はてなキーワード: 番手とは
id:BigHopeClasic です。
ホッテントリ入りした以下の記事は、両角友佑というカーラーの知性を示すものとして、さらに幅広く読まれてほしいと思います。
両角友佑が語るカーリング界のリアル「今の強化方法には限界がきている」
https://pyeongchang.yahoo.co.jp/column/detail/201802250010-spnavi
ただ、この記事を読む上で注意しなければならないのは、「両角とSC軽井沢の利害」と「日本カーリング界の利害」が微妙な重なり方をしていて、その切り分けを読む側が慎重にしなければならないというところにあります。この2つの利害は、かなりオーバーラップしているのですが、しかし完全に同一ではなく、そこを見誤ると、過度に両角とSC軽井沢に平衡を傾けてしまうことになります。そのことについて、補助線を引いてみたく書きました。
ブックマークコメントを読むと、多くの方が今年の日本選手権の開催日程と世界選手権の代表選考に疑問を感じたようです。このインタビューだけを読めば無理もないと思います。しかしこれが、非合理的で理不尽な決定なのかというと、むしろこれはかえって優れて合理的な選択なのです’(ただし、最後に書きますが「合理的に過ぎた」面が出てしまいました)。
私はカーリングについては素人なのですが、素人なりに日本カーリング協会(JCA)の運営に思うところがないわけではありません。高田明会長が関与していたらずいぶん違うだろうな、などということを夢想する程度には、コンテンツの魅力をフルに活用しきれていないとは思います。が、理想とは程遠く至らないところもありながら、少なくとも非競技者の目から見ては、決定的に落第の運営とまでは思っていません(知り得る情報が少なすぎるということはあります)。
で、日本選手権の日程と世界選手権の代表選考に関する話になります。過去3回の五輪年の日本選手権は、2006年、2010年、2014年と五輪後の熱が冷めやらぬ3月上旬に開催されており、五輪代表がそのまま参加していました(世界選手権の代表選考については、年によって異なります)。それをなぜ今回「五輪前に日本選手権を開催し、そこに五輪代表を参加させない」かたちに変えたのか。
まず、五輪代表と世界選手権代表が異なることについては、今年の場合でも決して珍しくはなく、むしろ例を多く見ます。次に、五輪の前に国内選手権を開催し、五輪代表をそこに参加させないという例については、カナダがその方式を採用しました。カナダは昨年12月に五輪代表選考会を行って、五輪代表チームは五輪に集中させカナダ選手権への出場を免除、カナダ選手権を五輪直前の1月末から2月に開催し、その優勝チームを世界選手権に派遣します。したがって、他にも例がある、という点では、異なことをしているわけではない、ということになります。
もちろん、世界一のカーリング大国であるカナダの猿真似だからいいのだ、という単純な話でもありません。五輪代表と世界選手権代表を分ける、という点には「より多くのチームに世界最高レベルの大会の経験を積ませる」という意味があり、日本選手権の開催時期を前倒しにするのは、「世界選手権への参加の準備に十分な時間をかける」という意味があります。
カーリングの世界選手権は毎年3月下旬に開催されますが、開催年によってその意味が全く異なります。具体的には、五輪出場権を争う「五輪前年と前前年の大会」と、それがかからない「五輪開催年とその翌年」にわかれます。前者は、その時点で国内最強のチームを派遣して、しゃにむに五輪の参加権を勝ち取りに行く大会です。他方後者は、名誉と実績という点を除けば「強化のために消費できる」大会です。国内2番手以下のチームを派遣するタイミングとしてはベストです。
そうは言っても、その世界選手権の代表選考会に五輪代表チームがいれば、そこはそれなりの確率で五輪代表チームが勝ちます。もちろん五輪代表チームを除く最上位チームを派遣する、でも構わないのですが、それはそれで差し障りもありそうです。また、五輪代表チームを除いてできた日本選手権の出場1枠を他のチームに割り振る、というのも、強化の点では意味があります。なにより、3月上旬に開催して優勝して、さあ半月後に世界選手権開催地のカナダやアメリカやヨーロッパに行ってください、となっても、みんなアマチュアですからね、そう簡単にスケジュールの都合がつくわけでもありません。五輪代表チームを除いても有力チームは準備もできるかもしれませんが、そこは一発勝負、伏兵が勝つ可能性だってあります。
というわけで、この判断自体は極めて合理的なもので、異論を挟む余地は本来ありません。あえて難じるとすれば、合理的に過ぎたことでしょうか。
今回の盛り上がり方は、単純に男女が両方出場して、かつ成績を上げて露出が増えた、という要素以上のものがありました。現場を取材する記者の記事が良質化し、それがSNSで強力に拡散する、という点がそれを強力に後押しし、より本質的な情報が多くの人に届けられたといえるでしょう。
その効果として、まさに今、このタイミングで、国内でのSC軽井沢の試合の機会を作ることは、パブリシティという観点からはこれ以上のものはなく、その機会をみすみす喪失しているように見えるからです。
さて、ここで、現状分配しうるすべてのリソースをSC軽井沢に集中させていいのか、という、悩ましい、正解の見えない問題が発生します。
今このタイミングで国内での露出機会があったとき、その果実のほとんどはSC軽井沢が持っていくことになります。それは、来季以降の活動が今の段階では確定的ではないというSC軽井沢にとっては、この上もない利益となるでしょう(2006年、2010年の日本選手権で、3位の常呂中学校(robins)、2位の常呂高校(WINS)がメディアの注目を集めた、という事実はあります。しかしそれは、彼女たちのプレイレベルと残した結果に加えて、彼女たちが女子中学生、女子高校生だったという付加的な価値も大きく寄与していました)。
誤解を避けるために言うと、両角が自己の利益だけを目的にこの発言をしたとは、私は毛の先ほども考えていません。彼は心底日本のカーリングの全体利益を考えてこの発言をしているのであり、そして言っている内容は正しいと思っています。ただ、悩ましいのは、この問題、正解が一つではなく、そしてその較量が難しいということで、そのことを心に留めないといけないということです。
部外者が立ち入れるのはここまでになります。日本選手権がない代わりに、3月14日から18日まで、青森市では日本ミックスダブルスカーリング選手権が行われます。今回の五輪から始まったこの種目、残念ながら日本は国際実績が足りず出場を逃しましたが、次の北京五輪への出場を目指して強化に入っています。この大会には、各地の予選を勝ち上がってきたペアのほか、強化委員会の推薦指定枠で日本代表から両角友佑ー吉田夕梨花、山口剛史ー藤沢五月、清水徹郎ー吉田知那美の3ペアが出場します。
推薦指定枠は昨年から導入され、早速初回で阿部晋也-小笠原歩組が優勝しています。即席の代表ペアと勝ち上がってきたペアのどちらが上に行くか、それも含めて興味深いところです。
ネットで言い合ってるヤツラは、根本的に言えばただの好き嫌いや自分がイヤな思いした事が理由なのに、
「世論が」「世間が」「人道的に」「善良なファンが」「悪質な厨が」「差別に繋がるから」「反日だから」とか付けて自分ではなく大多数の意見を演じてんじゃねえよ。
はっきりと言え、「俺が嫌いだから滅んで欲しい、というか滅ぼすためにアンチしてる」「俺が好きなものを理解できないクズ共に素晴らしさを教えてやってる」ってな。
自分が正しい自信無いから、尾びれだの衣だの付けてそれらしく言いやがって。
虎の威を借るなんとやらだよお前たちは。
オタク死ね、男滅べ、デブ消えろ、チビ殺したい、たけのこ販停しろ、作者死ね、某社潰れろ、はてなキモい、ツイッタークソ、ニコニコ閉鎖頼む、2(5)ちゃん潰れて。
いいんだよ、そう言えば。「俺が嫌だから」は立派な理由なんだから。
というかもう言い合うのじゃアレだし殺し合ってくれ。
一番手っ取り早くて簡単な解決法だよ。互いに住所教え合うだのして殺し合え。
殺されたほうが悪、殺したほうが正義ってな感じでヨロシク。
面倒くさいんだよ、なにもかもが。
(追記しました)
横だけど私は若い頃、自分に無駄に自信がありすぎてダメ男に気づくのが遅れるきらいがあったw
普通の人なら即切り必至の酷い暴言を吐きかけられても、なんか気のせいだったかな?みたいに思って思考停止してたというか。
自分は蝶よ花よと愛されまくっているという認知の歪みが強固に出来上がってた。
昔痩せてた人がいつのまにかブクブクに太っていた事に気付かなくて、ズボンがピチピチになっても私痩せてるから~とか言って気付いていない、現実見れてない、というのに近いかもしれない。
散々虐められて酷い目に遭わされてるのに何時までも愛されてる自分・愛されてしかるべき自分、というセルフイメージを手離せないでいた。
現実は、そんなに大切にして特する価値なんか一切持たない女だったから、家族からも知り合いからも彼氏からもゴミ扱いされてたんだけど、それが不思議と自分の目には見えていなかった。今思えばあからさまに袖にされてたし、兄弟や友人()達などとは一目見てわかるほどに差をつけられて冷遇されてたのに。
本当は兄弟間でも友人間でも恋愛関係でもいつも三番手四番手以下の保険的存在だったのに。
でもどんなに蹴っても幸せそうにしてたから、私はとても利用しやすい奴だったろうなと思う。
当時の私は自分愛され神話の他にもう一つの傲慢さを持っていて、それは、私が好きになった相手は皆私と同じかそれ以上には心の優しい親切で誠実な人達に違いないと思ってたという事。
だから例えば自分の彼氏がいつも女をゴミ扱いして取っ替え引っ替えしてばかりいる人だって、そういう兆候があったり人づてに聴かされたりしても、右から左に受け流してそんなことは知らなかった事にしてた。
とにかく幸せな妄想ワールドを生きていたという感じでありつつ、だけれどもいつも訳のわからない不快感ばかり募って苛々していたが、原因が自分ではさっぱりわからずにいた。
【追記】
どうしてそんな状態から立ち直れたのか?というブコメをされましたが、単に自分のATフィールドの強度を超えるトラブルに見舞われて痛さのあまりに我にかえったただけの事だと思います。
あ、「どうして」じゃなくて「何処で」立ち直ったのか?でしたね。
転機は何度かあったのですが、一番効いたのは二十歳位の頃に親友との関係でトラブルを起こした事です。親友本人はいいよいいよ気にしてないよ~♪と言っていましたが、第三者から「お前のせいで優秀な親友さんの可能性が潰されてしまう。お前の様な邪悪な寄生虫は死になさい」と面と向かって言われてしまった事です。
何故そんなにも強烈な言葉をぶつけられる事になったのかというと、当時私は親友と二個イチで行動していたのですが、自信満々に振る舞うが無能で容姿も悪い私と、色々な才能を持ち見た目も可愛いけれど極度に自信無さそうに振る舞う親友、という絵面が、他人の目には私が一方的に親友を虐め支配しているようにしか見えなかったからでした。
それに実際のところ私は自分の思い上がりから私達に近付いて来た人は私に用があるのかと思い込んで、その様に対応していましたし、才能溢れる親友を常に羨んでいたのも事実です。
第三者から罵倒をされて初めて、私は親友を虐めていたのか?という疑問を持ち、自分の中の「自分優しくて気のいい人間である」神話が崩壊し、私達に近付いて来る人の皆が私に用はなく、私はただひたすら邪魔なだけだったという事に気付いたのです。
(しかしそんな強烈なトラブルを起こして後も、妄想上の自分と現実の自分が解離してるせいで何度もトラブルを起こしたのですが。)
あとは漫画や小説など創作物などの影響とか。それとブログやTwitterで自分の事を書いた(そして馬鹿だの幼稚だのとリプライされまくった)のが運の尽きもとい考えを改める切っ掛けになったんじゃないかと思います。
横だけど父親の件に関して思ったんだが、これ女性差別は関係してなくもないけど切り分けた方がいい問題なのかなって思う。
というのも、性犯罪被害じゃなくっても親は痛い思いした子供に罵声あびせがちだから。
いや、親だけじゃないな。何かの被害者に近しい人が被害者に対して最も辛辣な言葉を投げつけるというのはあるある。
私の周りだとむしろ「大丈夫?」など素直に心配やいたわりの声かけを一番にする人の方が珍しいくらい。
多くの人は被害者の落ち度を詰る。
人間というのは、他人に弱り目に祟り目ってな仕打ちをしたい願望を生まれつき持ってるんじゃないか?というのはさすがに穿ち過ぎかな。
思うに、身近な誰かに何か災難がふりかかったせいで自分の穏やかな日常をぶち壊されたストレスを、一番手近な弱者、すなわち被害者本人に当たり散らす。そういう風にして心のバランスを取ろうとしているのだろう。
オタク歴も同人誌読者歴も20年くらいだし、ツイッター歴も長い私は、最近ようやく自分でも小説同人誌を出した。
といっても、これまでもweb日記を書いていたり、前ジャンルでは1年くらいだけど偽名でpixivに小説をポツポツあげてた。
でも今回は、イベントに出る時にちょっとくらい知り合いとか欲しかったので、小説書き用の名前でツイッターのアカウントを取った。
同ジャンルの人と交流したり、好きな書き手さん・描き手さんに感想を伝えて(これは読み専時代からやってるけど)認識されたり、読み専さんの突然の連投妄想に激しく同意したり、オフ会に出たり…と楽しくやっている。
作家さんに感想を伝えるのは緊張するけど、萌えの創造神達が迷いや不安に惑う時、少しでも負担を排除する要因になれればと思うから送る。もちろん、仕事のメールよりも100倍は気を使って、けれど興奮した気持ちだけは伝わるよう、最新の注意を払ってる。(結果、好きです…とかで終わる事もあるけど)
オフ会だって楽しい。好きなカプの話やプレイの話を、同じようにソレが好きな人とできるのだ。最高に楽しい。
…と思ってるんだけど。
pixivさえチェックしていれば、作品や同人誌情報は入ってきたから、ツイッターはリアル友達としか使ってなかったのだ。いや、中にはサークルしてる子もいるけど、二次創作界隈の話は流れて来なかったのだ。
だから今、すごくびっくりしている。
…あまりにも「二次創作小説が無価値なんて言うヤツは理解できない!小説はエロくていいぞ!あたしは大好き!」みたいなバズったツイートが複数流れてきすぎる。
もちろん私のTLに小説を否定する人はいない。とはいえ、同カプの絵描きさんで、字書きをひとりもフォローしていない人は何人もいる。でもまぁ、一般書籍を含め「小説を読まない人」なんて珍しくもないから、その方の神作品に心を込めてふぁぼを送る程度だ。神との距離は、本来これが適切だと思っているので特に気にしてない。ブロックさえされなければいい、見れればいい。
字書きdisったRTを見た字書きさん達が落ち込んで、過去の闇を吐き出したり、そんな事言う人ムカつく!と怒ったり。それを慰めて怒る絵描きや読み専の、一連のわちゃわちゃが、なんかすごく嫌だ。
大前提として、本人に聞こえる悪口はアウトだ。それは社会で生きる人間として当たり前のマナーだ。
それを踏まえた上で、
②擁護ツイートのいくつかは、小説の価値はエロだけだと暗に断言している事
③字書きのすり寄りが嫌い説が雑い事
コレが気になりすぎてヤバい。思わず語彙力も消し飛ぶくらいやばい。
①
街の人々が直近1年で、娯楽のために読んだ小説が平均何冊かご存知だろうか。
プロ作家ですら読まれない「小説」というものの、それも素人が書いたものを読まない事に、何故腹をたてるのだろうか?
世の中には様々な人が存在する。クラシックを聴かない人、運動しない人、オリンピックを見ない人、声優に興味がない人、オタクじゃない人。二次創作小説を読まない人も、普通にいるだろう。私だって、男女カプの同人誌や少女漫画は読まない。…なんだか気恥ずかしいんだ…もちろんdisったりはしないよ!
そういう娯楽についての嗜好は、誰かにただされる必要はないのでは?
漫画だって、下手なら読まれないし、変態レベルの高いエロだと嫌いな人もいるし、片想い止まりは読まない人はいる。読む人が何を読みたいかは、読む人の自由なのだ。
②
小説同人のエロ最高説で反論されても、エロの無い小説は??と思ってしまう。
感動する話やカップリング要素のない話に価値はないのだろうか。
私自身、二次創作小説はエロとギャグと、渾身のガチ考察ifルート感動系など、何でもかんでも読むし買う。エロのある本だとニッコリ笑顔になるので、エロはあるほうが嬉しい。けれど、小説にはその価値しかないと暗に言われてしまうのは、とても残念だ。
バズった擁護ツイートへの感想なので、前後にはなんらかのフォローがあったのかもしれないけど。重要なのは、バズってる(=皆が同意・注目した)のはソコだけ、という物理的な事実なのだ。
まぁこのあたりも、「世の中にはエロ必須な人もいる」という前述の現実で解決するんだけど。小説擁護の旗としては、あまりにも悲しい物だったなと思った。
③
字書きが他人と交流すると、それはすり寄りになるのか?このあたりの同人界隈作法は、初心者の私にはよくわからないので、誰か解説してほしい。
絵描きさん同士ですり寄りは存在しないのだろうか?というより、すり寄りって何?仲良くなったらダメなの??
コスプレ界隈のすり寄りなら、その人と並ぶと注目されるとかROMがどうとかあるのは想像できる。けれど、個人で作品を作る二次創作界隈において、他人と仲良くなる事に「楽しい」以外のメリットがあるのだろうか…?
合同誌や表紙挿絵など??嫌なら断ればいいのでは…?依頼もウザいってこと??
私にはよくわからない。少なくとも今、字書きさんとも絵描きさんとも読み専さんとも交流してるけど、仲良くなりたいのは性癖かノリが同じ人だけだ。共に推しカプをチュッチュペロペロして男ふたりの未来に乾杯したい人だけだ。皆それが目的で交流してるんじゃないの??
これについては、自分が何らかのタブーを犯してしまう前に、界隈のマナーみたいな物は学びたいと思っている。
バズった罵倒を参考にしようとしたけど、ゼロ距離タメ語がどうとかリクエストがどうとか、字書きに限らずオタクとして犯してはならない常識ばかりだったので参考にならない。『字書き=すり寄り』って何なの??
交流なんか、個人同士のやりとりなんだ。外野がとやかく言うべきではない。
そして、小説書きにそういう奴しかいない!と嘆くなら、絵描きにそういう奴はいないのか、そもそも小説書き何人と絵描き何人の割合で判断したのか、その年齢分布数などもあわせて出してほしい。それも無く「字書きに多いすり寄り系、嫌いだわ」だけ言われても、そこに自分が含まれているのか、含まれる含まれないの明確な境界は何かわからず、ただただ落ち込むだけである。
他人に牙を剥くなら、それ相応の準備をすべきだ。殺すならしっかり殺してくれ。貴様が気楽に握ったその曖昧なナイフは、すでに他人に向けられているのだ。それ相応の覚悟で突き立ててほしい。
けれど、これと似た台詞は、たくさん投げつけられてきた。
最近の若者はなっとらん。
私の人生でいくつも見かけてきた、なんだか乱暴なdisの数々だ。
狭い世界で生きている人間が、1人や2人から与えられた数少ない体験を、さも世の理かのように語る。井の中の蛙じゃないか。愚か者め、恥を知れ。
一連のRTでモヤモヤした事を書き出してみたので、だから何とかは無い。けれど、140文字で呟くには、あまりにとモヤモヤが大きすぎたので、この場を借りた。
「長い」
それは…まぁ、…すいません。
長いよね…うん。
でも短いと伝えきれない事がある、だから今回は、長い事は必要な事だったんだ…。
でもまぁ、とにかく。
二次創作界隈の「字書きdisと、それに対する怒りと擁護」には、なんだかちょっぴりうんざりしている、この気持ちだけは無かった事に出来なかった。
それに触れてツイートする事で、それを知らない人がどんどん嫌な気持ちをおすそ分けされているんだ。今の私のように。どうせ腹の立つ思想と戦うなら、もっと本気で戦おうよ。
悪い感情を否定するのに、悪い感情を返すだけだと意味がないんだよ。
もしそうやって戦うのが難しいのなら、せめて落ち込んだTLの空気を一新すべく、何か楽しい話題を連投しよう。無理ならちんちんの話でもしよう。
腹の立つ思想のやつもいるだろう。けど、そいつに引き摺られて、怒りを撒き散らしても何のメリットもないんだわ。
私はTLでは、絶対にこの話題には触れない。匂わせもしたくない。何度もやりかけたけど、あれ以上空気を濁したくないからやめた。
そういう話題が流れて空気が重くなった時こそ、楽しい話をするのだ。腹立つ奴をぶん殴るには、それが一番手っ取り早い。相手にしない事だ。
私は、嫌な思想を引き摺って撒き散らすだけの人間には体験できない愉快なTLで、同じ性癖の人たちと、おもしろおかしく暮らしていくつもりだ。
はじめに、これは私の醜い心の内を整理する為に書くものだと明記しておきます。
今日、2年描いた自ジャンルから撤退して、推しカプを描くのをやめることにした。
私は同人活動をしている。インターネットでぽちぽちサイトをつくって遊び出してから、同人誌を制作している今までを含めて大体10年ぐらい。カウンター機能やアクセス追跡機能をつけてもアクセスしているのは自分だけ、という時代を経て、ピクシブで小説なり漫画なり描けば、ランカーとまではいかなくても、タイミングが良ければランキングに載るレベルの評価を貰えるようになった。
私が今日まで描いていた自ジャンルは、オリジナルアニメ作品で、規模としてはかなり大きい。その上、その作品のカップリングの中でも、二番手人気のカプにハマったので、書き手も読み手もかなり人口が多かった。特に、初期は書き手も少なめだったので、その頃ピクシブに投稿された人気作品には、10000単位でブックマークがつくほどだった。
私の漫画にも、10000以上のブックマークがついた。そのカプにハマってから初めて描いた長編漫画だったので、思い入れを込めて描いたものだった。そこから、フォロワーが2000人ぐらい増えた。それ以降、私がピクシブに投稿した作品は、必ず1000以上のブックマークがついた。
もちろん、ジャンル効果なのは分かっていた。漫画が評価されたけれど、私は決して絵が上手いわけではない。元々小説を書いていたから、ある程度ストーリーをつくり慣れていただけで、褒めていただけるのは話の内容が殆どだ。更に、その頃の推しカプ作品では10000ブックマーク越えなんてざらにあったので、今改めて当時の投稿者たちにランクをつけたとしたなら、私は中の下ぐらいだろうなというのが本当のところだった。
実際、イベントに出たところで、新刊は売れてもせいぜい100冊。他の参加者が新刊完売と嬉しそうにツイッターで報告する中で、私が新刊を完売したことは一度だけ、それも100冊だ。
そう分かっていたけれど、それでも、嬉しかった。
元々同人活動よりも早く、インターネットで作品を投稿するばかりだったので、お金を払って本を買ってもらうよりも、私は、自分の作品を読んでほしかったのだ。読んで、ブックマークしてもらって、タグ付けでもコメントでもメッセージでもツイッターにリンクを共有して一言添えるでも何でもいい、出来れば感想が欲しかった。
それが、自ジャンルに来て変わった。私の作品を好きだとメッセージをくれる人がいれば、イベントで面識もない私の為に手紙を書いてきてくれる人がいて、更にはメッセージで「翻訳する為に転載させてほしい」と拙い日本語で断りを入れてくる人もいた(これに関しては二次創作、腐向けなのもあり、丁重にお断りしたが)。
私の、私の為でしかなかった作品を、好きな人が沢山いる。おそろしい喜びだった。私の、推しカプに対する熱を表現する為の作品づくりは、いつからか、その人たちの目を気にし始めた。
ツイッターの存在もそれに拍車をかけた。ツイッター上には、推しカプの絵を日々量産しては、1000RT、10000RTを稼ぐような人たちがかなりの数いた。更に、ピクシブで人気のある投稿者は、おおむね1000人以上のフォロワーがいた。
しかし、私にはそれがなかった。元々、ツイッターであまり呟かない性格だし、上記の理由で、絵も全くと言っていいほどに描かない。ツイッターに上げた10RT程度の漫画が、ピクシブに上げた途端1000ブックマークつく、というのが私だった。
羨ましくて、絵を描く用のアカウントをつくって、そこで毎日むりやり描いたが、100RT程度が限界だったので、打ち止めた。
そんなふうに数字を気にしているうちに、周囲に敵対心までもがわき始めていた。
くわえて、推しカプはアニメ(原作設定)で現代に生きる兄弟なのだが、パロディというか、パラレル設定も多い。アイドル設定もあれば、妖怪設定もある。更に、アニメが終わってからは、アプリゲームのパラレル設定からしか供給がなかったので、溢れるほど派生がある。
けれども、私は、原作である本来の兄弟の推しカプ以外、何一つ萌えなかったので、兄弟の推しカプを永遠と描いてきた。しかし、書き手が多ければ似たような話が増えるのも仕方なく、そのうちに、推しカプ内ではパラレル設定が次から次へと流行り、もてはやされるようになった。
敵対心というよりは、山月記風に言えば、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」というやつなのかもしれない。好きな書き手がいても、自分より評価されているのが――それも自分の好きではないパラレル設定で――が悔しく、また、ツイッターでフォローしても他の人のようにフォローバックしてもらえないのが恥ずかしく、私はとうとう、ピクシブで絵を描く他の人の作品を見れなくなっていった。
そうなると、自然、イベントに参加しても、ほとんど交流することがない。数少ない仲良くしている人がその場にいなければ、もう、ずっとスペースに座っている他ないのだ。
それも、盛り上がっている初期の頃ならよかったのだろうけれど、アニメが落ち着いてからは、目に見えて右肩下がりだった。同人誌が売れない。差し入れが減って、手紙どころか、ピクシブでメッセージも貰うことはない。私を好きな人と交流したくて、ツイッター上で自家通販をしたけれど、申し込んでくれた3人中2人に連絡なくキャンセルされた。新刊の告知ページに、コメントはつかない。私の本の通販の有無なんて、もう誰も気にしていないのだ。
描く意味があるのだろうか、と思ったことがショックだった。描き始めたはじまりは、間違いなく、私がこのアニメを好きで、このカプが好きだ!と思ったから、描いたはずだったのに。いつからか、人に褒めてもらう為に描いていた。作品ではなく、私を見てほしくて描いていたのだ。
私の本を買いに来てくれる人がいる。本を買ったあとから、以前に出したこの本が好きでした、と直接一言くれる人がいる。
でも、私は、それでは足りなかった。ごめんなさい。
WEB拍手やask、質問箱、いろんなツールが流行したけれど、そのどれもに手を出さなかった。同人誌の奥付にもつけたことはない。手を出すべきだったんだろうか。私も、他の人みたいにツイッター上で返事をしてみたかったけど、もし誰もメッセージをくれなかったら、どうしたらいいんだろう。
自ジャンルが好きだ。推しカプが好きだ。自分の描く推しカプの話が好きだ。でも、そんな気持ちで描き続けて、疲れてしまった。だから、今日でおしまいにする。
同人自体はどうせ辞められないけれども、次に何か描くのはまた気が向いたらにする。そうじゃないと、いつか誰かにとんでもない迷惑をかけるような気がするので。
あっためて良くなるのとひえてよくなるのの2つがあるよ
眼精疲労や肩こり(この2つは繋がってる場合が多い)もあるし、熱や偏頭痛とか種類は色々
頭の皮が痛い時もあるよね。神経痛みたいな。これは自分もどう治したらいいのかわからなくて困ってるよ。
まあ、なんだ、薬に頼るのが一番手っ取り早いよね
自分は頭痛と人生を歩んできたから、最近は温めれば楽になるのか冷やせば楽になるのかだんだんわかってきたよ。それでも万全じゃないけどね
薬に頼るのが嫌なら2錠のところを1錠にして飲めばいいよ。それで聞けば万々歳だし、いざという時に容量通り飲んでばっちりきくようにもなるだろうし。
への反応を見ていると、文系の就活は不毛だってコメントが目立つ。
だけど、実際に社会で働く上で必要な能力って折衝や誠実さ、計画性の高さや実行力だったりして、
それらをアピールするには自発的にコネを作って気に入られるってのが一番手っ取り早い気がする。
自分も理系だけど、学んでいた専攻の知識以外の上述の「人間力」的な面が一番必要だと思うし、
知識はあっても絶望的にコミュ力(大学でのウエーイの類とは違うよ)が無くて仕事ができない人なんて少なくない。
専攻について言えば、量子力学が専攻でも化学系の品質管理で働いていたり、
機械工学出身でも金融だったりで、専攻知識の深さよりも、新しい分野でも学習する意欲だったり、
研究系でない限りは、大学院時代にゆるい研究室に所属してきて高専生より知識がない連中でも、就職してから頑張れば間に合うことの方が多い。
多分はてなはIT系が多いから、プログラムなどで自身のポートフォリオが組みやすく、
ある程度客観的な能力を証明しやすいが故にそういう意見が多いのだろうけど、
そうではない人たちの能力の証明をどうするべきだというのだろうか?
個人的には今の就職活動なんてのはヤル気さえ見せていれば内定がもらえるくらい簡単だと思っている。
細ーく、長ーく、ゆるーく、ヅカオタをやってる者だけど、昨今のニュースを見てジャニオタって大変そうだなと思ったことをつらつら書いていく。ジャニーズは全くの専門外なので、的外れなこともあるかもだけど大目に見てくれ。
・結婚という試練
宝塚は未婚の女性で構成される集団なので、贔屓(ジャニーズ界隈だと"推し"って言うのかな?)が結婚するという地獄を見ることがない。結婚する人は宝塚を退団しなければならない。これは絶対の掟だ。
しかし、AKBのように恋愛禁止といった規則はないので、お付き合いする自由はある。美しきタカラジェンヌたちに、彼氏がいたって何の不思議もないがバレることはほぼない。何せ、宝塚はニッチな世界だから、人気のジャニーズタレントのようにパパラッチに追いかけ回されて「交際発覚!!!」なんていうスクープとは無縁だ。
・目標が明確
宝塚の世界観はすごくシンプルだ。タカラジェンヌはトップスターという頂点を目指し、ファンはそれを応援する。目標が単純明確であるが故に、スターとファンの方向性が一致しやすい。AKBだと、総選挙の1位になるというのがこれに当たるのかな。
贔屓が三番手スターになり、二番手スターになり、だんだんと段階を経て、最後にトップスターとしてでっかいでっかい羽根を背負った姿を見た日にはファンは感涙にむせぶ。分かりやすいカタルシスである。
ジャニーズにもそういった目標ってあるのだろうか?でっかいドームでコンサートをするとか、ドラマや映画の主演とかになるのかなぁ。個人の仕事が上手くいっても、グループが活動休止や解散になってしまったら辛いだろうし、その辺のバランスが難しそう。
・終わりが明確
色々書いたけど、これが一番かな。宝塚にはご存じの通り(?)、「卒業」というシステムがある。ごく一部の例外を除き、全てのタカラジェンヌたちはいつか宝塚を旅立つ。贔屓の卒業という全てのヅカオタに訪れるXデー。全てはこの日のためにあったのだと言っていい、オタ活動の最高潮。夢に終わりが来るのは辛いが、終わりがあるからこそ熱狂できるというか。
そうした終わりがないジャニーズって大変だ。ずっと好きで居続けるってとても難しいことだ。
さて、ここまでジャニオタの大変そう(に見える)なことを書いてきたが、最後に、他の界隈のオタでは体験しないであろうヅカオタならではの地獄を挙げてみよう。
宝塚を卒業された男役さんの女性姿に戻るのを受け入れられないっていうのはヅカオタの間では珍しくない話ではあるが、スターさんは卒業が決まると、たーーーっぷりと最後の花道が用意され、ファンは精根(と金が)尽き果て成仏しやすい環境にはなっている。
しかし在団中に男役から娘役に転向した場合、そうしたフォローが一切ないのが恐ろしい。何の前触れもなくある日、突然「○○○○は娘役に転向いたしますので、お知らせいたします」などというニュースが公式サイトにぶっこまれるのである。え、ちょっと待ってあれが○○さんの最後の男役姿だったの!?なんて嘆いても時は既に遅し。次の公演から、あのカッコよかった男役さんは髪をのばしスカートを履き、男役さんをうっとりと見つめる娘役さんになるのである。
まぁ、娘役への転向ってファンもそれ程ついていない下級生時代の場合がほとんどで、男役として長年確立している人が娘役にっていうのはあんまりないんだが。でもそうなった時の衝撃ってすごい。応援してるアイドルの性別が変わるってやばい(いや、宝塚は全員女性だけれども)。
#Me tooなんて騒がれてる世の中に、こんな話を書くのもどうかと思うが
都内の婚活パーティ行きまくった俺からの個人的なアドバイス。参考になれば幸いです。
男性はたいてい5000円とか取られるのは仕方ない。ここはケチらないほうがいい。
だけど女性料金は1000円や1500円程度のパーティが一番手ごたえがよかった。
無料のほうは飯食いに来てるだけの子がいる。貧困調査にはなる。
女性も高い値段を平等に取っている所は切羽つまって殺気立っている女性ばかりなのでおすすめはしない。
これは絶対。この辺りは婚活絶望地帯。特に新宿には都庁前を中心にパーティ会場いくつもあるが、絶対におすすめはしない。
有名なデニーズもあるのでかわいい子と何かあったら警戒したほうがいい。
また、これらの地域にはおいしいラーメン屋さんがいくつもあるので
男は婚活失敗→ラーメンという負のルーティンに支配されていることが多い。
平日休みのショップ店員などを狙い行ったことがあるが、平日休みのかわいい子は
そもそもかっこいいお客さんやほかの店員同士で既に同棲ないし結婚してる。
あとは想像を絶する女性が想像を絶する男性と対になっていくのを眺めながら有給が霧散した。
これは街コンでもそうなんだけど、おいしい居酒屋の間借りで、料理はそのお店のものじゃないことが結構ある。
俺たちは飯を食いに行ってるんじゃない。将来の妻となる女性を狩りに行ってるんだ。飯を目当てに婚活をするな。
それに肝心の女性陣も飯がマズ過ぎて女性陣の機嫌が悪くなっていることが多い。
兵糧の重要性をなぜ孫氏が説いたのかわかった気がした。
これは俺の運が良くなかっただけなのかもしれないけど、遅い時間にパーティ行きたいなら
20人とか30人以上でお酒飲みながらワイワイ入り乱れてるやつに行けばいい。
10人以下のタイプに行くと人数が揃わない会場からの寄せ集めで編成されていることもある。
だからアニメ好きの男性vsハイスペックを求める女性が遭遇する。シンプルに地獄。
と俺のナレッジをここで伝えておく。
俺はもう北のロケットマンのようになっている。
さみしい…さみしいよう…
以前もこのタイトルで書いたと思う。好きになって付き合った女の子がビッチだった。もしこのビッチちゃんについて気になる人がいれば探してみて欲しい。。
とりあえず何かを吐き出したくてたまらない、今。オチもないし、つまらないし適当に流して馬鹿にしてくれ。
付き合って約2ヶ月弱、振り回されることもいろいろあったけど、話も合うし、とても楽しかった。
先日、彼女と一緒に飲んでいた。よく分からない大衆居酒屋で、大ジョッキのハイボールをお互い飲みながらゲラゲラ笑ってた。
大ジョッキ3杯くらい飲んだと思う。彼女がいつもより結構酔っ払っていた。自分の方が普段は酔いやすいから、いつもと逆の立場になったみたいでウキウキしてた。
何の脈絡でそうなったか覚えていないが、昔好きだった人の話がでてきた。
ぼそっと呟くようにしてたから詳細は分からないし、深くも聞けなかった。
ビッチなエピソード(大学の語学で何人食ったとか、同級生と何人ヤッたとか)は聞いたことがあったが、好きな人の話はよくよく考えたら聞いたことがなかった。
「1年から3年までずっと好きだった」「料理もよく作りに行ったんだけどなぁ」「どうしようもないから満たしてくれるだけの関係で、その人は振り向かないからいろんな人にこんな安売りする女になった」
過去は過去、あまり気にしないタイプだったのになんだかもやもやしてしまった。多分、妙なリアリティを感じてしまったからだと思う。
その後、こんなことも言っていた。
怒りとも悲しみとも嫉妬ともなんとも言えない感情が沸き起こってきた。ただただ辛かった。
それで、糞ビッチと罵ることができれば、怒りに任せることができれば、すんなりと決別もできたのだと思う。けど、できなかった。
よくダメンズに引っ掛かる女子っていうのをテレビや雑誌で見たことあったけど、今は自分がまさにそれ。浮気性の男なんて別れればいいじゃん、バカじゃないのって思ってたらまさに自分がそれだったオチ。バカだね、自分。
今ならダメンズに引っ掛かる女子の気持ちがよく分かる。それでも相手が好きなのだから。
多分、そのヤッたという人は、料理をよく作りに行った彼のことで、彼女はきっとまだ彼のことが好きなのだと思う。
ただ彼女は自分と付き合って、安売りするようなことはやめたらしい。その1人の人を除いて。
もうそういうことはやらない?と聞いた所、分からないと返事がきた。
もうしない、その一言で心が軽くなるはずなのに、それすら得られない、つまり、ずっとこの先も自分は2番手であり続けるのだろう。
どう、自分の気持ちと折り合いをつけるか、分からない。いっそのこと彼女のことを大嫌いになれば良いのに、まだ好きだし、愛してしまっている。
バカで自分のエゴであるのは分かっているけど、安売りするようなことはやめてほしいっていう気持ちはあった。付き合う前から大事な友人だったから。
「彼女を救いたい」そんな気持ちで付き合っているうちはただのエゴだし、茶番なのだろう。「彼女は救えない」そういうある意味悟った段階で、初めて恋愛になるのだと思う。未熟さを認めながらどう続けていくか。
きっと自分はそのような未熟さを認めながら今後も生きていけるのだろうか。
誰に相談してもそんな女と別れてしまえと言われる気がして怖い。自分の気持ちをこれ以上揺さぶらないでほしい。
いままで台湾や香港には何回も行ったことがあったけど、どうしても中国本土に対する悪いイメージが拭えずに(人の多さとか、サービス精神の欠如とか、大気汚染とか)、今までどうしても行く気になれなかった。
ところが最近、気が変わった。
思っているほど酷い場所ではないのかもしれない、と。
むしろ、スマホやIT技術の活用など、日本より進んでいる面もあるのではないか、と。
ほら、最近、ニュースやメディアでも中国独自のスマホサービスを取り上げてるじゃないですか。
「スマホアプリのQRコードでコンビニでも屋台でも支払いができるので、中国人は現金を持ち歩かなくなっている」とか
「街中にはシェアサイクルがあふれていて、スマホでQRコードをスキャンするだけで簡単に使えて、移動がすごく便利になった」とか。
現金嫌い&便利でラクなの大好きな私としては、もう気になると実際に試してみたくてしょうがない。
というわけで、嫌がる友達を説き伏せて、野郎二人で上海へ旅立った。
だって、クレジットカードのVISAやMasterが基本的に使えない(外国人向けホテルとか空港はOK)んだよ、あの国。
その代わり、中国で使えるクレジットカードは中国独自の「ユニオンペイ(銀聯カード)」。その隙間をスマホ決済が埋めている感じ。
そのQRコードを使ったスマホ決済にしても、基本的には中国国内に銀行口座を持っていることが必要、、、って旅行客には無理じゃね?
しかし、この現代社会でいまさら現金だなんて面倒くせえ!デジタル決済最強!
なんとか抜け道はないのか、といろいろ調べて頑張った結果、以下の「ツール」を手に入れた。
【スマホ決済サービス】→「微信支付(WeChat Pay)」
中国国内に銀行口座がなくても口座を開設OK。チャージは香港の代行業者経由でやった。(気にる人はググって)
※もう一つのスマホ決済サービスである「支付宝(Alipey)」は、中国の銀行口座がないとダメでした。
日本のクレジットカード会社(クレディセゾン)が発行する旅行者向けのプリペイド・クレジットカード。
こうした有力な武器を携え、勇者(?)2人は上海へと旅立った。
===1日目===
空港に到着。
友は、空港内の両替所で1万円を人民元に両替。人民元をゲット。
俺は、空港内のATMでクレジットカードで人民元を引き出そうとするが、何度やっても、また別のカードを試しても、エラーでダメ。一人旅だったら焦るとこだけど、とりあえず人民元を友だちから借りる。現金最強。
空港からリニアモーターカー&地下鉄で上海中心部へと向かうべく、リニアの窓口で交通系ICカードを買う。
「銀聯カード」のステッカーが貼ってあるので使おうとしたら「ごめんね、現金だけ!」だってさ、、、またしても友達から人民元を借りる。
銀聯カードが使えるのはリニアの乗車券だけで、ICカードの購入はキャッシュオンリーっぽい。
早速クレジットカードでキャッシングを試すと、今度は無事に引き出せた。人民元ゲット!
外資系ホテルだけあって、Visa / Master カードOKでした。JCBはダメだったけど。
QRコードをかざしてる人がいたので「お、WeChat Pay使える!?」と思ったが、Alipayだけだった。
おとなしく現金で払う。
Alipayのステッカーしか貼ってなかったので念のため確認したけど、やはりWeChat Payは対応していないとのこと。
その代わり、銀聯カードはOKだというので、カードで払ってみる。ようやくキャッシュレスで支払!
カードの暗証番号を入力した上に、伝票にサインまでするという、安心だけど面倒くさい手順だった。不正利用防止?
===2日目===
お支払は現金で!
こちらもAlipayのみ対応でWechat Payは不可。お支払は現金で!
業界2番手のWechat Payは対応してない店が多いみたい。(特に老舗は)
喉が渇いたので、商業ビル内のフードコートでフルーツジュースを飲む。
店員に指差しで「Wechat Payで!」と伝えてから、レジ横のQRコードをアプリで読み込み、自分で金額を入力して支払い完了。
やっとQRコードで支払えた、、、
上海市内の地下鉄やフェリーに乗る。交通系ICカードでピピッとお支払。
自動改札だけど、自動扉じゃなくて回転棒(?)を一人ずつ回して通過するタイプ。
あと、地下鉄の改札口には必ずセキュリティーチェックがあって、大きな荷物(スーツケース)はすべてX線チェックされる。
日本が安全すぎるのか、中国が疑い深すぎるのか、よくわからなくなる。
スマホ画面に表示させたWechat Payのバーコードをコンビニ店員がレジのバーコードリーダーで読み込むだけで支払い完了。
これはラク。日本のコンビニで「Suicaで!」と言って支払うのと同じ感覚。
大手チェーン店の対応が進んでいるのは、日本も中国も同じなのね。
さすが観光客向けの殿様商売。レジのお姉ちゃんもやる気なさそうだったし。
===3日目===
歩いてみた範囲だと、地元民向けの屋台なWeChat PayのQRコードを貼っている店が多かった気がする。
みんながみんなQRコードでキャッシュレス、というわけでもなさそう。
空港で昼食。
だけど悔しい(?)のでWeChat Payで払ってみる。POSレジでスマホ画面のバーコードを読み込んで支払い完了。
アプリ内に店名や金額など支払いの記録がいちいち残るので、証拠や記録を残すには便利かも。
===結論===
いろいろ準備したのに「ツール」の出番が少なくて残念でした。
地元民向けのお店ならもっとWeChat Payの出番があったかもしれないけど、こっちは観光客で、地元民じゃないからねぇ〜
俺もちょっと期待しすぎた部分があるし、実際に現地に行ってみて「こんなもんか」とわかったのも良い経験だったかなと。
もし運命の恋とか、一生に一度の恋みたいなものが本当にあるとするなら、私の運命の恋はもう終わってしまったと思う。
この話をすると、年上の人は必ず「若いなあ」とか「何度恋したってそう思うよ」とか、そういう言葉をくれるし、私もなんだかんだ言ってそうなんだろうな、とも思う。しかし、それでもあんな大恋愛は二度とないんじゃないかとも思う。
付き合っていたのはたった1年程度だった。その前後も入れれば5年くらいにはなるけれど。今思えばそんなドラマチックな出来事もなかったかもしれない、何せもう随分前のことになるので、鮮烈だった記憶も薄れてきた。
それでも一生に一度の運命の恋であったと今も思う。私も彼も若かったから、余計そう思うのかもしれない。もしくは思い出としてひたすらに美化され続けていくからかもしれない。まさしく身も心も焦がすような、そんな思いをずっと抱いていた。
今は新しい恋人がいて、良好な関係を築けていて、とても幸せだしこの状態がなるべく長く続いてほしいと思う。当然とても大切で、愛しているといって差し支えないと思うのだが、あの彼ほど好きかといわれるとそうでないと思う。
ただ一つ言っておきたいのは、今の恋人が決して二番手になっているというわけではなく、ただ「歴代の恋愛ランキング」で言ったら彼が1位だということだ。今の恋人のことは、今の時点で一番好きだ。かつての彼のことは今は割とどうでもいい。生きているのか死んでいるのか、それさえもあまり興味がない。
ただ、あのまだ20代に差し掛かろうかという若さでもって、必死に全力で愛し合ったあの時の彼に注いでいた愛情が、私の人生における最大火力だったと思うだけだ。あの、私を守るように、それでいて暴力的なほどに愛してくれた彼のことは今でも好きだと思うが、その彼はもういまどこにもいない。いなくなってしまった。死んでしまったといって差し支えない。今生きている彼はほとんどもう別人のようになってしまったのだから。
今の恋人にそれだけの熱量を注げるようになりたいとも思わない。あの熱こそがかつての彼と私を引き裂いてしまったと思うから。今の恋人には今の恋人にあった愛し方があるし、現時点でそれはきちんとできているように思うので、あの火力はもう私には必要ない。
もし、時をやり直せるのなら、私は彼とやり直したいと思わなくもないのだが、それでも結局彼は変わってしまっただろうし私とは道を違えるだろうから、それならそもそも出会わない方がいいなとも思う。これを人は未練だとか言うのだろう。
彼のことを断ち切りたくて、彼と出会った土地から上京して数年経った。たまに彼のことを思い出す。会いたいとも思う。だけどそれは私のことが好きだった彼であって、そんな人はもうどこにもいないのだ。然様なら大好きだったあなた。
土曜夜10時頃に友達の車で3人で宮城から横浜へ出発。溜め込んでいたアイドルタイムプリパラを視聴しながらの移動。これは正解だった。
これから見るVRライブへの期待を膨らませるのと、しゅうか様という魅力的なアイドルを見る事が出来たからだ。
アイドルタイムイズマネーは今からでも十二分に流行語大賞を取れるポテンシャルを持っている。
ちなみにファララがライブをする直前辺りから記憶が無い。運転手をした友人に感謝。
車で仮眠などを取りながら友人の当日券はないのか、という言葉を聞いてチケットサイトを調べた。当日券があった。
私達は午後19時からのC公演のチケットしか持っていなかったのだ。
そこからは激しい論戦があったが最終的にB公演のチケットだけを取ることにした。これは正解であり、失敗だった。私達はA公演も見るべきだったのだ。
あの素晴らしいライブ、スペシャルゲストのトリコロール、そして配布のコーデ。
運転手をしてくれた友人には悪いがあれは和を乱してまでも見るべきものだったと今なら言える。
コーデに関しては私のお気に入りであるガーネットアラブの色違いだと家に帰ってから気づいたのだった。
B公演の席は半分ほど空いていた。
ライブという文化を避けてきたためペンライトは持っていなかったし、最初は買う必要は無いと思った。しかし、ライブが始まるとあれ程の手持ち無沙汰感は無い。終わってからペンライトを購入した。
これからライブの感想に入るが曲目については誰も触れていないので私も触れないようにしておく。
一番手は夢川ゆいからだ。アイドルタイムが溜まり、ライブが始まる。
実は私はVRについて半信半疑だった。後述するマイキャラちゃんが登場するマイキャラランウェイをメインにここまで来たからだ。
曲が始まるとキャラクターが現れる。ステージの上でキャラクターが、夢川ゆいが踊っていた。あまりの感動に友達が隣にいなかったら泣いていたかもしれない。ゲームでもアニメでも無く、キャラクターが確かにそこにいると感じた。
歌って踊るゆいを目の前にした私は語彙力を失ってただただ「すごい」というしかなかった。
この感動は他の何物にも例えることが出来ないだろう。
歌が終わるとキャラクターによるMCが入る。アニメで見たままのゆいが話している。ユメっている。そしてらぁらもまたVRで登場する。
喋っていないキャラクターも棒立ちなのではなく、そのキャラクターの個性が現れていたと思う。
みれぃは客席を意識しているように見えたし、ドロシーとシオンが暴走したときのレオナの焦りはまさにそのステージ上にキャラクターが存在していると感じさせられた。シオンがピシッと立っていて微動だにしなかったのはシオンらしさを感じたし、少し笑った。
振り付けはアニメやゲームでは見えない部分が見れてとてもよかった。それにそれぞれのキャラクターの振り付けが少しズレていたりするところでリアルさと存在感が増したと思う。
これ程までにルールを破って撮影したいと思ったことはない。ステージ上で踊るキャラを全て追うのは私には不可能だった。
この後C公演を見るのだがそれでも足りなかったと先に書いておく。
らぁらとゆいはアンコールにも応えてくれた。それが録音された予定調和だったとしてもキャラクターを目の前にした私にはとても嬉しいことだった。
曲目は書かないがその曲をそのコーデで演るかという唸るような演出もあった。
キャラクター達のライブが終わると次は観客達のマイキャラちゃんが登場するマイキャラランウェイだ。
これは入場時に預けたトモチケから抽選で30人が選ばれるというもので、当たればスクリーンにマイキャラちゃんが現れる。
結果から言えば私のマイキャラ、はいねちゃんがスクリーンに登場した。しかし私は焦りすぎて写真を取ることが出来なかった。
VRが期待外れだったら立ち直れないほどショックを受けていただろうがVRライブは予想を大きく上回るとても素晴らしいものだったためそこまで大きなダメージを受けずに済んだ。
ライブの全てが終了し、退場すると出口でステッカーを配っていた。聞くと映像に乱れがあったお詫びらしい。ステッカーはシオンだった。何故なのか。
ライブシアターを出て近くにあった鶏料理専門店の居酒屋っぽいところで夕食。
頼んだのはあじみ先生の大好物であるチキンライスだ。私はあじみ先生推しである。
食休み経てC公演へ。
入場時に今度はらぁらのドリンクとまた缶バッジを購入。ステッカーはドロシーで缶バッジはシオンだった。何故なのか。
プリパラガールズのあいみぃさんやそらみスマイルの声優さんが来るスペシャル公演だったから当然だろう。
友達の真横を声優さんが通ったり、友達が違反チケットを貰っていたりしたが声優さんについては詳しくないので割愛させて頂く。
さっき見たばかりのライブでも少しも飽きを感じることはなかった。
C公演のスペシャルゲストはファルルとジュリィ。私はジュリィも好きで食い入るように見ていたがランウェイが無いのが残念だった。まあこれは仕方のないことなのだが。
私はこのライブの内容を正確に伝える自信はないし、正確に伝えられなくていいと思う。
この感覚はライブを直接見た人間の特権だ。なので感想を誰かに言うときはアサヒに倣って、「ヤベー」「チョーヤベー」「マジヤベー」で済ます。
そして帰り道ですでに、今現在もまだVRロスに襲われている。