はてなキーワード: 疑問視とは
私は20代前半。
理由を色々考え、出た結論は「面倒なことが増えるから」だった。
妊娠・出産・育児エッセイを何冊か読んだ程度の知識なのでザックリとしているが、
つわりの地獄のような苦しみや、大きなお腹を抱えて生活することの大変さを知った。
食生活に気を使い、妊婦に優しいアイテムを買い、定期的に病院で検査し、マタニティスクールに通い、
役所で病院の費用の補助金を申請し、生まれてくる子供のためのグッズも揃えないといけない。
出産もめちゃくちゃ痛い。無痛分娩もあるが、「産むときだけ痛くなくても、いてえのは陣痛だよ陣痛」と
母親によく言われるので、まったく痛みのない出産はまず無理なんだろう。怖い。
まあとにかく生まれました。おめでとうございます。あー終わった終わった、というわけにはいかない。
この世の右も左も分からない赤ん坊を、同じく育児の右も左も分からない母親が育てるって超難易度高い。
でも面倒だからお世話やめた、なんてことはできない。もう生まれてるんだから。
もしも子供が生まれつきの持病を持っていたら。不便なアレルギーがあったら。アトピーがあったら。
とんでもなくブサイクだったら。発達障害だったら。学校でいじめられたら。逆にいじめっ子になったら。
同じクラスメイトの母親が変な人だったら。担任の先生が変な人だったら。
PTAが面倒臭かったら。受験に失敗したら。就活に失敗したら。悪い友達とつるんだら。
学生のうちに妊娠したりさせたりしたら。「産んでくれって頼んでない」と言われたら。
様々な不安が尽きない。そのくらい我慢しろよと言われるものも沢山ある。
でも嫌なのだ。可能性として起こり得ることを考えると、子供はいらない。
子供に何かあったとき、自分の人生経験と知識が乏しすぎてフォローできず、母親失格になってしまう。
子供もきっと苦しむ。
これまでの人生で出会ってきた多くの選択・出来事は、「ミスしたら自分に返ってくる」ものだった。
志望校に落ちようと希望の会社に不採用になろうと、嫌な思いをするのは自分だった。
勉強しなかったツケ、就活の対策をちゃんとしなかったツケは自分に返ってくるだけ。
しかし妊娠中の生活に気を使わなかったり育児を面倒臭がって放棄したら、苦しむのは自分ではなく子供である。
親が徹底的に子供の見本となり、子供を守り、道に迷ったときに手を差し伸べなくてはいけない。
自分がそんな立派な人間になっていないのに子供を作っては子供がかわいそうだと本気で思っている。
デキ婚する人はどうしてすぐ産もうと決断できるのかわからない。その度胸はどこからくるんだ。
たまにネットで出産が「3000万ガチャ」と揶揄されるが、本当にそのとおりだと思う。莫大な金がかかる。
そんなガチャをうちの親は私の前にも何度も回してきた。尊敬する。
今まで何人か彼氏がいたし、今もいる。
「この人と結婚したい」とは思っても、「この人との子供が欲しい」と思ったことは一度もない。
ずっと2人きりでいたい。夫との時間を独占したい…とよく思っていたけど、
まあずっと同じ屋根の下で2人でいたら、恋人時代の気持ちなんてすぐ消えて
だんだん生活がマンネリ化してきてうまくいかなくなったりもするんだろうな。
だから子供がいたほうがいいのかもしれないけど、そんな緩和剤代わりに子供をポンとつくっていいのか。
妊婦や子連れ、ベビーカーのバッシングをネットでよく目にする。
育児中にあった嫌なことや肩身の狭い思いをした体験談も沢山見る。
(家庭板のまとめを読むのはやめたほうがいいかもしれない)
私が万が一妊娠してしまったら、周りは「おめでたいこと」と捉えるから、きっと産むんだろう。
人間ひとりつくって育てるというとんでもない行為は「やっぱりやめた」ができないから、恐ろしい。
今付き合っている彼氏とうまくいって結婚の話が出たとして、「子供が欲しい」と言われたら本気で悩む。
「夫が子供を欲しがっている」とか「(義)両親が孫の顔を見たがっている」という理由で
私が折れて妊娠出産していいものなんだろうか。母体は望んでいないのに。
周りが希望してるから命をつくるなんて無責任ではないだろうか。
「産んでくれって頼んでないのに!」って子供に言われてしまったら、
私は自分に面倒事を沢山もたらした原因である子供を愛せないんじゃないか。
どんな理由であれ、私のように子供が欲しくない人はきっといるんだろうけど(多分)、
少子化という言葉があるということは、子供とは「産んで増やさないといけないもの」なんだろう。
私か相手が子供をつくれない体なら仕方ない。それよりも「つくらない」ほうが周囲から疑問視されそう。
育児がしにくい世の中になってるのも問題だけど、そういう社会的な面よりも私の心理的な面が大きい。
こんな私が、子供が欲しいと素直に思える日はくるのだろうか。
それとも、たいしてよく考えないまま流れに身を任せていたら、案外大丈夫なものなんだろうか。
一応言っておくと、親に虐待されていたわけではない。むしろ末っ子なので甘やかされて育った。
子供はあまり好きではなかったけど、最近は仲の良さそうな親子を外で見かけると微笑ましいと感じる。
ただそれは楽しそうなほんの一部分を見たからで、
その場面を自分が得るまでにどれほど苦労しないといけないのかと考えると子供を欲しいとは思わない。
甥・姪をめちゃくちゃ可愛がってしまうのと同じだ。
あと、反出生主義という主義があるけど、そこまで過激な考えではない。出産は尊いものだと思っている。
私は出産したくないというだけ。
今ふと思ったけど、学生時代が全然楽しくなかったことと、この考えには関係はあるだろうか。
つまらない地獄のような学生時代を子供に味わわせたくないとか無意識に思ってるんだろうか。
そこはよくわからない。
http://anond.hatelabo.jp/20170304135255
大学時代に登山始めて10年経つけど、無雪期にそのへんの山に登るぶんには適当な運動靴、化繊の服、背負っててズレないザックさえあれば正直問題ないと思ってる。
初心者のハードルを無意味に上げない山おじさんである元増田に共感を寄せつつ、判断に迷われている靴についてだけ個人的な経験と山友達の意見をもとに最初の一足を選ぶにあたってのオススメポイントだけ書かせていただく。
順に解説する。
時間のないひとはこれだけ押さえていますぐ適当なスポーツ用品店に行ってくれても大丈夫。
最初の一足は安いやつでいい。
具体的に言うとそのへんで売ってる5000円以下のハイキングシューズでも全然いい。
すでに履きなれたランニングシューズとかあるなら(ソールに溝が残ってて、ある程度のグリップ力が期待できれば)それ履いてってもいいよ。
もちろん予算が許すなら1~2万出しても損はしない。
実際買ってきたカッコイイ靴を今度登る山に思いを馳せながら眺めるのは楽しいし、GORE-TEXは優秀だし、当たり前だけど「安いものでいい」のであって「安いものがいい」わけではないので。
登山靴というとアッパーが足首の上のほうまであって(ハイカット)硬く分厚いソールを備えたゴツいものをイメージするかもしれないけど、正直ああいうものはオススメしない。
まず重い。
近年、山道具はとにかく軽量であることが重視される傾向にある。
装備重量は体力の消耗に直結するし、そもそもこれから登山を始めようというひとに体力と筋力に自信のあるひとがどれだけいるだろうか。
足は腕に比べればはるかに力持ちだけど、私を含めて通勤で駅まで歩くのが日々の運動ハイライトなひとたちに、両足あわせて数百gの差は決して小さいものではない。
目安は強いていえば26cm片方で600gくらいまで…と言いたいところだけどハイカットのゴツいやつじゃなければだいたいこの範囲だからあまり心配しなくて大丈夫。
アッパーでホールドすることで捻挫のリスクを下げるというのを疑問視する声もあり、実際最近のメーカーのガチ登山向けの靴にはハイカットでもけっこう足首が自由に動くものもある(持ってるやつだとモンベルの6B+ GVとか)。
ハイカットのメリットは捻挫予防というより20kgとかの重い荷を背負ったときに靴が足を支えてくれること、足首を岩や枝にぶつけて怪我をしにくいこと、小石や雪が靴に入りにくいこと、防寒に適していることくらいだと考えていて、それよりは足運びに違和感の少ないローもしくはミッドカットを選んだほうが疲れなくて初心者さんにはいいと思う。
でも足が窮屈に感じないならハイカットでもなんでも好きに選んでいい。
皆まで言うな。
登山用品店は店員が話しかけてくるから面倒くさいし、スポーツ用品店が近所にあるとは限らないし、だいたいネットで買ったほうが安い。
でも足の形はひとによって全然違うし、山ではデコボコの道を数時間~半日かけて歩くのだ。
値段とデザインとAmazonレビューだけで選んだ結果当日靴ずれでろくに歩けなくなったら、きっとあなたは山が嫌いになる。
イチ山おじさんとしてそれはあまりに悲しい。
もし安く済ませたいなら、ある程度品質が安定しているであろうメーカーの量産品を、どこかで履いてみてから通販で買うという手もあるよ。
どんなにカッコよくても幅が狭すぎたり、紐を締めるとどこかが当たって違和感があったりしたら諦めよう。
とにかく足にあうかどうかが最優先。
履きなれたランニングシューズでいいと書いたのは、そういう理由もある。
何かをきっかけに山に登ってみたくなったあなたが用意するべき靴は、
それだけ。
以下蛇足。
自分のものと合わせてよく一緒に登る友人が3シーズンに履いている靴を聞いてまとめてみたので金は多少出すからいい靴教えろってひとは参考にしてみて。
T氏(登山歴2年)
O氏(登山歴2年)
D氏(登山歴3年)
S氏(登山歴6年)
02月28日 19時16分
大阪・豊中市の国有地を鑑定価格の14%の価格で購入した大阪・淀川区の学校法人「森友学園」は、この土地で、ことし4月に、小学校の開校を予定しています。
大阪府では、安定した学校運営を担保するために、以前は、私立学校の設置基準で、小学校や中学校をすでに設置した実績のある学校法人にしか、借入金による設置は、認めないという制限を設けていました。
ところが、幼稚園だけしか設置していなかった森友学園では、籠池泰典理事長が、平成23年7月に、府の私学課を訪れて、この基準を見直すよう要望し、大阪府は、このあと平成24年4月に、制限を無くす内容に基準を改正しました。
その後、平成25年9月に、森友学園側から大阪府に対し、豊中市内の国有地を賃借した上で、小学校を設置したいとする相談があったということです。
大阪府の設置基準では、学校自体が所有している土地にしか、校舎の建設を認めておらず、この場で、学園からは、「10年以内に国から土地を購入する」という方針の説明があったということです。
結局、翌年の平成26年10月に、森友学園は、設置認可を府に申請しました。
認可するどうかを審査する大阪府の審議会は、平成26年12月に1回目が開かれましたが、財務状況や教育内容に懸念が示され、認可は保留となりました。
1か月後の平成27年1月に開かれた2回目の臨時会は、条件付きで、「認可適当」の答申を出しましたが、その後の審議会では、財務状況などについて疑問視する意見が出ており、最終的な認可はまだ決まっていません。
金を軸に考えろ
生産するのにコストが掛かる上にオリジナリティがあるおかげで成果物として版権元からも第三者からも認識できて
その結果として同人市場が形成されてそこに乗っかることで経済活動が発生しオリジナル元も何らかの恩恵を享受できるという
相互補助と飯の種にできる関係者が多数いるからあえてグレーゾーンとして扱われているのが現状
なので任天堂とか自社コンテンツに明確な不利益を与えてくるものは排除し、
別に金銭的な不利益やコンテンツ侵害にならない場合は野放しというより放置
それに対しキュレーションサイトは明確にパクられの価値を下げるので飯の種に泥をぶっかけにきている状態
複製するのも小遣いレベルで大量複製することができる成果物にしては質が低すぎるのに対してGoogleのSEO効果がでかすぎるのが歪みを生み出してる
簡単に量産されるのに影響力が大きいってことはSEO・検索順位の価値が疑問視されるしPV至上主義も崩壊してWebサービス業者そのものの価値を落とし込む
世の中は金
金を基準に見ていけば何が都合が悪くなって始まるのかが見えてくる
割を食うやつが出てきたら問題化する
「君の名は。」風の写真に変換するアプリということで話題になった Everfilter が公開停止になった。著作権侵害ではないかという指摘に対する運営元会社の対応である。以下の記事が詳しい。
私のみた観測範囲では、いまのところ以下のような結論が優勢に見える。
合成だとみなされた過程としては
という主張がなされている。特にこの記事が多く参照されたように思う。
以降、これらの主張がその通りではない可能生がわずかながらあること、もしそうだった場合には著作権侵害に対してどのような議論がなされるのだろうか、その思考実験をしてみたいと思う。
なお、あくまで仮説であってここまでの主張を否定することを目的にしているわけではない。もしかすればそうではない可能生が微レ存、ではそちらの可能生を考慮したら、どのような議論になるか考えてみると (不謹慎ではあるが) 面白い議論になりそうだ・・・というのが趣旨である。
先の shi3z 氏の主張はスタイル変換に DeepArt と呼ばれるアルゴリズムが用いられていることが前提となっている。確かに shi3z 氏が述べているように DeepArt ではスタイル変換で細部のディテールを残すことが難しいことが分かっている。
具体的には、生成された画像において、人物の顔、建築物の模様などのディテールが潰れてしまう。
一方、今年の 9月に Google Research から提案された、スタイル転送の改良版アルゴリズムがある。
当方もたまたま知人から教えてもらったものである。細部まで読んではいないが、おおまかに言うと、古典的なテクスチャ合成の手法を既存のディープラーニングベースのスタイル変換アルゴリズムに適用して改良することで、細部のディテールを残したままの変換が可能になった・・・という内容である。
結果は 24ページ Figure 8 と Figure 9 にある既存手法との比較が分かり易いだろう。
上段の Figure 8 が既存手法 ・・・ おそらく shi3z 氏の記事にある DeepArt に近い手法。Figure 9 が提案手法である。建物のディテールが再現できていない既存手法に対して提案手法では建物のディテールを残すことに成功している。
また、もうひとつ特徴的なのが、空のように一様性の高い箇所においては元のスタイルが持つ模様のパターンに酷似したパターンが描かれている点だ。このあたりは古典的なテクスチャ合成を応用した影響だろう。
本手法を用いた場合、既存手法より高速に変換画像が生成されることにも言及されている。
もし Everfilter のアルゴリズムが提案手法に近いものであるなら、今回疑問視されていることの中に幾つか説明のつくものがある。
この辺りから、Everfilter は「ニセAI」ではなく比較的新しいスタイル変換のアルゴリズムを実装した製品だった可能生が微レ存・・・と思い至ったわけである。
当然、そこまでは言えないと考えている。
2016年現時点で著作権侵害は親告罪なので、たとえどんな手法が用いられようがその出力に対して「お前のこの絵はこちらのパクりだろう」と指摘されたところで容疑がかかる。中身がディープラーニングであろうが、コピペであろうが、そこは変わらないと思われる。
といった論点である。法律的な白黒は先に述べたように親告罪に照らし合わせて考えればよいので、ここは、世間一般の人々の感覚を話題にしてみたい。
有名漫画家の漫画を模写し続けることで画力を磨いた漫画家が描いた作品は、その有名作品に画風が似ることはよくあるだろう。その場合、ストーリーや構図に類似性が見られず、かつ、画風も多少の癖の類似であれば許容範囲内というのが世間一般の常識であるように思う。つまり、画風"だけ" に多少の類似があるものは認められそうだ。
では、有名作品のデータをもとに学習を行った人工知能が描き出した、画風 "だけ" に癖のある写真・・・というのはどう考えるべきだろうか。もちろん、画風に強すぎる類似性が認められる場合は、世間の風当たりは強いだろうが、では、どの程度の類似性であれば許容範囲内なのであろうか?
その類似性は大きくは
の二つからもたらせるものであるが、強い類似性を悪とした場合、では著作権のある画像から模倣した ・・・ 学習したことが悪なのか。まだ人類もその性質を解明し切れていないディープニューラルネットワークがもつ性質が悪なのか。
(法律的な判断ではなく) 感情的な判断についてはもやはり、出力が問題であってどんな手法が使われているかは関係無という態度が正しいのか。
話題は逸れるが、ニューラルネットワーク版の Google 翻訳が生成した文章の著作権はどう考えるべきなのか。これも似たような問題である。Google はウェブ上の大量のデータから学習していると思われるがもしそれが著作権フリーではないデータからの学習だとした場合に、生成された翻訳文書は Google が著作権を持つのか、そうではないのか。
世間の常識がどこに落ち着くのかはまだよくわからない。だからこそ、この議論をコミュニティに投げかけてみたかった。
Google Research の論文で Everfilter が完全に再現されるかどうかは実験してみないとわからないことであり、また論文をの例を見る限り Everfilter 品質での出力を得るには相応のチューニングが必要になるようにも見える。それが現実的に困難だった場合はやはり shi3z 氏の主張が正しい可能生も大きい。また、テクスチャ合成を応用したという点で著作権との相性が悪いアルゴリズムである、という考えもあるだろう。
shi3z 氏の主張を否定するために記述したのではなく、あくまで、人工知能が作り出したコンテンツを人々はどう捉えるのか、そこについてみなさんの意見を伺ってみたく起こしたエントリであることを強調しておく。
字が汚いという自覚があったし、他の人からもよく指摘されていた。
とんでもない勘違いだと思うけれど、それを否定したところで自分の字はきれいにならない。
「ぎっちょ」は良くないという、ふんわりした理由だったと思う。
いまだにボールをける時とか、投げる時は左。
書く時や包丁を使う時は右という、なんともバランスの悪いことになっている。
あとは、成長が遅い子だったとか、そもそも3月末の早生まれだとか。
そんな諸々の理由も重なって、小学校に上がってからは他の子と大きく差がついてしまい、色々と苦労した。
授業についていくのが大変で、ノートは書き終わるのに精一杯という感じだったと思う。
来年のクラス替えまで、代理の先生が来ることになったのはいいんだけど、当たったこの人が最悪だった。
具合が悪くてもだめで、とにかく完食を求められた。
まず、何も聞かされない状態で、紙に仲のいい人と嫌いな人。それから好きな人を書けと言われた。
小学2年生なんて簡単なもので、何の疑いもなく当時好きだった男の子の名前を書き込んだ。
そうしたら、隣の席にされた。
もう、好きな同士ですって丸わかり。
恥ずかしくて、恥ずかしくて、泣きたい気分だった。
他の席でも、両想いの人が隣になっていた。
組み合わせがなかった子達は、同性同士で並んでいた。だから、露骨なんてものじゃなかった。
このあと抗議が殺到し、それにふてくされたのか、学級会の途中で先生は帰ってしまった。
勉強も遅い、しゃべるのも遅い、かけっこも遅い。体が小さいから給食は残すし、さらには席替えの抗議に加わっていた。
じゃんけんで配役を決めるはずの劇では、先生の勝手な変更で草の役にされたりと、子供なりにしんどい思いをした。
そんなある日、ノート提出を求められた。
ちゃんと授業を受けているかのチェックとか言っていた。
いまでもはっきり覚えている。
自分だけノートが返ってこない状態で、先生が教壇に一冊のノートを出した。
「このノートは誰のですか? クラスで一番字が汚くて、先生は文字が読めませんでした。まだ、ノートが返ってきていない人は手をあげてください」
さすがにいたたまれなくなって、めそめそ泣いた。
それでも「手をあげてください」と言われ続け、泣きながら手をあげた。
クラス中に笑われて、それから一度も顔をあげずに、ずっと地面を見ながら家に帰った。
その日から、字を書くのが嫌いになった。
自分にトラウマを植え付けた先生は、なぜか二学期の終わりに学校から消えた。
当時は、いなくなったことがうれしくて疑問視しなかったけど、たぶん問題になったのかなって思っている。
危ないことや、必要なく騒げば怒る先生だったけど、それ以外では優しかった。
昼休みは一緒にドッチボールをした。一緒に遊ぶのが楽しくて、苦手な体育がちょっとだけ好きになった。
とてもよく書けているから、作文のコンクールに出したいと言われた。
まさか選ばれると思わなくてビックリしたけど、先生にほめられるなんて初めてで、本当に舞い上がる心地がした。
清書をするのは苦痛だった。
苦痛ではあったけれど、大好きな先生に「ていねいにゆっくり書けば、それでいい」と言われたのでやった。
受賞はしなかった。でも、いい思い出だ。
本当に大好きな先生だったから、気持ちに応えたかった。それでもやっぱり、字を書くのだけは嫌いだった。
その上、練習を拒否したものだから、ノートの字は汚いままだった。
この悪い流れを断ち切ることができず、ついに三十路まで引きずって、いまや完全なコンプレックスだ。
いまさらながら字の練習をしたくて、ついに買ってきてしまった。
月並みだけど、この子を守るためなら、命を捨てても惜しくないと思えるほど愛しい。
昨日、子供の寝顔を見つめながら、ふと思ったんだ。
ぴかぴかの制服を着て、新品のバックを持って、幼稚園に行くんだよね。
その時につける名札を、いまの下手な字で書くの?って。
この子のために、できる限りのことはしてあげたい。
そう思うのは簡単だった。だから、できる限りの中に、文字の練習もスムーズに入ってくれた。
あんなにいやだったのに、なんとも単純。でも、それでいいから練習しようと思う。
でも、もういいじゃないか。
先生の影響なんか無かったことにして、やりたいことをやることにした。
それから、リマインダーを設定して、定期的に読み直して、思い出すことにしよう。
どうか間に合いますように。ぴかぴかの制服に似合う、いい名札をつけてあげられますように。
よし、がんばるぞ!
<追記>
たくさんのコメントありがとうございます。
この年になっても、誰かに褒められたり、励まされるとこんなにうれしいものですね。
昨日の夜、練習をはじめました。
そうしたら今朝。子供が練習用ノートに、赤いクレヨンでグルグルした線を描いていました。
画用紙が切れたのかなと思い「どうしたの?」って聞いたら、「はなまるっ!」って言うんです。
お母さんは勉強してえらいし、夕飯のグラタンおいしかったから花丸にしておいたって。
これだけたくさんの励ましと花丸があれば、一年続けられそうです。
つまづいた時や投げ出しそうな時に、コメントを読みながらやっていきます。
本当にありがとう。
ただ単純に本来そういう設定や立ち位置ではないキャラクターや作品を、適当かつ雑に悪意をもって弄くり回され扱われるのを見ただけでも、キャラクターや作品に対する愛が最低限あるファンなら、怒りを抱いたり、疑問を抱いたりして作品や企画と真剣に向き合おうとするか、とても見続けることに耐えられなくなり、そこから去ってしまう可能性が出てくるでしょう。
さらに、それだけには留まらず、そんな内容に扱われた原因として無関係の作品の盗作やオマージュをしたいからという、従来の作品内容やファンに対しての真摯さにおいて致命的に欠けた動機が関わっていることまで明らかになった場合は、もはや愛のあるファンであれば二重三重四重に怒りや疑問が生まれて当然でしょう。
ところが、ラブライバーという人種の愛は作品内容やキャラへ向かっていないため、それを無視して許せるのです。
彼らの愛は主に、その作品や企画を好きだと言う自分達や、イベントに出演する声優達などと一緒にワイワイと騒ぐ自分達のことに向かっています。
つまり、相手が犯罪者であろうと作品自体が評価のしようがない前代未聞の駄作だろうと怒ることはしないし、悪いことをしても、悪いことをした奴を怒る奴こそ悪いと言ってのけることができる、とても素晴らしい人達なのです。そのような狂気的な仁義こそがラブライバーの真骨頂ともいえます。
また、ラブライバーは、作品を批判したり、疑問視したりする者に対して、「変化や悪い所を受け入れられないものは器が小さい」とか、「無理矢理でも納得して捉えてあげるのがファンのあり方である」、とか、「結婚したら急に態度が変わり怒り出す夫だ」とか批判者のことを勢いだけで言いたい放題に批判することができます。(批判することはいけないのに自分も批判してるじゃないか、というのは突っ込まないで下さい。死んでしまいます。)
当然、論理や倫理は全くもって狂ってしまっているかもしれません。およそ並以上の人間には理解できない、理解してはならない理論を堂々と用いているともいえます。しかし、そこが潔くて格好良いのです。
仮に批判する者の器が小さいとしても、批判する者を受け入れられない彼らも彼らの基準でいえば器が小さく、似たような物ではないか…なんて突っ込もうなら彼らは無視を決め込むこともできます。
また、作品内容の価値はファンの器の大きさで決まりはしませんし、内容についての言及であるのに内容への直接的言及はせずにファンである態度とか器とかを持ち出す時だけ積極的になるあたりを見ていると、彼らのファンとしての器や作品内容を受容する器の大きさがいかほどか推測がついてしまうのですが、そこに彼らは多分気付いていないので格好良いのです。
また、無理矢理納得して愛するのがファンのあり方なのだとしたら、全ての作品を愛する必要が生まれます。内容がどうであれ、なんであれ無理矢理納得するべきなのですから。
ただ、そうなると彼らはラブライブという業界においてごくごく一部に過ぎない作品に時間を割いていて大丈夫なのかという疑問が生まれます。
彼らは愛する作品の条件を問わずに、ラブライブのファン役を担当することを割り振られてしまったので信者をやり続けている存在なのでしょうか。もしそうだとしたらとても立派に役を演じきっています。しかし、その場合に彼らは作品内容を好きだといえるのかは分かりませんが役を演じることに価値があるからいいのです。
結局の所、作品を好きな自分を演出し続ける彼らという仕事人の生き様を評価することはできても、作品内容自体を高く評価する理由は特にそこから見出せないため、彼らがどんなに自称ファンとしての器の大きさを誇示して作品内容を褒めてもらおうと頑張っても、作品内容自体の価値は上下しません。でも頑張るから彼らは素晴らしいのです。
また、作品内容の悪化や劣化を嘆く者に対して、「結婚したら急に妻を怒り出す夫のようだ」とか、「自分ばかり大事ですぐに家族を見捨てる奴だ」とか言ってしまえるラブライバーはやはり、とっても立派な夫や妻になれる人達であり、何があっても必ず家族以外の誰もを救える立派な人達なようで格好良いです。
つまり、ラブライバーを配偶者にできれば何をしても許してもらえるから安心です。ラブライバーの子に生まれたら何をしても許してもらえるから安心です。
まさかラブライブとその声優やスタッフのことは許すが、自分の子や配偶者なら話が別だなんて言わないはずです。
子供や、配偶者が犯罪や浮気をした程度で怒ったり離婚を考えるなんて器が小さい、いい受け取り方を考えなきゃならない、とラブライバーなら批判するでしょう。
何があってもどうにかして納得する方法を探してくれる。論理がおかしくても気にせず、納得できたつもりの自分に酔う今が最高なのですから。
アニメ版ラブライブの内容自体はどうか分かりませんが、このようなラブライバーという立派で素晴らしい人達を沢山生み出したことがアニメ版ラブライブ!という作品シリーズ・企画において唯一にして最大の成果であり、作品の価値を保証する要素だといえるでしょう。
選挙が終わって、色々と思っていたことを書く。まず結果は結構バランスのとれたものになったと思う。事前情報で色々あったにも関わらず、蓋を開けてみれば程よく与党勢力に勝たせて、しかも勝たせすぎなかった。自民党だけでは過半数を取らせない、というのもすごくバランスが良い。現状、野党はほとんど何もしておらず、実質公明党が自民党のカウンターとなっている状態なので、その公明党にキャスティングボートを持たせるような選挙結果に落ち着いたというのが、すごいと思う。なんだかんだ言って庶民はよく見ている、ということだよね。
それから今回強く思ったのだけれど、今の野党はおそらく自民党(あるいは安倍首相)の術中に完全にはまっているということなんだ。どういうことかというと、今の野党勢力の最大の弱点というのは、護憲を重視していることで、それをうまい具合に突かれているいるということなんだ。
もし自分が今与党を率いている立場ならば、例えばひどい内容の改憲草案をでっち上げ(内容に矛盾があったり、人権的に問題があったりするとなお良い)、自分以外の人間を使って、「我々は改憲を強く目指している」とやらせるわけだ。この時、できるだけ炎上するような発言をさせるとなお良い。発言があまり話題にならないなら、適当にマスコミにリークして騒がせるとさらに良いだろう。今の野党勢力は護憲を強く打ち出しているので、そうしたアクションに対して強く反発するわけだけど、それこそが狙いめだ。つまり「護憲」をテコにして彼らを思考停止に追い込んでしまうわけだ。そうして、彼らの意識を憲法改正問題に強く引きつけておけば、ほっておいても選挙のたびに野党は争点として「護憲」を取り上げることになる。誰の目から見ても与党の改憲案はひどいものだし、争点としやすいとついつい感じてしまう。しかし、それは単なる「エサ」なんだよ。だって、ほとんどの国民は、「護憲」に対してそれほど強い関心を持っているわけじゃない。それよりも日々の生活を良くすること、将来にわたって安心して暮らせることの方がよっぽど大事で、かつ政治に期待していることだからだ。でも野党は護憲という「エサ」につられてしまっているから、ついついそうした日常生活や将来についての話題については二の次になる。そこで与党側は、日々の暮らし、経済の活性化、生活保障を中心的な話題として選挙活動を行うわけだ。当然、憲法については特に何も言わない。そうすれば普通の庶民から見れば、自分たちの関心事について一番熱心に考えているのは与党だ、ということになる。別に野党だってそれを考えていないわけじゃないけど、それよりも「護憲」だ、とやるものだから、「なんだ、メシより思想か」と感じてしまうことになる。結果、与党は大勝し、野党は惨敗することになる。まさに今起こっていることだよね。
この巧妙な仕組みのうまいところは、「護憲」という旗印はあまりにも歴史的経緯がありすぎて、今の野党はその旗を降ろすに下ろせないところだ。だって、そんなことしたら、ただでさえ選挙に負け続けているのに、数少ない味方である護憲勢力まで敵に回してしまうからだ。もちろん、それを断行しなければ結局は勝てないわけだけど、下手をすると党が空中分解しかねない、危険な賭けなのでとても乗り出せないだろう。かくして与党としては、対して苦労もせずに安定した勢力を維持できることになる。
もちろん、現実の政治的状況はより多くのものが複雑に絡み合っているわけだけど、その中でも特にこの憲法をめぐる状況は大きな部分を占めているように思う。まあ、一種の陰謀論じみているところもあるとは思うけど、じゃあ考えてみて欲しいのは、現在の自民党を構成している面々が本当にあれほど粗雑な憲法改正案の問題点を気付くことができないのか、という点だ。今の左派勢力は、自分たちが賢いと思いすぎていて、しかも相手の知性を見下すところがあるので、「あいつら頭悪くて何もわかっていないし、人権なんてものを全く理解できていない」と考えて、ちっとも疑問視していないのかもしれないが、本当にそんなレベルの知性で、日本という国の運営が滞りなくできると思っているのかな(まあ自民党内には本当にそのレベルの知性の人もいるのかもしれないけれど)。そうだとすれば、この政治状況を抜け出すことは本当に困難なのではないかと思うよ。
この記事を書いたら、もうこのページは放置。振り返らない。読み直さない。読み直したらオレの負けだ。
(長文ですが斜め読みでもしていただければ幸いです)
ある日気づいたら、Twitterのアカウントが5つもあった。
おまけにYahoo!のコメント欄に今年初めから200以上も投稿していた。
整理してみよう。
去年の春、体調不良で会社を辞めてからほぼ引きこもりとなり、その後仕事もせず、家族の金で暮らしている。いわゆる「メンヘラ」ってやつだ。
人から見たらメンヘラなんだろうけど、自分ではそう思ったことがない。単なる持病の一つだと思っているから。薬を飲んで、時々寝込むけど、なかなか働けないという以外は普通に暮らしている。家事も手伝っているし。
家族には本当に迷惑をかけている。心から申し訳ないと思っている。
でも、それ以外は助けてとも言ったことはないし、当然友人たちにもメール攻撃して「苦しい辛い助けて助けて」なんて絶対言わない。
その友人たちとも今は没交渉だ。SNSでたまに絡む程度で、絶対会わない。遊びに行くお金もないし、ドクターストップでお酒も飲めないから。
というわけで、今のオレの話し相手は病院の先生以外は家族だけだ。
病気の話に戻るが、今年になってただのウツがどうもソウになったらしく、横になっても頭だけはぐるぐる回転し、後から後から面白いことが浮かんできて困るくらいだと医師に言ったら、ソウを抑える薬を処方された。
その薬が効き始めるまでは、とにかく自分の素晴らしいアイディアを世界に広めたくて堪らなくなり、用途別にTwitterのアカウントを増やしていった。
3.Yahoo!のコメント欄にリンクさせたアカウント(ヤフコメ垢)
残り2つは昔からやっている個人的なものと、趣味でやっているHPから自動投稿させているだけのものだ。
メンヘラ垢に関して:
ここでは辛いとか苦しいとか○○たい(あえて伏せ字)という心の内をとにかく吐き出した。
時には役に立つ言葉や情報をリツイートし、自分の慰めや励みにしていた。
エロ垢に関して:
これはもう勘弁(笑)。本当に恥ずかしい。思い出すだけで○○たくなる(あえて伏せ字)。
とにかくしたくてしたくて(ああ恥ずかしい)、その手のアカウントをフォローしてはリツイート。異性と意味深なDMのやりとりをしては妄想に耽っていた。
ヤフコメ垢に関して:
Yahoo!のコメント欄を読んでいつも面白いと思っていたので、自分も参加してみようと思った。
オレの考えていることをここに書き込むことで、自己表現ができると思ったのだろう。
自分のコメントに関して「そう思う」という人もいれば「そう思わない」人もいるわけで、批判をされることで自分も打たれ強くなると思ったし、また同意してくれる人もいれば「一人じゃないんだ」って思える気がしていた。
厳密に言うと、エロ垢はずいぶん前に消したし、今日消したのはそれ以外すべて。
まず最初に消したエロ垢だが、ある日調子のいいときにそのアカウントにログインしてみたら、自分のTLにボカシなしの性器画像(リツイートした)が並んでいたのでビックリした。
何やってるんだろう、オレ(本当の性別やセクシュアリティに関しては追求しないで下さい 笑)。
DMが何通か来ていて、その中で異性から「ホントに○○○(性器の口語?)が好きなんだね~」と言われ、自分が心底イヤになり、その場でアカウントを削除した。
後で調べると、ソウ状態の時は性的に逸脱することが多いそうで、まさしくその通りではないか!と思った。妄想だけで実行に移さなくて本当によかった。
今こうやって振り返っても死ぬほど恥ずかしい。
ソウの薬が効いてきて、それとともに副作用がひどくなりしばらく悶絶していたが、最近になって副作用も消えた。
頭がぐるぐる回転して、次から次へと考えが浮かぶこともなくなっていた。
ここしばらくは気分もそれほど悪くなかったのだが、この2,3日ワケもなく落ち込んでいた。
不眠のため軽い眠剤をもらっていて、昨夜はそれを倍くらい飲んでいたので、寝起きは最悪だった。
慰めにメンヘラ垢を開いた。
朦朧としていてあまりよく覚えていないのだが、異常なほどの嫌悪感を抱いた。
鍵をかけていたし、取り立てておかしいことも書いていなかったが、「オレ病気~」って威張ってるアカウントが存在しているから自分がダメになるんだと直感し、アカウントを削除した。
病気であることを書くことが悪いんじゃない。自分にとってその病気は病気であって、人格ではないと思っているから。
オレを慰めてくれたり励ましてくれたりした人もいて、その人たちには心から感謝しているけど、自分はここにいたらダメになると思った。その人たちが悪いのではない。お別れを言えなかったのは申し訳ないと思う。
そしてヤフコメ垢のアカウントを開いた。ヤフコメの投稿にリンクしていた。
正直我ながら鋭い視点で芸能界を斬るヤフコメ民だと思い込んでいた。今思えばちゃんちゃらおかしい。
自分はいわゆるネトウヨではなく、ニュートラルな方だと思うが、「これはおかしい」というものがどうしても無視できなくて、それを片っ端から叩いていたように思える。
特に最近海外でも大人気のメタルを歌う女の子3人組がイヤで(本人たちじゃなくコンセプトが)、同じ考えの人の話が聞きたくて何度も疑問視するコメントを書いたけど、ただのアンチと思われたのか逆に叩かれる始末。
(AKBを叩いてもあんまり叩き返してくる人はいないので不思議だなあと思ったけど)
それだけではない。ある番組の批判をすると「見なきゃいいじゃん」とご丁寧に返信してくるお方もいらっしゃり、「はて、これがオレの望んでいた交流か?」とふと気づいたのが今日のこと。
そもそもヤフコメなどに交流を求めていたということが間違いだった。
いや、ヤフコメ民には意図的に悪意のある書き込みをし、それに対する反応を見て楽しんでいるかわいそうな人たちがたくさんいることを、投稿を始める前にわかっていたはずではないか?
(もちろん常識のある方々がたくさんいらっしゃいました。温かい返信もたくさんいただきました)
自分の考えを表現し、打たれ強くなりたい、とは思ったけど、何もここじゃなくてもいい気がする。
即座にすべてのコメントと、リンクしていたツイッターアカウント(ヤフコメ垢)、おまけにそれをまとめていたブログ(!)をすべて削除した。
あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
すっきりした!!!!!
この数か月、オレは一体何をやっていたんだろう。
ベッドに横たわってケータイを握りしめ、腱鞘炎になるほど書き込み&書き込み&書き込み…(エンドレス)
そんな暇があったら仕事くらい探せたんじゃなかろうか。
家族の金でネットやって、罵詈雑言(+えっちなこと)ばかり書き込んで、オレ本当に最低だ。
気づいたんだ。オレやっぱり寂しいんだよ。
社会に少しでも役立って、お金稼いで、少しでも家族に恩返ししたいのに。
自分はかまってちゃんだと重々承知している。でも、いくらコメントしようがツイートしようが、どんなに頑張ったってバーチャルなつながりしかできない。
やはりリアルなつながりを構築しないと、人はダメになると思う。
かといってお金もないのに闇雲に「遊ぼ~」と誘うわけにもいかないし(笑)、やっぱり社会に出て、貢献して、報酬を得て、胸を張れる自分になって、人脈を作って、友達にも会おう。
こういうことに気づけたから、裏垢作りまくって書き込みしまくっていた時間も無駄じゃないのかな(笑)。
昔から使っているTwitterやFBは今後近況報告程度に使おうと思う。アプリやウェブサイトも都度ログアウトしているが、いつまで続くか自分でも楽しみだ。
何か書きたいことがあればまたどこかに書くだろう。でも今はその時期ではないようだ。
誤解を恐れずにいえば、もともと「宗教」に疑問を抱いている立場でした。
ただでさえ触れる機会が少ない上に、
「TVで知った、ちょっといい話」説教を連続して聞く体験に遭遇しました。
残念を通り越して、
「大切な人の死の前で、何をこんな話に有り難がるのか。」
という完全な不信感でした。
「オウム事件で日本人と宗教の関係は50年分後進した」と言われている通り、
事件をきっかけに、多くの日本人は「宗教」を忌避するようになったと感じます。
しかし、世界では宗教に帰依していない人の割合は半分以下、すなわちマイノリティなのです。
宗教について知らないままで、いいのだろうか。
例えば、ISのテロの問題、宗教法人税、トランプ氏の排他的発言…
知らないでは済まないのではないだろうかという思い。
例えば、以前TEDで京都のお坊さんが「日本人の宗教観」について話された際、
『クリスマスを祝い、除夜の鐘を聞き、神社へ初詣をする日本人の宗教観は、
宗教上の問題で争いが絶えない世界に対し、我々の宗教観を発信していく必要性がある』
これらを通して、
車座で三者が談笑してもらいながら相違点を理解したい、と思い、
「へぇ!そうだったのかぁ!?」とトリビア的喜びを感じて欲しい。
先の収録ではお墓に関する相談に対して、
葬儀を盛大に、は元々やらなかった事。
宗教によって違う事や、宗教は違えど同じ事に驚き…楽しかった。
そんな話を、お悩みのお答えと共に繰り広げる…。
https://www.youtube.com/watch?v=8zCMrao66EY
そんなプログラム…是非お楽しみあれ。
ソーシャルゲームのガチャが疑問視されるのとか、それを受けて確率が正確に表示されるとか上限が付くとかいったことは、プレイヤーに有利な方向への変更を求める動きに見える。
そういった批判に対して「重課金廃課金は自己責任だ!かまうな!」と反発する人もいる。
彼らは、なぜ「プレイヤーに有利になる動き」に反発するのだろう。
①実は運営側の人
③ガチャで重課金することそのものが楽しいので変えないで欲しい人
④その他、ガチャが変わることで損なわれる何らかの要素が好きな人
⑤よくわかんねーけど自分のやってるゲームに文句つけられるのは気に食わねーという人
⑥「一部プレイヤーが運営にたくさんお金を入れることによってその他大勢のプレイヤーが品質の高いゲームを無料もしくは非常に安くプレイできる構造なので重課金者や廃課金者がいなくなると困る」と考えている微課金者や無課金者
他にも何か理由があるのだろうか。
この人不機嫌になるとものすごい勢いで人を追い詰めるようなしゃべり方するんだけどこんかいはすごく冷静な話し方だった。
それだけこの話題は中村さんにとってはどうでもいいことだったという可能性も高いけど。
なんか色んなのがエゴサーチに引っかかるから何かと思って掘ったらアラサーちゃんが燃えてたのか。変な誤解されるようなタイミングで風邪ひいちゃったな(笑)
『くどき飯』/『くどかれ飯』の件は版元の初期対応(企画チェックとか新人作家を矢面に立たせっぱなしにしたこととか)疑問視してたら田所潰し峰擁護に読めるように纏められちゃったけど(まぁそう取られやすい条件だから仕方ないけどね)、毎度思うけど初動で版元さんが出てくるのが好手だと思うよ。
私は良識でもって近い市場では予めカブりを避けたい派だけど、トラブルは水面下で交渉派だし(交渉を無化されて事態が悪化したら数ヶ月〜数年様子見て、ネットで明るみにすることもあるけど)『作家同士がやり合うことについて』は、前回にしろ今回にしろ事態収束的にもイメージ的にも悪手だと思う派。
そういう意味では私は、"初期段階で"ネットでこのトラブルを展開するぞ!って決断や感情がどんなか、どういう算段なのか見当もつかないけど(ネットでやっても私の看板に傷がつくだけで勝算見えないから)、ネットでやる作家さんは、やることもやられることも受け入れた上でやってるんじゃないかな。
漫画家の労働条件をネットで打ち明けたことあるからネット討論派に分類されがちだけど、「無茶な労働条件に3年以上耐えて、企業に直接交渉もして、でも労働条件も変わらず、仕事辞めさせてももらえなくて、打つ手ナシで」選んだ手段だから、初動でネットを選ぶことへの理解は追いついてないんだ私は。
だから、今回前回の訴え出た作家さんに限らず、初期からネットで展開していく派の作家さんたちが早い段階でネットで討論する手段を選ぶ理由や気持が正確には分かんなくて妄想だけど、自分が非公式に訴え出ることを選ぶからには、自分が非公式に訴え出られることも、みんな受け入れてるんじゃないかな。
って言うと保身のために峰を切ったか?!って誤読されそうだけど(笑)私は当時から、峰さんの言い分で解るとこにしか触れていないし、ネットで初動を取ることに理解は示して来なかったので、当時の話の復唱みたいなもんです。私に扱い切れない対応方法を紐解いて理解するっていうのは難しいことだよ。
私の言おうとした「まずネット」「最後の手段としてネット」の規模感は、《短くても数ヶ月や半年以上の期間、水面下の交渉を経た上で》ぐらいのスケールなので、この早さでこの手段を取る算段は分からないんです。
私はそういう、トラブルが起きてから半年一年経ってない段階で、(企業との交渉取り付けも一作家が一度連絡したぐらいで二つ返事があるとは思えなかったし実際そうで、カナリ執拗に粘ったので、)短期で部外展開する算段は分からないなー、という性格・認識なので、自分の規模感で考えちゃうんですね。
そうですね、ケースにも因るでしょうしね。私は自分の経験則しかないですから、先述の通り、カナリ執拗に長期戦をやりまして、双方にロクなことがないトラブルは破綻寸前の限界まで外部に出したくなかったので、そういう選択をした、ということです。
こういうのはでも《「トラブルが起きました」「交渉しましょう」「解決しましょう」の一連》に元々どういうイメージ持ってるかっていうのもあるのかな。私は子供の頃に裁判や調停なんかに触れる機会があって、「初交渉の席まで数ヶ月」「何か起きたら抜け出すのに年単位」みたいな認識が強かったかも。
お言葉ですが、『パクり(著作権法違反)』の話題としては今回の件も、前回の件も、乗れませんし、乗る気もありません。
私は「著作権法的に無問題でも近い売り場で主題カブりは嫌だから水面下で避けておく派なのでその範囲から」諸々申し上げます!
頂いたリプライに『パクり』という言葉が用いられていたので、一応こちらの認識(夏からの件について『パクり』という違法性の指摘を孕む言葉を用いることに私は、同意のしようがないこと)も改めて特筆しておこうかな!と。
夏の一件は『パクり』という言葉が法の規範に添い遂げず使われたことが過熱の一因だし、(私は法律家や法務部を通して確実な違法性を担保できない限り、違法性を指摘する可能性のある俗語をお話に持ち込むことは好まないので。手に負えなくなるから。)私はこの話は"被った"話としてしか触れないよ。
(※要検証)
自分が水面下でやってきたやりくり(違法性はなくても被ったらバツ悪いし、近場の市場でやってる作家さんと主題を被せないとか、後で分かったら改題しようと決めてるとか、事前に被りすぎてる先行作はないか検索かけまくるとか、そういうこと。)もあるし、私は被せないほうが無難と考えてるってだけ。
この件については様々なたくさんお叱りを受けていますし、そもそも当事者の片方と面識がある状態で軽はずみにニュースに言及したことも心底悔やんでいます。私のこの、淡々とした文面で認識を説明し続ける態度を反省の不足・謝る気がない・当事者意識の欠如と捉える方が沢山いることも理解していますが
自分が触れた話題がどういう結果に着地してしまったかは、明るい日も他の話の時も心中でずっと憶えています。私の態度はお気に召して頂けるものでは無いと思いますが、多くの皆さんの「私に対して仰りたいこと」「私に思い知らせたいこと」は重々理解しております。ご意見ご静聴共に有難うございます
これが今回はさすがに逆ギレしたらまずいとか計算しての振る舞いだったらがっかりだけど多分そういうわけじゃなく普通に興味なさそう。