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はてなキーワード: 学歴社会とは

2022-08-25

学歴社会を改めさせる方法思いついた

大学卒業する直前にまた共通ペーパーテストやらしてその数字で振り分けたらいいんじゃね

高卒なら高校卒業直後で

学歴査定に入れない

anond:20220825232442

でも学歴社会職歴社会だとほとんどドングリなんだよね

差別化図ろうとすると高校野球練習時間問題みたいな問題が起きるし誰も得しない

経験採用大賛成

俺は高校大学も半分くらいで転編入した 留年はなし

義務教育はいいとして高校3年大学4年同じところに通うって個々としてそれがベストとは限らんよな

俺はその高校入りたくて(俺基準地元商業科入って資格も何個もとったけど受験考えるとやっぱ普通科の方がええわって思った

高校3年とか特に高校の授業要るか?って感じの平々凡々な授業だから高2の冬に受験を見据え転校した

それが見事に当たって志望大学(俺基準)に入学した。んで世間体サークル活動のために3年次編入した

サークルは充実していたが大学からパワハラで1年で中退

1つ1つ見ればインテリチー牛よりもどう考えても経験は積んでいるが学歴社会のせいですべて蔑ろにされてる

自分学歴社会ミスマッチングであるが故にどうしても下に見られ実際に下の立場になるしかない

自分では怠けても無ければ成果を出していないわけでもない。現状維持を嫌い果敢にチャレンジしたと思う。

から経験採用に変わってもいい。学校社会適応するための場であることは否定しないし自分は別段そこを蔑ろにしていたわけじゃない。しか学校という決まった期間、規則適応する必要性はあるのだろうか?ギフテッドを引き合いに出すと自慢に聞こえるが、ギフテッドがわざと周りに合わせて手加減するような状況と同じようなことが起こっているのではないだろうか?

まぁ経験採用採用者側が経験と認める範囲疑念を感じる。普通科転入サークル活動は主に自分ではなく世間へのアピールも兼ねていたからだ。もしそういった事をすることな経験としての採用が認められるなら大賛成だね。

文系学生大学4年間で何をしているかっていったらほとんど路上で酒飲んでぶっ倒れるくらいだよ。だから学歴社会はクソ。クソじゃないと想うやつはそういった自堕落生活学生生活の一部だと就活で胸を張って言えるか?と胸に手を当てて考えろ。

経験採用ってのもな

結局在り来りな経験しか認められなさそう

許容範囲しか経験が認められないってなったらキツイ

てか別に何浪しても何歳からでも新卒贔屓しないなら別に学歴社会でいいよ

2022-08-24

学歴社会経験社会も、金はどっちも必要だし、

ここは、ぷよぷよとかマリオカートはどうだい?

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-08-08

anond:20220808021827

いやでも、学歴社会正義の鉄槌の名目破壊するチャンスがあったら破壊したいでしょ

彼女らも外見社会破壊するチャンスに乗ってるだけだよ

2022-06-09

anond:20220609114323

いやホントそれで、ウェブトゥーンそもそもの魅力ってまさにその新都社ワンパンマンみたいに無名素人作品の力でのし上がれるっていう所にあったはずなんだよな…。

ガチガチ学歴社会韓国で有名美大卒でもない素人が絵の世界で名を上げるって快挙なんだろうけど、そんな事知ったこっちゃないし。

その点、日本にはそもそも新都社以前から同人誌成功する漫画家いくらでもいたわけじゃん?珍しくもなんともねえよなー

やはりお前らのウェブトゥーンは間違っている(追記

追記

こんなたくさんの人に読んでもらえるなんて思わなかった。みんなありがとう

ただ、なーんも読み取れてなくて脊髄反射で「うるさいうるさーい!新しいの!すごいの!これからは縦なの!老害は黙ってて!」ってお怒りな人も中にはいるねー。やっぱりウェブトゥーンばかり読んでると読解力が落ちるのかな?wで、あなたおすすめは何?「知らんけどまだ新しいからこれから出てくる」なんて言い訳通用しないよ。もう答えは出尽くしてんだよ。ウェブトゥーン歴史舐めんな。いいから原点にして頂点のsnowcatを読め。

あとね、ごめん!「ピッコマ社長が言ってた」ての嘘だったかも。読んだ記憶があるんだけどソースが見当たらん。自称詳しいオッサンの話を鵜呑みにすんなって話が、そういうとこだぞになっちゃった反省しかし明らかに翻訳されてない作品があるのは本当。国ごとに翻訳されてるされてないにバラツキがあるのも本当。興味がある人はnamuwikiの書式が読みやすい。例えばこれとか人気あるみたいなんだけど、中国語翻訳しかない。

https://namu.wiki/w/%ED%94%84%EB%A6%AC%EB%93%9C%EB%A1%9C%EC%9A%B0

こっちはサッカー漫画。なんとインドネシア南米というよくわからい組み合わせ。面白くない!?

https://namu.wiki/w/%ED%83%91%EC%BD%94%EB%84%88

最後韓国の人による「最近ウェブトゥーンがつまらない理由」というタイトルウェブトゥーン引用して締めたいと思う。みんなありがと!

https://m.ruliweb.com/best/board/300143/read/57085857

(以下本文)

日本が、世界が、連日HUNTER×HUNTERベルセルクの帰還で大盛り上がりだ。そんな中、今でも必死に「ウェブトゥーン世界を席巻している!」と信じたい奴らがいる。はいはいご苦労様。大丈夫、その苦労ももうすぐ終わる。君らへのレクイエムとして、何が間違っているのかひとつひとつ噛み砕いて教えてあげよう。

日本は「乗り遅れる」?

これはよく知られた基本中の基本だが、韓国ウェブトゥーンという形態が生まれたのは、韓国漫画業界が一度崩壊たからだ。彼らはあの焼け野原から這い上がって来たからこそ、今がある。この基本すらわかっていない連中はお話にならない。ハングルと間違えてハンガリー語でも勉強してきたのか?釜山港へ帰れ

「いや日本だって出版不況が叫ばれている。この混沌時代、海の向こうからやってきた黒船勝機を見出すのだ!」…なんて号令が効いたのはコロナ前まで。もう古い。むしろ今、稼ぎどきに稼がないでどうする?

電子を含めれば、今は始まって以来の大漫画時代。読むものが多すぎて困ってるくらいだ。苦しいのは小説雑誌。今引っ張りだこの漫画家様がウェブトゥーンなんかやる必要どこにもないのだ。

…おや?そういえばウェブトゥーンには食うに困ったラノベ作家原作者として大量に流入しているんだっけ?

縦で色さえついていれば読みに来てくれる?

日本漫画本屋に行けば読める。昔はこれが当たり前だった。今はどうだろう?みんなが自分プラットフォームに読者を呼び込もうと、広告SNSに大忙しだ。人気の漫画なら、僕ヤバのように勝手トレンド入りするけどね。

ではウェブトゥーンの本場韓国では、ウェブトゥーンはどこで読めるのか。これがなんとPCでは「NAVER」などの大手ポータルサイトで読めてしまうのである毎日のようにアクセスするトップページに「今日ウェブトゥーン」が並んでいたのだ。否が応にも目につく。あの頃は、誰もがPC房(韓国ネットカフェ)の横長ディスプレイマウスホイールカリカリしながら読んだものだ。PC房でやる事といえば、スタークラフトミニホムピウェブトゥーンという時代。見開きの漫画貸本屋か、違法ダウンロードで読むものだった。ちなみに「今日ウェブトゥーン」は、ドラマ重版出来!」の韓国リメイクタイトルでもある。

さすがにスマホ時代になって、スマホ版では1段階深い階層に落ち着いてしまったけどね。もうすっかりアプリへの移住が定着したということだろう。その点Yahoo!Japanは頑張ってるな。

なぜ「女神降臨」のような内容スカスカ顔だけ漫画を退屈せずに読み続けられるのか

検索ポータルサイトトップページからすぐ読むことができ、しかも各話にはコメント欄がついており、いいところで次週へ続くことを嘆いたり、推しの尊さに昇天したり、気に入らないヒロイン(「神之塔」のラヘルなどが嫌われキャラ代表格だろう)を叩いたりするファンらで賑わっている。

これって何かに構造が似てないか?はて…そう!おなじみ「ヤフコメである

もはやまじめにニュースを読むためにヤフーニュースを読むという人もなかなかいないだろう。お目当てはあくまコメント欄ニュースをダシに、ああでもないこうでもないと雑談をするのが楽しいである

ウェブトゥーン雑談の「お題」としてうまく機能している。盛り上がる仲間もいないのに、話のタネだけ投げて寄越されたってつまらないだけ。ウェブトゥーンは、井戸端会議の「井戸なのだ

日本では井戸が乱立している?

「その井戸日本では多すぎて客の取り合いになっている。ひとつ統一してほしい。ひとつ井戸でいろんな出版社の漫画をまとめて読めるのがピッコマLINE漫画だった。だから成功したのだ。日本韓国を見習え」

これは一部は確かに正しいだろう。しかし、乱立しているのは韓国だって同様であるNAVERウェブトゥーンNAVERシリーズ(なぜふたつあるのか謎だが、たぶんこちらは完結作品がメインのようだ)、カカオウェブトゥーンカカオページ(これもなんで分かれてるのか謎だが、たぶん元々ダウムウェブトゥーンを買収してできたサービスなのでその残滓か?)レジンコミックス、ポスタイプ、リディブックス等ざっと思いつくだけでもこれだけある。考えることは皆同じだ。

日本ウェブトゥーンには「先」がない

見開き漫画のゴールはどこだろう。憧れの雑誌に名を連ね、単行本本屋に並び…その中でも、アニメ化はやはり別格だろう。鬼滅がアニメ化で化けたのは記憶に新しい。

さて韓国国内におけるウェブトゥーンのゴールといえば、それはもちろんNetflixドラマ原作であろう。しかもそれが全世界配信される。実写しか勝たん。だって陽キャだもん。

では日本ウェブトゥーンはどこを目指せばいいのだろう?「韓国ではドラマ化されていますよ、世界進出ですよ」と夢を語るばかりで、具体的な目標が出てこないのだ。単行本化さえままならない。まさかかつての栄光を失った日本ドラマ制作会社に期待しているわけではあるまい。頑張ってコツコツ描いていれば、韓国からイケメンプロデューサー来日してきて、Netflix配信してくれるとでも言うのだろうか?

それはさすがにウェブトゥーンの読みすぎだろう。ちなみにSPY×FAMILYは見開き原作アニメだが、全世界配信されている。アニメならWIT STUDIOウェブトゥーンやるらしいので、それに期待か。

ウェブトゥーンから「卒業」

ただひとつ思い当たるとしたら「ウェブトゥーンで注目を集めたのち、見開き漫画転向する」パターンである。狙ったわけではないのだろうが実際に今「タテの国」の田中空が「ドラゴンの子」を、「氷の城壁」の阿賀紅茶が「正反対君と僕」を連載している。なんとも夢のない話ではあるが、ウェブトゥーンというだけでも珍しい今、目立つための有効戦術ひとつとして覚えておいて損はないだろう。なおどちらのウェブトゥーン作品も、単行本化は難しいようだ。ジャンプブランドをもってしてもである

氷の城壁はともかく、タテの国は演出が縦型に特化しすぎており、本宮ひろ志「新グッドジョブ」のようにページを半分に分割するか(それでも入り切らないコマがありそうだが)、いっそゲームサウンドノベル)化でもしないとソフト化は困難だろう。結局縦ならではの演出なんて正直者が馬鹿を見るだけで、単純なコマ運びの方が単行本化=マネタイズやすい。クソである

自称「俺、韓国ウェブトゥーンに詳しいよ!」おじさん

じゃあなんで「あのジャンプの!Dr.STONEの!」Boichiの話ばっかで、尹仁完説明が「知らんけどLINE漫画のCCOの人らしいよ」止まりなんだよ。尹仁完といったらあの「新暗行御史」だろうがっ!しかも公開されたイラスト衣装ピタピタ具合とかどことな山道ちゃんに似てるよね?

どうせDr.STONE子供クラス流行ってたか何かで聞きかじっただけなんだろうな…。サンケンロックすら知らないんじゃねーの?少年誌では書けなかったバイオレンスエロスの大爆発が期待できるけど。ほんっと金の話しかしねえのな…。

なんか、コロナ韓国行けないからか「ぼくの考えた最強の韓国」像が蔓延しててすごい怖い。そもそもウェブトゥーンなんだから検索すればすぐなんだが。

海外では色がついてないと未完成って笑われると聞いたけど

じゃあアニメ見せとけ。色ついてんぞ。大体ソースどこだよ。どの国のどの出版社のどの編集長のご意見なの?何時何分何秒?え、そこら辺の読者の感想?話にならない。でカラーにしたら飛ぶように売れたの?数字は?リクープした?

漫画家の人)ウェブトゥーン勉強しなくちゃ!興味はあるんだけどな。コマ割り難しい

いやさ、読めよ。まず。面白ウェブトゥーンを夢中になって読めよ。毎日何本でも読めよ。そっからだろ。まさか読んだ事もないのに描こうとしてんの?サロンか何かで描かされてんの?ていうかさ、ジョジョ読んだ事ある?本当に興味がある人は、「興味ある」なんて言わねーんだよーッ!

なんで韓国人の名前日本風にローカライズするの?

お前みたいなめんどくさいオタクターゲットじゃないんだよ。ウェブトゥーンの客層はそんな細かい事気にしてない。なんならカタカナ多すぎたら難しくて読めないしな。彼らは六本木クラス日本漫画だと思っているし、問題なく楽しんでいる。

っていうか昔から韓国では日本漫画をがっつりローカライズしてたから惰性で続けてるだけだと思うけど…

縦でカラーならウェブトゥーンなんでしょ?

韓国では確かにそう(一般名称)なんだけど、実は日本ではNAVER商標登録しちゃってるんだよね…。だからスマトゥーン」だの「タテスク」だの名称が乱立しちゃってるんだろうな。まじめなとこほど避けるだろうし…。

K-POPみたいな「みんなで一丸となってこの文化を盛り上げていこう!」っていうわかりやす愛称がないと、なかなか広まっていかないと思う。こんな足の引っ張り合いみたいな事をやる界隈に、未来なんてねーわ。

あと韓国特に若い人の場合はどんどんウェブトゥーン漫画境界曖昧になってて、TwitterとかInstagramの横にスライドするひとコマ漫画でもウェブに載ってれば全部ウェブトゥーンでよくね?何が違うの?って人も普通にいる。何回も言うけど、東村みたいな自称詳しいおばさんじゃなくて現地の情報に当たれよなー。こんな増田をシコシコ読んでる時点で期待出来んが…。

昔のMMORPGみたいな違法ダウンロード対策じゃないの?

それがウェブトゥーン結構勝手コピーされて翻訳されてロシアとかで大量に出回ってるらしいんだよなー。スクショ禁止だったりするけど完全じゃないんだろうね。ちょっと韓国ウェブトゥーン作者をウォッチしてたら「きちんとお金出して買いましょう!」みたいなツイート頻繁にしてる。どこも大変だのー。

漫画が読めない子供が増えてる!このままでは漫画読者は滅亡する!

な、ナンダッテー!!

…あ、あのさー。韓国ではもうウェブトゥーンが登場してからもう20年くらい経過してんだわ。

そんな漫画が読めない子供が増えてるだとか、全然売れないなんて話聞いた事がねーんだよ!!

というか学歴社会韓国では子供に大量の学習マンガを買い与える風習があるよ。カラーだけど、普通に紙の本だよ。WHY?シリーズなんかは日本語訳もされてる。

しろ先程も書いたようなウェブトゥーンアプリ韓国語に翻訳された日本漫画バラ売り課金サクサク読めるんだわ!

な?むしろウェブトゥーンに飽きた韓国人が昔の漫画を読むっていう好循環が生まれてるまであんの。ハングル読めないバカでもONE PIECESPY×FAMILYやH×Hくらい検索できまちゅよねー?怪しいおじさんに教えてもらわなくたって現地の評判わかんだろ?手に持ってるスマホは飾りか?

なんで遅れてるだの終わりだの言うくせに、「先進国」で実際に起きてる現象は都合の悪いところだけ隠して脅すような事ばかり言うんだろうね〜?あれれ〜?

なろうのパクリでしょ?

うーん、なろうっぽくないウェブトゥーン韓国にはたくさんあるんだな。ピッコマ社長が言ってたけど戦略的ジャンルを絞って翻訳してるだけで。フランスだのインドネシアだのあちこちに輸出してるみたいだけど、恐らく国によって「ウェブトゥーンって◯◯ばっかりだよね」というイメージは違うんじゃないか

例えば、日本でいうコミックエッセイジャンルなんかはウェブトゥーンでも人気がある。ただただ一人暮らしを楽しむだけーとか、猫飼ってるだけー、作者がいろんな料理に挑戦するだけー、とか。そもそもウェブトゥーン黎明期はそれらが主流だった。個人ブログに描いた絵日記のようなもの。つか、だからスクロールなんだわ。

あと、なろうっていうか韓国のなろう小説原作だったりするのは本当。韓国にもなろうみたいな小説サイトがあるんだよね。これだけウェブトゥーンが普及してる韓国でもやっぱり文字で書かれた小説を読みたいってファンはたくさんいるし、ウェブトゥーンから入って続きが気になるから原作小説を先に読んでしまファンだってたくさんいる。いい循環が生まれてる。ってこの話さっきもしたな。

なろう系のウェブトゥーンドラマ化も難しいしねー。職場イケメン上司契約結婚しますみたいなのは根強い人気。なろうっていうかハーレクインに近い?

ビレラみたいな斬新なウェブトゥーンもある。アメリカアイズナー賞にもノミネートされている。

うん、バレエテーマ漫画も、高齢男性主人公漫画も、男性女性的とされていることに挑戦する漫画も、ここに書ききれないくらい大量にあるけどね!

ドラマ化するのは珍しい?日本に勝った?じゃあ漫画業界ではなくドラマ業界が見る目ないんじゃね?バレエできる男性俳優も少ないだろうし。NHKの深夜とか結構変な漫画原作ドラマあったりするけどな。ああいうのをNetflix配信してほしいもんだわ。

あとアイズナー賞って日本漫画もたっくさん受賞してるからね。ノミネートされたのはすごい事だけど、そんな前人未到の快挙みたいに言われても正直困惑するわ。

でも漫画アジア全体で盛り上がって、ライバルが増え、切磋琢磨できるのは本当に素晴らしいことだと思うよ。正直な気持ちだよ…。

ウェブトゥーンの最新情報シェアするイベントTwitterスペースで開催します!

これなんなんだ?多すぎ。マジで気持ち悪いんだが。文章に残すとなんか不都合なことでもあんのか?ほんとサロン界隈と親和性が高いっつーか…

まとめ

疲れた…。

結局「いいからその世界を席巻しているバチクソ面白ウェブトゥーンとやらを屏風から出してくれよ!」の一言に尽きる。俺レベはつまんなかったから他のね!

以上!おわりっ

あー宝石の国楽しみだー

2022-05-26

話題の「リスキリング」が、学歴社会終焉に向かわせると思える


 コロナ禍がビジネスに影響を与え続け、その期間が2年を超える中で、大きな変化といえるものデジタル化の加速という流れがあります。それまで耳なじみの薄かった「DX」という言葉経営常識となり、自社の製品サービスネット上で販売するECビジネスオンライン営業はもはやB2CB2Bを問わぬ重要戦術となっています従業員一人ひとりの身近な部分では、テレワークオンライン会議などコロナ前には想像もできなかった働き方が、あっという間に浸透しました。

 この流れは業務根本から見直すことにも直結しており、特に業界的な変革期と昨今のデジタル化の急流が交錯した業種において激しい動きが目立っています。その最たるもの金融業界でしょう。日本経済新聞調査によれば、銀行証券保険などの大手13社で3年以内にDXを活用した業務削減に伴う人員削減は4万人に達する見込みであり、うち明確に配置転換が見込まれ人員は7000人余りとのこと。それ以外の3万人超については、「未定」というあいまいな状況に置かれています。ただ、日本労働法規上、自然減以外の余剰人員解雇することは難しく、どのように再活用していくかは大きな課題となっている形です。

 余剰人員活用キーワードとして2021年辺りからよく耳にするようになったのが、「リスキリング」という言葉です。「リスキリング」とは英語にすると「reskilling」、すなわちスキルを身につけるという意味の「skilling」に「再度」を意味する「re」を付けたもので、「職業能力再開発、再教育」という意味で使われています。広義には時代に合わせたスキルの再取得を意味しますが、今の時代限定した狭義では「DX化に対応できるスキルの再取得」という意味で使われていることが多いのではないでしょうか。

画像イメージ出所ゲッティイメージズ

 先の金融業界の例で申し上げれば、りそなホールディングスでは行員1700人を3~6カ月の研修期間を経て事業承継分野やDX関連業務に配置替えすることを計画しているようです。第一生命保険では全社員デジタル人材として再教育し、社内のIT資格取得を義務付けるといいますSMBC日興証券でも、22年度中に社員の約1割にあたる900人をデジタル人材として再教育の上、再活用する考えを公表しています

 急速なデジタル化の流れで、金融機関におけるリアル店舗網の縮小は加速度的に進んでいます。同時にフィンテック活用をはじめ金融機関ビジネスモデルは根底から変革を求められており、今後を見通した変革の設計図面に対して人材面での対応が追い付いていないのが実情であると映ります

 このようにコロナ禍と業務見直しの過渡期が重なった金融機関ではかなり激しい動きが見て取れますが、他の業界でも時代の趨勢(すうせい)はいかんともしがたく、早晩ほぼ例外なく同じような流れにのまれるのは間違いのないでしょう。そうなると気になるのは、長年同じことの繰り返しに慣れてきた中高年社員はリスキリングに直面してどうなるのか、という問いかけです。

 パーソル総合研究所20年に発表した調査で既に、国内企業約800社の約36%が「シニア社員能力スキル不足が課題になっている」と回答しており、5年以内に課題になりそうだと回答した企業まで含めると、70%近くにまでのぼっています。中高年社員いかにして取り残さないかという「守りのリスキリング」は、見逃せない問題になってきているのです。「人生100年時代」といわれ定年延長や再雇用既定路線になりつつある中で、企業経営は新たな重たい課題を抱えることになったといえそうです。

出所:パーソル総合研究所企業シニア人材マネジメントに関する実態調査

 人事戦略の変革はリスキリングだけではなく、採用面にも大きな動きが出ていますスキルを持った人材積極的中途採用する動きです。

 やはりこの領域でもビジネスモデル転換を急ぐ金融機関が先行している感は強く、3メガバンクで22年度中の中途採用が前年比8割増という計画が打ち出されています。一方で新卒採用は3メガバンク合計で前年の5000人から1100人へ大幅な減少傾向にありますリアルの非効率業務デジタルに置き換わること、そして今後も進むDX化で実践的なスキルが重視されることなど、この傾向は他業種にも広がることが大いに考えられるでしょう。そうなると最終的には、世界的に見てガラパゴス終身雇用を前提とした日本企業採用は、近い将来いよいよ終焉を迎えることになるのではないかと思うのです。

 そもそも長期雇用を前提としたわが国では、チーム型優先での組織運営にふさわしいゼネラリスト養成を目指した「メンバーシップ雇用」を採用の基本としてきました。この「メンバーシップ雇用」は結果的に、基礎学力を一つの物差しとした学歴優先採用を醸成することとなり、特に大手企業は一人でも多くの有名大卒業生採用したいという方針で長年採用競争を繰り広げてきました。

 しかスキル重視の中途採用人材補充の有力手段となり新卒採用が減ることになれば、新卒採用についてもこの傾向にシフトしていくのは当然の流れです。すなわち、日本的「メンバーシップ雇用」が「ジョブ雇用」に取って代わられるのは時間問題であると思われるのです。

今後、採用においては、終身雇用を背景とした長期的展望ゼネラリストを育てるという人材方針が改められることで、入社後に想定されるジョブにハマるかハマらないかが、その合否を決定する最大のポイントになるでしょう。そうなれば新卒採用は、「人物重視」といったあいまい表現に“化粧”された学歴偏重に陥ることなく、応募者がその時点でスキルとして何を身につけているか、あるいは企業要求するスキルを持っているか否かが問われることになるはずです。とりわけ語学力プログラミングをはじめとしたITリテラシーなどが、新規採用の際の基本資質として問われることになるとみています

 われわれ世代就職活動をしていた40年ほど前は、銀行などの募集要件に当たり前のように「大卒文系男子」という狭い枠がハメられていました。しかもこの「大卒」の裏には、「できれば有名大学」という言葉が明らかに潜んでもいました。だからこそ、教育ママ教育パパはわが子を中学から有名校に入れて、有名大学に進学させることこそ親の務めと思ってきた節があります

画像イメージ出所ゲッティイメージズ

 しかし気が付けばダイバーシティージェンダー平等常識となった今、企業募集要項に「文系」「男子」などを付することが非常識時代となり、もはや「大卒」を掲げることすら常識に適わなくなる日は近いと感じさせられます。筆者の住む街の路上で夜な夜な繰り広げられる塾通い送り迎えの駐車車列渋滞を見るにつけ、教育ママ教育パパの教育目線もそろそろ変えないといけないのではないかと感じる次第です。

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2205/26/news042.html

2022-04-21

anond:20220421114449

そうなんだよな、低スペック地方だとたいてい年収300万以下のプログラマしかなれない。

1000万以上のプレイヤー東大卒とかMIT卒とかそんなのばっかりなのに。

学歴社会じゃないっていうのは、そいつらと同じレベルまで勉強する気があるなら同じ報酬って意味

その気がないならやめた方がいいって感じ。

 

新卒東大生が高待遇就職したり結婚したり家買ったりしているのを横目で見ながら

40ぐらいまでずっと低収入勉強を続けてやっと一流になるぐらいの人生に耐えられるかどうかなんだよ。

 

普通に結婚したり子供が欲しいなら公務員の方がいいよねって話。

2022-03-14

雑に学者を叩く橋下徹さんの戦略は正しいのかもしれない

※この話はフィクションです

橋下徹さんといえば、とりあえず「学者現実を知らない」「私に文句を言うやつは現場を知らない」と言っておけばなんでも自分が正しいことになるとでも思っているのではないかというくらいとにかく学者叩きが大好きな人です。論理的思考ができる人は彼のことを馬鹿だとしか思わないでしょうが政治家を辞めた後TVとかネット中心で生きていく戦略としてはあながち間違いではないと思います。なぜなら、私の身近でも「学歴コンプレックスをこじらせて学者嫌いになった人が大阪維新を支持するようになってしまたからです。

低学歴人間学歴コンプレックスをこじらせすぎてインテリとか学者に対してアレルギーが凄い

私の知り合いにものすごい学歴コンプレックスの強い人がいます自称Fラン大の経済学部卒を名乗っており、今でも自分本来なら慶応大学合格してたはずなんだとずっと言ってます。本当は慶応大学に行って親に認めてもらいたかったんでしょうね。でも現実はそうなってないせいか早慶大に対してものすごいルサンチマンを抱えています。何か不祥事があればとりあえず早慶を叩かないと気が済まないみたいで、彼が一生懸命早慶を叩いているのを見るたびに学歴社会が一人の人間をここまで傷つけてしまったのかという現実残酷さを知らされます学歴コンプレックスなんてだいたい社会人になってから数年経てば癒されるものなんですが不幸にも彼は就職活動に失敗しブラック企業で病んでしまい、10年近く就職どころかバイトで働くことすらしてないのでいまでも学歴コンプレックスが温存されてしまってるんですね。そんな彼は、インテリが大嫌い。なぜなら彼の学歴コンプレックスを最大限に刺激する存在からです。彼は学者の言ってることを理解することができないのです。学者が、いろんな可能性を考慮しながら慎重に意見を述べるのですがそういう紆余曲折の部分を理解することができません。学歴コンプレックスが強い彼は、自分がわかるように説明してくれない学者を憎いと感じてしまうのですね。

わかりやすい説明をすると「結論を理解する労力」が「その結論を導き出した労力」と誤解されるときがある|柴田史郎|note

学歴コンプレックスに苦しむ彼の情報源はもっぱらYouTube

最初中田大学あたりを見てて危ないなと思っていたんですが、案の定そこからさら信頼度の低い政治YouTuberに流れていきました。ご存じの通りYouTuberは一本道の理論でわかりやす結論を断言してくれるので、彼のような人間でも言ってることが理解できます。ただYouTuberは「わかりやすさ」の代償として必要情報までそぎ落としまくった非常に危険情報提供をする人も多いんですけどね……。そして彼はまんまとそういう系統にハマってしまいました。彼がハマった政治YouTuberは大阪維新の会の支持者でした。(なぜこの人が大阪維新支持だったのかはわかりません。憶測ですが「学者」の意見に反する言動をとることが多いからかもしれません。ニュースでは専門家意見ベースになりますが、それだとYouTuberはおまんまおくいあげ。そこで政治YouTuberは大阪維新の人たちの意見隠れ蓑にしながら、学者の語ることを否定し、独自色を打ち出そうとするのかもしれません。知事自体イソジンとか言ってるような政党ですからね。とにかく他の人とは違ったことをして目立ちたいのでしょう。)

とにかく、彼は大阪維新にのめりこむようになってしまいました。学者を叩き、他の人とは違ったことをしてる政党応援してる自分が好きなのでしょう。YouTube政治を学ぼうとするような彼のような単細胞人間にはこちらの方がウケがよいのでしょう。YouTubeが主な情報源である彼のTwitterを見ていると、半可通な政治語りが多数を占めているのですがかれは大真面目に学者より自分の方が現実を正しくとらえていると思っているのですね。彼は「自分理解できたもの真実」だと思ってしまうようで、彼にとってはYouTuberの語る内容こそが真実なのです。

学歴コンプレックスを抱えた彼を受け入れてくれる政党日本には大阪維新かN国党くらいしかない

今の彼は大阪維新の会を支持することで幸せそうにしています学者を叩くような発言を喜んでRTしたりしています。多分、なぜ自分大阪維新を支持しているのか彼自身もよくわかってないでしょう。情報源政治YouTubeから、それ以外の情報がない以上、他の政党のことはわからんというのが事実じゃないでしょうか。それでも、彼は大阪維新を支持することで救われているのです。彼のように学歴コンプレックスを抱えた人間癒してくれるのは大阪維新しかなかったのです。最近の彼は部分的陰謀論を支持するようなことも口にするようになってきました。もうちょっとであっちの世界に旅立ってしまうのかもしれません。さよならだよ……

2022-02-02

anond:20220202115950

学歴社会といいつつ社会に出て求められるのは学歴じゃ無いからわけわかんねーんだよな

2022-01-24

なんか世界って、高校までの数学を主に暗記で攻略していたような人が得するようにできているんじゃないかって思う。

「そういうものだ」と説明されて納得できる人と理由を追求しないと納得できない人とでは日頃悩む量が違ってくる。そういう私もiPhoneが具体的にどういう仕組みなのかを理解せずにiPhoneでこの投稿を書いているのだが……少なくとも高校時代はまず公式をそのまま覚えるよりも公式証明を答えを見ずに試みるタイプだった。

自分がそのどちらに偏っているのかは知らない(個人的には後者だと思う)けれど、後者は前者に要領が悪いとよく罵られるのだと思うし、私はもっと「そういうものだ」の説明で納得できる方に偏りたい。なぜなら生きるのが楽そうだから。もちろん前者特有の悩みもあるのだろうとは思うが、一つのことをこなす効率がまず違う。

あいう人には「考えすぎて鬱」なんてことはきっと理解できないのだ……この文全部が私の偏見思い込みに過ぎないし、その考えを持つ私がこの学歴社会における馬鹿なので長々と書いたことははたから見れば馬鹿な考えなのだろうし、仮想敵のことを考えて嫌な気分になるのは時間無駄なのに過去の嫌な経験から仮想敵を作り出すのがやめられない。はよ寝ろ。動くのが億劫かもしれないが机まで動いてそこにある眠剤を飲め。こんな非生産的人間が生きていてもどうしようもない。税金場所無駄だよこんなもん。なのに4ぬのにも金がかかるなんてクソだよ。

あ〜クソが。もっと書かなきゃ気が済まないくらいだけどこれ以上考えを乗せたら私の文章力では文が破綻する。もう破綻しているのに気付いていないかもしれないしな。

2022-01-20

anond:20220120142843

なぜ駄目かというと、植物とちがって失敗作を枯らして捨てることができないからです。

優生学というのは遺伝子の選別をします、悪いものを捨てます、ということです。

でも、人間遺伝子は(たばこモザイクウイルス大腸菌とちがって)めちゃくちゃ複雑にできています

ものすごくできの悪い遺伝子セットができてしまえば母胎で受精直後に死にますが、

グレーゾーンはいくらでもうまれてきます

というか、100%優秀な遺伝子同士からでも、0%に近い子供が生まれたなんてのはよくあることです。

そのグレーゾーンが今発達障害といわれているもので、もともとは普通の100%に近い扱いをうけていた優秀な遺伝子のあつまりなんですよ。

今生きている人たちは全員、その時代結婚できない人もいるなかで結婚して子供もつくれた勝ち組同士の子孫です。

そう考えると、なぜ今の状態だけをみて勝ち組選別してはいけないかがわかるとおもいます

もういちどいいますが、今この状態不妊も解消できない少子化の今こそが、

知性が高くコミュ力高く顔もよく勝ち組同士だけが結婚できるというのを3000年くらいつづけてきた結果なんですよ。

幸せになりたいのなら、そういう勝ち組遺伝子もちのはずの人たちになんかいいわけつけて負け組というレッテルを貼りつけてまわる

そんな仕組みの方をどうにかしたほうがいいです。まあ学歴社会とか、社畜至上主義かのことですが。自営業って知ってる?

あともうひとついうと、将棋の強い人の親や兄弟や親戚つれてきて将棋やらせてもぜんぜん駄目ですからね。藤井羽生の前に天才棋士といわれた加藤一二三さんにも子孫はいるけど将棋全然でしょ。https://xn--p8jxdhd0kva0119ftqhsvq.com/2019/03/12/katou-hifumi-kurisuchan-kazoku-kodomo/

先祖代々の遺伝子が効いてるのかも、っていえるのはスポーツ家系あいつらは胃腸がつよくてものすごくランゲルハンス島も働くタイプのかけあわせ。

メダルいくつかとった室伏広治さんは親が両方とも陸上メダリストでしたっけ。

でも、それだって割のいいギャンブルしかない。

今は自動車トラクターなどの機械を扱えるほうがクズだろうが安定して稼げる。

からそういうメダリストばっかりふやそうとはみんなあまりおもわないんですよね。

知性については遺伝子の偶然と育て方のほうが問題ですよ。

将棋という一つの尺度で生きていける世代もたぶんあと50年くらいですな。

それから先はAlphaGoのようなAlpaSogiというAIを組めた人のほうがずっと勝ち組です。

そういう才能も今クズといわれてる人たちのなかに埋もれているのかもしれませんよ。

あと、そういう偽科学典型たる「優生学」(骨相学とおなじくらい何も学問ではないのだが)を独裁者がやっちゃったドイツとか北朝鮮、今、全然発展してないからほんと気をつけてね。

2022-01-18

ITスクールの闇

htmlcssってたいての人は30h-50hぐらいの訓練で習得できるんだよ。基本的な部分だけなら。

広告にあるような年収800-1000万とかの年収必要技術はもちろんこれではない。

必ずしも学歴必須じゃないけどその年収学歴社会を勝ち抜いた理系博士とかの年収なんですよね。

闇が深いよな。

2022-01-17

anond:20220117095813

長期的に学歴社会否定しつつも

現時点・目の前の判断として学歴社会迎合することは普通判断としてあり得る

それはそれこれはこれ

anond:20220117095813

出身学校名」重視の学歴社会は望んでないけど、学部/修士/博士という意味での学歴社会はむしろ肯定派なので……

anond:20220117095813

学歴社会とか学歴差別ダメだなんて誰が言ってんの?不登校YouTuberくらいじゃない?まともな社会人は悪いともなんとも思ってないよ。当たり前じゃん。

anond:20220117130736

東大卒」って女性相手に言うと股間視線をビンビン感じるし

早慶卒」って言うと相手が途端に目をそらして直視してこなくなるし

大東亜帝国って言うと途端に相手が勝ち誇った顔になるゾ

学歴社会を日々ビンビン感じる。

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