呑んでいた。(何せ、親の部屋はアニメチャンネルが見れたから)そのおかげで私はマッサージ技術が拡大に上がった。母親は2時間くらい全身のマッサージをさせた後、100円のポテトチップをくれた。だがこれも、最初はマッサージの対価=お菓子だったのが、お菓子が欲しかったらマッサージをしろというものに変わっていき、私はさすがについていけなくなった。
高校は母の望んだ進学校に進んだ。ここで私は同人を始め、世界が変わるような体験をする。自分の描いた絵は誉められ、漫画も値段をつけたのが売れた。私は家に寄りつかなくなった。帰る時間も極力遅くし、可能なら母親の実家に泊まった。家に帰ると私はイチからごはんを作らなければならなくなったが、母親の実家は料理を用意してくれ、お小遣いもくれた。(実家は一円もくれてなかったので親にも学校にも内緒でバイトもしていた。)学校の成績も上々で、でも頼むから就職してくれと言われていた。進学校なのに。そのころ妹はお金のかかる部活に入れてもらい、練習道具も全部揃えてもらっていた。弟は頭の出来が悪いから、私が家庭教師変わりだった。もちろん、無休。
このころから、休日の昼食は私任せになり、母親は夜ご飯もほとんど作らなくなった。妹や弟は料理ができないので、私が全部作った。
私は就職なんてしようと思ってなかった。何が何でもこんな家は出てってやると思っていた。そんな時、母親は病気になった。ガンだ。
私はそれでも構わず家を出て、自分の夢のためにとにかく稼いだ。悔しかった。ノート一冊買うのですら渋られたのが悔しくて、ずっとずっと収入がある仕事と、自己実現のできる世界で生きた。途中途中で連絡はあっても、すべて無視した。
ただ、母親が死ぬ1ヶ月前だけは毎日のように病院に通った。妹に頼まれたからである。妹は、献身的に母親の看護をし、ずっと実家暮らしで働いてないのに、よっぽど私より評価は高かった。
私はいつかみたいに2時間マッサージをした。どうやら、母親は私のマッサージがお気に入りだったようで、弟や妹じゃぜんぜんダメだから私を呼んだようなことをかすかすの声で言っていた。たぶん、初めて私があの人に求められた瞬間だったのかもしれない、今思うと。
ほどなくして、母親は亡くなった。まだ40代、かわいそうだと思った。私がいなければ、この人の人生は輝かしいものだったはずで、こんな病気にもならずに済んだかもしれない。そんな思いで死に化粧と、お父さんと子供たちのスピーチを全部用意した。何故って、お父さんが、お前くらいしかそんなことできる子いないんだよ、って言うから。
ふと思う。私はここまでされて、なぜ母親が嫌いじゃないんだろう。
人に言うと、よくぐれなかったね?と言われるけれど、ぐれたところで何も変わるわけなかった。だって、興味を持ってくれなかったんだもん。私という人間に。
自分の性格も関係してると思うけど、じゃあここまで話して、私の人生とあなたの人生取り替えっこしてみようか?と言って首を縦に振った人間は一人もいません。
それが全てです。
むかし銀行に勤めたとき野球部や陸上部があったけど、都市対抗出たり、陸上部でも投擲であわや五輪代表か?みたいな選手が居たけど
午前中はちゃんと仕事してるし、引退後にちゃんと管理職まで出世してる人も居たりしてるのでケースバイケースなのかなと。
思うに箱根駅伝もだし、サッカーや一部の野球もそうだけど、学生時代に過剰にチヤホヤされること自体が、人間としての成長を阻害してると思うのよな。
箱根で走って一流になれるのは数人かもしれないけど、箱根を走ったら大体チヤホヤされるし、サッカーだって有名クラブのユースに入ったとか
野球で甲子園優勝したチームとか言っても全員プロになれるわけじゃないし、むしろならない人のほうが多いわけで。
早いうちからそんなに持ち上げてどうするねんとか思うけどね。
両親ともに勤務医だった。それも代々続くような医師家系ではなく、自力で這い上がってきたタイプの。
保育園時代に「お風呂に入るのを嫌がるから」との理由で通わされたスイミングスクールは、毎回始まる前に女子トイレで嘔吐していた。
9歳のときにいじめにあったが、親は学校側の対応に任せ放置した。学校側はからかいの延長と判断した。ゴミ箱に捨てられた教科書は、元のようには返ってこなかった。
少年は学校1位の成績を維持し続けた。いい成績をとっても、親がほめてくれるようなことはなかった。浮かれるなとは言われた。
市立中学への入学。部活に入らなければスイミングスクールを週3に増やすと言われた少年は、陸上部に入部するが、4カ月で不登校になった。本人にアプローチをかけることは親はしなかった。
その間、世間では引きこもりと定義されたその間に、少年はインターネットで様々な世界と情報を手に入れる。
中卒15歳、高卒認定を6科目取り、理科2科目落とし、秋の受験で残り1科目までにして、
とても生きづらい、つらいと感じて15歳で手首を切った。
市販薬乱用も頻繁に繰り返すようになった。
今まで溜め込んできたものが発露した、涙を流すだけでは耐えられなくなった。
輸入した無水カフェイン錠をざらざらと水で流し込んで、げろげろと吐いて親に病院に連れて行かれた。
「親に対する敵意が妄想的」。精神科医が下した病名は統合失調症だった。処方も統合失調症の急性期に対するそれそのものだった。入院先は閉鎖病棟だった。少年は面会に来る親に退院させてほしいと要求するが、rejectされるばかりだった。医師に言ってもはぐらかすだけだ。それは主治医の判断だから、と言う。4カ月目に無断離院をし、退院の扱いになった。
「薬は毎日必ず飲め」
「勉強しろ、夜9時から朝6時まではルーターの電源を切るからネット禁止」
インターネットは少年にとって、狭い世界から脱却できる、同じ時間を生きる人がいると実感できる唯一のツールだった。
医療は何の役にもたたなかった。
外来診察には診察室に親が入ってくる。そしてうっかり「死にたい」とでも言ったものなら、主治医がちらつかせる「入院」のカード。
少年は親のためだけに、元気な表情であり続けた。心の中がすごくぐちゃぐちゃでも、元気な振りをし続けた。
主治医「××くん、表情いいし大丈夫だね。処方同じで2週間後」
母親はうつ病で、SNRIや睡眠導入薬が処方されていた。当時連絡を取っていた閉鎖病棟時代の友人が自殺するというので、着いて行った。
母親に処方された睡眠導入薬と自分の持っている睡眠導入薬、ざっと数えて100錠、冬山で凍死計画。
でも、目の前の15歳の命が失われることが怖くなって、少年らは山を降りた。
捜索願で警察に保護され、親元に帰される。警察の前では「生きていてよかった」と口にするが、家に帰れば
母は
「病院帰るのッ!? とりあえず薬増やせ!!」
「薬だけは飲んで!!!」
父は
「薬は元の場所に戻しとけよ」
主治医は
「飲み続けないと一生脳が不可逆に萎縮する」
と言った。
言われたとおりに薬を飲んで、死にたいと思ってこっそり腕を切っては、過食嘔吐を繰り返した。
求められる「笑顔」を演じながら。
18になる直前に、病院を変えると少年は言った。両親は納得しなかったが、今の病院にはもう二度と行かないと言ったら、県立精神科病院への転院を認めてくれた。
案の定診察には親がいるので好きなようには話せないが、抗精神病薬は漸減され、ADHD向けの薬一つに処方が絞られた。
「飲み続けないと一生脳が不可逆に萎縮する」
過去に医学部生として、今臨床に携わるものとして、主治医の話を聞いて頷いたあなたがたは今。
「診断名出てよかったね」
「ADHDかー、俺もそうだと思っていたんだよ」
今の主治医はこう言う。
彼は18歳の夏に命を断つ。
もうやり残したことはない。
で、やってるときはスポーツマンだよねー俺ー。って思ってたんだけど。
まったくモテなかった。
う~ん?と思ったけど。
分かった。
決して力とか運動量で勝つタイプじゃなくて、技術的なタイミングで投げるタイプ。
こりゃモテないわw
いや~。柔道で勝つために合理的なトレーニングしてきたし、高重量のキントレできるし。
サッカー部のムキムキ細マッチョやラグビー部やアメフトのムキムキにも腕相撲で勝つ。
いや~勘違いするじゃん。
腕もクッソ太いし、足もクソ太い。でも、脂肪で筋肉は微妙に見えない。
脱いだら肩幅でかくて胸もでかくてすごいんだけど、服着たら、雪だるまでしかない。
確かに、軽量級の奴はスポーツマンだな。
あれだ。
その理想的な肉体ってのが、柔道の重量級ではタコ入道だ。いやもちろんいるよ、井上コウセイや穴井みたいなスポーツマン体型。
でも、チビの重量級って、完全にドラえもんなんだよなあ。しかも技術派だから決して運動できる肉体じゃない。力や研究で押すタイプ。
こりゃ無理だ。
勘違いしてた。
陸上部くらいにしてればよかった。
陸上的な理想的な肉体は確かに美しい。鷹みたいな美しさがある。
ランニングとかにせいをだせばよかった。
妹の中学生の息子がすべての時間を陸上部の活動に費やしてるらしい。起きて朝練、放課後は部活、帰宅後はクタクタで飯、宿題、風呂、寝るだけという毎日。特にめずらしい話とは思わないがこれでいいのか。
不健全なことをしたり考えたりする余裕を与えないので親や教師は安心なんだろうけど、実はこれが無個性な社畜すなわち奴隷の生産に繋がっていると見る。
部活なんてその道でプロになるか一生の趣味にでもならないと全くの時間の無駄。大会で勝てるほどレベル高いのは稀だから成功体験も得られない。友達との単なる暇潰し。だったら普通に遊ぶか勉強するか、興味のある事に手を出すのに時間使った方が良い。
毎日適当な負荷メニューが上から与えられ、それをこなしておけば叱られないから何も考えずにやり続ける。こういう人生が多すぎる原因は部活という教育方法にあったのだ!子を持つ親はよく考えるべき。
志望校そのものが、周りに引きずられるのは社会的地位を気にする人間の心理的な問題だけど、
レベルが高い大学に合格できるかどうかは、学習能力によるところが大きい。
(もちろん、富裕層においては金で大学に押し込めるのでこの限りではないが。)
また、勉強しさえすればいつかは合格するということを吹き込むのも本人のためにはならない。
例えば、4時間以内にフルマラソンを走破しなければならないという目標に対して
陸上部で今までずっとトレーニングしていた人と、35年間ひきこもっていた人、どっちがキャッチアップが楽かまで
考慮してアドバイスしないと絵に書いた餅になることも考慮しないといけない。
「これすごい話じゃないです?」の段落は、前後の順番を入れ替えたほうがいい。
「これすごい話じゃないです?」と大興奮の浦沢は、「『20世紀少年』は、だれも聞いてなかったと思ったら、トモダチだけが聞いていたって話ですけど。現実には、小室哲哉が聞いていたんですよ」とあらためて奇跡的なつながりを熱く語った。一方で、「そういうことをTwitterで雑に語る」と、小室の適当ぶりも指摘。「僕が小室さんと一緒に放送部だったとか言うんですよ。僕は陸上部!」と訂正し、「そのくだり、いいとこじゃないですか。それを台無しにしちゃってる」と冗談交じりに話した。
音楽プロデューサーの小室哲哉と漫画家の浦沢直樹が、11日深夜に放送されたTBS系トーク番組『オトナの!』(毎週水曜25:46~26:16)で共演し、浦沢の代表作『20世紀少年』にまつわる秘話を明かした。
「ふわ~って変な気持ちになる。自分のことが書いてある」。『20世紀少年』を読み、そんな感覚に陥ったという小室。妻・KEIKOの助言もあり、浦沢に熱烈なファンレターを送ってその思いを告白した。浦沢は小室に返事を送り、その中で、自身が小室と同じ第四中学校出身であり、小室の1つ下の後輩にあたるという事実を明かした。「『20世紀少年』は府中のあの頃の世界観を書いた」と浦沢が語る、まさにその同じ空間に、小室もいたのだ。
手紙のやりとりの直後に食事会を開催し、『20世紀少年』の話で盛り上がったという2人。第1巻の冒頭、主人公が放送部員に頼んで昼の校内放送でT.REXの「20th Century Boy」をかける場面があるが、これは浦沢が実際に実行したことで、当時の放送部には小室が在籍していたという。「これをかけたらえらいことになるぞ!」と叱られる覚悟の浦沢だったが、予想は外れ、周囲は無反応。「何も起きなかった、革命にはならなかった」という漫画の展開は、実話だったのだ。
また、当時、昼の校内放送をきっかけに、井上陽水のアルバム『陽水II センチメンタル』を買ったという浦沢だが、それをかけた放送部員は小室だったという事実も食事会で明らかに。さらに小室は、当時大金持ちでレコードを買いまくっていた友人と、「府中第四中学校でT.REXを理解しているのは俺とお前くらいだよな。でもさ、今日昼休みにT.REXかかったよな。あれ誰がかけたんだろう」と話したことを食事会中に思い出したという。「『あれ、浦沢君がかけた日だ』って」。
「これすごい話じゃないです?」と大興奮の浦沢は、「『20世紀少年』は、だれも聞いてなかったと思ったら、トモダチだけが聞いていたって話ですけど。現実には、小室哲哉が聞いていたんですよ」とあらためて奇跡的なつながりを熱く語った。一方で、「そういうことをTwitterで雑に語る」と、小室の適当ぶりも指摘。「僕が小室さんと一緒に放送部だったとか言うんですよ。僕は陸上部!」と訂正し、「そのくだり、いいとこじゃないですか。それを台無しにしちゃってる」と冗談交じりに話した。
「これすごい話じゃないです?」と大興奮の浦沢は、「そんなすごい話を、(小室は)Twitterで雑にツイートする」と、小室の適当ぶりも指摘。「『浦沢君は僕と一緒に放送部だった』とか言うんですよ。僕は陸上部!」と訂正し、いい話を「台無しにしちゃってる」と冗談交じりに話した。そして、「『20世紀少年』は、『誰も聞いてなかったけど、トモダチは聞いてた』という話から始まったけど、実際は、『小室哲哉が聞いてた』って話なんですよ」と奇跡的なつながりをあらためて熱く語った。 ※トラバの提案を採用しました。なるほどこのほうがわかりやすい。
小室哲哉と『20世紀少年』の驚きの関係が明らかに -「すげぇ!!」と反響 (マイナビニュース) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150212-00000057-mycomj-ent
差分を示すのがめんどうくさい。少なくとも最後の段落(Twitterの反応)は全削除した。
y0m0 男女はそもそも生物学的にも身体的にも同じであり、ただ個体差と文化的性差があるだけであると考えている人と、男女はそもそも生物学的にも身体的にもことなっていると考える人がいる。根本的な思考のズレはここかな
こんなブクマをみて「はははは前者みたいな事言うやつ本当にいるのかよ」というのが第一印象で。
「あまりジェンダー関係の記事は読まないしー、しかし男に穴は3つもないし女に棒はないだろ」なんてゲスなことも考えたり。
まぁそんな極論ぶつやつなんてそうはいねーだろと思ってたら
KoshianX いや女子も10km走らせるべきだと思うけど、ダサピンク現象は「マーケティングはデータだけで判断できない」という実例としておもしろいと思うなあ。
cleome088 いや、男子10k女子5kは男女共10kなり7kなり5kなりにすべしでしょ…。男の人って自分にかけられた「ダサピンク」に鈍感すぎると思う。
まじなの?これが「男女はそもそも生物学的にも身体的にも同じであり、ただ個体差と文化的性差があるだけであると考えている人」ってわけ?
他の要素なら文化的性差なんて胡散臭い言い訳のしようもあるけど、運動能力は文句のつけようがないほど明確に差がある所じゃない。優劣があるじゃない。陸上でいったら女子の世界記録は日本男子の高校生の記録にすら劣る。その現実を無視して同じ距離走らせろって?体力差を考えてよ。体力差もそうだけど全国的に女子の距離は男子の半分ってなってるのはゴールするタイミングが同じくらいになるようにって配慮もあってそうなってるわけでしょ、多分だけど。
いやもちろんわかるよ。陸上部の女子エースと文化部帰宅部の男子はてなーじゃ多分陸上部女子のほうが速いだろうけどね。なんで一番上と一番下を比べるんだよって。というか一番上と一番下を比べなきゃいけないほどに差があるんだよ。
正直現実修正主義者といってもいいレベルのトンデモで、正直ここはてなでなら水からの伝言だの江戸しぐさだのと同レベルに叩かれていい非科学的非論理的非現実的な論だと思うんだが、取り上げてる人があまりにいなくてつい書いてしまったよ。
実際どうなの?非科学的な話も男女の話となると見てみぬ振りをしてるのか現実が見えなくなるのか触っちゃいけなかったのかはてな全体の態度がいまいち掴めないんだけど。