はてなキーワード: 陸上部とは
俺は逆に同棲したおかげで彼女のズボラな部分が垣間見れて結婚には至らなかった
俺38歳、彼女25歳だったんだけど炊事洗濯できるかのような発言で匂わせておいて実際は全部親に頼ってた
FF14っていうオンラインゲームが大好きで、ほぼ毎日数時間は遊んでる
俺は結婚相手が専業主婦でも食べさせていける余裕はあるから、問題ないつもりだったんだけど
彼女はFF14に熱中すると食事はお菓子で済ませるし、シャワーも3日くらい浴びないで平気だし
バイトは睡眠不足で遅刻の常習犯だし、税金等の当たり前な知識が皆無
ただ、それでも付き合い続けてたのは可愛くて胸がデカかったから
本田翼みたいなボーイッシュな顔とサラサラの髪と張りのあるFカップと元陸上部の名残りなのか細かった
んで、メッチャクチャ性欲があって望むことをなんでやってくれたから
今まであんな美人でエロくてスタイルが良い女を見たことがなかったくらい衝撃だった
ただ、それ以外が全部駄目な人だったから結局別れた
同棲しなきゃわからないことって多いけど、とにかく結婚前に見抜くことが大事だよね
今はただただFカップが恋しい
子宮頸がんの検診に行ってきた
エコー検査でついでに卵巣も見して〜やとのことだったので見してきた
検査室に入ったら、下を脱いでね〜って言われたので銭湯の脱衣場の時のように下をぱっぱと脱いでそのまんま検査台に座ろうとしたら
恥じらいが少し足りなかった
そんで検査されたんだが
膣に入れられるというのは聞いていたのでまあいいんだけどこれがめちゃくちゃ痛かった
そんでそのあと膣だけでなく肛門にも機械入れられるとは思わなんだ
肛門の方が普段ウンコしたりしてる穴だからいくらかは楽だったけど、キレが悪いでかいウンコがずっと尻に留まっている感じがしてこれもしんどかった
そんなこんなで己の恥部を晒し私の女としての器官が今どうなってんのか見てもらったんだが、どうやら卵巣が腫れているらしい
そんで、なんか卵巣腫瘍について少し調べて、どうしよ〜〜今後なんかあったら不安〜〜と少し落ち込んでしまった
あと病院で体重測ったら4キロくらい太っててこれもがっかりポイントだった
だからさっき30分くらい音楽を大音量で聴きながらランニングしてきた
ドラクエ5のボス戦のテーマは本当名曲だなぁと感じながらリズムに合わせて走ってたらなんか全てどうでもよくなった
運動神経がないから球技関連は全くできないんだが、中学の頃陸上部だったおかげで走ることに抵抗がないため、
こんな感じに落ち込んだり不安になったりしたら走るようにしている
そんでシャワー浴びてさっぱりして寝たらだいたいどうでもよくなってる
学業優秀で生徒会長も務める清楚な黒髪ロングのお嬢様女子高生とか、
高身長でがさつな性格だけど実はスタイルがよくて男女交際にも興味津々なバレー部女子とか、
家では弟や妹のめんどうをちゃんとみている地味な雰囲気の真面目系女子とか、
そういうのじゃん?
俺が高校時代に付き合いたかった、でも会話することすらろくにできなかったような女子高生が心に刻まれているって話であってさ。
アラフォーのおっさんにカネ目当てでホイホイついてくるような、見た目も中身もだらしがない女子高生なんて何が楽しいんだよ。
それだったらちゃんと、ホスピタリティあふるる大人の女性が出てくる普通の店に行って遊んだほうが全然いいだろ。アホか。
顔がイケメンなのかっていうと、よくわからないけど、少なくともブサイクではないと思う。
特に長距離ではすごくて、小学校のマラソン大会では毎年一桁台だった。
親も陸上関係でメシ食ってる両親で、俺の才能っていうよりかは、親の影響が大きかった気がする。
親父のジョギングに、保育園の頃からついていって走っていて、いつの間にか俺も走るのが好きになってた。
俺にしてみれば、一位という結果は本当にたまたまだった。
周りが喜んでいるのを見て、俺も「自分がすごいことをしたんだ」と嬉しくなった。
まあそれは、そんなもんだ。
周りが全然俺よりはやい。
俺が全力で走ってるのに、周りがどんどん俺を離していく感覚を、生まれてはじめて味わった。
不甲斐ない成績だった。
でもその頃から、たぶん俺の心の中で、走ることに対して、迷いが生まれたんだと思う。
この挫折をきっかけに、もっと速くなる奴が、きっとプロになったり、駅伝ランナーになったりするんだろう。
でも俺はたぶん違う。
14歳や15歳のガキでも、自分に対してそのぐらいのことはわかる。
俺は単に周りに褒められたくて、長い距離を走ってただけなんだ。
特に県大会に出て、ホンモノたちに会ってしまうと、俺がいかにダサい存在かはよくわかった。
その親と5歳から近所のコースジョギングしてました、とか、関係なくて。
ホンモノは違うんだよ。
なんていうか、オーラでわかる。
正直スタートライン立った時点で、もうホンモノとニセモノははっきりわかった。
ニセモノだったのは俺だけじゃない。
ほとんどはニセモノ。
俺はそっち側だった。
でも、もう、マジで感覚的に全然違うのがわかったから、どうしようもなかった。
努力? 才能? なんなの? 何が違うんだ?
仮に俺が途中でぶっ倒れてもいいから、全力ダッシュしたとしたら、
何人かは抜かせただろうけど、それでも抜かせない選手っていうのが、結構な数いた。
ああいう奴はなんなの?
意味がわかんなかった。
いや、今もわかんないけど。
実際その場で一緒に走んないとわかんねーよ。そういう奴らと走る感覚って。
まあその話はいいや。
普通に受験したら、俺の頭では間違っても入れないような私立高校。
そこの陸上部入ったら、まあ、周りは全然大したことなくて、すぐエースになった。
俺みたいに陸上のスポーツ推薦だった奴いたけど、長距離は3人しかいなくて、俺以外の2人は全然ショボかった。
てか、このレベルで推薦とれるのか、って失望するレベルだった。
エース扱いで、相当チヤホヤされてたと思うけど、心の中ではどんどん冷めていった。
俺は県大で、自分のショボさを思い知って、自分の限界を感じたのに、周りの奴らは俺を神かなにかみたいに崇めてるわけ。
なにこれ?
は?
お前らはバカ?
偏差値xxあって何を見てるの?
とか思ってた。
当時俺みたいな中途半端な奴って学校に結構いて、自然とそういう連中とつるむようになった。
特待生で学校入ってきたけど、周りのレベル低すぎてうんざりしてる優等生とか、
すげーサッカー上手かったのに部活の顧問とか先輩とかと合わなくて帰宅部になった奴とか、そんな連中。
高二になってからは、そいつらといるのがとにかく楽しくて、練習サボって遊ぶくらいになった。
「マラソンってくだらなくね?」
とか俺に向かって言っちゃうような奴らだった。
はじめて聞いたとき、本当に新鮮だった。
だって、家族や友達で、陸上を否定する人間なんて、それまでの人生で会ったことがなかった。
いろいろ悩みながら陸上部を続けてきた俺だったが、遂に決意する。
「ごめん。陸上部辞めさせて」
家に帰って、俺は親に言った。
親が買ってくれた、1万円以上するランニングシューズをエナメルバッグに入れたまま。
けど俺の決意は固かった。
たくさん説教された。
俺の陸上の才能を認めてくれて、もったいないって言ってくれる人もいた。
それが一番心が痛かった。
でも俺はもう決めていた。
本当の自分で生きたい、って思っていた。
陸上は、俺が本当にやりたいことじゃないんだよ、親父、お母さん、先生。
そんなことを何回も言った。
陸上の成績でスポーツ推薦を決めた奴が、陸上辞めるなんて前代未聞だろうな、と思っていたが、それはそうじゃなかった。
心が折れなくても、ケガでそのスポーツ続けられなくなる奴も多い。
だから、俺の陸上辞めるという選択で、退学になるようなことはなかった。
俺はそこから、本当にやりたかったことにうちこむようになった。
それは音楽だった。
あるとき、いつもつるんでる友達から、「バンドやりたくね?」と言われた。
最初は冗談みたいだったが、いつの間にか皆楽器を買っていて、本気でやることになった。
俺はボーカル。
休みの日に、皆で県で一番賑わってる駅のスタジオに行って、死ぬほど練習した。
スタジオの人がいい人で、ホントは2時間料金なんだけど、何時間でも練習させてくれた。
これが本気で楽しかった。
あ、これだ、って思えた。
陸上がつまんない、っていうことはない。
でも、心のそこから楽しんでるか? と言われたとき、即答はできなかった。
親の影響でやってるんじゃないのか? 自分が脚速くなかったら続けてたのか?
長距離走について、そんな質問をされたら、俺は答えれないと思う。
音楽は違う。
親は音楽なんて聞かなかった。
俺は特に歌がすごく上手いわけじゃない。
それでもめちゃくちゃ楽しい。
何時間でもやっていたい。
どんどん上手くなりたい。
俺の他にもっと上手い歌手がいても、そいつよりも上手くなりたい。
どうして県大会のとき、こんな感覚になれなかったのかは、今でもわかないけれど。
たぶん、陸上をやってる俺は、本当の自分じゃなかったんだと思う。
親が望む、自慢の子供を演じていた。
けど、俺が本当に嬉しいことじゃなかった。
俺は親の喜ぶ顔で喜んでただけだ。
音楽は、俺に直接喜びをくれた。
けど、その三人が生み出すグルーヴの上に、俺の歌を乗せる。
それで曲が完成する。
時間にしてみれば、ほんの数分。
それまで長距離を走破してきた俺にしてみれば、ほんの一瞬だ。
で、忘れもしない文化祭。
俺の高校の文化祭は、応募制の野外ライブというのが何年か前からあった。
軽音楽部とかフォークソング部とかのバンドが演奏するステージだったが、
他にも教師が組んだバンドとか、有志で組んだバンドとかが応募して、出演していた。
俺たちもそこに出ることにした。
はじめてのステージだった。
その頃になると、もう俺たちの演奏レベルもかなりのものだった。
実際その後、ドラム叩いてた奴は音楽関係に進んで、今は有名ミュージシャンのバッグで叩いて飯を食ってる。
結局そいつが一番すごかったのかも。
野外ライブで、俺らの番が来た。
バンド名はさすがに恥ずかしいので秘密だが、司会が俺らのバンド名を呼んだとき、ちょっと肌が粟立ったのを覚えてる。
ここから将来ミュージックステーション出たり、紅白出たりしたらめちゃくちゃカッコいいな、と一瞬思った。
観客は結構集まってた。
ボーカルを俺がやっていたので、陸上のときの同級生・後輩が結構いた。
ギターもサッカー部の人気者だったので、それ目当ての女子が結構な数いるのが見えた。
自信があった。
後輩も、もしお前らが俺を尊敬してるとしたら、単に足が速いから尊敬してるだけだろ、
でも、これからは音楽を通じて、尊敬してくれ、と本気で思っていた。
それまで偽りの自分で評価を得ていた人間が、本当の自分で戦うのは、本当に気持ちいいものだった。
MCで何を喋ったかもよく覚えてるが、これはマジでイタいことを言ったので、敢えて記載はしない。
俺が想像していた観客の表情ではない。
なんか笑いをこらえているというか、笑ってる奴もいる。
当時はビジュアル系全盛期で、俺たちが選んだ曲は、L'Arc~en~Cielの『花葬』だった。
俺はHydeに全力で心酔していた。
ていうかHydeよりカッコいい人間は今でもこの世にいないと思っている。
けど俺はHydeじゃなかった。
俺はそれまで自分のことを正直カッコいい部類だと思っていたが、Hydeではなかった。
それから俺は、高校を卒業して、親のコネがあった地銀に就職した。
今年はじめて箱根駅伝を見た。
それで内心「うわああああああああああ」となったが、嫁に気取られることはなかった。
俺が人生で学んだ人生訓は、「本当の自分とか言ってねーで、人から褒められることをひたすらやっとけ」だった。
でも、そんなこと子供に言う訳はない。
願わくば俺の子供が、ホンモノの才能を持っているか、ニセモノの自分に何の疑問も抱かないウスノロのどちらかでありますように。
だって“本職”なのに他の運動部に負けちゃったりしたら恥ずかしいし。
かといって1位だったとしても“勝てて当たり前”としか言われないし。
だから体育祭の部活対抗リレーの時は陸上部員は準備係とか審判員とか記録係をやってたんだ。
そもそも部活対抗リレーなんてものは体育祭におけるある種の余興みたいなものだったからね。
運動部は基本、自分らの部活の大会用ユニフォームを纏って出場する。
剣道部は剣道着・袴・防具一式身につけて裸足で全力疾走していた(バトンは竹刀)
柔道部は柔道着で、確か帯をタスキリレーしてたんじゃないかな。
球技の部活は“球”をバトンリレーしてたように記憶しているけど、受け渡し方にそれぞれ特色があった、筈。
バレー部はテークオーバーゾーンでバレーボールをトスしてたし、ラグビー部は後ろにパスを出してたと思う。
サッカー部はドリブルしながら走行する決まりの年もあったけどあまりに不利なので次の年からは普通にボールを抱えながら走ってた。
みなさんこんばんわ。みんなだいすき()アイドル増田ーのお時間です。
本日実施されましたTHE IDOLM@STER PRODUCER MEETING 2018 What is TOP!(!は省略)にてアイドルマスターミリオンライブシアターデイズ(通称ミリシタ)への楽曲ToP!の追加が告知され、寸暇をおかず実装されました。
この楽曲の実装については、振り付け中にハイタッチや手をつなぐといった動作があることから、スペックの劣るスマホでの実現は難しいだろうと思われてきました。
しかし、今回その点を完全にクリアしてミリシタへの実装がなされ、多くのPが驚くこととなりました。
と同時に、アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ(通称デレステ)もプレイしているPには嫌な予感が走ります。
デレステでは数日前に凸凹スピードスターという新楽曲が実装されています。楽曲は素晴らしく、MVも実に凝っていて楽しいのですが、振り付け内でアイドルが向かい合って手でハートマークをつくるという箇所においてオリジナル歌唱メンバーでなければ手の位置がずれてしまうという一点においてアンチや対立厨の槍玉に挙げられていました。
そんな中、何かと比較されることの多いミリシタにおいてその点をきっちりクリアしてきたものが近いタイミングで実装されたわけですから、やはりと言うべきか対立煽りの格好のネタとして使われてしまうこととなりました。
デレステとミリシタの両方を真摯に追ってきた人間であれば、ミリシタは様々な3Dモーションを実現するために拡張性の高いシステム構築がなされている一方でデレステは背景やライティングといった映像全体でのクオリティアップへ注力されている、といった戦略の違い得意不得意の差と理解できるでしょう。
そうでなくても、用意には実装できない技術なのだろうと発想できる人間であれば、それを実現できたミリシタ開発スタッフへの称賛こそあれ、それを実装していないデレステ開発スタッフを非難するなど出来ようはずもないと私は思います。
さて、ここで話が飛びます。
私事ですがつい先日、録画溜めしていたアニメ、『宇宙よりも遠い場所』(通称よりもい)をイッキ見しました。
このアニメは様々な事情を抱えた高校生少女4人が紆余曲折を経て南極へと旅する青春アニメなのですが、その11話でこのような話がありました。
主人公たちが南極に到着し昭和基地で観測隊員とともに生活をおくる中、大晦日の広報企画として日本とのビデオ中継が実施されることとなり、主人公4人組のひとり三宅日向の同級生らが登場します。
この同級生らは日向がかつて通っていた高校の陸上部員なのですが、彼女らに裏切られたことに端を発し日向は高校を退学するに至っています。
そのような事があったにもかかわらず、(その同級生らは謝罪したいとのことではあったが)いけしゃあしゃあと「友達が南極へ言ったので自慢したい」と連絡をとってきた彼女らに日向はひどく憤慨します。と同時に彼女らを許せず憤る自分を「小さい人間」と自責します。
そんな日向を見て、中継放送実施の直前スタンバイしている同級生らにむかって小淵沢報瀬、玉木マリはこのように喝破します。
報瀬「はじまる前に一つだけ良いですか。悪いけど、三宅日向にもうかかわらないでくれませんか。あなた達は、日向が学校辞めて、辛くて苦しくて、あなた達のこと恨んでると思ってたかもしれない。毎日部活の事思い出して、泣いてると思ってたかもしれない。けど、けど……」
マリ「けど、そんなことないから!日向ちゃんは今、私達と最っ高に楽しくて、超充実した、そこにいたら絶対できないような旅をしてるの!」
対立煽りのネタにされてるんだろうなあと真っ先に思い、SNSやらまとめサイトやらに案の定ネタにされてるのわざわざ見に行って、勝手にイラついてるときにこの話を、このシーンをふと思い出しました。
やっぱり自分は「小さい人間」で、楽しんでる心の何処かで、ネット越しの悪意を無視できず無様にも自滅します。
でも、対立煽りなんぞで満足しているような、アンチ活動で悦に浸ってるような、そんな連中ではたどり着けない面白さへと歩いている、「そこにいたら絶対できないような旅をしてる」んだと。
こんばんは、カマキリのオスです。今まさに愛する妻に食いちぎられている最中、これを記述しています。
私には人間の営みがどのようなものであるのかは皆目見当も付きませんが、自分の宿命はわかっています。もちろん、生まれたときからわかっていたわけではありません。つい数分前までは恍惚でした。憧れの女性をようやく自分のものにできたのですから。
思えば彼女はクラスでは目立つ方ではありませんでした。しかし、自らの中に芯のあるような、そんな態度が私の心を惹きつけて離しませんでした。彼女も私もハナカマキリではなく没個性的なオオカマキリですが、私にとって彼女は世界に一人だけの高嶺の花でした。
きっかけは「ハリガネムシ、ついてるよ」でした。陸上部に所属していた彼女は卓越した身体能力で、私に寄生しようと試みていたハリガネムシを殲滅したのでした。きっかけは彼女の単なる善意から。彼女が意図せず作ってくれたそのきっかけを私は逃さず、その日から少しずつ彼女との会話を紡いでいきました。そういう意味では私はあの憎きハリガネムシにさえ感謝をしているのです。
私たちは会話を積み重ね、いつの間にかスキンシップによって愛情を確認し合うようになっていました。私たちはもはやいい大人です。その日がやってきました。
私の観察した範囲によると人間とやらはいつも衣服で身体を防衛しているので、一体全体どうやってその行為に及ぶのかわかりません。試合開始のゴングが鳴ったら互いに服を脱ぎ捨て、「さあやるぞ」という感じで事に及ぶのでしょうか。謎です。
その点、私たちカマキリは何しろ手がカマなので着衣・脱衣はおろか、そもそも縫製をする器用さを有しておらず、服を着ていません。煩瑣な手順を省いてスムーズに行為に至ることが可能です。
「賢者モード」を知っていますか? 行為後に訪れるあれです。噂には聞いていましたが、その賢者モードが発現しました。彼女に。
私が未曾有の快楽・恍惚に浸り切っており、オーガズムが緩やかに下降しながらも未だに全身の痙攣・頭が真っ白になる感じ・「君を愛している」と声高に叫んでやりたい衝動を心地よく感じている最中、彼女は私を文字通り蝕み始めました。幸い、脳内ではエンドルフィンが過剰分泌されていましたので、痛みは感じません。
むしゃむしゃ、と彼女は私を味わっているようです。昔から彼女は花や昆虫をとても美味しそうに食べ、その姿が私は大好きでした。嗚呼。私の愛する女性が、賢者モードと呼ばれるはっきりとした理性をもって私を食い散らかしている。
人間は幸福を神に祈ると聞きます。カマキリの世界に神はいませんし、いたとしても無条件に幸福をもたらしてくれるような存在ではないでしょう。私は今、幸福です。
運命を乗り越えることが勇敢であり幸福をもたらすという言説がありますが、私は違うと思います。宿命を黙って受け入れること。それこそが私にとって素晴らしい在り方です。
説教をするつもりはありません。もうあと数秒の命でしょう。私には最後に伝えなければならない言葉がある。君を愛している。出会ってくれてありがとう。
もうすぐ夏の甲子園も開幕するから中学時代の野球部の思い出でも語るわ。
俺の中学の顧問はとんでもない畜生だった。元々高校野球を教えてた奴だったしな。
普通に殴られたりしたし、近距離から軟式を体に当てられて「ボールを怖がらなくする」などと言う意味不明なこともやらされた。
あとは軍手を使い「しっかりとボールを掴む癖をつける練習」などと言われ普通にノックとかやったわ。
試合で負けた時はべーラン地獄。一時期は陸上部よりも走る野球部だった。
夏の名物練習と言えば炎天下での素振り。マメは今でも残ってる。
みんなで円になってキャプテンが真ん中に行き、
一回振る事に「1!2!3!4!・・・・」と掛け声をしてその次に皆キャプテンに続いて振った。
当時はまだ熱中症の怖さが認識されていない時代だったから、よく気を失わなかったなと思う。
我ながら守備範囲は広いがエラーがクソ多くて、俺だけ居残りなんてことはしょっちゅうだった。
気が付けば両足筋肉痛でベーランどころじゃない。学校の階段は手すりがないと昇り降り出来なかったわ。
正直辛いことばかりだったが、良い思い出もある。
見ないでおこうと思う。
別に興味がないわけではないけど、見たら負ける気がするから、日本のために見ないでおく。
そんなことを考えていると、私の高校時代のことを思い出した。私は陸上部で短距離だった。陸上が大好きだった。そして、チームメイトも大好きだった。でも当時は今よりだいぶ拗れた人間だった。私が望むことは全て裏目に出ると思ってた。
だから、高校三年の陸上の駅伝の大会のとき、近畿大会への出場がかかった大事な大会のとき、凄く応援にいきたかった、現地で皆に声をかけたかった、皆が真剣に地区大会突破を目指していることを知っていた。だから当日、応援にいくのを辞めた。
結果、チームはギリギリ地区大会を突破した。最終区間で逆転し、滑りこんだらしい。
見たかったって思いより、皆の努力が実ってよかった、行かなくてよかった。と思った自分がいた。まわりに受験勉強優先したんだろうと、薄情に思われてたみたいだけど、それでもよかった。と思っていたと思う。
なんてことが、今日の試合を前に久方ぶりに頭をよぎった。あー、あいつのアンカーの逆転シーン、生で見たかったなー。今度飲みに誘おう。
「宇宙よりも遠い場所」はキャンベルらが示した「英雄の旅」の枠に沿って作られている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Hero%27s_journey
キマリにとっては「青春する」というメモが出立を促す「冒険への召命」になるのだが、それが部屋の片づけ中に頭上から降ってくるあたりは神話的だと言える。
報瀬にとっては母親の死が分かりやすい「冒険への召命」である。
次にキマリが一度は学校をさぼって旅行に出る決断をしながら結局それを取りやめるあたりは「召命の辞退」に相当する。
結月が南極行きを拒否し、報瀬にその役目を譲ろうとしたのも同じく「召命の辞退」と言える。
駅で報瀬が落とした「しゃくまんえん」をキマリが拾う話や、彼女らの会話をたまたま日向が聞いていた部分などは、偶然という「超自然的なるものの援助」が出立を助ける場面だ。
しかし日常から非日常へと移る境界には門番がいる。彼らの試練を超えなければ英雄は旅立てない。
キマリは本気なら砕氷船を見に来いという報瀬の声に応じてこの境界を越えた。
日向はパスポートを失うという障害にぶち当たり、報瀬の協力を得てこれを突破している。
境界を越えた英雄には支援者が現れる。彼女たちはいずれも互いに支援者としての役割を果たしている。
日向にとっての越境に相当するパスポート紛失は、報瀬から見れば同行者を見捨てて自分だけが目的地に向かうという誘惑の一種だろう。
船酔いで苦しむ場面は4人のいずれにとっても挑戦だと言える。
そして英雄は異世界の深淵において啓示を受け、いったん死んで生まれ変わる。ここで英雄が遭遇するのは最大の敵である。
キマリにとってはめぐっちゃんの絶交宣言がこのラスボス対決に相当する。彼女の旅路(南極へ行くと決めた時点で既に彼女は非日常の世界に踏み出している)を常に邪魔しようとしてきた敵を倒す場面だ。
報瀬にとってはもちろんメール受信のシーンがそれにあたる。彼女にとって最大の敵であった「母親の死を実感できない自分」がここで打ち倒される。
日向にとってはかつての陸上部の友人たちに対する決別がそうなる。ここでも報瀬の助けを借りているが、過去のトラウマを抱えた彼女はここで死に、生まれ変わっている。
結月の場合は誕生日パーティーがそれに相当する。それまで友情とは何かについてきちんと理解していなかった彼女が、これを機に「ひらがな一文字」の友情を理解できるようになる。
彼女たちはいずれもこの啓示を経て変容する。めぐっちゃんという他人に頼りっぱなしだったキマリは、絶交騒ぎ以降はむしろ他人を手助けする側に回って大活躍する。
日向や結月も変容を遂げた後は報瀬のために彼女の母親の形見探しに走り回る。あまり他人に踏み込むタイプでなかった彼女たちが変わったことが分かる。
その報瀬は分かりやすく髪を切る。彼女が変わったことが明白に示される。
だが英雄が異世界を去り、元の日常に戻るためには代償が求められる。「呪的逃走」のためのアイテムが必要になるのだ。
その役目を果たしたのが「しゃくまんえん」だ。報瀬がこの「しゃくまんえん」を南極に置き去りにすることで、彼女たちは再び境界を越え、日常へと戻る。
日常へと帰還した英雄は異世界からの土産物である「霊薬」を持ち、それによって世界を変える。
報瀬は母親の最後のメールでも、あるいは仏壇の前でも、笑顔を見せるようになる。彼女の世界が変わったことが表情で示される。
結月はファンからサインを求められる。アイドルではあってもそうした場面が全く描かれなかった彼女の世界がやはり変化している様子が分かる。
日向の様子にはあまり違いがない。ただ神社に参拝する時の横顔が、夜間だった第2話とは異なり、日が差し込む明るい姿になっているのが印象的だ。
そしてキマリ。彼女の世界が変わったことはめぐっちゃんのラインによって分かりやすく示される。新しい一歩を踏み出すことを恐れていた彼女たちの世界は、既に大きく変わっている。
そして彼女たちは、きっとまた旅に出る。
1~12話まで観たけど、とても刺さった。私なりの観測範囲でよく話題に上がっていた作品なので、便乗して感想を書く。まだ観てない人向けにネタバレなしレビューも書いたので、リアルタイムで13話を観るキッカケにでもなれば。
あと私はあまりリアルタイムでアニメを見るのが得意ではない方の人のだけれど、コレはコレで楽しいな、と思った。制作者のインタビュー探しやすいし、それに対するファンの反応見れたり、各話ごとに視聴者の反応をリアルタイムで知ることも出来てより深く作品を知る機会に恵まれてる。何より楽しい。この感想もそういう色んな人達の発信した悲喜こもごものお陰で書くことが出来たので、日々感謝するばかりだ。ありがとう。
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その2
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その3
ノゲノラスタッフによる作品というキャッチコピーだが、内容的にはいしづかあつこ作品「ハナヤマタ」に近いものを感じる。ハナヤマタが中学生たちの優しい世界とするなら、こっちはもう少し、冒険をするときのワクワク感がある作品。両作とも「ギャグのテンポが良い」「1話毎に話がまとまってる」「女の子がみんなかわいい」「すごく救いがある」と言う共通点がある。特に1話毎の完成度が非常に高く、好きな話を何度も見返したくなる作品だなぁ、と感じた。メインキャスト4人のメンツで既にざわざわしていたのだけれど、なんてことはない、高レベルの喜劇を演じられる実力者揃えたからっていう。
協力:文部科学省、国立極地研究所、海上自衛隊、SHIRASE5002(一財)、WNI気象文化創造センターとあるように、すっごい詳しく取材した上で作られているアニメ。「JKが南極を目指す」という触れ込みは軽くSFチックなんだけど、現実に即した物語と美麗な背景美術で描かれる世界はとてもリアリティがあって、それ目当てだけでも観ていて楽しい。小ネタも満載で、「昭和基地の施設内にある厨房の戸棚に書かれている落書き」まで再現していたりする。そういう世界の中で描かれるキャラクターたちは、監督がメインキャスト4人の演技を「それぞれのキャラクターが本当に生きている」と評したように(公式ラジオ第11回より、水瀬いのり談)すごく活き活きしていて、本当に生きた人間の成長過程を見ているようである。キャラデザも緻密に作られていて、鼻の形にまでちゃんと意味が込められているんじゃないかと思わせるくらいのクオリティに仕上がっている。バカみたいに表情豊かなので、同じ話を何度観ていても飽きない。そんな彼女たちの心の機微が徹頭徹尾とても丁寧に描かれている作品なので、非常に感情移入のハードルが低い。また絶妙な音楽による演出はより作品への没入感を加速させるので、そのうち彼女たちが何気ないことでヘラヘラ笑ってるシーンでさえつられて笑ってしまうくらいシンクロ率が高くなる。もはや音楽に心を委ねているだけで自然と、面白いシーンで笑い、悲しいシーンで泣き、嬉しいシーンで泣けるようになるので、そこら辺に意識を向けながら観てほしい。ただハマりすぎると「むせび泣きながら大爆笑する」という稀有な体験をすることになるけれど。
この作品を観ていて強く感じたのは「何度も見返したい」という点。一つ一つのシナリオが高いクオリティで完結している、というのもあるのだけれど、加えて本作では「4人の成長」が大テーマになっていて、各話には彼女たちの成長を如実に感じられるよう伏線をたくさん張り巡らせてあるので、話が進めば進むほど彼女たちの行動一つ一つに宿る物語を思い出しては強く感動する…という構成になっている。なので、「このシーンでこの子がこういう行動を取ったのって…」と気づく度に過去回を見返したくなるような、非常に完成度の高いエンターテインメント作品だと思う。
(物理)という意味もある。物理的に行くのが困難な場所を目指す物語としてすごく完成された作品だし、「リアリティがあって、かつほんとに行けるか分からないくらいハードルが高くてワクワクするような目的地」というつくり手の戦略はすごくハマってると思う。
一方で心因性の「宇宙よりも遠い場所」ってあるよね、というもう一つの意味も丁寧に描かれている。例えばそれは誰かにとって「メッチャ高い目標」、あるいは「何も変えられない自分から、何かを変えられる自分への転身」、「誰かに依存し続ける自分との決別」、「まだ見ぬ友達のすぐ隣」なのだけれど、大切なのは勇気を持って最初の1歩を踏み出すことだよね、ということを描く物語がこの「宇宙よりも遠い場所」というタイトルに込められていると感じた。私が1~12話全部が好きな理由は、すべての話が「最初の1歩を踏み出す物語」になっているから。ED曲「ここから、ここから」もそれを象徴している。ちなみにED曲タイトルは、作曲者が近所の散歩中に[ここから~]という道路標識を見つけたことが由来らしい(本人ツイッターより: https://twitter.com/higedriver/status/968006184413249536 )。
とにかく笑って泣ける作品なので、イッキ見をすると顔中が痛くなる。普段表情筋を使っていない私のような人は体調に気をつけて観たほうが良いかも。
上記の通り何回も見返したくなる作品なので、私なりに観る順番を決めてみた(数字は話数、その右にある()内は注目するポイント)。少しでも楽しむネタになれば。
4-1(キマリの想い)-2(報瀬、日向、観測隊の想い)-3(ゆづの想い)-
5-[1-2-3-4(キマリ一家)](めぐっちゃんの表情)-5-
7-1(キマリの想い)-3(ゆづの想い)-4(報瀬と隊長)-5(冒頭撮影シーンのつながり)-
8-1(キマリ)-4(4人)-5(4人)-7(4人)-
9-[1-2-3-4(報瀬と隊長)-5-7(報瀬と隊長)](ほんとに南極行けるの?だって南極だよ?)-9-
10-1(報瀬にとっての友達)-3(ゆづにとっての友達)-4(4人の仲)-5(4人の仲、めぐっちゃん)-6(4人の仲、報瀬と日向)-8(4人の仲)-10-
11-2(日向)-3(日向)-4(日向)-5(日向)-6(日向)-7(日向)-8(日向)-9(日向)-10(日向)-11-
12-1(報瀬)-2(報瀬)-3(報瀬)-4(報瀬)-5(報瀬)-6(報瀬)-7(報瀬、隊長)-8(報瀬)-9(報瀬、隊長)-10(報瀬)-11(報瀬)-12-
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私事になるのだけれど、ほぼおんなじことを言われた経験がある。何年か前に高校の同窓会に行ったのだけれど、その中に青年海外協力隊に参加した経験者がいた。元々興味があったのでかなり前のめりに話を聞いていたのだけれど、そんな私を見た彼が「じゃあ、行く?知り合いに話してあげるよ」と言ってくれた。けど私は行かなかった。その場であれやこれやと行けない理由を話した覚えはあるけれど、要はそういうことなんだろう。だからこうして一歩踏み出そうとして出来なかったり、そのくせ踏み出そうとしてる友達を応援してみたり、そんな自分が嫌いなったりしているキマリの姿を丁寧に描く1話は私に刺さりすぎた。
アニメを含むコンテンツに触れているとよく、「スカートで体育座り」というシチュエーションを見る。…けど、私は「そそそそのスカートで座ったらパンツ見えちゃうよ!?」ってなってしまって結構苦手である。最近のアニメ作品では絶対にパンツが見えないような工夫がされていることが多いけど、その多くは「神様視点では見えない(脚でパンツ隠すやつとか)」あるいは「重力を無視したスカート」のどちらかである。どちらの手法でも非常にもやもやしてしまうので、「どうやってスカート履いてる女の子が座る姿を自然に描くか」という表現技法にずっと興味があった。
そこで1話 14:05頃を見て欲しいのだけれど、キマリがスカートの下に手を回してる座り方がすごいかわいい。自然な仕草かつ可愛いだけでなく、キャラクター自身が見られないよう意識している事がわかり、それも含めて可愛い。とてもよく出来ているシーン。
この手法は、監督いしづかあつこが絵コンテを担当した作品「ハナヤマタ」(2014年)の1話 13:40頃でも見られることから、監督のこだわりなのだろう。些細な事だけど、私が監督を好きな理由の一つである(余談だけど、同氏が絵コンテを担当したノゲノラ1話ではワンピースを着た”白”が自室でベターっと座ってパンモロしていて、彼女のだらしなさを簡潔に表現している。座り方一つでキャラクターの性格を描くという点では一貫していてすごく好き)。
色んなアニメで登場する「放課後の学校の音」を比較するのが好きなんだけど、よりもい1話の放課後の音がとても好きなのでぜひ聴いてほしい。男子生徒の会話する声、吹奏楽の音、陸上部あたりのホイッスル等、非常に音が豊か。
15:05頃 「宇宙よりも遠い場所」を読むキマリがかわいい。
めぐっちゃんの「南極に聞いた?」を見た報瀬がムッとした表情になり、キマリの心配に対してつっけんどんに拒絶してしまうという流れから、今まで散々「南極」とからかわれたり、あるいは仲の良い人から諦めるよう説得されてきて、その度に彼女はどんどん強情になっていった報瀬の過去を思わせる。それでもすぐに和解できたことから、いかに二人が1~2話の間に信頼関係を築けたかが分かる。また、二人が言い合った場所が敢えて交差点であることも強い印象を残していて(作品を通して交差点が登場するのはこの時のみ)、非常に好きなシーン。
目まぐるしく変わるシーンの背景がいちいちハイクオリティ。その中を複数のキャラが、文字通り縦横無尽に走り回る本作で最も激しいアクションシーン。コマ送りで見ると楽しい。アニメ作品において、キャラが奥→手前のように奥行きのある移動をする際、作画が安定してるって結構すごいことだと思う。
奥→手前
右→左
奥→右と左に分かれる
奥→手前
右→左
手前→奥
奥→手前
手前→奥
右→左
奥→手前→右
右→左 …みたいな。3人が歌舞伎町に来るまでは夜道=街灯もない真っ暗な道という描写だったけれど、このシーンでは対照的に明るい歩道、きらびやかなネオン、往来する人なんかが強調されてて、キマリの心象風景が可視化されてるみたいで好き。
加えて疾走感の演出がすごく良い。キマリは最初、すっげー速い隊員と日向に比べてヘナチョコ走りなんだけど、挿入歌の盛り上がりに合わせてどんどんフォームが良くなっていく。たった一人だけ笑顔で走ってるキマリの高揚感がすごく伝わってきて、胸がいっぱいになる。
1話の100万円…報瀬の並々ならぬ覚悟を象徴する舞台装置、またそれに応えるキマリの覚悟の大きさ
2話の100万円…スポンサー料として提示した金額。ハッキリ言ってゼロが足りない。その申し出を断ったかなえからは、大人組が報瀬の「絶対に南極へ行くという想い」を超えるくらい強い意志を感じさせる。
だからこそ、追い返された帰りの電車内で報瀬がちっとも折れずに「こいつ、ポジティブちゃんだ・・・」ってなるやりとりが非常に効果的な演出になっていて好き。
これ以降も重要な舞台装置になっていて、ただの札束をここまで丁寧に描く作品ってすごいと思う。
17:40頃 「私の青春、動いてる気がする!」のキマリがかわいい。
特に2~3話は「さもありなん」と思わせるシナリオになっていて、非常に面白い。この作品にリアリティを感じた人はよりもい公式ページの「南極チャレンジ」や、観測隊の日記等を見て幸せになってほしい。
報瀬家ではリーダーを解任された報瀬が不満を漏らすのだけれど、お茶を出しているところを見て「お茶くみに格下げか」と気づいた人はどれくらいいるだろうか。また、後ろにそっとおいてある南極観測船「宗谷」にも気づいた人って最低でも30代だと思うのだけれど、そこらへんがこの作品のターゲットなのかもしれない、と思った。私もアラサーだし。
同じく報瀬家でのやりとりにおける報瀬(CV.花澤香菜)の演技が抜きん出て面白い。本当に素晴らしいキャスティング&ディレクション&演技だと思う。
「変な夢…」→夢と違い、殆ど開かない窓→スマホを見て目を細める結月→バッジのないSNSアプリ(前日送ったチャットの返信がない)→退出しましたx2→後ろ姿→\コンコン/→一瞬窓を見る→\コンコン/→「おはよー!」
この間セリフがないのに、それでも結月の心の浮き沈みが痛いほどわかる演出がすごい。本作の特徴である、丁寧な心理描写や伏線の貼り方を象徴しているシーン。
07:20頃 こんな事もあろうかと用意しておいた”二人羽織”(書・キマリ)の、”二人羽”に比べて小さい”織”
高校生が主人公のアニメや漫画では学力をテーマにした回が定番だけれど、この作品ではキマリ家での悲劇が描かれるのみ。なぜかといえば、4人のうちちゃんと学校に通っているのが2人だけだから。加えてゆづは通っている学校と学年も違うので、学力テストをテーマにしにくい。てかそもそも女子高生を描くアニメで学校に通っていない子をメインにするという発想に惚れた。でも4人のスペックについてはうまく描かれていて、
キマリ…部屋の片付けが苦手、一つでも赤点取ったら南極に行けない、コンパサー→基本はできない子
報瀬…キマリに説教する日向に同意する、慎重に測量の訓練をする→できる子?
ゆづき…学校に行けない分ファミレスで自習、数学のノート(図形の作画が非常に丁寧、字が綺麗)→できる子
南極での作業フェーズではそれぞれがいろんな作業をするので、できる子なのかできない子なのか分かるっていうのはそれなりに意味があるんだけど、それを「勉強の出来不出来を数字で表す」という無意味な評価軸に頼らない演出にしてて好き。
「ここじゃないどこかへ」というモチベーションでここまで報瀬に付いてきたキマリ。それだけでもすごいのに、そのうえ報瀬の想いや大人組の想いを知った上で「みんなで行きたい!」と言ったキマリの鋼メンタルが描かれている。報瀬たちと同等の覚悟がないとこんなこと言えないはずで、物語の縦軸を担う報瀬ではなくキマリが主人公であることを再認識した大好きなシーン。
16:35頃