僕は自由とは、ルールがない事ではないと思っている。むしろルールがあってこそ、それを守ってこそ自由があるのではないか。
誰にでも殺人をして良い自由があれば、刺された誰かの身体の自由は失われる。
自由は種類がありすぎる。その中で、どの自由を「皆が」選ぶかだと思うのだ。
最近のアンパンマンのパンチは暴力的でないか、というトピックには衝撃を受けた。アンパンマンが暴力的という発想を考えたこともなかったので、面白いと思ったのと同時に、これで表現が縮こまっていってしまうとしたら怖いなと思った。
最近の声を上げる人たちは怖すぎる。
独断と偏見で言わせてもらうと、日本人は周りに従いやすいから、初めに声を上げた人と同じように喋ったり、考えたりしてしまうからだ。
だからこそテレビや本などの表現は、そういう人たちを刺激しないように気を使ってしまって、そして日に日に穏やかに、牙の抜けたものになっていってしまっている気がする。
万人を納得できる表現など存在するわけがないし、単に見なければ良いだけの話なのに、彼らは正義感を燃やしたがる。公権力よりも、もっと取り締まりが激しい秘密警察みたいで本当に恐ろしい。
彼らを慮って外に出られなくなった今の日本に、表現の自由はどう存在して良いというのだろうか。
ならいっそ、ここまでの制約の中なら表現していいよというルールを決めておけば良いのではないだろうか。
そしてそれは納得だとかそういうのをすっ飛ばして、ルールとして確固に存在すればするほど良いと思う。そうすれば誰にも邪魔されず、表現はほんの少数の誰かの正義とぶつかって消滅するなんて馬鹿なことは無くなるんじゃないだろうか。
今から教育でどうにかするには、遅効性すぎるし、今の大人達全てに教え直すのは非現実的だ。
この話題で議論が始まって、皆が互いに互いの意見があることを、そして表現に正解がないことをなんとなくでも、ぼんやりでもわかってくれるのが本当は一番良いし、すっきりしてる。
表現の自由に必要なルールは一つだけ。 「ルールはないし、作ってもいけない」だけ。 これ以上のルールをつけようとする奴はみな、人権を知らない猿。
その人権が、万人の万人による万人の闘争になりつつあると思って、こうすればいいのではないかと思って僕なりに書きましたが、何かいい代案があれば是非ご教授願いたいです。
万人の、万人に対する闘争こそが表現の自由の本質。 それを抑止するルールというのは誰かの犠牲を必ず強いる。 それは歪みだ。 闘争すればいい。拳やナイフで闘争すれば人は死...
トリエンナーレの件から結局表現を規制することは正義、クリエイター層すら中止されて然るべきと言い出して、ウヨサヨお互い規制しあうって結果になって、 やっぱり自由なんてない...
ただの日本嫌い展だろ。まじめにやってるのが可哀想だわ。
トリエンナーレで求められてるのは一貫性 ・イデオロギーに沿った展示だけ(テーマには沿ってない) ・「ヘイトは表現の自由ではない」といった男のヘイトスピーチ ・日本国民の金...
はい嘘乙
嘘である根拠は? 津田大介じゃあるまいし、嘘なんかつかんわ
はい嘘乙
安倍とネトウヨは死ぬべきってのが本音のクズが何いってんの? 乾いた笑いしか出ないわ(笑)
はい嘘乙 お前は笑ってない
津田も表現も大嫌いだが、表現自体は然るべき場所でやればいいだろ。 公金を使わずにな。 津田じゃあるまいし、表現規制なんか訴えないわ。
はい表現規制 嘘乙
いいえ? 「ヘイトは表現の自由に入らない」と仰ってたのは他でもない津田大介先生じゃないですか。 そのロジックでは規制に当たりませんねぇ。
はい自分こそヘイトだから表現の自由に入らない 乙
件の表現自体がイカンなんて言ってるのいくらでもいるし、〇〇だから駄目〜って結局全てに制限は必要ってことになる。
クソと味噌を一緒にする大馬鹿 津田でも税金でもなければ良かっただけ
燃えるジャングルジムの時に言えよ