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はてなキーワード: 人間についてとは

2020-04-22

おぼえがき

PCR検査を、ソフトウェアテストとか工場検品みたいなもの勘違いしている人が多いようだ。

検品不良品を出さないために必要工程であり、出荷される製品については何かしらの形で行われることになるだろう。また、最終組み立ての後での不良はそこまでに注ぎ込んだ多くのコストがみんな無駄になるので、そういうことがないように中間検品で早め早めに問題を炙り出して行って大きな品質問題が起きないようにするものである

だけど、PCR検査はそういうものではない。検査で陽性患者を見つけてしまったら医師としては対応しなければならないので、検品で不良を見つけるが如く陽性患者をかたっぱしから見つけてしまうと対応しきれない。そうならないように、陽性患者であることが検査証明されるようなことは避けなければならない。検品に例えていうなら、事前の検品にあたるような行為は避けて、出荷後に実際に製品事故を起こしたときだけ対応するようにするのだ。それは医療崩壊を防ぐために必要なことだ。

ソフトウェアテストにしたって同じだ。エンジニアソフトウェア自動化テスト技術などを駆使して、ソースリーが常時漏れなくテストされている状態などを作ろうとしているが、テストバグが見つかったらこれには対応しなければならない。テストで見つかるバグに都度対応していたらプログラマーは新機能に取り掛かることができない。これは医療崩壊に相当する。

ハードでもソフトでもいいが、ものづくりに携わる人間はどうも医療をわかっていないようだ。欠陥に気づかずに製品を出荷して重篤事故を起こしたら製造者責任が問われるために上記のような態度には抵抗があるかも知れないが、識別されなかった患者病気で死んでもそれは医療責任ではないのだ。そんなことよりも大事なことが今あるのだ。

いまの医療ミッションは、目の前の患者対峙することではない。現時点では治療法などないのだから、現時点で重症になった人間には基本的にそのまま死んでもらうしかないのだ。では何のために最低限の治療をやっているのかというと、臨床データを取得して研究開発を急ぐためだ。だけど、医療だって人間なので、重症患者病院に運び込まれたらそのまま死んでくれとは言えない。その言えなさが単純に研究開発の足を引っ張っている。すでに臨床データは有り余るくらい病院患者は運び込まれているわけだから、これ以上患者が増えることは問題解決につながらず、邪魔しかない。

から医師は言う。とりあえず罹らないようにしろ(=手洗いが重要)、いま一生懸命治療法を開発している、だけどいま粗忽にも罹った人間については手の施しようがないので我々の手を煩わせずに黙って死んでくれ(=検査はしない。本当は治療もしたくない。)、と。

最後の部分だけをボカしていうからとかくわかりにくくなるのだが、平たくいうとそういうことなのだ。

(あ、ちなみに僕は医者じゃないので)

2020-04-21

anond:20200421072919

お前については話が通じないから話は無駄だと思ってる。

他の誰かを助けるような甘い人間は俺のマウントでクッするよねっていう腐った人間だろうなと感じてる。

俺も相当甘い人間だが、個々の人間を見て自分欲望のために他人を害するような人間については切り捨てないとならないなと感じてる。

俺が言ったことを害して無意味にしようという人間特にな。

2020-04-19

いくらでも本人に確認できるのにしないのは、それが嘘だから

本人じゃない人がさも知ったか嘘八百いうのって、ほんと困る。

責任とれるんだろうか。

自分以外の人間についてなんて、親の初恋相手さえ知らないでしょ。

2020-02-24

検疫について、あらためて整理してみる(適宜更新

~1月31日まで

検疫感染症指定しておらず、以下のとおり対応

・機内アナウンス実施

・検疫時に自己申告の呼びかけを行い、申告内容の厚生労働省への報告と受診勧奨

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000588456.pdf

出入国在留管理局へ、出国者への情報提供の依頼

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000588457.pdf

2月1日~2月13日

検疫感染症指定。検疫法第2条第3号に定める検疫感染症として、対象者への検査可能になる。

ただし、検査患者・疑似症者のみが対象で、症状のない者については受診勧奨にとどまる。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/th_siryou/sidai_r020206.pdf

・検疫所において中国からの来航者に対し湖北省滞在歴の有無に応じ「赤い紙」「青い紙」を配布

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000589747.pdf

出入国在留管理局において「赤い紙」「青い紙」をもとに、湖北省滞在者及び旅券保持者の入国拒否判断

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000591619.pdf

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/th_siryou/sidai_r020201.pdf

2月13日~

出入国在留管理局において、浙江省入国拒否対象に追加

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/th_siryou/sidai_r020212.pdf

2月14日~

検疫法第2条第3号の検疫感染症から第34条の検疫感染症に準じた感染症として再指定

これまで可能だった検査に加え、隔離・停留が可能になる

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000596291.pdf

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/th_siryou/sidai_r020213.pdf

それぞれによる検疫体制の違い

1月31日

検疫では特に何も行わず自己申告のあった人について入国後の受診を勧奨する。

2月1日2月12日

検疫時に症状のある人間について検査実施

また、中国からの来航者に対し質問を行い、湖北省滞在者及び旅券保持者については「赤い紙」を交付。これを持っていると入国拒否

2月13日

浙江省滞在者及び旅券保持者も入国拒否対象に追加

2月14日

検疫時に患者及び無症状病原体保有者について、隔離検査実施

また、感染した恐れのある者について、停留・検査実施

2020-01-28

anond:20200128101712

はいアホ。

脳の報酬系に基づいて目の前の課題ゲーム一生懸命になることを「依存症」とかわけわかんないこと言ってるからゲーム依存疑似科学だって言われているにのも気付けないんだよね。

お前は普通人間についてなんて何もしらずに、N=1の自分だけの世界しか生きてないから。

2020-01-23

anond:20200123111027

抽象的に取り扱う神が絶対神精霊かどっちかってことに意味がある?その山の洪水唯一神がなしているとしたら?

単に、科学が起きる前(16世紀デカルト以前)はわからないものは神(精霊含む)の仕業であった。

科学が起きて、神がなしていたということに理由づけできるようになったのも増えた。だけども、まだ理由付ける科学がない領域では神の教えとなる経験論が意味がある領域も多いってことよ。

特に科学が苦手とする複雑なものや、人間についてね。

今わかってる科学が万能ってやったのが共産主義新自由主義ね。

2019-11-29

滋賀被害者デリヘル嬢についての意見

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191128-00188441-kyt-soci

被害者デリヘル嬢の年齢ばかりを関心事にして、「加害者はむしろ被害者w」とか「58でデリヘル嬢やってるのもどうかと思う」みたいな意見が目立つ気がします。

令和になってもそんな女性差別的な発言普通に言えてしま空間雰囲気が残ってることは残念です。

そしてフェミニストはなぜこのことについてもっと騒がないのでしょうか。

実在する女性が年齢をネタにされ、存在すら否定されるようなことを言われてるのに。

宇崎ちゃん問題議論するのもいいでしょう。

でも生きてる人間についても考えて欲しい。

2019-11-20

規制派の「感情」はわかるが、「解決までのプロセス」がわからん

https://bunshun.jp/articles/-/15590

こういうニュースを見て思うのは、規制を求める側がそれを必要としてる人間に対してどういう「解決」を想像してるかっていうことなんだよね。

おそらくは、「適切な社会活動によって他者と適切な信頼関係を築き、同意の上で性行為を行う」というのが正当な理想的ケースであると考えているのでは、と想像するんだけど(あくま想像なので、「違うよ!」って思う人は「違うよ!」って言ってほしい)、世の中にはルックスだったりコミュニケーションだったりあるいは身体的・精神障害及び疾患などの問題で、どうしても他者とその理想的関係を結ぶことが難しい人というのもいるわけじゃない?

そういう人に対してどういう「解決」というのを想像してるのかなっていうのが、いつも気になるんだよね。

もちろん他人と良好な性的関係を結べるなら、それはいいことだとは思うけど、「そうではない」「そこから漏れしまう」人間について、その性欲や人恋しさをどうした方法解決することを望んでるんだろう?

もしそれを、「普通人間」のラインに達するまで努力しろとか、それができないなら我慢しろ、っていうふうに思っているなら、それはなんていうかものすごくむごい発想なんじゃないかって思ってる。

それっていうのも、10代のとき自分がわりとそういう考え方だった。「他人と良好な性的関係を結べる」状態にない人間が、性的なことに興味持ったり、エロ漫画エロメディアで、「自分勝手な欲望」を満たすことが気持ち悪い、そういうふうに思ってたのよ。

自分女性なんだけど、10代の頃はセックスがあまり好きではなかったし、「求められる」からやる、「求められる」ことは嬉しい、みたいな感じで、セックスというのが「他人から求められるだけの価値がある人間特権」みたいに思ってた節があった。だからオタクの人とかがエロ漫画とかエロゲーとかに興奮してるのを、「他人から求められてもいないくせに、物言わぬ相手に性欲求めて気持ち悪い」そういうふうに軽蔑してたんだと思う。

年齢や経験を重ねて、自分の中で「性欲の自我」みたいなものが芽生えてきて、それはかなりガラッと変わった。今では当時の幼稚な…というより他者に対する排他的かつ支配的な考え方をとても恥じてるよ。

男性だろうが女性だろうが、性欲のある人間にとっては、自分性的対象としてるものへの客体的魅力というのはあって当然だし、それを何らかの媒体によって消費することは、たぶん無意識のうちにみんなやってると思うんだよね。その表現が「性」や「セックス」に結びつきやすいかどうかでわかりにくかったりするだけで。

あとやっぱ女性男性も、セックスする気になれる・なれないラインって個人の中でどうしてもあるだろうな…って思う。もっと言えば、セックスしたい・別にしなくていいラインも。それが、それぞれの人ごとバラバラなら平和だけど、やっぱり偏りがある。「セックスしたい」は結構割れるところあるけど、「セックスする気になれない」は、わりと似たようなところに固まる印象がある。

理想的性的関係の結び方」というのが、双方の同意感情によるものな以上、どうしたって他人性的関係に至ることが難しい人というのがいて、そういう人がお金という方法ラブドールなどの平和的な解決が図れるなら、それはそれでいいことだし、他人から批判されるようなものではないと今は思うんだよね。

他人の性生活や性のあり方に口を出すことは、非倫理的で不躾なことだと認識している人の中にでさえ、エロ娯楽に厳しい人もいるので、なぜなのだ…という感じはするけど。

自分料理あんまり得意じゃなくて、美味しいものを食べたいときは奮発して外食するんだけど、もしそれを「料理のできない人間には美味い食事を食べる資格はない!自分で作れるだけの身の丈にあった飯だけ食ってろ!」って言われたら、そんなの味気なくて死んじゃいそう。お金を出して合法的に美味しいご飯を食べられる、そういう市場社会に育ってることをとてもありがたいと思うよ。

まぁ、もちろん「女のくせに」「社会人にもなって」料理ができないとか、怠けているんじゃないか?何か問題があるんじゃないか?人として欠陥品では?みたいなことを言ってくる人は、まあまあそこそこいて、「ハイハイさよですね〜うるせー死ね」って思ってる。

>「リアルドール女性身体男性の性欲・支配欲解消の手段として消費する性搾取文化」と批判

ってあるけど、性欲だの支配欲だのの「人の業としてどうしても持ってしまうが、無差別行使すると大変なもの」を、シリコンの塊で解消できるなら、よっぽど平和じゃない? 性欲も支配欲も持ってて自然情動だし、それを「道徳的でない」として持たないことを強制するよりも、どう平和的に処理・解決するかのほうが現実的だし抑圧を生まないと思う。

女性立場からすると、ラブドールという「女性の形をした人形」が性のために製造され、意志もなく性的玩具にされている、というのが、「女性性的客体として貶めてる」と嫌悪感を持っても仕方がないだろうな…とはなんとなく想像する。ただ、女性の性が人形漫画などアンリアル形態で客体的に消費されることと、現実女性が貶められるような価値観が社会で醸成されることに、本当に相関があるのか?というのは個人的にとても疑問に感じている。

住宅経済的事情、あるいはアレルギーなどで猫を飼えない人間が、だけど猫が好きだからと本物そっくりの猫のぬいぐるみを買って家で撫でていたところで、おそらく批判はされない。ペットという生育に責任お金必要存在を、ぬいぐるみという安価手段によって「かわいい」だけを抽出して一方的に楽しんでいても、たぶん誰からも怒られない。猫にもそれぞれ思考感情があり、生命を持った生き物なのになあ。

別に猫の尊厳を問いたいわけではないが、猫のぬいぐるみによって生きている猫の尊厳毀損されるのか、ということを考えるとラブドールについても、もっと考える余地があるのではないかと思う。

もし、現実で「女である」ということを理由に誰かが傷つけられるようなことがあれば、それは許されるものではないし声を上げるべきだと思うよ。

その上で本当に健全な、近代的な社会というのは、女性あるいは男性の客体としての性的魅力が肯定され、「他人と良好な性的関係を結べない」人間にもその性欲を慰め満たす媒体を持ちつつも、現実女性あるいは男性が性による差別被害を受けない社会他者に対する人権意識が娯楽メディア程度では曲がらない強靭精神を育てる社会なのではないかな、と思う。もちろん、その理想が遠いというのはわかるんだけど、「究極的な理想」はそこなんじゃないかと思うんだよね。

エロ娯楽に規制を求めてる人は、どういう「解決」を考えているのだろうか?

2019-11-14

いまだに「低能先生」と呼称するはてな村の住人たちへ【追記

自戒を込めて書きます

Hagex氏の事件公判に関連するいくつかのエントリきっかけです。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4677140659072830018/comment/masa_bob

たまに、というか定期的に、はてな揶揄される(ヲチ対象にされる、と言い換えてもいい)エントリーあるいはユーザーが現れます上記ブコメに書かれている、かつて「コメダ珈琲での新聞ホチキスの止め方を批判したユーザー」もその一人です。多くのはてなユーザーから揶揄され嘲笑される対象として扱われていたことは、ブコメから察せることと思います

彼の言い分はとても狭量であり、その主張には違和感を抱く部分があったと自分は思います

しかし、それにしてもはてな晒し者にされ、悪意に満ちたネーミングをされていい人間などおらず、同時に、他人を“オモチャ”呼ばわりをする人間については、賢いかもしれませんが当該エントリー以上に狭量で悪意に満ち、品性下劣だと言わざるを得ません。

これは余談でしかありませんが、当時揶揄されたその方は、おそらくその件とは全く無関係ですが、その後精神病み現在休職していることを最近ではブログに綴っています

さて、話を戻します。Hagexさん事件被告人は、確かにいわゆる“無敵の人”に類型されうるタイプの方だったのかもしれません。

しかし、すでに多くの方が指摘されているように、被告人暴言は“叩いていい人と見るや寄ってたかって叩く”という構図への義憤に端を発していた部分もあるように思います(それだけが全てとは思いませんが)。

ネットリンチへの抗議が罵倒であることによって抗議の正当性自体も地に堕ちると自分は考えますしかしそういう意味では、被告人は、加害者であり被害者でもあったのではないでしょうか。

そして、このことに無自覚であり続ける限り、必ずまた痛ましい事件は繰り返されるでしょう。

無敵の人からいかにして身を守るか、について議論は活発に交わされているのに比べて(身を守る術はない、という意見含め)、人を追い詰めないためにとるべき態度、というものについて、多くの人が言葉を割いているようには思えません。

自分は、痛ましい事件を減らすためには、経済的支援必須であると考えていますが、その上で、これほど軽やかにリンチ私刑が起き、そのことが自覚されずに繰り返され続けていることについて、事あるごとに警鐘を鳴らし続ける必要があると考えます

自分自身、これまでその醜い行為に加担したことがない、とは口が裂けても言えません。

意見への反論、間違いの指摘、そうしたものは活発に行われるべきだと思います物事反証議論こそが、はてな提供した素晴らしいものひとつだと考えます

しかし、時としてそれが、正しさをかさに嗜虐心を満たす自分正当化する、自分自身への言い訳になっていないと断言できる人はどれほどいるでしょうか。

もちろん、どこまでがセーフでどこからオーバーキルなのか、その見極めは決して簡単ではありません。

ただ、Hagex氏のような、人を玩具扱いするような発言がある種の“賢い”方の露悪的な、あえての振る舞いだったとしても、その行為は醜いと自分は思います。人を「低能」と罵倒することから被告人呼称が「低能先生」だったとして、それはやはり蔑称であると思います

氏が殺された動機逆恨みでした。逆恨みではなかったとしても、人が殺されていい理由など、そもそも存在しません。しかし、原因の少なくとも一端はそうした構造にあったと考えれば、殺されていたのは自分であったかもしれないという可能性にも思いを馳せることはできるように思います

誤解なきようにはっきりさせておきますが、今回の事件とは無関係の、冒頭にあげたはてな村で一時期いじりの対象にされた方が無敵の人になり得る、という意味ではありません。

痛ましい事件から何も学ばなければ、誰もが、被害者にも加害者にもなり得るのだということを、今一度はっきり主張しておきたいと思います

はてなが、人間を容易に被害者にも加害者にもさせる悪意の温床とならないことを、切に望みます事件はすでに起きてしまいましたが、わたしは、そこから学ぶことをもって、死者を悼む言葉に代えたいと思います

ここから追記修正とお詫び〜

ブクマトラバ、一通り見ました。

広く読まれると良いと思って書いたので、読んでいただきありがとうございます

すぐアクションたかったのですが仕事の兼ね合いでできませんでした。

まず修正のお詫びから

自虐心」ではなく「嗜虐心」でしたので修正済みです。

また、冒頭にあげた、事件とは無関係ユーザーについて。はてなでの罵詈雑言精神を病んだ原因であるという趣旨記述ではなく、醜悪出来事の一つとして指摘したつもりでしたが、誤解をあたえかねない文章でしたので、修正済みです。

お詫び

以下、自分の誤ちですのでちゃんと残しておきたいため修正しませんがお詫びです。

自分に返ってきたブーメランは「はてな村」と「無敵の人」というレッテル貼りでした。

前者について、一応端くれとして住民である自負もあったので、自虐というわけでもないですが使ってしまいました。「はてなユーザー」とするべきでした。

後者について、自分無意識で使ってしまっていましたが、安直レッテル貼りという指摘をうけてその通りだったと気付きました。失うものの怖さを持たない、向こう見ずな犯罪者ときちんと述べるべきでした。

気になった指摘

以下、ブコメなどで寄せられた主な意見について。

「ならばこの迷惑犯を、どう呼べば良かった?」これに尽きる

ごめんなさい。これについて、自分も答えは持っていません。「被告」で通じる文脈綴り呼称を避けています。刑が確定すればまた違いますが、「Hagex氏刺殺犯」「M被告」などと呼ぶしかありません。

事件以前、はてなにおいて当人をどう呼称すべきだったか自分自身呼称を避けていましたが(それほど日常的にコメントをつけてブコメもしないため)、むしろ低能先生」と呼びながらも当人を諌め対話を試みていた人の方が誠実であったと思いますはてなヘビーユーザーほどその扱いを持て余していたこともわかります

ただ、どれほど逸脱した人間であろうと、それらすべてが自分発言に端を発するものだったとしても、「低能先生」や、例えば「性の喜びおじさん」といった呼称蔑称であり、不特定多数が1人の人間を名指すべきではないと、やはり自分は思います

それもある種の自衛的行動であるのかもしれませんが、悪意に悪意で返すのも危険であると考えます

当人自身がどう受け止めていたかとは別に、その蔑称がその後の言動や考えに影響を与えない、とは到底思えないからです。

自分加害意識があるならハゲの人をスケープゴートしないで自分問題として書けよ。あの人は自ブログで文責持ってやってた点だけは増田の100万倍誠実だろ

その通りです。彼は覚悟をもってそのリスク自分で負っていたのでしょう。結果、殺されてしまいました。自分は臆病なので、人を傷つけるのも自分が傷つくのも苦手です。

もはや、当たり前のようにネット現実と地続きになっています。だからなおさら、繰り返しになりますが、悪意に悪意で返すのは危険だと考えます。目の前で誰かが危険さらされていれば止めなければいけませんが、危急の事情がなければ、通報し続けるしかありません(多くのユーザー運営通報し続けたことは知っています)。

過剰な集団リンチと正当な批判の境目は何処に

それについて言及する際に、言及する当人が考え続けるしかいかと思います

低能先生は呼び名を変えるだけでは救われなかったし、増田の言っていることは完全に筋違いとすぐにわか

あの人の言い分だとそもそも批判の仕方がどうこうとか関係なさそうなのでこの増田の言い分は一般的には兎も角この件では的を外してるように思う

後出しジャンケンHagex下品煽り咎めておきながら500回複垢取得してidコール罵倒してくる方をスルーするのは「人を刺した本物のキチガイ」という答え合わせが済んでるから

これはひとりひとりへの警鐘程度ではどうにもならない問題構造システム、地形によって実現している現象からツイートコメントが無制限に集約される場とどうつきあっていくかというアプローチが要る。

すべてその通りだと思います。どう振舞っていても、時と場所相手が違ったかもしれないだけで、結果的に痛ましい事件は起きたかしません。

後出しジャンケン」というのも指摘の通りです。ただ、後出しであっても、これまでもこれからはてなユーザーである限りは、自分は考え続けるべきであると思っています

そして、システム改善について考えること、自分の行いを省みること、それらはどちらも必要であると考えます

いじめ楽しいから続くのであって"醜い行為"とか言っても抑止にはならんよな

そんなことはない、と思っています。確かに嗜虐心を満たす行為は、それこそ病みつきになるほどの快楽を伴うことがあるのを自分否定しません。しかしそれ以上に、例えば自分場合は“ダサい”ことをしたくないという行動原理があります

かっこよくありたい、見栄を張りたいという欲望も、人間にとっては強い魅力を持っています

安全場所から他人を不当に攻撃するのは醜い、ダサいと言い続けることには、効力があるがゆえに意味がある。自分はそう考えます

2019-10-16

anond:20191016135254

から実在するっつってるのに

ちょっと検索するだけでも出てくるやんけ

2019-10-03

人間差異をなくした完全に幸福世界

その異変を初めて体感したのは、日常のほんの些細な出来事からだった。僕はその日、幼馴染で親友の桐王寺勝也と一緒にいつもの通り学校から帰宅していた。通っている高校から僕たちの住む団地までの道のりには、三つほど信号横断歩道があった。僕たちはちょうど真ん中の横断歩道で、大きな荷物を抱えた一人のおばあさんを見つけた。まるでマンガアニメに出てくるような紫の大きな風呂敷を胸の前で結びこみ、マンガアニメのように身体をふらふらとさせながら信号を待っているマンガアニメのようなおばあさん。僕たちは顔を見合わせると、背後からそのおばあさんに話しかけた。

「おばあさん、荷物、重かったら僕たちが運んであげようか?」

勝也がそう言うと、おばあさんはピタッと動きを止めて、静かに僕たちの方を振り向いた。その顔には信じられないと言ったような表情。そして、口をわなわなとふるわせながら、しゃべる。

「今、なんて言った?」

その言葉には、人間の心に鈍感な男子高校生でもわかるくらいに怒気を孕んでいた。まさか言葉と表情に僕たちは面食らってしまった。僕たちは再び顔を見合わせた後、勝也がもう一度口を開いた。

「だから荷物重かったら運んであげようかって……」

「その前だよ!」

いきなりの大声に思わずビクンッと身体を張り詰めさせる僕たち。

「そ、その前って……?」

僕たちは後ずさりをしながらも、そのおばさんに尋ねる。

「アタシのこと、なんて言った!?

さらに大きな声で言うおばあさん。その衝撃波が僕たちの身体に当たる。

「お……おばあさん……って言いました……」

「そうだろうがぁ!」

おばあさんはそう叫ぶと、背負っていた重そうな荷物を振り回し、僕たちの顔めがけて投げてきた。

「うわっ!」

僕はとっさにかわすことが出来たが、勝也はもろにそれを喰らっていしまう。

「ぐへぇ

という声とともに、頭から倒れる勝也。そして、倒れた勝也の胸元に、すぐさま馬乗りになるおばさん。

「ちょ、おばあさん、何してんの!?

僕は慌てて止めに入るが、おばあさんの鋭いパンチが勝也の頬にはいる方が早かった。

「アタシの、ことを、おばあさんとか、いうんじゃ、ないよ」

「何してんだって!」

僕はおばあさんを羽交い絞めにした。なおもバタバタと暴れるおばあさん。足を限界まで伸ばして勝也を蹴っている。

「ッ本当の、ことを、いうんじゃ、ないよ!」

おばあさんはそう言うと、するりと僕の腕から抜け出し、大きな荷物を抱えてものすごいスピードでどこかに行ってしまった。

「なんだったんだ……?」

僕はその後姿を呆然と眺めるしかできなかった。そして、呻き声が耳に入り、我に返る。

「だ、大丈夫か?勝也!」

僕は勝也を支えながら、家に帰った。



翌日。勝也は顔を晴らしながらもいつもの集合場所に来ていた。

「勝也、大丈夫か?」

僕は開口一番勝也に具合を尋ねる。

「なんとか」

「……そっか」

僕たちはそのまま学校に向かった。学校に到着すると、昨日のおばあさんのことなんか忘れてしまうくらいの出来事が起こっていた。なんと、学校にあるありとあらゆる書籍教科書書類が校庭に集められていたのである

「あら、おはよう。二人とも。もう教科書は校庭に捨ててきた?」

クラス委員長生徒会役員も務めている八島真理がメガネを拭きながら教室に入った僕たちに尋ねてくる。

「え?いや、まだだけど……っていうか、どういうこと?教科書を捨てる?」

「ええ、そうよ。あんもの、早く捨てないと、先生に怒られちゃうわよ」

彼女はそう言うと、どこかへ行ってしまった。

「やめろ~!僕は、死んでもこの教科書は捨てないぞ~!」

大声でそんな言葉が叫ばれているのを耳にして、思わずそちらの方に目をやると、そこにはがり勉三俣啓介が先生たちに取り押さえられているところだった。

「ばかなことをいうな!」「早くこの子から教科書を!」

三俣を三人がかりで抑え込んで、教科書を奪う先生たち。

「やめろ、やめろ~!」

教科書を奪われた三俣はそれでも先生抵抗しようとあがいている。しかし、

「いい加減にしろ!」

という、先生の声とともに、三俣の顔に先生の蹴りが入る。ミキャという嫌な音があたりに響く。

「ッッ!?

三俣の声にならない叫びが聞こえた気がした。

「お、おい。早く俺たちも行こうぜ……」

昨日のことを思い出したのか、顔を蒼くしながら勝也が僕を引っ張る。

「あ、おい……」

僕は結局校庭まで引っ張られて、教科書や持っていた文庫本を捨てることになった。そして、授業が始まった。



今日は、私たち人間についてを授業で扱うことにする」

世界史七井がいきなりそんなことを言い始めた。僕と勝也は互いに顔を見合わせる。そうした瞬間、ちらっと空席が見えた。あそこは確か三俣の席だった気がする。あの後結局どうなったんだろうか。

「では、いきなりだが質問だ。われわれ人間は、みんな同じだね?」

七井がそんなことを聞いてくる。人間はみんな同じ、だって?確かに同じ部分もあるが、同時に違いもある。一概に同じだとは言えないはずだ。

はい先生

僕がそう思っていると、八島が手を挙げる。

八島君、どうぞ」

七井八島指定した。八島は席から立ち上がると、口を開く。

古来より人間には差異などなく、みな同質でありました。それは今も変わりません。なので、人間はみんな同じであると言えます

「その通りだよ、八島君」

七井は嬉しそうにいう。しかし、それに異を唱える者がいた。こちらもがり勉で、一番後ろに座っている一色だ。

「みんながみんな同じなんて、そんなバカたことありません。現に僕は目が悪くてメガネをかけているのに、彼女はかけていないじゃないですか!」

一色はそう言って八島を指さす。七井は一色に近寄ると、一式が欠けていたメガネをはずした。

「あ、な、なにすんですか!?

メガネを取り上げられて慌てふためく一色。七井はそんな一色のことを気にも留めず、手の中にあったメガネを握りつぶした。

「ああ~!」

一色の悲痛な叫び

「これで、同じだね?一色君?」

七井は先ほどの八島の答えを聞いた時と同じように、笑顔で聞いている。

「で、でも、性別だって違うし、体格だって違……」

一色はなおも食い下がろうとしたが、次の瞬間身体椅子ごと後ろに吹っ飛んでいた。七井が思いっきり一色のことを蹴ったのだ。そして、蹴られてうずくまる一色の近くにしゃがみ込み、再び七井は尋ねる。

「同じだね?」



その日を境に、世界は大きく変わってしまった。僕以外のすべての人が、人間はみな同じであるという考えを、まるで植え付けられたかのようにするようになった。やつらの言い分では、差異がないから、差別もなく、貧困もなく、幸福幸せ世界を築けるのだという。

僕は相変わらず学校に通っている。それは、僕が人間はみな同じであるという考えを持っていないということを知られないようにするためである今日も一日、学校が終わるまで何事もなく過ごすんだ……そうすれば、なにもされなくて済む。

ホームルームを始めるぞ」

担任の声で、我に返る。

今日は、皆に非常に残念なことを伝えなければならない」

淡々担任は喋り続ける。それが怖かった。

「どうやら、ウチのクラスで、同じ人間じゃあないものが逢いるらしいんだ」

ドキッとした。心拍数が上がるのがわかる。口から心臓が飛び出してしまうのではないかというほど急に心臓が動く。先生のその言葉で、クラスのみんなが一斉に僕の方を向く。

「えっ……」

僕は思わず声を漏らしてしまった。担任が僕に近寄ってくる。そして、笑顔で言った。

「同じだね?」

Happy End

2019-09-11

アパート狂人が二人住んでいます

2階建ての共同アパートに住んでる増田です。

築年数はかなりのものですが家賃は安いです。

建物の中は廊下が通っててそこに個室が10数室あって住人はそこに住んでる感じです。

あとは共同の洗面所やら風呂やらの設備がある、必要設備は一通りあるが本題ではないので割愛

で、ここから本題なのですが、廊下はいくつかドアがあり、そこからアパートの裏に出たり空気を入れ替えたりできます

問題アパートに住んでる狂人二人は、昼間廊下のドアを全開にするのが大好きなのです。

春や秋のように過ごしやすい気温ならそれでも問題ないが、猛暑の夏の間も毎日開けっ放しで酷暑空気をどんどんアパートの中に取り込むのです。

2人の狂気はこれだけにとどまらず、夜になるとドアを全部閉めてしまます。なので、夜になって外が涼しくなってきてもアパート内は昼間の暑い空気が篭もるという状況です。

二人のこの行動に巻き込まれ暑い中すごさなければならない他の住人の皆さんがかわいそうでなりません。

ここまで読んだ皆さん、二人の行動を理解できますでしょうか?

できるだけ涼しく過ごそうと思ったら、夜は開けて涼しい空気を取り込み、昼は閉めて暑い空気をできるだけ遮断するほうがいいという考えは狂人二人にはありません。

2人に、なぜ昼間暑い時間に開けっ放しにするのか、昼は閉めて夜開けたほうが快適ではないか質問したところ、驚きの答えが返ってきました。

一人目の答え「風は入ってくるが、熱い空気は入ってこない。だから暑くならない。風がある分むしろ涼しい

いや、熱い空気が入ってくるに決まってるでしょ。そのことを指摘しても思い込みが激しいようでまったく聞き入れてもらえませんでした。

義務教育を受けた人ならこれがどれだけ狂った答えかわかるでしょう。教育政策の敗北だーと叫びたくなります

二人目の答え「暑くても構わない。風が欲しいから開けておきたい。」

ここ何年か続く猛暑経験しても熱くて構わないとのたまう時点でかなりの狂気だが、暑くていいなら風もいらないでしょ。風が欲しいのは涼しくなりたいからなのに、暑くていいという矛盾発言をしてしまっています

代替案として、アパートには共同で使える扇風機があり、今は誰も使ってないので使うよう促したけど断わられました。

二人の共通点として、思い込みが強く他人の話を聞かないというのがあげられます

こちからの指摘に反論できず代替案も受け入れないので、間違っているのは二人のほうだというのは明らかです。

増田は1階に住んでおり、今年の夏は気温が上がる前に1階のドアや窓はできるだけ閉めて回るようにしているのでかなり涼しく過ごせるようになりました(夜は開けてます)が、

狂人テリトリーである2階は外の日陰にいるのと同じくらいの暑さです。

暑い空気は上昇して2階に集まるというのは理科で習うことですが、その分を差し引いても1階は涼しくて過ごしやすく、2階はつらい暑さですが、狂人二人はそのことに気づきません。

今年の暑さは今週で収まるようですが、誰かが熱中症で倒れでもしない限り二人の狂人がまともになることはなさそうです。

ちなみに二人の属性を言うと、二人ともおそらく50代の昭和生まれ女性です。

しかしたら男性勘違いする人がいるかもしれないので書きましたが、昭和生まれ女性貶める意図はなく、

あくま個別の二人の人間について述べたことなので、大きな主語で語ることがないようお願いします。

2019-08-27

聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

***********

今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41

2019-08-18

嘘松」および「八つ当たりヘイト人間」について

ま~んの語源も知らない嘘松さん

まず自分もま~んが嫌いである。

しかあほ嘘松もっといである。


フェミニストがま~んに対抗してち~んと言い出した、というストーリーが既に馬鹿丸だしだ。

何故かってもともとち~んの方が先にあったから。

正確には「ち〜ん(笑)」。


ま~んの歴史

そもそもを言うとち〜ん(笑)もま〜ん(笑)野球雑談掲示板造語だ。

そこでは仲良く罵りあうのが作法で極端に口汚い。

贔屓チームが違う同士あらゆる造語を作って罵っている。

例えばそれぞれの贔屓チームに蔑称と「カス」をつけて呼ぶのが基本的呼び方で、

広島カープファンだと「ケロカス」と呼ばれる。

ケロは何なのかというとケロイドのことで、つまり被爆者からめて広島ファンを罵っている。


ち~ん(笑)語源については

阪神タイガースファンは日頃から「珍カス」、つまり陰茎に溜まる恥垢に絡めた蔑称を受けていて、

その阪神が優勝目前にして歴史的連敗で優勝を逃したときに立った煽りスレがこういうものだった。

くっさいくっさい珍カス葬式会場はこち(笑)

ち〜ん(笑)




これが初出で、2008年秋頃。

このあと阪神ファンにはち~ん(笑)が繰り返されるようになり、彼らの正式蔑称に。

そして語源であるちんこや男も蔑称としてち~ん(笑)になった。

そのうちに女についての蔑称ま~ん(笑)発明された。


わかるだろうか。

元増田嘘松が言わんとすることは要するに「ち~んていわれたらどう思うんだ!」だが、

そもそもま~んよりち~んの方が先だ。

以前、この言葉に対して怒ったフェミニストの人が、対抗して男性のことを「ち〜ん」と表現しているのを見たことがある。確かTwitterか何かだった。

まずそういう話ならログぐらい提示して具体的に論じたらどうか。

あり得ない話だと思うわけではないが総合的に言ってあなたの話は作り話臭いのでソースを見たい。

自分は対抗するにしても幼稚で、ギャグかな?とすら思ったが、本人はいたって真面目な様子であった。

上述のとおり元々ち~ん(笑)ま~ん(笑)は幼稚なギャグである


ついでにそもそも元増田みたいな八つ当たり人間について

男性と思われる人達が、軒並み「ち〜ん」に激怒している。

意味がわからなかった。いつもま〜んという表現を笑って、あるいは流してる人たちはどこに行ったのかと思った。

これって、

自分無関係女性無差別暴言を吐いて回りながら

自分は今までの人生で女に冷たくされたから」を理由暴言を正当な権利だと言い張るミソジニーそっくりである

ち~んを見て怒る人がいたとして、その人はま~んと関係があるのか?

関係ない人を特定の性だというだけで罵って不快な思いをさせていいのか?


こういう八つ当たり性差別をして溜飲を下げる意気地なしの男女に言いたいのは

あなたに酷いことをした当人にきちんと復讐しろヘタレ

一言に尽きる。


本当に女にいじめられて人生が狂ったならその女に復讐すれば良い。

父親クラスメート男子に酷いことをされて人生が狂ったならその男達に復讐すれば良い。

本来の遺恨の相手復讐することは怖くて出来ないという根性のかけらもないヘタレ

「女はクソ」とか「私は男嫌いから」とか言いながら八つ当たり性差別チャージして

無関係かつ殴り返してこなさそうな無防備人間に延々攻撃をしてるのだ。

社会ゴミとはこいつらのことだ。



私はま~んもち~んも言ってる奴は阿呆だと思うが、

阿呆より醜悪なのは阿呆にその場でやり返すことも出来ずに

無関係な同属性不特定多数相手八つ当たりをする卑怯者だ。

彼らはその、きちんと問い詰められれば1ミリ自分立場説明できない行いについて、

問い詰められるまでは何か正当な権利復讐しているのだという了見でいる。

アニメスタジオ放火する奴と同種の人間だ。


anond:20190818005515

2019-07-20

anond:20190719085002

そもそも死刑対象が、残虐な殺人か、多人数の殺人に限られている範囲においては死刑存続でもいいと思う。

刑務所は完全ではない。メキシコでは残虐な殺人をした麻薬組織ボスが多額の金をかけて度々脱獄している。脱獄後、そのボス逮捕のためにさらなる警察官が命を落としている。

結局アメリカにそのボスを委ねることにした。国家自身の敗北だ。

なお、メキシコでは死刑がないから、何百人と殺したような人間ですら死刑にできない。

この事態を見ると、残虐な殺人、多人数の殺人のように、万が一にも脱獄されると困る人間については死刑やむなしだと思う。

2019-07-15

両親がおかし

私の両親は騙されやすいのだと思う。

つい最近だと座ったら病気が治る電流イス(100万円)を買おうとしてた。

ギリギリのところで購入を阻止できたけど、購入を反対したら逆ギレされたりしてしんどかった。

あと数年前には「抗がん剤治療は体に悪影響だ、医者が金儲けするための治療だ」とか言って癌の祖父とか親戚にガンが治る水(2L1万円)を勧めて買わせてた。

今は「処方薬は人間を滅ぼす。医者患者から金を巻き上げるために薬を処方してる」とか言ってる。

持病の治療で薬を飲んでる私に毎日文句を言ってきて辛い。

「飲むのを辞めないなら薬の陰謀について詳しく教えてくれる講演会に連れて行く」とか言われた。

何やねんその講演会と思ったがとりあえず情報を聞き出して講演する人間について調べたら法学部卒の人間だった。卒業後薬の勉強を独学でしたらしい。

本当に訳がわからない。

医師患者を騙しているのではなく、講演する人が講演会で金を巻き上げるために薬を飲むべき人を騙しているのではないかと思う。

でもこういう事が10年近く続いてきて、最近何が嘘で何が本当なのかわからなくなってきた。

私まで洗脳されそうで怖い。

いつか取り返しのつかない事になりそうで不安

2019-07-14

未来全然予想できない

今の時代ってだいぶ完成されていると思う

 

過去についてだいぶ分かってきた

人間についてだいぶ分かってきた

社会についても、宇宙についても、科学もよくわかってきた

それらを人類過半数アクセス可能インターネットで共有できるようになった

個々が様々な想像をし、創作をし、情報発信できるようになった

それでもできないことが非常に多いこともわかった

 

この先の物語はよくわからない

今できないことをできるようにして、それは楽しいんだろうか

 

これでエンディングで良い気もする

もしくは、ここ1,2世紀とは異なる新しい価値観が生まれる気がする

21世紀後半は確かに今までの延長線上にあるが、別の何かになっていると思う

2019-07-09

曝け出した姿が精神的に優位に立ちたいだけのまるで人間についての観察眼がない三流の哲学者じゃうんちとも呼ばれるわ

検索インターフェース対話的になるべき

例えば偉人について名前で調べたとする

ゲーム情報と、人間について情報がたくさんあるなら

それをフィルタする適切なキーワード提案するべきだ

キーワードじゃなくても良い、絞り込むための条件を提示して欲しい

ユーザー検索上級者へ訓練するんだ

 

あたりの話は10年以上前に考えたが一向にそういうの起こらんな

他の人の検索ワードとかサジェストは出てくるけどね、あそこから進まんな

2019-06-30

人類が滅亡したことによって事後的に困る人類存在しない、なぜならその時は既に人類は滅亡した後なので

この構図を、今現在生きている1人の人間について適用すると、「あなたあなた自身が死んだ後の世界について死者の立場から何らかの利害を持ち得ますか?」という問いになる。生きている人は誰一人として死んだことがない以上解答はどうしても間接的なものとならざるを得ないが、私が知る限りこの問いに対して肯定的な返答をするのはみなクリスチャンムスリムであったように思う。しかし彼らとて死後の世界生前世界とは全く別のあり様として生と死とを峻別しているだろう。

ガンスリンガーガールの何巻だったかは忘れたけどジャンさんの「死んだ人間は強いが、生きている人間は弱い」というセリフがあり、たぶん死んだ人間はこれ以上もう失うものがないし傷つけられることもない、どんな意味においても世界に対して利害を持たない、ということだと思ってる。実際のところ、人類が滅亡するという衝撃的な大事件を生者として目撃することは、並大抵の人間には耐えられないのかもしれない。

もし近い将来に人類が滅亡するとして、私はそれより先に死んでおいて、人類滅亡の難局を乗り切るだけの「強さ」と共に身構えておきたい。全ての人間が必ず死ぬ、という事実はこのとき決定的な救いだ。長期的には皆、私たちは土に還る兄弟である

2019-06-17

シスヘテロ男は(男も?)男が嫌いだから、女にしか救えない

男性の生きづらさを語る記事によくつくコメントで「その辛さの解決をどうして女性に求めるんだろう? 辛さを理解しあえる男同士で連帯したり癒しあったり慰めあったりした方がいいだろうし、女もそれなら反発しないのに」みたいなのがあるけど、大多数のシスヘテロの男は男が嫌いだから、男同士で慰めあっても心が救われないよ。

しろ不快感が強まってしんどくなる。

女だけじゃなく男も、男が嫌いだし醜いし暴力的だしキモい仮想敵だと思ってる。

ミサンドリストが男を叩く言葉みたいだけど、ぶっちゃけアレって男から見ても大体同意できるよ。

口喧嘩テクとして「それは偏見差別だ」って言えばポリコレ大義名分武器にしやすいか反論するけど、実際ほぼ納得できる。

男性の特徴は危険環境での兵隊としては優秀だけど、安全リラックスできる環境生活を共にし、協力しあう相手としては不適格。

それでも兵隊現代では企業の同僚も含む)同士である程度は手を取り合わなきゃいけないから、ファックコミュニケーションやホモソという、互いの醜さ・暴力性・キモさな欠点を強調して見せあうことで「俺等の欠点はそういう芸風だからしろアリ」と誤魔化してなんとか受け入れあう手法を開発し、ギリギリ友情もどきを作っている。

でも結局のところ男は男が嫌いだから、その悩みや苦痛精神不安定孤独を男同士で埋め合うことは無理。

連帯ってのも、ターゲットを決めて一斉攻撃するみたいな破壊運動ならできるけど、互いに慰め支え合うみたいなのはごく表面的にしかできない。

女が言う「結婚しない老後でも、心許せる女友達がいれば楽しく孤独じゃなく生きていける」みたいなの、男には無理。結婚相手かどうかはともかく、女性パートナー必要

なので男の生きづらさや寂しさを救うには女が寄り添うしかない。AIが慰めになる未来はまだまだだ遠く、動物はさすがに人の代わりにはならない。

男は男が嫌いだから、その心を救ってあげられるのは女しかいない。

そういう意味では、もともと主導権や選択権は女にある。

女性神秘視や、結局男は女に勝てない、本当に怖いのは女、どんな覇王も女が泣き所になりがち、みたいな思想が未だに広くあるのは、女を悪者にする目的だけではなくこの女の選択権を畏怖しているせいもあるかもしれない。

ただし男は肉体的な力(とそれで稼いだ他の力)でもって、選択権のある女に歪んだ選択をさせることができる。

十分な力を持たず、かといって女性自発的選択では選んでもらえない男は、変質者行為をしたり鬱憤ネットでぶつけたりといった、女性に害は与えられるが自分を選ばせ救ってはもらうという本来目的にはつながらない、益のない力の振るい方をすることになる。



追記

身近な知り合いが男同士でも楽しそうで屈託なく遊んでるよ、という人。

その屈託なさそうに見えることこそが、「上手な男らしい強がりである可能性を考えた方がいい。

男同士が遊ぶことに楽しさがないわけじゃない。

ただ安心して弱さを見せ合い、ベッタリともたれ合うことはできない。

いわばスポーツや対戦ゲームみたいなもんで、調子のいい時、面白いとき人生が恵まれている時にお互いのいいところを出し合うぶんには男同士が楽しいが、具合が悪くて辛くて悲しくて貧しくてグズグズな時にそのグズグズを男同士で絡ませ合うのは気持ち悪くて大体の人には無理だ。


そんなろくでもない性である男を女が助けるデカ負担を考えてないって反応あるけど、いやいや、男を醜く暴力的キモいとまで言い切ってるのにそれと付き合う負担を考えてないわけない。

それでも女が負担を負わねばならない理由は何か?

……別にないんじゃない?

帝釈天のために焚き火に飛び込む兎みたいなもんだし。

女には、我が身を犠牲にして飢えてる男を助けるか、男を見殺しにするかの選択権が与えられている。

まあ、選択権があることを認めたらその選択責任を問うやつも出るだろうし、それを避けるために「幸不幸を女に委ねるな、男だけでor個人だけで幸せになる手段もある」と主張することで、男の生殺与奪権もその責任も女にないとする意見の方がメジャーだろうけど。

でも俺は人は個人では幸せになれないし、男は男だけじゃ幸せになれないと思ってるよ。

それはつまり、万人が最低限幸せに生きるべきだっていう正義への接近は、衣食住についてはもうちょい近づけるかもだが、孤独に苦しむ人間についてはもう行き詰まりだねという絶望でもある。



最後追記

この匿名な上にこんだけ批判されてる記事に「わかる」と本音の弱音を語った奴ら、お前らはマジで偉い。

敬意を表する。

2019-05-14

anond:20190513180124

自分以外の人間について認識すること自体差別なので見る事を禁じ見たことを公言しない

こんなことは先進国ではあたりまえなので目の前でかばんがひったくられても腕時計を腕ごときり落とされて奪われても

カメラをひったくられそうになってひっぱりあいをしているところにわってはいって救済したり

だれがそれをしたとか公言もしないよね

から銃が必要なんだ

先進国人権の守り方を見習って銃を導入すべき

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