2020-11-11

実を言うと、フェミニズムはもうだめです。

 突然こんなこと言ってごめんね。

 でも本当です。



   *



 フェミニズムは全ての女性を救うわけじゃない。


 すんげー雑な言い方をすると、フェミニズムはその役割ピークを迎えようとしている。

 言い方を変えれば、フェミニズムは相対化され、限界を迎えている。つまりフェミニズムは数あるライフスタイル思想の一つに過ぎず、全ての女性や少数者を包括的に支持し救済するといった、かつての理念として見られていた役割からは剥がれ落ちつつあるということだ。

 結局のところ、フェミニズムは全ての女性対象としているわけでもなければ、全ての少数者を対象としているわけでもないということである論点取的に言うならば、この時点でフェミニズムは全ての女性を救うこともできれなければ、全ての女性や少数者を支持する立場から脱落することになるのだ。


 考えてみれば当たり前の話で、フェミニズムの原義は男女同権主義であり、そもそも女性のみを対象として扱っているわけではないかである。勿論、男性自身らを扱っていることは自明だし、更には、いわゆる少数者であるところの男性弱者男性のみならず、男性女性総体、そして全ての人間に対して地平を開いた、社会救済としての思想――それがフェミニズム本来理念であったのだ。

 とは言え考えるまでもなくこのような理念は有り得ない。全てを対象とした救済の思想、という考えが仮に存在するのであれば、それは宗教に求められるべきであるし、我々は誰を対象として救済や支持を表明するかを一考しなければならない。我々は全てを救うことなどできない。全てを救うという思想が仮に現実存在し得るのであれば、それは有史以来の悠久の歴史において既に達成されている筈であるし、そこにフェミニズムの参加する余地存在しない筈なのだ

 換言すれば、「フェミニズムが全てを救済する」というテーゼを本気で信じている人は一人もいないということだ。


 いずれにせよ、全てを救う思想というもの現実的に存在しない。にもかかわらず、フェミニズムないしフェミニストが越権的にその立場を乗り越えようとした結果、それが不可能であるということはもはや陳腐なまでに自明化しつつあるように思う。

 フェミニズムは世の中の全ての女性を救っているであろうか? と問われた時、その答えは勿論ノーである。例えば、「セクシー広告現実人間リスクを生むので自重すべき」、というシンプル命題においてさえ、女性間で紛糾は起こる。

広告セクシーな魅力を私は評価するし、そのようなポテンシャル広告価値のみならず女性価値にも還元されるのではないでしょうか?」と言う女性は、この文脈においてぶっ潰されることになる。「はあああああ!? 貴方評価したところでもしストッキングタイツを身に着けた一般的女子存在性的に眼差されたら貴方責任取れるんですか!?」と。この言明によって既に「一般的女子」とされる存在の中から、「広告セクシーな魅力を私は評価する」と言明するような女性パージされることになる。この時点で、どう考えてもフェミニズムは、あるいはフェミニスト活動は、女性総体を救済しているわけではなく、最も好意的な言い方でも「女性の部分集合Aを救済しようと『試みている』」に過ぎないのだ。

 でもフェミニストはそう思っていないらしく、「我々の活動は最終的に女性全てを救済し、どころか、ホモソーシャル的な思想に囚われた男性さえをも救済することができる」と考えているフシがある。

 無理。

 無理だから

 例えば、ソマリアでレ○プされている少女フェミニズムは救うことはできない。彼女らを救うことができるとすればそれは政治役割である。とにかく、世界同時革命的に思想啓蒙を行うことは無理なのである逆襲のシャアを見ろ。

 そんなこんなで、フェミニズム役割限定的であるし、それは全ての女性に対して及んでいるわけでもない。というか、対象としている女性たちそのものでさえ救済できているかは謎である。いや勿論されてる人もいるんだろうけどね。


 話を戻すと、結局のところフェミニズム限定的に人を救うしかないし、それが活躍できる範囲は決して広くはないのである。この時点で、フェミニズムはある種の専門的な救済機構への道に進むことになる。というか、最善でもそうなるしかないのである。因みに最善以外の可能性としては「自分たち救世主だと考えている思想強要集団」という可能性が存在している。

 逆に言えば、フェミニズム自分たちの救うことのできる範囲というのをしっかり限定して、その上で物事に取り組むべきなのである企業マーケティング一挙一動監視し「社会に悪影響がある!」と発信するのはフェミニズム役割ではない。それは本来公共広告機構ジャロ役割だ。

 ソマリア女性を救うことができるのが政治であるのと同様の意味で、役割はきちんと分担しなければならない。広告のことはジャロにまかせておいたらどうじゃろ? という話である

 役割限定することは極めて重要で、繰り返すように我々は世界同時革命的に全てを救うことはできない。しかも、救済の対象限定することによって全てが解決するのかと言えばそうではなく、そこには必ず利害のバッティングが起こる。例えば、広告バッシングされることで不利益を蒙る企業存在するのが現実だし、あるいは、広告バッシングされることで不利益を蒙る献血促進団体存在するのが、そのような例に当たる。必ずそこにはお互いの利害の衝突があり、お互いの倫理があり、お互いの目標があり、お互いの努力がある。

 全てを救うことができないというのはそういうことで、要はそこにはお互いの、利害の衝突があるということなである。誰かを救おうとすれば誰かが救われないということなのだ。

 そして、誰かを救うということは、別の誰かを救おうとする人間を切り捨てるということなである


 つまりここにおいてフェミニズム立場は相対化されることになる。

 フェミニズム自身擁護しようとする人々と利害的に対立しているところの、別のグループとの対立を味わう。お互いに誰かを切り捨て、自らの救いたいと望む人々をのみを救うしかない袋小路に辿り着く。その時点で、思想の優位性、発言正当性などは捨象されてしまうのだ。つまりフェミニズムは誰かを救うことを諦める代わりに誰かを救うという形を、最善の可能性においてさえ取らざるを得ないのである。全てを救おうとしてもそこには最悪の可能性が導かれるだけで、まずは、誰を救いたいのかを限定しなければ、誰も救うことなどできなどしない。

 そして、現実に生きる人々が常に取るべきなのはそのような態度である。現に、今を生きる人々はそのような態度を常に取り続けている。例えばアツギという企業社員や依頼先のイラストレーターを守るように、それが当たり前のことなのだ。そしてそこには避け難く対立が起こる。誰かをぶん殴れば誰かにぶん殴られる。誰かをぶん殴れば誰かに毛嫌いされる。何も、フェミニズムけが特別というわけではないのだ。


まとめ


 警句的に言えば、ありとあらゆる対立において、ありとあらゆる闘争において、誠実な闘争というもの存在しない。どんな対立であれどんな闘争であれ、それは不実で胡散臭くて汚らしいものだ。しかし、今回の件を見る限りで、そこには一般論を超えたきな臭さを感じざるを得ない。

 それは恐らくフェミニズム限界に起因するきな臭さなのではないかと思う。彼女たちは、全ての女性を救うことはできないし、男女同権思想自明として救済しなければならないところの男性を救うこともできない。また、強い社会ストレスの中で生きる少数弱者を救うことができない。時には、彼女たちは女性をも切り捨てる。

 勿論、救う対象限定することは大切だ。誰もかもを救おうとすることな人間には所詮できないのだから

 とは言え、まさにそこに、一般論を超えたきな臭さの源がある。つまりそれは、自覚なく人々を切り捨てておきながら、自身限界意識せず、まるで全てをも救い得るかのように振る舞うフェミニストフェミニズム傲慢のことである。突然こんなこと言ってごめんね。

 でも本当です。

  • それ女を奴隷にしたい男の願望だよね。 日本でさえ都市部では役目を終えてても、 九州や東北の僻地や沖縄ではまだ女の人権が無くて進学させてもらえない女の子がいる。

    • そりゃ障害者なんだから当然だよね

    • そりゃ障害者なんだから当然だよね ←女性は障害者ではないし、障害関係なくそんな扱いをすべきじゃない

      • むしろ男の方が障害者多いんだから落伍者の劣等雄を家に閉じ込めとけよと思ったけど、 自主的に自宅にこもってそうだった。

    • はい地方差別 差別反対を唱えるやつほど差別意識丸出しでナチュラルに差別発言をする しかも想像で

      • 男様の差別はいい差別という意味?

        • 差別するなら強者である東京を差別しろ

          • 東京なんて地方者の集まりなんだけど。 妬ましいならお前も東京に出ればいい。

        • よく分からんが醜い地方差別をしているのは女性だぞって意味?

        • 都会女性様の地方差別はいい差別という意味?

          • 田舎者なら女を虐待する権利があるとでも? それ名誉殺人や性器切除やってるような文化圏の人とどう違うんですか?

            • 東京人なら女子高生コンクリに詰めても良いって言ってるんですか?

              • どこに住んでようが女を虐待するという話なんですが? 男さんってコンクリ事件おもちゃにするの本当に好きだね。

      • 横だけど女子の進学率は地域で明確に違いが出るよ。 http://eic.obunsha.co.jp/eic/resource/pdf/2017_shingakujokyo/02.pdf

        • 人権がないからではなくて 地元に優秀な大学がないのと収入が低いことが主たる要因では?

          • 下等生物が子作りして女の子ができたら虐待してるなんておぞましい。

          • 田舎では作物を自産自消しながらたぬきを追い回して穏やかに健やかに一日が終わっていくんだが?

          • であれば条件は男女でも同じなはずです。 進学率自体が女子の方が著しく低かったり、一見すると男女で差がないように見えてもよくデータを見ると女子の多くが短大に行っていたりす...

            • 確かにその可能性もある だが、女性が進学したくない傾向にある可能性がなぜ否定されるのかわからない 短大に女性が多いのは、単純に女性のほうが短大志望が多いからではないのか

              • 短大がそんないいもんなら男だって短大行きたがるかと。

              • https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/32/3/32_228/_pdf 大学進学の動機となる人物は半数以上が親だそうです。 自分で「短大行くわ」「大学には行かない」と言った自由意志に見せかけて、女性...

                • 選択肢が、父親、母親、教師、友人の四択しかないデータであることを隠すのはなぜ? しかも1984年っていうふる~い論文を引用して。

        • 元増田の旺文社によるセンター試験志願率で見ると、元々増田の主張とは逆に九州、東北の田舎のほうが女性が大学受験をさせてもらえる率が高いらしい。 大都市圏ほど男子のほうが優...

          • つまり単に学力が低い可能性

          • このデータは「受験させてもらえる」じゃなくて「受験している(しかもあくまですべての受験をカバーしているわけではない)」ですね。 受験するかどうか100%親が決めてる社会にお...

          • 元増田ですが、別のトラバでも言っている通り、短大・4大などの内訳を見ることをオススメします。

          • 真の文化資本弱者は大阪民。(第2位京都、第3位北海道) 絶対的弱者は不幸アピールせず、相対的弱者の大声で問題が歪曲されるパターンだなこれも。

          • 家に複数の子供がいて全員に高等教育を受けさせられるだけの資産がない時、男児を優先することはあるかもしれない。 でも、全員に高等教育を受けさせられるだけの資産がない家庭に...

          • 大学入試センター試験(おそらく現行の大学入学共通テストも)は、近年「クラス全員受験」を義務付ける高校が増えており、問題となってるんだよね。その傾向にも地域差があると思...

  • 逆襲のシャアを見ろ。 ならば今すぐ愚民ども全てに叡智を授けてみせろ ってことか

  • 男女同権が達成しつつある中ではだんだんと意味をなくしていくだろうね 参政権とかを主張してた時代からしたら性的まなざしがどうのこうのぐらいしか主張してないし もっと男に育休...

    • 中国共産党とムスリムをバトらせればいい。 中国共産党がウイグルでやってることをもっとやればいいんだよ。

    • 「育休義務化してもどうせ男は育児しない」とか言ってるし、どっちに転んでも言いたい放題叩きたい放題だよね これはフェミに限らない話だけど、既存のものにリスペクトがないの...

    • イスラムとフェミニズムって普通に両立するけど 共通する主張も多いし

      • するわけが無い。 家父制からの脱却こそフェミニズムの主旨。

        • 家父長制を全否定するのではなく、良いところは柔軟に取り込みましょうというフェミニズムもあるよ

  • フェミニズムはあくまで時節に応じた単性の主張方法だったから役目を終えるならシフトアップして人間全体のありかた検討に「ヒューマニズム」になっていくべきかもしんないね ヒュ...

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