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はてなキーワード: 喧騒とは

2020-10-28

Tokyoの平日の公園やべえな

人口密度が!!東京ゆうても23区外の話

平日の2~3時に連日、団地の公園に一歳の子供を連れていったんだけど元気な子供達とママたちがたくさんいて、「えっあれっ?平日だよね。ここ23区じゃないのに!?こんなに公園に人がいるの!?!?」とビックリしまくった

公園で遊ぶような子供達は幼稚園保育園小学校に行ってるような年齢でみんなきゃっきゃしててめっちゃ元気

しゃべれて走れるのが当たり前の子供達ばかりで、赤ちゃんをつれているお母さんは赤ちゃんのために公園に来たのではなくて上のきょうだいを遊ばせるために来たって感じた。まだ歩けないしゃべれない年齢の子供を連れているのは自分だけだったなー

平日なのに人口密度ヤバすぎて…Tokyo

田舎が恋しくなってしまった

東京はとても楽しいけれど田舎特有の静けさがなく喧騒喧騒喧騒ってかんじ

東京もっともっと田舎に行けばもっと静かなのかな?わかんないけど

私は地方出身なんで平日の公園に行っただけで戸惑うわ

2020-10-14

anond:20201013175039

10年くらい前に行った香港深センかなぁ。

香港近代的な高層ビルアジア屋台の群れのギャップと街の喧騒と蒸し暑さに頭揺さぶられっぱなしだったし、深センはまだテナントが入っていないビル巡ってみたりこいつ中国語できねぇのかよとバカにされながら身振り手振りで怪しいGBA用のコピーカートリッジ(すぐ壊れた)買ったりしてちょっとしたアングラ気分味わえた。滞在したのは実質3日だけだったけど、日本に帰ってきてからまりの静かさに耳鳴りしたのを覚えてるわ。

2020-09-08

anond:20200907220331

たまきんには期待してるけど、全体的に政治力と言うかアピールとか下手な感じがあるんだよな。

どっちもどっち問題に「ケースバイケースですね」って言いそうな感じ。


ケンタくんは立憲に行くらしいけど、ケンタくんもその感じあるからなぁ。結局、立憲の雰囲気は変わらないまま、ワーワー言うんだろうなぁ。

そしてその喧騒の中でケースバイケースを訴えるたまきん… 想像したら涙が出てくるぜ。

2020-08-29

友達結婚式童貞バカにされた

増田ってまだ童貞なのw?」


かつての大学同期の結婚式12人ぐらいを2テーブルで割った

隣のテーブルに座った1人の男(既婚)から披露宴も半ばのタイミング唐突に言われた。



まじか、と思った。



2次会ならまだしも、披露宴だぜ?




俺は学生時代当時も、適齢期を過ぎ気味な今もモテないんで、つるんでた一部から彼女作れよ結婚いつするんだよって

煽りはたまのネタになってて、うるせーな(モテてないんだから)分かれよ、で切って捨ててて、

その場限りのクローズド雑談からまり気にしてなかったんだけど、

流石に人様の結婚披露宴という場で、周りに聞こえる声で言われたのが堪えた。

どう返せばいいんだろう、って思考が止まってしまったんだよね。



内心としては恥かかされたんで、かなり頭にきてたんだけど、

ここでキレたら友達結婚式で怒りだす非礼な奴なのは俺だよな?

なんて言い返せばいいの?なんて言えば口を塞げる?



結局5秒ぐらいフリーズした後に次の催し事が始まって、なあなあになってしまった。

それがすごく悔しかった。



個人的にそのとき深く刺さってしまった理由として

彼女いないとか結婚できないとかじゃなくて、「童貞」って言葉を使われたことなんだよね。

自分から言ったりしてなかったけど、相当コンプレックスあったから。



じゃあ風俗でも行けば、って言われるだろうけど

知らん女とセックスすることに救いがあると思ってないし

彼女出来ないのは非童貞になろうがそのままだからあんまり意味があると思ってない。

要は一人の異性も振り向かせられない、魅力が劣った人間というのは風俗では解決できない。



もう一つ、その場には女の後輩が複数人居て、もうそ結婚式以降は本当に会わない間柄だったか

生涯最後でも不思議じゃなかったその場で

「(増田先輩ってこの歳でまだ童貞なんだ)」って強めに刷り込まれしまったのが辛い。

言わなくてもうっすらそうだろうと後輩から思われるのは気にしてもしょうがないけど、

目の前ではっきりと貶められたらもうズタズタだよ。しかも俺が黙りこくっちゃったもんな。



ストレートに「今は止めろよ」だけでよかったかもしれないけど、

なんとかして相手の売り言葉に、騒ぎを起こさな範囲で買い言葉で応戦しようとしてた自分も悪かった。

結局時間切れだ。



二次会だったら喧騒も多いし、静かにキレればやり返せたかもしれない。

そう思ってるけど、いざそんな感じだったらその時はその時で黙っちゃうのかな。情けない。悔しい。



友達結婚式は呼ばれたら祝いたいけど、そいつには会いたくない。

とにかく腹立たしく惨めだ。

1年以上経つけどかなり深く刺さってしまった一件だ。



ハゲ、低年収、とかそいつ自尊心を傷つける言葉で応戦してしまえばよかったのかなあ。みっともなくても。




[追記]

なんか行動してないのが悪いみたいなレスポンチが始まってるけど、

「だから童貞を公の場で侮辱されたところでしょうがない」になるわけ無いだろ。サンドバッグじゃないんだぞ。

2020-08-19

成人式の思い出

成人式は狭いホールで行われる予定だったが、そのホールに入る前から着物やらスーツやらを着た新成人でごった返していた。中にはキャバ嬢のような派手な着物を着た女性や、逆立てた金髪と袴を合わせた男性などもいて、中学時代卒業式を思い出して懐かしい気持ちになった。

成人式中学校の区分で分けられているはずだったが、ホールの外ではほとんど同級生は見かけなかった。しかし、一旦ホールに入ると中学校の名前が書いた看板が立てられていて、なるほど、一つの中学だけじゃないんだと気づいた。看板が示す区分けのほうに行くと、必然的に見覚えのある顔がなんだか増えてきた。

見覚えのある顔と言っても中学校は定期的に引きこもっていておそらく2/3くらいしか行ってない。だからあんまり感慨は無かった。ホールの中は人がごった返していたので、そんな感慨よりも人混みから早く逃れたいと言う気持ちと、後悔するだけなのになぜ参加したんだろうと言う気持ちが強くなってきた。

幸いな事に各中学区分けには椅子が設置されており、式が一旦始まるとそれなりにスペースを確保する事が出来た。そのおかげで一息つく事ができた。

式には自分を半ば無理やり学校に連れ出した当時の担当が現れた。普通はこういう時ありがたいと思うのだろうかと思って「ありがたいぞ、これはありがたい事なんだぞ」と自己暗示を試してみたが、ありがたさは全く湧いてこなかった。スペースを確保してくれる椅子のほうがずっとありがたいとすら感じた。

式が終わると一斉に人群れが動き始めた。椅子に座って動きが落ち着くのも待っても良かったが、一人椅子に座っていて目をつけられても嫌だった。人波に乗ることにしたが、式が始まるよりも激しい人波から早く逃れたいと言う気持ちが俄然強くなっただけだった。

人波に揉まれているとどこからか「増田くん!」と言う声がした。振り返ると中学校の頃に良くしてくれた学級委員長のAさんだった。多少は恩を感じていた分、無視するのも悪い気がしたので、Aさんの方に近づいた。Aさんはぼんやり記憶の中にある姿と思ったよりも変わっていなくて、少し嬉しかった。

同窓会があって、今、出席する人を集めてるの。増田くんは出席する?」とAさんが聞くので、なるほど学級委員長は5年たっても学級委員長なのだなと妙な感心をした。「行くよ」と返事したが人混みの喧騒に紛れて聞こえたかは分からない。

そうこうしているうちにAさんは別の同級生同窓会に誘いに行った。取り残された僕は人波にもまれているうちに早くここから離れなければと言う気が強くなった。多少の抵抗したが、人波に流されるだけだったが、なんとかホールから出る事が出来た。ホールから出ると記念撮影をしてる人がまばらにいた。当然、僕には記念撮影をする相手なんて誰もいない。

どこにも属する事が出来ずにぶらぶらしていると、B君に合った。B君とは中学時代よく遊んでいて親は僕とBくんが友人だと思っているのだが、半ば手下のような扱いをされたので僕はあんまり友人とは思ってない。そんな微妙関係のBくんとはさしあたりのない話を少しした。Bくんは同窓会がある事を知らないのか、知ってて断ったのかは定かではないが、完全にもう帰るつもりらしかった。中学の時と同様に僕も流されて完全に帰る気になってしまった。

家に帰ると親から同窓会はどうだった?」と聞かれた。人混みに疲れた、とだけ言うともう何も言ってこなかった。

その日のうちに大学下宿に帰った。電車の中で、Aさんに返事が聞こえていても、誰の連絡先も知らないし誰も僕の連絡先を知らないな、と気づいた。

成人式から5年たった今でも誰の連絡先も知らない。だから同窓会がどうなったのかは分からない。

けれど、こうして時々、Aさんは元気にしてると良いなと思う。

2020-08-13

酔って寝ている彼女を好きなようにした

僕はアルコールを飲めなくて、酔っ払う良さが分からなくて、

彼女アルコールに身を任せて酔っ払って、僕が抱きかかえて部屋まで送る。

女性専用マンションからエレベーター乗るの禁止で、

階段を4階まで、163cmの女性の全体重を支えながら上がった。

窓を開けると風は涼しいけど、汗と湿気が肌にじっとりする夜。

世田谷通りを行き交う自動車喧騒で静か過ぎなくていい。


彼女は呼吸を大きくして横に「ぐでん」となっていた。倒れてるのか寝てるのか、

眠ろうとしてるのか。


チノパンを履いてたので、ボタンを外してチャックを下ろした。

そのまま脱がした。楽になって気持ち良いのか、脱ぐのに協力的だった。

足の甲だけの小さな靴下も脱がした。白い綿パンから肌色の脚が伸びていた。

別の女性なら、ポリエステル下着から白いお尻が丸くて、真っ白な素肌の素足がなんたら、

だったかもしれない。


ショーツも脱がした。見て思ったことは(お姉ちゃん大人から毛が生えてる)だった。

ここで彼女寝返りを打ち、下半身裸のまま仰向けで大股開きの格好になった。ひぇっ。

まずは写真を撮った。別にこんなのはせっくすのくんにの時と同じで同じでない。

恐る恐る陰毛がふさふさしてるところをくんかくんかしたら、

汗の酸っぱい匂いけがした。少し舐めたら塩っぱかった。汗だ。

僕は女性のお股が前から見ると割れ目になってる構造が好きで、

つまんで割れ目を作ったり、割れ目を開いてからくぱぁして、少し遊んだ

どうせなんで、ブラウスの前も開けてブラジャーもフック外して裸にした。

26歳のおっぱいと焦げ茶色乳首

2020-07-27

おんぼろの家と電車の音、こわい音

都内の築50年は経ってる感じのところで暮らしてる。

駅のそば、高架下に近い立地だ。

おんぼろだから、駅近なのに家賃はとても安い。

立地とおんぼろも相まって、一日中、いろいろな音がする。

生活音、飲み屋街の喧騒が少し、各国の言葉学生の嬌声、猫の鳴き声と足音、車の音、電車の音。

引っ越した当初は煩く感じるかなと思ったが、そうでもなかった。

眠れなくなる程の音量ではないし、TVをつけていると気にならない。

他人の誰かが24時間働いたり生活したりしている感じが解るのは、意外と安心するのかもしれない。

近くて遠い感じがするので、車窓から見えるマンションや家々の明かりを見て感じるそれにちょっと似ているような気がする。

特に電車終電後の深夜になると、整備や貨物車両がやって来るのが解る。

電車にはそんなに詳しくないのだが、ディーゼルというのかな、懐かしい音がする。

特に、冬に布団の中でこの音が近づいてきて遠ざかっていくのを聴くのは、とても贅沢な気がする。

なんだかワクワクする。

ここで暮らしてきて、解った事がある。

通常ではない音の事だ。

電車の警笛、プァーンという、あれだ。

短いやつではなくて、遠くから長く警笛が鳴る事がある。警笛が近づいてくる。

その後、低くて重いブレーキのような音が続く。

その後、暫くブザーが鳴り続ける。

少しして、救急車消防車の音が聴こえてくる。

もしやと思って検索すると、そういう事なのだと解った。

その瞬間や終わった後ではなくて、すぐそこの終わる前の音が聴こえる。

はじめのうちはあの音が聴こえてくると、まだ間に合う、逃げろと思っていた。

今は、ああもう間に合わないなと感じる。

これが意外と頻繁に聴こえる。

2020-06-07

anond:20200606192134

もう3年前だ。

父の形見風鈴がでてきて、

下の紙の風が当たる部分が痛んでたので、なおして

いっかいベランダに突った夜。

翌日「風鈴五月蠅いのではずして!迷惑、うるさい」という内容の手紙

うちの郵便受けに入れてきた奥さん

(父が存命中もつってたけど、

 父がいるとき一言もそんなこと仰らなかったのにな、とため息交じりに、

 即、風鈴しまいました。

 良い音色なのに、うるさいのか。)


その奥さまのところの、お嬢さんと、お友達筋が、大声で近隣で立ち話してるのは

何度も見てる。

きのうの度を越した大声&大笑いの喧騒は(女性の声だったのですね複数の。)

怖いので外覗いたりもしてないけど(見とがめてるように思われるのも怖いし)

いつものの子達だったら、

あなたのお母様は、風鈴の音でも「やかましい」と、うちに手紙をくれるような方ですが、

あなた方の大笑い大騒ぎの

その声は聞こえなかったのかな?

それともお母様は外出中でいらっしゃらなかったのかな?

それにまだ、コロナ収束はしていません。

割と長時間、風に乗ってめっちゃ大声大笑い聞こえてたけど

2m離れてはなしてらしたのかなぁ。だからあんなに大声だったのかしら。

にしてもたぶん場所は、駐車場のあたりですよね。

それぞれお家でSkypeでもズームでもカカオトークでもLINEでも

いまどきの女子は出来るんじゃないの?


2Fで、家の中につりなおした、父の風鈴をみて

ちょっとため息を吐いた。

親御さんは自分ちの騒音や、迷惑にはあんまりきにならないんだろうな。

私たちがまだ幼かったころ、猫ちゃん放し飼いにしておられ、うちのひさしを跳びうつ

まくりで、裏庭にもおしっこされて、

うちは父が厳格な人だったのでそれがドン、と音がすると

「またか!」と怖い形相になってて、母と私で「でもご近所やし、動物にはわからんよ」

なだめるのたいへんだったの思い出す。

部屋の中の押し入れの前の、洋服掛けにつった風鈴はもう鳴らしてない。

でも、洗濯ものハンガーにかけて、ベランダに出すときときどき触ってしまい、

風鈴のいい音がするよ。

2020-05-03

社会実験 : マスクパンティ

世間コロナ喧騒に包まれる中、

20代から40代女性無作為に集め、

ある社会実験が行われた

マスクを装着した女性

10名程度、小規模な会議室にて、

待機を命じられる

担当者の合図に従い、

中年男性が、この部屋に侵入する

その後の女性の反応を調査することが、

この実験概要である

科学者達は当初、

人間合理的生存戦略に基づき、

適切な判断を下す結果を想定していた...

A. マスクを装着した中年男性

男性侵入に驚きの表情を浮かべる女性は、

少なから存在したが、直接の行動は無かった

B. マスクを装着しない中年男性

男性侵入に驚き、直後に距離を離す女性

大半であった。後から運営者に

電話抗議を行う被験者存在した

C. マスクの代わりにパンティーを装着した中年男性

男性侵入に驚き、悲鳴をあげ、

即座に部屋から退出する女性複数名、

実験は中断を余儀なくされた

---

いたことに、多くの被験者

感染という直接被害よりも

視覚情報から不快感を、

優先したのである

これが、難問「パンティ問題である

2020-05-02

[]anond:20200502065319

14歳初体験が無色だった話

このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組歴代のヒットソングを流し続けている。

私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代うんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。

この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。

歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。

2005年のヒットソングレミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日ラブホテル天井だんだんと思い出させる。

中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。

私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。

中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校トイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園トイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。

一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園トイレでパコっていそうなのに、処女なのだ

私は心底情けなかった。親から毎日公園トイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggアニマルトークを読む日々が。

そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。

それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。

高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかったバカからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。

からといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。

そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点数学で叩き出した。

それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価オール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいしか高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである

そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。

選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OB受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校ギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。

しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。

その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。

私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。

私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。

いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験相手が改札の向こうから現れる。

周りの女の子たちには、インターネット出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。

振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。

すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。

道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。

それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルロビーに入ってからだった。

男は「どこでも良いよね」と言って光るボードボタンを押すと、小さなから鍵を受け取り、エレベーターボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。

部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。

男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。

その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生男の子告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。

タバコ匂いシャンプー香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテル天井を、私はぼんやりと見つめていた。

別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手からか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。

私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験感想は見つからず、モヤモヤした。

それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MV演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。

そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験感想としてしっくりくるものだったのだ。

揺れる長い髪やかすめた天井宮崎あおい最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。

聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ

天井ぼんやりと見つめている間に、音楽番組10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。

14歳初体験が無色だった話

このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組歴代のヒットソングを流し続けている。

私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代うんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。

この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。

歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。

2005年のヒットソングレミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日ラブホテル天井だんだんと思い出させる。

中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。

私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。

中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校トイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園トイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。

一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園トイレでパコっていそうなのに、処女なのだ

私は心底情けなかった。親から毎日公園トイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggアニマルトークを読む日々が。

そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。

それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。

高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかったバカからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。

からといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。

そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点数学で叩き出した。

それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価オール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいしか高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである

そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。

選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OB受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校ギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。

しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。

その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。

私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。

私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。

いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験相手が改札の向こうから現れる。

周りの女の子たちには、インターネット出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。

振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。

すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。

道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。

それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルロビーに入ってからだった。

男は「どこでも良いよね」と言って光るボードボタンを押すと、小さなから鍵を受け取り、エレベーターボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。

部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。

男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。

その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生男の子告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。

タバコ匂いシャンプー香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテル天井を、私はぼんやりと見つめていた。

別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手からか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。

私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験感想は見つからず、モヤモヤした。

それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MV演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。

そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験感想としてしっくりくるものだったのだ。

揺れる長い髪やかすめた天井宮崎あおい最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。

聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ

天井ぼんやりと見つめている間に、音楽番組10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。

2020-03-25

anond:20200325191938

じゃあやってみよう。何事も挑戦だ。

まず摘み取られるところから森林ヒーリング系BGMでいきましょう。

爽やかな葉擦れの音。突如現れる足音。ブチッ。鈍くて強烈な痛み。空を飛んでいる。意識を手放す。

ここでBGM居酒屋のような喧騒に切り替える。騒がしい音が四方八方から攻めてきて、ちぎれた部分に響く。

刹那、短く鋭い痛みのあと、全身が細かく分割される。意識霧散していく中で、体にねっとりした何かが纏わされてる気配を感じる。

ここからが本番、揚げ物のASMR音源に切り替える。

そしてそのシュワシュワパチパチという音は、自分の右耳でも左耳でもなく内側から発生しているのだと想像する。

その音は心地よいだろうか? 不快だろうか?

そんなことを考えているうちに固められ動かなくなった自分が硬い皿に置かれ、何者か――それはきっとキミだ――の前に晒される。

山菜だった自分はすべてを手放し、キミの歯によるダメ押しの一撃、いや十撃くらいを食らった後、キミと一つになる。

 

いかがでしたか?できれば催眠導入のあとに試してくださいね

2020-02-18

redditゆるキャン△スレ

で早くも2021年に予定されるのではないか、と目される情報が先行して出回ってる。

スレ住民が大喜びでSHINY DAYS合唱していた。

オタク世界ワールドワイドを実感できたので、狭い世界喧騒はどうでも良くなってしまった。

reddit海外最大の掲示板みたいなやつ。

2020-02-17

anond:20200217184542

ワイは揚げ物パーティー喧騒から少し離れた湖畔でピチピチ跳ねてるやで

揚がってない生だけど堪忍してほしいやで

2020-01-23

転職したいんだけど何がいいか

24歳 女

大卒2年目

今のとこはもうむりぽなので辞める

今後どうしよっかな

都会の喧騒疲れたんだけど、この年でIターンってどうだろ?

現在地方勤務の彼氏東京戻りたくて転職活動中だから、このタイミングで私が地方就職かになったら破局待ったなしだよなー

満員電車さえなければいいか別に首都圏郊外でもいいんだけど

将来的には在宅フリーランスとか狙いたい

となるとやっぱITかなーでもなーしんどそうだよなー

WEBデザイナーとか興味はあるし大学時代趣味HTMLいたこともあるけどねえ…

あれは自分で考えて自分試行錯誤しながら好き勝手作れたのが楽しかったわけで

お客さんの要求納期があったら地獄だよなー

どの仕事もそうだけどなあー

無茶な要求、無茶な納期、過剰なタスクのない事がしたいなあ

第二新卒で異業種転職になるし、一回勉強しなおしてもいいかなとは思ってるんだけどなあ

専門職が軒並ブラックなのはなんなの

2019-12-05

[] #81-1「AIムール」

現代人の車離れが語られて久しいけれど、未だ俺はそれを首肯できるだけの機会に恵まれていない。

個人的な実感と現実の間に、大した距離があるようには思えなかったからだ。

ちょっと目を放した隙に、近所のスーパーマーケットパーキングエリアになった。

さいころに遊んでいた空き地は、いつの間にか車を停めていいことになっている。

子供たちの溜まり場がなくなったと同時に、猫の安息の地もなくなった。

からすれば、金属の塊が突如として喚き散らし、日陰は不規則に動きだすのだから戦々恐々だろう。

運転手駐車場管理人にとって子供や猫は邪魔存在だろうが、こっちから言わせれば彼らこそ侵略者だ。

町中でPの文字を見ない日はなく、むしろその数は増えているようにすら見えた。

土地の隙間には駐車場ができて、そこには数台いつも構えている。

車離れなど気のせいだと言わんばかりだ。

まあ、それでも気のせいじゃないのだろう。

俺が知らないだけで、車離れの弊害も大局的にはあって、そのことを多分どこかの誰かは嘆いているに違いない。

世の中は流動的で、それは日々感じる表面的な変化とは別なんだと思う。

そして、俺の通う学校の周りでも、その“変化”は緩やかに起きようとしていた。

====

クラスでは最近教室の窓から見える工事現場を眺め、それについて他愛のない会話をするのが日常になっていた。

「外から見る限り、完成間近ってところか」

「ふむ、今年中には完成らしい」

最初はまた駐車場でも作るのかと思ったが、実際はかなり大掛かりな様子だった。

教室からかに聞こえた都会の喧騒は、ここ数ヶ月は工事の音ばかりだ。

学校とか、近隣の人たちはアレに文句言ったりしないのか?」

「我も気になって職員確認してみたが、どうやら既に話をつけているようだ」

クラスメートのウサクが言うには、最近うちの学校で“大きな支援”があったらしい。

目的出所は判明していないが、十中八九あの建物に関することだろうと。

「なるほどな、教材や備品が妙にグレードアップしたとは思ったが、そういうことだったか

そういえば食堂メニューも、現代的というか健康志向のものが増えてたな。

象印良品だとかニタニタ食堂にありそうな、意識の高い感じ。

「随分と手回しがいいというか、景気がいいというか。そこまでして建てて、いったい何をしたいんだろうな」

「それも調べてみたんだが……」

「いい、いい、言わなくて。自分で調べるから

そう言ってウサクの言葉を遮るも、実際は調べる気は全くなかった。

近くでやってるから無視できないってだけで、個人的にはあまり興味がない出来事だ。

自分たちの身近に、またどうでもいいものが出来たって程度の認識であり、その変化に強い肯定否定もない。

俺はそれを漠然と視界に入れるだけだ。

スポーツセンターも見えなくなったなあ……」

窓にもたれかかって、そこから風景をしげしげと眺める。

見えるのは、ほとんどあの建物だけだ。

スポーツセンター思い入れでもあるのか?」

美術風景画の授業がきたら、楽できなくなるなーって。描きやすそうだったろ、あのスポーツセンター

次 ≫

2019-11-24

東京出張

14時30分に家を出て、東京駅に着いたのは、20時だった。

東京は遠い街だった。

日曜日20時だというのに、東京駅には人が溢れていた。駅の飲食店食事を求める人でいっぱいだった。移動疲れのためか、朝ごはんを食べたきり何も食べていないのに、全く空腹は感じなかった。それでも惰性でミニストップサンドイッチを買い求めた。酒を飲みたかったが我慢する。

東京は私にとって縁遠い街であった。人生で一度くらい大都会に住んでみたかったーーできれば若いうちにーー気がするが、大学進学時に縁もゆかりもない地方大学に進学し、卒業後はまたしても縁もゆかりもない土地就職し、さら結婚で夫の地元近畿地方の片田舎引っ越した私には、叶わぬ夢だろう。来年には30歳になる。もうすぐ家を建てるし、出来れば早く子供も欲しい。

この大都会には高校大学時代の友達が多く働いている。しばらく会っていない弟も東京のどこかに住んでいるはずだ。

せっかくの出張しか日曜日の前入りだ。彼らに会いたいと思った。一度も行ったことがない国立科学博物館にも行ってみたい。しかしいざ出張が近くなってみると、全てが億劫になってしまった。

結局、ぎりぎりまで自宅にいた。夫は給料の出ない休日出勤をしに職場へ行っており、私は一人だった。洗濯し、洗い物をして、掃除をした。日常

日常から見る東京は、ネットの向こう側の世界であるインターネット世界中に繋がっているが、私が目にする情報の多くは東京から発信されている。ネットを通してみる東京は、物と希望意識の高い人たちに満ちており、まさしく別世界である

しかし実際に訪れた東京は、日常の延長線でしかない。私はいものように疲れている。そしてこんな駄文を書いている。

東京駅日本橋口から外にでる。オフィス街は、駅の中の喧騒が嘘のように静かだった。街灯はあっても道は暗い。

ふいに就職活動時に同じ道を通ったことがあることを思い出した。東京で働き、暮らす未来が私にもあったのかもしれないのだ。しかしもう私は、自分人生のifについて思い悩む季節はとっくの昔に通り過ぎてしまった。

都会へ出ると、電車の窓から見えるマンションアパートの数に圧倒される。背の高いマンションがいくつも立ち並び、その合間に所狭しとアパートやら一軒家やらが軒を連ねている。この窓の全てに、世帯があって、人の生活があるのだ、と思う。統計的数字ではピンとこない人間の数に圧倒される。自分人生の小ささを思う。これだけ人数がいるのだ、私の悩みなどきっと誰かが既に悩み済みで、私の感じる不幸などありふれているに違いない。

それからこうも思う。これだけの人数の人間何だかんだ、日常をやり過ごし乗り越えて歳をとっていっているのだ、と。これだけ多くの人が日々の生活を送っているのだ。何も難しいことはない。私もきっと大丈夫

ホテルに着いた。一泊朝食付き5600円だった。夫に、ホテルに着いたと連絡する。シャワーを浴びて寝て起きれば、月曜日が始まる。遠い町で日常が始まる。

2019-11-19

おっさんになって良かった

ひょんなことからおっさん、甥っ子とTwitterでつながることになった。

どうやら甥は友達との関係性に悩んでいるらしい上手くなじめないんだと。

おっさんも昔そういう事があった、一人でいるやつは異端大人数に囲まれている奴が魅力的だと。

他のみんなは予定帳にぎっしり予定が詰まっているのにおっさんの予定帳は悲しいほど真っ白だった。

その時の自分はとても寂しいつまらないやつだと思っていた。

しかおっさんになってから、どうやらおっさんはひとりが好きなんだと気づいた。

一人でゆっくりコーヒーを飲み、朝日を浴びながらトーストかじってるのめちゃくちゃ最高。

何かを始めても自分のペースでのんびり続けられる、なんなら続けても続かなくてもいい。

目的は好きにすごす事なのだから

喧騒は疲れるし、苦しいのなら近づかなければいい。

普段のオンの自分役者のようなものでその人にとって好感の持てるである人物像でいれるようにすればいい。

たいてい、微笑みながらきちんと挨拶をして清潔で変にテンションが高くなければ

好かれないかもしれないが嫌われないのだ。

たまに”一人の時間が好きでとてもリラックス出来る、コーヒーが好きだ”なんて話すと

大人でかっこいい趣味ですね」と言われるようになった。結局は第一印象なのである

なんだけど、若い時はそういうの気付けないんだよな。

若さと寂しさはセットなのかもしれない。

おっさんはみんなに好かれたい欲をあきらめたら随分楽になったんだけど、

18歳の自分はそういう事出来ないと思うし。

あとはきちんとその時に考え得る自分立場で出来るベストな良い事をしてれば

最悪嫌われても、でも俺は良い事してるしなと思える。

生きる事に関しては、下のやつを見下すくらいの気分がちょうどいいのかもしれん。

から下のやつを作る、それだけだ。

と甥っ子に言ってやろうかと思ったが、おっさん武勇伝と取られかねないのでやめておく。

話が長いおっさんなんて害悪だしな。

どうか甥っ子がたくさん悩んでも、悩んだ先に希望がありますように。

たいていの悩みは時間解決してくれるもんだし、それでも解決しない問題は考えても無駄だしな。

楽しいタイミングを見つけられれば、悩んでたのが青臭いくすぐったい思い出になる。

早くおっさんになれ、甥っ子よ。

長くなってしまった、つらつら語っておっさん恥ずかしい。ありがとう匿名

2019-11-13

anond:20191113155851

MRは、MicrosoftがHoloLensで喧騒するより前からあった言葉だったのか。

もともとはARとどのように異なる意味合い言葉だったん?

2019-10-23

正しさに疲れて

論理に疲れて

数字に疲れて

でも数字がおれの大事ものを守ってて

数字で遊んで

数字で遊んで

寝て

眠れなくて

数字で遊んで

寝て

起きて

まどろんで

あと5分で動くと決めて

10分後に動いて

電車に乗り遅れて

宙を眺めて

喧騒にやられて

会社について

数字に逃げて

数字に入って

論理を作って

数字に疲れて

数字に疲れて

2019-10-14

休日に落ち着いて本が読みたい

休日になると一人で本を読みたいものであるしかし家では妻が大音量テレビを見ていたり別室にいても話しかけてきたりしてうるさいのでもっぱら家の外で本を読んでいる。

はじめは喫茶店で読んでいたが、混んでくると席を占有しているようで居心地の悪さを覚えるようになり、そのうち公園駐車場で本を読むようになった。ちなみに田舎では車で移動するため家の外だと居場所は車の中しかない。

しか公園駐車場にしてもスーパー屋上駐車場にしても、車の中で中年男性が一人でずっと座っていて不審に思われないわけもなく、近くを家族連れや警備員が通るたびに小さくなってやり過ごしているが、いい大人が人目を忍んで隠れるように日中を過ごすというのも情けなく、心穏やかに本を読むなどといったこととは程遠い状況である

なんともお粗末な休日の過ごし方をしているが、いつかは、かつて見たつげ義春漫画のように、どこか静かな場所にこっそり自分だけの部屋を借り、うるさい喧騒などから切り離された世界で、落ち着いてじっくり本を読みたいと夢想している。

2019-09-15

軽井沢、田崎美術館で、愛らしいお嬢様出会うことについて

 私はときおり家族軽井沢に行く。何度も行っているので、めぼしい観光地はほぼ巡ってしまたかもしれないが、まだ行っていないところもそれなりにあり、それを目当てに足を運んでいる。それ以外はおいしいものを食べたり、宿で温泉に浸かったり、一人でふらふら近場を歩き回ったりと、各々が好きなように過ごしている。

 別に家族の仲が悪いわけではない。ただ、趣味が違う相手に無理して付きあうこともないし、その方が互いにいい時間が過ごせると思っているのだ。興味がないものにつき合わせてしまうと、こっちとしても心苦しい。それだったら、昼間は好き勝手に過ごして、夕飯時に一日の感想を共有する方が楽しい

 そうしたわけで、私は一人でふらふらとバスを乗り継いで美術館巡りをしていた。朝のうちだったのでバスの遅延もなく、目的地のハルニレテラス近辺についた。グーグルで調べたところ、目指す田崎美術館はそこから歩いてそれほどかからない。だから私は、ふらふらと美術館まで足を運んだ。

 軽井沢は大小さまざまな規模の美術館がある。それぞれは離れていてアクセスがやや不便だとはいえ、私のように緑の中でぼんやりと絵を観るのが好きな人にとっては、都心喧騒を忘れさせてくれる場所だ。小規模なところはすぐに観おわってしまうし、ほとんど同じ作品ばかり展示されているのだけれど、それでも久しぶりに同じ絵と対面するのは、旧友と再会するみたいな気持ちになる。

 ただし、田崎美術館を訪れるのは今回が初めてだった。というのも、開いている期間が短いからだ。軽井沢美術館は概して冬季は閉館していることが多い。ゴールデンウィークになってさえ、まだ閉まっているところが多いくらなのだ。ここはやはり避暑地なのだな、と思われる。冬になると鬼押し出し園と絵本美術館くらいしか空いていない。

 入るとそこは自然光が差し込むコンクリート空間だった。作品保護のため直射日光は直接当たらないが、中で歩き回るには十分に明るい。私は田崎廣助の描いた山岳の威容を眺めつつ、自分は山に関してはまったくの無知だな、とつくづく思い知らされた。もしも私が山に詳しかったら、峰の形や周囲の地形からどこが描かれているのか、題を読むことなく知ることができただろうに。そして、どれほどその土地雰囲気を伝えているかを感じ取れたはずだ。

 環境省かどこかの国立公園写真の小コーナーを見終わり、中庭を挟んだ向かい建物ぼんやりと眺めた。もしかしたら、向こうの建物にも展示の続きがあるかもしれない。そう思ったが、向こうの建物入り口らしきものが見当たらない。現に、中庭で困ったようにうろうろしている女性がいるではないか

すみません

 と私はその女性に声をかけた。彼女は首を傾げた。

「私も入り口がわからないので、ちょっと係の人に尋ねてみます

 彼女は驚いたようだが、すぐに会釈した。

ありがとうございます

 私はすぐにとって受付のベルを鳴らし、事情説明した。係の人は親切に、道なりに行けばいいと教えてくれた。歩いていくと、確かにドアらしいものがあった。入り口がわかりにくかったのは、そこにカーテンがかかっているからだった。つまり風呂場のカーテンのように磁石で留めるしくみになっていて、そこが扉だと遠目にはわからなかったのだ。珍しいタイプ入り口があるものだ。

私は女性を案内し終えると、ゆっくりと展示を眺めた。作品ばかりではなく、色紙や葉書もあった。中には欧州から出した手紙もあり、興味深かった。文体が私の祖父によく似ているのだ。田崎廣助は私の祖父よりも三十ほどは年上になるはずだが、戦前教育を受けた人に特有なのだろうか、きびきびとして気持ちの良い文章だった。

 そうして夢中になっていると、後ろから呼び止められた。振り返ると先ほどの女性である

「先ほどはご親切にありがとうございました」

 そう告げて一礼し、微笑んだ。

 私は驚いた。というか、恐縮した。ただ係の人に道を聞いて案内しただけのことだ。それなのに、ここまで丁寧に頭を下げられるとは。いえいえ、と慌てている私に、彼女は重ねて感謝言葉を伝える。女性にこんな笑顔を向けられたことなんて、ない。

 もしかしてこれはチャンスなのではないか、と頭の片隅で声がする。一緒にお茶ぐらい飲めるのではないか。片隅にティールームらしいところがあるが。もう一つの冷静な声がする。彼女は単に育ちが非常に良いお嬢様なだけだ。私のような人間に、そんなチャンスがあるはずがないだろう。さら皮肉な声がする。君は最近美術館で現れる迷惑男性の話をネットで読まなかったか女の子浅薄知識を自慢をしたり、つきまとったり、そんな人間だと思われてもいいのか。美術館ナンパスポットではない。そして、私の引っ込み思案な性質が頭をもたげた。知らない人と話すのはつらい。ひとりになりたい。

 そういうわけで、私は彼女と丁寧な会話の応酬をして、田崎美術館を立ち去り、セゾン現代美術館に向かった。徒歩だったが、想定していたよりも時間がかかった。歩きながらも、私は後悔していた。思い出してみれば、本当にきれい上品な人だった。私は、丁寧な日本語を使える女性に弱い。はっきり言って理想タイプだった。なのに、みすみす逃すとは。私はとんでもない馬鹿なのではないか。よく後輩の女の子が、旅行先でいつも親切な人にお茶をごちそうしてもらって嬉しい、って笑っていたではないか

 そんな思いも、セゾン現代美術館を一周し、テラスサーモンサラダを食べているうちに薄れてきた。自分はいつも、そういうちょっとした親切心を行為と取り違えてみっともない真似をしてきたではないか。気にすることはない。これはいい思い出になった。それに彼女はせいぜい女子大生、対して私は三十を超えてしまった。釣り合うはずがない。

 せいぜい、きれいな思い出としていつまでも覚えていて、どこかでまた会えたらいいな、と妄想するくらいにしておけば十分なのだテラスナボコフを読みながら、そんなことを考えていた。

眠らないまち、眠らない人々

都会でなくても夜になっても明かりは消えない。

大学生になり、24:30で終わるバイトをするようになって知った。

私があがる時間以降も働いてる方はいる。朝の6:00くらいまでだったと思う。

高校生の頃は実家暮らしで、夜外に出ることはほとんどなかった。

夜の明かりといえば、窓から見える、すぐ近くの自動販売機の明かりだけ。

大学生になり一人暮らしをはじめ、先述のバイトのこともあって夜に外に出る機会が増えた。

コンビニの明かり、居酒屋の明かり、学生喧騒暴走するバイクを追いかけるパトカーライト……。

夜は明かりで溢れていた。

なんか、そういうのって、都会のかぶきちょーだとか、いかにもな所だけだと思っていた。

眠らない人々はどこにでもいる。

夜に帰るようになって、夜のスーパーコンビニをよく利用するようになった。

当たり前だけど、働いている人がいる。

自分バイト終わりだけれど、彼らはこの後の深い時間も働くのだと思うと、なんか申し訳ないような、ありがたいような気持ちになる。

自分みたいに利用するやつがいから24時間営業させられてるんだろうな〜という後ろめたさと、

深夜手当もらってるからとかじゃなく、ただ寝静まった時間帯にも勤労していることへの尊敬感謝と労い。

眠らないまちの、眠らない人々は本当にえらい。








ただ推しプライベートで金を稼ぐ週刊誌、てめーは地獄行きだ

2019-08-04

おじさんの魔法が解けてしまった

新天地での生活に慣れて、もうそろそろ「行きつけ」みたいな場所を作りたいなーと思い数ヶ月前からバーに通いだした。

最初は静かに飲んで他の客の話を横聞きして(友達の少ない身としてはそれだけでも結構面白い)うとうとしたら帰っていた。

何回か通うとマスター自分の話をしたり他の客とも少し話すようになった。

すると何回も顔を合わせるおじさんができた。そこの常連であり似たような仕事をしていて、仕事柄時事の話とかも真面目にできる。変なマウントもない良識派のおじさんだった。

都会の日向で明るくうぇーい生活20数年送ってきた会社の同期と、田舎の日陰でぶつくさ言う20数年を送ってきた私には常識が大きく異なる点があり、ショックを受けることも多い。その点おじさんは人生を積んでいるか常識乖離もないし議論好きなこともあり話が弾む。入社当時もうぇいの喧騒から離れ人事のおじさんと喋っていたので、好かれてるとかお気に入りとか言われていた。

かにおじさんと話すのはリスクが低く、普段何の役にも立たない自論も語れるしためになったり珍しい話が聞けるので結構楽しい特に予定もないので夜中までおしゃべりして飲んで帰っていた。

その日も途中からおじさんたちと話していた。私は考察議論好きに加え、プロレス深夜ラジオを少しかじっているという特徴があった。この2つは同世代よりはるかにおじさんに刺さる話であり、その日もプロレスの話で盛り上がった。そこからまた仕事の話になり、なんか膝触られたなとは思ったがおじさんは3軒目らしいし酔ってるんだろうなと思った。何周かしてまたプロレスに戻り、小学生の時に回し蹴りとかやってたという話をしたところ蹴られたいとおじさんが言った。相当酔ってらっしゃるなと思ったがマスターもいたのでMなんじゃないですか?と問答してそれなりに盛り上がった。

かれこれ5時間ぐらい喋っていた。閉店時間なりチャリで帰ろうとしたがおじさんはふわーっとしていたのでしばらく歩くことにした。

するとおじさんが「今日可愛いね」といって頭をポンし始めたので「これはマズイな」と思ったらやはりしなだれかられてしまった。

格差はあるが力は無かったので冷静におじさんを起こしてやめましょうと宥めたあと、しばらく関係のない話をして、おじさんがシャンとしてきたなと思ったところでチャリで爆走して帰った。

何も襲われたなんて思っていない。本当に就職で住み始めた土地だし同期もアレだしでツテ0なので自分友達開拓してみたかった。しかし通う場所も集う場所も無いしアプリSNSで繋がることも無い。考えた末のバーだった。だから会社や旧知の友人以外と話せるのが新鮮でそれなりに楽しかった。

あと上述の通り、自分でもおじさんとばかり話が盛り上がってしまうことについて自覚があった。ゼミ先生上司と1:1で話すのも全然しかった。周りが好きなタイプジャニーズ若い俳優をあげるなか、答えが出ずに考えていると「反町隆史とか?」と振られてしまうような私であった(無論、反町隆史はここにおけるおじさんとは年齢ぐらいしか共通項の無いナイスガイである)

となれば私はやはりおじさんが好きなのだろうか?おじさんでもいいのか?という疑問は結構な間、確かに存在していたのだ。

そしてそれについて私も答えを知りたいと思っていた。

が、しかし、昨日出たのは「おじさんと話すのは楽しくても、おじさんを愛することはない」という答えであった。酒の勢い、相手に流されて、という理由がつけられる状況においてもおじさんと寝ることはできなかったのだ。

マイルドに言えば頭ポンされても心ときめかず、可愛いねと言われても「確かに今日の仕上がり良かったな」としかわず、悪く言えば、あのまま応えていれば酒臭いとかタバコ臭いとか身体がだらしないとか思ってしまうのは必須であり、小さい細いの私がおじさんと並べばどうみても程度の低いパパ活であり、つまり生理的に無理なのだ

あるとき、親戚のおじさんがなぜ大学生になっても挨拶ハグするのだろうと思い「もう私も大人ですから、やめましょう」と言った、まさしくあのノリで「今後会ったら気まずくなりますから、やめましょう」とおじさんに言ってしまったのである

話が合って良識があり、独り身っぽいけどなんか矜持がある紳士という魔法は溶けて

若いちゃんワンチャンしようとしたただの婚期逃しただけだったおっさんになってしまった。

それと同時に「もしかしたらおじさんも恋愛対象なのかしら?」という私のぼんやりした疑問もNOという答えで消滅してしまった。

私の記憶が正しければ、おじさんはおそらく家と逆の方向に歩いてきたはずである(以前は逆方向に帰っていたから)。

私が爆走して消えたあと、きっと踵を返しているだろう。もしかしたら以前もそんなことがあったのかもしれない。

おじさんにとって私はいつまで「悩ましき、打てば響く人生の後輩」で、いつから「なんかワンチャン寝れる気がする20女性」になったのだろう。

おじさんは反省したのだろうか、恥ずかしくて死にたくなったか、あるいはミスったなあぐらいの常習犯なのか。それを考えて少し笑ったり、おじさんは無理だなやっぱ…と少しガッカリしてる私は冷酷なのか。

とか書いてたら長い揺れが来た。

そういやおじさんとは震災の話もした。私は被災地における同期のあるふるまいに怒り、未来故郷に待ち受ける絶望空虚さを語った。おじさんは真面目に話を聞いて「でもそんな悩めるひとだからこそ、辞めないでほしい、そういうひとが若い世代にいることは1つの希望だ」と言っていた。あんな会話も、魔法が解けてしまたから、もうできないな。

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