PCR検査を、ソフトウェアのテストとか工場の検品みたいなものと勘違いしている人が多いようだ。
検品は不良品を出さないために必要な工程であり、出荷される製品については何かしらの形で行われることになるだろう。また、最終組み立ての後での不良はそこまでに注ぎ込んだ多くのコストがみんな無駄になるので、そういうことがないように中間の検品で早め早めに問題を炙り出して行って大きな品質の問題が起きないようにするものである。
だけど、PCR検査はそういうものではない。検査で陽性患者を見つけてしまったら医師としては対応しなければならないので、検品で不良を見つけるが如く陽性患者をかたっぱしから見つけてしまうと対応しきれない。そうならないように、陽性患者であることが検査で証明されるようなことは避けなければならない。検品に例えていうなら、事前の検品にあたるような行為は避けて、出荷後に実際に製品が事故を起こしたときだけ対応するようにするのだ。それは医療崩壊を防ぐために必要なことだ。
ソフトウェアのテストにしたって同じだ。エンジニアはソフトウェアも自動化テスト技術などを駆使して、ソースツリーが常時漏れなくテストされている状態などを作ろうとしているが、テストでバグが見つかったらこれには対応しなければならない。テストで見つかるバグに都度対応していたらプログラマーは新機能に取り掛かることができない。これは医療崩壊に相当する。
ハードでもソフトでもいいが、ものづくりに携わる人間はどうも医療をわかっていないようだ。欠陥に気づかずに製品を出荷して重篤な事故を起こしたら製造者の責任が問われるために上記のような態度には抵抗があるかも知れないが、識別されなかった患者が病気で死んでもそれは医療の責任ではないのだ。そんなことよりも大事なことが今あるのだ。
いまの医療のミッションは、目の前の患者に対峙することではない。現時点では治療法などないのだから、現時点で重症になった人間には基本的にそのまま死んでもらうしかないのだ。では何のために最低限の治療をやっているのかというと、臨床データを取得して研究開発を急ぐためだ。だけど、医療者だって人間なので、重症患者が病院に運び込まれたらそのまま死んでくれとは言えない。その言えなさが単純に研究開発の足を引っ張っている。すでに臨床データは有り余るくらい病院に患者は運び込まれているわけだから、これ以上患者が増えることは問題の解決につながらず、邪魔でしかない。
だから医師は言う。とりあえず罹らないようにしろ(=手洗いが重要)、いま一生懸命治療法を開発している、だけどいま粗忽にも罹った人間については手の施しようがないので我々の手を煩わせずに黙って死んでくれ(=検査はしない。本当は治療もしたくない。)、と。
最後の部分だけをボカしていうからとかくわかりにくくなるのだが、平たくいうとそういうことなのだ。
(あ、ちなみに僕は医者じゃないので)