はてなキーワード: ラッシュとは
東京都心に住まうハイソサエティな人々や地方民は、東京にこれだけ近いところに、これほどモータリゼーションが発達した都市があることをほとんど知らない。
東京でも横浜でもない、車を中心にした世界がここにある。
嘘だと思うなら、カーシェアでも借りて一度センター北・センター南界隈を走り回ってみるといい。
東京と横浜の中間でなおかつ東海道線と東名の中間ぐらいの位置関係と言えばぼんやりとイメージがわくだろうか?
詳しい歴史とかはwikipediaを見ろ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AF%E5%8C%97%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3
元は森と原っぱしかなかったところを開拓したニュータウン開発としては最後発に近い再開発事業だ。開発が始まったのが実質80年代以降なので、近代的なモータリゼーションをがっちり取り入れた都市計画に基づいた街が作られている。
ざっくり言えば、港北ニュータウンはショッピングモールの集合体だ、少し小さめの濃縮されたイオンモールクラスのショッピングモールがぼっこぼこと乱立している、センター北・南両駅に中規模のショッピングモールが3棟(港北東急、港北阪急、ノースポートモール)、立体模駐車場を持つ小規模ショッピングモール(どでかい商業ビル)が4棟、さらに商業ビル多数。近隣にはホームセンターも幾つもある。
そんな中途半端なショッピングモールじゃあね、という向きには、車で3~40分圏内に大規模ショッピングモールが3か所(ららぽーと横浜、ラゾーナ川崎、トレッサ横浜)、もう少し小さい規模でグランツリー武蔵小杉、たまプラーザテラスとか、横浜圏までいれると本当に数えきれなくなる。
とにかく車があれば買い物を行く先に全く困らない、毎週末・毎日がショッピングモール巡りだ、車で複数のショッピングモールを梯子することなんかもザラ。
それから、この二駅だけでスーパーが大小とりまぜて10軒前後ある、あほか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AF%E5%8C%97%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kohoku_New_Town_-02.jpg (写真)
まず道幅が広い、一般道で3車線があたりまえにある。狭い細路地がほぼ存在しない。一方通行もほとんどない。車の取り回しで困ることが無い。
駐車場も安くどこにでもある。商業施設の駐車場はほとんどがスロープ式立駐で、だいたい割引で足りるか、最初から無料。
ある意味センター北・南が猛烈に充実しているため、車無しで滅茶苦茶快適に生活できてしまうのだが、当然車の所有率も高い。
そして、いい車が走っている。外車率が異様に高く、軽が少ない。都心みたいにポルシェとベンツ、アストン・ベントレーにあれはマクラーレンか、みたいなバブリーさは無いが、ドイツ勢、ラテン勢など欧州車がかなり多い。レクサスも多い。港北ニュータウンにいると、日本の不景気とは? という気分になるぐらい、日本で失われつつある豊かさがまだここには生きている。
そして、ニュータウンらしく、車歩道分離や、公園が充実しているのもすばらしい。センター北・南から徒歩圏にもちょっとした森のような大きな公園が幾つもあるし、車で移動すれば自然もスポーツ施設も遊戯施設も多数あり子供の遊び先の選択肢に事欠かない。大きな公園に行くと、テント族っていうの? ミニバンにカートとテント載せてやってくる親子連れが広場にテント広げてゆったり遊んでる。ああいうの、都内育ちからみると全く未知の世界で軽いカルチャーショックがある。わざわざ、ひーこら奥多摩まで行ってバーベキューする必要ないんだ、みたいな。
それから、第三京浜・東名高速が至近というのも大きい、レジャーとなったときの選択肢が都心とはけた違いに多く、海と山にすぐ行ける。箱根・鎌倉・三浦・伊豆・富士・東海方面が東京よりすべて一回り近い。渋滞のボトルネック一つ分少ないことで、車での日帰り旅行もめちゃくちゃ快適。
都内でマンションや戸建てをサラリーマンが買うのが現実的でなくなって久しいが、港北ニュータウンとその周辺の横浜市営地下鉄沿線はまだ選択の余地がある、さすがに新築マンションの造成は減ってきているが、中古なら3~4000万円代から選択肢がある。しかもニュータウン故、ほぼすべてが築浅なので都心に比べれば程度が全然いいし広い。駐車場も当然ついているし、駐車場代も都心みたいにん万円なんてことはない。
歴史が浅いということは、世代・年齢層も若いということだ、周辺の戸建て地域もおんぼろの昭和な住宅や空き家・廃屋なんてほとんどない。街がぴかぴか、古い家はだいたい地主さんの邸宅。
港北ニュータウンのある都筑区は首都圏でも数少ない出生率が高く人口が増え続けている自治体だ。まぁ、40年50年先のことはしらん。
人種的には、ややマイルドヤンキー寄りだがヤンキーではない、リア充だけどうぇーいじゃない、ぐらいの層が厚い。所得がそれなりにあると思われるおされな人も多い。スポーツ観戦が好きで子供もサッカーやらせてます、目指せJリーグみたいな感じ? なにしろ、手軽にスポーツをできる環境がある。
そして、BOOKOFFに行くと、売られている本の質が違うんだ、ひたすらベストセラーやジャンプ掲載作品で埋まってなくて、それなりに面白かったり、マニアックな作品もごろごろしてる、実用書の質も高い。つまり、本好きが沢山いて、本を買い、BOOKOFFへ放流するというフローが成立しているわけだ。
総じて、平均してそれなりの所得があり、家と車を持ち、自分の生活を等身大で生きている、そんな世界が港北ニュータウンだ。
東京都心へは電車で40~50分、車で1時間前後、というところ。
港北ニュータウンの中央駅はセンター北とセンター南の二駅、センター中央駅は無い。この二駅を貫くように横浜市営地下鉄ブルーラインと同グリーンラインが通っている。
残念ながら東京都心直通の路線は無く(計画はあったんだ...)、都心に出るにはブルーラインであざみ野に出て田園都市線もしくはグリーンラインで日吉に出て東横線へ乗り換える必要がある。横浜・新横浜・みなとみらいへはブルーラインで直通だ。
車でのアクセスは、東名 横浜青葉ICもしくは第三京浜 都築ICから15分弱。
都心に直通の電車がないなんて田舎だよね、という向きには田園都市線沿線のたまプラーザ・あざみ野・青葉台を勧める。半蔵門線直通で都心まで30分前後だ。通勤時間的には都内の多摩地区と変わらない。
全体に若干割高にはなるが、車があれば、港北ニュータウンの利便性は享受できる。
ご存知のように殺人的な通勤ラッシュでおなじみ田園都市線だが、大井町線の乗り入れで改善してきているし、オフピークして、渋谷以前の半蔵門線から乗ればそれほど大したことはない。
ただし、歴史が一回り深い分高齢化が進んでいるのも確か。モータリゼーション第一世代が高齢化で免許―返上して駅から遠い戸建てを手放すみたいな話が出てきている。
都心と比べて東急グループや大手資本がなんとかしようとしている点がちょっと違うところで、たまプラーザの再開発なんかがその例、興味があるなら行ってみるといい。
東横線沿線は良くも悪くも東京都心に近い属性がついてくる、居住費や駐車場も高くつくし、狭い道も多い。武蔵小杉・元住吉・日吉あたりは車でも住みやすいが水害が心配なのは去年の台風でわかっただろう。
そんな感じで、首都圏にでもモータリゼーションが発達して発展している都市がある、ということをわかってもらえると嬉しい。東京都心と地方のロードサイドの二元論なんてナンセンスだ。
都内勤務だけど、リモートワークも進んだし、ちょっと都心から離れてみるのもいいよね、車の運転好きだし、という層にはぜひ一度訪れてみてほしい。
港北ニュータウンに無い物? うーん、歴史とか、超高級ブランドショップとか、それから下北や吉祥寺みたいな個性かな。あーあと、あれあれ、イオンが無いよ。
鬼滅の面白さわからん論の面白さは、論者が大抵「いや面白いけども、そこまで?」のスタンスなとこにあると思うんだよね。全く面白さが理解できんと所謂「文化がちがう!」となるので首を捻って終わりなんだけど、好みじゃない人にも「普通に面白い」とは思わせられるから、すごい推されると逆に気になってしまうというか。
ストーリーは王道で、設定的には目新しさがなく、絵も異様に個性的でもなく、キャラも濃くもない。でもどれもダメなとこがないどころか高水準で魅力があり目立つ欠点もない。所謂優等生な漫画だと思う。「自分は好みじゃない」以外で、強いて貶す言葉があるとしたら「凡作だ!特別なところのない漫画だ!」位じゃないだろうか。
そう、全てが高水準でバランスがよい面白い優良作品である鬼滅を敢えて貶すとしたら、「特別な個性がないじゃないか!」なのだ。ここに「傑作…?」と思ってしまう人の疑問がある。
ブリーチのポエムに中二かっこいいと思う人もいれば笑ってしまう(あるいは同時に思う)人もいるだろう、ワンピースの女性キャラの凄いスタイルに欲情する人もいれば引く人もいるだろう。ナルトのサスケへの執着にキモいと思う人もいれば萌える人もいるだろう。進撃の巨人の陰惨さから目を離せない人もいれば二度と見たくない人もいるだろう。ボーボボの意味不明さにとりつかれる人もいればわけがわからんと殴りたくなる人もいるだろう。ジョジョの絵柄が癖になる人もいれば濃すぎて嫌な人もいるだろう。銀魂の長台詞に寒いと思う人もいれば大笑いする人もいるだろう。それらを嫌いな側の人間でも「自分は類を見ないくらい大嫌いだが、"類を見ない"ということは好きな人にとっては唯一無二なんだろうな」と忌々しく思いながらも納得するのだ。
しかし、鬼滅は普通にいいキャラで普通にいい話で普通に可哀想な奴で普通にかわいくて普通にかっこいいのだ。無惨は異常に嫌な奴だが「こういう奴いるわ」という声が多く(いい意味で)身近で生々しい性格をしている。サイコパスもいるにはいるが、割と王道サイコキャラなので共感はできなくもメタ的な理解の範疇である。
故に「売れるだろうな」とは思っても「空前絶後」と言われると「そこまでか?」と思ってしまうのだ。人は「特別」であえる傑作に、どうしても「大好きな人もいれば大嫌いな人もいるだろうな」という「他にない尖ったもの」を求める。鬼滅はその点、終盤の容赦ない戦死ラッシュ(確かに凄かったが悪く言えば人気キャラを殺すという素人でも自分にできるかもとおもいがち(実際はそうではない)になってしまう方法といえる)以外は尖ったところがないバランスのよさがあるので、いまいち「唯一無二感」を感じられない人もいるのではないかと思う。
個人的には設定集が鈍器になりそうな物語は大好きだが、こういうバランスのとれた良作も傑作とみなされる風潮はよいことだと思ったりする。
名古屋鉄道、名古屋本線と西尾線が交わる特急停車駅、それが新安城駅である。もうこれだけで利用者数がかなり多いことが想像つくだろう。
そんな新安城駅の何が最悪か。最も簡潔に最悪さを伝えるとしたら、「乗り換えも改札も、実質駅西端にある狭い地下改札前を通るしかない」 という、駅の構造に尽きるだろう。
もうこれだけで、電車が停まるたびにその通路がごった返すのがわかるだろう。乗り換える奴、新安城駅で降りる奴、その電車に乗りたい奴がひしめき合う地獄だ。
さらにそこに、愛知県の鉄道のクソさ、名鉄のクソさが重ねがけされる。
まず愛知県の鉄道のクソさ。JR東海も名鉄も酷い殿様であることは、もうこの際おいておこう。なによりも乗客が、電車に乗るのがヘタクソすぎる。入り口はパンパンなのに車内中ほどはガラガラ。このご時世でもずっとそう。狛犬どころか仁王像レベルのバカ、まだゾロゾロと降りてる人が居るタイミングで乗り込んでくるバカ、終点でみんな降りるために並んでるのに無理矢理前に入ってくるバカ、デカいリュックやエナメルバッグ背負いっぱなしの高校生"一団"。関東圏から来たら、マジでビビり散らかすレベルの「民度」が見れるぞ。
続きまして名鉄のクソさ。各駅停車への乗り換え、各駅停車からの乗り換えはほとんど考慮されず、乗換時間3分か25分か、みたいなクソダイヤを作っている。しかも各駅停車はその他快速や特急が遅れたら遅れる。そして通勤ラッシュでは、前述の民度によって数分の遅れはいつものこと。一応、各駅に/から乗り換える人がいることは知ってるっぽいので、乗り換えを待つ"こともある"。つまりは、乗り換え時間3分は名鉄のドア閉める人のさじ加減のギャンブルになる。
そして問題の新安城駅のクソさ。「乗り換えも改札も、実質駅西端にある狭い地下改札前を通るしかない」ので、みんなそっち側の車両に乗る。ダッシュする。新安城駅の駅員はそのダッシュする第一陣を乗せたら、「乗り換え完了、ヨシ!」でだいたい出発する。その端っこの車両に乗っていないと、新安城で降りる人やそのあとの特急に乗る人、別路線に行く人、今しがた降りた電車に乗りたい人などの普通のペースの人混みと逆流に飲まれ、乗り換えは100%間に合わない。頑張って乗ったとして、「乗り換え時間が短く申し訳ありません」を「ノーカエジカンガミィカク モウシワッキャーセン」みたいなこなれたアナウンスして煽ってきやがる。わかってんならダイヤどうにかするか乗り換え待てや。ちなみに、「実質駅西端にある狭い地下改札前を通るしかない」の実質は、東側にある高架乗り換え通路に行っても100%間に合わないからだ。なぜ間に合わないか?その高架に行くには"エレベーターしかない"し、そのエレベーターはめちゃくちゃ遅いし、「エレベーターに乗りたいから停車位置がエレベーターに近いところに乗った奴」で満員だからだ。
駅を作るにおいて、最も愚かしいことをやっている。「乗換駅なのに乗り換え通路が十分でない」「十分でないどころか実質1つ」「その1つが改札も兼ねている」「その1つが狭い」シムシティで病院への道を険しくして遊ぶ奴が設計したのか。東京の通勤ラッシュってストレスだろ、あれにランダム性が入って乗れたり乗れなかったりする上に電車が30分間隔だと想像してみてくれれば、どれだけストレスフルかわかるかもしれない。
そんな新安城駅、現在工事中で、ようやく東側に階段で行ける乗換通路ができるらしい。とにかくストレスフルな、最悪の特急停車駅「新安城駅」、皆様も是非来てみて、人間の愚かさ、名鉄のクソさ、愛知県民の電車に乗る技術の低さ、何も考えずに駅を作ってはいけないという至極当たり前の教訓などを学びに来て欲しい。私はもう日常的には使っていないし、ラッシュタイムは二度と利用したくない。
先週金曜の夜、私は仕事を終えいつものように車に乗って帰宅しようとしていた
会社から自宅まで普通なら片道30分程度だが、朝夕のラッシュ時は1時間近くかかる
特に混むのが自宅少し手前にある右折専用レーンのある交差点である
片側2車線なのだが右折待ちの車が多いため、1キロくらい手前から右側車線の流れが非常に悪くなる
ぎりぎりまで左側車線を走って右側車線へ割り込めればいいのだが、「順番抜かしは許さない!」という鉄の結束のもと地元のドライバーたちは絶対に割り込みを許さないので
下手に左側車線にいくと右側車線に戻ることが出来ず、曲がりたいところを曲がれないまま交差点を通過しかなり先の交差点まで行ったところでUターンを余儀なくされる恐怖の交差点なのである
その日も私は右側車線をノロノロと進んでいた すると私の後ろにいた白い軽自動車が左側車線へ車線変更し私を追い抜いていった
軽自動車を運転するおっさんの横顔を見ながら私は「無茶するなあ 何をそんなに急いでるんだか…」と考えた
仕事で取引先との待ち合わせに遅れそう?風俗店を予約してて予約の時間に遅れそう?などと勝手に理由を色々と想像しながら私は車を走らせた
すると左側車線も道路沿いのドライブスルーに入ろうとする車などで混んでおり、私は先ほどのおっさんの車に追いつき並走する形となってしまった
右折レーンの交差点は近づいてきており焦るおっさん、私と私の前そして私の後ろの車は息のぴったりあったアクセルワークを披露しおっさんに割り込む隙を一切与えなかった
だが私はさきほど見たおっさんの車のナンバーが9-11だったことを思い出し、ひとつの可能性に気付いた
「今日は9月11日、車のナンバーは子供の誕生日?子供の誕生日を祝うために急いで帰宅しているのかも…」
右折レーンは目の前に迫ってきており、もう少し進むと車線変更禁止ゾーンというところでおっさんは私の前に割り込もうとウインカーを点滅させてきた
割り込めるだけの車間は無く私がそのまま走ればおっさんは割り込めない、だが私はブレーキを軽く踏み私の前におっさんを割り込ませてやることにした
割り込みに成功したおっさんはハザードを点滅させた 点滅回数は4回 それが私には「す・ま・ん・な」というおっさんのお礼に感じられた
「気にしなくていい それより子供誕生日を祝ってやってくれ」という気持ちを込めて私は「え・え・ん・や・で」と5回クラクションを鳴らした
最後の「で」にはおっさん頑張れというエールを込めてより長めに、「プップップップップーーーーーーーーーーーーーーッ」とクラクションを鳴らした
女性に対する性的暴行のニュースを見ると自分のことのようで心が痛みます。
自分の経験を元に、男性の被害実態も知ってほしくて書いてみました。
男性の被害は声を上げづらいと思うので、こういうときに匿名サービスがあるのは本当に助かります。
大きく分けて3回。
最初の被害は小学校1年生のとき、5つ年の離れた姉によるものでした。
食べ物やさんごっこと題して、姉がお客さん役、自分が食べ物役でした。
姉は食べ進むたびにわたしの服を脱がせ、最後に裸になった時点で食べ終わったことにして終わります。
親は共働きで日中家にいませんでしたので、姉と二人での留守番の間、1日に数回、1ヶ月ほど続きました。
なんとなく恥ずかしい感じはありましたが、そういう遊びだと姉に言われれば従わざるを得ませんでした。
おそらくは姉が異性に対して興味を持ちはじめて、手っ取り早く年の離れた弟で色々と試してみたかったのだと思います。
これが性的虐待だったと気がついたのは大分経ってからになります。
性別を入れ替えてみればこれが性的虐待だということは明らかです。
姉はいま海外に住んでいるので会う機会が少なく、たまにあっても当たり障りのない会話しかしません。
姉が当時のことを覚えているかわかりませんが、結局これを訴えたところで何かが変わるわけではないので、おそらく今の当たり障りのない関係が死ぬまで続くのだと思います。
次の被害は小学校5年生のとき、民間のスキー合宿に参加したときのことでした。
夜、寝ているときに股間がムズムズするので目が覚めると、スキーの男性講師が隣に横たわり、こちらのズボンに手を入れて局部を触っていました。
こちらが目を覚ますと「成長具合を確かめていたんだよ」といったようなことを言っていたように記憶しています。
そういうものなのかなと思いつつ、トイレに行きたいといってその場を離れ、(実際に尿意があった)戻るといなくなっていました。
これについても、これが痴漢行為だったと気がついたのはずっとあとになってからでした。
当時はそういうものなのかなと思い込み、特に誰かに告げ口をするようなことはありませんでした。
都内の学校に通っていましたが、使っている路線は有数の混雑列車で、ラッシュ時には全く身動きが取れなくなります。
そんなとき、いつからか50を過ぎたくらいの細身の、よれよれなスーツをきたおじさんがいつも横にいることに気が付きました。
最初はただ横にいるだけでしたが、だんだんと体の向きが変わり、そのうち股間を押し付けてくるようになりました。
しかし、相手はただ股間を押し付けているだけ。証拠が残るわけでもなく、声を上げることははばかられました。
被害に合わなければいいと、乗車位置や時間を色々と変えてみましたが、どこで見張られていたのかわからないまま、いつのまにかそのおじさんは自分のすぐ近くにいました。
この、大したことではないけども受け入れるわけにも逃げることもできない状況は大きくストレスになりました。
その後、学校を遅刻する時間になればいなくなることがわかり、学校に説明できないまま遅刻を繰り返しているうちにいなくなりました。
ただし遅刻の理由はだれにも相談できず、成績と評価は大きく下がりました。
これが痴漢というものなのかと自覚したと同時に、過去2つの事件も同じく性的虐待だったのではないかという疑念が沸き起こりました。
それと同時に、性への猛烈な嫌悪感が湧き上がりました。
思春期のど真ん中にありながら、この日を堺に、自分は人間不信と過剰な男性嫌悪に陥ります。
とにかく男性が近くにいること、肌が触れることが嫌で嫌で仕方なくなりました。
加害男性と他の男性は違うということを頭で理解していても、体からの拒否感を説得することは不可能でした。
年頃になって周囲から性的な話が始まると、猛烈な嫌悪感からその輪には入ることはできず、テレビにニューハーフといった男性を性の対象としている男性が登場すると、まともに目を向けることができなくなるほどでした。
いわゆる正常な恋愛のアプローチによって性的な行為に至ったわけではなく、こちらの意図しない状況で、しかも同性から性的なアプローチを強要されるということは、次のような副作用をもたらします。
「同性を嫌悪感とともに見るときに、必ず性的な被害にあったときのことを思い出す」というものです。
これはつまり、1日に締める「性的な思考」を考える時間の割合がかなり高くなってしまうことを意味します。
嫌悪であれ、好意的であれ、常に「性的な思考」が意識にあるわけです。
言い換えれば、「性的な思考」から逃れられない状況にあると言えます。
私自身は、幼少期の性的虐待の一番の被害とは、身体的・精神的な痛み以上に、この部分にあると思っています。
街を歩く女性を見ても性の対象にしか見れないばかりか、男性でさえも、加害者としての性の対象として見えてしまいます。
とにかく、通行人すべてがポジティブであれネガティブであれ、「性の対象」としか見えないのです。
そうした自分の思考の傾向とも向き合えるようになり、人間不信と男性嫌悪はかなり和らいだと思っていますが、それでも会話の節々で、湧き上がる思いと、実際に返すべき言葉をひねり出すまでにどうしてもワンテンポ遅れが生じてしまいます。
自己診断ではありますが、おそらく今の自分はセックス依存症です。
何もセックスを実際にしているわけではありません。性的な思考から逃れることができないという意味においてです。
未だに、異性を性の対象としか見ることができず、日々、すれ違う人にそうした視線を送って不快感を与えないよう自らを抑えつける毎日を送っています。
思考の呪縛から逃れる術がないのです。笑い事ではなく、十分すぎるほどに生活への支障をきたしているのが現実です。
幼少期、性的な刺激を正しい恋愛のアプローチによって得られていたら違っていたかもしれません。
自分が加害者にならないように、産業のお世話になっている状況ではありますが、自らに対する嫌悪感でいつも死ぬことばかりを考えてしまいます。
世の中の被害にあわれている方々から比べれば、自分があってきたことなんてなんでもないことかもしれません。
だけど、こうして一生背負って苦しんでいる人間がいることも事実です。
自分の脳からその時の記憶だけすっぽりと抜き出してくれれば、どれだけ生きやすい世の中になるだろうと思います。
性的なことを意識せずに色々な人と会話ができたらどれだけ楽しいだろうと思います。
肉体的にも成長して、高校生になってからはそうした被害は皆無になりました。
そう考えれば、やはり性的な被害は、反抗を受けづらい弱者が対象になるのは否めないと思います。
また、ちょっとした好奇心を満たしたいだけという思いから、気軽に手を染める人間も少なくないと思います。
でも、加害者にとってちょっとした好奇心でしかなくても、被害者にしてみれば一生尾を引く問題に十分になりえるのが現実です。
たったこれだけのことで?
あなたにとってたったこれだけのことが、わたしにとっては人生を大きく変えるのに十分な出来事だったのです。
被害者視点から、もし、そうした加害者になるべき人間のちょっとした好奇心を満たすことができるなら、個人的には非実在少年少女にて解消できる環境は必要なのではないかと思っています。
そうしたことに反対している人は、実際に被害にあったことがあるのでしょうか。
そうした存在があれば、自分がそうした好奇心を満たす対象として消費されてしまうことを回避できたのではないかと思うと、心がざわつくことを止めることができません。
話が脱線してしまったかもしれませんが、それでも、こうした被害者が一人でも減ることを目的に議論が進んでくれることを願います。
出先が曜日によっていくつかの場所に分かれている都合上、電車では回数券を使うことが多いんですが、「切符で通れる自動改札機」は殆どの駅でかなり台数が少なく(一方向につき一つしかなくそれ以外は全てICカード専用改札機というパターンも多い)、前を行く人がチャージ不足などでその改札を使用不能状態にしてしまうと他の改札機に回避することもできず、その場でしばらくアホ面で立ち尽くして改札が回復するまで待ってから通るしかないという状況に陥ってしまう。
ラッシュで改札が全て埋まってる時なら仕方ないが、他の改札がいくらでも空いてるのにわざわざ一つしかない「切符で通れる自動改札機」をチャージ不足などで使用不能状態にしてしまう鬼畜さんも時々存在するのだ。
普段切符を使わない人にとって改札の種類なんか知らんがなというのも理解できますが、一応こういうパターンで困ってる奴もいるのだということを頭の片隅に置いてもらって、改札が空いていてどの改札機を通るか選択できる時はICカード専用改札機をなるべく通るようにしてもらいたいのです。
なんか最近VTuberがスパチャで金稼いでることにかこつけて、色々物申したがる増田が多いようなんだが
そのご意見がそもそもVTuberをちょっとでも知っていると、どうもズレている事実誤認も甚だしいと思うものばかりで
その間違いにも気づかずに、これまたVTuberを知らないであろう人たちが真に受けてああだこうだ言ってるようで
流石にちょっとVTuberとそのリスナーをバカにして楽しんでいるようで見るに堪えない
で、まだまだVTuberを見るようになって日が浅しいし、分からないことも多いながらも一リスナーとして、ご意見申し上げたいと思った所存です。
それで本題なんですが、言ってしまえばスパチャっていうのはVTuberとリスナーという一対不特定多数の間で行われる、うまいこと言うゲームみたいなのものです。
そもそもスパチャっていうのはライブ配信のコメントに色を付けて目立たせることだ。(そのこともよく分かってない人がいるのはどうしたものかね…)
大前提としてスパチャに限らずに、配信の流れに乗せてうまいことコメントして楽しむっていう下地があるのを理解して欲しい。
リスナーは配信の流れに乗せて、コメントをする。うまいこと言えば拾われる。その拾われる確率を上げるのがスパチャ
配信の始まりに「待ってました!頑張ってね!」とスパチャ、配信の途中で離脱する時に「途中で離脱するけど、これからも頑張ってね!」とスパチャ、ぐらいのもので
後は個々の配信によって変わる。大喜利大会みたいなものが始まったり、なんとなくそういう流れになるとスパチャラッシュがあったりもする。でもそういうことは切り抜きの対象になるような珍しいケースだ。
その一方で配信の流れと関係ないスパチャや、無言のスパチャに関しては不審がられる。無視されたりもする。
つまりだ、スパチャっていうのはあれで結構、場を乱さないように空気を読んだり、面白いこと言うために頭を捻ったり、なかなか高度なコミュニケーションが求められるわけだ。
単純に推しに金を貢ぎたいってだけなら、グッズを買うなりメンバーシップに入るなり他にも方法がある事が多い。
その中で、わざわざスパチャに金をかけるのは、リスナーの一人としてみんなと一緒に配信を楽しんで、その中でうまいこと言ったり、推しに感謝の言葉を伝えたい。という願いがあるからこそだ。
VTuberとリスナーが共に面白い、良い配信を作りたいと願いがあって、その手段の一つとしてスパチャっていうのがあると思うんですよ。
それをソシャゲのガチャや、キャバクラやホストに入れあげたり、AKB商法だの、一方通行で、ただ金をかければいいってだけの娯楽と並べて語れると、なんだかおかしいなと思うわけです。
まぁ、それでも一瞬で消えるようなコメントに金をかけるのもどうかと思う意見もあるかと思いますがね。
子供の頃から何ひとつ秀でたところがなく、自分に自信が持てなかった。容姿は平凡で、人前で話すのも苦手だし、勉強が得意なわけでもなくて、もちろん芸術的な才能もなかった。だから、将来の夢を聞かれると困った。何もできる気がしなかった。ぼんやりと浮かんでいたのはお母さんだ。自分自身の母親のように、おやつを手作りするお母さん。そういう大人になれたらいいなとなんとなく思っていた。
地元の中学から普通科の高校に進み、普通に普通の大学に入った。普通に就職して、得た職は普通の事務。電話応対、伝票管理、簡単な書類作成が主な仕事で、昇給もないが残業もない。ちなみに制服はあった。そこで3年務めた後、同期の営業マンと結婚した。妊娠を機に退職し、以降は専業主婦をしている。
30歳を過ぎ、独身を謳歌していた友人たちの結婚・妊娠ラッシュが来た。大企業勤務や公務員はまず出産退職なんて考えたこともないみたいで、産休育休後の復帰が前提。資格持ちの子はスッパリ辞めたが、次の職場は見つかるだろう。子供を産んでも正社員の座から降りない、降りないことを許されたママたち。小さな会社で激務をこなしていた子だけが唯一退職したものの、ベンチャー企業でフル在宅での仕事が決まったのだと言う。無能なママには決してないルート。今もっとも求められる『有能なママ』枠だ。
子供といるのは幸せだ。でも、旦那は決して高収入ではない。材料にこだわった無添加おやつをつくっている場合じゃなかった。教育や習い事の費用を考えると、お金はあるにこしたことはない。私は今後、パートという形でしか家計に貢献できないだろう。正社員の道はほぼ閉ざされている。
有能なママが活躍の手を差し伸べられるのは正しいと思う。だけど、【女性活躍】と声高に叫ぶ社会に手を差し伸べられたと思ったら「あ〜……あなたは活躍厳しいっすねwww大丈夫です、近所のスーパーでレジでも打ったら?」と言われてるような気分になる。その隣で有能なママには、「出産前までは編集者!?営業!?エンジニア!?デザイナー!?はい、みなさーん!このように子持ちの女性もバリバリ働けるんです!!」ってスポットライトばーんってやってるから、影から見てると虚しくなるよ。まあでもわかる。自分が経営者なら無能な子持ちは絶対雇わない。でも有能なママなら雇いたい。無能のフルタイムよりよっぽどいい。柔軟な姿勢もアピールできるしね。
あとやっぱり、仕事のできるママたちは賢い。ネットの情報を取捨選択できる。でも無能なママはまともな職につけないからリテラシーの高い人間関係をつくれない。だから、一度間違ってトンデモ科学とかに興味を持つと、正してもらえずに突き進むことになってしまう。そしてまた、バカにされる。バカにされるから意地になり、そうなるとさらにバカにされる。一時期義理の姉に自然派育児を進められ、ハマるところだった。
今の日本は(別に日本しか知らないんだけど)で正社員を降りて休む(育児、介護、病気、その他)ができるのは、有能な人たちだけだと思う。無能な人に残されたのは、我慢して休まず働き続ける道だけだったと、最近になって実感した。無能が貧乏になるのは自己責任なんだろうけど、なんだかとても、今はしんどい。
スピンオフ元であるプリティーリズムレインボーライブは未履修だったし
ある日、突然に、落ちた。
落ちたというよりは、突き落とされたとか引き摺り込まれたといったほうが正しいかもしれない。
エリートの巧みな誘導により、プリズムのきらめきを浴び、摂取し、そして世界が輝いて見えた。
私は目を輝かせて浄水器でも壺でもブレスレットでも買っていただろう。
だけど私が買ったのは、スタァジュエルだった。
キンプリにハマり、映画館やイベント、コラボカフェに舞台など様々なところへ足を運び
それまでインドア派のオタクだった私は初めて「現場のオタク」になったが
1番多く触れたのはやはりアプリ「プリズムラッシュLIVE」だった。
つらい事があった時は景気付けに
嬉しい時は祝砲がわりに
頑張った時はご褒美として
自転車や馬でお届けに来てくれるスタァたち、
大抵は渋い結果に苦笑しながらスクショを撮り
たった2作の劇場版と1クールのアニメを飽きずに擦り切れるほど見たが
ラッシュくんの中では新しいストーリー、新しいキャラクターが生まれ
スッスッスがアニメになって
ロズパがあってスパライがあって
キンプリと共に生きていけると思っていた。
サ終は悲しい。
ラッシュくんと過ごした3年間を忘れない。
私は誓う。
精一杯生きることを。
ありがうとーーーー!!!!!
ずいぶん前になるんだけれど、大学院生だったとき毎日紅茶を飲んでいた。6畳くらいの細長い居室に4人が机を並べて、来る日も来る日もボロボロの校舎で過ごしていた。大学院は楽しいだけではなかったけれど、今では懐かしい。
毎日、通勤ラッシュが終わったころ登校すると、ドンキで買った安物の電気ケトルでプラスチック臭いお湯を沸かし、卒業した先輩が残していった「HAWAII」と書かれたマグカップに注いでいた。安い紅茶、100個入りで500円の紅茶は、シブい。将来の不安と金欠のダブルパンチだったら、朝入れたティーバッグを入れたマグカップにお湯を継ぎ足して一日中飲んでいた。だんだん夕方になるとマグカップの中が出涸らしで茶色い水みたいになってきて、早く研究を終えて帰りたくてしょうがなかった。
寒い日も暑い日も毎日紅茶を飲んだ。教授に進捗報告をした後で、冷めて真っ黒になった紅茶を一気に飲み干す爽快感は忘れない。締め切りまじかで身体が辛いときはティーバッグを登校したら一つ、昼食を食べたらまた一つと贅沢に使ってカフェイン摂取に励んだ。カフェインは友達。紅茶は茶渋がすごいので、論文を投稿し終わったあとで変色したマグカップを激落ちくんで磨くことにしていた。こんなときの気分は最高だった。
就職してからはコーヒー党に鞍替えしてしまったので、しばらく紅茶を飲んでいなかった。最近ちょっと高い紅茶が眼にとまったので、奮発して買っちゃった。アールグレイだった。紅茶ってこんなに美味しくて香り豊かなのか、知らなかった。就職して、美味しい紅茶が飲める幸せを感じる一方で、ちょっとシブい紅茶が恋しくなった。
特に夏用マスクに至っては、「〇〇がマスク発売!→販売方法は抽選販売!」こればかり。
用意できるセット数があまりにも少数で通常販売だと批判受けるから抽選なんだろうけど……これ当たらない人は延々当たらんからどこ応募しても手に入らんのよね。(その一方、ミズノに当選した人が平気な顔してヨネックスに応募して当ててる有様。ただ、マスクをコレクションしたいだけでしょアイツラ。)
本日抽選だった閉店に次ぐ閉店で今やマイナー店レベルにまで店舗数が減った某ハンバーガーチェーン店が用意した数はたった1500セット。こんなもん当たるわけない。
こちとらこれの数十倍以上なヨネックスやらアディダスやらミズノやらの抽選に落ちてるレベルなのに。
後、あの謎抽選システムは何なんだ?個人情報やクレカ番号まで書かせてさ。今の個人情報騒がれる世の中に逆行する最高の逆張りシステム。
もういい加減に受注にしてくれや。
それかマスク販売はやめてくれ。期待だけさせてハズレ連発は気が滅入る。
どうしても販売したいなら某ユニなんとか並の生産体制整えてから販売しろ。
このまままともな夏マスクは手に入らず夏終わるんだろうなぁ……上記の某ユニなんとかのは生産数凄いから手に入るがあれ夏用じゃないし。
毎年の楽しみだけど、今年は不安…
プールだけは人気だ。
感染予防と、あと、若くはない、かつ
在宅勤務で体力がた落ちの自分の
体力を考えた対策をしてみる。
旅先は別。
人と間をとって活用
2,消毒はこまめに もちろんマスク
顔を触らないのと、乗り換えの度消毒
3,ドアの近くに座る
各駅停車なので、、
気休めかもだけど。
4,更衣室を使わない
私は女だが、着替えとシャワーは
自宅まで我慢。
ラッシュガード着用。
丈は短いので下にデニムをはくが、
影でコソッと脱げばOK。
最悪トイレで着替えることも考えたけど
持って帰るのが嫌だった。
幸い水着で園内は遊べるので、泳いだ後
5,荷物は最小限
重いと足が進まなくなるので、旅行は
1gでも荷物を減らしたい
□荷物一覧
・日焼け止め、消毒
・財布用のジップロック
水中ポーチに入れるので軽ければ◎
・水中ポーチ
入れる
園内の移動用もこれ一つ
・浮き輪
破れたら処分して帰るつもりが意外と丈夫
・スマホ
・バッグハンガー
Seriaで購入した輪っか型ハンガーが優秀。
一カ所がパカッと開くので
机にはもちろん、電車の手すりにも
輪っかにバックの取っ手を通して
S字フックのようにかけられる。
軽いし、シンプルで重宝。
□持って行かないもの
着て行き、そのまま帰宅
手持ちはしない
・タオル
・化粧品
どうせ水で落ちる。
・着替え
6,ラッシュはさける
始発の下り線。
変える。
元々地方なので、そう混まないけど、座りたい。
朝も早かったし、早めに食べて混雑を避ける。
7,早めに帰宅
体力と相談しつつ、無理をしない
次の日地獄を何度か見て、悟った
もう、若くない。
家の中にまき散らさないように。
9,混雑度合いはチェック
テーマパークのTwitterとライブカメラで混雑度合いはチェックしたし、連休前の
平日を選んだ。
因みに、一人遊園地だ。
何年か前、初めて一人デビューして
快適さに開眼。
以来、毎年ひとりで行くようになった。
女同士で行くこともあるけど、支度やら
日やけどめ塗り直しタイムやら、
待たされてイライラしっぱなし。
後で後悔するわよ、と日焼け止めを何度も
勧められるのも鬱陶しい。
元々地黒じゃ!
ないし。
純粋に遊ばせてくれ。
写真とかそんなにとって、どーすんのよ。
誰もみないし、そろそろ、犯罪だよ?
きっと中身、男。
共感できる。
思う存分遊んで、サクッと帰りたい。
帰宅後は、しばらく引きこもる予定。
母にも来ないよう伝えてある。
体調チェックは毎日しているし。
ずっと引きこもるなんて辛いよ。
久々に会ったら「コロナよりインフルエンザの方が死者が多い」とか「老人が死んだのは寿命」とかネットでよく見る反自粛派の声のでかいやつが言うことを言ってた。
そんで最近は虎ノ門ニュースとかをみるらしい。完全にドブに腰までつかっとるがな。
や、ネトウヨに偏っちまったから「コロナなんて」っていうようになったかは因果関係は知らん。
しかしどうやら、その系統のYoutubeとかで得た情報をすげえどや顔で語っとったから、勝手にそんなんかと思っている。
叔母はめちゃくちゃヒートアップして「自粛なんて必要ないんだ」「指定感染症から外せばいいんだ」「飲食業とかの人が苦しんでる」と演説しとった。
ほんで自粛なんてしなくていい。すると経済が回らないみたいな、
「それ進●ゼ●で5億回みた」みたいな、Twitterでゴロゴロ転がっとるようなテンプレを机バンバン叩きながら語ってた。
酒も入っとらんのに。血圧上がるぞ。
そんな白熱して語っていただいたが、結局ただの意見の押し付けで、結局「ほんとにコロナが怖い人」のことは全く考えとらんわけだ。
私は大したことない風邪をこじらせて熱が39度でて日がな吐き倒して会社2週間休んだことがあるので、コロナに罹ればヤバくなりそうだと思ってる。
あの「重症化しません」の「重症化」って、人工呼吸器が必要なレベルのことで、熱とかめっちゃ出ても「軽傷」って扱いなんでしょ?お医者さん的には。
友人には喘息もちがいるし、父親だって生活習慣病の塊みたいな人間だし、もちろん祖父母には健康でいてほしい。
なので、感染者が多いから外に出るのやめようかな、という人間は一定数いるわけだ。いるわけなので、あまり感染者がボンと出られると困る。
いや、自粛いらん、って人からしてみれば「そんなこと気にしてるやつの頭がおかしい。インフルエンザの方が人は死んでる」みたいに言うんやと思う。
あほほど聞いた。けど、私はインフルエンザと比べても…と思っている。だってインフルエンザ関連の数字って自粛とかしてない数字じゃん。同じ状況下での数字じゃないと比較対象にならないじゃん。
そんな感じなんで、叔母の言うように「自粛なんてせんでええねん」ってのにはいまいち賛同しかねる。出来れば感染者は減ってほしいわけだ。
私には叔母の行動を制限する権利はない。ないので、「ほな私とは意見がちがうなあ」っていうしかない。それしかないから仕方ない。
仕方ないと思うので、それで手打ちにしてほしいわけ。なのに意見をバンバンと人に押し付けてくる。それはどうも困る。
ほんで「自粛する奴はおかしい」みたいなレベルの話までし始める。こっちからしてみればお前のほうが怖いが……。という感じ。
というのも、「感染数が多くても重症者が少ないからいい」みたいな意見に対してはちょっと怒っているのだ。
そういう持論展開する人間の社会ってマジで日本だけなんか?視野バリセマ??って思ってしまう。
ヨーロッパとかアメリカとかほかの国ではぼかすか死者が出とるわけで、この病気については日本だけの問題ではないわけだ。
Twitter上ででかい声で「コロナを指定感染症から外せ」みたいな運動おきとったが、そういうのは困るわけだ。
だって、欧州でコロナの感染減ったねよかったねってなったときに、
日本が「重症者いないから感染者普通に出してるよ~ん」とか言ってたらさ、どうよ。
仮に日本では死者が少なかろうが、海外では人が結構死んだウイルスなので、その感染をほっといてる国の人間を受け入れるか?っていう。無理やろ。
オリンピック開催できたとして、人来ると思う?来んやろ。インバウンドは死んだままやろ。
そこんとこ叔母は考えとるんやろか?考えとらんと思うんよな。
あと二言目には「老人は死んでもいい」とかいうからってのもある。ヤバない?
いや、思うのは勝手よ。思えばええわ。医療費削減になるわとか思ってとるならそれで。けどさ、言う?それ。
老人であれ誰かの身内であって大切な人間なのに、そんなことケロっと言い切ってしまえるその神経が怖い。
「そんなことを悪びれなく言う人間が信用できん」っていう理由も相まって、私は叔母を含め「自粛しないで経済回せ」っていう人間を信用できない。
その、経済回せって気持ちはわかるわけ。お気に入りのお店あるし。つぶれたら嫌なところ。
私だって、感染者出てるけど簡単に緊急事態宣言だせとは思ってない。飲食業とか観光業の人たちが大変なことも知っとる。
けどコロナで死ぬ人間がいることだって事実。もはやこれってトロッコ問題じゃないか?どっちが正しいとは言えん。
言えんのやけど「老人は死んでもいい」みたいなことを言ってしまえる叔母は自分がその、トロッコの切り替えポイントを握らせれてることに気づいてなさそうで怖い。
もしくは、人間を人間として見てないか、びっくりするほど想像力が貧困かどれか。どれも私にとっては「ちょっとヤバイ人」に分類されるから、どういう思考をしていただいてもいいが。
白熱する叔母のことを見ていて思ったんだが、「自粛なんていらない、新しい生活様式なんていらない、経済回そう!」って言って、手軽に正義の味方気分に浸って気持ちよくなってるだけなんじゃないか?
ていうのも、Twitterで「閉店ラッシュが続いたのはバカみたいに自粛続けたやつが悪い」みたいな書き方する人見たけど、責任のすり替えがすげえなって思ってしまう。
自粛が解除になった後に外食しようが警戒して家で飯食おうがそんなもん個人の勝手なので、それで飲食店がつぶれたとして店に行かんかった人間のせいではない。
そんなもんちょっと考えりゃわかるだろうよ、って思うんだけど、責任の所在を「自粛してた人」になすりつけることで、誰かを悪者に、そして自分を正しい人間にしたいんだろうと思った。
いや、もとをたどればコロナのせいですわ。まあ政府の補償がどうこう、という主張もあるがそれはいったんおいておいて、別に店がつぶれたのは自粛してる人間のせいではない。
叔母もそういう思考回路してそう。
結局「あ~あ、だから私自粛いらないって言ったじゃん。自粛してるやつらのせいで店がつぶれました~」って言っとるヤツはそうやって正義の味方ぶってオ●ニーしとるんや。
いやいや、勝手に人のこと使ってオ●ニーすんなや。それなら自分でめっちゃ飲食店で金使って「貢献してる~~」ってエクスタシー勝手に感じといてくれ。
別に「コロナは自粛せんでいい大したことない」と思ってくれるのは構わない。
けどそれを押し付けるのは心底やめてほしい。やめてほしいがびっくりするほど人の話を聞かない人間でほんとうに困った。
騒ぐだけ騒いで満足して帰っていく。こわ。ちな母親に聞いたところ、反論して自分の意見が通らんかったら泣き出すらしい。
叔母が共通の知り合いの高齢マダムに「コロナなんて大したことないですよ~」って言ってた。
老人は死んでもいいって言ってたその口で。サイコパスか?
5Gがどうこう言いだしたらどうしような。