はてなキーワード: シングルベッドとは
2021夏、世間はコロナで医療崩壊の真っただ中、私はコロナとは全く関係ない理由で死にかけて入院した。
半年経って当時の日記を発掘したので、正月休みで暇な今せっかくなので当時の日記を日記を増田に供養する。
経緯を言うと、膀胱炎を放置していたために、血中に細菌が侵入し、敗血症性ショックになり、生死の境をさまよったのである。
コロナワクチン接種とタイミングが重なってしまったため、副反応だと思って放置してしまい、大分大変なことになってしまいました。
本当に処置が一歩遅かったら私は死んでいた。
膀胱炎は、大腸菌などの細菌が尿道から膀胱に感染することで起こる。女性に多い病気で、自覚症状は排尿時の痛み、残尿感、頻尿、尿の白濁、陰部のかゆみなど。
おしっこをがまんしすぎたり、疲れて抵抗力が弱まったり、不衛生な陰部の環境だったりなどで発症する。
そして膀胱炎は放っておくと菌が尿管から腎臓に上がり、腎盂腎炎を発症する。すると発熱や下腹部の痛みが起こる。
さらに放置すると血中から大腸菌が全身を回り、全身の臓器が機能不全を起こし、血圧が低下し、ショック症状を起こす。これが敗血症性ショックである。
膀胱炎は放っておくと死ぬので放置せずすぐに病院に行け、は界隈の常識らしいですね。私知りませんでした。
今回身をもって実感しました。
8/13 (金)
膀胱炎の自覚症状。一般的に言われる自覚症状のオンパレードで、これは明らかに膀胱炎ですな、といった感じ。
3年前くらいにも一度膀胱炎にかかっており、その時は病院で抗生物質をもらったらすぐに治った。
もう一回くらいかかったことがあるような気がする。その時は市販薬で治ったはず。いつかは覚えていない。
この時期友人の家に入り浸りまくっていたので、まあそのへんとかで疲れがたまって不衛生になっていたのかな…、そういえば恥ずかしくてあんまりトイレ借りて無かったな・・・、と考える。
という訳で市販薬(腎仙散)を飲み始める。病院に行ってもよかったのだが、前述のとおり友人の家に入り浸っていたので、出先で病院を予約するのが面倒で、「市販薬で治るでしょ」とごまかしていた。
この後も友人の家に入り浸る生活。8/15と8/19しか実家に帰っていない。それも終電近くに洗濯物を取りに帰っただけである。
8/19 (木)
あまりにも薬か効かないのでボーコレンに変更する。まだ少し効く
8/20 (金)
発熱はなし。
思い返せばこの日の夜下腹部痛があり、今思えば腎臓が痛かったのかもしれない。
腎盂腎炎になると逆におしっこが出なくなるので、排尿時の痛みはあったが、排尿の頻度が下がったのでこのあたりから膀胱炎のことを忘れはじめ、薬を飲むのを忘れ始める。
8/21 (土)
夜23時頃、直前まで何も無かったのだが、突如猛烈な寒気に襲われ、体が勝手にガタガタ震え出し、熱を測ると41.7°Cを記録。人間ってこんな体温出せるんだな。
8/22 (日)
翌日になると熱は37.4°Cまで下がっている。友人のワクチン接種に付き合う。
帰りがけあたりから熱が上がっている感覚がする。帰って熱を測ると38.8°C。
最大で40°C台まで上がった。
ただ薬を飲むと熱が37°C台に下がった。
8/23(月)
この日から頭痛と嘔吐の症状が出てきて一気にしんどさが上がる。
頭を動かすたびにガンガンとなる頭痛がするので起き上がりたくないし水も飲みたくない。
水を飲んでも胃液を吐いてしまう。水分補給が出来ないのがしんどい。
薬を飲むとこれらの症状がマシになるが、2-3時間しか効かないし、6時間空けて飲まなければいけないので薬が効いてない時間が地獄。
熱は薬を飲んでも下がらずにずっと40°C台、最大で41.3°Cまで上がった。
インターネットを参考に薬をバファリンルナiに変えたら効きが上がった。薬が効くと熱は38°C台まで下がった。しかしこれも2-3時間しか効かない。
薬が切れた途端猛烈な寒気に叩き起こされ、震えが止まらなくなり、熱が上昇する。
「なぜ私だけこんなつらい目に合わなければならないのだ…!」との思いが募る。
そろそろ、「ただの副反応じゃないんじゃ…?」と思い市の副反応相談センターに相談したところ、「明日になっても熱が下がらなかったら医療機関へ」とのことだったのでもう一晩様子を見る。
8/24(火)
症状は昨日と変わらない。副反応相談センターにもう一度相談したところ、市の医療機関を紹介してくれる番号を教えてもらう。しかし今は横浜の実家でなく世田谷の友人の家にいるので使えない。
#7119でもいいですよと言われたので、そちらに電話をかける。深呼吸をしなさいと言われる。
友人が最寄りの発熱患者可の病院を探してくれる。家から50 mの距離だが歩ける気がしなかったのでタクシーを呼んでもらう。
病院では栄養剤の点滴をしてもらい、コロナに効く解熱剤(カロナール)を頂く。
今思えばこの医者はヤブだったのでは?発熱が4日も続いているのにPCR検査もしないし、その他検査もしないし、点滴と薬だけ貰って「様子見て」と言われた。
もし血液検査をしてくれていたら、きっと白血球の数値とかがおかしかっただろうから、原因も分かったろうに、、、
ただこちらも、「そういえば膀胱炎でした」と言い忘れたし、もうそんなのすっかり忘れていたし、さすがに医者もそれを聞いたら尿検査と血液検査くらいはやってくれたと思うので、言えればよかった。
あとワクチン接種でめちゃくちゃ忙しそうだったしね。初診の外来患者なんて後回しよね。
吐き止め成分も一緒に点滴してもらった。しかし帰ってポカリを一口飲んだらそっこーで吐いた。嘔吐RTA。吐いたら2時間は飲み食いしないでと言われていたが、しんどすぎてそのまま薬を飲んだ。
カロナールはよく効いた。熱は37°C台まで下がった。これも2-3時間しか効かないが。一緒に処方された吐き止め薬ドンペリドンの眠気誘発効果も高く、薬が効いている間は快適に眠れた。
薬が効いていない間は相変わらず40°C台の発熱と頭痛と嘔吐。
薬が効いている間しかまともに飲み食いが出来ないし、薬が効いている間は強烈に眠いのでまともに飲み食いできないので、要はまともに飲み食いできず、それがしんどかった。
おかゆを買ってきてくれたが、一口食べてギブアップした。ゼリーはすこし食べられたような…?
夜9時、あまりにもしんどさが天元突破したので実家に帰る決断をする。一人で他人のシングルベッドを占領していたのが申し訳なかったのもある。友人に布団で寝て欲しかった…
親に電話して洗いざらい話す。「なぜもっと早く連絡してくれなかったのだ」と親にめちゃくちゃ怒られる。
タクシー(8000円)で帰りたかったがなんとタクシーは発熱患者を乗せられないらしい。
しょうがないので翌日始発の電車に乗って帰ろうという話になる。
(別にコロナじゃなかったからいいけれど、もしコロナだったら電車移動よりまだタクシーの方がウイルスを広げる可能性が低いのだけど、このへんどうにかなりませんかね、えらい人)
私はこの後薬を飲んで寝てからの記憶が無い。次の記憶は木曜か金曜の病院のベッドの上である。以後は伝聞。
8/25(水)
友人のカバンを持ち、友人の靴を履いて、家の扉をガチャガチャして「あれ…?開かないなぁ」とつぶやいていた。
これは薬のオーバードーズによる奇行だと思った彼は、とりあえず私を引きはがした。
すると私は白目を剥いて倒れた。レギュラーの西川のようだったそう。
これは死んだわ、と思った友人は、ひとまず#7119に相談。
すると「それは救急車呼んだ方がいいですね。こちらで救急車を手配します」と言われた。
ほどなくして救急隊がやってきて、私を救急車に連れていく。友人はよく分からなかったそうだが、救急隊曰く当時の私は痙攣していたらしい。
救急車に運ばれ、受け入れ先の病院を探す。しかし医療崩壊ど真ん中の時期だし、夜中だし、高熱なのでコロナ疑いだし、意識不明だから救急病院でなくてはならないし、で受け入れ先が全然見つからない。結局1時間半くらい各所に交渉したそうである。
熱は42°C、血圧60、意識不明重体の私の横で受け入れ先の病院が見つからない中ひたすら待つ友人…。不安だったろうよ…。ごめんね…。
最終的に、最初に断られた病院に無理やり病床を開けてもらったらしく(他の人を一般病棟に無理やり移したらしい)、そこで受け入れてもらうことになった。コロナの為病院には同居家族以外の侵入不可だそうで、友人はその場で救急車から追い出された。申し訳ない…。
病院到着が午前4時。両親がタクシーで病院にかけつける。コロナ疑いなので、両親も別室に隔離され、沢山の同意書にサインをさせられる。
点滴をする同意書、点滴のために喉に管を通す同意書、けいれんを抑えるために麻酔を打つ同意書、けいれんがひどくなった時に体を縛り付ける同意書、などなど。
最初は医者も原因が分からず、とりあえず白血球の数値が異常に高いことが分かったので、適当に抗生剤を打っていたらしい。
培養検査の結果、とある種類の大腸菌が原因だということがわかり、おそらく膀胱炎が悪化し、腎盂腎炎になり、血中にも大腸菌が侵入して、臓器が機能不全を起こした、敗血症性ショックだろうということが分かった。
原因が分かってしまえばあとは早いので、それ用の抗生物質を点滴し、あとは回復を待つのみである。
8/26(木)
私は意識を取り戻し、「スマホが欲しい」と言ったそうだが、何一つ覚えていない。けいれんを抑えるために麻酔を打っていたそうだし、意識朦朧だったのではないだろうか。金曜日あたりまでの記憶は私は曖昧である。主治医と1回話したはずなのだがうっっっっすらとしか覚えていない。
そのまま2週間くらい入院ですね、と言われる。コロナの為面会謝絶で、必要なものは母に届けてもらい受付経由で受け取る。
両手と首に点滴が通っているので、私はひたすら気をつけの姿勢で寝ることしかできない。暇。うつ伏せで寝られないのがストレス。
あと食欲が全くわかず、病院食が食べられない。「これだけは飲んで」と言われた栄養飲料(そんなに美味しくない)と、たまに出るフルーツくらいしか食べられない。なので栄養剤の点滴も外せない。
とはいえ意識は取り戻したので近いうちに一般病棟への移動が決まる。
8/27(金)
この日から元気にLINEをしている。この日か翌日に一般病棟に移った気がする。
8/28(土)
この日あたりから食欲を取り戻し、病院食が完食できるようになる。
8/29(日)
8/30(月)
食事が完食できているようなので、と栄養剤の点滴が外される。これで点滴が朝晩3時間ずつの抗生剤だけになり、夜うつ伏せで寝られるようになる。超ハッピー。
8/31(火)
抗生剤だけなら飲み薬にして退院しよっか、とのことで急遽翌日の退院が決まる。急いで両親各所に連絡する。
9/1(水)
退院。声はカッスカスで、支えが無いとまっすぐ歩けない。10日くらい臥せっていると筋力その他が大分落ちるのだなと理解した。
私が入院していた間、私が死ぬんじゃないか、と毎日家の中はお通夜状態だったらしく、大分ご迷惑をかけてしまった。非常に申し訳ない。
あのまま友人が朝まで様子を見る決断をしていたら私は本当に死んでいた。そしたら原因にワクチンは全く関係ないがワクチン副反応で死んだ人扱いされただろう。
繰り返すが、今回得た教訓は、膀胱炎は市販薬で誤魔化さずに、病院で抗生物質を貰うべきだということである。
それから2021年の医療崩壊はやはりひどかったですね。治療にあたってくれた医療関係者方、そして各所でたゆまぬ努力を続けてくださっている各医療関係者様方に感謝します。
2021年冬は少し落ち着いていましたが、冬休みにかけてじわじわ感染者が増えてきていますね。また当時のような惨状になると医療機関がまた悲鳴を上げてしまいます。我々は基本的な感染対策を怠らず、淡々と過ごしたいですね。
あとそれから友人に本当に感謝。私の看病をしてくれ、救急車を呼んでくれ、救急車でも意識のない私に声をかけてくれていたらしい。本当にありがとう。あなたは私の命の恩人です。もし我々の縁が切れることがあったとしても、その事実は変わらず、私は一生あなたに感謝して生きていきます。
それから家族にも本当に感謝。だいぶ心労をかけてしまいました。楽しく労働することで恩返しするね!
ちなみに、「あんな経験をしたんだから、ちょっとくらい失敗しても「死ぬよりまし」とか思えるようになりなよ」と友人によく言われる。
確かに今日記を読み返して、「本当に死ななくてよかった」との思いを新たにしました。生きていることに感謝ですね。明日から新学期なので頑張らねば!
以上です。皆様も体にはお気をつけて、、、。
体調を崩してしまい、何日かおきに精密検査をすることになった。それについてはこれを機に悪い所が無いか全部見てもらおうという気持ちなので別にいい。問題は、母親がわざわざ飛行機を使って自分のところに来ようとしていることだ。来たところで自分は体調が悪くてご飯が食べられないため外食できないし、普段はお粥で済ませているので料理を作ってもらう必要も無い。家事も自分一人分であれば時間をかけながら最低限こなすことが出来る。なにより一人暮らしのワンルーム、完全在宅勤務の部屋に誰かがいることが耐えられない。何度来訪を断っても「なんでそんな事言うの」「遠慮なんかしなくていい」と聞く耳を持たず、布団がないと言えば「ベッドに一緒に寝ればいい(シングルベッドですが…)」、仕事に集中出来ないと言えば「イヤホンをしてテレビを見て大人しくしている」と聞く耳を持たない。小さい頃、机の引き出しに大事に保管していた好きなキャラのグッズや包み紙がある日全部捨てられていたことがトラウマで、母の基準で良い、悪いが決まるのでまた同じように自分の好きなものが捨てられるのではないかという不安もある。せっかく一人になって自分の好きなようにレイアウトしてきたのに。オタクなので本棚の上にアクスタやフィギュアを飾っているが、母はオタクが嫌いなので嫌悪感を示すだろう。母が気に入らないものはそれがどういうものか母の納得のいく説明ができないと捨てられてしまうが、体調が悪い中部屋を母の気にいるように整理する時間も体力も無くて、どうして来なくていい、嫌だと言うことを積極的にやろうとするのだろうと泣けてきた。どうやっても母を止められない。過干渉ぎみな親を持つと辛い。
2週間前に付き合って(私26/彼23)、いやもうマジ毎日幸せで楽しくて仕方がない。すっげーいいやつ。超カワイイ。相性最高。かっこいい。好き。
だがその彼はヤるたびに「ナマでしていい?」と聞く。
私がダメだよって言っても結構食い下がる。最終的にはどうにかゴムつけて入れてくれるけれど。
初回に私、ナマでやらせては浮気と同じくらい嫌だから言うのやめてと言ったはずなのだけれど、それでも彼は毎回プッシュしてくる。
閨では強く断れないんだよ…。「だめだってぇ」みたいな否定になっていない否定を言うので精いっぱいだよ。頭のネジ外れているんだよ。彼のお願いはできるだけ叶えてあげたいって思っちゃうじゃん。
どうしてコンドームをつける必要があるんだっけ?避妊と性病予防のためだよね?
どうせお互いとしかやらないから陰性なら性病予防は気にしなくていいのか?それでも気にした方がいいのか?
保健体育の授業聞いていなかったの?ガマン汁にだって精子はいっぱいいるんだから、射精だけ外ですればいい訳じゃないの。
それとも妊娠してもいいと思っているの?まだ君院生なのに?今年就活なのに?負担は私にしか無いから?
いいのか…?妊娠してもいいのかな…?いや会社の予定的にあと1年は避妊したいよ私は…?
というか付き合って2週間ぽっちでもうそこまでいってしまうのはただの性欲の勢いでは…?何にも考えていないだけでは…?
やっぱりだめだよナマを許すのは、うん。やっぱりせめて君がちゃんと社会人になったら。ものすごく妥協してきちんと就活頑張って内定先を見つけたら。話はそれからだ、うん。決意表明。
話ずれるけど、あたしコンドームのことよく知らないんだけど、彼はゴムをつけるのを割かし毎回手間取っていて、正味1-2分くらいかかっているのだけど、こんなもんなの?もっと10秒くらいでパパっとつけられるイメージがあったのだけど。サイズ合っていないんじゃないの?よければ有識者教えてください。
という訳で、外出しは避妊の意味が無いので、ナマでヤるのはダメです。ということを強く主張できる強い彼女になる必要がある。ゴムつけてたって十分気持ちいじゃん。ふぇらちおも手淫も沢山してあげるから。苦しいけど喉奥で擦るのもやっていいから。だからナマはだめです。
そうかーゴムだけでも避妊には不十分か。確かに10-15%で失敗すると聞いたことがあるような…。
低用量ピルなぁ…。生理痛は別にきつくないので必要性を感じていなかったから、あまり気は進まないなぁ…。
ああでもPMSによる精神症状はそれなりにしんどいし、それが軽くなるのなら導入を検討してもいいかなぁ。でもお値段張るしなぁ。まあ検討します。ありがとう。
いつのまにトラバとブコメが増えていまして、皆様コメントありがとうございます。
やはり避妊の重要性と、こちらが強く出る正当性とを強く認知しました。あと彼はそのへんの認識がゆるゆるであるということも理解できました。ありがとうございます。
やはり彼にもう一度強く言います。増田のコメントたちが後押ししてくださったので、強気に出られます。
たぶん彼は「ナマで入れちゃうよプレイ」が好きなんだと思うんですよね。実際には入れないんで。でも私はそれすら嫌なので(彼の願いを叶えてあげたい私と妊娠したら困る私の天秤がしんどいから)、辞めてほしいということを伝えます。これで分かってくれなかったら信頼できる第三者に洗いざらい言ってそっちに強く伝えてもらいます。彼には皆に秘密にしたいとか言っていましたが、私は色々相談できる第三者が欲しい。
私は今まで自己主張をすることが苦手で、特に男女恋愛においてはそうで、これまでもそれが原因のひとつで色々破局とかトラブルとかしてきた。
私の願望をきちんと伝えて、理解してもらい、擦り合わせることが、関係の持続に重要だとの知識はある。
付き合ってすぐ、助教の先生に私たちが付き合ったことを伝えたとき、「彼は色々と幼いので結婚したいなら根気よく育てていく必要がある。そうじゃないとほんとに結婚するときに迷うと思うよ」と言われた。
ちなみに私は浪人により今M2です。来年就職予定です。彼はM1。これから就活。)
助教はそれから、「でも、俺は彼とあなたは合うと思うし、いつか付き合うんだろうなと思っていた。思ったより早かったね。」ともおっしゃいました。
だから私は根気よくコミュニケーションを続けるつもりです。自分の主張の正当性に自信がなくて、増田の皆様を頼ってしまいました。ありがとうございます。
あと面倒だと後回しにしていましたが、ピルなどコンドーム以外の避妊方法と、あと性病検査も、多少金がかかろうがきちんとやろうと思いました。何かあってからの方が余計金がかかりますしね。助言ありがとうございます。
追記の癖にべらべら語ってしまってすみません。まあ日記なのでね、好きに語ります。
ただの経過報告。
結局、「プレイのつもりだった。本気でナマでする気は全くなかった」とのこと。
あと低用量ピルを導入しました。トリキュラー28。月4000円。リマインダーをつけて頑張って飲み忘れないようにしています。結局自分で払っていますが、その他の金銭的手間的負担は彼の方が多いと思うので、まあ私が払います。毎週末ずぅっと彼の家に入り浸っているので、消耗品とか食費とか洗濯とか、なんだかんだ彼の方が負担だと思う。
悩みは尽きませんね。最近の一番の悩みは、シングルベッド狭くて休日に疲れが取れない問題です。多少寂しくても布団を持ち込むか…
みんな、人には言えない複雑なストーリーを抱えて生きている。
あなたの隣にいる、幸せそうなあの子にだって別の顔があるかも!?
File1:東京が生んだモンスター
―2年前ー
ザ・リッツ・カールトン東京の45階にある『ザ・ロビーラウンジ』。
死ぬ気で仕事を頑張り続け、気づけば39歳。経営者として成功した今の僕は、ラグジュアリーなこの空間が似合う男と言えるだろう。
だが、僕の目の前にいる女性は、洗練されたこの場所には不釣り合いで、彼女の存在だけが浮いて見える。
「ここのアフタヌーンティー来たかったんです。でも、1万円もするからなかなか来れなくて…。インスタに載せたいから写真撮ってくれますか?」
キラキラした目をして手渡されたスマホの画面は、派手にひび割れていた。
カメラに向かって微笑むその女性は、小皺が寄ったブラウスにミニスカートを合わせ、膝の上に合皮のバッグをちょこんと乗せている。
「家賃3万円の東陽町にある社宅に住んでます。配属は、虎ノ門支店なので、本当はもっと都心に住みたいんですけどね…」
たった1万円のアフタヌーンティーに目を輝かせ、屈託のない笑顔を見せてくれた優里香(23)を愛おしく感じた。
一体なぜ!?39歳男が、純粋なOLを地獄に突き落とす…男の闇深い本音とは
地獄へのカウントダウン
「僕、優里香ちゃんのこと、すごく気に入っちゃったから、特別に3万円あげるよ」
「え?お茶だけで、3万円もくれるんですか?そんな…いいんですか?小日向さん優しすぎます…」
メガバンクに勤めていて手取り16万円程度の彼女は、戸惑いつつも目を輝かせた。
「いいよいいよ。優里香ちゃんは、それだけ価値のある女性なんだから。自分を安く見積もっちゃだめだよ。これで表参道のサロン行って髪のトリートメントでもしてきなよ。もっと、自分にお金をかけなさい」
「そうだ、東陽町からはるばる六本木まで来てくれたことだし、せっかくだからミッドタウンでお買い物もしよう」
ワンピースはストラスブルゴで、靴はマノロ ブラニクで、鞄はヴァレクストラ……。
「わぁ、こんなにいいんですか?なんだかシンデレラになった気分!会社の同僚は、お洒落な子ばかりだから…これでやっとお食事会に誘ってもらえるかも…!」
僕は、キラキラと目を輝かせて心の底から感謝してくれた彼女のこの日の笑顔を、一生忘れることはないだろう。
「いいかい優里香ちゃん、縫製の粗い服、合皮のバッグ、ビニールの靴なんかを買うのは金輪際やめなさい。安い女に見えるよ。僕がサポートしてあげるから質の良いものを身につけなさい」
「手取り16万円じゃ東京で暮らしていけないでしょう。月30万円はどうかな?
でも、それを貯金するような貧乏くさい真似はしちゃだめだよ。洋服や化粧品や友達との遊びで使い切って、若い時間を楽しんでね」
それにもかかわらず、この程度の小娘に、お茶だけで3万円を渡し、会ったその日に50万円相当のプレゼントをし、新宿にある家賃30万円のマンションと月30万円の生活費をあげる男は、この世に僕しかいないだろう。
もちろん、下心なしに、女に金品を与える男はいない。
大抵の男は、若い女の体が目当てだが、僕にはもっと“壮大な目的”があるのだ。
『東麻布 天本』、『長谷川 稔』、『薫 HIROO』、『三谷』、『カンテサンス』…
会うたびに、客単価5万円ほどの一流店に連れて行き、彼女の舌は順調に肥えていった。
お世辞にも美人とは言えない彼女をおだて続け、分不相応な要求にも笑顔で応え続けた。
東京に染まりきっていない純朴な女は、真っ白なキャンバスのようなもの。彼女の思考や価値観を変えることは、赤子の手を捻るほどたやすかった。
彼女のプライドと欲望はみるみるうちに膨れ上がり、たった1年で傲慢なモンスターへと成長した。
『この間同僚に誘われたんですけど、場所が居酒屋だったんで速攻断りました。居酒屋とかありえないですよね〜。同世代の男とは、価値観が合わないわ』
『ヒールが擦り切れてる女性って下品。ピンヒールでコンクリートの上なんて歩くもんじゃないですよね。タクシー乗ればいいのに』
『パスタランチが全然美味しいと思えなくて…友達とのランチは、ダイエット中って嘘ついて最近パスしてます。あ、今度『エクアトゥール』いきた〜い!予約できます?』
『若い時間って有限なのに、手取り16万って割に合わないですよね?だって私の1ヶ月って16万以上の価値ありますもん』
『金融機関に勤めているから、高価なブランド品を持ってると怪しまれて色々詮索されるんです。妬みですかね?小日向さんのサポートがあるから、もう会社辞めようかな』
『お食事会で出会ったお友達がローズサクラのバーキン持ってて、すごく可愛かったの。お誕生日プレゼントに欲しいなぁ♡』
遂に、闇深き39歳男が、純粋だったOLを地獄に突き落とす…
フィナーレ
「優里香ちゃん、24歳のお誕生日おめでとう。バーキンが似合う女性になってね」
しかし、彼女はもう、“ありがとう”さえ言わない女に成長していた。
機は熟した――。
「優里香ちゃんごめん……。実は会社の資金繰りが苦しくなって、もう君のサポートはできなくなったんだ。マンションも既に解約したから、今月末には出ていってもらうことになる」
「え、ちょっと待って…いきなりすぎる。手切れ金として、引越し費用くらいはちょうだいよ」
彼女の顔が、一瞬にして青冷める。この時の哀れで惨めな女の顔は、一生忘れることはないだろう。
「ごめん…本当に苦しくて。一銭も余裕がないんだ。君への最後のプレゼントはバーキンだよ。でも君みたいな“素敵な”女性なら、サポートしてくれる男性はすぐに見つかるよ!」
「小日向さんみたいな男性は、他にいないよ…。小日向さんがいないと私、生きていけない…」
ラ・トゥール新宿の26階から見える煌びやかな東京の夜景を背景にして、涙ながらに僕にすがりつく彼女の姿は非常に趣深かった。
「なにそれ、どういう意味…?ねぇ、小日向さん…待って、行かないで…」
◆
あれから数ヶ月が経ったが、彼女からは毎週のように連絡が入る。
『小日向さん、お元気ですか?久しぶりに会いたいです』
『私どうやって生きていけば良いの?小日向さんに見捨てられたら、私死ぬしかないよ』
Bang & Olufsenのスピーカーでモーツァルトのレクイエムを流し、彼女の変わりゆく表情を思い出しながら飲む酒は、格別な味がした。
彼女はもう二度と、家賃3万円の社宅に戻ることはできないだろう――。
彼女はもう二度と、手取り16万円の仕事だけで生きていくこともできないだろう――。
消費性向は、絶対所得水準だけでなく、過去の最高所得に依存するという説もある。
人間という生き物は、生活習慣を急に変えたり、生活水準を簡単に下げたりすることができないのだ。
僕が与えたブランド品を売ったって、靴や洋服のリセールバリューは恐ろしく低いので、端金にしかならない。
唯一換金性があるのはバーキンだが、せっかく手に入れた富の証をあっさり手放すとは思えない。
美人でもない彼女が、僕が与えたような生活を維持するためには、マトモな仕事だけでは難しいだろう。
とにかく、身も心もすり減らして堕ちていく未来が待っているはずだ。
大金を稼ぐ辛さ…
社会の厳しさ…
東京を生き抜く大変さ…
それらを身を持って知って欲しいと思う。
そして、彼女はもう二度と、同世代の男と純粋な恋を楽しむことはできないだろう――。
同世代の男が必死に仕事をして買ったプレゼントにも、頑張って連れて行ってくれたレストランにも、ワンルームマンションのシングルベッドでの行為にも…、喜ぶことも満足することもできない。
価値観が合わないと言って切り捨てた同世代の男たちの年収は、あと数年もすれば、右肩上がりに増えていくというのに……。
彼らの価値に気づく頃には、マトモな男たちは、マトモな女とゴールインしている。
分不相応なブランド品を身にまとい、分不相応な高級レストランに通い慣れている女を、マトモな男は選ばない。
僕以外の金持ちを漁ったとしても、ここまで傲慢なモンスターに仕上がってしまった彼女を選ぶ男はどこにもいない。
僕が、手に入れることができなかった同世代同士の健全な恋愛を…、幸せな結婚を…、女から奪ってやりたかった。
学生時代から付き合って結婚を考えていたのに、価値観が合わなくなったと言って、年上の金持ちに乗り換えた初恋の女…。
純粋だったのに、東京に染まって変わってしまった同郷の女たち…。
お金がないからと、学生時代の僕に見向きもしなかった同世代の女たち…。
すべての女が憎くて堪らない。
僕はずっと苦しんできたのに、努力して金を手に入れたのに、女はいつだって虫が良すぎる。
https://tokyo-calendar.jp/article/21326?ref=new
2021/06/10 05:05
先日、無印でベッドを買った。
配送業者は、おそらく委託か提携している業者だと思った。業者の名前は忘れたけど。
配送業者は当日の約束されていた時間通りに来られた。中型トラックにはドライバーを含め二人の配送体制で、一人は年配の従業員だった。そこまではよかった。
しかし、到着してから終始かなり急いでいる感じだった。配送自体はスムーズ。ただし、作業はかなり雑。一階の部屋への納入だったけど、在宅勤務日だったので部屋の中から作業を覗いていたら、玄関前のスペースで段ボールから開封し、部屋の中へ運びそこから組み立てるといった流れ。年配の人は、若い方の従業員に指示をされる立場のようだった。いや、それは問題じゃない。問題なのは、かなりタイトなスケジュールを組まれている様子だったこと。正直、組み立てが雑で買ったばかりのものに傷がつかないかかなり不安になった。
最後に商品や作業に不良や問題はなかったかサインを求められる場面で、これまでなら各チェック項目に一つ一つ確認しながらレ点をいれていくが、とてもあの時の急いでいる感じを見せつけられたらあの場面で細かく確認はできなかった。作業中、次の配送宅の時間の連絡みたいなのが、電話入っていたし。
配送業者も引き上げて落ち着いた後、改めて確認してみると届いたものには傷ある(配送で付いたものかは不明)し、家の共用部分には、梱包されてたゴミが落ちているし。
無印だからモノだけでかなくて、なんとなく入り口から出口まで信頼しきってた部分があった。
今回の件も、規模は違えど同じことだと思った。
産んだ子供が21歳
産んだ子なので誕生日は知ってていわないがほぼほぼ恐怖の大王がオチてくるといやがらせされていた年月に生まれました。
ということで「毎年6月を誕生月ということにしてあと2ヶ月で21歳の猫さん」の一つ上ということになります。
この一年でまたおっぱいが大きく動きづらくなったご様子ですし、耳もだいぶんと聴こえづらい(ご飯といってもおりてこない)ように見受けられますが、いたって元気に留年したことをことほぎ、増田に駄文をしたためたいと思います。
20年以上続いた子供一匹大人2人の生活ですが、とくにここ一年続いているリモート勤務のおかげで距離感も随分と変わったように感じます。
頻繁に変わるご嗜好の様子を見つつ、ダイエットスープなどもご用意して順次お出ししているわけですが、相変わらずモリモリとお食事を楽しまれているご様子でひとまずはほっとしています。
さらなるQOLの改善にいささかなりとも貢献するために、日々「発達障害」だの「障害年金」だの「就職活動 障害者枠」だので検索しながら、次は何をどうしようかと悩むのですが、そんななか就職できなかったり就職してもつらい思いをしている増田を読むと、とてもつらく、いたたまれない気持ちになったりします。それと同時に互いそばで平穏に老いて?ゆく若いご夫婦がいて、ともに時を過ごせていることをとてもうれしく感じたりもしています。
増田はこれまで積み上げてきたねこ経験から、こどもがもっとも心を許した振る舞いとは、深夜にご飯を要求してそのあと風呂、爪切りをさせて1人でも狭苦しいシングルベッドに親を招き入れて寝かしつけを要求することくらいかなとおもっています。6歳から高校まではふつうに昼におきて一人で寝ていたんですけどね。腹の上にかかるずっしりしたふとももの重みは増田にとってかけがえの無いものです。問題は昨年末から親のほうがよわよわになってしまったことで、幅20センチ枕なしはもう地獄のような夜でした。耐えたけど。
なお、増田が寝ていると勝手にカップ焼きそばにお湯いれてたべてます。痩せてほしい。肝臓やばい。でもその前に鬱病なおして昼夜逆転もどうにかしてほしい。異性とつきあうのがたのしければデートしてセックスしてきてもいいからさ・・。子供が未婚の母になっても祖母増田がんばるよ。でもコロナのさなかでは病弱親としてはどんどん外にいけとはいえませんでしたね。結果なんのたのしみもないオンライン授業で単位をいくつもおとして留年しました。まあいいです。障害がなくてもそういうお子さんもたくさんいるとおもいます。
世の中には幸福な子供も不幸な子供もたくさんいる中で、増田は生来の病弱からたった一人の子供を生むことしかできず、里子もその一人がいやがるだろうとおもうとひきとれませんでした。我が家は出生率0.5です。世界の平和をかなえるには全くの無力なのですが、それでも運良く増田がさずかった「一人の旦那と1人の子供を終生幸せにする権利」を最後まできっちりと行使していきたいです。そんな所信表明をしたところで今回の報告を終わりたいと思います。
当時の俺は高校生だった。普通の生徒はバスで通う距離だったが、実家が貧しかったので、バス代を節約するために、自転車通学を選んでいた。
加えて言えば、小5以来自転車を買ってもらってなかったので、中学時代も、なんか後部車輪の横にかご付けるタイプの、ハンドルからサドルまでまっすぐ伸びたフレームの途中に前後に動く6段変速のやつがついてるやつに乗ってて、新しい自転車が欲しかったのも理由。
普通のママチャリのちょっといいやつを買ってもらい、朝が弱いので毎日の通学でいつも遅刻ギリギリで、かなりの脚力が鍛えられた。
ママチャリ最速を誇っていた。
が、ある風の強い日。俺に並びかけてくるチャリがあった。明らかにチャリだ。バイクでもない、勿論車でもない。最速を誇る俺はペダルを踏みこむ速度を速めた。
今は時間に追われているわけではなかった、俺の本気はまだまだ出していない、俺が最速だ。
どう見ても女子高生、どうみてもママチャリ。その女子が立ち漕ぎで颯爽と俺との距離を離していった。
その時、風にあおられてマントのようにたなびくスカートの中で輝いていた、真っ白な、なぜかパンティー自体も風をはらんで、カボチャパンツみたいになってたあのふわふわもこもこのやつ。
自宅のシングルベッドならぬ、普通の敷布団で夢とかSさんとか抱いた後、Sさんが寝てしまった。
仕方がないので一緒に寝た。起きて、やばい、早く帰らなきゃと焦るSさん。
が、シャワーを浴びて、まず身に着けるべきパンティーが見当たらない。掛け布団をひっくり返したり、その辺のゴミとかなんだかんだまさぐっても一向に出てこない。
最終的に、やはり布団周辺を重点的に調べようということになり、まさかと思いながら敷布団を持ち上げた時に、ぺちゃんこになったパンティーが申し訳なさそうに顔を出した。
二人で「コーヒー飲む時間なくなっちゃったね」と笑い合った。パンティーの皺を伸ばしながら。
その日はえらくミニだった。S2ちゃんが着ていたのは、ワンピースというかニットで上からスポっとかぶって長袖で、裾丈が短めのスカートみたいになってるやつ。
スカートみたいにはなってるが、スカートとしての機能には少し足りてないやつ(伝われ
ちょうど寒くなってきた時期で、寒いけど生足だね、大丈夫? って聞いた流れで、下は何履いてるの? って聞いた。
レギンスとか、ショートパンツも好きだ。そういうのを期待してた。
「えーっとね、ズボン履いてる(短いキュロットみたいなやつ)」とスカートがめくられると、そこには生パン(ティー)があった。
「それパンツじゃない?」「あ、履き忘れた! てへ」
数か月前だろうか。急におんなのこのひになってパンツが汚れてしまった。休憩でホテルに入っていたが、Rちゃんは洗って乾かすといって洗面台に消えた。
出てきた後もずっとブオーってドライヤーの音が聞こえており、どうしてんの? って聞いたら、こうすれば多分帰る前には乾くと。
後で、洗面台利用する時に見た、パンティーを被るドライヤー。それに踊らされるパンティー。
より正確にいうと、Tバック込みでの尻かもしれない。
そのこのケツはスレンダー貧乳なのに、妙にエロく、ここ数年のエロ尻ランキング1位だった。が、俺はオッパイ聖人。
尻は社交辞令程度にしか撫でない、舐めない、諦める。すぐに裏がえしておっぱいに意識が向かってしまう。
だが、紫だしエロい下着だから見て、と言われたので、さすがに短時間でスルーしてしまうのは気が引けた。
加えて言えば、セットだったブラジャーが、刺繍とかレースとかあるタイプじゃなくってツルっとしているタイプだったので、それはそれでまあ悪くはないのだが。(ぶっちゃけそんなに良いとは思わない)
元々知っていたエロい尻に、一本の紐が付与されることによって、より深みのあるエロい尻になるということを知った。
その勢いでバックに挑戦してみたが、中折れした。あ、パンティーの話でしたね……。
俺は、スカートめくりは基本的にやらず、付き合いでやっていたぐらいだった。何故か仲がよかったというかなんだかんだちょっかいかけてきた、クラスメイトのM子ちゃんが家に遊びに来た時に、家の裏庭で、「スカートめくっていいよ」って言ってきて、その時に見たパンティー。もうどんなパンツだったか覚えてない。白のグンゼ系だったのが朧気に記憶にあるぐらい。赤かオレンジの丸っぽい動物様プリントがあったという記憶が後年定着してきた。生まれて初めてパンティーをパンティーだと認識した日。ただし、そこからパンティーに興味を覚えるまでには数年かかった。
この人とずっと一緒に過ごせたらいいなと思ったのが同棲したい要因の一つだったが、正直に言うと一番大きかったのは通勤時間の長さだった。
私の家から今の職場までは、片道約1時間半かかる。家から駅まで歩いて10分かからないほど、そこから約40分電車に乗り、乗り換えてまた20分電車に揺られ、そこから10分以上歩いてようやく職場に着く。
朝はまだいい。通勤ラッシュに合わせてすんなり電車がやってくるから。だが帰りは都合のいいように電車が来なくて、酷いときだと20分以上の乗り換え待ちが発生する。
加えて、私のいる職場は毎月必ず繁忙期が1週間ほどあって、退社が22時になることもざらにある。(その分、フレックス制度を使って別の日には16時に退社できたりするので、その点に関しての不満は特にない)
毎日必ず定時に帰れるならまだしも、22時に退社すると帰宅は日付の変わるギリギリ前だったりする。そうするともうお風呂に入って寝るくらいしかHPは残されていない。翌日もまた9時に出社するべく6時半には起きなければいけないのだから。
そんな生活をしていれば、実家を出たいと思うのは至極当然だった。
それなら、女が都会で一人暮らしをするよりかは、防犯的にも金銭的にも彼氏と同棲した方がより良いだろう、と考えて私たちは同棲を決めた。
彼氏の存在は、母にしか伝えていなかった。母に、「父に言うと面倒臭いから」と止められていたからだ。
母は「知らない。父に聞けば?」と答えた。
次に勇気を出して父に同棲したい旨を打ち明けた。たしか今年の2月頃だったと思う。「反対だ」と返ってきた。
「会ったこともないやつとなんか認められない」と言うので、「じゃあ連れてくる」と言ったら「絶対会わない」と言った。そんなん詰みじゃん。その時はそこで終わった。
やがてコロナが流行し、1度落ち着きだした5月頃、彼氏が「まだ同棲できないのか」とせっついてきた。
「早く両親に許可を得てくれ」と。会う度に言われるようになってきた。
私も私で相変わらず通勤は辛いし、都会から田舎の我が家へコロナを持ち帰るリスクを考えると、私がこの家を出て都会で暮らした方が良いと考えたので、両親が揃った時に「定期が切れる10月を目処に同棲を考えている」と伝えた。父は何も言わなかった。母は、父が許すならというスタンスだった。
その際父に改めて「会いますか」と尋ねた。
父はまた、「絶対会わない」と言った。
そうか、父は会いたくないのか。まあまだ結婚というわけでもないしな。母もその後何も言わなかったし、じゃあ会わずに話を進めていいのか。そのときの私はそう考えた。
彼氏に一連のことを伝え、やっと同棲ができると喜んで不動産屋に出掛けた。同棲を伝えてから3日後のことだ。
するとかなり条件の良い物件があったので、その日のうちに決めてしまった。(今思うとこれは突っ走りすぎたと反省している)
家に帰って母に伝える。「早すぎる」とめちゃくちゃ怒られ、喧嘩になった。
「お父さんはああやって会わないって言ったけど、連れてきて挨拶してから同棲するのが筋じゃないのか」
いやいや、「会わない」って言われて拒否されてるところに連れてこないでしょ、普通。
こんなクソ田舎まで連れてきて追い返されたらどうすんの?
大体、だったらあの場でとか、その直後にこっそりだとか、とにかく私に言うべきだったんじゃないのか?
親に対する不信感が募る。
そこから紆余曲折して、結局彼氏にはうちに挨拶に来てもらった。
父が確実にいる日を聞き出し、この日に彼氏に来てもらうからね、と予告した。
彼氏が来て、父は言った。「順番が違うんじゃないの?」
曰く、「会わない」と言われようがいつ家に居るか分からなかろうが押し掛けていって挨拶するのが筋なんだと。事前にいつ来るかの予告も、いついるかの確認もするもんじゃないんだと。
ばーーーーーっかじゃねえの????
アポ無し訪問が一番非常識だと私は思う。来ていなかったら彼はどうするんだ?父は適当な部屋着で客に会うのか?
常識で考えたら、先方が「会わない」というなら行けないだろう。察してちゃんかよ。言えよ。バカなのかうちの親は?
これが、うちが友達を招くのを歓迎してるような家であれば、たしかに彼氏を一度家に呼んだりとかするのは自然だと思う。
でもうちは友達さえ家に呼んだことがない。親に呼ぶなと言われていたから。
そんな家で何をどうやって彼がうちに来ることがある?
彼氏はひたすら謝っていた。何も悪くないのに。心から申し訳ない気持ちになった。
その他、父は二人暮らしは大変だとか、貯金しないといけないだとか、俺なら通勤時間が長くても実家の楽さを取るけどなとか、あれやこれや言っていたけどその全てが気に障った。喧しい、お前が言えたことかよ、と。
実を言うと、私は母の連れ子である。私がまだ未就学児の頃に再婚して、今の家にやってきた。この家は父の実家で、祖父母と同居であった。(もっとも祖父は昨年亡くなったが)
この家にやってきた日のことをよく覚えている。
父の車に荷物を積み込み母の実家からやってきたのだが、なんと私たちの居住スペースになると想定されていた2階は、父の一人部屋のままだった。その日起きたままの父のシングルベッドが未だに記憶の中にある。
そんな感じで父は今までの人生、実家から少しも出たことがない。
その証拠に私は今日に至るまで、一人娘なのに一人部屋を貰えないままだった。2部屋しかない2階は、私たちの世帯の居間のような部屋と、寝室という分け方だ。
その寝室の端の方に布団を敷き、その周辺を自分のテリトリーにしただけで、夜になれば同じ部屋に無遠慮に父がやってきて眠る。プライバシーの欠片もない。夜に友達と通話することさえままならなかった。
幼い頃から何度も一人部屋が欲しいと訴えたが、聞く耳を持たなかった。母からは「気に入らないなら母方の祖母の家に行け」と言われただけ。二人ともこの、2世帯が住むにはあまりに狭い家から引っ越そうとも考えなかった。
そう考えると、我が家はそういった常識的な部分がかなり欠けているように思う。どこがどう、とはなかなか言葉にできないが、他の家のように「正常」な家庭とは言えない。そんな家の人が、何を常識だの筋だの語っているのか、意味がわからない。
貯金にしたって、私はこの家の家計事情を知らないながらも、決して貯金なんてしていないことは分かっている。いい歳して、私の大学の入学金さえ捻り出せなかったのだから。
その割に父は欲しいものはぽんぽん買うし、母も母で毎日のようにコンビニで買い物をするし、金を貯めようという気配は全くない。
こんな人たちより遥かに私と彼の二人暮らしのほうが貯金できるんじゃないか。なんて思ったりもする。
父の話を聞きながら、私は心の底から早くこの家を出て行きたいと思った。
自分たちを棚に上げて、意味のわからない「筋」を主張して、そんな人たちに心底嫌気が差した。
新しい家が決まっていて本当によかった、と思った。
今までの生活を思い返して、育ててもらった恩こそあるが、この人たちとはあまり付き合いたくないと思った。
疎遠にしよう。一人娘だけど。薄情だけど。
「喧嘩して帰って来たら笑ってやる」と父は言った。
タイトルの通り詳しい人に解説よろしくしたい。俺の場合どうだったかっていうのを出来るだけ事細かに書くから。
なんかスマホからTwitterアプリで画像あげようと思ったら「メモリが不足しているため直前の動作を完了できません」ってでてきてさ、とりあえず対処法ググってストレージとメモリの空き容量確保したり再起動したりしたんだよ。あ、ちなOSはAndroid。ストレージが64Gでメモリが3Gって書いてあった。どっちも使用率は80%ぐらい。
それでもう一回画像ツイートしようとしたけどやっぱり同じようにメモリ不足ってでて。わけわからんと思ったけど画像ツイートできないのは困るから原因突き止めようと思ったんだ。
Twitterアプリからアイコンとヘッダー変えようとしたけどこれもできない。ブラウザのTwitterから画像ツイートもアイコン変更もできない。別のブラウザからでも同じ。でもPCから画像ツイートはできたからTwitter自体の不調ではないっぽい。やっぱりスマホが悪いのかと思ってもう一回ストレージとメモリ見直して再起動した。でも治らない。
おかしい思って、そもそものところに気づいたんだ。なんで俺は開発者向けオプションにアクセス出来てるんだろうって。だってスマホ詳しくないしほぼ初期設定で使ってるような俺がそんなところ開くわけないじゃないか。それで思い出したんだ。今週の火曜、友人とクリぼっち同士宅飲みしたときに、たしか「動作軽くしてやる」って言われてスマホ渡した気がするんだ。朝起きたら何故か二人してシングルベッドに下着姿で抱き合って寝てたぐらい酔ってたから記憶が正しいかは微妙だけど。でもまあ知らない間に開発者向けオプションが開くことはないらしいから、多分渡したんだと思う。だって設定いじってあったし。
それで、なんとなく悪さしてそうなやつを一つずつ変えて試していったら、結果悪さしてたのは「アクティビティを保持しない」ってやつだったっていう話。なんでこれが悪さしてるのかとかはわからずじまいだけど、とりあえず画像ツイートは出来るようになったからよかった。
前々から直してほしいところが山ほどある父親だったけど最近特に嫌な点が見えるようになってしまった。
一番嫌だったのは多分3ヶ月くらい前のことで、一言で言えばチャンネル争いだった。私は父親が帰宅する前からスカパーのフジテレビTWOで埼玉西武ライオンズ対福岡ソフトバンクホークスの試合を見ていた。父親が途中で帰ってきて、風呂に入り風呂から上がると、突然無言でチャンネルをスカイAでやっていた阪神タイガース対東京ヤクルトスワローズの試合に変えた。わたしになんの断りもいれず無言でチャンネルをかえたので、「え、わたし見てたんだけど……」と言ったら「俺がチャンネルの金払ってるから」と言い放った。
金を払ってる人間が偉い理論はまだ分かる。まだ分かるけど、チャンネルを変えるならせめて「変えていい?」の一言くらい言って欲しかった。言ってくれれば「今日は勝った方にマジックの付く大事な試合だからライオンズ戦を見せて欲しい」って交渉できたし、「NHKで中継やってるかもしれないから、調べるからちょっと待って」って言えた。そういう譲り合いの段階すら飛ばして「俺が金を払ってるから一番偉い、黙って俺に従え」みたいな態度で来られても全く受け入れられない。フジテレビTWOの金払ってるの母親だし。その日は偶々NHKがBSでライオンズ戦の中継をしていたからわたしが別室の小さいテレビでライオンズ戦の中継を見たものの、「NHKは毎日ライオンズ戦を中継してくれる訳ではないから、観たい野球中継が二つあるならどちらかが譲歩するしかない。次からはチャンネル変える前に一言言って」と父親に言ったらめちゃくちゃキレて物に当たった挙句夜の10時にスーツ着て「仕事行く」とか言って家を出て言った。仕事行くって言った割に2時間で帰ってきたけど。まずこれがここ最近で一番嫌だったこと。
正直これがあまりにも嫌すぎて他のことが全部些事に思えるんだけど、別の嫌な点としては、毎日飲み終わった酒の缶、飲み残しの入ったグラス、レモン汁の瓶の3点セットをテーブルの上に残したまま寝て、私か母親が片付けているのに、「お前ら(私と姉)はどうして飲んだグラスを片付けないんだ」って言われることとか。(どの口が言ってんだよってめちゃくちゃ思うしグラスをキッチンに置いただけで片付けとは言わない)
わたしが大学生になっても、部屋が足りていないので父親と隣のベッドで寝ているけど、鼾はうるさいし寝言もうるさいし寝相悪くてわたしのベッドに乗ってくることとか。勘弁して欲しい。シングルベッドの半分だけで寝るのは正直しんどい。ソファのがマシ。
ベッドが隣なのは引っ越しをする他に解決策がないが、全部一から十まで父親にそれやめて、もっとこうして、って言えたらいいけど言ったらすぐにチャンネル争いの時のように癇癪起こすのは目に見えているので、わたしも母も姉も諦めている。こんな父親をどうにも出来ないが、こんな父親でも父親なので、どうにか嫌わずにいたい。どうすればいいんだろう。
歯科医の給料っていくらなんだろうなんて考えながらセミダブルベッドに横になった。
私には彼氏がいる。
半同棲をしており、狭いシングルベッドに横になって毎晩くっつきながら大好き、大好きと言い続けるバカップルだ。
私は彼氏のことを愛しており、大切にしたいと考えている。
結婚もそろそろだろう。
なのに浮気をした。
「付き合いたいな」
そう言われた。
「誰とも付き合う気はない」
そう返した。
「寂しくなったら、いつでも来てほしい」
そう言われた。
これまで付き合ってきた人と別れた原因はすべて私の浮気にある。
といってもバレたものは少なく、浮気をした結果、私の心が離れたことがきっかけだ。
今回は離れなかった。むしろより恋人のことが好きだと実感した。
私もまだ切る気はない。
サイコー。個人的には羊毛綿の敷布団とポリエステル掛け布団、タオルたたんだ枕がお気に入り。
いびきうるさいよ痩せなよ
腰はどうしても痛くなる。座布団は客用にしたいしさー
痛い。フリース毛布一枚でも敷いたほうが冷たくないし痛くない。
ソファベッド?そんな贅沢品は手を挟むから乳児家庭には無理。すぐいらなくなるし。
パパがすぐ来てどかされる
一時期主戦場だったけどおむつからおしっこ漏れて染み込んじゃってからバネの具合が・・あと足寒い
寝るならベッドから今すぐでてけと蹴り落とされて腰打ったマジつらい
日本は財布をとられなくてよかったといって寝てたら子供に心配されるようになった
酔いがひどくて駐車場においてってって家族に頼んで後部だったから鍵もかけられないで寝てたら車上荒らしにあった!?
冬は足が寒いです
いろいろ服の下で緩めてパジャマ解放するテクニックをおぼえたが足は寒いので靴下までなのがつらい・・
あと尻が大きいせいか4列5列は身動きならないので3列しか無理
女さんがいにいえなしってね!
シングルベッドで二人で寝るってこと?
同棲ってしたほうがいいですか?
25歳女と27歳男、付き合って7か月、社会人同士のカップルです。
週2回のデートじゃ物足りない、できるだけ一緒にいたい、どちらかの部屋で半同棲しよう、それか早く部屋借りて同棲しよう。早く!
私としては、他人の部屋のシングルベッドで週3日以上過ごすなんてキツイし、婚約前の同棲はかなり抵抗がある。
でもこれ以上デート増やしたくない。デートすると、帰りが遅くなるからだ。(私は7時始業なので22時には解散したいのだが、10時始業の彼に粘られて結局いつも0時の終電まで一緒にいる。1時に帰宅し2時に寝て6時に起きる)
デートを週2以下におさえたい理由については以前彼に説明したことがあって、そのときは納得してもらえた。ただ、不承不承という感じではあった。
それが最近「やっぱりもっと会いたいから、デート増やせないなら一緒に住みたい」と言ってきた。そりゃそうだ。
ちなみに結婚についての意向を訊いたところ、「将来的にはしたいが今はしたくない。いついつまでに結婚しようね、と約束するのも、義務感で結婚するみたいで愛情を感じないから嫌だ」だそうです。
私は、彼のことはもちろん好きだが、「結婚をしたい女性にとって、同棲はメリットがない」くらい思ってるから、大事な相手であればあるほど同棲は嫌だ。
「お試し」されるのも不快だ。
あと同棲が結婚の予行練習になるとも思ってない。配偶者は家族だが恋人は結局よそ様だし、周りの目も違う。
と、思う一方で、
会いたい頻度や愛情表現にこれだけズレがある相手なのだから、いきなり結婚するのは危険かも?それこそ「お試し」が必要なのか?
という気持ちもある。
皆様だったらどうしますか?
別れてから数ヶ月、1人でもそれなりに楽しく生きていたつもりが、話を聞いてから丸1日はそのことしか考えられなくて、自分の中で彼とのことを消化できていないことに気づいた。それは本件について誰にも本音を吐き出せていないからかもしれない。彼に大切な人ができた今なら、私が何を語っても大丈夫だろうし、今まで何かが怖くて言語化してこなかった自分の気持ちを文字にすれば、これまた何かを供養できるんじゃないかと思い立ったので筆を執ることにした。
4年間という短くない期間を共にしたので、長文になるだろう。でも、文章にしてしまえばとても陳腐な話なのかな。書き終わる頃には少し楽になれてるといい。
一目惚れだった。内定先の会社で開かれた先輩社員との飲み会で隣の席になり、仲良くなれる気配を感じてSNSのアカウントを交換したのが始まり。
当時大学生の私にとって、たった2歳上でも社会人はものすごく大人に見えて。そのバイアスも多分に含まれていたとは思うけど、落ち着いた雰囲気ながらもユーモラスな彼はとにかくかっこよかった。ルックスも好みで、特に目元がゾウさんみたいにぱっちりでマツゲが長いところは、ずっと眺めていたいほど。背も高くて、大きな手が魅力的だった。
その飲み会では、彼に彼女がいるということを聞いて(周りの先輩達がわざわざその場で言ってくれるくらいには、私の好き好きオーラはバレバレだった)、ものすごく残念に思ったけど、私にも彼氏がいたので飲み会後は「入社が楽しみだな」という気持ちで帰った。
でもせっかく連絡先を交換したので、飲み会の後から頻繁に連絡を取り合うようになる。ライン上での会話のテンポや言葉遊びの感覚が非常に合って、話ははずんだ。最初は先輩後輩としての会話だったものが、だんだんプライベートな話までするようになっていき、私の好意はもちろん伝わっていただろうし、向こうもまんざらでないように思えた。
そして2ヶ月後には彼が大阪まで遊びにきてくれるという進展っぷり(私は当時大阪在住、内定先および彼は東京だった)。一緒に大阪の観光名所を遊び回って、電車の乗り間違えなんていう些細なことでも笑いが止まらないほどだった。この旅行での胸の高鳴りは今も忘れていない。
大阪旅行を経て、私は彼の恋人になりたい気持ちが強まった。当時の彼氏に別れ話をして、彼と付き合えるように準備を進めた(私が悪いので当然だが、別れ話はもめにもめた)。そんな中、彼からは決定的な言葉はなくて、まだ彼女とも別れていないようだった。スカイプでのテレビ通話中に不安を伝えると、無言になって部屋の中で何かを投げ始めて、びっくりした。どうやらイラついたらしい。そのような感情表現をとる人を見たことがなかったので本当に驚いた。これが最初の違和感。そのほか、お互いの恋愛観についてもいろいろと話をする中で「とにかく楽しいほうに流れたい。現状を変えるのは面倒」といった旨の意見を聞いて、このあたりにも少し不安を覚えたけど、恋は盲目だからそっと記憶の端に追いやった。
数ヶ月後、晴れて彼も彼女と別れ、私が正式に恋人となることができた。幸せだった。遠距離は寂しかったけれど、名古屋で会ったり彼の家に泊まりにいったりして、私が入社のために東京に引っ越すまでに5回ほど一緒に過ごしたのではないだろうか。私は時間を、彼はお金をお互いのために割いた。卒論は彼の家で書いた。
大学を卒業して、ようやく社会人になった私は極力彼の近くにいるようになった。彼の住む駅と同じ場所にアパートを借り、ほぼ私の家で一緒に過ごしていた。6畳のせまい家だけど、大好きな彼とやっと一緒にいられる楽しさで全然苦ではなく、べたべたとくっつく毎日。
けれど、頭の隅に追いやったはずの不安が少しずつ顔を出す。発端は彼が家事をあまりやらないこと。ありがちかよという感じだが、気になったのはそこではなくその後の対応である。家事の負担に対して私が不満気にしていた日、彼は「(私)が不機嫌みたいだから」と出て行こうとした。話をするのではなく去ろうとした。違和感その2である。私もただ不機嫌なのはよくないなと思い、家事の分担について話すと「俺のほうが疲れてる」「昔は文句言わなかったのに」と的外れかつ見下した返事をする。結局その後チャットでもう一度話して分担を決められたけど、この時のそこはかとない不安な感覚は鮮明に覚えてる。
それから、忘れられないのがその年の私の誕生日。彼はほぼ常に誰かしらの女の子と連絡を取り合っている人であったが、その時期特にはまっている相手がいて、私の誕生日にも目の前でスマホばかり見ていてかなり辛かった。出かけていたけど、悲しくなってすぐに帰ってきた。彼にとっては私の嫉妬がうざったかったようだが、それならそれでもう少し上手くやってほしいと願う。彼へのいくつかの不信感はこの後どんどん増大していく。
なんだかいきなり悪いことばかり書いてしまったけど、基本的にはすごく楽しい日々だったし、彼のことも尊敬している。私が配属先のことで悩んでいた時、彼の的確なアドバイスで希望通りに進んだことは感謝のしようがない。常に向上心を抱いていて、努力を努力と思わずストイックに進み続ける人。でも私にはどろどろに甘くて、一緒に歩く時は手をつないだり腕を組んだり、駅の階段を上る時は体力のない私を押してくれたり、そんな何げないシーンに幸せを感じていた、確かに愛されていた。1人では何もできなくなるんじゃないかと思うくらい甘やかしてくれた。シングルベッドと壁の間にぬいぐるみが挟まって爆笑したり、旅行して写真を撮ったり…このあたりの時期に撮ってもらった2ショットはその後3年間ずっと部屋に飾るほどの宝物だ。ここまで書いてやっと1年。ちょっと飛ばそう。
やはり6畳では手狭に感じてきたので、私が社会人2年目になる頃には広い部屋を借りて同棲を始めることに。さすがに同棲をするのに親に内緒というわけにはいかず、私の親に電話であいさつをしてもらった。2~3年後には結婚を考えていると電話口で言っていて、常套句ながら口元が緩んでしまったのを覚えている。
新しい1DKの部屋で、私は世界一幸せだった。夜、眠くなったら優しく寝かしつけをしてくれて、朝は私から行ってきますのキスをして、毎日ハグして、一緒にゲームして、くっついて寝て。手をつないでふらっとコンビニに行った。テレビを見てやいやい意見を言い合ったり、ばかみたいに妖怪ウォッチのダンスを踊ったりして笑顔が絶えない日々だった。ご飯を食べる時は、小食な私の食べ残しを彼が食べてくれることに強烈な愛情を感じていた。うれしくて、別にそこまでお腹いっぱいじゃなくても彼にパスしちゃってたな。私のドジで笑ってくれるのが愛しかったから、いっぱいドジした。大柄な彼の上にのしかかるのが好きだった。お互いの寝言について笑った。関西弁を使ってくれるのが嬉しかった。2人にしかわからない符号がたくさん生まれた。彼の好きなものを真似して、私にも好きなものが増えて、世界が広がった。彼の脱いだTシャツですらいとおしかった。彼に愛され続けるように、見た目も中身も、かわいくいようと努力した。
そんな幸せな日常の一方で、なるべく直視しないようにしていたものの、不安なことはいくつかあった。まず、お出かけを一緒に楽しめなくなっていたこと。倦怠期と言われればそれまでだけど、付き合いはじめの頃はどこに行くか、何を食べるか一緒に決めて楽しんでいたのが、だんだん彼が私についてくるだけになった。ついてくるというのは、本当に後ろをついてくるだけ。何食べる?と聞いても「どうする?」と言うだけ。目的地でも興味を示さずぼーっとスマホをいじっていて、それならむしろ1人で出かけたほうが気楽だからとそう言っても、ついてこようとはしてくれる。店員さんを呼ぶのも、席を探すのも、地図を見るのも私。前に出るのは苦手だったからかなり苦痛だった。友達とたくさん遊んでいる彼は、絶対友達の前ではそんな感じじゃないはずなのにね。甘えられてたのかもしれないけど、一緒に楽しもうとしてくれない人と出かけてもしんどいだけになってきたから、だんだんデートに誘わなくなった。最後の年の瀬、カレンダーを買いに行くと言ったらついてきてくれたけど、やっぱりずっとスマホをいじってるだけだったね。連れまわして機嫌が悪くなっても困るから、早く済まそうとして最初に入ったお店で全然趣味じゃないカレンダーを買ったときの虚無感は忘れられない。
不安なことの2つめは、彼が不機嫌になった時のこと。機嫌を損ねると無言になって話ができず、物にあたり、こちらを無視してどこかへ行ってしまうという癖があった。これは付き合う前に感じていた違和感その1と2で、どんどん膨れ上がっていた。もちろん私も黙って我慢していただけではなくて、話し合いをしたいときは、どういう話の持って行き方をすればいいのかを調べて試行錯誤したし、直接、無視するのはやめてほしいと伝えたこともあった。でも性格は簡単に直らないし、私の心もなかなか強くはならない。本当にもう無理と感じたのは、彼がケガの療養中に、少し出かけてみるというから一緒に行ったら、ケガが痛いようでみるみるうちに不機嫌になっていった日のこと。「帰ろう」と言っても「うるさい」と一蹴され、どうすることもできず黙って着いて行った。みじめだった。極めつけは、後になって「ごめんね。でもケガしたらわかるよ」と言われたこと。例えば私が生理痛であなたに当たり散らしたことが一度でもあっただろうか? ケガのせいではない、この人の性根がそうなだけだ。この人と、将来、何か問題が起きたときにうまく支えあっていけるのだろうか? 不機嫌をまきちらすこの人と。私はいつの間にか、彼の顔色を伺いながら無理におどけるようになっていて、どうにも元気が出ない日も、ドアの前で深呼吸をして笑顔を作ってから帰宅していた。できるだけ彼の機嫌が悪くならないように。そうすれば楽しい毎日が送れていたから。何度も傷ついて、もうあの空気になるのが耐えられなかった臆病者。
不安なこと3つめは、女性関係。前述の通り、彼は常に誰かしらの女の子と連絡をとっていて、時々会ってもいた。私が嫉妬するからと隠そうとしてくれるのはいいが、全然隠せていないから、結果として最悪な形で私に「女の子と会う」と伝えていることになっていた。男女入り混じったグループで遊ぶことはもちろんあるだろうが、2人でデートしたり、合コンに行ったり、ドライブしたり…これで嫉妬するほうが悪いというなら、恋人を作らないほうがいいのではないかと思う。愛されているという自覚はあったけど、彼が何を考えていたのかわからない。仕事のためだと言うこともあったけど、本当だとしたらどれだけ効率の悪いリクルーティングだろう。でも嫉妬しすぎて彼が不機嫌になったら大変だから、1人の時に泣いて消化していた。この家で不機嫌になっていいのは彼だけだから。それでもどうしても我慢できないことがあった。それは旅行。私とは満足にお出かけもせず、何にも誘わないのに、ほかの女の子とは自分で車を借りてホテルを予約して旅行するんだ。その扱いの差に耐えられなかった。出発の日には目の前で泣いてしまった。帰ってくるまで毎日涙が止まらなかったし体調も崩した。彼が帰宅後、我慢できずに口からこぼれてしまった日、彼は心底めんどくさそうにして、私と別れると決めたようだった。女の子と会うことよりも悲しかったのは「私が嫌だと感じていることを意に介さない」こと。例えば、本当に仕事なのであればそう説明するか、友達なら紹介してもらうとか、何かしら2人の間で納得できる解決策を見つけようとすることがなかったのが辛い。また思い出して泣けてきた。痛い。私の価値観が低次元とかそういうことではなく、歩み寄ろうとしてくれないことが何より悲しかったんだ。
でも彼のことは、心に顔が浮かぶだけで泣きたくなるくらい大好きだった。3年目にはもう頭の中はぐちゃぐちゃで、彼と結婚してずっと一緒にいたいという強い思いと、上記の不安がないまぜになって、自分でもどうしたいのかわからなくなる。彼は結婚というものに興味がなさそうだったので、私から、結婚するのであれば子供を不安なく産めるうちに、と逆算した結果を提示し、これくらいの時期に籍を入れたい、という話をしていた。彼も了承していた。でもその時期になっても彼は何も言わない。私たちより後に付き合い始めた友達カップルが結婚した。彼は何も言わない。彼は結婚してまで私と一緒にはいたくなかったのだろうか。うちの実家には来てくれたけど、その気がなくなったのかな。わからない。
結婚したい、してくれない、でもこの人と将来ずっと生きていけるのか、そんなことばかり毎日ぐるぐると考えているときに旅行騒動があったから、私の心はポッキリ折れてしまった。このままじゃ彼のことも自分のことも嫌いになって、笑顔でいられなくなりそう。自分の心を守りたかった。でもまだ寝顔ですら愛しいと思う気持ちは変わってなくて、「別れたい」という言葉は絞り出すように口にした。
そこからは早かった。「別れたい」「わかった」というやりとりをした1か月後には引っ越して、あっさりと同棲は終了。最後に会った彼は、あの飲み会で初めて会った時と同じ顔をしていた。
今私は初めてのちゃんとした一人暮らしをしている。彼氏はいない。4年間というのはとても大きくて、生活のそこかしこに彼のおもかげを感じてしまう。彼が好きなテレビ番組、食べ物、スポーツ、手をつないで乗った電車の中、駅のエスカレーター。彼に似た人が歩いているとつい目で追ってしまう。
彼には新しい彼女ができたらしい。
高校卒業後からずっと彼氏を切らさないようにしていたが、独り身になった途端これだ。きっと逆らえずに結婚するのだろう。私の人生は親の言うとおりだから。思えば、就職先だけは自分で決めた。そこで出会った彼に恋をして、4年間幸せに生きた。途中は恨み言ばかり書いたようになってしまったけど、上京・就職という精神的に不安定になりがちな時期を支えてくれて心の底から感謝しているし、夢のように幸せな時間だった。彼の腕の中で安心して眠った日のことを思い出して、この先強く生きていけるはず。今はまだ泣いてるけど。大丈夫。1人で階段も登れるようになる。
これを書いて、匿名ではあれ公開して、誰になんて言ってほしいのかわからない。別れてよかった、別れないほうがよかった? もし彼が見たらどうしよう、見てほしい?
始まりが不義理な感じだったから、上手くいっていないなんて誰にも言えなくて。自分から別れを切り出したのに、何で悲しんでいるんだと思われそうで。「何で別れたの?」って聞かれても一言では答えられなくて。でもここで吐き出せたら少しだけ気持ちが楽になる気がする。まだまだ書き足りない思い出も気持ちもあるけど、心の中でぐるぐる回っていたものをやっと少し言葉にできてすがすがしい。
面倒くさがりな彼がこの先、とんでもなく面倒な「結婚」ということをしてまで一緒にいたいと思う人を見つけたら、ちょっと悔しい。
でも、いつ死に別れても後悔しないように、私にできる精一杯で、全力で愛したと胸を張って言えるから、その結果がこれなら仕方がないかな。