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2019-09-22

anond:20190921211039

いってる内容を否定しないで「そういう言い方をされるとかなしい」って言ったらあんまり角がたたずにすむんじゃないかなとぼんやり

2019-09-18

死に際についてぼんやり考えた。

自分の行いが、

若い世代の、まだこれからを生きていく人たちの糧になるのなら

それでいいかな。と思える。気がする。

生死は表裏一体なんだろか。

自分は子がいないし、できる予定もないだろから、知り合いでも他人でもアイドルでもYouTuberでもなんでもいいんだけど。

なにか「継承対象」が居てくれると、あの世への見送りしてくれるような気がして、少し安心する。

から老人は、若い世代説教したがる、いっちょ噛み口出しご意見番したがりになり、老害化するのだろうか・・・

隠居」ってすごいよね。

その寂しさをどうやって自己処理してるんだろう。

未来ある人間への貢献の方法は様々だから、必ずしも老害という形になって表れるとも限らないのだけども。

原発事故作業に名乗りを上げた老人たち、みたいな。

放射線被曝することによるリスク若いほど高くなるからね。

子供のころの思い出。

トンボを捕まえると、必ず卵を産むんだよね。

あれを思い出した。

すごい伏線だ。

伏線だったんだね、あれは。

未来自分を見てたんだ

2019年の時点で新しく一軒家を建てるような土地的余裕は東京にもはや無いよな

ビルばかりなので買い取って潰してから家を建てるか、ビルを一軒家にするか

ぼんやり東京の空撮写真眺めててもビルばかりで既存の一軒家すらほとんどない

逆に東京で一軒家を建てる仕事従事してる人って食えないんじゃ

2019-09-17

anond:20190917120025

戦隊モノ好きな女児だったけど戦隊モノ女性キャラ勇気付けられたことなかったな。変身後のスーツにもわざわざスカートの部分つけたり色もピンクや白。子供ながらにあっこれは作ってるおじさんのスケベ心で加えられてるポジションなだけなんだろうなーとぼんやり思ってた。(あと今思えば女優を売り込みたい芸能事務所関係とかもあるかも)

男の子とばかり遊んでいて楽しかったけど戦隊ごっこになると女は当然ピンクでしょってなるのが嫌だった。レッドやりたいのに。戦隊モノ女性キャラポリコレ配慮された存在とは思わないなー。

2019-09-15

軽井沢、田崎美術館で、愛らしいお嬢様出会うことについて

 私はときおり家族軽井沢に行く。何度も行っているので、めぼしい観光地はほぼ巡ってしまたかもしれないが、まだ行っていないところもそれなりにあり、それを目当てに足を運んでいる。それ以外はおいしいものを食べたり、宿で温泉に浸かったり、一人でふらふら近場を歩き回ったりと、各々が好きなように過ごしている。

 別に家族の仲が悪いわけではない。ただ、趣味が違う相手に無理して付きあうこともないし、その方が互いにいい時間が過ごせると思っているのだ。興味がないものにつき合わせてしまうと、こっちとしても心苦しい。それだったら、昼間は好き勝手に過ごして、夕飯時に一日の感想を共有する方が楽しい

 そうしたわけで、私は一人でふらふらとバスを乗り継いで美術館巡りをしていた。朝のうちだったのでバスの遅延もなく、目的地のハルニレテラス近辺についた。グーグルで調べたところ、目指す田崎美術館はそこから歩いてそれほどかからない。だから私は、ふらふらと美術館まで足を運んだ。

 軽井沢は大小さまざまな規模の美術館がある。それぞれは離れていてアクセスがやや不便だとはいえ、私のように緑の中でぼんやりと絵を観るのが好きな人にとっては、都心喧騒を忘れさせてくれる場所だ。小規模なところはすぐに観おわってしまうし、ほとんど同じ作品ばかり展示されているのだけれど、それでも久しぶりに同じ絵と対面するのは、旧友と再会するみたいな気持ちになる。

 ただし、田崎美術館を訪れるのは今回が初めてだった。というのも、開いている期間が短いからだ。軽井沢美術館は概して冬季は閉館していることが多い。ゴールデンウィークになってさえ、まだ閉まっているところが多いくらなのだ。ここはやはり避暑地なのだな、と思われる。冬になると鬼押し出し園と絵本美術館くらいしか空いていない。

 入るとそこは自然光が差し込むコンクリート空間だった。作品保護のため直射日光は直接当たらないが、中で歩き回るには十分に明るい。私は田崎廣助の描いた山岳の威容を眺めつつ、自分は山に関してはまったくの無知だな、とつくづく思い知らされた。もしも私が山に詳しかったら、峰の形や周囲の地形からどこが描かれているのか、題を読むことなく知ることができただろうに。そして、どれほどその土地雰囲気を伝えているかを感じ取れたはずだ。

 環境省かどこかの国立公園写真の小コーナーを見終わり、中庭を挟んだ向かい建物ぼんやりと眺めた。もしかしたら、向こうの建物にも展示の続きがあるかもしれない。そう思ったが、向こうの建物入り口らしきものが見当たらない。現に、中庭で困ったようにうろうろしている女性がいるではないか

すみません

 と私はその女性に声をかけた。彼女は首を傾げた。

「私も入り口がわからないので、ちょっと係の人に尋ねてみます

 彼女は驚いたようだが、すぐに会釈した。

ありがとうございます

 私はすぐにとって受付のベルを鳴らし、事情説明した。係の人は親切に、道なりに行けばいいと教えてくれた。歩いていくと、確かにドアらしいものがあった。入り口がわかりにくかったのは、そこにカーテンがかかっているからだった。つまり風呂場のカーテンのように磁石で留めるしくみになっていて、そこが扉だと遠目にはわからなかったのだ。珍しいタイプ入り口があるものだ。

私は女性を案内し終えると、ゆっくりと展示を眺めた。作品ばかりではなく、色紙や葉書もあった。中には欧州から出した手紙もあり、興味深かった。文体が私の祖父によく似ているのだ。田崎廣助は私の祖父よりも三十ほどは年上になるはずだが、戦前教育を受けた人に特有なのだろうか、きびきびとして気持ちの良い文章だった。

 そうして夢中になっていると、後ろから呼び止められた。振り返ると先ほどの女性である

「先ほどはご親切にありがとうございました」

 そう告げて一礼し、微笑んだ。

 私は驚いた。というか、恐縮した。ただ係の人に道を聞いて案内しただけのことだ。それなのに、ここまで丁寧に頭を下げられるとは。いえいえ、と慌てている私に、彼女は重ねて感謝言葉を伝える。女性にこんな笑顔を向けられたことなんて、ない。

 もしかしてこれはチャンスなのではないか、と頭の片隅で声がする。一緒にお茶ぐらい飲めるのではないか。片隅にティールームらしいところがあるが。もう一つの冷静な声がする。彼女は単に育ちが非常に良いお嬢様なだけだ。私のような人間に、そんなチャンスがあるはずがないだろう。さら皮肉な声がする。君は最近美術館で現れる迷惑男性の話をネットで読まなかったか女の子浅薄知識を自慢をしたり、つきまとったり、そんな人間だと思われてもいいのか。美術館ナンパスポットではない。そして、私の引っ込み思案な性質が頭をもたげた。知らない人と話すのはつらい。ひとりになりたい。

 そういうわけで、私は彼女と丁寧な会話の応酬をして、田崎美術館を立ち去り、セゾン現代美術館に向かった。徒歩だったが、想定していたよりも時間がかかった。歩きながらも、私は後悔していた。思い出してみれば、本当にきれい上品な人だった。私は、丁寧な日本語を使える女性に弱い。はっきり言って理想タイプだった。なのに、みすみす逃すとは。私はとんでもない馬鹿なのではないか。よく後輩の女の子が、旅行先でいつも親切な人にお茶をごちそうしてもらって嬉しい、って笑っていたではないか

 そんな思いも、セゾン現代美術館を一周し、テラスサーモンサラダを食べているうちに薄れてきた。自分はいつも、そういうちょっとした親切心を行為と取り違えてみっともない真似をしてきたではないか。気にすることはない。これはいい思い出になった。それに彼女はせいぜい女子大生、対して私は三十を超えてしまった。釣り合うはずがない。

 せいぜい、きれいな思い出としていつまでも覚えていて、どこかでまた会えたらいいな、と妄想するくらいにしておけば十分なのだテラスナボコフを読みながら、そんなことを考えていた。

2019-09-13

疲れると下ネタが言いたくなるねん

意識半分ない状態電車乗ってたらさっきぼんやり思ったんだけど、おちんぽの入った女の子かわいいし、おちんぽの入ってない女の子かわいいんだよね、知ってた?

[]野外で合法的全裸になりたかったので、オーストリア混浴してきた

【初めに】

 コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である

【本文】

 服を着るのが苦手だ。できることなら裸で生活したい。

 ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。

 そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。

 だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分全裸特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。

 目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。

 とはいえ、男女混浴可能場所国内でも限られている。ましてや、近年は混浴マナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしま地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴誕生した時代とは、私たち羞恥心感覚も変わってしまった。

 そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。

 もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂人間ではない。

 私は建築美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムトシーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである

 日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである

 駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄香りがしている。そうしたところは我が国温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。

 ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。

 ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。

 まずは、せっかくなので水着エリア温泉を楽しむ。とはいえ水着エリア温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である

 これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリー温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。

 他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップル夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールほとんど温まらない。日本温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。

 そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イストサウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。

 なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。

 サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである

 サウナ入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。

 二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやり天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。

 ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナ読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。

 しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本温泉露天風呂がメインで、サウナ複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプサウナがあり、存分に楽しめた。

 たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかからなくなってしまうのだが。

 ちなみにこの眼鏡裸眼で転ばないように、日本サウナ用の眼鏡をわざわざ購入したものである

【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである

 そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルサウナの人々に熱風を浴びせるのである

 それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。

 そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞活用無茶苦茶ドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルトカルト」(寒い寒い)などというものから、思わずその場は笑いに包まれた。

 私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。

 その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰から干渉されない時間だけそこにあった。

 それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。

 人間身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたもの普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。

 そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】

 さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。

 その一、スポーツマンタイプものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアローマ彫刻そっくりであるスポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。

 その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。

 その三、老夫婦。なんというか日本混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。

 その四、比較若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。

 ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。

 で、こうして振り返ってみると、比較若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。

 混浴について、猥褻だとか下品だとかい意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂サウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそも風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから勝手判断差し控えるが。

 というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。

 それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉気持ちいいのでどうでもよい。

 そういうわけで、私はオーストリア混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナー一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。

 プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。

 個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。

 もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。

 ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。

 皆様の快適な全裸ライフの参考になれば幸いである。

 最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。

最後に】

 本記事カクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。

【付記】

 ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?

アクセス

 地下鉄U1の終点、Oberlaa駅

2019-09-12

絵馬の友人に売り子をしてもらった話

先日参加したイベントで、絵が上手い友人(オフ活動はしていない)に売り子を手伝ってもらったら、友人への挨拶で軽く行列ができた。


自分は5年ほど今のジャンル(Aとする)にいるが、友人は最近まで別ジャンルにいたため、Aでは新星扱いだ。

その日、買い物を済ませて自分のスペースに戻ると、自分の机の周りに人だかりができていた(4,5人だが島中なので人だかりにみえる)。

それが全部、友人への客だった。

最初は、友人がAに来てくれてよかったなあ、と誇らしい気持ちで隣に座っていたが、

それぞれ長話をするので、スペース前をずっと占領している格好になり、

その間もちろん自分の本は売れないため、だんだんいらいらしてきてしまった。



自分のスペースなのに、友人にだけ挨拶をしに人が訪れる(友人は本を出していないし、無配があったわけでもない)。

隣で話を聞いていると、そのほとんどが自分も知っている、Aの大手サークルだった。

たまに「○○さんにも」と差し入れおこぼれをもらった。

しまいには自分が何年も欠かさず新刊買ってた大手まで挨拶に訪れ、

自分が朝一で買いに行った新刊差し入れていた。

その様子を見ていて、うまい人はうまいしか相手にしていないんだなと痛感した。



それ以降、イベントには出ていない。

自分でも何でかわからない。

このジャンルで5年ほど活動してきた自分にとっては一方的差し入れをする相手だった人々が

友人相手には差し入れを持って訪れるのをみて羨ましかったのは確かにある。

でも自分別に彼らと交流がしたかったわけじゃない。

ただあの日行列の横で、数か月かけて準備した本とともにぼんやり座っていた時間を思うと、もうAのイベントに出る気力がわかない。

でもAが好きなんだよな、本は作りたいなという気持ちの間でぐるぐるしている。

2019-09-10

https://anond.hatelabo.jp/20190909004654

ちょっともう反応するには遅そうですけど、自分にも役に立ちそうだからざくっと書く。

まず前提として、

話者Aがいて、自分が相対している際の、質問機能はおおざっぱに、

  1. 自分理解が正確かを確認する
    • ~~~という理解で合っていますか?
    • Aさんの説明を言い換えるとこういうことですか?
  2. 自分が受け取った情報に発生した齟齬を伝え、情報修正を受ける
  3. 自分が受け取った情報に発生した空白を伝え、情報の補強を受ける
    • ~~~という理解しましたが、△△のケースではどのようになりますか?
    • ~~~という意味だと思いますが、△△が考慮されていないのでは?

がある。

このどれもに共通することとして、

という段取り必要になる。

さら後者ふたつは一段レベルが高く、

というステップが要る。

なので、情報モデルの構築がうすぼんやりしているかモデルに対する評価眼が鈍いか、そのどちらかの状況があるとまともな質問にならない。

よって、質問力を高めるには、ひとつには思考体力をつけること。もうひとつには、情報モデル瑕疵や空白のパターンを多く学ぶことだと思います

前者はパズルや謎解きゲーム最後まで解き切るとか? 後者ロジカルシンキングなんかを繰り返し読んで、情報がつくる“型”を身に落とすことが効きそう。

2019-09-08

今日も頑張って生きた

めちゃくちゃ偉くない?めちゃくちゃ偉いよな。毎日死にたいなぁとぼんやり考えながらも、こんなこと向いてないわって思いながら勉強しながらも、兎にも角にもしんどい辛いって思ってるけど今日も頑張って生きたからめちゃくちゃ偉い。そうだよねハム太郎

催眠音声のコツ【追記あり

増田の先輩方教えてください。

おすすめ時間帯とか部屋の状況とかありますか。

なるべく暗い部屋でヘッドホンを使ったんだけど上手くいかず。

実家暮らしで壁が薄いから声出したら親に聞かれそうだし、そういう心理的プレッシャー催眠がかかりにくい状況を生み出してるんてすかね。

以下追記

無事成功しました。体がビクビクしまくりで大変だった。今でも若干ぼんやりしてる。

付き合うとか向いてないんだろうなって、中学生の頃からぼんやりと思っていた。根本的に、自分に対して人から好意という矢印を向けられるのがしんどいらしい。それが恋愛感情じゃなかったにしても、相手が思い描く自分でいなければいけない、みたいな重圧を感じてしまう。

自分が誰かを一方的に好きでいる分にはすごく楽しいんだけどね。接触が苦手なヲタクなのもこの辺のせいなのかな。

10年来の腐女子だけど、最近純粋に腐って腐妄想を楽しんでるというより、自分という存在を無くして楽しめるから毎日毎晩二次創作を探して読んでしまっている気がしている。

無になりたいなあ…

2019-09-07

このまま誰にも愛されずに死ぬ

隣人の音が筒抜けの安アパートで一人ぼんやりしてるとこのまま孤独死するんだろうなという漠然とした不安が襲ってくる

周りはみんな同棲結婚してて、家を買った人もいれば子供を産んだ人もいる

当たり前だよな30歳超えてんだもんな

漠然と「誰かと一緒にいたい」という気持ちはあるがデブブサイクを極めてイジメられてきた為恋愛経験などただの一度もなく自己肯定感ゼロ 多分このまま誰にも愛されずに死ぬ

子供も育ててなければ稼ぎも少ないようなデブブサイクハゲチビなどは早めに死んだ方が世の為なのだろうか

職場で「結婚してない人は人間性問題ある人が多いから今後取らないようにする」とかいう話もきいてしまったしブサイクの未婚は性格に難ありと思われて色んなものから弾かれていくんだろうな

そもそも恋愛できる人っていうのはそれなりに努力してきた人だから

最低限の努力ができない人間なんだ 早めに死にたい

2019-09-06

anond:20190906162150

うまくいってるやつが、こんなぼんやりした相談自分の半分くらいの年齢の相手にすると思う?

2019-09-04

旦那に断られた

妊娠していた。

ある程度育ってはいたが、心拍が止まり死産した。息のない子を産んだ、すごくすごく小さかった。

第一子も、この死産した子(戸籍には残らないが、第二子だ)も、いずれも不妊治療をして授かった。

そのため死産後も、母体回復を待ち、また治療を再開している。

以後タイミング(治療の際にはこう称するが要はセックスのこと)を取っている。

子供を作るためだけじゃダメだろう、と思い、時々意味もなく普通に誘うこともある。

だがどのときも、旦那は達しなかった。

仕事で疲れているとも思う。それに私も、結婚した当初より年を取り、醜くなっているのかもしれない。気を付けてはいるつもりであるが、彼にとっての美であるかどうかはわからない。よそに女性を作っていたらそれはそれだが、今は置いておく。

なんとなく、彼が達しないのは、死産のことが関係しているようにも思った。

立ち会ってもらったわけではないが、死産であるとか、役所に提出するものとか、あとは火葬場の手続きもしてもらった。もちろん私が産んだ、手のひらに乗るくらいの小さな子も、彼は見た。

しかしたら、私よりもショックだったのかもしれない。

ベッドでぼんやり時間を気にせずに泣ける私とは違い、彼は忙しさのなかにあり、ただ心の内側に溜め込んでいたように思う。

そして遂に、セックスを断られた。

明日も朝が早くて、今日は眠たいから」

誘って、悪かったな。

そうだよな、眠たいよな。

仕事ちゃんとしてるもんな。

子供がもうひとりほしい。その話はこちから聞き出すでもなく、向こうからそう聞いている。

でも、すごく、辛かった。断られるのは、辛かった。

不妊治療って、しんどい。喜んで内診台にあがれる人、一人もいないと思う。筋肉注射、お尻出して打たれるのが二年経っても慣れない。

私なんてたかだか薬物療法だ。人工授精や、顕微鏡授精をしている人は、もっともっと痛いことも多くて、辛いと思う。

二人目を、という周りからの圧が今もある。特に同居している義父母からは大きい。

子供からも、弟や妹がいたらいいのにな、と言われる。赤ん坊のことが好きな子から、そりゃあそう思うんだろう。

田舎から旦那が長子だから、あれこれあるけども、やっぱり自分自身が二人目をほしいと思う。

でも、無理かもしれないな。

なんか今夜、漠然とそう思った。

彼と二人目を作ることは、たぶん無理なんじゃなかろうか。

誰にも話せない。

親にも、友達にも、誰にも話せない。

今までこんな話、創作物エッセイのなかでしか見たり読んだりしたことがなかった。だからどこか、他人事のように思っていた。

こんな想像以上に空しいものだとは思わなかった。

書いたらスッキリしてきた。

近いうちに子供が寝たあとで、旦那とよく話し合おうと思う。

し○むらで 女児下着を 見るおじさん

独身のおばさんが書いています

近所のし○むらは空いている。

その一番奥に下着売り場があって

さらにそのはじっこに女児下着コーナーがある。

今日も人少なくていいなー

と思いながら自分普通に女性下着ぼんやり眺めていたら

からザザッと逃げるように走り去った男性がいた。

しばらく前からそこにいるのが視界には入っていたので、

女児下着コーナーから出てきたのが後で分かった。

顔はよく見えなかったが、成人男性だった。

はじめは、誰もいないと思ってたのに人がいたからびっくりさせたかな。

すまんかったな。と思ったのだが

お父さんが、独りでし○むらで娘の下着を買おうとする、

おじさん独りで女児下着売り場を見る

ことは、よく、はないか、たまにあることなのだろうか。

と、疑問が湧いてきた。

でもまー単純に女児下着のみ興味あっても

ネットで買ったりしない限り、めったに実物見られないからなあ

たかったんだろうなあ。

しゃーないか

なんてどうでもいいこと考えてしまって

もやったままなので吐き捨て。

セルフネグレクトから脱却した話

5月末に、玩具企画デザイン仕事を辞めました。

原因は、元営業から独立した定年間近の社長の、業界への無関心・無知によるモチベーションの低下。全く畑違いの食品関連のビジネスを始めようとした社長胡散臭いセミナーに参加するために地方出張に行ったあと、がらんとした職場で「わたしは何のためにここにいるんだろう」と、心の中で何かがぷつりと切れるのを感じました。

そして何より、事務所の上階に住んでいる社長の娘さんが、何らかの精神疾患により頻繁に罵声を上げながら事務所に飛び込んでくるようになったこと。彼女の身内である社長からその事について何も説明はなく、聞いてもはぐらかされました。いつ彼女が来るかわからないという恐怖でイヤホンを外せなくなり、これはおかしいと気づいて辞めました。

疲弊していたせいか、部屋は完全にゴミ屋敷でした。本、書類お菓子シリアルの袋、ゴミ段ボールが堆積し、足の踏み場もない状態。いわゆる「セルフネグレクト状態だったと思います

同時期に個人的トラブルも起こり、長年の趣味であった二次創作同人誌制作に全く興味を持てなくなってしまいました。

仕事を辞めたあとは、一日中外にも出ず、ゲームをしながらシリアルだけを食べる日々が続きました。ひとり暮らしなので、食事を作ってくれる人も話し相手もいません。

それでも仕事に行かないだけで精神は少し回復し、同人誌は無理だけど何かやってみようかな、という意志が復活するのに時間はかからなかったです。部屋をほんの少しだけ掃除して、小さなフィギュア作品シリコン型取り・複製などをやってみたり、プラモを作ったりしてました。

そんな中、ひとつの転機がありました。「ゲームしながらシリアルばっかり食べてるよ」と友達に話したら、それを友達Twitterに書込み。それを見た友達フォロワーさん(わたしとは面識ない)が「ちゃんご飯食べな」と言ってくれたのです。

些細なことだけど、第三者的に見てもわたし食生活やばいんだということに気づけたし、そう言ってくれる人がいるということが嬉しかったです。

それがきっかけで、自炊をするようになりました。友達に「料理ゲームと同じだよ、やればやるだけレベルが上がる」と言われ、うまくできなくても「レベル上げ」のために毎日作りました

これがよかった。自炊し始めたら、以前はスーパーに行ってもぼんやり無為に買い物をしていたのが「これを作ろう」という意志を持って買い物をできるようになったのです。「マリーのアトリエ」みたいに、これとこれがあればこれを作れる、料理ってそういう事なんだ!錬金術みたいで楽しい!と気がつき、目の前が開けたように思えました。

料理をするためにキッチン周りを片付け、清掃しました。作ったものを置いて食べるために、ちゃぶ台を片付けました。ちゃぶ台から下ろしたものを整理するために、部屋を片付けました。ゴミを捨て、散乱していた服をタンスにしまい、不要品はメルカリに出品するなどして処分。山のようにあった落書きは、必要ものだけスキャンして捨てました。昔の仕事資料なども一部データ化して処分。中にはあまり良い思い出のない仕事もありました。片付けるというのは、そういう思い出を断ち切るということでもあるのかなと思いました。

「何をどこにしまうか」を決め、必要な時にすぐ取り出せるようにしました。頻繁に使うものは出しやす位置に置き、そうでないものは明確に場所を決めて少し奥にしまう。汚れていたところは綺麗に清掃し、また汚れがたまる前にこまめに掃除する。そういう当たり前のことを毎日少しずつ進めていき、部屋がキレイになった頃には、作れるごはんレシピも増えてました。

書類に埋もれて行方不明になっていたリモコン発見され、全くつけていなかったテレビをつけるようになりました。BDDVD映画を何本も見て、今まで興味のなかったものにどんどん惹きつけられていきました。

片付けてみてわかったのが、「これでようやくしっかり休める環境になった」ということ。住環境食生活自分の一部であり、そこのケアを怠った状態では、心の回復は見込めなかったと思います精神的にはまだ少し休養が必要状態だと思いますが、辞めた直後に比べたらかなり回復したと思います。今の状態に辿り着くまで3ヶ月かかりましたが、幸い僅かな貯金と稀に頂くフリー仕事があるので、今しばらくは気長に治していこうと思います

同じような境遇の方がこれを読んで、こういう人もいるんだなと思ってくれればと思って書きました。

2019-09-03

軽減税率のせいでインボイス義務化されるし、自営業も殺されに掛かっている」

軽減税率のせいでインボイス義務化されるし、自営業も殺されに掛かっている。自民党支持者って自殺願望あるようにしか見えん。

これは違う。


ていうかちゃんとググれば情報は出てくる筈なんだけど

税理士ブログの要点まとめなんかではまだ本当のずぶの素人には理解できないんだろう。



インボイス制度軽減税率関係あるのか?

ない。

まずここが重要で、関係ない。

インボイス制度は何のために導入するのかというと、益税」を見逃さないようにするってこと。

益税というのは事業者なのに消費税納めないってこと。なお自分もの売る時はきっちり消費税とる。つまり美味しい。


そもそも消費税は我々最終消費者負担して(俺もさっきコンビニで水を買って8円払った)、それを受け取った事業者当局に納める仕組み。

8円を俺が負担してるんだけど、納めるのは俺から8円受取ったコンビニオーナーなわけ。

ただしコンビニオーナーもその水を25円で仕入れときは2円の消費税仕入れ元に渡してる。

からコンビニオーナーが当局に納める消費税は6円で、残りの2円は仕入れ元が納める。


ちゃごちゃした説明は実は読まなくていいんだけど、

要するに事業者は代金と一緒に消費税を預かって、それを当局に納めてるわけ。


益税とは何か?

消費税を預かりながら納めずに懐に入れちゃうの。

さっきの例でいえば、コンビニオーナーがもし免税業者なら6円は納めず懐へ入れてよかった。

これけっこうでかいよ?


なんでこんなことになってたかというと

まあ免税業者って言うのは売上が少ない業者なので手続き事務処理も大変だろうって言うお目こぼし

過去のことはそれでいいんだけど、まあ公平ではないのでそろそろやめましょうかと。

インボイス制度で何が起きるかというと、免税業者がいなくなるんです。

これは当局は確実にそういう意図があります

売上が年1000万円以下の事業者も、みんなと同じく消費税納めなさいねってこと。

おおざっぱに売上-費用×10%か。

まあ従来に比べると納めなきゃいけない税が増えるのでずっと免税業者益税状態だった事業者増税感を持つと思う。


ただそもそも益税ということに大義名分はないからね。

から消費税預りながら実はぽっけに入れてたってことで、免税業者以外の経済主体からイメージも良くない。

増税だ―」って騒いでも支持を得られにくいと思う。


2.軽減税率インボイス制度に絡むとすれば

インボイスって要するにただの領収書なんだけど、

軽減税率が含まれるような商売だと、税率ごとに記載しなきゃいけなくてめんどくさい。

ただ、どんな自営業のお店でもレジ簡単会計システムぐらい入れてるから

さほど大変にはならんと思うよ。

軽減税率との絡みはそれだけ。



3.なんで軽減税率インボイス制度を絡めた声が上がっているのか

ぶっちゃけ

https://www.zenshoren.or.jp/zeikin/chouzei/180219-08/180219.html

この全商連のホームページのせいだと思う。

twitterでこれで騒いでる人はみんなここのイラストだし。


確信犯的に絡めてるコアと、内容よくわからずにぼんやり「これも軽減税率関係あるんだ!」と思って広めてるライト層がいる。

全商連の狙いは自営業者の多い免税業者に対する益税廃止(実質増税)に対する抵抗


画面下の方を見ると全商連会員の声が写真付きで見られるけど、

まあ町の自営業の爺さま婆さまです。

インボイス実施なら「値引きか、撤退か、消費税を支払うか」だ

当たり前の選択肢を並べてるだけだけど、要するに消費税を払いなさいと言われてるからそりゃそうです。

インボイスを出せるか」で選別は失礼!取引慣習もダメにする

これだと新しい制度なんか一切導入できないでしょう。


軽減税率には世間非難や疑問の声が多い一方

益税状態をなくすことにはきっと社会の支持は大きくなるので

こうやってほとんど関係ない問題を絡めて巧みにtwitterで流してるのです。


田舎中小業者のじっさまばっさまの団体にしては有能だと思います

比較若い目端のきいた人がいますね。

2019-09-01

anond:20190901181921

自分も死にたくなるホームラン級のストレスはないけど、コツコツとしたストレスから死にたいなと思う。通勤列車をいつもぼんやり見てるし。

ホーム列車待ってたら目の前で人がホームに転落しないかなと思うし。

不謹慎だと思うけど、アキバ事件とか池袋事件とか見ると、自分がそこにいたら良かったのになぁと思う。新宿歩いてる時にヤクザ同士の抗争が起きて誰か庇って死ねいかなって思う。

僕と兄の縁について−−僕には知的障害を持つ血縁関係者がいた−−

僕は障害者のいる家で育った。

兄は生まれつき自閉症スペクトラム障害を患っている人だったからだ。

僕が兄と会う機会は数回しかなかった。彼は僕が生まれた頃にはすでに養護施設に住んでいた。そういうわけで僕はお兄さんに対して家族が持つような情を持たなかった。

これは僕が薄情だってわけじゃない。僕は兄と生活したことがないから、兄の人となりをよく知らないのだ。よく知らない人間を好きになる事は稀だって事実は、単純接触効果として心理学的に証明されている。

から、たとえ血縁があったとしても、よく知らない兄のことは好きでも嫌いでも無いような気がする。

好きでも嫌いでも無い、と書いてしまったけど、本心もっと複雑だ。

初対面の時、兄が僕の足を撫でてきたことがまだ記憶されているからだ。

記憶はあるけれど、それについて僕が何を感じたかからない。もしかすると思い出せない様になっているのかもしれない。なんとなく不快だったんじゃないかって推測することしか今は出来ない。それが悲しい。

自分感情ぼんやりしか掴めないことが時々ある。感情は動いているんだけど、それをどんな言葉で捉えられるのか分からないんだ。身体感覚を捉える語彙がない時がある。もし僕がもっと日本語形容詞を学んだとしたら、このもどかしさを感じる機会は減るのだろうか…?

話が逸れた。兄について書こう。

そのつもりだったけれど何故かうまくかけない。書いては文字を消してを繰り返すことになった。

ともかく、もう僕は兄と会わないんだ。数年前に決めた事だ。もう会わない家族だ。

僕と兄は、共に食卓を囲んだことのない家族だった。血縁って不思議な縁だ。心底そう思う。

家族ってなんだろう。

家族よりも友達のほうが今は好きだ。

家庭ってなんだろう。

血縁のあるお兄さんよりも、アニメ漫画の兄キャラの方が感情移入できる。

キャラクターは人間ルールで動くからかもしれない。

お兄さんは不思議な人だから、僕は彼と心を通じ合わせる日が来るとは思えないんだ。僕が彼に寄り添おうとしたらあるいは可能かもしれない。奇跡みたいなことが起こって、僕はお兄さんがどんな人なのかすこし分かるのかもしれない。

そんなのは夢物語だ。

僕にも生活がある。福祉関係仕事につくのでなければ、そんな努力はなかなか報われにくいんじゃないかって思ってしまう。

仕事を家に決められたくない。この家に生まれたか福祉仕事につくなんて選択はしないんだ。少なくとも新卒では行かない。

兄が僕の足をなでたことを謝ってほしい。

悲しい。つらい。

ごめんなさいと言えない人も、生物学上はヒトだ。

僕が兄のせいでメンタルに傷を受けたのは確かだと感じる。

許そう。自分のために許そう。

区切りになりますように。

僕は成長したい。過去を乗り越えたいんだ。

僕と兄については、この文章を書くことで一区切りがついた。

2019-08-31

映画ロケットマン』を観てきた

さっき、映画ロケットマン』を観てきた。

エルトン・ジョンがその栄光の影で、ドラッグや酒に溺れお世辞にも幸福とは言えない状態経験し、そこから立ち直る様を描いたお話で、『ボヘミアン・ラプソディ』(監督も同じだしね)や『エディット・ピアフ愛の讃歌〜』とかそんな流れの映画だ。

こういった類のストーリーを見聞きしたとき僕は、多くのファンがいても孤独を感じるんだなとかどれだけお金があっても愛は手に入らないものなのかなといったぼんやり浅薄感想に終始していた。

でもこの映画エルトン・ジョンを見て彼らがなぜ孤独に取り憑かれて様々な依存症へと転落していくのか、なんだか腑に落ちるものがあったので頭の整理のために書き記しておく。

僕のような凡人も、当然日々人並みの孤独を感じて生きている。

それは僕が、人見知りのコミュ障で、才能もないし、お金もないし、成功もしてないし、顔はぶさいくでモテいからだ、とかまあ永遠に列挙できるんだけど、

そういった欠陥によって僕は絶望をを回避できている。

お金持ちになったら、イケメンになったら、仕事成功したら、誰かの愛を勝ち取って幸せになれるんじゃないかって恥ずかしながら思ってる。

でも、もし上記が全て解消された状態でも孤独だったら?

もう孤独は、解消することは不可能に思えるだろうし、何かしらによって紛らわせ逃避するばかりになるのだろう。

やっかいなのは孤独大勢に愛されれば解消できるものではなく、自分が愛してもらいたい人に愛してもらえないと意味ないということ。

そして、顔や才能や財産きっかけに人を好きになることはあれど、根本的に愛って損得やリーズナブル理由を超越した絆を意味するものから

やっぱり持ち物が少ないほうが愛を感じやすいのだと思う。

すべてを手に入れて多くのファンに愛されているのに、お父さん、お母さん、好きな人自分に向き合ってくれないの?とか、もうしんどい

これ以上どうすれば・・・打つ手なし、絶望

なんつって、ここに来てすごく当たり前のことを書いてることに気づいちゃったw

映画自体はめちゃくちゃ良かったから、ぜひ見に行ってくれ。

Your songが生まれるシーンなんか実写版幸福って感じで、心震えた。

悲しい映画じゃないのに、僕は観終わったあとなぜか激烈に寂しくなったから、これから観に行く人はだれかと一緒に行くことをおすすめする。

2019-08-28

天気に気持ちが引きずられるのがつらい。

一度うつ病になってから天気に体調が引きずられやすくなってつらい。雨の日がきらいだ。

熱があるとか激痛があるとかじゃないんだけど、体全体がぼんやり重くてベッドから起き上がれない。

頭痛もあるけどそこまでひどくない。

肩もこるけど動けないほどじゃない。

思考も鈍くなるし気分も悪くてうつ病が再発したみたいになる。

健康な人に言っても伝わらないし怠慢だと思われるのもつらい。

理解してほしいわけじゃないけど、そっとしておいてほしい。

どうやったら治るんだろう。

普通になりたい。

anond:20190828105932

おまえの背後にぼんやりと見えてるのはおまえの親じゃねえのかよ!

ある若者のすべて

真夏ピークが去った

天気予報士がテレビで言ってた

それでもいまだに街は

落ち着かないような気がしている

夕方5時のスパンキング

今日はなんだか胸に響いて

「運命」なんて便利なもの

ぼんやりさせて

最後スパンキングに今年もなったな

何年経っても思い出してしまうな

いかなないよな

きっとねないよな

あったら言えるかな

まぶた閉じてスパンキングしてるよ

2019-08-27

関係ない女性を泣かせてしまった

20代後半の女が恋愛問題について長々書きます

から価値観がある程度合う話をしていて楽しい男性に限り、好意を持たれて告白された場合、ひとまずセックスをして身体の相性が良ければ付き合い、そうでなければお断りする事を繰り返してきた。

一般的価値観では付き合う前に性交渉するのは良くないらしい。でも私にとっては性格も体の相性も大切な要素で、付き合ってからセックスの相性に不満が生じて別れる事の方が不誠実に思えるので、独自ルール採用している。

交際する相手は一人だが、交際期間にも声を掛けられたら同じ様に求めに応じ、よりときめきを感じた方と交際をする、というのをずっと続けて来た。交際期間は平均3年。私には結婚願望もないし、妊娠は嫌なのでピルを飲んでいる。感染症も嫌なのでゴムも使う。

彼氏がいるのに他の男性セックスするのはあまり受け入れられる事ではないと思うけれど、今まで付き合ってきた男性自身が、私が彼氏がいるとき関係を持っている。私が人と付き合い始める過程を知っているので、当事者間で折り合いがついていれば問題がないと思っていた。

私の恋愛遍歴を知っているのに、なぜか歴代彼氏ポリアモリータイプではなく、結婚提案する人ばかりだった。そういった関係の非対称さに、悪い事をしてるんだろうなぁ、と居心地の悪さも感じている。

広く受け入れられている恋愛関係価値観について、自分なりに以下のように捉えている。

交際期間には異性と性交渉をしない。つまり二人の関係排他性を持たせることで、お互いの存在特別ものとして扱うこと。

・より良い条件や素質を持っているからといって、恋人を変えるのは良くない。恋や愛の尊さは代替不可能性にある。人を能力や条件で切り捨てる事は、自分も切り捨てられる事につながる。

相手価値利害関係で決まるものではない。自分にとって相手有益かどうかではなく、一緒に体験した時間行為によって愛着愛情生まれる。そして自分から相手に与えたい、という気持ちを互いに持つことがより深い信頼関係を作っていく。

この前提を頭では分かっているんだけれど、どうしても上手く実践できない。

最低ラインとして、第三者を巻き込まないように、彼女持ちの男性や既婚者はずっと避けてきた。

私は研究職なので、施設を使うために地方東京を往復する生活をしている。人の出入りが激しいのでそこで新しく出会人達も居るし、たまには口説かれたりもする。

今年はたまたま良いなぁ、と思う男性がいたので関係を持った。その後しばらくして男性には東京彼女がいる事を知った。

話を聞くと彼は昔から複数人と同時進行で関係を持つタイプの人らしく、彼女遠距離恋愛をしながら、私に二股をしていたわけだ。東京に戻ったら同棲を始めるという。

わたし浮気相手なので身を引こうとしていた矢先、どこで知ったか彼女からSNS経由で私宛に連絡が来た。

ひどく裏切られた気持ちしたこと

私の起こした行為に苦しみ悲しんでいること。彼と縁を切って欲しいことが綴られていた。

一度も会ったことのない女性を泣かせてしまった。

彼女がいる事を黙って、私に手を出してきた男性ほぼほぼ悪いと思うけれど、私にもっと一般的恋愛価値観” があれば、もっと警戒心を持って、軽はずみに異性と関係を持たなかっただろうし、こんな事態を引きおこなさなくて済んだかもしれない、と考え反省している。

自分なりに理解した社会ルールを頑張ってトレースしようとしているんだけど、どうやら上手く出来ていないので、人を傷つけてしまうらしい。

しろ中途半端擬態しようとしている事が相手を苦しめるのかもしれない。

今まで付き合って来た男性にも、他の異性とセックスをした経緯を話した時に、人の形を真似しているだけの、人もどき、という名前を付けられた事がある。

このままの私だと、ぼんやり地獄に落ちるんだろうな、と思う。

どうか人に迷惑をかけない恋愛作法があれば教えて下さい。

というか、付き合う前に人とセックスしてはいけない事について理解出来ていないので、何故そうなのかを教えて下さい。

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