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2020-12-29

友人が結婚したが気持ちの整理が付かない

タイトルそのままなんですけど、旧友が結婚してどういう感情を抱いているのか分からなくなったため書き込みました。まあ書いたらすっきりしたんでもういいんですけどね。あとはじめて書き込むので勝手が違くても許して。


友人Aが結婚した。その知らせはあまり親しくはない同級生からのものだった。


学生時代彼女と私は親友で、休み時間の度に話に花を咲かせていた。好きな男の子の話、嫌いな先生の話、アニメの話、流行りのアーティストの話。どこまでも尽きない話題は、私たちがまだ若く、可能性がたくさん残されていることを示唆しているようであった。

友人Aの人柄は、よく言えば天然、悪く言えば抜けている。気が利くような人間では無いが、いつも笑顔で明るい天真爛漫な性格だ。愛されキャラ、というレッテルのもと皆に可愛がられるタイプである

お互い三十歳を目前としていた。まわりもやれ結婚だやれ子育てだと、ライフスタイルが変わる頃合いである。私自身三年ほど前に結婚し、今は身重の体である


話が逸れた。友人Aが結婚したそうだ。一番に、おめでとう、という感情を抱いた。


友人Aとは二年ほど連絡は取っていない。仲違いをした訳ではない。お互い仕事が忙しくなり、私は家のことにも時間を割かなければいけなく、一方彼女は新しく恋人が出来たのをきっかけに、一ヶ月に一回、三ヶ月に一回、半年に一回……と、年々会う頻度は減っていた。そうしているうちに、連絡を取り合わなくなったのだ。


旧友となってしまった間柄に、わざわざ結婚報告などしてこないか


一縷の寂しさが滲んだ。しかし又聞きではあるが、友人Aが結婚した事実を知った以上、無視することははばかられた。結婚式を開くか、はたまた呼ばれるかは定かではないが、軽くお祝い品を包み、久しぶりに連絡を取ろうと決意したのは、十月の後半であった。

「久しぶり、元気?」

LINEアイコンは、お互い二年前のままであった。それが妙な安心感を抱かせた。私たちはきっと、色々と変わってしまったけれど、変わらないものもあるのではないか。そう思わせてくれたのだ。

「元気だよー。どうしたの?」

友人Aは突然の私からの連絡にそう返した。きっと、私も逆の立場なら同じ返しをしただろう。彼女が職を変えていなければ、お互い土日が休日となる。会う約束を取り付けるのは容易であった。コロナ禍故、軽くご飯でも、と誘うのにさえなかなか勇気がいるものだ。まあ、断られたらそれまでだろう。そんな心中とはうらはらに、彼女は快諾してくれた。

二週間後の土曜日に待ち合わせとなった。駅中に新しく出来た洋食屋だ。LINE上で結婚したという報告をされるかとも思ったがそんな気配は無く、約束した日はすぐに訪れた。

「久しぶり〜」

洋食屋に先に着いていたのは私であった。単純に、あとから来て声をかけるのが苦手なのだ。それなら待っていて、見つけてもらう方が良い。

やがて私と同じ背丈ほどの女性が店を訪れた。店内のオレンジ色ライトに照らされたその女性は友人Aであり、私が席を立ち上がって手を振ると、小走りで近寄ってきた。

ベージュトレンチコートを身にまとう友人Aは、記憶の中の彼女とさして変わりはなかった。もともと童顔な造りの友人Aは、老け顔の私と比べると年齢差があるように思えた。

友人Aが向かいの席に座ってすぐ、左手の薬指に指輪がはめられていることに気づいた。

「え!結婚したの!?

私は知らない体で切り出した。

「うん。まあ、」

彼女笑顔こそ浮かべていたものの、少し歯切れの悪さが目立った。マリッジブルーだろうか。結婚祝いにと、友人Aが好きなラベンダーを使ったスワッグと写真立てが入った紙袋ゴミにならなければいいのだが。

そんな様子の友人Aであったが、結婚するかどうしようかという相談はおろか、結婚した報告さえもされなかった私が、何かあった?なんて聞くことは気が引けた。気付かないふりをしてメニュー表を広げ、オーダーをした後、改めておめでとう、と大袈裟にはしゃいでみせたことで、友人Aは決意したように口を開いた。

「実は増田、私と付き合っている人のこと、あまりよく思っていなかったじゃん?だから報告するの、悩んでたんだよね」

そう、そうなのだ。まだ頻繁に連絡を取り合っていた頃、私は友人Aが新しく交際を始めた相手(以下A旦那)を良くは思っていなかったのだ。私は友人Aが、A旦那結婚したという事実に面食らった。

なぜA旦那のことをよく思わなかったかというと、その人に離婚歴があり、親権こそないが中学生の子供もいると聞いていたからだ。さらに年の差も十個ほどあり、普通ならそれなりのポストに着いていてもおかしくは無い年齢であるが、派遣社員をしているという。それに友人Aは喘息持ちであるが、A旦那ヘビースモーカーだそうだ。


私は友人Aが付き合いだした当初、相談(という名の惚気)として上記の話を聞いた。ステータスだけきくと、やめたほうが良いと思った。だが口に出すことはしなかった。

私なんかよりも可愛い顔をした友人Aなら、絶対もっと素敵な男性を見つけられるだろうに。が、A旦那の前に付き合っていた男性のことを、かなり引きずっていた友人Aが、やっと新しい恋をスタートさせたことに水をさしたくはなかった。友人の恋愛にいちいち口を挟むのはためらわれるが、本当に大切な友人なら止めてあげるべきなのか。しかし言ったところで恋愛中に他人意見など聞くのか。いやでも…。


当時はかなり悩んだが、最終的に私は友人Aが良いなら良いんじゃない、というスタンスを貫いた。私自身思うところがあったのは事実であるが、それを隠すことも大っぴらに言うこともせず、結局は臭いものに蓋をした形で済ませた。そのことに、友人Aは気づいていたんだな、と二年越しに知ることになるとは思ってもみなかったけれど。


私はここで、友人Aが結婚することを祝う気持ちが、ほぼほぼ消えてしまたことに焦った。


私たち所詮友でしかない。友人Aが誰と結婚しようが、私には利益不利益も出ないはずなのに。どんな相手配偶者になろうと、当人幸せならそれでいいじゃないか

二年前の懐かしい感覚が体を襲った。頭では理解しているのに、どうにも体が追いつかない。心臓が嫌な音を立てているが、それを悟られないように、結露した水の入ったグラスを口につけた。

「たしかに、当時は反対する気持ちもあったけどさ。でも、Aがその人のこと大事に思っていて、今ちゃん幸せならそれでいいんじゃない?」

増田…」

「Aが幸せなら、私はお祝いするよ!本当におめでとう!!」

から出るのは頭で絞り出した言葉であった。内心では、なんであんな人と結婚したの?とか、絶対苦労するよ、とか、他にいい人絶対いるよ、とか。酷いことばかりで。抱いたことを飲み込む辛さと、嫌なことを考えてしまうことに自己嫌悪した。


紙袋に入った写真立てに、二人の写真が入れられることを想像すると、今すぐ床に叩き落としてやりたい気持ちであった。が、そんなこと出来るはずもなく、結婚祝いとは言わず適当理由を付けて祝い品を渡した。


私には、関係のないことだ。大丈夫、友人Aが決めたことなら、それでいい。

「でも、増田がこうしてちゃんと祝福してくれてほっとした!ずっと言おうか言わないか迷ってたんだ〜」

その瞬間全部馬鹿らしくなった。


サプライズとして用意した結婚祝いも、最近連絡を取っていないから報告がなかったと言い訳がましくしていたことも、二年前の葛藤も、今さっき抱いていた自己嫌悪も。

友人Aと過ごした歳月は、決して短くはない。彼女本人から親友だと口にしてもらったこともある。それほどの仲であったのだ。あったのに、だ。

祝福されないかもしれないことを恐れて、報告をしてくれなかったのか。私は心無い言葉をぶつける人間だと思われていたのか。偏見を抱いている自分に対しての自己嫌悪も、友人Aが苦労しないように無理にでも止めるべきであったのだろうかと苦悩したことも、無駄だったのか。今も尚必死に取り繕っている外面も、アホらしくて仕方がない。


でも実際、私は諸手を挙げて祝福できないのだから、報告しなかった友人Aのほうが正しいのかもしれないな。


そう思った時、早く帰りたいなーとスマホ時間を見た。友人Aは久々に会ったことで、学生時代のように話に花を咲かせたがっていたが、私は目の前の和風ハンバーグをつつく気力さえ尽きていた。が、食べ終わったから帰ろうか、という口実をつくるため、無理やり胃に詰めこんだ。

友人Aは結婚式は身内だけですると言っていた。相手の方と年齢差もあり、さらに言えば離婚歴があるためあまり人を呼びたくないそうな。

「まあ、コロナ禍だしね。落ち着いた頃にでも写真見せてね」

社交辞令を口にした。が、彼女と会うことはもうないかもしれない。

地方はどうやって生き残ればいいのか

地方議論するときに、地方定義が人によって異なるため、東京23区を除いた地域とする。


グローバル化によって東京相対的に魅力が減った。

東京文化発信の中心地だった時代から海外の方が相対的地位が高くなった。

東京人口が集中したことによって、東京での暮らしに憧れる人達相手商売がしにくくなり、海外に住んでライフスタイル東京人達相手商売をするとなった。

ネットスマホによってメディアが複雑になって、政治以外は誰も先導できなった。

東京の魅力は転職やすいといったもので、文化からどんどん離れている。

東京から発信される文化は減っていく一方で、日本全国から集めてきた人、ネタ食材を発信することで構造を維持している。

東京相対的若い人が多いが、新しい感性で上書きされるというより、歳を取った人が若い人を使って構造を維持するのに躍起になっている。

ミスコンに反対しつつも、雑誌SNSでのグラビアには声が上がらないといった感じだ。一度有名になり東京に有利に働いている限り、羨望の対象となっている。


東京東京グローバル化に曝されて大変だが、しわ寄せは地方に来る。

猿払村のように年間所得が3000万以上といった、地方でも儲かるところは儲かっているがバラつきが大きい。

先の猿払村だと所得が高い人がいる一方で、外国人実習生に頼らざるを得ないといった感じだ。


地方の一番の弱点はメディアが弱い。

誰でもネット情報発信ができる時代ではあるが、有象無象の一つに過ぎない。

ふるさと納税で他の地域競争させられて、一番還元率が高いような地域にならないといけないといった具合だ。

京都のように観光資源都市部に集中している地域なんて少ない。

YouTube観光宣伝しようにも、観光資源が離れすぎていて、交通機関が発達している近辺をめぐるというのに反している。

海洋資源制限がかかり、土地アメリカのように国内工場を建てる必要はない。

UberやPayPay、コンビニのチェーン料金など都市部お金流れる仕組みもできてしまってる。

結婚したいとは思えない

結婚したいとは思えない31の男だが

彼女いたことない。そんなこと言うと「そもそもお前は結婚できねーよ」とかネットでは言うひといそう。でも一方で後輩とかに結婚しないんすか〜?」とか言われる。

私の母と父はよく喧嘩していた。子ども(私や姉や妹)がいるからという理由離婚はしなかった。今はみんな成人していて母と父は別居中だ。離婚はしていない。寸前といったところ。

よく「パパとママラブラブな〜」とか言う話があるが、私の両親はお見合い結婚したらしく、そのようなこととは無縁だった。同居中の頃の母をみてたらとにかく辛そうだった。そして別居したときの母を見るとすごく楽しそうにしていてほっとしている。

また、職場女性もみんな離婚していた。1人残らずみんな。といっても4人だが(私の部署は総勢7名程度)。そしてまたそれ以外の高校大学学生時代の知人も何名か離婚している。

たいてい結婚生活は難しい辛いみたいな話ばかり。不倫とか浮気ではなく大半は価値観ライフスタイルが合わないだとが多いがとにかく辛い話を聞く。

ずっと結婚した後の生活地獄みたいなそんな話ばっかり聞かされてきた。

こうなると無理だと考えてしまう。わたし他人と合わせるのは苦手だしそもそも誰かと一緒に生活するとか無理だから結婚したってそのあとの結婚生活ができないと思ってしまう。どうせ離婚するなら結婚しなきゃいいじゃんってどうしても思ってしまい、結婚したいとはどうしても思えないのだ。

一方でずっと楽しいとか結婚生活が上手く言ってるのはテレビの家庭紹介とかで聞いたことある。たぶんだけどそういう夫婦関係を維持できる事例はあるんだろう。否定はしない。だけど、私には無縁でどうしても不可能だって思えるのだ。

そもそも私は誰かを本気で好きになることは今まで一度も無かったし、恋だとか愛だとかは無縁でよく分からなかった。もし、そのような感情が湧けば結婚したいとか思うようになるのだろうか?

結婚を焦る知人もいるが彼ら彼女らはなんでそんなに結婚したいと思うのか。

2020-12-28

ワイヤレス充電器を試したら意外と良かった

iPhone12が発売された頃、12を買った友達が別の友達と、ワイヤレス充電器どう? という話をしていたのを聞いたときはそれほど興味も無かった。

しかし、先日、IKEAで600円くらいで売られているのを見かけて、値段とシンプルデザインに惹かれて買ってしまいました。

それほど大きくなくてマットな質感が可愛い

円形のパッドは中心に本体と同色で十字のシリコン製滑り止めがある以外は余計な装飾が無い。

メーカーロゴとかあると机の上で悪目立ちしそうなので、このシンプルさが良いと思った。

2Aの充電器とiPhone8で使ってみると、測ってはいないものの充電速度はそれ程遅くない感じ。

寝るとき風呂の間しか使わず、そこまで急速充電を求めていないので、これは問題ないなと思う。

それよりも、ケーブルの抜き刺しが無くなった事が想定外に快適だった。

今までは、ただケーブル差し込むだけなんて手間ですらないと思っていて、

それが理由ワイヤレス充電器にお金を出すのは勿体ないと思っていたのだけど、

ケーブルで充電するときの「引っ張り出す」「片付ける」の2アクションが無くなるとなかなか快適だった。

また、充電でケーブルを刺さなくて良いというのは、ケーブルを「目立たないけど取り出し易く収納しなければならない」というカルマから解放だった。

机の上にケーブルを出しっ放しにするのと比べて、ワイヤレス充電器を置くと、

「モノが置きっぱなしになっている」ではなく「iPhoneを充電するスペースを設けた」と認識できるので、散らかった感じがしなくなる効果があった。

もちろん、充電しながらiPhoneを使うことができなくなるけど、

ネットするならPCiPadがあるし、どうしてもゲームをしたいとなればモバイルバッテリーや充電ケーブルを使えばいいだろう。

その人のライフスタイルにもよるのだろうけど、私の場合は良い買い物ができて満足です。

anond:20201228060319

そう。「カネはないんだけれど、時間は有り余っている」なら、もっと自分人生が向上することをやればいいのに。畑を耕したり自炊したり図書館に行ったり、絵でも描いて投稿するとかさ。

貧困とは財布の中身ではなく、精神的・ライフスタイルに由来するものなんだな。。

あわせて読みたい

ttps://anond.hatelabo.jp/20160605004638 格差教育無料でも広がる

2020-12-21

日本階層社会なんだ。

文化された制度はなくても最低でも上級とそれ以外には分かれるし

なんならそれ以上に細分化されるし、人は平等ではない。

問題情報発信の送り側も受け側もそれを了解してないというか認めきれてない点にあると思う。

トラウデン女史の炎上は下々の民が空気を読みきれなくて起こしてしまったものと言えるが、

そもそも下層が馬鹿なのは馬鹿故に下層に甘んじてると言ってもいいぐらい自明なので、

上層がライフスタイル齟齬無頓着なまま、

下層…いや言ってしまうが馬鹿相手ビジネス情報発信仕掛けるのも悪いよな。

社会階層が違うならもっと棲み分けないと。

2020-12-09

第2子妊娠中の申 真衣さん、スプツニ子!さんと「30代の卵子凍結」を

2020年における先進的な女性卵子凍結・代理母に対する率直な考えが現れている非常に重要な対談だと思うので記録のため引用する。

VERY2020年4月号「卵子凍結事業も始めるスプツニ子!さんに訊きました シンマイさんと学ぶVERY世代卵子凍結」

https://veryweb.jp/life/106461/

https://web.archive.org/web/20200817141554/https://veryweb.jp/life/106461/

以下引用

海外欧米)ではもはやメジャーカジュアルな「卵子凍結」。自然分娩や母乳育児が尊ばれる日本ではまだまだSF感の漂うマイナーな分野。でも、女性だけにタイムリミットがあり、仕事もノッてる時期に、伴侶を探し、結婚妊娠しろ、ってどうよ。と立ち上がったのが、自ら26個の卵子採取したアーティストスプツニ子!さん。結婚前に凍結を検討していたシンマイこと申 真衣さんと意気投合

※この対談はVERY2020年4月掲載時(取材2月のものです。申 真衣さんは、同年7月に第2子妊娠公表しました。

――シンマイさんももともと卵子凍結に興味があったとか……。

申 実際にカウンセリングに行ったこともあるんです。もうすぐ30歳だな、と思っていた頃にちょうど未受精卵子の凍結が日本でもできるようになって(*注1)興味が湧いて。結婚願望はなかったのですが子どもは欲しいと思っていたので選択肢ひとつとして話を聞いてみようと思ったんです。でも、当時はまだアングラ雰囲気で……。躊躇しているうちに結婚したので凍結までは至りませんでしたが。

スプツニ子!(以下ス) 私は33歳の時に初めて卵子凍結のカウンセリングを受けました。結婚もしていないしパートナーもいない。仕事もめちゃくちゃ楽しい、でも子どもが欲しかったらそろそろ考えないといけないのかな。じゃあどうする? と思った時に、日本価値観では出産の前に結婚しないといけないらしいし、結婚するには恋愛しないといけない。やらなくちゃいけないこと多すぎない?と思って、じゃあまず卵子を凍結しようと。昨年2回採卵して26個凍結しました。

卵子凍結を体験したスプツニ子!が準備中の新プロジェクトとは

ス 自分でやってみたら気持ちが変わったのを実感して。凍結卵子による妊娠100%ではないか保険みたいなものではあるけど、すごく解放された感じがあった。あぁ、これで私はもっと自由に生きられるんだって。女の人は意識していなくてもbiological clock(出産可能年齢)という枷がある。子どもを産みたかったら何歳までに○○しなくちゃ、と。日本では凍結した卵子を使えるのが45歳未満までだから、あと10年くらいの猶予がある。それだけでもこれだけ明るい気持ち仕事に取り組めるんだ、と思い、この経験もっと多くの女性シェアしたいと思いました。

申 米国だと福利厚生として導入している会社(*注2)もありますね。

ス 2018年には米国大企業17%が導入しています過去3年で3倍になっているから、今年は30%くらいに増えているかも。米国で有名な卵子凍結クリニックはNYの5番街にあって内装もオシャレ、女性自分人生選択肢を広げるために訪れるポジティブ空間英国では、採卵した卵子の半数を提供するならほぼ無料卵子凍結ができます。でも、日本ではまだ広まっていないし、中国シンガポールでは社会的適応による卵子凍結がまだ認められていない。それってもったいない

申 私も自分が興味を持った時にリサーチしたことがあって。日本でも潜在的需要は高いはず。それなのに供給はなされてない。これって事業になるんじゃないのかな?と思ったんです。

ス 実は今年、卵子凍結バンクCradle」をオープンします。興味はあるけれどよく分からいから手が出せない、そんな空気を変えたかったので情報クリアにしてもっとハードルを低くしていく予定。いくつか報告はあるのですが、35歳以下の卵子を凍結しておけば子どもができる確率10個でおよそ50~70パーセント、15個採ると70~80%。この数字を高いと見るか低いと見るかは人それぞれですが、ブランドバッグや海外旅行とそう変わらない金額人生選択肢を増やせることを知ってもらいたい。

――卵子凍結事業を始めるきっかけは?

ス もともと私は女性テクノロジーに関連するアート作品を作ってきました。テクノロジーって人類にとって平等進化しているように思われるけど、実は男性中心に動いてきてしまった歴史がある。例えば避妊ピル日本では承認ものすごい時間がかかっていて米国から30年以上遅れていて、国連加盟国の中で最後まで承認されなかったのは日本北朝鮮だけ。承認前も「女性の性生活乱れる」みたいな論争が起きて。でもバイアグラが出てきたら、多数の死亡例もあったのに、たったの半年日本議会承認したんですね。

申 ピルには30年、バイアグラ半年

ス It’s a Men’s world なんですよ。残念ですがこれまで男性目線で科学進歩してしまった。ハタチの時にそれに気づいてしまって、人類は月に行ったのに私はまだ毎月生理になっているし、妊娠出産原始時代から変わらない。周りは「女だから・そういうものから仕方ないよ」って受け入れているけど、私は『なんでだろう、おかしいな』と思っていた。だから卵子凍結という選択肢が出てきた時に、これは人類にとってすごく大事第一歩だと思ったんです。

VERY世代生殖タイムリミットにつねに急かされている

ス 社会活躍する女性が増えているのに、仕事いちばん楽しい時期と子どもを産まなくちゃいけないとされている時期がドンピシャっておかしい。どれだけ女の人の活躍が進んでも、最後ガラス天井が肉体のタイムリミット妊娠出産卵子凍結はまだ新しい技術だけど、怖がったりタブーにしておくのはもったいないと思います

申 私は入籍から1年、31歳で妊娠。このタイミングタイムリミットから逆算してそれしかないという感じでした。子どもは欲しいと思っていたし、娘のことはかわいくてたまらないので後悔はもちろんないのですが、妊娠タイミングキャリア的に最適だったかというと難しい……。昇進の時期を控えての産休だったので、復職後に頑張りすぎてバーンアウトしかけたり、と余裕のない状況にはなってしまいました。少子化問題意識を持つ男性と話すと、早く結婚しろ・早く子どもを産め、という話になりがちですが「相手もいないのにどうやって」と思います。そして、結婚すると今度は生殖可能年齢のタイムリミットが迫っているのでせっせと妊活に励まなければ、となる……。

――2人目・3人目を望むのであれば猶予がない状況も。

申 晩婚・晩産化で初産が遅れていて(*注3)、1人目が1歳になった瞬間から、『2人目は!?』というプレッシャー自分自身にかけなければいけないし、仕事もある。忙しすぎです……。子どもの年齢はできるだけ離した方が子育て的にはずっと楽だと思うのですが、生殖可能年齢のタイムリミットがそれを許さない。

ス 30代の間にAMH(*注4)は大きく変化するから、針の穴に糸を通すような感覚ですよね。今の生き方生殖バイオジーが嚙み合っていない。だからこそ、卵子受精卵の凍結はもっと知られるべきだと思います。すでにパートナーがいるVERY世代であれば受精卵の凍結もアリ。個人的には多様な可能性を残すために未受精卵も凍結することをオススメしますが!

申 日本不妊大国体外受精で生まれ子どもは16人に1人の割合でいるはずなのにオープンにしている人は少ないですね。自然に授かることを良しとして生殖医療話題は触れにくい風潮も。

ス でも、『#MeToo運動もあって女性の性や生理に対する意識もやっと変わってきてる。その流れで、生殖医療に対する意識も変わってほしいと思う。もっと自由に産む時期を決める権利があることに気づいてもらいたいです。

申 卵子凍結の次に来るのは代理母だと思うんです。

ス 卵子凍結をしても自分で産むにはリミットがあるから、その流れは必ず来ますね。

申 日本だと向井亜紀さんが代理母出産(*注5)して話題になっていたけれど、米国ではサラ・ジェシカ・パーカーキム・カーダシアンのように代理母出産するセレブがいますね。費用的にはなかなか手軽にはならないのだと思いますが、選択肢が増えることは良いことだと思います

ス そもそも男性って女性パートナー代理で産んでもらって、親として認められているのに、女性けが自分で産まないと認められない、なんておかしいですよね。大事なのは子どもに愛を注ぐことではないでしょうか。

申 憧れの女性の先輩が精子提供を受けてシングル子どもを産んだんです。もちろんシングルマザーにはそれなりの大変さもあるかもしれませんが、仕事でも成功を収めていて人間的にも素晴らしい人なのでその決断にはかっこいいという言葉しか見つからなくて。きっとお子さんはたくさんの愛を受けて幸せに育つだろうと思います

ス 女の人だって仕事があって自立していれば、子どもを産むために結婚する必要はない。恋愛結婚関係なく、望んだタイミング子どもを産める自由がある。夫というパートナーがいなくても、現にアメリカヨーロッパでは充実した社会的支援のもと精子提供を受けて生まれ子どもがすくすく育っているから、家族という形式にこだわりすぎなくていいと思います

申 国や社会家族の在り方や女性生き方を枠にはめようとしますが、子どもを持つというのは本来すごく個人的選択。その人らしい選択をできるようになればいいと思います。そのためにはまず選択肢が増えていかないと。卵子冷凍されていて子宮も借りられるとなると、何歳になっても子どもが持てる。子育てに要する体力的な問題はあります人生100年時代のこの先、50代、60 代になってから育児をするなんて選択肢があってもいいのでは、と思います

ス 私たちが当たり前に思っている家族の在り方――何歳くらいでママになって子育ては何歳くらいまで――というのがこれからどんどん変わっていくはず。好きに生きて、好きなだけ仕事して、好きな人出会えたらラッキーだし、そうじゃなくても「精子バンク子ども産むもん!」って思えたら楽しいと思う。私はそっち派です (笑)

申 私はもっと早く知っていれば20代のうちに卵子を凍結していただろうなと思います。娘には本人はその時は必要性を感じていなかったとしても卵子凍結を勧めたいと思っています免許取得を大学入学祝いプレゼントするのと同じ感覚ですね。大学生の時間に余裕があるうちなら採卵もしやすい。それに結婚を考えるパートナーがいないうちなら意思をすり合わせる必要もなく、誰かの合意必要いから。スプツニ子!さんみたいに爽やかな方が卵子凍結を勧めれば、ポジティブものだと広まりそう。

ス 私もそうしたいと思っています20代なら数も採れるし質もいいから、成人式の振り袖より卵子凍結をプレゼントする方がずっといい(笑)。申さんには卵子凍結のアンバサダーになってほしいです!

申 ぜひやりたいです(笑)


スプツニ子!/アーティスト

1985年まれ東京藝術大学デザイン准教授ロンドン大学インペリアルカレッジ数学部を卒業後、英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アートRCA)で修士課程を修了。マサチューセッツ工科大学MITメディアラボ助教2017年東京大学特任准教授を経て現職。「東京減点女子医大」(2019年)などジェンダーに関する作品も多数。今年、病院提携する凍結卵子保管バンクCradle」(https://www.cradle.care)をオープンする予定。※サイト5月ローンチ

◉申 真衣/VERY専属モデル

1984年まれ東京大学卒業後、外資証券会社に約10年勤務したのち、現在ベンチャー企業取締役を務める。2019年6月号でVERY初登場、効率を重視するワーママらしいロジカルファッションライフスタイルが注目を集めVERY世代オピニオンリーダーに。2020年3月からVERYモデル。30歳で結婚31歳で長女を出産。(2020年7月現在、第2子妊娠中)

小島慶子もっとスマートになるべき

小島慶子のことは嫌いではなかった。むしろ好きな部類に入る方の有名人なのだが、このエントリ(https://fujinkoron.jp/articles/-/2959)はホント胸糞だ。

正しそうな、何一つ彼女論理破綻がなさそうに見えるのに、読後感が半端なく胸糞なのだ。その証拠に、何が胸糞なのか整理するのに3時間彼女言い草脳内を反復し、ゲロを吐くのを我慢しながら考え、時間を浪費してしまった。

その整理してみたけれど、きっとまだ整理しきれていない胸糞の原因は以下の通りだと思う。きっとこれからもっとその原因が浮かんでくるとは思うが、いま書き出さないと脳が爆発、というより腐りそうだ。

匿名から敢えて断っておく必要もないだろうが、決して売春風俗肯定する気はないし、女性の方が歴史自由から迫害されて、総じて不幸せ環境にあったことも認めるし、自分自身もその加害者であったことがあることも認める。しかし、しかし、だ。あまりにも気持ち悪い理由は:

(1)夫が風俗で遊んでいたことに対して、すごくインテリ的な立場非難している点。

前述したように、男性風俗で遊ぶ際、女性性をモノ化して消費している側面はある。そのことに嫌悪感を感じる人も少なくないだろう。風俗ポルノ一般忌避されているのは、人間味が損なわれて、消費の対象のように感じられるからであろう。しかし世の中には男性男性を、女性男性を、女性女性物質化して消費するような需要も少なくない。物質化された側が被害者意識を持つことは直感的で、痛みを感じることは、個人的理解できる。しか小島が感じた痛みはそんなインテリ的な、形而上の概念が原因であるはずがない。自分物質化しないと生活ができないような同性に配偶者一時的寝取られた悔しさや、嫉妬さらには低俗サービス欲望の解消を頼ってしまうような弱いオスを選んでしまった自分に対する憐憫や敗北感があるのではないかもっと言えば、自分が腹を痛めて産んだ子供父親がさほど強くなかったことや、腹を痛めた子供育児中に欲望を一人解消していたことに対する妬みや、自分よりも低収入な夫がそんな贅沢な遊びをしていたことに対する嫉みも入り混じっていることを小島自覚していない。

(2)インテリ的な非難をするのに値しない、低レベル自意識

配偶者自分DNAを後世に残すための精子提供者という一面を持つ。自覚できるかどうかは置いておいて、DNAレベル判断私たち動物的に行っている。だから理由なく異性を意識したり、性的魅力を感じたりする。そこには「異性を物質化」しているかどうかの理屈の入り込む余地はない。異性を異性化しているだけだ。女性出産後、配偶者への愛情が低下するのも育児エネルギーを手向けられるように進化過程でできた適応だ。その適応の結果、DNA未来に繋ぐために選んだ配偶者は、モノ以下になる。しかも夫の方が収入が低いとなれば、夫は生は、ほぼ用なし状態だったはずだ。自分は男をモノ化しておきながら、棚に上げ非難するのは完全に最も小島非難している「自分に向き合っていない」ことにならないのか?自分に向き合っていない小島自分に向き合えず結婚生活継続だけを求める夫を非難できるのだろうか。小島は、収入こそ妥協たかもしれないが、健康的で異性として魅力的な顔立ちや体つき、一緒に子育てのできそうな精神的な安定に魅力を感じて配偶者を決めたはずだ。これこそがDNAとしての異性選択ではないのか、自分に問いてみるべきだろう。

(3)息子たちの性教育が終わったと断言できる浅はかさ。

性教育という概念はまだ新しい。しかも、その歴史を見ていくと、内容も時代とともに変わっている。つまり、「性」についての答えはまだ出ていないと考えるのが普通だろう。出産後の夫の不誠実さを悲しく感じることと、それと性教育との関係性はあまりにも薄い。生殖の仕組みについては、科学的な見解があるが、同性愛問題も含めて性衝動性的な魅力、恋愛感情についての科学的な理解はまだまだ一般的な正解はない。きっと小島が言っている「性教育」は「現代における社会的容認できる性行動教育」だ。同じ科目が50年前に存在していたとすると、まったく内容は異なるし、それこそ男女間で大きく異なる。50年後も大きく違っていることだろうと予想する。こんな母親に育てられた息子たちが不憫しょうがない。性は、表出化する行動であるだけでなく、人類がここまで繁栄繁殖してきた原動力であり、私たち幸せエクスタシーを感じる手に取って誰もが感じることのできる能力なのに。初恋気持ちや、愛する人を求めてしま情動、そんな相手に振り向いてもらえなかったり、離れた時の悲しみは理屈ではなく、他ならぬ人間が持つ感情である。何度も言うが、小島が感じた悲しみや絶望非難しているのではない。気の毒に感じる。小島に原因があったと言っているのでもない。

(4)今も夫に続けられる公開処刑

現在別居状態にあり、風俗も禁じられているとすると、夫は極度の禁欲生活にあるに違いない。夫も極度の絶望状態にあることは想像に難くない。息子たちに過去のみっともない姿をバラされて、世間にも暴露され、それでも専業主夫を続けるのはもはや生存戦略しかないだろう。私はキリスト教徒ではないが、罪をもって生まれてきた人間幸福を目指して生きるには、欲望や邪念、煩悩をある程度昇華していくしかない。それを一人胸の内に閉じ込めたまま、矮小化された欲望けが吊るしあげられた状態で生きていくのはかなり辛いだろう。小島には欲望存在しないのだろうか?有名になりたい、モテたい、社会に貢献したい、子供が欲しい、お金が欲しい、自由時間が欲しい。そんな欲望を本人は十分に発揮しているにも関わらず、あまりにもおぞましく強権的な攻撃ではないだろうか。それを恥ずかしげもなくモラハラになるかもしれない、などと言って経済的支援だけを行っている気になっているとしたら、それこそ風俗で満たされるような支配欲を自分の夫で果たしたことになると言える。偉大な権力を持っていることに無自覚な罪だとすればバカしかないし、知っていて快感に浸っているとしたら、一応ファンもいるのでやめてほしい。

(5)婦人画報ビジネスモデル

専業主婦ハイクラス主婦ターゲット読者とする婦人画報は、ある意味女性性を売り物にして、収入の高い男性と豊かな生活を送るための情報提供してきた。そんな中、夫の不貞や遊びで苦しんできた女性も少なくないはずだ。不倫に関する記事も読まれやすいだろう。不安を煽るビジネスメディア業界常套手段であるしか小島のこの記事不安ではなく、怒りを煽っている。つまり炎上商法だ。小島ライフスタイルをカッコよく憧れの対象と見せつつ、「女性物質化」という尤もらしいが、誰も幸せにならない概念を売り込んでくる。小島の家庭事情を少しずつ切り売りして、そのネタとして夫の風俗通いがオチというのはあまりにも貧相な結末としか言いようがない。

女子アナとして知名度を持てるほど、メスとして魅力があるのが小島だ。メスが魅力的に映るには生殖能力必要だが、優れたDNAを育み育てるための知性が必要だ。それらを存分に自覚し発揮し、その影響力を利用したスマート生き方体現しているのが小島慶子だと思っていた。昨日までは。

小島スマートだと思っていただけにこの文章にはがっかりした。スマートであれば、どこかで自分無知認識の浅はかさを知って、愛する人を失う悲しみを乗り越えてほしい。人間が何に喜びを感じ、何に絶望を感じるかを知れば、きっと幸せになれる。

と、胸糞の原因の小島応援するコメントを書いてスッキリ!なんてね。

2020-12-08

anond:20201208044137

難しい話だ

気になった点いくつか。

AセクAロマアイデンティティにしている

バーまで開くのは確かに珍しいかもしれんが、特筆すべき点かと言うのは疑問。

割とこれ他のセクシャリティの人もそうじゃないか

異性愛ベースで男だ女だって言う主語自分を含める人々って、シスヘテロアイデンティティにしてるのと同じだと感じる。

◆別のセクシャリティエロスを感じる事はあるんじゃ?

BLが好きな男、百合が好きな女、だけどヘテロって人達が居る。

その人達本来ならゲイとかバイだけど、ライフスタイルとして異性愛選択してるのか?というと違うんじゃなかろうか。

エロ自分の中に無いなら芸術全般無理

→これが一番同意しかねる。

性愛に基づかないんじゃないかって芸術はあげたらキリがないけど、例えば河原温とかの日時を記録した絵画とか、コンポジションモンドリアンとか…。

2020-12-05

anond:20201205211644

トヨタコロナなのに過去最高益というのも個人需要なんだろう

自動運転のモビリティーシェアするライフスタイルへの変革、みたいに言ってたのにコロナ風向きが逆になって最高に儲かるというのがなんともw

anond:20201204210754

コンテンツホルダーはいいにゃあ

ライフスタイル誌とかしかやってない小さいとこだからタイアップむちゃ減ってボーナスめちゃくちゃカットやで

まあ好きな媒体からしゃーなしやけど

2020-12-01

anond:20201130234157

こうして自分語りをするためにしろ何にしろ結婚貶めるのは別に咎められないんだよな。

同じテンションで既婚者が独身を悪く言ったらやばいことになるのは当然のこととして、結婚の良さを語ることすらも迂闊にはできないじゃん。例えばちょっと子ども写真年賀状に載せるだけでもうるさいし。

独身独身結婚したらできない楽しいことがいっぱいあるんだから楽しんでくれよ。

やたらと引き合いに出して自分の話をするなよ。

結婚は都合の良い対立軸じゃなくて愛好家が存在するライフスタイルだぞ。

2020-11-30

友人がこの2年足らずで結婚出産離婚(予定)とスピード感のあるライフスタイル転換を経ているのだけど、自分相談されるのがしんどい

こっちは相手も見つかっていない独身者なんですが

2020-11-27

劇場版鬼滅の刃が、実は画期的発明だったんじゃないか説(ネタバレ

鬼滅の刃流行しすぎて一つ一つの要素を紐解くことはもう無理だということはわかっていいる。

ただ、やっぱり映画の空前の大ヒットについてはどうしても考察せざるを得ない。

そうして紐解いた結果、実は鬼滅の刃映画は、今までやろうしなかった、やれたとしてももできなかったものなんじゃないかなという結論に至った。

・何が?

結論から言うと、「ストーリーの一部を切り取って映画したこと」が、である

御存知の通り、劇場版鬼滅の刃無限列車編のみを抜粋した映画だ。

実は、そのことに違和感を頂いた人は少なくないんじゃなかろうか。

それも、往年のアニメファンであればあるほど。

・いままでのアニメ映画

マイナー作品は除くとして、今までのメジャーアニメ劇場版は、大きく3つに分類できる。

一番多いのが原作にはないオリジナルストーリー

次が最終回(または直前の数話を含む)のリメイク

そして最後ダイジェストだ。

理由は単純。

劇場版を見に来るターゲットが、原作テレビアニメ版を知らない層を含むからだ。

事前情報必要としない2時間の娯楽として楽しんでもらうために、そうせざるを得ないのが本音だろう。

上に挙げたどれもが、原作を知らなくても楽しめて、それをきっかけに原作が欲しくなるように設計されている。

劇場版鬼滅の刃がやったこ

ところが、劇場版鬼滅の刃は、原作にあるストーリーの一部、「無限列車編」だけを切り取って映画化した。

本来ならばそれは、原作を知っている人しか楽しむことができないという、ターゲットを絞り込む行為に他ならない。

ところが、この映画ターゲットを絞り込むどころか、記録を塗り替えんばかりの勢いでヒットを続けている。

本来ならばありえないことが起こっていると言っていいだろう。

しかし、頭ではそう考えている反面、実に自然に、自分でも不思議なくらいに、この映画を見てみたいと思う自分がいたのも確かだ。

・紐解かれた動機

自分コミックス完結後にやっと買い揃えたくらいの鬼滅の刃ファンの中ではかなり後発組だ。

もちろんアニメは見ていないし、最近ではアニメを見る習慣もなかった。

(そんな人間がこんなことを語っていて申し訳ない。第一オタク世代、今は隠居の身なのだ。)

興味がなかったわけではない。しかし、今の生活リズムには、アニメを見直すには時間が重すぎるのだ。

また、最近では作画崩壊やりがい搾取問題など、がっかりするような話も多く聞かれてなおのこと足が遠のいてしまっていた。

そんな中にぽんと投げ込まれたのが無限列車編だけを切り抜いたこ映画だ。

アニメ全話を見直す気力はないが、2時間に絞って、しか最初から最後まで劇場版クオリティで見ることができるというなら、ぜひ見たい!と手放しで思えた。

テレビ特有の尺を合わせるための間延びだってないに違いない。

なんの根拠もなく、漫画の尺と映画の尺を脳内比較して勝手に期待を膨らませてしまったほどだ。

・それがつまり画期的

劇場版鬼滅の刃前と後では、劇場版アニメ役割は大きく変化するであろう予感がある。

今までの劇場版アニメは、新規ファン開拓テレビアニメファンの両方を楽しませることが目的だった。

しかし、劇場版鬼滅の刃は、ともすれば原作を知っている人しか楽しめないような内容になっている。

それなのに、むしろ多くのファンを取り込むことに成功した理由は他でもない。

多くのにわかファンにとっては、むしろ原作にあるストーリー映画化したほうが、素直に見てみたいと思える要素になりえるということなのだ。

これには、鬼滅の刃特有の、大ヒットに至るまで長い時間をかけてじわりじわりとファンを獲得していったという、その独特なヒットの形態寄与しているものと思われる。

しかしながら鬼滅の刃劇場版は、今後もこうして原作ストーリーを切り取りつつ、高いクオリティをもって提供されつづけることで、今後もヒットが続くであろう確信がある。

なぜなら、アニメ全話をダラダラと見る気にはなれないが、ハイライトだけを切り抜いて、高いクオリティに濃縮されたものならいくら払ってでも見たいと思えるからだ。

これは、あれだけオタク以外の人間を巻き込んで成功したエヴァンゲリオンでさえなし得なかった快挙と言える。(原作ありきの鬼滅の刃比較するべきではないことは承知した上で。)

・まとめ

今までは、漫画アニメ劇場版と、それぞれ独立したコンテツとしてファン存在していたと言っても過言ではない状況だった。

しかし、鬼滅の刃がぶち壊したものはそうしたコンテンツの垣根であり、こと劇場版においては、今までの劇場版としての役割を全く覆した上で、今、劇場版として求められている役割とは何かを突き詰めた究極の形に至ったと言っても全く言い過ぎではないだろう。

これは、今後後追いコンテンツがヒットした際の劇場版のありかたを大きく変えることのきっかけになるはずだ。

最後に何が言いたかたかまとめる。

現代人のライフスタイルにとって、全話アニメは見るのが難しいけど、一部をハイクオリティにして凝縮した2時間劇場版なら見たいって人が沢山いることがわかったよ!

そしてそれは、いままで原作を知らない人を取り込めるのは原作にないオリジナルストーリーだというのが思い込みで、むしろ原作をしっかり切り取るほうが人を呼べるんだよ!

ということ。

よくわからない新キャラ。それに当て込まれ芸能人。無理やり2時間でお涙頂戴。

こんなの国民の誰一人として望んでないことがわかって本当によかった。

鬼滅の刃は早い段階で金になるって目をつけられるようなコンテンツではなかったからこそ起こり得た奇跡かもしれない。

でも、その奇跡が生んだ奇跡をこれからも大切にしてほしいと一ファンとして心から願います

2020-11-23

anond:20201123013216

わしの理想ライフスタイルやんけ。

東証一部上場企業勤務の年収800万だけどそっちの生活になりたいぜ。

2020-11-20

ライフスタイルのもの創造しないといけない位に時代は逼迫してしまいました

2020-11-12

ネクタイやめたら社員QOLが上がった

我社ではコロナになってからとにかく毎日洗濯できる服を着用してくるようにとの指示がでた。

そこで要望を募ったところ、一番に不要認定されたのがネクタイだった。

その後の匿名アンケートの結果でも、ネクタイを洗う頻度は8割以上で半年に1度未満という回答が出た。

晴れて我社ではネクタイ着用がNGになった。

かくいう自分ネクタイなんて洗った試しがない。

安いネクタイしかかわないので、どちらかといえば汚れれば洗わずに買い替えていた。

ポロシャツであればジョブメソッドよろしく同じものを大量に買い込んでいつも同じ格好ということもできるのだが、なぜかネクタイはそれを許さな空気がある。

かになんの変哲もない白シャツワンポイントファッション性をプラスしてくれるものでもあるが、むしろそんなもの毎日生活ストレスしかなかった。

こんなことを思っているのは自分だけかと思っていたが、晴れて着用NGになってから3ヶ月後のアンケートでは、9割の社員から大絶賛の回答。

残り1割もどちらともないという回答で反対は0だということがわかった。

ジャケットスラックスは流石に毎日洗濯は難しいので、必ず天日干しをして2日以上の着用はNGということで決着がついた。

緊急手段として、天気の都合で天日干しができない日、大雨などで汚れることが確実な日に限ってはポロシャツジーンズスニーカー着用もゆるされた。

業種は割とお硬いほうなのだが、営業先での評判も良く、どちらかというと新しいライフスタイルにいち早く対応した企業として評価されているという話も聞こえてくる。

そこでふと疑問になったのは、今までネクタイに費やされてきたコストストレスは何だったのかということだ。

ネクタイがおしゃれだったとしてもおしゃれさんになれるわけでもない。

つけなれてきたとはいえ毎日着用に時間を取られ、曲がっていれば馬鹿にされ、同じものをつけ続ければ陰口を言われる。

こんなに誰も得をしないものをなぜ今日までつけ続けてきたのか、今になれば疑問でしかない。

コロナ終わってもこの文化だけは守りたいと心底思っている。

冠婚葬祭以外のネクタイは、むしろ気取りすぎるくらいの空気になってくれ世の中。

みんなもネクタイをやめよう。何ならスーツも頼む。

ジャケット羽織ればフォーマルと言われる世界にしよう。

それが新しい生活様式ってやつだと思うのだけどどうだろう。

2020-11-11

実を言うと、フェミニズムはもうだめです。

 突然こんなこと言ってごめんね。

 でも本当です。



   *



 フェミニズムは全ての女性を救うわけじゃない。


 すんげー雑な言い方をすると、フェミニズムはその役割ピークを迎えようとしている。

 言い方を変えれば、フェミニズムは相対化され、限界を迎えている。つまりフェミニズムは数あるライフスタイル思想の一つに過ぎず、全ての女性や少数者を包括的に支持し救済するといった、かつての理念として見られていた役割からは剥がれ落ちつつあるということだ。

 結局のところ、フェミニズムは全ての女性対象としているわけでもなければ、全ての少数者を対象としているわけでもないということである論点取的に言うならば、この時点でフェミニズムは全ての女性を救うこともできれなければ、全ての女性や少数者を支持する立場から脱落することになるのだ。


 考えてみれば当たり前の話で、フェミニズムの原義は男女同権主義であり、そもそも女性のみを対象として扱っているわけではないかである。勿論、男性自身らを扱っていることは自明だし、更には、いわゆる少数者であるところの男性弱者男性のみならず、男性女性総体、そして全ての人間に対して地平を開いた、社会救済としての思想――それがフェミニズム本来理念であったのだ。

 とは言え考えるまでもなくこのような理念は有り得ない。全てを対象とした救済の思想、という考えが仮に存在するのであれば、それは宗教に求められるべきであるし、我々は誰を対象として救済や支持を表明するかを一考しなければならない。我々は全てを救うことなどできない。全てを救うという思想が仮に現実存在し得るのであれば、それは有史以来の悠久の歴史において既に達成されている筈であるし、そこにフェミニズムの参加する余地存在しない筈なのだ

 換言すれば、「フェミニズムが全てを救済する」というテーゼを本気で信じている人は一人もいないということだ。


 いずれにせよ、全てを救う思想というもの現実的に存在しない。にもかかわらず、フェミニズムないしフェミニストが越権的にその立場を乗り越えようとした結果、それが不可能であるということはもはや陳腐なまでに自明化しつつあるように思う。

 フェミニズムは世の中の全ての女性を救っているであろうか? と問われた時、その答えは勿論ノーである。例えば、「セクシー広告現実人間リスクを生むので自重すべき」、というシンプル命題においてさえ、女性間で紛糾は起こる。

広告セクシーな魅力を私は評価するし、そのようなポテンシャル広告価値のみならず女性価値にも還元されるのではないでしょうか?」と言う女性は、この文脈においてぶっ潰されることになる。「はあああああ!? 貴方評価したところでもしストッキングタイツを身に着けた一般的女子存在性的に眼差されたら貴方責任取れるんですか!?」と。この言明によって既に「一般的女子」とされる存在の中から、「広告セクシーな魅力を私は評価する」と言明するような女性パージされることになる。この時点で、どう考えてもフェミニズムは、あるいはフェミニスト活動は、女性総体を救済しているわけではなく、最も好意的な言い方でも「女性の部分集合Aを救済しようと『試みている』」に過ぎないのだ。

 でもフェミニストはそう思っていないらしく、「我々の活動は最終的に女性全てを救済し、どころか、ホモソーシャル的な思想に囚われた男性さえをも救済することができる」と考えているフシがある。

 無理。

 無理だから

 例えば、ソマリアでレ○プされている少女フェミニズムは救うことはできない。彼女らを救うことができるとすればそれは政治役割である。とにかく、世界同時革命的に思想啓蒙を行うことは無理なのである逆襲のシャアを見ろ。

 そんなこんなで、フェミニズム役割限定的であるし、それは全ての女性に対して及んでいるわけでもない。というか、対象としている女性たちそのものでさえ救済できているかは謎である。いや勿論されてる人もいるんだろうけどね。


 話を戻すと、結局のところフェミニズム限定的に人を救うしかないし、それが活躍できる範囲は決して広くはないのである。この時点で、フェミニズムはある種の専門的な救済機構への道に進むことになる。というか、最善でもそうなるしかないのである。因みに最善以外の可能性としては「自分たち救世主だと考えている思想強要集団」という可能性が存在している。

 逆に言えば、フェミニズム自分たちの救うことのできる範囲というのをしっかり限定して、その上で物事に取り組むべきなのである企業マーケティング一挙一動監視し「社会に悪影響がある!」と発信するのはフェミニズム役割ではない。それは本来公共広告機構ジャロ役割だ。

 ソマリア女性を救うことができるのが政治であるのと同様の意味で、役割はきちんと分担しなければならない。広告のことはジャロにまかせておいたらどうじゃろ? という話である

 役割限定することは極めて重要で、繰り返すように我々は世界同時革命的に全てを救うことはできない。しかも、救済の対象限定することによって全てが解決するのかと言えばそうではなく、そこには必ず利害のバッティングが起こる。例えば、広告バッシングされることで不利益を蒙る企業存在するのが現実だし、あるいは、広告バッシングされることで不利益を蒙る献血促進団体存在するのが、そのような例に当たる。必ずそこにはお互いの利害の衝突があり、お互いの倫理があり、お互いの目標があり、お互いの努力がある。

 全てを救うことができないというのはそういうことで、要はそこにはお互いの、利害の衝突があるということなである。誰かを救おうとすれば誰かが救われないということなのだ。

 そして、誰かを救うということは、別の誰かを救おうとする人間を切り捨てるということなである


 つまりここにおいてフェミニズム立場は相対化されることになる。

 フェミニズム自身擁護しようとする人々と利害的に対立しているところの、別のグループとの対立を味わう。お互いに誰かを切り捨て、自らの救いたいと望む人々をのみを救うしかない袋小路に辿り着く。その時点で、思想の優位性、発言正当性などは捨象されてしまうのだ。つまりフェミニズムは誰かを救うことを諦める代わりに誰かを救うという形を、最善の可能性においてさえ取らざるを得ないのである。全てを救おうとしてもそこには最悪の可能性が導かれるだけで、まずは、誰を救いたいのかを限定しなければ、誰も救うことなどできなどしない。

 そして、現実に生きる人々が常に取るべきなのはそのような態度である。現に、今を生きる人々はそのような態度を常に取り続けている。例えばアツギという企業社員や依頼先のイラストレーターを守るように、それが当たり前のことなのだ。そしてそこには避け難く対立が起こる。誰かをぶん殴れば誰かにぶん殴られる。誰かをぶん殴れば誰かに毛嫌いされる。何も、フェミニズムけが特別というわけではないのだ。


まとめ


 警句的に言えば、ありとあらゆる対立において、ありとあらゆる闘争において、誠実な闘争というもの存在しない。どんな対立であれどんな闘争であれ、それは不実で胡散臭くて汚らしいものだ。しかし、今回の件を見る限りで、そこには一般論を超えたきな臭さを感じざるを得ない。

 それは恐らくフェミニズム限界に起因するきな臭さなのではないかと思う。彼女たちは、全ての女性を救うことはできないし、男女同権思想自明として救済しなければならないところの男性を救うこともできない。また、強い社会ストレスの中で生きる少数弱者を救うことができない。時には、彼女たちは女性をも切り捨てる。

 勿論、救う対象限定することは大切だ。誰もかもを救おうとすることな人間には所詮できないのだから

 とは言え、まさにそこに、一般論を超えたきな臭さの源がある。つまりそれは、自覚なく人々を切り捨てておきながら、自身限界意識せず、まるで全てをも救い得るかのように振る舞うフェミニストフェミニズム傲慢のことである。突然こんなこと言ってごめんね。

 でも本当です。

2020-10-30

アルファードとかのミニバン嫌いなんだけど、ミニバン必要になるような家庭持ち勝ち組ライフスタイル嫉妬してるだけな気がしてきた

悲しすぎる

2020-10-22

はてなー多様性

はてな多様性を認めたいと思っている人が多い場所だと勝手に思っていたけど、実際そういうわけじゃないなと思った。

誰かが、特に地位の高い人が、偏見に基づいた発言をするとはてなで袋叩きにされる。

その一方で、はてなでは多様性が認められているとも思えない。男女観、地域観など。だからこそ常にバズってんだ。

一貫しているのは、自分にとって合理的かどうかという視点物事を見ているところ。

この意見は私にとって合理的からあなたも私と同じようになれば合理的生活が送れますよ、と。

そして何かに縛られず自由選択をしたいと思いがち。縛られることへの反発がすごい。

合理的でないと判断した人の暮らしや考え方については否定する。

縛られている人を嘲笑う。

私がはてなに初めて来た時の印象は「口が悪い人が少ないなあ」と思って、なおかつ寛容なコミュニティだと思っていた。

他に比べると罵詈雑言が少ないのは今も良いポイントだと思っている。それは居心地の良さにつながるけれども、発言内容は極端な考えを持っている人が多く、そこで優劣をつけようとバチバチにやり合っているし、アウフヘーベンがもたらされているとも思えない。

犯罪行為のように明確に善悪がつけられるものはともかく、わりと価値観に優劣をつけたがる人が多いなあと思っている。

自分と違うライフスタイルの人を認めたり、折り合いをつけたりしようという意識特にない。

同じ考えを布教することで正義になろうとする。みんな同じ方向を向いている方が心地よいと。これははてなに限った事ではないのかもしれないが。

信じる宗教アンチポリコレだったら

クリス・プラットという俳優がまさにそういう状況で燃えている。最近ではジュラシックワールドなどで有名なこの俳優ヒルソング教会というキリスト教会の熱心な信者だが、この創始者がまろやかにアンチ同性愛なのだ

ゲイというライフスタイル肯定しない、ゲイ要職にはつけない。などの発言で知られる。そこの信者であることをとある女優ツイートアンチLGBTQなくせにと糾弾した。

クリスプラット自身アンチ同性愛者ではないと言っているが、宗教アンチ同性愛から信じてもらえない。

なんか見ててかわいそうになってきた

2020-10-21

都内近郊、湾岸線沿いに住んでたときに車買ったけど生活変わったなあ。

それまでは休日の買い物は都内デパートに出るか食料品は近所のスーパーでこまめに買うだったのが

幕張とかの郊外まで出かければアウトレットイオンモールもあって一撃で買い物終わるし。

車を手にしたことで実はそんなに人ごみが好きじゃなかったことに気づいて休日は早くに家を出て人の少ない山や海で過ごすことが増えた。

車はそれが必要ライフスタイルなら必要だしそうでなければ必要ないってだけじゃない?

2020-10-20

田舎で車とか、都心で車とか

理想とするライフスタイルがあって、それに車が必要で、収入と折り合えば、田舎でも都会でも車を持てばいいんじゃないのか

田舎では車が必須、ではなく、車を所有しやすいと考えたい。

駐車場が安いし、道も空いていて運転していてストレスが少ない

車を持って頻繁に運転したい、という人は都心ではなく、田舎住まいを構えてもいいかもしれない

2020-10-19

パンピーとの会話で一番荒れるのって飛行機話題だよな

あえてパンピーと言う見下した言い方をするのは

やつらが「自分価値観以外のパラダイム認知するための脳の容量がゼロから」な。

そうじゃないただの一般人パンピーとは思いません。

 

でさあ、

ネット何気なく雑談みたいなことしてて

パンピーが突然激昂してくるのって必ず飛行機話題なのよ。

 

俺が他の乗客と一緒に飛行機と乗ったことがない家庭で育ったってことを何気なく言うと

「あっふーん(察し)飛行機乗ったことないんだ?」みたいな反応が返ってくるわけ。

 

え?いや親父の持っているコンコルドだったよっていうと

もう「嘘だ!」ってブチギレて発狂してくるわけ。

 

何にキレてるのかさっぱりわからなかったけどなだめながら話を聞くと

飛行機に乗ったことがないならしょうがないが、コンコルドを持ってると嘘をいうことはありえない、認められない」

っていう話らしいのね。

 

当人も何にキレてるのか整理できてないんじゃないかってぐらいキレてくるんだけど

要するにジャンボジェット機にみんな乗っているという価値観否定されたことに対するショックがすさまじいっぽいわけ。

 

俺もさすがに

いやなんでそんなに怒るのかわからん

 

特に不自由も感じずそれで育ったし(「海外に出かけるときコンコルド!?早すぎじゃないか!」って言われた)

だっていうけど顔も知らないあなたにそんな微妙な嘘をついてなんになるの

っていうんだけどまあ信じないし落ち着かない。

 

要するにジャンボジェット機しか移動したことがない人とコンコルドで移動する人間の断絶な訳よ。

俺は生涯マッハ1超派だけど、一般人はジャンボジェット機がみんなで乗れて醍醐味なんやろな―っていうのは想像は出来る。

 

修学旅行グアムに行ったときはあーみんなと一緒にジャンボジェット機乗ればよかったんだなって思ったし。(まあコンコルドからあっさり着いてしまったけど)

 

でもなぜかパンピーはその逆の想像全然できないのよね。

できないかパンピーなんだけど。

 

マッハ1超の高速移動だとあなたが日々実感してるような集団で乗っている醍醐味全然感じられないし

時間有効活動の度合いとかもジャンボジェット機とは比べ物にならないし、空港旅券のチェックもなく顔パススルーで乗り降りしてるし、

ライフスタイルにもよるけどジャンボジェット機に乗らない選択全然あるんですよ

ってことがどうしても認められない。

 

この「認められない」ってのが重要なんだけど、

単に想像できないって言うのを通り越した「認められない」の気配を感じたのよね。

ジャンボジェット機と言うのが一種信仰対象心理的安定感の要になってるので

ジャンボジェット機が要らないっていうのは別のライフスタイル示唆をされるという以上に

自分価値観人生に対する根本的な否定として受け止めてるんだなって

何度かその種のパンピーとやりとりするうちに段々わかってきた。

 

どっかの砂漠の民に「魔法の絨毯は持ってねえし要らないですね」って言ったら

「そういうアラジンも居るのか…想像したこともなかった」ではなく

「我々の生活と魂とジーニーを根本から否定したな!」ってなるかもしれない。

 

パンピーにジャンボジェット機要らねえって言ったときあいつらの激烈な反発はそういう感じの作用が心の中で起きてる。

自称ティボーイとの会話で一番荒れるのって車の話題だよな

あえて自称ティボーイと言う見下した言い方をするのは

やつらが「車所有民を見下す俺様カッコイイイイという自分価値観以外のパラダイム認知するための脳の容量がゼロから」な。

そうじゃないただの首都圏在住者を自称ティボーイとは思いません。

 

 

でさあ、

ネット何気なく雑談みたいなことしてて

自称ティボーイが突如口から飛ばしながら早口になるのって必ず車の話題なのよ。

 

俺が自家用車がないと生活上不便だよねってことを何気なく言うと

「あっふーん(察し) 車が無いと生活出来ないなんて相当田舎に住んでたんだ?」みたいな反応が返ってくるわけ。

え?いや親父は地方国立卒で地元企業勤めてて年収は人並みだったよっていうと

もう「嘘だ!」ってブチギレて発狂してくるわけ。

 

何にキレてるのかさっぱりわからなかったけどなだめながら話を聞くと

「車がないとまともに暮らせない田舎民がまともな生活送るとかありえない 俺の父親慶應卒だぞ 認められない」

っていう話らしいのね。

 

当人も何にキレてるのか整理できてないんじゃないかってぐらいキレてくるんだけど

要するに都会暮らしと親の学歴くらいしか自慢するものが無い自分価値観否定されたことに対するショックがすさまじいっぽいわけ。

 

俺もさすがに

いやなんでそんなに怒るのかわからん

特に不自由も感じずそれで育ったし(「県庁所在地まで車で1時間!不便じゃないか!」って言われた)

だっていうけど顔も知らないあなたにそんな微妙な嘘をついてなんになるの

っていうんだけどまあ信じないし落ち着かない。

 

   

要するに首都圏しか暮らしたことがない人と田舎暮らしてる人間の断絶な訳よ。

俺は生涯田舎だけど、首都圏では電車が2分に1本来るし便利なんやろな―っていうのは想像は出来る。

GoToキャンペーン東京観光に行ったときはあースイカ買えばよかったんだなって思ったし。(まあ田舎民だから新宿駅迷子にならない自信なかったけど)

 

でもなぜか自称ティボーイはその逆の想像全然できないのよね。

できないか自称ティボーイなんだけど。

田舎だとあなたが日々実感してるような都会生活の便利さが全然感じられないし

駐車場代とか要らなくていつも青空駐車だし、無人野菜販売所も発達してるし、

ライフスタイルにもよるけど親を自慢していいのは競走馬皇族くらいですよ

ってことがどうしても認められない。

 

 

どっかの首都圏在住者に「うちの父親の知り合いの息子が通ってる塾の講師慶應卒だ」って言ったら

慶應出て塾講師してる人も居るのか…想像したこともなかった」ではなく

「ぼくの自慢である父親学歴根本から否定したな!」ってなるかもしれない。

自称ティボーイにSFC慶應じゃねえって言ったときあいつらの激烈な反発はそういう感じの作用が心の中で起きてる。

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