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1935年、無断で日本に持ち出される…所蔵者を説得して韓国へ
朝鮮の石造の品が人気だった植民地時代…違法な持ち出しの規模は把握されず
1935年11月26日、東京・上野公園で大規模な展覧会が開かれた。
日本・朝鮮の陶磁器や木製の器具など2500点、石造の品100点、織物350点が展示された。
見事な美術品の間でひときわ目立ったのが、朝鮮から渡ってきたさまざまな石造の品。
高さ2.9メートルもある「新羅三層石塔」をはじめ、朝鮮の石灯、小型石塔、石人などが人気を集めた。
世界的な骨董(こっとう)商だった山中商会が主催したこの展示は、実は売るために物を並べた競売展だった。
山中商会は図録で「数年にわたって収集した朝鮮古代の各種石造物を展示し、見どころを豊かにした」と宣伝した。
最初の二日間はVIPを招待し、続く三日間は一般に公開、ほとんどの品を売り切った。
威風堂々たる「新羅三層石塔」は11月28日、ある日本人コレクターに売られた。
そのコレクターは、佐賀にある邸宅の庭園に石塔を運び、生涯これを鑑賞した。
当時一緒に購入された朝鮮の石灯や石人などは、駐車場などあちこちを飾った。
植民地時代に無断で日本に持ち出され、80年にわたり個人宅の庭園の飾りと化していた三層石塔が、故国に戻ってきた。
学古斎ギャラリーの禹燦奎(ウ・チャンギュ)代表は「10年かけて日本人の所蔵者を説得した末に購入し、昨年11月に韓国へ持ってきた」と語った。
石塔を研究している檀国大学のパク・キョンシク石宙善記念博物館長は「新羅の塔と誤認されたが、新羅塔の様式を継承した高麗初期の石塔。堂々としていて素晴らしい比例の美が際立ち、新羅から高麗に至る過渡期的な建築様式が生きている秀作」と語った。
朝鮮のどこにあって、いつ持ち出されたのか、正確な記録はない。
『石造文化財、その受難の歴史』の著者、チョン・ギュホン氏は「朝鮮において塔や仏塔は宗教的な意味合いが強い上、村の象徴などとして尊ばれており、個人の所有物だとは考えられなかった」と語った。
また、石塔を研究しているシン・ヨンチョル梁山市立博物館長は「贈り物としても数多く海を渡った仏像・仏画とは異なり、日本にある韓国の石造の品のほとんどは、植民地時代に違法に持ち出されたもの」と語った。
当時、日本では朝鮮の石造の品を「観賞用」として購入し、庭園に据えることが流行した。
石造りの物への需要が爆発的に増えたことを受け、士大夫(知識人・官僚階級)の墓にある「魂遊石」まで持ち出したという。
1933年11月に大阪で開かれた山中商会主催の競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。
現在、日本に韓国の石塔がどれだけあるのかについては、おおまかな数字を把握することも困難だ。
1965年の「文化財および文化協力に関する協定」で返還された文化財の中に石塔類が含まれなかったのも、ほとんどが個人の所有だったから。戻ってきた「高麗三層石塔」は現在、ソウル市昭格洞の学古斎新館横に立っている。
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=103&oid=023&aid=0003148851
>>1933年11月に大阪で開かれた山中商会主催の競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。
その時の昼飯リクエストがパスタで、ホントに女の子ってパスタ食いたがるんだ!と思って、タイトルの質問をしたら、姉が
「食べやすいからに決まってんじゃん。やたら高い店じゃない限りは値段も手ごろだし、箸の持ち方が不安だったり綺麗に使えない場合も、ナイフとフォークを使うようなところだとマナーが不安だって場合も、あまり大口を空けずに食べられるし、食べることに集中しすぎなくても綺麗に食べられるからね」
って言っててめっちゃ腑に落ちた。
あと、ラーメンとか丼物は、女の子も嫌いじゃないけど、付き合いたての男とは行きたくないもんだとも教わった。
デート用に綺麗な服着てるからラーメンが服にはねるのがいやだし、大口開けたりかき込んだりすすったりする様は最初のうちは見られたくないっていう恥じらいの元にそうなるとな。
ラーメン食べたいなら、例えばラー博行かない?とか美味しいラーメン食べに行かない?って最初から言っとくべきで、丼物とかはもうちょっとお互いに慣れてきてから選択肢に入れるべきらしい。
昼パスタ食べたら夜はどうしたらいいんだと聞いたら、学生なんだししばらくは昼に短めのデートしてなよ、と言われた。
最初から共通の趣味があって出会ったとかなら別だけど、そうでない場合、いきなり長い時間一緒だと話題が尽きたり、疲れてくると嫌になってきたりするから、そこそこ慣れるまでは短めがいいらしい。
長時間居たいなら、映画とか美術館とか博物館だと、見てる間は無言でよくて、その後お茶とかしながらその話題が出来るけど、お互い苦痛じゃないもののが前提。
もうちょっと一緒にいたいなと思う程度のを繰り返して、ある程度お互いの趣味好みを把握したら、時間を長くするのがいいらしい。
あと、学生だと特に、いきなり奢られる気満々の子だと気をつけた方がいい、と忠告された。
今の学生世代でその価値観だと、お父さんが金持ちのお嬢様育ちか、男を金で判断するタイプの母親や友達の中で育ったかのどっちかの可能性が高いらしい。
夜は手が出せなくてもランチならなんとかなりそうなお店も教えてもらった。
次のデートもがんばるぞー
俺がいつも行ってるのはマンチェスターだ
産業革命がおこったことで有名な工業都市だが、博物館がちょっとあるくらいであとはなんもない
前置きはこれくらいにして本題に入ろう
不味くない
イギリスの伝統料理、プディングやローストビーフなどは死ぬほど美味い
あと、イタリアンやら東南アジア系の料理屋なんかも多くていろいろな国の料理を楽しめる
日本食が恋しくなったら、回転ずしに行け
田舎のわけわからん小さい博物館でない限り、基本的にこういうのは無料だ
ゴッホのひまわりのあるナショナルギャラリーですら無料なんだぜ
覚悟しとけ
今はポンド安で1ポンド160円きったとか騒がれてるが、それでもクソ高い
俺は1ドル90円くらいの超円高のときにも行ったがそれでも高く感じた
ちなみに当時のポンドは140円くらいだった
まあ、それくらいまでポンド安にならない限りは高いだろう
街で変な奴が吠えながら去っていったり、「ニーハオ」って言って笑い転げてたり、こういうことはよくある
一度、生卵をぶつけられたこともあるしな
もし行くなら、そういうのも含めて楽しんで来い
スーパーの店員とかも「週末はどうだった?」とか気軽に聞いてくるしな
ドアは後ろの人のために開けて待ってくれるということもよくある
そして、みんなサンキューってお礼もいう
な~んもないけど、街並みが綺麗だ
観光名所は多いけどな
ぱっと思いつく限りでは、こんなとこかな
なんか聞きたいことあったら、遠慮なく聞けよ
高校生の頃から理想のデートがある。お昼すぎに集合し山手線をおしゃべりしながら1周くらいした後、適当な美術館もしくは博物館に入り、ダラダラする。その後、美術館などの周辺の団地を散歩する。なじみのない街の団地の夕暮れと知らない家のあかり、夕飯の匂いがして(別に門限などはないが)帰らなくちゃという気持ちになって、寂しいけどじゃあねバイバイまた遊ぼうね・・・・・・と適当な駅で別れるというデート。
しかし実際大学生になって恋人ができてみると刺激の強い(洋服屋さんへ行く等はっきりとした出かける目的のある)デートが多い。
私の場合、刺激の強いデートは目的に夢中になってしまい、恋人の存在が幾分薄くなってしまう。
じゃあ理想のデートみたいなダラダラとしたデートをしよう、その代表としておうちデートなるものがある。しかし、イチャイチャがイチャイチャで終わることは少なく、だいたいムラムラになってしまう。(これじゃあかわいいピンクのほわほわのパジャマわざわざこしらえて着る意味ないじゃん!!!と雑誌なんかを見て思う。)
別に徒歩圏内に美術館、博物館があることでも、画家の名前が分かることでも、都心に住んでることでもないんだよ。
単純に、
この2つをなんとなく持っている事なんじゃないかな。
知ってみたい、行ってみたい、経験してみたい、こんな感情で新しい事に挑戦する。
物理的距離が狭まることで、何かしてみたいという感情が高まることは素晴らしいことだよ。
でも、たとえ田舎の人でもルーチンの日々から抜けだして、何かをしてみたいって気持ちは少なからずあるんだよ。
だから、文化的素養なんていう絶対値の分からないもので人を判断するなんて、まして物理的距離で素養そのものを判断するなんてことは間違っている。
ただ、自分が楽しんでいることを皆にも楽しんでもらいたい。
それでいいじゃないか。
ポストでシュートを打ったらしいが、どうやらペナルティをもらったらしい。
まあそういう感じだろうなとは思ってた。
ペナルティ終わった後ディフェンスに戻ってきたあと、俺は敵正45のディフェンスにいて、小倉唯は敵正サイドのDFの位置にいた
ということはさっき小倉唯がポストにいたのは、サイドがダブルポストに入るフォーメーションだったんだなと思った
そんで敵がボールぽろっと落として俺がソレ拾ったのを小倉唯がポカーンと見てた気がする
ぶっちゃけ小倉唯をそこまで好きなわけでもないのになんで出てきたかってのを考えると、前日夜に小倉優子の家に侵入者がきたっていうニュースを見たのがでかかったと思う
あと最近アニソンライブの録画を見る中で小倉唯も出てきたからってのも少しあると思う
閑話休題。
んで二度寝三度寝する中で見たのは、なんかスライム状の敵とバスの中で戦うようなシチュエーション。
それも何度も繰り返して、ようやく本体がスライムだってわかった状態。
Twitterで「もし京都が東京だったらマップ」が回ってきた。
私も「こことあそこって雰囲気似てるなぁ」と感じることはあるし、それを見事に可視化した力作だと思う。
しかし。
これでは片手落ちと言わざるを得ないのだ。
私が主張したいのは結論から言うと、「京都も大阪も単体では都市として不完全である」ということ。
別に東京を模範にすべきだとか基準として正しい、と言いたいわけではない。そもそも何が悲しいて関東なんかにあてはめられなあかんねん。都市の構造として歪なのが京都と大阪なのだ、と言いたいのである。
普通、その地方の一番の難関校——つまり研究機関として多大な影響力を持っている大学——は、東京の東大、仙台の東北大、九州の九大といった風に地方の最大都市に置かれている。博物館や美術館に関しては、大規模なものは関東なら東京にしかない。都市としてのブランド力も抜けている。北海道と言えば札幌、東海地方なら名古屋、それぞれ明らかに同地方の他都市に比べて影響力がある。また、経済の中心地も同じ都市に存在する。札幌も東京も名古屋も福岡も金融センターを持っており、本社機能・支社機能をそこに置いている会社が多い。
最難関校は言わずもがな京大であり、東大と共に日本の双璧を担っている。国立博物館や国立近代美術館も京都にあり都市のブランド力は日本中を見回しても別格である。大阪があまり良くないイメージを持たれるのとは対称的だ。
(大証は無くなったが)近畿一円の金融センターは大阪に集約されているし、本社機能、関西支社の本部は大阪が圧倒的に多い。また大阪は芸能も盛んであり、テレビによる発信力が大阪にはある。京都の放送局は独立放送局のKBS京都だけである。
そう、京都と大阪は他地方では一つの都市が担っているはずの機能を分担して持っているのだ。アカデミアや権威的な部分は京都へ。商業的、経済的な部分は大阪へ。普通ならその全てを受け持つ都市が地方ごとに存在しているのに、近畿だけは二分されている。
これを理解していない人々は京都にも大阪にも多い。というかほとんどの人は理解していないからこそ大阪は「単体で」(国による優遇のある)東京と張り合おうとして負けたのだろう。
この地図は、その分担された都市・京都を東京に当てはめている。
もちろん試みとしては非常に面白いが、前述の通り京都は単体で成り立っているわけではなく大阪とセットで初めて語ることが出来るのであり(逆も然り)、東京のような、あるいは名古屋や福岡のような「地方の核としての全ての機能を受け持つ」都市ではないのだから、「片割れ」に「全体」を無理やり当てはめても何の意味も無いのだ。
京都と大阪を合わせて初めて東京と比較可能な都市になる。単体で比べても真の姿は見えない歪な都市。
だから、梅田は新宿であり、難波は渋谷であり、四条河原町は池袋、京都駅は上野、新大阪は品川であるというのならまだしっくりくるのではないかと思う。その間に多摩(両府下)が挟まっている。池袋が埼玉県民に支えられているのと同様に、京都の繁華街は京都人だけでなく山科or京都駅で地下鉄に乗り換える滋賀県民に大いに支えられている。
この特殊な構造は歴史的な要因があって出来上がっている。発展の為にはトップダウンが最も効率的で、地方の核都市への一極集中はそういう点では良かったのだろうし、実際九州も東海も地方全体としては人口が減少しているにも関わらず福岡や名古屋にはまだまだ勢いがある。それは全ての核となる機能をそこに集めているからこそ可能なのであり、近畿が日本で唯一不可能なことなのだ。叫ばれて久しい関西経済の地盤沈下は、大阪の権威不足も一因だろう。
だが、この近畿の特殊な形にも良い点はある。多様な価値観を容認できる、いや、せざるを得ないということだ。仮に大阪が札幌や東京や名古屋と同様に全ての機能を担っていたとしたら、大阪の経済自体はここまで停滞していなかったかもしれないが、大阪的価値観が絶対であるという姿勢がテレビ局などのメディアを通して関西一円に広まり、関西の文化は全くつまらないものになってしまっていたはずだ。
関西経済の発展には、京都と大阪がセットで初めて機能するということを理解しているリーダーが必要であり、またそれに応じた施策が必要になる。それが大阪の政治を握るおおさか維新の会なのかはたまた別の政治勢力なのかは分からないが、このことを肝に銘じて政治を行ってほしいと思う。
オッス俺クソ障害者!自転車で滑って転んで首の骨を折ったあんぽんたんだよ!
歩けないどころか首から下は麻痺してるし風呂もトイレも人任せだしチ○コは死んでるしうんこ漏らした回数は増田でうんこ漏らした話読んだ回数より遥かに多いようなクソだよ!
年金…年100万くらい、しかも学生で保険料猶予中にやらかしたから1円も納めてないよ!
その他手当て…年140万くらい、国も自治体もいろいろ出してくれるよ!
医療費…年300万くらい、働いてないから自己負担はゼロだよ!
ヘルパー…年1800万くらい、一応一人暮らしだからね、朝昼晩と至れり尽くせりだよ!
あと怪我したときの治療費とかリハビリでも医療費クッソかかったよ!いくらかわかんないけどね!5年くらいかかったしね!
住宅改修とか車椅子とかベッドとかその他もろもろで数百万は補助もらってるよ!
交通費も映画も美術館も博物館も超安くなるよ!めんどくさいから行かないけどね!
あと奨学金も返せてないよ!大学院まで行ったのにね!猶予の書類はちゃんと出してるけどね!返せる当てもないよ!
あとなんかあったっけ?まあとにかく増田はありがたく生かしてもらっておけばいいと思うよ!俺と違って自分が悪いわけじゃないしね!
立て続けに結婚式に何度か出席した。
人生最良の日、というワードが連呼されているのを見て、わたしにはそんな日は訪れないのではないかと思えてきて、拍手をしながらも胸がどきどきした。
わたしは26歳で身体的にも女性で性自認も女性で、ヘテロセクシャルで、そして誰かと交際するという経験がない。
それはわたし自身が偏屈で頑固で、狭量であることにも起因するし、父のせいにしたくなるところがある。
わたしの父はブラック企業に勤めていて、そこの方針にどっぷり頭まで浸かっているような人間なので、今まで有給休暇をとっているところを見たことがない。土曜日も毎週出勤していて、夏休みも取らないので休みはほぼ日曜日と祝日だけの生活を、わたしが物心つくころから続けている。
その割によく幼少期の子どもたちを遊びに連れ出してくれる人で、毎週のように動物園だのアスレチックだの、博物館だの、プールだのに行ってくれていた。
中学受験の時には、お迎えと寝る前の勉強、土日の勉強にも付き合ってくれていた。
わたしは仕事のことなどありながらも、父なりに愛情を注いでもらっていると思っていたし、その瞬間はそれは事実だったんだと思う(思いたい)。
そういった面倒見の良さがあった反面、それは普通なのかもしれないけれど、小さいころから夜中にアダルトビデオを見ていたり、パソコンでそういったサイトの履歴が残っていたりしている脇の甘さもあるひとだった。
高校生くらいのときには偶然、着信した画面から携帯電話で飲み屋の玄人さんと思われるひととメールをしている様子を見てしまった。
あれ?と思って考えてみると、バレンタインにやたら高級なチョコレートを持ち帰ってきたり、突然いらなくなったからとアーカーのハート形のネックレス(もらってもらえなかったのだろう)をくれたりして怪しいそぶりはあったんだった。その後もそうしたやり取りは同じひとだったのかはわからないけれどずっと続いていて、家族で旅行に行けば写真を撮りその人に送っていたし、携帯電話を眺めている頻度が多い父をその後もしばらくずっと放置していた。
平和で仲が良い家族、を続けていくことに私自身も固執していたし、母はもしかしたら気づいていなかったのかもしれない。
しかし、そうして降り積もった父への嫌悪が決定的になったのは、数年前の事件だった。父は相手の女性の自宅に押しかけ、玄関前まで侵入して中を覗いているところで、相手がたの家族に捕まったのだった。
父から電話で自宅に連絡があり、電話を代わった母が相手方の家に泣きながら、叫びながら通報をやめてもらえるように押し問答している様を見ていた。心臓がばくばくして死ぬんじゃないかと思ったし、こんな物語みたいな筋立てが起こるということに人生って不思議だと妙に覚めてもいた。
結局のところ、父は警察には通報されず、後日200万円というお金を相手方の家に、母が土下座して支払いにいって、ことは解決したのだった。
ふたりは離婚するのではないかと思っていたが、その事件があった後もそのままの家族ごっこが続いている。
わたしはどうしても、父のことが許せない。
そのことがあってから男性に対してもじわじわと嫌悪感が増していて、電車の中で肩を合わせているのも、疲れている時は気持ちが悪くなってしまう。
母みたいに裏切られるなら、あんな気持ちになるのならばそんな関係性は必要ない。
そう思いながらも、ひとりで生きていくということに不安になり、婚活パーティに行き、うまくいかないということを繰り返している。
不毛だ。
わたしは、どこに向かって泳いだらいいんだろう。
もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルのエントリを投稿した。あの話の続きをしようと思う。
※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。
※前回のあらすじ:高校中退→工場派遣→プログラマ→ホームレス→自立支援施設→プログラマ→海外放浪→職業訓練→世界一周アプリを作る
あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島で除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題は世界一周についてである。
僕はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリは正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である僕自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。
開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象は世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。
しかし世界は巨大で、そして複雑だ。
国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区、連邦直轄領もあり……。
そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国と共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。
国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域、人民、主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国からの承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。
それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧なものなんだろうか。
わからない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである。
だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分の記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。
1989年11月、ベルリンの壁が崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。
それからしばらくして、社会科の教科書の世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。
時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外を放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。
ベトナムのホーチミン市にある戦争証跡博物館。ベトナム戦争の記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。
銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。
何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。
「資本主義」
「共産主義」
「イデオロギーとは何だ?」
そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊のニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。
あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争は悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。
しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類の歴史の始まりまで巻き戻そう。
まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川、ナイル川、インダス川、黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこからは世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。
特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったときは意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキーの世界でもエリートの世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品か上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。
そして絶対的な権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革、名誉革命、フランス革命。それまで聖職者や王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国はフランス共和国に。ああそうか、王国と共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念、国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類の歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。
しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権の恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。
そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史はさらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者や王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者は悲惨な労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義・共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初の社会主義国、ソビエト連邦が誕生する。
いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。
しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなものが必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場の自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。
その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団の演算能力よりも、多数の平凡な人間の無意識的な分散コンピューティング(見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである。
そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁を必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史が証明している。独裁政権は必然的に暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人をおもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメントや家庭内の虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手に振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。
こうして自由主義・資本主義の矛盾への疑問から生まれた社会主義・共産主義は、自身に内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦の象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。
天秤の片方から社会主義・共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義・資本主義へと大きく傾いていく。混合経済の社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ。
そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配が必要なのか。なぜ憲法が必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。
ミクロの領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロの領域――世界の市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界の市場や情勢を動かすのか、逆に、世界の市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間の演算能力の限界を遥かに超えているからだ。
「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論はマクロとミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正面から、正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。
ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだ。マクロとミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。
進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。
大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。
何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間が高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級の人間の世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。
でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。
だからいまは自分が高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。
あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。
いまの時代、大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気とエネルギーが必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。
現実的な問題もたくさんある。資金、学力、人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがわからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。
これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。
だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。
僕は大学へ行く。
そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。
ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。
気になる異性の秘密を知って動揺する女の子。どちらも夏の坂のある街が舞台。
真琴と千昭以外の人が止まっている博物館のシーンは、日中なのに誰もがシエスタしていて誰もいないスペインの街とかぶる。
余談だけどラストのナージャの表情はどう見てもヤッた後の貌だった。
一作品に一下ねたの源流かも。
どちらも「2つの生き方が提示されている。どちらを選ぶか?」というテーマ。
また、人と人でないもののギャップや疎外感が作品の下敷きになっているのも共通している。
少々強引だがガラス作りを通して未来の生き方を知るどれみと、田舎暮らしを経て雨の生き方を受け入れる花の姿も似ているかも。
余談だが、この話では最後にどれみは未来さんに着いてく決断をしたと個人的には思っていて、
そういう「卒業すべきとされる世界」から卒業しない生き方もあるんじゃないかというのは細田氏のテーマの1つに感じられる。
ただ主要人物がケモノオンリーであったり、ファンタジー+バトル物であったり絵面的には共通性がある。
37話では同ポや、広角レンズを使った演出、キャラを画面の端に置く……などの細田守の作風が既に確立されているのでファンは要チェック。
27話はバケモノの子後半で重要アイテムとなった白鯨がモチーフの話で、氏のコンテデビュー作。これは監督も間違いなく意識しているハズ。
その白鯨に自分の姿を見いだして倒す訳だから、やっぱりバケモノの子は細田氏にとっての自分殺しでもあるんだなあ。
これは常識だね。
もう十年くらいかな?一つのタイトルにつきっきりで二次創作やってる。
食べるだけなら『刀剣』だの『ダイヤのA』だの弱ペダだの流行りモノも(『ダイヤのA』って腐女子界隈でそんなポピュラーなのか?)美味しくいただいてるようで、ずいぶんな健啖家ですねって感じだ。
ひるがえって、おれは今アニメ見る元気や気力がどっかいってしまった。
元々、コミケとか客としてすら参加するような人間ではなかったし、むしろ今となっては俺ってオタクだったんだろうか?と疑わしくさえ思う。
エネルギッシュな姉の同人活動・オタク活動を眺めてると申し訳なくさえなってくる。
そんな俺だけど、なぜか時代小説だけはやたら読んでたり刀に関しては昔からなぜか詳しかったりするので、姉夫婦に連れられてよく城だの博物館だので刀剣の特別展で解説役を承る。
そのたびに、姉は「◯◯は物知りでえらいねえ」と褒めてくれる。
えらいのは姉ちゃんのほうだよ。
10位 上運天 にらい 沖縄県 ちゅらプランニング http://moechin.ti-da.net/e3233620.html
9位 小峰 シロ 福島県 白河市 http://komine-shiro.com/
8位 加茂川 マコト 京都府 出町枡形商店街 http://ameblo.jp/kamogawamakoto/
7位 からす天狗 うじゅ 京都府 太秦戦国祭り http://www.ujyu.jp/
6位 まろにえーる 栃木県 とちぎテレビ http://www.tochigi-tv-anime.com/
5位 まほろちゃん 佐賀県 佐賀市 https://twitter.com/mahorochan
4位 みのりん 秋田県 安保金太郎商店 http://umaikome.jp/minorin/
3位 富士川 桜柚波 山梨県 富士川町 http://fujikawasayuha.jimdo.com/%E6%A1%9C%E6%9F%9A%E6%B3%A2%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/
2位 瑞浪 Mio 岐阜県 瑞浪市化石博物館 http://www.city.mizunami.lg.jp/docs/2014092922728/
1位 シモンちゃん 茨城県 下妻市 http://www.city.shimotsuma.lg.jp/page/page000589.html