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はてなキーワード: 世界同時革命とは

2024-08-25

中国就職氷河期も酷いらしいし、日本就職氷河期世代も助けられていないし、

こりゃ竹中と一緒にヒズボラに入って、人民総決起、世界同時革命を起こすしかいね

2022-03-09

anond:20220309231747

人民総決起、世界同時革命の夢をしぬまで諦めないことやで…

2022-03-07

日本共産主義国家支配された方がいいのでは…

すべての労働者資本家奴隷から解放される

世界同時革命人民総決起

政治家宗教家思想家精神アヘンなので粛清される

ゴールまで共に駆け抜けると約束しておいて手のひら返した彼もシベリア送り

食べ物配給制なので飢えることはない

仕事も配られるので無職になることもない

地上の楽園、愛に満ち、愛されるスーパーロシア

楽しく感動できるスーパー

あいうえアイラブ、ラブラブラリルレ

らりるれロシアは、ラブラブロシア

ロシアではじまる暮らし

ノープライスユートピアロシア

2021-10-07

anond:20211006211009

共産主義がうまくいかないことは、マルクスの「共産党宣言」を読めばわかるだろ。岩波書店無料で公開してくれてるから、読めよ。オレは、読んだうえで批判する。

https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/3412450.pdf

ミクロ経済学視点から共産主義批判

供給が固定されたら、需要側が変化する必要があるわけで、それはつまり消費者選択する自由がなくなるわけだ。人間は「選択できない」という我慢はできないよ。よって、共産主義は間違っている。

マクロ経済学視点から共産主義批判

マル経会計上は資金の一致はしないといけない。そうでないと、輸出入不都合が生じるからな。じゃないと GDP計算ができないし、ソ連中共GDP の報告をしないだろ?日本GDP を気にしないのは、投資される側じゃないからだ。海外から投資というのは、マクロ経済学では大切な部位なわけだ。ソ連中共海外貿易をしてるのに、上記共産党宣言には何も書いてない。そうなるとスターリントロツキーが言うように「世界同時革命」が必要というわけさ。例えば、日本共産化すると国家というボーダーを消さないと共産主義齟齬が生じるわけ。なぁ、『日本共産党という政党いか不勉強かわかるだろう?それに、もう日本共産主義なんていらないのですよ。ケインズという、国家というボーダー使役すると経済カンフルする方法を編み出した天才のせいで。マクロ経済学を駆使すると、供給規律を持って対処できるので、もはや国家として共産主義を選ぶ理由はありません。

行動経済学から共産主義批判する

人間は「良い思いをしたい」という生き物で、ソ連においても「良いものを求めた人民」が観測されています。つまり共産主義であっても「モノは同一価値ではない」のです。共産主義自由を奪う思想です。

計量経済学から共産主義批判する

上のなかで一番 共産主義迎合する領域なのは計量経済学だ。計量経済学統計学から、数値をごまかすと一致するからな。つまり、ある時期までは共産主義は『良すぎる』はずだ。そして、ある時期から共産主義資本主義に負ける。ネトウヨが「オリンピックから何年後に中共が滅ぶ」というのは、まぁまぁ嘘じゃないと思う。そのターニングポイント計量経済学では見ることができるはずだ。それは、歴史ジャンプするときに、みられる。

どうかな?共産主義理想を求めるのは、諦めたほうが良いよ。

2021-08-24

anond:20210822062654

テロリズムというものの正体っていうのは、高学歴といった少数のエリート情報の秘匿化で「美味しい思いができた」時代の名残りなんだよ。なんと言っても、鉄砲玉を除いて、テロを起こす連中は「テロで死なない」だろ。死ぬのは、無学な『身内以外』なんだよ。テロリスト集団は、情報格差を使って『良い思い』をするために集うの。テロは、その歪なものを作り出すために利用された『結果』であって、その結果を期待したくなければ「テロリストにミカジメ料を払う」という方法回避するしかない。じゃあ、どうやって?

マスメディアテロリズムを己の存在理由活用してきた。」

テロリズムというのは、マスメディアという情報律速段階が存在した時代の名残りであって、マスメディア自己存在理由がために、テロリズム活用して来たのだよ。頭の良い増田はピンとくるかもしれないが、その際たるのが朝日新聞だ。朝日新聞というのはゾルゲ事件をはじめとし、北朝鮮韓国中国に「自社のせいで被害にあった方々のために、わざわざお礼参り」をして、反日運動を煽ってきた。そうすると、朝日新聞が儲かり、日本特定アジアに甘くなる、というゴールデン・サイクルが昭和の末期まであった。ネトウヨムーブメントはここに起点する。ところが、平成の初期にインターネットができてしまって、謝罪で儲かる朝日新聞というループは消えてしまった。なんといっても、朝日新聞の「取材する→記事にする→輪転機を回す」ということよりも、twitter の方がスピードが速い。今という時代は、朝日新聞は間接的にテロをしても儲からないのだ。そうだとも、我々は「新聞を購読することで、テロリズムを養ってきた」のだ。テロリズムで「一気に赤化して、世界同時革命!」という方式は、もはや実現できない。そう、インターネットのせいでね。マスメディアは、テロリズム活用して自社のプロダクトを売ってきたのだけど、もはや「民衆を動かす」という力を失ってしまい、テロリズム必要な「(嘘の)姿、たとえばクメール・ルージュを『アジア的優しさ』と形容したような(嘘の)姿」を広げる力は、ひろゆきの「それ、あなた感想ですよね?」という『2ちゃんねる』の出現によって、空気を読めないバカが「大虐殺現場」をアップする時代に、価値を成さなくなってしまったのだ。

テロ時代に、死なない方法は「新聞を買う」ということでした。今は死なない方法は、スマホを持つことです。そして、テロ共感しそうなアホは可視化できないけど、アホは「スマホ自爆してくれる」ので、ちゃっちゃとデジタル・タトーを刻まれて、一生ひもじく暮らしてください。良かったですね、本当に。

2021-03-18

anond:20210317234842

非常に古くから議論されているテーマだね

リベラル理想の実現のために、(漸進的改革ではなくて)政権交代革命必要だとして、世界同時革命を目指すべきなのか、各国の活動家が一国の革命成就を目指すべきなのか、という論争では、後者現在支配であると思う(前者をトロツキー主義と呼んで非難する人たちも多い)

宗教においても、たとえば仏教であれば、大乗仏教小乗仏教のような路線対立古来よりある(前者は信仰や罪悪にかかわらず人は救われるとする立場後者は篤い信仰心をもって良き行いをするもののみ救われるとする立場

増田ゆえ、きわめて雑駁な議論であることはご容赦いただきたい

2021-01-18

日本人にとって差別ベクトルである

もうちょっというと相対的ものであり、その相対値は客観的に決まっていない。

あらゆるものはあらゆるもの差別しているが、日本では差別は一方向のものである

例えば性差別学歴差別と言ったものはある。

男性女性差別することは大問題だが、女性男性差別することはさして問題にならない(または差別として取り扱われない)。

高学歴低学歴差別することは大問題だが、低学歴高学歴を差ベルすることはさして問題にならない(または差別として取り扱われない)。

日本に今もいる左翼筋の人々にとっては、差別は一方向のものでないとつじつまが合わない。要は社会的強者弱者を虐げていないと彼らの最終目的は達成できない。最終目的は要は世界同時革命なんだが、それが起きていないということは問題はまだあるはずだ、というふうにも理解しようとする。

そして、もう言いがかりしか言えないような差別問題をどんどん生産していく。

今の一線で活躍しているフェミニストたちを見ればマルキストが多いことはすぐにわかる。

こういった基盤をもとに差別を論じるので、一方の差別ばかり拾い上げてもう一方の差別無視する、とか、無いものにするとか、大したことがないものにしてしまう。もっと言うなら成り立たないガバガバ理屈を無理やり作り上げてしまうか、なにか言っているようで何も言っていない正論を飾り立てたこしか言えなくなる。

最終的に今差別を受けていると言われている人々が暴力的な行動で異論を封じ込めるしかなくなるが、これすらも「自分たちを守るために仕方なく行われる防衛だ」ということにしてしまう。

フェミニストたちが言う男性社会というのがある。男性が有利らしい。だが、男性が有利な社会の延長線上に男性一生懸命働いて家族を養うのがあることに誰も違和感を感じない事に驚きを禁じ得ない。

男が有利な社会の延長にある究極は、男は働かないで女性一生懸命働いて家族を養う、体力的に限界がある女性たちなので一夫多妻だ。男性用途ごとに女性を嫁にし、その用途を満たせなくなった女性はポイだが男性が罰されることはない。だけどすべての家庭や社会における権限男性が持っている。ヒイヒイ言いながら身を粉にして働く女性を尻目に男性趣味だのレジャーだのに興じていて「人々は時間もっと有効活用して創造的なことをするべきだよ!」とか平気で言えてしま社会ではない。

一方海外では、ベクトルではない。誰が言ったかやったかは全く関係がない。絶対値として差別定義される。当然当人に戦う気概が求められるが。

だがこういうことをいえば「お前らは差別する側だからからない!」とか言っちゃうんだが、だめだ怒り始めたのでここまでにする。

2020-11-11

実を言うと、フェミニズムはもうだめです。

 突然こんなこと言ってごめんね。

 でも本当です。



   *



 フェミニズムは全ての女性を救うわけじゃない。


 すんげー雑な言い方をすると、フェミニズムはその役割ピークを迎えようとしている。

 言い方を変えれば、フェミニズムは相対化され、限界を迎えている。つまりフェミニズムは数あるライフスタイル思想の一つに過ぎず、全ての女性や少数者を包括的に支持し救済するといった、かつての理念として見られていた役割からは剥がれ落ちつつあるということだ。

 結局のところ、フェミニズムは全ての女性対象としているわけでもなければ、全ての少数者を対象としているわけでもないということである論点取的に言うならば、この時点でフェミニズムは全ての女性を救うこともできれなければ、全ての女性や少数者を支持する立場から脱落することになるのだ。


 考えてみれば当たり前の話で、フェミニズムの原義は男女同権主義であり、そもそも女性のみを対象として扱っているわけではないかである。勿論、男性自身らを扱っていることは自明だし、更には、いわゆる少数者であるところの男性弱者男性のみならず、男性女性総体、そして全ての人間に対して地平を開いた、社会救済としての思想――それがフェミニズム本来理念であったのだ。

 とは言え考えるまでもなくこのような理念は有り得ない。全てを対象とした救済の思想、という考えが仮に存在するのであれば、それは宗教に求められるべきであるし、我々は誰を対象として救済や支持を表明するかを一考しなければならない。我々は全てを救うことなどできない。全てを救うという思想が仮に現実存在し得るのであれば、それは有史以来の悠久の歴史において既に達成されている筈であるし、そこにフェミニズムの参加する余地存在しない筈なのだ

 換言すれば、「フェミニズムが全てを救済する」というテーゼを本気で信じている人は一人もいないということだ。


 いずれにせよ、全てを救う思想というもの現実的に存在しない。にもかかわらず、フェミニズムないしフェミニストが越権的にその立場を乗り越えようとした結果、それが不可能であるということはもはや陳腐なまでに自明化しつつあるように思う。

 フェミニズムは世の中の全ての女性を救っているであろうか? と問われた時、その答えは勿論ノーである。例えば、「セクシー広告現実人間リスクを生むので自重すべき」、というシンプル命題においてさえ、女性間で紛糾は起こる。

広告セクシーな魅力を私は評価するし、そのようなポテンシャル広告価値のみならず女性価値にも還元されるのではないでしょうか?」と言う女性は、この文脈においてぶっ潰されることになる。「はあああああ!? 貴方評価したところでもしストッキングタイツを身に着けた一般的女子存在性的に眼差されたら貴方責任取れるんですか!?」と。この言明によって既に「一般的女子」とされる存在の中から、「広告セクシーな魅力を私は評価する」と言明するような女性パージされることになる。この時点で、どう考えてもフェミニズムは、あるいはフェミニスト活動は、女性総体を救済しているわけではなく、最も好意的な言い方でも「女性の部分集合Aを救済しようと『試みている』」に過ぎないのだ。

 でもフェミニストはそう思っていないらしく、「我々の活動は最終的に女性全てを救済し、どころか、ホモソーシャル的な思想に囚われた男性さえをも救済することができる」と考えているフシがある。

 無理。

 無理だから

 例えば、ソマリアでレ○プされている少女フェミニズムは救うことはできない。彼女らを救うことができるとすればそれは政治役割である。とにかく、世界同時革命的に思想啓蒙を行うことは無理なのである逆襲のシャアを見ろ。

 そんなこんなで、フェミニズム役割限定的であるし、それは全ての女性に対して及んでいるわけでもない。というか、対象としている女性たちそのものでさえ救済できているかは謎である。いや勿論されてる人もいるんだろうけどね。


 話を戻すと、結局のところフェミニズム限定的に人を救うしかないし、それが活躍できる範囲は決して広くはないのである。この時点で、フェミニズムはある種の専門的な救済機構への道に進むことになる。というか、最善でもそうなるしかないのである。因みに最善以外の可能性としては「自分たち救世主だと考えている思想強要集団」という可能性が存在している。

 逆に言えば、フェミニズム自分たちの救うことのできる範囲というのをしっかり限定して、その上で物事に取り組むべきなのである企業マーケティング一挙一動監視し「社会に悪影響がある!」と発信するのはフェミニズム役割ではない。それは本来公共広告機構ジャロ役割だ。

 ソマリア女性を救うことができるのが政治であるのと同様の意味で、役割はきちんと分担しなければならない。広告のことはジャロにまかせておいたらどうじゃろ? という話である

 役割限定することは極めて重要で、繰り返すように我々は世界同時革命的に全てを救うことはできない。しかも、救済の対象限定することによって全てが解決するのかと言えばそうではなく、そこには必ず利害のバッティングが起こる。例えば、広告バッシングされることで不利益を蒙る企業存在するのが現実だし、あるいは、広告バッシングされることで不利益を蒙る献血促進団体存在するのが、そのような例に当たる。必ずそこにはお互いの利害の衝突があり、お互いの倫理があり、お互いの目標があり、お互いの努力がある。

 全てを救うことができないというのはそういうことで、要はそこにはお互いの、利害の衝突があるということなである。誰かを救おうとすれば誰かが救われないということなのだ。

 そして、誰かを救うということは、別の誰かを救おうとする人間を切り捨てるということなである


 つまりここにおいてフェミニズム立場は相対化されることになる。

 フェミニズム自身擁護しようとする人々と利害的に対立しているところの、別のグループとの対立を味わう。お互いに誰かを切り捨て、自らの救いたいと望む人々をのみを救うしかない袋小路に辿り着く。その時点で、思想の優位性、発言正当性などは捨象されてしまうのだ。つまりフェミニズムは誰かを救うことを諦める代わりに誰かを救うという形を、最善の可能性においてさえ取らざるを得ないのである。全てを救おうとしてもそこには最悪の可能性が導かれるだけで、まずは、誰を救いたいのかを限定しなければ、誰も救うことなどできなどしない。

 そして、現実に生きる人々が常に取るべきなのはそのような態度である。現に、今を生きる人々はそのような態度を常に取り続けている。例えばアツギという企業社員や依頼先のイラストレーターを守るように、それが当たり前のことなのだ。そしてそこには避け難く対立が起こる。誰かをぶん殴れば誰かにぶん殴られる。誰かをぶん殴れば誰かに毛嫌いされる。何も、フェミニズムけが特別というわけではないのだ。


まとめ


 警句的に言えば、ありとあらゆる対立において、ありとあらゆる闘争において、誠実な闘争というもの存在しない。どんな対立であれどんな闘争であれ、それは不実で胡散臭くて汚らしいものだ。しかし、今回の件を見る限りで、そこには一般論を超えたきな臭さを感じざるを得ない。

 それは恐らくフェミニズム限界に起因するきな臭さなのではないかと思う。彼女たちは、全ての女性を救うことはできないし、男女同権思想自明として救済しなければならないところの男性を救うこともできない。また、強い社会ストレスの中で生きる少数弱者を救うことができない。時には、彼女たちは女性をも切り捨てる。

 勿論、救う対象限定することは大切だ。誰もかもを救おうとすることな人間には所詮できないのだから

 とは言え、まさにそこに、一般論を超えたきな臭さの源がある。つまりそれは、自覚なく人々を切り捨てておきながら、自身限界意識せず、まるで全てをも救い得るかのように振る舞うフェミニストフェミニズム傲慢のことである。突然こんなこと言ってごめんね。

 でも本当です。

2020-02-06

左翼バラバラになった男女を見てよしとされた

1人1フェミニズムと言うくらいにまとまりがなさそうなのかフェミニズムという思想なんだが、国家解体を目指す左翼ノウハウ集大成だと思っている。

なんでそうかと言うと彼らの論理作戦がかつての左翼たちとそっくり

例えばよくわからん文字を並べてだから日本は云々言ったり、よくわからん四字熟語を作ってその図式で考えたり、思想賛同しない人にはレッテル張って徹底的に弾圧したり、やってる事がそっくりだ。

さて、そんなフェミニズムだが、個人的にはこの思想バラバラなのではなく、ある一つの軸があるのだと思っている。

それは、歴史は男女の闘争歴史であり、女性はそれに敗れ、男性の不当な支配に苦しめられている

と言うものだ。

資本家による搾取、とか、そう言うのともろかぶりやんか、俺はよくこう思う。

ただ、今回巧妙なのは社会的弱者女性を救済している(ことになっている)、と言う点だ。

もう一つ巧妙なのは思想を体系化しないことでその根源を隠しているところだ。

かつて女性は体力的にも社会的にも弱かった。ここは誰が否定しても仕方がない。

仮に男女が分かれて体力ベースのなんでもいいがトーナメントをしたら決勝トーナメントに残れる女性はいないだろう。予選を勝ち抜く女性はいるだろうがそれも早々に敗退するだろう。

そして専業主婦であるが故に経済的にも弱かったし、女性仕事は変えのき単純労働がおおく、給料も安かった。

そして左翼由来のフェミニズムはここに付け入る。

「この社会は男たちが旨い汁を吸い続けるために仕組んでいる、女たちは不当に支配されている」

からしたらたまったものではない。家庭に対する全責任との交換によって社会的コンセンサスの取れた立場であったのにいつのまにか不当な支配者にされている。

そして世界男と女闘争と言う単純な対立軸に落とし込まれ、賛成しないもの思想的な弾圧を受け、賛成しても搾取されるだけの存在に成り下がる。

女も男と同様に社会責任を取れるように改革をしよう、法制度、働き方、人々の考え方云々変えていこう

こう言うことを言ったフェミニストを俺はまだ知らないし、実行してるフェミニストも知らない。

この辺もかつての左翼たちと同じだ。

ひたすらルサンチマンを溜め込み、社会に対する不満を煮詰めていくがちっとも改革しようとしない。もっと言うなら何が問題かなんて誰も明確にしようとしない。そして北欧男女平等ユートピア!とか言い出す始末だ。

福祉社会生活現実なんか誰も見ようとしない。

最近トピックに宇崎ちゃんポスターがあった。フェミニストが一つ気づかなくてはならないのは、男にも女にも無関心から問題意識を感じる人がいたと言うことだ。積極的にやる人から消極的な人がいたと言うことだ。これはセクハラ痴漢についても言えることだ。

女性が抑圧されている根拠はこう言った性的認識の不一致につけ込むことでそれっぽく語られているが、その軸は男女の間にではなく、もっとグラデーションのあるものだ。

何かの統一的な理論に基づいた軸なんかない

だが、フェミニズムは男女の対立がその根拠なのでこれを変えることはできないし間違っても直視するわけにはいかない。思想無謬でなくてはならない。思想に与しないものはなんらかの形で排斥しなくてはならない。

そこで言い出したのが、名誉男性だ。これを初めて見たのは小林よしのり漫画だけど、この時は女としての意地も思想もなく男に取り入るだらしない奴らと言う意味合いだったが、これがいつの間にかフェミニズム同意しない女になっていた。

次に、賛同する男だ。これはフェミニストたちの勝利、成果としてアップデートされた男たちと言う称号を得ている。だが、それによって彼らは何か得られたのか?単に搾取されるだけの存在に成り下がってないかますます消耗品にされてないか

最後賛同しない男たちだ。これがフェミニストたちの敵だ。

興味がないといえば、消費する側だもんねと言われる

反論すれば一足度に差別主義者とレッテルばりされて袋叩きに合う

たしなめようとしても同じだ。

過去歴史を紐解いてみたところでそんなのは信じない、嘘だ、偽書に踊らされるかわいそうな男にされる。

ここまで書いてわかるかは知らんが、手口が左翼のそれそのまんまなんだよ。

まりフェミニズム左翼2.0なんだよ

さて、かつての共産主義者たちはすっかり鳴りを潜めた。まだあるはあるようだが日常であまり見る機会はなくなった。が、その思想社会根付いた。

世界同時革命なんかもう実は日本では起きてると思っている。言葉的に矛盾してるが。

からもう別にいいんだよ。

さら国民バラバラな自立した民の集まりにするために目をつけたのがフェミニズムだったと思っている。

だが、そろそろもういいんじゃないかな。今年の後半くらいから急にフェミニストたちはその思想を爪痕として残したままいなくなるか別の分野に引っ越してると思う。

次に来るのはなんだろうか。

社会国民は分断されている。お上意識伝統的に持ってることにされてる国民からここはすでに乗り越えている。

戦後反戦平和教育によって世代バラバラにされた

労働組合のあくなき闘争によって雇用者労働者バラバラに出来た

男と女バラバラだ、つまり家庭はバラバラだし、フェミニズムによって女もバラバラに出来た。

彼らが選ぶ次に解体する時間はなんだろうか?

個人的には男をバラバラにするんじゃないだろうかと思っている。

要はマスキュリズムだ。フェミニズムと同じことを今度は男に対して行う。

2020年日本にマスキュリズム元年が訪れるだろう。

ここで「いや俺は、私はそんなの染まってないぞ?」と思った人らは一度自分たち行為言動客観的に見るといい。自分が思ってるよりもはるかに染まってるから

マルクス社会主義よあれと言った、マルキシズムがそこにあった

2日目、歴史偉人身分を固定した。

3日目、日教組反戦平和教育を行うことで世代は分断された

4日目、日労組団体交渉を行うことで労使は分断された

5日目、何者かがフェミニズムを広めることで男女と女は分断された、家庭は結束が緩んだ、男の家庭感はなかったからだ

6日目、何者かがマスキュリズムを広めることで家庭は決定的に分断された。男女の分断は取り返しがつかなくなり、男も分断された

7日目にあらゆる軸に基づいて完全に自立したように見える人々を見て何者かが満足した。

と言うことなのかもしれない。おー怖い。

だが、一つ誤算があった気がしている。SNSじゃない。あんなのはアカウント作りまくって数の暴力でどうとでもできる。

若者が予想以上に自立してしま日本を出るようになった事だ。大学から先の課程に進むようになったことだ。

今後社会では国民いかに国からさないかいかモラトリアムだけ経験させるかに必死になるかもしれない。世の共産主義国家が特に気を使うのは情報だ。

2019-10-24

anond:20191024121718

一つめと二つめはともかく、三つめは関係ないだろ。よその事に口を出そうが出すまいが当人勝手。(というか、なんで他国の事に口出すん? 世界同時革命論者かい?w)

2015-10-06

BL老師と俺 -BL暴力-

〜ここはBLを極めしBL老師独身)が隠棲する人里離れたあばら小屋

俺「老師〜」

老「ほっほっほ、なんじゃな増田くん。また男性向けくされ美少女アニメを持ち前の牽強付会BL作品としてオススメしに来てくれたのかな? いいかげんうんざりじゃぞい」

俺「それですよ、それ。老師最近、その……アレのことを考えると、むずむずして変な気持ちなっちゃうんです」

老「精通?」

俺「そんなんじゃなくて、ほら、日本コメディドラマとかで黒人が無神経に『おもしろキャラ』扱いされてるのを見てると……その……なっちゃうじゃないですか」

老「ああ、なるほど。心配しなくていいのよ。それはね、おとなになったら誰にでも起こることなの。だから全然はずかしいことじゃないのよ」

俺「え……じゃあ、このバブみって……?」

老「政治的正しさ、いわゆるポリティカリー・コレクトネス強迫症ってやつじゃな」

俺「的……ゆる……ネス?」

老「アメリカでは公民権運動以来、日本では90年代以降に広まり始めた『平等・公平』にそぐわない先入観まるだしのステロタイプを恥じる文化症候群じゃ。まあ、いつかはミトコンドリアみたいに体に馴染むじゃろうて」

俺「でも……ひとつどうしても心配なことがあって……ほら、老師はこれまでに色んな非BL作品を『BL作品だ』と解釈して勧めてきたでしょう?」

老「解釈というより世界同時革命主義的トロツキズムに近かったがな」

俺「あれは間違っていたんでじゃないでしょうか……つまり、俺は、その、ゲイでもなければ腐女子ですらないじゃないですか腐男子でもない。BL界隈のことについては無知に等しい人間なんです。無知であることを知っているぶんだけ、半可に知ったかぶって老師よりは魂のステージが上なわけですけれど、褒められたことじゃない。どころか、俺がBLじゃないものBLだとネタ的に主張することで、世間流通している『BL的なるもの』の世間イメージを歪めていたのではないかと、そういう行為に加担していたのではないかと案じてしまうのです」

老「ふむ……BL外のパンピーであるお主が『BL』の概念をもてあそぶことで、BLプロパーたちを傷つけていたかもしれぬ……それで不安なんじゃな?」

俺「はい

老「増田くん、いや、我が弟子増田よ。一歩前に踏み出してみよ」

俺「?はい

 言われるままに、おずおずと前に出る増田――その刹那BL老師鉄拳がうなり、増田は二十ページ過去記事メートルもふっとばされた!!!!!!!!!!

俺「ぐべばぼれほらがぐぎっがががががげぼっ!老師〜ひどいじゃないですか〜いきなり殴るなんてあんまりだよ〜」

老「増田よ……お主は『暴力』についてどれだけ知悉しておる?」

俺「???

老「わからぬであろう……では、わしは? このBL老師はどれだけ『暴力』を知っているといえるかな?」

俺「相当な達人であるとお見受けしましたが」

老「わしもまた無知だ……ただ、わしは無知であることを知っているぶん、無知であることについて無知なお主より宇宙位階は上じゃがな。では、この世に『暴力』についてよく知っている、精通しているといえる人間がどれだけおる?」

俺「格闘家とか?」

老「スポーツ本質暴力にない。でなければ、どうしてルール儀礼など必要になろうか」

俺「うーん、兵士とかでしょうか。あ、将軍かな」

老「百年戦争薔薇戦争オーストリア継承戦争ナポレオン戦争第一次世界大戦第二次世界大戦ベトナム戦争……兵や将が完全に『暴力』のなんたるかを把握しているならば、この誤算だらけの戦争はいかにして説明しよう?」

俺「うーん、でも他にはなー」

老「そうじゃ、おらんのじゃ」

俺「いない?」

老「『暴力』についての完全知を有するものなどおらぬ。いわば、人類みな半可通で日々暴力運用しておる」

俺「人類みな半可通……そうか……おなじだ……BLも……」

老「男も女もリア充腐女子ブクマカもおぬしもわしもみな等しくBLを知らぬ……そのことを理解してくれればよい」

俺「なるほど!わかりました老師!これからも俺なりのBLを発掘して、視野狭窄に陥ってる腐女子たちへ新たな角度からアプローチ提案してみます!」

老「ほっほっほ、そのいきじゃ!!」



 数日後、老師弟子である増田氏の遺体産業会館近辺の雑木林のなかから発見された。

 およそ七百以上のパーツに切り刻まれた彼の遺体、その一片にこのような走り書きのメモが留めてあった。

「われわれは何も拒まない。だから、われわれから何も奪うな」

 警察犯人不明として、遺体発見から四日後の午前に事件捜査をうちきった。

2014-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20140820235057

社会的地位を得ることに成功した男性も大抵めんどくさいんじゃないかと思うんだけど。

まあ最終的にはそういうの世界同時革命粛清するしかないんかね。

2014-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20140704183542

ちょっと時代的じゃないかな。

ミドリ国は人件費が安いだろうから、アオの資本はどんどんミドリに出て行って

ミドリ民を雇用するだろうし、アオはミドリ市場を育てて食いたいと思うだろう。

今時植民地支配なんてコスト的に見あわないから、アオの資本ミドリを支配し始める

一方で、ミドリ民はアオに移住したがるだろう。アオも安い労働者が欲しいから入れてみるかもしれない

結果として、アオの国にミドリの街が出来て軋轢が生まれる。

結果として、ミドリ国の大企業はほぼアオ資本となってミドリは「搾取されている」とキレ始める。

その一方、アオの移民ミドリ問題を起こしまくるのも間違いないだろう。教育格差デカいだろうから

また、アオの原油の出方にもよるけど、アオ民にも失業者がいるなら

アオ民は「ミドリ民に仕事を奪われた」と激怒するだろう。

…って感じじゃね、現代戦争って。

そんで、全面戦争じゃなくてテロ戦に突入

増田の言ってるような戦争がこれから起きる可能性は薄いよ。

そんなんガキに教えても、いわゆる「サヨク」の英才教育してるだけじゃねーの。やめとけ。

俺のこの内容にも抜け落ちてるものは多いだろうけど、あなた場合経済」がスッポリ抜けてるから

無理がありすぎる。結果として、テンプレサヨク理論ソフトランディングするぞそれ。

我が子を革命家にしたいならいいと思うけどさ。

あなた理論場合世界同時革命!」って答えにかなり誘導されやすい。

もしくは人民寺院だな。

2011-06-13

「二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか」に対して

どうも。こないだまで就職王って名乗ってましたが、今は無職です

で、前回書いたコレhttp://anond.hatelabo.jp/20110429004257

なんかすごい真面目なトラックバックが来てたので、なんか書かなきゃなーと思いました。

今日結構真面目に書くので文体は素で。ネタ無し。

二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか

http://d.hatena.ne.jp/thinking-terra/20110529/1306640590

で、これ読んで思ったんだけれども。

ぼくが思うに、現代日本若者における問題ってのは最早「価値観」の問題ではないと思うのね。

いうなら、それは生存の問題だし、もっと明確に言えばいかにクサレ年寄りから椅子をムシリ獲るかってことなんだと思うんだ。

既存価値観に乗ることは出来ない」とテラケイさんは仰る。でも、ぼくはそれは違うと思う。

むしろ、現時点に於いても生存戦略としては「既存価値観にドップリ漬かる」は限りなくベストに近い。

「世代」のことを考える前に、「自分」のことを考えて、グダグダ言わずに東大を出るべきなんだ。

もちろん、東京大学というのはかなり極端な例だけれども。

ミクロで考えるなら、まだ現代日本は個人の力で「なんとかなる」社会だとぼくは思う。

ぼくの「就職王」コラムは個人化戦略の極地のようなものだけど、実際あの程度でなんとかなってしまう。

でも、もちろんマクロで考えるとこれは明確に間違っている。

だって椅子の数が限られているなら誰かは必ず負けるんだから社会には一定水準の競争が必要である、という

命題を真であるとした上でも、社会を構成する一定層はそれなりの職を得て暮らしていけなきゃまずい。

それに、ぼくのような口先だけで逃げ切るやつが評価される企業の土壌というのも、あんまりよくない気がする。

やっぱり、社会は少しずつでも変えていかなきゃならない。ぼくらの世代が楽しく生きるために。

社会を変える」って言いにくい世代だよね、ぼくらは。上の世代が派手にコケたから。

どうせ社会なんて変わらない、馬鹿どもの轍を踏んでたまるか。そういうところがある。

デモやる?って言われても「それ頭の悪い年寄り大分前に失敗した」としか思えない。

カウンターアクションは必要だけれど、それはやはり時代に即したものでなければいけない、と思う。

少なくとも「就職クソッタレ」って言って変わるものがあるなんて考えられない。そうじゃないか

ウザイ自分語りで申し訳ないけれど。ぼくが就職したのは「箔をつけるため」だった。

今、起業をするために色々じたばたしてるんだけれど、やっぱりカネを出して貰うにはそれなりのものが必要になる。

少なくとも、「真っ当に勤めていれば生涯年収4億近かったですよ」くらいのことは言えないと、

与えられたカネの代わりに差し出すものとしては、とても足りない。実はこれでも全然足りないんだけれど、

それでも何某かのバックボーンにはなる。使えるモノは、使わなきゃ損だ。就職して数年踏ん張るだけで得られる

ステータスって、実は結構お買い得な気がする。ある意味大学名前以上に。

この日本社会は実にクソだと思うけれど、使えるものを使わずに戦うのはいかにも勿体無い。

価値観を変える」なんてのは、ヒッピーになるのと同じだ。ヨガをやってもマリファナやってもロックフェスをやっても、

実はどーにもならない。それは、かつてアホな連中がもうやった。ぼくらがそれをやる必要はない。


ぼくは巷で見る就職活動批判にすごく違和感を感じていて、つまるところそれはどこまで言っても

負け犬の遠吠え」としか認識されないんじゃないか、ってこと。

かつての頭の悪い年寄りには「世界同時革命」みたいな強烈なイデオロギーがあったから、「就活バカヤロー」よりは

スケール感もまとまりもあったけれど、ぼくらの世代にはそれもない。あるべき社会モデルすらない状態で、

価値観を変えろ」って言われても、それは「解脱しろ」とか言われるのと一緒だ。シャクティーパッドとかポアとか

そういう語感にしかならない。そんなことにはほとんど何の意味もない。

まりところ、それがミクロの問題であれマクロの問題であれ、既存社会からの断絶というのは不可能なんじゃないかと思う。

テラケイさんは価値基準を語るときに「外部」と「内部」という言葉を使っているけれど、ぼくには価値観に於いて明確な

「外部」ってのがあるとは思えない。テクストに外部はない、みたいな学問を専攻してたせいもあるんだけど

それを差し引いても、既存価値観を排除して生きていけるなんてとても思えない。そんな強くないからね。

ロストジェネレーション世代にニーチェじみたものを押し付けても、それは「レッツ自殺!」って結果しかもたらなさないのではなかろーか。

我々が目指すべきものは、この社会から乖離したものではなく地続きにものでなければいけない、と思う。

じゃあ、どうすべきかってことなんだけど。

とりあえず、まずは団結すべきだと思うんだ。勝ってる奴も負けてる奴も。

世の中はクソで、なんとかしなきゃ楽しい人生は送れそうもない、って意識を共有することだと思う。

ぼくはかつて、ものすごく貧乏大学の学費にもメシ代にも汲々としてた時期があったんだけど、

その時、やっぱり同じような奴らと相互扶助的に生きていて、それは例えば部屋を分け合ったりとか

僅かなカネを分け合ったりとか、電気釜を共有したりとかそういう話だったんだけど、そういうところからだと思う。

例えば、イタリアの話。イタリアは、失業率がアホほど高いけど、自殺率は低い。これは何故かっていうと、一説には

一族主義が強く根付いているからだ、と言われている。縁のある誰かが食えてなければ、誰かが食わす。そーいうところがあるらしい。

じゃあ、我々悲惨な現状にいる連中も、そーしとけばいいんでないかな、と思ってる。

とりあえず、屋根とトモダチがいれば死ぬことはない。ぼくはそー思う。

こうすることで何が得られるかといえば、リスクを取るのが非常に容易になる。

「1人が1のリスクをとる」ことと「10人がそれぞれ1のリスクを取り、リターンを分配する」ことは大分違う。

もちろん、10人全員が敗れ去るパターンもありえるけれど、かなりのヘッジが出来ることになる。

そして、何よりだけど精神的にとても楽だ。ぼくは「起業」の道を選んだけれど、他にもロースクールに行ったりとか

そういう道を選ぶことにもやはりリスクはつきまとう。金銭的なリスクもそうだけれど、孤独化してしまうことが何よりヤバイ。

官僚から政治家目指すぜ、みたいな道にしてもやはり同じだ。そういうとき価値観を共有出来るつながりがあることは

何より強いとぼくは思う。いや、今んとこカネを得て起業に漕ぎ出したところだから、この先なんかわかんないけどね。

仲間にも全部見捨てられて、一人ひっそり首を括るって可能性も全然あるわけだし。

それで、社会批判の話に戻るんだけれど。ぼくが「就職王」でやりたかったことは

就職活動批判」のちょっとスマートな形を提示するってことなんだ。

確かに、マクロ的に考えると我々は既存価値観に乗っかることは出来ないかもしれない。

しかし新しいマクロ価値観ライフスタイル創造することも、おそらく出来ないだろうってこと。

その行き詰まりの中でクリティカルなクリティークを社会にカマすとしたら、

既存価値観に乗っかって踊り狂いながら、同時にそれ自体を批判として成立させるしかないんじゃないかと思う。。

ダンスパーティー台無しにしたいなら、まず誰より上手く踊らなきゃいけない。そうでなければ、誰も話を聞いてくれない。

やはり、我々はこのクソみたいな社会で戦っていくしかないし、クソみたいな社会を否定したところで

クソじゃない社会青写真を描けるわけじゃない。それは、大分昔に失敗した。

から、このクソだめみたいな社会の集団的蛆虫として既存価値観と地続きの世界をサバイブしていく以外に多分道はない。

そして、九人がダメでも、一人が生き残れればそいつが他を引き上げればいい。もちろん、現実的にこんなことが上手く行くか?

ってところはあるけれど、独力で社会と隔絶された「価値観」を作り出すよりは、十人で価値観を「共有」するほうがまだ成功率は高い。

悟りを得た」人はそんなに多くないけど、「宗教にハマって死んだ」人は腐るほどいる。

その程度の価値観共有なら多分できるんでないか、そういう風にして戦っていくしかないんじゃないか、と思ってる。

人間、上手いこと価値観を刷り込まれれば飛行機ビルに突っ込めるんだから、それくらいできるんじゃね?と。

まー、なんというか。

これはぼくの戦略っぽく見せかけた誇大妄想から、なんのあてにもならないけれど。

とりあえず、若い人間はもーちょい戦略的に生きるべきだと思うし、また同時に団結すべきだと思う。

個人の内面ナイーヴな話に閉じてしまうのは、なんかどーなんだろーな、とぼくは思うんだよね。

これから具体的にどーするか、どのようにして生き残ってリスクを取っていくかを論じるべきじゃないだろうか。

まだまだやれることあると思うんだよね、実際。

ところで、死ぬほどどーでもいいけど、「ロストジェネレーション」って若い頃第一次世界大戦に遭遇して、何か価値観クラッシュしちゃったよーな世代の作家達を指す言葉で、「二代目」っていうとちょっとおかしいことになるよね。ロスジェネの「二代目」世代ったら、ビートの時代でケルアックとかギンズバーグとかを指すと思う。

不況なんかにぶつかった「貧乏くじ世代」を指す意味で「ロストジェネレーション」って語を使うと、今の世代は何代目になるのか、すごくめんどくさい議論が要るね。個人的に、「ロストジェネレーション」を現代の「失われた世代」に当てはめるのは色々ムリがある気が。字面はいいけど、原義から考えるとスゲービミョーな感じ。ロスジェネ論争とか言われると、今更ヘミングウェイとか論じてんの?って思っちゃうのはぼくだけじゃないと思う。

エクストリーム世代」とかなんかそんな感じの新語を誰か考えるべき。

 
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