はてなキーワード: 学歴社会とは
twitter界隈で話題のタワマン文学。成金上流層の家庭を舞台に伝統的日本大企業(JTC)や学歴社会を皮肉るスタイルで当初は好意的に読んでいた。2022年のM-1グランプリでウエストランドが優勝したのも小市民的な出で立ちのコンビが上流層に噛み付いたという構図があってのことだろう。それと同じ構図に2年ほど前から興味を持って観察していた。
ただ、注目度の上昇と商業主義化に伴って、文章そのものに共感できなくなり、痛快さを感じることができなくなってしまった。
ハッシュタグで盛り上がってた頃とは対象的に、大手メディアに取り上げられ、一部作家の単行本化も決まった。露出が多くなることでさらに注目も集まった。
こうして商業主義化した界隈が上流層を小馬鹿にしたところでどこに共感がうまれるのか。タワマン文学が隆盛したのは、書き手がTwitterという匿名空間で陰湿に上流階級を皮肉り、題材(成り上がり上流階級)に対する受け手側の嫉妬心をうまく刺激したからではないか。書き手自身が上流階級化することで、その嫉妬心は書き手自身に向かっていく。
もっとも彼ら自身はタワマン文学に手を出す前から上流階級だったのかもしれない。ただ、問題はそこにあるのではない。タワマン文学というツールを使って書き手が成功し、商業主義化していく様が皮肉にもTwitter上で可視化されてきたことが腑に落ちないのである。
彼らが今後Twitterで、JTCを皮肉ろうが、若手起業家を茶化そうが、成功者・上流階級のおままごとのようにしか見えなくなってしまった。
低成長を続け未来の見えない日本社会には成功者の足を引っ張るという娯楽しか残されていない。彼らもそうだったし、私もそうだ。こうした文章を書き、溜飲を下げても何も生み出さない。
何もしないでも世界中から優秀な若者がやってくる+アホみたいな寄付金貰って"大学に入れてあげている"(超絶上目線)をやっている+超学歴社会、
そんなアメリカでもなんなら英国でもオンラインの工学部あるんですけどそれはっていうね(2022 Best Online Engineering とかで検索かけよう)
というか試験代以外は無料で完全オンラインでCSやMBA取れたりもするアメリカの大学あるけど、
日本は学位が教育しかない放送大学と、ソフバンクがやってるCSかどうかはよくわからないヤツしかない(まぁ放送大学よりはマシだね)
性教育って、自動車免許でもここまでしねえよってくらいにセックスが危険行為って態度で教えてくるじゃん。
「大切な人と愛を確かめる行為で後ろめたさを覚える必要はありません」とか一応言うけどそっちは明らかに建前で、本音はセックスは危険で細心の注意を払うべきだし極力慎めって思ってるのがビンビンに伝わってくる。
つーか「愛を確かめる」って方も思春期キッズにとっちゃ気持ち悪くてむずがゆくてキモいよな。
しかも、真面目に授業を受ける子、つまり学歴社会においては将来金を稼ぎやすくて子育てしやすいはずの人間ほどセックスに抵抗感を覚えるようになる。
少子化を防ぐためには、セックスはもっと気軽な娯楽であるとして、愛がどうのとかしゃらくさい説教もやめて快楽としての性行為を強調した方がいい。
何もしないでも世界中から優秀な若者がやってくる+アホみたいな寄付金貰って"大学に入れてあげている"(超絶上目線)をやっている+超学歴社会、
そんなアメリカでもなんなら英国でもオンラインの工学部あるんですけどそれはっていうね(2022 Best Online Engineering とかで検索かけよう)
というか試験代以外は無料で完全オンラインでCSやMBA取れたりもするアメリカの大学あるけど、
日本は学位が教育しかない放送大学と、ソフバンクがやってるCSかどうかはよくわからないヤツしかない(まぁ放送大学よりはマシだね)
仮に学力による選抜が平等で公正なのだとしても、競争である以上は敗者を生む。敗者が自らを敗者に追い込んだ仕組み、つまり学歴社会に不満を持つのは自然なことであって、学歴社会は常に低学歴者による不満と反抗の危機に晒されているといっていい。高学歴がエリートでいられるのは非エリートの低学歴によってエリートと承認されるからであり、数の上でも低学歴の方が圧倒的多数を占めるから。この時、学歴社会にとって最も脅威となるのは、財力その他の資源を持つ低学歴たちだろう。彼ら彼女らは学歴社会を転覆する動機だけでなく、転覆するのに必要な力(金だったり、コネだったりといった影響力)を持っている。
良家に生まれ、親に愛され、何不自由なく育ってきた若者が、18歳のある日「お前は試験の成績が悪いから大東亜帝国⑨に行け」と言われる。その衝撃は想像に難くない。そこで彼らやその親たちが、学歴社会と言う仕組み自体を憎悪し、学力による評価・選別を破壊しようとする可能性がある。
そこで彼らに、慶應のfit入試や早稲田国際教養のAO入試といった形で、金持ちなら学力を問わない選抜を用意し、学歴を与える。低学力者である彼らを高学歴に包摂することで、彼らの不満を解消する代わりに、学歴社会の勝者としての振る舞いを求め、ひいては学歴社会を承認させるのである。こうして、潜在的な学歴社会の敵を未然に排除することこそ、体験型入試という名で行われる学力不問型・金持ち優遇型入試の機能なのではないだろうか。
たまたま動機と被害者が被害者だったから公共の福祉と宗教に寛容な社会についての議論が盛んになっているだけであって、容疑者の犯行の矛先や動機がそれならほかのものが議論が過熱していたと思うな。
オタク文化業界人をオタク文化で人生狂わされた高学歴チー牛に殺害されたならオタクの規制が議論になっていたと思うし、ニートの高学歴者が大学に入って誰かを殺害となっていたら学歴社会や受験戦争が下火になっていくと思う。
鉄ちゃんを鉄道会社勤務の家族が殺害となれば鉄道趣味ブームが完全にすたれると思うし、バイク乗りの高校生をバイク事故遺族が殺害となればバイク業界が下火に戻る。
義務教育はいいとして高校3年大学4年同じところに通うって個々としてそれがベストとは限らんよな
俺はその高校入りたくて(俺基準)地元の商業科入って資格も何個もとったけど受験考えるとやっぱ普通科の方がええわって思った
高校3年とか特に高校の授業要るか?って感じの平々凡々な授業だから高2の冬に受験を見据え転校した
それが見事に当たって志望大学(俺基準)に入学した。んで世間体とサークル活動のために3年次編入した
1つ1つ見ればインテリチー牛よりもどう考えても経験は積んでいるが学歴社会のせいですべて蔑ろにされてる
自分と学歴社会がミスマッチングであるが故にどうしても下に見られ実際に下の立場になるしかない
自分では怠けても無ければ成果を出していないわけでもない。現状維持を嫌い果敢にチャレンジしたと思う。
だから経験採用に変わってもいい。学校は社会に適応するための場であることは否定しないし自分は別段そこを蔑ろにしていたわけじゃない。しかし学校という決まった期間、規則に適応する必要性はあるのだろうか?ギフテッドを引き合いに出すと自慢に聞こえるが、ギフテッドがわざと周りに合わせて手加減するような状況と同じようなことが起こっているのではないだろうか?
まぁ経験採用も採用者側が経験と認める範囲に疑念を感じる。普通科転入やサークル活動は主に自分ではなく世間へのアピールも兼ねていたからだ。もしそういった事をすることなく経験としての採用が認められるなら大賛成だね。
文系の学生が大学4年間で何をしているかっていったらほとんど路上で酒飲んでぶっ倒れるくらいだよ。だから学歴社会はクソ。クソじゃないと想うやつはそういった自堕落な生活も学生生活の一部だと就活で胸を張って言えるか?と胸に手を当てて考えろ。