2021-01-03

野木亜紀子氏の作品が苦手だ

昨晩の「逃げ恥SP」を見て確信した。

野木氏の書いている主人公(または主人公サイド)はいわば「持っている人」しかいない。

作品目を通したわけではないが、「持ってない人」が主人公サイドに組み込まれたことはあっただろうか。

逃げ恥原作ありなので多少違うかもしれないが、主人公のみくりははかつての彼氏に「小賢しい」と言われるほど頭がキレる女性だった。

その小賢しいが呪いだのなんだの言われているが、地頭がいいということである。これは「能力」といっていいだろう。

夫婦になる平匡もである。拗らせた童貞という一種劣等感は持っていたが、正規で働き、家政婦を雇える収入を得ていた。

これも今の社会では立派な「能力である

そして二人とも性格がまともな両親に恵まれお金心配せずおそらく大学まで通わせてもらっている。もうここである意味勝ち組である

そんな勝ち組二人が子供が出来き、夫婦となり問題を乗り越えていくSPはこれでもかというぐらいキラキラしていた。

問題は沢山あったが、キラキラしていたのである

金銭的に余裕があり、話が通じるパートナー、そして助けてくれる両親と友人と親族

百合ちゃん子宮体がん病院に付き添っ杖くれる人がいないといいつつ高校生時代の友人に助けてもらえ、

嫌な役と感じていた上司は実は頼れるいいやつだったというオチ

まるで上流階級生活を覗いている貧乏人の気分を味わった。

何故ならば自分には、助けてくれる、友人も家族お金もないかである

から自分は羨ましい。野木作品にでてくる「持っている人間」達が。

アンナチュラルでは法医学者という手に職をつけ、くいっぱぐれない女性主人公だった。

MIU404では警察官二人が主役である。よほどのことがない限り定年まで勤めあげられる職業であった。

両者とも「持っている人」である

野木作品は「持っている人」達しか問題提訴できないのだ。

「持ってない人」は舞台からいなかったものとして排除されるか、被害者加害者になるしかない。

それが自分は一番苦しい。

野木作品では「持ってない人間」は加害か被害されないと問題提訴できないのである

そして「持ってない人」は概ね、主人公たちが試練を乗り越え、ますますキラキラするための舞台装置しかない。

よく社会問題を扱っているともてはやされているが、本当の底辺問題は全く取り扱ってもらえないのだ。

それがものすごく辛くてしんどかった。

そしてこんなにコンスタントにヒット作を飛ばす野木亜紀子と言う人も「持っている」人なのだろう。

本人は否定するかもしれないが、確かな才能がある。だから彼女には「持ってない人」達は書けないのだ。

  • あともう一つ言及しておくと野木氏を持ち上げる意識高い系ツイッタラーも苦手である。

  • あの作品はみくりと平匡とその周りが主題であって別に社会の底辺に焦点を当ててるわけじゃないからな。書けないんじゃなく書いてないだけだ。

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