はてなキーワード: 人間についてとは
テレビで作られたいいかげんな情報であるのに事実のように受け取られる方がいらっしゃったことについて
真実かのように紛らわしい雰囲気が誤解を招いてしまい信じた方がそれなりの損失を被ったことについて謝罪した事について
非常に適格だったでしょう
インタビューでだれも傷ついていないし出演者作成者スポンサーだれも問題が発生していない すべて同意の元にあるから
それを視聴した人間が人権について考えその深い考えから傷ついてしまった場合自分の気持ちを傷つけたのは勝手に思慮深く
人権について考えた最終結果が自分を傷つけるという結果でその試行は実際の問題をもつ人間やテレビ放送に関わるすべての
人間について傷つけるどころかなんの影響もないのに傷ついた自分自身の何かしらの気持ちをその自分の気持ちを揺り動かした
はじめて匿名記事を書く。身バレ防止のためフェイクが入っているが、僕の悩みを聞いてほしい。本当に困っている。
自分は最近ある業界に興味を持ち、その業界でも結構有名な企業の会社説明会に行くことにした。
偶然、その企業には自分の知り合いが働いていた。その知り合いとは1年前くらいに知り合った。最初は普通に連絡を取っていたが、最近は疎遠になっていた。
最近たまたまその知り合いのSNSを見たところ、何と僕の悪口が書かれていたのだ。
「しょうもない人間のくせに。面白くないのにしゃしゃり出てくるな」
「図々しくて大嫌いだ」
等々。
自分からの応募メールを見て、他のスタッフの前で僕をこき下ろした様子が書かれていた。
僕はビックリしたし、とても悲しくなった。僕はその知り合いを友達だと思っていたし、好きだった。
だが、少し経つと不信感でいっぱいになり、やはりそのようなことを社内の人間に話すのはおかしいと思った。思うのは勝手だが、誰でも見える形で書いている事も不快だった。残念なことに「嫌いだ」と言った時にウケたとも書いていた。
僕は色々考えた結果、その会社へこの件を報告することにしたのだ。
まずは、その部署のトップへ連絡しようと思い、トップの人へ直接メールした。
メールの内容は、知り合いがSNSに記載していた内容と行動についてどう思うかだ。その知り合いの名前は出していないし、SNSのアドレス等も記載していない。僕の身分は明かした上で送った。
その会社は特殊な事を売りにしており、人の個性を大切にしている印象だった。だからトップが、ある意味人の個性をこき下ろすようなことを言う人間についてどう思うのか知りたかった。
しかし、困ったことに返事が来ない。見た様子もない、忙しいのはわかっているが段々と辛くなってきた。更に上に報告するか迷っている。
もうその会社と関わらない方が良いとも思うが、自分の職業的になかなか難しい。しかも、その会社はわりと大手だ。(知り合いはバイトのようだが…)
会社説明会の応募は済んでいるし、断られてもいない。今は行くかすら迷っている。ただ、行って直に見てみたい気もする。
この記事を見た方、もし良ければ知恵を貸して欲しい。本当に困っている。
https://anond.hatelabo.jp/20190114224851
ずいぶん時間が掛かったみたいだが、逃げずに書いた事は褒めてやるよ。NATROMよりはマシかな。
pbmedの検索のやり方について
まさかPubmedの検索方法についても書いてくるとは思わなかったわ。
当然ながら「"PATM"という用語では見つからない」と俺も記事で書いたとおり、その語句では見つからないぞ。
PATMを"自分自身が皮膚から放散する化学物質によって,周囲の他人に対してくしゃみ,鼻水,咳,目の痒みや充血などのアレルギー反応を引き起こさせる体質"と定義
ちょっとズッコケたんだが、お前はやりとり読んでるか?定義って一番大事な所だろ、勝手に定義を変えるなよ。NATROMかよ。
PATMはそもそも「皮膚から放散する化学物質」という定義はない。定義知りたきゃ読み直せ。
唾液内のタンパク質かもしれない、何かしらの真菌かもしれない、何かしらの細菌かもしれない、フケに付着したタンパク質かもしれない、呼吸から出される物質やガスかもしれない、
そもそも体じゃなく部屋の埃(服についた埃)が原因かもしれない。
それは散々PATMの掲示板などで可能性として言われてた事。患者によって原因が異なるかもしれないし、それぞれで調べないとならない。
人間についている常在の真菌は様々な種類が知られているが、そのうちの1種類が原因の可能性もある。
例えば"マラセチア"真菌。これは人に常在している菌で主に皮膚炎などを起こす事などで有名だが、人にアレルギー性鼻炎などを起こす可能性もある。
そのような真菌が様々な種類存在しており、それが付着したフケや角質が風で飛んでアレルギーを起こす事は有り得る。
その可能性も以前指摘されてたこともあったが、患者が何の動物を飼ってないと言ってるケースも多いので恐らく無い。
似た説で、"部屋もしくは衣類にホコリorダニ"というのも昔から指摘されていたが、新品の服等を試してダメだったという報告もあるしまだわかっていない。
お前が想像するような可能性は既に出てるから、PATM掲示板を3年ROMってみたら?
追伸
何を突っ込みたいのかわからないが、「ペットの犬」が「飼い主の人」が近寄る事でアレルギーを起こす事は、いくつか海外の記事が見つかる。
これとかね。
https://news.nationalgeographic.com/2015/04/150411-dogs-cats-allergies-science-pets-animals/
あと極端な症状だと「水アレルギー」というのもあり、自分の汗や涙ですらアレルギーが発生し、まともな生活が送れない人も世の中には存在する。
要は、色々なトリガーがアレルギーやアレルギー様症状を起こす可能性があるという事。
また、ちょうど先週こんな記事があった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190108-00050039-yomidr-sctch
原因不明というのは現代でも珍しい事ではなく、後の医療などで判明する可能性もある。
安易に「人にアレルギーを起こす人など居ない」と決めつけるべきではない。
で、話を戻すと、他のコメントで書いたが、PATMの患者は全国で10人程度との試算も可能(理由はコメント読め)であり、そもそも報告人数が少なすぎてPubmedに載ってない可能性も高い。
更に俺は「ある」と証明するために書き込んでるわけではない。マウント取りたいわけでもない。
「無い」というからにはそれなりのフローくらい示せよ、という単純な話。
「じゃあお前が調べろ」という反論は、「原発反対!」と言ったら「じゃあお前が電気作れよ!」とか言うクソリプみたいなもんだ。
で結果、お前はあるかないか検索するなんて簡単みたいな事を言ってた割に全然できてないよな。
唾液等のタンパク質、皮膚のタンパク質、髪の毛などのタンパク質、真菌などの常在菌、細菌、ダニ、皮膚ガス、呼気ガス、衣類、花粉、その他の埃、その他の付着物質、、、
まだまだ可能性は有り得るが、検索が簡単なら是非実行してみてくれ。もちろんPubmedだけでなく、J-STAGEやGoogle_Scholarとかもな。
ちなみにNATROMは当時、小1時間ほどしか調べずに「Pubmedに無かったで~(鼻水たらしつつ)、PATMなんて無いんやで~」とか抜かしてやがったぞ。
まだお前の方が調べてるからその点は誇っていい。
氏の元記事ブコメ民の反応を読めばわかると思うが、氏は「そんなものは存在しない」という主張だ。
最後のエクスキューズ("もちろん、論文がないからといってPATMという病気がないことにはならない。また、PATMとされている患者さんの苦痛は気のせいなどではなく実在しているものである")など、取ってつけたようなものだ。
実際、その後のコメント欄では "PATMが実在するとしたら、これはたいへんに奇妙なことです" や、
"PATMでは「他人にアレルギー症状なんて起こしていないよ」と説明されも、絶対に認めようとしないことが症状の一つであり、まずアレルギー科ではなく精神科で対応すべき理由なのです。"
などと述べているように、実質「無い」という主張がNATROMの主張。コメント欄もブコメ反応も併せて読め。文章を額面通りに受け取り過ぎないようにな。
「無い事を証明せよ」と俺が言っただと?何度同じ事を言わすんだ。お前は俺の文を10回読み直せ。
どうやらお馬鹿さんみたいなのでもう一度整理してやる。
①PATMが無いというなら科学的アプローチで示せ。科学的アプローチとは例えば以下のような事だ。
・PATM患者に会い診察する、PUBMEDなどで調べたフローを開示する、等
②PATMがあるかどうかはわからない(可能性としては有り得る)
で、もうクソリプや見当はずれのクソコメばかりなので、もう答えを書いてやる。
NATROMがどうすればよかったのかは、こうだ。
②実際に複数の患者からヒアリングや診察をする。数が多い方が望ましい。
③その上で「無い」と判断した場合。もし相手に精神科に勧める際には、例えば以下のように言う。
「PATM症状がある人でかつ"以下の症状がいくつか当てはまる人"は、精神科に行くことも検討してはどうだろうか」
例)人の視線が気になる、醜形恐怖症がある、社交不安障害がある、電車に乗れない事がある、悪口や陰口を言われるとよく感じる、口臭や体臭が強くないか頻繁に気になる、うつ症状がある、精神が不安定になることがある・・・等等。
以上。
お前もNATROMも科学とか言う割にPATMの定義を変えんな。頭大丈夫か?
PATM患者にも会わずに科学とか言うなよボケ(特にNATROM)。
あと「精神科に行け」も雑。雑過ぎる。「PATM」の症状を訴えるだけで精神病扱いされかねない書き方だろ、あれは。
せめて「自臭症」との類似から推測したなら、何らかの神経症のような症状も併発してる可能性が高いだろうと考え、
それらの症状なども併せて確認した上で精神科に勧めるのが「寄り添った医者」だ。
でもまぁ以前ネットの投稿で「ある人が近づいたら咳が出る」とか投稿されてたのはあったと思う(ソースは待ってくれ)。
我々はいつまで待てばいいんですかね??
https://anond.hatelabo.jp/20180924111759
http://q.hatena.ne.jp/1393263179
http://www.ntv.co.jp/gyoten/backnumber/article/20180306_03.html
あとトラバにも挙がってるみたいだね。挙げてくれた人サンクス。
https://anond.hatelabo.jp/20190115142743
これでも読め↓
おいおいそういう雑な反論の仕方すんなよ。どこがどう思ったのか、お前の意見を具体的に書いてくんねーか?
"犬猫アレルギーの理解にすら深刻な間違い"を、なぜそう思ったのかをちゃんと説明しないと「何も反論できなかった」として受け止めるぞ?
繰り返すが逃げなかった事だけは褒めてやる。
ブコメで「増田にはツッコミどころ満載であるとだけ。」とか具体的に言わないほのめかし馬鹿よりはお前のがマシだよ。
Lhankor_Mhy 『NATROMがどうすればよかったのかは、こうだ』←全ての症例に対して全ての医師にこれを求めるのかな。リソースについてどう考えてるのかな。それとも、id:NATROM限定あるいはPATM限定かな。限定する理由は何かな。
うん、うん、大変だね。
はい、よ~いスタート。フェミニストは基本誰にも相手にしてもらえない。なぜかといと要求をするだけだから。相手側に何のメリットも提示できないクレクレちゃんだから。
何のメリットも提示できないから正義を騙るしかない。しかしそれで話が通じるのは同じ正義を共有できるフェミニストだけだということもわからない。だから相手にしてもらえない。
相手にしてもらえないからみんながフェミニストになりましょうという話をするか私達の相手をしないとお前たちの大切なものを壊すというコミュニケーションしかできない。
こういう低能にありがちなコミュニケーションしかできない結果、フェミニストが相手にしてもらえるのはまともな企業と現実の女性に害を与える割合が少ないオタクだけ。フェミニストはオタクにしか相手にしてもらえないからオタクにだけつっかかる。そうやってオタクが相手にしてしまったせいで、なぜかオタクに対してだけはやたらと態度がでかくなってきた。コミュ障なので相手にしてもらえないくせに、相手してやると感謝するどころかつけあがってしまうタイプの女しかフェミニストをやってないまである。
このことを指摘されたフェミニストは、次に「他の問題はみんなが問題と認識してるから私は言う必要がないのだ」。これ。
そんなのいいわけになるわけがない。問題と思ってるだけで批判が弱いからレイプが何回も繰り返されるわけだろ? ちゃんと批判しろよ。一方で現実の被害者がいないのにオタクだけは執拗に攻撃する理由にはならないだよなぁ。そういう理屈が通じると思ってること自体、フェミニストは自分に都合のいい理屈しか言わないって印象を強化してるだけ。
結局フェミニストがオタクの落ち度を見つけてきて騒ぐのは、自分が目立ちたいだけって本音がダダ漏れ。醜いことこの上ない。女をレイプするようなやつらやモノとして扱うやつらは、事件にならない限り表立って行動はしない。そのかわり、目に見えないところで犯罪を犯してる。
フェミニストが自分の目に見えなければいいっていって、目に見えるところでしょうもないことでオタク叩くしてる間に目に見えないところならいいんだろっていって犯罪をおかしそうなやつらは現実の女性を傷つけてる。それでもフェミニスト共は実際に事件を起こした人間については監視しない。そのくせ現実の女性を傷つけたりしてないオタクを犯罪者呼ばわりしていちいち監視してはちょっとでも落ち度を見つけたら大騒ぎする。
犯罪を起こした人間を直接批判しない理由はさっきの言い訳になってない言い訳でもいいとしてもそういう事件があったんだから、犯罪を起こしたやつの背景にあるミスコンとかをもっと監視すべきなのになぜそれをやらないか。
フェミニストは臆病で、結局オタクをなめてるからだ。オタク以外には強気に出られない。それ以外の男の前ではおどおどしてる。本当はそういうやつらに劣等感を植え付けられているのに、その恨みを自分より弱そうなオタクをいじめることで晴らしているだけ。最低の屑ども。それがフェミニスト。
ネットでフェミニストやってるようなやつらは恋愛工学をやってる人間やミスコンやってるようなやつらが怖いからいろいろ言い訳を付けて近寄らない。たまに頑張って批判してるやつはちらほらいるが、無視されたらそこですごすごと矛を収めてしまうクソ雑魚。オタクだったら自分の話が無視されたらキレるくせに。結局オタクだけをなめている。相手にしてやるとどこまでもつけあがるゴミみたいなフェミニスト多すぎ。
それならそれで私はチキンだからオタクしか相手にできませんと正直に言えばいいのに言い訳に「見えないからいい」「ゾーニングされてるからいい」って自分に言い聞かせてその反動で、ゾーニングにやっきになる。だからやたらとゾーニングをとか言ってるフェミニストは嘘つきで自分をごまかしてる。いつも言うことが支離滅裂だし頭がが悪い。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASL9C5FHHL9CULOB019.html
だけどさ、やっぱり危険運転は良くないよ。
それを現状はしょうがないとか仕方が無いとか同情"だけ"で済ますのって、また同じような事件が何回も起きるよ。
車両って考えたら日頃どれだけヤバい「運転」をしてるかって分かると思う。
警視庁 自転車は車のなかま~自転車はルールを守って安全運転~
https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/bicycle/info.html#koutuururu
なので私が見たかったのは同情だけじゃなくて、多少非現実的で良いから危険な自転車運転を無くすアイデアが見たかったし、
ブクマにあったカーシェアやタクシーについての意見はもっと聞きたいし、頼るべき人間についての言及も良いと思った。
私としては子供は自転車に載せて自分は降車して手押しする。メチャクチャ大変だけど、少なくとも誰かが怪我したりはしない。
物理的や認識において現実でいうと証拠というのは直接それと結びつく認識が個人にあるだけのもので
何であっても「証拠」と説いたいであろう「直接因子の物理的結びつき」は見つからない
ビデオにとっていようがそれが全員に知られていようが文章でのこっていようが物理的な反応として存在していようが
「それをそのように認識してしまっている」という現象に個人が苛まれる可能性はゼロではない
それを踏まえて「本人に私がしましたといわせる」ことが最重要でそれを代弁させるために
「本人はそれをすることができないので代理人がしましたとみとめます」と判断をさせる
つまり裁判で判決が下ると冤罪だろうと犯人だろうと「犯人」になる
吹聴してみんなが納得するものであればそれが「証拠」でもあるし
冤罪であろうとなかろうと何度でも追及すれば追及の仕方で逆転が見込めることもあるだろうし
誰がどう見ても納得せざるをえない状況もある
なので回数制限を設けることにもなっているし証拠を証拠としてみとめるかどうかも
厳密に規定があり判断する者も「社会的にみて常識的である」という認可のある人間にさせる
精神的な疾患があるからといって裁判官ができないのは不平等ではないか、と言われるのであれば
「絶対無二の確実な判断を下すべきそれ」を「証拠」と言えるだろうけれども
現時点で人間が証拠と言えるのは「有罪と判決にいたった要素」までが証拠でしかない
実際に犯罪者として扱われている人間について証拠はなにかと問うてもそれは存在していて
検討され判断材料につかわれ結果「証拠」だった結果ものがあった故なので
今でている結果は冤罪であろうとなかろうとそれがだれかにしくまれたものであろうとなかろうと
当人が純真無垢で犯罪の意思がなかったとしても 行動をさせられていまもそんな事実が認知できなかったとしても
もっと調べれば、真犯人がでてくれば、と無限に陰謀論を展開すればいくらでも証拠はでてくるだろうし
それをどれほどの人間が判断材料に使用して無罪か有罪かを再度判断したいと申し出るかはわからない
人が有罪であるか無罪であるか 永遠に問い続ける必要があるみたいな哲学的なものが社会の機能として
有用ではないためそんなことは行われないということは想像に容易いだろう
宗教なんかでもそうだが救われるのは非常に容易い また罪に溺れるのも非常にたやすい
ジャッジが絶対的だということだけが厳密でさえあれば現実に罪かそうでないかは大した問題ではない
証拠というちりばめられた事象は傾向こそあれ関連するなにもかもが証拠となりえる
厳密にそれを起因として結果がでるという要素を確定させる定義をもつこと自体が重要なのだ
証拠があるから犯人だ という犯人が犯罪者なのかということや証拠は真実なのかということは
毎日祈りさえすれば救われる 信じさえすれば許される そういう定義が結果につながると定義されることで
証拠を得ることになる
それが実際他者に影響を及ぼすことができる存在というものつまり「証拠」たりえるかというと
これは人間の限界で 絶対の真理というものにたどり着いた人がもしいるとしたら
罪を犯した人が本当に罪を犯した人なのか
その人の犯した罪は罰せられるべき罪だったのか
その罪とはだれがどのように決めた罪で罰をうけるべきなのか
罰に相当しない罪だったりしないのか
そういうことを全部ふくめて、罪と決めたものがそれは罪だと言えば罪なわけで
日本で銃をもっていたらだれがそれは罪ではない罰せられるべきではないといっても
それは罪であり罰が下るものだったりする
なので冤罪かどうか当人であるかどうかは実際問題現実をつきつめると関係ない
責任者というのが実態のものでなくても責任を取るという立場であるから責任をとるのというのと同じ
漫画によって悪影響があるから漫画を規制しろというのは漫画が絵から飛び出して人をころしているわけでもないのに
人を殺した人があの人に責任があると漫画を指差せばその責任を追及するのは
「実際に罪を」と言い出すとそれを明確に説明できるのか
そもそも日本の死刑というのは罪の重さでそれを償わせるためにある法律の上にあるものではなく
重い罪ならば罪の重さ分の懲役がくだるわけでもない 上限があり更生期間という規定の学習時間をもって
社会に復帰させる
反省を以って更生をなさせるので「反省をさせる」というのが虐待であったり懲罰であったりする常識の観点からは
その意図が見えにくい
死刑は別に廃止してもよいとは思うが罰則的な意味や更生不可能な人物、社会に不要であると判断ができた場合
税金もつかわず日本の社会と隔絶させる方法があるならそれに置き換えてもよいのではないか
それが一旦露呈したり人権屋につかまると人間としての尊厳などと騒がれて面倒なので人権自体を剥奪するという方法が必要
人という形を成した生きたものであればなんでも平等で人権があるというなら
実際社会にもどればすぐにまた更生の教育が必要なことをわかっていてあえて放流して、拘留されれば人権とさわぐ
そのさわぎを仕事としているような輩がでてくるようなことがなければ廃止案を前に進めることができるのではないか
具体的に死刑になった人間について実際今後どういう対応を社会がして個人がどう生きていくかを物語にしてそれが
わたしがなぜサリンをまいたか などという自伝を書いてベストセラーで納税者高位に位置してコラムニストになったら
みなはそれで心がゆたかになるか等 落ちぶれてくるしい生活ぶりをみなが喜び下には下がいることに安心する貧しい生活がよいのか等
ギャンブルには一切関わらなかった。賭け事は胴元のみが儲かるようにできている。宝くじも同様である。還元率が五〇%未満であるあたりいっそうたちが悪い。宝くじを買うような人は十中八九、お金持ちにはなれない。やればやるほど損する仕組みになっているのだから当然である。そして合理性に欠けた人は、偶然大きな金額が当たったとしてもすぐに散財して終わる。
マカオは二度訪れて、いずれもカジノ見学を楽しんだが、1パタカも賭けることはなかった。やってもいいかと思って足を踏み入れたのだがからだが賭けることを拒んでいた。カジノが運営される様を見ることができたのは有意義であった。カジノでは一つの洞察が得られた。すなわち人間とは合理的な生き物ではない。そして人間は、意識的にせよ無意識にせよ、その本性として不確実性を好む。
もし賭け事に関わらざるを得ないとなったならば、賭ける側ではなく、賭けさせる側、ギャンブルを主催する側に立ちたい。それ以外の選択肢はない。
楽して儲けたいとは誰もが思うことだろうが、その欲求に流され丁半博打で儲けようとするようでは、お金が貯まるわけがない。愚かな人間にお金は居つかない。
仮想通貨も同様である。仮想通貨を巡る人々の様子はバブルに伴う狂騒そのものであった。
そういえばバブルについて学んだことはたいへんためになった。バブルの歴史をテーマにした本は数多く出ているので、これらは読んだ方が絶対に良い。そこには人間の本質についての洞察がある。バブルは案外、頻発する。人が一生を生きるなかで何度も直面する事象なのだ。
要するに、人間についての理解が全てといえる。人間を観察し人間とは何者なのか、どんな存在なのか、それを通じて自分自身とは何者なのかについての理解が得られる。自分自身の理解が土台となって初めて、自身の人生を意識的に形作ることができるようになる。
https://anond.hatelabo.jp/20180509000814
お前ら酒癖悪い人間についてどう思ってんの?
俺は酒癖が悪くてめったなことがない限り飲み会には参加しない。
それでも「ノリが悪い」「お前が入社した時に歓迎会やってあげたのに」ということをたまに言われる。
何だよ意味わからん。酒癖悪い人間はボコボコにするクセに、参加しなかったら文句か。
てかお前ら山○達也みたいなやつを飲み会に誘うか?誘っちゃダメだろ。
酒癖悪い人間を叩くやつは、飲み会に参加しない人間を叩くなよ。
酒飲みすぎるお前が悪い?いや、だからその反省のもとに飲み会断ってるの分かんねえかな。
「歓送迎会は行くべき」とか言ってるやつはアルコールハラスメントの自覚はないのか?
お酒ってのは、お前らが思っている以上に危険なものなんだよ。だから近づかないようにしてんだろ。
こっちは我慢してんだよ。
はてな匿名ダイアリーだけでもそうだけど、
幸せを持たざるものは、どうやっても救われないで地獄絵図を作るキャストでしかない
一方、幸せな人生を送る側は地獄絵図なんてほぼ視界の外にして生きている
簡単に言えばアフリカの飢餓孤児をお茶の間のテレビで眺めながらホットケーキにメープルシロップかけて食ってる構図だ
もし真横に異常に腹の出た飢餓孤児がいれば内心穏やかでなく満足に食事も取れずに、
自分が食べる予定だった食べ物を分け与えるか、もう少し頭が良ければ救急車を呼んで入院させ点滴させるだろう
ところがどっこい、これは起こり得ない
何故なら遠いから
ただ遠いから、自分の生活と関わりがないからという理由で平然と無関心になれるしご褒美スイーツを食っても心を痛めない
今30歳、当時中学生1年の頃にアフリカの飢餓孤児をTVで見たときはフーンと思っていた
しばらくそんな国もあるんだと思っていたがふとしたとき気づいた
「俺と孤児のどこが違うの?」
肌の色とか民族とかDNAとかそういうのは割とどうでもいい話で
もしアフリカの民と日本の民がそっくりそのまま場所を入れ替えたら、
俺が飢餓孤児になってアフリカの子どもが食卓で目玉焼きを食いながら俺をTVで見ていたんじゃないかと
人によっては「日本にアフリカ人が住んでもアフリカのようになるだけだ!」みたいなことを言う人もいるかもしれない
じゃあアフリカ人が日本列島にたどり着いて日本人がアフリカ大陸に残った別の歴史世界の話でもいい
それとも俺の魂がアフリカの子どもで、アフリカの子どもの魂が日本人の体の中で入れ替わって産まれてきた世界でもいい
とにかく、完全に、運なのだ
運なのだ
こればっかりはどれだけ取り繕ったところで人生は運に支配されている
努力すれば変えられるという人も勿論いる
だが努力が公平であればあるほど、天才の努力に凡人の努力は勝てなくなっていく
甲子園に出場した甲子園球児が全員プロ野球選手になれないのと同じ理屈だ
プロ野球選手は圧倒的に眼の才能によって大きく分けられる
ドーピングは単純な筋肉量ではなくこういった鍛えにくい部位の筋力を増強させている
こうすることで恐ろしく早い速度のボールを肉眼でとらえることができヒット率が上がるのだ
結局、ボールをバットに当てる才能は天から授かりしものであり、
凡人はドーピングを使った「努力」をしなければそこまで到達できないのである。
しかしその努力はスポーツ界では認められていない、ただし公には。
では逆説的にすべての人間が同じ能力を持つクローン人間だったとしたらどうだろう?
発想も発明もファッションも日々の生活も何もかもどこを見ても似たり寄ったり。
嫌いなものはこの世から消え去り、自分の好きなものしか残らない。
ベースとなる人格がよほど凶暴でない、疫病が流行らない限りは一見、平和な世界に見える。
異文化があり自分と違う価値観があり、日々体験を更新していく方が個人の人生において充実しているのではないか?
自分が作った映画や小説など、所詮自分の想像以上の産物にはならないだろう
娯楽に頼ろうとしても自分の日記を振り返って読む感覚しか得られないだろう
なぜならその経験の解釈でさえも彼らは同じような解答しかできないからだ
明日も明後日も「この世は地獄だ」という日記を見かけるであろう
俺たちがそう思ったタイミングが別々に訪れ、別々のタイミングで同じ投稿をするだろう
そしてそこには同意のトラバさえつかず、なぜなら自分が分かり切ったことだから、自分の独り言に反応する必要性すらなく
ただ独り言が流れ続ける暗闇へと変わるだろう
ここで理想的解決としては運の最低の期待値をせめて飢餓孤児や産まれた瞬間殺される子どもでないように世界を作り替えることだろう
重大な疾患を抱える子どもを遺伝的コーディネイトしても良いかどうかは倫理観が問われるところだが
個人的には行ってもよいと考える
人間原理的に生存と繁栄は肯定され、そこに疑問の余地を挟まないのが当然だと思われている
絶滅しようがどうなろうが知ったこっちゃないというのが至極当然の感想だろう
この広い宇宙に知的生命体が人間しかいないという考えも妄信的で霊を信じるよりも俺にとってはオカルト的思想だ
また宇宙から寵愛を受けているから人間が誕生したというのもまた妄信的で人間原理によりすぎた思想だ
人間は宇宙から無関心であることに感謝しつつ、人間の選択そのものによって理想的な世界を手にするべきだ
理想的社会を手に入れるためならば人間は産まれる必要性があるかないかを選択することができ
恵まれた知能と肉体を一定以上備えた状態の子孫を望んだっていいのだ
関心があれば産まれたときから不幸な孤児をこの世に産むわけがなく、何らかの救済を宇宙の法則として残しているはずである
仏教には輪廻転生という言葉があり罪を減らすために現世に産み落とされるという
では産まれた瞬間からコンビニ袋に入れられ、トイレに捨てられ死んだ赤子はどこに罪を減らすチャンスがあった?
全く宗教が信じられないのはどれも神は人間に寵愛を与えているという観点である
俺は全く信じられない
俺が安心してホットケーキを食うことができるのは飢餓孤児が地球から存在しなくなった瞬間だ
それ以外では頭の隅から追い出して生活する逃避行動を取る以外にない
もしくは俺が自分の行動に矛盾性を排除するためには隣に飢餓孤児がいても無視して締めパフェを食う神経を身に着けるしかない
俺がどうしても神を信じて感謝することができないことはその1点だけでも十分すぎることだ
故に神や宇宙が人間にそもそも無関心であるという解釈を俺は信じている
そしてその上で神や宇宙が人間にとって安全装置として機能しないのであれば
人間にそれを作る選択権があることを人間自身が認める権利があるということだ
法について話をするのは、また別の機会にしよう
可能性の隙間があってそこを通り抜けたから存在しているのであって
寵愛を受けたわけでもなければ選ばれた存在でもない
宇宙・天体・この世の物理法則は自分らの隙間に入り込んだ生命に対しては無関心であり
故に生命は神や宇宙に頼らずに自分たちで選択しなければならない
もっと具体的に言えば俺が真に幸福にホットケーキを食べる瞬間は未来永劫来ないことになる
この世は地獄だ
しなくないことをせず、したいことだけをするということは時に醜悪な様子を外部に呈すことがある。
けれどそれは外面であって内面は満足を得ている。
なぜ外面をよくしないのか、外面をよくすると内面もよくなるのに、という案をいくら出してもそれに乗ってこない
「外面が醜悪である対象」をあげつらってみても、相手の内面に影響を及ぼさないという結果そのもの。
転じて、自分の内面は外面の評価をとても重要視していてその可能性を信じて、かつ実際にその利益はまだ得ていないので自分より下の者を具体的に指示できる方法を持つことで自身の外面も上がるのではないかという期待を露呈しているという可能性がうかがえる。
実際目の前のかの例がそれであるかどうかは別として、そういう態勢をとってくる人間については方向性の一つとして「外面の良さをもとめている人なんだな」と思ってあげるのがよい場合がある。