はてなキーワード: 博物館とは
あちこちで散々既に言われてるはずなんだけど(言われてなかったらおかしい)、”ライター”もそうかも知れないが、”キュレーション”も今回の騒動で恐ろしく地に落ちた言葉で、いやそれ以前に”パクリまとめサイト”のことを”キュレーションサイト”と言い換えた時点でおかしい。キュレーション(キュレーター)ってもっと高度に知識や経験、見抜く目、そういう能力が必要な技術職でしょ。本当のキュレーターの方々がどんだけ迷惑こうむった(こうむってる)かと思うとくらくらする。
キュレーションで検索すると、”本来は学芸員、博物館長などの意味。IT用語としては、インターネットで情報を収集、選別し、まとめたサイトのこと。”みたいな答えが出て来るの、本当におかしい。
キュレーションサイトって最初に名付けて言い出した奴は死ねばいい。
「メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディア「スポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。
The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News
ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。
MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。
近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年にドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。
1920年、ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。
1900年にアメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンなイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。
カージナルスやドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。
1966年、エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。
スポーツ用品のSpalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボールの標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。
シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグの創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。
黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年にニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。
野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。
元はブルワーズのオーナー。MLB選手会とオーナーの対立が激化していく中で、1998年(実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。
ドジャースのオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。
1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。
1974年、ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。
ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である。
ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。
野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的なルールの策定に貢献した。遊撃手のポジションの創始者とも言われる。
(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)
ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。
MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。
肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年、ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。
「シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。
最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。
走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。
1901年にアスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である。
上院議員、ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナー。ランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラーは進歩的であり、1947年にドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。
連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。
1900年にパイレーツのオーナーとなった。その後のナ・リーグとア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。
スコットランド出身のビジネスマン。1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアがアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。
レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である。1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。
大学で統計を学び、1969年にスポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーやバスケットボールの百科事典も編纂している。
ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックス、アスレチックス、カージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。
MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。
アストロズのオーナー。1965年、世界初のドーム球場・アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝は70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。
MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。
1998年のサミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年のストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。
1969年、カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。
日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。
1977年のワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイ・キューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。
1920年、カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。
2002年、レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブスの球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。
私の命名ですわ。古墳風に呼んでみました。
実際に土岐川(後の庄内川)の北側丘陵地帯には多くの古墳があるのですわ。
前にも取り上げたことがありますわ。http://anond.hatelabo.jp/20160723193013
瑞浪mioちゃんのパネルがトイレを真っ正面から覗いていることに気付きました。
いけない子ですわ。
友の会の方々が集められたコレクションが特別展示されていました。
他にも渥美半島に行ってらしていて、個人的に東北へ採集に旅行される方もいるそうで、
活発さに驚きました。
イワシやニシンはいらっしゃるのにぃ(ハンカチ噛み裂きですわ)!
彼の作品ばかりを展示していました。
昔の作品に劣りません。
一見地味ですが、長く手元においておくとじわりと良さが
伝わってきそうでした。
最初期の青い染付皿はその点で異色で、方向性を探っていた時代が感じられました。
参加はお一人鯖にはしきいが高く、図書コーナーで星ナビ11月号を読んできました。
期せずして明るい失敗国家ナウル共和国の訪問記が読めたのは収穫でした。
・市之瀬廣太記念美術館
ブロンズ製の裸身像がアーチ型天井の展示室におかれて西洋風ですが、
でも、裸身像の制作者は誰もが一度は両性具有作品をつくって壊したことがあると
企画展として山の写真家、澤井竹次郎氏の作品が壁に掛けられていて、
生命の存在を拒絶するような雪山の荒々しい光景に呑まれました。
・地球回廊
第二次世界大戦時代に掘られた地下工場用の防空壕を利用して造られた
地球の歴史展示施設ですけれど、解釈が古く眉をついついひそめてしまいます。
小型の獣脚類も羽毛がない超硬派ですわ、
なによりまず最初に鯖があったはずですわ。
地下の安定した環境のおかげで古いパネルの保存状態が比較的良好なことは注目に値します。
内部の気温は13℃で少し寒いくらいでした。
以上、すべてを跳ね回った距離は2.8kmでしたわ。
館名から敬遠していましたけれど、大きなお友達陶器博物館に改名するべきでした。
博物館を運営するメーカーが1968年(記念すべき1号は巨人の星)から
生産しているキャラクター茶碗がたくさん展示されていて間接的にアニメの歴史を概観できました。
「空想科学世界ガリバーボーイ」の茶碗には完全にやられてしまいましたわ。
そして「魔法少女ちゅうかなぱいぱい!」「魔法少女ちゅうかなぱねま!」のタイトルが意味不明で引っかかります。
およげ!たいやきくんってアニメだったのですね。およげ!さばやきくんも制作するべきですわ。
簡単に年代で作品を見比べられるので明らかに先進的であったことが分かりました。
最近のお茶碗はプリキュアとレンジャーの無双状態になっていて寂しかったですわ。
深夜アニメ茶碗も作ってほしいですわ。
またアナの女王茶碗では陶器への転写技術がどれだけ進歩したかがよく分かりました。
冷静に考えるとパン派への酷い裏切りに思えてなりませんでした。
ショクパンマンのお茶碗で食べるまっしろごはんはどんな味かしら?
B1の特別展示では、やなせたかし先生がじきじきに絵付けをした
アンパンマン・バイキンマン・ドキンちゃんのお皿もありました。
加藤卓男氏の三彩陶器は一度みれば彼の作品であるとわかる圧倒的な個性があります。
あらあらしくもスピード感のある器に、濃い緑色の釉薬がかかった陶器ですわ。
志野の中には、厚くひびわれた釉薬がお煎餅の白いお砂糖状態になっているものがあって、
ちょっとおいしそうですわ。
注目は曜変天目茶碗の再現をめざしたと思しき林恭助氏の作品で、
油滴のまわりが色づいている様子がわかります。
展示場の構造もおもしろく、ドーナツ型の展示室を一周することで作品をみることができます。
ドーナツの真ん中は中庭なっていて、茶室風の席から松と竜の髭、石灯籠の風景をゆっくり眺めることができました。
つづいて多治見文化財保護センターに行ったら、土日祝休館でしたわ……
代案で行った「こども陶器博物館」編 http://anond.hatelabo.jp/20161015191937 に続きますわ。よしなに
お祭り中で入館料100円(通常は300円)、福引きができました。
上から6番目、下から1番目に良い景品のポストカードが当たりました。
美濃陶芸の明日展(あすてん)として現地の若手陶芸家の作品が特別展示されていました。
「せんぱい」と「ふれっしゅ」に分かれて別の部屋におかれているのですが、
二つの間の展示室には巨匠、荒川豊蔵のコーナーが存在していました。
創意を表に出さざるを得ない若手作品をみた後の
しぶい荒川豊蔵コーナーでは思わず「いいしごとしてますわね」と呟きました。
巻物に墨で書かれた彼の作品論も興味深くて、
「古いものに名品が多いのは時代を通じて淘汰されているからで、
直感を信じることの勧めには銀と金の美術商編を思い出しました。
「あすてん」では単色の陶磁器に無数の小さな穴をあけた新里明士氏の作品に
やはり存在感があります。この方の作品は各博物館に長く展示される気がします。
時間のかかる緻密な仕事ができる精神に作品を通じて触れることで、
ふれっしゅ部門では白木千華氏の壷に魚をたくさん張り付けた作品がユニークで魅了されました。
鯖もいたと思いたいですが、魚がカラフルすぎたので怪しいです。
後、常設展示の総織部の茶碗が気に入りじっくり眺めました。
ひ色が混じったこの茶碗のわびがなかなか出せていないように感じます。
ひたすら眺めたところ胎土も赤色のようでした。
総織部と言うのでしょうか。
休憩コーナーにはへうげものの全巻がおいてありました。
近所のうどん屋さんが大繁盛で、
すぐ近所に建て替えリニューアルするらしいの。
で、ちゃくちゃくと工事が日夜進んでいて、
通るたびに食べてみたいなと思うのよ。
だけど、いつもお客さんがいっぱいで入るの躊躇しちゃうわ。
今度のリニューアルしたお店は
全64階建てでそれぞれのフロアで
まるで、ここに全国のうどんが集結されるようで、
繁華街に出来てた経営が上手くいかなくて潰れちゃったうどん博物館の存在がまるで皮肉ね。
きっとこっちはまた大繁盛よ!
ジャンボ白田も驚きを隠せないわね!
大喰いチャンネル見てないけど、
きっと素晴らしい戦いになると思うわ。
それを鯖節のお出汁で頂きました。
ま、美味しくいただいたからいいんだけど。
鯖節はパンチがあって美味しいわよ。
澄み渡る高原を思い出すかのようなネーミングだけがものすごく美味しそうな
レモン水よ!
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!おー!
私は今、モスクワの大学寮にいます。ロシア大使館主催の第6回ロシア語学短期留学プログラムに参加しているからです。
日本の大学生約80名がモスクワの国立大学に派遣され、授業料免除で約1ヶ月間ロシア語を学べるありがたいプログラムなのですが、
大学側の対応や日本での担当窓口のロシア旅行社に思うところがあるので、この記事を書きました。
約6畳の部屋に3人押し込まれるので狭いです。
1つの風呂、トイレ、洗面台を5人で共有する部屋もあるので、ストレスが溜まります。
共有キッチンもありますが、電熱コンロなので火力が弱すぎて、炒め物は無理です。
鍋・食器なんで全くありませんし、電子レンジや湯沸かし器ももちろん無いです。
仕方がないので、皿、フライパン、食器、電気ケトル、炊飯器を現地調達しました。
物価が安いので3000ルーブルでなんとか揃ったのが救いです。
あと、ベッドの毛布が臭いし、部屋に人数分机がないところもあるので勉強が大変です。
ロシア旅行社様(日本側の窓口)の説明では、寮にWifi完備とありましたが、
半分本当で半分嘘です。
大学1階ロビーには登録不要で使えるWiFiがあるのですが、寮の部屋で使えるWiFiはロシアの携帯番号がないと登録できないので使えません!
私はMegafonという携帯会社のSIMカードを買ったので、なんとかなりましたが、
多くの人はわざわざ1階に降りてネットを使ってました。
日本からレンタルWiFiを持って行くという方法もありますが、
1ヶ月1万円以上かかるのでおすすめできません。(ロシアでSIMを買えば1ヶ月1000ルーブルで8GB以上使える)
ロシア旅行社様からの説明では、1日5000円計算で15万円程ドル・ユーロ等の現金を持参するのがおすすめとのことでした。
しかし、実際は外食も日本と比べて安く、博物館・劇場の料金もかなり安いので、
1日2000円も使っていません。頑張れば1日500円で生活できます。
クレジットカードはかなり通用しますし、VISAデビットのキャッシュカードなら簡単に現金を引き出せたので、現金は少なめで大丈夫です。
ロシアは遠いので仕方が無いと思いますが、寮の部屋などの現地情報をもっと詳細・正確に伝えて欲しかったです。
クラスの移動がかなりありました。
上級から初級まで6クラスあるのですが、上のクラスは本当に難しいようで上智のロシア語学科でも死にます。
まあ、実際に授業を受けてクラス分けするというのはある意味合理的ですが。
以上のように大学に来てからいろいろ大変なことはあったのですが、
なんとか生きながらえています。
金~日が休みなので、バレエやサーカスをみれて非常に楽しいです。
まだ2週間ほどですが、ロシア語力は伸びているのでかなり有意義だと思います。
ただ、寮がひどすぎますが…
日本の食材(レトルトカレー、米、緑茶、乾麺など)とマイ箸 ※必須
フライパン、鍋、まな板、ナイフ・フォーク、コップ、マグカップ、湯沸かし器 ※現地の方が安く買える
※以上の文章は個人の感想・体験を記したもので、 ロシア旅行社 様および プーシキン記念ロシア語大学 (Государственный институт русского языка имени А. С. Пушкина) の社会的評価を低下させる意図はありません。
ロシアの学生にしては快適な生活を送らせて頂けているものと思っていますし、あくまでもロシアで感じたカルチャーショックを伝えたいだけです。
横浜にある記念船日本丸と横浜みなと博物館に行って参りましたわ。
みなとみらい駅のエスカレーターが長くておそろしいおろそしいですわ。むきゅー。
みなと博物館の展示は、ほぼ黒船来航から始まったといえる横浜の歴史を伝えています。
まず黒船艦隊9隻の中にサラトガとレキシントンがあって驚きましたわ。
レキシントンを沈めたのは東京湾のかたきを珊瑚海海戦で討つですわね。
後世と同名の船ではミシシッピも3隻の蒸気船の1隻として来ていました。
博物館のライブラリーは横浜と船に関する本が集まっていて、名高いジェーン年鑑がないか探したのですけど、
横浜資料の「ちんちん」電車の本に目を奪われてしまって、雑魚ナメクジに終わりましたわ。
そして、横浜に造られた大さん橋の展示には「大さん」という方が造った橋と勘違いしました。
音声解説によれば大桟橋のことでしたわ……そこは非常用漢字でも桟を使ってほしいですわ。
みなと博物館は船の復元模型が非常に多くて目を楽しませてくれました。
ですが、ガントリークレーンの動く模型は、吊り荷の下に人形が入る配置になっていて×ですわ。
それと遠足のお子さまがたくさん見えられていたのでアクリルが脂地獄でした。
特別展では2015年になくなった柳原先生の絵画が展示されていて、
切り絵から油絵にリトグラフと晩年まで新しい画材を積極的に試している姿勢が素晴らしかったですわ。
博物館のとなりに係留されている日本丸は入り口のスロープをみて
車いすの方は甲板だけみるのでしょうか。
うっかり船にあがった鯖になりましたけど、さばかれはいたしません、さばかれはいたしませんですわ。
日本丸のあのマストに登って帆を広げたり畳んだりすると言われても、
しかも、船が動いていて傾いていて風や波をかぶっていて太陽がでていない場合でも
帆の操作をしているわけです。
いまでも毎朝船内にある真鍮の部品が磨かれているそうで、記念船を維持するための
※3行まとめ
・まず集めた署名をどう使うのか教えろ
・楽して金儲けしたいだけじゃないの
ソースが産経ニュースのみなので、事実と異なる点や文章の読み違いがあるかもしれません。それを踏まえて、なぜ今回の署名活動がひっかかるのかという個人的な考え。かなり否定的。
◯署名の使いどころはどこ?
記事に『若い女性ファン“刀剣女子”のパワーで展示を実現しようというもくろみだ』とあるけど、署名はどこに使うの?
一番気になるのは、SNSで集めた署名を「こんなに要望があるから刀貸してください」と所有者のところに持っていくのでは……ということ。まさか「これだけの人が見たいと言ってるんだから貸してくれますよね!!!」なんてゴリ押しに使われるんじゃないだろうな、って疑念が残ってしまう。そんな使われ方されるなら絶対に署名したくない。
そうではなくて、例えば「刀を展示したらこれだけの集客が期待されるので、この企画に援助をお願いします」と自治体や企業へ後援を頼むためとかだったら分かる。協力したいとも思う。
そもそも所有者に貸してくださいと頼むための署名だったら、SNSの刀剣女子ではなくて地元商店街や地域の人たちの署名を集めた方が論理的だと思う。「あなたの刀を見たいという人はこんなにいますよ!」という署名だけじゃ、その場所で展示するための根拠が欠けてる。「あなたの刀をここで展示してほしいという人はこんなにいますよ!」という署名もないと、わざわざ遠くまで持ち出して手間暇かけて展示する説得力が足りない。まずは地元誘致の署名を集めた方がよいのでは?
あと、「刀を見たいという人がこれだけいる!」という署名を提示したら「じゃあもっと大きい箱で展示しますね」となってもおかしくないよね。むしろそうしてくれると見る方としてもだいぶ楽です。
始めるときは、まず何に使うのかはっきり説明してから署名運動開始してください。
◯どこまで計画進んでるの?
記事を見ると、ある商業会が主催? 以前国広の脇差を展示した美術館がある場所らしいので、恐らく展示するとしたらそこでやるのかな。
じゃあ美術館には話が行ってる? 管理できる体制は整ってる? 現時点ではどういう日程で計画している? 所有者には何らかの打診をしている?
そういったことが何も分からない状態で、署名の話だけ先に出てきたのも何だかおかしい感じ。署名活動が始まるときにはある程度ご説明いただけると思うけれども、何も分からずに署名はできない。
というか、筋としてはまず構想を説明を出してから「署名お願いします」じゃない? 何でいきなり署名のニュースが出るの? もしかして全然進んでないの? 進んでないのに署名とかおかしくない?
特に最後の、所有者への打診が一番気になる。他人の持ち物を借りる話を、本人の知らないところで勝手に進めてるってならかなり心象悪い……まず所有者に話を通して、それからの計画じゃない? 「今はまだ案だけですが、後で正式にお願いさせてもらいます」くらいは通しててくれないと署名なんてできない。
そもそも署名集めても所有者に断られたら計画全滅だよね。そうなったらどうするつもりなんだろう。まさか署名集めたらほぼほぼ成功するなんて思ってないよね? 「我々は本気で展示したかったけど断られてしまったので…」とか言うのかな。どう説明しても相手のこと下げる表現にならない?
◯金儲けしたいけど金はかけたくない?
ものすごく悪意を持って見ると、そんな風に見えてしまう。地元経済の活性化が第一の目的っぽいし。
別に活性化自体は悪いことではないと思うけど、だったら自分たちで全部企画進めてよ。
客寄せのエサを用意するためにも客の力を使うのかー。刀剣女子()をいい金ヅルと思ってるんだろうな当たってるけど。
刀見たさに勝手にファンが集まって署名すると思ってるんだろうってのも、記事のインタビューから見え隠れしてる。『「全国の刀剣女子が公開を待ち望んでいる名刀だけに相当数の署名が集まると思う」』ってところね。いや…黙ってホイホイ署名する人ばかりではないからね…刀関連のグズグズ企画が倒れた例もあるからね…。
前回は市が所有してる刀だったから地元資産の活用ってことで上手くいった点もあると思う。それに味をしめたからわざわざよそから借りて更なる儲けを……ってなるとこちらも心持ちが違う。
はっきり言っていけすかない。
そもそも署名がないと実現不可能なくらい脆弱な企画ならやらなくていいよ。しかるべき博物館や美術館でてんじされるのをあと数十年待ちますんで。
あとこれ、記事の書き方もなかなか悪く見える。もし記者がこの署名運動に否定的であえてこんな書き方をしたなら相当凄い。
(でも主催者のツイッター見ると、この記事を割と肯定的に引用ツイートしてるんだよね。商業会としてもこの記事の書き方や見方は間違ってないということなのかな?)
あと、展示が叶えられた結果なにかトラブルや破損があるのも嫌だけど、この企画を断ったあとにどこかで展示がされるときに「あのときは断ったのに!」とか凸する人いそうで嫌だなー。
成功しない限り誰かしらが損しそうな企画だ。今後詳細が発表されたら、不安点が解消されてることを祈る(解消されても署名するかどうかは…)
追伸
他の刀だって経済活性化のために使われてる!という意見もあるだろうけど、所有者マターで進んでた企画がほとんどだと思う。今回のように第三者が主導して、しかも署名というのは……
あと署名って、書いたら「私はこの企画に賛成し応援します」ということにるよな。刀見たいから書く! ではなくて、本当にその企画に賛同できるかを考えてからじゃないと署名できません。
ここは町(大正村だけど明智町ですわ!)全体が大正時代の博物館みたいになっていて、
調子に乗って明知城にまで登ってしまったので、塩サバになるところでしたわ!
特に日本大正村資料館とカフェ天久二階にはエアコンがないので注意が必要ですわ。
ですけど、日本大正村資料館を回った後に土産物屋でごちそうになった麦茶がことのほか美味しかったので、
個人的には大正時代館にある旧明智町の模型がお気に入りですわ。エアコンも効いていますし。さばすし。
ここの記述だけをみると、大正天皇陛下はまるでクーデターされたみたいですわ。
駐車場近くにあるお土産物屋のおばさまがキャラクターTシャツを着ていらして、
子供のお下がりに無頓着なおばさまかしらと(魚だけに)ギョッとしたのですけど、
よくみたら大正村ご当地キャラクターの大正ロマンちゃんのTシャツでしたわ。
古民家三宅家で出会ったいぶし(物理)のおじいさまも、名札に大正ロマンちゃんのイラストがついていましたわ。
まろ~ん、ですわ。
【清水寺】有名観光地と言われるだけあってやっぱり見ごたえがある。
【金閣寺】壁に金箔貼り付けただけのただの家。ここに行くくらいなら銀閣に行った方が良い。
【銀閣寺】質素な建物が周囲の木や池と溶け込んで美しい。周りの門前町もいい雰囲気。
【東寺】五重塔はやっぱインパクトあるけど、1回見ればもういいかな。
【二条城】石垣は普通の城と同じだが、当時の建物がちゃんと残ってるのはやっぱすごい。
【龍安寺】教科書で見たことある庭園が間近で見れるという感動はあるが、それ以外は特に見所なし。
【醍醐寺】観光客が少なく静かに見て回れるが、ここも1回見ればもう十分かなあ。
【仁和寺】門や本堂の巨大さと、庭園の美しさを同時に楽しめる。
【上賀茂神社】規模はデカいけど、ぶっちゃげただの神社と変わらん。
【三十三間堂】千体の千手観音像が並ぶ姿は本当に圧巻。人にもお勧めしたい。
【平等院】建物は思ったほど感動しなかったが、付設の博物館がすごく良かった。
【宇治上神社】観光客がほとんどおらず、静謐で神聖な雰囲気。平等院に来たらここにも立ち寄るべき。
【天龍寺】建物・庭園・池が一体となった風景がすごい。これぞ、ザ・日本の美って感じ。
最後のあいさつで「裏方の仕事に興味があったので、今回実習させていただいたことはとても嬉しく思いました」と言って帰った
内心「あんたのやっていったことは裏方じゃないよ と毒ついていた
なぜかって?
博物館でいえば、「表」の仕事は展示品の前で来館者に説明をする仕事 「裏方」はバックヤードで収蔵品の手入れをする仕事 という意識なのだということは理解できる
だが、中にいるものの意識としては、来館者の使うトイレのペーパーを購入したり、照明器具の交換の資材買ったり、電気量精算したりする仕事が「裏方」という意識があって
前述の学生の発言は、そのような仕事や従事している人の存在を全く視野に入れていないように思えたから
まずは自分が「便所紙切らさないように買ったり椅子の破れ繕いの依頼する仕事」のこと
今の仕事に関わることが幼いころから大好きで、人事異動でこの仕事に関わることになった時、たまたま同じ職場にいた私の高校時代をよく知る上司に
「その職場は増田にとって天国だろ?」と冷やかされるような場所であること
別の職場にいたときに、やはり同じような職種でいたが、その職場を舞台にしたシミュレーションゲームでは自分の仕事はあってもなくてもいい部品であったこと
そういうのが積もっているのだと思う
なんていうか、あって当たり前だけど存在を黙殺されるような業務分担のところに続けさまに座ると、時々自分の存在意義に疑問が出たり、むしろ自分が存在していいのだろうか?
疲れでもたまってるのかな
図書館戦争を読み、司書資格を取得した。(TSUTAYA図書館はいかんですよ)
最近思うのは「もうあの作品の図書館は必要でない」ということだ。
※図書館戦争のコラボCMで電子書籍とコラボしていたが、いかがなものか。
日本特有の文化にあるのかもしれない。「舟を編む」などを見ると、質感やビジュアル、物に拘る日本人らしい購入欲ともいえる気がする。
情報は電子化すれば良い時代になった。だから本も電子化すればいいのだ。
そうはいかない日本人の頑固なところではあるけれど、その価値観はいずれ若い人たちによって変革を遂げていく。
今30代の人が80歳まで生きるとする。あと50年くらいか。30代というと、電子書籍を理解しつつも、紙の本に執着してしまうお年頃だろう。
その人たちは、きっと死ぬまで紙の本が無くならないでほしいと祈る。また人口比率も多い世代ではないだろうか。
なので後50年以上は、紙の書籍は消えないだろう。
しかし50年後は「紙の本なんて見たことなぁい!」と言うギャルが増殖しているだろう。某理系ミステリィ作家が、近未来もので似たようなことを書いていた気がする。
対して「は?バカじゃないの?」と言う争いもネット上で起こっているだろう。人間は進歩しない。
まぁ、紙の本はコレクション的に売れるのかもしれない。
本は電子書籍にすることによって、出版社を通さずとも発売できる時代にもなった(出版社の未来も危うい)。
出版不況とも言われている。わざわざ自分の本を買ってもらえずに、タダで置こう。と、思える作家がどれだけいるだろうか。
図書館に本を置くことで作家に利益が出るのか、個人的にいろいろ考えてみた。現段階で言えることは、そういう仕組みは確立されていない。そして確立するのもまだまだ時間がかかりそうだということだ。色々と理屈はあるのだが全体的に見ると「図書館によって作家は損している」としか言いようが無い。新規読者を獲得しても早々に新作を入荷する図書館がある。その時点で購入意欲は収まり、作家は損をすることになるのだ。
こうなると、図書館は誰のためにあるものかという話になるだろう。
お金を払えない人のために存在する。これで間違いが無いだろう。
しかしお金が払える人も借りている。本が売れない。図書館だけのせい、とは言わない。でも悪循環は止まらない。
このままだと作家団体にボイコットされても仕方がない(既に抗議はされていたり…)。近い将来の図書館存続のために必要なのは「作者」と「図書館」のwinwinな関係であろう。
しかし考えなければならない。もっと遠くの未来。紙の本に必要性が無くなった時代の話。
著作権が切れたものは、電子書籍で無料配信される。作者が本の金額を定めることも可能になった。無料~300円程度で永久に手に入る状況だ。
もっといえば月額金を払うと、図書館に置いてないようなものもレンタルできる時代だ。
それはつまり、『図書館』の必要性が無くなることと同義である。
勉強する場所なら、静かで、もってきたコーヒーが飲める施設でもあればいい。つまり公民館など。
なかなか手に入らない本といえば、専門書だろうか。分厚いし、高いし、そういうのは図書館が必要になるのだろう。
しかし専門書だって今は専門ごとがほとんどネットに載っている時代だしなぁ。困ったもんですね。
はたして少し遠い未来に図書館を必要としてくれる人が居るんだろうか。みなさん図書館は好きですか?
ああ、こりゃー日本の図書館は生き残れないって思ってしまう。海外の図書館は「ここに行きたい」と思わせる。博物館化している。
日本の図書館は公民館の延長のようなものがほとんど。そして今から図書館を増設しようという時代でもないので、世界の素晴らしき図書館を模倣し新たに作ることもできない。
図書館が無くなれば、リファレンス能力を持った司書の行き場もなくなるのだ。
書いてることがまばらになっている。これが今の自分の感情である。
「紙の本はもう古い。しかし愛着を持っている。でも電子書籍の方が圧倒的に便利だし、電子書籍の時代はあっという間に訪れる。図書館は好きだけど、このまま図書館が存続するとは思えない。どうすればいいんだろう。わからない。しょうがないのかもしれない」
瑞浪市化石博物館の「ビカリアとみずなみの化石たち」を観てきましたわ。
イギリス人Vicary(ビカリー)さんに由来することを覚えるべきですわね。
瑞浪市で有名なのが、このビカリアの内部にオパールがつまった「月のおさがり」ですわ。
おさがりとは皆さんが大好きなおうんこのことですわ。
赤い方解石が入った日のおさがりもあるそうですわ。
あの平賀源内様が月のおさがりの成因を正確に言い当てていたことが驚きでした。
おうなぎなんて売っていないで、研究に打ち込んでいればよろしかったのに。
一般展示ではデスモスチルスの復元図がカバさんに似た昔の姿から大きく変化して、
ジュゴンさんのような姿になっていてビックリぎょうてんさんですわ。
でも、博物館マスコットキャラクターのデスモスチルスは昔のカバさんタイプのままですわ。
古生物をマスコットにすることのリスクが見事に顕在化していますわね。
自己啓発本やら、映画やら音楽やら、この頃は自分以外のすべてに、答えを求めている気がする。
「どうしたらいい?」という問いかけを、いろんなものにして、自分の頭で考えていなかった。
この頃、そういう考えが浮かぶと一旦立ち止まって、「どうしたい?自分で考えたら何が出てくるの?」という問いを自分自身へ投げかけ始めた。
少しずつ楽になっている。
TVやネット、ツイッターや雑誌、CM、ユーチューバー、ニコニコ、インタビュー記事、雑誌、ビジネス書、小説、漫画、美術館の説明、博物館の解説、先輩や友人への質問、すべてに「私はどうしたらいいでしょうか」という気持ちを乗せて向き合っていた。
どこにも答えはないし、答えばかり探していて本当に苦しい。今もまだ何も見つかっていないんだけれど、探すのをやめて大分楽になった。
結局、未来はこの瞬間には何も存在していない。今お腹いっぱいで、冷たい三ツ矢サイダーをお風呂上がりに飲めている。
TV、ツイッター、ニュース、特にネットニュース、を排除したらこんなにも楽なのかと思う。
セミの声に集中して、夏の日差しに皮膚が焼けるような感覚を、やっと体が取り戻してきた。前はいつも頭だけで生きている気がしていた。
同じ年齢で成功した人を羨んだり、年上なのにどうしようもない人をみて蔑んだり、でも結局それは正解でも不正解でもない、その人の人生であるというだけだった。
こうしたい、っていう人生はもちろんある。でも正解ではないんだとわかってきた。理解してきた。不正解でもない。
もっと早くわかれば、とも思わない。これが私のペースだったんだな。
三ツ矢サイダーが美味しい。夏だ。
こないだ道南で割りのいいバイトがあったので何個か組み合わせて道南出張の旅をやってきた。
イカ食ったり、夜景見たりそれはそれでとても楽しかったのだが、うわさで松前病院崩壊という話があったので偵察してきた。
もちろん松前は以前から行ってみたい土地の一つであり、松前城博物館の展示物はとても興味ぶかく満足いく旅であった。
まずは通り一遍の松前観光を終えて、なんとなくそこらへんでランチ。
人もいないがさすがに海鮮はうまいなーと寿司をほうばりつつ、大将と世間話をしてみていくつかわかったことがあった。(当方は自称歴史好きサラリーマン)
いわく
・やめるとかなんとかいってるけどまぁもう関係ない、どうせ函館行くから。
ぐらいのこと。
まずはこの地域のこの規模の病院を維持するのはとんでもなく大変なことだということを地域住民(すし屋の大将をn=1で代表にして申し訳ないが)が
全くといって理解していないこと。
しかも木村院長のもと「全科診療医」として(これはこれで異論も無いわけではないが)とりあえずは何でも診ますという姿勢を貫いていること、これがどれだけ
大変なことかを理解していない。とりあえず診ますということは診たものに関しては紹介もふくめて最後まで面倒を見ることに他ならないと思う。
それを「専門外」ですから、という一言で片付けられて自分で函館まで連れて行って一から病院を当たる苦労を肩代わりしているなんて想像もついていないんだろう。
そこにはやはり、この過疎の土地で「他でも生きていけるよそ者の技術者」が「自分たちの税金で高級をとって」、「盲腸すらろくに見れない」というゆがんだ認知があると思う。
アッペの手術なんて比べ物にならない恩恵を受けているにもかかわらず 函館の年収1000万円でアッペのオペができる医者>>>>松前に単身来て年収1500万円で何でも診てくれる医者という
認識になっているのは、だいぶ愕然としたけどなんとなく聖地というか日本の僻地に全般してみられる認識なのかもしれない。
ブログとかつらつらと拝見するに、「よそもの」が「高い給料とって」、「地域の事情も知らずに」、「きれいごとばっかいって」、「われわれの日銭が入る貴重な機会をつぶしてる」
みたいな認識なんだと思うし、その認知の歪みを是正するなんて、今5-70代の松前のオピニオンリーダーに求めても、ぜーったいに無理に決まってるので
粛々と撤退するほか無いんだろうなーと思うし、正直ここが崩れたら救急医療の道南ドミノ大会が盛大に開催されるに決まってますので近づかないにしかず、という聖地ならではの
景色が繰り広げられることだと思うことですよ。
あ、なんか七人中四人しかやめないなんて報道ありますけど、地域枠の後期研修医とその御守り役が残るだけなので、来年には医者ゼロだと思いますよー。
さすがに道庁もこんな聖地に虎の子はもう送らないと思います。どっとはらい。
追記 報道見ると研修医さん10月で別のところいけるんですね、よかった。で、やめるの三人というと院長と後期研修医と、子飼いのERさん?後の人どうするんでしょうね。あまり残るとも思えませんが。
アウシュヴィッツはとおいむかしのこととなった。
それがいったいどのようなものだったのか、今の私たちには想像することもむずかしい。
アウシュヴィッツを知らなくても私たちは生きてゆけるだろう。私たちは自由だ。
だが、事実はゆるがない。
その数は180万にのぼること。
180万の心があったということ。
そして、その心をなんのためらいもなく消し去ったのもまた、私たちとおなじ心を持った人間だったということ。
そのときそこには人の心をゆがませる強大な力がはたらいていたということ。
私たちは自由だ。アウシュヴィッツを忘れ去ることができるほど自由だ。
それほどの力を私たちは手にした。
でも、その自由が血塗られた歴史のうえにあるとしたらどうだろう。
過去を忘れて自由をとなえることは、自由というものの意味の重さを取りちがえることになりはしないか。
人の心をゆがませる力を、ふたたびまねくことになりはしないか。
自然な心を持ち、自然に生き、自然に死ねることがどれほどすばらしいかを、世界中の人々がわかりあえる日は来るだろうか。
それは私たちしだいだ。
そして、その日が来るまでアウシュヴィッツは終わらない。
遠い昔、私たちとは関係のない場所で、かれらの叫びは時間とともに消えていった。
180万の名も知らぬものたち。
でも、耳をすませば聞こえるはずだ。
心を開けばわかるはずだ。
生まれた国がちがおうと、生きた時代がちがおうと、私達はみな同じ心を持った生き物だ。
物言わぬ者たちの声を聞こう。
さまよう者たちの姿を見よう。
かれらの心を受け入れよう。
アウシュヴィッツを繰りかえさぬため。
アウシュヴィッツを終わらせるため。
つたないが、今につうじるものをかんじるので記した。
・犠牲者総数は1990年代後半時点でのポーランド国立オシフィエンチム・ブジェジンカ博物館公式発表のもの。
具体的には、
私も本当は、流行りのタレントが出てるドラマや映画でキャーキャーしたり、
でも気付いたら周りにはオタク女子ばっかりで、彼女たちは彼女たちで面白い人だとは
思うけど、勧められたおそ松さんもそこまでハマる意味が分からなくて
困惑するばっかり。
元々まとめとかを読むのに抵抗は無いから、オタク文化も知ってるし偏見もないけど、
一緒に楽しむことはやっぱりできないって感じてしまう。
海行こうよって誘ってもえー水着着れないよって断られてしまうし。
文化的なことが好きなのかと思ってたけど、美術館や博物館にはそれほど興味が
ないみたいだし。英語ができないという理由で国際交流会みたいなのも断られちゃう。
学科が学科だから仕方ないのかもしれないけど、趣味を分かち合える友達がもう6月なのに
全然できない。高校時代もそうだったから、大学こそはって思ったけどそれも無理そう。
どこで道を間違ってしまったのかなあ。
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