はてなキーワード: 形式上とは
世間が富むことによってもたらされる分かりやすい例が、これまでは取りこぼされてきた層にも手が届けられる(形式上は)福祉だとかと思っていて、何が言いたいかというと、障害者とか発達障害とか精神障害とかみたいに取りこぼされてきた(健常者の人数からすれば)少数派が生きていられるのは、そうした福祉とかがやっぱりあるからだってこと。自助努力でやれとか狂気の沙汰だよ。
翻って、世間の富が失われる時、真っ先に消えてなくなるのは(あっても効果がなくなるのは)福祉だと思ってる。
生きていくのが精いっぱいの時、じゃあ君はその一見不平等にも見えるそれに我慢できるの?ってこと。
モデルケースはすでに出ている。その一つが生活保護だ。ほら、不満に満ち満ちてるでしょ。
海外はこんなに素晴らしい!本当に?だったら国外逃亡した方がいいよ。
世の中理不尽と我がままでいっぱいなんだ。そのうち、少数派まで手が回らない時が来るよ。
3行で要約
・スマホ4年縛りが生まれたのはスマホ(特にiPhone)の価格が上がり続けているから
・もっと身の丈にあった機種を選ぼうぜ
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一括で購入すると本来高価なスマートフォンの月額割賦販売が日本で普及して久しい。
この月額割賦は従来「2年縛り」が一般的だったが、現在は月額負担の小さい「4年縛り」が今回問題視されている。
彼らが4年縛りを導入したのには、やむにやまれぬ営業上の事情がある。
そもそもこの仕組みはiPhone8とiPhoneXが販売された昨年の夏に始まる。
かつてiPhone3Gが発売した07年、その価格は米ドルで200~300ドル。日本で爆発的に普及したiPhone4, 5もそれに近い価格だった。
参考: https://www.statista.com/chart/11067/how-the-iphones-price-developed/
特に2011年~2013年は円高が続いており、日本円にして2万弱~3万円前後でiPhoneが買える時代だった。
そこから10年。iPhoneは、高くなった。スタンダードなiPhone8が800ドル~950ドル、高級機位置づけのiPhoneXに至っては1000ドル~1150ドルもする。
米国本国は平均物価自体もこの10年で2割以上上がっているため「何とか正当化できる値付け」なのかもしれないが、
所得も物価が上がらない、かつ円安傾向の日本で庶民がみんなしてホイホイ買うような代物では、既に、ない。
それでも売れるものは売りたいのが企業というもの、そこで考え出された苦肉の策が4年縛り / 48回払い / 途中2年目下取りというシステムだった。
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iPhoneの新機種を従来の二年(24回)で払うとすると一回あたり4000円~5000円にもなってしまい、とても「毎月の通信費にまぶして」払える額ではなくなってしまう。
「通信費」の負担上昇自体も数年前から政治問題化しつつある中で、キャリアとしても月々の通信費負担を増やすわけにはいかなかったのだろう。
参考: 2015.10.4「安倍首相「携帯代高すぎる」発言で業界に激震」 https://www.sankei.com/premium/news/151004/prm1510040012-n1.html
ただし、日経新聞の調査等で「スマホでの(例えば洋服の)買い物のキャリア一括決済」が通信費に計上されている等、そもそもデータの正当性を疑う声もある。端末の割賦料金やネットでの買い物、課金決済等を除いた正味の「通信費負担」は増え続けるトラフィック量(=設備負担)と比較すればまだ抑えられている、というのがキャリアの本音かもしれないが、既に1割を超えようとする通信(関連)費の家計負担割合が短期的に大きく上昇する2年縛りはキャリアにとっても消費者にとっても避けたいものだったはずだ。
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つまり、問題の根本はiPhoneのような「ブランド品」を国民がまるで制服のようにみんなして買ってしまっていることだ。
・XiomiやLGの端末であれば2~3万
いろいろな選択肢がある中で、それでも最新のiPhoneを、月々の負担はそんなに増やさないまま買いたい消費者が多ければ4年縛りが発生せざるを得ない。
自分の感覚がおかしいとか、他の人と違いすぎるとかなのかも知れないけど、こういう流れがぶっちゃけまったく良くわからない。
「そんな意図は一切ないのに、勝手にそう捕えて勝手に傷ついた人がいるという意見を聞いたので、傷ついた人ごめんなさい」
「何の話」かとかはどうでも良くて、そういう意図の公式謝罪みたいなのがネット上にあって、その話に対して
って、わざわざ自ら土俵にあがって公言する必要ってまったくないと思ってるるんだけど、なんで言うんだろ?
ネットで主張してないで、謝った本人だけに直接言えばいいのに。
たぶん「必要ないのわかってますよ。ありがとう」って言われるだけよ。
自分も実際謝る必要ないとは思うけど、謝ったら死ぬ人とかいないしなぁ。
「謝る必要ないけど謝った」
ってことがそんなに重大なことなのかな?
たとえば、Aさんが街中で輩っぽい人に難癖をつけられましたと。
輩「おいワレ何メンチ切っとんねん」
A「いや…メンチなんか切ってませんけど…」
輩「今見とったやないかい」
A「いや、見たつもりはないですけど」
A「いや…そんな気まっっっったくないんですけど、メンチ切られたって思って気に障ったのならそれはゴメンナサイね…」
こんな時、わざわざ熱冷めやらぬその場に言って、デッカイ声で
って言わないでしょ。
どう考えても、難癖つけてきた人が面倒くさいから「違うよ、そんなつもりはないよ」って主張しつつ、面倒事はもう幕引きにしたいので形式上謝って済むなら死ぬわけじゃないから謝ってるんでしょ。
「謝る必要ない」
そんなん言わんでもわかってるわー。
「中学の同級生が涼宮ハルヒが大好きで、しょっちゅう大声で『長門!俺だ!結婚してくれ!!』って叫ぶ奴で、
そいつのせいでクラスの中で『涼宮ハルヒ好き=やばいオタク』となり、自分も観てるとは言えなかった。」
というツイートを見た。
大学の研究室配属後に具体的な研究テーマを決めるミーティング時、
自分はある技術Xについてやってみたいと言ったら、教授や先輩たちに微妙な空気が流れた。
「候補としてはいいね」みたいな感じで流されて、正式決定は後日となった。
ミーティング後ある先輩曰く、
「技術Xは、研究室に来なくなったが未だにこの研究室に在籍している幽霊留年生が扱ってた(形式上、今でも扱っている)もの。
うちの研究室じゃ、印象悪い」
とのことだった。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはちょっと違う。
何ていうんだろこういうの。
そして理不尽だ。
技術Xは何も悪くないのに。
SNSでやりとりのあった男性。年はひとまわりほど上。私の文章が面白いと言ってくれた。議論もした。対等な立場として扱ってもらえたことが嬉しかった。
しかし、先日送られてきたダイレクトメッセージの内容にぞっとした。結局、彼は私が自分よりひとまわりほど若い女だということにしか興味がなかったのだ。なぜこのような当たり前のことに気が付かなかったのか。私は本当にバカだった。
昔からチビで愚鈍でとんまだった。いつもバカにされていた。見返したい一心で勉強した。7㎏減量した。化粧を覚えた。私の身長でも似合う服を探した。靴擦れしてもヒールを履いた(今はもう靴擦れは起こさなくなった)。
周囲の私に対する態度は目に見えて変わった。私は「かわいい」とか「きれい」とか言われる人にはなれないにしても、「ふつう」にはなれるのだと知った。
私は現在、大学に通っているが、そのキャンパスときたら在籍する学生の男女比がほぼ8対2。そういう環境においては、男子学生にとって女子学生は「かわいい子なら目の保養、それ以外はみんな見世物」である。
「女の子がいると緊張する」などという人がときどきいる。女の子?私が?きっと何かの間違いだ。私はこれまでの人生でそのように扱われたことはない。また、私になんの恨みがあるのか、知り会って間もない人から「女の子は楽で良いよね」などと言われこともある。さすがに気分が悪い。なぜって私は今でも自分のfemininityとやらにまったく自信がないし、自分を「女の子」として売ってなどいないからだ。彼氏がほしいだとか結婚したいだとか子どもを産みたいだとか、そういうことも考えていない。
察しの良い方ならすでにお気付きであろうが、私は二次障害に双極性障害を伴う軽度自閉症である。勘違いされては困る。私は周囲の人間に対して病気をアピールしたり、弱さを盾に自分の要求を通したりすることはしていないからだ。感覚過敏の問題を抱えているため、教員には障害のことを伝えているが、まわりの学生(友達と呼べるような仲の人はいない)には言っていない。
私には自分に似た個体を作るなんてことはとうてい考えられない。誤解のないよう付け加えておくが、障害があるから生まれてきてはいけないとは思っていない。ただ、私のように人生につまずいてしまう人間を、私の手で産み出してしまうことにたえられそうもない。
話が逸れた。私が女扱いにうんざりするもうひとつの理由、それはおそらくミソジニー的感情が内面化されてしまったせいだ。インターネットの世界でそのような書き込みを見ない場所はほとんどないだろう。私はそれらに反論する能力も、そのつもりもない。典型的な「身勝手な」女像、私だって彼ら(そして彼女ら)にとっては例外ではないだろう。
卑しい女である私には人間の主体性なるものはない。あくまで選ばれる側。肉牛のようにランク付けられる側、いいや、これは不適切だ。私は肉牛ほど高い価値など持ってはいない。
弟は大学へは進学しなかったが、私よりずっと出来の良い人間だったといえる。学業もスポーツも(私は幼少期、非常に活発で外遊びが好きだったが、絶望的に運動ができなかった)。専門学校を出て、小規模ではあるが優良企業への就職を果たした。一方私は精神を病んで大学を休学、復学はしたものの卒業はいつになることやら。だから父は昔から教えてくれていたのだ。女の子は美人でなくても、賢くなくても、愛嬌さえあればいいのだと。近頃のニュースはなんとtraumaticなことか。「おっぱい触っていい?」と聞かれたことは何回あったっけ?これは形式上「おねがい」ではあるが、実際は「触るけど黙ってろ」という意味だった。こたつで足をからまれた。痛いからやめてと言ったら服を脱がすと脅された。
女であることがいやになる。しかし私はmasculineな特性をなにひとつ備えていない。背は日本人女性の平均よりも低い。知能も劣っているだろう。
それについての記事を読み、
なるほど、ただ串に刺しているのではなく、
様々な工夫がなされているのだなぁと感心した。
確かに嫌だろうなぁとは思ったし、
ここまで工夫されているのなら、行ってみてかぶりつきたいと思った。
と同時に、
5本セットを3人でシェアされるより、
3人が一人3本4本頼んでくれた方が確かに売上としては上だな
とも考えてしまった。
そうした売上アップの為のセールスが悪だなんて微塵も思わない。
でも、「美味しくする工夫をしているから」以外に、
そうした理由はあって良い。
個人的には、串をシェアするかどうかは一緒に行く人に寄るかなと思う。
一緒にいる人が仲の浅い知り合い程度で、コース料理のやきとりであれば、
仲の良い人たちとであれば、個々が好きな串を頼んで食べるのに何の問題も無いだろう。
また、関係性等々によっては、一口分けたいならそのまま持ってる串を渡して
一つだけ食べあうようなこともするかもしれない。
(本当は良いことでは無いかもしれないが)
「じゃあ仲の良い人とだけ行けば良いじゃないか」と言われるかもしれないが、
「そこまでの仲じゃない」人との食事というのは往々にして存在すると思う。
ある種の引け目から串から外してシェア=形式上の平等を行っている部分もあるのではないだろうか。
一口目~最後によって大きさや味が違うのであれば、真の平等ではない。
とだけ思われるようになってしまうのは、心外だなと思ってしまった。
かぶりついて口周りが汚れても、笑って楽しく過ごせる人と
美味しいお店に行きたいなぁと思う。
異世界転生・転移だったらこんな展開もあんな欲望も許される、という認識がある気がした。
俺TUEEEして認められたい尊敬されたい→俗に言うチート能力、異能を転生というイベントで処理できる。あるいは前世の知識などで無双。
たくさんの女の子に好かれたい→倫理観の違う異世界だったらハーレムも無問題。奴隷を救う展開なら罪悪感もない。
嫌な連中に一泡吹かせたい→クラスごと転移させてウェイ系をバッタバッタと殺しても倫理観の違う異世界だから気にしない。
可愛い女の子になりたい→いいよいいよどんどん女体化転生していいんだよ君は可愛いよ
キラキラ輝いてる主役みたいな人達を見返したい→形式上の悪役に転生し、前世やらゲームの知識でお約束展開を覆して爽快
ストレスのない世界に住みたい→モンスター狩って皆と旅する自由で気ままな暮らしは楽しいNE
現代人のあらゆるストレスまたは欲望を解消するために、異世界という舞台は最適だった。しかも作りやすい。なので爆発的にヒットした、のかなぁ。。。
現代と地続きの世界を舞台にした作品でも俺TUEEEはあるしハーレムもあるしクラスメイト皆殺しもあるけれど、制約とか矛盾とか倫理観とかで設定を練り込まないといけない。
私は男だけど、女性専用車両には賛成。
痴漢被害が酷いというのは聞いているし(リアル知人とはそういう話をしたことはないけど、ネット上で上げられる声を聞いてると酷いというのがわかる)、トラウマになって女性専用車両しか利用できない状況に追い込まれる人がいるのも知ってる。
女性専用車両には今後も(気づかずに、あるいは忘れてうっかり乗っちゃった、とかはあるかもしれないけど、少なくとも意図的には)乗るつもりはないし、わざわざ乗り込んで反対運動やってる連中は頭おかしいんじゃねーのと思う。周りを威圧するとか、クズすぎでしょ。
痴漢という犯罪がなかなか撲滅されない現在において、女性専用車両という解決には一定の合理性があり、それで救われる人が大勢いるのなら、私はそれに反対しない。敢えて乗車して、トラウマ抱えてる人を怯えさせようとも思わない。
犯罪者の多くがその属性を持っていることを理由に、ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す行為は、差別だよね?
差別だとみんなが合意してるなら何も言うことはない。現状、男性が社会的に権力を持っている以上、この程度の差別は甘受すべきだという理屈もわかる。別の差別を漸減するためにより小さな差別は容認されるべきという主張もわかる。上で書いたように、私にはその差別に反対するつもりは特にない。
でも、「差別じゃない!」という主張が執拗に繰り返されるのはまったく意味がわからない。なんでそこを否定しようとするのか。差別だが必要悪である、でいいじゃん。多くの人(私も含む)はそれで納得するよ。なんでそこにこだわるの。上の「ある生得的な属性」に別の属性を代入してごらんよ。大問題でしょうが。男性が社会的には強者であるからこの程度は仕方ない、ってだけで、本質的には差別でしかないでしょ。
「差別である」という前提を共有できないなら、それは差別であると主張し差別解消のために強硬手段を採る運動にも一定の正義はあると見做さざるを得ない。
murasakizaru 事故が頻発してる道路をやむなく私有地にはみ出して通る人に「不法侵入ではあるよね?私は刑法犯ですって認めろよ、言えよ犯罪者」と迫る意味は?意図は?痴漢の利益の為に惜しみ無く情熱を注ぐ連中。
そもそも住居侵入だと思ってない人が大勢いるみたいだから、それが形式上は住居侵入にあたるよね、という指摘は必要では。
underd 「間違いなくその属性自体に起因する問題があるケース」は差別って呼称が妥当なのか議論の余地があると思う。そしてその状況では強硬手段に正義ありと見做さざるを得ない、とは思わない
痴漢って男性という属性に起因する問題なのか。知らなかった。痴漢を排除することはまったく問題にしておらず、痴漢をしていない多くの男性を排除することを差別的な扱いだと主張しているんだけどな。そして、その差別を是認するとも書いているよね。この差別には正当な理由があるから是認する、と言っているのに、差別じゃない! と言われるのは本当に困惑する。そう言われたらこっちも「これは差別ですよね」と言い続けるほかないわな。
shima2tiger だから何?女たちは男性を差別した上で安全な場所を得ているんだから、申し訳ないと思えってこと?性犯罪から身を守るためにそこまで卑屈にならなきゃいけないの?
差別は絶対悪であり、その構造の受益者はすまなそうにしているべきだという前提に立つなら、申し訳ないと思うべきなのでは。差別は時に必要であり、その受益者も堂々としていて良い、と思うなら堂々としていればいいんじゃないの。私は差別だとは言ったけど申し訳なく思えなんて言ってないよ。
nennoyuraku “ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す←シェルターとして女性車両を用意することがこれだとは到底考えられない。事業者が妥当な目的のため女性向けとした場所は公共の領域じゃないでしょ
すごい! 公共交通機関がその一部を「○○限定」にすれば公共の領域じゃなくなるんだ! その調子で日本人専用車両とかも作っていこうな。
sand_land 専用車は優遇=男性差別って認識なら少しズレてる。専用車=空いてて快適とは限らん。性犯罪被害遭遇率が下がる以外はほぼ普通車両と同じ。更にその性犯罪は尻に触る程度じゃない。下着やそれ以上弄るとか普通よ。
私は「性別を根拠にして犯罪者と同じ性別に属することを根拠として公共の空間への立ち入りが制限されるのは差別である」と主張しているのであって、「女性専用車両は女性優遇のVIP車両! ずるいずるい!」なんて言ってないし、性犯罪の深刻さも否定してないよね? そういう主張をする反対派がいることは事実だけど、少なくとも私はそんな主張をしていない。
その時は「あらゆる差別は悪であり即時廃絶すべきだ」派と闘えばいいのでは。私はこういう事情があるならこの差別は現状しゃーないな、って思うけど、どんな理由があっても差別を許せないひとというのは一定数いるので、頑強な反対派ってのは出てくるかもしれない。でもそれを防ごうとして「これは差別じゃない」と主張するなら、こちらも「いやこれは差別ですよね」と言わざるを得ないわけで。
kutabirehateko 日本での性暴力発生率は通勤通学時の交通公共機関が群を抜いて多い。避難所を利用しなければ通学も通勤もできない女性のハンディを無視することこそ差別だ。
「性暴力からの避難車両」なら差別じゃないんじゃない? 男女を問わず、性暴力に遭うことを恐れるひとであれば誰でも乗れる。結果として乗客が女性だらけになったとしても、当然それは差別ではない。仮にこういう運用がなされるなら私は差別だとは主張しないよ。もちろんその場合、過去に痴漢された経験のある男性も乗れるわけだけど、これは制度の趣旨からいって当たり前だよね。
それじゃ嘘をついて乗ってくる男性がいるかもしれないという懸念もあるかもしれないけど、痴漢されやすい外見などというものはなく、性暴力被害者を服装や外見で見分けることはできないのだから、それは仕方ないんじゃないの。
shin2rou アファーマティブアクションは差別ではないでしょう。どうしてそこのこだわるのかマジ意味不明。
アファーマティヴ・アクションはマイノリティを大学入学や昇進などの審査において「優遇」するという施策なんで、女性専用車両はアファーマティヴ・アクションだから差別じゃないって言ってるひとたちは「女性専用車両は、女性を優遇する車両である」と主張しているってことになるけど、本当にそれでいいんですかね。
ところでもちろんアファーマティヴ・アクションもやりようによっては違法な差別になりえるわけだが。カリフォルニア大学評議会対バッキ事件(Regents of the University of California v. Bakke)では、アファーマティヴ・アクションのせいで入学できなかったと訴えた白人学生が勝訴して入学してる。アファーマティヴ・アクションだから差別ではない、って、お前アファーマティヴ・アクションって言いたいだけやろ。
mionosuke 「区別」じゃね? 性的な嫌がらせを行いうる人達という区別が、男性か女性かで分けられたのだから。「差別」だとすると、差別をされたという被害者意識が生じる。
被害経験の有無とか性犯罪歴の有無とかで区切るなら(人権問題ではあるかもしれないけど)差別じゃないけど、一律に性別で区切ったらそれは差別に決まってるじゃん……。確かにいちばん多いのは男性→女性への性犯罪で、最も対策にリソース割くべきなのはそれだけど、男性→男性,女性→男性,女性→女性の性犯罪だってあるわけで。
kincity 巷に溢れる女性差別に対しては「他人の人権が毀損されても興味ありません」が「自分が差別されるのは実害なくとも1ミリも許せません」という人権意識の人らとは差別の定義が違うのだろうで、そこ争って何になるの?
この増田では書いてないだけで、私は選択的夫婦別姓賛成、女性の再婚禁止期間反対、婚姻適齢の18歳への統一賛成、プロチョイス、性犯罪の厳罰化賛成派ですが何か。
zyzy その理屈だと「黒人が白人追い出して独立国家作ったアフリカの国々も差別」って話になる。これ書くと「くにはさべつとかいったきちがいがぁ」ってのが沸くけど、それなら女性専用車両を差別というのもきちがいなだけ
ジンバブエのムガベ大統領が白人農場主の土地を没収した時は非難轟々で経済制裁までされたじゃないですか! やだー!
というか真面目な話、独立する時に白人を追い出したアフリカの国ってどれぐらいあるの? 私はアフリカ史には詳しくないんで教えてほしい。確かボツワナのセレツェ・カーマは白人との共存政策掲げてたし、ローデシアがジンバブエに変わった時も白人は追い出されてないし、南アフリカでアパルトヘイトが終わった後も白人は追放されてないよな。
そもそも、ある民族の独立国家を作るに際して特定の民族集団を追い出す行為は「民族浄化(ethnic cleansing)」という人道に対する罪なんだが。旧支配者層だから追い出していいってどこの国際法に書いてあるんですかね。コソボ建国に際して旧支配者層であるセルビア人への迫害を行ったアルバニア人指揮官は普通に戦犯法廷に訴追されてるし、ツチ族が植民地時代は優遇されてたっていう理由はフツ族による迫害の免罪符にはならんよな。女性の権利を重視する人がまさか民族浄化を肯定するとは思わなかった……
totoronoki この問題ってどこに着地したくて声を上げてるのかわからない人ばかりなんだよな。相手の論理的矛盾を指摘するのが楽しいだけなの? 男性専用車両が設置されれば差別問題は解消するよね?
「差別であることを否定するな」っていう着地点、そんなにわかりにくい? 「差別だけど必要悪だよね」が多数意見ならいちいち「これは差別だ!」なんて言わないよ。「差別じゃない」って強弁するひとがいるから「差別です」って言ってるだけ。あと男性専用車両も差別だよ……
sdtrd 差別だから廃止しろって強硬な主張と行動を行ってる集団が実際にいる状況で差別だと認めろって言われてもな。認めたら廃止しろって迫るんだろって思う程度にはネット上の男を信用してない。
運動上の都合で差別か差別じゃないかが決まるんだ……(困惑)。運動の都合で差別の定義を変えていたら、お前らの主張する「差別」なんてどうせ都合のいい定義なんだろそんなん信用できるかって思われても仕方ないのでは。どういう連中がいようが差別は差別、そのうえで容認できる差別かそうでないかを論ずるべきでしょうに。
tikani_nemuru_M 増田も結論部で「不当な差別」と「許容せざるを得ない差別」を分けている。ならば、前者を「差別」後者を「差別ではない」と言ったほうがシンプルで、子供にも説明しやすいだろう。よって増田の主張は不適当。
でも、それだとその2つが連続的な、同質な行為だということが理解できなくならない? 私は、子供に「男性の痴漢が多いから男性の入れない女性専用車両がある。これは差別ではない」と、「○○人の犯罪者が多いからといって○○人を排斥しようとするのは、不当な差別だ」ってどう違うの? って聞かれたら答えに詰まると思う。だってどっちも、一握りの犯罪者をもとにある集団を推し量る、っていう同じ行為じゃない。だったら、どちらも差別と認めた上で、差別を漸減させていくために何が必要かって話にした方がいいんじゃないの?
それに、2つを別々の言葉で扱うことは、片方を「あって当然で、解消しなくていいものだ」と捉えることにもなる。そうじゃない。痴漢が撲滅され、女性が何の不安も感じずに電車に乗る日が来るなら、女性専用車両なんて必要ない。それはあくまで、日常的な性暴力の脅威に対抗するために、やむを得ず認められている差別にすぎないんだ。それは差別と認識されるべきだ。いつかその存在が正当化されなくなる日が、目標にされるべきだ。私はそう思う。
というか、「自衛隊は暴力装置」発言が炎上したときは、「自衛隊の振るう力とヤクザの振るう力に根源的な違いはなく、また暴力装置であると指摘することは自衛隊員での侮辱ではなく、暴力装置と認めた上でどう統制するかが重要」というのが良識派の意見ってことになってたよね……? その見解を支持するリベラル派としては、何で同じ理屈が認められないのか本当に理解に苦しむ。
hyoutenka20 女性専用車両まで「差別」という範囲を広げるなら、今後一貫してその主張を通してもらい、ネットにあふれる民族差別や女性差別的発言にも是非戦ってもらいたい その前提の上なら「差別」とする人の考え方は理解する
増田だからなんの証拠も出せないけど、戦ってきたよ。民族差別にも女性差別にもセクマイ差別にも(はてブやはてダで)NOと言ってきたよ。その上で言うよ。これは(罪が無いかあるいは軽いだけで)差別だって。
keytracker こんな相手を不快にさせる事してたら、さらに溝が深まるだけだろ。こんな屁理屈捏ねるなら法で縛るようになるだけ。差別だと思うなら、信用されるように行動すべきじゃないのか?日系人はそうやって信用勝ち取った
日系人がどれだけ怠惰で鼻持ちならない連中であったとしても日系人排斥や日系人強制収容や排日移民法は差別でしょ……まさか女性の権利を主張する人が差別される側に努力を求めることを肯定するとは思わなかった。
ueno_neco これまで「差別」という言葉は部落差別とか黒人差別のように使われてきたわけで、それらと並列の表現をするのに違和感あって当然でしょ…。女性専用車設置理由は痴漢であって、女性による男性差別じゃないでしょ…。
でもやってることは同じだよね、というのが指摘の趣旨だよ。「○○出身者は犯罪率も高くて危ないから○○出身者は(犯罪歴の有無にかかわらず)入社させないようにしよう」が差別なら、「痴漢の多くは男性なのだから男性を(痴漢だろうがそうでなかろうが)特定の車両に乗せないようにしよう」も差別でしょ。
もちろん、これは「○○出身者はなんか汚らわしいから嫌い」「○○人は劣った民族だから排斥すべき」とは違った行為だ。そういった偏見のみを「差別」と呼ぶのなら、確かに女性専用車両は差別ではない。ただしその場合、「女性は中途退社する割合が有意に男性よりも高いので、女性を管理職候補にはしません」も差別ではない、ということになってしまうが、本当にそれでいいのか。私はそれは不当な差別だと思うし、それを差別ではないとする主張は詭弁だと判断するが。
ところで、私は「女性による男性差別」とは一言も言ってないような。当然この場合、差別の主体は鉄道会社であって、女性客ではないよね。
痴漢被害に遭遇したことのない女性あるいは傍観者だった女性(あくまで仮定上の存在ね)が入れて、痴漢被害者の男性が入れないのは、被害への措置として不適当だよね。上で書いたけど、被害に遭った/遭うことを恐れるひとなら性別を問わず誰でも乗れる、そのかわり女性でもそんな恐怖を感じていなければ乗れない、なら差別と言うつもりはない。
あと、救済措置であることと差別であることは矛盾しないよね。救済という大義のための必要悪として差別を許容するという趣旨の文にそんなブクマされても……
「犯罪率が高い集団の成員をまとめて排除するのは差別じゃない」という論理は、たとえば歴史的に差別されてきた結果として犯罪に手を染めることが他の地域の人よりも多くなってしまった地域の人を差別することにつながる。「私企業なんだから別に勝手に『女性専用』を設定していいだろ」という理屈は、私企業が「日本人専用」や「○○人お断り」をすることを許容してしまう。「これは差別ではない、区別だ!」という言い方は、女性が不利益を受けたときに「でもこれは区別だから」で済ませる余地を与えてしまう。
(※地下猫さんの指摘を受けて訂正。この部分は、あくまで「犯罪者の多くがその属性を持っていることを理由に、ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す行為」であることを前提に、それは私企業の行為だからとか区別だとかいう反論が来ることを想定して、その理屈はだめでしょ、と言ったつもりだった。言葉足らずで申し訳ない。ここは誤解されてもやむなし)
それらは不当な差別だ。でも、不当な差別と現今の環境下では許容せざるを得ない差別は、外形上区別できない。だったら、変な理屈をこねて後者を「差別じゃない!」と言い繕うべきじゃない。それは前者をも免罪してしまう。
加えて、差別が差別であると認識されていない状況はそれ自体が不正義であるから、というのもある。「○○は単なる区別だから、差別じゃないよね~」という言辞に、どれだけの被差別者が苦しめられてきたか。そんな言い分を許さないことは、正義への一里塚だよ。
見ていらっしゃるかはわかりかねますが、労基と税務署に駆け込んだ者です。
別の方のコメントでも出ている通り、源泉税の不納付(支払われるべき金額を不法に圧縮し、本来支払うべき額より引き下げることで税額も不正に節税されている、というロジック)で突っつく事を考えた上での告発でした。
それを形式上でも成立させるために一度労働基準監督署で「最低賃金を割っている」ということを認定いただき、その後税務署で「労基でも『違法であり、支払われるべき金額に達していない』と認められた」と伝えることで動きをスムーズにしました。
妙手であるかはわかりませんが、仮にこの不納付の認定が降りた場合、追徴が完了するまで事業所の営業停止などの厳し目の処分が行われる、ということを見越しての行動でした。
ある大学で学園祭の実行委員をしています。業務としてはいわゆる「広報」を担当していて、他大の学園祭もいろいろウォッチしています。(で、今回の話を見つけて、なんとなく調べてます)
今回の本筋とは関係ないですが、学生だった時以来一度も学園祭に行ってない、みたいな人は早稲田祭でも五月祭でも、どっかの大きな学園祭にもう一度行ってみるといいですよ。単に「来場者」としてまわる学園祭はめっちゃ面白いはずです。
学園祭に主体的に関わったことのある人でないと分からない、ビミョウな関係性についての知識です。
これは学園祭全体でみたらイレギュラーな状況です。ふつうミスコンを主催している大学祭実行委員会(東京大学駒場祭においては「駒場祭委員会」)は駒場祭のミスコンの運営に関与していません。つまり、駒場祭委員会にとって、形式は違えど、「ミスコン」というイベントは「サークルでやる牛串の模擬店」と形式上同様のはずです。(「参加団体」と「実行委員会」の関係、って言えば伝わるでしょうか。)
これを勘違いしてこの問題について論じることはいささか問題です。(百田尚樹氏が実行委員会の招聘により講演会を実施しようとした今年の一橋大学KODAIRA祭の事例と今回の問題は明らかに性質が異なります。)
歴史がある程度長い学園祭ならありふれたことですが、駒場祭も、徹底して学生の手のみによって運営されています。(駒場祭は今年で第68回目だそうです。68年前の大学の空気感、というものを考えれば、なんとなく理由は分かりそうです。ましてや東大ですし。)
学生主体の学園祭では、大学当局(多くは「学生課」「学生支援課」などの部署)は、施設などの使用などの限定的な部分でしか関与しないことが通例です。
これについても、少し社会的な認識と実際の状況の異なる場面です。おそらく駒場祭委員会にも「顧問」などは存在しないでしょう。
これは、広研が自らのTwitterアカウントで公表したものです。(https://twitter.com/utadvc_2017/status/931897374364000257)
駒場祭委員会の対学生用ウェブサイト(調べれば出てきますが、学内向けと思われるため、リンクの掲載は控えます。)にある資料を読む限り、「学生でないもの」の出演については駒場祭委員会への申請が必要であり、したがって、駒場祭委員会はこの事実について公表の前に知っていたと考えられます。
これは、三上悠亜氏が所属する事務所の代表である青木亮氏が、いわゆる「AV出演強要」問題で略式起訴されているため、当該女優の駒場祭への出演は、青木氏の被害女性たちへの配慮を欠いた行動である、と主張するものでした。「AV出演強要」問題については、論争的な部分も含めて、インターネット上に多くの資料が存在しているので言及しません。(「社会問題である」と主張している人間が一定数いる、ということだけ注意しておきます。)
「AV出演強要」問題についてのウェブサイト「AVメモ」管理人であるKAZE氏(https://twitter.com/yap00s)が、公開リプライ上で広研および駒場祭委員会に対して当該問題についての説明を求めました。広研・駒場祭委員会ともに返答しなかったため、ついで、東京大学当局に問い合わせをした旨、同アカウントにて報告しています。(こちらについても返答はなかったようです。)
ここでの不明点は、広研・駒場祭委員会に対してKAZE氏が電話等での連絡を試みたか、ですが、これに関しては、以降の行動等を踏まえると「あった」と考えるのが自然だと思います。
AV女優の出演、ということ自体が一般的には非常に過激な出来事で、AV強要問題との関連がなくても嫌悪感を持つ方はたくさんいると思います。
しかし、色々考えれば、許可する理由はわかります。駒場祭委員会の対学生資料を参照してみます。
前項で言及した、「『学生でないもの』の出演についての申請」は、資料中で「外部団体関連行為申請」と称されています。この申請にあたっての注意をよく読めば、この申請を参加団体に行わせている理由は主に「企業等の営利活動により学生の自主性が損なわれないようにする」ことにあるようです。
したがって、同申請の許可または不許可は、それにもとづいて行われると考えられます。
(同様の規制自体は多くの学園祭に存在します。企業からの協賛金などの額について報告させたり、講演会の資料を提出させたり、と方法は大学によって様々ですが。)
と、すると、「当該女優が社会的問題のある人物と深く関係しており、その人物は社会に出るべきでないのに、学園祭により活動の場を得てしまう」ということは申請の不許可事由になりえなかったのではないでしょうか。
「学生主体の学園祭」においては、実行委員会が学生の行為に対して規制をかける行為は非常に慎重に行われるのが通例です。これは、学園祭自体の存立過程が、非常に政治的色彩を帯びており、その過程で「表現の自由」というものが最も尊重されたことによります。
(「AV女優だから招聘を許さない」というのは別方向から見れば、「表現の自由」や「職業差別」上の問題になってしまいます。)
「学生主体の学園祭」において、学生と実行委員会の間の関係性が緊張している以上に、実行委員会と大学当局の間の関係は非常に複雑です。かつて、学園祭の実行委員会は大学自治の先鋒として大学当局と対立する立場でした。現在でもそうした立場を貫いている実行委員会はないでしょうが、かつてそうであったことは今なお重要なファクターです。
当局の担当者は、安全上の問題がある場合などを除いて、実行委員会が決定した事項に介入することが、(駒場祭においても)ないはずです。
実行委員会や大学当局は、今からでも出演を止めるべきなのか。これは非常に微妙な問題でしょう。まず、略式起訴された代表に雇用されているとはいえ、当該女優は犯罪を犯しているわけではありません。加えて、この出演が「広研の学生による、企画の自由の行使である」という認識が共有されてしまっていることが予想されますが、そうした認識のもとでは、出演を止めるのは妥当でない、と判断したくなります。
一方、この一連の事象が「駒場祭がAV女優を呼んだ」「東大がAV女優を呼んだ」と解釈される場合、それは駒場祭や東大の問題になってしまい、これは規制が妥当、ということになります。
この解釈は、実行委員をやっている人からすえば「主語をでかくとりすぎ」で、「広研がAV女優を呼んだ」と解釈するべきだと思いますが、社会一般の認識とはズレています。
学園祭という場所を提供してしまっている以上、当局や実行委員会も、少なくとも無関係ではいられないはずです。
私の大学の学園祭でも今後このような事態が起こらないとも限らないし、増田なら賢そうなコメントがもらえそうなので、意見を聞いてみたいです。
自慢したいのはわかるけど、「古典的自由主義と左派の自由主義(リベラル)は全く別物であって」
って書いてる俺に何故わざわざ「リベラルとひとことで言っても、classical liberals もありゃ modern liberals 、scocial liberals いろいろ」
と説教してるの?
「絶対王政は封建制を破壊するもの」にツッコんでるけど「する」と「した」の違いわかる?
「理想と現実」というやつだよ。現実には破壊しきれなかったといっても目指す方向はそっちなんだよ。
>「あなたの言うリベラルってのは、僕の言う教条主義的な見方そのものであって、全然リベラルじゃなくて、左派の自称リベラルな感じだなあ」
全く意味不明。「僕の言う教条主義的な見方」って俺は君の知り合いじゃないからそんなん知らんがな。
ただし、
>ひょっとして共産主義系の方?
これも全く意味不明。マルクス・レーニン主義も左派リベラルの思想を継承してるとはいえるけれども、
そして日本のリベラルと呼ばれてる人達に大きな影響を与えてるけれども
そしてそもそも俺は左派の自由主義者じゃない。左派の自由主義の思想の根本にあるものは何かを説明しているだけ。
その構成を具体的に示すと次のようになる。
導入部の後には、まずテーゼ(命題)としてある説・論・主張を略記する。
そしてテーゼに含まれる美点、たしかにと首肯できるところを挙げる。
続いてアンチテーゼ、つまりテーゼの汚点、賛同できない点を挙げる。
最後にジンテーゼ、つまりテーゼの美点は継承しつつも、アンチテーゼとして掲げられた汚点は克服されている、素敵な第三案を提示する。
以上だ。
具体例の挿入とか論拠の提示とかの肉付けは残っているが、論の骨子としてはこの4つが揃っていれば、必須要件を満たしていると言える。
裏を返して逆に見ると、つまり対偶をとると、論の骨子が必須要件を満たしていないという時は、必ず4つのうちのいずれかを欠いていると言える。
ここからが本題なのだが、同時にここからは単なる主観でもある。
経験則で言うと、この4つのうちでもっとも欠きやすいのが「テーゼの美点」だ。
しかし、テーゼの美点を踏まえていないジンテーゼは、美点の継承 + 汚点の克服という要件の前者を欠いたものとなるために、単なるアンチテーゼの焼き直しになる。
そのような論には進歩も深化もなく、ただ話者の言いたいこと投げっぱなしジャーマンの痕跡があるだけだ。
とはいえ、一般人が何かを私的に論ずる時、常にヘーゲル流弁証法的な構成や手続きを踏むのは現実的ではない。
議論の目的が必ずしも進歩や深化を求めるものばかりではないからだ。
議員とは、主権者の幸福度をより効果的に維持・向上するよう、行政と司法をコントロールするための立法に、(少なくとも形式上は)議会での議論を通じて取り組む労働者を指す言葉だと思う。
果たして現実の議員がそのような定義に沿った実態を伴っているかについてはさて置くとして、定義からすれば彼らに求められる必須技能は以下の3つになる。
すなわち、
■ 1. 正しい目的意識
■ 2. 適切な統治能力
= 現況の中での目的への最適解を適切に見出し、行政と司法を最適解に向かうよう制御できる能力
だ。
選挙演説や討論番組を観ていると、どうも耳目にする議員(候補)のほとんどすべてが、その論説に「テーゼ(ここでは議員と対立する意見や政策)の美点」の提示・継承を欠いている。
自分には資質があるから票をくれと訴えるプレゼンテーションたる演説ですら、アンチテーゼとその焼き直したるジンテーゼもどきを延々垂れ流す人たちが、どうして議会で対立意見を持つ別の議員たちと健全な議論を繰り広げられるのだろうか。
これは別に「右派は」とか「左派は」とか、枝野氏風に言うなら「上からの人は」とか「草の根からの人は」とか、そういう話ではない。
むしろ、そのいずれに属していたとしても、揃いも揃って議論のお作法が出来ていないという話なのだ。
自公について言うならば、民主党政権には本当に何も功績や合理的取り組みがなかった暗黒時代なのか、あるいは安保・改憲反対派の言うことにはまったく理解できるところはないのか、ぜひ顧みて欲しい。いや、どうせ顧みられないだろうけど。
立憲や共産党・社民について言うならば、アベノミクスは本当にすべてまやかしで格差を拡大しただけの何ら益ないものだったのか、あるいは安全保障上で米国の協力を引き出そうとみっともなくもがくことを本当に完全に無意味と断じられる客観的根拠があるのか、ぜひ顧みて欲しい。どうせ顧みられないだろうけど。
希望の党について言うならば、いや、希望の党はそもそも何をテーゼとしているのか理解が難しいので、何も言うまい。
ともあれ、テーゼの美点を継承しつつ汚点を克服する、真のジンテーゼを提示する不断の努力を見せて欲しい。
そうでなければ、対立するアンチテーゼ同士のどちらが好きかを選択するだけの、単なる人気投票に堕してしまうだろうというか、もうずいぶん長いことずっと堕したままだ。
こんな状況を見れば、プラトン先生も「ああ、やっぱ民主制ってダメだった」とニンマリ笑うだろうし、子どもは政治活動ってのは耳を塞いで言いたいこと言い合うだけのお祭りだと思うし、はてサに彼女はできないし、ネトウヨに財産はできないし、俺はオナニーして死ぬ。
「立憲主義に立脚した憲法」って恐らく「立憲的意味の憲法」のことなんじゃない。
一般に「立憲的意味の憲法」はフランス人権宣言を援用して「人権を保障し権力分立が定められている憲法」のことを言う。
この「人権を保障し権力分立が定められている」というのはつまり「憲法による権力制限と権利保障」を軸とする立憲主義に等しい。
普通現代において憲法と言えば立憲的意味の憲法を言うわけで、例えば刑法典の名前を憲法と変えても形式上は憲法だけど実質上は憲法に分類されない。
結局のところ、立憲主義に基づいた憲法がなければ「権力制限と権利保障」を成し遂げる具体法がないのだから立憲主義は成立しない。
要するに立憲主義が成立するには「権力制限と権利保障を謳った立憲主義に基づく憲法が存在」(1)し罰則が無い場合も多いので「その憲法を政治家が尊重擁護する」(2)という2点が必要。
”立憲的=立憲主義に立脚した=「憲法は権力制限と権利保障を軸とするのだ」という思想に基づいて作られた(=立脚した)”
”立憲的=憲法に立脚した=立憲的憲法に立脚した=「憲法は権力制限と権利保障を軸とするのだ」という思想に基づいて作られた(=立脚した)憲法を尊重した(=に立脚した)”
という意味として使われる。
”民主的=民主主義に立脚した=民が決定権を握り行使するべきだという思想に基づいて運用される(=立脚した)”
”民主的=民主主義制度に立脚した=民が決定権を握り行使するべきだという思想に基づいて運用される(=立脚した)制度を尊重した(=に立脚した)”
というような意味としても捕えることができるのとほぼ同じパターンなんじゃね。
正直書いてて自分でも混乱してきたがな!
正直喜んでよいのか?日本大使すら適当に決めようとした人だから。
そういう人間がいきなり拉致問題にかなり正確に発言したことは、
つまり北朝鮮からすれば日本がアメリカの口を使って攻撃をしているということになる。
韓国が暗殺部隊の創設まで明言しながら(まあ本当は元々あったものを公表しただけなんだろうけど)急きょ人道支援を決定したのは、
事実上日本自らの判断でアメリカとともに北朝鮮を集団攻撃するという宣言として伝わっているのではないか。
拉致被害者は実際に生存していても、当局にとっては日本と国交正常化や人道支援で取引する人質なので、
日朝戦争が始まったら殺されるだろう。
伝えたい内容はタイトルの通り、多くの場合、電気料金も安くなるので是非。
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これまで、東京電力の施策に不満を持っていても、電力会社は形式上は国有企業ではないから直接施策を政治の争点にもすることもできず、一方、地域独占で選択の余地がなく、消費者としての選択もできなかった。
しかし、電力自由化で電力会社を選択もできるようになった。そして、首都圏で東京電力の代わりに契約可能な電力事業者の多くは、東京電力よりも電気料金が安くなるプランを出している。
この状況で、競合よりも価格の高い東京電力との契約を続けることは、東京電力が続けてきた不祥事を黙認し、今やあえて社会的に問題のある会社により多くのお金を払って契約しているという意味を持ってしまっている。
電力会社の切り替えにはハードルを感じている人が多くいると思うが、実際にはほとんどの場合、手続きはネットだけで済み、ブレーカーのスマートメーターへの切り替えが済んでいれば、電気を停止することすら必要なく、簡単に契約を変えることができる。
新しく電力会社を選ぶことが負担というならば、エネチェンジや価格コムなどのサイトを見て、コスト削減額が多くなるものを選べばよい。(アフィリエイトサイトに疑問を感じる人はいるだろうが、自分が必要な情報を得て、その分がサイトに入る分には正当な報酬だと思う)
電力会社を比較する際には、初回のキャッシュバックで1年目だけ安くなる場合があるので、2年以上の長期間でコストが下がるところを選ぶとよりよいように思う。
そうやるだけで、例えばスーパーのチラシを見て特売品を選んで買うよりも少ない負担で、それよりもずっと多くのリターンが得られるはずだ。
契約時の注意としては、スマートメーターに切り替わっていない家の場合は、電力会社の乗り換えの前に切り替えを済ませた方が契約変更がスムーズに進む。スマートメーターへの切り替えは、東京電力に契約アンペアの増加等、ブレーカー工事を伴う作業を依頼すれば、勝手に実施される。移行先の電力会社は、契約アンペアを上げていた方が移行後に有利になるか、もしくは、契約アンペアによる基本料金がないところが多いので、契約アンペアを上げて、すぐに別の電力会社に契約を切り替えるとコストが少なくなることが多いはず。
また、近く引越しを予定している人は、引越しに対応している事業者かどうかを確認した方がよい。長期契約のリスクをとりたくない人は、契約月数の縛りのない事業者を選ぶとよい。それらを考慮しても、東京電力よりも割のいい事業者が見つかるはずだ。
まとめると、コスト面でも、個人的な観点では事業内容面でも、首都圏の人間が東京電力から別の電力会社に契約を切り替えは多くの人にとって有力な選択肢になっていると思う。これまで消費者の動きが電力会社に影響を与えなかったため、今のような状態になった面も大きいと思っている。なので、東京電力がよくなっていくためにも、電力会社の検討は大事なのではないかと思う。なので、連休中に時間がある人は電力会社の契約変更を考えて見てほしい。
農村においては、男女は夫婦を形成していたが、夫婦間を越えた乱交は一般的であり百年前ほど前の長野においては夫が妻に昨日は誰とやったのかを特に攻めるわけでもなく尋ねていたようだ。
つまり形式上は夫婦でも実際のところ村における乱婚に近い形だったのである。
こんな関係においてはパートナー獲得にコミュニケーション能力など要らず
現に少し前までこれに近い形式が残っていたブータン人などは人前でのスピーチの方が友達の女にセックスを頼むより緊張するとのことだった。
まず
第一に男女ともいろんなパートナーとsexができて飽きることがすくない。
第二に若い頃からsexができて年を食っても若い相手とsexができる。
第四に村内でパートナー交換をしているため出来てくる子供も赤の他人に託卵される可能性は少ない。最悪ある程度の血の繋がりがある。
第六に性の教育制度が充実しセックス下手が著しく減り、痛いセックスが減る。