はてなキーワード: メンタリストDaigoとは
俺は弱者男性だが、それがどうした?お前らの人生に文句があるなら自分で変えろよ
https://anond.hatelabo.jp/20231102171926
弱者寄りの人、この増田みたいにポジティブ精神に溢れてるわけではないにしても社会全体への不満を抱えてる場合って案外少ないんじゃないかという気がしている。弱者寄りの人の場合、不満があっても矛先が社会全体には向かわず、親とか上司とかそういう特定個人への恨みという形になりがちな気が。
逆に強者寄りの人のほうが社会全体への不満を抱えがちなように感じている。自分は馬鹿や無能に足を引っ張られてばかりいる被害者で、本当に可哀想なのはこっちなのに社会は自分はケアしてくれず、むしろ足を引っ張ってくる加害者ばかり弱者扱いして優遇していて不公平だ。とでも言いたげ、というかわりと直接的にそう言ってしまっているケースはわりと多いように思う。以前メンタリストdaigoがホームレスへの差別発言をして炎上したことがあったけど、それなんかがまさにこれ。
弱者は恵まれてないから社会への不満が大きく、強者は恵まれてるから社会への不満が少ないだろうというのは誤った推論で、弱者はそもそもたいして社会に興味がなく、強者は自身の能力と努力に対する自負心が過剰に高いのでたとえ収入が高くても報われてない感覚、ひいては社会への不満を抱きがちというのが実情なんじゃないかなあ。
・相席食堂
・机上の空論城
など
好きな芸人は千鳥、かまいたちなどで、かまいたちのYouTubeチャンネルは何個か見たことあるけど、それだったらかまいたちが出てるテレビ番組の方が面白いなぁと思う。出演者の面白さに加えて、企画・演出なんかの面白さが合わさって相乗効果が生まれる感じ。
私が知りたいのはテレビには全然出てないけどすごい面白いYouTuberがどこかにいるんだろうなぁということ。
見たことあるYouTuberはあっちゃんのYouTube大学とかひろゆきとかホリエモンとかメンタリストDaiGoとか。勉強になったり、なるほどと思ったりクスッと笑えたりするのは見たことがある。それはそれでいいんだけど、もっと純粋にただただ笑えて見終わった後何も残らないようなのが知りたい。
お笑い好きとは言っても王道というかめちゃくちゃ売れてる人しか知らないから、売れてない芸人さんのチャンネルでもいいし、YouTubeは面白いけどダメな人のチャンネルとかなんかとにかくオススメいたら教えてもらえませんか!!!!!
近々図書館の司書さん達にお礼を言おうと思っている。その前にでも自分の頭の整理のために書いておきたい。
そして誰かの参考になればいいな思う。
タイトルの通り自分は3年前まで本が全くと言っていいほど読めなかった。本を開いても1~2行読んで「あ~もう無理」って感じですぐ閉じて、すぐ自己啓発系youtubeに逃げていた。当時だと西野亮廣、与沢翼、メンタリストDaigo、よくわからない弱小自己啓発系youtuber、俺的名言集など。
今でこそ笑い話だが、当時は「こんなに役に立つ情報が無料で見られるなんて、youtubeってマジ天国じゃん! これを吸収して俺は人生を逆転するんだ!」とか本気で思っていて、与沢翼がアップした1時間尺くらい(人生の本質とか何とか)の動画×5本くらい(10本くらいあったが途中で断念した)を1つ10時間くらいかけて見て、ノートに一言一句書き写すとかっていうことをやっていた。
「本なんて読まなくても、youtubeの動画を見れば人生逆転できる!」って本気で信じていた。
そして自分はそんな自分のことを「俺、周りよりも頭いい!」と思い込んでいた。
今思えば、陰謀論者みたいだな。
高卒。ここまで正社員経験無し。公務員試験受験に落ちてから、ずっとコールセンターでフリーター人生。
仕事も降格1回。会社もクビ2回。ナンパにも10年くらいハマったり。ってくらいに馬鹿である。
どうだ?
みんなよりもクソな人生だろう。
※メンタルヘルス、精神医学系の本を何冊か拾い読みした結果、おそらく自分にはADHD、ASD系統の性格傾向があると思われることがわかった。だがこれはあくまで「傾向」だ。でも少なくとも100%定形ではないだろう。自分の感覚だと3割くらいはその気があると思う。
話を戻す。
書いた通りのバカで、でも謎に「いつかは人生逆転してやる!」って息巻いていた。
でも実際はなかなか行動に移せず、その鬱憤を自宅に帰ってきてはyoutubeの自己啓発動画を見て「俺はやれるんだ!」って自分を高めては、翌日また現実の世界に打ちひしがれて帰ってくる・・そしてまたyoutubeを見る、という日本全国どこにでも居そうな陰キャ生活を送っていた気がする。
仕事のプレッシャーと職場の人間関係からなるストレスから発症したと思う。
(日付を見て気づいたが、ちょうど3年前の今頃だったと思う)
http://www.toyama.med.or.jp/wp/?page_id=1347
※「パニック障害」ってどんな病気? ~公益社団法人富山県医師会~
症状としては死への恐怖が一番強かったかな。
主治医に診てもらっても、自分の辛さがなんだか伝わっていないような気がして。とりあえず薬を出されて終わり。そんな感じだった。
「めちゃくちゃしんどいのに、お医者さんは何もしてくれない。それなら自分で調べるしかない」
それが図書館に行くことの始まりだった。最初はポジティブな理由でもなんでもない。
「この病気を自分で調べなきゃ自分が死んじゃう」そこがスタート地点。
最初はメンタルヘルス、うつ病、パニック発作、パニック障害とかの本をとりあえずひたすら読んでいった。
本の読み方とかもよくわからずに。ただむさぼるように読んで行った記憶がある。今の症状について、医者からほとんど何の説明もなかったからだ。だから知識が欲しかった。
本を読みいろいろな知識を得ていくうちに「あれ? 本ってもしかして人生を逆転出来るツールなのでは?」と思うようになる(単純)
ちなみに、この時の自分は読書の本当の凄さにはまだ気づいていなかった。
ただなんとなく、当時見ていた自己啓発系youtubeよりも多種多様な情報が図書館にはあるな。これを頭に入れることが出来れば、自分は今のクソみたいな環境から脱出出来るのでは?
それくらいの解像度だった。
たまたま18時に終わる仕事だったので、図書館に直行して閉館の21時まで入り浸る毎日を過ごすようになった。
1冊読み終わったらまた1冊。そしてまた1冊と次々に違う本を読んでいった。
いわゆる「乱読」というやつである。ただその時は「よーし、乱読するぞ」なんて思っていなかった。
「目の前にモンスターが出てきたから、とりあえず倒す!」くらいの感覚だった。
幼少期に多少読書をしていたとはいえ、こんなにも本を読んでいない。ましてや大学にも行っていないし、仕事で文章を読んでもいる訳でもない自分が、急に読めるようになる訳はない。
パニック症関連の本はある意味必要に迫られていたので、中身をなんとか頭に入れることが出来たが、当時の自分にとって自分に関連性のない分野の本は全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。
図書館には「旅」のコーナーがあるので、旅日記、旅行記。それから写真集、絵本など、文章が少なく、写真や絵が多い本から初めてみることにした。これが意外と自分には合っていて徐々に自分を本に慣れさせて行くことが出来た。
旅行系の本は結構充実していて「一度は行ってみたい世界の絶景」みたいな本とか、「島、海、空」に特化した写真集なんかも何度も読んだ。とっても楽しかった(書きながら思い出している)。ああいう本はたぶん知らないうちに、自分の心を豊かにしてくれたんだなと思う。
俺の実家は宗教が複雑に入り乱れており、新興宗教に入信した兄弟もいたような家庭だったので、宗教には興味があったんだ。
「宗教学? 宗教を信じるための学問?」って思っていたくらいよく知らなかった。
その後も、少しずつ少しずつ。1日30ページずつとかではあるけれど、読書は続けていった。
その頃のジャンルは宗教学、人間関係、旅、メンタルヘルス、ハンディキャップ、働き方、思考方法など。
そうして徐々に、文字が多い本(いわゆる新書など)も読めるようになっていったと思う。
余談だが図書館の環境も良かったと思う。自分が通っている図書館は音楽が流れソファが用意され、読書をするには最高の環境だった。
読書をするためにわざわざカフェに行って、お金を払う必要がなかったのは大きい。
選書もとても良く、新しい本から古い本、海外の翻訳本まで次から次に読みたい本が見つかる。こんな素晴らしい図書館に出会えたのは本当に運が良かった。
そうして3年が経った今年。
3年前には本を開いても1~2行しか読むことが出来ず、youtubeの自己啓発動画に逃げ、動画の先にいる配信者を盲信していた自分が、今では読書を3~4時間は平気で行うことが出来るようになり、読むジャンルも法律、社会学、経済学、起業関連など、多少難しい本を読めるようにもなった。
それから、これまで乱読に近い読み方をしてはきたが、これがいわゆる「リベラルアーツ」という学問に当たるということも最近知った。
https://www.obirin.ac.jp/academics/arts_sciences/what_is_liberal_arts.html
そして自己啓発系動画は現在も見るには見るけど、以前と違い盲信することは無くなった。
Twitter(現X)のバズツイートや、インフルエンサーの情報発信を見ても、安直に信じることも無くなったし、必ず別の可能性を考えられるようになったと思う。
自分にとって本を読むことは、偉人、先輩方との対話であり、その本が入っている本棚、図書館は偉人たち、先人たちといつでも話が出来る場所だと思うようになって来た。
何かを考えるときも「あの本にはこんなことが書いてあったよなぁ・・」と頭の中で引用出来るようになってきた。
頭の中に様々な専門家が常時いるようなイメージだ。口寄せの術。
この3年。変な自己啓発本やビジネス書の類(書店で平積みされているようなやつ)は、ほとんど読んで来なかったことも大きい。
今までは「与沢翼のブチ抜く力」とか「西野亮廣の革命のファンファーレ」「あなたを癒やす100の名言」みたいな本ばかり読んで、わかった気になっていたが、そのような本に盲信することはもう無いだろう。
ただ、おかげさまで有益な情報はある程度取捨選択出来るようになったので、その意味では今後は目を通すことはあると思う。
岡田斗司夫は図書館のことを「貧乏人が行くところ」と評したが、自分は「司書さんがプロの目線で有象無象の中から、適切な本を選んでくれる最高の場」と言いたい。
最近は「得た知識を抽象化していつでも引き出せるように」訓練している。
読書を始めたきっかけは精神疾患とはいえ、本が読めるようになったこと。
また、読書のおかげで新たに人とのつながりも出来るようになってきた。これは予想外の副産物でもあった。
新しい人に出会った時に「本を読んでいます」というと、話が発展することが多くなったし(今までは、AVの話しやナンパの話し。風俗や借金の話ししか持ちネタがなかった)、読書サークルなんかにも通えるようになった。
そして今までは読んだ本(学問)同士のつながりを感じることが出来なかったのだけど、リベラルアーツという言葉を知ったおかげで、これまでの読書が一本の線でつながるような気がしてとても嬉しいんだ。
今後も引き続き勉強をして行きたい。 あと今後は文学作品も読んでいきたい。
だいたい、みんな「読書」って言うと、小説などの文学作品のことを語る人が多い。
自分のようにリベラルアーツ系の読書から入って数を重ねる人は一般的では無いのかもしれない。だからこそ小説を読むのは知らない世界を知れそうで楽しみである。
自分はこれまで、生活に苦労してきて、かつ学歴にもコンプレックスがあったりしたが。
ここから先の人生は読書が出来るということを武器にして、豊かに生きていきたい。
そして「自分って高卒なんだよな。結局大卒には勝てないんだよな」
読書は楽しい。死ぬまで続けたい。これからも自分に心の豊かさをもたらしてくれるものだと思っている。
そして読書ができる人は実はそんなに多くない。だいたいの情報はyoutubeなどのネットで得られる世の中だからだ。
電車に乗っても、子供から学生、そしてサラリーマンに至るまでみんなスマホをいじっている。スマホに夢中だ。
youtubeの切り抜き動画や対談動画にも、有益なものは非常に多いが、元をたどると古典などの本からの情報であることが多く、だからこそ読書は他人と差別化が図れるものだと思っている。
これからも続けて行きたい。
いつか、通信制でもいいので大学にでも行こうかな。そんなことを最近は思う。
そして図書館の司書のみなさん。ほんとうにほんとうにありがとう。
いろいろな人が読んでくれたようで本当にうれしい。
書いた後に、改めて自分でも振り返ってみたが、これほどまでに読書が継続できた理由のひとつは、やはり図書館の環境がとても良かったこと。
それから、オンラインで参加していた読書サークルに私よりも知的な方々が沢山いて(博士課程の学生や、大学の講師など)、「このまま読書を続けたらどう変わって行けるのか」という、少し先の未来を自分に見せ続けてくれたということが、大きかったんだという事にも気づいた。
読書サークル内では日夜テキストチャットで議論のようなものが繰り広げられていて、最初は会話に全くついて行けなかったけれど、だんだん話していることが理解できるようになってきた自分が嬉しかったりした。
いろいろな意味で運もあったのだと思う。
読書サークルにたまたま知的で素晴らしい方がいらっしゃった事。
友だちが少なく、親の介護も無く、仕事で要職についている訳でも無かったがために、逆にプライベートの時間を、読書にフルベット出来たこと。などなど。
この文章を書いてから、ナンパをしていた時代に毎日の様に行って、よくたむろしていたビル(飲み屋やカラオケ、ホストクラブやダンスクラブが入店していて、たまり場になっていた)に用事があって行ってみたんだ。
派手な服装の女性と、その女性を口説き落とそうとしている男性。
ウェーイって騒いでいる学生。
怖めの車で迎えに来た怖めのお兄さん。
仲間で歩いているホストくん達。
知った時にはすでに遅かった。
セットでお金稼ぎをしている
キャリカレの教材に関しては
誰が教材の責任者か、第何版で、初版はいつなのか、どこにも書いてない。
実際は
講座を受けないと受講生番号等が発行されないので、そもそも講座を受けないと資格試験にチャレンジできない
ていうか
番号を買わないと、資格試験の申し込みができない。
ただし、
誰でも入れる。
やっつけ仕事すぎて引いた。
キャリカレの講座は
あとは同じ値段で20年。
多種多様すぎて
冷静に考えて不自然
それをお金で売ってる
すごい金額といっても5万とかだけど
それを掲げて仕事してる人に、何を期待していいのだろうか
やる方は信用を買えて、それっぽくできるからいいけど
その人を頼って、客になった人って、2重に騙されてることになるんじゃ?
でも、誰も何も定義していない領域ばかり、資格を量産してるから
嘘でもない
実際、それで人を助けてる人もいるっちゃいるし
困ってる人は相談しにくるし
相談する方も、騙されたから取り返そうって気持ちじゃなく、本当に助けようとしてる人もいる。
JADPとキャリカレにぼったくられたから、俺も客からぼったくろうっていう
そしてそれに気づいたのは本当にさっきで
確かにいいようにとらえることはできる。
困ってる人を助けたいけど、なんでもない人間に急に声をかけるとかはできない。
でも結局やってることって、youtuberがお悩み相談してるのとなんも変わらない
拍をつけるためにそれっぽい資格をお金で売ってる団体にお金を払っただけというか
それこそyoutuberがお金を払って案件逆に取ってきて、信用を得るのと同じわけだ
はぁ
焦らずもっと冷静でいられたらなぁ
「JADP認定メンタル心理カウンセラー」とか書いて商売始めたとして
相談しようか迷ってる人が検索しても、それっぽいサイトが出てくるから
まあ、糞安っぽいサイトだし
テキストに書いてあることは
嘘ではないところ
日本語が怪しいところもあるけど(~という考えを考えたり とか普通にある)
読み物としては面白い
死にたくなるし
少し足してメンタリストDAIGOの本買った方がいい
なんならメンタリストdaigoは資格何も持ってない、独学だし
問題集とかついてて、提出させられるけど
嘘みたいに簡単
ていうか
テキスト丸写し
手抜きなうえに
メンテされてない
もう一個、こういう商売がはびこってるなと思ったのが
例えばカウンセラーのテキストにそれっぽい説明と単語が載ってて
ほんとかこれ? てなったときに
検索をかけると
キャリカレとかとは無関係の、心理学の説明をしたサイトが上に出てくるのね
でも開くと
もう笑うしかないのね
確かに臨床心理学としても間違ってないこと書いてあるわけだけど
何も悪いことしてないし
騙される人がたくさんいるから成り立ってる
ずっと考えてる
ゲームでも作るかな
になるのってなんでなの…?
肥満はどこまで自己責任か?|ふろむだ@分裂勘違い君劇場|note
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/fromdusktildawn/n/nc35382aa9ea2
メンタリストDaiGo on Twitter: "多分言っちゃいけないことだけど、 若者世代の尊厳を守るために言いますね。 【この腹は
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Mentalist_DaiGo/status/1567562540380717057
食材を消化の早いもの(ファスト)と消化の遅いもの(スロー)の二種類に分類し、その二種類を同時に食べないように気を付けるというもの。ファスト→スローは一時間半、スロー→ファストは4時間以上の間を空ける必要がある。長いこと自分のおならに悩まされていたが、これでかなりよくなった。
MCTオイル入りのコーヒー(バターは面倒なので省略)を朝に飲む。代謝しやすい油を取り込むことで身体の脂肪もエネルギーにしやすくするらしいが実際のところよくわからない。上記腸活は「良質な油は取れるだけ取れ」みたいな考え方なので、相性がいい。
一日に食べていいのは8時間の間だけ、つまり昼食の時間から夕食の時間までのみとし、それ以外の時間では固形物の食事を禁止とするもの。朝食はバターコーヒー、間食はなし。オートファジーだとかインスリン抵抗性を減らすだとか色々理由付けはされるけど、個人的にはシンプルにわかりやすい食事制限ということで続いている。
血糖値の急激な変化が身体に悪いという話やインスリン分泌量がそのままイコールで肥満に繋がるという考え方に従う。糖質は減らせる範囲では減らす(いわゆる糖質制限ほど極端ではない)、GI値や食べ方を気にする(オートミールを食べる、ご飯はおかずの後、白米→酢飯にするなど)、食後に軽い運動をする、等。食事回数を減らしているのでここは特に気を付ける。
体温を定期的に測り、極端に(1℃とか)体温が平熱から下がったらチートデイとして何を食べてもいいとする。基礎代謝を戻すのと、メンタル的な意味で重要。永遠にラーメン食えないのはつらいので。
アメリカ陸軍が提供している、カフェイン摂取量を最適化するアプリ。自分の睡眠時間や集中したい時間を入力すれば独自のアルゴリズムによる計算でカフェイン摂取の最適な時間と量を導き出してくれる。
ツイッターで知った。頭文字を決めてから次々と単語を思い浮かべていく。その際にできるだけ脈絡のない単語を選ぶようにして、それぞれしっかり画像として思い浮かべるようにするとうまくいく。決めた就寝時刻までにアイマスクを付けてこれを行う。「寝落ち」ではなく「能動的に寝る」ようにする。
もはや定番のやつ
立ちながら、さらに歩きながらと身体を動かしながらの方が集中できるってメンタリストdaigoが言ってた。椅子が原因で腰を悪くすることはなくなる。座らないので。25分ごとに200歩踏む、みたいな目標を決めるとむしろ作業が捗るようになった。
タスク管理アプリ。ゲーム形式でタスク管理を行うことができる。特に「寝起きのタスク」を用意して、朝一番にPCをつけて一つずつチェックをつけていくことで目を覚ませるようになった。
ポケモンの歯磨きアプリ。一人で歯磨きができるようになる。えらい!
最近リリースされたNianticによるピクミンの位置情報ゲーム。ポケGOと違ってランニングと相性がよく、運動の動機付けになっている。
Wikipediaによると、DaiGoは幼少期にいじめられていたらしい。
彼はお金=社会的承認に飢えている一方で(あるいは飢えているがゆえに)、既存の倫理観に対してかなり挑戦的だ。
彼のこうした人格には、当時の経験がかなり尾を引いているのではないかな、と思っている。
いじめられるに至った経緯は不明だが、興味は無い。いじめの経緯なんていつも些細なことだし、どうでもいい。
道徳の授業で、暴力はいけない、揉めたらよく話し合おうと教えられる。相手の人格に問題があったとしても、暴言や暴力を向けていい道理は無い。いじめは許されない。法に触れていれば犯罪だ。
しかし、建前がどうあれ、学校というコミュニティにおいては往々にしていじめが発生してしまう。学校には何故か警察は介入してくれない。彼の場合、頼みの綱の先生も助けてくれなかったようだ。
社会に適応的な人間からすれば、虐められた原因を正して社会と和解すればいいだけのことかもしれない。
しかしいじめられっ子は、たまたま生贄に選ばれてしまっただけだ。仮にいじめられる側に原因があったとしても、どこを正せばよいのか伝えられないまま、突然暴力によって存在を否定される。いじめられっ子からしてみれば、理由はどうあれただ理不尽に暴力を向けられただけである。気に入らない奴に暴力を振るい、尊厳を踏み躙り、見て見ぬふりをするという社会の悪性を一身に向けられたいじめられっ子は、果たしてそんな社会の仲間でありたいと思うだろうか?
ひとたび社会の強烈な不正義に晒された人間からしてみれば、適応は不正義への降伏に過ぎない。
彼がナタを投げるという脅迫によっていじめを克服し、しかも本人がそれを成功体験としているのも悲しい話である。
周りの大人や先生が助けてくれたなら、まだ世の中捨てたもんじゃない、正義だってある、自分には味方もいると思えたのだろう。そうした経験を欠いた彼の世界には、おそらく未だに愛も正義もない。自分の行動によって世界は変えられるという本人の言は、承認は行動によって勝ち取るしかないという不安の裏返しではないだろうか。
無条件の承認も社会への帰属意識も身につけられなかった人間は、自分に居場所があることを確認するため、社会的承認をかき集め続けなければならない。
これこそ彼が、目に見える成果が出るまで時間のかかる心理学研究でなく、すぐにお金を稼いで世間に自分の非凡さを思い知らせられる、うさんくさいパフォーマーとしての生き方を選んだ理由ではないだろうか。
私は、彼の信じられないほど酷薄な発言も幼少期のいじめに由来するのではないかと考えている。
非納税者を蔑視する発言は、相手にされないことへの不安から来たスタンドプレーという一面もあるが、既存の倫理観への不信からくる本音でもあるのだろう。暴力はいけないという一般論を教育されつつ暴力を振るわれた過去故に「口でいくらヒューマニズムを謳っても、本心は違うに違いない」と思っているのではないだろうか。
別に私はDaiGoも被害者だから哀れむべきと言いたいわけではない。理由はどうあれ、非納税者への福祉に関して無理解なまま、倫理にもとる発言をしたことは批判されてしかるべきである。
しかし「悪い奴だから懲らしめてやる!」と義憤に燃えている人は、自身が正義などではなく、気に入らない人間を積極的に排除しようとする側、いじめっ子気質の人間であることを認識した方がいい。
自分の非を認めていない人間に数の暴力でサンクションを与えたところで、暴力によって従わされたという心の傷が残るだけではないだろうか。
DaiGoの件に関して言えば、浮浪者への差別発言の問題点を大して理解していなそうな人まで「レイシズム=ナチス=悪」という借り物の価値観で脊髄反射敵に叩いているのも気持ち悪かった。Twitterで支配的な反レイシズムという規範に沿わないという理由で叩くのなら、クラスの空気に沿わない人間を吊るすいじめと大して変わらない。
DaiGoのように成功者になって世間を見返すのに躍起になり、果たしてそれが上手くいったとて、こんな風に問題行動を起こしてしまう。
逆に完全にいじけて人生を放り投げれば、黒子のバスケ事件の犯人のように社会の敵になる。
これらは元いじめられっ子の中でも極端な例である。しかし私には、帰属意識の喪失や社会の正しさへの不信、自尊心の低さ、自分の影響力を確認することへの執着といった、いじめによってもたらされる人格の歪みが遠因になっていると思えてならない。
手立ては色々ある筈だ。
これまでの話は全部私の臆測であり、一から十までこじつけである。どこかに論文があるわけでもないし、私は何の専門家でもない。
しかしDaiGo本人がオリジンとして語っている以上、暴力による自力救済でいじめを克服するしかなかった経験は、彼にとって大きな意味を持っていたのだろう。
DaiGoをいじめたりそれを傍観したりしていた同級生、彼を救えなかった教師、もしかすると「やっぱアイツ変だったしな〜」などと考えていないだろうか。
お前らが歪めたんだ。
「2人のメンタリストDaiGo」その知られざる姿が明らかに~「ブレーン」8月号より #ブレーン | AdverTimes(アドタイ) by 宣伝会議 2012.07.02
https://www.advertimes.com/20120702/article74214/
これまで表舞台には姿を現さなかった2人目の「メンタリストDaiGo」が登場。リサーチとパフォーマンスを手がける「DaiGo」と、パフォーマンスの作成や構成、執筆、台本を手がける「むらやまじゅん」のユニット名義だったことが明らかになった。2人はメンタリズム研究会「スリーコール」のメンバーで、むらやま氏が代表を務めている。
※「むらやまじゅん」=眉村神也
DaiGoを超えた! メンタリズム界の最終兵器・眉村神也とは何者か? | 日刊SPA! 2014年10月10日
メンタリズムブームを作ったメンタリストDaiGoのプロジェクトでしたが、プロデュースしてる身としてはやりたくてできなかったことも多かったのも事実です。
DaiGoは元からパフォーマーをやりたくなかったため、あまり難しいことをやりたがらなかったというのも大きかったのですが、様々な要素で僕が考えていたパフォーマンスに辿り着かなかった部分も多かったのです。
テレビの裏側全部暴露します【編集ではなく捏造】(TBSのバラエティ番組『ピラミッド・ダービー』に出演して。メンタリストDaiGoさんのやらせ疑惑も) | 顔相鑑定士・顔研究家・顔面評論家:池袋絵意知 公式ブログ 2016.06.22
http://blog.ikebukuroh.com/?eid=1338
DaiGoがテレビ卒業する前に2人でバラエティ番組に出演していた舞台裏の様子
タイトルに反して、DaiGoのやらせが糾弾されてる記事ではなく適当なお笑いバラエティ番組でも思いのほか出演者は真剣に勝負していた点が分かる
ロンブー田村淳がYouTubeでした「共演した番組でマネージャーさんが指示出してるのを見た」との証言の「マネージャーさん」とは眉村さんのことですね
ただ(少なくとも当時は)2人で「メンタリストDaiGo」という建前なので指示があってもなくても「メンタリストがボールの色を当てた」ことは間違いない
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66492
伊東乾はメンタリストDaiGoを批判し、例えば「科学的に完全に間違ったことを『科学』を標榜して垂れ流してしまう。こうしたタレントの放言を真に受けて、後遺症を背負い込んでも、誰も補償してくれません」と書く。この「垂れ流し」とか「タレントの放言」などの修辞には、敵意を込めた罵倒だという以外には、情報量がなにもない。つまり「これこれの主張は科学的に間違っている」と書けば済む話なわけだ。これは単に一例であって、伊東乾の文章は全編がいつもこの調子。
で、メンタリストDaiGoの、どの発言が、科学的に間違っているのだろうか。驚いたことに、何度読んでもそれがわからない。自分なりに伊東乾のお気持ちに好意的に寄り添って推理する限りでは、「新型コロナウイルス感染症の脅威を死亡率で計るのは科学的に間違い。重要なのは後遺症」と言いたいのかも知れない。しかし「死亡率と後遺症のどっちが脅威か」なんてことは、経済やインフラや個人の価値観やが絡む高度に複雑な問題であって、科学で一意に結論が出る話とは思えないんだけど。
伊東乾の文章から「素人の垂れ流し」「テキヤ」「ペテン師」「おかしなコンテンツ」「生ぬるい若者のどうでもよいお喋り」「中途半端に上ずった若者のご託」「陳腐なクリシェ」「うわごとのような早口でまくしたてる」「メディアを濫用するマインドコントロール商法」などの無内容な雰囲気レッテル貼りと、執拗な学歴マウンティング(発言を批判するなら人格ではなく発言内容を批判してくれ。発言者が中卒のお笑い芸人だろうが学位取得者だろうがそんなことはどうでもいいんだよ)をすべて削ると、びっくりするほどに内容薄い。自分の理解では
・「新型コロナで怖いのは死亡率以上に後遺症」
・「メンタリストDaiGoのやりかたは麻原彰晃に似ている」
・「発想はナチスと一緒」
ちなみに「執拗な学歴マウンティング」の「執拗な」は、無内容な雰囲気レッテル貼りではないですよ。9ページの論考の中で、p1「私もかつて教えたことのある大学の理工系で卒業、大学院修士課程を中退しているようでした」、p2「学卒/大学院中退はサイエンスでは『素人』」「大学・大学院で物理を学び、ここ四半世紀は地味なサイエンスと地味な芸術音楽を両輪に、研究大学でコンテンツのラボラトリーを主催する一教官として言えるのは」p3「修士を取れないというのは、能力的な問題というより『やらなかった』怠惰を意味する場合が多い」「学卒レベルのアマチュア了見で」p5「サイエンスを標榜して無学位という時点で『科学は偽物』と見ます」などと書いてることを、「執拗」と表現しています。
「ホームレスなんて死ねばいい」というメンタリストDaiGoの主張と、それを批判する伊東乾の主張を比べれば、自分は圧倒的に後者を支持します。しかしながら、まあそれはそれとして、「(ホームレスなんて)邪魔だしさ、プラスにならないしさ、臭いしさ、治安悪くなるしさ」と「素人の垂れ流しだしさ、テキヤやペテン師みたいだしさ、生ぬるい若者のどうでもよいお喋りだしさ、中途半端に上ずった若者のご託で陳腐なクリシェだしさ」を見比べると、伊東乾ってメンタリストDaiGo以上に雰囲気話法だなー、と、どうしても思ってしまう。