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2019-08-27

関係ない女性を泣かせてしまった

20代後半の女が恋愛問題について長々書きます

から価値観がある程度合う話をしていて楽しい男性に限り、好意を持たれて告白された場合、ひとまずセックスをして身体の相性が良ければ付き合い、そうでなければお断りする事を繰り返してきた。

一般的価値観では付き合う前に性交渉するのは良くないらしい。でも私にとっては性格も体の相性も大切な要素で、付き合ってからセックスの相性に不満が生じて別れる事の方が不誠実に思えるので、独自ルール採用している。

交際する相手は一人だが、交際期間にも声を掛けられたら同じ様に求めに応じ、よりときめきを感じた方と交際をする、というのをずっと続けて来た。交際期間は平均3年。私には結婚願望もないし、妊娠は嫌なのでピルを飲んでいる。感染症も嫌なのでゴムも使う。

彼氏がいるのに他の男性セックスするのはあまり受け入れられる事ではないと思うけれど、今まで付き合ってきた男性自身が、私が彼氏がいるとき関係を持っている。私が人と付き合い始める過程を知っているので、当事者間で折り合いがついていれば問題がないと思っていた。

私の恋愛遍歴を知っているのに、なぜか歴代彼氏ポリアモリータイプではなく、結婚提案する人ばかりだった。そういった関係の非対称さに、悪い事をしてるんだろうなぁ、と居心地の悪さも感じている。

広く受け入れられている恋愛関係価値観について、自分なりに以下のように捉えている。

交際期間には異性と性交渉をしない。つまり二人の関係排他性を持たせることで、お互いの存在特別ものとして扱うこと。

・より良い条件や素質を持っているからといって、恋人を変えるのは良くない。恋や愛の尊さは代替不可能性にある。人を能力や条件で切り捨てる事は、自分も切り捨てられる事につながる。

相手価値利害関係で決まるものではない。自分にとって相手有益かどうかではなく、一緒に体験した時間行為によって愛着愛情生まれる。そして自分から相手に与えたい、という気持ちを互いに持つことがより深い信頼関係を作っていく。

この前提を頭では分かっているんだけれど、どうしても上手く実践できない。

最低ラインとして、第三者を巻き込まないように、彼女持ちの男性や既婚者はずっと避けてきた。

私は研究職なので、施設を使うために地方東京を往復する生活をしている。人の出入りが激しいのでそこで新しく出会人達も居るし、たまには口説かれたりもする。

今年はたまたま良いなぁ、と思う男性がいたので関係を持った。その後しばらくして男性には東京彼女がいる事を知った。

話を聞くと彼は昔から複数人と同時進行で関係を持つタイプの人らしく、彼女遠距離恋愛をしながら、私に二股をしていたわけだ。東京に戻ったら同棲を始めるという。

わたし浮気相手なので身を引こうとしていた矢先、どこで知ったか彼女からSNS経由で私宛に連絡が来た。

ひどく裏切られた気持ちしたこと

私の起こした行為に苦しみ悲しんでいること。彼と縁を切って欲しいことが綴られていた。

一度も会ったことのない女性を泣かせてしまった。

彼女がいる事を黙って、私に手を出してきた男性ほぼほぼ悪いと思うけれど、私にもっと一般的恋愛価値観” があれば、もっと警戒心を持って、軽はずみに異性と関係を持たなかっただろうし、こんな事態を引きおこなさなくて済んだかもしれない、と考え反省している。

自分なりに理解した社会ルールを頑張ってトレースしようとしているんだけど、どうやら上手く出来ていないので、人を傷つけてしまうらしい。

しろ中途半端擬態しようとしている事が相手を苦しめるのかもしれない。

今まで付き合って来た男性にも、他の異性とセックスをした経緯を話した時に、人の形を真似しているだけの、人もどき、という名前を付けられた事がある。

このままの私だと、ぼんやり地獄に落ちるんだろうな、と思う。

どうか人に迷惑をかけない恋愛作法があれば教えて下さい。

というか、付き合う前に人とセックスしてはいけない事について理解出来ていないので、何故そうなのかを教えて下さい。

2019-08-26

初めて風俗に行きました

 風俗店を利用する同級生あるいは同僚を、心の中で「俗物」と罵っていた。先輩社員の奢りでピンクサロンへと吸い込まれていく同期を、心の底から軽蔑していた。私は今日その男根への承認という勲章を求めて風俗店を利用する許されざる「俗物」となった。最もなりたくなかった存在へと身を落としてしまった。それだけではない。下らない自尊心と間違った配慮、そして醜い自意識によって、正常に風俗店を利用する彼らよりも程度の低い存在へと成り下がったのだ。そして、自分の汚れた心の言い訳にこのような俗物的な文章を書き残すことが、さら私自身を俗物へと貶めるのだ。

 私は鬱病だった。毎日のように精神的発作を起こし、衝動的な自傷行為――主に私が許し難いと感じている非道徳的な行為私自身が行うこと――に明け暮れ、一人孤独に単調な日々を過ごしていた。それでも、他者を私の精神的安定の材料として利用しない、という規範自分に課していた。それが今日、あろうことか破られたのだ。気づいたときには風俗街にいた。私は自身脳内で散々に罵倒していたあの「大学生」あるいは「社会人」達と同じ線の上に立っていた。ここ数ヶ月の見窄らしい自らの行いを、許されざる粗相の数々を精算するため、最も忌み嫌う場所へとこの脚が無意識に私の身体を運んだのだ。私は鞄から精神安定剤を取り出し、僅かに残っていた飲料水でそれを胃の中へと流し込んだ。

 何度も嘔吐しそうになりながら、それまで未来永劫に自分とは関係のない場所だと思っていた欲望の通りを歩いていく。私はこれから、今まで見下してきたあの俗物達と同じ存在となる。価値のない私にはそれくらいの地位が相応しい。しかし、ああ、なんということだろう! 真面目に労働として性交提供している女性が、そんな卑俗な目的のためにこれから私と交わるという悍ましき状況が発生しているのだ。なんと失礼なことだろう。なんと不誠実なことだろう。彼女らはその吐き気を催すような目的に協力するため労働時間とその身体提供することに同意するだろうか? ――するはずがない! もしそうでないのであれば、同意しないことを強く勧める! 性産業従事するということ自体が――その産業構造が現実的女性への搾取を含まざるを得ないという事情こそあれど――世間一般で言われているような尊厳を切り売りする行為だとは思わない。しかし、私のこの悪意に満ちた目的を拒絶せず性交に応じることは人間尊厳を切り売りする行為だと言っていいだろう。根源的な悪人である私は、黙ってその目的を達成しようとしているのだ。他者を利用してまで!

 最も店舗の密集する地帯に入ってから入店まではそう時間を要さなかった。雨が降っていたこともあってか、休日の夜にしては人通りがかなり少なかった。私は「これ以上ここを歩くのは耐えられない」と感じた地点で歩みを止め、二、三歩戻って完全に初めての領域へと足を踏み入れた。目に映った中で一番美しいと感じた風俗嬢を選び、直後にはその行為が行われる部屋へと導かれていた。他者の外見を値踏みするようなことをしてしまった自分がいやになった。自分は最低の人間であるという自覚が床板を踏みしめる毎に強くなっていった。

 部屋に入ると彼女は料金表を提示した。風俗を利用したことのない私には躊躇いの気持ちが生まれるような数字が並んでいた。しかし、高ストレス仕事には高額な給与が支払われるべきであるから、私はちょっとした電化製品を買うくらいの紙幣を財布から取り出して嬢に渡した。報酬をどこかへと持って行った後に戻ってきた彼女は「じゃあ、脱ごうか」と言った。私は大袈裟に恥じらうような態度を見せ、服をすべて脱ぎ、私の小柄で貧相な身体露出させた。嬢の身体は今までに見たこともないほど整った曲線を描いていた。乳房乳首も、腰のくびれも、肌の質感も、すべてがお手本のように綺麗だった。陰毛が除去されているのも相まって、その造形は芸術的ですらあった(後から考えると、このことも私の陰茎の勃起を妨げる一因だったのかもしれない)。

 彼女は私に寝転ぶよう促し、乳首を舐めた。あまり気持ち良いと感じなかったが、私は童貞のごとく過剰に喘ぎ声を捻り出した。ある程度ペニスの固さが保たれてきた頃に避妊具を装着し、口淫を施した。口淫にも少し物足りなさを感じたが、私は情けない声で喘ぎ続け、呼吸を速くした。嬢は私の童貞的な反応を楽しんでいるように見えた。不誠実な利用客である私ができるせめてもの償いは、彼女仕事に伴い感じるであろうストレスを少しでも減らすことだった。私が彼女リードしてもらう形で性交が行われた。仰向けになった私の九割ほどの固さになった陰茎の上に、彼女女性器が乗った。騎乗である性交が始まってしまったのだ。私はだんだんと罪悪感に侵食されていった。実際、何度も中折れし、心配する嬢に謝罪を繰り返した。「なんだか、とても悪いことをしているような気がしてくるのです」と私は言った。嬢は相変わらず整った顔で、ふふっと笑った。嬢に導かれるがままに体位を変え、騎乗位、正常位、後背位、そしてまた正常位で必死に腰を動かした。彼女の顔は何年も前に別れた元恋人に少し似ていた。正確には、元恋人の加工に加工を重ねたセルフィに似ていた。嬢はそれほど美しかった。しかし、中折れは何度も繰り返された。そうこうしているうちに制限時間は迫り、残り時間が少ないことを告げるベルが鳴った。嬢は残り少ない時間でもう一度挿入をして射精させようとしてくれたが、陰茎の固さを保つために実施された手淫の間に射精してしまった。私は「すみません」と謝った。嬢は数十分間ずっと私の童貞的な反応を楽しみ、時間内に射精できるよう最大限協力してくれた。とても申し訳ない気持ちになった。

 性交を終え、受付の中年女性との短い談笑を済ませ、来た道とは別の経路で自宅へと急ぎ気味に歩みを進めた。身体を人通りの多い道へと近づけながら、私は自分の心にあいた穴がまったく埋まっていないことに気がついた。自罰行為と、それに伴う射精は私の心の問題解決する方法ではなかったのだ。家に着いた頃には、嬢の顔も思い出せなくなるほど記憶曖昧になっていた。ここまで書いた文章以上のこと、すなわち映像的な記憶は綺麗に脳内から消し去られていた。ただ、彼女容姿が美しかたこと、私が情けない姿を他者に見せてしまたことだけが今日の出来事の象徴としてぼんやりと頭に浮かぶだけだった。私は本当に風俗店を利用したのだろうか? それすら疑問に思うほど、私の体験密度は急速に小さくなっていった。確かなのは、財布の中身が随分と減っているということと、私が以前より私自身を嫌っているということだけだ。

2019-08-25

パンティー春

ある春の日暮です。

唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやりパンティーを被つてゐる、一人の若者がありました。

若者は名はパンティー春といつて、元は金持の息子でしたが、今はパンティーを被り尽くして、体育館に並べられるほど、憐れな身分になってゐるのです。

しろその頃洛陽といへば、天下に並ぶもののない、パンティーを極めた都ですから、往来にはまだしつきりなく、パンティーを被つた人やパンティー車が通つてゐました。門一ぱいに当つてゐる、油のやうな夕日の光の中に、老人の被つた紗のパンティーや、土耳古の女の金のスキャンティーや、白馬に飾つた色糸Tバックが、絶えず流れて行く容子は、まるで画のやうな美しさです。

しかパンティー春は相変らず、門の壁に身を凭たせて、ぼんやりパンティーを被つてゐました。空には、もう細い月が、うらうらと靡いた霞の中に、まるでパンティーのクロッチかと思ふ程、かすかに白く浮んでゐるのです。

「日は暮れるし、腹は減るし、その上もうどこへ行つても、泊めてくれる所はなささうだし――こんな思ひをして生きてゐる位なら、一そパンティーを被るのをやめて食べてしまつた方がましかも知れない。」

パンティー春はひとりさつきから、こんな取りとめもないことを思ひめぐらしてゐたのです。

するとどこからやつて来たか、突然彼の前へ足を止めた、真紅ブラジリアンを被つた老人があります。それが夕日の光を浴びて、大きな影を門へ落すと、ぢつとパンティー春の顔を見ながら、

「お前は何を被つてゐるのだ。」と、横柄に言葉をかけました。

「私ですか。パンティーです。」

老人の尋ね方が急でしたから、パンティー春はさすがに眼を伏せて、思はず正直な答をしました。

「さうか。それは楽しさうだな。」

老人はしばらく何事か考へながら真紅ブラジリアンを頭に食い込ませてゐるやうでしたが、やがて、往来にさしてゐる夕日の光を指さしながら、

「ではおれが好いことを一つ教へてやらう。今この夕日の中に立つて、お前の影が地に映つたら、その頭に当る所を夜中に掘つて見るが好い。きつと車に一ぱいのパンティーが埋まつてゐる筈だから。」

「ほんたうですか。」

パンティー春は驚いて、伏せてゐた眼を挙げました。所が更に不思議なことには、あの老人はどこへ行つたか、もうあたりにはそれらしい、影も形も見当りません。その代り空の月の色は前よりもなお白くなつて、休みない往来の人通りの上には、もう気の早いパンティーが二三着ひらひら舞つてゐました。

2019-08-24

異端扱いを受ける自分が思うジェンダーについて

最初に、私はミソジニーミサンドリーもどちらも好ましいとは思いません。思想の自由があるからきじゃないとだけ。あとはだらだら長くて単調な文章です。

今までの人生を振り返ってみると初対面では「得体の知れないもの」扱いを受ける事がとても多かったと思う。コミュニケーションを深めていけばそういった事もなくなるけど、そこに至るまでは年齢性別わずまるで宇宙人のような扱いを紋切り型にされるので面白い

私は175cm・52kgと女性にしては珍しい容姿をしていてそれのせいで先述のような扱いを受ける事が多いのかなと自分では思っている。身長遺伝勝手に伸びただけ・体重毎日3食しっかり摂取していてダイエットはした事がない。まぁ気付いてないだけで頭とんちんかんでそういう扱いを受けているだけなのかも知れないけど…。

人が他者コミュニケーションを取る時に相手容姿から推測する人となりで対応無意識で変えると思う。イケイオラオラEXILE系男性ナチュラル志向女性マッシュボブの黒縁眼鏡男性、胸にチーターを飼っている女性など本来その人と話してみないとどんな人が分からないはずなのに今までの経験からこういう容姿はこんな人が多いなみたいな経験則。

身長が異常に高い女性」の経験知識がみんな一様に少ないようで身構えられてしまう事が多い。初めて異人種を見たみたいな目を向けられる事も少なくない。

LGBTジェンダーレス言葉が知られるようになってからは何故か最初にそう思われる事が増えた。知ってる何かに置き換えて考えたいのかなぁとぼんやり考えたりしてるけど。

得体の知れないもの扱いされる事に正直なところ、迷惑どころかメリットしかいから有難いなと思ってる。なぜか良くも悪くも女性としての扱いを受けない。得体の知れない「人間」扱いをされるから

自分が見えてる世界なんてとても狭いし、それが全てではなくあくま個人の雑感でしかないと前置きした上で自分が受けて面白いなと感じる「女性」扱いされない事を挙げると

・私より背の低い男性は何故か異常に萎縮した態度を取る

自分より高い人はそんなに出会った事がないか比較は出来ないんだけど、他の女性に対して強く当たったりセクシャリティに関する事を揶揄する男性でも何故か私にだけはそうならない。ならないだけじゃなくて何故かちょっと気が引けてる様子がある。知らないだけで身長カーストってあるの…?ないよね…?

女性らしさを強要されない

日系上場企業総合職を2社、外資系1社しか経験がないけど(全部正社員)スカートヒールメイク強要を受けた事がない。服と靴に関しては物理的に手に入りづらいからってのもあるかもしれないけどメイク特に何も言われない。最低限の身だしなみに留めてる理由ちゃんとすると身長も相まって強そうに見えるから

人知人の話とかネット上で見るような扱いを受けた事がないか相手見てやってんのかなー嫌だなーと思う。ちなみに女性同士でのいざこざにも何故か巻き込まれない。どこまでいっても異物。

そんな自分が色々とネットでの話を見ていて強く思うのが「男性から女性からって分けて考えるのはそろそろやめませんか」という話。型にはめられない女性人間扱い出来るなら全男性全女性も人間扱いしましょうよと。

電球の交換も料理もやり方を学んだ人だけが出来るのであって性別は何も関連しないし男だから女だからってのはちょっと違うかなと思います

ツイッターとかでよく目にする話しで

例えば男女50人ずつ計100人居たとして性別A50人から性別B5人に対して批判があった際に、B45人が同じ性別というだけで自分の事を言われた気になって「違う!」とA50人と喧嘩してるのもおかしい。共闘してAB95人でB5人に立ち向かうのがみんな幸せなんじゃないのかな。今のままじゃ悪いB5人だけが得して悪くないAB95人が損してるじゃん…。

自分自身も他人性別だけで人格が決まる訳じゃないかもっと自由になれたら自由に考えられたらみんな幸せになれるんじゃないのかなと思います

[]カレーを食べたかった

いつもとは違う道で帰ろうとしたら

ごみごみとした路地

めちゃくちゃたくさん店が入ってる雑居ビルがあって

そのいちばん上に吉野家看板が見えた。

こんなところにあったんだと思って入ってみた。

壊れそうなエレベーターに乗って最上階に着いてみると

吉野家よりも店名も聞いたことがないカレー屋が気になった。

そこは半セルフサービスみたいなところで

ボーッと突っ立っていたら常連みたいな人が教えてくれたのだが

金属製の平皿に自分ライスといくつかのトッピング(揚げニンニクがあった気がする)と黒ごまペーストを乗せて

それを店主に渡すとルーを入れて返してくれるというシステムらしい。

ところが店主に渡してもなかなかカレーが返ってこないので待つことになる。

他の客もそれぞれに待っているので渋滞しているようだ。

店の壁をぼんやりと見ていると「隣のハンバーグ屋でハンバーグトッピングできる」とか書いてあって

いちど店を出てもいいのか、どういう仕組みなんだろう、などと考えているうちに

そういえばカレーを店主に預けた状況では誰が誰のカレーか分からなくなっているのではないかと思い至り

店主はちゃんと覚えているのか不安だなあと思ったところで目が覚めた。

処女卒業体験レポ

先週22歳になったばかり、大学生

この年齢まで処女だったが、昨日初体験をした。それまでの経緯や当日のことなど書こうかと思う。

高校生の頃、1度Twitterで知り合った同い年の方と付き合っていたが、遠距離ということもありすぐに別れてしまった。その後上京して女子大に進学という環境もあり、現在まで彼氏はいない。

もともとひとりが好きな性格だ。

ひとりカラオケ、ひとりディズニー、ひとりごはん、ひとりショッピング…など基本的にどこでもひとりで行ける性格

そして私はノンケ寄りのバイセクシャルでもある。

女性を好きになることもあるが、基本的男性のほうが魅力的に見えることが多かった。

このようなこともあり、彼氏が欲しいとはあまり思わないし、これからもきっとそうだろうと思う。

と、なると私は一生処女ということになる。人並みに性欲はあるし、1度くらい体験してみたかった。

別に「初めては好きな人としたい」とかロマンティックなことを思う性格でもないため、相手はある程度良識ある人であれば誰でもよかった。

何気なく処女 卒業したい」と検索すると、「処女卒業サポート」というものが出てきた。

処女を拗らせてしまったり、同性愛者が男性とすることへの興味関心、出会いがない人などへ処女卒業させてあげるサービスだった。

この類のサービス検索すればいくつか出てくるが、当たり前だが、今回は名前は出さないでおく。

19日、思い切ってそのサイトの連絡フォームからサービスの依頼をした。

時間はかからずに返信がきて、いくつか質問に答えてから、具体的な日にちや場所を決めた。

連絡を交わしている間から既に緊張して、当日まで収まることはなかった。

当日、5分前に集合場所に到着。

到着したら連絡をしてほしいと事前に言われていたため、連絡をする。

この2時間前に服装髪型を伝えていたため、相手から声をかけてきてくれた。

サイトには身長や体型、顔などは載せていなかったため、その時初めて、今日抱かれる相手を知ることとなった。

年齢は10歳上ということは事前に分かっていたが、勝手に「身長170くらいの痩せ型の普通の人だろう」と平均的な男性を思い浮かべていた。

だが実際の相手は160ある私と同じか、少し低いくらいの小太りの男性だった。顔は整っていたが、体型で全てを損しているような気がした。

そしてダラダラと汗をかいていて、なんだか生理的に受け付けない気もしたが、「ホテルの前で本当に大丈夫かどうか確認する」と事前に読んでいたサイト説明に書いてあったこともあり、少し話しながらホテルまでの道を歩くことにした。

話をすると普通男性だった。特に書くことがないくらい本当に普通だった。

そしてホテルに着いたわけだが、先程書いたホテル前での最終確認はなかった。

ということで、会った瞬間からもう拒否権はなかったようなものだった。

自分から処女喪失希望してやってきたのだから、半分くらいは自業自得だろうか。

まあ、私は相手が余程生理的に受け付けないか、騙して犯そうとするような人出ない限り、お願いする予定だったのでOKとした。なんせ卒業たかったのだから

相手は慣れた手つきで部屋を選び、会計を済ませてくれた。

ちなみに今回のサービスにかかるホテル代やコンドームなどは相手負担である。私から金をとるとなると犯罪になるからだそうだ。(当たり前だが)

そしていよいよ入室し、最初の30分くらいはホテルに向かうまで話してた内容の続きを話した。

そのあと、少しの沈黙が出来たのをきっかけに「じゃあはじめよっか」と本題へと移った。

体だけ洗って、バスローブ着てと支持を受け、その通りにする。

そしてベッドに行くとすぐにバスローブは脱がされ、唇や胸へキス、足を開いて指で下のチェックをされた。私にはよく分からないが、「大丈夫そうだね」と言うことで、相手シャワーを浴びに行った。

そしていよいよ相手と本格的に事を始める。

胸、鎖骨、首、耳を舐められた後、下の方を舐められる。正直全く気持ちよさはなかった。ただ、「あぁ、舐められてるなぁ」という感覚があるだけ。

しばらく前戯をされたあと、相手にも乳首舐めるよう要求され、ぎこちなく舐めた。同時に相手自分のを立たせるために、自分で手でしていた。相手乳首の周りはムダ毛だらけで、汗も凄くしょっぱくて舐めてて気持ち悪かった。

相手のモノがある程度立ったところで、いよいよ挿入。ゴムをつけてローションをかけると、なんの躊躇いもなくズルズルを入れられた。

さすがに痛くて、弱々しい声で「あの、痛い、痛い、」と言ってしまったが、相手はなにも言うことなく動き始めた。

彼のこの行動には呆れと不安を覚えた。処女卒業サポートというくらいなら、もっと気遣ってくれたっていいじゃないか!と。

ズブズブとしばらく彼が正常位で動き続けた。個人的には10分くらいな感覚だったが、もしかしたらもっと長かったかもしれない。「これ、いつまで続けるんだろう」とぼんやりと思った。

動いていくうちに痛みは無くなっていったが、堅いものが出入りする感覚気持ち悪かった。

その間どこを見ればいいのか、手はどこに置けばいいのか、よく分からずテキトーにしていた。この辺もサポートして欲しかった。

そして突然「疲れた」と勢いよく私から抜いた。抜かれた時も感覚は少し痛かった。

色々と雑で、この辺りで「所詮こんなものか」と諦めを覚えた。相手専門家でもなんでもない、ただ経験人数が多いだけの男性なのである快楽のために動いてたりもしただろう。

その後、しばらく休憩したあと、今度は乳首の舐め方講座が始まる。

正直、処女卒業出来ればあとはどうでもよかった私にとっては、やりたくもないものだった。が、断ることもできず、結局長時間、いろんな舐め方を伝授された。

「やってみて」と言われる度に毛だらけの乳首と汗の塩気を舌で感じることとなり、この辺りでもう「早く帰りたい」と思うようになった。

乳首の舐め方講座の中にはフェラも含まれており、さすがにそれは断った。こんな所に来ておいて言うのもあれだが、いくらシャワーを浴びていても、さっき出会ったばかりの男性のモノを口に含むことは物凄い抵抗があった。

断ると驚かれたが、仕方がないねとあっさり諦めてくれた。

さて、乳首の舐め方講座が終わると、最後にもう1回してみようかと言うことになり、もう一度乳首を舐めさせられ、相手自分のを立たせ、入れる準備をした。

2度目の挿入は初めよりマシなものの、やはり少し痛みはあった。硬くなったモノは出し入れするたびにやっぱり痛かった。

しばらく動いたあと、突然動きが止まり、私の中から抜くとゴムを外し、私の手のひらにゴムの中に出した精液を乗せた。

粘着力とか匂いとか、経験ときたい人もいるらしく、どう?と感想を求められたが、興味はなかったのでそのままティッシュで拭いてもらった。

その後しばらくピロートークなるものをした。私は今回全く気持ちいいとか、感じるということがなかったのだが、初めてだとそんなものなのか?と聞いてみた。「気持ちいい人もいれば、なんも感じない人もいる、半々だよ」とのこと。そのあと胸も感じないことに驚かれ、甘噛みされたりもしたが、やはり気持ちよさはなかった。

そのあと別々にシャワーを浴びた。

感覚ムダ毛相手加齢臭、汗の塩気でとにかく気持ち悪く、強めに体を洗って、歯磨きもした。

相手シャワーの順番を渡し、その間に「キス 気持ち悪い 口直し」とかで検索したが、やはり口を濯ぐとか歯磨きくらいしか出てこなかった。私は喫煙者なので、タバコを吸えばましになるのではと考え、相手シャワーから出てきたあとに許可をとって一服した。結構これは気持ち悪さを無くしてくれた。

チェックアウトをして、エレベーターに乗るとキスをせがまれた。せっかくタバコで口直しできたのに、結局また気持ち悪さを感じることとなった。

駅まで送ってくれて、解散

処女卒業サポートでありながら、帰り際に「また連絡くれたらできるよ」なんて言われた。

と、ここまでが一連の流れだ。

色々と文句愚痴をこぼしたが、結果的には想像してたよりは痛くなかったし(泣くほど痛いと思っていた)、目的だった処女喪失が達成出来たので満足である

そして今回のこの体験を通して思ったことをいくつか書こうと思う。

まず、「初めては好きな人とがいい」はその通りだと言うこと。お互い好きで行為に及ぶのであれば、お互い気遣いながらゆっくり優しく出来るだろう。私の処女喪失の仕方を後悔はしていないが、やはり優しさや思いやりのある行為をしてみたかった。

次に男性にはムダ毛を剃って欲しいということ。全身じゃなくていい。舐めさせたいならその部分だけでいい。今回の場合乳首周りの毛だ。あれは本当に舌が気持ち悪い。二度とゴメンだ。

あとは私の性指向に変化があったということ。最初ノンケ寄りのバイだと書いたが、割合が半々になった気がする。帰りの電車の中や駅ですれ違う女性が、いつも以上に魅力的に映った。

あとは、改めて私はもう男女交際をしたいとは思わない、結婚もしたくない、と思った。そもそも今回の体験でもう二度とセックスなどゴメンだと思ったのだ。男女交際しろ結婚しろ、「私はしたくないから、私と付き合いたい(結婚したい)ならできないと思って」なんて言えるはずもない。

相手の為にも、私の為にも、恋愛はしないに越したことはないと強く思った。

勢いに任せて雑に書いてしまったが、以上が私の処女卒業体験だ。

稚拙文章力申し訳ない。

これから私は、性経験のあるひとりの大人の一員になれた喜びを持ちながら、ひとりで自由に生きていきたいと思う。

anond:20190824034840

あのドラマミーハーが食いついて腐った世界に入ってきた

しかも「ナマモノ」「半ナマ」というジャンルを知らずに来たし同人ルールもさっぱり

ただぼんやりした知識で受けとか攻めとか話して盛りあがった

勿論、製作スタッフ側も分かってなかった

結果的オタク界隈からはかなり引かれてるし、害悪ファンとして有名になっている

ただイキリオタクミーハー作品にはつきものなので、その辺は妥協すべきというか

それが嫌なら近づいてはダメだったな

2019-08-23

日中関係 戦後から新時代

読んだけど、読んでから結構古い本だと気づいた。トランプというか貿易摩擦の話で更にややこしくなってる、もっと新しいのを探さないと。

客観的に書かれてる気がする、そんで日本の方がアホに見える。そういう問題じゃないが。もっと真剣謝罪して金出して、で済む話だったかもなのに今や世論がどっちみち許さないしネトウヨやら保守議員やら余計なことしてくれたな本当。

でも、戦争だとか経済限界だとか極端な希望で語るんじゃなくもっと冷静に見て考えないといけないとは思った。グローバリズム大国主義歴史は繰り返さんだろうけど、余計なことだけど結局全部自尊心の病とマスキュリズムの話なのでは?知らんけど

生きていかねえとなあ、安寧は夢だし、でもせめて息子にはぼんやり生きてほしい。

2019-08-21

インターネット人口の推移

が知りたい。

なんていうかここ10年ぐらいでインターネット人口むちゃくちゃ増えたんだろうなというぼんやりとした意識があり(スマホの普及などで)、一体どのぐらい増えたんだろうなと思った。

しかしなんていうか氾濫するアフィブログとかすぐ広がるデマとかナントカ村とか

倫理面の発達が進む前にインターネットって普及してしまったなーという気持ち

普段7時半に起きてぼんやりシャワー浴びて朝ごはん食べて8時半に家を出ているんだが

今日はセットしたすべてのアラームをぶっちぎって8時15分に目が覚めた

慌ててシャワー浴びて着替えて8時35分に家を飛び出した

踏切が都合よく開いたおかげでむしろ普段より早く着いたぐらいなのだ

昨日変わったことといえば、windows10に搭載されているアラームクロックを使ってみたぐらい

マイクロソフト許さん

2019-08-19

腹筋ブルブルするやつ買ったけど

強度をかなり強くして3回やって、次の日ぼんやり筋肉が痛むかなーって感じ

ウエスト細くなるのかねこ

2019-08-14

anond:20190813171947

出来るね

俺がもしその立場なら「歩けないみたい、悪いけど今日は一人で回って」つって勝手タクシーで帰る

別に相手に対して変な期待や恨みは持たない

逆に俺が帰ることについて文句も言わせない

合理的にやろうぜというだけ


この女の夫は確かに動きがぼんやりしてるかもしれないけど

そもそも女が自分で出来ることまで夫に期待してて頭おかし

捻挫した後のことは仕方ないにせよそもそも転んだのが自分の落ち度だという自覚もなく大威張り

なんなんだよこいつ

2019-08-13

表現の自由制限をつけるべきなのでは

僕は自由とは、ルールがない事ではないと思っている。むしろルールがあってこそ、それを守ってこそ自由があるのではないか

誰にでも殺人をして良い自由があれば、刺された誰かの身体自由は失われる。

自由は種類がありすぎる。その中で、どの自由を「皆が」選ぶかだと思うのだ。

最近アンパンマンパンチ暴力的でないか、というトピックには衝撃を受けた。アンパンマン暴力的という発想を考えたこともなかったので、面白いと思ったのと同時に、これで表現が縮こまっていってしまうとしたら怖いなと思った。

最近の声を上げる人たちは怖すぎる。

独断偏見で言わせてもらうと、日本人は周りに従いやすいから、初めに声を上げた人と同じように喋ったり、考えたりしてしまうからだ。

からこそテレビや本などの表現は、そういう人たちを刺激しないように気を使ってしまって、そして日に日に穏やかに、牙の抜けたものになっていってしまっている気がする。

万人を納得できる表現など存在するわけがないし、単に見なければ良いだけの話なのに、彼らは正義感を燃やしたがる。公権力よりも、もっと取り締まりが激しい秘密警察みたいで本当に恐ろしい。

彼らを慮って外に出られなくなった今の日本に、表現自由はどう存在して良いというのだろうか。

どうにかして表現家達の自由を守る方法はないのだろうか。

ならいっそ、ここまでの制約の中なら表現していいよというルールを決めておけば良いのではないだろうか。

そしてそれは納得だとかそういうのをすっ飛ばして、ルールとして確固に存在すればするほど良いと思う。そうすれば誰にも邪魔されず、表現はほんの少数の誰かの正義とぶつかって消滅するなんて馬鹿なことは無くなるんじゃないだろうか。

から教育でどうにかするには、遅効性すぎるし、今の大人達全てに教え直すのは非現実的だ。

この話題議論が始まって、皆が互いに互いの意見があることを、そして表現に正解がないことをなんとなくでも、ぼんやりでもわかってくれるのが本当は一番良いし、すっきりしてる。

けどやっぱりそれは、理想に過ぎないと思ってしまうのだ。

となると結局、表現自由制限をつける事が、皆にとっていい選択ではないだろうか。

生きる気力がない

ぼんやりネットを見て過ごすだけでやるべきことを何にもできなかった

自分のために変化することを選択したのに、その変化に伴う事務処理を目の前にして、選択したことが間違いだったと感じるようになっている。面倒くささが勝ってしまって、もうこのまま死んじゃおうかなとか思っている。変化を望むほど頑張って生きる意味なんてない。両親にお金を渡せないことだけが申し訳ない。それは新卒会社を辞めた時点で終わってた。

人生を今やめたって、もう少し頑張ったって、何にも変わらないという諦めが底にある。自分はただ嘆いて惰性を好むだけの愚者だ。

2019-08-12

そうだ 京都、行こう。」のCMがわかるの、東京人だけだった

これ。

そうだ 京都、行こう。」って京都だと全然知られてない。なんかそういうミームがあるらしいというぼんやりした伝聞しか知らない。

京都にいるんだから京都に行く必要がない。当たり前。だからCMは流れない。

あのCM知ってるのは東京人だけ。あんなに有名なのに現地だと誰も知らない。まるでフランダースの犬

My Favorite Things聞いても、なんかジャズの有名な曲だなー、みたいな感じ。

代わりに京都で何が知られているか

おけいはん

京阪乗る人、おけいはん

これ。マジでこれ。

この時期、知り合いの墓参りに行きたいと漠然と思う。

友人の友人、くらいの関係性だったので特別親しい人ではなかったが、気が合わないわけではなく、心地よい空気感のある人だった。

友人経由で彼の葬式には呼んでもらえたが、墓の場所は聞けなかった。当時彼の親族は酷く動揺していたし、私も冷静ではなかった。

彼の親族と当然の如く面識は無い。彼の住んでいた場所も知らない。そもそも彼の連絡先も知らなかった。

知っていそうな友人とは、徐々に疎遠になった。まだ連絡を取り合っていた時も、友人は彼の話題を避けていた。何度か尋ねようとしたが、結局聞くことは出来なかった。

から、毎年ぼんやりと、彼と話した事を思い返す。思い返すのだが、もうほとんど思い出せない。

2019-08-11

インターン行った

人と関わるの嫌いだけど初対面の人間とでもベラベラ話せるタイプから陰気臭い班の中ちょっとでも空気を良くしようとベラベラ喋った。おかげで短い時間だったのにめちゃめちゃ疲れた。やっとおわった一人だ〜!と思って帰ってたら後ろから声かけられた。同じグループの男だった。帰り道がしばらく一緒でずーっと話しかけてきた。正直人と関われるメーターが限界を迎えていたので隣でどうした?ってくらい話しかけてくる男の話にあー、うん、そうだね、そうっすね〜とぼんやり答える。さっきまでとはまるで別人だっただろう。それでも諦めない男。個人情報という個人情報を聞き出そうとしてくる男。あ〜〜うぜ〜しキモいんだよ〜〜〜〜。という気力もなくアハハ〜(無視)。の繰り返しでようやく解放。疲れ1543400460401691倍。マジでいい加減にしろ。二度とインターンに参加するな

2019-08-10

統失単語多義

Dr 林のこころと脳の相談連合弛緩

http://kokoro.squares.net/?p=6591

(統合失調症の)思考障害のいま一つの様相は、一つの概念意味拡散多義化による混乱、逆にいえば患者は、ある言葉なら言葉意味を正確、単一につかみえない、という形で現れる。



引用は、統失の人は一つの単語に多くの意味を与えるって意味だと思うけど、

これって、健康な人にとっても言葉本質の一つだと思う。

りんご」って言葉あるじゃん

そう聞いて(見て)何を想像した?

その想像した物が「りんご」って言葉意味だと思う。

しかし、みんながみんな、完璧に同じ「りんご」を想像できているわけではないはず。

色、産地、品名、形、味、椎名

微妙な差がちゃんとあるよね。

ここで、人の数だけ誤差が生まれる。

まり、「りんご」って単語に多くの意味(誤差)を含んでいる。

言葉そもそも多義性があるってことじゃないかな。

健康な人は、「りんご」なら「りんご」でぼんやりと誤差を切り捨てていると思う。

その意味の誤差を考慮するなら、健康な人の会話は厳密な意味を伝達し損ねている。

会話とはディスコミュニケーション的でもある。

その誤差をなんとか埋めようとする方法が、教養

教育辞書を共有することによって誤差を、意味多義性の一本化を試みている。

統失の人は、この意味の誤差をちゃんと取り入れて考慮しているのかもしれない。

それに連なる文脈五感考慮していて、当人にとっては至極まっとうな意味論や論理的関連がちゃんとあるのかもしれない。

それを余所行き言葉にうまく変換するのは、健康な人にとっても、統合失調症の人にとっても、難しいのだろうね。

2019-08-08

あいちトリエンナーレについて

話題になっているあいちトリエンナーレについて個人的に思うことが色々あったので書こうと思う。細かいことを話して特定されると普通に死ぬのでぼかすが、一応運営ボランティアとして展示に参加している。

クソ長い。

====

表現不自由展・その後」について

最初に断っておくと、今話題になっている「表現不自由展・その後」についてだが、私はぶっちゃけ見ていない。今となっては炎上が勃発した時点で見に行っておくべきだったと後悔しているのだが、いやだってまさか3日で終わるとは思わねえもん。

と、いうのも事前のボランティア研修とかで「表現不自由展・その後」に注目している人は私の知る限りほぼ皆無だったからだ。一応警備対応とかの事情説明は受けたがそれについて「楽しみだ」とか「心配だ」とか言っている人は居なかった。別に目を逸らしていたとか重大性を認識していなかったとかではなく、ちゃん理由もある。

他の人は知らないが、個人的には「表現不自由展・その後」については「色んな理由で各地の展示会から撤去された作品を集めてみました」くらいの認識だった。面白そうな企画だ、地獄デスマッチ感がある。しかし確かに面白そうだが、言ってしまえばそれだけなのだ

話が変わるが我々ボランティア研修で何をやっているかと言うと、作品知識を蓄えるのではなく、自身感性に従って自由に鑑賞する、所謂対話型鑑賞とかVTS(定義微妙に違うのだが)と呼ばれているもの実践している。具体的にどんな感じかというと、背景知識はほぼなしで作品を見て

「すごく煌びやかで綺麗、幸せカップルの絵に見える」

「画面は綺麗だけど、人物の顔が悲しそう、破局予兆しているのでは?」

関係ないけど雲の形が昨日食べたたこ焼きに似てる」

などとそれぞれの感性経験に基づいて解釈を語りあうのだ。これが結構楽しい。例えるなら深夜のファミレスオタクが集まってエヴァ最終回について語り合っている状態に近い。割と何分でもやっていられる。

だがそういった観点から見ると、「表現不自由展・その後」があまり魅力的でないことは分かってもらえると思う。「近代化」、「ジェンダー」、「作家自身の半生」、トリエンナーレには複雑なテーマを持った鑑賞しがいのある作品が沢山出品されている。「表現不自由展・その後」は企画としては面白いがある意味企画落ち」なのだ。事前に具体的な作品内容が分からなかったというのもあるが、それ以上掘り下げようがない。寧ろ中止になった今の方が色々語れる。

そんなわけで「表現不自由展・その後」がここまでの話題になったのはかなり意外だったし、多くの人にとってあいちトリエンナーレ第一印象がそれになってしまったのは少し残念でもある。

慰安婦像インパクトコンテクスト

さて「表現不自由展・その後」の中でも特によく燃えていたのが慰安婦昭和天皇絡みの展示だと思う。政治的インパクト抜群だからだ。だがここまで千字くらい駄文を読まされて大分心と頭が冷え切っているところだと思うので、少し冷静に展示のコンテクストについても考えて欲しい。

表現不自由展・その後」は「あちこちの展示会で撤去されたやつを集めて展示する」というコンセプトで行われている。よってこの企画で展示されているのは慰安婦像それ自体ではなく、あくまで「どっかから撤去された慰安婦像なのだ

ソウル日本大使館前慰安婦像が設置されたときメディアはこぞって大使館慰安婦像が一緒に映った映像放送したと思うが、あの報道に対して「不快から映すな」と怒った人は居ただろうか。まあ居なくはなかったかもしれないが、多分映さない方がもっと怒られるだろう。怒らないのはそれが「大使館の前に慰安婦像が設置されたという報道」だとコンテクストも含めて理解しているからだ(勿論どちらの場合制作サイドの意図別にあるのだが)。

今回の展示ではそこのコンテクストおざなりにされたまま、日本に実物の慰安婦像が展示されているというインパクトと、SNS上の断片的な情報事態が拡大してしまった感がある。

また若干話が大きくなるが、余裕があったら歴史的コンテクストについても一度考えてみて欲しい。慰安婦像というと直ぐに反日というイメージに結びつけがちだが、何故そう思うのか。

そもそも慰安婦なんて居なかったと考えている人からすれば一応理屈は通っている、悪意のある捏造ということになるからだ。

しかし、詳細については諸説あるが、そういうもの存在したということだけについては歴史的資料も揃っているし、両国見解も一致している。つまるところ歴史に認められているのだ。

負の歴史を展示し続けることは未来に生きるだれかにとっての悪意になるのか、日本を始め第二次世界大戦に関わった各国には慰霊碑モニュメントがある、ドイツカンボジアには国内虐殺記憶するモニュメントがある、それを見て不快になる人はいるだろうし、寧ろ不快になるべきなのかもしれないが、ならそれらは排除されるべき悪意なのか、そもそも悪意は無条件に「悪」なのか。

場所によって反応も変わる、オバマ広島原爆資料館に行ったが、アメリカスミソニアンエノラ・ゲイ展示をやろうとしたとき退役軍人たちからバッシングが来た。そういった反応の違いは展示の意味、ひいては歴史意味に影響を与え得るのか、得ないのか。

そして誰の、誰に対する悪意なのか、人の属性は一つでないし必ずしもはっきり分類出来る訳でもない、あなたが引いた「味方」と「敵」の線など気にも留めず他人は好き勝手踏み越えて生きる。例えば、韓国人男性日本女性慰安婦について議論しているとして、彼らは一体どの立場にいるのか、そこに存在する先入観は何か。

話が大分概念的になってしまったが、何が言いたかたかというと、コンテクストというのはそれだけ膨大で複雑なのだ

勿論コンテクストには政治だってまれる。慰安婦像純粋歴史的モニュメントというより政治的に使われているのは明らかだし、恐らくそれは大半の日本人のせいではないので、あん一触即発もの見たくも聞きたくもない、というのは分かるし別に普段はそれで構わないと思う。

ただ死ぬほど暇なときにでも少し考えてみて欲しい。メディア報道を見ていると日韓政治的同意が得られれば慰安婦像撤去されていると考えている人もいるようだが、その必然性はない、だって歴史に認められているから。というかそれで撤去されたらマジで純粋プロパガンダだったって言っているようなものからやめろ。

像はコンテクストの中で存在し続けるし、今回の展示もそのコンテクストの一部である

批判するにせよ擁護するにせよそこに対する考察がなければそれはインパクトに押された感情任せでしかないだろう。

それでも慰安婦像許せないし完全に撤去したいんだけどっていう人はどうすればいいかって?そこも歴史に学ぼう。

アメリカコロンブスとかリー将軍の像が次々撤去されているのはニュースで聞いた人もいるだろう。時代の変化とともに歴史観は書き換わる。虐殺奴隷制擁護者としての側面が評価され、彼らは英雄ではなくなった。もはや歴史に認められていないから像だって撤去される。

個人的には英雄として評価されていた歴史も含め展示するのも面白いんじゃないかとも思うが、少なくとも公共の場モニュメントとしてはふさわしくないと判断されているのだ。

まり慰安婦像撤去したいのなら何らかの方法歴史観を書き換えれば良い。そして歴史学の徒は全力で戦って阻止すれば良い。

トリエンナーレ側の対応について

トリエンナーレ運営が「表現不自由展・その後」の公開を取りやめたことについて、ネット上では様々な意見が飛び交っている。これについては「脅迫に屈した」とか「作家許可をとっていなかった」とか確かに色々と問題がある気はするのだが、津田総監督大村知事が会見で言っていた「安全管理上の問題」という観点からは正直仕方がないと思っている。

第一に展示施設自体問題だ。あいちトリエンナーレには複数の会場があり、「表現不自由展・その後」が展示されていたのは愛知県文化センターの8階、所謂「県美」だ。関係者の名誉のために言っておくが、日本災害が多いだけあって美術館博物館といった文化施設安全管理にはそれなりに注意が払われている。耐震設備に水害対策防火設備さらには盗難破壊防止のための監視員監視カメラが多くの施設で導入されている。

しかテロ大人数による襲撃までは対応出来ないというのが現実だろう。海外博物館ではそういった事態も想定して手荷物検査などを実施しているところもあるが、日本でそれをやるのは割に合わないと言わざるを得ない。

第二に運営側の問題最初に言っておくがあいちトリエンナーレのような文化事業というのは基本的にクソクソ&クソ金がない。

かに税金から拠出予算10億は大金だ、これだけあれば50回くらい安心して老後を過ごせる。しかしそれでアーティスト100人くらい呼んで75日間展示会をやれと言われたら難易度ルナティックだ(他に寄付金とかもあるので実際の予算規模はもっと大きいはずだが)。

よって私も含めた運営スタッフの多くはクオカード1枚で半日働くボランティアである。加えて事前に結構勉強もしないといけないし、当然交通費とかも出ない。

これだけ聞くと何が悲しくてそんな苦行をとか思われるかも知れないが、最初に言った通り美術館とか博物館とかも含めて文化事業は取り敢えず金がないので、もうそういう人たちがいないとほぼ成り立たないのだ。そこで講習会とかバックヤード体験を餌にこじらせ教養オタクたちをボランティアとして釣っている、というか釣られている(※個人の感想です)。言っていて悲しくなるし話が逸れるのでそこら辺は省くが、つまるところ何が言いたいかというと、テロとか起きると我々はタダ働きの挙句何も出来ずやられる。勘弁して欲しい。

最後に若干抽象的な話になるのだが、良くも悪くもあいちトリエンナーレは寄せ集めというのがある。

運営側の細かい事情は知らないが、直前までどんな作品が出るか分からなかったりしたので、少なくとも運営作家が一体となって特定テーマに沿った展示を作るという感じではないと思う。恐らく「情の時代」とかいぼんやりしたコンセプトに基づいて作家を招待して展示スペースを用意している感じだ。

表現不自由展・その後」だって別に運営企画した訳ではなく、かつて行われた「表現不自由展」を招待しただけだ。

展示施設職員に至ってはそれを公務員業務として受け入れているだけである

よって、運営の中心スタッフ、末端のボランティアスタッフ施設や関連団体スタッフさら作家間で一人一人が一つ一つの作品に全て賛同しているとかそんなことはあり得ない。まあそれはある程度の規模の組織では当然のことだと思うし、そうでなければ大規模で多様性のある展示会なんて開けないだろう。なので断っておきたいが、会場とかSNS関係者に絡んで「トリエンナーレ見解」とやらを聞き出そうとしてもそんなものはない、せめて総監督に聞いてくれ。

そんな緩い結束でつながっている人々を「脅迫に屈しない覚悟」に巻き込むのは正直言って無理がある。

それらを踏まえてトリエンナーレ運営対応はある程度仕方なかったとは思うのだが、しかしそうせざるを得ない状況には大きな問題がある。

表現自由について

先述の通り、施設組織問題テロ脅迫対応することは出来ないし、安全上の問題を考えると「表現不自由展・その後」の展示中止は仕方ない側面もあると思う。

しかし考えてもみて欲しい、そもそも武器とかガソリン持った奴相手に対抗できる団体個人がこの国にどれだけいるのだ、極真空手総本山とかか?結構大企業だって本気で襲撃されたら対応出来ないことの方が多いだろう、必然的にそれを仄めかす脅迫の時点で相手側の要求を飲まざるを得なくなる。

暴力による権利への挑戦に対しては個人レベルでなく、社会全体として対抗しなければならないし、行政側には憲法に基づいてその義務がある。

最初特定されたら困るから匿名意見すると書いたが、そもそも身の危険を感じて発現を躊躇しなければならない状況自体おかしいのだ(勿論それとは別に自衛はするが)。

また、津田総監督が会見によると脅迫と並んでまずかったのが「電話」らしい。

抗議の電話でまず事務局回線パンク、結果つながらなかった人たちが県美や文化センターに掛け、何の対策もしていない職員罵声を浴びせられる、しか公共施設なので切らずに対応しないといけないという事態になったらしい。所謂電突」と呼ばれるものだ。

ネット炎上とともに話題になることの多い電突は、市民による集団的抗議の形態とも見做せるが、一方でインターネットという新興メディアによるメディアスクラムともとれる、特にやられる方からすればそうだろう。

かに組織には説明責任がある、取材報道自由もある。けどそれが対象となる人々の生活を過度に制限するようになればそれは権利が守られている状態とは言えないし、何かしらの法にも触れそうなのだが、恐らく相手不特定多数ということで対策が難しいのだろう。スクラムを仕掛けた側を罰しろとかではなく、対象となった側を守る為の社会整備は必要だと思う(と、ずっと前から言われている気はするのだが…)。

誤解しないで欲しいが、ここでいいたいのは抗議をするなということではない。

表現自由というのは反論されない権利などではない、ただやり方の問題だ。

話がまた大きくなるが、個人的にはどれだけ平和主義を語っても「戦い」なんてものはなくならないと思っている。政治も、経済も、受験も、スポーツも、婚活も、創作も、結局は「戦い」なのだ、ただそれをいか物理的な暴力を伴わず決められたルール範囲内でやるかが、人類が積み上げてきた理性とか法治とか文明指標なのだと思う。

抗議は存分にやればいい、カウンターとなるアート作成しても良いし、ネットに長文を書き込んでも良い、署名デモでも良い。そして表現自由と言っても万能ではない、脅迫罪、威力業務妨害罪侮辱罪、名誉毀損罪、プライバシー権著作権憲法に定められた公共の福祉概念に基づいてそれを規制する法律なんてごまんとある。そのうちの何かに抵触してそうなら訴訟という手もある。ただやるからには全て合法的にやれというだけの話だ。

pixivで気に食わねえ解釈を見つけたら自分解釈を倍の質と量で投稿して相手の筆を折るのが仁義というものだろう。すまない今のは完全に個人意見から忘れてくれ。

じゃあこの場合どうしたらいいのか。

少し話が飛ぶが比較のため「コンビニエロ本問題」について話させて欲しい。「コンビニエロ本問題」とは女性客などからの抗議を受けてコンビニから18禁の本が撤去されている事態のことだ。あれを表現自由と結び付けて語る人もいるが、私はそうではないと思っている。

何故ならあくまコンビニ民間営利団体からだ。コンビニ業界に詳しい訳ではないので話半分に聞いて欲しいのだが、もしコンビニ側が「エロ本撤去しないとタピオカを積んだトラックで突っ込む」とか脅迫を受けているならば、それは許すべからざる犯罪だ、しかし多分そうではないだろう。

抗議が原因と言われているが、恐らくより正確には「エロ本絡みの抗議や客足減退に対してエロ本の売り上げが割に合わない」が原因なのだと思う。

コンビニ18禁本を最後に買ったのはいつだろう、正直質はともかく量と利便性ネットの方が格段に上だと思う。正確な売り上げは知らないが、エロ本だけで月々1兆円くらい純利益が出ているなら、あの容赦のないコンビニ業界Permalink | 記事への反応(15) | 22:16

2019-08-07

私の一生

私は子供の頃から記憶力が良かった。初めての記憶は一歳の頃で新しい家を見て期待に胸を膨らませていたものだった。

新しい家は何もかもが新しくとても興奮したのを覚えている。

ところが、この記憶力がのちに私を悩ませることになるのだった。

私が8歳の頃、兄が私のベットに入ってくるようになった。そして私の体を舐め回すのだ。私はこれはおかしいと感じてはいたが、なにしろ私は母親に愛された記憶がないのだ。とても親に言えることはできなかった。父親母親に逆らうことはできないようだった。そんな父は何の助けにもならないのは明らかであった。

私はそれから毎日、兄の虐待を耐えるしかなかった。それは私が中学になるまで続く事になる。私は小学六年生の頃に生理が始まり性教育も受け、どうしたら子供ができるかもわかるようになった。

その頃兄の虐待エスカレートし、もはや子供ができても何らおかしくないものとなっていた。

はいざとなれば都会に出て子供おろしてもらうしかないだろうと思い悩んでいた。この時の孤独感は今でも忘れることができない。

私のできる抵抗と言えば、ジャージを履いてその紐をきつく締める事ぐらいであった。

やがてその事は突然父親に知られる事となった。私はやっと解放されたのだ。

この時の気持ちは何ともぼんやりしたものだった。ただただ、あぁ終わったのだなと言う思いしかなかった。

散々夜中に目が覚めて知らないふりをするだとか、私の毛布に精液が付着しているのをもう我慢する必要はなくなったのだと思ったのだった。

から謝罪される事はなかった。それはやはり私の勘が正しかったのだ。私は誰にも顧みられる事のない子供であったのだった。

それからは何もなかったかのような日常が続いた。私は普通を装い普通高校へと進学した。

私が高校3年の頃に制服を盗まれると言う事が起きた。私は困って母親制服を盗まれた旨を伝えたのだが、母親は「へぇ」と言っただけで何もする事はなかった。

仕方なく皆が冬服で登校する中一人夏服で登校する羽目になった。その時の羞恥は今でも忘れられない。私は制服を盗まれた上に親に放置されていると言う事を宣伝して歩いている気分だった。普通なら怒られる様な事態なのに先生も何も言わない。どこかから聞いたのかもしれない、関わるのが面倒くさかったのだろう。誰も何も言わない。私はまたしても顧みられる事のない子供となった。

しばらくして私を不憫に思った同級生が私に制服をくれるまで私は夏服で登校し続けた。

なつぞら

いつからか、日中ビルの中で外を見ないで仕事をし、

空を見上げるということをしなくなった。

いつも変わらずそこにあるのに、建物の隙間から見えるそれはさして印象にも残らず、

うだるような暑さの中で、いつも下ばかりを向いて歩いている。

ほんの10ちょっと前までは、夏場と言えばイベントばかりで、

当時は短く感じられた長い長い夏休みが待ち遠しかった。

今となってはあんなに長い休みをどうして過ごしていたのかも思い出せない。

プール花火大会お祭りキャンプ

今となってはすべてが淡い思い出で、ぼんやりと靄がかかったような感じがする。

うだるように暑い夏の午後、

クーラーもかけずに蒸し風呂のようなワンルームベランダから見上げた空は、

とても高く、青く澄み渡り、真っ白な雲は絶えず形を変えていた。

僕たちは変わらないと思っていた。

まだ、何者にもなれると思っていた。

衰えを感じる日が来るなんて思いもよらなかった。

かつては友人みんなやっていたSNSも、

流行っては廃り、徐々に関係は細く弱くなっている。

今年の夏は、久しぶりに当時住んでいた街に行こうと思う。

あの日見上げた空に浮かんでいた雲を探しに。

2019-08-04

はてななんていい加減な理由で垢バンするんだから

基地外ストーカーっぽい奴ぐらいバンしてあげればいいのにね。

ぼんやりした規約のどれかを引いて「抵触してます」って言えばいいだけでしょ。

どうせ「垢バンについての異議や質問は受け付けません」ていう強権的なやり方なのに。

中の人が実はフミコフミオのこと良く思ってないのではないだろうか。


anond:20190804100535

おじさんの魔法が解けてしまった

新天地での生活に慣れて、もうそろそろ「行きつけ」みたいな場所を作りたいなーと思い数ヶ月前からバーに通いだした。

最初は静かに飲んで他の客の話を横聞きして(友達の少ない身としてはそれだけでも結構面白い)うとうとしたら帰っていた。

何回か通うとマスター自分の話をしたり他の客とも少し話すようになった。

すると何回も顔を合わせるおじさんができた。そこの常連であり似たような仕事をしていて、仕事柄時事の話とかも真面目にできる。変なマウントもない良識派のおじさんだった。

都会の日向で明るくうぇーい生活20数年送ってきた会社の同期と、田舎の日陰でぶつくさ言う20数年を送ってきた私には常識が大きく異なる点があり、ショックを受けることも多い。その点おじさんは人生を積んでいるか常識乖離もないし議論好きなこともあり話が弾む。入社当時もうぇいの喧騒から離れ人事のおじさんと喋っていたので、好かれてるとかお気に入りとか言われていた。

かにおじさんと話すのはリスクが低く、普段何の役にも立たない自論も語れるしためになったり珍しい話が聞けるので結構楽しい特に予定もないので夜中までおしゃべりして飲んで帰っていた。

その日も途中からおじさんたちと話していた。私は考察議論好きに加え、プロレス深夜ラジオを少しかじっているという特徴があった。この2つは同世代よりはるかにおじさんに刺さる話であり、その日もプロレスの話で盛り上がった。そこからまた仕事の話になり、なんか膝触られたなとは思ったがおじさんは3軒目らしいし酔ってるんだろうなと思った。何周かしてまたプロレスに戻り、小学生の時に回し蹴りとかやってたという話をしたところ蹴られたいとおじさんが言った。相当酔ってらっしゃるなと思ったがマスターもいたのでMなんじゃないですか?と問答してそれなりに盛り上がった。

かれこれ5時間ぐらい喋っていた。閉店時間なりチャリで帰ろうとしたがおじさんはふわーっとしていたのでしばらく歩くことにした。

するとおじさんが「今日可愛いね」といって頭をポンし始めたので「これはマズイな」と思ったらやはりしなだれかられてしまった。

格差はあるが力は無かったので冷静におじさんを起こしてやめましょうと宥めたあと、しばらく関係のない話をして、おじさんがシャンとしてきたなと思ったところでチャリで爆走して帰った。

何も襲われたなんて思っていない。本当に就職で住み始めた土地だし同期もアレだしでツテ0なので自分友達開拓してみたかった。しかし通う場所も集う場所も無いしアプリSNSで繋がることも無い。考えた末のバーだった。だから会社や旧知の友人以外と話せるのが新鮮でそれなりに楽しかった。

あと上述の通り、自分でもおじさんとばかり話が盛り上がってしまうことについて自覚があった。ゼミ先生上司と1:1で話すのも全然しかった。周りが好きなタイプジャニーズ若い俳優をあげるなか、答えが出ずに考えていると「反町隆史とか?」と振られてしまうような私であった(無論、反町隆史はここにおけるおじさんとは年齢ぐらいしか共通項の無いナイスガイである)

となれば私はやはりおじさんが好きなのだろうか?おじさんでもいいのか?という疑問は結構な間、確かに存在していたのだ。

そしてそれについて私も答えを知りたいと思っていた。

が、しかし、昨日出たのは「おじさんと話すのは楽しくても、おじさんを愛することはない」という答えであった。酒の勢い、相手に流されて、という理由がつけられる状況においてもおじさんと寝ることはできなかったのだ。

マイルドに言えば頭ポンされても心ときめかず、可愛いねと言われても「確かに今日の仕上がり良かったな」としかわず、悪く言えば、あのまま応えていれば酒臭いとかタバコ臭いとか身体がだらしないとか思ってしまうのは必須であり、小さい細いの私がおじさんと並べばどうみても程度の低いパパ活であり、つまり生理的に無理なのだ

あるとき、親戚のおじさんがなぜ大学生になっても挨拶ハグするのだろうと思い「もう私も大人ですから、やめましょう」と言った、まさしくあのノリで「今後会ったら気まずくなりますから、やめましょう」とおじさんに言ってしまったのである

話が合って良識があり、独り身っぽいけどなんか矜持がある紳士という魔法は溶けて

若いちゃんワンチャンしようとしたただの婚期逃しただけだったおっさんになってしまった。

それと同時に「もしかしたらおじさんも恋愛対象なのかしら?」という私のぼんやりした疑問もNOという答えで消滅してしまった。

私の記憶が正しければ、おじさんはおそらく家と逆の方向に歩いてきたはずである(以前は逆方向に帰っていたから)。

私が爆走して消えたあと、きっと踵を返しているだろう。もしかしたら以前もそんなことがあったのかもしれない。

おじさんにとって私はいつまで「悩ましき、打てば響く人生の後輩」で、いつから「なんかワンチャン寝れる気がする20女性」になったのだろう。

おじさんは反省したのだろうか、恥ずかしくて死にたくなったか、あるいはミスったなあぐらいの常習犯なのか。それを考えて少し笑ったり、おじさんは無理だなやっぱ…と少しガッカリしてる私は冷酷なのか。

とか書いてたら長い揺れが来た。

そういやおじさんとは震災の話もした。私は被災地における同期のあるふるまいに怒り、未来故郷に待ち受ける絶望空虚さを語った。おじさんは真面目に話を聞いて「でもそんな悩めるひとだからこそ、辞めないでほしい、そういうひとが若い世代にいることは1つの希望だ」と言っていた。あんな会話も、魔法が解けてしまたから、もうできないな。

[]

身寄りのないおばちゃんは何を考えて俺を探してたのか

子供のころ両親が共働きで、うちに幼い俺を世話してくれてた佐々間のおばちゃん

と言う人が居た。

おばちゃんちょっと頭が良くなかったせいか仕事は持たず

自分ちの畑とうちのお手伝いで食ってるようだった。

おばちゃん仕事学校から帰ってきた俺にご飯を作ることと、家の掃除洗濯

あと体が弱く入退院を繰り返してた婆ちゃん介護だった。

ある日俺が学校から帰ってくると珍しくおばちゃんは居なかった。

変わりにいつも寝たきりの婆ちゃんが起きていて、居間お茶を飲んでいた。

おばちゃんが家に居るのが普通だったので、お婆ちゃん今日はおばちゃんは?

と聞くと今日はまだ来ていないよと言って、俺を二階に閉じ込めるように押し込んだ。

今日は誰が来ても降りてきちゃいけないよと言ってお菓子とぽんジュースを渡された。

誰が来てもって誰が来ても?と聞くとお婆ちゃんは少し困ったような顔でそうだよと

言い、シーっねと口に指を当てながらふすまをしめた。

俺は大人しく炬燵に入りテレビを見てると6時近くになって薄暗くなってからおばちゃん

の声が聞こえた。

二階と言っても狭い家、誰が来てもって玄関に誰が来たかくらい聞き耳立てなくても

分かる。

「洋介君はまだ帰ってきておらんかねえ」とおばちゃんが言うので出て行こうかとも

思ったが、婆ちゃんの誰が来ても降りてくるなと言う言葉を思い出しそのまま炬燵で

ごろ寝を続けた。

おばちゃんと婆ちゃんのやり取りに暫く聞き耳を立てながらTVを見続けた。

また暫くして佐々間のおばちゃんがやってきた。

「洋介君はまだ帰ってきとらんかねえ。

浜屋(俺がよく言ってた駄菓子屋)にもおらんようやが」

すると婆ちゃん

今日はまだやがねえ。友達のところに遊びに行く言うてたから遅くなるんやないかねえ」

と嘘をついた。

幼心に俺は匿われてるのだとぼんやり悟り、息をコロして炬燵に潜り込んだのを覚えてる。

日も落ちすっかり暗くなっておばちゃんはまたやって来た。

「洋介君帰ってきたね?」

ちゃんは少しきつい口調で

「まだよ。まだ帰らんよ。今日はもうご飯いいからお帰りなさい。」

と追い返した。

暫くして8時くらいになって父母が帰ってきた。

ちゃんがのそのそと階段を上がってきて俺にもう降りていいよと

言ってきたので俺はいつもより大分遅めの夕飯を食べた。

その晩、近所の竹やぶで佐々間のおばちゃんが首を吊っているのが見つかった。

遺書には希望がないのでもう氏にます。一人で氏ぬのは寂しいみたいなことが書いてあったらしい。

身寄りのないおばちゃんは何を考えて俺を探してたのか推測するとほんのり怖くてちょっと悲しい。

ぼんやり仕事辞めたいと思いながらここ数ヶ月過ごしてたけど

今日ハロワ求人眺めてたら面白そうな求人を見つけてしまった。

今の仕事とはまったくの異業種で、待遇は悪くなりそうだけど自分趣味の延長線上にあるような仕事で、

正直仕事で興味湧くことってあんまりなかったからドキドキしてる。

ネット仕事実態を調べてようとしても検索結果が出てこなくて

実際どういう仕事をするのか不安なところもあるけど

今のままでいるよりは良いのかもしれない。

応募してみようかな。

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