はてなキーワード: コンスタントとは
俺は実際バカなのに自分の「賢さ」に妙なプライドを持っていて、ときどきネットで本当にメチャクチャ賢そうな人の書いた文章なんかを読むと感情が荒れ狂う
数学能力が顕著に低くて理系を諦めた身なので、数学とか医学とかプログラミングとか、そういう話が特に効く
何も理解できねー
メインの話題を理解するのに必要な要素を理解するのに必要な要素を理解するのに必要な要素を理解するのに必要な要素、あたりから多分まったくわからん
分かろうとするための努力すらできない
そういう難しい概念について書いたwebページなんかを開いてみることがときどきあるが、もう全然、一切わからん
ツルツルのステンレスの壁に素手で登ろうとしてるような気分になって、ベッドに倒れ込んで天井を眺めることしかできなくなる
こういう、メチャ賢い世界を生きている人たちがいて、彼らと比べると俺なんてミジンコみたいなもんかあ…と思うと、かなりガックリくる
俺はまったく、本当にまったく、賢くなんてないのだということが実感として押し寄せてくる
普段だって別に俺は自分がエリートだなんて思ってないはずだし、己の能力の低さはさまざまな形で知ってるし、謙虚にいるはずなんだけど、どうしても頭のどこかでは「俺は凡人とは違う、滅茶苦茶賢いんだ!」と思い込もうとしていて、そういう密かなエリート願望みたいなものが、本当のエリートの書いた文によって打ち砕かれる際に、特有の苦しみが生じるのです
で、死ですよ
・なんちゃらコーダーみたいな、知らねえけど、人間のプログラミング力?を色?で表す?ようなところで最上級の色、虹色だか金色だか知らねえが、そういうのをとってるような人間
こういう、到底追っつけないところにいるやつらと、俺が、死の前では横一列に並ぶわけです
ロープ一本あればいい
俺にとって世界って結局自分が見てるものだけなので、俺さえ死んだら全部ガチで無意味になる
超賢くて生産的で凄いグーグラーも、道端で死んでるミミズも、俺にとって完全に同価値になる
結局そこなんですよね
人生がどこまでいっても俺視点である以上、やっぱり俺は特別なんですよ 少なくとも俺にとって
俺が死んだら全員死ぬってことにできるんですよ
俺が死んだのにみんな普通に生きてんな?ってことにはならない その状況は観測できないので、存在しないのと同じ
まあそれを言うなら俺が死ぬと同時にみんな死ぬ状況だって存在しないんだけど、この辺は気持ちの問題だよなあ
俺が死んだら世界は消えるんだぞ、バカヤロー!俺の勝ちだ!俺の勝ちだ!!
そういうふうに思いながら生きています
俺は基本的には非モテだが、中学のとき吹奏楽部に所属していたときは男女比マジックで少しモテた
正直かなり嫌だった
タイプじゃないどころか話したことすらほとんどない後輩女子が俺のことを好きと言ってるらしい、みたいなことを伝聞し、思ったのは「嬉しい!」ではなく「早く目を覚まして!」だった
距離を詰められたところで振ればいいんだから、ただただノーダメージで、チャンスが増えるだけで、いいことずくめだろ と思ってたんだが、そうでもなかった
純粋に、好意を寄せられるというのは、こう、ハードルが上がる感じがすげーあるんすよ
誰からも好かれてないっていうのは気楽だ それ以上落ちないので、ホントに適当に過ごしてればいい
好かれてるって話があると、それがつい気になってしまう 別に付き合いたいわけでもないんだし、早く目を覚まして他の人を好きになってくれ、というのは偽らざる本音なんだが、それはそれとして幻滅されたらツライという気持ちもどこからか立ち上がってくる
嬉しくないわりに日常のハードルが無意識のうちに上がっちゃってツライんですよね
そんで、本人を避ける必要も出てくるので、とにかくいろいろと動きづらい
「モテたい」じゃなくて「好きな人から好かれたい」だろ!といつも思う
あるいは「こちらからアタックしたら振り向いてもらえるという確信が欲しい」とか
ハーレム漫画・ラノベとかわりと溢れかえってるけど、実際あの立場になりたいか?つったら全然なりたくねえだろ
相手がどんな美少女でも、2人以上から好かれたって胃が痛くなるだけじゃん
かわいこちゃん数人に好かれる、みたいな状況ですらキツさが上回るだろうに、実際のモテって多分キショい奴ばっか寄ってくる感じだからな
ホントにカケラも嬉しくないのに胃だけ痛くなる最悪の状況じゃん
ということで気になってるのが、「非モテ」論壇の皆さんがいう「モテ」ってどんな状態を指すんだということ
俺は「自分からアプローチしなくてもコンスタントに誰かから好意を寄せられる」くらいがモテなのかと思ってたんだけど、そもそもその認識が変なのか?
「顔があまりに気持ち悪くて虐められる、というようなことがなく、恋愛のステージに立てる」くらいをモテと呼んでいる?
どうなったらモテてることになるんだ?
イキりまくってるコンサルにクソムカついたという話が出てたので、そのついでに自分の話もしてみたい。
今から数年前、自分の担当していた企業の業績が急激に悪化し、再建支援(これは表向きの理由、真の目的は債権保全)のため自分がそこへ出向することとなった。
年商数百億円規模の会社で銀行借入も百億円近くある企業なので、管理体制はそれなりに構築されているのだろう、そう思っていたのだが実際には酷い有り様であった。
社内の情報共有は全く成されていない、損益管理も決算を締めてみるまで分からない(月次で試算表は作っているが、進行基準ではなく完成基準なので全く参考にならない)
資金繰りの管理すら行われていない、「月末の不足分は銀行の当座借入枠で調整」という中小企業でよくある典型的パターンとなっていた。
「このままではとても自力再建など出来ない」と気づいた私は、危機感も能力も全くないプロパー社員を指導しながら、社内管理体制の構築に努めた。
出向から1年が経過し、それなりに社内の管理体制が整い、月次の損益管理や資金繰り管理もそれなりに形になってきた。
その結果、「決算を締めてみて大赤字が判明する」という幼稚園児レベルから「決算を締める前に大赤字だと分かる」という小学校低学年レベルへ進化することが出来た。
そして私は遅まきながらようやく悟ることが出来た。
今私がやっていることは高血圧の人に対して「毎日血圧を測定しましょう」と言っているに過ぎないのだと。
毎日血圧を測れば高血圧だということは分かるが、測定したからといって血圧が下がるわけではない。
リアルタイムで赤字を認識しようが、決算を締めて認識しようが赤字は赤字にしかならないのだ。
ベンチからの指示は「とりあえずもう少し続投」であったが、私は「どうやったって自力再建は無理なんで、そろそろ敗戦処理を送り込んで貰えませんかね」と強く要請。
そしてここでようやく本題である「あまりイキってないコンサルの人たち」が登場することとなった。
私の想像でしかないが、所謂イキり系コンサルはIT系、システム系に多いのではないかと思う。
経営改善コンサルや事業再生コンサルと比べると、システム系コンサルは歴史が浅いのでイキり系が産まれやすい土壌でもあるのだろう。
私が一緒に仕事をすることとなった人たちは「事業再生コンサル」であり、弁護士・公認会計士・元銀行員といった顔ぶれであった。
ネット上でイキる意識高い系のコンサルと違い彼らはみな紳士的な対応であったが、逆にその丁寧さが私には慇懃無礼に見えて仕方がなかった。
彼らの登場により、私の業務についても次のステージへ進められることとなった。
プロパー社員たちに知られることが無いよう、一日中別室でコンサルたちと事業DD、財務DDを行い企業の清算価値を査定した。
当社は3つある事業部のうち、製品製造を行っている2事業が海外との競争に晒され赤字垂れ流し状態。
しかし幸いなことに、一番規模の小さいメンテナンス事業部だけがコンスタントに黒字を計上していた。
法的整理を行い担保物件等を処理した場合、百億近くある融資のうち回収出来るのは1割未満。
一方で、大幅なリストラを行い黒字の事業部だけを新会社に移し、今後10年間で返済可能な借入を背負ってもらうとなると3割程度は回収可能。
この試算結果を受けて、経済合理性の観点からも再生は可能であると判断された。(ここで再生不可能と判断されれば破産するしか手はない)
ちなみに事業再生系のコンサルの費用は本当にアホかというくらいに高い。
各種資格保有者ばかりということもあるが、当初3ヶ月の契約で3000万円。
そしてここから半年かけて行う事業リストラ、再生計画策定、解雇された従業員の再就職支援等の費用として5000万円請求された。
(費用のほとんどが彼らの人件費であり、駄目元で値下げ交渉したところすぐに5~10%値引いてくれた。にしても利益率高すぎじゃね?)
ここまで書いていてふと思い出したのだが、そんな彼らにも少しだけこちらをイラっとさせる癖があった。
会話の中でとにかくやたらと良く分からない横文字のビジネス用語を使いたがるのである。
「リストラについては一律にやると優秀な人から抜けるリスクがあります。まずは経営陣でバイネームでリストを作成してください」
「増田さん、これだとアップルトゥアップルの比較にならないですよ」
(あっぷるあっぷる?りんごが溺れてあっぷるあっぷるなのかな…)
「スポンサー候補先とはNDA締結してExclusiveでの交渉になりますね」
彼らとの会話にときたま苛々させられながらも、Google翻訳の力を借りて再建に向けた作業は着々と進みつつあった。
法的整理と異なり私的整理は基本的には迷惑をかけるのは金融機関だけなのだが、法的拘束力が無いのでこの調整が一番難航する。
高い費用をかけてコンサルを導入する理由は、この対金融機関折衝を乗り切るためといっても過言ではない。
債権放棄額の妥当性、再生計画の蓋然性について、各金融機関を納得させるための資料作りに関しては彼らの能力は非常に高い。
まあ高いコンサル費用払ってるんだから当然といえば当然なのだが、彼らは凄まじいスピードで計画や報告書を作り続けた。
私が出向してきて3年が経過したところで、ようやく事業再生手続がひと段落した。
黒字事業と借入の一部を新会社へ移管したうえで、旧会社は銀行団が債権放棄を行ったのち清算。
1000名以上いた従業員も8割以上が解雇となり、人材引き受けの協力を得られた他企業へ転籍したり、転職支援サービスを利用して転職したりしていった。
そうして私もようやく長い任務から解き放たれ、出向元へ復帰することが決まった。
コンサル会社との契約もここで終了となったので、慰労を兼ねて私はコンサルチームのメンバーと最初で最後の飲み会へ行くこととなった。
私としては3年間という短い期間だったとはいえ、一時は同僚だった人たちの大半をリストラするという後味の悪い仕事が完結したということもあり目一杯呑みたい気分だった。
しかし残念ながらコンサルの人たちは飲み会の場ですらもスマートであり、1杯目だけはアルコールだが2杯目からは皆ソフトドリンクへ切り替えていた。
「恐らくこの後もビジネスホテルに帰って他の仕事をしたり、自己啓発したりするのだろうな」と思っていると、予想通り飲み会は開始からきっかり2時間で終了。
まだまだ飲み足りない私を残し、コンサルたちはタクシーに乗り込み帰ってしまった。
一人残されてしまった私は「憂さ晴らしにデリヘルにでも行くか」と考えた。
しかし私はすぐに反省した。リストラされ再就職先も決まっていない従業員も大勢いる。
そんな状況で呑気に風俗に行くなど道義的に許されることではない。自分よりももっと辛い状況の人は大勢いるのだ。
デリヘルに行くことは断念し、私は駅前のレンタルショップでアダルトDVDを借りることで手早く性欲を満たすこととした。
帰宅後、風呂に入ったあとでDVDを入れたのだが「このDVDは再生できません」というエラーメッセージが出てしまった。
記録面が汚れているのかな…と思いティッシュで綺麗に拭き取ってみたが、何度やっても読み取りエラーが出てしまう。
仕事→飽きた
セックス→飽きた
酒→やめた、飽きた
人付き合い→本を読み漁って努力した時期もあったけど自分は雑談や人にさほど興味がないと気付く
結婚→(上の過程で自分は明確に他人に興味ないということが分かってしまったので)どうでもいい
出産→退屈凌ぎでやるレベルのことではない(コスパ的にも道徳的にも肉体的にも)
ファッション→中国通販を知ってからユニクロすら高級に思うようになった
メイク/コスメ→ 美人のプチプラ>>(越えられない壁)>>ブスの諭吉と理解してからこだることをやめた
美容全般→50万のエステより5万のプチ整形と理解してから馬鹿らしくなった
趣味だった映画鑑賞→劇場の没入体験は魅力だがサブスク見放題(月額1000円ちょっと)を知ると一回1900円の娯楽は自分には分不相応だと思った。以来足が遠のく
趣味だった観劇→最前列から見切れ同然の席まで同額とかありえんだろと思った時点から純粋に楽しめなくなった(というかコロナ禍で行かなくても平気だったと気付く)
趣味だったひとり旅→観光客向けのぼったくり店があまりに多くて萎えた、飽きた。(国内のどこも然程景色は変わらないと知ってしまったことも理由)
アウトドア・スポーツ→目的が人付き合いではないのでどれも何回か経験したら単純に飽きた
食→健康志向にこだわるのも飽きた。ただ現代人は食い過ぎだという話はごもっともだと思う
SNS→人の食った飯などどうでもいい
YouTube→上に同じ、教養系は見るが同じ内容が多くて飽きつつある
健康管理→できる範囲の努力はするがそれでも人の致死率は100%だと思うと虚無を感じる
こいつ生きててつまらなそうだなと思われそうだけど実際つまらない。ハマると猿のように夢中になってここまで生きてきたのでこれまではある程度楽しかったのだけど、なんかもう全てに飽きてしまった。
人生は暇つぶしというけれど、これから何で暇をつぶせばいいんだろう。
スポーツ(観戦)→人に興味がないのでどうでもいい、他人の祭り
ギャンブル→一通り経験したがなにがおもろいのかわからなかった、時間と金の無駄という思いが強い
宝くじ→上に同じ
習い事→体系的に知識や専門技術を学ぶ場所ではないと理解してやめた。習い事って『教室』という名前を借りた社交場なんだと気付く、それを求める人たちの集まり(なんでそんなに人は人と交流したいんだろう)
家庭菜園→プロの栽培する大葉の方がずっと美味しいと気付き飽きる
自炊→ある程度できるようになり飽きた
創作→上に同じ、やればやるほど才能の限界を知り飽きる、おそらく承認欲求も薄いので他人に評価される喜びもあまり感じない
宗教→説法にはテンプレがあると高級時計を腕にはめた寺の息子に酒の席で聞いてからこんなもんかと思った。親の葬儀を仕切ったことで本格的に冷めた(布施の内訳を知りたい)。自分は戒名も墓石もいらない、できれば海洋散骨がいい。(八百万の神という概念の懐の深さは気に入っている、だから宗教は一応神道と答えるようにしている。新興宗教にハマる理由がわからない)
人の悩みを聞く→具体的な解決策を提示するなり行動し解決に導く人より、相手の気持ちを肯定し寄り添うポーズを取る人に対して人間は感謝すると知ってから馬鹿らしくなった、なにそれ怖いとすら思う
はてな及びSNSの炎上に参加→人に興味がないのでどうでもいい
人に興味がないことが全ての原因なのかもしれない。どうすればいいんだろう
サブスクじゃあかんのか→Netflixも見るが劇場通いが好きだったから少し趣旨がちがう
投資→ 生活防衛資金以外をインデックスに入れてるから基本やることない、投機に興味なし(マネーリテラシーの勉強はした)
子供/ペット→ どちらかと言えば反出生寄りなので命を自身の成長や暇潰しの目的にする感覚はちと理解に苦しむ。とはいえ子供も動物も好きなので寄付はしたい、将来マインドが変われば養子も大いにありだとは思うし、自分が死んでも世話をしてくれる人間がいるならペットもあり
小説→上手くはないが書ける、上と同じ
整形→した、飽きた、やめ時肝心
アナル開発→男だったら確実にやってた、らんまみたいにお湯をかぶったら男になりたい
俺が悦びを教えてやんよ→たのむわ
倒幕に立ち上がれ→すき
亡き前妻は、それで逝ってしまった→かなしいね、月並みだが奥様の分まで生きてくれ
通院/病気→大病経験済、以来肝が座ってしまった、鬱じゃないよ多分
転職→労働者から労働者にシフトするなら海外移住か起業(後者は向いていない気もする)
出家→前述の通り
ストリップ劇場→楽しそう、行きたい
歌舞伎→一幕見は経験済、コロナが落ち着いたら花道横を体験したい(大向を生で聞いた時は感動した)
「試しにやってみたけど何が面白いのかわからなかった」では? →ギャンブルや不倫はこれにあたるね
ただの三日坊主→経験値0と1は全く違う、三日坊主自体は悪いことじゃない、忘れていたような知識や経験が思わぬところで役立つこともある(Tedのマルチ・ポテンシャライトの概念は救われた)ただ今は三日坊主にすらなれないという話
プロと比較するから悪い→とはいえ餅は餅屋という分野はある、経験した上での見極は大事(香り高い大葉を作るプロ農家はすごい、私にはむりだ)
素人がプロに勝る唯一の武器が時間と愛だろが!→そうだよな、お前みたいな人が近くにいてほしい、すき
お遍路→やりたい
エクストリームアイロニング→なにこれおもろすぎる、やりたい
たくさん釣れてよかったね→前半に下ネタと不倫を書いたら皆読んでくれるかなとは思った(事実だし)にしても伸びすぎだよね
友達いなそう→ははは
捨てるならその命くれ→やだ
■※お礼
哲学やれ2→ 反出生主義を抱えながら脱出するにはどうしたらいいか、というスタンスもあると知った。個人的にこれは考える価値のあるテーマだと思った。あと飽きかけていたYouTubeの教養ジャンルに哲学史が増えたよ、ありがとう
海が山に行け→車飛ばして海眺めてきた、癒
映画館通い再開した方がいい→見る予定のなかったエヴァ行ってきた、(にわかの癖に)綾波の村暮らしやゲンドウの独白が今の自分に刺さりまくってボロッボロ泣いた、映画はいいねリリンが生み出した文化の極みだよ
海外行け→とりあえずTOEICの試験申込むときめたコスパ主義の欠点を生かして受験料を取り返すために勉強に励む(そうしないと飽きるので)
あの日はマジで空っぽになって書き殴ったけど、想像以上に多くの視点から意見が聞けた、ネガティブなコメント含め感謝してる
とりあえずまだ学べることもやれることはあんるだと分かった、ありがとう。
飽きることに飽きたました、人間の致死率は100%なので死ぬまで自分の祭りを楽しもうと思います
こんどこそ終わり
リツイートやいいねが貰えないって話をされたんだけど、その人の愚痴聞いてたらそりゃ無理だろ、って思ったからここに備忘録として書いておく。
基本的に、バズるような魅力的な絵が描きたいという話なんだが、アドバイスしてみると
・実際にバズってる絵を研究して取り入れてみては?→流行りに媚びるようなことしたくない(その小学校低学年が描いたような絵で何を…)
・とりあえず、二次創作エロをどんどん描いて認知してもらえば?→流行りに媚びるようなry(認知されなきゃ始まらんだろう)
・絵の投稿を、短期間に一気にしたり逆に間延びさせたりせずに、コンスタントに行えば?→ネタ絵だから旬逃したら駄目だからね(Twitterは倉庫じゃないんだから定期的に顔出さなきゃ無理だって)
・どれくらいTwitter投稿してます?→日常生活の呟きがほとんどで五年で1000投稿(少なっ!というか、絵どこだよ!)
・昔描いたって言うアナログ絵(やたら大量に)ディスコードサーバーに貼ってますよね?それをデジタルに取り込んで描き直せば?→スマホで描いてるから無理(え?スマホだから寧ろ出来るだろ?)
・とりあえず絵を完成させて、次の時のための反省点を見つけては?→自分の絵のだめな所がわからない(マイクロソフトペイントみてーな高彩度単色塗りで目が顔の側面に付いてる絵を見ておかしく思わんのか…)
・絵が魅力的になるための指摘が受けたいならsessaっていう、有料サービスに送ってみるのは?→お金払えない位貧乏(30後半で3000円から5000円も払えないって…もはや絵を描いてる場合じゃねえだろ)
こんな感じ。
基本的に、こちらの意見は全て否定するし、リツイートされるような魅力的な絵にするには、って話をふってきたのに、自分の描きたいように描くからいいねの数気にしない、とか流行りに媚びるのが嫌、とか矛盾しすぎてあたまがおかしくなりそうだった。
さっき夜道を歩きながら思ったのですが、コンスタンティノープルって名前としてあまりにカッコ良すぎるだろ
俺が住んでる街なんて「池田」だぜ
池と田ってなんだよ ナメてんのか?
イケダって響きもダセー 終わっとる
コンスタンティノープルはすごいよ
これから調べて、どうせカッコいい意味で、さらにカッコよくなっちゃうんだよ
コンスタントに何々、っていうと大体'継続的に"って感じのニュアンスになるけど、それとは関係あんのかな
映画コンスタンティンとかも関係ありそう あれはキリスト教ベースの悪魔退治映画っぽいから、キリスト教用語だったりするんだろうか
調べてみると、コンスタンティヌス帝の名前+「都市」みたいな意味の「ノープル」部分らしい ノープルはポリスとほぼおんなじものだとか
あー、人名かあ!しかし、じゃあコンスタンティヌスはなんなんだろう?
この際、皇帝の名前を経由してたことは忘れて、「不変」にだけ注目したいね
「不変なる街、コンスタンティノープル!」
あまりにカッコ良すぎるだろ
永田町なんかと若干かぶるところはあるが、田が漂わせる生活感がなくて、響きもカッコいいのでやはり格が違うな
コンスタンティノープルに生まれたかった
そのぐらいの田舎だったら、今の仕事とアパートで暮らして貯金して、中古の一戸建てを買うのが早いと思う。
場所が分からんとなんともだけど、諸費用込みで1千万円以下で買えるんじゃないか。
ちなみに、以下の理由から飼い始めの1~2か月は部分的にでも在宅ワークできるor休暇が取れるようになってると楽。
ラブだと、毎日の運動量が必要だからある程度大きくなったら1日2回・各1時間くらいの散歩が必要かな。
コンスタントに散歩できるようになれば、それ以外の時間は寝たりしておとなしく過ごしてくれる時間が長いはずなので、一人暮らしでも仕事と両立しやすくなる。
できれば子犬の育て方みたいな本を1冊読んで、あとはYouTubeで犬のしつけ系の動画とかも見てみて、必要な時間と労力をざっくり想定してみたほうがいい。
はじめに。
自カプは長寿ジャンルのマイナーカプだ。ジャンルだけなら時たまオンリーが開かれるぐらいの規模だが、自カプはPixivに三桁には程遠い二桁しか作品がない。そのうちの半分は私が書いた話だ。
ブクマは天井でも三十に届かず、一桁がデフォ。ブクマしてくれる人はいつも同じ顔ぶれで、コンスタントに活動している字書きは私ともう1人だけ。絵描きも似たようなものだ。
神字書きことAさんは普段は別ジャンルをメインに活動している。自カプを書く頻度は半年〜年に一作程度だが、作品を上げると天井に近いブクマがつく。
Aさんが最初に自カプを書いてくれたときは、純粋に自カプの作品が増えていることが嬉しかった。他の人が書いた話は滅多に読めないので、一行一行を噛み締めるように読んだ。
Aさんの文章は作中の情景が鮮やかに浮かんだ。読んだ後の余韻は翌朝になっても醒めなかった。とにかく言葉の運びのひとつひとつが美しく、私は何度もAさんの作品を読み返した。
Aさんの作品は簡単に二桁ブクマがついた。いつも私にブクマをくれる人とは違う人たちの名前が並んでいた。Aさんの作品は自カプは好きだが読む専の別カプの書き手にRTされて絶賛されていた。普段、私の書いたものには何の反応もくれない人が、Aさんの作品のことはあれこれと褒めていた。
なんだか釈然としない気持ちだったが、Aさんはそれからしばらく自カプを書かなかったので、私はAさんのことは別ジャンルの神が一瞬の気まぐれを起こしたのだろうと思っていた。
だが、Aさんは間を開けて二作目を投稿した。私は怖々と二作目を読み、うちひしがれた。相変わらず私には絶対に書けない発想の話だったし文章も相変わらず美しかった。自カプ二人のやりとりは原作に出てきてもおかしくない自然さだったし、サブキャラも魅力的に描かれていて、他キャラファンが読んでも楽しめそうな話だった。投稿後、数日して、やはり誰かがTwitterで話題に上げて「理想の〇〇だった。皆読んで欲しい」と言った。二作目にも二桁ブクマがついた。一作目はその頃にはカプタグの天井になっていた。
Aさんの書く話は短い。一作目は5000字程度だったし、二作目も3000字を少し超えるぐらいだった。しかし、私が書いた1万字よりAさんの書いた3000字の方がずっとずっと求められていたし、私の全作品を合わせたブクマ数とAさんの二、三作が等価だった。
AさんのTwitterは当然ながらメインにしている別ジャンルの話ばかりで、自カプの話は滅多にしなかった。新規の燃料があった時もそうだ。多分燃料があったことにも気づいていないんだろう。
Aさんはメインで活動している別ジャンルでも人気があり、作品を上げれば、引用RTやリプライで、必ず何かしらのレスポンスを貰っていたし、相互らしきフォロワーと楽しそうにやりとりをしていた。
Aさんは絵や漫画も描けた。小説を書いていると息抜きに絵が描きたくなるタイプの両刀らしい。私はAさんが自カプを描かないように祈っていたが、気まぐれにAさんが「自カプの話」と上げた漫画は界隈の誰かの目に留まり、RTからそこそこのいいねと「自カプいいよね」という反応を引き出していた。私以外のもう1人の字書きは「あの方、絵も描けるの!?」と心酔していた。
Aさんの画力は低くはなかったが神レベルではなかった。それでも、小説と同じく着眼点が独創的だったし、モノローグや台詞の言葉選び、コマ割りのセンスが良かった。どことなく違和感があるパースがあやしい背景の小物ひとつにも、Aさんの自カプ解釈が詰まっていた。
自カプはマイナーだから、ブクマが少なくても、反応がなくても仕方がないと思ってきたけれど、単に私が下手だから見向きもされなかっただけなのだとAさんを見ていると気付かされた。書くのがどんどん苦しくなった。私がどんなに時間をかけても、Aさんの片手間の自カプ愛に敵わないのが嫌だった。そう思いながら私はAさんの書(描)いた自カプを繰り返し読んだ。何を食べたらこんな自カプが書けるのだろうと考えながら読んだ。何もわからなかったが。
Aさんが好きだと言った作品は機会があればチェックした。本も読んだし映画も見た。別ジャンルのAさんの本も通販で買った。私はAさんのメインジャンルをよく知らないが、キャラクターの紹介が丁寧で、原作がわからなくても最後まで読みきれてしまった。
ある日、Aさんのメインジャンルと自ジャンルのイベントが同日同会場で開催された。私は自ジャンルでサークル参加していた。
一般で来ていたAさんはメインジャンルの買い物が終わったらしく、昼過ぎに「〇〇(自ジャンルオンリー)にも行ってこよ」と呟いたが、私のサークルに人が来ることはなかった。
イベント終了後、逆カプサークルが「既刊全部買ってくれた人がいたから話しかけちゃった〜」と嬉しそうにTwitterで呟いていた。なんの根拠もないが、もしかしたらAさんかもしれないと思った。Aさんかどうか確証もないのに、私の自カプ本より逆カプ本の方を手にとった、少なくとも私の本には興味がなかったAさんのことを恨んだ。
Aさんに対する私の感情が完全に逆恨みなことは自分でもよく分かっている。Aさんは純粋に自カプが好きだから、メインジャンルの合間に時間をとって何度も作品を上げているのだろうし、ただ淡々と神作品を上げる閲覧者からすればありがたい書き手だ。
それでも、私が毎日自カプについて考えていても生み出せない話を、Aさんがさらっと思いついて書き上げ、さもカプの代表作のようにブクマを取るのが許せないでいる私は、Aさんの神作品を押し流すように自カプタグを増やす。ブクマは一桁しかつかなくても。
A.B.C-Zを知っているだろうか。
このグループ、驚く程に売れていない。
ジャニーズは基本的に配信を行っていないためCDの売上がいい。最近デビューしたグループはファンの勢いもよくハーフミリオンをたくさん出すし、それ以外の大半のグループもシングルを出せば握手券なしにでもコンスタントに初週20万の売上を出す。
で、このA.B.C-Zというグループ、最新のシングル(江頭2:50作詞)の初週売上が2万枚なのだ。キンプリと桁が一つどころではない。
10周年記念プロジェクトのTwitterアカウントも1.5万フォロワーしかいない。
これは他のグループのアルバムアカウントが10万を超えているのを見ても少ない。かつスタッフの内輪ノリをツイートしてしまったが故に数少ないフォロワーから引用RTで批判を受けて謝罪する事態となっている。
理由は色々あると思う、高齢でのデビュー故、大半が30代半ばという若手とも言えない年齢であることや、単純に後輩の勢いに飲まれてしまったからということもあるだろう。
A.B.C-Zと言えばアクロバットと言われるが、これは歌番組とかでないと見ることもできないし、なんならアクロバット+ダンスを精度よくやるSnow Manがデビューしたからその個性が物凄く薄くなっている。
ジャニーさんに認められたジャニーズさというのも個性として挙げられるが、ジャニオタ以外から引き込むのにそもそものジャニーズらしさなんて知らないし、他のジャニオタから引き込むにも自担にジャニーズらしさを見ていることが多いから魅力にならない。
楽曲についても最近の曲は応援歌が多かったり明るいポップスが多いが、そういったコンセプトはジャニーズWESTだったり他のグループがやっている。個性として耳に残らない。
顔は好みがあるから何も言えない。
アニメがここまで大きくなったのはアクション物を同じ様な予算で作ろうとしたらアニメの方が有利であり、それこそ特撮よりアニメの方がクオリティが高い時代もあった。
全体的低予算の恩恵を受けた事を認めたうえで邦画のダメダメを予算のせいにしてはいけない理由を語ろう。
チャンバラ以外のアクションがダメダメ。銃は論外、素手の格闘でさえ現代の韓国に劣る。
現代の韓国というのはあれですよ。下手に武術特化スターを出すとジャッキーチェンみたいに後継者不足に悩まされるから「コンスタントに誰かがかっこいいアクションをする」という路線。
なぜここまでチャンバラ以外のアクションがダメダメかと言えば、今でこそ美少女に許されないのは戦車と小銃になっているものの、当時はスポーツカーと拳銃すら叩かれていた。
そういう時代を知っているだけに黒人女性のOO7に対する美辞麗句をチャラチャラ口にするジャップが嫌いなんですよ。
そもそも世間体を気にするっていうか、左翼の癇癪に弱すぎる俳優が真面目にリアルな射撃の演技をするわけがない。
「もっとこだわるべきものがあるだろ、キリッ」という常套句で正当化。足を引っ張る左翼のせいでアクションのノウハウを磨きようが無いのですよ、日本の銃器メーカー並に。
そんなことがわからんのなら、好きなだけ「日本はケチとクズばかりで韓国は素敵な金持ちがいっぱい」と喚けばいいのです。
こんな奴らが半地下の家族を賛美しているかと思うと情けなくなってくる。しまいにゃ韓国版バラモン左翼を告発するアニメが爆誕するぜ。
おひさ。
このダイアリー、使い慣れてないから変なところあったらごめん。
初めまして。
読んでくれてありがとう。
.
時に、タイトル通りまた尻の話。
前の日記振り返れるのかどうか分からないから簡単に説明すると、
22歳女、学生、19の時からケツを肛門科に見せまくってる痔主。
「粉瘤腫」と呼ばれるやつで、肛門の周囲で存在感を発揮するしこり野郎を局部麻酔(痛すぎ泣ける)で、切開して、とっちめた。
それが11月末の話。
.
そして、改めましてあけましておめでとう。
立ってても歩いててもしこりが存在感を発揮しまくってて、痛いです(まだ我慢できるよ、長男じゃねえけど)。
.
何回も何回も切開するの辛いし、いい年齢しといてすっげえ泣けるから、本当に気をつけてるし、
ちゃんとデリケートゾーン用のボディウォッシュも買って、毎日洗ってたし、
お腹壊さないように普段からお腹壊すようなもの食べないようにしてたりするのに、
2ヶ月でしこりできましたね。
もう嫌だわ。
.
ワタクシ事だけど、来月国家試験受けるんだよな。
もうケツに爆弾仕掛けられてて、別の意味で人生終わりのカウントダウン始まってる。
.
ケツの神様がいるなら、
知らない人にケツを見せる恥ずかしさったらねえよ。
慣れたけど慣れねえよ。
.
私がごりごりちゃんとした女だったら恥ずかしさで死んでただろうよ。
.
みんなも、尻大切にな。
マジで命脅かされるぞ。
ほのぼの系のゆるふわストーリーみたいなのをひたすら書いている書き手だった。
遅筆な方なのでコンスタントに作品だせないし、読んでわかる通り文才もないから
なかなかきつかったけれど、書いているときは楽しかった。自分の構想しているものが形に
なっていくのがすごくうれしかった。
自分の文才と構成力の至らなさで作品が自分の納得のいかない仕上がりになっていても、
もっと自分の好きなものをかけるように次頑張ろう、と思えていた。最初らへんは。
でも、最初から最後までほとんどビューもいいねもつかなかった。
頑張って作った作品が周りに全然評価されなくて、きつかった。Twitterもやってたけど
他の作家が作品あげるたびにいいねとりついされているのを見ていると嫉妬で死にそうだったから
Twitter自体あまり見ないようにして、RTも自分がすごく感動したとか、いいなって思ったものとか
そういうものばかりになっていった。
書いてあげても何も反応がもらえないことのつらさがしんどくなってきた。
私何やってんだろうという気持ちが常に付きまとっていた。
正直去年までの私は、仕事と家事とその他諸々以外は常に文章作成の日程スケジュールを
自分の決めた締め切りまでにどうやって書き上げ・編集してUPするかにだけ固執していた。
それしかなかった。自分の作品を見てほしい、認められたいの気持ちでいっぱいだった。
今月初め、2カ月くらいかけて構成と文を練り上げた作品をUPした。
すごい自信作だったし、自分ではめちゃくちゃ萌えた。これなら感想だってもらえるんじゃないかなと
期待もした。私だってTwitterでいいねとか感想とか一杯もらってる人みたいになりたい。
一回でいいからそのうれしい気持ちを味わってみたいと思っていた。
結果はお察しだ。
自分の経験上、新作は1週間もあればほぼピックアップされないし検索で興味もたれなければ
見てもらえなくなる。
その結果が泣きたいくらいつらくて、前から自分の作家活動について話したり相談している
「あなたはいつも自分のすきなものをRTしているけれど、広めてほしいなら義理人情も
正直、なんでそんなこと考えなきゃなんないのと思った。
義理人情でRTして、作品読んで、感想くれるとか思っているのか?
いくら自分のジャンルでもそんなことしないし自分の萌えないもの読んでどうすんの?
そこまでしないと自分の作品をいいと認めてくれないというわけ?
そう思ったら、自分がこれまで自分の萌えのために頑張ってきたことすべてを否定されている気持ちになって、
何より作家活動のみにのめりこんでいた自分のせいだと非難されていること自体が苦痛だった。
「無理」
「他の人にもいっぱいいいねもRTもしてもらっている人たちを私がRTしたとして、それで自分の
作品見てもらえるとか考えたくない」
「そんな打算で自分の好きじゃないものをRTするとか耐えられない」
こんな感じのことを言ったら、友達は次に「一回作家活動休んでみたら?」と提案してきた。
「ずっと書き続けてきたから疲れてるんだよ。一回止まってみなよ」
と。
止まってもなんにも変わんないだろと思ったりもしたが、自分が今作品の事を見てもらえないという苦痛
経緯がうざいほど長くなったけど、本題はここからだ。
作家活動に注視しすぎて他のことがままならず一度リセットしたいみたいなことをTwitterに書いた。
そうしたら、今まで見たこともないようないいねとリプライをもらうことになった。
はっきり言おう。
ものすごく腹が立った。今更過ぎるくらい今更だと。
いいねももらえず自分の好きで頑張った作品が他の人からは反応もらえない、認められないと
同時にやっともらえたコメントにうれしさも感じている自分のちょろさにも呆れた。
でも、こういう事でもないと反応すらもらえない存在だったという事実が、今までの同人活動の
集大成なんだと思うと涙も出た。
休んでから自覚したが、「書きたい」と「書かなきゃ」が混在した状態でずっと文章を書いていたらしい。
「書きたいな」と思っても「それ本当に自分で書きたいと思ってる?」と思う自分もいて、結局着手できないでいる。
そこに加えて、作家活動を再開したとしても今度は「反応もらいたいなら自分も好きじゃないものに反応しないといけない」
どうしてもそこまでしないと感想がもらえないという考えを受け入れられないし、事実だとしても認めたくない。
私が「この作品が好きで萌える」と思ったものしか反応できないのと同じように、お義理で反応もらってそれで喜んで、
私は本当にそれでいいのか?と思うと今の私は断固【NO】だ。
ジャニーズジュニアといえどそれで満足に固定給がもらえるわけではないので、
成人済みでジュニア名乗ってるようなのは食ってける程度には売れっ子なんだよ。
それなりにファンがついてたり、事務所の中では比較的ダンスや歌のスキルが高いから一目置かれていたりでコンスタントにテレビや舞台の要請がある。
東京ドーム埋めてCD何十万枚も売る様な一流タレントの格ではないが、才能が全くないわけでもないっていう中途半端な奴が燻っちゃってる。
で長年それしかやってこれなかったから、今更違う道探るより、どうにか芸能活動での経験を活かせる生き方を見つけたほうがまだ地に足がついてる気がするんだろうな。
SFでよくある、なんか隕石が増えたとか、疫病とかで、地表で暮らせなくなったので地下暮らしになった。みたいなの多いけど。
それって昨今のリアルご時世を見ると長続きしないような気がするんだけど、どうやって持続可能性を担保してるんだろうなあ。って。
いや、絶対に地表に出て死ぬバカがコンスタントに発生することになるだろうなーって。
残念ながらそういうのは淘汰されて、性質が偏った形で存続していくのだろうか。
リアルご時世に照らし合わせると「陽キャは滅び、インドア陰キャだけが生き残り、人類はコロナ歴200年を迎えた・・・」みたいな?
いうて日本も当時の人口ピラミッド見ればわかるけど、若いのは全部戦争に駆り出されて死んだので、若い男がゴッソリ凹んだからなあ。
そんな感じの淘汰が発生することになるよな、何年も長期化すると。「ニューノーマル」に適応できないものは社会的死になるわけじゃん、コロナ特措法も罰則付きで改正するそうだしさ。
野木氏の書いている主人公(または主人公サイド)はいわば「持っている人」しかいない。
全作品目を通したわけではないが、「持ってない人」が主人公サイドに組み込まれたことはあっただろうか。
逃げ恥は原作ありなので多少違うかもしれないが、主人公のみくりははかつての彼氏に「小賢しい」と言われるほど頭がキレる女性だった。
その小賢しいが呪いだのなんだの言われているが、地頭がいいということである。これは「能力」といっていいだろう。
夫婦になる平匡もである。拗らせた童貞という一種の劣等感は持っていたが、正規で働き、家政婦を雇える収入を得ていた。
そして二人とも性格がまともな両親に恵まれ、お金の心配せずおそらく大学まで通わせてもらっている。もうここである意味勝ち組である。
そんな勝ち組二人が子供が出来き、夫婦となり問題を乗り越えていくSPはこれでもかというぐらいキラキラしていた。
金銭的に余裕があり、話が通じるパートナー、そして助けてくれる両親と友人と親族。
百合ちゃんは子宮体がんで病院に付き添っ杖くれる人がいないといいつつ高校生時代の友人に助けてもらえ、
嫌な役と感じていた上司は実は頼れるいいやつだったというオチ。
何故ならば自分には、助けてくれる、友人も家族もお金もないからである。
だから自分は羨ましい。野木作品にでてくる「持っている人間」達が。
アンナチュラルでは法医学者という手に職をつけ、くいっぱぐれない女性が主人公だった。
MIU404では警察官二人が主役である。よほどのことがない限り定年まで勤めあげられる職業であった。
両者とも「持っている人」である。
「持ってない人」は舞台からいなかったものとして排除されるか、被害者か加害者になるしかない。
それが自分は一番苦しい。
野木作品では「持ってない人間」は加害か被害されないと問題提訴できないのである。
そして「持ってない人」は概ね、主人公たちが試練を乗り越え、ますますキラキラするための舞台装置でしかない。
よく社会問題を扱っているともてはやされているが、本当の底辺の問題は全く取り扱ってもらえないのだ。
それがものすごく辛くてしんどかった。