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はてなキーワード: 人間についてとは

2021-03-02

anond:20210301102544

あなた特定属性人間について嫌いになる自由もあると思うよ。

ただし、あなた自身属性によってジャッジされる立場になるということも自覚したほうがいい。

例えば、私なんかは女性社会進出を快く思っていないので、管理職リーダーになる女性を支持したりしない。

女医がいるクリニックには行かないし、蓮舫民進党党首になった時にはそれまで支持して来た民進党の支持を辞めた。

高橋大輔へのセクハラ以前の問題として、橋本聖子が後任会長になることも今でも反対している。

他人属性好き嫌いを決めるということは、自分自身にもブーメランが飛んでくるということを知るべきだと思う。

2021-03-01

anond:20210301122949

過去から残ってる名作って言われる作品普遍的人間について扱ってるから面白いやで

でもシェイクスピアとか今読むと退屈の極みなのも同意するやで

でもシェイクスピアでもなんでも同年代の別の作品と比べたら相当面白いし、そこらに転がってる普通小説と比べたら面白いやで

2021-02-24

anond:20210223103027

「どんな選び方しても2世3世議員を減らせないだろう」って?

うーん。よく言われるネタだけど、「政治家選抜共通テスト」くらいやったらいいと思うんだよ。あるいは既存試験が適切だと判断できるなら、司法試験でも、あるいはたとえば国家公務員総合職大卒程度)試験面接以外受けて成績公表でもいい。少なくとも官僚になる奴は基本的にはこれに合格してるわけだし、それと同等の能力があることくらいは示すべきでは。もちろん、別に新たに試験を設けるのもあり。制度の作られた20世紀中頃とは異なり、家庭事情から公教育すらまともに受けられない人というのは大きく減少し、また、社会も高度複雑化した。そんな現代においては、それぞれの専門性はもった上で、かつ、行政について最低限の知識があることくらいは担保できないと、議員活動の上で色々とマズいんじゃないかな。こうやって立候補の前に網を掛けるだけで、中身のないタレント候補や2世3世議員の乱立を、少しは減らせると思うんだよね。とりあえず参議院だけでも導入してみるとか、どうかな。一度受検すれば5年は有効で、期限の切れる前年から当年までの間に再び受検しないと、国政選挙に関わる被選挙権を失う、とする。つまり政治家免許更新制度」ですね。全国津々浦々の教員ですら全員これを自費で行っているのだから、遙かに職責の重い政治家の皆さんが、まさか能力証明など不必要だ!」とかおっしゃらないでしょうし。

陶片追放は、ポピュリズムを強化するものなので、正直あまり効果はないという気がするんですよね。選出するところで民衆の知性が働かないのに、追放に際して働くと期待できる根拠がないので。また、マイナスを恐れた政治家が、失点だけないようにばかり振る舞うのもマイナスで、やはりその地位には一定の安定保証必要だと思うんですよ。それよりも、国政選挙において、選挙本来の形に則るなら、結局「その人がどういう活動してきて、どういう思想の下、どういう政治をしていくのか」を公正にチェックした選挙公報に基づき投票する、という仕組みを整備するのがいいんじゃないかと思うんですよね。「地盤看板・鞄(金)」で決まる選挙にしないためには、その原点に立ち返るしかないでしょう。

これをするには、ネット投票の仕組みを整備しないといけないんですが、

 ・選挙葉書で投票サイトアクセスすると、ランダムに選ばれた二人の人間について、その選挙公報が示される。

 ・有権者は、どちらか「望ましい」と思う方に投票

 ・これを4~5回繰り返したら、投票終了。

 ・集計・分析して、もっとも望ましい人間必要数選び出す。

みたいな選挙にする(ぶっちゃけ、この前増田で少しバズった「戦う猫の話」のkittenwarからアイデアを得た。)、つまりPoliticianWar選挙金も時間もかからないし、公報の内容は選挙管理委員会によってファクトチェックかけられて、必要字数のみ、かつ、正しい内容しか掲載できないようにする。(いま、民間選挙ときオープンしてるサイトみたいなのを想定してもらってもいいと思う。)

これで、「地盤看板鞄」関係なく、お金もかからない選挙実施できると思うんだけど、どうだろう。というか、これで困るのって「地盤看板鞄」頼りの選挙ばかりしてきた人たちですよね? あと、「それでも結局芸能人含めた有名人が有利じゃね?」と思われるかもしれない。それは否定できないけど、「全く公平に比較対象を用意した」状態なら、「よく分からいか有名人に入れる」みたいな人の数を少しは減らせると思うし、それなら、現状より少しはマシになると思う。あと、投票率も上がるし、「全然知らない人に○したけど、あの人その後どうなったんだろう……」みたいに、政治への関心も高まると思うんだけど、どうだろう。

2021-02-21

anond:20210220191750

そもそもそういう話が出てきた経緯は「結婚したいと考えてるのにしない人間について」というテーマがあるわけよ

アホはその経緯が理解できないから「結婚に興味ないやつの事を考えてない!」とイキリ散らす

2020-11-15

anond:20201113190603

サンプルの量じゃない 定義づける1点との結びつきの距離

例)男性は右利きが多く 女性左利きが多い:あくまで例なので適当に出しただけの題

男女100000億万人のデータを集計して多いのがわかりました

男女 - 利き手 (これが真なら統計データとしてもそうかと思うが こんなアホな直結する人はいないと思う

男女 - 生活環境 - 生育環境 - 情報環境 - 交友関係 - 趣味趣向での文化体験 - 信仰 - 直接接触する機材 - 場面の遭遇率 - その他もろもろ - 利き手

だと男女と利き手だけ統計したところでなんの意味もない


これを目にあざかやに

男女 - 交友関係 - 利き手

としたところでアホさはかわらないだろう

ただ局面的におもしろかったり 納得したり話題になったりすることはあるしそういうネタが多いのもたしかだろう

ただネットで全世界平等に平均としてみたいな領域原文ママがくるからそれはでかすぎと発言する人間にも出会


特定利き手特定性別についてより多くの可能性を獲得したい場合においてそのビッグデータは使いようがあるかもしれない

だが「利き手」の話をするときには何の意味ももたない

しか話し手の多くはその利き手話をする局面利き手話をしようとする人間必要なのは利き手」の話題であって男女や統計や傾向またそれらに含まれる背景情報全体がかかわってくることなど気が付かないだろう)

なにが原因で「利き手」が発生するのか そしてその条件が男女の差で特定の1点ないしは数点にあるとするなら

特定の事例の数量を男女差ではかる 利き手ではかるという方法において現状の把握と過去データの積み重ねで現状をしったり可能性をはかったり計画をたてたりできる


1)「その話でなにがいいたい 現状を知ったり可能性をはかったり計画をしたいのはなにか」について

2)どの点を境界としておくか

3)その点を分岐させるに関係する要素と 分岐必要とする環境について

これについて聞いた人が 話してる人に対して「そうじゃない場合もあるんじゃないの?」という余地がないものまたはできるかぎり少ないものは「主語がでかくならない」になる

たとえば

例)台所にいる蟻ってめっちゃウザくね?

台所にアリの巣観察セットを置いている人で蟻に感情移入している人間については反論余地を残すが「面倒をみないといけない(可愛がっている)」を含めていたと言い換えることで余地をなくすこともできるが)

はだいぶ広い範囲まで出しても「主語がでかい」とは言われにくくなる

ただし地球環境について全生物を通して考える人がそれを聞いたら「主語でかすぎ 蟻を全否定するようなことは言わないでほしい」となる可能性はないとは言えない

例)男性は右利きが多く 女性左利きが多い:あくまで例なので適当に出しただけの題

これについてネット上で男女時間地域年齢その他関係なくばらまけば そうはおもっていない人類から「そうじゃないだろ」「実際そうじゃない」「そうだと決めつけるのは”主語が大きすぎ”」だといわれるが

仮に女性だけに人気のブランドのバッグがあったとして自動改札を出るときIC定期券使用していて収納ケースごしにタッチする使い方をしている人が多くいる環境において

「あのカバン左利きにはやさしくないよね ”女性左利き多い”っていうのに」という不満を言うときには 主語がでかすぎ問題は提起されない

関連性については一目して一貫性がありそれにふさわしく(それ以上の理由定期券以外の事例については言及しない) またぶっちゃけお前の話などどうでもいい からである

左利き自分か 自分のもってるカバンがそのブランドか それらについて価値観言及が話ししている相手に直接関与しないか を踏まえてさえいれば問題が発生するどころか気にする話など含まない文章

わざわざ挙げられた話題について 大きく判断基準自分でもってる個人が 自分のおもってる境界線の引き方を みさかいない相手にむけてすると

話す相手と場面によってはなんでもでかすぎになるだろう

2020-11-05

選挙で負けたパヨクが「不正選挙だー」って騒ぐのをニヤニヤ見ていたネトウヨは、今自分らが同じことをしていることに気づいて、世の中や人間について何か感じてほしい

2020-10-05

女を言葉で殴る男が劣化鳳暁生にみえ

少女革命ウテナにでてくる鳳暁生は地位と金がそれなりにありルックスは良いし表面上の人あたりもいいし、ちゃん過去王子様して色んな人を助けてたあたりマシな気もする。挙動微妙おもしろいし。

でも内面が歪みまくりなうえにやらかしたことを考えるとやっぱこいつ悲惨だけど最低だわ。

とか思いながら、男はつらい女はいいよな、などと言葉で女を殴る人間について鳳暁生とからめて語ってる文章ないのかなと思ったらあった。

「王子様」の呪いーー鳳暁生について|水上文|note

彼は男で、だからお姫様」にはなり得ず、望まれるのは「王子様」でしかなかった。力を持っていて、とびきり魅力的で、白馬に乗って颯爽と現れ誰かを助けてくれる、そんな「王子様」であることを、当然のように周囲から求められていること。

彼がかけられていたのは、「王子様」ではないにもかかわらず「王子様」の役割から決して降りることができないという呪いであった。

彼は「降りられない」と自分を憐れんで嘆くことしかできないし、しないのである

から彼は、どう考えても加害者でありながら、自分いちばんの「被害者なのだと思い込んでしまうのである

どこまでいっても「かわいそう」にならないから。どこまでいっても「王子様」でしかなくて、許されてしまって、力を行使できてしまうから。どこまでいっても「かわいそう」にはなれない自分が、逆説的にいちばん「かわいそう」なのだと思ってしまうから

鳳暁生は、その小さな世界に取り残される。「居心地の良い棺の中で、いつまでも王子ごっこをしていてください」、そう言い残す少女背中を見るばかり

置き換わらない部分もあるだろうけど、「王子様」を「男」なりに置き換えたら…?

これ書いてる人もウテナ制作陣もすごいなあ。

2020-10-01

許すことができない人間について

 許すことができない人間がある日突然ぱたりと死んだとして。

 

 たぶんわたしは彼が死んだらさした葛藤もなく彼を許せるのだろうなと思った。

 「どうしてあんな小さなことを気にしていたのだろう」、と。そういう想像力があるから人間人間を許せるし愛せるのだろう、とか、そういうことを考えた。

 確固たるなにかがあって今感じている憎しみや嫌悪感絶望があるわけではないのかもしれない。そうなのだろう。その人が死のうが、苦しもうがどうしようが絶対に許さず同情せず憎み続ける。そんな意思すら持てない。

 持たないほうが生きやすいのだろう。生きやすいからなのか、本能としてそういう頭のつくりになっているのか、いやそんなことはどうでもよくて。

 わたしが死んだほうがいいのだ、というところに帰結してしまうのは思考停止しかないんだよなあと思う。

 こういう思考はあと10年も経てば風化するのだろうか。時間解決するってほんとくそだな!!!!!!世界で一番あほらしい。

 わたし自身のちからで憎みたいし嫌いたいし許したいし愛されたい~~。はあ。

 

 などということを2018年わたしevernoteに書いていて、2020年わたしはそれを読んでありありとそのときの気分をなぞることができたのだった。

2020-09-27

人が死んで「これからなのに」って言うやつ

事故病気ならともかく、自殺した人間についてこれを言うやつを見てあまりあんまりだと思った。ひどい。

2020-09-20

anond:20200917005556

Vtuberにハマると過去配信を掘り下げたくなるよな

過去を掘り下げるとコラボ相手も気になって見始めたり……楽しいよね

自分最初、でびちゃんは外見どおりの可愛らしく憎たらしい感じのマスコットキャラかと思ってたんだけど

悪魔としての独特の価値観や、その視点から人間について語る際の知性の高さに驚かされた

悪魔を侮っていたのは自分の方だった

2020-09-04

精神的に不健康作品コンテンツについて考えてみた

続き

https://anond.hatelabo.jp/20200911202150

アブラハム・マズローの書いた『完全なる経営』(日本経済新聞出版 大川修二訳)という本を読んだ。

その中では、精神的に健康人間というものが語られている。平たく言うと、自己実現できる人のことだ。

自己実現とは、本に書いてあった内容によると、こんな感じの人だ。

・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる

創造的やユーモアがある

自分自分に関わる人間幸福を願う

・夢中になれる物がある

自分能力を惜しげなく発揮している

この対極にあるものとして、精神的に不健康人間についても述べている。

本文の中で、精神的に健康人間と不健康人間が対比されている描写は以下の3つだ。

相当高い発達段階にいる人間は、破壊よりも創造を好むものだ。創造する喜びは破壊する喜びよりも大きい。

ただし、破壊する喜びは確かに存在するし、そのことは看過されるべきではない。とりわけ破壊から強い喜びを得るのは、発達段階の低い人間、つまり神経症患者、未熟な人間衝動コントロールできず無意識的に行動を起こす人間サイコパスなどである。 P.63

彼は予想外の事態に直面しても怖れる気配を見せない(強迫観念にとらわれた硬直した人間は、予想外のできごとを怖れる)。創造的な人間にとって、計画とは先に進む道を探すための足場以上のものではなく、それゆえ、後悔や不安をともなうことなく、やすやす放棄することができるのである。 P.319

どのレベル動機づけによって生きているかを判定するには、さまざまな方法がある。たとえば、どのようなユーモア面白いと感じるかによって判定するというのも、その一つだ。低いレベルで生きている人間は、敵意のこもった残酷ユーモア――老女が犬に噛まれる話や精神遅滞の子どもが他の子たちにいじめられる話など――を面白いと感じる傾向にある。リンカーンが示したようなユーモア――哲学的教育的なユーモア――は抱腹絶倒するような類のものではなく、むしろ微笑を誘うものであるが、これには敵意や征服といった意味合いがまったく込められていない。このようなレベルの高いユーモアは、低次の欲求レベルにとどまる人間からは、まったく理解されないものである。 P.367

この3つの中で、一番下が気になった。

精神的に不健康人間は、残酷作品が好きらしい。

それって、どんなコンテンツだろうか?自分もこれまでに楽しんだことがあるのだろうか?

気になって考えてみた。

以下は、私の主観で選んだ『精神的に不健康人間が好きなコンテンツ』だ。

あなたが好きな作品があったらごめんなさい。



漫画

1980年代後半~1990年代前半までのCLAMP作品

 この頃のCLAMPトンガっていた。今の作風からは信じられないほど『精神的に不健康コンテンツ』だったといえる。個別作品ネタバレはしないので安心してほしい。

 人間の手足が千切れる、〇〇の頭部をもぎとって〇〇に見せる、これまで信頼していた人が裏切って主人公ボコボコにして作品完結だったり、自分部族が皆殺しになるのを割と涼しい顔で眺めている〇〇がいたりと、今に比べれば殺伐とした作風だった。(※もちろん例外はある。「CLAMP学園探偵団」「20面相におねがい!!」「学園特警デュカリオン」など)

 このような作品商業誌で描くということは、当時のCLAMP精神的に不健康人間の集まりだったのか?と私は思った。

 そのとおりだと思う。

 CLAMPに関する情報を集めれば集めるほど確信を深めるようになった。どんな情報を集めたかは言わない。彼女達の名誉を傷つけるおそれがあるからだ。あの〇〇〇〇〇〇を作った奴はどこのどいつだろう。訴えられればいいのに。

 CLAMPが今のように精神的に健康コンテンツを作るようになった境は、『魔法騎士レイアース』『カードキャプターさくら』の辺りだと思う。

 この頃からCLAMP作風が急に丸くなる。魔法騎士レイアースシリアスな場面が多いが、これまでの作品に比べれば緩い。ギャグも多いし、家族同士の愛情恋愛もしっかり描いている。

 ※もちろん今でも殺伐とした物語を描くことはある。BLOOD-Cが好例だ。

 作品内容がジェノサイドな方向に行ってしまうというのは、何もCLAMPに限ったことではない。他の有名漫画家にしてもそうだ。それは雁屋哲だったり、板垣恵介だったり――眉月じゅんのような若い作家でもそうだ。

 初期の作品というのは、どうしてもそういう方向になってしまう。それは、自分がこれまでに受けた苦しみや、社会への恨みや、一発当ててやるといった決意がそうさせるのだろう。

 漫画家として食っていける人間というのは、若いうちは苦労しがちだ。サラリーマンに適合するタイプ人間ではないので、学校で仲間外れにされたり、いじめられたり、日陰の存在になりがちだ。

 そんな環境の中で作品を描く力を磨き上げた人間というのは、自分を虐げてきた社会に対する不満を創作活動を通してブチまけてしまうのかもしれない。

 あくまで推論に過ぎない。デビュー作品も、今の作品殺伐とした雰囲気が少ない作家もいる。大御所だと高橋留美子だ。あの人の作品は、初期の物も今の物も人間愛に溢れている。

 一般的には、一山当てて名前が売れたり裕福になったりすると、作品内のグロテスクな傾向は薄まっていく。

 精神的に不健康状態から精神的に健康状態になるのだ。

 名前が売れると承認欲求が満たされるし、印税が入って裕福になれば、食事旅行ファッションに、いろいろと楽しみ放題だ。

 「恒産無き者は恒心無し」という故事があるが、まさにこれを地で行くのが人間の性だと思う。

 以上は、ほとんどの創作者に当てはまる傾向だ。若い頃に殺伐辛辣ジェノサイドを描いていた人が、有名になるにつれて人間同士の繋がりを大切にした作風に変化していく。

アカメが斬る!

 ここでは個別具体的な作品を扱う。ネタバレはしないが作品の感じは伝わってしまうだろう。

 2010年から月刊誌で連載が始まった作品で、2014年アニメ化された。原作タカヒロだ。

 この物語のいったいどこが『精神的に不健康』なのかというと、

グロテスクなシーンがよくある。身体の欠損や理不尽な死は基本。

②読者に残虐なシーンを読んでもらうことを目的とした話がある。特別編の3人娘など。

グロ以外にも人権を軽んじる描写多数(特に女性田舎者に厳しい世界だ)

 こちらのタカヒロ氏は、ほかに勇者であるシリーズex結城友奈は勇者である)を手掛けている。この作品も、真面目でいたいけな少女を痛ぶることで読者や視聴者プレイヤーを楽しませることを目的ひとつとしている。

 人は、一体なにが原因でこのようなコンテンツを考えつくのか?

 ストレスにほかならない。生きていることが苦しかったり、面倒くさかったり、人が憎いと思ったり――そんな観念が繰り返し脳裏に浮かぶ度に、その邪悪な何かを外に出そうとする。あるいは、他者を自らの仲間にしようとする。

 タカヒロ氏のインタビュー記事可能な限り読ませてもらった。記事内では、常識的言葉作品をPRしているように思える。しかし、毒がある。不満であるとは言明しないものの、コンテンツに関する何かに対して、さりげなく毒を吐いている。

 さりげないから目立たないだけで、さりげなくない表現を使うとコンテンツ関係者ケンカを売っていることになる。そんなインタビューひとつ以上あった。

 精神的に不健康コンテンツを作るのは悪いことではない。それが面白いという人がいる限り、価値あるものだ。

 私も昔は、そういうコンテンツが好きだったと思う。でも、大人になるにつれて、社会で果たす責任が大きくなっていくにつれて、精神的に不健康コンテンツよりも、心を健康してくれる、浄化してくれるコンテンツが好きになっていった。(一例として、のんのんびよりニコニコ動画再生数を見てもらえれば、私の言っていることが伝わると思う。ニコ動で一番売れている有料アニメだ。あれから一時的無料期間があったので今は判然としないが、当時は少なくとも1話あたり3000再生は売れていた)

ゆっくり虐待

 精神的に不健康コンテンツの最たるものだ。

 2010年代の前半辺りが最盛期だったと思う。当時は、ふたばチャンネルニコニコ大百科pixivなどにゆ虐のイラスト漫画を上げる絵師がいたり、ゆっくり虐待小説を専門に投稿する掲示板があった。

 このコンテンツにおいて示唆されている行為は何なのか?ゆ虐の作品を何度も覗いたことのある方ならお気づきだろう。

 人間虐待だ。

 ゆっくりというのは、愚かな人間メタファーだ。そのメタファーを痛めつけたり殺したり、漫画という形で傍目から眺めることで精神的に不健康人間欲求を満たしている。

 精神的に不健康人間はこういったコンテンツを好む。一言でいえば、人権侵害をテーマにした作品や論評や意見を好む。

 同じ時代でいうと、mixiニュース引用日記だ。ニュース引用して記事を書くことができ、投稿すると下にある引用記事一覧に載る。

 今は廃れた光景だが、障がい者生活保護受給者ホームレスタクシー運転手教師公務員などを扱った内容がmixiニュースで取り上げられる度に、心無い誹謗中傷を述べた日記投稿するのを楽しみとする人たちがいた。

 障がい者事件を起こすと「殺処分せよ」、生活保護受給者不正問題になると「貧乏人は死ね」、タクシー運転手が客とトラブルになると「タクシー運転手社会の最底辺」など、差別の例としては完成され尽くした日記投稿する層が一定数いた(しかも彼らは連帯を組んでいる。反論コメント徒党を組んで煽ったり馬鹿にすることで潰す)。

 一番ひどい例だと、東日本大震災が起こった際に、携帯電話絵文字津波に流される人々をアスキーアート風に表現した日記投稿する人がいた。その人自身も、心に問題を抱えているように思える文調だった。

 mixi運営も、一定数の通報が集まるとそういう日記を削除し、ユーザーアカウントも凍結していたようだが、さほどの効果はなかった。

 こうした人権侵害を行う人に共通しているのは、「社会に恨みを持っている」ことだ。

 私が観察したところ、上記mixi日記の数名の投稿者は以下のような環境にあった。

・幼少期に親から虐待を受けている

・夢に破れて外国から帰ってサラリーマンをしている

いい大学を出ていい会社に入ったものの、嫁が公然浮気をしていて、でも子どもいるか離婚できないという葛藤を抱えている

 とにかく強いストレスに晒されている人たちだった。



アニメ

・該当する作品について

 公衆放送アニメでは該当がひとつもない。

 ※後日追記 強いていえばBLOOD-Cだが、あれはどちらかというとシュールギャグアニメなのでは・・・?という印象がある。

 なぜかといえば、公衆放送なので当たり前なのだが、人権侵害コンテンツなど流せるはずがないからだ。

 上記で挙げたアカメが斬る!についても、だいぶマイルドになっている。

 アニメ企画する会社や、アニメ制作スタッフらが自主判断グロシーンをマイルドにしたり、描写自体をなくしている。

 あの3人娘は死なない。むしろ最終回生存描写がある。この改変には痺れた。原作者が精神的に不健康人間であっても、スタッフには良心があったのだ。

 CLAMP作品もそうだ。初期の作品である『X』には、地震ビルなどが倒壊し、多くの人が犠牲になるシーンが幾つかある。グロシーンも多数だ。

 こういう描写問題になり、漫画版のXは最終回を迎える前に編集から強制ストップがかかった(もちろんCLAMPは続けたかったらしい)。

 アニメ版はだいぶマイルド描写になっている。残酷なシーンはあるが、気持ち悪さを感じるほどではない。放送コードの力は偉大だ。

 ※劇場版は見ない方がいい。比較にならないほどグロいので。

 昔のアニメだが、まだ配信されている。興味のある方はぜひ。

 今回はこれくらいで。

 需要があるようであれば続きを書きます

 小説編と、ゲーム編と、あと何かを予定している。

2020-08-31

自殺者の心理について

自殺者の心理について、観察や分析を行った。

あとでレポートらしくまとめたいと思うが、期待しないでいただきたい。

まず、基本的自殺者(あまりこの文字を見ないようにするため、以下「彼ら」と呼ぶ)は自己中心的である(もしくはそのように変化した)。それが生来性格なのか、その行為に至る原因において追い詰められた等精神ストレスによるものかは不明である

精神ストレスが原因であれば、それは自らの身を守ろうとしている自己防衛反応に近いと予想される。

生来性格であれば、自己中心的性格を生まれながらにして持つ人間はそうでない人間に比べて自殺率が高いのか、という研究もつながる可能性がある。

次に、彼らの周りの人間についてである。彼らが自己中心的性質を周囲に強く示した場合、周りの人間は次のいずれかの行動をとる。1つは「全くなにもしない」である。もう1つは「何かする」である

「何かする」に該当する例としては、「家族不安に感じて病院に連れていく」「恋人が話し合いの機会を設ける」「友人が遊びに連れていく」等であるネット上の場合だと「良い薬をおすすめする」「サービスの紹介(営業)をする」等も考えられる。

「全くなにもしない」に該当する例としては、「家族だが何をしてやれば良いかからないので放っておいた」「恋人だが面倒くさいのでしばらく避けた」「友人だがそんなことはしょっちゅうあったので無視した」等である

もちろん、彼らは周囲の「全くなにもしない」人間のおかげでその行為を躊躇いなく実行できる。

最後に、彼らの末期についてである世間では彼らに対して、「死にたいと言っている間は死なない」と思うものも少なくない。これは半分正解で半分間違いである。

急に呟いた程度であれば、自殺する可能性は低い。「死にたいと言っている間は死なない」に該当しやすい。

ただし、「死にたい」という発言常態化している場合確率が計れない状態のため、強いていえば確率五分五分である。「死にたいと言っているが死ぬかもしれないし死なないかもしれない」ということになる。

そして最も確実(かつ最も観測不可能性が高い)なのが、「死にたい」と言わない状態の彼らである。彼らはたとえ「死にたい」と現世なりネットなりに漏らしたところでどうにもならないことを分かっている。加えて、「あなたのことを救いたい」「助けになるから何でも言ってよ」といった言葉を発した人が結局のところ何もしてくれないのを経験理解している。

そのような声をかけた人にとっては「何かした」に該当するのだが、彼らにとっては「全くなにもしてくれなかった」に該当する。声だけのおせっかいは彼らにとっては無意味である

ちなみに、彼らにとっては「親が悲しむ」「恋人可哀想」「友人らが泣く」といった話は無意味である。これらを極めて嫌に感じる場合はそのようなことはしないかである。もしくは、これらを看過してでもそれを成さねばならない事情があるからである。他にも「未来のことを話されてももはやどうでもいい」「自分のために泣いてくれるなら本望だ」等も存在する。

そうして、彼らは静かに道具を揃え、交通ルートを調べ、周囲の人間時間的行動パターンを調べ、計画を立て、その日を決める。

その日まではいたって普通に、努めて普通に過ごす。

そしてその日になると彼らは計画通りにことを行う。道具を用いて、地形を利用して、周囲の人間に気付かれないように。

以上。

2020-08-12

かしこ人間について

どさくさに紛れて賢い会社に滑りこみ入社

今までバカすぎて気付かなかったのだけど職場の人が賢い。

賢い人はまず記憶力がいい。

1年前くらいのあの書類の〜と言っても書類ナンバーきっちり覚えている。

私など三日前のことでも忘れてるというのに。

間違えない。

何故だろうか。記憶力がいいから?

何度も確認して間違える私は病気なんだろうか。

1つ聞いたら10くらい理解している。

私は10聞いても明後日のことと勘違いしている。何故そんな曲解するのかわからないので矯正のしようがない。

そもそも理解できないこともある。

仕事が早い。

しかもわからないことや時短テク検索しまくってつぶしている。

私は最初に教わった通りやって自分方法模索しない。

あとなんだろ。

今私が賢くなって理解したのは出来ないやつは頑張らない方がマシだということ。

やれそうな簡単なことを最低限やる。間違えないように。

2020-07-25

anond:20200725170741

人権無視とか言ったって、本人だって人権なんてことはわかっていて、非常に稀な素質を持つ有益人間について人権を停止してもいいんじゃないかってところから始まってるんだから人権重要性をいくら指摘したところで平行線だろうよ。

「どの業界でも遺伝子トップを決める」と思っていて、かつ、「国が配偶者を決めることで遺伝子コントロールできる」と思っていて、かつ、「国にとって有益天才配偶者を決める事は許される」の3つがそろって、初めてああいう考え方になる。 最後の、許されるかどうかの倫理的問題については指摘しやすいからみんな誤ってると指摘してるが、それ前の2点についても誤りだからね。

こういう論法採用すると

「本人だって全分野に適用できない、分野の精査が必要なことはわかっていて単なる例としてあげている」というのも成立しちゃう

大体、藤井聡太棋士って何だよ。将棋に少しでもリスペクトがあれば、棋聖か、棋聖になる前の発言でも7段っていうだろ。報道でも、全部そうなっているだろ。藤井聡太棋聖に「棋士」ってつけてる有名人、初めて見た。リスペクトも何もなく、完全にバカにしている…

この話とはずいぶん離れた話になってる。

君はどちらかというと本筋を批判したくて枝葉を突いてるというより

将棋ファンかなんかで藤井棋聖に対する無礼が気に入らなくてついでに本筋も叩く理屈捏ねてるタイプなんだろね。

anond:20200725161601

お前が思う普通反論方法じゃないからって文句言われてもな…

人権無視とか言ったって、本人だって人権なんてことはわかっていて、非常に稀な素質を持つ有益人間について人権を停止してもいいんじゃないかってところから始まってるんだから人権重要性をいくら指摘したところで平行線だろうよ。

「どの業界でも遺伝子トップを決める」と思っていて、かつ、「国が配偶者を決めることで遺伝子コントロールできる」と思っていて、かつ、「国にとって有益天才配偶者を決める事は許される」の3つがそろって、初めてああいう考え方になる。 最後の、許されるかどうかの倫理的問題については指摘しやすいからみんな誤ってると指摘してるが、それ前の2点についても誤りだからね。

3つとも誤ってるので、野田洋次郎理論おかしさに反論するためには、一つ一つ反論していかないと。

業界トップ人間は才能もあるが努力動機づけが果たす役割も大きいという研究もあるし、国が配偶者を決めたところでうまく次世代にその分野の天才が生まれて来るとは限らない。

2020-07-11

anond:20170708035808

おっさんしか自分趣味の合わない)

そんな人間について考える時間は「人生無駄」と言い切って差し支えないのではなかろうか

2020-06-30

増田の苦悩への一意見

anond:20200629225227

増田テーマが深く、ブコメ100文字では返答しきれないと思ったのでこちらに書く

基本的自分意見を垂れ流すのだが、増田の苦悩を解消する一助になれば幸いだ。

 

自分カテゴリ適用する違和感

まず一見して気になった部分がここ

「人をカテゴリで捉えるな」というコメントも多かった。それから、「リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ」という文章を書いてくれた増田もあった。

正しいとは思う。ただ、実際に遣るとなると、難しい、というか、無理な気がしている。

社会問題を考える上でよく知らない人間について考える必要があるのはわかる。

ただ、それは情報の質と量にどうしても限界があるからそうなってるんであって、

人をカテゴリで捉えることは偏見差別に繋がるためあるべき姿ではない

 

例えば入れ墨入れてる人間銭湯に入れないのは入れ墨ヤクザマークなので安心して入浴できないからだがこれは差別

しか普段生活でそこまで吟味する時間もないので、あるべき姿ではないものの一律風呂出入り禁止にしてる

これが「入れ墨の人」ではなく「俺の良く知ってる山田」が「俺と山田以外いない野湯」に入るなら問題ないはずだ

こういう高い解像度情報が手に入る状況で人をカテゴリで捉えるのはよくない

 

そういう前提の中で増田社会問題を前に自分内省しているわけだが、増田自身については増田が一番解像度が高いのに

なぜか増田は「男」「リベラル」「ミソジニー」など見知らぬ他人を探るための仮面を被って喋るのだ。そこが一番の違和感

ゾーニングしかし「公」とはどこまで?ネットも?民間組織である赤十字も?コンビニも?どこまでがアウトなのか基準は?私刑では?BLは免罪されるのか、男性を消費する場合は、3次元は?ジャニーズは?objectificationをモノ化と訳すのは誤解を生まないか?元の論文ではobjectificationが全て悪いという話では無かったはずだが、では悪さの基準は?本当に巨乳女性を叩いていないのか、実際に居ると本人がスクショを上げていたが、ルッキズムアニメだけじゃなくジャニーズやBLやドラマ俳優やほぼ全てのテレビ番組女性の好きなかなり色んなモノが該当するのでは?

こうした論点が思いつくにもかかわらずそこから考えないのは増田が「男」というカテゴリに入ってしまっているからだろうか

もし増田が女であればこれらの問題議論に参加できるというのなら、内省の間だけでもそのカテゴリは外した方がいい。そこは誰もいない野湯なんだし

 

増田の悩みを俯瞰できる補助線

「もし増田が女であれば」の仮定を考える上で補助線となる別の増田が、最近ホッテントリに上ってきた

https://anond.hatelabo.jp/20151204005556

 

こっちの増田(以降女増田)ははてブ出会うまでなぜか女叩きのまとめサイト自傷行為のように読みあさっていた

自分からするとなぜわざわざ自ら選んでそんなところを見に行く?と疑問に思うだろうけど、俺から見ると増田も同じに見える

なぜこんな行為をするのかは実感としてはわからないが、

理屈としてわかるのは内面吐露して反省するといいフィードバックを得るなどの経験を積んだのだろうと思う。

増田ブコメにも増田の苦悩した状態好意的に見る者も散見された

 

ところでこれを女増田に置きかえて見てほしいのだが、

女叩きに苦しみ、自分は叩かれるような対象なのだろうかと苦悩する姿を誠実な態度だと賞賛する人間をどう思うか

人だから悩む時期もあるだろうが、それが正しい状態だと言う意見残酷だと俺は思う

増田は早いとこ苦悩する状態を脱してほしい。

 

脱するヒントも女増田の方に書いてある。はてブバランスを取ったそうだ。

はてブもいい加減治安悪い場所だが、マサカリが飛び交う分偏った意見に固まらないっていういい特性は持ってると思う。

ネトウヨミソジニーに偏らず、増田が言うところのリベラルフェミニズムの間違った部分に異を唱えるようなアカウントもいっぱいある

俺は知らないけど他のサービスにもそういうクラスタはあるんだろう。探してみてくれ

ネトウヨミソジニーにならずリベラルフェミニズムの間違いを指摘する道

リベラルならラディカルフミニズムじゃなくリベラルフェミニズムの方に向くべきでは?」というコメントに対する返答も先程とほぼ同様、

このコメントを書いたのは俺だからこのブコメで言いたかたことを補足させてほしい

増田は「現実」というキーワードを用いて「表現の自由 vs 弱者保護」のような対立構造肯定してるけど

でも、現実にそうなのだ。そりゃ、リベラル自身リベラル問題点に言及できるようになればいい、それが理想だ、でも現実は違う、そんな事は出来ない、そんな事をすれば利敵行為すなわち「ネトウヨ」と言う事に成るからだ。

実際にはそれらは対立構造になく、ちゃん自由主義標榜しながら女性弱者保護を訴える思想もあるということを示したかった。

 

こうした男性の悩みにも射程範囲を広げるフェミニズムは、よく「男性男性役割を降りて自由になるべき」という意見を出す

役割から降りた後の責任を取らない意見だと否定されがちだけど、俺はこの意見は好きだ。自由主義精神をよく現わしていると思う

性役割は結局男性女性幸せにしないという思想から発生してるのだけど、この思想増田も共有できるはずだ

 

ところで増田を見ると、「男」の役割に完全に嵌りこんでいるように見える。

それは結局のところ増田が初心に思っていた男女の平等精神に反しているのではないだろうか

一番最初の段でも言ったとおり特別事情もない限り役割のような、カテゴリのようなものはない方があるべき姿なのだ

そこの所に目線を移すと、増田の苦悩も少し減るのではないだろうか

2020-05-13

anond:20200512180640

>・テレビゲームとかソシャゲをやらない

>→馬鹿げた時間から許せない。課金もってのほか

他の趣味なら没頭しても良いのかな?(バイク、魚釣りフィギュアサーフィンDIYガチアウトドアなど)

>・競馬パチンコとかのギャンブル一切やらない

>→期待値マイナスに挑む知能が論外。

運用も?

>・アイドルに興味がない

>→ドルオタは一日中2chやってる人と同レベルに見なしてる。

食物やファッションコスメに興味がない、も追加か。

>・お酒タバコ大嫌い

>→飲酒喫煙健康を害するためにお金払う全く馬鹿げた行為

お菓子ジュース炭水化物、脂類も?

>・非ネトウヨ、非ミソジニー

>→人格障害から

マウンティング体質、潔癖症承認欲求が強い、執着心が強い(こだわりが強い)も、か

>・SNS自分にまつわる情報を明かさない。明かしたとしても絶対個人特定されないように最新と注意を払える

>→ネットリテラシーない人はリボ払いちゃう人くらいの知能だと思ってる。

著名人、名士も除外か

>・芸能ニュースに興味がない

>→見ず知らずの人間について一喜一憂するのは馬鹿げてる。

芸能」ってアイドルの事?演劇なども除外?映画小説に関する話題もか。

>・大卒

短大高専含まない?のぞくと30%いくかいかないかだが。

>・正規雇用

起業してる人も除外か。

外国の人もほぼ除外か(特に欧米諸国の人)

>・本さえあれば余暇問題なく過ごせる

週末は図書館通いってことになるが...

2020-05-12

anond:20200512201341

自分は逆かも知れない。

性格いからだろうけど、人間について愚痴は、その人の表では見せない顔が覗けるような気がして、嫌じゃない。

環境かについての愚痴は、「言ってもしゃーないでしょ!そんな文句言ったってどうにもならないんだからさ!」って感じでなんだかイライラする。

友達結婚相手に求める譲れない条件を訊かれて答えたら「そんな男は存在しない」と呆れられた

テレビゲームとかソシャゲをやらない

馬鹿げた時間から許せない。課金もってのほか

競馬パチンコとかのギャンブル一切やらない

期待値マイナスに挑む知能が論外。

アイドルに興味がない

ドルオタは一日中2chやってる人と同レベルに見なしてる。

お酒タバコ大嫌い

飲酒喫煙健康を害するためにお金払う全く馬鹿げた行為

・非ネトウヨ、非ミソジニー

人格障害から

SNS自分にまつわる情報を明かさない。明かしたとしても絶対個人特定されないように最新と注意を払える

ネットリテラシーない人はリボ払いちゃう人くらいの知能だと思ってる。


芸能ニュースに興味がない

→見ず知らずの人間について一喜一憂するのは馬鹿げてる。

大卒

正規雇用

・本さえあれば余暇問題なく過ごせる

ほんとこれだけでいいのよ。

なんなら年収400万でもいい。こんな人たくさんいるよなあ?

追記

条件一つ追加しました。

送別会とか忘年会で仕方なく飲むとかは許容できます

ただ、例えば自宅で飲酒絶対NGってルールにした場合に「そんなの無理だ!!」なんて反応するくらいお酒に脳がヤラれてる人は絶対に無理。

仕事とか祝い事とかでの飲酒文化なかったら一生お酒飲まなくても余裕だよ」このくらい言える人がいい。

晩酌禁止なんて生きていけない!←これは立派な病気だと思うので医師の診察を受けてほしい。

2020-05-04

anond:20200504113114

岡村批判派もはっきり言えばいいんだよ。

人間以下の職業人間について言及するな」と。

2020-04-30

岡村隆史非難する事によって生ずる弊害

岡村氏の風俗に対する発言が物議を醸している。これは到底擁護出来るものではないという見方が強く、インターネット上でも彼を非難する意見大勢を占めていると言っていいだろう。

しか個人的には、彼を非難するだけで良いのだろうか?非難している側にも問題があるのではないだろうか?という疑念が湧いてくるのだ、本稿ではそれをまとめてみたいと思う。

岡村氏の発言意図

世間は彼の発言を「この先美人女性が不幸にも風俗に身をやつすことで、金の力を以て性的搾取出来ると期待している」と解釈しているように思うが、これは正しくないと思う。

このような見方は、単純に言って風俗嬢=弱者 客の男性強者という力関係を前提としており、その権力構造の中で男性による女性に対する性的搾取が行われている、という世界観に基づくものだろうが、おそらく岡村自身及びリスナーにこのような考え方は全く馴染まない。

風俗に行くような男性というのは、まあいろいろな例外はあるにせよ基本的にはモテない男性である

自由恋愛の中で性的関係を満足に築けない男性が、お金を払って女性相手をしてもらう為の場所であり、少なくとも本人の自意識の上で客というのはヒエラルキーの最底辺に属するものと思われる。

まり岡村氏の視座から見れば、風俗嬢というのは最大限に言っても対等な関係であり「今後極短期間だけ風俗業に従事するかもしれないが、まだ従事することのない美人」については、これは当然雲上の存在である

そんな雲上人がもしかしたら自分たち下々と同じ地平に一定期間だけでも降りてきてくださるかもしれない、ということを彼は楽しみしているわけで、

世間が思うような上から目線搾取希望などはなく、とてもとても下から目線弱者視点なんだろうと思う。

それがリスナーという一般人非モテ男性に憑依したことで獲得された態度なのか、自身のもともとの女性に対する屈折が招いたものなのかは定かではないが、

そんな超一流売れっ子芸人とはとても思えない弱者的な眼差しから齎された意見なんだということが誤解されていると感じる。

問:風俗嬢は不幸なのか?

しかし、仮に上で類推した意図が正しかったとしても、この先美人女性が望まぬ性風俗への就業余儀なくされるというのは一般的には不幸なことで、そのような不幸を喜ぶ態度は非難されて当然である

という反論が出てくるだろう。だがこの反論には2つの問題点があると感じる。

まず一つには、女性の望まぬ性風俗への就業を支えているのは、上述したようにまさしく望まぬ禁欲主義(Involuntary Celibate:インセル)的な男性欲望である

風俗嬢がいなければ欲求の解消も出来ない男性たちが、性風俗への就業を「本来なくさねばならない不幸」と捉えることが、果たしてどのように可能だろうか?

個人的にはそれは、無理がある話だと思う。

もう一つ、なぜ殊更この先風俗嬢になる人間についてけが取りざたされるのか?ということである

望まぬ性風俗への就業というのは、既にしていままでにも幾らでも起こっていることである。だからこの先も非難するな現状追認せよという話ではない。

まり、望まぬ性風俗への就業自体問題視するのなら、風俗自体解体を唱えなければならないはずだということだ。

仮に岡村氏の発言が「風俗にはほんまお世話になってて、僕風俗なしではやっていかれませんわ」というようなものだった場合、これほど叩かれただろうか?おそらくは全く叩かれていなかったろうと思う。

だが、そのような風俗肯定コロナウィルスなどとは無関係に望まぬ性風俗への就業肯定に他ならず、その点については今般の発言と全く同一の地平にあるはずだ、批判者の中で何が違うのか?

コロナウィルス被害性風俗嬢にならざるを得なくなるというのは身近で感情移入可能だが、それ以前にあった貧困教育機会の喪失による就業は遠い世界出来事なので切断しているのではなかろうか。

そんな差別意識が仄見えるのである

結局そのような世界観は、インセル的な客の男性のことも、現在風俗業に従事している女性のことも切り捨て、善意第三者として勝手他者を哀れんでいるような空理空論に思えてならないのだ。


この先は地獄

とは言え、彼のラジオ番組風俗関係者と客だけが聞くようなものではないので、無関係第三者が聞けばぎょっとして気分を害すものであったのは間違いないところだろう。

ニッポン放送及び本人が謝罪せざるをえなくなるというのは当然の結果ではあると思う。

だが、彼が謝罪することに依って何が起こるだろうか?

謝罪は当然こういった内容になるだろう。

「先般のわたし発言女性への配慮に著しく欠けておりました。コロナウィルス被害に依って女性性風俗業へ従事せざるをえないというのはあってはならない不幸で、そのような不幸を楽しみにするなど言語道断なことでした、ごめんなさい」

しか実態はどうだろうか?やはりコロナウィルス被害によってそのような職を求める女性というのは増えるだろう。

その事実に対して、上述の謝罪性風俗への従事=不幸というスティグマ化を強烈に強める効果しかさないのではなかろうか。

それは風俗業というものを更に一段下のレイヤーに落として不可視化し、風俗嬢及び客にさらなる弱者意識を醸成させる結果にしかならない。それは控えめに言って地獄であろう。

からこの騒動を奇貨とするならば、岡村氏の考えなしの発言非難すればいいなどという無邪気な考えでは駄目で、そもそも社会として性風俗をどう考えるのかを問い直すべきだと私は思う。

それが出来ないのであれば結局非難している人間も彼と同じ、「被害者ぶった加害者」でしかないのだ。

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