はてなキーワード: 必然とは
バンドリ、正確にはBang Dream!プロジェクトは、ガールズバンドを題材にブシロードが展開するメディアミックスコンテンツだ。
とこのあたりはチャキチャキ行きたいのであとは各自調べてください。
スマホゲーを中核にしつつ、アニメ化とか音楽とかいろいろあるわけだが、一番のキモはリアルバンドということになると思われる。
文字通りというか何というか、リアルのバンドである。キャラクターを担当する声優さんたちが楽器を練習してバンドを組んでライブをするという、そういう感じだ。
この流れの中で、昨年リアルバンドの活動開始とともにテレビアニメシリーズ『Bang Dream! It's MyGO!!!!!』が放映されたのがMyGO!!!!!(以下マイゴ)というバンドである。
『It's MyGO』については、もう全員見ているであろうから話の大筋は割愛する。平たく言えば「気まずい『けいおん!』」である。
ともかく、今にして思えばこのテレビシリーズが始まりだった。バンドリのアニメシリーズ自体は以前にも3シーズンばかり放送されており、目を通してはいた。が、ハマるということはなかった。「ふーん、いいじゃん。」と渋谷凛程度のテンションで受け流していた。
ところが今度の『It's MyGO』は違った。端的に言えば、わかる。これに尽きる。劇中で次から次へと起こるいざこざは、バンド経験者であれば、馴染み深いとまでは言わなくとも身に覚えのあることばかりだ。そもそもバンドマンなんて人格に問題を抱えた人間の方が多い。それが群れてひとつの目的に向かおうというのだから、揉めるこじれるは必然と言える。現実には、結束バンドや放課後ティータイムのように円満な関係のバンドのほうが珍しいはずだ。
そして何より、バンドは終わる。99.9%のバンドは、とくに売れることもなく、ライブを成功させる(何を成功とするかは難しいが)こともなく終わる。マイゴだって一度は最悪の形で終わりを迎える。だがそこからだ。大きく話題になった10話のライブ回。「終わったバンド」の先を描くファンタジー。泣いた。泣き散らかした。なんというか、過去の私が救われたような思いがしたのだ。『ラ・ラ・ランド』のクライマックスのようだった。
youtubeのマイゴチャンネルで情報をチェックするようになった。新規楽曲のMVがチャンネル上で公開されていたのがきっかけである。アニメ終わったのに新曲出るんだ、と思ったのを憶えている。
そうやって過去楽曲のMVまで漁っているうちに、画面端に目が留まった。
話が逸れるようだが、ここでインターネットのコツについて書く。youtubeの関連動画を見るな。というのがそれである。猫動画を見ていたら関連動画にハムスターの共食い動画が現れたことがあった。関連動画を見ていいことなんてひとつもないのである。私が数ヶ月前の自分に何かアドバイスできるなら、youtubeの関連動画を見るな、と必ず言うだろう。
同じバンドリプロジェクトの別バンドの、リアルライブ映像だった。RAISE A SUILEN。以下、RAS。
音楽的には全く好みでなかった。マイゴがクリーンヒットするくらいだから、私が好きなのは直球のギターロックなのである。アジカンとかイースタンユースとかアンディモリとか、そういうバンドなのである。
RASの音楽は、好みと全く違った。が、好みでないがゆえに、俯瞰で分析的に見られた。そして思った。演奏力、ヤバい。
特にドラム。全員巧いが、特にドラム。叩くマスキング役夏芽氏のドラムは、完全にパワータイプである。ビスケット・オリバとか花山薫とか好きな人なら多分好きである。四つ打ちのシンプルなリズムに我慢ならんとばかりに無限にフィルが入ってくる。打点がよほどいいところを抜いているのか、バンドとしては重心低めの音像にも関わらず、ドラムの音が小気味いいほど抜けてくる。かつ重さもある。そして常に笑顔。普通あんなドラムを叩いていれば虚無顔か仁王顔になってしまうと思うのだが、めちゃくちゃ抜けのいい笑顔で叩いている。怖い。あと髪型がかっこいい。東京リベンジャーズに出てきそうな髪型である。怖い。
しばらくはRASにハマり、ブックオフオンラインでアルバムを買った。当然、特典ブルーレイ付の初回盤である。
ここで、バンドリシリーズのCDの特殊な形態について少し説明しておく必要がある。CDには、たいてい【通常盤】とブルーレイ付の【初回盤】が存在している。なんだ普通じゃんと思われるかもしれないが、特殊なのは、このブルーレイの方が「本体」であるという点だ。ブルーレイには、基本的にバンドのライブ公演が一公演まるごと収録されている。そのブルーレイの分、通常盤と初回盤の間には価格差がある。たとえば、シングル盤だとCDのみの通常盤では1,760円(税込)。これに対してブルーレイ付の初回盤は7,810円(税込)である。これがアルバムになると、付属のブルーレイは二公演ぶん二枚となり、価格は通常盤3,520円(税込)に対して初回盤11,000円(税込)となる。この価格差が、ブルーレイが「本体」であると書く理由である。
MyGOのアルバムを購入した時点では、ブルーレイが本体であるということを見抜けていなかったため、私は通常盤を購入してしまっている。今では、中古盤を漁る際でも、必ず初回盤を狙うようにしている。
それはさておきRASである。付属のライブ盤ブルーレイ二枚を鑑賞して、参ってしまった。ドラム、音源よりライブのほうが三十倍かっこいいではないか。
といったところで、脱線に脱線を重ねることにはなるが、バンドリとプロメンバー、ということについて少し書く。
バンドリにおいてキャラクターを演じる声優さんが演奏するのがリアルバンドであると先に書いた。掘り下げると、このあたりは少し込み入った事情がある。RASについていえば、はじめはバンドリプロジェクトの専属バックバンドとして組まれたものであり、ドラム、ベース、ギターというバンドの核を成すパートを受け持つメンバーはもともとスタジオミュージシャンとして活躍されていたようである。いわば演奏のプロ。演奏がうまいのは当たり前と言ったら失礼になるが、むべなるかな、である。
このあたりの事情について、もうひとつ、注目すべきことがある。こうした、スタジオミュージシャン出身のメンバーも、自身の担当パートのキャラクターに声をあてるのである。私としては、ここのところをとても面白いと感じている。彼女らは演奏のプロであるが、声優としては(はじめの時点では)アマチュアである。翻って、本業声優のメンバーについて考えると、彼女らは声優のプロであるが、演奏についてはアマチュアである。この交差が面白い。声優メンバーの演奏技術の向上と、ミュージシャンのメンバーの演技力の向上。後者についてはスマホゲームやアニメシリーズでよく確認することができる。再三触れているRASの夏芽氏などは、もはやキャラクターとしても堂に入ったものである。
RASのライブ映像にどっぷりと浸かった私は、気付けば他のバンドのライブ映像もアーカイブを掘って追うようになっていた。
見ていて、面白いことに気づく。バンドリのリアルバンドでは、技術的な要点はリズム体に置かれているということである。
一応のシリーズの顔であるPoppin Partyで全体の演奏をリードするのはバンドマン上がりのベーシスト・西本氏である。ベースをかなり低めに構えた独特のフォームで激しいパフォーマンスを披露して客席を強烈に煽る姿は、演じるキャラクターとのギャップに少し笑ってしまう。
Poppin Partyと対になるRoseliaでその役を担うのはドラムの櫻川氏だ。ツーバスを主軸にした手数の多いド派手なスタイルで、バンド全体を牽引する。最初見て「この人もスタジオミュージシャン出身なのかな」と思っていたら普通に声優さんだったので、少し引いた。
バンドというものは、リズム体さえしっかりしていればそれなりに聴けるものになる。そういう点を押さえた上で、どのバンドにおいてもリズム体には力を入れるディレクションを行っているのではないだろうか。
という流れで、もっとも後に触れたリアルバンド、Morfonica(以下モニカ)の話をする。
モニカについては、番外編除くアニメシリーズには未登場だったのもあり、ここに至るまで知らずにいたバンドであった。
ライブ映像をまず見ての感想は、なんだかちぐはぐなバンド、である。
特徴となるバイオリン。バイオリンについては恥ずかしながら知識がなく、技術的なことの細部については分からない。ただ、だからこそ、バイオリニストAyasa氏が凄まじく巧い、ということは分かる。いや、モニカのライブ映像を見れば、誰もがそう思うはずである。どんな素人でも分かる凄さである。それぐらいに並外れている。パート的にはリードギターの役割を担い聴かせる激しい演奏は、間違いなくこのバンドの華であろう。ミラ・ジョボヴィッチか?と言いたくなるようなビジュアルも含め、強烈な引きを持ったスタープレイヤーである。
それにドラム。叩くmika氏は夏芽氏とは別ベクトルの超絶ドラマーである。繊細でテクニカルなタイプで、刃牙では烈海王が好きだという人などは恐らくピンとくる音なのではないだろうか。mika氏のプレイにあって、ことにスネアにおけるニュアンス付けは卓抜している。スネアロールの中でのアクセントの位置付け、クレッシェンド、タッチは自在であり、音だけ聴けば口径も材質も違うスネアが四つも五つも並んでいるのかと錯覚するほどである。スタンダードなスクエアなリズムの中に三連系や五連符のフィルをさりげなく滑り込ませるようなプレイも多く、いわゆる「うたう」タイプのドラムとして実に聴きどころが多い。
やはりというか、この二名はもともとプロのミュージシャンであったようだ。演奏は彼女らが引っ張っていく形になるが、ライブ映像の印象は、ギター・ボーカル・ベースはそこに必死についていっているというものだった。演奏がよれたり躓いたりするのを見て失礼ながら「本当に演奏しているんだなあ」と改めて感じた、とそんなような演奏である。
プロジェクト内の他バンドに比べてやけにこなれていないこのバンドに、なぜだか興味が湧いた。
youtubeのバンドリチャンネルを掘っていて見つけたのが、モニカの活動初期ドキュメンタリーシリーズ、「Morfonical」である。バンドの結成から練習、はじめてのイベント出演、単独ライブまでを追う。これが順風満帆とはいかないスタートである。初ライブではライブの開始時にイヤモニにトラブル。ギター直田氏は自らの音が聴こえない状態で一曲目を演奏していたようである。これは目隠しをして絵を描かされるに等しい。演奏に慣れない中、いきなりの大舞台でそれなのだから、恐ろしすぎる。トラウマになってもおかしくない。そんなこともあって、この初ライブはメンバーにとって悔いの残るものになったようだ。ことに悔し涙を流すベース西尾氏と、「自分が全体を見る立場なのにメンバーの不安に気づいてやれなかった」と語るmika氏が印象に残った。それを経ての猛練習と、続く単独ライブ。そこにはドラマがあった。そうした物語込みで見ながら、モニカに対する印象は変わっていった。当時、ギター直田氏とベース西尾氏は「モニラジ」としてyoutube内ラジオを放送しており、これのライブ前後の回、及びにAyasa氏とmika氏のゲスト回にて、ライブにかかる心境を詳しく語っている。
この頃、私はバンドリプロジェクトの中心となるスマホゲーム『ガールズバンドパーティ』にも手を出し始めていた。マイゴのストーリーイベントが公開され、アニメシリーズの先の物語が語られ始めたためである。このゲーム内ではモニカのストーリーも詳しく語られることになるのだが、これを語り始めるとまた際限なくなってしまうので、詳しくは触れない。ただ感じたのは、モニカのストーリーは、バンドリにおける特殊な物語構造──キャラクターたちの物語とリアルバンドの物語の交差──を強く推し進めたものだということである。ミュージシャン組であるAyasa氏とmika氏のキャラクターを演じるという意味での成長、声優組である進藤氏、直田氏、西尾氏のミュージシャンとしての成長、これが交差してモニカという存在の強度を増していく──そういう物語である。少なくとも私にはそのように感じられた。
『エンターテインメントを止めない!~バンドリ! コロナ禍の軌跡~』という特番をyoutube内バンドリチャンネルにて全編視聴することができる。
特に2021年から22年にかけては、ライブの規模縮小、イベントのキャンセルなどかなり活動を制限されたようである。
最近になって、コロナ禍を経ての直近のライブ映像が幾つかアップされている。その中でモニカの最新のライブも見ることができた。
実によくまとまった演奏であった。声優組のパフォーマンスは見違えて堂々とし、演奏ミスもほとんどない。ミュージシャン組のふたりの音もより自由にのびのびと奏でられていた。
そこまでにあった物語を思って、すこし涙した。
CD初回盤付属のライブ映像もそれなりの数を見てしまって、あとは実際に見るしかないかなと思い始めている。
場の雰囲気を思うと、怖くもあるが、なんだか楽しみでもある。
メインセッション
「東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの
https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782
(約3600文字)
青木理氏:
中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。
桐島聡「さん」
田原牧氏:
(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。
私は急に森田童子を思い出した。
荻上チキ氏:
「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師」主題歌)の。
田:
もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。
荻:
田:
「戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス。
60年代学生運動は日本の戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。
田:
60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。
運動も竹竿→ゲバ棒→火炎瓶→爆弾となり、'71には三里塚の東峰十字路事件で警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。
荻:
田:
(男子の大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)
田:
東大全共闘のリーダーの山本義隆氏が、闘っているに自分たちの特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。
田:
60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国の責任は問われなかった。
田:
入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本の新左翼党派は頭を下げた。
田:
この自己否定の流れと「戦線」自体のアナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。
荻:
今振り返った時代の前半、大学自治や学費問題から階級闘争、安保闘争、反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。
青:
戦後の一時期共産党は武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争を放棄した。同時期にソ連でスターリン批判が起きた。
共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派、革マル派、赤軍派などの母体となる。
全共闘は当初セクト(党派)ではなかったが最終的に合体していく。
青:
学生たちはベトナム、日米安保、三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件の鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。
このあとよど号、大菩薩峠、連合赤軍などの事件がおき、さらに爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線」活動もこのころ。
田:
「戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。
青:
「狼煙を見よ」や「腹腹時計」から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。
荻:
60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配の反省中で農村コミュニティや市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織は反省と攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。
青:
「戦線」の事件を肯定はしないが、アイヌ、在日コリアン、沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。
また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。
荻:
田:
また時代の流れが、新左翼を国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たちも武装する、という意識が強かった。
昭和天皇暗殺未遂、朴正煕暗殺未遂の文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識、暴力で時代を切り開く意識があったのではないか。
青:
松下竜一「狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂でしょんぼりしていたときに同世代の文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。
お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道寺将司は痛切に反省をした。
荻:
今の若い人からすると左翼=マルクス主義だというイメージが強い。
新左翼とマルクス主義の距離、「旧左翼」とマルクス主義の距離、「戦線」の立ち位置はどうか?
田:
新左翼の各党派はマルクス主義に基づく綱領や路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクスは時代的に当然読むが、全共闘の学生たちと同様に倫理感から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに、水俣や山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。
荻:
分かりやすいイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが
田:
「戦線」は革命ではなく落とし前。国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方の問題。ある意味ものすごくピュアな人たち。
(CMと前半の振り返り)
荻:
この半世紀どうか。
青:
ドイツは戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島が南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカの基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。
荻:
青:
皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。
青:
新左翼各セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊のリーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺を評価している。こういう流れが新右翼のムーブメントを生んだ。
リスナー:
田:
将来構想はなかった。個々人の落とし前。三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理は日本国家の転覆まで。
太田竜という、世界革命、世界赤軍を唱えたイデオローグ(理論的指導者)は、第三世界の革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。
荻:
青:
ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争や内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代の必然。
今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。
荻:
そして、マルクス主義はなくなっても、性教育や性的マイノリティの権利保護や選択的夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。
青:
妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論家から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本の左派というかリベラルへの大きなダメージ、マイナス面になっていると思う。共産党や左翼へのアレルギー。ヨーロッパでは緑の党や旧共産党が政治ムーブメントを作っているのに。
荻:
「理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズムの空気のようなものは残ったかもしれない。
田:
今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代の河野談話、村山談話につながっていると思う。
荻:
振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。
ドラマは原作とは違う層に向けたものなのだから、ある程度の改変は必要と。
でも原作を改変され約束を反故にされ、当人に訴えても聞き入れられなかった被害者が世間に「約束を反故にされた。原作者であり自分の作品ではあるが本意の形ではない」と声を上げ
ファンや視聴者、TVを見る潜在顧客(番組を成り立たせるテレビCMを打つスポンサーの潜在顧客)が「それはおかしい」「いじめを見ているようで不快である」「弱いものが守られる社会であるべき」と意思表明することは自由ではないか?
大きな騒ぎにしたのは外野、騒ぎすぎ、というが、TVが成り立っているのはスポンサーがあるからであり、スポンサーはCMを打ってテレビの前の顧客に商品を買わせることで益を得ているわけだ。
ならば出資者が問題視するように「弱いものが守られる作品でなければCMも番組も見ない」「弱いものいじめするキャストや作家を使わないで欲しい」と表明するのは正しい抗議ではないか。
原作者さんは誰にも守られなかったからもう声すら上げられないのに、追い詰めた発端を作った人々は守られて「環境から変えるべき、誰かを非難すべきではない」と言われるのか?
その集合体の中で強い権力を持つ個体の認識が偏って、誤っていればこのような事態が起きるのは必然ではないか?
◆
誹謗中傷(「殺人鬼」と呼んでみたり「お前が殺した」と責めること)は良くないが、過ちを過ちだと問題にすること(本人に向けてではなく本件の問題点をつぶやくことやSNSのトレンドにして社会問題にすること、スポンサー、業界に伝わるように抗議すること)は過ちではないのではないか。
誰をも責めてはならないと言う話になってしまえば、力の弱いものは抗議する力を持てない。
ストだって誰かの不便を強いたり、誰かを傷つける。交通のストのせいで死に目に会えず人生が変わる人もいるかもしれない。でも誰かを傷つけるならやらないべきだと言うのか?そうじゃないと思う。
難しい境界線だが過ちに口をつぐんで、定義もできてない「環境」のせいだ「業界」のせいだと、対象をふんわり濁してしまうのは良くないのではないか?
ここ最近ずっとモヤモヤしてるので、陰謀論に深くはまり込んだ友人のことを書かせて欲しい。
その人のことは仮にAさんと呼ぶ(以後、"彼・彼女"と書くべきところを全てAさんで統一します)。
7, 8年くらい前にひょんなことから知り合って、よく遊んでた友人がいる。ノリがよく、冗談などで周りを盛り上げる、陽気で楽しいひとだった。
しばらく一緒に出かけたりして頻繁に遊んでいたのだが、何となく「Aさんのことが苦手かも」と気づいたこともあり、いつしか疎遠になった。
別に絶交したわけでもないし、そこは現代人の付き合いあるあるで、疎遠になったAさんともSNSではなんとなく繋がったままだった。
あまりSNSを熱心に使うタイプではない私は、ここ最近はAさんのことはすっかり忘れて、ごく普通な日常を過ごしていた。
そんなある日、半年ぶりにSNSを開いてみたところ、Aさんからグループの誘いが来ていることに気づいた。
最初は、「久しぶりの連絡で陰謀論か。何年経っても冗談を言うキャラは変わってないんだな」と思った。
グループの参加者を見てみると、当時よく遊んでいた仲間たちのアイコンや名前が並ぶ。そしてそのグループは、参加しないと投稿が閲覧できないプライベートな設定になっていた。
「仲が良かった界隈でまた集まるために作った、同窓会的なグループなのかな?」と思い、ひとまずグループに参加してみてみることにした。
参加してみて、驚いた。
そこにはパーティーの候補日を知らせる投稿や、当時を懐かしむようなやり取りは1つもなかった。
ただただ、Aさんがさまざまな陰謀論を説く投稿。そして、陰謀論に関する記事や動画へのリンクがびっしり並んでいたのだ。
ガチの陰謀論グループだということを知った瞬間、私はそのグループを抜けた。参加していた期間は、およそ2, 3分もなかったと思う。
人は、あまりに予想外の状況に直面すると、例えそれが命にかかわるようなことでなくとも、心拍数が130を超えるらしい。いらん知識が一つ増えたなと思いながら、Apple Watchからの警告の通知をオフにした。
しばらくしてみてみると、グループの参加者欄に並んでいた共通の知人は、知らない人たちのアイコンに置き換わっていった。私のように、騙されて?参加した人が多かったらしい。
遊んでいた当時のAさんに、陰謀論の陰は感じたことはなかった。
「さすがに何かの間違いだろう」と思い、SNSでAさんのページを開いてみると、そこに並ぶのもやはり陰謀論の数々。
地球平面説や、反ワクチン(SNSで投稿できないからなのか、伏せ字を使っていた)やら、フリーメイソンやらの陰謀論の投稿。
ピザがプリントされたシャツを着ている人が痙攣してる動画をシェアして、「ほらな!」みたいな反応をしてたりして。
私には、何が「ほらな!」なのか全然わからなかった。が、Aさんが昔とは変わってしまったことだけは分かった。
あれほど友人が多く、明るくコミュにケーションが上手だったAさん。
しかし、伝え聞く話では、今やAさんは友人間で「やばい奴」認定され、関わる人はほとんどいなくなったらしい。
SNSの投稿も、ひたすら自分の見ている狭い世界から、外側に対してのヒステリックな罵詈雑言だらけになっていた。
ここまでは(普通ではないにしろ)、ある意味定型的な陰謀論にハマった人間の観察日記だと思う。
Aさんは、その遥か先をいっていた。
SNSのページをスクロールしていくと、Aさんは自身が関わっているセミナーや、著書の宣伝をしていた。
セミナー…?著書…?
悪い予感を覚えつつ詳細をクリックしてみると、当然のように陰謀論についてのセミナーであり、陰謀論についての著作だった。
思えば、昔から行動力があったAさん。その特性・個性をあらぬ方向に伸ばしてしまったようだった。
リプライには大絶賛が並び、SNSを見てもどうやらAさんはその界隈では名うての論客の一人みたいな扱いをされているようだった。
Aさんは、着実にステップアップし、陰謀論的キャリア形成において謎の成功を収めはじめているようだった。
そんなAさんは、今日もSNSに「常識を疑え!あなたたちは洗脳されている!」みたいな投稿をしている。
Aさんはそこそこ辛い過去を経験したらしく、単なる冗談好きで気さくな人間ではなく、なんとなく陰を感じさせるところもあった。
そして振り返ってみると、Aさんには素質があった。学歴や社会的な立ち位置など、類型化された陰謀論者の特徴をかなり備えていて、今ならAさんが陰謀論者になるのは必然とさえ思える。
私からみたAさんは、こんな人だった。
思い込みが激しくて頑固だったせいで、陰謀論にハマる過程で忠告してくれる友人に耳を傾けることはなかったのだろう。
近しい人をコントロールしたがることは、当時友人の間でも知られていた。それはAさんの家族に限らず、友人にも及ぶことがあった。
自分の意見を疑うことは決してなく、非常に独善的で、客観性の対義語のようなひとだった。
これは私がAさんのことを苦手だと意識し始めたきっかけでもある。Aさんと仲良くしていた当時、私は進学のために猛勉強していた。
ある日、Aさんと私の専門分野に関するトピックの話になった。
とある出来事に対しての私のコメントが、Aさんの考え方とは違ったのか、「あなたはそんなことも知らないのか、私にはわかる。あなたの言ってることは間違っている」みたいなことを、みんなの前で結構強めに主張されたことがあった。
私は議論がしたいわけでも、論破をしたいわけでもなかったし、何より驚いてしまって何も反応できず、2,3言ぶつぶつ言っただけで、折れた。
素人目にもAさんは明らかに間違っていたのだが、Aさんは最後まで譲らなかった。
Aさんのことを考えるにつけ、こういった性格の人が、片足を突っ込み始めたらどうすればいいのだろうと悩む。
私自身Aさんには何の未練もないのだが、AさんのSNSを見るたびに、言いようのない無力感に襲われそうになる。「これがもっと近しい人間だったらどうすればいいだろう」と考えてしまう。
大切な人にはこまめにコンタクトをとり、様子がおかしいかを確認するしかないのだろうか。
じゃあ実際に様子がおかしかったら…?
「収益を最大化しようと企んだ」
このあたり全部自分にとって都合の良い悪を設定してるだけだと気が付かないのかなあ
すると、この場合は「約束を破って大幅改編した」ところと「脚本家がインスタで一方的に原作者を攻撃した」のどちらかになるはず。これは必然じゃ無くて不作為または悪意が無いとできないから。
「悪意」って…
こいつもそうだけど、
原因を考えて行くときに、なぜ都合の良い所で止めるんだ?
なぜなぜ分析は最終的にマクロの問題になっていくので、どこかで今回の事象特有の話に入っていく。
すると、この場合は「約束を破って大幅改編した」ところと「脚本家がインスタで一方的に原作者を攻撃した」のどちらかになるはず。これは必然じゃ無くて不作為または悪意が無いとできないから。
これを不自然なところで気って都合のいい自説につなげるのやめろ。
これは今から10年くらい前、私がまだうら若き女子中学生だった頃の話。
当時私はとあるオンラインゲームにハマっていた。そこそこやり込んでいて、同じゲームをプレイしていた同年代の中では一番強い自信があった。もっとも、同年代のプレイヤーは少なかったが。
話は変わるが、そのゲームではいわゆる「相方」関係(恋人同士のようによく一緒に行動するような関係)を持っているプレイヤーが多かった。ゲーム側で規定された結婚システムのようなものは存在しなかったが、主にTwitterのプロフィールなどに相方を記載することでアピールされていた。
姫は私と同い年だったが、私よりずっと弱く、私よりもわがままで子供っぽい印象を受ける人だった。いつもTwitterでメンヘラツイートをして、そしてよく人に迷惑をかけていた。
一方騎士は当時大学生で、私と同じくらい強く、また聡明で、若干思想が左寄りではあるが、学があるように見えた。
私は姫のことが一方的に嫌いだった。そして、同い年のみっともない姫が、こんなにもしっかりとした騎士と一緒にいるのが、何故だかどうしても許せなかった。
今でこそ稚拙に見えるかもしれないが、当時の私はただの女子中学生にしては、男性と仲良くなるのが上手かった。
まず騎士がどういった人間で、どういったことに興味を持つのか分析してみた。
騎士は頭は良いが、その頭の良さを鼻にかけ他者を少し見下している傾向があり、ゲーム内で定期的に行われるユーザー主催のイベント、特に頭を使うようなクイズ大会や人狼ゲームイベントなどに興味を持つことがわかった。そしてイベント終了後に「あれはああした方がいい」「あの内容は間違っているのではないか」とイベント内容に苦言を呈すツイートをしている様子が見受けられた。
ある日行われたユーザー主催のクイズ大会イベントに、私は彼が来ると確信して、見学に向かった。
会場は人が多く、見学席にはたくさんのアバターが重なっていたが、その中に騎士と、その隣に座る姫の姿を見つけた。
その日のクイズの問題はゲームに関する内容が多く、真偽がまだ議論されている段階の問題もいくつか出されていた。
ゲーム内のダメージ計算について、問題の答えと主催者の解説が間違っているのを見た時、神は私に味方していると思った。騎士が一言、内容に苦言を呈すチャットを打ったのだ。
私は騎士を擁護しつつ、話を終わらせるような全体チャットを打ったのち、個人間の秘匿チャットで「話を遮ってしまってごめんなさい」「私も間違っていると思いましたが、あまり主催の方を刺激してはいけないと思い……」「にしても今回のクイズ大会、内容やばいですねw」とフォローを入れる形で接触を図ってみた。
結果は大成功であった。秘匿チャットでの会話は大盛り上がり、騎士は初対面の私に心を開いてウキウキと主催者ディスを繰り広げ、こんなにも話が合う人がいるなんて!とフレンド申請まで送られてきた。
そこからは早かった。
騎士は「このゲームで話していてこんなに楽しい人と会ったことがない」と、私と嬉しそうにチャットをするようになった。
強さが近かったこともあり、一緒にパーティーを組んでコンテンツに挑戦することもあった。
ユーザー主催イベントがあれば一緒に見学に行き、パーティーチャットでイベント内容について議論し、笑い合った。
その間、姫は放置されていた。
信用を得るために、普段は年齢も性別も隠してプレイしていたが、騎士にだけこっそり打ち明けた。騎士は最初私の年齢に驚き、その後「こんなに落ち着いた中学生もいるんだね」と感心していた。
姫と比較されていることは目に見えていて、私は歪んだ喜びを感じていた。
騎士はその言動から注目を集めることが多かったため、「私は注目されるのが苦手で……」と最初に伝えたところ、私と一緒に行動していることはTwitterには書かず、他のフレンドとの会話でも内緒にしてくれていた。おかげで、姫が私のことを認識することもなく、ただただ姫と騎士の距離が離れていくだけであった。
彼の人間性はともかく、「ネトゲの騎士」としての立ち回りは完璧だった。「あの日クイズ大会に行ってよかった、おかげで君に会えた」と口説かれた時には、姫を陥れるために関わっているとはいえ、年相応に照れてしまったものだ。
そして同時に、こんなに完璧な騎士をあのわがままで幼稚な姫の元に返してはいけないと、強く思うようになった。
それから少し経って、騎士のTwitterのプロフィール欄から相方の記載が消え、姫がTwitterで大暴れしている様子が見られた。
相方関係を解消したことは明白だったが、姫のツイート内容を見る限り、私の存在はバレていないようだった。
完全勝利だと思った。あとはいいタイミングで騎士を切り離せば何事もなく終わると思っていた。
数週間後、騎士は毎日ログインしていたゲームに突然ログインしなくなり、Twitterの書き込みも途絶えた。
ほぼ同時期、毎日荒れ狂ったツイートをしていた姫が、急に普段の様子に戻った。
騎士がログインしなくなって2日ほど経った頃だろうか。テレビの報道番組で、児童ポルノ所持だかなんだかの罪で、騎士と同じ県に住む騎士と同じ年齢の男子大学生が逮捕されたというニュースを見た。逮捕されたのは、ちょうど騎士がログインしなくなったその日であった。
騎士のログインが途絶えたこと。姫の様子が変わったこと。児童ポルノで逮捕された大学生のニュース。これらを結びつけずにいられるほど、私の勘は悪くなかった。
もし、姫と騎士の関係がゲーム内だけのものではなく、リアルでも会っているような仲だったら。そこで何かが行われていたとしたら。相方関係を解消されて怒り狂った姫が、それを公にしたのなら。
私は頭が真っ白になった。私が姫を陥れるために、騎士を奪わなければ、一人の青年の未来は守られていたのだろうか。私が関わったことで、彼の人生の全てが狂ってしまったのか。
怖くなった私は姫や騎士のTwitterを見るのをやめ、その逮捕についても調べることをやめた。
そして数年後、私はそのゲームをやめた。
あれから約10年、当時の騎士より少しだけ年上になった私は、当時のことをこう思う。
人間は暑すぎても寒すぎても生きられないけど、実は暑さには強い生き物らしい。問題は寒さの方で、古今東西、貧乏人は飢えと寒さで死ぬのがお約束。でもこの2つは実は同根の話で、人間って寒いと体温を維持するためにエネルギー使うので、その分お腹が空く。なので飢えやすくもなる。
日本海側の冬は、アルプスの壁で跳ね返ってきた寒気と雲が溜まって、いつだって大きな雲で覆われたどんよりした銀色の空を眺めながら、その上で寒さに耐えてる。太陽のエネルギーが来ないっていうのは、それだけ鬱状態にもなりやすいって事だ。
子供の頃から生まれ育った俺はこれが普通だと思ってたが、最近はもう、この寒さと陰鬱さに耐えられそうにない。これは例の地震のせいで、気疲れしてるからなんだろう。どれだけ暖房を炊いても厚着しても一向に体が温まらない。どれだけ飯を食べても気が休まらない。「不幸はひもじい・寒い・死にたいの順番でやってくる」と言った婆さんがいるらしいが、俺は「寒い・ひもじい・死にたい」が正しい順番だろうと思う。
そもそも、日本海側という土地自体が、本来は人間が住むのに適した土地ではない。じゃあ、誰が住むようになったのかと言えば、落ち武者や貧乏人のようないわゆる負け犬が、人の住むような場所ではない不毛の地に、半ば押し込められるようにやむを得ず住み着いたのだろう。
日本海側の寒さや陰鬱さは、本当に人を殺すほどの危険性を持つ。そんな土地に好き好んで住み続けるのは、馬鹿と貧乏人ぐらいだろう。だが、そうした不都合な真実を大々的に教えると、日本海側の人間が反発するから、東京の政治家は民衆が目を覚まさないように、臭い物には蓋をしておくのだろう。
こんな不毛で危険な土地など衰退するのは当たり前なんです。愛着を持てなどという方がどうかしてる。他県の連中は「冬の厳しい寒さに耐えながら、人と人との暖かい絆を育んで…」とか好き勝手な綺麗事を言うが、好きで耐えてんじゃねーからこっちは。
俺はこんな危険な土地に愛着もクソもないし、国力が落ちようが、移民が住み着こうが、都会の連中の暇潰しの種が減ろうが知ったこっちゃない。いくら都会の人間が「地方の人口流出が〜」とか喚こうが、そんなに言うならお前らが住めよとしか思わん。
昔ならともかく、現代は世界中が同じ条件で働く資本主義の時代だ。じゃあどうなるか?日本海側と太平洋側が同じ条件で戦ったら、冬の寒さってハンデがある日本海側は、太平洋側に勝つのは不可能だ。
いや、一つだけ考えられるのは「中国やロシアとの貿易で稼ぐ」事だろう。東京の連中はキレるだろうが、こっちだって生活が掛かってんだから、いざとなったらお前らを振り切ってでも、中国やロシアと仲良くしに行くだろうよ。よく覚えとけよ、太平洋側がアメリカに寄って富めば富むほど、日本海側の人間は飢えるんだ。これはゼロサムゲームなんだ、どちらがより多く食い繋いで生き延びるかのな。
全6曲。
落ち着いたアレキサンドロス。よく聴いてるわけじゃないけど『kick&spin』とか『閃光』とかのイメージが強くて意外な気もしつつ、耳触りのよい英語が結構好き。何言ってるのか分かんないけど。
日本語で歌うパートにくると歌詞の内容が分かりだす。「午後一時半の小田急線」——どうやら、一度出勤したけど風邪気味だから午後休取って早退したやつの話らしい。サボってる学生や、楽しそうな主婦がいたりする時間帯だ。うんうん、わかるわかる。
そして彼は、最寄りに着いたところでふと気付く。このまま乗っていれば実家に帰れる、と。そして実家で猫に会い、(おそらくは親に)小言を言われ、おいしい味噌汁を飲む——。
は?
この曲は、俺のような英語のリスニングもできない片田舎の人間が風邪をひいた時に聴く歌ではない。ただただ、恵まれた環境にいる人間が風邪をひいた時の歌なのだ。
「いや、そんな恵まれてもないだろ」と思う方もいるかもしれないが、2番の日本語パートで彼自身もこう内省している。
「思えば恵まれた生活をこう/与えられてたこの坊ちゃんが/ロックンロールなんて/叫んでいいんだろうか?」
彼は会社員というよりはロックを叫ぶバンドマンのようである。アレキサンドロスの人そのものを描いているのかどうかは分からないが(まあどちらでもよい)、芸術系とか創作系・表現系に全ベットできる人間の実家が太いというのはままある話である。
彼の悩みに答えは出ず、玄関まで送りに出てきた親(おそらく)の顔も見ることができずに電車に乗り込む。「一人部屋のアパートに帰ろう」——ロックで売れまくってるってわけでもないようだ。
曲を聴くというよりは歌詞を読みふけってしまった。この曲で描かれる人物は俺とは全然違うところを生きているけども、好感が持てないかと言えば全然そんなことはないし、そういう人間が風邪をひいた時の情景を描いた歌として、うん、よかった。しっとりしたアレキサンドロスも良い。
名前だけは見たことあるけどちゃんと聴いたことのなかったamazarashi。
ピアノのイントロから入っていきなり「37℃の微熱」、うん、風邪の歌だ。
そしてなんか、フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出したな……と思ってるうちに曲が終わった。歌詞サイトを見る。さっきのアレキサンドロスでも見ていた。
2回目の再生ボタンを押すと、なんとこの曲1分55秒である。そりゃすぐ終わるわけだ。
しかし改めて歌詞を見ると、この曲で描かれる風邪を引いた人間もまあ、全然共感できない類の人間だ。部屋にはソファがあるし、彼女がいるし。フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出すあたり、俺には話を合わせることもできなさそうである。
彼は「ごめんちょっと調子が悪いだけなんだよ本当に」と言い訳をし、「かれこれ数時間/便器にしがみついて/朦朧と/うわ言」。うわ言だったらフィロソフィーとか言うのもやむなし……か?
2分に満たない短い曲の中で、「朦朧と」のフレーズが繰り返される。印象に残る曲だ。全然好きだ。好きだ、amazarashi。もっと俺の調子がよくて、なんか小難しいことを考えたいときに聴きたい。
恋風邪じゃねーか!
でもまあ、Vaundyは好きなので(数曲しか聴いたことないけど…)楽しみである。
これ前に聴いたな……。
Apple Musicは自動再生で似たような曲や売れ線の曲を流してくるので、Vaundyなんかは知らぬうちに受動喫煙しているのだ。
「恋風邪にのせて」というタイトルには、いわゆる恋の病的なものを風邪に例えた「恋風邪」と「風にのせて」言葉や思いを吐き出す行為がかかっていて、全編的にそんな感じの曲である。俳句みたいな技法で割とすき。
しゃらくせぇ曲だなあとは思うものの、そのしゃらくささがVaundyの魅力だとも思う。いい曲。
「くだらない愛で/僕たちはいつも笑っている」
旧Twitterのフォロワーにこの人のファンがいて、ちょくちょく名前と情報が目に入っていた。実は曲を聴いたことはないのだが、シャニマスが好きみたいなので信用の持てる人だと思う。
そして肝心の『風邪』。風邪をひいた舞台役者・脚本家?のつらさを綴った曲のようである。あんまり面白くない舞台であんまり上手くない芝居をして、叩かれて、病んでいるようだ。そんな感じの「風邪」ニュアンスを感じた。
自らの作品や表現の稚拙さに苦しむというのは、個人的には結構わかる。わかるけれども、今食べたい料理はそれじゃない。それじゃないんだ……全然上流階級の人間を描いてていいからがっつり熱出して寝込んでてほしかった……。こういう形の風邪も全然あるんだけども。こういう形の風邪の話だよね?解釈に失敗してるような気もする。
それはそれとしていい曲だと思うし、小林私のボーカルも結構すき。やはり信用の持てる人だと思う。元気になったら(あるいは精神的に病んだら)他の曲も聴いてみようかな。
この曲もしっとりした雰囲気で、熱が出てぼーっとしたいときに合っているような気がする。
歌詞としては、風邪が治った直後の情景が描かれている。まだ少しぼんやりとしつつ、でも体の軽さがある、そんな感じ。早くこれになりたい。
「君の手のひらはbutterfly」「僕の額をその翅で慰めた/あぁ」
どうやらこいつにもパートナー的な人間がいるらしい。だけど、不思議と嫉妬のような気持ちは湧いてこない。キリンジの、この曲のふんわりとした雰囲気ゆえだろうか。
曲は終盤に1分ほどbutterfly…を連呼して終わる。すごい余韻である。風邪のときってこれぐらいの余韻がほしいというか、ぼーっとしたい。いい曲だ。好きだ、キリンジ。
間違いなく1番ひどい。
検索しても歌詞は出てこないし、そもそも歌詞というか一般的な曲の体をなしていない気がするし……音楽に決まったルールなんてねえんだよと言われたらそれまでだけど……。
夢の中では神様が出てきて、見た目はさだまさしにそっくりだった。
その神は天秤のようなものを手にしながら「これから自分の未来のことが全て分かるように出来るけど、どうする?」と聞いてきた。
夢の中の俺は当然、頷いた。
やってくださいと懇願し、神はニヤッと笑うと光に包まれ、姿を消した。
それから起きると自分のアパートで、頭のなかで妄想がブワッと広がった。妄想、というかイメージのようなものだった。既視感のある光景のような。そういう意味では思い出のような感じでもあった。なんだか不思議な気分のまま外出し、記憶を思い出すように「あっ」と閃き、前方をみると野良猫が歩いてきた。脚にすりすりしてきて、この光景には見覚えがあった。
そのとき神様に会ったことも、そこでしたやり取りのことも思い出した。
猫が寄ってくるのが分かったのもそういうことか…と理解し、それからの生活は一変した。
仕事ではミスがなくなり、成果を認められるのは当然で、何故なら既に知っているから。
だから彼女と出会うのも必然で、後に結婚することさえ知っていた。
全ては順調で、不幸に苛まれることもなく、失敗することはなくなった。
子供を設け、家族三人での幸せな生活が始まった。幸福だった。何もかも。
しかしある日の、なんでもない日常の隙間とも呼べる時間でのことだった。
昼休み。オフィス街での昼食、何を食べようか。そんなことを考えながら歩いていたときのこと。強風が吹いた。その風は俺の心を妙な角度で撫で、俺の足を止めた。
あっ…と思った。自省するように鑑みると、自分がこのあと何を食べるのは既に知っていたのだ。同時に、あのとき神がニヤッと笑った顔を思い出す。
ああ、そういうことか…。
全てを知ることは、本当に退屈で、最悪なことだったんだなと。既に全てが遅かった。取り返しはつかない。絶望に浸り、自然に涙が流れたところで目が覚めた。
夢と分かって心底ほっとした。
変な初夢だったなと思い、それでいて非常に印象的だった。それに妙にリアルでもあった。
これが一番のデマ元だろうか。
日本中が知りたい震災の状況を把握するにはヘリしか無かった。情報は大事だ。
もちろん救助隊も同じ。ヘリで向かっている。
『ヘリの騒音が酷く瓦礫の下からの声が聞こえなかった。マスコミが酷い』
という話題もあるが、マスコミだけではなく救助のヘリもあったゆえの爆音とみて良い。
そしてこの阪神淡路大震災のころはマスコミと救助ヘリの高度のルールが無く、同じように低空飛行していた場合も見られる。
阪神淡路のころは、と言ったように阪神淡路大震災以降は高度が分けられている。マスコミはかなり高いところで撮影することになった。
また報道ヘリができる支援方法についても議論されるようになった。
まずもって毎日新聞の記者一同が被災地に乗り込んだら逆に救助ヘリに助けられたという話があり、マスコミの印象は最悪だった。
そして報道が連日ヘリを飛ばし続けたので、住人たちの休息時間が削られ怒られることになった。
この世間の空気を福知山脱線事故の現場でもマスコミヘリは引き継ぐことになった。
でもまぁ確かに地震でもないし範囲も狭く、最初の一報以外四六時中ヘリを飛ばす必要もなかっただろう。
ドクターヘリと報道ヘリでこちらも長期間の騒音に悩む場所になってしまった。
色々と学んできた報道ヘリも、東日本大震災で真価が問われることになる。
が、ここでも予想外のことが起きていた。
ヘリは救助がほしい人を映しながらスルーする映像が生放送で流れたのだ。
直接の人命救助までは難しいので仕方ないが視聴者はたまったもんじゃない。助けてくれ!なにをやってるんだマスゴミは!という声も必然だろう。見てたこっちだって冷静じゃ無い。
まぁでもここで一応マスコミのヘリの有用性みたいなものは議論されたのだが、これを無に返したのがそう。
被害場所が限定的で、広域的にヘリを連日飛ばす必要もなかった。
ヘリの音は昔よりも少し静かになっているし。まあそれでも煩いか。ピリついた状況の中では被災者たちも我慢ならなかったのだろう。キレられた。
さて今回。
ただ建物倒壊が多い。家族を掘り起こそうとしたらヘリの騒音が聞こえて…みたいなことが起きればまあマスコミヘリはまた叩かれるだろう。
NHKでこれは救助用にも使うヘリですとか、実況すればいいじゃん。