はてなキーワード: 彷徨とは
歌詞を捉えること、解釈することにリソースが取られて、テキストに感情移入してしまい、音楽に集中できない。
だからこそ、いい詞だなと思うこともあるけれど、結局聴くのに疲れてしまうから聴かなくなる。
訳文や所々わかる単語から、形にならず、ぼんやり感情が伝わってくる。
曲調もシンプルなものが多くて(同じコード進行繰り返すだけとか)、電車に乗っている時のような心地よさがある。
クラシックもいい。
緊張感や迫力、夢見心地など、自然の中を彷徨っている気持ちにさせられる。
何より音と時間に心を集中できるのだ。
時代背景や作曲家の生い立ちを考えると、伝わってくる意思もあるが、あくまで聴き手の解釈だ。
なかなか理解されないが、ケンリュウの小説に自国語の音楽が苦手って登場人物がいて、嬉しくなったのを覚えている。
私はJpopが悪いとは全く思ってない。
むしろ、伝える力が強すぎて、あまりにも情景がはっきりと浮かびすぎるのだ。
なんだか街中は静かな感じがするけど、
人通りはある程度あるから何か変な感じねと思ったらまだお正月2日目なのね?と思いつつ、
今年はまったりとすることを決め込んで早2日目でもう退屈だという、
そうなるってーと何を遊べば分からないから結局は意気消沈しまくるのよね。
言われてから気付いたけど、
今どうなってるのって思った矢先コレ後ろからテレビたたいても北川景子は出てこない仕組みで、
あーなんかゲームしに行くだけで実家に帰るのもなんだかなーって思いつつ、
じ、実家がハイスペック4Kテレビを手に入れて早速装備をしているけど、
4K対応放送の番組がないというすってんころりんの助なオチだっていうからまったくよね。
この私の食材買えない難民は何処を彷徨えばいいのかしら?と思ったら
ジャスコかマイカルかイオンがあるじゃないイオンがって思いつつも
出るまでに2時間かかるやつだーってもはやここでも意気消沈すぎる結末を迎えたくなかったので、
ここは大人しく映画でもオンデマンドで観るかーなんてITすっかましたいところでもあるんだけど、
地味にメルカリの発送もしつつお手伝いでちょこっと出歩いたりはするから、
それはそれでいいお正月ですねって
この時期でもゆうパック翌日届くとかどんだけ年賀状少ないのかしら?って思うわ。
そうそう、
年賀状未だに書けてないけど松の内にまでに書けばいいってググったら出てきたので、
締め切りを延ばし伸ばしにしてルからいけないんだと思うし
私にノリスケさんみたいな編集者がいても上手く言いくるめて締め切りから逃れる自信はあるわ!
怒ってばかりいられない、
そうだ今年は起こらないとしにしてみるのはどう?
でもそれ6秒ぐらいで守れなさそうな今年の目標なんだけど、
結局見当たらなくて、
きっと古いパソコンの中に入ってるんだなぁ-って
これまた起動させるのが面倒くさい配線とか分からないし!
今度は住所をしっかりUSBに入れてポッケに入れて叩いたらリストが減ったらいいんだけど、
そんなことはないわよねー
あー65536通の年賀状を書くのは松の内までにはもやは無理そうじゃない?
このぐらいの枚数ってもう工場レヴェルなので
まあ話半分としても3万枚よ!
どえらいわ。
それ探して充電してみようかなと久しぶりに思い出したんだけど、
これってもうゲームって買えないのよね?
まあ久しぶりに掘るかーって感じね。
うふふ。
鶏天は揚げたてなので美味しいわよ。
にしてもまだ2日だというのに営業してて偉いわねって思うわ駅!
おかげでうどんも食べられるわけだし。
年末に買っておいたグレープフルーツとネーブルの定番柑橘系ウォーターを
搾らず面倒くさがらずちゃんと輪切りにして映えるバージョンのです。
水分補給はしっかりとね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今カウントダウンライブが終わって行くあてもなく彷徨っている
満喫に行こうにもどこも満室、体を休める場所もないから駅で少し寝ようかと考えている
こんな虚しい年越しをしたのは初めて
もう二度とカウントダウンライブを宿泊先確保せず行かない
さて、知っている場所ならいいが入り組んだ場所に行くことになった。
JR、阪神、阪急の場所はなんとなく分かる。なので沿線側と言われれば頭の中で区画を作れる。
これで東西南北は分かった。
問題は御堂筋線をまっすぐとか書いてあるところだ。○○口とか言われても、分からないし。
泉の広場?こないだリニューアルしてから行ったけどもう行き方が分からない。あの日は人に流されてたどり着いた。
構内の掲示板を見たら行ける、などと余裕ぶって言ってる人が居るが、あれは嘘だ。騙されるな。
一階を真っ直ぐ進めばいいのに二階に行けとか書いてるヤバいやつもある。
昔は地下の案内を見ながら行けばよかったが、最近は地下を通る方が迷う。どうしてだろう。
でも目的の食事処は地下なのだ。どうしても地下に行かなくてはならない。
紀伊国屋方面?それとも阪急百貨店の地下通り?いや阪急地下通りって何?前に迷って彷徨ったけどもう一度行けるわけない。
ルクアにも店があるとか。でも調べたらルクアイーレの可能性もある。イーレってどっちだっけ。イーレの前の百貨店の名前なんだったっけ。いまだに大丸の場所が分からない。
ステーションシネマの下にも食べるところがある。でも下から登っていくとエスカレーター乗り換えしなくてはならない。
なんなんだろうそもそも、エスカレーター乗り換えって。つないでおけ。
JRの駅構内も改装してから未だに何が起きているのか全く分からない。気付いたら知らない場所に居る。
地下はダメとか言ったがルクアイーレや阪急の屋上でも迷うのだからどうしようもない。
ロフト、お前は良いな。まっすぐだ。もうロフトにしか行けない。ロフトで死のうと思う。
でもロフトに行くまでの小道がわりと迷う。
「今年も終わりだなぁ」
普段はこんな事言うタイプ(※)でも無いのになぁ、と思った。師走のそわそわした感じが、何か影響したのだろうか。
(※)...あく4倍
「あーあ、腹減ったな〜」
グゥ、と4回お腹を鳴らしながら笑った。これはいつもの愛してるのサインだ。
いつかクジャクの求愛行動について2人でレポートをまとめていた時に、彼が唐突にやり始め、今も続いている謎の行動である。
「ねぇ、みほは何が食べたい?」
いや知らんし。
「ねぇってばー」
知らん知らん、話しかけんなって
「ちぇっ、これで通算会話0記録164日目かぁ」
ポケットからA4のノートを取り出し、へたくそなピカチュウを描く彼。
「本当に、今年も終わりだねぇ」
「そうだね」
PM2:00
2体の母による、「ご飯よ!」の声で私は起床した。
今日の超朝御飯はなんだろう、ご飯だろうか、パンだろうか、それとも超操縦メカ MG(※1)だろうか。期待で左胸を膨らませる。
眠いまなこを1秒間に約30回程擦り、まるで東尋坊から人生のゴールを目指し旅立つ人々のように、ダイニング(※2)の椅子に勢いよく腰掛る。
「もう、まだ眠いの?」
...
誰だこいつは...?
自分の脳内タウンワークを隅々まで探索。ヒット無し。すかさず同じ棚にある脳内たのめーるに手を伸ばし、かぼちゃを2ダース発注。
大袈裟に驚いたは良いものの、別に今日は学校じゃあないし、なんなら体育の日だ。愚かな国民以外は身体を休めることが認められている。
ここで、3秒の沈黙。喉が焼けそうだ。
「ピカルの定理見た?」
フラッシュバック、2010年代の中学生の会話。誰かの思い出のゴミ捨て場。令和に彷徨うゴミ捨て場。
ここは、令和3年の日本。
(※2)..筆者の家には無い
もうさ新語・流行語大賞がそんな言葉聞いたことないってツッコんだら負けみたいな風潮になるまで、
ああ言うか感じでやり続ける、
みつるさんがどのぐらいみつるかって問に対して、
もうほぼみつるなのに約42パーみつるという
量子みつるって感じも捨てがたいけど、
権威濃すぎなみつるさんね。
そんな初めて聞いたわよって言っちゃいそうなほど
もうツッコんだら負けの精神よね。
あと、
「山下タピろう!」って言うのを
クスッとなっちゃっててのが私的には約みつる大賞!でいいわって思ったわ。
タピオカ流行ってるけどキャッサバの漁獲量が気になるところだけど、
そこは新語じゃなかったのが残念。
この1ヶ月のインパクトは大きくて12月の印象があたかもこの1年の印象にあったかも知れないぐらいなイメージ。
そうそう、
私たぶんだけどねずみ年だと思うんだな!
だって、
ねずみのモチーフが描いてあったからこれバンクシーねずみじゃね?ってことで
私は勘が良いから、
来年の干支はもうねずみに決まってまだ公表されてないって知ったのよ。
ここだけの内緒だわ。
あとTIME誌の今年の顔にマーシーがまた選ばれるとか田代祭になりかねないわね。
なんだかんだ言って
正座しながら見るどん兵衛のキツネを囓ったら吉岡里帆ちゃんがヒジを抱えて痛ー!なんつって言っちゃったりして、
あれもあれで一大ムーブメントだと思うわ。
2位は「霧ヶ峰」
てへぺろ!
物は言い様ね、そう聞くと美味しそうに感じない?
ぜんぜん鮭散ってないけど美味しかったから許す!みたいなおまえ何様だよ!ってツッコまれそうね。
顆粒昆布をホッツウォーラーに定量の半分を入れてみて作ってみた
冬は温まってね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
乳幼児スナイパーの主戦場は主に交通機関の中だが、俺のようなプロともなると「親が身動きできない状況」は概ねすべて戦場に様変わりすることも珍しくない。まさに常在戦場。かっこいいなあ、もう一回言ってみよう「常在戦場」。
ここは埼玉県でも有数のとある歓楽街。世を忍ぶ仮の姿で底辺リーマンである俺は仕事の打ち合わせを終え、乗り慣れない黄色の電車を降り、飯でも食って帰ろうと西口から出た。俺が子供のときに観てた、略すとプロレス団体みたいだったタイトルのドラマの舞台ともなった界隈。道行く人たちも何かそんな雰囲気である。俺は身長だけ長瀬智也に似ているので自然と口を開けながら歩いてしまう。
このあたりを歩いていると、黄色い電車の中にもいたが、制服なのになぜか化粧がプロ並みにバッチリ決まったアンバランス女子高生が散見され、大人の俺としては「きみもしかしてコンプライアンスにていしょくするバイトしてない?」と素朴に尋ねたくなるのもこの地ならではである。
立ち並ぶ飲食店の中、大人の疲れを癒してくれる居酒屋を物色して俺が彷徨っていると、おおよそこの界隈に相応しくない赤ん坊の声がする。やれやれ今の俺はオフなんだけどな。常在戦場の身としては仕方ないか。
とある飲食店の前で、泣いている赤ん坊を抱いて一生懸命あやしている父親の姿が見えた。傍らには赤ん坊のお姉ちゃんとおぼしき少女もいる。父親はスーツでお姉ちゃんもちょっとよそ行きの恰好をしており、俺のプロとしての経験則が素早くプロファイルする。「おそらくお出かけ帰りである」と。そして食事中にこいつが急に泣き出して周囲に迷惑だからと父親が抱きあげて席を立ち、お姉ちゃんは「あたしもいく!」とでも言いながら父親について来たのだろう。俺は大人だから瞬時に脳内で映像付きで再現された。もちろん4Kだ。
OK、周囲に迷惑をかけないよう赤ちゃんを連れ出す気配り。さらに嫁さんに食事のゆとりを与えるその思いやり。俺は嫌いじゃないせ。この子のママであるあんたの嫁さんは、あんたの優しい心遣いに安心して今頃好物のエビチリをザトウクジラがオキアミの群れを一気食いするように貪ってるんだろう?素敵な奥方じゃないか。
プロの出番が来るかどうかはわからないが常在戦場を信条とするプロのたしなみとして俺は漠然と戦略を立てていた。もちろん彼が自力で事なきを得た場合「いや俺大人なんで初めから関心ないっす」と言う顔で通過できるようゆっくりではあるが歩みを止めず距離を詰めていると、俺と同じような動作で対象との距離を詰めている者がいた。二十歳かそれを少し過ぎたくらいの女の子だった。む!同業者か?
前述のアンバランスJKの先輩かと勝手に錯覚させる雰囲気。キノコみたいな金髪。モヘアニットのワンピースからべろーんと出ている肩、妙に光沢のあるトートバッグを持っている。俺の経験則ではこういう風貌の女が同業者だったケースはまれで、むしろ赤ちゃんの泣き声に舌打ちするタイプのはずだが人は見かけによらないのかもしれない。なお、信仰上の理由なのか眉毛がない。
(蛇足ではあるが俺が生まれた西の地には「キャンディ☆スパッツ」と言う、主に壮年のご婦人のみで編成された大規模かつ凶暴な乳幼児プレデター軍団が存在するのだが彼女たちもおおむね眉毛がない)
「びゃぁぁん!けほっけほっびゃぁぁぁん!けほっ」。この咳込みながらの泣きに、くぐり抜けてきた修羅場で培った俺の本能が危険を知らせる。これは狙撃では間に合わないかもしれない。そしてこの父親はおそらく赤ん坊を独りであやすのに慣れていない。あの毛布みたいなタオルみたいな赤ちゃん用のふわっとした布が垂れ下がっても気づいてないあたり間違いない。そろそろ来るぞ!回避は間に合わないから衝撃に備えろ!
「っびゃぁぁぁれろろろろろ」そう、泣きゲロだ。
後編へつづく
Twitterでもブログでも勿論実生活でもなかなか言えないことを吐き出せる場所として思い浮かんだのがここだったからだ。
わーーーーーっと何も考えずに書いて、推敲もせず投稿して、終わったと思ったら秒でコメントがついた。
びっくりした。そのスピードもだが内容にもだ。
めちゃめちゃびっくりした。どきどきした。
思えば自分はここをよく知らない。吐き出す場所を求めて彷徨いついたのがたまたまここだった。
Twitterはもう窮屈だ。アイコンは自分の写真とか自分の撮った写真か絵。
プロフには本当のことを書くし、芸能人や文化人が公式マークを付けてひとりの人間として生きている。
生きている人間が「自分は生きている人間」だと自覚して、連続性のある生き物として活動をしている。
その場限りの言葉をその日その瞬間の自分がその時の気分だけで話すのは、なんとなく許されない。
当たり前だ。自分には名前があるのだ。ハンドルネームだろうが、なんだろうが、前後に続く関係性のための名前がある。
ひとにリプを送る時なんてもっとそうだ。自分は自分を個としていないことは、個としてTwitterを使っている生きた人間に考えなしな言葉を浴びせていい理由にならない。
そう、こういうのは「全員が匿名」でないと成立しない。
それでも個としての存在が薄いなりに人間の書いた文章であるので、無暗矢鱈に悪意を持って言葉をぶつけるのは酷いことと思うし、
こういう行き場のない言葉の最終地点であるところで、その場から絶対に排除しようとする動きは侘しい気もする。
誰もいない実家に帰ると、ねこはいつかと同じところで同じポーズで寝ていた。いや、こないだとは少しだけ場所がズレているか。障子の隙間から差す日が少し傾いて照らされる場所が変わって、ねこのお気に入りの場所も日時計の差す時刻のように移動している。和室の一角は日焼けして藁のような色だ。なんとなく私もねこの隣に横になってみる。なるほど、畳が温い。ここがいいとちゃんとわかっているのだ。
い草の匂いはとうの昔に褪せて、湿気の匂いがした。隣に横になった拍子で、ねこはその振動に反応して半眼になって、二ヶ月ぶりに会った私を見て、ああ、お前かと安心したように黄色い目を閉じた。ゴロゴロと喉を鳴らす。ギブアンドテイクが当たり前のこの社会に揉まれて命からがら帰ってきた私は、何もしてやっていないのにただ横に来ただけでそんなに幸せそうにしてくれるねこを見て感傷的になってしまうのだ。どうしてそんなに私に懐くのか。お前を拾ったのは私じゃなくて妹だろう。餌は小さい頃から母がやっていたろう。まともにトイレなんか綺麗にしてやったことはなかったろう。実家にいた高校を卒業するまでの私は、家に帰った時にせっかく出迎えに来たお前を置いて部屋に閉じこもっていただろう。
それなのに。お前は私の気持ちがわかったみたいに、でも人のいい友人のように同情した風でもなく、純粋に私のことを好いてくれる。
なんだか切なくなって、罪滅ぼしの気持ちで頭をわしゃわしゃ撫でてやる。ゴロゴロが大きくなって、ねこはぎゅっと目を閉じた。だから、私も同じように目を閉じてみる。ここが耳で、ここが鼻。寝ているから鼻がカラカラに乾いていた。幾度となくこいつを撫でてきたから、触れるだけで良かった。
私は、手の感触でねこのシルエットを想像しながら色んなことを考えるのだ。
なぁ、ねこ。ここ最近、私は初めてお前のように生きてみたいと思ったよ。私はねこがすきだけど、もともとはねこになりたいなんて無責任なことを言うやつが嫌いだったんだよ。
お前はお寺の近くで、拾ってくださいという札を首にかけられて彷徨っていたね。いつお母さんと離れ離れになったんだよ、かわいそうに。そこから、得体の知らない私たちに拾われたね。運の悪いことに、うちは住宅地だし車が多く通るから外には離してあげられない家だった。いつも窓から外を見て、小鳥を見るとちょっとだけ切ない声を出す度、私も切なくなるんだよ。
そんなことを考えたこともないのかな。
毎日同じ餌ばかりだけど、お前はいつも美味しそうに食べて。何もない休日も、同じところを初めて歩くみたいにして歩いて、またよっこらしょと横になって。みんなが夢中になっているテレビというものはわからないだろうし、本に向かっている人間の気持ちはもっとわからないからとりあえず読んでいる最中の本の上に乗ってみたりして。
いつも喧嘩が絶えない家だったけど、頑張って一緒に乗り越えてきたよね。お前はどんな風に見てた? 大きい声が聞こえると、お前は自分が怒られたと勘違いしていつも部屋の隅に隠れて大人しくしていたね。八つ当たりされたこともあったか。めちゃくちゃになった家族をなんとか落ち着けて、皆が寝静まった午前1時、突然虚しくなって悲しくて一人で泣いていたこと、親や兄弟とかの人間たちには隠したけど、たまたま隣にいたお前だけには隠せなかった。お前は私の気持ちを知って膝の上に乗ってきたのかい? どっちにしても、上から降ってくる涙が冷たくてごめん。
家族がバラバラになった今、一番家にいるのは間違い無くお前だけど、私に気づかなくてお前が気づいていることってある? みんなをどうやったらもっと幸せにできると思う?
他にもいっぱい聞きたいことはあるけどさ、どうやったらお前みたいに強く生きられる?
お前ほど辛くはないけど、私も結構似てるところがあるんだよ。僕も物心ついた頃、お母さんが病気になったせいで両親から離れ離れになってあまり話したことのなかった祖父母の家で育てられてさ。祖父母は仕事とテレビと新聞ばかりでちっとも取り合ってくれなかったよ。理不尽な叱られ方もした。少し大きくなると親も少し元気になって、ようやく両親の元へ帰れて、その頃お前と出会ったんだよ。でも知っての通りずっと喧嘩が絶えなくて、その怒鳴り声を聞いて、また家族が離れ離れにならないか怯えてた。時々酔った母が暴れて殴られたこともあった。今思えば、なんにも悪いことしていないのに生きてるだけで罪悪感に押しつぶされそうで、部屋の隅で耳を塞いで泣いてたよ。実際家族はバラバラになって、そのまま私は出来るだけ親に迷惑をかけないようにそつなく生きたよ。勉強もそこそこ頑張ったつもりだよ。そのまま実家を旅立って、今は一人暮らしになって、単調な日々を過ごしてる。同じ時間に起きて同じところを歩いて、キャットフードよりはバリエーションがあるけどぶっちゃけ毎日毎日同じようなものを食べてる。お酒っていうマタタビみたいなものに溺れる日々で、少し頑張ってみてもすぐ疲れてしまうし、人一倍寝るのが好きだよ。なんだか、色々とお前と一緒だね。
というか、お前を可哀想ということで自分が可哀想と思いたいだけなんだろうね。わかってる。
でも、お前とは違うんだよ。お前と違って私は、時々過去を思い出して、心の傷とか変われない自分とかに悩んだりして、虚しくて泣いてしまうんだよ。今までは生きるのに必死だったけど、突然に単調な日々に取り残された今、全てに取り残された気分だよ。毎日がつまらなくて、生きるために生きていた頃と違って、なんのために生きているのか本当にわからなくなって、笑ってもこころがスカスカで、何故だか生きるのが辛いよ。まだまだ到底、お前のようには生きられないんだよ。今だって閉じたまぶたの端の方から涙が漏れ出してしまいそうで、必死に目を閉じて蓋をしているんだよ。
私も捨て猫みたい?
ねこになりたいって言うやつが嫌いなのはそういう理由だよ。ねこの拾われる前の壮絶な人生と、その後の退屈で虚しい人生を想像できないやつは嫌いだよ。
ねことか私のことを見て、のうのうと生きてていいなと思うだろうから。
私はお前の気持ちがそこらの人間よりはわかってると思う。でもだからこそ、純粋なお前に純粋に憧れるんだよ。お前を見ているとお前のようでありたいと思う。ただ、お前のような強くて優しいこころが欲しい。お前は、変えられない過去なんか振り返らないし、おそらく変わることのない未来を嘆いたりしない。ちょっとずつ変わり続けるだけの今を黄色くて丸い目でじーっと見つめて、いつも全力で飛びかかる。だから、ちょっとした季節の変化で寝るところを変えてその温かさに目を細めたり、食卓から盗んだお刺身一切れを幸せそうに食べたり——そんな儚いだった一瞬の幸せを絶対に絶対に逃さない。
だからお前は、美しい。ただ生きているだけで、見るものを幸せにするんだね。
お前と比べて、私はダメダメだね。
あ。ねこはそんなことも思わないのかな。きっとお前はほかのやつと幸せを比べたりもしないよね。外にいる野良猫を見て毛を逆立てて、フーッと威嚇して怒ることはあっても、あいつは自由でいいなと羨むことはない。
この先どうなるんだろう、とか。
生きるって何、とか。
認められたい、とか。
そんなことより、日で温もった畳って温かくていいな、なんて思っているのかな。
私がこんなことを考えているうちにも、ねこはずっとゴロゴロと喉を鳴らし続けているのか。なるほど。つまりはそういうことなのかな。
ねこでありたい。
学会で大阪に来てボスと研究室メンバーで飲んだ後、その場のノリで飛田新地に行くことになった。当方童貞26歳、まさかの事態に思考が追いつかない。難波からタクシーで動物園前に向かい、20時ごろの新地に降り立った男6人。
3人組に分かれて新地を彷徨くことになった。途中の十字路で再開した時は3人が2人になってた。これはもう腹を決めて行かねばと思い、目に付いたショートカットのお姉さんのところへ急いだ。同期が敬礼してきたので敬礼で返す。
二階に上がり、さっそく服を脱ぐように促される。15分で11000円、安いのか高いのか分からないがとにかくここまで来たらやるしかない。服を脱いで待っているとお姉さんが扉を閉め、服を脱ぎ始めた。初めて見る女体に思わず釘付けになった。
恐怖の一晩だった。戻れるなら10月31日の午前3時段階に戻り、おっパブへ通じるエレベーターを上がるなと忠告してやりたい。
貯金を積み上げるのには時間が必要だが、崩れるのは簡単だということを痛感した。
本当に、辛い。
なんでもない1日だった。いつも通りに仕事を終え、急遽同期に誘われて居酒屋に行き、楽しく酒を酌み交わした。
いつも通り、なんでもない1日の景色。
二軒目の居酒屋で同期が終電を逃し、我が街蒲田になだれ込んだ当たりから、徐々に不協和音がなり始める。
三軒目、蒲田の居酒屋、深夜1時。2時間ほど飲んで、午前3時。
この時点で相当量の酒量を摂取しており、どだい冷静な判断ができなくなっていたのだろう。
どうせなら女の子と飲みたい。どうせなら、可愛い女の子と飲みたい。
彷徨うまでもなくキャッチに捕まり、選ぶでもなく吸い込まれて行ったのが件のおっパブである。
付き合いで同業態の店舗には何回か行ったことがあった。ある程度金銭の感覚は掴んでいる自信があった。
そこまで極端な出費になることまでは想定していなかった。
女の子がくるなり、酒をねだられる。もちろん、応える。飲んでいいよ、飲んで飲んで。
ショットで飲みほす。すぐ注文する。気がついたら女の子が増えている。
不用意に両サイドから体を弄られ、弄り、酒がなくなったと思えばテキーラ。
午前5時に店を出たらしいが、つれが40万、僕が20万の支払いを行っていたようだ。
時系列ではなんとなく把握しているものの、具体的に店内で何をしたか、ほぼ覚えていない。
ただ、口座から折半して30万ずつのお金がなくなった事実のみがゴロンと転がっている。
さらに言えば、昨日は極度の二日酔いに陥り、予定もオールキャンセルとなった。
たまたま休日だったからよかったものの、胃のなかに何かを入れたらそれがそのまま出てくる、ポンプと化した。
虚無だ。虚無でしかない。
30万も払って、酒を飲んで、何をするでもなく、二日酔いの坩堝に落ちて行った、ただそれだけか。
死ぬこと以外はかすり傷だと思っている。が、まぁまぁ重い傷を負った。
金で解決できることでよかったっちゃよかった。
普段音楽を聴かないけど去年キャッチコピーにひかれてHey! Say! JUMPの SENSE or LOVEを買った。
でもアルバム全部を聴いても感覚で繋がってるのか愛で繋がってるのかわからんかった。
一年経って新アルバムが出るというのを知ったのでリベンジしたくなった。
テーマがはっきりしてるっぽいから音楽初心者でもわかるだろうと思ってまじめに聴いた。
以下思ったことを吐き出す。
※歌詞カードは見ていない。曲を耳で聴いただけ。タイトルは読んだ。
タイトルの通りである。この文章にタイトル以上の何がしかは存在しない。面白いオチも無い。所謂お気持ち文章という奴なので、余程暇か、同じ境遇で涙を飲んだことのある腐女子以外は読まないだろうなと思って書いている。ただただ私個人の慟哭が続くだけであり、意味はなさない。そういったことをご了承頂き読み進めて頂きたい。
それからタイトルで嫌な予感がした人は読まない方がいいと思う。NLで好きなカップリングがある人も避けた方がいい。これは別に読んではいけないというのではなく、単に無意味な時間を過ごさせる自信があるからだ。
私がハマっているジャンルは「食戟のソーマ」という週刊少年ジャンプで連載していた料理バトル漫画だ。
「ああ、あの、メシを食うと女の子の服が脱げるやつだろ?」
そう、それである。実際には男の子もおじさんもおばさんもおじいさんもおばあさんも建築物もみんな脱げるが、ともかくその漫画だ。
ジャンプ本誌での連載を終え、その後ジャンプGIGA(ジャンプの別冊雑誌)で短期連載していた後日談も最終回を迎えた。ここで言う「最終回」はそのジャンプGIGAでの最終回のことである。
ここからはその最終回を含めたファンブックのネタバレもあるので注意されたし。
最終回の配信日、夜中を前に私はスマホを前にうろうろしたりもんどりうったり神に祈ったりして配信を待った。具体的には友人たちに、「最終回を迎えた後の精神状態に異常を来たす可能性が非常に高い。ついてはLINEがめちゃくちゃ荒れるかもしれないが今回ばかりはご容赦願いたい」というLINEを送り、「用意周到過ぎでは?」「骨は拾うからな」などという優しいお言葉を頂戴して過ごした。
今まで推しジャンルが最も推している最中に最終回を迎えたことのなかった私は、最終回という現実に自分の身が耐えられるかわからなかったのである。特に最終回では「未来の話」をやるという予告が最初からあったため、主人公・幸平創真くん(推しカプの受)の結婚エンドや子どもができているエンドがあるのではないかとずっと怯えていた。最近のジャンプではNARUTO然りBLEACH然りそうした最終回が多かったので、もう物凄く怖かった。そういったエンディングが悪いとは言わないが、それまでナルトや一護を応援してきたのに突然知らない子どもに未来を託されても全然感情移入できなかったのである。
そして0時。心臓が異常な爆音を奏でる中、最終回が配信された。震える手でページをめくった。
正直な話、良かった、と思った。
最終回の概要を述べると、25歳になった主人公たちのその後が描かれ、今後もそれぞれのフィールドで料理の道を極めるぜ、みたいな終わり方をした。
主人公である幸平創真くんとヒロインの一人である薙切えりなさんの間に恋心のような特別な感情が芽生えているという表現はあったものの、その描き方が絶妙で、明確に付き合ったり結婚したりという宣言は無かった。各キャラの進路やビジュアル変更について色々物申したい事があったが、とにかく結婚エンドは免れたのである。
よかった。へとへとになったものの、私はひとまず布団に横になった。そしてよりにもよって感想を検索してしまった。これがいけなかったのだが、感想の中に見つけてしまったのである。
「葉山くんの指輪の相手はきっと汐見先輩だよね!」というような言葉を。
ハ?指輪…?
慌てて最終回を読み返すと、確かに、葉山アキラというキャラクターの左手薬指にはあったのだ。どう考えても結婚指輪にしか見えないものが。
その葉山くんこそが、アキ創という私の推しカプの攻めだったのだ。
荒れた。
翌日は一日潰れていた。元々の体調不良もあったのだが、完全に気がふれてしまっていてダメだった。
食戟のソーマを2巻くらいまでしか読んでいないオタクのために葉山アキラというキャラクターについて簡単に解説すると、超嗅覚というめちゃくちゃ高性能の嗅覚を持った主人公のライバル料理人で、プライド高めの銀髪褐色だが心を許した相手には世話焼きオカン気質になるイケメンである。
彼が幼少期、海外のスラム街で親もなく彷徨っていたところで、スパイスの取引で騙されそうになっていた汐見潤という女性を助ける形で出会う。彼女はスパイスの研究者であり、葉山の超嗅覚に着目した。日本に連れてこられた葉山は汐見のもとでスパイスの研究者・料理人としての道を歩むようになる。それもこれも潤のため。自分を救ってくれた彼女の恩に報いたいと努力し続ける。
…というようなキャラクターで、これまでも彼女とのフラグはガンガンに立っていた。葉山自身汐見先輩には自分がいないとダメだみたいな台詞を何度も言っていたし、秋の選抜という一年の料理大会で優勝した時の彼は汐見先輩を抱きしめていたし、彼女を人質にとられて闇堕ちしたりしている。(なお闇堕ちからは創真くんが彼を救っている)
自分で書いていて「そりゃくっつくよな…」的な要素しかない。声を担当されている某方がおまけVTRで「彼は多分女性として汐見先輩のこと大事に思ってると思いますよ」的なことをおっしゃっていたこともあり、いい加減な発言をされない声優さんだからきっと原作サイドからもそういう話があったんだろうとは思っていたが…。
それに理解る(わかる)。きっと葉山くんは遠月を卒業と同時に汐見先輩にプロポーズして、けれどまだ未成年だから20歳になってからという条件をもらって20歳にゴールインしたんだろう。もう手に取るようにわかる。私の推しカプ、アキ創なのに。なんでやねん。
だが問題は、最終回に汐見先輩が一ミリも出てこない上に、指輪の相手についても全く触れられていないことだった。ただ指輪のはまった薬指があるだけ。絶妙にぼかされている。それは我々への思いやりなのか、それとも葉山くんと汐見先輩の間に年齢差が10歳以上あるため明言を避けたのかは未だに不明だ。
LINE告知していた皆に案の定悲しみLINEを送ったところ、「ジャンプで生殖エンドじゃないのは評価に値する」「もしかしたら創真くんとのペアリングかもしれない」「モテるから他の女の子を散らすためのファッション指輪じゃない?」などご提案を頂いた。ありがたいことに別ジャンルなのに二次創作会話文まで送ってくれた友人もいた。ありがとうございます。もちろん創真くんが指輪をしていないか探しまくりました。首にチェーンがないかも目を凝らして見ました。無かった。それも伝えたら「そりゃお前、創真くんは指輪なんかに頓着しないから無くしたんだよ」って言ってくれてありがとう。推しは頓着しませんが私は頓着しまくっています。
なお職場の後輩男子に伝えたら「え…そりゃそこがくっつくと思うんですけど…」って戸惑いがちに言われた。わかってるよそんなの!課金してまでアニメソーマ見てくれてありがとうな!君が作って差し入れてくれた化けるふりかけご飯おいしかったよ!でもやめてよそういう正論で殴るの!…というお気持ちになった。
だが、事態はこれでは終わらなかった。
勝手に受けた時間差爆撃で頭がクラクラしている所で、最終回と同時に二つの重大発表があったのを思い出したのだ。一つはアニメ4期決定。そしてもう一つは、ファンブックの発売決定である。
アニメはもちろんのこと、ファンブックは食戟のソーマファンは多分みんな待ち望んでいたもので、私も純粋に嬉しかった。
しかしハッとした。
もしかしてファンブックであの指輪の話題に触れられてしまうんじゃないか?と。
そこからは更なる地獄の幕開けだった。ジャンプGIGAでの最終回からファンブック発売までは1ヶ月以上あり、その間「ファンブックであの指輪について何か言及されたら死ぬ」とずっと思っていた。もう葉山くんと汐見先輩がくっついたと決めつけて脳内妄想を浮気ものにしたくらいの荒れようだった。
ファンブックについては2019年10月27日現在は電子版配信があるが、発売当時は書籍のみだったので、当日に確実に読めるようにAmazonと楽天とhontoで予約して、近場の本屋も何軒か回って予約した。考えられないかもしれないが私が住んでいる地域ではジャンプ単行本の発売日が一日遅れる。本屋は無理だろうと思っていたが、それでも最後くらい売り上げに貢献したかったし、…今思えばそれよりも、駆けずり回っていると気が紛れたのかもしれない。
ファンブック発売日、仕事から帰ってきて最初から順番に読んでいった。
原作者の先生によるキャラ紹介のところに差し掛かる。葉山くんのページにも汐見先輩のページにも結婚の文字は無かった。
しかし先生へのインタビュー記事の中に、その記載はあった。その小さな「こぼれ話」という記事自体、「元々は創真とえりなを結婚させるエンドにするつもりだった」というものなのでジャブとしてはかなり強力だったのだが、最後にこう付け加えてあった。
空笑いというか、やっぱりなというか。全身の力が抜けた。
この文章の凄いところはそれでも「結婚」の二文字を頑なに出さないところで、あの指輪が何の意味で誰との間の物なのか情報としてはゼロということだ。ある意味二次創作者には優しい。
でも、身勝手な言い分だとわかっていても、他の誰も結婚していないのに、葉山くんだけどうしてと思ってしまった。
他のキャラをくっつけるとファンが暴徒と化すから?(特に創真くんがどのヒロインとくっつくかについては論争が凄かったようだ。)でも葉山くんと汐見先輩はほぼ公式みたいなものだから大丈夫だと思った?単純に公式の推しカプだった?
私がこんなにもショックを受けていても、周りはそうでもないみたいだった。そもそもソーマクラスタの友人がそんなにいないので全体がどうだったのかはわからないが、感想を検索した限りではおめでとうとかよかったねとか、当たり前に二人の関係を受け入れる文言ばかりだった。
元々その二人が好きな人たちが喜ぶのはわかるが他カプクラスタの人たちが祝福しているのも見て、「ああ、これを喜べないファンは私だけなんだ…」と膝をついた。だから二人をくっつけるエンドにしたのかな、だってこの世でこんなに醜く喚いてるの、私だけだもんね。そんな風なことを思って苦しかった。
別ジャンルに喩えて恐縮だが、あっちが刀剣乱舞ならこっちは歴史修正主義者なのである。歴史という概念としての正しさで言えば向こうが圧倒的上。こちらがどんなに原作を読み込んでも、些細なやりとりに萌えを見出しても勝てる筈がない。もちろん上下や勝ち負けなんていうものは二次創作界隈には無いし、意味もない。彼と彼女のカプを好きなファンの人たちと交流はほとんどないけれど、偶然出会った折には皆さんとても優しく接してくれる。カプは何なんですか、と問われるとちょっと困るけれども…そりゃ刀剣男士も隣に突然歴史修正主義者が現れたら驚くよね…ごめんね…という気持ちになる。
つらつら書いたが、ファンの中ですらひとりぼっちになってしまったみたいで、みんなと同じように楽しめなくて、自分だけ公式から置いていかれたみたいで、悲しかった。公式から認知されていないファンなのかなとか(むしろ認知されていたら困るのだが、この時は理性もなくなっていた)、自分勝手にぐるぐる考え込んでしまって鬱々とした。
心にぽっかり穴が空く、という表現があるが、この時の私は頭にがらんどうの穴が空いていた。考えるだけでつらくなるから妄想すら躊躇われて、大好きなカプなのにできるだけ考えないようにしようとしていた。
空いた穴を埋めたくて現実逃避したくて、久しぶりに他のアニメを見たり、他のゲームをしたりしてみた。でも何をしても推しカプ変換してしまう。パロったら楽しそうだなとか、中の人が同じだなとか、トロに推しカプの知識を授けよう…とか、そんなことばかりだった。
さっき突然刀剣乱舞の話を引き合いに出したが、とうらぶも好きだったので、そちらで妄想の息抜きをしようかなとも一瞬思ったが、まるで逃げ道に利用しているみたいでダメだった。とうらぶの私の推しに顔向けが出来ない。
何をしても楽しくなくて、しんどいなあと思った。指輪ネタも無理になってきた。今後どのジャンルでも指輪を贈るネタが無理とか笑える、と笑っていた。
誰かに、自分の思い描いた形になってほしいという理想を押し付けるなんて、なんて傲慢なんだろう。それは作者様に対しても、他のファンの人たちに対しても、作品の内容に対しても。
結局のところ、「自分がどうありたいか?」ということしか私の自由にできる事はない。それがわかってはいても認めるのがずっと辛かったんだなと思う。
それから、自分の妄想や推しカプをあんまり卑下するのも良くないな、と思った。マイナーカプでも、公式から半ば否定されても、私が好きになった二人だから、自分勝手に大事にしたいと思う。
私にできるのは妄想することだけだから、今後も自分が萌えている内は推しカプについて考えていくしかない。苦しい気持ちや後ろめたい気持ちを抱えては、時折下ろして一休みしながら。
…などとまともなことを書いてはみたものの、正直に言うと一日一回は推しカプがくっつかない世界に未練はないので明日地球が終わらないかな?とか思ったりする。何を生き甲斐にしたらいいのかよくわからない。そんな風にぼんやり生きている。
余談だがAppleMUSICに入ったので推しカプソングにできないか色々聞いていたらOfficial髭男dismの「Pretender」を聴いてしまった。コンフィデンスマンJPの曲ということくらいしか知らなかったのに歌詞で死にかけた。
……。
このお気持ち文章を書く前に読んでいた記事でも別のオタクの方がこの曲を推しとの別れの曲としてとらえており、だからApple MUSIC一位なのかな…などとぼんやり思った。
お気持ち文章は以上で終わりです。面白いオチも何もなくてすみません。
食戟のソーマ21〜23巻にアキ創の料理バトルが収録されています。攻めが受けを俺の天使にします。よかったらそれだけでも読んでください。よろしくお願いします。あと最終巻36巻に何回読んでもよくわからない葉山くんによる「俺の幸平創真語り」があります。
あと何故だかよくわからないのだが原作以外からは推されることが多くて、今回大阪であったコラボカフェでも上記の料理バトルで二人が出した料理が同じプレートにセット盛りされてきた。美味しかった。ありがとうございます。
最後に、友人から送られたLINEが強かったので載せておきます。同じように苦しむ腐女子に届きますように。
渋谷のハロウィン毎年問題になるけど、仮装してぶらつく事だけが目的なら普通にカワハロ(※仮装のクオリティ重視で平和に楽しむハロウィンイベント)とかの方が楽しめると思うし、渋谷ハロウィンって元々みんな別の目的(出会いとかイベントついでとか)がメインなんだと思ってた。
なのにそれが分からずに普通にハロウィンしに来ちゃう奴が増えてどんどん芋っぽい感じのハロウィンになっちゃった気が。
想像力がクソ豊かなので、最近の渋谷のハロウィンって田舎から出てきた中途半端な女子大生とかがノリで風俗街の方連れて行かれて胸糞体験しそうな雰囲気でなんか嫌なんだよな……
センター街から風俗街なんてすぐそこだし、ちょっと前は彷徨いてるやつはなんとなく男も女もヤリ目か貞操観念ゆるめっぽい奴ばっかだな〜って感じで、まあそういう奴らが同意の上で楽しむならいっかと思ってたけどさ。
最近は電車で1時間くらいかけて来ました〜みたいなマジで"ハロウィンパーティー"目的で来てそうな10代の子とかもいて、「場の空気に流されて処女卒YSPされないようにな…」と思ったりする。
想像力豊かすぎてつれえ😌😌😌おわり
この時期になると手帳売り場も勢いがよくなってきて、
だから毎年この時期になると手帳の話題は年に10回ぐらいは話してると思うわ。
私が思うに一大手帳ブームを起こしたほぼ日手帳に追いつけ追い越せって感じで、
一時期は自分も毎年ほぼ日手帳買わなければいけないシンドロームに陥ったほど、
なんか買ったときは意識高く来年は毎日手帳つけるぞ!って思うけど、
三日寺の三日住職や三日坊主もあきれるぐらいに2日しかもたないって話しなのよ。
こういうのはさすがにネットだけでは伝わらない店頭で実際に手に取って確かめられる出会いは一期一会なのよね。
結果としてはいい可愛い水色のカバーの手帳を買っちゃったから、
とりあえず買うだけ買って満足するってことは達成よね。
でね、
いろいろな変わりダネの手帳とかってあるじゃない。
さすがにわたしもアンガールズコントロールで世の中にジャンガジャンガしたいところだけど、
またそれは違って、
その手帳はその日の怒りっぷり具合の腹の煮えたぎる項目の指数を記録する項目があって、
なんかそのアンガーマネジメント手帳毎日怒るのが前提になってない?って思っちゃうほど、
後で振り返ったら、
毎日怒ってるじゃん私!ってそれはそれで問題じゃない?って思っちゃうほどなのよね。
ぜんぜんコントロールできてないというか。
ひょっとして逆に言うと、
私の激怒少なすぎ!?の私の年収少なすぎ!?お姉さんに通じる、
それはもっと怒れ!って意味の怒りが足りないチェックなのかも知れないと思うと恐ろしいわ。
ぜんぜんコントロールできてないじゃないって感じで。
毎日怒ってる前提って言うのがなんともね。
私は西の定番らしいイカリソースが東でも発売された嬉しさあって
うふふ。
手がベタベタするのがどうしても苦手なのよね。
やむなく鶏そぼろおにぎりって言った方が正解かしら。
あれは外側のビニールをつかみながら食べられるから手が汚れないのよ。
味付き海苔に罪はないけど、
まったく手放しで喜べないって訳よ。
今朝方寒かったわね。
ホッツ白湯ウォーラーに麦茶パックを入れて即席ホッツ白湯麦茶風味ウォーラー。
昼は暑くなるのかしら?
着るものに困るわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
すまない。
俺はこの9月末で5年以上続けたIngressエージェントを引退した。
ユニークポータルを求めて彷徨った異国や離島、これまで積み重ねてきた20000のCF、外国から日本へ数千㎞を隔てて引いたリンク、何もかも皆なつかしい。
俺の分まで頑張ってくれ。