はてなキーワード: これはすごいとは
フェミニストが問題にしているのは、「表現・言論の自由が現実には男女で不均等に配分されているのではないか」ということである。
それは国会議員の男女比に端的に示されているし、経済団体の会合で居並ぶ人たちは平均60歳以上の中高年男性である。
一般の行政や企業の会議も、現状ほとんどは男性が仕切っているだろう。
憲法や法律で女性の表現・言論の自由を規制しているものは全く何もない以上、こうした不平等は社会全体の中でつくられていると考えるほかない。
そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。
つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。
フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
これな、経緯がまるっと忘れられて、戦略上辿り着いた戦法を、あたかもそのために活動していたんだとばかりに書いてるんだ
宗教な時もあれば、時の権力者の時もあれば、お気持ちの時もある
例え、非道徳的な内容だとしても
それをやることは、粗野で、人権の否定で、進歩的ではないとなった
有識者は反対を述べる
それは「名誉棄損」や「侮辱」などの対立する権利である必要がある
それは「差別」であったり
それは「文化の盗用」であったり
これはすごいんだ
「公共」を前面に「政治的に正しくあるべき」というべき論で、法律によらず踏み絵を課すことが出来る
この法律に拠らないというのが実に素晴らしい
仮に法廷に訴えられても、この話で対立が起こると、訴える側を「政治的に間違っている事を法律でごり押す」という図式に出来る
なにせ「正義」だ
これからは違う
販促POP
とにかく「公」にあると認められるものに、そこにあってはいけないという様になった
それはとても「許されざる性差別」で「過度な性搾取が行われ」、「女性を侮蔑している」が
性差別だがあっても良いよと
でも「公には出すな」という歪な論に逃げて、勝ちを狙うよになった
狙う先はここだ
表現の自由を守り抜くのは当然だし、児童ポルノを無くせば子どもへの性暴力も無くなるという話ではない。
どう解決していくかはクリエイターも含めて国民的に議論していくべきだ。
具体的には、子どもたちや一般の人たちの目に触れないような場所に置くゾーニングというやり方もあると思うし、
“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、
クリエイターの皆さんも作らなくなると思う
中国の銀行で巨額の預金が引き出せなくなり、返還を求めて抗議する人をコロナ対策アプリを乱用して拘束した疑いについて、地元政府の監督部門は「乱用行為があれば厳しく対処する」として調査を始めました。
中国の複数の地方銀行では、8000億円規模の預金が引き出せなくなっています。
13日に銀行などに抗議する預金者のコロナ対策アプリが次々に隔離措置が必要な赤色になり、「乱用だ」との批判が殺到していました。
こうした事態に銀行が集中する河南省鄭州市政府は17日、「調査と責任追及の手続きを始める」との通知を出しました。
不正に集めた資金であることが明らかになったため、預金を引き出そうとした顧客に対し、地銀4行はネットバンキングによる引き出しを停止した。
そこで来店して引き出そうとしたものの、預金者たちは感染対策アプリに引っかかり来店は阻止され隔離されてしまった。
この件に関しては顧客の抗議行動を抑え込む目的で、地元当局が感染対策アプリ「健康コード」を不正操作した可能性が報じられている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/091c61dc4e03d3f6e53e63c99fa6ae4ab7a07fe0
弁護士の筧史朗はゲイで、恋人で美容師の矢吹賢二と同棲している。これは二人の日常とご飯を描いた物語。
これは追い始めると先が長いぞと思い、2巻までKindleで0円キャンペーンの時に買って読んでやめていたのだが、つい魔がさして買ってしまったぁ……。
ドラマも視聴したんだけど、この作品は本当にドラマの出来が良すぎて、あえて原作を買って読む必要はない気もする。でも漫画は漫画で、よしながふみ先生特有のえぐみがあって面白いよなぁと思う。
漫画ではシロさんが仕事で担当した事件の顛末が大抵ほったらかしで料理シーンに突入してケンジとご飯食べたらはい終わり! ってなりがちなので、物事に白黒はっきり着けないと気が済まないという人はまじドラマだけを観た方がいい。
3巻は2巻の終盤のシロさんの父親が癌になった話と繋がっているのだけど、ドラマと比べてあまりにもあっさりしていたので驚いた。
相変わらず現実をビシバシ突き付けてくる内容だった。40代半ばでもう自分自身の終活の事を考えろって親に説教されるとかつら。
室町時代、京の都の橋の上で、音楽の才能を持った二人の少年が出会い、その場で意気投合しバンドを結成した。
彼らは新しい音楽を生み出し、河原でフェスを開き大当たりする。そして京の都でスターダムにのしあがり時の人となった。
ところが彼らは事務所の都合によりバンドを解散するという運びになる。実は才能を認められていたのはボーカルの犬王だけで、ギターもベースもドラムスも火吹き男も社長にとってはどうでもよかったのだ。ギター担当の友有は激しく抵抗したものの、結局犬王から裏切られ、「音楽性の違い」という体でバンドは解散となった。
そして600年の時が過ぎた。やっと友有の居場所を探し当てた犬王。彼はやつれ果てた友有に「こんどこそ……ぃぬおぅとともありゎ……ズッ友だょ!」と誓うのだった。
いやほんとこれはすごい。あまりにも凄すぎて、見ている間じゅう心の表面が鏡面のように平らかとなり清みわたった。その時だけは魂のありようが竈門炭治郎に近づいたと思う。
ところが、映画館を出た途端に鏡面の下から沢山の思いが溢れて来た。どうしよう、涙と腹の捩れが止まらない……過呼吸になりそう……。
ラストの犬王と友有が永遠の友情で結ばれたところはちょっと強引かなと思ったけれども、そんな事はどうでもいいくらい、すごく素晴らしい映画でした。なので皆さんも是非観てくださいね、きっとハッピーな気持ちになれると思います👍️
○ご飯
朝:なし。昼:豚丼。豚汁。夜:カップラーメン。イカフライ。ビール。
○調子
○アニシャドF
前作の反省点を反省する流れが、あまりにもわかりやすくて、シナリオライターさんや監督さんの今回は違うんだって気概がすごく伝わってきた。
前作ではPPブースとして吼えろイグニスドラゴンするランプドラゴンだったんだけど、
今作ではドラゴンウェポンというアミュレットでフォロワーを「武装」して戦う武装ドラゴン。(作中でアーキタイプが呼ばれる流れもイイね)
切り札のレーヴァテインドラゴンもドラゴンウェポンを出す効果とPP回復効果に突進を持ってる。
これはすごい大きな変化で、武装のパンクシーンが妙に長いことはさておき、突進持ちだから切り札に進化を切らなくてもいい、PP回復で小型フォロワーを追加で出せる、「武装」による強化で所謂「雑魚なんかじゃない大事な仲間なんだ」ムーブが楽しめそうなど、アニメの主人公らしい良いアーキタイプだと今回だけでも思った。
武装ドラゴンはゲームの方でいう「乗り物」に近い感じかな。乗り物ドラゴンは使ってなかったけど、他のクラスでは使ってて楽しかったので、アニシャドFでそれに近いアーキタイプが見れるのは楽しみだ。
(乗り物ドラゴンというと、ガンダゴウザがすごい印象深いけど、グラブルコラボのカードだから流石に出ないかな)
逆輸入されたら組んでみたいなあ、ドラゴニル可愛いし。イグニスドラゴンがローテ現役中に来てくれたら新旧アニメ主人公で組めるけど、どうだろうなあ。
次に、主人公がちゃんと敗北するのと、シャドバ楽しいBotの改善。
これは前作でよく批判されてたので流石にって感じかな。
ただ、本当にただただ負けただけじゃなくて、「シャドバってすっげえ楽しいよな!」をひたすら繰り返してたヒイロと違って、対戦相手のシノブが楽しめたか否かを気にするライトが、普通に良い子で好きになれた。
これ、まさに負けたからこそ、「負けたけど楽しめた」「相手は勝てたのに楽しめなかった」という関係が出せてて、批判されたから負けた展開を作ったというよりは、ちゃんとアニシャドFとしてやりたいことはあるから負けさせたんだと思うので、来週からも楽しみだ。
正直、アリスとミモリの関係性だけが前作で僕が好きだったところで、それの先を知るために惰性で視聴するつもりだったんだけど、
けっこういい感じに分厚かったけど、半日没頭して読んでしまった。
来月辺りに広瀬すずと松坂桃李の主演の映画が公開されるし、TSUTAYAに行けば売れ筋ナンバーワンとしていっぱい平積みされているので、わざわざ私が紹介しなくてもいい気がするが……。
著者の凪良ゆう先生はBL小説家としてデビューした人気作家。数年前からBLレーベル外の小説も書くようになった。『美しい彼』『わたしの美しい庭』『滅びの前のシャングリラ』など著書多数。
主人公の更紗(さらさ)は、風変わりな両親に愛され、自由奔放で健やかに育っていた。だが、平和な日々は突然瓦解してしまう。天涯孤独となった更紗は伯母の家に預けられたものの、普通の家庭に馴染むことが出来ない。居場所のない彼女は放課後、独りきりで公園に行き、ベンチに腰掛けて読書をして時間を潰すようになる。
公園には更紗以外にもう一人、ベンチの常連がいた。更紗の学校の友人達からは「ロリコン」と呼ばれる、痩身の若い男。彼は毎日、暗い目で女児達の姿を追っていた。
更紗が伯母の家での暮らしに限界を感じた夕方、これまで更紗に対して無関心を貫いていた「ロリコン」が彼女に近づいてきて……。
ざっくりと言えば、かつてTwitterとかでフルボッコにされた伝説の『幸色のワンルーム』(はくり)みたいなストーリー。傍目には、猥褻目的誘拐犯に性犯罪被害者が懐いてしまうストックホルム症候群にしか見えないけれど、実は訳ありのお兄さんが虐待を受けている女の子を救い、それをきっかけに強い絆で結ばれ、唯一無二の関係性を築いた二人の物語。
なんか物議を醸しそうな筋書きだけど、今のところ『幸色のワンルーム』のようなボコられ方はされていなさそうだし、これからもそうはならないかもしれない。
ただ、レビューを見てみると、猫も杓子も作者が読んで欲しいように読んでいるというか、「事実は真実とは違うということがわかりました。わたしも無理解から他人を傷つけないように気をつけてようと思いました」と多くの人々が判を押したように書いていて、道徳の時間の小学生じみていて、うすら怖い。一体どうした、みんな真面目か。
まあそれは置いといて。『幸色―』よりは好意的に受け入れられているっぽいのはたぶん、そもそも挿し絵無しの小説なので、女児の可愛い言動や性犯罪被害を描いてもそれを「性的消費」目的で書かれたとは思われ難いというのがあるのかなと思う。それに、物語全体のうち、被害者女児と誘拐犯の暮らしが書かれた部分はそんなに多くない。それより、更紗が事件以来、15年の歳月をどのように生きてきて、現在はどんな風に暮らしているのかに多くのページが割かれている。そして、更紗が性的虐待を受けている場面や、彼女にとってはしんどいだけの性行為の場面は、心情はリアルに書かれても行為そのものは生々しく描写されはしないので、虐待描写のオカズ化は防がれている。そういう意味では安心。
未成年者略取という犯罪に夢見すぎという批判はあると思う。だがそれも罪を犯した文(ふみ)の内心が吐露される章で緩和されるのかな、たぶん。
現実にも起こりうる、子供が被害に遭う犯罪とその冤罪。当事者しか真実は知らないはずなのに憶測が飛び交い、被害者・加害者ともにオーバーキルとなるほど晒し者にされ平穏な日常生活を奪われ追い詰められること。そういうことを物語のネタとして取り上げることの良し悪し。それについて私自身がどう思うのかといえば、良しとも悪しとも言えないなぁという歯切れの悪いことを言うしかない。
個人的な好き嫌いのことをいえば、センシティブなネタほど「逃げの一手」を打たない方が好き。例えば近親相姦もので実は血が繋がっていなかったのでセーフでしたとか、小児性愛者が未成年者略取の罪を犯したと思ったら実はそいつは小児性愛者ではなかったのでセーフでしたとかいうのは、何がセーフじゃ甘えんな! もっと業に正面から向き合えと思う。
『流浪の月』はどうだったかといえば、文は実は小児性愛者ではなかったので、そういうとこは私のあまり好きじゃないものの類なんだけれど。だってたぶん多くの読者が「更紗と文にはこれからは静かなところで幸せに暮らして欲しい」とレビューに書いているのって、文が「安全な人」だとわかったからで、もしもまじもんの小児性愛者だったら同じ感想が出るか? っていう。なんていうのか、結局は罪を軽減して世間並に受け入れられるレベルまで物語引き下ろした感が出てしまうというか。それで事実と真実は違うよねーと言われてもなって感じがする。
だが、文がなぜ自らを偽ってまで小児性愛者のふりをしてきたのか、その事情と心情があまりにも切々と書かれていて胸を打たれたので、私の個人的好き嫌いとかどうでもいいかもう、と思い直した。
事実と真実は違う。人それぞれに抱えているものがあって、それを他人が何も知らない癖に常識だのなんだのを笠に着て叩くことが許されようか? 本作のテーマはそんな感じだが、幼い頃の更紗を育んだ家庭や、大人になった更紗に関わる人々などを、更紗が許容するもの・拒絶するものに、そうは言ってもな……とちょっと疑問が残るようになっているところが良いと思った。
たとえば、母親が無理をせずに幸せであることは大切だとして、更紗は彼女自身の母親や、同僚の子持ち女性の自由奔放ぶりを許容する。ところが更紗の母親と同僚女性は娘の物分りのよさに甘え、自分の恋愛にかまけて娘を放置するという全く同じ行動をする。だが、その結果は大きく異なる。更紗は母親に遺棄されたせいで理不尽に辛酸をなめることになったが、同僚女性の娘は放置されたものの完全には棄てられず、それが切っ掛けで更紗と文という年の離れた友人に出会い、精神的に救われることとなる。同僚女性は更紗と文という協力者を得たお陰で、娘を遺棄せずに自分の人生も大切にできたとも言えるかもしれない。同じ事が起きても結果は違う。これを人それぞれと言うか、そんなんただの運だから、最初からちゃんとしているに越した事はないと思うか。現実としては、周囲から親にかけられるプレッシャーのお陰で子供が守られているという事も、往々にしてあるが……? などと、ちょっと考え込んでしまう余地が読者には与えられている。
一方で、更紗はDV気質のある恋人の亮のことは、交り合うところが一つもないと拒絶し切り捨ててしまう。亮がなぜDVを止められなくなってしまったのか、その理由を知っていながら、理解も共感も彼女は拒否するのだ。母親が我が子を遺棄することには同情すら示すというのに、DV男はどんな事情があれどもダメであるというアンバランス。DV男は許してはならない、そんな奴からは早急に逃げるべきだというのは正しい。ここを違えたら今時の読者には受入れられないのは想像に難くないが、世間へのご機嫌取りとも思えない、あえての偏った描写なのだろうか。と、ここにも悶々と考えさせられる余地がある。
また、他人の無理解によって苦しめられてきた更紗もまた無謬の人という訳でもなく、無邪気な思い込みで発した一言で文を深く傷つけたのに長い間気づかず、文の真実を知らないままであった。それは、読者が安易に更紗と自己を同一視して気分を良くするだけにとどまるのを阻んでいる。更紗が文の真実を知った時、それまで更紗と一緒に被害者意識を持って、解っていない人々を糾弾出来る立場にいたはずの我々は、自分達が解っていない人々と同じ穴の狢であることに気付かされ、ショックを受けるのだ。
後半、読者目線では余裕で予想できる破滅的な結末に向けて、更紗と文が善意やちょっとした人としての良識を発揮したせいで転がり落ちてゆくところは、はらはらしてつい目が離せなかった。それはダメだ、善意でもやったらいけないやつだと、更紗達を批判することを、圧巻の心理描写が妨害してくる。簡単に教訓を得ていい気分になって読み終えることを許してはくれない。それがこの小説のすごい所なのかなと思う。
にも関わらず、レビュー者が判を押したように教訓を得た事ばかりを書くのは、この小説が安易な共感を読者に許さない、熟考を強いてくるからなのかもと私は思った。そう易々とは自分の意見を書くことが出来ないから、かえってテンプレみたいな感想を書いてお茶を濁すことになるのだ。
さて、以下は凪良ゆう先生のBL作品の紹介と、『流浪の月』とテーマが似ていると思う作品とかの紹介。
主人公の平良は吃音を持っているせいで上手く喋ることができず、学校生活の中ではスクールカースト最底辺に追いやられていた。両親に心配をかけることを畏れた平良は、イジメのターゲットにならないように極力目立たぬよう、息をひそめて暮らしている。
そんな平良は、高校二年の新学期、同じクラスになった清居(きよい)に一目惚れをしてしまう。清居はスクールカーストの頂点に君臨し、陽キャの面々に一目置かれながらも孤高にマイペースを貫く、まさに王者である。そんな清居とそのしもべ達から奴隷のようにこき遣われる平良だったが、清居が気まぐれに差し伸べる暴力的な救いの手や、逆境をものともしない凛とした姿勢に心酔する。やがて平良は、清居の一兵卒から立派なストーカーへと進化していくのだった……。
凪良ゆう先生のBL小説のなかでたぶん最も人気のあるシリーズである。イジメの被害者と加害者のカップリング。主人公の平良と、平良に惚れられた清居、それぞれの視点によって相手の人間性や共通の体験についての見方ががらりと変わる。事実と真実は違うとはまさにこのこと。
幼い頃、近所に住む「にいちゃん」に遊んでもらっていた、ゆい。彼はにいちゃんのことが大好きだった。ところがある日、にいちゃんが奇妙な遊びに誘ってきた。怖くなったゆいは、にいちゃんの部屋から逃げ出した。そこへゆいの母親が鉢合わせたことにより、にいちゃんは逮捕されてしまう。
数年後。高校生になっても、ゆいはにいちゃんのことが忘れられず、親には内緒でにいちゃんの行方を探していた。そして遂ににいちゃんと再会を果たしたゆいだったが、にいちゃんはゆいを怨んでいた。にいちゃんはゆいを拘束して動画を取り、それを脅迫材料として、ゆいを呼び出し、苛烈な性的虐待を加えるのだった。
ほんものの小児性愛者でしかも性犯罪者の大人と、ストックホルム症候群な高校生のカップリング。虐待描写があまりにも凄惨で心を折ってくるので、性描写がゴリゴリにあるが抜けないエロ本みたいなことになっている。ヤバい奴に雁字搦めにされてしまった状況での愛は偽りなのかもしれないが、渦中にある本人にとっては本物に見える。その様を綺麗事なしに描写した怪作である。
腐野花(くさりの はな)は、恋人との結婚をもって養父の腐野淳吾の手を離れることになった。花は幼いうちからまだ年若い養父と性的な関係を持ち、そしてもう一つ、誰にも言えない秘密を淳吾と共有していた。
そんな花と淳吾の暮らしを、時の流れとは逆順に、章ごとに語り手を変えつつ描いた物語。最後には花と淳吾の真の関係性が明かされる。
はたからみれば養父から性的虐待を受ける女児の物語だが、やはりこれも事実と真実は違う系。ところが真実は事実よりもどろどろとしていて、なのに純心であり耽美でもあるが、物凄い業の深さでもある。
第1章が花と淳吾の別れの話で、それから章ごとに時を遡っていき、最終章は家族を亡くして孤児になった花が淳吾と出会い養子になるところで終わる。
私は初読の時に、まるでハッピーエンドのように終わるなぁと思ったのだが、再読したら別にハッピーエンドには思えなかったのは何故なんだ。もう一度読めってことかな、ハハッ。
映画にもなっているのだが、映画版はまるで小さな悪女・花に淳吾が狂わされ搾り滓にされたみたいなラストだったから、あまり好きじゃないな。
酷暑の真夏、若い母親は幼い子供達を部屋に置き去りにし、餓死させた。懲役30年の実刑判決を受けた母親を、世間の人々は好き勝手に糾弾する。一体、母親は何故、愛していたはずの子供達を死に追いやってしまったのか? 母親自身の生い立ち、彼女の祖母の代から続く凄絶な負の連鎖とは……。
小説にしか描けない現実があるとして、実際に起こった事件をモチーフに書かれたフィクション小説である。
児童虐待と、世間の人々が助けたいとは思わないタイプの社会的弱者の物語。著者の山田詠美先生は自由な女性の恋愛小説を書く一方で、昔から社会の最下層にひっそりと生きる人々の事も書いてきた。中でもこれはすごい作品。
今、5500万円くらい金融資産がある。
ほとんどは株と投資信託で、自分名義で4800万円、子供名義で700万円。
奨学金がなかったり、結婚式費用を出してくれるような裕福な親だったりしたのはあるけれど、うまくやったほうだと思う。
今までの失敗談と、悔しかった思い出なんかを急に書きたくなったので、匿名で書きつづる。
投資を始めたころ、当時サブプライムショックでレバレッジをかけて行ったFXの証拠金が吹き飛んだ。
為替って、ただのゼロサムゲームだからもう二度と手を出すかと誓った。
が、その後も何度か手を出した。
小銭を何度も稼ぎ、大きな代償を払うことを数度。
当時勤めていた会社は、大きなグループの中のちっぽけな子会社だったのだが、親会社の株を買うと、奨励金が10%出た。
それだけで美味しかったが、会社が傾くと自分の給料も株の価値もダブルで被害を受けるし、あんまり高額までため込んでしまうと子会社といえどインサイダーを疑われると嫌だし、MAX買付はしていたが、定期的に売り払って、それを原資にTOPIX連動型ETFに乗り換えてた。
退職後、その親会社の株が暴騰して、乗り換えずに持ってれば今頃すごいことになってたなと後悔。
たぶん、全く売らなかったらそれだけで4000万円くらいにはなってたろう。
売り払って原資にあてたETFがプラス800万円くらいにはなってるので、十分得はしてるとは思うんだが、やっぱり悔しい。
21世紀はITの時代って誰もが言ってたのに、投資しなかった。
Googleは株式分割と値上がりで25万円くらいが、120万円くらいになった。
ただ、当時は一般口座しかなくて、いくらで買ったかを証明する書類がない。
通常の株式分割と違って、議決権がない株をもらうっていう変なことをしてくれたおかげで、仮にこれを現金化したときにどういう申告をしていいのかさっぱりわからない。
百度は上がったり下がったりを繰り返したが、たいして増えてない。為替のおかげで20万が30万になったくらいだ。安定して配当をもらえてるからまあいいか。テンセントは3倍くらいになった。20万が60万くらいに。
すっかり乗り遅れたが、Amazonに突っ込んだ50万円は200万円になった。
マイクロソフト、アップル、フェイスブック、ビビりながら20~50万円いれて、それぞれ倍になった。
それぞれにたかだか20~50万円しか突っ込めなかったのが悔やまれる。
黙ってGAFAMとBATに最初から思考停止で全力してれば、といっても金がなかったので突っ込める額は知れてるが、たぶん今頃は早期リタイヤしてたと思う。悔しい。
株で儲かった自分がいうのもなんだけど、銘柄選びの眼があったとは思ってない。
なんとなくで選んだうちのいくつかは失敗し、いくつかは大当たりした。
大当たりしたいくつかに引きずられて、今の時点を基準に振り返れば、平均よりいいリターンではあるものの、かなりの含み損を得てた時期もあった。
すべてインデックス投資にした場合のほうが、リスクが少なく同じリターンがえられたように思う。
勉強すれば儲けられるという話は信用しない。
不動産投資に手を出す人って、30代でもレバレッジかけて数千万円を運用してたりするけど、自分は百万だってビビる。
今でこそ、けっこうな金融資産残高になったが、やっぱり100万円を超える投資はビビる。
家を買おうと思う。
低金利と住宅ローン減税で、向こう10年は実質利息ゼロなので、このまま運用を続けながら家が手に入りQOLが上がる。
4000万円くらいで見繕って、減税期間が終わったら繰り上げ返済してしまおうと思う。
これ以上の高給は望まなくても、まあ逃げ切れそうだ。
30分前にも下痢をした。その30分前にも下痢をした。(勿論トイレで)
その後楽しくはてブを眺めていたところ、おならのようなものが通行許可を求めてきた。
トイレは30分前にも行ったばかりだ。下痢特有の差し込むようなものは感じなかったので、何の気なしに許可を出す。
その場で恐る恐るパンツを下ろす。
生理中でナプキンをしていたのが不幸中の幸いだった。ナプキンが便を受け止めてくれ、パンツへの被害はほぼなかった。ちょっとだけあった付着物も、生理用ショーツなので拭けばそれほど気にならない。
ティッシュで拭くと、結構な被害だ。この全てがパンツに付かなくて本当に良かった。
私はいつも椅子にきちんと座らず、椅子の上に足を乗せて体育座り、またはうんこ座りをしている。今回はうんこ座りだったのが幸いし、被害を最小限に留めることができた。
うんこがうんこらしく発射されたことで広がることなく、ナプキンに一点集中できたのだ。
よく考えると、パンツの被害がなかった時点でパンツをもう一度履き、トイレに直行してウォシュレットとトイレットペーパーで処理すべきだったのだ。
焦りからその場で処理することしか考えられず、ティッシュとウエットティッシュでケツを拭いた。
気にならなくはなるが、ポリ袋に鼻を近づけるとくさい。
ここで私は失敗したので、うんこを自宅内で漏らした人は参考にしてほしい。
だが、発射物が付着したナプキンは、巻いてしまうと袋に入れずともうんこ臭さはない。別に消臭タイプでもないのに。これはすごい。
これまでも私は数度、うんこを漏らしてきた。
「ボクにお礼をさせてほしいっポ!」
いつものように日の光からの隠れ蓑の土管の中で、ひとり昼の残りのパンを食べながら時間をつぶしているところに現れたイカのフォルムをしたソレは、最早残飯でしかないものを食らいつくしてからしゃべりだした。
「ボクの星のラッキーアイテムを使えば何でも夢がかなうんだ。お礼になんでも言ってよ!!」
白くきれいな流線型のソレは、地を這いつくばりながらラッキーアイテムなる便利道具ーーーどうみてもガラクタか子供のおもちゃにしか見えないがーーーを次々とほおり投げてくる。
なるほど。
タコは足をくるりと曲げた「ゆでだこ」フォルムならば地球侵略に来た際でも他の地球生物同等に歩行ができるが、すらりと足の伸びたイカではそれができない。できたとしてスミを吐きながら床平面の陣地を取り合う程度のことしかできないだろうよ、と謎の納得をしながらーーー
さて、このお誘いをどう断ろうか。
わたしは必ずしも裕福とは言えないが、貧しいわけでもない。友達は少ないがいじめられているわけでもない。むしろ一人を満喫し、他者と距離を取りたいがためにいわゆる「陰キャ」を演じているただの地球人A。欲望がないわけではないが、この地球外生命体を満足させるであろうどす黒い欲望ーーー例えば殺戮衝動とか?ーーーもしくは、地球のxx問題をどうにかしたい!といった救世主思想ーーーなんてものはとんと持ち合わせてはいない。
こんなお誘いが似合うのは、ずっといじめられ続けて苦しみ、いじめっこへの復讐を考える被害者Bか、地球の更なる発展を具体的な方法として落とし込める英雄Cだろう。発想が貧相で、教科書通りにまねっこをして良を貰っていた、ただの及第点ホルダーAには荷が重い。
「いや、せっかくだけど遠慮しておくよ。」
イカポーという舐めた名前のソレは、それでもなお、トビウオよろしく、わたしの琴線の外にあるガラクタをジャンプしながら投げつけてくる。
その胴体が強かに打ち付けると同時に舞い起こるしぶきは、夏の磯を思いおこさせる香りをばらまいた。
「そんなこと言わずに、なんでもできるっポ!本当だっポ!」
そんなどうでもいいことを考えながら、「じゃあ」と無難な、でも、どう答えてくれるんだろうと少し意地悪なお願いを投げてみた。
「わたし、一度でいいから賞賛されてみたかったんだ。何もとりえはないけど、何かを達成して、みんなから拍手喝采!みたいな。できる?」
「そんなの簡単だっポ!これを使えばいいっポ!」
イカで言えばひれ(耳というんだっけ?)の部分でぺしり、と私の目の前にたたきつけたガラクタは、星形の黄色いワッペンみたいなものだった。
「これは?」というや否や、ソレが解説をしてくる。
「これはすごいねスターって言うっポ!これをみんなに渡せばみんなからすごいねって賞賛のコメントがもらえるようになるっポ!何個でも渡せば渡すだけ賞賛されるっポ!ラッキー星ではみんなやってるっポ!みんなスターをいっぱい集めることに夢中っポ!」
ーーーなんて悪趣味な道具なんだろう。スターをお仕着せてスターを集める?そんなの誰が喜ぶ?こんなの流行るわけがない。
そもそも、みんながみんなスターを貰ったら価値なんてゼロだろう。喜んでスターを集めようなんて普通考える?ばかばかしい!ーーーという言葉をぐっと飲みこんで。
さっと立ち上がると、スターを地面に置いて足早に立ち去る。
残されたソレは「すごい!」「素敵!」とか「レッドすごいねスターもつけちゃうよ!」とかよくわからないことを言っているが、我関せず。興味を失ったわたしはその場を立ち去った。
以来、いつもの土管にはいつもの静けさだけがのこり、ぽーぽーうるさいソレとは二度と会うことはなかった。
もしかしたら今でもウラでわたしにスターをつけて賞賛しているのだろうかーーー想像してぞっとする。
なんて悪趣味なんだ。
けど、推し作品があまりノミネートされていないので、私はショボンとしている(´・ω・`)
『秋山くん』(のばらあいこ)がベストシリーズ部門とベスト受け部門にノミネートされているのはいいとして、ベスト攻め部門は!? 柴くんはどこ行ったんじゃあ……。やっぱりあれか、見た目貧弱な普通顔スクカー最底辺男はいい攻めとしてBL世間では認められないのかうわああああん!!
スンッ。
あと、地味に悲しいけどまあしょうがないかなって諦めたのは、座裏屋蘭丸先生の作品でノミネートされたのが『シャングリラの鳥』ではなく『コヨーテ』で、朝田ねむい先生の作品でノミネートされたのは『スリーピングデッド』ではなく『CALL』の方だったこと。
座裏屋先生の作品については、どっちも面白いのだが去年『シャングリラの鳥』は休載が多くてあまりストーリーが進まず、一方『コヨーテ』は佳境に差し掛かった上に圧倒的クオリティで殴ってきたのでインパクトが凄かった。私は『シャングリラの鳥』の方が好きなんだけど、これはもう仕方ない!
朝田先生の『CALL』はディープ部門とはいえよくノミネートされたなって驚いた。評価は高い一方でレビューが良くないという印象だったので。私はまあまあ面白いと思うんだけど、「主人公がクズ過ぎてうけつけない」とかいうレビューには、うん、そう言われたらぐうの音も出んなと。あとエロ少ない。しかし、そういう表面上の理由で却下されずにノミネートされたのは、朝田先生の過去の実績(『マイリトルインフェルノ』のヒット)と掲載紙の人気ゆえだろうな。『スリーピングデッド』は来年度に期待。すごく面白いんだからね!!(今年度の私のイチオシ)
次にくるBL部門には、正直、はん、これが次にくるだと? 毎回寝起きセックスしか書描いてねーじゃねーかよ! という作品がノミネートされていて嫌だった。ぺっ。『息できないのは君のせい』(澄谷ゼニコ)がノミネートされているのは、そうだねノミネートされるよねって感じだ。メインカプがセフレ関係という設定ながらエロが全くない・脱ぎさえしないという稀有な作品である。『遥か遠き家』(八田テキ)は、これって今年度の作品だったの!? という意味で驚いた。ずっと前から話題作だったような気がして。ということは、単行本発売前、雑誌掲載時から話題だったっていうことだ。これはすごいことだ。何しろBL読みはあまり雑誌を読まないので。『副音声はうるさい十分に』(英子)はBL小説投稿サイトfujyossy発の作品。やったねfujyossy! だが、小説投稿サイトなのに人気作品は漫画ばかりという現状。腐界での小説の求められなさたるや。
ベストディープ部門にやはりfujyossy発の漫画『密書でござる!』(斑月)がノミネートされていて爆笑。この作品は腹がよじれるほど面白いけど、ポリティカルコレクトネス? 知ったことかぁ!! な人向き。どうしようもないエロギャク満載。ディープ部門の中で去年いちばん見かけたのが『夜画帳』(Byeonduck)と『ハッピー・オブ・ジ・エンド』(おげれつたなか)。『夜画帳』は私は読んでドン引きしたが、話題作なので賞取る可能性はありそう。『ハッピー・オブ・ジ・エンド』は私は未読だが、私とは一切趣味の合わなそうな人達の支持している作品なので、私には買っても金の無駄になりそうだから手を出すことはないだろう。
私的にある意味注目なのは、ベスト小説部門。実は私は商業BL小説の世界はあまり肌に合わないからほぼ読まない。読むとしたら一般文芸でも書く作家さんか海外作家さんかムーンライトノベルズ出身の作家さんくらい。なので、ノミネート作品だいたいあらすじすら知らない。のだけど、今年は商業BLの外部から参戦してきた作品がどんだけ頑張るかというところに注目している。とくに『魔道祖師』(墨香銅臭)。これは「このBLがやばい!2022年度」で小説部門第1位だったのだが、BLアワードを主催するBL情報サイト「ちるちる」での評判は今一つ。そもそも、商業BL読みの多くがBL漫画を読むだけで商業BL小説は読まず、商業BL小説を読む層は独特な美意識を持っておられるので、商業BLの掟に添わない作品は読まない。『魔道祖師』は海外発Web小説なのでもちろん商業BL小説としては型破りというか邪道。しかも「漢字ばかりで難し~いぃ」といってBLファンから広く敬遠されてしまったので、一体その状況でこの超大作が果たして受賞することがあるのか。あったとしたら今後、商業BL小説界は大きく変わりそうなので 、注目なのである。
1巻目は「とらドラ!」で問題なかったのだが、2巻目は「とらドラ2!」で、当時から私には「タイトル名の間に巻番号付けるの?どうしてそこにビックリマーク付けるの??」って感じだった。
「とらドラ!2」(タイトル名の後ろに巻番号)ではなぜダメだったのだろう。アニメ化されて10年以上経った今でも、深く疑問に思っている。
そして、「とらドラ!」は最終的には10巻まで刊行されたので、最終巻は「とらドラ10!」という名称だった。
ところで、数学には階乗という概念がある。例えば、「5の階乗」と言えば5から1までの整数を掛け算した値のことで、5×4×3×2×1=120となる。
そして、その階乗は数式で表す際、ビックリマークが用いられる。つまり、「5の階乗」は「5!」と表現する。
とすると、「10!」は「10の階乗」という意味であり、計算すると10×9×8×7×6×5×4×3×2×1=3628800である。
大晦日に気づいたんだが、この世で才能を発揮してる人たちだけが本当の人間でそれ以外の人って世界を維持するためのAIなんじゃないか?
ジェフベゾスが大金持ちになれるのはなぜか?大量の消費者がいるからだ。鬼滅の刃が300億、呪術廻戦が初動で10億稼げてるのはなぜか。これも大量の消費者がいるからだ。
ジェフベゾスはすごいサービス作って世界征服してやろうとか思ってるだろうし吾峠呼世晴先生や芥見下々先生は面白い漫画描いてやろう!という熱い気持ちがあるだろう。
でも俺は夢とかない。ただただAmazonで欲望のままに物を買う。コンドーム、ヘッドホン、漫画とか。暇でつまらない時間を潰すために鬼滅の刃や呪術廻戦を観て興奮する。それだけ。ひたすら金のために働き消費する。すごい人たちの野望のために存在しているかのように思う。養分だ。会社でも自分のために働いてると思ってるけど社長からみたら金を生み出す装置でしかない。
呪術廻戦面白かったけど観てる途中、これはすごいクリエイターたちが凡人の俺を楽しませるために緻密に計算して絵を描いたり演出したりして作られた物なんだなと思いそうになって必死に抑え込んだ。楽しみたかったので。
俺は有能な人たちに金と称賛を渡す装置でしかないのかと思った。俺って本当に人間?俺の野望ってなんだろう。そんなのない?やっぱりただの装置でしかないのか?
俺は管理職じゃないから部下ではないし、社歴も彼の方が長いから後輩ですらないのでタイトルは年上であることしか合ってないのだが、それはとにかく彼は仕事ができない。
同時に指導している新卒の新入社員と同じレベルの内容を教えなきゃいけないこともしばしばで、向上心もなければ頭も悪いし経験もないし話だけ長いという仕事の出来ない要素を煮詰めたようなようなおじさんである。お前これまで会社で何やってきたんだと言う言葉が1日3回くらい喉まで出てきて、無理やりに、一つずつ整理してやって行きましょう!みたいな言葉に変換して吐き出している。
彼の優れている点は一回り以上年下の俺にちゃんと指示を仰いだり従う姿勢を持っていることだ。これはすごいことだと思う。でもね、そんな年上のおじさんに新卒と同じように手取り足取り説明しなきゃいけない俺の気持ちにもなって欲しい。そのレベルの指導って自分で業務回すより効率悪いんだよ。重荷を負うて遠き道を行くが如しなんよ。二人も背負ったら潰れちゃうからねホントに。
正直もう投げ出したいのが、彼の指導は既に別の先輩が投げ出した後。先輩も俺も一般社員としては最上位の等級なので、実際の先輩と俺の指導能力の是非は別にして会社から見れば出来るだけの再教育を施したがダメだったという建前が出来てしまう。こうなるとおそらく会社の評価基準をかなり辛口で用いて再評価されることになるので降級はほぼ確実だと思う。そして彼の下には新卒数年目までに適用するための等級しかないため、無理に残れなくもないとは思うが退職勧告は免れないだろう。
でも彼にも家族がいるんだよなぁ。
アニメポケモンのテレビCMではダイパリメイクのCMがまったく流れないんだよ。
だってアニポケ見ている子どもたちのなかには、ポケモンは実在するしパパもママも子供の頃ポケモン捕まえてたしなんなら10歳になったら自分もポケモントレーナーになるって本気で思っている子どもがたくさんいるんだ。
そんな子どもたちに、ポケモンは所詮ゲームだよ。大人が作った空想上の存在だよ。遊びたかったら金を払え。Switchも買え。なんて、君なら言えるかい?
言うだろうな。
お前なら言うだろうな。
そのとおりだ。分かる分かる。イッツビジネス。
でも任天堂はそれをしない。
代わりに本編でヒカリとポッチャマを登場させる特別版を放送する。前後編だ。しかも2回もだ。
ではご一緒に。
任天堂ってすげー。