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2021-04-21

鬱から立ち直った話

鬱病者です。

鬱病になったきっかけは、親のDVと小中で虐められてきた事が始まり

幼児の頃から殴られて、学校から帰ったら酒浸りの父親がいて気に入らないことがあれば、いきなり「しつけだ」といって殴る。

しつけも何もただ勉強しているだけで殴られました

そして母も私をかばって殴られます


学校へ行けば、お前の親父はヤクザと言われ馬鹿にされ暴力こそないけれども、村八分状態

父親ヤクザでもなくて、ただのチンピラみたいなものだったのに。それでもイジメられる原因にはなるんですけれど。

なにか物が無くなれば、私のせいにされ学校では教師も混じって集団リンチ

小学校とき校長先生けが味方でした。私は挨拶を欠かさなかったのと校長先生菜園を見ているのが好きで、よく遊びに行っていたから優しかった。


中学に入り、小学校の時よりも親に殴られ体中傷が付いて学校へ行って、今度は暴力が始まりました。

陰湿嫌がらせよりも今度は直接的にいたぶる行為ばかりです。

教師に伝えても、教師は何もしてくれない。「気のせいだよ」と言ってくるだけ。

何度かイジメ現場を目撃しているのに「遊んでいないで早く下校するように」と言われたときにはショックでした。

家に帰って、それを伝えると父親にまた殴られる。殺してこいみたいな事を言って、虐められた方が悪いと言ってきました。

その辺りから毎日灰色がかって何をやっても沈む一方に。

家では相変わらず殴られ、時には血を吐いたり。学校ではモップなどで殴られ、金具で肌を切ったりで血が出て。

中傷だらけだから学校で虐められてもわからないんですね。誰に言っても聞いてくれない。

周りはどんどん灰色になっていく日々。動くのも辛い日々です。でも、家にいればもっと辛い。

まだ今みたいに鬱病という病名が世間で有名になっていない時代だったので、鬱というものがわかってなかったのですが、

後々に精神科医確認したら、それは鬱病だったんだと言われました。


朝起きたら『生きてるんだ』と思い、夜になると『明日死ねるかな』と思って毎日続けてきました。

そんな日々が中学卒業してから、少し変わりました。

本来選んでいた学校中学3年の時の担任に願書を握りつぶされてしまい間に合わず、残った底辺高に嫌々入る事になりました。

握りつぶされた理由は『体中に傷がある』という理由だけでした。

イジメ関係学校名前に傷がつくというのを避けたかったみたいな事を濁しながら言われたときは信じられなかったです。


底辺高校に入り、当然イジメられるんだろうな…と思ったのですが、不良というのは生意気な奴ほどイジメ対象にするみたいですね。

入ったときから何に対しても無関心で、明日は生きているかなと思うだけの毎日だったので覚悟はしていたのですが

家で殴られるくらいなら高校で殴られていた方が気分的には楽でしたから、拍子抜けです。

高校に入ってから殴られることはなくなりました。

しろ彼らは私を守ってくれる側に立ってくれました。良いように聞こえますが、不良は不良です。当然悪事も働いていましたし、私はそれを見てきました。

後で聞いたのですが、私がイジメられなかったのは、もう何をしても死にそうだったからだそうです。

まあ、あんな顔を見ればそう思う人もいると思います

彼らは、なんとなく始めた私の身の上話を聞いてくれて「よく生きてんな」「すげーじゃん」「マジぶっ殺してやりてえな」と褒めてくれたり、同情してくれました。

世間から見れば、彼らは悪い子供たちですが、私にとってはカウンセラーでした。

そこから私の死の色をしていた風景が変わりました。

彼らは大人には反抗するけど、私みたいなのには優しくて身を守る術などを教えてくれました。

毎日死ぬのかなと思っていた時間が嘘のように変わり、毎日が楽しくなったんです。


そして社会に出て、私は接客業に付きました。

もともと会話をすることはキライではなかったので、接客業は私にとって天職とまではいかないにしても好きな仕事です。

あらゆる接客業に携わりたくて、高校卒業から20代前半まではコンビニファミレス電気店水商売・娯楽で働きました。

ちなみに親はしばらくして身体を壊してあっけなく終わりました。


これまで生きるのが辛いほどの暴力イジメ大人の汚い所を経験してきました。

結果として鬱病になりましたが、高校出会った人たちのおかげで元に戻ってこれた。

鬱というのは、絶対に治らない病気ではないのだなと。

私の場合は家に籠もることも出来ず、外で暴力を受けていた方が楽と感じました。

辛い日々でしたが、外に出ていたおかげで治すきっかけも得られました。

今の人たちは内に籠もってしまうので、治すきっかけが少ないかなと感じます

私にとっては、たまたま不良の彼らが居てくれたから元に戻れたのだと思います

しかし、そういう出会いも外にでないとありません。

時代的に人情などは古い骨董品のような扱いになってきていますので、なかなか出会いはないかもしれません。

が、どんなに辛くても立ち上がるという行動はしてほしいと思います


こんな事を匿名はてなで書いても嘘話と笑われてしまうかもしれません。

しかし、実際に経験してきた私としては鬱に苦しんでいる人には立ち直ってほしいと思います

きっと増田の中にもきっとそういう人はいるんじゃないかなと思います

負けないでほしいと。

2021-04-20

顕性と潜性のはなし(優性と劣性の話)

たか。どうでもいい話だ。まあ、どうでもいいので、顕性と潜性になってもいいと思うよ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1700955

みなさんが生活上どういう場面で優性と劣性という言葉出会うのかわからないが、仕事日常的にこれらの用語を用いている職業がある。遺伝専門医遺伝カウンセラーである。これらの専門家職能集団からなる学会が、「日本人遺伝学会」。「日本遺伝学会」ではない。わかりにくいな〜と思われると思うが、これは欧米にある同様の名前学会日本語訳だから(つまり優性or顕性と同じ問題だ)。

日本人遺伝学会は、The Japan Society of Human Genetics

日本遺伝学会は、The Genetics Society of Japan

英語にしてみるとなおのこと、「顕性と潜性」に勝るとも劣らないどうでもいい違いだが、しか所属している人間は丸々違うのである

日本遺伝学会静岡三島国立遺伝研が率いる学会であり、進化とか集団遺伝とか縄文人とか、そういったことをやっている(と思う)。生物学とか数学とか(遺伝学は割と数学が幅を効かせる学問)。世界的な遺伝学者であった故木村資生先生はこっち。一方日本人遺伝学会国内遺伝患者を診ているような医療機関(ほぼ大学病院)が持ち回りで運営している。病気寄りで、医者が中心。国際ヒトゲノム計画ときも、日本代表は日本人遺伝学会の榊先生だった。別に取り合いになったわけではなく、国立遺伝研は「そんな労働みたいなくだらないことに研究者を参加させるわけにはいかない」とかいうわけで参加を拒否したらしい。一方、日本人遺伝学会会員は比較的、労働的な研究を好むような気がする。次世代シーケンサーとか。

さてここで優性/劣性を、顕性/潜性と変えようとしているのが日本遺伝学会である

日本人遺伝学会はそうでもない。なんだかやる気のない声明文を出している。

https://jshg.jp/news/1269/

興味深いのは、ヒトを、遺伝性疾患を診ている日本人遺伝学会は大して興味がなく、サルとか縄文人日本遺伝学会必死に優性/劣性を変えようとしている、という構図である

基本的ハイコンテクストな話なのでしょうね。

実務的に見ると、常染色体劣性遺伝性疾患の患者さんが、「劣性」という言葉に強いコンプレックスとか別に感じていないように思われる。

なんなら、常染色体優性遺伝性疾患の患者さんが自分は優れているだなんて鼻にかけるなど微塵もあり得るはずがない。

そうである。単純な話、常染色体劣性だろうが、常染色体優性だろうが、伴性劣性だろうが、辛いものは辛いのが遺伝である言葉遊びはどうでも良い。

優性だから優生思想優遇されそうもないことは、ちょっと遺伝カウンセリングを受ければすぐわかる。

そう、優性疾患の原因バリアントは、劣性疾患よりも強い選択淘汰を受け、集団頻度が低いのであるほとんど全ての人間が、劣性バリアントをヘテロ接合体の形でたまたま持っているが、優性バリアントをたまたま持っている非遺伝子疾患の人というのは定義上いない(浸透率の問題はあるが)。

そしてまた、優性だろうが劣性だろうが遺伝性疾患には耐え難い精神的辛さがつきまとう。なぜならそれは遺伝する病気から。親が自分を責めずして誰を責めることができよう。そんな親に、自分を責める必要はないと伝えるのが遺伝カウンセラー遺伝専門医仕事である。優性とか劣性とかどーでもええわ!遺伝病そのもの差別対象であり、取り組むべきはスティグマとしての遺伝病という見方改善である。優性・劣性にこだわるのは実務を知らない人間たちである私たちには他に、もっと先に、もっと多大な時間をかけて解決しなければならない問題がある。

もちろん、世の中というのは実務者というブルーワーカーとは関係なく変わっていくので、いずれみんな特に迷いもなく顕性と潜性に変わっていくだろう。精神分裂病を統合失調症と言い換える、至極どーでもいい言葉遊びがきちんと定着したのと同じように。

統合失調症になって何か変わりましたか?誰かが救われましたか

まあどっちでもいいっすよね。

そんなことよりも実務家は、本当に深刻なことを防ぐために努力しなければならない。

それが、遺伝情報差別禁止法の制定です。

うつ病になりやす遺伝的因子を持っていたら、就業時に差別される・・・そんなことを許してはいけない。そんな社会にならないように、今すぐ動かねばいけないんです!私たちは実務家で、馬鹿から、優性とか劣性とかい言葉で誰が不幸になるのかよく知らない。しかし、遺伝情報差別禁止法がないために不幸になる人間は、今後きっと現れる。一刻も早く手を打つべきなんです。

くだらない言葉遊びはやめよう。本質的意味で、今のゲノム研究進歩危険だ。現代ゲノム研究進歩に基づき、社会倫理的にまずやらねばならないことは、遺伝情報差別禁止法だ。優性か劣性かの言葉遊びなんかじゃない。みんな目覚めてほしい。

2021-04-19

anond:20210419094839

会社は人事の仕事として産業医を雇ってるんだから会社のために動くのは仕方ないところがあります

勤務地や部署希望が通りにくいのは、厳しい解雇規制と引き換えだから、これも現状では妥協するしかありません

自分自身メンテナンス自分でするしかいから、時間を作って相性の合う心療内科カウンセラーを見つけることをお勧めしま

産業医は愛想のない年寄りも多いけど、民間開業してる人はイケメン多いよ

2021-04-11

anond:20210411061931

苦しいほどの異常な性欲ってのは本能的に湧いて出るものじゃなくて、なにかしらの執着とかトラウマとか意識下・無意識下の原因があったりする。

カウンセリング世界になってしまうんだけど、性について話せるようなカウンセラーもなかなかいなさそうなので難しい。

自分と向き合ってゆっくり解決していくしかない。

2021-04-10

カウンセラーは空き時間に話を聞くのか

臨床心理士公認心理師を目指す学生

色々調べると最近カウンセラー相談したい人をつなぐサービスがある模様。

その中で引っかかるのが「資格があり、時間が空いている人におすすめ!」という言葉

???時間が空いているという理由で人の話聞くの?うそやろ?

実際にはそういう事情もあるかもしれないけど、そういう中の事情を書くのはどうなんだろう…

相談に来る人の気持ち考えてます

これは稼げないのも納得ですよ。

自分の夢を疑ってしまうよ、どうしてくれる

anond:20210410110735

アスペル あつまれ いろんな アスペ

どんどん でてこい はたらく アスペ

パソコン カタカタ するだけ

プログラマー

くっさい においが 平気か

清掃員

あいづち うつだけ らくちん

カウンセラー

ビルメン ビルの メンだぞ

ビルメンナン

いろんなアスペがいるんだな

いろんな逃げ道あるんだな

アスペアスペ!はたらけ アスペ

じどうしゃ 乗れれば やれるぞ

ドライバー

はんだん 上司に おまかせ

警備員

ねんきん ぐらしに はやのり

障害者

ギャンブル まけたら くびつれ

エフエックス

アスペル あつまれ いろんな アスペ

しゃかいに でてこい はたらけ アスペ

おやのすね かじって くらすだけ

引きこもり

むのうも リストラ できない

公務員

こじきも りっぱな いきかた

ホームレス

しゅみが あるなら それをやれ

クリエイター

いろんな つらさが あるんだな

いろんな じごくが あるんだな

アスペアスペ!はたらけ アスペ

anond:20210410110735

手順は文書化、動画化、あとはひたすら部品を取り付ける工場労働者とかあるんだけど、受け入れる職場がない。

能力を~適正を~とか考えるカウンセラー系の人は、そういう職場想像できないから結びつかないし、すでにそういう職場にいついてる発達障害者は、他の発達障害者気持ちを慮って活動するような奴らじゃない。

2021-04-09

anond:20210408182131

社会が知ったこっちゃねーよ、ドブさらいはカウンセラーに任せた、っと。

解離性障害とかの話

普段文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。

 

タイトル解離性障害については興味があれば調べてほしい。

解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。

今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。

かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢独りよがり子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。

 

 

少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。

・少し裕福な家庭で育った

きょうだいの一番上

なんやかんやあって中学不登校高校不登校再発→退学

・その後、高卒認定を取り、浪人生活を経て大学進学

大学在学中に体調を崩して就活を諦める

・数年フリーター生活ののち、現在会社員

 

冒頭の10年前の時期は、この中の浪人生活辺りの話である

なお、家族名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。

家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである

ここについては語るとキリがないので割愛

 

中学高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。

学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。

朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康まりない毎日を過ごしていた。

出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。

あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問先生と友人には本当に感謝している。

同級生引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。

この時期、何度か心療内科カウンセリングに通っていた。親がドクターカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。

心療内科ドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。

 

当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校部活顧問先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。

教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。

高卒資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。

その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験合格する……といった算段だったのだが、志望校センター試験できわどいライン

二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。

予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。

予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。

人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。

 

 

最初の症状は、予備校休みで、家に居た時のことである

中学生の頃から身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。

朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。

意識ははっきりしている。右手携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。

痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。

起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。

呆れた顔をされたが、微妙理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。

 

それから一週間ほど後、今度は予備校自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来直行した。

身体症状が出ていたので、最初外科検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査時間がかかった)、最終的に精神科となった。

どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり

入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。

退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。

入院中に、精神科先生からさいころの話を尋ねられた。心療内科カウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。

それをふまえて、「一度別の病院心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害テストじゃない。

精神科先生曰く、「まだ脳の病気可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。

ここで診察をしてもらった精神科先生が、その後7,8年の間お世話になる人である

 

 

心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。

この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。

結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃からからの風当たりが更に強くなった気がする。

 

心理テスト小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。

空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。

結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)

 

色々と話が逸れた。

アスペルガー症候群

うつ病

解離性障害

脳の検査心理テストカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。

発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。

解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。

とりあえず受験第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。

 

 

それから数年、志望校とは違うが大学生活を送っている頃。

無理が祟ってうつ悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。

教育実習を控えた直前のことだったので、担当教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。

余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事ことなんだけどね。

いかんせんマイナーな例なので、免許センター警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。

 

解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。

高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。

よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。

結局、診察中に先生の前で出たことはなかったのだ。

診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。

遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。

過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)

過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたこなのだろうなぁ。

 

 

うつ寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。

ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。

また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。

では、これにて。

2021-04-08

anond:20210408224906

とりあえず肯定すれば良いと思ってる、エセカウンセラーが多いな。

2021-04-04

anond:20210402004958

「ほっとくこと」が心情のこの先生最後まで見ると結構いい先生に見えてくる。

カウンセラーの人によると、人は最初反抗期で「いやだ」を習得し、次の反抗期で「ほっといて」を習得するらしいが、それを思い出す。

ルール違反には厳しく、ルール違反しないところでは自由やらせる...が、神野にはなんか厳しい...けど最後に優しい、そんな先生が好きになってくる。

「どんな方法であれ、子ども真剣な姿に触れた時、大人はたとえ相手子どもであっても 負けを認めなければならない」

このドラマ舞台となった80年代先生でこれをいえる甘利田先生はやっぱりただ者じゃない。

ちなみに、実は地上波で途中から見たあとにプライム最初から見たが、最初に語る給食が好きな理由が衝撃的すぎだった。

2021-04-03

anond:20210402183101

医者はお薬出すのが主な仕事からねー

でもプロから医者の出した薬はしっかり効くよー

話を聞いてもらうならカウンセラーがいいよー

臨床心理士資格持ってて医療連携してそうなところがおすすめ

自称カウンセラースピリチュアル系の人が混じってて

あなた本心では治りたくないんですよ。本気で治りたいと思ったら治るんですよ」とか

ヤバい思想説教してきたりするから気を付けて

anond:20210402183101

辛い中よくがんばったね。

医者はだいたい変人から情緒的なやりとりは期待しない方がいいかもしれないね

もちろん増田がショックを受けたり不信感を持ったのは当然のことだと思うよ。

カウンセラー気持ちに寄り添うプロから不安とかはそっちに聞いてもらった方が楽になるかも。医者にも症状とかは話さないとだけど、薬出す人と割り切った方が楽。

受付での体験も、そのまま気持ちを伝えたらいいと思うよ。言いづらかったら手紙とか。

精神科はたくさんあるから相性合わないと思ったら変えればいいし。

ここで切り捨てられたらどうしようって不安になるかもしれないけど、大丈夫だよ。

当たり引くまでは時間かかるかもしれないけど、精神科とか心療内科ってこんなもんかと思って気長に探してみて。

増田自分らしく生きられますように。

2021-04-02

ニート歴9年を迎えた

現在30歳を越えたぐらい。165センチ、85キロ前科持ち。

こんな人も日本はいるヨ、と思ってくれたら幸い。

田舎で生まれ田舎で育って、都会に1ヶ月だけ住んで田舎に戻った。そして9年が経った。

今は障害年金をもらって田舎に住んでいる。

保育~小学時代はいじられっ子。笑ってごまかすタイプだった。

中学時代はいじめられっ子。田舎なので保育園時代から同じ面子だが、エスカレートしてしまった。

1年の5月まで通学し、残りは不登校。これが一つ目の挫折か。

卒業式には出ていない。

高校時代普通不登校児ながらも田舎なので私立高校に通うことが出来た(両親に感謝)。

学力比較的低い高校だったため、1年3学期から3年3学期まで常にクラス1位の成績を収めることが出来た。

大学時代特になし。就職メインの高校で進学を選択したことは間違いだったか。学んだことは「お金リスク承知で借りなければならない」ぐらい。

成人式は出席しないつもりだったが、田舎祖母が悲しみそうだったので出席した。中学時代同級生あの頃のままだった。

この時期に弟と仲が悪くなる。

社会人時代は思いだしたくもない。社会人期間は僅か1ヶ月。

田舎から上京したのが悪かったのか、自身キャパティ不足が原因だったのか。おそらく全部。

会社を辞める際に上司からかけてもらった言葉は優しかった。

病院に行った方がいい、と。

ここからニート生活スタート

田舎に帰って心療内科に月2回通院。

カウンセラー先生女性だったため惚れてしまい、その方目的で6年ぐらい通い続けたが、2019年退職されてしまいそのまま通院も辞めた(現在は別の病院意味もなく通院)。

体重ニート2年目に80キロ到達。そこから現状維持

2017年頃に就労移行に1年間通うも、変化は無し。

その後はB型作業所に通ったが、そこで問題を起こしてしまい1ヶ月近く警察勾留

留置所生活はとにもかくにも暇だったが、選任された弁護士さんから懲役2年になる可能性がある」と言われたときは流石に泣いた。

そして云十万円の罰金刑となった(母に感謝)。

出所後、頑張ろうという気持ちが沸いたためB型作業所に通ったが1ヶ月で辞めてしまった。

そして弟が自×した。結婚もしてたのに。

初めて亡骸と対面した時の母親の姿が脳裏に焼き付いてしまった。そして私は、意味もなく生きている。

明日ニートだが死ぬまで生きる予定。

初めて心療内科に行ったのでメモ

3年ほど前からいわゆる抑うつっぽい症状が出始め、心療内科に行くかどうか悩んで、でもどの程度なら行くべきかわからなかったのと電話が怖いのと対人恐怖があったので行けなかった。

自分大学に通っていて、順当に行けばあと1年で修了する(然るべきものを期限内に提出できればだが)。しかし、ここ数ヶ月で症状が悪化し、全然眠れないし、やる気が全く出ないし、集中力がないし、涙腺がぶっ壊れたように涙が止まらないしで、ほぼ寝たきりになり、いよいよやばいと思った。そこで、勇気を出して行くことにした。

・どこの病院に行くか

素人なので、とりあえずネットクチコミGoogleレビューを調べて、明らかにやばそうなところ(薬漬けにしてくる・医者サイコパス等)・待ち時間が数時間のところ・予約が何ヶ月も先のところは省いた。少しでもマシそうで、予約制で待ち時間が少なそうなところを選んだ。

・来院

病院ホームページに問診票のpdfがあったので、あらかじめ書いておいた。詳しい症状と、今後どうなりたいかについても、口で説明するのが下手なのと、話すと泣いてしまいそうなのでA42枚にまとめた。そのほかに、受付で10-20問くらいの質問が書かれた紙を渡されて、それに記入した。待ち時間は30分くらい。

・診察

血圧を測ってから、診察室で色々聞かれた。せっかく紙にまとめていったのにざっとしか目を通しておらず(本人も「ちらっと見ました」と言っていた)、書いてあることをまた聞かれたりして意味ないなと思って不信感があった。

何がきっかけでこういう状態になったのか・人間関係はどうか・どんな風に食欲がなくてどんな風に眠れないのか・生育環境について・親の職業は何か など結構細かく聞かれた。話しているうちに涙が出てくるので恥ずかしかった。

・診察結果

中程度の抑うつ状態なので、足りていないセロトニンを補う必要があるとのことだった。依存性の少ない抗うつ剤と、胃薬と、睡眠薬が処方された。また2週間後に来てくださいと言われて終了。

病院を出てすぐは、書いた紙をあまり見ていないことへの不信感がすごくて、頑張って病院にいったのに気持ちが悲しいままなのが嫌になって、その場で次の予約を取り消す電話をかけようかと思った。が、これまで衝動的に何かをしてうまくいった試しがないので、少し時間をおくことにした。

気持ちが少し落ち着いてからは、ちょっと様子を見てみようという気になった。

ただ、これまでどうしてもできなかった大学カウンセリングルームへのWeb予約を行なった。というのは、心療内科医ではなくカウンセラーにも相談してみたいと感じたからだ。これについても今度メモを残したいと思う。

それにしても、薬局で処方の時に「これは気持ち落ち着ける薬で〜、これは眠れるようになる薬で〜、」などと、他の客にも聞かれてしまオープンなスペースで言われたので嫌な気持ちになった(今回はさすがに「今日はどんな症状ですか」とかは聞かれなかったが)。

2021-03-31

ストラテラ飲んでたけどストラテラって本当に効くんか?

ADHD疑いでストラテラを処方されて飲んでたけど全然効いた感じしなかった。

飲んでる人は効いてたりするの?

 

以下俺の覚えてる範囲の服用記録

・飲んだのはだいたい半年くらい

最初は10mgから2週間

・朝飯後に飲んで1時間後に副作用が来るので午前中は仕事にならない感じ

とはいえそんなに集中力上がったり効率が良くなった感じはしない

 

・次は25mgを4週間+2週間

副作用は10mgのときよりきついのは来る

・これもそんなに良くなった感じはしない

副作用に性欲減退があったけど、あるかもしれないけど加齢かもしれないのでわからん

 

・25mgも効かなくて40mgを4週間

・一番副作用強い気がするけど慣れてくる

・これでもそんなに良くなった感じはしない

 

医者相談して40mgを2つ飲んで80mgに

・ここで多少効果があったかもしれないけれど、副作用ふわふわしたまま仕事がおわるみたいな感じで効率は良くなってない

・どちらかというとプラシーボ効果に近い感じがする

 

コンサータに切り替えられないか医者相談したが、コンサータを処方できる権限がないので医者を変えることになるという感じで、同じ予約時間権限ある医者はいないしどうしようもなかった

・金払ってもそんなによくないし、医者と別で受けてたカウンセリングはよかったけど担当カウンセラー退職して交代されるタイミング病院行くのやめた

・そこから薬もなくなったため断薬

離脱症状はそこそこあったけど薬の副作用とそんなに変わらなかった

・数年たって今に至る

 

予約時間変えて無理してでもコンサータ処方してもらったほうが良かったのかが唯一後悔っぽいところ

2021-03-24

私は死にたいだけの元気な人

朝、座りたかたから始発電車に並んで座った。

シルバーシートだった。

途中駅から足が悪そうなおばさんが乗ってきて、私の前に立った…ら、横の女性が「次で降りますので」って席を立った。

おばさんは「ありがとうございます」って言ってそこに座った。

手元のタブレット見て、しばらくたったころ、横のおばさんの「あの、席替わりましょうか?」って声がした。

目を上げたら、私の前に妊婦さんがいた。

声かけられ、座りたくはあるんだけど、でも、この人だって足が…? みたいな戸惑った様子。

から「私が立ちます、どうぞ」って言って席を立ち、その場を離れた。

ラッシュピークは過ぎていたから、その後降車駅までずーっと押しつぶされて…密で…みたいなことはなかったんだけど。

ふっと悲しくなった。

2週間前から同僚が「精神状態を整えるため」の休暇を取っており、これまで3人で回していた仕事を2人で回さなきゃならなくなった。

おり悪く週末に参加しているサークル雰囲気が悪くなりはじめ、それに伴い任されてる役割が重すぎて、参加することが精神的体力的に苦痛

という2つの主な理由(他にもいろいろあるけど、すべてこの2つに帰属する)により、毎日、とっても重い気持ちで過ごしている。

夜寝る前に「このまま目が覚めなければいいのに」と思い、毎晩、わけのわからない夢を見て、目覚めて、続く今日を思ってガッカリする。

死にたい」「逃げたい」「疲れた」…をスマホ検索していのちの電話カウンセラーさんのブログを紹介されたり、自殺方法やその結果について知ったりしてる。

でも、人前で笑えるし、おしゃべりもできるし、おなか空くからご飯ちゃんと食べてるし、桜見て綺麗だなって思ったりする。

なので、私は「死にたいだけの元気な人」なのだ

辛さの行き場がない。

なので、ここに書き捨てる。

ありがとうございました。

2021-03-19

シン・エヴァ

シン・エヴァの(特に後半以降に関する)最大公約数的な解釈として「この映画虚構!」「もう何も残っているものはない」「お前らも現実に帰って結婚したら?」という見立ては、おそらくおおむねその通りの解釈可能だと思います。それは至極まっとうな話ではあるんですが、しかしそれを物語登場人物に託すことなく、また映像演出的にも暗喩をもちいることなく、かなり直接的な表現(具体的には特撮撮影スタジオで動くエヴァンゲリオンや登場人物たち・あるいは宇部興産)として出してしまう(ゴルゴダオブジェクトなる代物を出す、あるいはマイナス宇宙なんて大層な世界まで行ったのに!)、そういうことをやってしま制作者たちがこれから手掛けるであろう「映画」や「物語」がつく嘘は信用することが出来るのだろうか。

映画/物語の作り手・物語世界に対して最も重い責任を負う立場人間が、映画/物語もつ現実やその確からしさを一切合切放棄する・新劇場版4部作の物語世界に対する不義理を、「よくやった庵野秀明さん」「成長したな庵野秀明さん」「やっと解放された庵野秀明さん」あるいは「エヴァってもともとこうだから(笑)」「あれのよさが分からん劇場版至上主義(笑)」「早くお前らも成長したら(笑)」と考える人びとが思いのほか多いのでかなりつらい。いいのか...

「この映画物語虚構」というのをその物語世界のなかであからさまに出してしまった、撮影セットの中でエヴァシンジ綾波に演技をさせてしまった(ここは旧劇場版では比喩的表現としてギリギリ踏みとどまっていたように思います)、この演出制作側のだれも疑問に思わなかったのだろうか。事象の地平線まで行った先がミサトさんの酒瓶だらけの部屋で暴れるエヴァ2体なの、あまりあんまり映像じゃないですか?

前述のような物語世界現実性に対する不誠実と思える演出や、碇ゲンドウ下車以降の「アスカ、おまえはケンケンといけ」「綾波、お前は田植えしろ」「カヲルはもうええ」というような、(カウンセラー碇シンジにとって)一切葛藤も迷いもない、エヴァ完璧に終わらせるための物語進行や、あるいはエヴァ世界に対する「他者」としてのマリ(初手で乳を押し付けてくる顔のいい「他者」、これ世間一般で言えばかなり視聴者に対して都合のいいアニメキャラ虚構のものでは?)の導きによる物語進行と宇部興産エンド、こういった要素がそのまま映画としてでてきてしまう状況(誰も「いやマイナス宇宙まで行ってエヴァミサトさんの部屋で動いたら笑うだろ」「ゲンドウ以降のカウンセリング早すぎないか」「冬月研究室出身と乳がでかい以外の来歴がいっさい不明キャラがなぜこのような大立ち回りを演じられるのかの部分っていつ説明したのか」とならなかったのか)、それに突っ込み入れず「よく終わらせた!」で肯定的に受け止めるファン含め、現状は庵野秀明さんにとって、旧劇場版シンジくんが否定した「自分他人存在しない曖昧脆弱世界」「他人の恐怖が存在しない世界」そのものになってないですか

追記)マイナス宇宙ゴルゴダ、これウルトラマン特撮スタジオの進行か、いやそれって庵野秀明さんが好きだから以上に選択できる演出なのか?シン・として必要だったのか?

2021-03-18

コンサルだけど同業ツイッタラーにクソムカついた愚痴

フォロワー2.6万人いて某コンサル会社所属インフルエンサー?なツイッタラーがいる。

コンサルなんて狭い世界なので見る人が見ればどこのファームか大体察しがつく、というか同じ会社だろうしそりゃわかる。その人は恐らくシニアマネージャー(プロジェクトをいくつか回す、ほぼ現場最高責任者)。

言ってることがおもろいし、趣味も合うし、とにかく"ロック"を志向していて旧態依然ダサいことを糾弾してるのとか痛快だったし、こんな人と一緒に仕事できたら楽しいだろうななんて思いながら黙って結構長くフォローしてた。

仕事がしんどくなった頃に重なってか、なんとなく言ってることが激務自慢、若手の現状とか視界に入ってない感じにちょくちょく違和感を感じるようになったけど、そこまで鼻につくわけでもなくフォローしたままだった。

ある時、彼がLINEか何かの画像を無言でTwitterに上げていた内容を見て呆気にとられた。

『なんかさ

若い子に多いのよ

新規事業に関する案件やりたいみたいなね

こというの。事業課題解決したいみたいな

やりゃいいじゃん。目の前にいくらでもある。それが見えなくて、会社からミッションとして与えられないと出来ないならそれは向いてないわけよ

それはそういうカテゴリ仕事やってるイケてる自分になって安心したいだけだよね

いつか起業してぇ、事業課題考えたいって言ってれば救われるみたいなさ。信仰領域なのよ

やりゃいいのよ。やりたいなら自分がどこにいるかに関わらず

それが出来ないなら一生出来ない

と、オレは思う』

ムカついた他人文章をわざわざ手打ちするのって自分でもどうかと思うけど、内容は以上。

すごいフォロワー数だし安易に触れるのもアレなのでその時はスルーしたけど、フォロー外してもそもそも彼に限らずコンサル界隈って本当にイキったツイートがよく流れてくる。

その度に思い出すので、どこにも需要ないだろうけどここに吐き出す。コンサル興味ない人とかクソ長いわりにつまんないと思うからこの下読まなくていいよ。何様だと思ってりゃそんな"若い子"相手にイキれんの、ってムカついたってだけの話。




まず、今の若手の現状、システム系の案件がめちゃくちゃ多い中でその一番下の立場アサインされるというのがどういうことかわかってんのかなと。

 (必要わからんけどクソ雑に補足すると、ビジネス系とITシステム系の概ね2種のプロジェクトがある。通常"コンサル"で思い浮かべるバリバリパワポ書くのは基本前者。後者はがっつりシステム導入・改修も含まれる。もちろん二分できるわけじゃなくある程度入り混じる)

若手に一旦システム学ばせるスタイルが間違ってるとは思わない。つーか当然勉強になるし将来的にやった方がいい。お客さんのためにもどうしても手駒が必要ものが多いし。

でも、根本的に、昔と今の案件におけるビジネスシステム比率(二項対立ではないにしろ)・深さが全く違う。大変なんだぜ自慢じゃない、単に必要勉強量が異なる。本職のSEが本気でやっていることかそれ以上のレベル仕事を、段違いの単価で請け負う以上必然的にそうなる。

そもそも、『ミッションとして与えられて』もいない別の仕事を若手ごとき独断でするだ?お客さんに原則時間単位チャージするコンサルという商売おかしい。キャバ嬢が突然プレゼンおっ始めるくらいおかしい。それがもし本当に必要仕事ならミッションとして振れていないリードおかしい。自主性云々じゃない。

業務時間だってシステム系の仕事をしているなら今や無限大にあるシステム関連の知識業務を主軸に広げていく勉強をするのが正しい。俺ら以下の世代仕事の合間に必死で読むのはロジカルシンキング本でもマーケティング本でもなく、スッキリわかるXX入門や野生のプロが書き残した英語コード。助けてくれたのはOffice田中先生だ。

それでもなお『やりゃいいじゃん』と仰るのなら、もしかしたら、彼の認識では、システムビジネスは頑張れば手の届く距離で直結するものなのかもしれない。だがたとえ上司仕事を巻き取りまくる全知全能若手マンが出現しようと、その上司だって今やってるのはより高度なシステム仕事でしょうよ。システム系のプロジェクトである限り。

以上により、フツーに入社してフツーにアサインされてフツーに仕事してる今の若手の「ビジネス系のプロジェクトに行きたい」は、見たこともないけど海ってもんに行ってみたいべ~、的なぼやけたものになりがち、だしそっちの方が自然浮気せず真面目に仕事してきてくれた子なんだねって思う。もう彼らの志向する仕事は『目の前にいくらでもある』わけがない。あっても若手が勝手にやっていいなんてもっとありえない。

こういう現状を本当に知ってて揶揄してんのかな。つーか本来俺なんかよりよっぽど知ってるはず。当事者と一緒に向き合ってないから、目の前に海を見ながら仕事出来た(あるいは飛び込めば褒められた)自分若い頃の生存者バイアスかかった眼鏡で実情が"見えてない"からこういうことがドヤ顔で言えるんじゃないのかと。

んで、自分が今「やりたいこと」をやれてるのを自分個体値努力故だと信じ切っているのがキツすぎる。

ビジネスを楽しめてる立場の人は、ある程度ビジネスに近い領域で叩き込まれ、それを必死で打ち返す、午前様当たり前、しんどい時こそ飲み交わす、そういう血の絆かよって環境で鍛え上げられてきて、ようやく自由責任を負える立場になれたからだと思う。こういう世代は決まって「俺たちの頃は(大変だった)」と昔話を始める。もちろん今とはケタ違いの戦場だったろうし、ドロップアウトする方が多い中で生き残ってきたことはすごいと思うし尊敬している。またその話かよとか思いつつもさ。

その頃と今、どれだけ時代が変わったと、最近の「若い子」に全く別の意味しんどい仕事時間がどれだけ多く、残業を睨まれる厳しさがあると思ってるんだよ。あなた方、18時から本気出す世代でしょう?彼らは18時にはPC閉じなきゃ怒られちゃうんだよ。さぞ息苦しいだろうと思うよ。

システム系の案件なら中途や派遣プログラマーの方が、あるいはビジネス系なら業界経験者の方が当然仕事ができる。そういう人が転職してきて入社1年未満だろうが問答無用上司(かそれに近いポジション)になる。上司だって必死だ、部下どころじゃない。

の子らは、研修海外どころか対面ですらない。プロジェクト入れば顔も見たことない上司に指示を受けてリモートでがじがじ勉強している。"師匠"的な上司、ワザを盗むべき先輩、アホな雑談する同期すら隣にいない(つーか同期の顔も知らないだろう)中、なんとか孤独仕事、あるいは作業をやっている。頭が下がる。

そーいう、彼らの思い描いた未来とズレて苦しんでる現状を、憧れられるような・相談される側になるようなキャリアを歩めた側の人間が、『イケてる自分になって安心したいだけだよね』と、自分の苦労を盾に踏みにじる。これ投稿されたの、今年の2月すよ。新入社員で一度も出社したことない子なんて、不安だらけに決まってるだろ。

どんな会社かも知らずに入ったwって笑うツイートとかもさ。コンサルタントになりたくて入ったクッソ優秀で頑張ってる子もいるんだよ。どうでもいいのかもしれんが。

そんでもって、その立場でそれを言うのかと。

口だけやりたいやりたい言ってて努力しない意識高いマンってゴロゴロいるし若いほど鼻につく、そういう世間知らずのガキがウザいのはわかる。

でもさ、「最近若い子」はとにかく上述の環境にぶち込まれてなんとか「SIじゃなくてコンサルぽいことをやりたい」の翻訳が「しんきびじねすにかんするあんけんをやりたいでしゅ」「じぎょうかだいをなんとかするでしゅ」であって、どうせ実態パワポ書いてみたいとかそんなもんでしょ。逆に言えば、その程度が叶ってないんだよ。

やりたいやりたい言ってる中身がわかってないって、わかってるわけないよ。やったことないんだからやらせてもらえてないんだから。ほんでこういうカウンセラーなり先輩なりに相談したら、「どういうのがやりたいの?具体的に言ってごらん」 「ほら言えない。もう少し勉強してから志望しようね」 って跳ね除けられると。重ね重ね言うがシステムやるのが悪いって話じゃない。

社名やブランド組織意向やらと個人志向性の乖離ってのはいつの時代にも起きる。これからは「もっとシステム触ってかっこいいデジタルっぽいことできると思ったのになんでビジネスなんか」と思う若手が増えるかもしれない。

そういうのを先人と腹割って話したりしてなんやかややってきたんでしょ。ご多分に漏れ飲み会だとかも厳しい中、心理的安全性を保ちながら将来のキャリアとか青臭いこと話してお互いモチベ上げてく~みたいな機会は昔よりずっと少なくて、どうやってけばいいかみんな模索してるんじゃないの。

 『やりゃいいのよ。やりたいなら自分がどこにいるかに関わらず それが出来ないなら一生出来ない と、オレは思う』

親に中高一貫校予備校入れてもらって東大行った人間が言う「勉強なんてどこでもできるじゃん」かよ。

教師になれってんじゃない、学校じゃないんだから。後進の苦しみを鼻で笑うのがその立場ですることか?俺だってケツは青いがマネジメントする立場じゃ自分より「若い子」は基本的自分よりよっぽど面倒な時代を苦労して生きてきているって肝に銘じて接するべきだと思ってる。イイ人ぶりたいんじゃない、会社コンサルって仕事も嫌いになってほしくないってのが近い。前○○子でもない。それが俺らの仕事だろ。いつまでもプレイヤー気取りでデキない下っ端を嗤ってドヤるんじゃなくてさあ。

助け船が出せんでも、せめてちょっとは寄り添おうと考えないもんかな。わかってないくせに口だけ一丁前(笑)って突き放すのは簡単だけど、本気で考えるとすげえ難しい問題じゃないの。簡単に『向いてない』とか人様によう言えんよ。

どうして、自分より圧倒的に弱い立場の、しかキャリア志向を打ち明けてくれた下の人間の苦しみを、誰かにぺちゃくった挙句、2万人以上フォローしてるTwitterゲラゲラ嘲る真似ができるのか。それ、クソダサくないか

要は、目の前におもしろいことがいくらでも転がってるアマゾンで育った連中が、

砂漠で水も飲めずに「せめてコンサルらしいことやりたい」と嘆く若い子に、木の上から「水ならそこらへんにあるじゃん(笑) どういう水?ほんとに飲みたいの?(笑)」とニヤニヤ煽っている。

そういうグロテスクな図だと思った。

勢いに任せてぐだぐだ書いちゃったけど、俺は多少かじった言語あったか入社後そこまで苦労しなかっただけで別に一流大学出でもない。今の職位もある程度運が良かったから、面白い仕事をさせてもらえたのは恵まれていたからだと本気で思う。

すげえ頭よくて責任感強い同期が必死こいて障害対応しつつ初アサインから数年同じプロジェクトで抜けられなくなってるとか隣で見ていてやるせなくなってただけ。

単に、尊敬できると思ってた上司がそんなことなかった、みたいなガッカリ感ってだけの気もする。つーかこの人に限らず本当多いこういう下の人バカにして気持ち良くなってる奴。この界隈特有か知らんけど。『「画面一覧作ってね。通常はExcelなどの帳票にしますが、帳票設計作業が分からなかったらMgrさんにどうやって作るかを聞いてからやるんですよ」と若い人に言い残して約1日経ったら、まじでスクリーンショット200枚くらい圧縮して貼って「終わりません…ごめんなさい」って言われた(天使笑顔)』ってツイートとかね。ただの虐待だろ。

誰かを咎め書き込みをいんたーねっとでしたこといかビビってるけど、さっきなんとか次の会社オファー1個もらったので記念カキコ



[追記]

昼飯食おうとして血の気引いたわ、まじか。書き殴りにすみません。後でちゃんと読みます。同業以外も読むのかよ。本人に通報する人とか固有名詞ベラベラ言う人とか意外といなくて皆ちゃんとしてんなって思った。あざす。

なんつーか、ままならないことをままならないよねえ、って一緒に頭抱えられるリーマンでいたいよね。精神論嫌いだけど。ままなるっ!(ドン)じゃなくて。お疲れ様です。

>長い

長いって言ったじゃん…クソ長えな。すまん。

2021-03-15

anond:20210315100652

・「悪い」に属する部分をまずはそのまま受け入れて、どうしてそれが必要なのか、なくしていくにはどうしたらよいか時間をかけて解決していく。

どういう立場でどういう関係性の相手なのか知らんけど、「人たらし」っていうんだから家族とか恋人とかじゃない距離のある相手との距離を詰めるって話なんだと理解しています

家族でも恋人でもない他人が悪いことたとえば薬物をやってたとして、その相手に寄り添って無くしていくにはどうしたら良いか解決していくとかおこがましいっていうかそこまで面倒見きれんと思う。

それともケアマネだとかカウンセラーとかが相手との関係性を作るにはみたいな文脈の話なんですかね??

2021-03-13

カウンセリングが怖い

カウンセリングを受けてみようかなあ、と前から思っていて、マッチング診断とかカウンセラープロフィールとか見てみた。

なんとなくこの人かなあ、と予約可能時間を見ただけなのに、ぶわっと急に汗が出てきた。予約しようとしたわけでもないのに、具体的な実感が湧いたのだろうか。

怖い。単に人と話す機会が少なくなったからでもある。それ以上に急にあれもこれも浮かんできたことに慄いてしまった。考えないようにしていたことも、解決可能性が見えたら噴き出てきた。これ、思い出しちゃっていいのか。

いつかはなんとかするつもりだけど焦らず付き合っていこう、なんて言い訳だったのかも。押し込んで見ないふりしてどうしようも無くなった倉庫みたいになっていた。もう火でも点けたい。無理でしょ。少しずつっつったってひとつ取り出そうとしたら崩れて出てくる。明日から生活できなくなる。

病院には行っているから、もう少し話す機会を増やそうと、でも訊いてもらう感じになるだろうから友人ではなく、仕事にしている人にお金を払ってサービスを受けようと思っただけなのに。

多分、より受けた方が良いのだろうとは思った。でも仕事もしなきゃいけないし今は崩れたくない。フリーランスだし休職もできない。金銭的にも余裕がない。

どうしたものか…一回忘れるか…そしてもっと問題を増やすのか。もう限界なのかもなあ…色々と。

このタイトルは失礼すぎるがどう直していいかからない。問題認識しそうになったことが怖い。押し込めるのも怖い。人生が怖い。

2021-03-06

信田さよ子かいう有名らしい心理カウンセラーが、

「実は「中立」や「客観」って、マジョリティ立場に立つことなんですよ。それは強者眼差しなんです。DV問題だったら、男性視点に重なってしまう。だから私は「客観的」という言葉ほとんど使わないようにしています。」

「私のカウンセラーとしての特徴があるとしたら、たとえ相手が嘘を言っていたとしても、完全に肩入れするという姿勢ですね」

と言っているんだけどこれはかなり危険

ある種の虐待加害者弱者を装いつつ家族モラルハラスメントを繰り返して道徳的に優位な立場から支配しようとするから女性が多い)、こういう立場人間権威を持つと、逆に利用される形で虐待に加担することになる。

2021-03-05

事件被害者になって、死にたくなってる話

ある事件被害者になって、いま死にたくなっている。

当たり前だけども当事者になるのと報道されているのを見るのとは全然違った。

事件被害者になるということは、ただただマイナスのことしかなく、失うものがすごく多いということがよくわかった。

この情勢になって誰かに話しを直接聞いてもらえることもなかなか難しいので、余計辛い。

家族に話せばいいと思われるかもしれないが、ただでさえ心配かけているのに「死にたい」なんてとても言えない。

死にたい死ぬわけにはいけないので、仕事はやらなくてはならない(というか稼がなければならない)。

こちらはただの被害者なのに会社に正直に話したら仕事を干されてしまった。

今後迷惑をかける可能性もあるだろうと思って正直に話をしたが、失敗だったかもしれない。

もし従業員被害に会って、その報告を受け、その従業員を大切に思うのならどうしたいかきちんと話を聞いてあげて欲しい。

休ませたほうがいいだろう、仕事を減らしてあげたほうがいいだろうと勝手判断して仕事を取り上げるようなことはしないほうが良いと思う。

もちろん会社にとって重要仕事を任せていたら、難しい判断をしなければいけないこともあるとは思う。(本業とは別に個人事業もやってるので少しはわかる)

ただその場合は(嘘でも)「あなたのことが大事から、そのような判断をした」ということが伝えわらないと、(なにかあってもこの会社は助けてくれないんだな)と思われてしまうと思う。

ある事件被害者迷惑がかかるから退職を申し出たところ、「(事件に立ち向かうには)働いているということが重要だ」と強く引き止められたらしい。

会社カウンセラーではないので、従業員プライベートケアまでする必要はないようにも思うが、被害者の心をより傷つけるようなことはしないで欲しい。

あと家族被害者がどんな心理状態にあるのか考えて行動してあげて欲しい。

被害者自己評価が地に落ちている(少なくとも私は)ので、ちょっとした言動で酷く傷ついてしまう。

薄氷の上にいるような状態なので、あとで後悔をするようなことがないように。

たぶん家族会社事件被害者にどのように接すればいいかは、インターネット上や本が出ている気がするのでまずはそれを読んでみるのがいいんじゃないかなと思います

報道されるような事件被害者になったひとは想像を絶する目にあっていると思う。

自分被害にあった事件は大したものではないのにも関わらずこんなに死にたくなるのに、ちゃんと生きてて本当に尊敬する。

最初はただ事件にあったことに呆然としたというか恐怖しか感じていなかったが、小さなことだけれども二次被害にもあって、加害者への憎悪が湧いている。

こちらは死にたくなっているのにのうのうと生きてるなんて許せない。

吐き出せばちょっと気持ちが薄れるかなと思いましたが、やっぱりまだ死にたいです。

いままで少しづつ積み上げてきたもの他者によって簡単に壊されてしまうなんて想像もしていませんでしたが、まずは「死なない」という選択毎日し続けて、時間解決することを願っています

事件被害者でなくても、こんな情勢で死にたいと思っているひとはやっぱり増えていると思うので、死ぬ前に(繋がりにくいらしいけど)いのちの電話でも増田でも「死にたい」と吐き出して欲しいと思って書きました。

2021-03-02

何も考えたくない

ちゃん推敲してないから読みづらいかもしれない

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覚えている限りでは幼稚園の時から人間関係でつまずくことが多かった。

確か習い事でも同い年くらいの子に失礼なことをして泣かせたことがある。

勿論母には怒鳴られたが、

当時は何故それがいけないことなのかわからなかった。

たぶん今もはっきりした理由はわからないけど、

同じことが起きたらとりあえず取り繕うことはできる、と思う。


この辺が自閉っぽいとは思うが特に診断は下りていない。


母に勧められて絵や工作を習い始めたが、

上手く喋れないぶん作品で何かを表現するのは楽しかった。

心の中の燻りが消えていく気がした。


将来は芸術関係仕事がしたいと思っていたが、

それは難しいと母に言われた。


小学校でも中学でも対人関係が上手くいか勉強に集中しきれなかったので、

それなりに勉強して行ける高校ならどこでもいいと思っていた。

この時はまだ漠然漫画家になりたいと思っていたが

どこかに原稿投稿するとかは全然やっていなかった。


高校に入ってから母に言われるまま目標もなく予備校に通い始めた。


地元高校に進学したこと関係あるかどうかわからないが

高校でも対人関係は上手くいかなかった。

今考えると、もしかしたら地元高校じゃなくても対人関係は上手くいかなかったかもしれない。


高校卒業後の進路。

当時の学区内で上位3位くらいに入る高校に在籍していたので

大学に進学するか専門学校に行く人が多かったと思う。


予備校での3者面談で具体的に志望校を決めないといけなくなった。

スクールカウンセラーになりたいとうっすら考えていたので、心理学科のある大学希望した。


1年浪人したが、希望学科に入ることができた。

摂食障害になったりもしたが、留年することなく4年生まで進級できた。


浪人中にファーストフード店バイトをしてみた。

飲食店には向いていなかったようで受験勉強理由に3ヶ月で辞めた。

ここで働くまで、自分飲食店で働けない人間だとは知らなかった。


大学入学直後に事務というか雑用アルバイトをしたが、

電話対応と来客対応が恐怖でしかなかった。

書類確認などの軽作業も他の先輩と比べて遅かった気がする。


他にもデパート接客をやってみたが、覚えが悪く、しょっちゅう社員さんにフォローしてもらっていた。

2か月くらいで辞めたと思う。


大学卒業後の進路を考える時期になって、

大学院に進学するお金が家に無いと親に言われた。


色々な職種を受けてみたが、母には全てケチを付けられた。

母は公務員を強く薦めてきた。

母のビジョンでは、私は大学在学中に資格を取るはずだったらしい。

文学部だったのだが、司書学芸員正規採用の倍率を知らなかったのだろう。


この学科卒業生の進路はカウンセラーだけではないというのは

1年生の時に先輩から聞いて知っていたし

一度社会人になってから大学院に行ってまでスクールカウンセラーになりたいとは思わなかったので、

とりあえず就活を片付けることにした。

就活は難航した。

やりたいことがわからなくなった。

首都圏にいたのだが、東日本大震災関係あるのだろうか。


最初印刷の軽作業をする会社就職した。

電話応対や来客対応も無く(そこに居続けたらいずれ任されたのかもしれないが)

単純作業のみで敵羽も悪くないと直属の上司に褒められたのが嬉しかった。


半年の試用期間が終わる頃、

社長から勤務態度の悪さを指摘され、正社員として採用されなくなってしまった。

なのでアルバイトとして約2年働き続けた。

親には、なんで正社員になれないの?と詰められた。



勤務態度の悪さというのは、気が利かないということだったと思う。

うろ覚えだが、社会人としてのマナーが身についていないということだろう。

あと乗せられて言った私の軽口を社長が真に受けていた。


そこではパワハラを受ける社員がいる一方、

ミスの尻拭いを従業員全員にやらせ社員いつまでもい座らせていた。


そこで週3日程アルバイトをしつつ正規仕事を探すと親には言ったが、

就活が怖くなった私にそんなことはできなかった。


親は私に「何かやりたいことはないのか?資格を取れ」と強く薦めた。

何を今更と思ったが、

私は職業訓練HTMLillustratorPhotoshop勉強をして、デザイン仕事を探した。

半年間の職業訓練が終わりに差し掛かった頃、正社員として希望仕事内定を頂いた。


職業訓練ではデザインについてそれほど詳しく勉強したわけではないので、

就職してからデザイン勉強をしなければならなかった。

それよりも私がこの仕事をする上で致命的だったのは、

仕事の進め方がわからない、

なにがわからないのかわからない。

それで、納品物が納期ギリギリになっても完成せず、先輩にほとんど作成してもらった。

上司に「貴方は頼まれたことはきちんとやってくれますよね」と言われたのは何だったのか。

これは裏を返せば言われたこしか出来ないということになるんだが……。

この仕事は5か月で辞めた。


そして以前通っていたメンクリで知能検査を受けたが、正常の範囲内とのことだった。

私はただの出来の悪い人だということがわかった。


色々なところに応募しては落ちてを繰り返し、1年程間を空けて受付事務パートをすることになった。

ワンオペだったので、来客対応以外にもとにかく色々やった。

しかし2週間たつ頃には違和感を覚え、4ヶ月で退職した。

私を採用した人は、なんでこんなこともできないの?と不思議に思っているようだった。

なんでって……こっちが聞きたいが。


貯金が少なく焦っていたが、半年後に、派遣社員としてOA事務仕事をすることになった。

ここが一番働きやすかった。

主な仕事エクセルへのデータ入力

手順書があって、成果物クロスチェックされ、電話は決まったところからのみ。

従業員人間関係も穏やかだった。

派遣から正社員になった人が何人かいるらしかった。


そこで働いて2年程経った頃、親に「今の職場正社員になれないのか?」と訊かれたので

それをそのまま上司に伝えた。

「誰でも勧誘しているわけではない」と回答された。


正社員になれないと親がまた詰めてくることは予測できたが、

居心地の良い職場ギリギリまでいたかったので、次の仕事は全く探していなかった。


この会社派遣期間が満了する頃になると、国内新型コロナウイルス流行り出した。

失業給付が終わっても仕事はまだ見つからない。


せめてコンビニ飲食店で働ける能力があれば良かった。


から見たらぜんぜん頑張ってるように見えないと思うけど、もう親含めて他人の機嫌うかがうの疲れた

まりにも面接に落ち続けるとちょっと無敵の人気持ちがわかってくる。

もし兄弟がいなかったら思い切ってたかもしれない。

まだ死ぬ勇気は無いけど、このまま生きててもいいことないから死んだ方が早いなと思うことはある。

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