2020-10-17

楽園から出ていってしまう話

家の近所で猫が子どもを産んだ。

そのことを知ったのが今から一ヶ月くらい前のことで、夜、親とはぐれたらしいやつの鳴き声と、迷子を呼ぶ親猫の独特の声が聴こえるようになったからわかったのだ。しばらく声だけの存在だったのが、先日、隣家の軒に出ていた室外機の上で子猫が三匹、”だま”になって眠っているのをうちの親が見つけ、姿かたちもわかるようになった。

そのときに撮った写真を見せてもらうと、白地に橙、キジトラ、白地に黒の八割れ、の三匹がみっしり集まって、互いの境界がなくなるぐらい身を寄せ合い、ひと塊になって眠っていた。

室外機があった隣家さらに隣は寺の敷地で、大げさな表現だが小さな野原のようになっている。三匹はそこで一日中遊んで、たぶん母猫が帰ってくるのを待ちながら、疲れたらこうやって兄弟で一緒に眠っているのだろう。一匹が疲れて室外機の上に跳ねて飛んで行ったら、残りの二匹は私も俺もとついていき、写真のような子猫の塊になるのだろう。

なんだか楽園のようだな、と思った。ノラ猫の生活が大変なことは知っているが、それでもこいつはまるで楽園だな、と思った。

今日都内は雨で、買い物の帰り道で白地に八割れ路上で死んでいた。全身はきれいで、ただ眼球だけが飛び出していた。車にはねられたんだろう。血が雨と混じってアスファルトに流れ出していた。

家に帰ってから、少し悩んだが、軍手ビニール袋で覆って、八割れの体を路上の脇にのけた。これ以上轢かれたら体が散らばると思ったからだ。

手で触ると、芯のあたりにまだぬくもりが残っていて、泣きそうになってしまった。もう少し早くこの道を通っていたら、何か違っていただろうか、なんて思ってしまった。市に電話したが終業していたので、月曜にまたかけなくてはいけない。

生き物はなんで死ぬんだろう、とは、若いころと違ってもう思わなくなったが、別に納得する答えが出たからではなく、単に「そりゃ生きてるんだからいつか死ぬだろう」という回答に対して、そういうことじゃないんだけどな、と思いながら、何が違ってるのか説明できないからだ。

ただ、このままだと「そうか、生きてるんだからいつか死ぬよな」という具合に、しっくりこないはずの回答に合わせて自分の疑問まで変わってしまう気がして、仕方ないので、質問を何度も変えることをずっと、30歳過ぎても繰り返している。

今日思ったのは、なんで生き物は楽園から出ていくんだろうな、ということだった。ろくな未来が待っていないのに、なんであえてそこから出ていってしまうんだろうな。

子猫兄弟が眠っていた隣家から今日道路までは、自動車の往来が激しい大通りを一本またがなくてはならない。

割れはわざわざそれを越えてきたのだ。あの楽園から離れて。

純粋好奇心か。単に道に迷ったのか。そうしないと得られないものがあるのか。ただ生きていることよりそれは意味があるのか。

くだらない不運以上の意味をそこに与えるのに、自分は、生命尊厳とか希望に伴うリスクみたいな概念を持ち込まないとものを考えられない。八割れは単に物理的に抗えないものに巻き込まれて死んだのだし、それ以上でもそれ以下でもないが、そのことが受け入れられない。

割れの母猫はしばらく子供を探すだろう。兄弟もたぶん、「なんだか、あいつは最近いねえな」ぐらいは思うだろう。そのうち忘れてはしまうだろうが。

  • 意味なんか、ないさぁ、意味なんか、無い、 今にも僕は、泣きそうだよぅ~、 このまま連れてってよぅ~♪

  • すごく読みにくい。一文節に複数の意味を入れてる箇所がたくさんあり、流し読みできない。 例えば、 室外機があった隣家のさらに隣は寺の敷地で 室外機と隣家と隣、さらには寺は...

  • 世の中のそういうどうしようもない不条理が存在する事を認識するのがストレスになるのでニュースやワイドショーを観なくなった。 子供が事故に遭うとか虐待とかを見るとどうしてこ...

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